2007年06月30日

映画監督[雨宮慶太]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
雨宮慶太



雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。




略歴


  • 1981年:デン・フィルム・エフェクトに入社。

  • 1982年:有限会社クラウドを設立。

  • 1988年:未来忍者 慶雲機忍外伝で監督デビュー。



    主な監督・脚本作品




    [映画]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1992年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [テレビ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991年~1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992年~1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004~2005年)(原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005~2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年10月~12月)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年12月)(原作・総監督)


    [ビデオ作品]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [漫画作品]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [映画]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [テレビ]


  • 時空戦士スピルバン(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ゲーム]


  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [小説]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファンウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン新ウェブサイト


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    2007年06月29日

    映画監督[寺山修司]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    寺山修司




    寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は日本の劇作家、歌人、詩人、作家、映画監督、競馬評論家など幅広い分野で活躍した。



    略歴


  • 1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
    母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
    寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっていると言われる。
    戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現:三沢市)。
    父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。

  • 1941年(昭和16年))八戸市へ転居。
    父八郎出征のため、母と青森市へ転居。青森市マリア幼稚園入園。

  • 1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現:浦町小学校)入学。

  • 1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす、B29による集中攻撃だった。母ハツとともに命からがら逃げ惑い、焼け出される。家も焼けて一面焼け野原。
    ハツの兄を頼って、六戸村古間木(現:三沢市)の古間木駅前(現:三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは米軍キャンプで働く。
    米軍差し押さえの民家に移る。

  • 1948年(昭和23年)古間木中学校入学。
    秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校。

  • 1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。高校文学部会議結成。同期生に沢田教一。

  • 1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国語国文学科に入学。在学中から歌人として活動。18歳で第2回「短歌研究」新人賞受賞。

  • 在学1年足らずで中途退学。

  • 1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。

  • 1970年3月24日、人気漫画?あしたのジョー?の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。

  • 1971年、『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出した。

  • 1983年、東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、肝硬変で死去。享年48。享年の表記は満年齢(数え年)で行ってください。<--->その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。相当な人見知り癖があったと、美輪明宏は述懐している。



    歌集


  • 『空には本』(1958年)

  • 『血と麦』(1962年)

  • 『田園に死す』(1965年)

  • 『テーブルの上の荒野』(1971年 『寺山修司全歌集』収録)



    句集


  • 寺山修司青春歌集






  • 長編叙事詩・李庚順

  • 未刊詩集ロング・グッドバイ

  • 寺山修司少女詩集



    評論など

    幅広く評論をしており、ジャンルは漫画、歴史人物、小説、映画などジャンルは広い。
    竹宮恵子の「風と木の詩」1巻に寺山修司の解説有り、また「サザエさんの性生活」について書いた事がある。



    脚本




    [ ラジオ ]



    [ テレビ ]


  • 一匹


    [ 映画 ]

    (監督作品を除く)

  • みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)

  • 乾いた湖(1960年)

  • わが恋の旅路(1961年)

  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年)

  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年)

  • 初恋・地獄篇(1968年)

  • 無頼漢(1970年)

  • サード(1978年)

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)


    [ 長編 ]




    演劇


  • 「演劇の文学ばなれ(戯曲ばなれ)」を主張し続けた。戯曲に書かれて完結した世界を、舞台でそのまま再現することが演劇なのか。「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」。演劇は、演劇という独自の表現なのであり、創造のきっかけとなるキーワードとしての「台本」(「戯曲」とは異なる)のみ許される、とした。

  • 演劇の重要な構成要素であるはずの観客に焦点を当てる作品も上演した(「観客席」)。「俳優座や文学座があって、どうして観客座という名の劇団がないのか」。

  • 彼の考え方は生前の演劇界においては異端視され、主に海外で評価されることになった。没後20年以上経った現在では、数多くの劇団が寺山作品を上演し、新たなる観客との出会いを試み続けている。


    [ 主な作品 ]


  • 毛皮のマリー

  • 犬神

  • 盲人書簡

  • 邪宗門

  • 阿片戦争

  • 中国の不思議な役人

  • 青ひげ公の城

  • 身毒丸

  • 奴婢訓

  • レミング



    映画




    [ 長編 ]


  • 書を捨てよ町へ出よう(1971年)

  • 田園に死す(1974年)

  • ボクサー(1977年)

  • 草迷宮 (映画)|草迷宮(1979年、1983年)

  • さらば箱舟(1984年)


    [ 短編 ]


  • 猫学(キャットロジー)

  • 檻囚

  • トマトケチャップ皇帝

  • ジャンケン戦争

  • ローラ

  • 蝶服記

  • 青少年のための映画入門

  • 迷宮譚

  • 疱瘡譚

  • 審判



  • 消しゴム

  • マルドロールの歌

  • 一寸法師を記述する試み

  • 二頭女―影の映画

  • 書見機



    作詞


  • 涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)

  • 新 初恋(1968年、江夏圭介)

  • 時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)

  • 涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)

  • さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭 (音楽ユニット)|六文銭)

  • 首つりの木(1970年、J.A.シーザー)

  • 酔いどれ船(1970年、緑魔子)

  • あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)

  • 戦争は知らない(1971年、本田路津子)

  • 孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)

  • 勇士のふるさと(1972年、ヤング101)

  • 人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)

  • 君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)

  • 海猫(1973年、北原ミレイ)

  • 新宿港(1974年、桜井京)

  • 浜昼顔(1974年、五木ひろし)

  • 元気ですか(1976年、ジャニーズJr.スペシャル|JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)

  • ぼくの消息(1976年、豊川誕)

  • 与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)

  • もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)



    外部リンク


  • 三沢市 寺山修司記念館

  • TERAYAMA WORLD

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    2007年06月28日

    映画監督[大林宣彦]

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    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は"映像の魔術師"とも称される映画監督。自主製作映画の先駆者として、コマーシャル|CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた。広島県尾道市土堂出身。広島県立尾道北高等学校|広島県立尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授。



    来歴

    代々続く医家の長男として生まれる。「尾道出身」とされているが、講演会等で大林自らが述べているところによれば、出生時には父親が岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)に勤務していたため、「生誕地」は岡山市内である。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授で、国際ソロプチミスト尾道の初代会長。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳で写真フィルム|フィルムに絵を刻んでアニメーションを作ったこのとき作った『マヌケ先生』を元にして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が作られた。(原作・総監督:大林宣彦、監督:内藤忠司)。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16才の夏休みに福永武彦の「草の花」を読み感銘を受ける。いつかフレデリック・ショパン|ショパンのピアノ曲のような映画を作りたい、と想いそれは30年後『さびしんぼう_(映画)|さびしんぼう』で実現する。1956年上京し、成城大学在学中かぁ i8ミリ|8mmで作品を発表。自主製作映画の先駆者として早くから名前を知られた。1960年大学は中退。1963年に初の16ミリ|16mm作品『喰べた人』がベルギー国際映画祭で審査員特別賞。『尾道』、『中山道』、『食べた人』、『Complexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などがアンダーグラウンド (文化)|アングラブームに乗って反響を呼ぶ。60年代後半からは草創期のテレビコマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わり始め、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「本田技研工業|ホンダホンダ・ロードパル|ロードパル」のソフィア・ローレン、「ユニリーバ・ジャパン|ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スターなどの起用で、今日に続く海外スターのCMの先駆となり、また山口百恵・三浦友和コンビの「江崎グリコ|グリコチョコレート B|アーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「日本国有邸 4F;|$B9qE4%U%k%`!<%s!W$J$I10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、テレビCMを新しい映像表現として確立した。また、自身も九州電力のCMに出演した。1977年の『ハウス_(映画)|HOUSE』で商業映画に進出。実写とアニメの合成など様々な特撮を使って見せる華麗な映像世界は、世の映画少年を熱狂させた。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出し(この流れから森田芳光、市川準らが出た)、日本映画を活性化させた(現在はテレビ局が製作する映画が増えているため、テレビドラマの演出家出身(本広克行、土井裕泰ら)という新しい流れが出ている)。同年の『ブラックジャック|瞳の中の訪問者』と共にブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞新人賞受賞。1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生 (映画)|転校生』を発表。『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』、『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』と合わせ"#尾道三鼻 t:n|尾道三部作"として多くの熱狂的な支持を集め、ロケ地巡りのファンを増やした。またこれらの映画作りには、地元尾道を中心とした多くの賛同者の協力があり、近年全国的に拡がる「フィルム・コミッション」の先駆としても評価されている。以降、作家性と商業的成功を両立し、数多くの作品を世に送り出している。現在もコンスタントに映画を撮り続けている。妻は映画製作者の大林恭子。娘の大林千茱萸(ちぐみ)は映画感想家。劇作家・演出家の平田オリザ|平田オリザは甥にあたる。



    主な監督作品


  • 「ハウス_(映画)|HOUSE/ハウス」(1977年)

  • 「ブラック・ジャック|BLACK JACK/瞳の中の訪問者」(1977年)

  • 「ふりむけば愛」(1978年)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979年)

  • 「ねらわれた学園 (映画)|ねらわれた学園」(1981年)

  • 「可愛い悪魔」(TVドラマ・日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1982年)

  • 「転校生 (映画)|転校生」(1982年)

  • 「時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女」(1983年)

  • 「少年ケニヤ」(アニメ 1984年)

  • 「天国にいちばん近い島」(1984年)

  • 「廃市」(1984年)

  • 「彼のオートバイ・彼女の島」(1985年)

  • 「さびしんぼう (映画)|さびしんぼう」(1985年)

  • 「姉妹坂」(1985年)

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1985年)

  • 「四月の魚/Poisson d'avril」(1986年)

  • 「日本殉情伝おかしなふたり/ものくるほしきひとびとの群」(1986年)

  • 「漂流教室」(1987年)

  • 「異人たちとの夏」(1988年)

  • 「私の心はパパのもの」(1988年)

  • 「北京的西瓜」(1989年)

  • 「彼女が結婚しない理由(わけ)」(1990年)

  • 「ふたり」テレビドラマ(NHK)版(1990年)

  • 「ふたり」(1991年)

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992年)

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1992年)

  • 「水の旅人/侍KIDS」(1993年)

  • 「女ざかり」(1994年)

  • 「あした (映画)|あした」(1995年)

  • 「SADA/戯作・阿部定の生涯」(1998年)

  • 「風の歌が聴きたい」(1998年)

  • 「あの、夏の日/とんでろ、じいちゃん」(1999年)

  • 「なごり雪」(2002年)

  • 「理由 (小説)|理由」(TVドラマ→映画 2004年)

  • 「理由(日テレヴァージョン)」(TVドラマ 2005年)

  • 「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年)



    尾道三部作

    大林宣彦が、出身地尾道を舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が3作品造られたため、これを“新尾道三部作”と称することもある。

  • 尾道三部作
    『転校生』(1982年)
    『時をかける少女』(1983年)
    『さびしんぼう』(1985年)

  • 新尾道三部作
    『ふたり』(1991年)
    『あした』(1995年)
    『あの、夏の日』(1999年)



    テレビ版から劇場版

    大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。
    「理由」はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。

  • 麗猫伝説 (日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1983年8月30日放送)
    :→ 劇場公開 1998年8月16日

  • 私の心はパパのもの (日本テレビ「水曜グランドロマン」1988年11月30日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • ふたり (NHK「子どもパビリオン」1990年11月9日・16日放送)
    :→ 劇場公開 1991年5月11日

  • 彼女が結婚しない理由 (日本テレビ「水曜グランドロマン」1990年12月26日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • はるか、ノスタルジィ (WOWOW 1992年10月25日放送)
    :→ 劇場公開 1993年2月20日

  • マヌケ先生(原作・総監督、中国放送/TBS 1998年1月24日)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (テレビ朝日「日曜洋画劇場」1999年11月7日放送)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 告別 (BS-i 2001年2月24日放送)
    :→ 劇場公開 2001年7月14日

  • 理由 (WOWOW「ドラマW」2004年4月29日放送)
    :→ 劇場公開 2004年12月18日
    :→ 日本テレビ「DRAMA COMPLEX」 2005年11月8日放送



    関連項目


  • :Category:大林宣彦の監督映画

  • 山中恒(映画の原作となった作品が多い)

  • 宮崎尚志

  • 黒澤明

  • 林海象

  • 石森史郎



    外部リンク


  • 大林監督のブログ

  • 大林宣彦の映画 普遍的個人映画--A MOVIE

  • 尾道撮歩記

  • インタビュー


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    2007年06月27日

    映画監督[押井守]

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    押井守



    押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )はアニメを中心に活動してきた映画監督、演出家。東京都出身。東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。映画監督作『イノセンス』により、日本SF大賞を受賞した。星雲賞と違い、同賞にてアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった。



