2007年07月31日

映画監督[五所平之助]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
五所平之助



五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日−1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶應義塾高等学校|慶応義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子ぁ N!XHT2N!Y$r5W2fH~;R$G$"$k!#GP?M$H$7$F$bCN$i$l$F$*$j!"!V5WJ]EDK|B@O:|春燈」同人として「五所亭」という俳号で活躍した。1941年、紫綬褒章、1947年勲四等旭日小綬章受章。



代表作



  • 南島の春(1925年)

  • 彼女(1926年)

  • 寂しき乱暴者(1927年)

  • 恥しい夢(1927年)

  • からくり娘(1927年)

  • 村の花嫁(1928年)

  • マダムと女房(1931年)

  • 伊豆の踊子(1933年)

  • 十九の春(1933年)

  • 生きとし生けるもの(1934年)

  • 人生のお荷物(1935年)

  • 新道(1936年)

  • 木石(1940年)

  • 新雪(1942年)

  • 今ひとたびの(1947年)

  • 煙突の見える場所(1953年)

  • 愛と死の谷間(1954年)

  • 鶏はふたたび鳴く(1954年)

  • たけくらべ(1955年)

  • 黄色いからす(1957年)

  • 挽歌(1957年)

  • 白い牙(1960年)

  • 猟銃(1961年)

  • かあちゃんと11人の子ども(1966年)

  • 女と味噌汁(1968年)

  • 明治はるあき(1968年)


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    2007年07月30日

    映画監督[青山真治]

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    青山真治



    青山 真治(あおやま しんじ、男性、1964年7月13日 - )は、映画監督、小説家。



    概要

    福岡県北九州市出身。福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。地元、福岡県の門司を舞台にした『Helpless』で商業映画デビュー。監督作品『EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞。『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。ジャン=リュック・ゴダール、神代辰巳、中上健次(小説家)などをリスペクトしている。小説家としても活動し、自作のノベライズ小説『EUREKA』で三島由紀夫賞を受賞している。受賞作は同賞の選考委員である文芸評論家の福田和也の強い推薦で受けたものである。冨永昌敬は彼だけではなく、中原昌也や宮台真司の強い推薦によってデビュー。妻は女優のとよた真帆。



    人物


  • 日本映画界きっての理論派として知られる反面、気性の激しい面を持ち合わせており、その言動がしばしば問題視される。

  • かつては長髪がトレードマークだったが、ペドロ・コスタとの対談でやんわりと否定された後(それが原因かは分からないが)、短髪にする。

  • 大寺眞輔のDravidian Drugstore上において、メルマガ参入宣言。しかし未だ実現されていない。

  • 樋口泰人主催のboid内の日記において、翻訳家の柳下毅一郎に対し、理由もなく(本人が理由を公開していないため)批判を繰り返し、町山智浩との対談で「ストーカー」呼ばわりされたが、その後、和解済み。

  • 中原昌也との対談において「ピースな映像作家」を自称する中野裕之を、「あいつもクソですよ」と罵倒。

  • 高橋洋の公式ホームページ、ソドムの市における電子掲示板|BBSにおいて、一部の投稿者の投稿に対し、「派閥前提でしかモノのいえないこのチンカス野郎!相手になってやるから今度どっかで俺を見かけたら名乗って来い。そん代わりはなっからガン殴りしてやるから覚悟しとけよ。」と本気で罵倒した。

  • 宮崎駿を嫌いだと公言している。『カリオストロの城』を「ルパン三世の冒涜だ」と非難し、岩井俊二に至っては、「いやー、映画の部分が全然ないですよ。ある意味で文学である」と非難。

  • 紀里谷和明や北村龍平を「ハリウッド進出すれば上がりだと思っている馬鹿」と批判し、映画プロデューサーの一瀬隆重に対してはアルノー・デプレシャン|デプレシャンのムック本で「アメリカを某東洋の島国の出世としか考えていない馬鹿」と痛烈に批判している。



    監督作品


  • 『サッド・ヴァケイション』 2007年

  • 『こおろぎ(映画)|こおろぎ』 2006年

  • 『AA (映画)|AA』 2006年

  • 『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』 2005年

  • 『レイクサイド マーダーケース』 2004年

  • 『秋聲旅日記』 2003年

  • 『TRUNK』 2003年(Webシネマ)

  • 『軒下のならずものみたいに』 2003年

  • 『Noと言える刑事』 2003年 (オムニバス『刑事(デカ)まつり』)

  • 『なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子─天上の歌声』 2002年 (ドキュメンタリー)

  • 『名前のない森』 2002年 (テレビドラマシリーズ『私立探偵 濱マイク』第6話)

  • 『月の砂漠』 2001年

  • 『路地へ 中上健次の残したフィルム』 2000年 (ドキュメンタリー)

  • 『EUREKA (映画)|EUREKA』 2000年

  • 『EM エンバーミング』 1999年

  • 『シェイディー・グローヴ』 1999年

  • 『June 12 1998』 1999年 (ドキュメンタリー)

  • 『冷たい血 AN OBSESSION』 1997年

  • 『WiLd LIFe jump into the dark』 1997年

  • 『チンピラ』 1996年

  • 『我が胸に凶器あり』 1996年 (オリジナルビデオ)

  • 『Helpless』 1996年

  • 『教科書にないッ!』 1995年 (オリジナルビデオ)



    著書


  • 『EUREKA』

  • 『Helpless』

  • 『われ映画を発見せり』 (映画評論集)

  • 『ホテル・クロニクルズ』講談社、2005年

  • 『死の谷'95』講談社、2005年



    外部リンク


  • Shinji Aoyama (IMDb)

  • 青山真治 (allcinema ONLINE)

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    2007年07月29日

    映画監督[中田秀夫]

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    中田秀夫



    中田 秀夫(なかた ひでお、1961年7月19日 - )は岡山県浅口郡金光町(現・浅口市)出身の映画監督。



    略歴


  • 金光学園中学校・高等学校|金光学園高等学校卒業。1980年、東京大学理科1類に入学し工学部応用物理学科に進学が内定していたが、進路を変更し教養学部アジア学科卒業。在学中に蓮實重彦の映画ゼミに参加し、非常に大きな影響を受ける。

  • 1985年ににっかつ撮影所に入社し、助監督を経て1992年に『ほんとにあった怖い話』で監督デビュー。

  • 同年、文化庁芸術家在外研修員として渡英。1995年に帰国するが、渡英中に製作を開始したジョセフ・ロージーのドキュメンタリーが完成したのは1998年だった。

  • 帰国後に監督した『女優霊』がヒットしたことから多くのホラー作品を手掛けるようになり、現在では黒沢清や清水崇らと並ぶホラー映画|Jホラー(ジャパニーズホラー)の代表の一人と目されている。

  • 国内で大ヒットしたホラー映画『リング (ホラー)|リング』は米国でリメイクされた。この作品は他の監督(ゴア・ヴァービンスキー)の手なるものだったが、続編である『ザ・リング2』では自身が監督を務め念願のハリウッド・デビューを果たしている。トム・クルーズ製作の『The EYE』、フォックス・サーチライトで『Entity』、ニューラインで『OUT』、ドリームワークスで『ザ・リング3』、MGMで『True Believer』などハリウッドでの企画も多数進行中である。



    人物


  • デビュー作が『本当にあった怖い話』シリーズの一作であったり、出世作も『女優霊』というホラー作品であり、何よりも『リング』という大ヒット作の監督であることからホラー(専門)監督と見なされることが多いが、本人に取り立ててホラー映画指向はなく「本当に撮りたいものはホラーではない」と公言している。



    作品




    [ 助監督作品 ]


  • ビー・バップ・ハイスクール (映画)|ビー・バップ・ハイスクール(1985年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)


    [ 監督作品 ]


  • 女優霊(1996)

  • 暗殺の街(1997)

  • ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男(1998・16mm作品)

  • リング (ホラー)|リング(1998)

  • リング (ホラー)|リング2(1999)

  • ガラスの脳(1999)

  • サディスティック&マゾヒスティック (2000)

  • カオス(2000年)

  • 仄暗い水の底から(2002)

  • ラストシーン (2002)

  • ザ・リング2(2005)

  • 怪談(2007)

  • スピンオフ L(仮題)(2008年公開予定)



    外部リンク


  • 公式サイト

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    2007年07月28日

    映画監督[SABU]

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    SABU



    SABU(さぶ、サブ、サブゥー)

  • SABU (映画監督)|SABU(サブ) - 日本の俳優・映画監督(1964年 - )。代表作に『弾丸ランナー』など。

  • SABU 〜さぶ〜』 - 2002年にテレビ朝日系で放送された「名古屋テレビ開局40周年記念ドラマ」、および2003年公開の日本の映画。山本周五郎原作、三池崇史監督。

  • SABU(サブゥー) - アメリカ合衆国出身のプロレスラー、テリー・ブルンクのリングネーム(1963年 - )。



    関連項目


  • サブ(曖昧さ回避)


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    2007年07月27日

    映画監督[今村昌平]

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    今村昌平



    今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年9月15日 - 2006年5月30日)は、日本の映画監督、脚本家。東京都出身。父親は開業医。東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属高等学校)、早稲田大学第一文学部卒業。長男である天願大介も映画監督。人間の欲望をユーモラスに描いた作品に定評があった。映画通の間の愛称はイマヘイ。50年余の映画監督人生の中で、監督した作品は20作品。



    経歴

    1951年、大学を卒業し、松竹大船撮影所に入社。初の助監督公募で2000人中8人という難関を突破して合格。主に小津安二郎の助監督をやりながら、松竹大船助監督部の幹事にまでなるも、収入や仕事で不満を感じ、1954年に日活に移籍する。「松竹では束縛だらけだったが、日活はまったくなかったから驚いた」と松竹と日活のギャップを語っている。1957年の名作・川島雄三監督『幕末太陽伝』や浦山桐郎監督の『キューポラのある街』の脚本家でもある。学生時代からの友人であるフランキー堺や小沢昭一、加藤武との親交が深い事も知られている。『神々の深き欲望』の過酷な撮影現場に耐え切れず脱走を試みた 嵐寛寿郎のエピソードは有名。1961年の『豚と軍艦』、『にっぽん昆虫記』、『赤い殺意』などで監督として世間に認められるも、一時は企画がまったく受け入れてもらえず、胃潰瘍を患いながら明日の米にも困るどん底の赤貧生活を経験している。1979年、佐木隆三の『復讐するは我にあり』の映画化権を多くのライバルから奪い、公開し見事に復活を遂げたものの、1981年の『ええじゃないか (映画)|ええ\xA1 $8$c$J$$$+!Y$NBg<:GT$G!VE72<$N:#J?$b=*$o$C$?$J!W$H0l;~$O4Q5R$r<:K>$5$;$?!#1983年、起死回生の『楢山節考』を発表。本作と『うなぎ (映画)|うなぎ』(1997年)で、日本人では初めてカンヌ国際映画祭で2度グランプリ(現・パルム・ドール)を受賞している。同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など5名がいる。なお『楢山節考』を出品した時は、「カンヌ(映画祭)出品のために作った作品ではない」とカンヌ映画祭を欠席。『うなぎ』の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。1975年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を開校し、校長をつとめ、三池崇史・細野辰興・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日などの映画監督、鄭義信などの脚本家・芥川賞作家阿部和重、亦、タレントのウッチャンナンチャン、俳優の長谷川初範、隆大介などの人材を輩出した。1998年、新潮別冊『コマネチ!』にて北野武と対談。2006年5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で死去。享年79。遺作は『11'09'01/セプテン\xA1 %P!<11 』中の短編。



    監督作品


  • 盗まれた欲情 (1958年)日活 原作:今東光

  • 西銀座駅前 (1958年)日活 原案・脚本:今村昌平

  • 果しなき欲望 (1958年)日活 原作:藤原審爾

  • にあんちゃん (1959年)日活 原作:安本末子 ベルリン映画祭コンペティション

  • 豚と軍艦 (1961年)日活 脚本:山内久

  • にっぽん昆虫記 (1963年)日活 脚本:長谷部慶次・今村昌平 ベルリン映画祭主演女優賞

  • 赤い殺意 (1964年)日活 原作:藤原審爾

  • エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)日活・今村プロ 原作:野坂昭如

  • 人間蒸発 (1967年)日活・日本アート・シアター・ギルド|ATG・日本映画新社・今村プロ ドキュメンタリー

  • 神々の深き欲望 (1968年)日活・今村プロ 脚本:長谷部慶次・今村昌平

  • にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)日本映画新社・東宝 脚本:今村昌平

  • 復讐するは我にあり (1979年)松竹・今村プロ 原作:佐木隆三

  • ええじゃないか (映画)|ええじゃないか (1981年)松竹・今村プロ 原作:今村昌平 カンヌ映画祭招待作品

  • 楢山節考 (1983年)東映・今村プロ 原作:深沢七郎 カンヌ映画祭パルムドール

  • 女衒 ZEGEN (1987年)東映・今村プロ 脚本:岡部耕大・今村昌平 カンヌ映画祭コンペティション

  • 黒い雨 (1989年)東映・今村プロ・林原グループ 原作:井伏鱒二 カンヌ映画祭高等技術委員会グランプリ

  • うなぎ (映画)|うなぎ (1997年)松竹・ケイエスエス・衛星劇場・グループコーポレーション 原作:吉村昭『闇にひらめく』カンヌ映画祭パルムドール

  • カンゾー先生(1998年)東映・今村プロ・東北新社・角川書店 原作:坂口安吾 カンヌ映画祭招待作品

  • 赤い橋の下のぬるい水(2001年)日活・「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会 原作:辺見庸 カンヌ映画祭コンペティション

