2006年12月31日

映画監督[原田眞人]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
原田眞人




原田 眞人(はらだ まさと、1949年7月3日 - )は日本の映画評論家、映画監督である。静岡県沼津市生まれ。1949年7月3日、静岡県沼津市に生まれる。静岡県立沼津東高等学校卒業、東京写真専門学校中退。1972年1月から6月までロンドンに語学留学。
1973年からはロサンゼルスをベースに本格的な映画評論活動を始め、1979年『さらば映画の友よ インディアンサマー』で監督デビューする。1976年ジャーナリストの福田みずほと結婚。長女麻穂はヴァンクーヴァー在住。長男は俳優の遊人。
1987年、映画『フルメタル・ジャケット』の字幕翻訳を手がける。
2003年、映画『ラストサムライ』では俳優として参加。



監督作品


  • 『さらば映画の友よ インディアンサマー』(1979年)

  • 『ウインディー』(1984年)

  • 『盗写/250分の1秒』(1985年)

  • 『PARIS-DAKAR 15000 栄光への挑戦』(1986年)

  • 『おニャン子ザ・ムービー 危機イッパツ!』(1986年)

  • 『さらば愛しき人よ』(1987年)

  • 『ガンヘッド』(1989年・SF映画 主演高嶋政宏)

  • 『ペインテッド・デザート』(1994年)

  • 『KAMIKAZE TAXI』(1995年)

  • 『トラブルシューター』(1995年)

  • 『栄光と狂気』(1996年)

  • 『バウンス ko GALS』(1997年)

  • 『金融腐蝕列島 呪縛』(1999年)

  • 『狗神 INUGAMI』(2001年)

  • 『突入せよ! あさま山荘事件』(2002年)

  • 『自由恋愛』(2006年)

  • 『魍魎の匣』(2007年)



    出演作品


  • 『ラストサムライ』(2003年、アメリカ・ニュージーランド・日本合作)「大村」役

  • 『SPIRIT』 (2006年、香港・アメリカ合作) 「ミスター三田」役



    翻訳


  • 『栄光と狂気』(1996年)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL


  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月30日

    映画監督[村上龍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    村上龍




    村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は長崎県佐世保市出身の日本の小説家、映画監督。本名は、村上 龍之助(- りゅうのすけ)。



    来歴


  • 佐世保市立御船小学校卒業。

  • 佐世保市立光海中学校卒業。

  • 1970年、長崎県立佐世保北中学校・高等学校|長崎県立佐世保北高等学校卒業。

  • 1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。1976年に、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞。無気力な青年・リュウが乱交と麻薬に明け暮れる日常を激しくやる瀬無く描く。『限りなく透明に近いブルー』は2005年現在までに単行本131万部、文庫本を含めると350万部以上の大ベストセラーになった。同年7月に同作で、第75回芥川龍之介賞を受賞。
    : 選考会では2時間に渡る侃々諤々の大論戦が勃発。丹羽文雄、井上靖、吉行淳之介、中村光夫が支持、永井龍男と滝井孝作が猛反発。安岡章太郎は半票を投じ 4.5対2 で過半数を獲得した村上が受賞した。1977年に大学を中退。1980年に、コインロッカー乳児遺棄事件をモチーフにした書き下ろし大作『コインロッカー・ベイビーズ』を発表。1980年代には村上春樹と共に「W村上」と称されたこともあるが、もとより2人は縁戚関係に無く、仕事の上でも世間で一般的に言われるほどには共通点もない。こうした呼称が出てきた背景には、双方のファンを刺激して著作に対する需要を拡大したいという出版者側の思惑があったようである。1999年より、金融・経済を中心に論議し本質的な疑問を提示するための新たなメディアとして、メールマガジンのJMMを主宰・編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵本『あの金で何が買えたか』を発表。2004年に『13歳のハローワーク』を発表。大人の入口であり自由と可能性を持つ「13歳」に向け、現実世界への入口となる「仕事・職業」に好奇心を察 }$AC55a$K8~$+$&$3$H$r0U?^!#@^$7$b!V%K!<%H!W$J$k?7$7$$O+F/7P:Q3XE*$Je7r


    評価・批評




    [限りなく透明に近いブルー]

    埴谷雄高、井上光晴両選考委員に激賞された。奥野健男は「全く新しいスタイルの文学の登場。エモーショナルな感覚は流石」と好意的な批評。対して江藤淳は「現代日本文学のサブカルチャー化、即ち退廃の象徴。絶対に認めないし許さない」と批評し厳しく非難した。それとは別に江藤は古典的な文壇から酷評された、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を賞賛したが、こちらも日本文学が「サブカルチャー化」する上での起爆剤となった。江藤が田中の作品を支持したのは、村上の作品に著しく欠落していた日本的情緒を評価したからであると、社会学者の宮台真司などは指摘している。要するに村上作品の文学的特徴は一切の情緒を排除した記号性に象徴されるというわけである。別の観点からすると、江藤は何の恥じらいもなく「アメリカに尻尾を振る犬」を村上作品の中に見たとも言える。一方、芥川賞選考委員だった吉行淳之介は「因果なことに才能がある」と作品そのものよりも、村上の将来を買ったような名文句を残している。ただし論壇や文壇の評価を別とすれば、当時の評価は二点でまとめられる。一つは当時としては過剰な性的表現である。ほとんどグロに近いポル\xA1 %NE*$JI=8=$,OCBj$r8F$s$@!#$b$&0l$D$O@6?7$J;mE*I=8=$G$"$k!#99%は退屈な表現でも、1%のみずみずしい表現が、若々しい詩的な感動を呼んだ。作品を支持する読者は、作者がこの方面で才能を伸ばすことを期待した。しかしながらその期待は裏切られた。作者は詩的な清新さよりもグロの方面で、おのれの表現技術を磨いていった。それに落胆する人もいるし、それを評価する人もいる。


    [あの金で何が買えたか]

    福田和也は「1990年代最後の年になって、今更バブルの告発本を出して何になるのだ」と厳しく批評。しかし、本書はバブルをネタにした童話であり、文学の一種である。



    受賞歴


  • 1976年 - 『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞、第75回芥川龍之介賞。

  • 1981年 - 『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞。

  • 1996年 - 『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞。

  • 1998年 - 『インザ・ミソスープ』で読売文学賞小説賞。

  • 2000年 - 『共生虫』で第36回谷崎潤一郎賞。

  • 2005年 - 『半島を出よ』で第58回野間文芸賞、第59回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)W受賞



    著作




    [''1976-1980'']


  • 『限りなく透明に近いブルー』, 講談社, 1976年7月14日初版.

  • 『海の向こうで戦争が始まる』, 講談社, 1977年6月24日初版.

  • 『中上健次vs村上龍 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて』(対談), 角川書店, 1977年6月(中上健次との共著).
      文庫版刊行時(角川書店, 1982年1月)に『ジャズと爆弾』へ改題

  • 『真昼の映像・真夜中の言葉 』(シナリオ・撮影日誌) , 講談社, 1979年1月.

  • 『コインロッカー・ベイビーズ』, 講談社, 1980年10月28日初版.


    [''1981-1985'']


  • 『ウォーク・ドント・ラン』(対談), 講談社, 1981年7月(村上春樹との共著).

  • 『芥川賞全集 第11巻 (11) 』, 文藝春秋, 1982年12月.

  • 『だいじょうぶマイ・フレンド』, 集英社, 1983年2月10日初版.

  • 『絵本 だいじょうぶマイ・フレンド』(絵本), 集英社, 1983年3月(絵:吉田カツ).

  • 『メイキング オブ だいじょうぶマイ・フレンド』(シナリオ、撮影日誌ほか), CBSソニー出版, 1983年4月.

  • 『悲しき熱帯』(短篇集), 角川書店(文庫), 1984年9月10日初版.
      1988年8月単行本化の際に『Summer in the city』と改題

  • 『テニスボーイの憂鬱』, 集英社, 1985年3月25日初版.

  • 『ビートルズってなんだ?―53人の"マイ・ビートルズ"』, 講談社, 1984年9月.

  • 『アメリカン★ドリーム』(エッセイ), 講談社(文庫), 1985年10月.

  • 『EV.Cafe 超進化論』(鼎談集), 講談社, 1985年11月(坂本龍一と共著).


    [''1986-1990'']


  • 『POST(ポップアートのある部屋)』(短篇集), 講談社, 1986年3月27日初版.

  • 『走れ!タカハシ』(短篇集), 講談社, 1986年5月20日初版.

  • 『ニューヨーク・シティ・マラソン』(短篇集), 集英社, 1986年10月25日初版.

  • 『すべての男は消耗品である。』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1987年8月.

  • 『69 sixty nine』, 集英社, 1987年8月10日初版.

  • 『愛と幻想のファシズム』, 講談社, 1987年8月20日初版.

  • 『テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド』(エッセイ), 講談社, 1987年9月.

  • 『トパーズ』(短篇集), 角川書店, 1988年10月5日初版.

  • 村上龍料理小説集』(短篇集)集英社, 1988年10月10日初版.

  • 『Ryu's Bar 気ままにいい夜』(同TV番組での対談集), 講談社, 1988年11月.(著:村上龍&Ryu's Barスタッフ)

  • 『快楽のテニス講座』(テニス解説書), 講談社, 1988年11月.

  • 『友達のラ リ ル レ ロ』(絵本), 角川書店(KADOKAWA GREETING BOOKS), 1989年2月.

  • 『ビッグ・イベント』(エッセイ), 講談社, 1989年5月.

  • 『ラッフルズホテル』, 集英社, 1989年9月13日初版.

  • 『シナリオ ラッフルズホテル』(シナリオ、撮影日誌), 集英社(文庫), 1989年9月.(著:村上龍、野沢尚)

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.2』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1990年5月.


    [''1991-1995'']


  • 『コックサッカーブルース』, 小学館, 1991年5月1日初版.

  • 『恋はいつも未知なもの』(短篇集), 朝日新聞社, 1991年5月1日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1976〜1981』(エッセイ), 講談社(文庫), 1991年5月.

  • 村上龍全エッセイ 1982〜1986』(エッセイ), 講談社(文庫), 1991年8月.

  • 『超電導ナイトクラブ』, 講談社, 1991年9月30日初版.

  • 『シボネイ-遥かなるキューバ』(CDブック), 主婦の友社, 1991年10月.

  • 『世界をボクらの遊び場に』(対談集), 講談社, 1991年11月.

  • 村上龍全エッセイ 1987〜1991』(エッセイ), 講談社(文庫), 1991年12月.

  • 『トパーズの誘惑』(シナリオ、対談ほか), 角川書店, 1992年2月.

  • 『イビサ』, 角川書店, 1992年3月5日初版.

  • 『長崎オランダ村』, 講談社, 1992年3月25日初版.

  • 『龍言飛語』(エッセイ), 集英社, 1992年4月.

  • 『友よ、また逢おう』(坂本龍一との往復書簡), 角川書店, 1992年8月.

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.3』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1992年10月.

  • 『セビロとルージュと秘密の手紙』(短篇+ポストカード), 角川文庫, 1992年11月.

  • 『エクスタシー』, 集英社, 1993年1月25日初版.

  • 『フィジーの小人』, 角川書店, 1993年3月25日初版.

  • 『368Y Par4 第2打』, 講談社, 1993年5月15日初版.

  • 『「普通の女の子」として存在したくないあなたへ。』(エッセイ), マガジンハウス, 1993年6月.

  • 『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』(キューバ音楽ガイド), 新潮社, 1993年7月.

  • 『音楽の海岸』, 角川書店, 1993年7月4日初版.

  • 『十七粒の媚薬』, 角川書店, 1993年7月.

  • 『最新対論-神は細部に宿る』(椹木野衣との対談), 新浪漫社, 1994年1月.

  • 『昭和歌謡大全集』, 集英社, 1994年3月23日初版.

  • 『五分後の世界』, 幻冬舎, 1994年3月27日初版.

  • 『贅沢な恋人たち』, 幻冬舎, 1994年4月.

  • 『ピアッシング』, 幻冬舎, 1994年12月15日初版.