    経歴

    1970年、東京学芸大学入学。「映像芸術研究会」を設立し、実写映画を撮り始める。卒業後にはラジオ局のディレクターもやっていた。元々は図工の先生になる予定だったが、頼んでおいた書類を友人が提出するのを忘れてしまい、受験が不可能となってしまった。1977年にタツノコプロに入社、アニメの演出を手掛ける。同期の西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取った。西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオ局のディレクター経験を買われ、即演出を任された。字がとても汚く、師匠の鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともあった。その為、氏の近年のアニメ映画の画コンテ|絵コンテには写植が施されている1980年、スタジオぴえろに移籍。1984年、スタジオぴえろ退社。以後フリーの演出家となる。宮崎駿の誘いを受け、ルパン三世の劇場用新作映画の監督を任されるが諸般の事情により製作は中止になり、意見の食い違いから独立。あくまで物語は夢を見せるためのものであるとする宮崎に対し、押井はもっと幅広い作品作りを訴えたのが対立の原因とされる。科魁 XJ8L@$X$N;?H]$d4D6-J]8n$N$"$j$+$?!"2L$F$O8=Lr@押井守がそぁ s$J



    劇場用作品


  • 1983年2月11日 『うる星やつら オンリー・ユー』

  • 1984年2月11日 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』

  • 1987年2月7日 『紅い眼鏡』

  • 1989年7月15日 『機動警察パトレイバー the Movie』

  • 1990年3月19日 『Maroko / 麿子』

  • 1991年3月23日 『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』

  • 1992年10月10日 『Talking Head / トーキング・ヘッド』

  • 1993年8月7日 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』

  • 1995年11月18日 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』

  • 1997年3月15日 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』

  • 2000年 『人狼』(原作、脚本。沖浦啓之監督)

  • 2001年1月20日 『アヴァロン』

  • 2002年3月30日 『ミニパト』(『WXIII 機動警察パトレイバー』の併映)

  • 2003年6月14日 『.50 Woman』

  • 2004年3月6日 『イノセンス』[http://www.innocence-movie.jp/]



    TVシリーズ・OVA作品


  • タイムボカンシリーズ

  • うる星やつら

  • ご先祖様万々歳

  • 機動警察パトレイバー

  • ニルスのふしぎな旅

  • 一発貫太君

  • 科学忍者隊ガッチャマン

  • ダロス

  • 天使のたまご

  • 攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG



    外部リンク


  • 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱

  • 押井守非公式サイト 野良犬の塒

  • IMDb: Mamoru Oshii(英語)

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    2007年06月26日

    映画監督[富野由悠季]

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    富野由悠季




    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。本人は演出家・原案提供者としている。神奈川県小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物の一人である。日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』(ガンダムシリーズ)、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、『リーンの翼』など。



    人物像

    旧名(本名)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われる。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。アニメの監督になっていなかったら、自分は殺人者になっていたかもしれないと語ったことがある。大学卒業後、手塚治虫の主宰する虫プロダクションに入社し、そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受ける。「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。虫プロダクション倒産後、CM制作なども手掛けるが再びアニメーションの世界に身を投じタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。フリーの頃、とぁ K$+$/B?$/$N:nIJ$K;22C$7!"%3%s%F$r$+$J$j$N%9%T!<%I$G>e$2$F$$$C$?$3$H$+$i!V%3%s%F@iK\@Z$j$NIYLn!W$H$$$&0[L>$r$H$k$h$&$K$J$k!#6H3&$G$O!VIYLn$KMj$a$P;0F|$G%3%s%F$,>e$,$k!W$H8@$o$l$F$$$?!#%3%s%F!&5SK\$N40@.EY$,Ht$SH4$1$F$$$?$o$1$G$O$J$+$C$?$,!"@):n%9%1%8%e!<%k$N87$7$$%"%K%a6H3&$G$O!"IYLn$N$h$&$K3(%3%s%F$r>e$2$k$N$,Aa$$?M:`$,=EJu$5$l$?GX7J$b$"$k!#0l;~4|JROS$H8@$o$l$?%"%K%a!<%?!<$N8P@nM'8,$K$h$k$H!"0lIt$KNc30$,$"$k$h$&$@$,$HCG$j$J$,$i!V$*%H%_$5$s$N%3%s%F$N2h$O!"$I$&$H$G$b$H$l$k$h$&$JIA$-J}$J$s$G$9$h!#%"%K%a!<%?!<$,$b$C$HLLGr$$;v$r$d$C$F$/$l$l$P$$$$$+$H$$$&46$8$K$b$H$l$k$N$M!#!W$H8l$C$F$$$k!#!J%"%K%a%9%?%$%k$GO":\$5$l$F$$$?8P@nM'8,$X$N%$%s%?%S%e!<$h$jH4?h!K!#!X富野由悠季全仕事』の調査では、∀ガンダム開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事も\xA1 $"$k!#%6%V%s%0%k$N;~$K82Cx$G$"$C$?;vNc$G$"$k$,!"$[$H$s$I<+J,$N! %3%s%F$K $J$C$F$7$^$C$?;~$G$b%9%?%C%U%m!<%k$N5-:\$rJQ$($k$3$H$O$7$J$$!#$3$l$O!V$7$5$l$??M4V$K$b%W%i%$%I$H$$$&$b$N$,$"$k$@$m$&!W$H$$$&G[N8$+$i$G$"$k!#1i=P!&3(%3%s%F$N05E]E*$J7P83NL$rGX7J$H$9$k9b$$JT=8G=NO$K$ODjI>$,$"$k!#:G?7$N!X7`>lHG 機動戦士Zガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作るという離れ業をみせた(編集ツールに関するインタビュー)。それだけの仕事をしながら、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズをしたりと、凄まじいまでの仕事の豊富さである。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹をアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声\xA1 M%$H$7$F$N1i5;%;%s%9$r0i$F$k$H$$$&E@$G$O@5$7$$I=8=$H8@$($k!#!K$H!"0l8+%_%9%^%C%A$G$b;kD08e$K$OB>$N%-%c%9%H$O9M$($i$l$J$$$h$&$JG[Lr$r9T$J$&!#%"%U%l%38=>l$K$OI,$:N)$A2q$C$F@\:Y$r5M$a$k$H$$$&!#IYLn:nIJ$G/$J$/$J$$!#$7$+$71i5;$N;XF3<+BN$O87$7$/!":e8}Bg=u$r$O$8$a?70fN$H~!"@u@nM*$i$O$=$N87$7$5$K5c$-=P$7$?$H$$$&!#%V!<%9$K6n$19~$s$GGM@<$rHt$P$9%@%a=P$7$O6/Nu$+$DM-L>!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G>9-OB$O!"4FFD$NGe%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"l$G$"$C$F$b!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7$F%9%?! %C%U$,JD 8}$9$k;v$b$"$C$?!#%"%K%a;o$d%F%l%S$J$I$NG^BN$KO*=PEY$,9b$$>e!";u$K0aCe$;$LJ*8@$$$+$i!"8,B=$d8,>y$rH~FA$H$9$k?M$?$A$NH?46$rGc$&;v$b$"$k!#$?$@!"$=$N@h8+$NL@$HG=NO$rI>2A$9$k?M$b$$$k!#$=$7$F<+J,$N:nIJ$K0&Ce$r<($5$J$$$+$NMM$JH/8@$r$h$/$7$F$$$k!#$^$?!"?';f$K:B1&$NLC$r$H5a$a$i$l$k$H!V4%:%0lZ3!W$H=q$-9~$`MM$K%A%c%l%s%8@:?@$r;V8~$9$k?MJ*$J$N$G!"?7:n$K$OI,$:2?$+?7$7$$;n$_$r@9$j9~$b$&$H$7$F%"%K%a%U%!%s$+$i935D$ro$J$i$6$kEXNO$r$7$F$-$?$H8l$k$@$1$K!"$3$N%(%T%=!<%I$O5.=E$G$"$k!#!JJL$N%$%s%?%S%e!<$G!"!V%2!<%`$OKcLt!W!V%2!<%`$K7H$o$k;E;v$r$7$F$$$k?M4V$O7y$$!W$H$$$C$?H/8@$r$7$F$$$k!#$?$@!"%2!<%`5;=Q$NH/E8$K$D$$$F$O$"$kDxEY$NM}2r$b<($7$F$$$k$h$&$@!#!K6aG/$O!J?7:n!&5l:n$rLd$o$:!K<+?H$N:nIJ$N%$%s%?%S%e!<$K$*$$$F!"!V%"%+%G%_!<>^$r^$9$k$[$+5-O?E*$J%;!<%k%9$r@.$7?k$2!"Fs@$$^$G3hLv$9$k5\:j=Y$i%9%?%8%*%8%V%j@):n:nIJ$K%i%$%P%k0U<1$r;}$C$F$$$k!W$H;W$o$l$kH/8@$r$7$P$7$P$9$k!#5\:j!"9bH*7.$KBP$9$kI>2A$OHs>o$K9b$/!X富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。彼は「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(若者)になればアニメはさっさと忘れるべきだ。」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。


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    作風

    終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」と非難された事もあった。しかし一方でライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っていた。描くキャラクターも伝説的で「海のトリトン|こころならずも敵側の一般市民を皆殺しにしてしまったことを知り愕然とする主人公」や「無敵超人ザンボット3|敵に人間爆弾に改造されて主人公の目の前で爆死するガールフレンド」、「カミーユ・ビダン|最終回で精神崩壊を起こす主人公」、「ウッソ・エヴィン|主人公の母親の生首が千切れ飛ぶ」、「伝説巨神イデオン|全宇宙が滅亡し、全滅した登場人物たちが幽霊になって宇宙空間を飛ぶ」、「シャア・アズナブル|ロリコンのマザコンのシスコンの独裁嗜好が強い革命家」、「カテジナ・ルース|情けない男に過剰に思い入れしたがために年下の男を嬲りつづける少女」、「カロッゾ・ロナ|妻を文魁 XJx$l$N%Q%s20$K?2h$C$F!X2HDm$NLdBj$@$+$i$J!Y$HLLCK!W$J$I!"Hs>o$K8D@-E*$G$b$"$k!#8=:_$G$O!"!X"O%,%s%@%`!Y$d!XOVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない作品が多い。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い作品は「黒富野」、そうでない作品は「白富野」と俗称されている。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品はセリフ回しが特徴的で、富野節と呼ばれている。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。また、彼が名付けた映像作品のタイトルには、必ず濁点と「ン(ん)」の音が含まれるといった指摘もある。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインにはどことなくお姫様タイプというよりは芯の強さがある。実年齢とは別に、主人公よ\xA1 $j$b$d$dBg?M$S$?46$8$d0z$CD%$C$F$$$/$h$&$J@-3J$,6/$$$3$H$,B?$$! !#$=$7$F $O!V2HDm4D6-$,0-$$$N$G!"M}6~$C$]$$G1$/$l$?@-3J$r$7$F$$$k!W>l9g$N%Q%?!<%s$,B?$$!#IYLn<+?H$bN>?F$KBP$7$FA~0-$N$h$&$J46>p$rJz$$$F$$$?$H6!=R$7$F$$$k!#%F!<%^6J$r:n;l$9$k;~!JFC$K%F%l%SJ|Aw:nIJ$NA04|%*!<%W%K%s%0%F!<%^6J!K$K!"$+$D$F$N%9!<%Q!<%m%\%C%H:nIJ$N$=$l$HF1$8$/!"$?$$$F$$%?%$%H%k$dA0$^$?$O$=$N0lIt$rF~$l$F$$$k!#$3$l$O@=:n8=>l$*$h$S6H3&$K$=$&$$$C$?6u5$$,=A0$K$OByE@$H!X%s!Y$,F~$C$F$$$J$$$H%@%a$@$C$?!W$H$bK\?M$,8l$C$F$$$k!#富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見てもいわゆる萌え系のような大きすぎる目のキャラクターは全く登場しない。そのため、機動戦士クロスボーン・ガンダム連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風上、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目の大きいキャラクターを書くいのまたむつみをキャラクター\xA1 %G%6%$%s$K5/MQ$7$?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#$^$?IYLn:nIJ$K$*$$$FI,$:$H8@$C$F$$$$$[$I!V?M$r2%$k%7!<%s!W$,=P$F$/$k!#%$%s%?%S%e!<$K$*$$$FIYLn$O!V@N$OL<$r;`$L$[$I2%$C$?$7!"%9%?%C%U$r2%$C$?$3$H$b$"$k!#!W$HH/8@!#$5$i$K8e?J$N%"%K%a@=:n

    [ エンディングの法則 ]

    『富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す』

    (「ザンボット3」から休養直前の「機動戦士Vガンダム」間の名古屋テレビ系リアルロボット作品群で適用、「ブレンパワード」以降は前述の経緯から適用されない)
    初出は80年代アニメ雑誌の読者投稿欄から。編集者の「すでに気づいていた」というコメント、単純な法則から、マニア間では周知の認識であったと思われる。
    富野作品がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためであり、何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかも明確ではない。さらに「みな殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。逆に「イデオン」「ダンバイン」「ザンボット3」の衝撃的な結末にも再生を予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。
    しかし、ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が地球の守護者としての主人公らの存在意義をくつがす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】(※例外) 世界大戦終結と仲間への帰還、覚醒

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含めすべての生命の消滅

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含めすべての登場人物の消失

  • エルガイム 【○】 支配階級の打破・革命 (主人公は人格崩壊した義妹とともに世捨て人に)

  • Zガンダム 【×】 主人公の人格崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織

  • ガンダムZZ 【○】 戦争終結、主人公が家族と再会

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面での奇跡的具現、あえて続編小説「閃光のハサウェイ」まで敷衍するならバッドエンドか?