  • 11'9''01/セプテンバー11 日本編(2002年) 脚本:天願大介



    助監督作品


  • 東京物語 (1953年)松竹(フォース助監督)監督:小津安二郎

  • 愛のお荷物 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • あした来る人 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • 銀座二十四帖 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • 風船 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 洲崎パラダイス 赤信号 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • わが町 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 飢える魂 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 続・飢える魂 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 幕末太陽傳 (1957年)日活 監督:川島雄三



    受賞歴


  • 1963年 ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞監督賞・脚本賞『にっぽん昆虫記』

  • 1979年 ブルーリボン賞監督賞・日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『復讐するは我にあり』

  • 1989年 日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞・日刊スポーツ映画大賞監督賞 『黒い雨』

  • 1997年 日本アカデミー賞監督賞・毎日映画コンクール監督賞 『うなぎ』

  • 死に際して旭日小綬章、フランス共和国より芸術文化勲章が贈られた。



    著作


  • 映画は狂気の旅である(2004年、日本経済新聞社) ISBN 4-532-16471-0

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    2007年07月26日

    映画監督[森田芳光]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    森田芳光



    森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。1981年に『の・ようなもの』で長編映画監督デビュー。以降、シリアスなドラマから喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー映画、ミステリ映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。



    来歴

    日本大学芸術学部放送学科在学中に、映画の制作を開始する。特に映画好きではなかったが、日大闘争の煽りでサークルが無かったので、取り敢えず映画を作ってみたのだという。その一方で、全共闘運動に参加するほか、落語研究会に所属。同研究会の先輩には、のちに放送作家となる高田文夫がいた。1981年に、『の・ようなもの』でデビュー。題名は、三遊亭金馬 (3代目)の落語『居酒屋』に出て来る、「のようなもの」というフレーズから採られた。1983年に、松田優作主演の『家族ゲーム』を発表する。家庭をシニカルに、暴力的に描いた、出色のブラックコメディーである。家族全員が長い食卓に、画面に向かって横一列に並んで座る何とも奇妙な食事場面等、何気無い日常の風景を非日常的に描写した、人を食った演出が評判となった。これが出世作となり、新世代の鬼才として広く注目を集める。

    映画のTV放映が時間枠の都合でカットされる事を嫌い、本作がTV初放映された際には、一番の見所であり、視聴者も期待していたであろうクライマックスの食卓バトルのシーンを丸ごとカットしてこれに抵抗した。1985年に、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』を発表する。村上春樹は、本作を観て以降は、明治時代に書かれた小説を読むと主人公に松田の顔を思い浮かべてしまうと告白している。1986年に、広告代理店を描いたコメディー『そろばんずく』を発表した。バブル景気|バブル時代を色濃く描いた作品となった。1996年に、パソコン通信による男女の出会いを描いた『(ハル)』を発表する。日本映画でパソコンをテーマにした作品は珍しく、話題になった。1997年5月に、渡辺淳一原作の『失楽園 (渡辺淳一)|失楽園』を発表する。役所広司、黒木瞳の主演、人生に疲れた中年男女が不倫の果てに心中するというストーリーで、映画のレイティングシステム|R-15指定をうける。観客動員数が200万人を超えるヒットとなった。「失楽園」という言葉はこの年の流行語ともなった。ただし\xA1 !"86:n$N>.@b$r;~4V$K@)Ls$N$"$k1G2h$K<}$a$-$l$k$o$1$b$J$/!"M-L>$J!J4FFD<+?H$b%F%l%SEy$N%a%G%#%"@kEA$G8l$C$F$$$?!K%i%9%H%7!<%s$K8~$+$&$@$1$N!V=L>.HG!W$H8@$C$?:nIJ$K<}$^$C$F$7$^$C$F$$$?!#1999年に、貴志祐介原作の『黒い家』を発表する。『リング』、『らせん』と、1997年以降、日本のホラー映画が高い注目を集めていた。しかし本作は、一連のホラーブームに便乗したのではない、群を抜くホラー映画と評価された。2002年に、宮部みゆきの大ベストセラー小説を原作とした、中居正広主演のミステリー『模倣犯 (小説)|模倣犯』を発表する。原作が上下巻に渡る長編の上に、ザッピングシステムという複雑なストーリー展開を一本の映画で消化しきれる訳もなく、苦し紛れともとれる意味不明な結末でお茶を濁した事から、監督に対する批判の声が圧倒的に多い作品となっている。なお、原作者の宮部みゆきは、試写会の途中であまりの映画の出来に途中で退場したと一部のマスコミで報道された。2003年11月に、向田邦子原作の『阿修羅のごとく』を発表する。4人姉妹のそれぞれの複雑な色恋を描いた恋愛映画である  #BgC]$7$N$V!"9uLZF7!"Em0f$+$*$j!"?


    作品




    [監督]


  • 『ライブイン・茅ヶ崎』1978年。脚本兼任。

  • 『の・ようなもの』1981年。脚本兼任。

  • 『シブがき隊ボーイズ&ガールズ』1982年。脚本兼任。
    「本(マルホン)噂のストリッパー」
    「ピンクカット太く愛して長く愛して」

  • 『家族ゲーム』1983年。脚本兼任。

  • 『メイン・テーマ』1984年。脚本兼任。

  • 『ときめきに死す』1984年。脚本兼任。

  • 『それから』1985年。

  • 『そろばんずく』1986年。脚本兼任。

  • 『悲しい色やねん』1988年。脚本兼任。

  • 『キッチン』1989年。脚本兼任。

  • 『愛と平成の色男』1989年。脚本兼任。

  • 『おいしい結婚』1991年。脚本兼任。

  • 『未来の想い出――Last Christmas』1992年。脚本兼任。

  • 『(ハル)』1996年。脚本兼任。

  • 『失楽園 (渡辺淳一)|失楽園』1997年。

  • 『39 刑法第三十九条』1999年。

  • 『黒い家』1999年。

  • 『模倣犯 (小説)|模倣犯』2002年。脚本兼任。

  • 『阿修羅のごとく』2003年。

  • 『海猫』2004年。

  • 『間宮兄弟』2006年。脚本兼任。

  • 『椿三十郎』2007年公開予定。


    [制作総指揮]


  • 『バカヤロー!――私、怒ってます』1988年。オムニバス映画。渡辺えり子、堤幸彦、中島哲也、原隆仁が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!2――幸せになりたい』1989年。オムニバス。本田昌広、鈴木元、岩松了、成田裕介が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!3――へんな奴ら』1990年。オムニバス。鹿島勤、長谷川康夫、黒田秀樹、山川直人 (映画監督)|山川直人が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!4――YOU!お前のことだよ』1991年。オムニバス。太田光、明石知幸、加藤良一が監督。脚本兼任。


    [脚本]


  • 『ウホッホ探検隊』1986年。

  • 『免許がない!』1994年。

  • 『キリコの風景』1998年。

  • 『カラフル (小説)|カラフル』2000年。


    [出演]


  • 『東京日和』1997年。

  • 『世界の中心で、愛をさけぶ』2004年。



    受賞歴


  • 1978年 - 『ライブ・イン・茅ヶ崎』で、第2回ぴあフィルムフェスティバル入選。

  • 1982年 - 『の・ようなもの』で、第3回ヨコハマ映画祭作品賞、新人監督賞。

  • 1984年 - 『家族ゲーム』
    第26回ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞監督賞。
    第29回キネマ旬報賞日本映画監督賞、脚本賞。
    第38回毎日映画コンクール脚本賞。
    第5回ヨコハマ映画祭作品賞、監督賞、脚本賞。
    第34回芸術選奨文部大臣新人賞映画部門。
    第24回日本映画監督協会新人賞。
    第7回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞。

  • 1986年 - 『それから』
    第31回キネマ旬報賞日本映画監督賞。
    第28回ブルーリボン賞監督賞。
    第10回報知映画賞監督賞。
    第9回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞。

  • 1987年 - 『そろばんずく』と『ウホッホ探検隊』
    第8回ヨコハマ映画祭脚本賞。
    第10回日本アカデミー賞優秀脚本賞。

  • 1997年 - 『(ハル)』
    第21回報知映画賞最優秀監督賞。
    第39回ブルーリボン賞監督賞。
    第18回ヨコハマ映画祭脚本賞。
    第20回日本アカデミー賞優秀脚本賞。

  • 1998年 - 『失楽園』で、第21回日本アカデミー賞優秀監督賞。

  • 2004年 - 『阿修羅のごとく』
    第46回ブルーリボン賞監督賞。
    第27回日本アカデミー賞優秀作品賞、最優秀監督賞。

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    2007年07月25日

    映画監督[本広克行]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    本広克行



    本広克行(もとひろかつゆき、1965年7月13日 - )は日本の映画監督で、テレビドラマの演出家。日本映画学校卒。



    テレビドラマ


  • NIGHT HEAD

  • お金がない!

  • ヘルプ!

  • 踊る大捜査線

  • 木曜の怪談

  • アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜



    監督作品


  • 1996年『友子の場合』

  • 1996年『7月7日、晴れ』

  • 1998年『踊る大捜査線 THE MOVIE』

  • 2000年『スペーストラベラーズ』

  • 2000年『サトラレ TRIBUTE to a SAD GENIUS』

  • 2003年『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』

  • 2005年『交渉人 真下正義』

  • 2005年『容疑者 室井慎次』

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    2007年07月24日

    映画監督[三池崇史]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    三池崇史



    三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、日本の男性映画監督。



    来歴・人物

    三重県尾鷲市出身の板金工の父の下に、大阪府八尾市で生まれる。日本映画学校卒業。今村昌平、恩地日出夫に師事。1991年のVシネマ『突風!ミニパト隊』で監督デビュー、1995年の『新宿黒社会』で初の劇場用オリジナル作品を手掛けた。コメディ、バイオレンス、ホラーなど多岐に渡るジャンルで映画制作を続ける。1998年に、米『TIME』誌上よりこれから活躍が期待される非英語圏の監督としてジョン・ウーと並び10位に選出。作品はクエンティン・タランティーノ監督に影響を与える(『殺し屋1』など)。『極道恐怖大劇場 牛頭』はVシネマとして初めてカンヌ国際映画祭に出品された。旧名は三池モバ。多作である。その映画制作スタイルは、鮮烈な暴力描写を伴うため、しばしば論争を巻き起こすものの、海外での評価は高い。2001年のトロント国際映画祭での『殺し屋1』の上映時には、エチケット袋を観客に配り、暴力描写が自分の持ち味であることをアピールした。海外での受賞は『極道戦国志 不動』でファンタスボルト国際映画祭審査員特別賞。『オーディション』でロッテルダム国際映画祭\xA1 $G9q:]HcI>2HO"LA>^$H%*%i%s%@%8%c!<%J%j%:%`O"LA>^!#!X%+%?%/%j2H$N9,J!!Y$G%8%'%k%_%J!<%l9q:]%U%!%s%?%9%F%#%C%/1G2h:W?3::0wFCJL>^!#!X5mF,!Y$G%7%A%'%99q:]%U%!%s%?%9%F%#%C%/1G2h:W?3::0wFCJL>^$J$IB??t!#%U%i%s%7%9!&%3%C%]%i$d%&%'%$!&%o%s$,%"%8%"?M4FFD:nIJ$r%W%m%G%e!<%9$9$k4k2h$KF|K\$+$i;22C$,H/I=$5$l$k$J$I!"%O%j%&%C%I$+$i$N0z$-9g$$$O?tG/A0$+$i$"$C$?!#
    2006年にはアメリカのケーブルテレビ局Showtimeが企画した、ホラー映画の巨匠13人によるオムニバステレビシリーズ『マスターズ・オブ・ホラー』の第1シーズンに、日本人唯一の参加を果たした。しかし、実際に三池が製作した『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(原作・岩井志麻子)は比較的緩いといわれるケーブルテレビの放送コードにさえ引っ掛かってしまう内容のもので、北米での放映は見送られることとなり、話題となった。また、日本では角川ヘラルド・ピクチャーズ配給で映画館公開も計画されていたが、映倫が審査を拒否したため、映倫の審査が必要ないシアター・イメージフォーラムで単館上映した。



    監督作品




    [ 映画 ]


  • ヤッターマン(2009年春 公開予定)

  • クローズ-ZERO-(公開日未定)

  • 大魔神(仮題)(2008年公開予定)

  • スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007年秋 公開予定)

  • 龍が如く 劇場版(2007年3月 公開予定)

  • 太陽の傷(2006年公開)

  • 46億年の恋(2006年公開)

  • インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜(2006年)

  • ワル最終章(2006年、実写版)

  • 妖怪大戦争 (2005年)|妖怪大戦争(2005年)

  • Three... Extremes「箱」(2004年)

  • 美しい夜、残酷な朝 (2004)

  • IZO_(映画)|IZO(2004年)

  • ゼブラーマン(2004年)

  • 着信アリ(2004年)

  • 極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU(2003年)

  • 許されざる者(2003年)

  • SABU(2002年)

  • 金融破滅ニッポン 桃源郷の人々(2002年)

  • 新・仁義の墓場(2002年)

  • 荒ぶる魂たち(2002年)

  • カタクリ家の幸福 (2001年)

  • DEAD OR ALIVE FINAL (2001年)

  • 殺し屋1 (2001年、実写版)

  • 天国から来た男たち (2001年)

  • ビジターQ (2001年)

  • FAMILY (2001年)

  • 鞠智城物語 防人たちの唄(2000年)

  • DEAD OR ALIVE 2 逃亡者 (2000)

  • 漂流街 (2000年)

  • オーディション (映画)|オーディション (2000年)

  • DEAD OR ALIVE 犯罪者 (2000年)

  • サラリーマン金太郎 (1999年)

  • 日本黒社会 LEY LINES (1999年)

  • 隧穴幻想 トンカラリン夢伝説(1998年)

  • 岸和田少年愚連隊 望郷(1998年)

  • BLUES HARP (1998年)

  • 中国の鳥人 (1998年)

  • 岸和田少年愚連隊 望郷 (1998年)

  • アンドロメディア (1998年)

