2006年11月29日

映画監督[椎名誠]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
椎名誠




椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家。東京都生まれで千葉県千葉市出身。東京写真大学中退。本名は渡辺 誠、妻は渡辺一枝。



経歴

流通業界の専門誌『ストアーズレポート』の編集長を経て、「スーパーエッセイ」と称した『さらば国分寺書店のオババ』で作家デビュー、大ヒットとなる。その軽い文体は嵐山光三郎の文体とともに昭和軽薄体と呼ばれた。克美荘で共同生活をした仲間と東日本何でもケトばす会、通称東ケト会を設立。
その後の活動を『わしらは怪しい探険隊』として出版、シリーズ化された。
その後も私小説、エッセイ、サイエンス・フィクション|SF小説、超常、写真を多数執筆・発表、
SF、超常小説の類は分類によって「シーナワールド」といわれる。作家以外には、辺境の地への冒険をライフワークとするほか、「ホネ・フィルム」を設立、映画監督としても活躍した。(現在「ホネ・フィルム」は解散)目黒考二らと本の雑誌社を設立、本の雑誌編集長を務めるほか、徳島で川の学校の講師、週刊金曜日の編集委員も務める。また岸洋子のファンとしても有名である。



受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞



    作品リスト


  • さらば国分寺書店のオババ

  • 岳物語 - 息子、岳の成長や友情を捕らえた私小説。後に自身の手により映画化された。

  • 続・岳物語

  • アド・バード - 集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の街に霧が降るのだ - 他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探検隊

  • いろはカルタの真実

  • 砂の海

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス

  • ハマボウフウの花や風

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝 - 林政明と共著。

  • 人生途中対談 - 東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 突撃 三角ベース団

  • 新宿熱風どかどか団

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談 - 東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    関連項目


  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫



    外部リンク


  • WEB本の雑誌

  • 週刊金曜日

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    2006年11月28日

    映画監督[那須博之]

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    那須博之



    那須 博之(なす ひろゆき、1952年1月27日 - 2005年2月27日)は、日本の映画監督。東京都出身。妻は脚本家の那須真知子。



    略歴

    東京都立西高等学校、東京大学経済学部卒業後、日活に助監督として入社。1982年に日活ロマンポルノ『ワイセツ家族 母と娘』で監督デビュー。1985年の監督作『ビー・バップ・ハイスクール』のヒットで注目される。仲村トオルをオーディションで見出しデビューへ導いたのは那須である。2004年の監督作『デビルマン』は遺作となったが、批判的な評価が一般的である。2005年、肝癌|肝臓がんのため53歳で死去。



    主な監督作品


  • ワイセツ家族 母と娘(1982年)

  • セーラー服・百合族2(1983年)

  • セーラー服 百合族(1983年)

  • 姉日記(1984年)

  • ルージュ(1984年)

  • ヴァージンなんか怖くない(1984年)

  • 美少女プロレス 失神10秒前(1984年)

  • タブーX倒錯(1985年)

  • ビー・バップ・ハイスクール(1985年)

  • 紳士同盟(1986年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)

  • 新宿純愛物語(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇(1988年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭(1988年)

  • 右曲がりのダンディー(1989年)

  • 代打教師 秋葉、真剣です!(1991年)

  • ろくでなしBLUES(1996年)

  • 地獄堂霊界通信(1996年)

  • 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT4(1998年)

  • 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3(1998年)

  • あばれブン屋(1998年)

  • 実録外伝 武闘派黒社会(1999年)

  • ピンチランナー (映画)|モー娘。走る! ピンチランナー(2000年)

  • デビルマン (映画)|デビルマン(2004年)


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    2006年11月27日

    映画監督[岡本喜八]

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    岡本喜八



    岡本 喜八(おかもと きはち、1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本の映画監督    本名は岡本喜八郎(おかもと・きはちろう)。




    経歴

    鳥取県米子市出身。明治大学専門部商科卒業後、1943年東宝に入社し助監督となる。しかし、戦局の悪化に伴い軍事工場に動員され、豊橋陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。
    復員後、マキノ雅弘監督に師事して修行を積み、1958年に『結婚のすべて』(主演:雪村いづみ)で初メガホンを取る。以降、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『肉弾 (映画)|肉弾』(1968年)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)など、戦時中や戦後の人々を描いた作品を世に送り出す。その特徴は、独特のシニカルな視点と笑いの要素であり、その代表が、日中戦争の場に西部劇や推理劇の要素をこめた『独立愚連隊』シリーズである。70年代後半からは『ダイナマイトどんどん』(1978年)、『ジャズ大名』(1986年)、コメディ映画『大誘拐 RAINBOW KIDS』(1991年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞し、戦中戦後の時期を描いた作品にも見られた娯楽色を、さらに前面に押し出した作品が多くなっていく。映像のリズム感、たたみかけるテンポの良さは東宝の先輩である市川崑と並び日本映画でも群を抜く存在。その美点は『殺人狂時代』などのアクションコメディに最大限に発揮されるが、『日本の一番長い日』『ブルークリスマス』といったシリアス作品でも緊迫感あ� $U$l$k1i=P$r8+$;$D$1$k!#;0A%IRO:!"CgBeC#Lp!":4F#0t!"CfC+0lO:!"EDCfK.1R!"E7K\1Q@$!"4_ED?9!"Cf4]CiM:!"J?ED>.Bt1IB@O:$i$r4^$aBf;l$rHE*$G$"$j!"@vN}$H%&%'%k%a%$%I$r;j>e$H$9$k?&?M4FFD$G$"$C$?!#$9$Y$F$N%+%C%H$r%3%s%^ICC10L$G7h$a$F$+$i;#1F$KNW$s$@$H$$$o$l$k!#2005年2月19日、食道がんのため神奈川県川崎市の自宅で死去。享年81。映画プロデューサーでもあるみね子夫人は、家庭、仕事の両面において陰に陽に喜八監督を支えた。墓所は鳥取県米子市の西念寺、川崎市多摩区春秋苑。



    作品リスト


  • 独立愚連隊(1959年)

  • 独立愚連隊西へ(1960年)

  • 江分利満氏の優雅な生活(1963年)

  • 侍(1965年)

  • 日本のいちばん長い日(1967年)

  • 殺人狂時代 (日本映画)|殺人狂時代(1967年)

  • 斬る(1968年)

  • 肉弾(1968年)

  • 激動の昭和史 沖縄決戦(1971年)

  • 吶喊(1975年)

  • 姿三四郎(1977年)

  • 科学忍者隊ガッチャマン(総指揮)(1978年)

  • ダイナマイトどんどん(1978年)

  • 英霊たちの応援歌 最後の早慶戦(1979年)

  • ジャズ大名(1986年)

  • 太閤記(1987年)

  • 大誘拐 RAINBOW KIDS(1991年)

  • Coo 遠い海から来たクー(脚本)(1993年)

  • EAST MEETS WEST(1995年)

  • 助太刀屋助六(2001年)



    外部リンク


  • 日本映画データベース・岡本喜八作品リスト

  • 明治大学「岡本喜八」学友協賛会


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    2006年11月26日

    映画監督[田中絹代]

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    田中絹代



    田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優であり、黎明期の日本映画界を支えた大スターである。



    戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

    山口県下関市丸山町に生まれる。幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



    戦後〜演技派スター・女性監督へ

    終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために暖めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督。(日本で二人目の女性監督)しかし、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下恵介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける一方、1969$! BG/$N!X\b%NLZ$O;D$C$? (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役など温和な老婆役で親しまれる。1974年に主演した熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は高く評価され、芸術選奨文部大臣賞、ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去。享年67。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