  • 『「超能力」から「能力」へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに』(対談), 講談社, 1995年5月(山岸隆との共著).

  • 村上龍映画小説集』(短篇集), 講談社, 1995年6月30日初版.

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.4』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1995年9月.

  • 『KYOKO』, 集英社, 1995年11月20日初版.

  • 『世紀末を一人歩きするために』(小説、エッセイからの引用集), 講談社, 1995年12月.


    [''1996-2000'']


  • 『あなたがいなくなった後の東京物語』(エッセイ), 角川書店, 1996年1月.

  • 『KYOKOの軌跡 神が試した映画』(シナリオ、撮影日誌ほか), 幻冬舎, 1996年3月.

  • 『モニカ-音楽家の夢・小説家の物語』(短篇集), 新潮社, 1996年3月15日初版.(著:坂本龍一、村上龍

  • 『或る恋の物語 エキゾチズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『Se fue彼女は行ってしまった ロマンチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『わたしのすべてを エロチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界?』, 幻冬舎, 1996年5月8日初版.

  • 『メランコリア』, 集英社, 1996年5月22日初版.

  • 『すてきなジェニファー』(絵本), 新書館, 1996年10月.(絵:山本容子)

  • 『ラブ&ポップ』, 幻冬舎, 1996年11月18日初版.

  • 『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』, 集英社, 1996年12月10日初版.

  • 『白鳥』(短篇集), 幻冬舎, 1997年3月6日初版.

  • 『オーディション』, ぶんか社, 1997年6月1日初版.

  • 村上龍自選小説集1 消費される青春』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集3 寓話としての短篇』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集4 破壊による突破』, 集英社, 1997年7月.

  • 『ストレンジ・デイズ』, 講談社, 1997年7月28日初版.

  • 『RYU'S倶楽部-「仲間」ではなく友人として』(対談集), 毎日新聞社, 1997年8月.

  • 村上龍自選小説集2 他者を探す女達』, 集英社, 1997年10月.

  • 『インザ・ミソスープ』, 読売新聞社, 1997年10月16日初版.

  • 『寂しい国の殺人』(エッセイ), シングルカット社, 1998年1月.

  • 『バイオテック・レイヤード』(CG画集), ピー・エヌ・エヌ, 1998年2月.

  • 村上龍 群像日本の作家』, 小学館, 1998年3月.

  • 『夢見るころを過ぎれば 村上龍vs.女子高生51人』(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月.

  • 『ライン』, 幻冬舎, 1998年8月20日初版.

  • 『憂鬱な希望としてのインターネット』(インタビュー), メディアファクトリー, 1998年9月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.5』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1998年10月.

  • 『ワイン一杯だけの真実』(短篇集), 幻冬舎, 1998年12月10日初版.

  • 『フィジカル・インテンシティ '97-'98season』(エッセイ), 光文社, 1998年12月.

  • 『寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ』(エッセイ), ビクターエンターテインメント・ビクターブックス, 1999年4月.

  • 村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』(対談集), 文芸春秋, 1999年6月(中上健次、他との対談).

  • 『あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー』(絵:はまのゆか), 小学館, 1999年8月.

  • 『フィジカル・インテンシティ 日本サッカーが初めて世界に曝された』, 光文社, 1999年10月.

  • 『JMM Vol.1 プロローグ 日本の選択した道』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『JMM Vol.2 雇用問題を考える 景気と個人の幸福感』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『奇跡的なカタルシス フィジカル・インテンシティ2』(エッセイ), 光文社, 1999年12月.

  • 『最前線 THE FRONT LINE』(対談集), ラインブックス, 1999年12月.

  • 『JMM Vol.3 通貨を語る 美しき為替市場の魔力』, NHK出版, 2000年1月.

  • 『誰にでもできる恋愛』(エッセイ), 青春出版社, 2000年2月.

  • 『共生虫』, 講談社, 2000年3月20日初版.

  • 『ストレイト・ストーリー 』(絵:はまのゆか), 集英社, 2000年3月.

  • 『JMM Vol.4 財政危機のゆくえ ケインズの憂鬱』, NHK出版, 2000年3月.

  • 『JMM Vol.5 企業経営の未来 システムとコミュニケーションをめぐって』, NHK出版, 2000年4月.

  • 村上龍自選小説集5 戦争とファシズムの想像力』, 集英社, 2000年5月.

  • 村上龍自選小説集7 ドキュメントとしての小説』, 集英社, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.6 需要が足りない! 景気の循環を越えて』, NHK出版, 2000年5月.

  • 村上龍 失われた10年を問う』(JMM extra issue), NHK出版, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.7 IT革命のリアリティ 「価値」は「利益」に優先する』, NHK出版, 2000年6月.

  • 『世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails』(往復電子メール集), 日本放送出版協会, 2000年6月(藤木りえとの共著).

  • 村上龍自選小説集6 快楽と倦怠と死の独白』, 集英社, 2000年7月.

  • 村上龍自選小説集8 増殖し続ける細部』, 集英社, 2000年7月.

  • 『希望の国のエクソダス』, 文芸春秋, 2000年7月20日初版.

  • 『JMM Vol.8 教育における経済合理性 教育問題の新しい視点』, NHK出版, 2000年8月.

  • 『「希望の国のエクソダス」取材ノート』(インタビュー集), 文芸春秋, 2000年9月.

  • 『共生虫ドットコム』(ウェブ・ページ、対談ほか), 講談社, 2000年9月.(著:村上龍、Kyoseichu.com制作班)

  • 『JMM Vol.9 少年犯罪と心理経済学 教育問題の新しい視点2』, NHK出版, 2000年10月.

  • 『アウェー(敵地)で戦うために フィジカル・インテンシティ3』(エッセイ), 光文社, 2000年12月.

  • 『JMM Vol.10 金融の民主化 投資と希望と信頼』, NHK出版, 2000年12月.


    [''2001-現在'']


  • 『JMM Vol.11 ベンチャーキャピタル・新しい金融戦略 既得権益層を撃て!』, NHK出版, 2001年1月.

  • 『「教育の崩壊」という嘘』(対談集), 日本放送出版協会, 2001年2月.

  • 『タナトス』, 集英社, 2001年3月10日初版.

  • 『JMM Vol.12 所得再配分≠経済安定化 国家予算は誰のものか』, NHK出版, 2001年3月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.6』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2001年4月.

  • 『JMM Vol.13 若年労働者の危機 未来のあるフリータ− 未来のないフリーター』, NHK出版, 2001年5月.

  • 『THE MASK CLUB』, メディアファクトリー, 2001年7月13日初版.

  • 『ダメな女』(エッセイ), 光文社, 2001年8月.

  • 『おじいさんは山へ金儲けに 時として、投資は希望を生む』(絵:はまのゆか), 日本放送出版協会, 2001年8月.

  • 『最後の家族』, 幻冬舎, 2001年10月10日初版.

  • 編著『対立と自立 構造改革が生み出すもの』(対談ほか), 日本放送出版協会, 2001年10月.

  • 『eメールの達人になる』, 集英社(新書), 2001年11月.

  • 『収縮する世界、閉塞する日本 Post September eleventh』(対談), 日本放送出版協会, 2001年12月.

  • 『だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年1月.

  • 『悪魔のパス天使のゴール』, 幻冬舎, 2002年5月10日初版.

  • 『文体とパスの精度』(電子メール集), 集英社, 2002年5月(中田英寿との共著).

  • 『Mundial 2002世界標準を越えて フィジカル?インテンシティ4』(エッセイ), 光文社, 2002年5月.

  • 『円安+インフレ=夜明けor悪夢?』, 日本放送出版協会, 2002年6月.

  • 『熱狂、幻滅、そして希望2002 FIFA World Cupレポート フィジカル?インテンシティ5』(エッセイ), 光文社, 2002年8月.

  • 『恋愛の格差』(エッセイ), 青春出版社, 2002年10月.

  • 『マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年12月.

  • 『自殺よりはSEX 村上龍の恋愛・女性論』(エッセイ選), KKベストセラーズ, 2003年1月.

  • 『会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?』(座談集), 扶桑社, 2003年2月.

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第1集(金融・経済)』, 日本放送出版協会, 2003年3月 .

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第2集(世界の現状)』, 日本放送出版協会, 2003年3月.

  • 『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』(短篇集), 文芸春秋, 2003年4月25日初版.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.7』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2003年6月.

  • 『ポストマン MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN』, NHK出版, 2003年6月.

  • 『2days 4girls 2日間で4人の女とセックスする方法』, 集英社, 2003年8月10日初版.

  • 『13歳のハローワーク』(絵:はまのゆか), 幻冬舎, 2003年11月.

  • 『とおくはなれてそばにいて』, KKベストセラーズ, 2003年12月.

  • 『人生における成功者の定義と条件』, NHK出版, 2004年8月.

  • 『半島を出よ』, 幻冬舎, 2005年3月25日初版.

  • 『空港にて』, 文藝春秋, 2005年5月.

  • 『ハバナ・モード』(エッセイ、すべての男は消耗品である。 Vol.8), KKベストセラーズ, 2005年6月.

  • 村上龍文学的エッセイ集』, シングルカット社, 2006年1月.

  • 『シールド(盾)』(絵:はまのゆか), 幻冬舎, 2006年3月.

  • 『「個」を見つめるダイアローグ』, ダイヤモンド社, 2006年5月.

  • 『わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL』, 青春出版社, 2006年9月.

  • 『日本経済に関する7年間の疑問』, 日本放送出版協会, 2006年11月.

  • 『美しい時間』, KKベストセラーズ, 2006年11月(小池真理子との共著).

  • 『はじめての文学 村上龍』, 文藝春秋, 2006年12月.



    映像化作品


  • 1979年 - 限りなく透明に近いブルー(原作、脚本、監督)

  • 1983年 - だいじょうぶマイ・フレンド(原作、脚本、監督)

  • 1989年 - ラッフルズホテル(原作、監督) *原案:奥山和由、脚本:野沢尚

  • 1992年 - トパーズ(原作、脚本、監督)

  • 1996年 - KYOKO(原作、脚本、監督)

  • 1998年 - ラブ&ポップ(原作)

  • 2000年 - オーディション(原作)

  • 2001年 - 走れ!イチロー(原作『走れ! タカハシ』)

  • 2001年 - 最後の家族(原作、脚本) *連続テレビドラマ

  • 2002年 - 昭和歌謡大全集(原作)

  • 2004年 - 69 sixty nine(原作)



    出演番組


  • 1987年10月〜1991年3月 - Ryu's Bar 気ままにいい夜 TBS/毎日放送

  • 2000年5月 - NHKスペシャル インターネット・エッセイ 村上龍 '失われた10年'を問う NHK

  • 2001年1月 - Ryu's Barスペシャル21 TBS/毎日放送

  • 2004年1月 - NHKスペシャル 日本再生 ひとりからの出発 〜村上龍とリーダーたちの対話〜 NHK

  • 2006年4月 - 日経スペシャル カンブリア宮殿〜村上龍の経済トークライブ〜 テレビ東京



    キューバ音楽との関わり


  • キューバのミュージシャンの日本公演をプロデュースしている。(バンボレオ、NG・ラ・バンダなど。)また、自らのレーベル MURAKAMI's を作ってNG・ラ・バンダなどのCDを発売した。

  • キューバのミュージシャン「チャランガ・アバネーラ」を追った映画『ポプラル!』 (2005) でエクゼクティブ・プロデューサーを務める。[1



    インターネットでの活動




    [JMM]

    村上龍が編集長を務めるメールマガジン。特に経済分野に関して比重が大きい。執筆者は、冷泉彰彦、春具、アン・ヨンヒなど。書籍化もされている。


    [TOKYO DECADENCE]

