2006年10月31日

映画監督[園子温]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
園子温



園 子温(その しおん)は日本の映画監督、脚本家。愛知県豊川市出身。法政大学卒。自主映画出身の映画監督である。1987年、『男の花道』でぴあフィルムフェスティバルグランプリを受賞。最近の代表作には『自殺サークル』がある。



作品




[監督作品]


  • 俺は園子温だ!(1985年)

  • 桂子ですけど(1997年)

  • 0cm4(1999年)

  • うつしみ(1999年)




    外部リンク


  • 公式HP

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    2006年10月30日

    映画監督[稲垣浩]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    稲垣浩



    稲垣 浩(いながき ひろし、1905年12月30日 - 1980年5月21日)は、昭和期の映画監督。日本映画の基礎を作った名監督の一人である。東京本郷区駒込千駄木町(現・文京区千駄木1丁目)に、小芝居小屋の俳優の息子として生まれる。生活を助けるため、小学校をやめ、新派劇の名優だった高田実に弟子入りし、「東明浩」の芸名で子役を務める。一時期、関西に移り「天然色活動写真|天活」の「連鎖劇」に出演し、映画に興味を持つ。その後、東京に戻り、父と一緒に舞台に立っていたが、1922年、父の旧友で日活向島撮影所の幹部俳優だった山本嘉一に招かれて、俳優として日活に入社する。村田実監督の教えを受け、伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔と知り合う。俳優として行き詰まり、監督を目指して衣笠貞之助の「衣笠映画連盟」に参加し、1928年衣笠監督の『十字路』のチーフ助監督を務める。その後、伊藤大輔の紹介で、片岡千恵蔵プロダクションに入り、同年、『天下太平記』をはじめ、片岡千恵蔵の個性に合った「明るく楽しい時代劇」を次々と発表し、好評を博した。1934年� !";3CfDgM:!"BlBt1QJe!";0B


    代表作
    *天下太平記(1928年)

  • 放浪三昧(1928年)

  • 瞼の母(1931年)

  • 一本刀土俵入り(1931年)

  • 弥太郎笠(1932年)

  • 時代の寵児(1932年)

  • 富士の白雪(1935年)

  • 関の弥太ッぺ(1935年)

  • 大菩薩峠(1935年)

  • 出世太閤記(1938年)

  • 地獄の虫(1938年)

  • 尊王村塾(1939年)

  • 宮本武蔵(1940年)

  • 無法松の一生(1943年)

  • 手をつなぐ子等(1948年)

  • 忘れられた子等(1949年)

  • 宮本武蔵(1954年)

  • 柳生武芸帳(1957年)

  • 無法松の一生(1957年)

  • 日本誕生(1959年)

  • ふんどし医者(1960年)

  • 忠臣蔵・花の巻・雪の巻(1962年)

  • 佐々木小次郎(1967年)

  • 風林火山(1969年)

  • 待ち伏せ(1970年)


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    2006年10月29日

    映画監督[杉作J太郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    杉作J太郎




    杉作 J太郎(すぎさく じぇいたろう、本名:杉恭介、男性、1961年9月26日 - )は、愛媛県松山市出身の漫画家・俳優・タレント・ミュージシャン・著作家|ライター・映画監督。愛光高等学校中退、駒澤大学卒業。「獣太郎」名義で「ガロ (雑誌)|ガロ」で漫画家デビュー、画風はヘタウマ。一時期、「平凡パンチ」の編集にも携わっていた。音楽活動の際、名前は?L.L. COOL J太郎?。シングル1枚リリースしている。本職顔負けの強面。タレント活動では「もてないキャラ」、「童貞キャラ」として主に活動している(ただし、実際には童貞ではない。)。その為一般的に、タレントとしての杉作J太郎は女性受けがあまり良くない。架空の女性と性交を行うエアギターならぬ「エアセックス」の提唱者でもある。プロレスの解説者としても知られ、その方面の造詣も深い。冬木弘道が指揮していた頃のFMWのストーリー構成に携わっていたことがある。14歳の春にカツアゲに遭い以降、東映ヤクザ映画の大ファンで造詣� $,?<$$!#!X?N5A$J$-@o$$!!O2L!%"%k%P%`!Y(1998年、徳間書店)や『ボンクラ映画魂』(洋泉社)、『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』共著(1999年、徳間書店)などの関係著作がある。『東映ピンキー〜』は、近年海外でDVD販売されるこの手の映画の解説に無断流用されている。野球は当然広島東洋カープファン。さらに大の加護亜依ファンかつ新世紀エヴァンゲリオンファン。同作品の劇場版からファンになり、それ以降は自身の描く女性キャラクターの髪型が、その作品に出ている綾波レイのものと同じということがよく見受けられる。2003年には映画制作プロダクションである、男の墓場プロダクションを立ち上げる。2005年から、自身の初監督・初脚本映画作品の制作を開始。2006年、その作品は『任侠秘録 人間狩り』、『怪奇!!幽霊スナック殴り込み!』の二本立てとして公開される。低予算で作られた為友情出演が多く、出演者から杉作の交友をうかがい知ることが出来る。また、杉作は映画制作の際、脚本を書かず直接現場で出演者に演技と台詞を指導するといった制作手法をとった。そぁ N0Y!"=P1il$K9T$/$^$G$I$N$h$&$J;v$r$9$k$+J,$+$i$J$+$C$?$! H1>$&!#6 aG/$O;(;o%3%i%`$bB?$$!#



    テレビ出演


  • タモリ倶楽部(テレビ朝日)

  • やりにげコージー(テレビ東京)

  • トゥナイト2(テレビ朝日。終了)



    映画・映像作品出演


  • つげ義春ワールド ゲンセンカン主人

  • 悶絶!!お仕置きハイヒール

  • ねじ式

  • 無頼平野

  • スペースポリス

  • SEAMO|シーモネーター&DJ TAKI-SHIT ?情熱トロピカーナ?PV出演



    ディスコグラフィー


  • 1st ?プッチRadio?
    :1.すべてまぼろし feat:ダ−スレイダ−
    :2.J. Said Knock You Out
    :3.ロバート・デ・ニーロになれなかったよ feat:宇多丸
    :4.Radio feat:シーモネーター&ダ−スレイダ−
    :5.I NEED LOVE feat:シーモネーター&ダ−スレイダ−



    関連項目


  • ガロ (雑誌)|ガロ(青林堂)

  • いしかわじゅん



    外部リンク


  • 男の墓場プロダクション

  • 本人の映画関連作品:allcinema ONLINE

  • 杉作J太郎・童貞インタビュー:WEB人生 2004年のインタビュー


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    2006年10月28日

    映画監督[相米慎二]

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    相米慎二



    相米 慎二(そうまい しんじ、1948年1月23日 - 2001年9月9日)は、日本の映画監督。岩手県盛岡市出身。北海道釧路江南高等学校卒業、中央大学法学部中退。




    経歴

    中央大学で学園紛争を経験。日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の活動家として、三里塚現闘団員を務めた。大学を中退し、日活に助監督として入社。曽根中生や長谷川和彦、寺山修二の元で助監督を務めた後、「翔んだカップル」(1980年)で監督デビュー。本来は人気マンガを原作とし薬師丸ひろ子を主役にいただくアイドル映画だったが、長大な長回しと若者の自由かつ奔放な演技で注目される。続けて同じく薬師丸ひろ子を主役とした「セーラー服と機関銃」(1981年)を発表。ヒットとなり、彼女がマシンガンを撃った後に吐く台詞「カ・イ・カ・ン」は流行語となる程だった。その一方で長回しや俳優の演技指導などの特徴的な作風は「相米節」として定着。アイドル映画としてよりも作家主義の作品として、映画マニアから絶大な支持を受ける。その後、「ションベン・ライダー」(1983年)や「台風クラブ」(1985年)で主に少年少女を主役とする同様の路線の作品を作り続けるが、以降1980年代の半ばから1990年代の半ば頃までの停滞期に入る。1993年の「お引っ越し」において、それまで� $ND92s$7$X$N8G<9$r


    監督作品


  • 「翔んだカップル」(1980年)

  • 「セーラー服と機関銃」(角川春樹事務所、東映、1981年)

  • 「魚影の群れ」(1983年)

  • 「ションベン・ライダー」(1983年)

  • 「雪の断章 情熱」(1985年)

  • 「台風クラブ」(1985年)東京国際映画祭ヤングシネマ'85大賞(併せて東京都知事賞)受賞

  • 「ラブホテル」(1985年)

  • 「光る女」(1987年)

  • 「東京上空いらっしゃいませ」(1990年)

  • 「お引っ越し」(1993年)

  • 「夏の庭」(1994年)

  • 「あ、春」(1998年)

  • 「風花」(2000年)




    外部リンク


  • 日刊スポーツによる襌/a>報]

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    2006年10月27日

    映画監督[是枝裕和]

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    是枝裕和



    是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、1995年映画監督デビュー。主な作品に『幻の光』、『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』などがある。ノヴェライズ小説『ワンダフルライフ』。プロデュース作品としてエレファントカシマシドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』。『誰も知らない』は、カンヌ国際映画祭で主演男優賞(柳楽優弥)、フランドル国際映画祭でグランプリを受賞するなど、高い評価を受けた。



    是枝裕和監督作品


  • 長編映画
    幻の光(1995)
    ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ(1999)
    DISTANCE(2001)
    誰も知らない(2004)
    花よりもなほ(2006)