    死後勲三等瑞宝章が授与された。3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。



    没後の顕彰

    1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に送られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶応義塾大学|慶応野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。




    代表作



    [おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1838年、野村浩将)

  • 陸軍(1944年、木下恵介)

  • 結婚(1947年、木下恵介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下恵介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 西鶴一代女(1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 雨月物語(1953年、溝口健二)

  • 山椒大夫(1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 楢山節考(1958年、木下恵介)

  • 彼岸花(1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下恵介)

  • おとうと(1960年、市川崑)

  • 赤ひげ(1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館・望郷(1974年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年)

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1960年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代

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    2006年11月25日

    映画監督[原一男]

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    原一男



    原 一男 (はら かずお、1945年6月8日-)は、映画監督。山口県宇部市出身。東京綜合写真専門学校中退。自分の元同棲相手を追った『極私的エロス 恋歌1974』や奥崎謙三を追った『ゆきゆきて、神軍』(1987年、ベルリン国際映画祭にてカリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画際グランプリ受賞)など異色のドキュメンタリーで知られる。現在、大阪芸術大学映像学科教授。



    主な監督作品


  • さようならCP (1972年)

  • 極私的エロス 恋歌1974 (1974年)

  • ゆきゆきて、神軍 (1987年)

  • 全身小説家 (1994年)

  • わたしの見島 (1999年)

  • またの日の知華 (2004年)



    外部リンク


  • 疾走プロダクション


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    2006年11月24日

    映画監督[熊井啓]

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    熊井啓



    熊井 啓(くまい けい、1930年6月1日 - )は、映画監督。現代を代表する社会派監督である。長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)に、地主の父、元教師の母の息子として生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、松本高等学校 (旧制)|旧制松本高校を経て新制の信州大学文理学部を卒業後、独立プロの助監督を経て、1954年日活撮影所監督部に入社する。そこで、久松静児、田坂具隆、阿部豊、牛原陽一などの監督につくかたわら、脚本家としての仕事もこなす。1964年、帝銀事件を描いた『帝銀事件・死刑囚』で監督デビューする。その後の『日本列島』も含めて、骨太な社会派ドラマを作る監督として評判をとる。その一方、1968年には、三船プロダクションと石原プロモーションが共同制作した超大作『黒部の太陽』を製作し、興行的にも成功させる。1974年には田中絹代が、元「からゆきさん」を演じてベルリン国際映画祭主演女優賞を受賞した『サンダカン八番娼館 望郷』を撮り、重いテーマを扱いながら、重厚な人間ドラマを完成させた。また、1986年、遠藤周作原作の� !X3$$HFGLt!Y$G!V%Y%k%j%s9q:]1G2h:W?3::0wFCJL>^!J6d7'>^!K!W$r^$7$?!#$=$N8e$b!"


    監督作
    *帝銀事件 死刑囚(1964年)

  • 日本列島(1965年)

  • 黒部の太陽(1968年)

  • 地の群れ(1970年)

  • 忍ぶ川(1972年)

  • 朝やけの詩(1973年)

  • サンダカン八番娼館 望郷(1974年)原作:山崎朋子

  • 北の岬(1976年)原作:辻邦生

  • お吟さま(1978年)

  • 天平の甍(1980年)

  • 日本の熱い日々 謀殺・下山事件(1981年)

  • 海と毒薬(1986年)

  • 千利休 本覺坊遺文(1989年)

  • 式部物語(1990年)

  • ひかりごけ(1992年)

  • 深い河(1995年)

  • 愛する(1997年)

  • 日本の黒い夏(2001年)

  • 海は見ていた(2002年)

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    2006年11月23日

    映画監督[成瀬巳喜男]

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    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが彼の作風は当時の小津安二郎と似通ったものがあり、蒲田撮影所長の城戸四郎(後の松竹社長)に「小津は2人いらない」と言われる。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年に、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明ぁ ,=u4FFD$r$D$H$a$k!#@o;~2<$G$O!XDaH,Da8e$OL157$J$/$5$l$k!#1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。1955年の『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画として君臨しており、小津をして「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」と言わしめた。その後、林原作の『稲妻』、『妻』、『晩菊』、『浮雲 (映画)|浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』の石坂洋次郎といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は加山雄三と司葉子主演の『乱れ雲』(1967年)。1969年に直腸癌で死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀察 R$K!VGr0l?'$NKk$rGX$K$7$F9bJv=(;R$,0l?M


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる』と『乱れ雲』では、『若大将シリーズ� |若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。


    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってから。1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表してぁ $$k!#%7%e%_%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品


  • 腰弁頑張れ(1931年)

  • 君と別れて(1933年)

  • 夜ごとの夢(1933年)

  • 乙女ごころ三人姉妹(1935年)

  • 妻よ薔薇のやうに(1935年)

  • 朝の並木路(1936年)

  • 雪崩(1937年)

  • 鶴八鶴次郎(1938年)

  • はたらく一家(1939年)

  • まごころ(1939年)

  • 旅役者(1940年)

  • 歌行燈(1943年)

  • 芝居道(1944年)

  • 三十三間堂 通し矢物語(1945年)

  • 石中先生行状記(1950年)

  • 怒りの街(1950年)

  • 白い野獣(1950年)

  • 薔薇合戦(1950年)

  • 銀座化粧(1951年)

  • 舞姫(1951年)

  • めし(1951年)

  • お国と五平(1952年)

  • おかあさん(1952年)

  • 稲妻(1952年)

  • 夫婦(1953年)

  • 妻(1953年)

  • あにいもうと(1953年)

  • 山の音(1954年)

  • 晩菊(1954年)

  • 浮雲 (映画)|浮雲(1955年)

  • くちづけ 第三話 女同士(1953年)

  • 驟雨(1956年)

  • 妻の心(1956年)

  • 流れる(1956年)

  • あらくれ(1957年)

  • 杏っ子(1958年)

  • 鰯雲(1958年)

  • コタンの口笛(1959年)

  • 女が階段を上る時(1960年)

  • 娘・妻・母(1960年)

  • 夜の流れ(1960年)

  • 秋立ちぬ(1960年)

  • 妻として女として(1961年)

  • 女の座(1962年)

  • 放浪記(1962年)

  • 女の歴史(1963年)

  • 乱れる(1964年)

  • 女の中にいる他人(1965年)

  • ひき逃げ(1965年)

  • 乱れ雲(1967年)



    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

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    2006年11月22日

    映画監督[浜村淳]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    浜村淳




    浜村 淳(はまむら じゅん、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、パーソナリティ、映画評論家、司会者。本名、塩浜 真(しおはま まこと)。京都府京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。毎日放送|MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティ|パーソナリティーを30年以上担当している。所属事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。