    1997年6月6日、村上龍と坂本龍一がプロデュースして始まった、有料インターネット・サービス。



    エピソード


  • 母親は小学校教諭、父親は高校教諭。妹は北海道の農家に嫁ぐ。

  • 父親である村上新一郎による、息子に関する著作『龍がのぼるとき』がある。

  • 小学校のときに長編童話を丸暗記し、好きな女の子に聞かせて泣かせていた。

  • 本名の「龍之介」ではなく「龍」と言うペンネームを用いたのは、芥川龍之介と同じ名前では恐れ多いという理由から。

  • 処女作「限りなく透明に近いブルー」は改名後の作品名である。その前につけられていた作品の名前「クリトリスにバターを」では(露骨な性表現なため)発表できなかった。

  • 小説『69 sixty nine』のヒロイン、レディー・ジェーンのモデルは後に景山民夫と再婚した。

  • 高校時代、安保関連で、バリケード封鎖をしたために立ち入り禁止となっている。



    外部リンク


  • [http://ryumurakami.jmm.co.jp/ Japan Mail Media

  • TOKYO DECADENCE

  • 13歳のハローワーク 公式サイト

  • 悪魔と天使の瞬間 スポーツ報知のコラム


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月29日

    映画監督[若松孝二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    若松孝二



    若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年4月1日 - )は、日本の映画監督、プロデューサー。喧嘩が強い。




    人物
    宮城県遠田郡涌谷町出身。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働き、投獄されるなどを経験し「出所したら警官を殺す映画を作ってやる」と考えた事が映画監督となる動機と後に本人は語っている。
    テレビ映画の助監督時代には脚本の改変を求めたプロデューサーを殴り倒しその場で解雇されている。ただし助監督としてはかなり有能であった事も知られている。その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、63年にピンク映画『甘い罠』で映画監督としてデビュー。
    低予算ながらも圧倒的な迫力のある映像でピンク映画としては異例の集客力をみせた。若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容されヒット作を量産する。人間の根源的な要素であるエロスと暴力をテーマに据えた衝撃的な作風や、強度を持った豪快な演出、意表を付く設定などが特徴。後、自身の独立プロである若松プロダクションを立ち上げ、足立正生や大和屋竺などの有能な人材が集まる。100を超えるその先鋭的な作品群は政治の季節の学生たちに支持された為、公安からは常にマークされる。若松プロダクションの事務所は頻繁にガサ入れの対象になった。勿論映画関係の事務所では例のないことである。ただし本人は「運動は学生のお遊び」等と発言し、政治には取り立てて興味がない事を明言している。人間描写の追求の時代的反映として政治的題材を取り上げたものと考えられる。また、映画での利潤を足立正生の政治運動資金へ融通するなど、その破格の懐の広さと統率力でプロデューサーとしても日本映画界を支える働きをした。プロデュース作品としては、大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(67)、足立正生監督『女学生ゲリラ』(69)、大島渚監督『亜 &$N%3%j!<%@!Y(76)、神代辰巳監督『赤い帽子の女』(82)等があり海外での評価も非常に高い。
    なお現在も旺盛に創作活動を続け、近年には『完全なる飼育 赤い殺意』『17歳の風景 少年は何を見たのか』などの作品がある。
    さらに、次回作として連合赤軍をテーマにした作品『実録・連合赤軍』を準備中である。



    代表作


  • 『犯された白衣』(1967年)

  • 『腹貸し女』(1968年)

  • 『狂走情死考』(1969年)

  • 『処女ゲバゲバ』(1969年)

  • 『ゆけゆけ二度目の処女』(1969年)

  • 『現代好色伝 テロルの季節』(1969年)

  • 『天使の恍惚』 (1972年)

  • 『愛のコリーダ』(1976年)

  • 『水のないプール』(1982年)

  • 『寝盗られ宗介』(1992年)



    著書


  • 『俺は手を汚す』(ダゲレオ出版)

  • 『時効なし。』(ワイズ出版)



    外部リンク


  • 『実録・連合赤軍』制作委員会

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月28日

    映画監督[鈴井貴之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント?映画監督?構成作家。まれに「ハイパーメディアパーソナリティー」、「ハイパーメディアプレーヤー」と自称したり形容されたりする。愛称は「ミスター」。また、株式会社クリエイティブオフィスキュー の代表取締役社長も務める。



    概要

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。そのため2005年まで泳げなかった(鈴井貴之#その他|その他参照)。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きだった彼は、北海道赤平高等学校を経て北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団467パラシュート部隊」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるな\xA1 $I$N2a7c$J%7!<%s$,MpH/!#<+$i$NBN$KJ]81$r$+$1$?$[$I$N0UM_:n!#@i=)3Z$G$O1&
    posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月27日

    映画監督[塚本晋也]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    塚本晋也



    塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 - )は、日本の映画監督、俳優。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。自ら製作、監督、脚本、撮影、美術、編集から主演までこなす才人。中学時代から映画撮影を行い、1988年、『電柱小僧の冒険』がPFFアワードでグランプリを獲得。翌1989年、制作費1000万、4畳半のアパートで廃物のSFXと少数のスタッフで制作された『鉄男』は、ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを受賞。一般公開一作目にして、国際的な評価を獲得し、のちの海外映画祭における多数の日本映画評価への先鋒となった。(またこの作品は主演・田口トモロヲの映画俳優としての活動の足掛かりとなる)
    1997年、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。
    2003年公開『六月の蛇』は、ヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞受賞。演劇集団「海獣シアター」主宰。人の身体の変容と痛みにこだわり、暴力やエロティシズムなどの主題を得意とする作風ながら、物語は陰惨な結末を迎えず、ペーソスとユーモアを忘れない。鑑賞後の観客には、爽快感を、完璧な娯楽としての活劇を提供している。
    またほとんどの作品で、タッグを組む石川忠の音楽は、塚本の映画に不可欠な存在である。俳優としての評価も高く、自身の作品のみにとどまらず、多数の映画やドラマに個性的な演者として関わる事も多い。また、ナレーターとしても好評を得ている。



    監督作品


  • 蓮の花飛べ 1979

  • 普通サイズの怪人 1986

  • 鉄男 1989

  • ヒルコ/妖怪ハンター 1991

  • 鉄男・BODY HAMMER スーパー・リミックス・バージョン TETSUO II THE BODY HAMMER 1993

  • 東京フィスト 1995

  • バレット・バレエ 1999

  • 双生児-GEMINI- 1999

  • 六月の蛇 2003

  • ヴィタール 2004

  • 玉虫 2005

  • HAZE 2006

  • 悪夢探偵 2007年1月



    出演作品
    *鉄男(1989年)

  • 鉄男II BODY HAMMER(1992年)

  • 119 (映画)|119(1994年、竹中直人監督)

  • 我が人生最悪の時(1994年、林海象監督)

  • 東京日和(1997年、竹中直人監督)

  • 完全なる飼育(1999年、和田勉監督)

  • 溺れる人(2000年、一尾直樹監督)

  • さくや妖怪伝(2000年、原口智生監督)

  • Dead or Alive 2 逃亡者(2000年、三池崇史監督)

  • 殺し屋1(2001年、三池崇史監督)

  • 盲獣VS一寸法師(2001年、石井輝男監督)

  • クロエ(2001年、利重剛監督)

  • 連弾(2001年、竹中直人監督)

  • とらばいゆ(2002年、大谷健太郎監督)

  • 六月の蛇(2003年)

  • 稀人(2004年、清水崇監督)

  • 恋の門(2004年、松尾スズキ監督)

  • 生物彗星WoO(2006年、NHK・円谷プロダクション制作)2002年第57回毎日映画コンクール男優助演賞受賞。



    外部リンク


  • 塚本晋也

  • 日本映画データベース

  • Shinya Tsukamoto


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月26日

    映画監督[若松孝二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    若松孝二



    若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年4月1日 - )は、日本の映画監督、プロデューサー。喧嘩が強い。




    人物
    宮城県遠田郡涌谷町出身。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働き、投獄されるなどを経験し「出所したら警官を殺す映画を作ってやる」と考えた事が映画監督となる動機と後に本人は語っている。
    テレビ映画の助監督時代には脚本の改変を求めたプロデューサーを殴り倒しその場で解雇されている。ただし助監督としてはかなり有能であった事も知られている。その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、63年にピンク映画『甘い罠』で映画監督としてデビュー。
    低予算ながらも圧倒的な迫力のある映像でピンク映画としては異例の集客力をみせた。若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容されヒット作を量産する。人間の根源的な要素であるエロスと暴力をテーマに据えた衝撃的な作風や、強度を持った豪快な演出、意表を付く設定などが特徴。後、自身の独立プロである若松プロダクションを立ち上げ、足立正生や大和屋竺などの有能な人材が集まる。100を超えるその先鋭的な作品群は政治の季節の学生たちに支持された為、公安からは常にマークされる。若松プロダクションの事務所は頻繁にガサ入れの対象になった。勿論映画関係の事務所では例のないことである。ただし本人は「運動は学生のお遊び」等と発言し、政治には取り立てて興味がない事を明言している。人間描写の追求の時代的反映として政治的題材を取り上げたものと考えられる。また、映画での利潤を足立正生の政治運動資金へ融通するなど、その破格の懐の広さと統率力でプロデューサーとしても日本映画界を支える働きをした。プロデュース作品としては、大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(67)、足立正生監督『女学生ゲリラ』(69)、大島渚監督『亜 &$N%3%j!<%@!Y(76)、神代辰巳監督『赤い帽子の女』(82)等があり海外での評価も非常に高い。
    なお現在も旺盛に創作活動を続け、近年には『完全なる飼育 赤い殺意』『17歳の風景 少年は何を見たのか』などの作品がある。
    さらに、次回作として連合赤軍をテーマにした作品『実録・連合赤軍』を準備中である。



    代表作


  • 『犯された白衣』(1967年)

  • 『腹貸し女』(1968年)

  • 『狂走情死考』(1969年)

  • 『処女ゲバゲバ』(1969年)

  • 『ゆけゆけ二度目の処女』(1969年)

  • 『現代好色伝 テロルの季節』(1969年)

  • 『天使の恍惚』 (1972年)

  • 『愛のコリーダ』(1976年)

  • 『水のないプール』(1982年)

  • 『寝盗られ宗介』(1992年)



    著書


  • 『俺は手を汚す』(ダゲレオ出版)

  • 『時効なし。』(ワイズ出版)



    外部リンク


  • 『実録・連合赤軍』制作委員会

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月25日

    映画監督[浜村淳]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    浜村淳




    浜村 淳(はまむら じゅん、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、パーソナリティ、映画評論家、司会者。本名、塩浜 真(しおはま まこと)。京都府京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。毎日放送|MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティ|パーソナリティーを30年以上担当している。所属事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。



    来歴・人物

    「さてみなさん」(みにアクセント)のフレーズでもお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、毎日放送|MBSの「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。また映画解説でも水野晴郎の様に高い評価を得ている。彼の映画解説はとても独特で、映画の内容を詳細にわたって関西弁丸出しで熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうほど勢いのある物である。これから映画を観ようとする人にとって「観る前にストーリーを明かされた」と思わせるほど、ストーリーを理解している。アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れるなどの特徴がある。解説はあらかじめ用意された台本などを読んでいるのではなく、完全なアドリブである。これらのことから彼の映画解説は映画ファンのみならず多くのラジオファンからも熱烈に支持\xA1 $5$l$F$$$k!#$=$l$O$b$O$dC1$J$k2r@b$N0h$r1[$(!"$R$H$D$N7]$H8+$J$5$l$F%3%s%Q%/%H%G%#%9%/|CD化もなされている。新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しや連呼が使われ、そのとき出てくる言葉にちなんだネタ(映画に関するものが多い)が出てくるなど、豊富な教養を駆使して「遠回りしながら」の解説が多い。映画に極めて詳しい一方で芸能関係では、年配の芸能人には詳しいが若手芸能人には詳細に踏み込まず、知識不足を露呈することがある。上岡龍太郎のしゃべくりの師としても知られる。ディベートの巧みさに関しても筆舌しがたい技術を持っている。かつて「最後の晩餐_(テレビ番組)|最後の晩餐」というテレビ番組で、出演者の日頃の言動に対する視聴者からのお叱りのはがきを読むコーナーがあり、浜村に対しては「映画解説の内容に嘘がある」という内容のクレームが届いていた。他の出演者は軒並み平謝りだったのに対して浜村は、「なぜ、私の映画解説に『嘘』があるという噂が立ったのか。それはおすぎが言ったのです。おすぎがラジオで『浜村さんは脚色している』という噂を流したのです!!」と言い切って、出演者の中で諭 #0l?M%/%l!<%`$r8@$$Ii$+$7$?$H$$$&%(%T%=!<%I$,$"$k!#@1:B$O;3MS:! B!"7l1U7 ?$OA型。阪神タイガースの吉田義男元監督、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、MBSアナウンサーの野村啓司は、高校の後輩である。また、オリコン創業者で前社長の小池聰行(故人)とは大学の同じゼミナールに所属していた。東京の渡辺プロ所属時代は一生懸命東京弁を覚えたりとかの苦労も味わったものの、事務所の後輩であるザ・ピーナッツ達と同様、渡辺晋社長宅に下宿しながら司会業をこなしていた。今でも関西の古いバンドマン・シンガーからは、本名をもじった「まこチャン」と呼ばれることがある。「人に年齢を尋ねるのは無粋」とのポリシーから、人に年齢を聞かないと同時に自らの年齢についても進んでは語らない。ラジオで年齢を言うときは決まって38歳である。人から年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」とだけ答える。相手がなおも「アラン・ドロンっていくつでしたっけ」と聞いてくる場合は、「私と同じです」と答えるのである。2006年、徳川夢声市民賞を受賞。授賞式と記念講演は12月10日に益田市で行われる。