  • 極道黒社会 RAINY DOG (1997年)

  • 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 (1997年)

  • フルメタル極道 (1997年、オリジナルビデオ)

  • 喧嘩の花道 大阪最強伝説(1996年、オリジナルビデオ)

  • 極道戦国志 不動 (1996年)

  • 新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争(1995年)

  • 第三の極道(1995年)


    [TV]


  • ウルトラマンマックス(2005年、15?16話)

  • パートタイム探偵2(2004年、テレビ東京「女と愛とミステリー」)

  • ドラマW 交渉人 (2003年・WOWOW)

  • パートタイム探偵(2002年、テレビ東京「女と愛とミステリー」)

  • 多重人格探偵サイコ|多重人格探偵サイコ 雨宮一彦の帰還(2000年、WOWOW)

  • 天然少女萬NEXT 横浜百夜篇(1999年、WOWOW)

  • 天然少女萬(1998年、WOWOW)



    出演作品


  • 劇場版 どうぶつの森(2006年)
    :三池自身が志願してラコスケ役で出演。

  • HOSTEL(2006年、米)

  • 岸和田少年愚連隊 マレーの虎(三池イエロー名義)(2005年)

  • 隣人13号#映画|隣人13号(2005年)

  • 恋の門(2004年)

  • 地球で最後のふたり(2003年)

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    2007年07月23日

    映画監督[鈴木雅之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴木雅之



    鈴木雅之(すずき まさゆき)は、日本の人名。#江戸後期から明治期の国学者(1837年-1871年) → 鈴木雅之 (国学者)
    ・元ラッツ&スターの歌手(1956年-) → 鈴木雅之 (歌手)
    ・フジテレビジョン|フジテレビに所属する演出家(1958年-) → 鈴木雅之 (演出家)



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    2007年07月22日

    映画監督[村上龍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    村上龍



    村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は長崎県佐世保市出身の日本の小説家、映画監督。本名は、村上 龍之助(- りゅうのすけ)。



    来歴


  • 佐世保市立御船小学校卒業。

  • 佐世保市立光海中学校卒業。

  • 1970年、長崎県立佐世保北中学校・高等学校|長崎県立佐世保北高等学校卒業。

  • 1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。1976年に、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞。無気力な青年・リュウが乱交と麻薬に明け暮れる日常を激しくやる瀬無く描く。『限りなく透明に近いブルー』は2005年現在までに単行本131万部、文庫本を含めると350万部以上の大ベストセラーになった。同年7月に同作で、第75回芥川龍之介賞を受賞。
    : 選考会では2時間に渡る侃々諤々の大論戦が勃発。丹羽文雄、井上靖、吉行淳之介、中村光夫が支持、永井龍男と滝井孝作が猛反発。安岡章太郎は半票を投じ 4.5対2 で過半数を獲得した村上が受賞した。なお、井上靖は当初反対票を入れようと考えていたが、息子に提言され、支持することになったらしい。ちなみに、井上靖が反対票を入れていると、過半数を獲得できなかった村上の受賞はなくなっていた。1977年に大学を中退。1980年に、コインロッカー乳児遺棄事件をモチーフにした書き下ろし作品『コインロッカー・ベイビーズ』を発表。1980年代には村上春樹と共に「W村上」と称されたこともあるが、もとより2人は縁戚関係に無く、仕事の上でも世間で一般的に言われるほどには共通点もない。こうした呼称が出てきた背景には、双方のファンを刺激して著作に対する需要を拡大したいという出版者側の思惑があったようである。1999年より、金融・経済を中心に論議し本質的な疑問を提示するための新たなメディアとして、メールマガジンのJMMを主宰・編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵法 \!X$"$N6b$G2?$,Gc$($?$+!Y$rH/I=!#2004年に『13歳のハローワーク』を発表。大人の入口であり自由と可能性を持つ「13歳」に向け、現実世界への入口となる「仕事・職業」に好奇心を持ち探求に向かうことを意図。折しも「ニート」なる新しい労働経済学的な社会問題が指摘されていた。親交の深い中上健次、坂本龍一、中田英寿との対談集・共著も多い。



    評価・批評




    [限りなく透明に近いブルー]

    埴谷雄高、井上光晴両選考委員に激賞された。奥野健男は「全く新しいスタイルの文学の登場。エモーショナルな感覚は流石」と好意的な批評。対して江藤淳は「現代日本文学のサブカルチャー化、即ち退廃の象徴。絶対に認めないし許さない」と批評し厳しく非難した。それとは別に江藤は古典的な文壇から酷評された、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を賞賛したが、こちらも日本文学が「サブカルチャー化」する上での起爆剤となった。江藤が田中の作品を支持したのは、村上の作品に著しく欠落していた日本的情緒を評価したからであると、社会学者の宮台真司などは指摘している。要するに村上作品の文学的特徴は一切の情緒を排除した記号性に象徴されるというわけである。別の観点からすると、江藤は何の恥じらいもなく「アメリカに尻尾を振る犬」を村上作品の中に見たとも言える。一方、芥川賞選考委員だった吉行淳之介は「因果なことに才能がある」と作品そのものよりも、村上の将来を買ったような名文句を残している。ただし論壇や文壇の評価を別とすれば、当時の評価は二点でまとめられる。一つは当時としては過剰な性的表現である。ほとんどグロに近いポル\xA1 %NE*$JI=8=$,OCBj$r8F$s$@!#$b$&0l$D$O@6?7$J;mE*I=8=$G$"$k!#99%は退屈な表現でも、1%のみずみずしい表現が、若々しい詩的な感動を呼んだ。作品を支持する読者は、作者がこの方面で才能を伸ばすことを期待した。中国語版の出版に際し、序文の中で村上本人は作品のテーマを、近代化の達成という大目標を成し遂げた後に残る「喪失感」であると述べている。また同文中にて、この作品がその後の作品のモチーフを全て含んでいる、ということが述べられている。




    受賞歴


  • 1976年 - 『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞、第75回芥川龍之介賞。

  • 1981年 - 『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞。

  • 1996年 - 『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞。

  • 1998年 - 『インザ・ミソスープ』で読売文学賞小説賞。

  • 2000年 - 『共生虫』で第36回谷崎潤一郎賞。

  • 2005年 - 『半島を出よ』で第58回野間文芸賞、第59回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)W受賞



    著作

    小説は太字(絵本などの企画物は除く)



    [1976]


  • 『限りなく透明に近いブルー』, 講談社, 1976年7月14日初版.


    [1977]


  • 『海の向こうで戦争が始まる』, 講談社, 1977年6月24日初版.

  • 『中上健次vs村上龍 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて』(対談), 角川書店, 1977年6月30日初版(共著:中上健次).
      文庫版刊行時に『ジャズと爆弾』と改題(角川文庫, 1982年1月)


    [1978]



    [1979]


  • 『真昼の映像・真夜中の言葉』(シナリオ・撮影日誌) , 講談社, 1979年1月31日初版.


    [1980]


  • 『コインロッカー・ベイビーズ』, 講談社, 1980年10月28日初版.


    [1981]


  • 『ウォーク・ドント・ラン』(対談), 講談社, 1981年7月20日初版(共著:村上春樹).


    [1982]


  • 『芥川賞全集 第11巻 (11) 』, 文藝春秋, 1982年12月.


    [1983]


  • 『だいじょうぶマイ・フレンド』, 集英社, 1983年2月10日初版.

  • 『絵本 だいじょうぶマイ・フレンド』(絵本), 集英社, 1983年3月(絵:吉田カツ).

  • 『メイキング オブ だいじょうぶマイ・フレンド』(シナリオ、撮影日誌ほか), CBSソニー出版, 1983年4月10日初版.


    [ 1984 ]


  • 『悲しき熱帯 (村上龍)|悲しき熱帯』(短篇集)、角川書店(文庫)、1984年9月10日初版。1988年8月単行本化の際に『Summer in the city』と改題。

  • 『ビートルズってなんだ?―53人の"マイ・ビートルズ"』(エッセイ・アンソロジー)、講談社(文庫)、1984年9月。


    [1985]


  • 『テニスボーイの憂鬱』, 集英社, 1985年3月25日初版.

  • 『アメリカン★ドリーム』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1985年10月15日初版.

  • 『EV.Cafe 超進化論』(鼎談集), 講談社, 1985年11月28日初版(共著:坂本龍一).


    [1986]


  • 『American road show』(鈴木英人イラストレーション), 東宝出版事業室, 1986年1月.(ショート・ストーリーを寄稿)

  • 『POST(ポップアートのある部屋)』(短篇集), 講談社, 1986年3月27日初版.

  • 『走れ!タカハシ』(短篇集), 講談社, 1986年5月20日初版.

  • 『ニューヨーク・シティ・マラソン(小説)|ニューヨーク・シティ・マラソン』(短篇集), 集英社, 1986年10月25日初版.


    [1987]


  • 『すべての男は消耗品である。』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1987年8月1日初版.

  • 『69 sixty nine』, 集英社, 1987年8月10日初版.

  • 『愛と幻想のファシズム』, 講談社, 1987年8月20日初版.

  • 『テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド』(エッセイ), 講談社, 1987年9月26日初版.


    [1988]


  • 『トパーズ (小説)|トパーズ』(短篇集), 角川書店, 1988年10月5日初版.

  • 村上龍料理小説集』(短篇集)集英社, 1988年10月10日初版.

  • 『Ryu's Bar 気ままにいい夜』(同TV番組での対談集), 講談社, 1988年11月.(著:村上龍&Ryu's Barスタッフ)

  • 『快楽のテニス講座』(テニス解説書), 講談社, 1988年11月.


    [1989]


  • 『友達のラ リ ル レ ロ』(絵本), 角川書店, 1989年2月.(イラスト:安井須磨子)

  • 『十七粒の媚薬』(アンソロジー), マガジンハウス, 1989年4月.(「クリーム色」収録)

  • 『ビッグ・イベント』(エッセイ), 講談社, 1989年5月6日初版.

  • 『ラッフルズホテル』, 集英社, 1989年9月13日初版.

  • 『シナリオ ラッフルズホテル』(シナリオ、撮影日誌), 集英社(文庫), 1989年9月.(著:村上龍、野沢尚)


    [1990]


  • 『すべての男は消耗品である。Vol.2』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1990年5月5日初版.

  • 『贅沢な恋愛』(アンソロジー), 角川書店, 1990年9月.(「ムーン・リバー」収録)


    [1991]


  • 『コックサッカーブルース』, 小学館, 1991年5月1日初版.

  • 『恋はいつも未知なもの』(短篇集), 朝日新聞社, 1991年5月1日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1976〜1981』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年5月15日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1982〜1986』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年8月15日初版.

  • 『超電導ナイトクラブ』, 講談社, 1991年9月30日初版.

  • 『シボネイ-遥かなるキューバ』(CDブック), 主婦の友社, 1991年10月.

  • 『世界をボクらの遊び場に』(対談集), 講談社, 1991年11月28日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1987〜1991』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年12月15日初版.


    [1992]


  • 『トパーズの誘惑』(シナリオ、対談ほか), 角川書店, 1992年2月.

  • 『イビサ』, 角川書店, 1992年3月5日初版.

  • 『長崎オランダ村』, 講談社, 1992年3月25日初版.

  • 『龍言飛語』(エッセイ), 集英社, 1992年4月.

  • 『友よ、また逢おう』(往復書簡), 角川書店, 1992年8月.(共著:坂本龍一)

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.3』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1992年10月15日初版.

  • 『セビロとルージュと秘密の手紙』(短篇+ポストカード), 角川文庫, 1992年11月.


    [1993]


  • 『エクスタシー』, 集英社, 1993年1月25日初版.

  • 『フィジーの小人』, 角川書店, 1993年3月25日初版.

  • 『贅沢な失恋』(アンソロジー), 角川書店, 1993年4月.(「マナハウス」収録)

  • 『368Y Par4 第2打』, 講談社, 1993年5月15日初版.

  • 『「普通の女の子」として存在したくないあなたへ。』(エッセイ), マガジンハウス, 1993年6月.

  • 『音楽の海岸』, 角川書店, 1993年7月4日初版.

  • 『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』(キューバ音楽ガイド), 新潮社, 1993年7月.


    [1994]


  • 村上龍+椹木野衣 最新対論 神は細部に宿る』(対談), 新浪漫社, 1994年1月10日初版.(共著:椹木野衣)

  • 『昭和歌謡大全集』, 集英社, 1994年3月23日初版.

  • 『五分後の世界』, 幻冬舎, 1994年3月27日初版.

  • 『贅沢な恋人たち』(アンソロジー), 幻冬舎, 1994年4月.(「白鳥」収録)

  • 『ピアッシング』, 幻冬舎, 1994年12月15日初版.


    [1995]


  • 『「超能力」から「能力」へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに』(対談), 講談社, 1995年5月(共著:山岸隆).

  • 村上龍映画小説集』(短篇集), 講談社, 1995年6月30日初版.

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.4』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1995年9月.

  • 『KYOKO』, 集英社, 1995年11月20日初版.

  • 『世紀末を一人歩きするために』(自作小説・エッセイからの引用集), 講談社, 1995年12月.


    [1996]


  • 『あなたがいなくなった後の東京物語』(エッセイ), 角川書店, 1996年1月.

  • 『KYOKOの軌跡 神が試した映画』(シナリオ、撮影日誌ほか), 幻冬舎, 1996年3月.

  • 『モニカ-音楽家の夢・小説家の物語』(短篇集), 新潮社, 1996年3月15日初版.(著:坂本龍一、村上龍

  • 『或る恋の物語 エキゾチズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『Se fue彼女は行ってしまった ロマンチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『わたしのすべてを エロチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界?』, 幻冬舎, 1996年5月8日初版.

  • 『メランコリア』, 集英社, 1996年5月22日初版.