    来歴・人物

    「さてみなさん」(みにアクセント)のフレーズでもお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、毎日放送|MBSの「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。また映画解説でも高い評価を得ている。彼の映画解説はとても独特で、映画の内容を詳細にわたって関西弁丸出しで熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうほど勢いのある物である。これから映画を観ようとする人にとって「観る前にストーリーを明かされた」と思わせるほど、ストーリーを理解している。アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れるなどの特徴がある。解説はあらかじめ用意された台本などを読んでいるのではなく、完全なアドリブである。これらのことから彼の映画解説は映画ファンのみならず多くのラジオファンからも熱烈に支持されている。そ� $l$O$b$O$dC1$J$k2r@b$N0h$r1[$(!"$R$H$D$N7]$H8+$J$5$l$F%3%s%Q%/%H%G%#%9%/|CD化もなされている。新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しや連呼が使われ、そのとき出てくる言葉にちなんだネタ(映画に関するものが多い)が出てくるなど、豊富な教養を駆使して「遠回りしながら」の解説が多い。映画に極めて詳しい一方で芸能関係では、年配の芸能人には詳しいが若手芸能人には詳細に踏み込まず、知識不足を露呈することがある。上岡龍太郎のしゃべくりの師としても知られる。ディベートの巧みさに関しても筆舌しがたい技術を持っている。かつて「最後の晩餐_(テレビ番組)|最後の晩餐」というテレビ番組で、出演者の日頃の言動に対する視聴者からのお叱りのはがきを読むコーナーがあり、浜村に対しては「映画解説の内容に嘘がある」という内容のクレームが届いていた。他の出演者は軒並み平謝りだったのに対して浜村は、「なぜ、私の映画解説に『嘘』があるという噂が立ったのか。それはおすぎが言ったのです。おすぎがラジオで『浜村さんは脚色している』という噂を流したのです!!」と言い切って、出演者の中で唯一人クレームぁ r8@$$Ii$+$7$?$H$$$&%(%T%=!<%I$,$"$k!#@1:B$O;3MS:B!"7l1U7?$O! A型。 :e?@%?%$%,!<%9$N5HED5ACK854FFD!"GPM%$N;3>k?78`!"85%5%C%+!


    作品




    [ アルバム ]


  • 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)

  • 甦る心の名画座(2004年)



    出演




    [ テレビ番組 ]


  • ゲームホントにホント(1975年〜1981年、日本放送協会|NHK総合テレビ)

  • 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ放送|関西テレビ)

  • かんさい珍版・瓦版(毎日放送テレビ)

  • 上方漫才まつり(毎日放送テレビ)

  • シェフにおまかせ!(1981年〜1983年、毎日放送テレビ)

  • 最後の晩餐 (テレビ番組)|最後の晩餐(2000年〜2002年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • 2時のワイドショー(1979年〜1992年、よみうりテレビ)

  • 浜村淳の大阪夢散歩(関西テレビ)

  • 全日本有線放送大賞(1968年〜1991年、よみうりテレビ)

  • 夕やけニャンニャン(1985年〜1987年、フジテレビ)

  • 映画へようこそ (毎日放送)|映画へようこそ・解説(毎日放送テレビ)

  • 健康手帖(テレビ大阪)


    [ ラジオ ]


  • ヒットでヒット!バチョンと行こう→サタデーバチョン(〜1991年、大阪放送|ラジオ大阪)

  • ありがとう浜村淳です(1974年〜、毎日放送|MBSラジオ)

  • 浜村淳の日曜夢語り(〜2006年、MBSラジオ)

  • 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4〜9月、MBSラジオ)

  • 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月〜MBSラジオ)

  • かんさい土曜ほっとタイム(1995年〜、日本放送協会|NHKラジオ第一、第4土曜日のみ出演)

  • お待たせしました 浜村淳です! (TBSラジオ)

  • 古今東西 浜村淳! (TBSラジオ)

  • ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム(TBSラジオ)  ※金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。

  • MBSヤングタウン|ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年〜1992年、毎日放送ラジオ)

  • 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク


    [ 映画 ]


  • ビリケン(1996年、シネカノン)

  • PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演


    [ CD ]


  • 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)

  • ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)


    [ CM ]


  • 恩地食品

  • リクルート 週刊就職情報

  • イズミヤ



    書籍


  • 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)

  • 星影の飛鳥(1989年、羊書桝f人社])

  • 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)

  • 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ[青心社])

  • 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)

  • さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)

  • 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)



    ゲーム


  • 大幽霊屋敷(だいおばけやしき)〜浜村淳の実話怪談〜(プレイステーション、1998年、ヴィジット)



    備考


  • 芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。

  • ユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、関西では「浜村淳は連れて行かない」というテレビCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが、「何でですねん?」と問い返すという内容)。オープン後、彼が初めてUSJに行く模様が毎日放送テレビのバラエティ番組で実況中継された。



    外部リンク


  • 昭和プロダクション(所属事務所のホームページ)

  • MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」

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    2006年11月21日

    映画監督[中島哲也]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    中島哲也



    中島 哲也(なかしま てつや、1959年 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。



    人物

    1959年福岡県生まれ。CM制作会社を経て、1987年よりフリー。CMデビュー作のフジッコ漬物百選では、山口美江の「しばづけ食べたい」のセリフが話題に。以後、サッポロ黒ラベル 「温泉卓球」篇など多数のヒットCMを世に送り出しCM界の巨匠として知られるようになる。大学在学中に制作した「はの字忘れて」が、82年ぴあフィルムフェスティバルで入選し、「バカヤロー!私怒ってます/第二話 遠くてフラれるなんて」(1988年)で劇場映画監督デビュー。以後、独特のユーモアとポップで色鮮やかな映像世界でCM、映画等幅広く活躍している。



    作品




    [ CM ]


  • フジッコ「漬物百選」(出演:山口美江)

  • クノール カップスープ(出演:小泉今日子)

  • サントリー 冷撰洋酒(出演:三浦友和 加藤茶)

  • サントリー モルツ「モルツ球団」(出演:原田芳雄)

  • 富士フイルム フジカラー写ルンです

  • ソフトバンクテレコム|J-PHONE(出演:永瀬正敏)

  • 日本中央競馬会|JRA'99年間キャンペーン(出演:木村拓哉)

  • 東日本電信電話|NTT東日本 フレッツ「ガッチャマン」篇(出演:SMAP)

  • サッポロビール サッポロ生 黒ラベル 「温泉卓球」篇(出演:豊川悦司 山崎努)

  • プロバイダーZERO


    [ 映画 ]


  • 「はの字忘れて」

  • 「バカヤロー! 私、怒ってます 第二話 遠くてフラれるなんて」

  • 「夏時間の大人たち」

  • 「Beautiful Sunday」(出演:永瀬正敏 尾藤桃子)

  • 「下妻物語」(出演:深田恭子 土屋アンナ)

  • 「嫌われ松子の一生」(出演:中谷美紀 瑛太 伊勢谷友介 劇団ひとり)


    [ テレビドラマ ]


  • 「私立探偵 濱マイク」9話 ミスター・ニッポン〜21世紀の男〜(出演:永瀬正敏)

  • 世にも奇妙な物語 「ママ新発売!」(出演:ともさかりえ)

  • 「X'smap〜虎とライオンと五人の男〜」(出演:SMAP)


    [ ビデオ ]


  • 「Smap Short Films ROLLING BOMBER SPECIAL」

  • 「The Works of Tetsuya Nakashima」



    主な受賞


  • ぴあフィルムフェスティバル入選(「はの字忘れて」)

  • ACC 金賞(JRA)

  • ACC グランプリ/特別賞(演出)(サッポロ黒ラベル)

  • ADC グランプリ(サッポロ黒ラベル)

  • ギャラクシー奨励賞(サッポロ黒ラベル)

  • 第26回ヨコハマ映画祭 作品賞 監督賞(「下妻物語」)