  • ガンダムF91 【○】 家族の再生、新世代の予兆

  • Vガンダム 【×】 勝者のない(見えない)戦争、土着的な生活にもどる主人公たち、冬の情景




    経歴


  • 1964年  日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。学生時代のエピソードあり)卒業後、虫プロダクション入社。制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。

  • 1967年  虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年  オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年  結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。

  • 1977年  創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。

  • 1981年  5月22日、映画版『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年  原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1994年  漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(画は長谷川裕一)。『機動戦士ガンダム F91』の続編的物語として作られ、他のガンダム漫画では、原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作自体に携わった(連載は1997年まで)。

  • 2004年  上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」になった。

  • 2005年  劇場版機動戦士Zガンダム三部作を制作し、順次公開。また、映画『ローレライ (映画)|ローレライ』にカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年  映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。近年、大学で講義を持ったり、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお各方面で精力的に活動中である。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧(括弧内は放送形態および放映年)




    [ 鉄腕アトム(TVシリーズ 1963年 - ) ]


  • 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。余談だが、「未来少年コナン」ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり「機動戦士ガンダム」の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った。
    (因みに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)
    今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと言われ、安彦良和によれば「画を描く手間を考えないアニメーター泣かせのコンテ」、湖川友謙は「動かす意欲を刺激する良いコンテ」と、アニメーターからすると「手を抜くに抜けないコンテ」と認識されているようだ。


    [ 海のトリトン(TVシリーズ 1972年)]


  • 実質的に初のチーフ・ディレクター(68年の『夕やけ番長』が初チーフディレクター作品だが、実際には初期数話に関わった程度)。
    手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン(TVシリーズ 1975年)]


  • 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武=五武冬史)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。(後半の監督は長浜忠夫が担当。)この富野に対するあまりにも横暴な人事に、後任の長浜は激怒したという。富野もそんな仕打ちに鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。これを機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだ。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト(TVシリーズ 1975年)]


  • 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。


    [ しあわせの王子(短編教育映画 1975年) ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星(TVシリーズ 1975年) ]

    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3(TVシリーズ 1977年) ]


  • 原作(共同原作/鈴木良武=五武冬史)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    今作は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3(TVシリーズ 1978年) ]


  • 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。ストーリーに新たな試みを取り入れたザンボット3やガンダムに比べると、前時代的な作風だったのは否めないが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせるシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム(TVシリーズ 1979年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『翔べ! ガンダム』(オープニング)、『永遠にアムロ』(エンディング)、『シャアが来る!!』『いまはおやすみ』(挿入歌)、『きらめきのララァ』(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される。(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セットがバカ売れし、スポンサーの要請により当初の52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、\xA1 G.?4$J%U%!%s$N:FJ|AwC24j$K$h$j?M5$$,K\3JE*$K2aG.$9$k!#J|Aw=*N;8e$K%P%s%@%$$+$i300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時は只の単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく。

    ちなみに、機動戦士ガンダムの企画案はサンライズが30万円で買い取った。(出典:山田玲司『絶望に効くクスリ ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)



    [ 伝説巨神イデオン(TVシリーズ 1980年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『復活のイデオン』(オープニング)、『コスモスに君と』(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。『ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場用作品 1981年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『スターチルドレン』(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までを収録している。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編(劇場用作品 1981年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『哀 戦士』(テーマソング)、『風にひとりで』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでを収録。前作が不入りであれば今作以降は作られなかった可能性も高かったようだ。前作にローマ数字の「I」とサブタイトルがついていないのはそのような理由かららしい。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編(劇場用作品 1982年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までを収録。宇宙と書いて「そら」と読ませる。大幅にストーリーラインが変更されたのと、TVシリーズ制作時に作画監督の安彦良和が病気で現場を離れていた事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル(TVシリーズ 1982年) ]


  • 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『疾風ザブングル』(オープニング)、『乾いた大地』(エンディング)『HEY YOU』『わすれ草(そう)』(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇(劇場用作品 1982年) ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『セーリング フライ』(『接触篇』挿入歌)、『海に陽に』(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、総集編の残りの後39話が一部形を変え、繰り返される形となっている)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン(TVシリーズ 1983年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『ダンバインとぶ』(オープニング)、『見えるだろうバイストンウェル』(エンディング)作詞
    まだ日本にファンタジー物がほとんど認知されていおらずリアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、中世ヨーロッパに似た異世界を舞台とし、実在するテクノロジーと異なったメカニズムなど、ファンタジー的な要素を強く打ち出した異色作だった。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことに賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワーク的世界となった。


    [ ザブングル グラフィティ(劇場用作品 1983年) ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。また、あまり知られていないが、ラストには少し手が加えられており、テレビ版とは異なる。かなり重要な変更なのだが、何故改変が行われたのかは不明。


    [ 銀河漂流バイファム(TVシリーズ 1983年) ]


  • 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。もう一つの企画原案は『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム(TVシリーズ 1984年) ]


  • 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『スターライト・シャワー』(エンディング)、『傷ついたジェラシー』(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である。(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)


    [ 機動戦士Ζガンダム(TVシリーズ 1985年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞。

  • 井荻麟名義で『Z・刻を越えて』(前期オープニング)、『星空のBelieve』(エンディング)、『銀色ドレス』(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンもいる。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ(TVシリーズ 1986年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で『一千万年銀河』(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、ファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」はやらないと語っている。


    [ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(劇場用作品 1988年) ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、アニメ版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91(劇場用作品 1991年) ]


  • 原作・総監督・脚本・絵コンテ・挿入歌の作詞。

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ 機動戦士Vガンダム(TVシリーズ 1993年) ]


  • 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で『STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー』(前期オープニング)、『ひなげしの旅のむこうに』『いくつもの愛をかさねて』(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、放送直前に第4話が第1話に置き換えられるなど混乱も見られた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品で、作画にもムラがあったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作と同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい欝状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていた、と著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しぁ r$D$1!"%U%!%s$r6CX3$5$;$?!#


    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼(OVA 1996年) ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。ダンバインと同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。


    [ ブレンパワード(TVシリーズ 1998年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『愛の輪郭(フィールド)』(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインに自らの嗜好に合わないとしながらいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム(TVシリーズ 1999年) ]


  • 原作・総監督・絵コンテ。

  • 井荻麟名義で『ターンAターン』(前期オープニング)、『CENTURY COLOR』(後期オープニング)、『月の繭』(後期エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括する、原点に返るといった意味を込めて本作品では「ターンエー」と読んでいる。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を全否定し、かつ全肯定する作品を目指し、キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。しかしシドがデザインした革新的なガンダム(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)のデザインは放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開される。なお、この作品のノベライズ化を福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、福井版では富野監督による構想初期のシナリオに沿っている。


    [ OVERMANキングゲイナー(TVシリーズ 2002年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ。

  • 井荻麟名義で『キングゲイナー・オーバー!』(オープニング)作詞
    再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により高いレベルで安定したデザインを実現。富野の提案で、登場メカは人工筋肉素材「マッスルエンジン」を用いた骨格に皮膚を被せ、衣服の役目を果たすオプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮し、柔軟な動きが可能なロボットという設定が組み込まれた。このため、メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用、ヒーロー要素と丸く可動性の高いデザインを両立した。作画は高水準で安定し、作画枚数の多い第1話や、意表をつくアクションの第14蓮 C!"862h$dF02h$KCxL>$J:n2h4FFD$d%9%?%8%*$,$*:W$j$N$4$H$/B??t;22C$7$?:G=*OC$,Nc$H$7$F$h$/5s$2$i$l$k!#$C$?;v$b;G$($k!#;kD02A$G!"!V%U%!!<%9%H%,%s%@%`0JMh$N7f:n!W$H$9$k?M$b>/$J$/$J$$!#


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶(劇場用作品 2002年) ]


  • 原作・総監督。
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3本だったのに、50話の∀ガンダムを2本にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼(OVA・ネット配信 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で『はじめてのおっぱい』(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者(劇場用作品 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち(劇場用作品 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。


    [ 機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛(劇場用作品 2006年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。



    小説著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム(1-3)(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1979年-1981年/角川書店[角川文庫], 1987年)
    ・機動戦士Zガンダム(講談社, 1985年-1986年/角川書店[角川文庫], 1987年)

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア−ハイストリーマー(前・中・後)(徳間書店[アニメージュ文庫], 1987-1991年)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア−ベルトーチカ・チルドレン(角川書店[角川文庫]、1988年);機動戦士ガンダムF91(上・下)(角川書店[角川スニーカー文庫], 1991年)
    ・機動戦士Vガンダム(角川書店[角川スニーカー文庫], 1993年-1994年)

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ
    ・密会――アムロとララァ(上・下)(角川書店[角川mini文庫], 1997年/[角川スニーカー文庫], 2000年)


    [ ガイア・ギア(1-5)(角川書店[角川スニーカー文庫], 1988年-1992年)]

    : ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。版権等の問題から正史とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上・中・下)(角川書店[角川スニーカー文庫, 1989年-1990年) ]

    : 一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているため、正確には角川書店版の小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の続編に当たるが、現在では本作もほぼ正史として見られているようである。


    [ 伝説巨神イデオン(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1981年-1982年/角川書店[角川文庫], 1987年-1988年) ]


  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より(1-6)(角川書店[カドカワノベルス], 1984年-1986年/[角川文庫], 1986年)
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)(角川書店[角川文庫], 1986年-1987年)
    ・オーラバトラー戦記(角川書店[カドカワノベルス], 1986年-1992年/[角川スニーカー文庫], 2000年-2001年)

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼(1-5)(アスペクト[ログアウト冒険文庫], 1995年-1997年)


    [ 破嵐万丈シリーズ(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1987年-1992年) ]

    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ(徳間書店[アニメージュ文庫], 1988年-1989年) ]


  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして(1-3)(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1995年-1996年) ]



    [ 王の心(角川書店[角川ノベルス], 1995年-1996年) ]

    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主にVガンダム監督前から∀ガンダム放映終了のもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ



    外部リンク


  • 日本バトリング協会富野監督担当


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(3) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年06月25日

    映画監督[今敏]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今敏



    今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - )は、アニメ監督、漫画家。北海道釧路市出身。

    国際映画祭への出品と一般的な支持からアニメ監督としての知名度が高い。なお、ギタリスト・スタジオミュージシャンの今剛は実の兄に当たる。



    来歴

    父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志し、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科に入学。

    大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)でちばてつや賞を受賞し漫画家としてデビュー。大学卒業後、『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの、デビュー作から大友作品による影響が強い)などを発表。

    その後アニメーションの仕事を手がけるようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューを果たした。『千年女優』で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と共に文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し話題となった。



    監督作品


  • 1997年『パーフェクトブルー』
    :初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。


  • 2001年『千年女優』
    :ドリームワークスにより世界配給された。


  • 2003年『東京ゴッドファーザーズ』
    :先の『千年女優』と共にアカデミー賞アカデミー長編アニメ賞|長編アニメ賞候補作品に選出され、『ファインディング・ニモ』と競った。


  • 2004年『妄想代理人』
    :WOWOWにてシリーズ化された。初めてのテレビアニメーションとなる。

  • 2006年『パプリカ (アニメ映画)|パプリカ』
    :原作は筒井康隆の小説。公開に先駆け第63回ベネチア映画祭のコンペティション部門に出品された。




    受賞


  • 2002年 『千年女優』
    第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
    第57回毎日映画コンクール大藤信郎賞
    第6回ファンタジア映画祭最優秀アニメーション映画賞芸術的革新賞
    第33回シッチェス映画祭最優秀アジア映画作品賞

  • 2005年 『東京ゴッドファーザーズ』
    第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
    第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
    第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞



    漫画作品


  • 『虜 -とりこ-』

  • 『海帰線』

  • 『ワールド・アパートメントホラー』

  • 『セラフィム 〜2億6661万3336の翼〜』(原案 押井守、未完、単行本未収録)



    外部リンク


  • KON'STONE(公式サイト)