  • 『すてきなジェニファー』(絵本), 新書館, 1996年10月.(絵:山本容子)

  • 『ラブ&ポップ』, 幻冬舎, 1996年11月18日初版.

  • 『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』, 集英社, 1996年12月10日初版.


    [1997]


  • 『白鳥』(短篇集), 幻冬舎, 1997年3月6日初版.

  • 『オーディション』, ぶんか社, 1997年6月1日初版.

  • 村上龍自選小説集1 消費される青春』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集3 寓話としての短篇』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集4 破壊による突破』, 集英社, 1997年7月.

  • 『ストレンジ・デイズ』, 講談社, 1997年7月28日初版.

  • 『RYU'S倶楽部-「仲間」ではなく友人として』(対談集), 毎日新聞社, 1997年8月.

  • 『イン ザ・ミソスープ』, 読売新聞社, 1997年10月16日初版.

  • 村上龍自選小説集2 他者を探す女達』, 集英社, 1997年10月.


    [1998]


  • 『寂しい国の殺人』(エッセイ), シングルカット社, 1998年1月.

  • 『バイオテック・レイヤード』(CG画集), ピー・エヌ・エヌ, 1998年2月.

  • 『群像日本の作家29 村上龍』, 小学館, 1998年4月.

  • 『夢見るころを過ぎれば 村上龍vs.女子高生51人』(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月.

  • 『ライン』, 幻冬舎, 1998年8月20日初版.

  • 『憂鬱な希望としてのインターネット』(インタビュー), メディアファクトリー, 1998年9月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.5』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1998年10月.

  • 『ワイン一杯だけの真実』(短篇集), 幻冬舎, 1998年12月10日初版.

  • 『フィジカル・インテンシティ '97-'98season』(エッセイ), 光文社, 1998年12月.


    [1999]


  • 『寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ』(エッセイ集), ビクターエンターテインメント・ビクターブックス, 1999年4月.

  • 村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』(対談集), 文芸春秋, 1999年6月(中上健次、他との対談).

  • 『あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー』(絵本), 小学館, 1999年8月.(絵:はまのゆか)

  • 『JMM Vol.1 プロローグ 日本の選択した道』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『JMM Vol.2 雇用問題を考える 景気と個人の幸福感』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『奇跡的なカタルシス フィジカル・インテンシティ2』(エッセイ), 光文社, 1999年12月.

  • 『最前線 THE FRONT LINE』(対談集), ラインブックス, 1999年12月.


    [2000]


  • 『JMM Vol.3 通貨を語る 美しき為替市場の魔力』, NHK出版, 2000年1月.

  • 『誰にでもできる恋愛』(エッセイ), 青春出版社, 2000年2月.

  • 『共生虫』, 講談社, 2000年3月20日初版.

  • 『ストレイト・ストーリー 』(絵本), 集英社, 2000年3月.(絵:はまのゆか)
      同名映画(監督:デイヴィッド・リンチ)のノヴェライゼーション

  • 『JMM Vol.4 財政危機のゆくえ ケインズの憂鬱』, NHK出版, 2000年3月.

  • 『JMM Vol.5 企業経営の未来 システムとコミュニケーションをめぐって』, NHK出版, 2000年4月.

  • 村上龍自選小説集5 戦争とファシズムの想像力』, 集英社, 2000年5月.

  • 村上龍自選小説集7 ドキュメントとしての小説』, 集英社, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.6 需要が足りない! 景気の循環を越えて』, NHK出版, 2000年5月.

  • 村上龍 失われた10年を問う』(JMM extra issue), NHK出版, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.7 IT革命のリアリティ 「価値」は「利益」に優先する』, NHK出版, 2000年6月.

  • 『世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails』(往復電子メール集), 日本放送出版協会, 2000年6月(共著:藤木りえ).

  • 『希望の国のエクソダス』, 文芸春秋, 2000年7月20日初版.

  • 村上龍自選小説集6 快楽と倦怠と死の独白』, 集英社, 2000年7月.

  • 村上龍自選小説集8 増殖し続ける細部』, 集英社, 2000年7月.

  • 『JMM Vol.8 教育における経済合理性 教育問題の新しい視点』, NHK出版, 2000年8月.

  • 『「希望の国のエクソダス」取材ノート』(インタビュー集), 文芸春秋, 2000年9月.

  • 『共生虫ドットコム』(ウェブ・ページ、対談ほか), 講談社, 2000年9月.(著:村上龍、Kyoseichu.com制作班)

  • 『JMM Vol.9 少年犯罪と心理経済学 教育問題の新しい視点2』, NHK出版, 2000年10月.

  • 『アウェー(敵地)で戦うために フィジカル・インテンシティ3』(エッセイ), 光文社, 2000年12月.

  • 『JMM Vol.10 金融の民主化 投資と希望と信頼』, NHK出版, 2000年12月.


    [2001]


  • 『JMM Vol.11 ベンチャーキャピタル・新しい金融戦略 既得権益層を撃て!』, NHK出版, 2001年1月.

  • 『「教育の崩壊」という嘘』(対談集), 日本放送出版協会, 2001年2月.

  • 『タナトス』, 集英社, 2001年3月10日初版.

  • 『JMM Vol.12 所得再配分≠経済安定化 国家予算は誰のものか』, NHK出版, 2001年3月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.6』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2001年4月.

  • 『JMM Vol.13 若年労働者の危機 未来のあるフリータ− 未来のないフリーター』, NHK出版, 2001年5月.

  • 『THE MASK CLUB』, メディアファクトリー, 2001年7月13日初版.

  • 『ダメな女』(エッセイ), 光文社, 2001年8月.

  • 『おじいさんは山へ金儲けに 時として、投資は希望を生む』(絵本), 日本放送出版協会, 2001年8月. (絵:はまのゆか)

  • 『最後の家族』, 幻冬舎, 2001年10月10日初版.

  • 『対立と自立 構造改革が生み出すもの』(対談ほか), 日本放送出版協会, 2001年10月.

  • 『eメールの達人になる』, 集英社(新書), 2001年11月.

  • 『収縮する世界、閉塞する日本 Post September eleventh』(対談), 日本放送出版協会, 2001年12月.


    [2002]


  • 『だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年1月.

  • 『悪魔のパス天使のゴール』, 幻冬舎, 2002年5月10日初版.

  • 『文体とパスの精度』(電子メール集), 集英社, 2002年5月(共著:中田英寿).

  • 『Mundial 2002世界標準を越えて フィジカル?インテンシティ4』(エッセイ), 光文社, 2002年5月.

  • 『円安+インフレ=夜明けor悪夢?』, 日本放送出版協会, 2002年6月.

  • 『熱狂、幻滅、そして希望2002 FIFA World Cupレポート フィジカル?インテンシティ5』(エッセイ), 光文社, 2002年8月.

  • 『恋愛の格差』(エッセイ), 青春出版社, 2002年10月.

  • 『マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年12月.


    [2003]


  • 『自殺よりはSEX 村上龍の恋愛・女性論』(エッセイ選), KKベストセラーズ, 2003年1月.

  • 『会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?』(座談集), 扶桑社, 2003年2月.

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第1集(金融・経済)』, 日本放送出版協会, 2003年3月 .

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第2集(世界の現状)』, 日本放送出版協会, 2003年3月.

  • 『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』(短篇集), 文芸春秋, 2003年4月25日初版.
      文庫版刊行時に『空港にて』と改題(文春文庫, 2005年5月).

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.7』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2003年6月.

  • 『ポストマン MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN』, NHK出版, 2003年6月.

  • 『2days 4girls 2日間で4人の女とセックスする方法』, 集英社, 2003年8月10日初版.

  • 『13歳のハローワーク』(絵本), 幻冬舎, 2003年11月.(絵:はまのゆか)

  • 『とおくはなれてそばにいて』(短篇選集), KKベストセラーズ, 2003年12月.


    [2004]


  • 『人生における成功者の定義と条件』, NHK出版, 2004年8月.


    [2005]


  • 『半島を出よ』, 幻冬舎, 2005年3月25日初版.

  • 『ハバナ・モード』(エッセイ、すべての男は消耗品である。 Vol.8), KKベストセラーズ, 2005年6月.


    [2006]


  • 村上龍文学的エッセイ集』, シングルカット社, 2006年1月.

  • 『シールド(盾)』(絵本), 幻冬舎, 2006年3月.(絵:はまのゆか)

  • 『「個」を見つめるダイアローグ』, ダイヤモンド社, 2006年5月.

  • 『わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL』(エッセイ), 青春出版社, 2006年9月.

  • 『日本経済に関する7年間の疑問』, 日本放送出版協会, 2006年11月.

  • 『美しい時間』, KKベストセラーズ, 2006年11月.(村上龍『冬の花火』と小池真理子『時の銀河』の2冊から成る)

  • 『はじめての文学 村上龍』, 文藝春秋, 2006年12月.



    映画化・テレビ化・舞台化など




    [映画]


  • 1979年 - 限りなく透明に近いブルー(監督・脚本:村上龍

  • 1983年 - だいじょうぶマイ・フレンド(監督・脚本:村上龍

  • 1989年 - ラッフルズホテル(監督:村上龍、原案:奥山和由、脚本:野沢尚)

  • 1992年 - トパーズ(監督・脚本:村上龍

  • 1996年 - KYOKO(監督・脚本:村上龍

  • 1998年 - ラブ&ポップ(監督:庵野秀明、脚本:薩川昭夫)

  • 2000年 - オーディション(監督:三池崇史、脚本:天願大介)

  • 2001年 - 走れ!イチロー(原作『走れ! タカハシ』、監督:大森一樹、脚本:丸山昇一・大森一樹)

  • 2002年 - 昭和歌謡大全集(監督:篠原哲雄、脚本:大森寿美男)

  • 2004年 - 69 sixty nine(監督:李相日、脚本:宮藤官九郎)
     ※『半島を出よ』が韓国で、『コインロッカー・ベイビーズ』がアメリカにおいて映画化の予定


    [テレビドラマ]


  • 2001年 - 最後の家族(脚本:村上龍


    [ラジオドラマ]


  • 1981年 - コインロッカー・ベイビーズ(演出:村上龍

  • 1984年 - ハワイアン・ラプソディ


    [舞台]


  • 1997年 - 昭和歌謡大全集(演出:蜷川幸雄、脚本:清水邦夫)


    [ゲーム]


  • 2001年 - PS2「五分後の世界」(原作:村上龍 株式会社メディアファクトリー)



    出演番組


  • 1978年4月 - ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」 NHK

  • 1987年10月〜1991年3月 - Ryu's Bar 気ままにいい夜 TBS/毎日放送

  • 2000年5月 - NHKスペシャル インターネット・エッセイ 村上龍 '失われた10年'を問う NHK

  • 2001年1月 - Ryu's Barスペシャル21 TBS/毎日放送

  • 2004年1月 - NHKスペシャル 日本再生 ひとりからの出発 〜村上龍とリーダーたちの対話〜 NHK

  • 2006年4月 - 日経スペシャル カンブリア宮殿〜村上龍の経済トークライブ〜 テレビ東京



    インターネットでの活動




    [JMM (ジャパン・メール・メディア)]

    1999年から始まった村上龍が編集長を務めるメールマガジン。2005年10月31日現在、発行部数約13万部。特に経済分野に関して比重が大きい。執筆者は、冷泉彰彦、春具、アン・ヨンヒなど。書籍化もされている。
    月曜日の配信は、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』と題して、一週間前に出された村上からの質問に対する専門家の回答と、村上からの新たな質問が提示される構成となっている。これがJMMにおいて編集長である村上からのコメントが定期的に掲載される唯一の配信である。


    [RVR (Ryu's Video Report)]

    2006年から始まったスポーツ、韓国映画、時事問題をテーマにしたインターネットによる映像配信。



    キューバ音楽との関わり


  • キューバのミュージシャンの日本公演をプロデュースしている。(バンボレオ、NG・ラ・バンダ、ロス・ヴァン・ヴァンなど)また、自己レーベル MURAKAMI's を作ってNG・ラ・バンダなどのCDを発売した。

  • キューバのミュージシャン「チャランガ・アバネーラ」を追った映画『ポプラル!』 (2005) でエクゼクティブ・プロデューサーを務める。[1



    エピソード


  • 母親は小学校教諭、父親は高校教諭。妹は北海道の農家に嫁ぐ。

  • 父親である村上新一郎による、息子に関する著作『龍がのぼるとき』がある。

  • 小学校のときに長編童話を丸暗記し、好きな女の子に聞かせて泣かせていた。

  • 本名の「龍之助」ではなく「龍」と言うペンネームを用いたのは、芥川龍之介と同じ名前では恐れ多いという理由から。一部で「小説家ロス・マクドナルドのファンで、彼の作品に登場する名探偵リュー・アーチャーにちなんで村上龍のペンネームを使った?という説もあるが?これは誤りである?