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    2006年11月20日

    映画監督[森一生]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    森一生



    森一生(もりかずお、1911年1月15日-1989年6月29日)は、昭和期の映画監督。愛媛県松山市に生まれ、京都帝国大学文学部を卒業後、1933年日活太秦撮影所に入社する。その後、新興キネマに移り、伊藤大輔 (映画監督)|伊藤大輔の助監督を経て、1936年、『仇討膝栗毛』で監督デビューする。その後新興キネマを吸収した大映に移籍し、『大阪商人』などを制作するが、程なく応召される。復員後、黒澤明脚本の『決闘鍵屋の辻』を撮り、注目され、1959年には勝新太郎と市川雷蔵を主役にした『薄桜記』が好評を博した。また、1967年の『ある殺し屋』も新しいタイプのヒーローを市川雷蔵が演じて注目された。1971年の大映倒産後は、テレビドラマの演出を手がけ、『木枯し紋次郎』、『座頭市物語』、『横溝正史シリーズ』など多くの作品を手がけた。大映時代劇の黄金期を支えた功労者であり、その独特の語り口はファンも多い。
    尚、同姓同名の漫画原作者がいる。


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    2006年11月18日

    映画監督[SABU]

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    SABU



    SABU(さぶ、サブ、サブゥー)
    SABU (映画監督)|SABU(サブ) - 日本の俳優・映画監督(1964年 - )。代表作に『弾丸ランナー』など。
    ・『SABU 〜さぶ〜』 - 2003年公開の日本の映画。山本周五郎原作、三池崇史監督。
    SABU(サブゥー) - アメリカ合衆国出身のプロレスラー、テリー・ブルンクのリングネーム(1963年 - )。


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    2006年11月17日

    映画監督[石井隆]

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    石井隆




    石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - )は、日本の漫画家、脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身。早稲田大学商学部卒業。代表作は『天使のはらわた』など。



    作品

    監督作品

  • 天使のはらわた 赤い眩暈(1988)

  • 月下の蘭(1991)

  • 死んでもいい(1992)

  • ヌードの夜(1993)

  • 夜がまた来る(1994)

  • 天使のはらわた 赤い閃光(1994)

  • GONIN(1995)

  • GONIN2(1996)

  • 黒の天使 Vol.1(1998)

  • 黒の天使 Vol.2(1999)

  • フリーズ・ミー(2000)

  • TOKYO G.P.(2001)

  • 花と蛇(2004)

  • 花と蛇2 パリ / 静子(2005)漫画

  • 『天使のはらわた』(ヤングコミックス)

  • 『ガッデム!!』

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    2006年11月16日

    映画監督[鈴木則文]

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    鈴木則文



    鈴木 則文(すずき のりぶみ、1933年−)は日本の映画監督、脚本家。東映を代表する映画監督。立命館大学卒業。トラックものから任侠もの、スケバンものにポルノまで幅広い作品を手がける。




    代表作


  • 映画
    『トラック野郎』シリーズ
    『パンツの穴』
    『塀の中のプレイ・ボール』
    『カリブ・愛のシンフォニー』
    『吼えろ鉄拳』
    『忍者武芸帳 百地三太夫』
    『女番長』シリーズ
    『不良番長』

  • テレビ
    『暴れん坊将軍』
    『影の軍団』


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    2006年11月15日

    映画監督[市川準]

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    市川準



    市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - )は、東京都府中市 (東京都)|府中市出身の映画監督である。本名は、市川 純(- じゅん)。CM演出家を経て1987年に『BU・SU』でデビューする。幅広い題材に意欲的に取り組み話題作を数多く発表する。



    来歴

    画家を志して東京芸術大学美術学部絵画科への入学を目指すが浪人を繰り返す。1975年にCM制作会社に入社してCM演出家になり、1981年の退社後は無所属で活動する。演出家として禁煙パイポ、箪笥にゴン、エバラ焼肉のたれ、タフマン、デューダ等のテレビCMを作る。1987年10月に富田靖子主演の『BU・SU』でデビューする。田舎の少女が上京して芸者になるビルディング・ロマンである。暗く閉鎖的なために「性格ぶす」を揶揄される少女が他者と出会う様子を描き、好評を獲得する。1988年11月にハナ肇とクレージーキャッツ主演の『会社物語 MEMORIES OF YOU』を発表する。中年サラリーマンの群像劇を通して、決して平凡ではない普通の人達の生活を描いた。1989年12月にいとうせいこう原作の『ノーライフキング』を発表する。テレビゲームに熱狂する少年達を描き、テレビゲームが広く注目を集めた当時の世相を色濃く反映した作品となった。世界観を原作とは大きく変えた。2002年に三谷幸喜原作の『竜馬の妻とその夫と愛人』を発表する。戯曲を映画化した珍しいタイプの作品� $G$"$k!#:dK\N5GO$N;`8e$K:F:'$7$F0&?M$b:n$C$?L$K4?M$K


    監督作品





    出演作品

    ・『晴れた家』:2005年。『トニー滝谷』のメイキング映画。



    受賞歴


  • 1985年:カンヌ国際広告映画祭金賞。

  • 1991年:『つぐみ』
    第15回報知映画祭監督賞。
    第45回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1995年:『東京兄妹』
    第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞。
    芸術選奨文部大臣賞映画部門。

  • 1997年:『東京夜曲』
    第12回高崎映画祭監督賞。
    第21回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞。

  • 2004年:『トニー滝谷』で第57回ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞。

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    2006年11月14日

    映画監督[本広克行]

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    本広克行



    本広 克行(もとひろ かつゆき、1965年7月13日 - )は、日本の映画監督で、テレビドラマ?舞台の演出家?プロデューサー。香川県丸亀市出身。小学校は広島市。日本映画学校卒。

    日本映画学校卒業後、共同テレビジョンの関連会社に入社。AD、演出家を経て退職。
    その後、株式会社ロボット (企業)|ROBOTに所属する。現在、映画部所属。「踊る大捜査線」シリーズの演出を手がけている。この作品で一気にスター監督となり、以降、大規模な作品から小規模な作品まで徹底したエンターテイメント映画を世に送り出している。うどんに関する造詣が深く、常にうどんを食べていると言われている。2006年、自身の念願がかない、遂に映画UDONが制作された。映画監督として、自他ともに認めるデジタル技術推進派。今後フィルムで撮影しないと公言している。これは、フィルム推進派の同世代監督矢口史靖と対極をなしている。



    オタクとしての本広
    本人は典型的なオタクで、アニメに関する知識に富む。演出面からアニメを語ることがおおい。
    富野由悠季、押井守、庵野秀明、渡辺信一郎とファンである主だったアニメ監督と対談している。特に「ガンダム」に関する知識は膨大。映画『サマータイムマシン・ブルース』ではガンダムのBGMを使用するなどしている。中でも押井守の大ファンでその影響を色濃く受けている。そのため多くの作品において押井作品に題材が似ている。そのことについてはエッセイで「僕はときどき、僕がやっていることは押井さんがやったことを実写で追っかけているだけなんじゃないか、と本気で思うことがあるほどだ」(『熱風』2004年2月号)と述べている。「踊る〜」は「機動警察パトレイバー」、「サマータイム〜」は「うる星やつら」、「UDON」は「立喰師列伝」など。



    テレビドラマ


  • 悪いこと(1992年)

  • 上品ドライバー(1992〜98年)

  • NIGHT HEAD (1992〜93年)

  • 世にも奇妙な物語 「見たら最後」(1992年)

  • If もしも「誘拐するなら男の子か女の子か」(1993年)

  • 17才-at seventeen-(1994年)

  • お金がない!(1994年)

  • 世にも奇妙な物語 「友子の長い朝」(1994年)

  • 世にも奇妙な物語 「追っかけ」(1996年)

  • ヘルプ! (テレビドラマ)|ヘルプ!(1995年)