    外部リンク


  • KORE-EDA.com公式サイト

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    2006年10月26日

    映画監督[映画監督]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    映画監督



    映画監督(えいがかんとく)とは、映画を制作する際の重要なスタッフのうちの1人で、ディレクターとも呼ぶ。一般に、製作を担当するプロデューサー|製作者(プロデューサー)と並んで、その映画のトップ2となる。テレビ番組やビデオ作品などについても「監督」「ディレクター」という言葉が用いられるが、「映画監督」は、劇場用映画(劇映画)や、フィルムで撮影されたまとまったドキュメンタリー作品の監督のみを意味する事が多い。一般に、テレビ番組やビデオ作品の監督よりは映画監督の方が格上であるというようなイメージがあるようだ。ただし、「映画監督」と「(テレビ番組やビデオ作品の)監督」の職務内容には、規模の違いこそあれ大きな差はないため、本稿では両者をまとめて扱う。



    基本的な仕事の範囲

    映画監督の基本的な責任範囲は「映画作品としての品質管理」である。監督を担当する者が「企画(どういう映画を作るかという案を策定する)」「製作(制作費の調達や管理、作品の売り出しなどを決定する」などを兼ねる場合もあるが、それらは基本的に別職種であり、監督という職種の責任範囲ではない(同一人物が作品を作り上げる上で複数の職務を担当するという事は、よくある事である。例えば、ジョン・カーペンター監督などは、自分の作品で音楽家を兼任していたりもする)。ただし、諸々の経済的事情を始めとする理由によって、監督が理想とする映画が作れる事はほとんどない。少しでも理想に近づけるための交渉術なども、監督にとって重要な資質であるといえる。又、映像作品を作り上げるためには、多くのスタッフが関係する事がある。それぞれの専門的なスタッフのアイディアをくみ上げ、アイディア1つ1つについて吟味し、採用したり却下したりという判断を下す事も、監督の重要な仕事である。



    監督の実務




    [劇映画の場合]

    監督の仕事は、完成した脚本を受け取ってから始まる(それ以前にも脚本を完成させるための議論に参加するなどの仕事が発生するが、脚本が完成するまでは、基本的に脚本家の仕事である)。#ロケハン。撮影を行う場所を決定する。
    ・撮影。撮影現場を管理する。カメラポジション(撮影場所)や画角、カメラの動き方を決め、絵柄を確定する。役者への演技指導を行う。撮影中の動きなどを把握した上で、OK/NGの判断をする(NGの場合は更に同じカットを繰り返して撮影する)。
    ・編集。撮れている映像から必要なものを抜き出してつなぐ。映像と映像のつなぎ方などを決定する。音楽や効果音をつけるかどうか、つけるとした場合はそのつけ方を決定する。


    [ドキュメンタリー映画の場合]

    ドキュメンタリー映画の場合は、劇映画ほど職務分担の違いが明らかではない(明らかにならない・明らかに出来ない)。多くの場合低予算でスタッフの人数が少ない事や、その場その場で判断しなければならない事が多いなどの理由から、一般にドキュメンタリー映画の監督は、監督としての職務のほかに、「企画」「調査(リサーチ)」「取材(インタビュアー)」などを兼務せざるを得ない(「撮影」を兼任する場合も多く、それどころか「荷物運び」なども当然に監督が分担すべき職務と考えられている現場もある)。ドキュメンタリー映画の監督の場合は、権限が広いというよりは、不可分ないくつかの職域を横断し監督一人が総合的に責任を負う事になるという、構造的な違いがある。



    監督の仕事のスタイル

    なお、監督の仕事のスタイルは、人によって様々である。又、撮影現場には、国や文化圏によって異なる様々な慣習があり、そういった意味でも違いは大きい。最終的に「(条件の範囲内で)良い作品を作る事」のみが監督の職務であり、監督の仕事の進め方については、(無難な仕事の進め方というものは、もちろん存在するものの)定石と呼べるようなものはない。最近では映画のメイキング映像なども比較的入手しやすくなっているが、実に千差万別に各人が工夫をして作品の映像を作り上げている事が分かる。それらを見比べるのも、映画の楽しみの1つであるといえる。



    関連項目


  • 映画監督一覧
    日本の映画監督一覧

  • 助監督


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    2006年10月25日

    映画監督[熊井啓]

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    熊井啓



    熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - )は、映画監督。現代を代表する社会派監督である。長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)に、地主の父、元教師の母の息子として生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、松本高等学校 (旧制)|旧制松本高校を経て新制の信州大学文理学部を卒業後、独立プロの助監督を経て、1954年日活撮影所監督部に入社する。そこで、久松静児、田坂具隆、阿部豊、牛原陽一などの監督につくかたわら、脚本家としての仕事もこなす。1964年、帝銀事件を描いた『帝銀事件・死刑囚』で監督デビューする。その後の『日本列島』も含めて、骨太な社会派ドラマを作る監督として評判をとる。その一方、1968年には、三船プロダクションと石原プロモーションが共同制作した超大作『黒部の太陽』を製作し、興行的にも成功させる。1974年には田中絹代が、元「からゆきさん」を演じてベルリン国際映画祭主演女優賞を受賞した『サンダカン八番娼館 望郷』を撮り、重いテーマを扱いながら、重厚な人間ドラマを完成させた。また、1986年、遠藤周作原作の� !X3$$HFGLt!Y$G!V%Y%k%j%s9q:]1G2h:W?3::0wFCJL>^!J6d7'>^!K!W$r^$7$?!#$=$N8e$b!"


    監督作
    *帝銀事件 死刑囚(1964年)

  • 日本列島(1965年)

  • 黒部の太陽(1968年)

  • 地の群れ(1970年)

  • 忍ぶ川(1972年)

  • 朝やけの詩(1973年)

  • サンダカン八番娼館 望郷(1974年)原作:山崎朋子

  • 北の岬(1976年)原作:辻邦生

  • お吟さま(1978年)

  • 天平の甍(1980年)

  • 日本の熱い日々 謀殺・下山事件(1981年)

  • 海と毒薬(1986年)

  • 千利休 本覺坊遺文(1989年)

  • 式部物語(1990年)

  • ひかりごけ(1992年)

  • 深い河(1995年)

  • 愛する(1997年)

  • 日本の黒い夏(2001年)

  • 海は見ていた(2002年)


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    2006年10月24日

    映画監督[森一生]

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    森一生



    森一生(もりかずお、1911年1月15日-1989年6月29日)は、昭和期の映画監督。愛媛県松山市に生まれ、京都帝国大学文学部を卒業後、1933年日活太秦撮影所に入社する。その後、新興キネマに移り、伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔の助監督を経て、1936年、『仇討膝栗毛』で監督デビューする。その後新興キネマを吸収した大映に移籍し、『大阪商人』などを制作するが、程なく応召される。復員後、黒澤明脚本の『決闘鍵屋の辻』を撮り、注目され、1959年には勝新太郎と市川雷蔵を主役にした『薄桜記』が好評を博した。また、1967年の『ある殺し屋』も新しいタイプのヒーローを市川雷蔵が演じて注目された。1971年の大映倒産後は、テレビドラマの演出を手がけ、『木枯し紋次郎』、『座頭市物語』、『横溝正史シリーズ』など多くの作品を手がけた。大映時代劇の黄金期を支えた功労者であり、その独特の語り口はファンも多い。


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    2006年10月23日

    映画監督[鈴井貴之]

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    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント?映画監督?構成作家。まれに「ハイパーメディアパーソナリティー」、「ハイパーメディアプレーヤー」と自称したり形容されたりする。愛称は「ミスター」。また、株式会社CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長も務める。



    概要

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。そのため2005年まで泳げなかった(鈴井貴之#その他|その他参照)。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きだった彼は、北海道赤平高等学校を経て北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年解散)」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。自らの� BN$KJ]81$r$+$1$?$[$I$N0UM_:n!#@i=)3Z$G$O1&O"DIARY~失ったガラスの靴を探して…"」の作・演出として約10年振りに舞台演出家としての活動を始めた。舞台役者としては98年のOOPARTS解散を以って引退していたが、「CUE DREAM JAM-BOREE 2006」では、プロデューサーたる大泉の策略によって半分舞台に復帰したような形になってしまった。帰国後は、大泉から「レギュラーはラジオ一本!」、「事務所から干され気味」と揶揄され、鈴井本人も「社長じゃなかったら(事務所を)やめてやろう」、「テレビはすべて再放送!」(どうでしょうとドラバラの事を指している)と同調したが、アルバイト北海道(アルキタ)のCMをプロデュースしたり、ジェイティービー|JTB北海道のイメージキャラクターに起用されるなど、留学前とはまた違った活躍をしている。また、以前より東北地方のローカル番組へのゲスト出演が多い。2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。同年10月より、エフエム仙台|Date FM(FM仙台)でのレギュラー番組の放送も決定した。本人曰く?東北を制覇したら、関東を函 r$1$F

    映画監督として




    [ 概要 ]

    鈴井は、2000年夏に撮影した「man-hole」を皮切りに「river」、「銀のエンゼル (映画)|銀のエンゼル」と3作品の監督を務めている。これらに共通して言えることは鈴井がMADE IN 北海道にこだわっているということである。そして、特にman-holeと銀のエンゼルに関しては「北海道で生活する人の日常を感じ取って欲しい」という鈴井の意向から、北海道の有名な観光地などではなく道民の生活の場、札幌市営地下鉄|地下鉄や幌平橋などで撮影している。銀のエンゼルは実際に斜里町で営業している店舗で撮影した。鉄塔や送電線も「人々の生活がそこにある証拠」として、積極的にその存在をなくそうとはしていない。出演者に関しても、弟分のTEAM-NACSをはじめとした自身の事務所所属タレント(大半が北海道出身)を起用し、全国的に活躍している北海道出身の俳優をキャストに盛り込んでいる(小日向文世や小野寺昭)。スタッフにも北海道で活動している人物・団体を起用する。対して「銀のエンゼル」では東京のスタッフを多用した。これは東京をアウェーと位置づけ、ホームとアウェーを往来することで成長� $7$F$$$3$&$H$$$&Nk0f$N9M$($,$"$k$+$i$G$"$k!#riverと銀のエンゼルでは、スタッフロールの後にワンカット挿入している。そのことで上海国際映画祭ではトラブルが発生した。