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    2007年06月24日

    映画監督[今敏]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今敏



    今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - )は、アニメ監督、漫画家。北海道釧路市出身。

    国際映画祭への出品と一般的な支持からアニメ監督としての知名度が高い。なお、ギタリスト・スタジオミュージシャンの今剛は実の兄に当たる。



    来歴

    父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志し、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科に入学。

    大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)でちばてつや賞を受賞し漫画家としてデビュー。大学卒業後、『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの、デビュー作から大友作品による影響が強い)などを発表。

    その後アニメーションの仕事を手がけるようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューを果たした。『千年女優』で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と共に文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し話題となった。



    監督作品


  • 1997年『パーフェクトブルー』
    :初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。


  • 2001年『千年女優』
    :ドリームワークスにより世界配給された。


  • 2003年『東京ゴッドファーザーズ』
    :先の『千年女優』と共にアカデミー賞アカデミー長編アニメ賞|長編アニメ賞候補作品に選出され、『ファインディング・ニモ』と競った。


  • 2004年『妄想代理人』
    :WOWOWにてシリーズ化された。初めてのテレビアニメーションとなる。

  • 2006年『パプリカ (アニメ映画)|パプリカ』
    :原作は筒井康隆の小説。公開に先駆け第63回ベネチア映画祭のコンペティション部門に出品された。




    受賞


  • 2002年 『千年女優』
    第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
    第57回毎日映画コンクール大藤信郎賞
    第6回ファンタジア映画祭最優秀アニメーション映画賞芸術的革新賞
    第33回シッチェス映画祭最優秀アジア映画作品賞

  • 2005年 『東京ゴッドファーザーズ』
    第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
    第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
    第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞



    漫画作品


  • 『虜 -とりこ-』

  • 『海帰線』

  • 『ワールド・アパートメントホラー』

  • 『セラフィム 〜2億6661万3336の翼〜』(原案 押井守、未完、単行本未収録)



    外部リンク


  • KON'STONE(公式サイト)

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    2007年06月22日

    映画監督[小津安二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業をサボタージュしたため、不良学生として寄宿舎から追放。



    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗して、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたりマンドリンを弾いて慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高悟との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。




    作品




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィックスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていないと指摘されており、独特の時間感覚とともに作品に違和感を生じさせる一因ともなっている。自らは独身|家庭を持たぬ小津が、原節子|女優に家人の役を配役したり、家族の姿を語らせるなど今だ実像に迫りきっていない部分も多い。



    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下恵介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。



    国際的な支持

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎

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    2007年06月21日

    映画監督[黒沢清]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒沢清




    黒沢 清(くろさわ きよし、男性、1955年7月19日 - )は、兵庫県神戸市出身の映画監督、脚本家。六甲中学校・高等学校|六甲高校を経て立教大学社会学部卒業。在学中に兼任講師として映画論講座を受け持っていた蓮實重彦の薫陶を受ける。同ゼミに、当時東京大学|東大の学生だった宮台真司(現:首都大学東京准教授)が出入りしており、当時から黒沢との親交があった。1990年代以降の日本映画界には希有な鬼才。映画監督の黒澤明とは血縁は無い。立教大学在籍中に8ミリの『白い肌に狂う牙』を監督。また万田邦敏らと映画制作集団パロディアス・ユニティーを結成し、伝説的な自主映画『School Days』や『しがらみ学園』を撮った。(→ヌーヴェルヴァーグ|立教ヌーヴェルヴァーグ)1980年、『しがらみ学園』がぴあフィルムフェスティバルに入賞し注目される。
    大学四年時に、長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』に制作進行として、1981年には、相米慎二『セーラー服と機関銃』に助監督として映画を学び、その流れからディレクターズカンパニー制作のピンク映画『神田川淫乱戦争』1983年で商業映画デビュー。続く『女子大生恥ずかしゼミナール』は、配給元から日活|にっかつロマンポルノとしては公開拒否の憂き目にあうも、後に一部追加撮影・再編集され『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)として晴れて一般公開された。
    この作品の出演を通じ交流を持った伊丹十三の制作・主演でプロ三作目の『スウィート・ホーム (映画)|スウィート・ホーム』(1989年)を監督したが、演出方針やビデオ化報酬などで伊丹側と対立、訴訟沙汰にまでいたるほど悪化し、以降両者は関係を絶つ1992年、オリジナル脚本『カリスマ』がサンダンス・インスティチュートのスカラシップを獲得し渡米(その様子はビデオ作品『2001映画と旅』に散見できる)。帰国後、<職人的な仕事に徹した>低予算、早撮りの環境下で才能の真価を発揮、『復讐』、『勝手にしやがれ』シリーズ、『蛇の道』、『蜘蛛の瞳』など哀川翔主演の連作を手がけたことで、彼のイメージに新たな一面を付け加え、また自身の鮮烈で特異な作風の基盤を築いた。事実、黒沢映画でおなじみの廃墟シーンやダンボール等の小道具が散見されるようになったのはこの時期からである。1997年役所広司主演の傑作『CURE』で世界的な名声を獲得し、世界各国で特集が組まれ、映画祭にも招待された。シネフィルとして70年代ホラー映画、ハマー・フィルム、トビー・フーパー|フーパー、ジョァ s!&%+!<%Z%s%?!<|カーペンターらを愛し、人をこわがらせる表現や恐怖や死といったホラー映画的題材を好んで扱うと同時に、ロバート・アルドリッチ|アルドリッチ、リチャード・フライシャー|フライシャー、ドン・シーゲル|シーゲル、サム・ペキンパー|ペキンパー、サミュエル・フラー|フラーらによる職人気質のウェルメイドな「アメリカ映画」の影響から、感傷的な心理描写を排した作風が生まれた。また蓮實のいう映画史的に正しいとされる映画を顕揚した。高橋洋とともに清水崇『呪怨』の監修を行ったことなどから、『回路』のハリウッドリメイク版『PULSE』のトレイラーでは「Godfather of J-Horror」と称されるなど、フランスや英国では、アキラではない、もう一人のクロサワとして重要な作家として認められている。その功績から2005年、北野武とともに東京芸術大学大学院教授に就任した。黒沢は、いまだ撮られていない映像表現を求め、方法論的な探求から「映画」というメディアの特性に自覚的で、とりわけフィルム撮影にこだわっているわけでもなく、デジタル技術も積極的に取り入れ、既存のジャンル院 G2h$H$O$I$l$K$b;w$F$$$J$$?7$?$J:nIJ$rCGB3E*$K@8$_=P$7B3$1$F$*$! j!":#8e$ b?7:n$,BT$AK>$^$l$k!#>.@b2H$H$7$F$O<+:n$N%N%t%'%i%$%:>.@b!XCURE』、『回路』(いずれも徳間書店刊)があり、なかでも名著『映像のカリスマ』は、洒脱な語り口と内容から著述家としても黒沢の明晰さをうかがいしることができる。




    監督作品


  • 白い肌に狂う牙(1977年)

  • SCHOOL DAYS(1978年)

  • しがらみ学園(1980年)

  • 神田川淫乱戦争 Kandagawa Wars (1983年)

  • ドレミファ娘の血は騒ぐ The Excitement of the Do-Re-Mi-Fa Girl (1985年)

  • スウィート・ホーム (映画)|スウィート・ホーム Sweet Home (1989年)

  • 奴らは今夜もやってきた (『危ない話 夢幻物語』第2話) (1989年)

  • もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵(1990年) TV

  • 地獄の警備員 The Guard from the Underground (1992年)

  • よろこびの渦巻(1992年) TV

  • 胸さわぎの15才 第11話、第12話(最終回)(1993年)TV

  • ワタナベ1話、2話、11話、12話(最終回) (1993年)TV

  • ヤクザタクシー 893TAXI(1994年)ビデオ

  • 打鐘(ジャン) 男たちの激情(1994年)ビデオ

  • 花子さん(『リアリスティック・ホラー 学校の怪談I』) (1994年)

  • 勝手にしやがれ!!強奪計画(1995年)

  • 勝手にしやがれ!!脱出計画(1995年)

  • 勝手にしやがれ!!黄金計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!逆転計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!成金計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!英雄計画(1996年)

  • DOOR III (1996年)

  • 復讐 運命の訪問者(1997年)

  • 復讐 消えない傷痕(1997年)

  • 廃校綺談(『学校の怪談f』) (1997年)

  • CURE (1998年)

  • 蛇の道 Serpent's Path(ビデオ題・修羅の極道 蛇の道) (1998年)

  • 蜘蛛の瞳 Eyes of the Spider(ビデオ題・修羅の狼 蜘蛛の瞳) (1998年)

  • 木霊(『学校の怪談G』) (1998年)

  • ニンゲン合格 License to Live (1999年)

  • 大いなる幻影 Barren Illusion (1999年)

  • カリスマ (映画)|カリスマ Charisma (1999年)

  • 回路 (映画)|回路 Pulse (2000年) 第54回カンヌ国際映画祭 国際批評家連盟賞

  • 降霊 KOUREI/Seance (2001年)

  • 花子さん(学校の怪談 物の怪スペシャル) (2001年)

  • 2001年映画と旅 「第16回国民文化祭・ぐんま2001in たかさき」より製作依頼された作品 (2001年)

  • タイムスリップ (2002年)オムニバス「愛と不思議と恐怖の物語」のうちの一本

  • 風の又三郎 NHK「朗読紀行・にっぽんの名作」の一作(2003年)

  • 刑事(デカ)まつり『霊刑事』(2003年)

  • アカルイミライ bright future (2003年) 第56回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品

  • ドッペルゲンガー (映画)|ドッペルゲンガー Doppelganger (2003年)

  • ココロオドル (2004年) 雑誌"Invitation"に特別付録DVDとして付属

  • 楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家 (2005年)

  • LOFT ロフト (映画)|LOFT (2006年)

  • 叫 (映画)|叫 (2007年) 第63回ヴェネチア国際映画祭 特別招待作品



    関連書籍


  • 映像のカリスマ―黒沢清映画史(1992年) フィルムアート社

  • キュア(1997年) 徳間文庫

  • ロスト・イン・アメリカ(2000年) 青山真治、安井豊、阿部和重、塩田明彦、(編)稲川方人、樋口泰人 デジタルハリウッド出版局

  • 回路(2001年) 徳間書店

  • 映画はおそろしい(2001年) 青土社

  • 黒沢清の恐怖の映画史 篠崎誠 (共著)(2003年) 青土社

  • 回路(2003年) 徳間文庫

  • ユリイカ「黒沢清 特集」(2003年7月号) 青土社 [万田氏との対談、俳優インタビューなど]

  • 映画の授業―映画美学校の教室から(2004年) 青土社

  • 黒沢清の映画術(2006年) 新潮社

  • 映像のカリスマ―増補改訂版(2006年) エクスナレッジ



    出演作品


  • 星くず兄弟の伝説(1985) サロン魚の目の客

  • 誘惑者(1989)  図書館員

  • ミカドロイド(1991)

  • パチンカー奈美(1992)

  • したくて、したくて、たまらない、女。(1995)  ジャーナリスト

  • 亡霊学級(1996)

  • ピエタ(1997)  地下酒場の警官

  • 血を吸う宇宙(2001) 新聞配達

  • 曖昧な未来、黒沢清(2002)  本人

  • 3on3 スリー・オン・スリー(2003)

  • ピンクリボン(2004) 本人

  • 輪廻(2006) 大学教授

  • 映画監督って何だ!(2006) 


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    2007年06月20日

    映画監督[小津安二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業をサボタージュしたため、不良学生として寄宿舎から追放。



    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗して、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたりマンドリンを弾いて慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高悟との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。




    作品




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィックスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていないと指摘されており、独特の時間感覚とともに作品に違和感を生じさせる一因ともなっている。自らは独身|家庭を持たぬ小津が、原節子|女優に家人の役を配役したり、家族の姿を語らせるなど今だ実像に迫りきっていない部分も多い。



    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下恵介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。



    国際的な支持

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎

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    2007年06月19日

    映画監督[是枝裕和]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    是枝裕和



    是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、1995年映画監督デビュー。現在までに5本の劇場映画を監督し、多くの国際映画祭に招待されるなど海外での評価が高い。若手監督のプロデュースや、CM作品・ミュージックビデオの演出も手がけている。主な作品として、映画『誰も知らない』『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』、TVドキュメンタリー『しかし… 福祉切り捨ての時代に』がある。書籍にノベライズ『小説ワンダフルライフ』、プロデュース作品として西川美和監督の『蛇イチゴ』がある。『誰も知らない』ではカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞するなど、高い評価を受けた。