  • 踊る大捜査線(1997〜98年)

  • 蘇える金狼(1999年)

  • 木曜の怪談

  • アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜(2001年)



    監督作品


  • 1996年『友子の場合』

  • 1996年『7月7日、晴れ』

  • 1998年『踊る大捜査線 THE MOVIE』

  • 2000年『スペーストラベラーズ』

  • 2000年『サトラレ』

  • 2003年『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』

  • 2003年『踊る大捜査線 BAYSIDE SHAKEDOWN 2』

  • 2005年『サマータイムマシン・ブルース』

  • 2005年『交渉人 真下正義』

  • 2006年『UDON』



    舞台演出作品


  • 2003年『舞台も踊る大捜査線 ザッツ!! スリーアミーゴス』



    プロデュース作品


  • 2005年『逃亡者 木島丈一郎|踊るレジェンドドラマスペシャル 逃亡者 木島丈一郎』



    関連項目


  • 君塚良一

  • 戸田山雅司

  • 亀山千広

  • 織田裕二

  • ユースケ・サンタマリア

  • 深津絵里

  • 観月ありさ

  • 升毅

  • ともさかりえ

  • 三上市朗

  • フジテレビジョン

  • ROBOT


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    2006年11月12日

    映画監督[鈴井貴之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント?映画監督?構成作家。まれに「ハイパーメディアパーソナリティー」、「ハイパーメディアプレーヤー」と自称したり形容されたりする。愛称は「ミスター」。また、株式会社CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長も務める。



    概要

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。そのため2005年まで泳げなかった(鈴井貴之#その他|その他参照)。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きだった彼は、北海道赤平高等学校を経て北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年解散)」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。自らの� BN$KJ]81$r$+$1$?$[$I$N0UM_:n!#@i=)3Z$G$O1&


    映画監督として




    [ 概要 ]

    鈴井は、2000年夏に撮影した「man-hole」を皮切りに「river」、「銀のエンゼル (映画)|銀のエンゼル」と3作品の監督を務めている。これらに共通して言えることは鈴井がMADE IN 北海道にこだわっているということである。そして、特にman-holeと銀のエンゼルに関しては「北海道で生活する人の日常を感じ取って欲しい」という鈴井の意向から、北海道の有名な観光地などではなく道民の生活の場、札幌市営地下鉄|地下鉄や幌平橋などで撮影している。銀のエンゼルは実際に斜里町で営業している店舗で撮影した。鉄塔や送電線も「人々の生活がそこにある証拠」として、積極的にその存在をなくそうとはしていない。出演者に関しても、弟分のTEAM-NACSをはじめとした自身の事務所所属タレント(大半が北海道出身)を起用し、全国的に活躍している北海道出身の俳優をキャストに盛り込んでいる(小日向文世や小野寺昭)。スタッフにも北海道で活動している人物・団体を起用する。対して「銀のエンゼル」では東京のスタッフを多用した。これは東京をアウェーと位置づけ、ホームとアウェーを往来することで成長� $7$F$$$3$&$H$$$&Nk0f$N9M$($,$"$k$+$i$G$"$k!#riverと銀のエンゼルでは、スタッフロールの後にワンカット挿入している。そのことで上海国際映画祭ではトラブルが発生した。


    [ 韓国留学 ]

    2004年11月から大韓民国|韓国・釜山広域市|釜山へ、クァク・キョンテク監督の新作「タイフーン/TYPHOON」クランクアップまで、スタッフとして参加するために留学していた。2005年8月2日、釜山から関西国際空港経由で帰国。留学中にも、一部シーンはタイ王国|タイやロシアに渡航して撮影した。2004年10月28日に番組8周年記念・銀のエンゼルキックオフも併せて「ミスター大壮行会」と銘打って大勢のファンに送り出された(「水曜どうでしょうDVD全集 第5弾」に収録)。その後DVD第5弾の前枠・後枠撮影後に韓国へと旅立った。留学中も静岡市清水区(MOVIX清水)と仙台市太白区(MOVIX仙台)で行われた銀のエンゼル (映画)|銀のエンゼルの舞台挨拶やCOMPOSER札幌市|札幌・広島市|広島公演、愛娘の運動会、水曜どうでしょうのロケとDVD副音声収録といったように結構な頻度で一時帰国していた。そのため周囲の人たちは「また帰ってきたの?」という感じだったという。水曜どうでしょうの藤村Dも� !VF|K\$K$$$?:"$HF1$8IQEY$G2q$C$F$$$?$N$G4Z9q$K9T$C$?


    テレビ・ラジオ番組


  • 北海道テレビ放送
    「おにぎりあたためますか」(企画)
    「水曜どうでしょう」 (企画・出演)
    「ぽっぷこ〜んシネマ」
    「ドラバラ鈴井の巣」(企画・構成・出演)
    「週刊Nanだ!Canだ!」
    「モザイクな夜」(企画・構成・出演)

  • 札幌テレビ放送
    「1×8いこうよ!」(構成)
    「ステイ+α」(ステイタス)

  • 北海道文化放送
    「プカプカ」

  • 北海道放送
    「パック2」(再現ビデオ)

  • エフエム北海道|AIR-G'
    「GO・I・S」
    「KING GO・I・S」
    「HOME&AWAY」
    「FM ROCKkids」

  • エフエム仙台|Date FM
    「北風小僧」(東北6県ブロックネット)

  • フジテレビジョン
    「ケンカの花道」(素人として、夫婦で競演)

  • ビーエスフジ|BSフジ
    「おおいずみんみん蝉」(「TV☆Lab」内)

  • チャンネルNECO
    プロジェクトCue 鈴井貴之のフィルム・ジャンボリー」(2006年10月放送。映画3作とメイキング、北海道内のロケ地を訪ねるミニ番組「鈴井貴之のロケハン。」を放送。)



    手がけた映画


  • 「man-hole」(2001年・主演:安田顕)

  • 「river」(2003年・主演:大泉洋)

  • 「銀のエンゼル」(2004年・主演:小日向文世)



    音楽


  • 「DA.BE.SA」−NORTH END×AYUMI(1994年・作詞・歌)エピックレコードジャパン|EPICソニー
    "AYUMI"こと鈴井亜由美は奥様(CREATIVE OFFICE CUE副社長)。
    EAST END×YURIも参照されたい。

  • 「おやG」「ソフトフォーカス」−ケンタカユッキー☆フライド事件(2001年・作詞・歌)インディーズ
    鈴井(ビューティーたか・Vo)と安田顕(アフターけん・G)によるデュオ。



    呼び名


  • ミスター‐ミスターどうでしょう。水曜どうでしょうの象徴として呼ばれている。

  • 鈴井さん‐主に呼ばれる名前。

  • 社長‐CUEのメンバーが番組内で鈴井氏のことをこう呼ぶときがある。扮装しているときなどに「社長!」と言われると、恥ずかしいのか「社長言うな」といなすことがある。