  • 処女作「限りなく透明に近いブルー」は改名後の作品名である。その前につけられていた作品の名前「クリトリスにバターを」では(露骨な性表現なため)発表できなかった。

  • 小説『69 sixty nine』のヒロイン、レディー・ジェーンのモデルは後に景山民夫と再婚した。



    外部リンク


  • [http://ryumurakami.jmm.co.jp/ Japan Mail Media

  • RVR

  • 13歳のハローワーク 公式サイト

  • 悪魔と天使の瞬間 スポーツ報知のコラム


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    2007年07月21日

    映画監督[蓮實重彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蓮實重彦




    蓮實 重彦(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語のほかイタリア語も解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家。長男の蓮実重臣は作曲家。



    経歴


  • 1954年 学習院高等科卒業

  • 1960年 東京大学文学部フランス文学科卒業

  • 1962年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学

  • 1962年 パリ大学人文科学部に留学

  • 1965年 パリ第四大学博士 (文学)|文学博士

  • 1966年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学

  • 1966年 東京大学文学部助手

  • 1968年 立教大学一般教育部専任講師

  • 1969年 同助教授

  • 1970年 東京大学教養学部講師

  • 1973年 同助教授

  • 1988年 同教授

  • 1993年 同学部長(〜1995年)

  • 1995年 東京大学副学長(〜1997年)

  • 1997年 東京大学総長(〜2001年)

  • 1998年 国立大学協会会長(〜2001年)

  • 現在、東京大学名誉教授。



    人物

    本来はフランス近代文学(フローベール)を専攻とするフランス文学者であるが、1970年代初頭に当時中野幹隆が編集長を務めていた文芸雑誌「文藝」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルト、ジェン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や『反=日本語論』に収められた「エッセイ」にも及び『反=日本語論』は読売文学賞受賞を受賞。直接的な断定を周到に避ける独特かつ難解な語り口や、読点の極端に少ない長大な文体が人気を呼び  "1980年代初頭から中盤にかけては最も知名度が高く多筆な著述家の一人であった。しかし、その人気と独特な語り口は多くのエピゴーネンを生むことにも繋がり、これに対する反発を感じる人もまた少なくない。思想や文学作品の論評から論壇に登場したが、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、事実一番最初に活字化されたものは大学院在学中に著し、「東京大学新聞社|東京大学新聞」に掲載された映画時評だった。1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸を氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となった。その後も、東京大学総長を務めていた一時期、少なくとも国内においては映画に関する文章を公開することを控えていたことを除くと映画評論が活動の中心であり、一般的には(元)東京大学総長という肩書きを除けば、文芸評論家、フランス文学者やフローベールの研究者あるいはフランス現代思想の論評家としてではなく、映画評論家として認知されていると思われる。文芸誌で\xA1 $"$k!VJ83X3&!W2004年1月号で小説家の阿部和重と「アァ a%j%+1G2 h$NCN@-$rMJ8n$9$k!W$HBj$7$F;0;~4V$NF$5D$r7+$j9-$2$?:]$K!"Ev9f$NI=;f$HGXI=;f$K!V蓮實重彦&阿部和重」の文字がに大きく躍ったことからこうした事態は想定できる。自分が「日本で一番映画館に人の足を運ばせることができる映画評論家」「日本一のインタヴュア」であることを自称、自認している。しかし、今や作品以上に自分自身こそが「一番人の足を運ばせることができる」人物となっており、氏が登場するシンポジウムや講演会付きの上映会はたちまち満席になってしまい、ただでさえなかなか観ることができない作品の鑑賞機会を更に減らしてしまうという皮肉な事態を生んでいる。



    映画について

    大好きな監督、俳優はジョン・フォード、ジャン・ルノワール、小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、山中貞雄、オーソン・ウェルズ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、カール・テホ・ドライヤー、アッバス・キアロスタミ、クリント・イーストウッド、ジョン・カサヴェテス、マキノ雅弘、ジム・ジャームッシュ、エルンスト・ルビッチ、ダグラス・サーク、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、リチャード・フライシャー、トニー・スコット(以上監督)、ジョン・ウェイン、トム・クルーズ、山田五十鈴(以上俳優)等、膨大。苦手な監督はウォシャウスキー兄弟、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジェームズ・キャメロン等多数。嫌いな監督、俳優はヘンリー・フォンダ(ジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にヒューゴ・ウィービング、ジェーン・カンピオン、リドリー・スコット、ラッセル・クロウ等。フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思わ\xA1 $l$k$3$H$b$"$k$h$&$@$,!"%"%a%j%+1G2h!"FC$K1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。ただし、ニコラス・レイ、アンソニー・マン、ジョゼフ・ロージー、サミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロス、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。氏の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードがハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画察 K:FFI$N$?$a$N0l$D$N;k3Q!Y(レンフィルム祭パンフレット所収\xA1 )\xA4 K$*$1$k%5%$%l%s%H$+$i%H!<%-!<$X$NJQKF$N2aDx$H$=$NK\/$J$/$H$bF|K\$K$*$$$F$O;a$,=i$a$FDs<($7L@3N2=$7$?1G2h;KE*$J4QE@$,>/$J$+$i$:$"$k!#>e5-%F%^%F%#%9%`E*$JHcI>J8$dJJ$N$"$k?M$r?)$C$?$h$&$J;~I>J8$K$D$$$F$O9%$_$,JL$l$k$H$3$m$G$"$m$&$,!"!V1G2h;K2H!W$H$7$F$N蓮實重彦の価値と意味合いは衆目が認めざるを得ない事実であると言えよう。氏の批評は以後の映画批評に絶大な影響を与えた。また、立教大学時代の教え子として映画監督の黒沢清、周防正行、万田邦敏、塩田明彦、映画監督・小説家の青山真治等、未来の現場監督にも大きな影響を与えた。彼らが形成した映画文化を「ヌーヴェルヴァーグ|立教ヌーヴェルヴァーグ」という。一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦(明治学院大学教授・映画批評家)を筆頭に、松浦寿輝(東京大学教授・詩人)、野崎歓(東京大学教授・映画批評家)、堀潤之(関西大学専任講師・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創澄 _$KK[Av$7$?El5~Bg3X65M\3XItD60hJ82=2J3X2JI=>]J82=O@%3!<%9$NB46H!&8&5f$NNN0h$K$*$1$k0lBg@*NO$K0i$A$D$D$"$k!#$J$*!";MJ}ED8$I'$O!VO!Ui%<%_!W$N:G$bAa$$;~4|$N=P?H蓮實重彦が唱えた「映画は映画の内側においてのみ特権的に語られるべき」であるとする「表層主義」に対し極めて批判的であり(四方田犬彦著『アジアのなかの日本映画』より)、蓮實批判の先鋒に位置している。



    その他の活動

    本業はフローベールの研究者だが、長い間予告され続けた『ボヴァリー夫人論』は未だに上梓されていない。そのことを他人に問われると「今年は出します」と答え続け約20年が経過したが、2006年発行の『表象の奈落』にフローベール論が収められた。ただし蓮實自身は『ボヴァリー夫人論』は数百ページに渡る長大なものになると予告していたこともあるため、これが当初構想されていたものと同一かどうかは定かではない。東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。スポーツなどへの言及も多いが、その批評、特にサッカー批評では、知識の欠如に対する批判が多い。



    草野進について

    草野進(くさのしん)は、自称・公称、女流華道家。主にプロ野球への批評を書いている。贔屓のチームを持つ事を諌めたり、スポーツは生で見よと誘ったり、あえてプロ野球が退屈だと断言したりと、その挑発的な批評は、出現した当時、これまでのスポーツ批評に、静かながら確実な影響を与えた。草野進は
    蓮實重彦である、とか、草野進は蓮實重彦と渡部直己との共同執筆である、などの「説」がある。(ちなみに、「共著者」でもある蓮實重彦は草野球の名捕手だったという。 自筆年表より)主著に『どうしたって、プロ野球は面白い』、『プロ野球批評宣言』(草野進編)、『読売巨人軍再建のための建白書』(渡部直己との共著)、『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(渡部直己、蓮實重彦との共著)、『世紀末のプロ野球』など。



    著書


  • 評論など
    『批評あるいは仮死の祭典』
    『反=日本語論』(読売文学賞受賞)
    『表層批評宣言』
    『ミシェル・フーコー|フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
    『夏目漱石論』
    『大江健三郎論』
    『物語批判序説』
    『凡庸な芸術家の肖像』(芸術選奨文部大臣賞受賞)
    『凡庸さについてお話させていただきます』
    『小説から遠く離れて』
    『小説論=批評論』(のちに『文学批判序説 小説論=批評論』と改題)
    『「私小説」を読む』
    『映画 誘惑のエクリチュール』
    『映画はいかにして死ぬか』
    『シネマの記憶装置』
    『シネマの煽動装置』
    『映画の神話学』(略称)
    『映像の詩学』
    『監督 小津安二郎』(2003年に増補版刊行、仏語・韓国語訳あり)
    『映画狂人シリーズ』(全10巻)
    『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』
    『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』
    『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』
    『魅せられて 作家論集』
    『ゴダール革命』
    『表層の奈落』など膨大。

  • 翻訳
    『マゾッホとサド』(ジル・ドゥルーズ)
    『フーコーそして /あるいはドゥルーズ』(ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ)
    『映画術ヒッチコック』(山田宏一と共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック)など。

  • テクスト(小説)
    『陥没地帯』
    『オペラ・オペラシオネル』がある。

  • 編集
    「リュミエール」(1985年より廃刊(14号)まで従事。)
    「ルプレザンタシオン」



    外部リンク


  • www.mube.jp(公式サイト)

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    2007年07月20日

    映画監督[村上龍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    村上龍



    村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は長崎県佐世保市出身の日本の小説家、映画監督。本名は、村上 龍之助(- りゅうのすけ)。



    来歴


  • 佐世保市立御船小学校卒業。

  • 佐世保市立光海中学校卒業。

  • 1970年、長崎県立佐世保北中学校・高等学校|長崎県立佐世保北高等学校卒業。

  • 1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。1976年に、デビュー作『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞。無気力な青年・リュウが乱交と麻薬に明け暮れる日常を激しくやる瀬無く描く。『限りなく透明に近いブルー』は2005年現在までに単行本131万部、文庫本を含めると350万部以上の大ベストセラーになった。同年7月に同作で、第75回芥川龍之介賞を受賞。
    : 選考会では2時間に渡る侃々諤々の大論戦が勃発。丹羽文雄、井上靖、吉行淳之介、中村光夫が支持、永井龍男と滝井孝作が猛反発。安岡章太郎は半票を投じ 4.5対2 で過半数を獲得した村上が受賞した。なお、井上靖は当初反対票を入れようと考えていたが、息子に提言され、支持することになったらしい。ちなみに、井上靖が反対票を入れていると、過半数を獲得できなかった村上の受賞はなくなっていた。1977年に大学を中退。1980年に、コインロッカー乳児遺棄事件をモチーフにした書き下ろし作品『コインロッカー・ベイビーズ』を発表。1980年代には村上春樹と共に「W村上」と称されたこともあるが、もとより2人は縁戚関係に無く、仕事の上でも世間で一般的に言われるほどには共通点もない。こうした呼称が出てきた背景には、双方のファンを刺激して著作に対する需要を拡大したいという出版者側の思惑があったようである。1999年より、金融・経済を中心に論議し本質的な疑問を提示するための新たなメディアとして、メールマガジンのJMMを主宰・編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵法 \!X$"$N6b$G2?$,Gc$($?$+!Y$rH/I=!#2004年に『13歳のハローワーク』を発表。大人の入口であり自由と可能性を持つ「13歳」に向け、現実世界への入口となる「仕事・職業」に好奇心を持ち探求に向かうことを意図。折しも「ニート」なる新しい労働経済学的な社会問題が指摘されていた。親交の深い中上健次、坂本龍一、中田英寿との対談集・共著も多い。



    評価・批評




    [限りなく透明に近いブルー]

    埴谷雄高、井上光晴両選考委員に激賞された。奥野健男は「全く新しいスタイルの文学の登場。エモーショナルな感覚は流石」と好意的な批評。対して江藤淳は「現代日本文学のサブカルチャー化、即ち退廃の象徴。絶対に認めないし許さない」と批評し厳しく非難した。それとは別に江藤は古典的な文壇から酷評された、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』を賞賛したが、こちらも日本文学が「サブカルチャー化」する上での起爆剤となった。江藤が田中の作品を支持したのは、村上の作品に著しく欠落していた日本的情緒を評価したからであると、社会学者の宮台真司などは指摘している。要するに村上作品の文学的特徴は一切の情緒を排除した記号性に象徴されるというわけである。別の観点からすると、江藤は何の恥じらいもなく「アメリカに尻尾を振る犬」を村上作品の中に見たとも言える。一方、芥川賞選考委員だった吉行淳之介は「因果なことに才能がある」と作品そのものよりも、村上の将来を買ったような名文句を残している。ただし論壇や文壇の評価を別とすれば、当時の評価は二点でまとめられる。一つは当時としては過剰な性的表現である。ほとんどグロに近いポル\xA1 %NE*$JI=8=$,OCBj$r8F$s$@!#$b$&0l$D$O@6?7$J;mE*I=8=$G$"$k!#99%は退屈な表現でも、1%のみずみずしい表現が、若々しい詩的な感動を呼んだ。作品を支持する読者は、作者がこの方面で才能を伸ばすことを期待した。中国語版の出版に際し、序文の中で村上本人は作品のテーマを、近代化の達成という大目標を成し遂げた後に残る「喪失感」であると述べている。また同文中にて、この作品がその後の作品のモチーフを全て含んでいる、ということが述べられている。




    受賞歴


  • 1976年 - 『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞、第75回芥川龍之介賞。

  • 1981年 - 『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞。

  • 1996年 - 『村上龍映画小説集』で平林たい子文学賞。

  • 1998年 - 『インザ・ミソスープ』で読売文学賞小説賞。

  • 2000年 - 『共生虫』で第36回谷崎潤一郎賞。

  • 2005年 - 『半島を出よ』で第58回野間文芸賞、第59回毎日出版文化賞(文学・芸術部門)W受賞



    著作

    小説は太字(絵本などの企画物は除く)



    [1976]


  • 『限りなく透明に近いブルー』, 講談社, 1976年7月14日初版.


    [1977]


  • 『海の向こうで戦争が始まる』, 講談社, 1977年6月24日初版.

  • 『中上健次vs村上龍 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて』(対談), 角川書店, 1977年6月30日初版(共著:中上健次).
      文庫版刊行時に『ジャズと爆弾』と改題(角川文庫, 1982年1月)


    [1978]



    [1979]


  • 『真昼の映像・真夜中の言葉』(シナリオ・撮影日誌) , 講談社, 1979年1月31日初版.


    [1980]


  • 『コインロッカー・ベイビーズ』, 講談社, 1980年10月28日初版.