    作品




    [ アルバム ]


  • 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)

  • 甦る心の名画座(2004年)



    出演




    [ テレビ番組 ]


  • ゲームホントにホント(1975年〜1981年、日本放送協会|NHK総合テレビ)

  • 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ放送|関西テレビ)

  • かんさい珍版・瓦版(毎日放送テレビ)

  • 上方漫才まつり(毎日放送テレビ)

  • シェフにおまかせ!(1981年〜1983年、毎日放送テレビ)

  • 最後の晩餐 (テレビ番組)|最後の晩餐(2000年〜2002年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • 2時のワイドショー(1979年〜1992年、よみうりテレビ)

  • 浜村淳の大阪夢散歩(関西テレビ)

  • 全日本有線放送大賞(1968年〜1991年、よみうりテレビ)

  • 夕やけニャンニャン(1985年〜1987年、フジテレビ)

  • 映画へようこそ (毎日放送)|映画へようこそ・解説(毎日放送テレビ)

  • 健康手帖(テレビ大阪)


    [ ラジオ ]


  • ヒットでヒット!バチョンと行こう→サタデーバチョン(〜1991年、大阪放送|ラジオ大阪)

  • ありがとう浜村淳です(1974年〜、毎日放送|MBSラジオ)

  • 浜村淳の日曜夢語り(〜2006年、MBSラジオ)

  • 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4〜9月、MBSラジオ)

  • 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月〜MBSラジオ)

  • かんさい土曜ほっとタイム(1995年〜、日本放送協会|NHKラジオ第一、第4土曜日のみ出演)

  • お待たせしました 浜村淳です! (TBSラジオ)

  • 古今東西 浜村淳! (TBSラジオ)

  • ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム(TBSラジオ)  ※金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。

  • MBSヤングタウン|ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年〜1992年、毎日放送ラジオ)

  • 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク


    [ 映画 ]


  • ビリケン(1996年、シネカノン)

  • PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演


    [ CD ]


  • 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)

  • ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)


    [ CM ]


  • 恩地食品

  • リクルート 週刊就職情報

  • イズミヤ



    書籍


  • 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)

  • 星影の飛鳥(1989年、羊書桝f人社])

  • 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)

  • 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ[青心社])

  • 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)

  • さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)

  • 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)



    ゲーム


  • 大幽霊屋敷(だいおばけやしき)〜浜村淳の実話怪談〜(プレイステーション、1998年、ヴィジット)



    備考


  • 芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。

  • ユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、関西では「浜村淳は連れて行かない」というテレビCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが、「何でですねん?」と問い返すという内容)。オープン後、彼が初めてUSJに行く模様が毎日放送テレビのバラエティ番組で実況中継された。



    外部リンク


  • 昭和プロダクション(所属事務所のホームページ)

  • MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月24日

    映画監督[豊田利晃]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    豊田利晃



    豊田 利晃(とよだ としあき、1969年 - )は、大阪府東大阪市出身の映画監督。9歳から17歳まで新進棋士奨励会に所属(奨励会の同期に林葉直子らがいる)。その時の体験をもとに、阪本順治監督『王手』の脚本を書き上げ、映画界にデビュー。1998年には『ポルノスター』を初監督(千原ジュニア|千原浩史主演)。その年の日本映画監督協会新人賞を受賞。その後、4人の実在のボクサーを5年間追い続けた映像をまとめた『アンチェイン』、松本大洋の人気コミックを映像化し、松田龍平、新井浩文主演として、ミニシアター系では異例のヒットを飛ばした『青い春』、9人の脱獄犯を見事に描いた『ナイン・ソウルズ』と、優れた作品を発表し続けている。最新作は、直木賞作家角田光代の原作で、主演に小泉今日子を迎えた『空中庭園』(2005年10月公開)。2005年8月24日、覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕。



    作品

  • ポルノスター(デビュー作)

  • アンチェイン

  • 青い春

  • ナイン・ソウルズ

  • 空中庭園(2005年10月公開。なお、上記の事件(覚醒剤所持)による逮捕に伴って配給元のアスミック・エースは公開の延期か中止かという判断を迫られたものの、最終的に公開が決定。)



    CM


  • 鬼武者2(カプコン)

  • アミノサプリ(キリンビバレッジ)



    PV


  • サイレン (ASIAN KUNG-FU GENERATION)

  • 君という花 (ASIAN KUNG-FU GENERATION)

  • あと10秒で(ART-SCHOOL)

  • 発光(ROSSO)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月23日

    映画監督[宮崎駿]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    宮崎駿




    宮崎 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校、学習院大学政治経済学部卒。株式会社スタジオジブリ(所在地:東京都小金井市梶野町1425)に映画監督として所属し、取締役として経営にも参加している。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は株式会社二馬力で、主に宮崎の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。血液型はO型。




    来歴




    [ 初期 ]

    宮崎駿は、親類の経営する「宮崎航空興学」の役員を父親が務めていたことから、太平洋戦争中であっても、何不自由なく幼年時代を過ごした宮崎が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮市|宇都宮が空襲を受け、叔父の運転するトラックで宮崎一家(駿は最年少者)が避難した際、子供を抱えた女性が「乗せてください」と追いすがってきたが、荷台がいっぱいであった為、親族はやり過ごした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。。だが会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であった。学校で長兄がボス格であった為、平穏な学校生活を過ごした。高校三年生の時に観た東映動画の『白蛇伝』に感動し、アニメーションにも関心を持つようになる。長兄と同じ大学に進学し、当時は大学に漫画サー\xA1 %/%k$,L5$+$C$?0Y!"0lHV6a$=$&$J;yF8J83X%5!<%/%k!J;yF8J82=8&5f2q!K$K=jB0$9$k!#L!2h2H$r;VK>$7!"$"$A$3$A$N;(;oJT=8It$K<+:nL!2h$N;}$A9~$_$r$7$?$,:NMQ$5$l$:!"B46H8e$O%"%K%a!<%?!<$H$7$FEl1GF02h$KF~宮崎駿・高畑勲・大塚康生のトリオはさまざまなスタジオで優れた作品を作り続ける。


    [未来少年コナン以後]

    動画、原画、場面設計、画面構成、レイアウト等、業界の作画畑を長年に渡って歩んできた宮崎だが、日本放送協会|NHKの『未来少年コナン』で満を持して本格的に演出家デビュー。持ち前の高度な作家性を発揮し、原作を大幅に改変したオリジナルなストーリーを展開し好評を得る。その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し『ルパン三世 カリオストロの城』で映画監督としてデビューする。しかし同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されるも、サイエンス・フィクション|SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかった。宮崎が作家として社会認知を得るまでには至らず、逆に、有り体に言えば干されてしまった。アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。失意の宮崎に徳間書店の『アニメージュ』誌が連載マンガの企画を持ちかけ、同誌上で『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。当時、メディアミックスや映画事\xA1 6H$K0UM_E*$@$C$?FA4V=qE9$NFA4V9/2w宮崎駿が広く認知されることとなった。


    [スタジオジブリ後]

    その後は徳間書店の出資を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2〜3年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受け、国民的映像作家としての地位を確立する。1997年に公開された『もののけ姫』は、前年の徳間書店とディズニー社の業務提携によるジブリ作品の世界進出のニュースや、ジブリ史上最大の製作費、宮崎の監督引退説(後継者と目されていた近藤喜文の急逝によって、引退出来なくなってしまったとする説もある)などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行成績|興行記録を塗り替える大ヒット作となった。2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は『タイタニック (1997)|タイタニック』に奪われた日本映画界の興行記録を奪還する304億円の興行収入を達成。同作品は2002年にはベルリン国際映画祭で金熊賞を、2003年にはアカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞するなど海外でも高く評価された。2006年には、ハリウッド最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待\xA1 >u$,AwIU$5$l$?!#5\:j$O$3$l0JA0$K2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。




    作風

    一貫してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言するだけあって、その作品はほぼ一貫して子供の目線に立ち、悪役を大人にすることが多い。但し、多くの作品は単純明快な勧善懲悪ものではなく、「悪役」もまた、重層的で複雑なキャラクターであることが多い。作中に登場する食べ物を美味しそうにディテール豊かに描くことでも定評がある。戦史・軍事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、現在は中断)。監督を担当した長編アニメーション映画の作品名にはどれも『の』が含まれているのが特徴。




    政治的・思想的スタンス

    一貫して環境保全、反戦を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。
    大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は激しい組合活動を行った。その後も長らく反体制的左翼的思想を保ちつづけていたが、1989年の六四天安門事件|天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、社会主義陣営の歴史的敗北という現実を前に思想的転向を余儀なくされる。思想面で混迷を深めていた宮崎は、やがて堀田善衛や司馬遼太郎らとの交流から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する(宮崎が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。なお、宮崎に深く影響を与えた思想に、文化人類学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色をもつ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に「もののけ姫」に強く表れている。その後も宮崎はインタビュー・対談など事ある毎ぁ KCfHx:4=u$r0z$-9g$$$K=P$7$F$$$k!#$3$N$3$H$O



    略歴


  • 1941年 1月5日東京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。

  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現外務相)、高島肇久(現外務省参与、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店相談役)、有薗憲一(ベスト電器社長)らがいる。

  • 1964年 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。

  • 1965年 同僚の大田朱美と結婚。なお、式の司会は大塚康生。

  • 1967年 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。

  • 1970年 次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。

  • 1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。

  • 1973年 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。

  • 1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。

  • 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。

  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。

  • 1982年 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。

  • 1984年 4月、個人事務所二馬力を設立。

  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。

  • 1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎賞受賞。

  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・大藤信郎賞、第39回芸術選奨・芸術作品賞・文部大臣賞、第12回山路ふみ子映画賞を受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位に選出。

  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。東京都民文化栄誉章を受章。

  • 1993年 『紅の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、アヌシー国際アニメーションフェスティバル・長編部門賞を受賞。

  • 1994年 『風の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家協会賞・大賞を受賞。

  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞、第2回アニメーション神戸・部門賞・演出部門を受賞。

  • 1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。『もののけ姫』が日本アカデミー賞・最優秀作品賞、第1回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を受賞。第26回アニー賞・生涯功労賞、山路ふみ子文化賞、淀川長治賞を受賞。

  • 1999年 スタジオジブリに所長として復帰。

  • 2000年 第3回司馬遼太郎賞を受賞。

  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞を受賞。

  • 2002年 『千と千尋の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、第5回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、第52回ベルリン国際映画祭・金熊賞、第68回ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞、ボストン映画批評家協会・特別賞を受賞。『くじらとり』が大藤信郎賞を受賞。朝日賞、フランス国家功労賞、パリ市勲章を受賞。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。