  • 映画監督|監督‐映画を3本撮影したことからこう呼ばれる。

  • おっさん‐40歳を過ぎたことからこう呼ばれることが目立っている。

  • リップさん‐唇が厚いため。母親からの遺伝だと語っている。

  • ダメ人間‐とことん運が悪いため、大泉からそう呼ばれる。



    その他


  • 大泉がファンのことを「子猫ちゃん」と呼んでいることに対抗して、自分のファンを「子トラちゃん」と呼んでいる。

  • 水曜どうでしょうの初期のころに出てきた「ダメメガネ」は、ロケのときに忘れてきて紛失した。

  • 嫁のチェックが入りさえしなければ、基本はジャージ派(アディダス派)。

  • 寝起きの時の鈴井はまるで別人であることが多い。

  • カーネーション (バンド)|カーネーションのファンであり、映画『man-hole』では音楽の担当を依頼している。

  • 鈴井をはじめ副社長、一部社員 ELLEGARDENのファンであり、CUE公式サイトの社長室(日記)によく細美について書いている。

  • プロ野球チームでは阪神タイガース|阪神ファンであり、北海道日本ハムファイターズ|ファイターズファンであるなど掛け持ちしている(事務所はこぞってファイターズを応援している)。また、プロサッカーチームではコンサドーレ札幌|コンサドーレファンである。なお、好きな選手は三浦知良。
    1998 FIFAワールドカップではチケット手配ミスの被害に遭い、フランスに乗り込むもトゥールーズのホテルで観戦するという憂き目に遭った。予選から観戦していた2006 FIFAワールドカップでは、ドルトムントでのブラジル戦をスタジアムで観戦できた。

  • 『river』では探偵役で出演するはずだったが、プロデューサー(鈴井亜由美)から「出るな」と言われ、やむなく友人の佐藤誓が出演することになった。その頃から自分がオフィスCUEの社長なのに「オフィスCUEを辞めたい」「俺のタレントとしての売り出し方はおかしい!」とボヤくようになった。

  • 小橋亜樹を綺麗に撮れないことにコンプレックスを抱いている。

  • 基本的に寡黙で恐い印象を放っており近づき難い雰囲気をかもし出しているが、扮装したり役にはいると途端に明るい人になってしまう。(山田家の人々ではダジャレ好きの父親役がはまってしまい「春弘さん」ではなく「鈴井さん」と呼ばれると恥ずかしくなってしまう)

  • 基本的に几帳面な性格(時に潔癖なほど)。「水曜どうでしょう」のスペシャル版「プチ復活! 思い出のロケ地を訪ねる小さな旅」では、機材セッティングや起床時間などD陣がミスターに頼りきりなのを見かねた大泉に「ミスターはアズビーじゃねぇんだぞ!」と言われた。ちなみにアズビー(AZBY)とは、ドラバラ鈴井の巣などでおなじみのロケコーディネイトを行う会社のことである。

  • 高所恐怖症である(デパート等の渡り廊下も駄目)。番組の罰ゲームでバンジージャンプを飛ぶ直前、妻に?今から飛ぶ?と電話したらしい。

  • オフィスキューのタレント陣に言わせれば「社長が笑っている時ほど怖い時はない」と言う。また「状況がつかめないと突然キレ出す」とも言われている。鈴井も水曜どうでしょうで騙される大泉を見て、「僕なら多分怒るね」と話している。

  • どうでしょう祭でonちゃんにパンチをお見舞いしたところ、当たり所が悪く自分が骨折してしまった。

  • カナヅチだったが、西表島でのロケの際、若干泳げるようになった。しかし、その後プールに行った時に娘から?ビート板からやり直したら??と言われた。

  • 2005年12月23日、CUE初?の全国区スキャンダル??記事。女優奥菜恵と「今年8月ごろ知り合い交際に発展、下北沢での居酒屋デートが目撃される、奥菜から結婚を迫られている」という内容。しかしこの記事には矛盾点・疑問点が多く、突っ込みどころ満載。鈴井自らも12月27日、CUE公式サイト内「社長室DIARY」にて全面否定した。
    この話は当初、奥菜とNACSメンバー佐藤重幸のスキャンダルとして流れ始めたが、その後違う媒体で記事になった際には鈴井の名前にすりかわっていた。話題性を狙う上での知名度やハクの問題か。ちなみに佐藤との関係も事実無根と、後日ラジオにて弁明された。この件に関して大泉洋は、事務所で全国区知名度No.1の自分がなぜ挙がらないのかと悔しがったらしい。

  • 自身の映画に起用した女優からは、撮影中は尊敬されるものの、撮影後に水曜どうでしょうなどを見てしまって、「ミスター!」と指を指して笑われたり(中村麻美)、「もう監督と呼べない!」(三輪明日美)と言われてしまう。

  • 甘いものが苦手なのだが、「水曜どうでしょう」で、自身が番組中に企画に対して怒ったため、その機嫌を直すという名目で岡山のきびだんごをわざと喜んで食べた。そこから「鈴井は甘い物好き」という設定になってしまった。そのため、事あるごとに甘いものを食べさせられることになり、番組ではこれを「ミスターの生き地獄」と呼び、テロップまで用意した。特に1997年のヨーロッパ21カ国完全制覇では、半分アーモンドで、半分砂糖のようなマルチパン|マジパンというものをいくつも食べさせられ、撃沈したり、藤村ディレクターが無類の甘い物好きということも重なって日本全国の甘い物を食べて藤村ディレクターと対決する「水曜どうでしょうの企画#対決列島〜the battle of sweets〜|対決列島」という企画を勝手に立ち上げられた。しかし、番組初期ジュースを飲むシーンなどもあり本当に甘いものが苦手なのかは不明である。
    甘いものと同様にマヨネーズも苦手。アラスカでは大泉の「オーロラソース」に苦しめられた。

  • しかしソフトクリームは好物。甘くないさっぱりとした牛乳らしいものが好き。

  • 音尾と同様にバイクに乗ってそこらじゅうを走るのが好きである。バイクの走り初めはどっちが早いかで音尾と競い、見事自分が先に乗ったので「CUEのバイク王」と自らを称した。ちなみにバイクの買い取りをしているお店とは無関係である。ドラバラ鈴井の巣(マッスルボディは傷つかない)でも、佐藤重幸がバイクに乗れないため、バイクのシーンは鈴井が行っている。
    鈴井貴之のロケハン。」では、愛車のBMW R1200Cに乗り各地のロケ地を訪ねた。

  • 水曜どうでしょうDVD第7弾前枠後枠収録時には韓国から帰ってきて仕事がラジオのレギュラー(しかも1本だけ)のため「自分はCUEから干されている」と言い放った。

  • 昔は、テレビに対する姿勢が人一倍強く、「テレビに出演することは仕事である」をモットーに出演していたため、大泉はよく説教されたことがある。「水曜どうでしょう」の企画「水曜どうでしょうの企画 (海外)#ヨーロッパ21ヶ国完全制覇|ヨーロッパ21ヶ国完全制覇」内でも「(企画の主旨であるヨーロッパを)21ヵ国回ることができなかったら、番組を辞める」と並々ならぬ決意を表明していた。また、同番組では「合宿」と呼ばれる強行スケジュールがしばしば行われたりと、「記録や感動」をテレビを通じて、残したかったようである。(水曜どうでしょうDVD第7弾副音声から)

  • このように「水曜どうでしょう」番組開始当初は
    ・大泉がまだ現役の大学生であったこと
    ・藤村DがHTB本社制作部に異動したばかりであったこと
    ・嬉野Dが北海道に来てまだ半年しかたっていなかったこと
    :などの理由からほとんど鈴井だけがしゃべっていたという状態であったが、次第に大泉がテレビ馴れし鈴井以上にしゃべりだし、さらには藤村Dまでもがしゃべりだしたため、番組終了の頃には鈴井はほとんどしゃべらない状態になっていた。

  • 2006年度のゆうばり国際ファンタスティック映画祭の開催中止を伝える民放キー局のニュースの中で、地元北海道出身の映画監督として、鈴井の開催中止を惜しむコメントが流された。