    [ 韓国留学 ]

    2004年11月から大韓民国|韓国・釜山広域市|釜山へ、クァク・キョンテク監督の新作「タイフーン/TYPHOON」クランクアップまで、スタッフとして参加するために留学していた。2005年8月2日、釜山から関西国際空港経由で帰国。留学中にも、一部シーンはタイ王国|タイやロシアに渡航して撮影した。2004年10月28日に番組8周年記念・銀のエンゼルキックオフも併せて「ミスター大壮行会」と銘打って大勢のファンに送り出された(「水曜どうでしょうDVD全集 第5弾」に収録)。その後DVD第5弾の前枠・後枠撮影後に韓国へと旅立った。留学中も静岡市清水区(MOVIX清水)と仙台市太白区(MOVIX仙台)で行われた銀のエンゼル (映画)|銀のエンゼルの舞台挨拶やCOMPOSER札幌市|札幌・広島市|広島公演、愛娘の運動会、水曜どうでしょうのロケとDVD副音声収録といったように結構な頻度で一時帰国していた。そのため周囲の人たちは「また帰ってきたの?」という感じだったという。水曜どうでしょうの藤村Dも� !VF|K\$K$$$?:"$HF1$8IQEY$G2q$C$F$$$?$N$G4Z9q$K9T$C$?


    手がけた番組


  • 北海道テレビ放送
    「おにぎりあたためますか」(企画)
    「水曜どうでしょう」 (企画・出演)
    「ぽっぷこ〜んシネマ」
    「ドラバラ鈴井の巣」(企画・構成・出演)
    「週刊Nanだ!Canだ!」
    「モザイクな夜」(企画・構成・出演)

  • 札幌テレビ放送
    「1×8いこうよ!」(構成)
    「ステイ+α」(ステイタス)

  • 北海道文化放送
    「プカプカ」

  • 北海道放送
    「パック2」(再現ビデオ)

  • エフエム北海道|AIR-G'
    「GO・I・S」
    「KING GO・I・S」
    「HOME&AWAY」
    「FM ROCKkids」

  • エフエム仙台|Date FM
    「タイトル未定」

  • フジテレビジョン
    「ケンカの花道」(素人として、夫婦で競演)

  • ビーエスフジ|BSフジ
    「おおいずみんみん蝉」(「TV☆Lab」内)

  • チャンネルNECO
    プロジェクトCue 鈴井貴之のフィルム・ジャンボリー」(2006年10月放送予定。映画3作とメイキング、北海道内のロケ地を訪ねるミニ番組「鈴井貴之のロケハン。」を放送。)



    手がけた映画


  • 「man-hole」(2001年・主演:安田顕)

  • 「river」(2003年・主演:大泉洋)

  • 「銀のエンゼル」(2004年・主演:小日向文世)



    音楽


  • 「DA.BE.SA」−NORTH END×AYUMI(1994年・作詞・歌)エピックレコードジャパン|EPICソニー
    "AYUMI"こと鈴井亜由美は奥様(CREATIVE OFFICE CUE副社長)。
    EAST END×YURIも参照されたい。

  • 「おやG」「ソフトフォーカス」−ケンタカユッキー☆フライド事件(2001年・作詞・歌)インディーズ
    鈴井(ビューティーたか・Vo)と安田顕(アフターけん・G)によるデュオ。



    呼び名


  • ミスター‐ミスターどうでしょう。水曜どうでしょうの象徴として呼ばれている。

  • 鈴井さん‐主に呼ばれる名前。

  • 社長‐CUEのメンバーが番組内で鈴井氏のことをこう呼ぶときがある。扮装しているときなどに「社長!」と言われると、恥ずかしいのか「社長言うな」といなすことがある。

  • 映画監督|監督‐映画を3本撮影したことからこう呼ばれる。

  • おっさん‐40歳を過ぎたことからこう呼ばれることが目立っている。

  • リップさん‐唇が厚いため。母親からの遺伝だと語っている。

  • ダメ人間‐とことん運が悪いため、大泉からそう呼ばれる。



    その他


  • 大泉がファンのことを「子猫ちゃん」と呼んでいることに対抗して、自分のファンを「子トラちゃん」と呼んでいる。

  • 水曜どうでしょうの初期のころに出てきた「ダメメガネ」は、ロケのときに忘れてきて紛失した。

  • 嫁のチェックが入りさえしなければ、基本はジャージ派(アディダス派)。

  • 寝起きの時の鈴井はまるで別人であることが多い。

  • カーネーション (バンド)|カーネーションのファンであり、映画『man-hole』では音楽の担当を依頼している。

  • 鈴井をはじめ副社長、一部社員 ELLEGARDENのファンであり、CUE公式サイトの社長室(日記)によく細美について書いている。

  • 阪神タイガース|阪神ファンであることを公言しているが、それ以上にサッカーファンであり、コンサドーレ札幌|コンサドーレファンである。なお、好きな選手は三浦知良。
    1998 FIFAワールドカップではチケット手配ミスの被害に遭い、フランスに乗り込むもトゥールーズのホテルで観戦するという憂き目に遭った。予選から観戦していた2006 FIFAワールドカップでは、ドルトムントでのブラジル戦をスタジアムで観戦できた。

  • 『river』では探偵役で出演するはずだったが、プロデューサー(鈴井亜由美)から「出るな」と言われ、やむなく友人の佐藤誓が出演することになった。その頃から自分がオフィスCUEの社長なのに「オフィスCUEを辞めたい」「俺のタレントとしての売り出し方はおかしい!」とボヤくようになった。

  • 小橋亜樹を綺麗に撮れないことにコンプレックスを抱いている。

  • 基本的に寡黙で恐い印象を放っており近づき難い雰囲気をかもし出しているが、扮装したり役にはいると途端に明るい人になってしまう。(山田家の人々ではダジャレ好きの父親役がはまってしまい「春弘さん」ではなく「鈴井さん」と呼ばれると恥ずかしくなってしまう)

  • 基本的に几帳面な性格(時に潔癖なほど)。「水曜どうでしょう」のスペシャル版「プチ復活! 思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」では、機材セッティングや起床時間などD陣がミスターに頼りきりなのを見かねた大泉に「ミスターはアズビーじゃねぇんだぞ!」と言われた。ちなみにアズビー(AZBY)とは、ドラバラ鈴井の巣などでおなじみのロケコーディネイトを行う会社のことである。

  • 高所恐怖症である(デパート等の渡り廊下も駄目)。番組の罰ゲームでバンジージャンプを飛ぶ直前、妻に?今から飛ぶ?と電話したらしい。

  • オフィスキューのタレント陣に言わせれば「社長が笑っている時ほど怖い時はない」と言う。また「状況がつかめないと突然キレ出す」とも言われている。鈴井も水曜どうでしょうで騙される大泉を見て、「僕なら多分怒るね」と話している。

  • どうでしょう祭でonちゃんにパンチをお見舞いしたところ、当たり所が悪く自分が骨折してしまった。

  • カナヅチだったが、西表島でのロケの際、若干泳げるようになった。しかし、その後プールに行った時に娘から?ビート板からやり直したら??と言われた。

  • 2005年12月23日、CUE初?の全国区スキャンダル??記事。女優奥菜恵と「今年8月ごろ知り合い交際に発展、下北沢での居酒屋デートが目撃される、奥菜から結婚を迫られている」という内容。しかしこの記事には矛盾点・疑問点が多く、突っ込みどころ満載。鈴井自らも12月27日、CUE公式サイト内「社長室DIARY」にて全面否定した。
    この話は当初、奥菜とNACSメンバー佐藤重幸のスキャンダルとして流れ始めたが、その後違う媒体で記事になった際には鈴井の名前にすりかわっていた。話題性を狙う上での知名度やハクの問題か。ちなみに佐藤との関係も事実無根と、後日ラジオにて弁明された。この件に関して大泉洋は、事務所で全国区知名度No.1の自分がなぜ挙がらないのかと悔しがったらしい。

  • 自身の映画に起用した女優からは、撮影中は尊敬されるものの、撮影後に水曜どうでしょうなどを見てしまって、「ミスター!」と指を指して笑われたり(中村麻美)、「もう監督と呼べない!」(三輪明日美)と言われてしまう。

  • 甘いものが苦手なのだが、「水曜どうでしょう」で、自身が番組中に企画に対して怒ったため、その機嫌を直すという名目で岡山のきびだんごをわざと喜んで食べた。そこから「鈴井は甘い物好き」という設定になってしまった。そのため、事あるごとに甘いものを食べさせられることになり、番組ではこれを「ミスターの生き地獄」と呼び、テロップまで用意した。特に1997年のヨーロッパ21カ国完全制覇では、半分アーモンドで、半分砂糖のようなマルチパン|マジパンというものをいくつも食べさせられ、撃沈したり、藤村ディレクターが無類の甘い物好きということも重なって日本全国の甘い物を食べて藤村ディレクターと対決する「水曜どうでしょうの企画#対決列島〜the battle of sweets〜|対決列島」という企画を勝手に立ち上げられた。しかし、番組初期ジュースを飲むシーンなどもあり本当に甘いものが苦手なのかは不明である。
    甘いものと同様にマヨネーズも苦手。アラスカでは大泉の「オーロラソース」に苦しめられた。

  • 音尾と同様にバイクに乗ってそこらじゅうを走るのが好きである。バイクの走り初めはどっちが早いかで音尾と競い、見事自分が先に乗ったので「CUEのバイク王」と自らを称した。ちなみにバイクの買い取りをしているお店とは無関係である。雅楽戦隊ホワイトストーンズでも、佐藤重幸がバイクに乗れないため、バイクのシーンは鈴井が行っている。