  • 2003年 『千と千尋の神隠し』が第30回アニー賞・長編アニメ映画賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、第75回アカデミー賞・長編アニメーション映画賞を受賞。埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。

  • 2004年 『ハウルの動く城』が第61回ベネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞を受賞。第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル・功労賞、シッチェス国際映画祭・特別審査員賞を受賞。『カリオストロの城』がキネマ旬報創刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部門第一位に選出。12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。

  • 2005年 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。『ハウルの動く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞、ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞を受賞。第62回ベネチア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。

  • 2006年 日本テレビ放送網|日本テレビ2階・マイスタジオ|マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける(2006年12月工事完了予定)。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。




    作品




    [ 監督作品 ]




    [ 長編アニメーション映画 ]


  • 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)

  • 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)

  • 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)

  • 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)

  • 1989年 魔女の宅急便(脚本)

  • 1992年 紅の豚(原作・脚本)

  • 1997年 もののけ姫(原作・脚本)

  • 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)

  • 2004年 ハウルの動く城(脚本)


    [ 短編アニメーション映画 ]


  • 1995年 On Your Mark〜ジブリ実験劇場(原作・脚本)

  • 2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)

  • 2001年 くじらとり(脚本)

  • 2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)

  • 2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)

  • 2002年 空想の空飛ぶ機械達(原作・脚本・ナレーション)

  • 2006年 水グモもんもん(原作・脚本)

  • 2006年 星をかった日(脚本)

  • 2006年 やどさがし(原作・脚本)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)

  • 1978年 未来少年コナン

  • 1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
    第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
    第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)

  • 1985年 名探偵ホームズ
    第3話「小さなマーサの大事件!?」
    第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
    第5話「青い紅玉」
    第9話「海底の財宝」
    第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
    第11話「ねらわれた巨大貯金箱」


    [ 参加作品 ]




    [ 劇場用アニメーション映画 ]


  • 1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)

  • 1968年 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)

  • 1969年 長靴をはいた猫(原画)

  • 1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)

  • 1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)

  • 1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)

  • 1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)

  • 1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)

  • 1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)

  • 2006年 ゲド戦記(原案)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)

  • 1974年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)

  • 1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)

  • 1977年 あらいぐまラスカル(原画)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1〜15話まで)



    その他の作品




    [漫画・絵物語など]


  • 長靴をはいた猫

  • 砂漠の民(秋津三朗名義)

  • どうぶつ宝島

  • 妹へ(「宮崎駿・大塚康生の世界」に収録)

  • 風の谷のナウシカ(全七巻)

  • 宮崎駿イメージボード集

  • シュナの旅

  • 「風の谷のナウシカ」−宮崎駿水彩画集

  • 宮崎駿の雑想ノート

  • 飛行艇時代

  • 泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート

  • ハンスの帰還

  • (ロバート・ウェストール・作、宮崎駿・編、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃機』 (児童書) 岩波書店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
    ::*「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加えて、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併録。


    [デザインワーク]


  • TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」

  • TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」

  • 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船

  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」

  • 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」

  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」

  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」

  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」

  • 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
       1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリ社長・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。

  • 日本テレビ社屋外壁の大からくり時計「日テレ大時計」


    [作詞]


  • 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)

  • 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)

  • 『となりのトトロ (楽曲)|となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)

  • 『カントリー・ロード』(日本語訳詞の補作)(『耳をすませば』エンディング)

  • 『もののけ姫』(『もののけ姫』主題歌)

  • 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
    『神々さま』
    『油屋』
    『さみしい さみしい』
    『白い竜』

  • 『お母さんの写真』(CMソング)


    [著書(対談・インタビューなど)]


  • 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集)

  • 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談集)

  • 『トトロの住む家』(画文集)

  • 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集)

  • 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談集)

  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)

  • 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談)

  • 『教育について』(共著、インタビュー集)



    絵コンテ集




    [劇場用アニメーション映画]


  • パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)

  • 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)

  • となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)

  • 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)

  • 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)

  • 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)

  • もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)

  • 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)

  • ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)



    [テレビアニメーション]


  • ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)



    幻の作品一覧

    宮崎駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。

  • 長靴下のピッピ(アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品)

  • ユキの太陽(ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。)

  • ロルフ(リチャード・コーベン原作のアングラコミック)

  • 戦国魔城(日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品)

  • もののけ姫(映画化された作品とは異なる、『美女と野獣』の戦国時代版。出版されている。)

  • 風の谷の一日(ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。)

  • アンカー(監督に押井守が予定されていた。)

  • 突撃!アイアンポーク(これも監督に押井守が予定されていた。)

  • 大東京物語(ふくやまけいこの漫画)

  • 墨攻(古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説)

  • 東京汚穢合戦(宮崎が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。)

  • ゴチャガチャ通りのリナ(柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』)

  • 煙突描きのリン(震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となった。)

  • 毛虫のボロ(虫の視点から世界はどう見えるかという企画。後に『水グモもんもん』として実現した。)

  • 旅のラゴス(筒井康隆原作のSFファンタジー小説)

  • ジョナサンと宇宙クジラ(ロバート・F・ヤングのSF小説)



    参考文献




    [関連書籍]


  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)(ISBN 4-19-554639-7)

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)(ISBN 4-19-861047-9)

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)(ISBN 4-19-861361-3)

  • 大泉実成『宮崎駿の原点 母と子の物語』(潮出版社、2002年)(ISBN 4-267-01653-4)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)(ISBN 4-19-861890-9)

  • 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(オークラ出版、2004年)(ISBN 4-7755-0480-0)

  • 鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005年)(ISBN 4-8356-1540-9)

  • 叶精二『宮崎駿全書』(フィルムアート社、2006年)(ISBN 4845906872)


    [関連DVD]


  • 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2001年)

  • 『柳川掘割物語』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『ジョン・ラセター|ラセターさんありがとう』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『世界・わが心の旅 (2巻セット)』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 宮崎駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 宮崎駿とジブリ美術館』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2005年)



    その他




    [ シナリオなしでのアニメ制作 ]

    制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、シナリオなしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくというアニメーター出身の宮崎の手法は、周囲から「アニメ界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的制作管理能力を持つ宮崎にして初めて可能な手法ではある。但し、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではない。ノートに、ストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」ということである。


    [ 親族 ]

    テレビ東京系アド街ック天国2006年11月4日放送「大山?鶴巻温泉郷」によると、鶴巻温泉の旅館「陣屋」の女将は宮崎駿のいとこであり、幼少時によく一緒に遊んでいたという。一部引用「ここはその当時は本当にトトロのような世界だったんです。作品を見るとずっと私たちの思い出がみんな入ってるのねっていう感じなんです。」 この放送の3年前に『ハウルの動く城』の構想を練った場所でもある。なお、この旅館と女将は『千と千尋の神隠し』の油屋や湯婆婆のモデルの一つという説もある。


    [ 声優の起用 ]

    『紅の豚』以降はプロの声優を殆ど起用せず
    『紅の豚』以前の『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、非声優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でプロの成人の女性声優を起用した(最終的にパズーを演じたのは田中真弓)のは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)。
    、俳優、女優を起用する事が多い。この点に関して一部の非声優の演技力等について否定的な意見がある。もっとも、近年のタレント起用に関しては、宮崎以外のジブリ作品も同様であり、プロデューサーの鈴木敏夫の意向が強いとされている。鈴木は、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。


    [ 手塚治虫の評価 ]

    手塚治虫が亡くなった時、漫画家としての手塚の業績を全面的に肯定した上で、アニメに携わる人間の立場から、アニメ作家としての手塚が日本のアニメーション史に果たした役割に痛烈な批判を加えた「コミックボックス」ふゅーじょん・ぷろだくと、1989年5月号。。特にテレビアニメ草創期に、手塚が市場優位性を確立させるため、自社(虫プロダクション)制作番組を原価を割り込むほどの低価格で売り込んだことが、現在に至るまで日本のアニメ製作費が極めて低く抑えられる要因となったとして舌鋒鋭く批判した。発言は様々な議論を呼んだ。また、手塚アニメ作品そのものに対しても辛口の批判をしたことがある。


    [ 日本のアニメ界への危機感 ]

    2002年のベルリン映画祭金熊賞受賞の際の記者会見のインタビューで「今の日本のアニメはどん詰まり」などと語る。1985年2月号のアニメ雑誌「アニメージュ」の押井守、河森正治との対談で「どんづまり」、1986年「ラピュタ」製作中に行ったアニメ雑誌記者との会見「コミックボックス」に全録、「OUT」みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。でも「崖っぷち」と表現するなど、以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメに対して、危機感を抱き続けており、スタジオジブリのスタジオ運営では月給制を取っていたこともあった。しかし、かつてはさして問題にされることのなかった宮崎の持論も、宮崎が名を成して社会的な影響力が増した2002年では、イギリスの英国放送協会|BBCなど日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず海外のアニメファンを含めて様々な反響があった「アニメージュ」2002年5月号において、宮崎の発言に対する5人のアニメ業界人のコメントを掲載。久美薫『宮此 j=Yの仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)では宮崎発言が「反響が大きかった」とし、久美自身も8ページをかけて宮崎発言を論じる。。なお、西島克彦が「アニメージュ」に載せた『プロジェクトA子』のコメントを取り上げて、「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメを作っていちゃダメなんです」と発言したのは、上記のうち1986年の会見でのことである。


    [ 嗜好品 ]

    愛飲するタバコ|煙草の銘柄はチェリー、のちに健康を考えてマイルドセブン。



    関連項目





    脚注





    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所

  • くろねこ亭

  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)

  • Nausicaa.net (英語)

  • Online Ghibli (英語)

  • Ghibli World(英語)

  • 吉卜力之宮崎作品倶楽部 (中国語)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月22日

    映画監督[五所平之助]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    五所平之助



    五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日−1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶応義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子の『挽歌』を久我美子主演\xA1 $G1G2h2=$7!"Bg%R%C%H$5$;$?!#$^$?!"C]ED?M7AE9$N6(NO$K$h$C$F:n$i$l$??M7A1G2h!XL@<#$O$k$"$-!Y$OK\3JE*$J?M7A1G2h$H$7$FM-L>$G$"$k!#GP?M$H$7$F$bCN$i$l$F$*$j!"!V5WJ]EDK|B@O:|春燈」同人として「五所亭」という俳号で活躍した。1941年、紫綬褒章、1947年勲四等旭日小綬章受章。



    代表作


  • 南島の春(1925年)

  • 彼女(1926年)

  • 寂しき乱暴者(1927年)

  • 恥しい夢(1927年)

  • からくり娘(1927年)

  • 村の花嫁(1928年)

  • マダムと女房(1931年)

  • 伊豆の踊子(1933年)

  • 十九の春(1933年)

  • 生きとし生けるもの(1934年)

  • 新道(1936年)

  • 木石(1940年)

  • 新雪(1942年)

  • 今ひとたびの(1947年)

  • 煙突の見える場所(1953年)

  • 愛と死の谷間(1954年)

  • 鶏はふたたび鳴く(1954年)

  • たけくらべ(1955年)

  • 黄色いからす(1957年)

  • 挽歌(1957年)

  • 白い牙(1960年)

  • かあちゃんと11人の子ども

  • 女と味噌汁(1968年)

  • 明治はるあき(1968年)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月21日

    映画監督[SABU]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    SABU



    SABU(さぶ、サブ、サブゥー)
    SABU (映画監督)|SABU(サブ) - 日本の俳優・映画監督(1964年 - )。代表作に『弾丸ランナー』など。
    ・『SABU 〜さぶ〜』 - 2003年公開の日本の映画。山本周五郎原作、三池崇史監督。
    SABU(サブゥー) - アメリカ合衆国出身のプロレスラー、テリー・ブルンクのリングネーム(1963年 - )。


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
    posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月20日