    関連項目


  • CREATIVE OFFICE CUE (社長を務める会社)

  • 大泉洋(所属の看板タレント)

  • 大下宗吾(所属のローカルタレント)

  • 藤尾仁志(オクラホマ (お笑い)|オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 河野真也(オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 音尾琢真(所属のローカルタレント)

  • 川島直樹(所属のローカルタレント)

  • 北川久仁子(所属のローカルタレント)

  • 小橋亜樹(所属のローカルタレント) 

  • 佐藤重幸(所属のローカルタレント)

  • 宮崎奈緒美(所属のローカルタレント) 

  • 森崎博之(所属のローカルタレント)

  • 安田顕(所属のローカルタレント)   

  • 北海道テレビ放送 (企画?出演している番組が多い、北海道のローカルテレビ局)

  • 藤村忠寿 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうチーフ・ディレクター)

  • 嬉野雅道 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうカメラ担当ディレクター)

  • ELLEGARDEN(ファンである)

  • 放送作家

  • 脚本家




    外部リンク


  • CREATIVE OFFICE CUE オフィシャルサイト

  • JTB北海道

  • 北海道テレビ:HTB online

  • AIR-G'・エフエム北海道
    KING GO?I?S(ゴイス)

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    2006年11月11日

    映画監督[那須博之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    那須博之



    那須 博之(なす ひろゆき、1952年1月27日 - 2005年2月27日)は、東京都出身の日本の映画監督。東京都立西高等学校、東京大学経済学部卒業後、日活に助監督として入社。1982年に『ワイセツ家族 母と娘』で監督デビュー。
    肝臓がんのため53歳で死亡。妻は脚本家の那須真知子。



    主な監督作品


  • ワイセツ家族 母と娘(1982年)

  • セーラー服・百合族2(1983年)

  • セーラー服 百合族(1983年)

  • 姉日記(1984年)

  • ルージュ(1984年)

  • ヴァージンなんか怖くない(1984年)

  • 美少女プロレス 失神10秒前(1984年)

  • タブーX倒錯(1985年)

  • ビー・バップ・ハイスクール(1985年)

  • 紳士同盟(1986年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)

  • 新宿純愛物語(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲(1987年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇(1988年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭(1988年)

  • 右曲がりのダンディー(1989年)

  • 代打教師 秋葉、真剣です!(1991年)

  • ろくでなしBLUES(1996年)

  • 地獄堂霊界通信(1996年)

  • 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT4(1998年)

  • 新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3(1998年)

  • あばれブン屋(1998年)

  • 実録外伝 武闘派黒社会(1999年)

  • ピンチランナー (映画)|モー娘。走る! ピンチランナー(2000年)

  • デビルマン (映画)|デビルマン(2004年)


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    2006年11月10日

    映画監督[小林正樹]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小林正樹



    小林 正樹(こばやし まさき)
    ・映画監督。本文で解説。
    ・テレビ演出家。1とは無関係。----
    小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 1996年10月4日)は昭和期の映画監督。北海道小樽市に会社員の息子として生まれる。大女優田中絹代の従弟に当たる。早稲田大学文学部哲学科で会津八一に東洋美術を学ぶ。1941年、松竹大船撮影所助監督部に入社する。入社試験に際しては、親しい間柄であった田中絹代に紹介を頼んだが、「映画界は実力がなければ通用しない」と諭され、田中の縁者であることを隠し通したという。まもなく応召されるが、1946年復員。木下恵介監督につく。1952年、『息子の青春』で監督デビューする。以降、松竹で庶民の生活を叙情豊かに描いた作品を撮る。1959年から3年間かけて、五味川純平の長編『人間の條件』を映画化し、6部作、9時間38分の超大作に仕上げた。この作品は、戦争が個人を圧殺していく不条理を描いて評判となり、毎日芸術賞、ベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、毎日映画コンクール日本映画賞などを受賞する。1962年には、橋本忍の脚本を得て、初の時代劇『切腹』(原作は滝口康彦「異聞浪人記」)を撮� $j!"L>4FFD$N:B$r3N8G$?$k$b$N$H$9$k!#F1:n$G%+%s%L1G2h:WHcI>2HO"LA>^$r^$7$?!#<+$i$N@oAhBN83$+$i;~Be$KK]O.$5$l$k?M4V$NHa7`$rC0G0$KIA$/;Q@*$O!":G8e$N4FFD:nIJ$H$J$C$?O"9g@V73;v7o$rBj:`$K$7$?1_COJ8;R86:n$N!X?)Bn$N$J$$2H!Y$^$G4S$+$l$F$$$k!#$^$?!"6KEl9q:]73;v:[H=$N7P0^$H!"$=$N0UL#$r%I%-%e%a%s%?%j!<%U%#%k%`Cf?4$K$^$H$a$?!XEl5~:[H=!Y$N@=:n$b!"FCI.$5$l$k$Y$-$@$m$&!#1969年、黒澤明、木下恵介、市川崑と四騎の会(よんきのかい)を結成。小林正樹が、この会の仕事として手がけたのが、井上靖の原作を映画化した『化石』(主演:佐分利信、岸惠子)である。小林正樹は、従姉である大女優?田中絹代に対する思い入れが強く、その功績を後世に残さなければならないと考えていた。1985年に小林自身が病気で倒れた際には急遽、彼の働きで毎日映画コンクールに田中絹代賞が創設され、日本映画界の発展に貢献した女優に授与されることとなった。彼の没後は、絹代の出生地であり墓がある山口県押 <4X;T$KKdAr$5$l$F$$$k!#



    監督作品


  • 息子の青春(1952年)

  • まごころ(1953年)

  • この広い空のどこかに(1954年)

  • 三つの愛(1954年)

  • 美わしき歳月(1955年)

  • 壁あつき部屋(1956年)

  • あなた買います(1956年)

  • 泉(1956年)

  • 黒い河(1956年)

  • 人間の條件・第一・第二部(1959年)

  • 人間の條件・第三・第四部(1959年)

  • 人間の條件・完結篇(1961年)

  • からみ合い(1962年)

  • 切腹(1962年)

  • 怪談 (1964年映画)|怪談(1965年)

  • 上意討ち 拝領妻始末(1967年)

  • 日本の青春(1968年)

  • いのちぼうにふろう(1971年)

  • 化石(1975年)

  • 燃える秋(1978年)

  • 東京裁判 (1983年映画)|東京裁判(1983年)

  • 食卓のない家(1985年)