  • 水曜どうでしょうDVD第7弾前枠後枠収録時には韓国から帰ってきて仕事がラジオのレギュラー(しかも1本だけ)のため「自分はCUEから干されている」と言い放った。

  • 昔は、テレビに対する姿勢が人一倍強く、「テレビに出演することは仕事である」をモットーに出演していたため、大泉はよく説教されたことがある。「水曜どうでしょう」の企画「水曜どうでしょうの企画 (海外)#ヨーロッパ21ヶ国完全制覇|ヨーロッパ21ヶ国完全制覇」内でも「(企画の主旨であるヨーロッパを)21ヵ国回ることができなかったら、番組を辞める」と並々ならぬ決意を表明していた。また、同番組では「合宿」と呼ばれる強行スケジュールがしばしば行われたりと、「記録や感動」をテレビを通じて、残したかったようである。(水曜どうでしょうDVD第7弾副音声から)

  • このように「水曜どうでしょう」番組開始当初は
    ・大泉がまだ現役の大学生であったこと
    ・藤村DがHTB本社制作部に異動したばかりであったこと
    ・嬉野Dが北海道に来てまだ半年しかたっていなかったこと
    :などの理由からほとんど鈴井だけがしゃべっていたという状態であったが、次第に大泉がテレビ馴れし鈴井以上にしゃべりだし、さらには藤村Dまでもがしゃべりだしたため、番組終了の頃には鈴井はほとんどしゃべらない状態になっていた。

  • 2006年度のゆうばり国際ファンタスティック映画祭の開催中止を伝える民放キー局のニュースの中で、地元北海道出身の映画監督として、鈴井の開催中止を惜しむコメントが流された。



    関連項目


  • CREATIVE OFFICE CUE (社長を務める会社)

  • 大泉洋(所属の看板タレント)

  • 大下宗吾(所属のローカルタレント)

  • 藤尾仁志(オクラホマ (お笑い)|オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 河野真也(オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 音尾琢真(所属のローカルタレント)

  • 川島直樹(所属のローカルタレント)

  • 北川久仁子(所属のローカルタレント)

  • 小橋亜樹(所属のローカルタレント) 

  • 佐藤重幸(所属のローカルタレント)

  • 宮崎奈緒美(所属のローカルタレント) 

  • 森崎博之(所属のローカルタレント)

  • 安田顕(所属のローカルタレント)   

  • 北海道テレビ放送 (企画?出演している番組が多い、北海道のローカルテレビ局)

  • 藤村忠寿 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうチーフ・ディレクター)

  • 嬉野雅道 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうカメラ担当ディレクター)

  • ELLEGARDEN(ファンである)

  • 放送作家

  • 脚本家



    外部リンク


  • CREATIVE OFFICE CUE オフィシャルサイト

  • JTB北海道

  • 北海道テレビ:HTB online

  • AIR-G'・エフエム北海道
    KING GO?I?S(ゴイス)

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    2006年10月22日

    映画監督[利重剛]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    利重剛



    利重 剛(りじゅう ごう、1962年7月31日 - )は、日本の俳優・映画監督。本名、笹平 剛(ささひら ごう)。神奈川県横浜市鶴見区 (横浜市)|鶴見区生まれ。クォーター・トーン所属。身長178cm。脚本家・小山内美江子の長男。成蹊高等学校卒業、成蹊大学中退。映画監督としては、1996年『BeRLiN』で、日本映画監督協会新人賞を受賞。更に、2001年『クロエ』は、ベルリン映画祭にコンペティション部門に選ばれ好評を得る。その他、『ZAZIE』『エレファントソング』『リョーコ!』などの作品がある。また、ジャックスカードのコマーシャル|CM製作でも有名である。俳優としては、『父母の誤算』で主演デビュー。その他に『少女が大人になるとき その細き道』『青が散る』『金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|金田一少年の事件簿』『やんちゃくれ』『ヤマダ一家の辛抱』その他多数の作品に出演している。「利重」という芸名は、自身の祖父の名「利重(とししげ)」からとった。剛少年は、利重おじいちゃんが好きだった。1990年に作押 H$N:mBthN$H7k:'$9$k$,8e$KN%:'!#2002年にはプリンセス・プリンセスのメンバーだった今野登茂子と再婚している。室井滋とは長年のビジネスパートナーであり、公私共に仲が良い。2005年、映画『待合室 (映画)|待合室』に静岡県からの旅人役として出演。



    作品




    [ 映画(監督) ]


  • ZAZIE(ザジ)(1989年)

  • エレファント・ソング(1994年) - 中編

  • BeRLiN(ベルリン)(1995年)

  • クロエ(2001年)


    [ CM(監督) ]


  • 東京海上

  • ジャックスカード(CM監督・製作担当)



    出演




    [ 映画(俳優) ]


  • ひみつの花園

  • 狼少女

  • 東京・オブ・ザ・デッド 3日 - 監督:山本政志

  • ハチミツとクローバー#映画|ハチミツとクローバー - 監督:高田雅博


    [ テレビドラマ ]


  • 金田一少年の事件簿(1995年 - 1996年、日本テレビ) - いつき陽介 役

  • NHK朝の連続テレビ小説|連続テレビ小説 やんちゃくれ(1998年、NHK) - 木暮勇 役


    [ CM ]


  • 三井のリハウス(現在放映中)

  • キリン一番搾り(現在放映中)



    書籍


  • 街の声を聴きに(1998年、角川書店、ISBN 4048835254 ) - 鋭くも他人への信頼に溢れる視線で街の風景や人々をつづったエッセイ集。日本文芸大賞受賞。

  • 利重人格(2004年、集英社)



    外部リンク


  • ●elephaht-song 利重剛監督のファンページ


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    2006年10月21日

    映画監督[工藤栄一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    工藤栄一



    工藤栄一(くどう えいいち、本名同じ。1929年7月17日 - 2000年9月23日)は、昭和中期〜後期・平成期の映画監督。北海道苫小牧市の生まれ。



    来歴

    北海道庁立苫小牧中等学校(現在は道立苫小牧東高等学校と苫小牧西高等学校に分割)から慶應義塾大学予科を経て1952年、同大学法学部を卒業。同年4月、東映に入社。最初は本社の企画部を経て、1954年、京都撮影所に転属。制作部助監督となる。1959年9月、「富嶽秘帖」で監督に昇進。以後、時代劇黄金時代の東映で、数多くのチャンバラ活劇を手がけた。60年代中期、チャンバラもののブームが過ぎた後は、集団抗争劇へ移行し、「十三人の刺客」(1963年)、「大殺陣」(1964年)を生み出す。
    特に「十三人〜」では、第11回京都市民映画祭で監督賞を受賞している。60年代後半から東映の新たな主流路線となった任侠ものでも、「日本暗黒史・血の抗争」(1967年)、「同・情無用」(1968年)の実録やくざ映画を手がけた。この時期と前後して、70年代には舞台をテレビ映画に移し、特に朝日放送|ABCテレビの人気時代劇『必殺シリーズ』では、2作目の『必殺仕置人』から演出に参加。一時期を除き、50本を演出。また劇場映画「必殺!III 裏か表か」でもメガホンを取った。80年代から再び映画に復帰、「仁義なき戦い|その後の仁義なき戦い」(1979年)、「影の軍団・服部半蔵」(1980年)、「ヨコハマBJブルース」(1981年)、「野獣刑事(デカ)」(1982年)、「リング・リング・リング/涙のチャンピオンベルト」(1993年)などを監督した。2000年9月23日、脳幹出血のため死去。享年71歳。



    監� FD:nIJ



    [ 映画 ]


  • 富嶽秘帖

  • 富嶽秘帖・完結篇

  • 次郎長血笑記・秋葉の対決

  • 次郎長血笑記・殴り込み道中

  • 蛇神魔殿

  • ひばり捕物帖・折鶴駕籠

  • 次郎長血笑記・富士見峠の対決

  • 次郎長血笑記・殴り込み荒神山

  • 天竜母恋い笠

  • 花かご道中

  • 八荒流騎隊

  • 魚河岸の女石松

  • 右門捕物帖・まぼろし燈籠の女

  • 花のお江戸のやくざ姫

  • 権九郎旅日記

  • お姫様と髭大名

  • 胡蝶かげろう剣

  • 血文字屋敷

  • 変幻紫頭巾

  • 忍者秘帖・梟の城

  • 若様やくざ・江戸っ子天狗

  • 十三人の刺客

  • 大殺陣

  • 任侠木曽鴉

  • やくざGメン・明治暗黒街

  • 女犯破戒

  • 日本暗黒史・血の抗争

  • 十一人の侍

  • 日本暗黒史・情無用

  • 産業スパイ

  • 五人の賞金稼ぎ

  • やくざ対Gメン・囮

  • まむしの兄弟・二人合わせて30犯

  • その後の仁義なき戦い

  • 影の軍団・服部半蔵

  • ヨコハマBJブルース

  • 野獣刑事(デカ)

  • 逃がれの街

  • 必殺!III 裏か表か

  • 高瀬舟

  • ウォータームーン

  • 泣きぼくろ

  • 赤と黒の熱情

  • リング・リング・リング/涙のチャンピオンベルト

  • 安藤組外伝・群狼の系譜


    [ オリジナルビデオ|OV ]


  • 裏切りの明日

  • 追いつめる


    [ テレビドラマ ]


  • 剣(日本テレビ放送網|日テレ)

  • ゴールドアイ(日テレ)

  • 傷だらけの天使(日テレ)

  • 祭ばやしが聞こえる(日テレ)

  • 柳生十兵衛(フジテレビジョン|フジテレビ)