    [1981]


  • 『ウォーク・ドント・ラン』(対談), 講談社, 1981年7月20日初版(共著:村上春樹).


    [1982]


  • 『芥川賞全集 第11巻 (11) 』, 文藝春秋, 1982年12月.


    [1983]


  • 『だいじょうぶマイ・フレンド』, 集英社, 1983年2月10日初版.

  • 『絵本 だいじょうぶマイ・フレンド』(絵本), 集英社, 1983年3月(絵:吉田カツ).

  • 『メイキング オブ だいじょうぶマイ・フレンド』(シナリオ、撮影日誌ほか), CBSソニー出版, 1983年4月10日初版.


    [ 1984 ]


  • 『悲しき熱帯 (村上龍)|悲しき熱帯』(短篇集)、角川書店(文庫)、1984年9月10日初版。1988年8月単行本化の際に『Summer in the city』と改題。

  • 『ビートルズってなんだ?―53人の"マイ・ビートルズ"』(エッセイ・アンソロジー)、講談社(文庫)、1984年9月。


    [1985]


  • 『テニスボーイの憂鬱』, 集英社, 1985年3月25日初版.

  • 『アメリカン★ドリーム』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1985年10月15日初版.

  • 『EV.Cafe 超進化論』(鼎談集), 講談社, 1985年11月28日初版(共著:坂本龍一).


    [1986]


  • 『American road show』(鈴木英人イラストレーション), 東宝出版事業室, 1986年1月.(ショート・ストーリーを寄稿)

  • 『POST(ポップアートのある部屋)』(短篇集), 講談社, 1986年3月27日初版.

  • 『走れ!タカハシ』(短篇集), 講談社, 1986年5月20日初版.

  • 『ニューヨーク・シティ・マラソン(小説)|ニューヨーク・シティ・マラソン』(短篇集), 集英社, 1986年10月25日初版.


    [1987]


  • 『すべての男は消耗品である。』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1987年8月1日初版.

  • 『69 sixty nine』, 集英社, 1987年8月10日初版.

  • 『愛と幻想のファシズム』, 講談社, 1987年8月20日初版.

  • 『テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド』(エッセイ), 講談社, 1987年9月26日初版.


    [1988]


  • 『トパーズ (小説)|トパーズ』(短篇集), 角川書店, 1988年10月5日初版.

  • 村上龍料理小説集』(短篇集)集英社, 1988年10月10日初版.

  • 『Ryu's Bar 気ままにいい夜』(同TV番組での対談集), 講談社, 1988年11月.(著:村上龍&Ryu's Barスタッフ)

  • 『快楽のテニス講座』(テニス解説書), 講談社, 1988年11月.


    [1989]


  • 『友達のラ リ ル レ ロ』(絵本), 角川書店, 1989年2月.(イラスト:安井須磨子)

  • 『十七粒の媚薬』(アンソロジー), マガジンハウス, 1989年4月.(「クリーム色」収録)

  • 『ビッグ・イベント』(エッセイ), 講談社, 1989年5月6日初版.

  • 『ラッフルズホテル』, 集英社, 1989年9月13日初版.

  • 『シナリオ ラッフルズホテル』(シナリオ、撮影日誌), 集英社(文庫), 1989年9月.(著:村上龍、野沢尚)


    [1990]


  • 『すべての男は消耗品である。Vol.2』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1990年5月5日初版.

  • 『贅沢な恋愛』(アンソロジー), 角川書店, 1990年9月.(「ムーン・リバー」収録)


    [1991]


  • 『コックサッカーブルース』, 小学館, 1991年5月1日初版.

  • 『恋はいつも未知なもの』(短篇集), 朝日新聞社, 1991年5月1日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1976〜1981』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年5月15日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1982〜1986』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年8月15日初版.

  • 『超電導ナイトクラブ』, 講談社, 1991年9月30日初版.

  • 『シボネイ-遥かなるキューバ』(CDブック), 主婦の友社, 1991年10月.

  • 『世界をボクらの遊び場に』(対談集), 講談社, 1991年11月28日初版.

  • 村上龍全エッセイ 1987〜1991』(エッセイ集), 講談社(文庫), 1991年12月15日初版.


    [1992]


  • 『トパーズの誘惑』(シナリオ、対談ほか), 角川書店, 1992年2月.

  • 『イビサ』, 角川書店, 1992年3月5日初版.

  • 『長崎オランダ村』, 講談社, 1992年3月25日初版.

  • 『龍言飛語』(エッセイ), 集英社, 1992年4月.

  • 『友よ、また逢おう』(往復書簡), 角川書店, 1992年8月.(共著:坂本龍一)

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.3』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1992年10月15日初版.

  • 『セビロとルージュと秘密の手紙』(短篇+ポストカード), 角川文庫, 1992年11月.


    [1993]


  • 『エクスタシー』, 集英社, 1993年1月25日初版.

  • 『フィジーの小人』, 角川書店, 1993年3月25日初版.

  • 『贅沢な失恋』(アンソロジー), 角川書店, 1993年4月.(「マナハウス」収録)

  • 『368Y Par4 第2打』, 講談社, 1993年5月15日初版.

  • 『「普通の女の子」として存在したくないあなたへ。』(エッセイ), マガジンハウス, 1993年6月.

  • 『音楽の海岸』, 角川書店, 1993年7月4日初版.

  • 『新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド』(キューバ音楽ガイド), 新潮社, 1993年7月.


    [1994]


  • 村上龍+椹木野衣 最新対論 神は細部に宿る』(対談), 新浪漫社, 1994年1月10日初版.(共著:椹木野衣)

  • 『昭和歌謡大全集』, 集英社, 1994年3月23日初版.

  • 『五分後の世界』, 幻冬舎, 1994年3月27日初版.

  • 『贅沢な恋人たち』(アンソロジー), 幻冬舎, 1994年4月.(「白鳥」収録)

  • 『ピアッシング』, 幻冬舎, 1994年12月15日初版.


    [1995]


  • 『「超能力」から「能力」へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに』(対談), 講談社, 1995年5月(共著:山岸隆).

  • 村上龍映画小説集』(短篇集), 講談社, 1995年6月30日初版.

  • 『すべての男は消耗品である。Vol.4』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1995年9月.

  • 『KYOKO』, 集英社, 1995年11月20日初版.

  • 『世紀末を一人歩きするために』(自作小説・エッセイからの引用集), 講談社, 1995年12月.


    [1996]


  • 『あなたがいなくなった後の東京物語』(エッセイ), 角川書店, 1996年1月.

  • 『KYOKOの軌跡 神が試した映画』(シナリオ、撮影日誌ほか), 幻冬舎, 1996年3月.

  • 『モニカ-音楽家の夢・小説家の物語』(短篇集), 新潮社, 1996年3月15日初版.(著:坂本龍一、村上龍

  • 『或る恋の物語 エキゾチズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『Se fue彼女は行ってしまった ロマンチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『わたしのすべてを エロチシズム120%』(CDブック), ソニー・ミュージックエンタテインメント, 1996年4月.

  • 『ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界?』, 幻冬舎, 1996年5月8日初版.

  • 『メランコリア』, 集英社, 1996年5月22日初版.

  • 『すてきなジェニファー』(絵本), 新書館, 1996年10月.(絵:山本容子)

  • 『ラブ&ポップ』, 幻冬舎, 1996年11月18日初版.

  • 『はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』, 集英社, 1996年12月10日初版.


    [1997]


  • 『白鳥』(短篇集), 幻冬舎, 1997年3月6日初版.

  • 『オーディション』, ぶんか社, 1997年6月1日初版.

  • 村上龍自選小説集1 消費される青春』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集3 寓話としての短篇』, 集英社, 1997年6月.

  • 村上龍自選小説集4 破壊による突破』, 集英社, 1997年7月.

  • 『ストレンジ・デイズ』, 講談社, 1997年7月28日初版.

  • 『RYU'S倶楽部-「仲間」ではなく友人として』(対談集), 毎日新聞社, 1997年8月.

  • 『イン ザ・ミソスープ』, 読売新聞社, 1997年10月16日初版.

  • 村上龍自選小説集2 他者を探す女達』, 集英社, 1997年10月.


    [1998]


  • 『寂しい国の殺人』(エッセイ), シングルカット社, 1998年1月.

  • 『バイオテック・レイヤード』(CG画集), ピー・エヌ・エヌ, 1998年2月.

  • 『群像日本の作家29 村上龍』, 小学館, 1998年4月.

  • 『夢見るころを過ぎれば 村上龍vs.女子高生51人』(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月.

  • 『ライン』, 幻冬舎, 1998年8月20日初版.

  • 『憂鬱な希望としてのインターネット』(インタビュー), メディアファクトリー, 1998年9月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.5』(エッセイ), KKベストセラーズ, 1998年10月.

  • 『ワイン一杯だけの真実』(短篇集), 幻冬舎, 1998年12月10日初版.

  • 『フィジカル・インテンシティ '97-'98season』(エッセイ), 光文社, 1998年12月.


    [1999]


  • 『寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ』(エッセイ集), ビクターエンターテインメント・ビクターブックス, 1999年4月.

  • 村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ』(対談集), 文芸春秋, 1999年6月(中上健次、他との対談).

  • 『あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー』(絵本), 小学館, 1999年8月.(絵:はまのゆか)

  • 『JMM Vol.1 プロローグ 日本の選択した道』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『JMM Vol.2 雇用問題を考える 景気と個人の幸福感』, NHK出版, 1999年11月.

  • 『奇跡的なカタルシス フィジカル・インテンシティ2』(エッセイ), 光文社, 1999年12月.

  • 『最前線 THE FRONT LINE』(対談集), ラインブックス, 1999年12月.


    [2000]


  • 『JMM Vol.3 通貨を語る 美しき為替市場の魔力』, NHK出版, 2000年1月.

  • 『誰にでもできる恋愛』(エッセイ), 青春出版社, 2000年2月.

  • 『共生虫』, 講談社, 2000年3月20日初版.

  • 『ストレイト・ストーリー 』(絵本), 集英社, 2000年3月.(絵:はまのゆか)
      同名映画(監督:デイヴィッド・リンチ)のノヴェライゼーション

  • 『JMM Vol.4 財政危機のゆくえ ケインズの憂鬱』, NHK出版, 2000年3月.

  • 『JMM Vol.5 企業経営の未来 システムとコミュニケーションをめぐって』, NHK出版, 2000年4月.

  • 村上龍自選小説集5 戦争とファシズムの想像力』, 集英社, 2000年5月.

  • 村上龍自選小説集7 ドキュメントとしての小説』, 集英社, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.6 需要が足りない! 景気の循環を越えて』, NHK出版, 2000年5月.

  • 村上龍 失われた10年を問う』(JMM extra issue), NHK出版, 2000年5月.

  • 『JMM Vol.7 IT革命のリアリティ 「価値」は「利益」に優先する』, NHK出版, 2000年6月.

  • 『世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails』(往復電子メール集), 日本放送出版協会, 2000年6月(共著:藤木りえ).

  • 『希望の国のエクソダス』, 文芸春秋, 2000年7月20日初版.

  • 村上龍自選小説集6 快楽と倦怠と死の独白』, 集英社, 2000年7月.

  • 村上龍自選小説集8 増殖し続ける細部』, 集英社, 2000年7月.

  • 『JMM Vol.8 教育における経済合理性 教育問題の新しい視点』, NHK出版, 2000年8月.

  • 『「希望の国のエクソダス」取材ノート』(インタビュー集), 文芸春秋, 2000年9月.

  • 『共生虫ドットコム』(ウェブ・ページ、対談ほか), 講談社, 2000年9月.(著:村上龍、Kyoseichu.com制作班)

  • 『JMM Vol.9 少年犯罪と心理経済学 教育問題の新しい視点2』, NHK出版, 2000年10月.

  • 『アウェー(敵地)で戦うために フィジカル・インテンシティ3』(エッセイ), 光文社, 2000年12月.

  • 『JMM Vol.10 金融の民主化 投資と希望と信頼』, NHK出版, 2000年12月.


    [2001]


  • 『JMM Vol.11 ベンチャーキャピタル・新しい金融戦略 既得権益層を撃て!』, NHK出版, 2001年1月.

  • 『「教育の崩壊」という嘘』(対談集), 日本放送出版協会, 2001年2月.

  • 『タナトス』, 集英社, 2001年3月10日初版.

  • 『JMM Vol.12 所得再配分≠経済安定化 国家予算は誰のものか』, NHK出版, 2001年3月.

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.6』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2001年4月.

  • 『JMM Vol.13 若年労働者の危機 未来のあるフリータ− 未来のないフリーター』, NHK出版, 2001年5月.

  • 『THE MASK CLUB』, メディアファクトリー, 2001年7月13日初版.

  • 『ダメな女』(エッセイ), 光文社, 2001年8月.

  • 『おじいさんは山へ金儲けに 時として、投資は希望を生む』(絵本), 日本放送出版協会, 2001年8月. (絵:はまのゆか)

  • 『最後の家族』, 幻冬舎, 2001年10月10日初版.

  • 『対立と自立 構造改革が生み出すもの』(対談ほか), 日本放送出版協会, 2001年10月.

  • 『eメールの達人になる』, 集英社(新書), 2001年11月.

  • 『収縮する世界、閉塞する日本 Post September eleventh』(対談), 日本放送出版協会, 2001年12月.


    [2002]


  • 『だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年1月.

  • 『悪魔のパス天使のゴール』, 幻冬舎, 2002年5月10日初版.

  • 『文体とパスの精度』(電子メール集), 集英社, 2002年5月(共著:中田英寿).

  • 『Mundial 2002世界標準を越えて フィジカル?インテンシティ4』(エッセイ), 光文社, 2002年5月.

  • 『円安+インフレ=夜明けor悪夢?』, 日本放送出版協会, 2002年6月.

  • 『熱狂、幻滅、そして希望2002 FIFA World Cupレポート フィジカル?インテンシティ5』(エッセイ), 光文社, 2002年8月.