    監督作品


  • 長編映画
    『幻の光』(1995)
    『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    『DISTANCE』(2001)
    『誰も知らない』(2004)
    『花よりもなほ』(2006)*TVドキュメンタリー
    『しかし… 福祉切り捨ての時代に』(1991) フジテレビNONFIX
    『もう一つの教育』(1991) 同上
    『公害はどこへ行った…』(1991) 同上
    『日本人になりたかった…』(1992) 同上
    『侯孝賢とエドワード・ヤン』(1993) 同上
    『心象スケッチ それぞれの宮沢賢治』(1993) テレビ東京 ドキュメンタリー人間劇場
    『彼のいない八月が』(1994) フジテレビNONFIXスペシャル
    『記憶が失われた時』(1996) NHK
    『歩くような速さで』(2002) 日本テレビ
    『シリーズ憲法 〜第9条・戦争放棄「忘却」〜』(2006) フジテレビNONFIX*CM
    日産ニューセレナ『モノより思い出』シリーズ (1999-2003)
    サントリーなっちゃん『3年目のなっちゃん』
    ポッカ『じっくりコトコト煮込んだスープ』
    SONY ミュージック・オーディション・シリーズ (2001-2002)
    フジテレビ・キャンペーン 『きっかけはフジテレビ』(2002)
    SONY プレイステーション2『アークザラッド精霊の黄昏』(2003)
    ネスカフェ『朝のリレー 寝顔篇』(2004)
    ダイハツ ミラ・カスタム (2006)

  • 柳楽優弥とYOU (タレント)|YOUが親子役で再共演*ミュージック・ビデオ
    Cocco『水鏡』(2000) 『日の照りながら雨の降る』(2006)
    タテタカコ『宝石』(2004)
    スネオヘアー『やさしいうた』(2007)



    プロデュース作品


  • 『カクト』(2003) 監督:伊勢谷友介

  • 『蛇イチゴ』(2003) 監督:西川美和

  • 扉の向こう 〜エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方〜』(2004) ディレクター:千切谷知子



    書籍


  • しかし…?ある福祉高級官僚 死への軌跡』(1992) あけび書房

  • 官僚はなぜ死を選んだのか?現実と理想の間で』(2001) 日経ビジネス人文庫

  • 小説ワンダフルライフ』(1999) ハヤカワ文庫

  • DISTANCE 〜映画が作られるまで〜』(2001) スイッチパブリッシング

  • あの頃のこと?Every day as a child』(共著、2004) ソニーマガジンズ

  • 花よりもなほ』(2006) 角川書店



    受賞歴


  • 『幻の光』(1995)
    第52回ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞
    バンクーバー映画祭 グランプリ
    シカゴ映画祭 グランプリ*『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    ナント三大陸映画祭 グランプリ
    トリノ映画祭 最優秀脚本賞
    ブエノスアイレス映画祭 グランプリ・最優秀脚本賞
    サンセバスチャン映画祭 国際批評家連盟賞*『DISTANCE』(2001)
    カンヌ国際映画祭 コンペティション部門招待*『誰も知らない』(2004)
    カンヌ国際映画祭 最優秀男優賞
    フランダース国際映画祭 グランプリ
    シカゴ国際映画祭 金のプラーク賞
    第78回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン
    第47回ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞 作品賞 監督賞*『花よりもなほ』(2005)
    トロント国際映画祭招待
    サンセバスチャン映画祭 コンペティション部門招待
    釜山国際映画祭招待*ドキュメンタリー作品において、ギャラクシー賞やATP賞などを数多く受賞。



    関連項目

    西川美和 / 伊勢谷友介 / タテタカコ / 森達也 / テレビマンユニオン / NONFIX / TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • KORE-EDA.com 公式サイト


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    2007年06月18日

    映画監督[篠田正浩]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    篠田正浩



    篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - )は、岐阜県岐阜市出身の映画監督。(本人は2003年監督作品『スパイ・ゾルゲ』をもって監督業を引退したと公言している)妻は、女優の岩下志麻。美術家の篠田桃紅は従姉にあたる。岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学時代に箱根駅伝に出場、「花の2区」を走った経験を持つ。広島カープファン。



    監督作品


  • 恋の片道切符(1960年)

  • 乾いた湖(1960年)  脚本:寺山修司

  • 三味線とオートバイ(1961年) 原作:川口松太郎

  • わが恋の旅路(1961年) 原作:曽野綾子、脚本:寺山修司

  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年) 脚本:寺山修司

  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年) 脚本:寺山修司・水沼一郎・篠田正浩

  • 山の讃歌 燃ゆる若者たち(1962年) 脚本:白坂依志夫

  • 私たちの結婚(1962年) 脚本:松山善三・篠田正浩

  • 暗殺 (映画)|暗殺(1964年) 原作:司馬遼太郎

  • 乾いた花(1964年) 原作:石原慎太郎 カンヌ映画祭招待作品

  • 美しさと哀しみと(1965年) 原作:川端康成

  • 異聞猿飛佐助(1965年)

  • 処刑の島(1966年) 原作:武田泰淳、脚本:石原慎太郎

  • あかね雲(1967年)

  • 心中天網島(1969年) 原作:近松門左衛門、脚本:富岡多恵子・武満徹・篠田正浩 ヴェネチア映画祭招待作品、ロンドン映画祭招待作品

  • 無頼漢(1970年) 脚本:寺山修司 アデレード映画祭批評家賞

  • 沈黙 SILENCE(1971年) 原作:遠藤周作 カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 札幌オリンピック(1972年)(記録映画)ゴールデングローブ賞長編記録映画賞ノミネート

  • 化石の森(1973年) 原作:石原慎太郎

  • 卑弥呼(1974年)カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 桜の森の満開の下(1975年) 原作:坂口安吾

  • はなれ瞽女おりん(1977年) 原作:水上勉 アジア映画祭監督賞

  • 夜叉ヶ池(1979年) 原作:泉鏡花

  • 悪霊島(1981年) 原作:横溝正史

  • 瀬戸内少年野球団(1984年) 原作:阿久悠 ヒューストン映画祭外国語映画賞

  • ALLUSION -転生譚-(1985年)

  • 鑓の権三(1986年) 原作:近松門左衛門 ベルリン映画祭銀熊賞

  • 舞姫(1989年) 原作:森?外

  • 少年時代(1990年) 原作:藤子不二雄A

  • 写楽(1995年) 原作:皆川博子 カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年) 原作:阿久悠 ベルリン映画祭コンペティション出品

  • 梟の城(1999年) 原作:司馬遼太郎 プチョン国際ファンタスティック映画祭監督賞

  • スパイ・ゾルゲ(2003年)



    受賞歴


  • 第14回日本アカデミー賞優秀監督賞・最優秀監督賞(1991年、少年時代)



    関連項目


  • 碓井優

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    2007年06月17日

    映画監督[中島哲也]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    中島哲也



    中島 哲也(なかしま てつや、1959年 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。



    人物

    1959年福岡県生まれ。福岡県立筑紫高等学校 明治大学卒業。CM制作会社・日本天然色映画を経て、1987年よりフリー。CMデビュー作のフジッコ漬物百選では、山口美江の「しばづけ食べたい」のセリフが話題に。以後、サッポロ黒ラベル 「温泉卓球」篇など多数のヒットCMを世に送り出しCM界の巨匠として知られるようになる。大学在学中に制作した「はの字忘れて」が、82年ぴあフィルムフェスティバルで入選し、「バカヤロー!私怒ってます/第二話 遠くてフラれるなんて」(1988年)で劇場映画監督デビュー。以後、「下妻物語」(2004)を監督。独特のユーモアとポップで色鮮やかな映像世界でCM、映画等幅広く活躍している。また、「プロの女優さんをほめるのは逆に失礼」という信念を持っており、出演者を罵倒し続ける監督として有名。このことは、「嫌われ松子の一生 (映画)|嫌われ松子の一生」に主演した中谷美紀が著書の中で書いている。2006年度文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞受賞。



    作品




    [ CM ]


  • フジッコ「漬物百選」(出演:山口美江)

  • クノール カップスープ(出演:小泉今日子)

  • サントリー 冷撰洋酒(出演:三浦友和 加藤茶)

  • サントリー モルツ「モルツ球団」(出演:原田芳雄)

  • 富士フイルム フジカラー写ルンです

  • ソフトバンクテレコム|J-PHONE(出演:永瀬正敏)

  • 日本中央競馬会|JRA'99年間キャンペーン(出演:木村拓哉)

  • 東日本電信電話|NTT東日本 フレッツ「ガッチャマン」篇(出演:SMAP)

  • サッポロビール サッポロ生 黒ラベル 「温泉卓球」篇(出演:豊川悦司 山崎努)

  • プロバイダーZERO


    [ 映画 ]


  • 「はの字忘れて」

  • 「バカヤロー! 私、怒ってます 第二話 遠くてフラれるなんて」

  • 「夏時間の大人たち」

  • 「Beautiful Sunday」(出演:永瀬正敏 尾藤桃子)

  • 「下妻物語」(出演:深田恭子 土屋アンナ)

  • 「嫌われ松子の一生 (映画)|嫌われ松子の一生」(出演:中谷美紀 瑛太 伊勢谷友介 劇団ひとり)


    [ テレビドラマ ]


  • 「私立探偵 濱マイク」9話 ミスター・ニッポン〜21世紀の男〜(出演:永瀬正敏)

  • 世にも奇妙な物語 「ママ新発売!」(出演:ともさかりえ)

  • 「X'smap〜虎とライオンと五人の男〜」(出演:SMAP)


    [ ビデオ ]


  • 「Smap Short Films ROLLING BOMBER SPECIAL」

  • 「The Works of Tetsuya Nakashima」


    [ PV ]


  • 松たか子「みんなひとり」



    主な受賞


  • ぴあフィルムフェスティバル入選(「はの字忘れて」)

  • ACC 金賞(JRA)

  • ACC グランプリ/特別賞(演出)(サッポロ黒ラベル)

  • ADC グランプリ(サッポロ黒ラベル)

  • ギャラクシー奨励賞(サッポロ黒ラベル)

  • 第26回ヨコハマ映画祭 作品賞 監督賞(「下妻物語」)

  • 第30回日本アカデミー賞 優秀監督賞 優秀脚本賞(「嫌われ松子の一生」)


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    2007年06月16日

    映画監督[植草甚一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    植草甚一



    植草 甚一(うえくさ じんいち、男性、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“JJ氏”。東京市日本橋区小網町の木綿問屋に生まれる。早稲田大学理工学部建築学科中退後、東宝に入社。戦後独立して映画評論を手がける傍らジャズや雑学への造詣を深める。1956年、初の単行本『外国の映画界』を上梓。この当時は、肥満体の、好戦的で気難しい、敵の多い男として知られていた。出版社と喧嘩が絶えず、『スイング・ジャーナル』誌の連載だけを主な仕事としていた。1967年に晶文社から出した『ジャズの前衛と黒人たち』がきっかけとなって若い世代から支持を集め、植草ブームを招来。1970年に随筆|エッセイ『ぼくは散歩と雑学が好き』を刊行して若者にサブカルチャーを普及させた。1971年に胃の手術を受けてから体重が激減し、痩身となる。この時期からブームが本格的になり、一ヶ月に約300枚の原稿を執筆した。1973年には雑誌『ワンダーランド』を創刊。この『ワンダーランド』が後にJ! ICC出版局(現・宝島社)に譲渡され、『宝島 (雑誌)|宝島』として発展していった。1974年にはじめてニューヨークへ行き、本、映画、ファッションなど様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表し、さらに注目された。
    1979年、世田谷区経堂の自宅で逝去。彼の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、タレントのタモリがその全部を買い取ったという逸話がある。高平哲郎談によるその数、約4000枚。エッセイ集として『植草甚一スクラップブック』(晶文社・1976年〜1980年/2004年復刻)がある。片岡義男その他がパーソナリティをつとめる番組「気まぐれ飛行船」の中のインタビューコーナー「飛行船学校」でしばしばロングインタビューを受け、肉声を聞くことが出来た。



    関連項目


  • 古書店

  • ニューヨーク

  • コラージュ

  • 淀川長治

  • 久保田二郎

  • 東宝

  • 晶文社

  • スイングジャーナル

  • 話の特集

  • 宝島 (雑誌)|宝島



    外部リンク


  • 著作リスト
    植草甚一ファンクラブ

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    2007年06月15日

    映画監督[中田秀夫]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    中田秀夫



    中田 秀夫(なかた ひでお、1961年7月19日 - )は岡山県浅口郡金光町(現・浅口市)出身の映画監督。



    略歴


  • 金光学園中学校・高等学校|金光学園高等学校卒業。1980年、東京大学理科1類に入学し工学部応用物理学科に進学が内定していたが、進路を変更し教養学部アジア学科卒業。在学中に蓮實重彦の映画ゼミに参加し、非常に大きな影響を受ける。

  • 1985年ににっかつ撮影所に入社し、助監督を経て1992年に『ほんとにあった怖い話』で監督デビュー。

  • 同年、文化庁芸術家在外研修員として渡英。1995年に帰国するが、渡英中に製作を開始したジョセフ・ロージーのドキュメンタリーが完成したのは1998年だった。

  • 帰国後に監督した『女優霊』がヒットしたことから多くのホラー作品を手掛けるようになり、現在では黒沢清や清水崇らと並ぶホラー映画|Jホラー(ジャパニーズホラー)の代表の一人と目されている。