    映画監督[石井聰亙]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    石井聰亙



    石井聰亙(いしいそうご、男性、1957年-)は、日本の映画監督。福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校、日本大学芸術学部卒。
    1976年、日本大学芸術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持を得る。続く1980年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。1982年『爆裂都市Burst City』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、1984年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。その前後からジャパニーズパンク・ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、1994年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(95)、『ユメノ銀河』(97・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。
    さらに、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(00)は大ヒットを記録した。
    21世紀に入ってからは、映画のジャンルを超越したハイパーエキサイトムービー『ELECTRIC DRAGON 80000V』(01)、『DEAD END RUN』(02)を発表。 2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。彼のデビュー以来の鋭い表現手腕は、映画に留まらず、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメディアで発揮され続けている。
    尖端の音楽とミックスさせた映像表現手法は、「実験的」と評されながらも、常に世界的に評価が高い。
    特に同じ業界の人間や、アーティストからの評価が、格段に高いことでも有名。
    ちなみに、*クエンティン・タランティーノ も石井聰亙を敬愛しており、映画「キル・ビル Vol.1」の中でルーシー・リュー演じる女性を「オーレン・イシイ」と名づけたのは、「石井輝男、石井聰亙、石井隆、石井克人・・・と好きな日本人監督がイシイばっかり」だったからだという。



    主な監督作品


  • 高校大パニック (1976)※1978年本人の手によりリメイク

  • 1/880000の孤独 (1977)

  • 突撃!博多愚連隊 (1978)

  • 狂い咲きサンダーロード (1980)

  • シャッフル (1981)

  • 爆裂都市 BURST CITY (1982)

  • アジアの逆襲 (1983)

  • 逆噴射家族 (1984)

  • 半分人間 アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン (1985)

  • THE MASTER OF SHIATSU 指圧王者 (1989)

  • TOKYO BLOOD (1993)

  • エンジェル・ダスト(1994)

  • 水の中の八月 (1995)

  • ユメノ銀河 (1997)

  • 五条霊戦記 GOJOE (2000)

  • ELECTRIC DRAGON 80000V (2001)

  • DEAD END RUN (2002)

  • 鏡心・3Dサウンド完全版 (2005)




    主なPV監督作品


  • ANARCHY「'80維新」

  • ザ・スターリン「ロマンチスト」「アレルギー」「STOP JAP」

  • 一世風靡セピア「前略、道の上より」

  • UA「悲しみジョニー」

  • CHARA「スカート-short film-」

  • JOE ODAGIRI(オダギリジョー)「i don't know」



    CM出演


  • 九州電力



    外部リンク


  • 公式HP


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 05:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    映画監督[田中絹代]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    田中絹代



    田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優であり、黎明期の日本映画界を支えた大スターである。



    戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

    山口県下関市丸山町に生まれる。幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



    戦後〜演技派スター・女性監督へ

    終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督。(日本で二人目の女性監督)しかし、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下恵介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける一方、1969 BG/$N!X\b%NLZ$O;D$C$? (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役など温和な老婆役で親しまれる。1974年に主演した熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は高く評価され、芸術選奨文部大臣賞、ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去。享年67。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

    死後勲三等瑞宝章が授与された。3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。



    没後の顕彰

    1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に送られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶応義塾大学|慶応野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。




    代表作



    [おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1838年、野村浩将)

  • 陸軍(1944年、木下恵介)

  • 結婚(1947年、木下恵介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下恵介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 西鶴一代女(1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 雨月物語(1953年、溝口健二)

  • 山椒大夫(1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 楢山節考(1958年、木下恵介)

  • 彼岸花(1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下恵介)

  • おとうと(1960年、市川崑)

  • 赤ひげ(1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館・望郷(1974年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年)

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1960年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 05:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月18日

    映画監督[市川準]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川準



    市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。本名は、市川 純(読み同じ)。東京都府中市 (東京都)|府中市出身。CM演出家を経て1987年に『BU・SU』で映画初監督。以降、幅広い題材に意欲的に取り組み話題作を数多く発表している。



    来歴

    画家を志して東京芸術大学美術学部絵画科への入学を目指すが浪人を繰り返す。1975年にCM制作会社に入社してCM演出家になり、1981年の退社後は無所属で活動する。演出家として禁煙パイポ、箪笥にゴン、エバラ焼肉のたれ、タフマン、デューダ等のテレビCMを作る。1987年10月に富田靖子主演の『BU・SU』で映画初監督。田舎の少女が上京して芸者になるビルディング・ロマンである。暗く閉鎖的なために「性格ぶす」を揶揄される少女が他者と出会う様子を描き、好評を獲得する。1988年11月にハナ肇とクレージーキャッツ主演の『会社物語 MEMORIES OF YOU』を発表する。中年サラリーマンの群像劇を通して、決して平凡ではない普通の人達の生活を描いた。1989年12月にいとうせいこう原作の『ノーライフキング』を発表する。テレビゲームに熱狂する少年達を描き、テレビゲームが広く注目を集めた当時の世相を色濃く反映した作品となった。世界観を原作とは大きく変えた。2002年に三谷幸喜原作の『竜馬の妻とその夫と愛人』を発表する。戯曲を映画化した珍しいタイプの作品で� $"$k!#:dK\N5GO$N;`8e$K:F:'$7$F0&?M$b:n$C$?L$K4?M$K


    監督作品





    出演作品

    ・『晴れた家』:2005年。『トニー滝谷』のメイキング映画。



    受賞歴


  • 1985年:カンヌ国際広告映画祭金賞。

  • 1991年:『つぐみ』
    第15回報知映画祭監督賞。
    第45回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1995年:『東京兄妹』
    第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞。
    芸術選奨文部大臣賞映画部門。

  • 1997年:『東京夜曲』
    第12回高崎映画祭監督賞。
    第21回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞。

  • 2004年:『トニー滝谷』で第57回ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞。

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月17日

    映画監督[黒木和雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒木和雄



    黒木 和雄(くろき かずお, 1930年11月10日 - 2006年4月12日 )は、映画監督。宮崎県えびの市生まれ。宮崎県立小林高等学校|宮崎県立小林中学校(旧制)、宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校、同志社大学法学部卒業。少年時代を満州で過ごす。高校時代の恩師の勧めで同志社大学に進学。卒業後、岩波映画製作所を経てフリー。高く評価される作品も多く、1970年代半ばの『竜馬暗殺』、『祭りの準備』は迸る青春群像を描き熱狂的ファンを生んだ。『TOMORROW 明日』『美しい夏キリシマ』『父と暮せば』は戦争レクイエム三部作と呼ばれる。2006年4月12日、脳梗塞のため死去。享年75。同年8月12日に商業公開を控えた『紙屋悦子の青春』が遺作となった。



    監督作品



    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
    posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月16日

    映画監督[竹中直人]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    竹中直人



    竹中 直人(たけなか なおと、公称1956年3月20日 - )は、日本の俳優、コメディアン、映画監督、歌手。本名、同じ。



    人物

    神奈川県横浜市金沢区富岡出身。フロム・ファーストプロダクション所属。妻は元アイドルの木之内みどり(木内みどりではない。)。
    木之内みどりとの間に2人(1女、1男)の子供に恵まれている。
    血液型はAB型で、趣味はギター、映画のビデオ ・DVD収集。内藤剛志の様な声や桂小枝の様なねちっこい声も出せる持ち主。青年座に俳優として入団後の1983年、テレビ番組『ザ・テレビ演芸』で有名になり、司会の横山やすしから手ほどきを受ける。当時29歳と称していたが、後に公称を1956年3月20日生まれと改めた。以後、俳優として舞台や映画、テレビドラマなどで活躍。1991年には映画『無能の人』で監督としてもデビューした。横浜市立富岡小学校、関東学院六浦高等学校、多摩美術大学卒業。



    略歴

    多摩美大では映像演出研究会に所属し、8ミリ映画の制作に没頭。監督から出演までこなした。代表作は「燃えよタマゴン」。また、大学在学中の1979年に劇団青年座に入り、俳優生活をスタート。これと並行して、『ぎんざNOW!』(東京放送|TBS)の素人参加コーナーにコメディアンとして出演。物真似|モノマネ芸でチャンピオンになり注目される。コメディアン時代の持ちネタでは「笑いながら怒る人」が有名。また、モノマネ芸の主なレパートリーは遠藤周作、芥川龍之介、松本清張などの小説家で、特に遠藤周作のモノマネは本人の前で披露したこともある。遠藤は自分に似ていることを認めつつも若干感情を害して、そっぽを向きながら「アハハ、似てる似てる」と言った。1999年には遠藤周作を主人公としたTBSの遠藤夫人の回顧録が原作のドラマ『夫の宿題』で遠藤役を演じた。『欽ちゃんの仮装大賞』の第一回にも出場しモノマネを披露(タイトルは「松田優作のドラキュラ」)、番組初の不合格となった。1985年には大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビァ s%P!&%7%9%F%`!W$r7k@.$7!"5S8w$rMa$S$k!#1990年に青年座を退団、劇作家岩松了と組んで「竹中直人の会」を開始、2002年に至るまでほぼ一年に一度のペースで公演を行う。1991年、映画『無能の人』で初めて監督を務め、好評を得た。1996年には日本放送協会|NHK大河ドラマ『秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉』に主演、俳優としての活動を広げる。歌手としても高橋幸宏プロデュースのアルバム『MERCI BOKU』、『イレイザーヘッド』を発表。そして他にもコメディアンとしてのキャラクターで様々なラジオ・バラエティ番組などの司会・パーソナリティを担当。1996年大河ドラマ・秀吉の秀吉役が見事にはまり、後にモビットのCMにも秀吉の格好をするなど、秀吉役の竹中のインパクトは一種の社会現象にもなった。女優の室井滋とは不仲説もあるが二人ともネタとしてラジオや雑誌でふざけて罵りあっているだけで、実際は何度も別のドラマで夫婦役(夫婦漫才に近い掛け合いが特徴)などでよく共演しており、竹中直人と室井滋の共演は視聴者には好評� $@!#2 006年7月、竹中直人&ワタナベイビーとして、『今夜はブギーバック』をカバー(プロデュース・スチャダラパー)。また、昔は漫画家を目指していた。好きな音楽フィッシュマンズ、クラムボン、ホフディラン、SUPER BUTTER DOGなど。特にSUPER BUTTER DOGは彼らの楽曲「サヨナラCOLOR」にインスパイアされて同名の映画を制作したほど。



    作品




    [ 監督作品 ]


  • 普通の人々

  • 異常の人々〜伝説の虹の三兄弟〜

  • 無能の人

  • 119 (映画)|119

  • サヨナラCOLOR(監督・主演・脚本を担当)

  • 東京日和

  • 連弾



    [ シングル ]


  • ポストマンパットのうた(1994年)

  • ドクトクくん(1995年)

  • デカメロン(1997年)

  • 君に星が降る(1997年)

  • 日曜日の食事(1998年)



    [ アルバム ]


  • かわったかたちのいし(1984年)

  • 24HOURS+レスラー

  • 竹中直人の君といつまでも(1995年)

  • siesta?