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    2006年11月09日

    映画監督[青山真治]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    青山真治



    青山 真治(あおやま しんじ、男性、1964年 - )は、映画監督、小説家。




    略歴

    福岡県北九州市出身。福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。『Helpless』で商業映画デビュー。地元の福岡県の田舎町を舞台にした。ジャン=リュック・ゴダール、神代辰巳、中上健次(小説家)などをリスペクトしている。
    監督作品『EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を授与した。
    『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。小説家としても知られ、自作のノベライズ小説『EUREKA』で三島由紀夫賞を授与されるなど、注目されている。
    尚、受賞作は、文藝評論家・福田和也の強い推薦で受けたものである。日本映画界きっての理論派として知られる反面、気性の激しい面を持ち合わせており、その言動がしばしば問題視される。かつては長髪がトレードマークだったが、ペドロ・コスタとの対談でやんわりと否定された後(それが原因かは分からないが)、短髪にする。大寺眞輔のDravidian Drugstore上において、メルマガ参入宣言。しかし未だ実現されていない。樋口泰人主催のboid内の日記において、翻訳家の柳下毅一郎に対し、理由もなく(本人が理由を公開していないため)批判を繰り返し、町山智浩との対談で「ストーカー」呼ばわりされたが、その後、和解済み。中原昌也との対談において「ピースな映像作家」を自称する中野裕之を、「あいつもクソですよ」と罵倒。高橋洋の公式ホームページ、ソドムの市におけるBBSにおいて、一部の投稿者の投稿に対し、「派閥前提でしかモノのいえないこのチンカス野郎!相手になってやるから今度どっかで俺を見かけたら名乗って来い。そん代わりはなっからガン殴りしてやるから覚悟しとけよ。」と本気で罵倒し、「素人相手� $K$=$3$^$G$d$k$N$O$$$+$,$J$b$N$+!W$HEj9Fk!Y$r!V%k%Q%s;0@$$NKAFB$@!W$HHsFq$7!"4d0f=SFs$K;j$C$F$O!"!V1G2h$G$O$J$$!#J83X$G$"$k!W$HHsFq!#5*N$C+OBL@$dKLBe$,$j$@$H;W$C$F$$$kGO


    監督作品


  • 『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 2005年

  • 『レイクサイド マーダーケース』 2004年

  • 『秋聲旅日記』 2003年

  • 『TRUNK』 2003年(Webシネマ)

  • 『軒下のならずものみたいに』 2003年

  • 『Noと言える刑事』 2003年 (オムニバス『刑事(デカ)まつり』)

  • 『なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子─天上の歌声』 2002年 (ドキュメンタリー)

  • 『名前のない森』 2002年 (テレビドラマシリーズ『私立探偵 濱マイク』第6話)

  • 『月の砂漠』 2001年

  • 『路地へ 中上健次の残したフィルム』 2000年 (ドキュメンタリー)

  • 『EUREKA ユリイカ』 2000年

  • 『EM エンバーミング』 1999年

  • 『シェイディー・グローヴ』 1999年

  • 『June 12 1998』 1999年 (ドキュメンタリー)

  • 『冷たい血 AN OBSESSION』 1997年

  • 『WiLd LIFe jump into the dark』 1997年

  • 『チンピラ』 1996年

  • 『我が胸に凶器あり』 1996年 (オリジナルビデオ)

  • 『Helpless』 1996年

  • 『教科書にないッ!』 1995年 (オリジナルビデオ)



    著書


  • 『EUREKA』

  • 『Helpless』

  • 『われ映画を発見せり』 (映画評論集)

  • 『ホテル・クロニクルズ』講談社、2005年

  • 『死の谷'95』講談社、2005年



    外部リンク


  • Shinji Aoyama (IMDb)

  • 青山真治 (allcinema ONLINE)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年11月08日

    映画監督[増村保造]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    増村保造



    増村 保造(ますむら やすぞう、1924年8月25日 - 1986年11月23日)は日本の映画監督。



    概要

    山梨県甲府市出身。旧制第一高等学校 (旧制)|第一高等学校、東京大学法学部とエリートコースを進む。東大法学部時代の知人に三島由紀夫がいる。1947年、大映に助監督として入社。東京大学文学部哲学科に再入学。1952年、イタリア留学。帰国後、溝口健二や市川崑の助監督として参加。1957年、『くちづけ』で監督デビュー。監督第二作「青空娘」より若尾文子とタッグを組み、『妻は告白する』『清作の妻』『「女の小箱」より夫が見た』『赤い天使』などの佳作にして重要な作品群を残す。また『兵隊やくざ』『陸軍中野学校』と、それぞれ勝新太郎、市川雷蔵の大ヒットシリーズの第一作を監督し大映絶頂期を支えた。大映倒産後は、日本アート・シアター・ギルド|ATGで『大地の子守歌』『曽根崎心中』などを監督。また、勝新太郎の勝プロと組んで『新兵隊やくざ火線』といった後期代表作を手がける。70年代は大映テレビを中心に『ザ・ガードマン』、『赤い迷路』などの「赤いシリーズ」や『スチュワーデス物語』などのテレビドラマの演出・脚本を手がける。1980年、日本とイタリアの合作映画『エデンの園』を監督。� 1986年11月23日、脳内出血で死去。享年62。生涯で残した全57本の作品は、「強烈な自我を持ち、愛憎のためなら死をも厭わない個人主義」=ヨーロッパ的人間観に貫かれている。モダンで大胆な演出により、これまでにない新しい日本映画を創出した。



    監督作品


  • くちづけ(1957/大映東京)

  • 青空娘(1957/大映東京)

  • 暖流(1957/大映東京)

  • 氷壁(1958/大映東京)

  • 巨人と玩具(1958/大映東京)

  • 不敵な男(1958/大映東京)

  • 親不幸通り(1958/大映東京)

  • 最高殊勲夫人(1959/大映東京)

  • 氾濫(1959/大映東京)

  • 美貌に罪あり(1959/大映東京)

  • 闇を横切れ(1959/大映東京)

  • 女経 第一話 耳を噛みたがる女(1960/大映東京)

  • からっ風野郎(1960/大映東京)

  • 足にさわった女(1960/大映東京)

  • 偽大学生(1960/大映東京)

  • 恋にいのちを(1961/大映東京)

  • 好色一代男(1961/大映東京)

  • 妻は告白する(1961/大映東京)

  • うるさい妹たち(1961/大映東京)

  • 爛(1962/大映東京)

  • 黒の試走車(1962/大映東京)

  • 女の一生(1962/大映東京)

  • 黒の報告書(1963/大映東京)

  • 嘘(1963/大映東京)

  • ぐれん隊純情派(1963/大映東京)

  • 現代インチキ物語 騙し屋(1964/大映東京)

  • 「女の小箱」より 夫が見た(1964/大映東京)

  • 卍(1964/大映東京)

  • 黒の超特急(1964/大映東京)

  • 兵隊やくざ(1965/大映東京)

  • 清作の妻(1965/大映東京)

  • 刺青(1966/大映京都)

  • 陸軍中野学校(1966/大映東京)

  • 赤い天使(1966/大映東京)

  • 妻二人(1967/大映東京)

  • 痴人の愛(1967/大映東京)

  • 華岡青洲の妻(1967/大映京都)

  • 大悪党(1968/大映東京)

  • セックス・チェック 第二の性(1968/大映東京)

  • 積木の箱(1968/大映東京)

  • 濡れた二人(1968/大映東京)

  • 盲獣(1969/大映東京)

  • 千羽鶴(1969/大映東京)

  • 女体(1969/大映東京)

  • でんきくらげ(1970/大映東京)

  • やくざ絶唱(1970/大映東京)

  • しびれくらげ(1970/大映東京)

  • 遊び(1971/大映東京)

  • 新兵隊やくざ 火線(1972/勝プロ)

  • 音楽(1972/行動社=ATG)

  • 御用牙 かみそり半蔵地獄責め(1973/勝プロ)

  • 悪名 縄張荒らし(1974/勝プロ)

  • 動脈列島(1975/東京映画)

  • 大地の子守唄(1976/行動社=木村プロ)

  • 曽根崎心中(1978/行動社=木村プロ=ATG)

  • エデンの園 Giard dell 'Eden(1980/白信商事=オルソ・オリエンタル・コーポレーション)

  • この子の七つのお祝に(1982/松竹=角川春樹事務所)




    関連項目


  • 映画監督一覧

  • 日本の映画監督一覧



    外部リンク


  • 増村保造レトロスペクティブ

  • 日本映画データベース

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
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