  • 国内で大ヒットしたホラー映画『リング (ホラー)|リング』は米国でリメイクされた。この作品は他の監督(ゴア・ヴァービンスキー)の手なるものだったが、続編である『ザ・リング2』では自身が監督を務め念願のハリウッド・デビューを果たしている。トム・クルーズ製作の『The EYE』、フォックス・サーチライトで『Entity』、ニューラインで『OUT』、ドリームワークスで『ザ・リング3』、MGMで『True Believer』などハリウッドでの企画も多数進行中である。



    人物


  • デビュー作が『本当にあった怖い話』シリーズの一作であったり、出世作も『女優霊』というホラー作品であり、何よりも『リング』という大ヒット作の監督であることからホラー(専門)監督と見なされることが多いが、本人に取り立ててホラー映画指向はなく「本当に撮りたいものはホラーではない」と公言している。



    作品




    [ 助監督作品 ]


  • ビー・バップ・ハイスクール (映画)|ビー・バップ・ハイスクール(1985年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)


    [ 監督作品 ]


  • 女優霊(1996)

  • 暗殺の街(1997)

  • ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男(1998・16mm作品)

  • リング (ホラー)|リング(1998)

  • リング (ホラー)|リング2(1999)

  • ガラスの脳(1999)

  • サディスティック&マゾヒスティック (2000)

  • カオス(2000年)

  • 仄暗い水の底から(2002)

  • ラストシーン (2002)

  • ザ・リング2(2005)

  • 怪談(2007)

  • スピンオフ L(仮題)(2008年公開予定)



    外部リンク


  • 公式サイト

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    2007年06月13日

    映画監督[深作欣二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    深作欣二



    深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日-2003年1月12日)は日本の映画監督。茨城県水戸市出身。妻は女優の中原早苗。映画監督の深作健太は実子。




    略歴


  • 茨城大学教育学部附属中学校を卒業。水戸第一高等学校卒業後、日本大学芸術学部卒業。

  • 1953年、東映に入社。

  • 1961年、『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』で監督デビュー。『誇り高き挑戦』で注目される。以後、『ジャコ萬と鉄』、『軍旗はためく下に』などの秀作を発表。

  • 1973年から始まった『仁義なき戦い』(脚本笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫、主演菅原文太)シリーズは、映画史に残る大ブームとなり、「実録映画」の第一人者の地位を不動のものとする。その後もTVドラマ『傷だらけの天使』(2本を監督)、映画『柳生一族の陰謀』、『蒲田行進曲』、『バトル・ロワイアル』など発表する作品の多くが話題作となる。ガンマー第3号 宇宙大作戦はMGM配給で全米公開され大ヒット。宇宙からのメッセージはユナイト映画配給で全米公開され、やはり大ヒットを記録。欧米ではSF映画の監督として知られていたが、
    ロッテルダム映画祭やトロント映画祭などの特集上映で作家性が注目され、『バトル・ロワイアル』はフランスやイギリスなど海外でも大ヒットし、香港では興行成績1位を記録した。アクション映画の監督と見られがちであるが、小松左京原作の『復活の日』、檀一雄原作の『火宅の人』を映像化するなど、取り上げるテーマは幅広い。

  • 1997年、紫綬褒章受章。

  • 2002年中はカプコンのPS2ゲーム『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督として撮影(モーションキャプチャー収録)、これを撮り終えた(撮り終えたという意味ではこちらが遺作である)。

  • 2003年1月12日、前立腺がんのため72歳で死去。後に勲四等旭日小綬章を贈られた。
    深作は抗癌剤の投与を拒んだ。副作用による男性機能の低下を懸念したためである。また、未完だった遺作『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の監督は、プロデューサーを務めていた息子深作健太に引き継がれた。



    作風

    暴力的作品を撮る映画監督と取られがちであるが、本人が体験した戦争という巨大な暴力をきっかけに、暴力を描くことによって暴力を否定しようという考えが根底にある。だからこそ様々な批判を受けても作風は変えなかったと思われる。しかし、暴力作品だけではなく、『蒲田行進曲』や『柳生一族の陰謀』といった時代劇、『おもちゃ』のような文芸作からサイエンス・フィクション|SFまでも世に残している。作品について、日本国内外から好評であり、クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど著名監督らが彼を崇拝している。なお、全フィルモグラフィーのうち『おもちゃ』以外の全ての作品で人が死ぬシーンがあり、死について生涯こだわり続けたことが窺える。



    人物

    相当にエネルギッシュな人物で、『仁義なき戦い』での演出はほとんど「行けー!!」「やれー!!」「死ねー!!」などの言葉ですましたそうである。深夜にまで撮影がおしたのにもかかわらず俳優達を引き連れ飲みに行き、朝からまた撮影をするという生活を何ヶ月も続けた伝説を残している。主演の菅原文太のように酒が強くタフな俳優であればよいが、他の多くの俳優は付き合うのが正直大変であった。ろくに寝ていない俳優達は、脹れた顔を元に戻すために冷たいタオルを顔にあてて撮影に臨んだという。朝に弱く、夜になると調子が出てきて撮影が毎日深夜まで続くため「深作=深夜作業の略」とも言われた。干されていた室田日出男や大部屋でくすぶっていた川谷拓三や志賀勝らを抜擢し「ピラニア軍団」として知らしめた。



    死去前後の出来事




    [2002年]


  • 9月25日-前立腺癌|前立腺ガンを公表。『バトル・ロワイアルII(仮題)』の製作を発表。

  • 10月25日-前作公開時に舌戦を繰り広げた民主党 (1996-)|民主党衆議院議員の石井紘基が右翼活動家に自宅前で刺され死亡。

  • 12月16日-『バトル・ロワイアルII(仮題)』撮影開始。

  • 12月21日-骨がんの痛みから、放射線治療のため予定より2日早く入院。

  • 12月23日-定期の放射線治療を受ける。

  • 12月29日-体力の低下による風邪から肺炎を併発する。

  • 12月31日-自力呼吸が困難になり、人工呼吸器を装着。一時危篤状態に。


    [2003年]


  • 1月初頭-小康状態に回復。

  • 1月5日-深作健太が監督代行として、撮影を再開。

  • 1月6日-深作健太が監督代行に正式決定。

  • 1月7日-東映社長と深作健太が会見。同社長は深作欣二について2月初頭に復帰させたいと発言。

  • 1月11日-夕方から容態が悪化。妻の中原早苗、息子健太や菅原文太らが病院へ。荻野目慶子も見舞を申し入れたが、妻の中原がこれを拒否。

  • 1月12日-午前1時、死去。

  • 1月16日-午後、築地本願寺で葬儀・告別式。菅原文太弔辞。出演者やファンら約1100人参列。ジョン・ウーなど弔電約1000通。

  • 1月18日-東大泉の東映撮影所で撮影再開。監督室に遺骨安置。

  • 2月7日-政府、勲四等旭日小綬章授与を閣議決定。

  • 3月10日-長崎県西彼杵郡での撮影現場をマスコミに公開。

  • 3月12日-ビートたけし参加シーンの撮影現場をマスコミに公開。

  • 3月20日-横須賀市田浦町の水道施設「盛福寺管路ずい道」内でトンネルのシーンを撮影。

  • 4月10日-俳優の出演するシーンの撮影が終了。

  • 4月13日-東映本社でクランクアップ報告の記者会見。アフガニスタン・ヒンドゥーク地方での田園風景撮影計画を発表。

  • 4月21日-アフガニスタンで8日間に渡る撮影を開始。撮影対象は町並みに変更された。スタッフは5名で、予定されていた健太監督は同行せず。

  • 5月18日-『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の映画のレイティングシステム|R-15指定が発表。

  • 5月23日-カンヌ映画祭の見本市にて、欧州8カ国と上映権契約締結。既に締結済みの5カ国とあわせ、13カ国に。

  • 6月1日-鉄道駅や学校前などに「『殺しに行け』と先生が言った」というコピーの入った広告ポスターの掲示を開始。

  • 6月6日-「抗議が殺到」したという理由で広告差し替えを発表。撤去開始。

  • 6月22日-新宿の東京厚生年金会館で完成披露試写会。

  • 7月3日-渋谷東映で公開前々夜祭。故・深作欣二の誕生日。

  • 7月5日-全国261館で公開開始。深作健太、パート3製作の予定なしと発言。岡田社長、興収40億円を狙えると発言。

  • 7月13日-公開8日目。観客動員50万人突破。



    監督作品リスト




    [映画]


  • 風来坊探偵 赤い谷の惨劇(1961年)

  • 風来坊探偵 岬を渡る黒い風(1961年)

  • ファンキーハットの快男児(1961年)

  • ファンキーハットの快男児 二千万円の腕(1961年)

  • 白昼の無頼漢(1961年)

  • 誇り高き挑戦(1962年)

  • ギャング対Gメン(1962年)

  • ギャング同盟(1963年)

  • ジャコ萬と鉄(1964年)

  • 狼と豚と人間(1964年)

  • 脅迫 (映画)|脅迫(おどし)(1966年)

  • カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966年)

  • 北海の暴れ竜(1966年)

  • 解散式 (映画)|解散式(1967年)

  • 博徒解散式(1968年)

  • 黒蜥蜴(1968年)

  • 恐喝こそわが人生(1968年)

  • ガンマー第3号 宇宙大作戦(1968年)

  • 黒薔薇の館(1969年)

  • 日本暴力団 組長(1969年)

  • 血染の代紋(1970年)

  • 君が若者なら(1970年)

  • トラ・トラ・トラ!(1970年)

  • 博徒外人部隊(1971年)

  • 軍旗はためく下に(1972年)

  • 現代やくざ 人斬り与太(1972年)

  • 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年)

  • 仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ(1973年〜1976年)
    仁義なき戦い(1973年)
    仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
    仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
    仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
    仁義なき戦い 完結篇(1974年)
    新・仁義なき戦い(1974年)
    新・仁義なき戦い 組長の首(1975年)
    新・仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)

  • 仁義の墓場(1975年)

  • 県警対組織暴力(1975年)

  • 資金源強奪(1975年)

  • 暴走パニック 大激突(1976年)

  • やくざの墓場 くちなしの花(1976年)

  • 北陸代理戦争(1977年)

  • ドーベルマン刑事(1977年)

  • 柳生一族の陰謀(1978年)

  • 宇宙からのメッセージ(1978年)

  • 赤穂城断絶(1978年)

  • 復活の日(1980年)

  • 青春の門(1981年)

  • 魔界転生(1981年)

  • 道頓堀川(1982年)

  • 蒲田行進曲(1982年)

  • 人生劇場(1983年)

  • 里見八犬伝 (1983年)|里見八犬伝(1983年・東映角川映画)

  • 上海バンスキング(1984年)

  • 火宅の人(映画)|火宅の人(1986年)

  • 必殺IV 恨みはらします(1987年)

  • 華の乱(1988年)

  • いつかギラギラする日(1992年)

  • 忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年)

  • おもちゃ (映画)|おもちゃ(1999年)

  • バトル・ロワイアル(2000年)

  • バトル・ロワイアル|バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年)

  • クロックタワー3(PS2/ゲームイベントCGムービー)(2002年)

  • バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】(2003年)


    [テレビドラマ]


  • 傷だらけの天使

  • Gメン'75 - 第85話「'77元旦 デカ部屋ぶっ飛ぶ!」

  • 阿部一族(1995年 フジテレビ・松竹京都)



    参考文献


  • 『夫・深作欣二 最後の戦い』 / 中原早苗(『文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋』2003年3月号)



    関連項目


  • :Category:深作欣二の監督映画



    外部リンク


  • 日刊スポーツによる襌/a>報]


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    2007年06月12日

    映画監督[高畑勲]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    高畑勲



    高畑 勲(たかはた いさお、男性、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の
    映画監督、プロデューサー。岡山県立岡山朝日高等学校、東京大学文学部フランス文学|仏文科卒業。市川崑監督と同郷(小津安二郎監督は同市の中学校卒業者)。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。