  • 徳川おんな絵巻(関西テレビ放送|関西テレビ)

  • 江戸巷談 花の日本橋(関西テレビ)

  • 忍法かげろう斬り(関西テレビ)

  • 隼人が来る(フジテレビ)

  • 新・座頭市(フジテレビ)

  • 柳生一族の陰謀(関西テレビ)

  • 服部半蔵・影の軍団(関西テレビ)

  • 弐十手物語(フジテレビ)

  • 大岡越前(東京放送|TBS)

  • 必殺シリーズ(朝日放送|ABC)

  • 風の中のあいつ(TBS)

  • おしどり右京捕物車(ABC)

  • 斬り抜ける(ABC)

  • 影同心(毎日放送|毎日テレビ)

  • 京都殺人案内1・花の棺(ABC、土曜ワイド劇場)

  • 草壁署迷宮課おみやさん|迷宮課刑事おみやさん(ABC)

  • 月影兵庫あばれ旅(テレビ東京)

  • 大忠臣蔵(テレビ東京開局記念番組|開局25周年記念新春ワイド時代劇|12時間時代劇)

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    2006年10月19日

    映画監督[市川崑]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川崑



    市川 崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - )は、三重県出身の映画監督。男性。



    略歴等

    東宝京都スタジオでアニメーターをつとめ、助監督に転じたのち合併により東京撮影所に転勤。東宝争議の中、新東宝撮影所で監督デビューし、のち東宝に復帰した。この時期は『プーサン』や『億万長者』などの異色風刺喜劇や早口演出の『結婚行進曲』、大胆な映像処理の『盗まれた恋』などの実験的な作品で話題を読んだが、『三百六十五夜』のようなオーソドックスなメロドラマの大ヒット作品も撮っている。55年に、前年映画制作を再開したばかりの日活に移籍。『ビルマの竪琴』で一躍名監督の仲間入りを果たし、さらに大映に移籍。文芸映画を中心に、『鍵』、『野火』、『炎上』(三島由紀夫『金閣寺 (小説)|金閣寺』の映画化)、『破戒』、『日本橋』、『ぼんち』、『雪之丞変化』など名作を毎年のように発表して地位を確立した。とりわけ1960年の『おとうと』は、大正時代を舞台にした姉弟の愛を、宮川一夫のカメラとともに美しく再現し、自身初の『キネマ旬報』ベスト1に輝くと同時に、今日に至るまで日本映画史上屈指の傑作と言われている。また、テレビドラマでは、1972年からフジテレビで放送された中村敦夫主演の連臓 3%F%l%S;~Be7`!XLZ8O$7Lf市川崑監督作品を語る』(河出書房新社2001)では塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆきと各界の市川ファンがリスペクトをささげて壮観である。北野武は市川の『東京オリンピック』に強い影響を受けたと語っている。超大作『東京オリンピック』の後には人形劇『トッポ・ジージョのボタン戦争(1967年)』を手がけ、『火の鳥 (漫画)|火の鳥(1978年)』では悪ふざけのようなアニメ合成を駆使するなど、マジメな映画青年を嘲弄するかのごとく活動は変幻自在。1969年には黒澤明、木下恵介、小林正樹と豪華四巨匠が轡をならべて四騎の会を結成し、共同シナリオ『どら平太』を執筆(のち自身で監督)した際も話題も集めた。最近では黒鉄ヒロシのマンガによる紙人形で全編を撮影した『新撰組』がファンの度肝を抜いた。また50年代の終りから、テレビの隆盛で映画関係者の中にはテレビに敵対意識を持つスタッフが多い中、CMやテレビの演出も多く手がけ、今日まで続いている。



    受賞歴(主要な映画賞含む)


  • 1956年に『ビルマの竪琴』でヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞

  • 1960年に『鍵』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞

  • 1961年に『おとうと』でカンヌ国際映画祭 フランス映画高等技術委員会賞

  • 1965年に『東京オリンピック』でカンヌ国際映画祭 青少年向映画賞・UNICRIT賞

  • 1982年に紫綬褒章

  • 1988年に勲四等旭日小綬章

  • 1994年に文化功労者に選出

  • 2000年にベルリン国際映画祭特別功労賞



    主な監督作品


  • 『プーサン』(1953年東宝)

  • 『ビルマの竪琴』(1956年日活)

  • 『炎上』(1958年大映)

  • 『野火 (大岡昇平)|野火』(1959年大映)

  • 『おとうと』(1960年大映東京)

  • 『黒い十人の女』 (1961年)

  • 『破戒』(1962年大映京都)

  • 『雪之丞変化』 (1963年)

  • 『太平洋ひとりぼっち』(1963年日活 石原プロモーション)

  • 『東京オリンピック#記録映画|東京オリンピック』(1965年東京オリンピック映画協会)

  • 『吾輩は猫である』 (1975年)

  • 『犬神家の一族』(1976年角川春樹事務所)

  • 『悪魔の手毬唄』(1977年東宝)

  • 『獄門島』(1977年東宝)

  • 『女王蜂』(1978年東宝)

  • 『病院坂の首縊りの家』(1978年東宝)

  • 『銀河鉄道999』(1979年東映)※監修

  • 『細雪』 (1983年)

  • 『天河伝説殺人事件』(1991年東映)

  • 『四十七人の刺客』(1994年東宝)

  • 『八つ墓村』(1996年東宝)

  • 『どら平太』 (2000年どら平太製作委員会・東宝配給)

  • 『かあちゃん』(2001年日活)

  • 『犬神家の一族』(2006年角川映画・東宝配給)



    関連項目


  • 三重県出身の有名人一覧

  • 日本の映画監督一覧

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    2006年10月17日

    映画監督[伊丹十三]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊丹十三



    伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)、戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、映画監督、俳優、エッセイスト。作家の大江健三郎は義弟。



    来歴・人物

    映画監督の伊丹万作を父親として京都市右京区鳴滝泉谷町に生まれる。第二次世界大戦末期、湯川秀樹によって当時構想された、科学者養成のための英才集団特別科学学級で教育を受けた。中学生の時に父親は死去する。京都府立山城高等学校に入学するが、愛媛県松山市へ移り、愛媛県立松山東高等学校に転入。ここで大江と知り合う。その後、二度落第して愛媛県立松山南高等学校に転入。同校を卒業したが大学を受験して失敗したため、上京し新東宝編集部を経て商業デザイナーとなる。 舞台芸術学院に学び、26歳の時大映 (映画)|大映に入社、「伊丹 一三」という芸名で俳優となる。1960年に日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子と最初の結婚をする。同じ年に作家であり友人の大江が妹ゆかりと結婚する。1961年、大映 (映画)|大映を退社する。1960年代のエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』における、気障に映りながらも、物事の本質をその細部にいたるまで理詰めで探求していく独自のスタイルは、その後の多くのエッセイストに影響を与えたとされる。『北京の5! 5日』(1963年)『ロード・ジム』(1965年)などの外国映画に出演し、話題となる。その後、「伊丹 十三」と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)では、キネマ旬報賞助演男優賞を受賞している。1970年代、テレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、『遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい』等のドキュメンタリー番組の制作に関わる。この時培ったドキュメンタリー的手法は、その後の映画制作にも反映している。また『日本世間噺大系』『小説より奇なり』に見られる、独特の聞き書き書体はこの時代の経験を反映している。ワイドショーのレポーターなどを務める。1969年に女優の宮本信子と再婚し、宮本との間に子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。ちなみに長男の万作は父の名前をそのまま取って命名された。岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977年)を読み、彼の主張する唯幻論に傾倒する。『哺育器の中の大人』(1978年)は、伊叩 0$,4_ED$+$iM#88O@$K$D$$$F$N9V5A$re$2$?8=Be;WA[$N;(;o!X%b%N%s%/%k!Y!J%U%i%s%98l$G!HKM$N$*$8$5$s!I$N0U!K$r1981年に創刊し、編集主幹を務めた。しかし、6号で終刊となる。伊丹の関わった記事のいくつかは、『自分たちよ!』に収録されている。この一方で、文化人達が伊丹の周辺に集まり、一種のサロンを形成している。コピーライターの糸井重里、自称芸術家の篠原勝之、作家の村松友視は伊丹より直接の影響は受けていないかも知れないが、1970年代においてマイナーな分野を掘り下げていく作業において伊丹の精神を利用していると見えなくもない。この意味で高踏的文化人と見られていた伊丹が批評家や大衆と直接向き合い、時に罵声を浴びる覚悟で映画製作に乗り出したのは衝撃的でもあった。1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうけ、受賞した映画賞は日本アカデミー賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。その後も、食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ (映画)|タンポポ』、国税局査察鼻 t!"DL>N!V%^%k%5!W$KBP$9$kE0Dl$7$?n$r>c328e$K<+Bp$N6a$/$G?OJ*$r;}$C$?8^?MAH$K=17b$5$l!"4i$J$I$KA4<#;0%v7n$N=E=}$rIi$&$,!"!V;d$O$/$8$1$J$$!#1G2h$G<+M3$r$D$i$L$/!#!W$H@k8@$7$?!#$=$N8e$b!"<+>N1&Mc$NCK$,!XBgIB?M!Y8x3+Cf$N1G2h4[$N%9%/%j!<%s$r@Z$jNv$/;v7o$,$*$3$k!#=17b;v7o$K$h$j?HJU7Y8n$r伊丹十三の「自殺」を知った宮本信子は立ち上がれないほど憔悴しきってしまったという。 2001年、大江健三郎の小説『取り替え子』に伊丹十三を思わせる人物が描かれ、話題となった。



    著作


  • 『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)

  • 『フランス料理を私と』

  • 『女たちよ!』

  • 『再び女たちよ!』

  • 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』

  • 『自分たちよ!』

  • 『日本世間噺大系』

  • 『小説より奇なり』

  • 『問いつめられたパパとママの本』

  • 『「お葬式」日記』

  • 『「マルサの女」日記』

  • 『「大病人」日記』


    [ 共著 ]