  • MERCI BOKU(1995年)

  • イレイザーヘッド(1996年)

  • MERCI BOKU,UNPEU BOKU〜LIVE IN JAPAN(1995年)

  • 口笛とウクレレ(2000年)


    [ 参加作品 ]


  • 友情のエール(2006年)

  • :世界中の子供達にサッカーボールを届けるというチャリティー企画「YELL FROM NIPPON」に参加。

  • DEMENTO (シネマティクスディレクター)



    出演




    [ テレビドラマ ]


  • 元祖おじゃまんが山田くん(1984年、フジテレビジョン|フジテレビ)

  • ゲゲゲの鬼太郎(1985年、フジテレビ)

  • セーラー服反逆同盟(1986年、日本テレビ放送網|日本テレビ系)

  • 世にも奇妙な物語「プリズナー」(1991年)

  • 世にも奇妙な物語「切腹都市(ハラキリシティー)」(1991年)

  • NHK大河ドラマ秀吉_(NHK大河ドラマ)|秀吉(1996年、日本放送協会|NHK)

  • 壬生義士伝(斎藤一役)

  • 恋のためらい(1997年、東京放送|TBS系)

  • 坊さんが行く(1998年NHKドラマ)

  • 坊さんが行く2(1999年NHKドラマ)

  • ヤマダ一家の辛抱(1999年、TBS系)

  • 夫の宿題(1999年、毎日放送・TBS系)

  • 伝説の教師(2000年、日本テレビ放送網|日本テレビ系)

  • ストレートニュース(2000年、日本テレビ系)

  • 菜の花の沖(2000年NHKドラマ 高田屋嘉兵衛役)

  • 日曜劇場 GOOD LUCK!!(2003年、TBS系)

  • 東京ラブ・シネマ(2003年、フジテレビ系)

  • WATER_BOYS_(テレビドラマ)|WATER BOYS(2003年、フジテレビ系)

  • ライオン先生(2003年、讀賣テレビ放送|読売テレビ・日テレ系)

  • 流転の王妃・最後の皇弟(2003年、テレビ朝日系列)甘粕正彦役

  • 奥さまは魔女_(テレビドラマ)|奥さまは魔女(2004年、TBS系)

  • NHK朝の連続テレビ小説 天花_(朝ドラ)|天花(2004年、NHK)

  • あいくるしい(2005年、TBS系)

  • 『ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実』(藤田日出男役、TBS系、2005年8月12日放送)

  • 戦国自衛隊|戦国自衛隊・関ケ原の戦い(中京テレビ放送|中京テレビ、2006年) 石田三成役

  • 都立水商!(2006年3月、日本テレビ系列) - 矢倉茂夫役

  • 赤い奇跡(2006年4月、TBS系列)

  • タイヨウのうた(2006年、TBS系列)

  • のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ(2006年10月、フジテレビ系列) フランツ?フォン?シュトレーゼマン役


    [ テレビ番組 ]


  • ソロモンの王宮(テレビ東京系)

  • 特命リサーチ200X|特命リサーチ200X II(2002年-2004年、日本テレビ)柏木康一郎 役

  • キヤノンスペシャル・光の惑星 5000年の旅(2004年12月 2日間連続 スタジオ司会)

  • 東京イエローページ(1990年-1991年、東京放送|TBS)

  • 竹中直人の恋のバカンス(1994年-1995年、テレビ朝日)

  • デカメロン(1998年、東京放送|TBS)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!テレフォンショッキングゲスト、フジテレビ
    :出演する際には、観客の女性から「笑いながら怒る人やって!」といつも言われている。一度だけ、竹中は「中野区に住んでるムタトオルです」と言いながらムタトオル名義で出演したことがあるが、結局最後にお友達紹介のときに普通の竹中に戻った。

  • どんぶり5656(1983年、よみうりテレビ)

  • Naoto Takenaka P.S.45 ( 2006 BS-FUJI )

  • 愛のエプロン(2006年11月8日放送分)


    [ 映画 ]


  • ロケーション(1984年、松竹) - ダボ役

  • 夕ぐれ族(1984年、にっかつ) - 宇津井役

  • ベッドタイムアイズ(1987年、ヘラルド映画) - 柳役

  • 私をスキーに連れてって(1987年、東宝) - 所崎役

  • 天使のはらわた 赤い眩暈(1988年、にっかつ) - 村木役

  • 226(1989年、松竹富士) - 磯部浅一役

  • ファンシィ・ダンス(1989年、大映) - 北川光輝役

  • ベストガイ(1990年、東映) - 管制官役

  • ヒルコ 妖怪ハンター(1991年、松竹富士) - 八部高史役

  • 無能の人(1991年、松竹富士) - ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞主演男優賞

  • シコふんじゃった。(1992年、東宝) - 日本アカデミー賞助演男優賞

  • ヌードの夜(1993年、ヘラルド・エース) - 紅次郎(村木)役

  • GONIN(1995年、松竹)

  • 写楽(1995年、松竹) - 大田南畝役

  • Shall we ダンス?(1996年、東宝) - 青木富夫役

  • HAPPYPEOPLE (1997年) −一場面のみ出演

  • アンドロメディア(1998年、松竹)

  • 完全なる飼育(1999年、東京テアトル)

  • 三文役者 (2000年、近代映画協会)- 殿山泰司役

  • ウォーターボーイズ(2001年、東宝)

  • Stereo Future SF episode 2002(2001年、東北新社) - 高山龍太郎役

  • およう(2002年、松竹) - 伊藤晴雨役

  • ミスター・ルーキー(2002年、東宝)

  • TRICK 劇場版(2002年、東宝) - 神001番 役

  • 青の炎(2003年)

  • あずみ(2003年、東宝) - 加藤清正役

  • 恋人はスナイパー|恋人はスナイパー 劇場版(2004年、東映)

  • シュレック2(2004年、UIP) - 声のみの出演

  • スウィングガールズ(2004年、東宝) - 小澤忠彦役

  • 妖怪大戦争(2005年、松竹) - 油すまし役

  • サヨナラCOLOR(2005年)

  • ピーナッツ_(映画)|ピーナッツ(2006年、コムストック)

  • キャッチ ア ウェーブ(2006年、ワーナー)

  • 男はソレを我慢できない(2006年7月29日)

  • それでもボクはやってない (2007年1月20日)


    [ ビデオ作品 ]


  • 竹中直人の放送禁止テレビ

  • ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん(1990年)

  • ブラック・ビリンセス(1990年)

  • ブローバック(1990年)

  • カルロス(1991年)

  • 普通の人々(監督、出演)



    [ 舞台 ]


  • 青年座公演「どん底」

  • 青年座公演「パラダイス・オブ・ギンザ」

  • 青年座公演「写楽考」

  • 竹中直人の会 旗揚げ公演「隣の男」

  • 竹中直人の会 第2回公演「鉢植を持つ男」

  • 竹中直人の会 第3回公演「市ヶ尾の坂〜伝説の虹の三兄弟〜」

  • 竹中直人の会 第4回公演「こわれゆく男〜中産階級の然るべき頽廃」

  • 竹中直人の会 第5回公演「月光のつヽしみ」

  • 竹中直人の会 第6回公演「テレビ・デイズ」

  • 竹中直人の会 第7回公演「水の戯れ」

  • 竹中直人の会 第8回公演「隠れる女」

  • 蜷川幸雄演出「四谷怪談」

  • 竹中直人の会 第9回公演「月光のつヽしみ」(2002年)

  • 竹中直人の会 改メ 竹中直人の匙かげん1「唐辛子なあいつはダンプカー!」(2004年)

  • 竹中直人 ハードボイルド・ソーセージ in 下北沢(2005年)


    [ ラジオ ]


  • 竹中直人ハードボイルド・ソーセージ(プロ野球オフシーズン、TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)


    [ 劇場版アニメ ]


  • アイス・エイジ_(映画)|アイス・エイジ(ディエゴ)

  • イノセンス(キム)

  • お勢登場(語り)

  • カッくんカフェ(1984年、ジョイパックフィルム) - ケンイチ、タコ委員長、ナゾの男役

  • 機動警察パトレイバー 2 the Movie(荒川茂樹)

  • 最終教師|恐怖のバイオ人間 最終教師(茶羽顔八)

  • 劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI(エンテイ・シュリー博士)


    [ CM ]


  • 大阪ガス

  • 福岡競艇場|福岡競艇

  • アデランス

  • モビット

  • ガリバーインターナショナル|ガリバー

  • トヨタ自動車ラウム

  • 久光製薬(のびのびサロンシップ、ブテナロック)

  • 明治乳業

  • 武田薬品工業(タケダ胃腸薬 1984年のシーズン)、ほか

  • NEC バリュースター

  • 日産自動車日産・セフィーロ|セフィーロ

  • コカ・コーラ|日本コカ・コーラ(リアルゴールド、ジョージア缶コーヒー・2005年9月〜)

  • 内閣府(政府広報 「ひろがる、NIPPON聖域なき構造改革|構造改革」・2006年2月〜)

  • *お笑い芸人時代の映像



    映画賞


  • 1991年
    :ヴェネチア国際映画祭(国際批評家連盟賞)「無能の人」
    :ブルーリボン賞_(映画)|ブルーリボン賞(主演男優賞)「無能の人」

  • 1992年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「シコふんじゃった。」

  • 1995年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「EAST MEETS WEST」

  • 1996年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「Shall we ダンス?」



    主なネタ・ものまね・キャラクター


  • 笑いながら怒る人

  • 60年代の生き証人・中津川ジャンボリー君

  • クイズ番組司会者・ショスタコビッチ三郎太

  • 一人三役やる人

  • 感情を込めた「あいうえお」

  • 三半規管が丈夫なのでグルグル回っても真っ直ぐ歩ける

  • 人の事を指さすなよ

  • 人をバカにした態度

  • 「いやあ、失敬、失敬!」

  • 「アンタ失敬だな!」

  • 「煙草、やめろ!」

  • 松田優作

  • 草刈正雄

  • 丹波哲郎

  • 石立鉄男

  • 加山雄三

  • 田中邦衛

  • 松本清張

  • 遠藤周作

  • 芥川龍之介

  • 武者小路実篤

  • ブルース・リー



    外部リンク


  • プロフィール

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月15日

    映画監督[高畑勲]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    高畑勲



    高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の
    映画監督、プロデューサー。東京大学文学部フランス文学|仏文科卒業。市川崑監督と同郷。(小津安二郎監督は同市の中学校卒業者。)「火垂るの墓」などの作品で知られる。アニメーションが中心であるが、「柳川掘割物語」といった実写のドキュメンタリー作品も手がけている。スタジオジブリ所属。個人事務所の畑事務所を持つ。別名義に武元哲(たけもとてつ)がある。大学卒業後、東映動画に入社し、テレビアニメ「ひみつのアッコちゃん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などに演出助手として参加する。その後Aプロダクションや日本アニメーション、テレコム・アニメーションフィルムでの職を経て、1985年、宮崎駿らとともにスタジオジブリを設立する。
    スタジオジブリの作品中、同氏が手がけた作品以外にも、ダイダラボッチ(もののけ姫)や油屋(千と千尋の神隠し)、岩戸屋(猫の恩返し)などに同氏の故郷に関するものが時々出てくるなどスタジオジブリで製作される作品には多方面に渡り同氏の影響が見え隠れしている。ちなみに、彼の手がけた監督作品にはタイトルに「ほ」のつくものが多く、「ほ」の法則などと言われている。宮崎駿の「の」の法則と並び有名。
    (例として、火垂る(ほたる)の墓、おもひでぽろぽろ、などがある。)また学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《''Paroles''》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。



    手がけた主要作品


  • 1962年 鉄ものがたり(演出助手、制作進行も)

  • 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)

  • 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)

  • 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)

  • 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)

  • 1968年 太陽の王子ホルスの大冒険 (演出)

  • 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗

  • 1972年 パンダコパンダ (監督)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 (監督)

  • 1974年、1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (演出)

  • 1976年、1980年 母をたずねて三千里 (演出)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン (演出・脚本)

  • 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版

  • 1981年、1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版

  • 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)

  • 1982年 ニモ (日本側演出) ※1983年3月12日に降板

  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)

  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)

  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)

  • 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)

  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)

  • 1999年 ののちゃん|ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)



    関連書籍


  • 高畑勲「ホルスの映像表現」(ISBN 4196695140)

  • 高畑勲「映画を作りながら考えたこと」(ISBN 4195546397)

  • 高畑勲「十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの」(ISBN 4198609713)

  • 高畑勲「木を植えた男を読む」(ISBN 4193642798)

  • 高畑勲「話の話―映像詩の世界」(ISBN 4196695248)

  • 高畑勲・宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ「アニメの世界 とんぼの本」(ISBN 4106019566)

  • 大塚康生「作画汗まみれ 増補改訂版」( ISBN 4198613613)

  • 大塚康生「リトル・ニモの野望」(ISBN 4198618909)