    人物・概要

    日本のアニメを黎明期から支えてきた人物で「火垂るの墓」「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ」等の演出で知られる。作画の経験がほとんどない一貫した演出家である。アニメーション以外にも、水郷柳川市の風情を撮影した「柳川掘割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《''Paroles''》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。
    また、フランスの長編アニメーション映画?キリクと魔女?日本語版の字幕翻訳・演出、さらに原作本の翻訳も手がけている。同じくフランスの長編アニメーション映画「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた。
    「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。大学卒業後、東映動画に入社し、「わんぱく王子の大蛇退治」で演出助手になり、テレビアニメ「狼少年ケン」で演出デビュー。その仕事ぶりを大塚康生に認められ、長編アニメ「太陽の王子 ホルスの大冒険」の演出(≒監督)に抜擢される。ホルスは興行的には惨敗するが高い評価を得る。その後Aプロダクションや日本アニメーション、テレコム・アニメーションフィルムでの職を経て、1985年、徳間書店が宮崎駿の映画製作の為に設立したスタジオジブリに宮崎に請われて参加する。現在もスタジオジブリに所属し、個人事務所の畑事務所を持つ。別名義にテレビシリーズの「じゃりン子チエ」の演出時に使った同作品の副主人公名に由来する武元哲(たけもとてつ)がある。現在スタジオジブリで新作を準備している。宮崎駿やプロデューサーの鈴木敏夫、元同僚の人々から「パクさん」と呼ばれることが多いが、これは東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム。ロシアのアニメ作家ユーリ・ノ\xA1 %k%7%e%F%$%s$H$b8rN.$,$"$k!#



    宮崎駿との関係

    アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年共に作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は大きいと言われている。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えたと言われている。但し、現在は二人の作風や思想に埋めがたい溝があり、二人三脚で作品を作ることはなくなっている。(作風の違いについては宮崎駿の項参照)高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。(こどもの城(渋谷)での講演より)
    とはいっても、今でも互いの才能は認めている。例えば、高畑は「となりのトトロ」を、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。他方宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行った。



    仕事
    緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描けず、制作の際は、口述や筆記によって自身の演出プランを展開させ、それを作画技術を持つスタッフが絵コンテにまとめるという形式を
    とっている。
    (ただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか?、プロットは?、一つ一つの情景は?、という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていく、という繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。、それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。)高畑の演出には、「この主人公の座っている椅子から何歩歩けばベットまで着くか?」といった緻密な作画を必要とするが、一方、主人公が空想に浸っている時の超現実的な描写も得意とするところである。スタジオジブリの作品中、高畑が手がけた作品以外にも、ダイダラボッチ(もののけ姫)や油屋 (千と千尋の神隠し)|油屋(千と千尋の神隠し)、岩戸屋(猫の恩返し)などに故郷に関するものが時々出てくるなどスタジオジブリで製作される作品には多方面に渡り高畑の影響が見え隠れしている。しかしながら、制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫\xA1 $G$9!W$Hl"$($k$[$I!"CYI.$G$"$k!#!VB@M[$N2&;R ホルスの大冒険」では、プロデューサーが何度も交代するほどであった。
    また『火垂るの墓』の製作に参加した庵野秀明は「人を人と思わない。冷たいというか、計算の人ですよね。」と語っている『Quick Japan』太田出版、1996年Vol.9。大泉実成編集『庵野秀明 スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版、1997年に再録。(庵野はこの作品で、丹念に描き込んだ軍艦のカットが夜景の影でほとんど黒く塗り潰されるという経験をした)。
    企画に関してもすぐに内容の逸脱も頻繁におき、作品の内容も娯楽性の乏しさがあるなど商業的な映画作家としては、活動において致命的な欠点を持っている。




    手がけた主要作品


  • 1962年 鉄ものがたり (演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)

  • 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)

  • 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)

  • 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)

  • 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)

  • 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (演出)

  • 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗

  • 1971年 ルパン三世 (演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)

  • 1972年 パンダコパンダ (監督)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 (監督)

  • 1974年、1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ (演出)

  • 1976年、1980年 母をたずねて三千里 (演出)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン (演出・脚本)

  • 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版

  • 1981年、1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版

  • 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)

  • 1982年 リトル・ニモ|ニモ/NEMO (日本側演出) ※1983年3月12日に降板

  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)

  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)

  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)

  • 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)

  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)

  • 1999年 ののちゃん#ホーホケキョ となりの山田くん|ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)



    賞歴


  • 1998年 紫綬褒章を受章。



    関連書籍


  • 高畑勲「ホルスの映像表現」(ISBN 4196695140)

  • 高畑勲「映画を作りながら考えたこと」(ISBN 4195546397)

  • 高畑勲「十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの」(ISBN 4198609713)

  • 高畑勲「木を植えた男を読む」(ISBN 4193642798)

  • 高畑勲「話の話―映像詩の世界」(ISBN 4196695248)

  • 高畑勲・宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ「アニメの世界 とんぼの本」(ISBN 4106019566)

  • 大塚康生「作画汗まみれ 増補改訂版」( ISBN 4198613613)

  • 大塚康生「リトル・ニモの野望」(ISBN 4198618909)

  • ミッシェル・オスロ「キリクと魔女」(ISBN 4198616906) 翻訳

  • ジャック・プレヴェール「ことばたち」(ISBN 4835609603) 翻訳



    出典





    関連項目


  • 宮崎駿

  • スタジオジブリ



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • 高畑勲ネット

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所

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    2007年06月11日

    映画監督[鈴井貴之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント、映画監督、放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長。愛称はミスター。



    概要

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。2005年まで泳げなかった(鈴井貴之#その他|その他参照)。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きだった彼は、北海道赤平高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激な\xA1 %7!<%s$,MpH/!#<+$i$NBN$KJ]81$r$+$1$?$[$I$N0UM_:n!#@i=)3Z$G$O1& BMWのR1200Cに乗っている。 甘いものが大の苦手。これは水曜どうでしょうで発覚。以後番組中で強制的に甘いものを食べさせられるシーンが多く見られる。2007年春にレーシック手術を受けたことを公表。



    テレビ・ラジオ番組


  • 北海道テレビ放送
    「おにぎりあたためますか」(企画)
    「水曜どうでしょう」 (企画・出演)
    「ぽっぷこ〜んシネマ」
    「ドラバラ鈴井の巣」(企画・構成・出演)
    「週刊Nanだ!Canだ!」
    「モザイクな夜」(企画・構成・出演)

  • 札幌テレビ放送
    「1×8いこうよ!」(構成)
    「ステイ+α」(ステイタス)

  • 北海道文化放送
    「プカプカ」
    「にっぽんPUKAPUKA」

  • 北海道放送
    「パック2」(再現ビデオ)

  • エフエム北海道|AIR-G'
    「GO・I・S」
    「KING GO・I・S」
    「HOME&AWAY」
    「FM ROCK KIDS」

  • エフエム仙台|Date FM
    「北風小僧」(東北6県ブロックネット)

  • フジテレビジョン
    「ケンカの花道」(素人として、夫婦で競演)

  • ビーエスフジ|BSフジ
    「おおいずみんみん蝉」(「TV☆Lab」内)

  • チャンネルNECO
    プロジェクトCue 鈴井貴之のフィルム・ジャンボリー」(2006年10月放送。映画3作とメイキング、北海道内のロケ地を訪ねるミニ番組「鈴井貴之のロケハン。」を放送。)
    鈴井貴之のロケハン。冬編」(2006年2月、3月放送)



    手がけた映画


  • 「man-hole」(2001年・主演:安田顕)

  • 「river」(2003年・主演:大泉洋)

  • 「銀のエンゼル」(2004年・主演:小日向文世)



    音楽


  • 「DA.BE.SA」−NORTH END×AYUMI(1994年・作詞・歌)エピックレコードジャパン|EPICソニー
    "AYUMI"こと鈴井亜由美は奥様(CREATIVE OFFICE CUE副社長)。
    EAST END×YURIも参照されたい。

  • 「おやG」「ソフトフォーカス」−ケンタカユッキー☆フライド事件(2001年・作詞・歌)インディーズ
    鈴井(ビューティーたか・Vo)と安田顕(アフターけん・G)によるデュオ。



    関連項目


  • CREATIVE OFFICE CUE (社長を務める会社)

  • 大泉洋(所属の看板タレント)

  • 大下宗吾(所属タレント)

  • 藤尾仁志(オクラホマ (お笑い)|オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 河野真也(オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 音尾琢真(所属タレント)

  • 北川久仁子(所属タレント)

  • 小橋亜樹(所属タレント) 

  • 佐藤重幸(所属タレント)

  • 宮崎奈緒美(所属タレント)

  • 飯野智行(所属タレント)

  • 森崎博之(所属タレント)

  • 安田顕(所属タレント)

  • 川島直樹(所属していた元タレント。現在は芸能界引退)   

  • 北海道テレビ放送 (企画?出演している番組が多い、北海道のローカルテレビ局)

  • 藤村忠寿 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうチーフ・ディレクター)

  • 嬉野雅道 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうカメラ担当ディレクター)

  • ELLEGARDEN(ファンである)

  • 放送作家

  • 脚本家




    外部リンク


  • CREATIVE OFFICE CUE オフィシャルサイト

  • JTB北海道

  • 北海道テレビ:HTB online

  • AIR-G'・エフエム北海道

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    2007年06月10日

    映画監督[鈴木清順]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴木清順



    鈴木 清順(すずき せいじゅん、1923年5月24日 - )は、昭和後期・平成期の映画監督、俳優。本名は鈴木 清太郎。元NHKアナウンサーの鈴木健二の兄。日活の専属監督として名を馳せ、小林旭、高橋英樹 (俳優)|高橋英樹、宍戸錠らを主演に迎えた。『殺しの烙印』は一般映画のみならずカルト映画としても世界的な評価が高い。『ツィゴイネルワイゼン (映画)|ツィゴイネルワイゼン』、『陽炎座』、『夢二』などでは幽遠な映像美を見せた。その独特の映像表現は「清順美学」と呼ばれる。



    略歴


  • 1923年 日本橋の呉服屋の長男として誕生。生まれてまもなく関東大震災に被災。以後、日本橋から下町に移り住む。

  • 1943年 弘前高等学校 (旧制)|旧制弘前高等学校(現弘前大学)に入学してまもなく学徒出陣。

  • 1948年 復員後、旧制弘前高等学校卒業。東京大学受験に失敗するも、松竹の助監督試験に合格。同期入社は赤八会(赤っ恥を八人でかくの意)の中平康、斎藤武市、井上和男、生駒千里、松山善三、今井雄五郎、有本正。

  • 1954年 日活に助監督契約で移籍。『黒い潮』という作品で、清順美学誕生のキーパーソンである美術監督木村威夫に出会う。

  • 1956年 『港の乾杯 勝利をわが手に』で、監督デビュー(サード助監督は藤田敏八)

  • 1958年 『暗黒街の美女』で清順に改名。

  • 1966年 木村威夫ら8人と具流八郎という脚本家グループを作る。

  • 1968年 『殺しの烙印』に不満を持った堀久作社長により日活を解雇される。即、不当解雇として日活を告訴(1971年和解成立)。

  • 1981年 『ツィゴイネルワイゼン (映画)|ツィゴイネルワイゼン』で、ベルリン国際映画祭審査員特別賞受賞。

  • 2005年 『オペレッタ狸御殿』がカンヌ映画祭特別招待作品に。



    その他


  • 松竹入社後、ダンディで名高い松竹トップクラス監督の木下恵介が、「あんな汚らしい男をうちの助監督につけるな」と発言。現に一度も木下恵介の助監督はやっていない。

  • 松竹助監督時代はどちらかと言うと、日陰の存在の監督(岩間鶴夫)や「大船三天皇」と呼ばれた奇人の助監督などと共に仕事をしていた。よくいっしょに仕事をしていたのは篠田正浩で、便利屋のシノちゃんとして走り回っていた。

  • 「日活は松竹の3倍の給料が出るよ」と西河克己に誘われて日活移籍を決意。

  • 『東京流れ者』の虚無的なラストシーンが日活上役たちから大批判を受け、急遽、ラストシーンを撮り直す。修正前のフィルムは現存せず。そしてとうとう翌年、『殺しの烙印』で社長の逆鱗に触れ、日活を解雇されてしまう。

  • 日活解雇後、妻や彼を慕う人々に生活や仕事を支えられ、『悲愁物語』で映画界に復活。そして『ツィゴイネルワイゼン (映画)|ツィゴイネルワイゼン』で日本のみならず海外でも高い評価を受ける。キネマ旬報ベストテン1位(黒澤明の『影武者 (映画)|影武者』は2位。)。

  • 1991年、読売テレビの深夜映画番組(CINEMAだいすき!)で鈴木清順特集が組まれ、日活時代から復活後までの作品と、それらの作品などを珍しく積極的に語る監督の貴重なインタビューが放送された。



    監督作品




    [映画]


  • 港の乾杯 勝利をわが手に(1956年)

  • 海の純情(1956年)

  • 悪魔の街(1956年)

  • 浮草の宿(1957年)

  • 8時間の恐怖(1957年)

  • 裸女と拳銃(1957年)

  • 暗黒街の美女(1958年)

  • 踏みはずした春(1958年)

  • 青い乳房(1958年)

  • 影なき声(1958年)

  • らぶれたあ(1959年)

  • 暗黒の旅券(1959年)

  • 素っ裸の年令(1959年)