  • 『快の打ち出の小槌』

  • 『哺育器の中の大人』(1978年)


    [ 訳書 ]


  • 『パパ・ユーア・クレイジー』

  • 『主夫と生活』

  • 『ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン』

  • 『中年を悟るとき』

  • 『ポテト・ブック』



    出演作品


  • 『ザ・ガードマン』第84話「ハートで盗め」(1966年、大映テレビ室・東京放送|TBS)

  • 『もう頬づえはつかない』(1979年)

  • 『夕暮まで』(1980年)

  • 『峠の群像』吉良上野介役(1982年、日本放送協会|NHK)

  • 『家族ゲーム』(1983年)

  • 『細雪』(1983年)

  • 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

  • 『スウィートホーム』
    ほか



    CM


  • 日産自動車 日産・サニー|サニー (1990年)



    制作総指揮作品


  • スウィートホーム



    監督作品


  • 『お葬式』(1984年)

  • 『タンポポ (映画)|タンポポ』(1985年)

  • 『マルサの女』(1987年)

  • 『マルサの女2』(1988年)

  • 『あげまん (映画)|あげまん』(1990年)

  • 『ミンボーの女』(1992年)

  • 『大病人』(1993年)

  • 『静かな生活』(1995年)

  • 『スーパーの女』(1996年)

  • 『マルタイの女』(1997年)



    外部リンク


  • 日本映画データベース

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    2006年10月16日

    映画監督[伊藤大輔]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊藤大輔



    伊藤大輔#伊藤大輔 (レーサー)は、東京都出身のレーシングドライバー。
    伊藤大輔 (映画監督)は、愛媛県出身の大正・昭和期の時代劇で有名な映画監督。

  • 同姓同名

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    2006年10月15日

    映画監督[青山真治]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    青山真治



    青山 真治(あおやま しんじ、男性、1964年 - )は、映画監督、小説家。




    略歴

    福岡県北九州市出身。福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。『Helpless』で商業映画デビュー。地元の福岡県の田舎町を舞台にした。ジャン=リュック・ゴダール、神代辰巳、中上健次(小説家)などをリスペクトしている。
    監督作品『EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を授与した。
    『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。小説家としても知られ、自作のノベライズ小説『EUREKA』で三島由紀夫賞を授与されるなど、注目されている。
    尚、受賞作は、文藝評論家・福田和也の強い推薦で受けたものである。日本映画界きっての理論派として知られる反面、気性の激しい面を持ち合わせており、その言動がしばしば問題視される。かつては長髪がトレードマークだったが、ペドロ・コスタとの対談でやんわりと否定された後(それが原因かは分からないが)、短髪にする。大寺眞輔のDravidian Drugstore上において、メルマガ参入宣言。しかし未だ実現されていない。樋口泰人主催のboid内の日記において、翻訳家の柳下毅一郎に対し、理由もなく(本人が理由を公開していないため)批判を繰り返し、町山智浩との対談で「ストーカー」呼ばわりされたが、その後、和解済み。中原昌也との対談において「ピースな映像作家」を自称する中野裕之を、「あいつもクソですよ」と罵倒。高橋洋の公式ホームページ、ソドムの市におけるBBSにおいて、一部の投稿者の投稿に対し、「派閥前提でしかモノのいえないこのチンカス野郎!相手になってやるから今度どっかで俺を見かけたら名乗って来い。そん代わりはなっからガン殴りしてやるから覚悟しとけよ。」と本気で罵倒し、「素人相手� $K$=$3$^$G$d$k$N$O$$$+$,$J$b$N$+!W$HEj9Fk!Y$r!V%k%Q%s;0@$$NKAFB$@!W$HHsFq$7!"4d0f=SFs$K;j$C$F$O!"!V1G2h$G$O$J$$!#J83X$G$"$k!W$HHsFq!#5*N$C+OBL@$dKLBe$,$j$@$H;W$C$F$$$kGO


    監督作品


  • 『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 2005年

  • 『レイクサイド マーダーケース』 2004年

  • 『秋聲旅日記』 2003年

  • 『TRUNK』 2003年(Webシネマ)

  • 『軒下のならずものみたいに』 2003年

  • 『Noと言える刑事』 2003年 (オムニバス『刑事(デカ)まつり』)

  • 『なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子─天上の歌声』 2002年 (ドキュメンタリー)

  • 『名前のない森』 2002年 (テレビドラマシリーズ『私立探偵 濱マイク』第6話)

  • 『月の砂漠』 2001年

  • 『路地へ 中上健次の残したフィルム』 2000年 (ドキュメンタリー)

  • 『EUREKA ユリイカ』 2000年

  • 『EM エンバーミング』 1999年

  • 『シェイディー・グローヴ』 1999年

  • 『June 12 1998』 1999年 (ドキュメンタリー)

  • 『冷たい血 AN OBSESSION』 1997年

  • 『WiLd LIFe jump into the dark』 1997年

  • 『チンピラ』 1996年

  • 『我が胸に凶器あり』 1996年 (オリジナルビデオ)

  • 『Helpless』 1996年

  • 『教科書にないッ!』 1995年 (オリジナルビデオ)



    著書


  • 『EUREKA』

  • 『Helpless』

  • 『われ映画を発見せり』 (映画評論集)

  • 『ホテル・クロニクルズ』講談社、2005年

  • 『死の谷'95』講談社、2005年



    外部リンク


  • Shinji Aoyama (IMDb)

  • 青山真治 (allcinema ONLINE)

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    2006年10月14日

    映画監督[小林正樹]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小林正樹



    小林 正樹(こばやし まさき)
    ・映画監督。本文で解説。
    ・テレビ演出家。1とは無関係。----
    小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 1996年10月4日)は昭和期の映画監督。北海道小樽市に会社員の息子として生まれる。大女優田中絹代の従弟に当たる。早稲田大学文学部哲学科で会津八一に東洋美術を学ぶ。1941年、松竹大船撮影所助監督部に入社する。入社試験に際しては、親しい間柄であった田中絹代に紹介を頼んだが、「映画界は実力がなければ通用しない」と諭され、田中の縁者であることを隠し通したという。まもなく応召されるが、1946年復員。木下恵介監督につく。1952年、『息子の青春』で監督デビューする。以降、松竹で庶民の生活を叙情豊かに描いた作品を撮る。1959年から3年間かけて、五味川純平の長編『人間の條件』を映画化し、6部作、9時間38分の超大作に仕上げた。この作品は、戦争が個人を圧殺していく不条理を描いて評判となり、毎日芸術賞、ベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、毎日映画コンクール日本映画賞などを受賞する。1962年には、橋本忍の脚本を得て、初の時代劇『切腹』(原作は滝口康彦「異聞浪人記」)を撮� $j!"L>4FFD$N:B$r3N8G$?$k$b$N$H$9$k!#F1:n$G%+%s%L1G2h:WHcI>2HO"LA>^$r^$7$?!#<+$i$N@oAhBN83$+$i;~Be$KK]O.$5$l$k?M4V$NHa7`$rC0G0$KIA$/;Q@*$O!":G8e$N4FFD:nIJ$H$J$C$?O"9g@V73;v7o$rBj:`$K$7$?1_COJ8;R86:n$N!X?)Bn$N$J$$2H!Y$^$G4S$+$l$F$$$k!#$^$?!"6KEl9q:]73;v:[H=$N7P0^$H!"$=$N0UL#$r%I%-%e%a%s%?%j!<%U%#%k%`Cf?4$K$^$H$a$?!XEl5~:[H=!Y$N@=:n$b!"FCI.$5$l$k$Y$-$@$m$&!#1969年、黒澤明、木下恵介、市川崑と四騎の会(よんきのかい)を結成。小林正樹が、この会の仕事として手がけたのが、井上靖の原作を映画化した『化石』(主演:佐分利信、岸惠子)である。小林正樹は、従姉である大女優?田中絹代に対する思い入れが強く、その功績を後世に残さなければならないと考えていた。1985年に小林自身が病気で倒れた際には急遽、彼の働きで毎日映画コンクールに田中絹代賞が創設され、日本映画界の発展に貢献した女優に授与されることとなった。彼の没後は、絹代の出生地であり墓がある山口県押 <4X;T$KKdAr$5$l$F$$$k!#



    監督作品


  • 息子の青春(1952年)

  • まごころ(1953年)

  • この広い空のどこかに(1954年)

  • 三つの愛(1954年)

  • 美わしき歳月(1955年)

  • 壁あつき部屋(1956年)

  • あなた買います(1956年)

  • 泉(1956年)

  • 黒い河(1956年)

  • 人間の條件・第一・第二部(1959年)

  • 人間の條件・第三・第四部(1959年)

  • 人間の條件・完結篇(1961年)

  • からみ合い(1962年)

  • 切腹(1962年)

  • 怪談 (1964年映画)|怪談(1965年)

  • 上意討ち 拝領妻始末(1967年)

  • 日本の青春(1968年)

  • いのちぼうにふろう(1971年)

  • 化石(1975年)

  • 燃える秋(1978年)

  • 東京裁判 (1983年映画)|東京裁判(1983年)

  • 食卓のない家(1985年)


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    2006年10月12日

    映画監督[塚本晋也]