  • ミッシェル・オスロ「キリクと魔女」(ISBN 4198616906) 翻訳

  • ジャック・プレヴェール「ことばたち」(ISBN 4835609603) 翻訳



    関連記事


  • 宮崎駿

  • スタジオジブリ


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月14日

    映画監督[マキノ雅弘]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    マキノ雅弘



    マキノ 雅弘(まきの まさひろ、1908年2月29日 - 1993年10月29日)は日本を代表する映画監督。京都府出身。本名は牧野正唯(まきの まさちか)。父は「日本映画の父」牧野省三(「マキノ省三」とも書く)。



    来歴・人物

    父の牧野省三(「マキノ省三」とも書く)が所長を務めていた日活で子役として働いていたが、父に反発して京都第一商業に進学。しばらくは一商のラグビー選手として活躍した。17歳のとき、赤痢にかかり、病床に伏したことを機に高校を退学、父が社長を務めるマキノ東亜で今度は助監督として駆り出されるようになる。18歳のとき、富沢進郎の名前を借りて、?青い眼の人形?で監督デビューを果たす。以後、山上伊太郎の脚本による?浪人街 第一話・美しき獲物?は1928年のキネマ旬報ベストテン第1位に輝き、?崇禅寺馬場?が4位、?蹴合鶏?が7位を占めた。翌1929年には?首の座?で2年連続第1位、?浪人街 第三話・憑かれた人々?も3位に入選した。ところが、彼の監督した作品は評論家や左翼青年には高い評価を得たものの興行的には惨敗で、父は37万円の多額の負債を負ったまま他界する。彼(この頃は名義は正博)はマキノグループの借金を返済すべく、自らの経営するマキノプロダクションを引き払い、ひとまぁ :$OF|3h$KF~


    マキノ一族


  • 牧野省三(父)/映画監督・プロデューサー

  • マキノ智子(マキノ輝子)(姉・三女)/女優

  • マキノ光雄(マキノ満男)(弟・次男)/映画プロデューサー

  • 松田定次(異母兄)/映画監督

  • 轟夕起子(元妻)/女優

  • 星玲子(義妹・満男の妻)/女優

  • マキノ正幸(息子)/沖縄アクターズスクール校長

  • 沢村国太郎|沢村國太郎(義兄・智子の夫)/俳優

  • 沢村貞子(義姉・國太郎の妹)/女優

  • 加東大介(義弟・國太郎の弟)/俳優

  • 長門裕之(沢村アキオ)(甥・國太郎の長男)/俳優

  • 津川雅彦(甥・國太郎の次男)/俳優・・・最近ではマキノ雅彦名義で映画監督としても活動している。

  • 南田洋子(親戚・長門裕之の妻)/女優

  • 朝丘雪路(親戚・津川雅彦の妻)/女優



    主な作品


  • 青い眼の人形(1926年)

  • 蹴合鶏 (1928年)

  • 浪人街シリーズ(1928年〜1929年)
     ?浪人街 第一話・美しき獲物?

     ?浪人街 第二話・楽屋風呂?

     ?浪人街 第三話・憑かれた人々?

  • 崇禅寺馬場(1928年)

  • 血煙高田の馬場(1937年)

  • 鴛鴦歌合戦(1939年)

  • 昨日消えた男(1941年)

  • 長谷川・ロッパの 家光と彦左(1941年)

  • 男の花道(1941年)

  • 婦系図(1942年)

  • 阿片戦争(1943年)

  • ハナ子さん(1943年)

  • 幽霊暁に死す(1948年)

  • 殺陣師段平(1950年)

  • すっ飛び駕(1952年)

  • 次郎長三国志シリーズ(1952年 - 1954年)
     ?次郎長三国志 第一部・次郎長売出す?

     ?次郎長三国志 第二部・次郎長初旅?

     ?次郎長三国志 第三部・次郎長と石松?

     ?次郎長三国志 第四部・勢揃い清水港?

     ?次郎長三国志 第五部・殴込み甲州路?

     ?次郎長三国志 第六部・旅がらす次郎長一家?

     ?次郎長三国志 第七部・初祝い清水港?

     ?次郎長三国志 第八部・海道一の暴れん坊?

     ?次郎長三国志 第九部・荒神山前編?

  • 丹下左膳シリーズ(水島道太郎版)(1956年)
     ?丹下左膳 乾雲の巻?

     ?丹下左膳 坤龍の巻?

     ?丹下左膳 完結篇?

  • 雪之丞変化(1959年)

  • 九ちゃん刀を抜いて(1963年)

  • 日本侠客伝シリーズ(1964年−1969年)
     ?日本侠客伝?

     ?日本侠客伝 浪花篇?

     ?日本侠客伝 関東篇?

     ?日本侠客伝 血斗神田祭り?

     ?日本侠客伝 雷門の決斗?

     ?日本侠客伝 白刃の盃?

     ?日本侠客伝 斬りこみ?

     ?日本侠客伝 絶縁状?

     ?日本侠客伝 花と龍?

  • 侠骨一代(1967年)

  • 昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)

  • 関東緋桜一家(1972年)



    著書


  • 映画渡世・天の巻、地の巻(1977年)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月13日

    映画監督[山田洋次]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山田洋次



    山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家、俳優高倉健とともに日本映画界の第一人者。関西大学大学院客員教授。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。以降、『男はつらいよ』シリーズをはじめとする膨大な数の人情劇を、実に精力的に発表し、絶大な大衆的人気を誇る。作風は、落語などの影響を受けており、おもに人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスにあふれたものである。一部の評論家には新鮮な映像手法や凝ったストーリー性に欠けると言われることもある。奇をてらったような映像、性的描写や暴力表現など安易に人目をひくような表現は抑制して、普通の一般人や社会の逸れ者のささやかな日常生活にひそむ喜びと哀しみを丹念に描く。日本共産党を強く支持している。



    来歴

    1931年大阪府豊中市生まれ。満州鉄道のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。終戦後の1947年に大連から一家で日本に引き揚げ15歳から18歳までを山口県宇部市の伯母の持ち家で過ごした。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響している。旧制宇部中(現在の山口県立宇部高等学校)を経て旧制山口高等学校(現在の山口大学)在学中に学制改革を経験、新制の東京都立小山台高等学校から東京大学法学部に入学。怠学による出席日数不足で中退するつもりであったが、1954年に東京大学を卒業して、松竹に入社する。野村の作品の脚本家・助監督を務めた。1961年に、『二階の他人』で監督としてデビューした。大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人たちが松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた時代にあって、山田は地味な存在であった。ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立してゆく中、松竹大船調路線の後継者として『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』などコメディを中心とした作品で、企業内監督の道を歩む。1969年に、『男はつらいよ』を発表。その後27� G/4V$K48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。この間『男はつらいよ』シリーズと平行して、『家族 (映画)|家族』、『同胞 (映画)|同胞』、『故郷 (映画)|故郷』、『息子 (映画)|息子』、『幸福の黄色いハンカチ』、『学校 (映画)|学校』シリーズなどを発表。大船撮影所が閉鎖されるまで、松竹の経営をささえつづけた。
    2002年に、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。山田にとって、『運がよけりゃ』に続く、二度目の時代劇であり、藤沢の作品の映画化は、これが初であった。他の時代劇では無視され続けてきた、位の低い武士の苦悩を描いた物語である。構想に10年をかけ、時代考証に徹底して拘った。登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずがないから、剃った部分に髪が生えてくる等の、実に細かい部分をリアルに丹念に描いた。新鮮な時代劇と話題を呼び、大ヒットとなった。真田広之と宮沢りえの高い演技力もあって、出色の時代劇と評価され、日本の映画各賞を独占した。そして、1990年代後半以降低迷していた宮沢の、見事な復活作ともなった。2003年2月に、第57回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品される。2004年に、第76回アカデミー賞外国語映画賞の候補になったが、受賞は逃す。2004年に、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表する。2006年9月、大相撲横綱審議委員の山田が「部員不足解消に役立つなら」とOBである東京臓 g3X|東大相撲部の名誉顧問となった。京大との交流戦を観戦し「初心者にしか見えない学生が鼻血を出しながら立ち向かう姿がいとおしい」と興奮。



    学歴


  • 旧制宇部中、現在の山口県立宇部高等学校卒業

  • 1948年 - 旧制山口高等学校、現在の山口大学に入学するが、学制改革により1年間のみ在学。

  • 東京都立小山台高等学校卒業。

  • 1954年 - 東京大学法学部卒業。



    受賞歴


  • 1966年 - 『運がよけりゃ』でブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞監督賞。

  • 芸術選奨文部大臣賞。

  • 毎日芸術賞。

  • 1972年 - 『男はつらいよ』で第20回菊池寛賞。

  • 1973年 - 『男はつらいよ』で第28回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1977年 - 『幸せの黄色いハンカチ』
    第1回日本アカデミー賞監督賞。
    ブルーリボン賞監督賞。
    毎日映画コンクール監督賞。

  • 山路ふみ子映画賞。

  • 第4回日本映画復興賞。

  • 1996年 - 紫綬褒章。

  • 2004年 - 文化功労者に選定。



    主な作品


  • 「男はつらいよ」シリーズ(全48作、1969年〜1995年)

  • 「釣りバカ日誌」シリーズ ※脚本のみ(1988年〜)

  • 「下町の太陽」(1963年)

  • 「馬鹿まるだし」(1964年)

  • 「馬鹿が戦車でやってくる」(1964年)

  • 「なつかしい風来坊」(1966年)

  • 「吹けば飛ぶよな男だが」(1968年)

  • 「家族 (映画)|家族」(1970年)

  • 「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)

  • 「遥かなる山の呼び声」 (1980年)

  • 「キネマの天地」(1986年)

  • 「ダウンタウン・ヒーローズ」(1988年)

  • 「息子 (映画)|息子」(1991年)

  • 「学校 (映画)|学校」(1993年)

  • 「学校 (映画)|学校II」(1996年)

  • 「学校 (映画)|学校III」(1998年)

  • 「学校 (映画)|十五才 学校IV」(2000年)

  • 「たそがれ清兵衛」(2002年)

  • 「隠し剣 鬼の爪」(2004年)

  • 「祖国」 (2005年) ※原作・脚本

  • 「出口のない海」 ※脚本のみ(2006年)

  • 「武士の一分」 (2006年)



    関連項目


  • :Category:山田洋次の監督映画

  • 日本の映画監督一覧



    参考文献


  • 切通理作、『山田洋次の<世界>』筑摩書房、2004年



    外部リンク


  • 日本映画データベース

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2006年12月12日

    映画監督[豊田利晃]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    豊田利晃



    豊田 利晃(とよだ としあき、1969年 - )は、大阪府東大阪市出身の映画監督。9歳から17歳まで新進棋士奨励会に所属(奨励会の同期に林葉直子らがいる)。その時の体験をもとに、阪本順治監督『王手』の脚本を書き上げ、映画界にデビュー。1998年には『ポルノスター』を初監督(千原ジュニア|千原浩史主演)。その年の日本映画監督協会新人賞を受賞。その後、4人の実在のボクサーを5年間追い続けた映像をまとめた『アンチェイン』、松本大洋の人気コミックを映像化し、松田龍平、新井浩文主演として、ミニシアター系では異例のヒットを飛ばした『青い春』、9人の脱獄犯を見事に描いた『ナイン・ソウルズ』と、優れた作品を発表し続けている。最新作は、直木賞作家角田光代の原作で、主演に小泉今日子を迎えた『空中庭園』(2005年10月公開)。2005年8月24日、覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕。



    作品

  • ポルノスター(デビュー作)

  • アンチェイン

  • 青い春

  • ナイン・ソウルズ

  • 空中庭園(2005年10月公開。なお、上記の事件(覚醒剤所持)による逮捕に伴って配給元のアスミック・エースは公開の延期か中止かという判断を迫られたものの、最終的に公開が決定。)



    CM


  • 鬼武者2(カプコン)

  • アミノサプリ(キリンビバレッジ)



    PV


  • サイレン (ASIAN KUNG-FU GENERATION)

  • 君という花 (ASIAN KUNG-FU GENERATION)

  • あと10秒で(ART-SCHOOL)

  • 発光(ROSSO)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    広告


    この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

    以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

    ・記事の投稿、編集をおこなう
    ・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


    ×

    この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。