  • 13号待避線より その護送車を狙え(1960年)

  • けものの眠り(1960年)

  • 密航0ライン(1960年)

  • すべてが狂ってる(1960年)

  • くたばれ愚連隊(1960年)

  • 東京騎士隊(1961年)

  • 無鉄砲大将(1961年)

  • 散弾銃の男(1961年)

  • 峠を渡る若い風(1961年)

  • 海峡、血に染めて(1961年)

  • 百万弗を叩き出せ(1961年)

  • ハイティーンやくざ(1962年)

  • 俺に賭けた奴ら(1962年)

  • 探偵事務所23 くたばれ悪党ども(1963年)

  • 野獣の青春(1963年)

  • 悪太郎(1963年)

  • 関東無宿(1963年)

  • 花と怒濤(1964年)

  • 肉体の門(1964年)

  • 俺たちの血が許さない(1964年)

  • 春婦傳(1965年)

  • 悪太郎伝 悪い星の下でも(1965年)

  • 刺青一代(1965年)

  • 河内カルメン(1966年)

  • 東京流れ者(1966年)

  • けんかえれじい(1966年)

  • 殺しの烙印(1967年)

  • 悲愁物語(1977年)

  • ツィゴイネルワイゼン (映画)|ツィゴイネルワイゼン(1980年)

  • 陽炎座(1981年)

  • カポネ大いに泣く(1985年)

  • ルパン三世 バビロンの黄金伝説(1985年)

  • 夢二(1991年)

  • 結婚 陣内・原田御両家篇(1993年)

  • ピストルオペラ(2001年)

  • オペレッタ狸御殿(2005年)


    [テレビ]


  • 愛妻くんこんばんは「ある決闘」(1968年、TBS)

  • 黒部の太陽第5話「男の中には鳥がいる」(1969年、日本テレビ※未放映)

  • 恐怖劇場アンバランス「木乃伊の恋」(1973年、フジテレビ)

  • 日曜恐怖シリーズ「穴の牙」(1979年、フジテレビ)

  • 傑作推理劇場「陳舜臣の神獣の爪」(1980年、テレビ朝日)

  • 大江戸捜査網「花吹雪炎に舞う一番纏」(1981年、テレビ東京)

  • 火曜サスペンス劇場「家族の選択」(1983年、日本テレビ)

  • PRE★STAGE「鈴木清順のミステリー劇場」全二話(1992年、テレビ朝日)


    [ オリジナルビデオ ]


  • 春桜 ジャパネスク(1983年)

  • 弘前青春物語(1992年※2003年劇場公開)



    出演作品




    [映画]


  • ヒポクラテスたち(1980年)

  • コールド・フィーバー(1995年)

  • 必殺!主水死す(1996年)

  • 不夜城 SLEEPLESS TOWN(1998年)


    [オリジナルビデオ]


  • ブラック・ジャック#オリジナルビデオ|ブラック・ジャック2 ピノコ愛してる(1996年)馮二斉(刀鍛冶)役


    [テレビ]


  • ムー一族(1978年、TBS)

  • 美少女仮面ポワトリン(1990年、フジテレビ、神様役)

  • 世にも奇妙な物語『死後の苦労』(1990年、フジテレビ、神様役)

  • 君の名は(1991年 NHK朝の連続テレビ小説、住職役)

  • 私が愛したウルトラセブン(1993年、NHK、円谷英二役)

  • クリスマスキス〜イブに逢いましょう(1995年、テレビ東京)

  • 音効さん(1993年10月〜1994年3月 フジテレビ)

  • ひまわり (朝ドラ)|ひまわり(1996年、NHK)

  • 踊るレジェンドドラマスペシャル弁護士 灰島秀樹(2006年10月28日)



    著書




    CM


  • Au (携帯電話)|au(2005年 簡単ケータイS)



    外部リンク


  • 清順非公認家頁


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    2007年06月09日

    映画監督[蓮實重彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蓮實重彦




    蓮實 重彦(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語のほかイタリア語も解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家。長男の蓮実重臣は作曲家。



    経歴


  • 1954年 学習院高等科卒業

  • 1960年 東京大学文学部フランス文学科卒業

  • 1962年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学

  • 1962年 パリ大学人文科学部に留学

  • 1965年 パリ第四大学博士 (文学)|文学博士

  • 1966年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学

  • 1966年 東京大学文学部助手

  • 1968年 立教大学一般教育部専任講師

  • 1969年 同助教授

  • 1970年 東京大学教養学部講師

  • 1973年 同助教授

  • 1988年 同教授

  • 1993年 同学部長(〜1995年)

  • 1995年 東京大学副学長(〜1997年)

  • 1997年 東京大学総長(〜2001年)

  • 1998年 国立大学協会会長(〜2001年)

  • 現在、東京大学名誉教授。



    人物

    本来はフランス近代文学(フローベール)を専攻とするフランス文学者であるが、1970年代初頭に当時中野幹隆が編集長を務めていた文芸雑誌「文藝」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルト、ジェン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や『反=日本語論』に収められた「エッセイ」にも及び『反=日本語論』は読売文学賞受賞を受賞。直接的な断定を周到に避ける独特かつ難解な語り口や、読点の極端に少ない長大な文体が人気を呼び  "1980年代初頭から中盤にかけては最も知名度が高く多筆な著述家の一人であった。しかし、その人気と独特な語り口は多くのエピゴーネンを生むことにも繋がり、これに対する反発を感じる人もまた少なくない。思想や文学作品の論評から論壇に登場したが、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、事実一番最初に活字化されたものは大学院在学中に著し、「東京大学新聞社|東京大学新聞」に掲載された映画時評だった。1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸を氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となった。その後も、東京大学総長を務めていた一時期、少なくとも国内においては映画に関する文章を公開することを控えていたことを除くと映画評論が活動の中心であり、一般的には(元)東京大学総長という肩書きを除けば、文芸評論家、フランス文学者やフローベールの研究者あるいはフランス現代思想の論評家としてではなく、映画評論家として認知されていると思われる。文芸誌で\xA1 $"$k!VJ83X3&!W2004年1月号で小説家の阿部和重と「アァ a%j%+1G2 h$NCN@-$rMJ8n$9$k!W$HBj$7$F;0;~4V$NF$5D$r7+$j9-$2$?:]$K!"Ev9f$NI=;f$HGXI=;f$K!V蓮實重彦&阿部和重」の文字がに大きく躍ったことからこうした事態は想定できる。自分が「日本で一番映画館に人の足を運ばせることができる映画評論家」「日本一のインタヴュア」であることを自称、自認している。しかし、今や作品以上に自分自身こそが「一番人の足を運ばせることができる」人物となっており、氏が登場するシンポジウムや講演会付きの上映会はたちまち満席になってしまい、ただでさえなかなか観ることができない作品の鑑賞機会を更に減らしてしまうという皮肉な事態を生んでいる。



    映画について

    大好きな監督、俳優はジョン・フォード、ジャン・ルノワール、小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、山中貞雄、オーソン・ウェルズ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、カール・テホ・ドライヤー、アッバス・キアロスタミ、クリント・イーストウッド、ジョン・カサヴェテス、マキノ雅弘、ジム・ジャームッシュ、エルンスト・ルビッチ、ダグラス・サーク、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、リチャード・フライシャー、トニー・スコット(以上監督)、ジョン・ウェイン、トム・クルーズ、山田五十鈴(以上俳優)等、膨大。苦手な監督はウォシャウスキー兄弟、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジェームズ・キャメロン等多数。嫌いな監督、俳優はヘンリー・フォンダ(ジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にヒューゴ・ウィービング、ジェーン・カンピオン、リドリー・スコット、ラッセル・クロウ等。フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思わ\xA1 $l$k$3$H$b$"$k$h$&$@$,!"%"%a%j%+1G2h!"FC$K1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。ただし、ニコラス・レイ、アンソニー・マン、ジョゼフ・ロージー、サミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロス、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。氏の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードがハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画察 K:FFI$N$?$a$N0l$D$N;k3Q!Y(レンフィルム祭パンフレット所収\xA1 )\xA4 K$*$1$k%5%$%l%s%H$+$i%H!<%-!<$X$NJQKF$N2aDx$H$=$NK\/$J$/$H$bF|K\$K$*$$$F$O;a$,=i$a$FDs<($7L@3N2=$7$?1G2h;KE*$J4QE@$,>/$J$+$i$:$"$k!#>e5-%F%^%F%#%9%`E*$JHcI>J8$dJJ$N$"$k?M$r?)$C$?$h$&$J;~I>J8$K$D$$$F$O9%$_$,JL$l$k$H$3$m$G$"$m$&$,!"!V1G2h;K2H!W$H$7$F$N蓮實重彦の価値と意味合いは衆目が認めざるを得ない事実であると言えよう。氏の批評は以後の映画批評に絶大な影響を与えた。また、立教大学時代の教え子として映画監督の黒沢清、周防正行、万田邦敏、塩田明彦、映画監督・小説家の青山真治等、未来の現場監督にも大きな影響を与えた。彼らが形成した映画文化を「ヌーヴェルヴァーグ|立教ヌーヴェルヴァーグ」という。一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦(明治学院大学教授・映画批評家)を筆頭に、松浦寿輝(東京大学教授・詩人)、野崎歓(東京大学教授・映画批評家)、堀潤之(関西大学専任講師・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創澄 _$KK[Av$7$?El5~Bg3X65M\3XItD60hJ82=2J3X2JI=>]J82=O@%3!<%9$NB46H!&8&5f$NNN0h$K$*$1$k0lBg@*NO$K0i$A$D$D$"$k!#$J$*!";MJ}ED8$I'$O!VO!Ui%<%_!W$N:G$bAa$$;~4|$N=P?H蓮實重彦が唱えた「映画は映画の内側においてのみ特権的に語られるべき」であるとする「表層主義」に対し極めて批判的であり(四方田犬彦著『アジアのなかの日本映画』より)、蓮實批判の先鋒に位置している。



    その他の活動

    本業はフローベールの研究者だが、長い間予告され続けた『ボヴァリー夫人論』は未だに上梓されていない。そのことを他人に問われると「今年は出します」と答え続け約20年が経過したが、2006年発行の『表象の奈落』にフローベール論が収められた。ただし蓮實自身は『ボヴァリー夫人論』は数百ページに渡る長大なものになると予告していたこともあるため、これが当初構想されていたものと同一かどうかは定かではない。東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。スポーツなどへの言及も多いが、その批評、特にサッカー批評では、知識の欠如に対する批判が多い。



    草野進について

    草野進(くさのしん)は、自称・公称、女流華道家。主にプロ野球への批評を書いている。贔屓のチームを持つ事を諌めたり、スポーツは生で見よと誘ったり、あえてプロ野球が退屈だと断言したりと、その挑発的な批評は、出現した当時、これまでのスポーツ批評に、静かながら確実な影響を与えた。草野進は
    蓮實重彦である、とか、草野進は蓮實重彦と渡部直己との共同執筆である、などの「説」がある。(ちなみに、「共著者」でもある蓮實重彦は草野球の名捕手だったという。 自筆年表より)主著に『どうしたって、プロ野球は面白い』、『プロ野球批評宣言』(草野進編)、『読売巨人軍再建のための建白書』(渡部直己との共著)、『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(渡部直己、蓮實重彦との共著)、『世紀末のプロ野球』など。



    著書


  • 評論など
    『批評あるいは仮死の祭典』
    『反=日本語論』(読売文学賞受賞)
    『表層批評宣言』
    『ミシェル・フーコー|フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
    『夏目漱石論』
    『大江健三郎論』
    『物語批判序説』
    『凡庸な芸術家の肖像』(芸術選奨文部大臣賞受賞)
    『凡庸さについてお話させていただきます』
    『小説から遠く離れて』
    『小説論=批評論』(のちに『文学批判序説 小説論=批評論』と改題)
    『「私小説」を読む』
    『映画 誘惑のエクリチュール』
    『映画はいかにして死ぬか』
    『シネマの記憶装置』
    『シネマの煽動装置』
    『映画の神話学』(略称)
    『映像の詩学』
    『監督 小津安二郎』(2003年に増補版刊行、仏語・韓国語訳あり)
    『映画狂人シリーズ』(全10巻)
    『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』
    『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』
    『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』
    『魅せられて 作家論集』
    『ゴダール革命』
    『表層の奈落』など膨大。

  • 翻訳
    『マゾッホとサド』(ジル・ドゥルーズ)
    『フーコーそして /あるいはドゥルーズ』(ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ)
    『映画術ヒッチコック』(山田宏一と共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック)など。

  • テクスト(小説)
    『陥没地帯』
    『オペラ・オペラシオネル』がある。

  • 編集
    「リュミエール」(1985年より廃刊(14号)まで従事。)
    「ルプレザンタシオン」



    外部リンク


  • www.mube.jp(公式サイト)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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