  • 『恋愛の格差』(エッセイ), 青春出版社, 2002年10月.

  • 『マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龍weekly report』(エッセイ), 日本放送出版協会, 2002年12月.


    [2003]


  • 『自殺よりはSEX 村上龍の恋愛・女性論』(エッセイ選), KKベストセラーズ, 2003年1月.

  • 『会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?』(座談集), 扶桑社, 2003年2月.

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第1集(金融・経済)』, 日本放送出版協会, 2003年3月 .

  • 『啓蒙的なアナウンスメント 第2集(世界の現状)』, 日本放送出版協会, 2003年3月.

  • 『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』(短篇集), 文芸春秋, 2003年4月25日初版.
      文庫版刊行時に『空港にて』と改題(文春文庫, 2005年5月).

  • 『すべての男は消耗品である。 Vol.7』(エッセイ), KKベストセラーズ, 2003年6月.

  • 『ポストマン MONOLOGUE OF THE DEAD LETTERS POSTMAN』, NHK出版, 2003年6月.

  • 『2days 4girls 2日間で4人の女とセックスする方法』, 集英社, 2003年8月10日初版.

  • 『13歳のハローワーク』(絵本), 幻冬舎, 2003年11月.(絵:はまのゆか)

  • 『とおくはなれてそばにいて』(短篇選集), KKベストセラーズ, 2003年12月.


    [2004]


  • 『人生における成功者の定義と条件』, NHK出版, 2004年8月.


    [2005]


  • 『半島を出よ』, 幻冬舎, 2005年3月25日初版.

  • 『ハバナ・モード』(エッセイ、すべての男は消耗品である。 Vol.8), KKベストセラーズ, 2005年6月.


    [2006]


  • 村上龍文学的エッセイ集』, シングルカット社, 2006年1月.

  • 『シールド(盾)』(絵本), 幻冬舎, 2006年3月.(絵:はまのゆか)

  • 『「個」を見つめるダイアローグ』, ダイヤモンド社, 2006年5月.

  • 『わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL』(エッセイ), 青春出版社, 2006年9月.

  • 『日本経済に関する7年間の疑問』, 日本放送出版協会, 2006年11月.

  • 『美しい時間』, KKベストセラーズ, 2006年11月.(村上龍『冬の花火』と小池真理子『時の銀河』の2冊から成る)

  • 『はじめての文学 村上龍』, 文藝春秋, 2006年12月.



    映画化・テレビ化・舞台化など




    [映画]


  • 1979年 - 限りなく透明に近いブルー(監督・脚本:村上龍

  • 1983年 - だいじょうぶマイ・フレンド(監督・脚本:村上龍

  • 1989年 - ラッフルズホテル(監督:村上龍、原案:奥山和由、脚本:野沢尚)

  • 1992年 - トパーズ(監督・脚本:村上龍

  • 1996年 - KYOKO(監督・脚本:村上龍

  • 1998年 - ラブ&ポップ(監督:庵野秀明、脚本:薩川昭夫)

  • 2000年 - オーディション(監督:三池崇史、脚本:天願大介)

  • 2001年 - 走れ!イチロー(原作『走れ! タカハシ』、監督:大森一樹、脚本:丸山昇一・大森一樹)

  • 2002年 - 昭和歌謡大全集(監督:篠原哲雄、脚本:大森寿美男)

  • 2004年 - 69 sixty nine(監督:李相日、脚本:宮藤官九郎)
     ※『半島を出よ』が韓国で、『コインロッカー・ベイビーズ』がアメリカにおいて映画化の予定


    [テレビドラマ]


  • 2001年 - 最後の家族(脚本:村上龍


    [ラジオドラマ]


  • 1981年 - コインロッカー・ベイビーズ(演出:村上龍

  • 1984年 - ハワイアン・ラプソディ


    [舞台]


  • 1997年 - 昭和歌謡大全集(演出:蜷川幸雄、脚本:清水邦夫)


    [ゲーム]


  • 2001年 - PS2「五分後の世界」(原作:村上龍 株式会社メディアファクトリー)



    出演番組


  • 1978年4月 - ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」 NHK

  • 1987年10月〜1991年3月 - Ryu's Bar 気ままにいい夜 TBS/毎日放送

  • 2000年5月 - NHKスペシャル インターネット・エッセイ 村上龍 '失われた10年'を問う NHK

  • 2001年1月 - Ryu's Barスペシャル21 TBS/毎日放送

  • 2004年1月 - NHKスペシャル 日本再生 ひとりからの出発 〜村上龍とリーダーたちの対話〜 NHK

  • 2006年4月 - 日経スペシャル カンブリア宮殿〜村上龍の経済トークライブ〜 テレビ東京



    インターネットでの活動




    [JMM (ジャパン・メール・メディア)]

    1999年から始まった村上龍が編集長を務めるメールマガジン。2005年10月31日現在、発行部数約13万部。特に経済分野に関して比重が大きい。執筆者は、冷泉彰彦、春具、アン・ヨンヒなど。書籍化もされている。
    月曜日の配信は、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』と題して、一週間前に出された村上からの質問に対する専門家の回答と、村上からの新たな質問が提示される構成となっている。これがJMMにおいて編集長である村上からのコメントが定期的に掲載される唯一の配信である。


    [RVR (Ryu's Video Report)]

    2006年から始まったスポーツ、韓国映画、時事問題をテーマにしたインターネットによる映像配信。



    キューバ音楽との関わり


  • キューバのミュージシャンの日本公演をプロデュースしている。(バンボレオ、NG・ラ・バンダ、ロス・ヴァン・ヴァンなど)また、自己レーベル MURAKAMI's を作ってNG・ラ・バンダなどのCDを発売した。

  • キューバのミュージシャン「チャランガ・アバネーラ」を追った映画『ポプラル!』 (2005) でエクゼクティブ・プロデューサーを務める。[1



    エピソード


  • 母親は小学校教諭、父親は高校教諭。妹は北海道の農家に嫁ぐ。

  • 父親である村上新一郎による、息子に関する著作『龍がのぼるとき』がある。

  • 小学校のときに長編童話を丸暗記し、好きな女の子に聞かせて泣かせていた。

  • 本名の「龍之助」ではなく「龍」と言うペンネームを用いたのは、芥川龍之介と同じ名前では恐れ多いという理由から。一部で「小説家ロス・マクドナルドのファンで、彼の作品に登場する名探偵リュー・アーチャーにちなんで村上龍のペンネームを使った?という説もあるが?これは誤りである?

  • 処女作「限りなく透明に近いブルー」は改名後の作品名である。その前につけられていた作品の名前「クリトリスにバターを」では(露骨な性表現なため)発表できなかった。

  • 小説『69 sixty nine』のヒロイン、レディー・ジェーンのモデルは後に景山民夫と再婚した。



    外部リンク


  • [http://ryumurakami.jmm.co.jp/ Japan Mail Media

  • RVR

  • 13歳のハローワーク 公式サイト

  • 悪魔と天使の瞬間 スポーツ報知のコラム


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    2007年07月19日

    映画監督[今村昌平]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今村昌平



    今村 昌平(いまむら しょうへい、1926年9月15日 - 2006年5月30日)は、日本の映画監督、脚本家。東京都出身。父親は開業医。東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属高等学校)、早稲田大学第一文学部卒業。長男である天願大介も映画監督。人間の欲望をユーモラスに描いた作品に定評があった。映画通の間の愛称はイマヘイ。50年余の映画監督人生の中で、監督した作品は20作品。



    経歴

    1951年、大学を卒業し、松竹大船撮影所に入社。初の助監督公募で2000人中8人という難関を突破して合格。主に小津安二郎の助監督をやりながら、松竹大船助監督部の幹事にまでなるも、収入や仕事で不満を感じ、1954年に日活に移籍する。「松竹では束縛だらけだったが、日活はまったくなかったから驚いた」と松竹と日活のギャップを語っている。1957年の名作・川島雄三監督『幕末太陽伝』や浦山桐郎監督の『キューポラのある街』の脚本家でもある。学生時代からの友人であるフランキー堺や小沢昭一、加藤武との親交が深い事も知られている。『神々の深き欲望』の過酷な撮影現場に耐え切れず脱走を試みた 嵐寛寿郎のエピソードは有名。1961年の『豚と軍艦』、『にっぽん昆虫記』、『赤い殺意』などで監督として世間に認められるも、一時は企画がまったく受け入れてもらえず、胃潰瘍を患いながら明日の米にも困るどん底の赤貧生活を経験している。1979年、佐木隆三の『復讐するは我にあり』の映画化権を多くのライバルから奪い、公開し見事に復活を遂げたものの、1981年の『ええじゃないか (映画)|ええ\xA1 $8$c$J$$$+!Y$NBg<:GT$G!VE72<$N:#J?$b=*$o$C$?$J!W$H0l;~$O4Q5R$r<:K>$5$;$?!#1983年、起死回生の『楢山節考』を発表。本作と『うなぎ (映画)|うなぎ』(1997年)で、日本人では初めてカンヌ国際映画祭で2度グランプリ(現・パルム・ドール)を受賞している。同じ功績ではアメリカのフランシス・フォード・コッポラ監督など5名がいる。なお『楢山節考』を出品した時は、「カンヌ(映画祭)出品のために作った作品ではない」とカンヌ映画祭を欠席。『うなぎ』の時は出席はしたものの受賞作を発表する前に帰国した。1975年、横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)を開校し、校長をつとめ、三池崇史・細野辰興・金秀吉・佐々部清・本広克行・李相日などの映画監督、鄭義信などの脚本家・芥川賞作家阿部和重、亦、タレントのウッチャンナンチャン、俳優の長谷川初範、隆大介などの人材を輩出した。1998年、新潮別冊『コマネチ!』にて北野武と対談。2006年5月30日午後3時49分、転移性肝腫瘍のため東京都渋谷区の病院で死去。享年79。遺作は『11'09'01/セプテン\xA1 %P!<11 』中の短編。



    監督作品


  • 盗まれた欲情 (1958年)日活 原作:今東光

  • 西銀座駅前 (1958年)日活 原案・脚本:今村昌平

  • 果しなき欲望 (1958年)日活 原作:藤原審爾

  • にあんちゃん (1959年)日活 原作:安本末子 ベルリン映画祭コンペティション

  • 豚と軍艦 (1961年)日活 脚本:山内久

  • にっぽん昆虫記 (1963年)日活 脚本:長谷部慶次・今村昌平 ベルリン映画祭主演女優賞

  • 赤い殺意 (1964年)日活 原作:藤原審爾

  • エロ事師たちより 人類学入門 (1966年)日活・今村プロ 原作:野坂昭如

  • 人間蒸発 (1967年)日活・日本アート・シアター・ギルド|ATG・日本映画新社・今村プロ ドキュメンタリー

  • 神々の深き欲望 (1968年)日活・今村プロ 脚本:長谷部慶次・今村昌平

  • にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活 (1970年)日本映画新社・東宝 脚本:今村昌平

  • 復讐するは我にあり (1979年)松竹・今村プロ 原作:佐木隆三

  • ええじゃないか (映画)|ええじゃないか (1981年)松竹・今村プロ 原作:今村昌平 カンヌ映画祭招待作品

  • 楢山節考 (1983年)東映・今村プロ 原作:深沢七郎 カンヌ映画祭パルムドール

  • 女衒 ZEGEN (1987年)東映・今村プロ 脚本:岡部耕大・今村昌平 カンヌ映画祭コンペティション

  • 黒い雨 (1989年)東映・今村プロ・林原グループ 原作:井伏鱒二 カンヌ映画祭高等技術委員会グランプリ

  • うなぎ (映画)|うなぎ (1997年)松竹・ケイエスエス・衛星劇場・グループコーポレーション 原作:吉村昭『闇にひらめく』カンヌ映画祭パルムドール

  • カンゾー先生(1998年)東映・今村プロ・東北新社・角川書店 原作:坂口安吾 カンヌ映画祭招待作品

  • 赤い橋の下のぬるい水(2001年)日活・「赤い橋の下のぬるい水」製作委員会 原作:辺見庸 カンヌ映画祭コンペティション

  • 11'9''01/セプテンバー11 日本編(2002年) 脚本:天願大介



    助監督作品


  • 東京物語 (1953年)松竹(フォース助監督)監督:小津安二郎

  • 愛のお荷物 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • あした来る人 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • 銀座二十四帖 (1955年)日活 監督:川島雄三

  • 風船 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 洲崎パラダイス 赤信号 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • わが町 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 飢える魂 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 続・飢える魂 (1956年)日活 監督:川島雄三

  • 幕末太陽傳 (1957年)日活 監督:川島雄三



    受賞歴


  • 1963年 ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞監督賞・脚本賞『にっぽん昆虫記』

  • 1979年 ブルーリボン賞監督賞・日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞 『復讐するは我にあり』

  • 1989年 日本アカデミー賞監督賞・キネマ旬報賞監督賞・日刊スポーツ映画大賞監督賞 『黒い雨』

  • 1997年 日本アカデミー賞監督賞・毎日映画コンクール監督賞 『うなぎ』

  • 死に際して旭日小綬章、フランス共和国より芸術文化勲章が贈られた。



    著作


  • 映画は狂気の旅である(2004年、日本経済新聞社) ISBN 4-532-16471-0

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    2007年07月18日

    映画監督[石井克人]

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    石井克人



    石井 克人 (いしい かつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。1991年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。同年東北新社に入社し、CMディレクターとして働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在(株)337所属。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。
    2003年演出家三木俊一郎、伊志嶺一(ANIKI)らと共に有限会社ナイスの森を設立。
    2006年10月社名を株式会社ナイスレインボー[http://www.nicerainbow.com]に変更し現在活動中。「茶の味」