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    塚本晋也



    塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 - )は、日本の映画監督、俳優。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。自ら製作、監督、脚本、撮影、美術、編集から主演までこなす才人。中学時代から映画撮影を行い、1988年、『電柱小僧の冒険』がPFFアワードでグランプリを獲得。翌1989年、制作費1000万、4畳半のアパートで廃物のSFXと少数のスタッフで制作された『鉄男』は、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞。一般公開一作目にして、国際的な評価を獲得し、のちの海外映画祭における多数の日本映画評価への先鋒となった。(またこの作品は主演・田口トモロヲの映画俳優としての活動の足掛かりとなる)
    1997年、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。
    2003年公開『六月の蛇』は、ヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞受賞。演劇集団「海獣シアター」主宰。人の身体の変容と痛みにこだわり、暴力やエロティシズムなどの主題を得意とする作風ながら、物語は陰惨な結末を迎えず、ペーソスとユーモアを忘れない。鑑賞後の観客には、爽快感を、完璧な娯楽としての活劇を提供している。
    またほとんどの作品で、タッグを組む石川忠の音楽は、塚本の映画に不可欠な存在である。俳優としての評価も高く、自身の作品のみにとどまらず、多数の映画やドラマに個性的な演者として関わる事も多い。また、ナレーターとしても好評を得ている。



    監督作品


  • 鉄男 1989

  • ヒルコ/妖怪ハンター 1991

  • 鉄男・BODY HAMMER スーパー・リミックス・バージョン TETSUO II THE BODY HAMMER 1993

  • 東京フィスト 1995

  • バレット・バレエ 1999

  • 双生児-GEMINI- 1999

  • 六月の蛇 2003

  • ヴィタール 2004

  • HAZE 2006

  • 悪夢探偵 2007年1月



    出演作品
    *鉄男(1989年)

  • 鉄男II BODY HAMMER(1992年)

  • 119 (映画)|119(1994年、竹中直人監督)

  • 我が人生最悪の時(1994年、林海象監督)

  • 東京日和(1997年、竹中直人監督)

  • 完全なる飼育(1999年、和田勉監督)

  • 溺れる人(2000年、一尾直樹監督)

  • さくや妖怪伝(2000年、原口智生監督)

  • Dead or Alive 2 逃亡者(2000年、三池崇史監督)

  • 殺し屋1(2001年、三池崇史監督)

  • 盲獣VS一寸法師(2001年、石井輝男監督)

  • クロエ(2001年、利重剛監督)

  • 連弾(2001年、竹中直人監督)

  • とらばいゆ(2002年、大谷健太郎監督)

  • 六月の蛇(2003年)

  • 稀人(2004年、清水崇監督)

  • 恋の門(2004年、松尾スズキ監督)

  • 生物彗星WoO(2006年、NHK・円谷プロダクション制作)2002年第57回毎日映画コンクール男優助演賞受賞。



    外部リンク


  • 塚本晋也

  • 日本映画データベース

  • Shinya Tsukamoto

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    2006年10月11日

    映画監督[溝口健二]

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    溝口健二



    溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は東京都出身の有名人一覧|東京都出身の日本の映画監督。女性を主人公に据えた情緒的な作品が多い。ジャン=リュック・ゴダールに影響を与えたことでも知られた。小学校卒業後、神戸又新日報社に図案係として勤務。1920年日活向島撮影所に入る。
    関東大震災後、京都撮影所に移る。
    1925年、愛人に剃刀で襲われる傷害事件を起こし、以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになる。
    1934年永田雅一の第一映画社に参加、大映成立後は専属に。黒澤明、小津安二郎、木下恵介、成瀬巳喜男らと並び称される日本映画の巨匠でありながら、近年は前記4者に比してその名が語られる機会が乏しかった。しかし2006年は没後50年に当たり、2003年の小津生誕100周年、2005年の成瀬生誕100周年同様DVD BOXのリリースや名画座での回顧展が企画されており、再評価が待たれる。



    主な監督作品


  • 1923年「愛に甦へる日」

  • 1929年「朝日は輝く」伊奈精一と共同監督

  • 1933年「瀧の白絲」(原作:泉鏡花)

  • 1935年「折鶴お千」(原作:泉鏡花)

  • 1935年「虞美人草」(原作:夏目漱石)

  • 1936年「浪華悲歌」

  • 1936年「祇園の姉妹」

  • 1938年「露營の歌」

  • 1939年「残菊物語」(原作:村松梢風)

  • 1941年「藝道一代男」

  • 1941-42年「元禄忠臣蔵(前後篇)」(原作:真山青果)

  • 1946年「女性の勝利」

  • 1946年「歌麿をめぐる五人の女」(原作:邦枝完二)

  • 1947年「女優須磨子の恋」(原作:長坂秀雄)

  • 1948年「夜の女たち」(原作:久板栄二郎)

  • 1950年「雪夫人絵図」(原作:舟橋聖一)

  • 1951年「お遊さま」(原作:谷崎潤一郎)

  • 1951年「武蔵野夫人」(原作:大岡昇平)

  • 1952年「西鶴一代女」(原作:井原西鶴):ベネチア国際映画祭|ヴェネツィア国際映画祭国際賞

  • 1953年「雨月物語」(原作:上田秋成):ベネチア国際映画祭|ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞

  • 1953年「祇園囃子」(原作:川口松太郎)

  • 1954年「噂の女」

  • 1954年「近松物語」(原作:近松門左衛門)

  • 1954年「山椒太夫」(原作:森鴎外):ベネチア国際映画祭|ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞

  • 1955年「新?平家物語」(原作:吉川英治)

  • 1955年「楊貴妃」

  • 1956年「赤線地帯」



    外部リンク


  • kadokawa

  • 溝口健二――人と作品個人の研究サイト

  • 日本映画データベース:溝口健二全作品フィルモグラフィー



    関連項目


  • 映画監督一覧-日本の映画監督一覧

  • 田中絹代

  • 三船敏郎



    参考作品


  • ドキュメンタリー「時代を越える溝口健二」監督:櫻田明広 2006 角川ヘラルド映画


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    2006年10月10日

    映画監督[小栗康平]

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    小栗康平



    小栗 康平(おぐり こうへい、1945年10月29日 - )は、群馬県前橋市出身の映画監督である。1981年に『泥の河』でデビューする。以降、ほぼ10年に1、2本のペースで作品を発表する。作品数こそ極めて少ないものの、その特異な作品世界が高く評価されている鬼才である。大変に寡作な作家だが、発表される作品は、その全てが群を抜く力作であり、看過出来ない問題作である。岩井俊二、山田洋次、行定勲等とは、確実な差異が有る。



    来歴

    浦山桐郎、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩等の助監督を務めた。1973年には、ドラマ『流星人間ゾーン』の監督も務めた。1981年1月に、宮本輝原作の『泥の河』でデビューする。大阪の安治川に暮らす人々の生活を、幼い少年の視点から、白黒の画面で切なくも端整に描いた作品である。特に、油を飲ませた蟹にマッチで火を付けて遊んでいた少年が、友人の母が男に春を鬻いでいる所を目撃してしまう場面は、鮮烈である以上に、叙情的で実に儚い。子役の演技力も相俟って、高く評価された。同作により、1980年代以降の日本映画の鬼才として認識される事となる。モスクワ国際映画祭では銀賞を獲った。1984年11月に、李恢成原作の『伽?子のために』(かやこ -)を発表する。在日朝鮮人の少年の恋愛と葛藤と苦悩をリアルに描いた、青春映画である。これまでの日本映画と完全に異なり、在日の人の物語を極めて自然に描く事に成功し、賞賛される。1990年4月に、島尾敏雄原作の『死の棘』を発表する。小説家の敏雄の不倫を知り、妻が発狂すると言う私小説を映画化した、非常にショッキングなドラマである。原作次 T$NEgHx$O!"BgEg=m$d^;?$7!">.7*$K$O1G2h2=$rG'$a$?$N$@!#>>:d7D;R$NGwNO0n$l$kG.1i$H4_It0lFA$N0[MM$JB8:_46$b2A$5$l$?!#F1G/5月の第43回カンヌ国際映画祭では、見事に審査員特別グランプリと国際映画批評家連盟賞を獲った。1996年2月に、役所広司主演の『眠る男』を発表する。意識不明のために延々と眠る男を巡る、不思議なドラマである。群馬県中之条町で撮影して群馬県が制作した異色作で、ご当地映画のパイオニアと位置付けられている。第47回ベルリン国際映画祭では芸術映画連盟賞を獲った。2005年6月に、『埋もれ木』を発表する。田舎を舞台に不思議な話が語られるファンタジーである。坂田明や浅野忠信と、特異な俳優陣が目を引く。同年5月に第58回カンヌ祭の監督週間部門に出品された。



    学歴


  • 群馬県立前橋高等学校卒業。

  • 早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。



    監督作品

    ・『泥の河』1981年。
    ・『伽?子のために』1984年。脚本兼任。
    ・『死の棘』1990年。脚本兼任。
    ・『眠る男』1996年。脚本兼任。
    ・『埋もれ木』2005年。脚本兼任。



    著書


  • 『哀切と痛切』径書房、1987年1月。平凡社[平凡社ライブラリー]、1996年10月。ISBN 458276164X

  • 『見ること、在ること』平凡社、1996年11月。ISBN 4582282334

  • 『映画を見る眼』日本放送出版協会、2005年6月。ISBN 4140810513



    受賞歴


  • 1981年 - 『泥の河』
    モスクワ国際映画祭銀賞。
    芸術選奨文部大臣新人賞映画部門。
    第36回毎日映画コンクール最優秀作品賞、最優秀監督賞。
    日本映画監督協会新人監督奨励賞。
    第55回キネマ旬報賞監督賞。
    ブルーリボン賞作品賞。

  • 1982年 - 『泥の河』で、第5回日本アカデミー賞最優秀監督賞、優秀作品賞。

  • 1984年 - 『伽?子のために』
    ベルリン国際映画祭国際アートシアター連盟賞。
    ジョルジュ・サドゥール賞。

  • 1990年 - 『死の棘』
    第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、国際映画批評家連盟賞。
    芸術選奨文部大臣賞映画部門。

  • 1991年 - 『死の棘』で、第14回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞。

  • 1996年 - 『眠る男』
    第47回ベルリン国際映画祭芸術映画連盟賞。
    第20回モントリオール世界映画祭審査員特別大将。
    第70回キネマ旬報賞監督賞。

  • 1997年 - 『眠る男』で、第20回日本アカデミー賞優秀監督賞。

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    2006年10月09日

    映画監督[寺山修司]

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    寺山修司




    寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の劇作家、詩人、作家、映画監督、競馬評論家。



    略歴


  • 1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
    寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山の自叙伝的な著作にはこうした創作がかなり混じっている。
    母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
    戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」届出が遅れたという。本籍地は青森県上北郡六戸村(現・三沢市)。
    父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。
    ほぼ毎年のように父の転勤があり、青森県内の各地を転々とする。

  • 1941年(昭和16年)八戸市へ転居。
    父八郎が憲兵として出征したため、母と青森市へ転居。青森市マリア幼稚園入園。

  • 1942年(昭和17年)青森市立橋本尋常小学校(現青森市立橋本小学校|橋本小学校)入学。

  • 1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす、B29による絨毯爆撃だった。母ハツとともに命からがら逃げ惑い、焼け出される。家も焼けて一面焼け野原。
    また、父八郎がセレベス島にて戦病死したため、母ハツの兄を頼って、六戸村古間木(現三沢市)の古間木駅前(現三沢駅 (青森県)|三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは米軍キャンプで働く。
    米軍差し押さえの民家に移る。

  • 1948年(昭和23年)古間木中学校入学。母が福岡の米軍基地に移ったため、映画館経営の親戚宅に引き取られる。
    秋、青森市立野脇中学校(統合により廃止、学区は青森市立浦町中学校へ、学校は青森市立南中学校へ引き継がれる。跡地は青森市文化会館)に転校

  • 1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。「高校文学部会議」を結成し、青森県下で高校生俳句大会を開催。

  • 1953年(昭和28年)「全国学生俳句会議」を組織する。「俳句研究社」の後援を得、学生俳句大会を主催する。

  • 1954年(昭和29年)この年に早稲田大学教育学部国語国文学科に入学、上京する。18歳で第2回「短歌研究」新人賞を「チェホフ祭」で受賞、俳壇と歌壇の両方に大きな反響を呼ぶ。在学中から歌人として活動。

  • 1956年(昭和31年)ネフローゼで長期入院する。同室の患者から賭博、競馬を教わる。

  • 1958年(昭和33年)新宿でノミ屋の電話番をしながら賭博とボクシングに没頭する。

  • 1959年(昭和34年)谷川俊太郎のすすめでラジオドラマを書きはじめる。

  • 1960年(昭和35年)ラジオ劇『大人狩り』の内容で公安の取調を受ける。

  • 1961年(昭和36年)土方巽、黛敏郎らと六人のアバンギャルドの会結成。

  • 1963年(昭和38年)映画女優の九條映子と結婚。

  • 1964年(昭和39年)塚本邦雄、岡井隆らと『青年歌人』を組織。

  • 1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。

  • 1968年(昭和43年)念願の馬主になる(ユリシーズ号・公営・南関東)。『天井桟敷レコード』を設立、LP『初恋・地獄篇』を出す。

  • 1969年(昭和44年)渋谷に劇団専用劇場、『天井桟敷館』が落成。この年の末に離婚する。

  • 1970年(昭和45年)3月24日、人気漫画?あしたのジョー?の登場人物・力石徹の“葬儀”委員長を務める。

  • 1972年(昭和47年)写真家の荒木経惟に写真を学ぶ。数年後にはフランスのアート写真誌『ZOOM』を単独編集する。

  • 1978年(昭和53年)映画「草迷宮」を監督。

  • 1982年(昭和57年)長篇映画「さらば箱舟」を撮影。

  • 1983年(昭和58年)5月4日、東京都杉並区河北総合病院にて、肝硬変と腹膜炎で敗血症となり、死去。享年47。その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。特に1971年の『書を捨てよ町へ出よう』は当時の行動派の大きな原動力になった。その他、覗きで連行されたりと、私生活でも話題の事欠かない人物であった。



    映画




    [長篇]


  • 書を捨てよ町へ出よう(1971年)

  • 田園に死す(1974年)

  • ボクサー(1977年)

  • 草迷宮(1978年)

  • 上海異人娼館(1980年)

  • さらば箱舟(1984年)


    [短篇]


  • 猫学(現存せず)

  • 檻囚(1964年)

  • トマトケチャップ皇帝(1970年)

  • ローラ(1974年)

  • 蝶服記(〃)

  • 青年のための映画入門(〃)

  • 疱瘡譚(1975年) 

  • 審判(〃)

  • 迷宮譚(〃)

  • 消しゴム(1977年) 

  • マルドロールの歌(〃)

  • 一寸法師を記述する試み(〃)

  • 書見機(〃)



    作詞


  • ギター子守唄(1967年、加賀テツヤ)

  • 燃えろサーキット(1967年、ザ・リンド&リンダース)

  • 売られたギター(1967年、加賀テツヤ)

  • 涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)

  • 時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)

  • 首吊りの木(1970年、J.A.シーザー)

  • 酔いどれ船(1970年、緑魔子)

  • あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)

  • ひとの一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)

  • もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)



    短歌


  • われに五月を

  • 空には本

  • 血と麦

  • 田園に死す

  • 寺山修司全歌集

  • わが金枝篇

  • 未刊歌集テーブルの上の荒野



    俳句


  • 句集・花粉航海






  • 長編叙事詩・李庚順

  • 詩集・ひとりぼっちのあなたに

  • 少女詩集・はだしの恋歌

  • 未刊詩集・ロング・グッドバイ



    評論


  • 家出のすすめ ※初版では「現代の青春論」

  • みんなを怒らせろ

  • 遊撃とその誇り

  • 書を捨てよ、町へ出よう

  • 誰か故郷を想わざる 自叙伝らしくなく

  • ドキュメンタリー・家出

  • 僕が戦争に行くとき、

  • 幸福論

  • 地下想像力

  • 地平線のパロール

  • 青蛾館

  • 青少年のための自殺学入門

  • 時代の射手

  • アメリカ地獄めぐり

  • 藁の天皇



    小説


  • 長編『あゝ、荒野』



    脚本




    [ラジオドラマ]


  • 中村一郎(1959年民放祭賞受賞)

  • ジオノ(1960年民放祭入賞)

  • 大人狩り

  • いつも裏口で歌った

  • 狼少年

  • 山姥(イタリア賞グランプリ受賞)

  • 大礼服(1964年芸術祭奨励賞受賞)

  • 恐山

  • 犬神の女(久保田万太郎賞)

  • コメット・イケヤ(イタリア賞グランプリ受賞)

  • まんだら(1967年芸術祭賞受賞)



    [テレビドラマ]


  • 孤独な青年の休暇

  • 一匹



    [テレビ番組]


  • ダイナマイク(1963年)

  • サラブレッド・我が愛

  • あなたは......(1965年芸術祭賞受賞)

  • おはようインディア(1965年芸術祭放送記者クラブ賞)

  • 日の丸


    [映画]


  • 乾いた湖(監督・篠田正浩)

  • 拳銃よさらば(監督・須川栄作 原作・大薮春彦)

  • 夕日に赤い俺の顔(監督・篠田正浩)

  • わが恋の旅路(監督・篠田正浩)

  • 初恋・地獄篇(監督・羽仁進)

  • 無頼漢(監督・篠田正浩)

  • サード(監督・東陽一)

  • 佐川君からの手紙(監督・大島渚、原作・唐十郎)



    [演劇]


  • 青森県のせむし男

  • 大山デブ子の犯罪

  • 毛皮のマリー

  • 書を捨てよ町へ出よう

  • 犬神

  • 奴婢訓



    レコード・CD


  • 初恋・地獄篇

  • 薔薇門

  • ハイティーン・シンフォニー書を捨てよ町へ出よう

  • 邪宗門

  • 身毒丸

  • 阿呆舟

  • 老人探偵団とガリガリ博士の犯罪



    代表歌


  • マッチ擦るつかのま海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや

  • 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめむとするに紫陽花くらし

  • 雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

  • 海を知らぬ少女の前に麦藁帽の われは両手を広げていたり



    代表句


  • 土曜日の王國われを刺す蜂いて

  • 流すべき流灯われの胸照らす

  • 癌すすむ父や銅版画の寺院

  • 便所より青空見えて啄木忌

  • 秋風や人さし指は誰の墓

  • 枯れ野ゆく棺のわれ ふと目醒めずや

  • 方言かなし菫に語り及ぶとき

  • 剃刀に蠅来て止まる情事かな

  • 月蝕待つみずから遺失物となり



    その他

    寺山は生前、1983年(昭和58年)の中央競馬のクラシック (競馬)|クラシック競走について、「ミスターシービーは三冠馬|三冠を取る」と予言していたが、同年の寺山自身の逝去により同馬の三冠を目にすることは惜しくもできなかった。その最後の馬券予想となったのは、皐月賞のミスターシービーの単勝であったといわれている。



    関連人物


  • 粟津潔

  • 宇野亜喜良

  • 美輪明宏

  • 横尾忠則

  • 三上寛

  • 浅川マキ

  • 友川かずき

  • 東由多加

  • 萩原朔美

  • 九條今日子

  • 森忠明

  • 佐々木英明

  • 昭和精吾

  • 新高恵子

  • 蘭妖子

  • 森山大道

  • 森崎偏陸

  • 三上博史

  • 和田誠

  • 大山デブ子

  • 松田ひろむ



    外部リンク


  • 三沢市 寺山修司記念館

  • TERAYAMA WORLD


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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