  • 2004年 アントレヴュ国際映画祭 最優秀外国語映画賞・観客賞

  • 2004年 カタローニュ国際映画祭 オリエント・エクスプレス賞

  • 2004年 ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)
     *第十一回オランダ・アニメーション国際映画祭・ベストCM賞



    作品

    CM

  • 1993「ハウス食品クリッパー」

  • 「スマップ・ニューアルバム告知」

  • 1997-2003「旭化成」シリーズ 診断篇 CM歌篇

  • 1997味の素「クノールカップスープ」シリーズ

  • 1997湖池屋「湖池屋ポテトチップス(チッチッチッ篇)」

  • ゼブラ「ジムノック(ペンは銃より強し)」

  • 1999〜2002「田辺製薬アスパラドリンク」(ハニホー・ヘニハー出演)

  • 2000-2001「SkyperfecTV」シリーズ

  • 2001「サントリーBOSS」(巨人篇)

  • 2001サントリー「マグナムドライ」

  • 2001「日テレ式」

  • 2002 NTV 「別 れてもチュキな人」番組宣伝CF
    *2005 「キリンビバレッジ」

  • 「SEVEN SEVENS 登場 篇」(キリンレモン77)

  • 「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 「ハンゲーム」

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)

  • NTT東日本 フレッツ光(SMAP出演)
        『マンションの絵篇』『結婚篇』保健室(電話)篇』映画

  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞

  • 鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)

  • PARTY7(永瀬正敏主演)

  • 茶の味(坂野真弥主演)−2004カンヌ映画祭監督週間????????作品、ロケ地・栃木県茂木町 

  • ナイスの森 〜The First Contact〜(石井克人×三木俊一郎×ANIKI監督、寺島進・浅野忠信ほか出演)

  • HAL&BONS

  • NEW HAL&BONS
    TV *世にも奇妙な物語「BLACK ROOM」

  • SMAP×SMAP「MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻」

  • 「ピロッポ」
    OV*「TRAVA-FIST PLANET 」
    * SMAP「BIRD MAN FLY」
    *ナイスの森 The First Contact ディレクターズ・カット・バージョン ウェブムービー

  • 「ウサタクの話」 - 広告宣伝 : 富士通

  • 「ホクロ兄弟 フルスロットル!!!!」全7話出演作

  • 2003 CUTIE HONEY キューティーハニー



    外部リンク
    *NICE RAINBOW


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    2007年07月17日

    映画監督[水野晴郎]

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    水野晴郎



    水野 晴郎 (みずの はるお, 1931年7月19日 - ) は、映画評論家、映画監督、倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫。マイク・ミズノ (Mike Mizuno) の愛称でも知られている。




    経歴




    [生い立ち]

    1931年、岡山県高梁市に生まれた水野は満州で育ち、戦後岡山に引き揚げ、慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。


    [映画界に]

    1956年に、20世紀フォックス映画に入社し映画界に。その後日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (アルバム)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも彼であるとされる。独立後は日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(当初は『水曜ロードショー』)の解説を担当。名文句?いやぁ〜、映画って本当にいいもんですねぇ?とともに、お茶の間の人気を集める。映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。


    [ ?シベ超」]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、?シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    警察マニアの一面

    水野は警察マニアとしても有名で、アメリカ合衆国|アメリカで保安官補佐の資格をとったり、パトカーの音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。現在でも日本各地の警察、警察大学、警察学校で講演しているという。 また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されている。在の日本のパトカーのパトランプの形は、水野が提案したものが採用されている。



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    関連事項


  • 西田和昭

  • ナンシー関



    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム (公式サイト)

  • 水野晴郎研究室 (倉敷芸術科学大学)

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    2007年07月16日

    映画監督[塩田明彦]

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    塩田明彦



    塩田 明彦(しおた あきひこ、1961年9月11日 - )は日本の映画監督、脚本家。京都府舞鶴市出身。立教大学卒業。立教大学在学中に自主映画制作サークルであるパロディアス・ユニティーに所属し、自主映画を制作する。1983年「ファララ」がぴあフィルムフェスティバルに入選し、注目を集める。卒業後、黒沢清監督作品「神田川淫乱戦争」などに助監督として参加する。1989年には高橋洋らと同人誌「映画王」を発刊。「映画王」でのインタビューがきっかけとなり、大和屋竺と出会う。大和屋のもとで脚本を学び、1991年脚本家として独立。その後、山口貴義監督「ヤマトナデシコ」などで撮影、照明を担当する。1996年、以前に持ち込んでいた企画が採用され、OV「露出狂の女」で念願の監督デビュー。1998年に「月光の囁き」、「どこまでもいこう」が同日公開され、劇場映画監督デビューを果たす。



    監督作品



    [ 劇場映画 ]


  • 月光の囁き(1999年)

  • どこまでもいこう(1999年)

  • ギプス(映画)|ギプス(2000年)

  • 黄泉がえり(2002年)

  • 害虫 (映画)|害虫(2002年)

  • 帰ってきた!刑事まつり(2003年)

  • カナリア (映画)|カナリア(2004年)

  • この胸いっぱいの愛を(2005年)

  • どろろ (映画)|どろろ(2007年)


    [ 自主映画 ]


  • 優しい娘(1982年)

  • ファララ(1983年)


    [ OV ]


  • 露出狂の女(1996年)



    受賞歴


  • 優しい娘
    1982年ぴあフィルムフェスティバル 準入選*ファララ
    1983年ぴあフィルムフェスティバル 入選*月光の囁き
    ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭 審査員特別賞・南俊子賞
    1999年日本映画プロフェッショナル大賞 新人監督賞*ギプス(映画)|ギプス
    ドゥーヴィル国際映画祭 ビデオ・コンペティション部門グランプリ*害虫 (映画)|害虫
    ナント三大陸映画祭 審査員特別賞
    2002年日本映画プロフェッショナル大賞 監督賞・主演女優賞*黄泉がえり
    2003年日本アカデミー賞 監督賞・脚本賞



    関連項目


  • ヌーヴェルヴァーグ#立教ヌーヴェルヴァーグ|立教ヌーヴェルヴァーグ


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    2007年07月15日

    映画監督[黒澤明]

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    黒澤明



    黒澤 明(くろさわ あきら、1910年3月23日 - 1998年9月6日)(黒沢 明とも表記)は、日本の映画監督。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に、海外でも広く名前が知られている日本映画の 巨匠の一人であり「世界のクロサワ」、またその妥協を許さない徹底ぶりとワンマンな振舞に対して尊敬と皮肉をこめて「クロサワ天皇」などと呼ばれた。 米国アカデミー賞#映画芸術科学アカデミー|映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章者。



    経歴

    東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)に4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師。
    1928年、京華中学校・高等学校|京華中学校卒業。画家を志し、日本プロレタリア美術家同盟に参加(洋画家の岡本唐貴に絵を教わる)。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督を務める。1943年、『姿三四郎 (映画)|姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬 (映画)|野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。1950年に大映で撮影した『羅生門 (映画)|羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてフョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー原作の『白痴 (黒澤明)|白痴』(1951)やヒューマンドラマの傑作『生きる』(1952)を発表し、後者でベルリン国際映画祭上院特別賞を受賞。1954\xA1 G/$KH/I=$7$?Bg7?;~Be7`!X<7?M$N;x!Y$OBg%R%C%H$7!"%t%'%M%A%"9q:]1G2h:W6d;b;R>^$r^$9$k$J$I9q:]E*I>2A$b$b=P$?!#$7$+$7!"3$30$G$O%b%9%/%o1G2h:W6b>^!"%"%+%G%_!<>^309q8l1G2h>^$r^$7!"9u_7I|3h$r0u>]IU$1$k:nIJ$H$J$k!#1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。その後も、海外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者 (映画)|影武者』(1980)、フランスとの合作の『乱 (映画)|乱』(1985)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮を務めた『夢 (映画)|夢』(1990)等の作品を監督。1985年11月、文化勲章受章。『八月の狂詩曲』(1991)、『まあだだよ』(1993)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入り1998年9月6日に脳卒中により死去。享年88。叙・従三位。同年10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年には米週刊誌タイム (察 (;o)|タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアぁ N20B?M!W$KA*$P$l$?(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・三宅一生・豊田英二・井上大佑)。戒名は「映明院殿紘國慈愛大居士」。



    作品をめぐる評価

    黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として黒澤を十指に入れる人も数多い。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(「世界的な影響」を参照)。ただし、『赤ひげ』以後のカラー作品の評価は分かれる。
    (晩年の黒澤映画は娯楽性よりも芸術性を重視する傾向がある。)



    演出スタイル
    妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、等々逸話は多い。





    三船敏郎との関係
    黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、そのために二人の関係は様々に取り沙汰されることになる。(両者の軋轢に関する具体例はノートで検討中です。)





    世界的な影響

    海外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』自体のストーリーが『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督)のよ\xA1 $&$KEp:nLdBj$KH/E8$7$?%1!<%9$b$"$k!#5;=QE*$K$ONc$($P%5%`!&%Z%-%s%Q!<4FFD$,F@0U$H$7$FB>$N%"%/%7%g%s1G2h$G$bB?MQ$5$l$k%"%/%7%g%s%7!<%s$N%9%m!<%b!<%7%g%s;#1F$O!"85$O$H$$$($P黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせ、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせ、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせ、視覚効果を得るために様々な工夫を凝らしている。さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用されていたり、『ラストサムライ』(エドワ  <%I!&%:%&%#%C%/4FFD!K$G$O1+$dIw!"GO$d;S$N;H$$J}$J$I!"9u_71G2h$! +$i0zMQ$ 5$l$?%7%g%C%H$OB??t$KEO$C$F$$$k!#黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れず、上記監督以外にもシドニー・ルメット、シドニー・ポラック、ロン・ハワード、ロバート・ゼメキス、二キータ・ミハイルコフ、ジム・ジャームッシュ、アーサー・ペン、テレンス・ヤング、アンドレイ・コンチャロフスキー、アレックス・コックス、ジョン・ウー、アービン・カーシュナー、ポール・マザースキー、アーサー・ヒラー、ジョージ・P・コスマトス、ロジャー・コーマン、マーティン・スコセッシ、チャン・イーモウ、ウッディ・アレン、スパイク・リーなど。俳優でもハリソン・フォード、ジーン・ハックマン、トム・クルーズ、クリント・イーストウッド、ジョディ・フォスター、ビル・プルマン、アラン・ドロン、ブルース・ウィルス、ジェームズ・コバーン、モーガン・フリーマン、ピーター・フォンダ、ユル・ブリンナー、イブ・モンタンなどが黒澤作品への出演を熱望した。



    黒澤とマルチキャメラ


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    黒澤と望遠レンズ

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    黒澤とパンフォーカス

    黒澤はパンフォーカス撮影を好んで用いたが、その用法は極めて独特である。
    黒澤は、望遠レンズでそれを行ったのである。通常、パンフォーカス撮影には広角レンズを使う。なぜなら、広角レンズは元々、被写界深度が深い(ピントが合う範囲が広い)。
    そのため、絞りを、さほど絞り込まなくても(絞ると被写界深度は深くなる)、近くから無限遠までピントの合ったパンフォーカスが可能になる。絞りを絞り込めば、光量不足となるから、この絞りをさほど絞らなくても パンフォーカスが可能というのは広角レンズの非常に有難い特性である。 これに対し、望遠レンズは元々、被写界深度が浅い(ピントが合う範囲が狭い)から、パンフォーカスにするためには、ずっと絞りを絞る必要があり、光量不足の度合いは広角レンズ使用時の比ではない。 結果として、光量不足を補うために通常の何倍もの照明が必要となり、様々な弊害をもたらす事になる。
    (照明のセッティングにかかる時間や電気代等のコスト面での問題はもちろん、俳優は髷が燃え出すほどの熱に耐えなければならない時もあった。)つまり黒澤は本来、パンフォーカスには不向きな望遠レンズでパンフォーカス撮影するという常識離れした手法を採用したのである。



    黒澤と特撮

    東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ』も評価していたにもかかわらず、東宝のお家芸であるミニチュアセット撮影を黒澤は好まなかった(「蜘蛛巣城」では霧の中で動く森が東宝特技によるミニチュア撮影であるが、その出来について黒澤は不満を漏らしている)。『連合艦隊 (映画)|連合艦隊』(81)を準備していたプロデューサーの田中友幸に「軍艦の一つも再現できないのにどうしてそんな映画を作るんだい?」と尋ねたというエピソードが残されている。『天国と地獄』前半の権藤邸から見える横浜の景色には、実景の他にミニチュアセットを組んで撮影しているが、殆ど使用されなかった。『赤ひげ』では山崎努の回想シーンで大地震が描かれるが、通常ならミニチュア特撮のカットが入りそうな所を、黒澤は実際の古い家屋を引き倒した映像を、地震による倒壊に見立てて使用した。またオプチカル合成も殆ど使用した事が無い。しかし後年になると、城の炎上シーンにミニチュアを使用するなど(『乱』のラストの一の城炎上)、光学合成を使用したカットが現れる。(『乱』では、この他に一の城の天守閣の窓から見える魁 0$N8w7J!"=(8W$KLp$G;&$5$l$?CK$NCOLL$K9-$,$k7l!";0$N>k9g@o$G$NLp$N0lIt!"COJ?@~$+$i8+$($k;0$N>k1j>e$N1l!"3u$N7-7A$NH? 黒澤が存命なら、フォトリアリスティックを基調にしたVFXを抵抗無く自作に取り入れたと思われる。



    芸能界に関係する家族

    妻は矢口陽子(女優ただし、結婚後に引退)。タレントでプロデューサーの黒澤久雄は息子。久雄の元妻はタレントの林寛子 (タレント)|林寛子。その二人に生まれた黒澤優と黒澤萌は孫娘。娘の衣装デザイナーの黒澤和子は、加東大介の息子である加藤晴之と結婚して孫の加藤隆之(俳優)を生むが離婚。つまり長門裕之や津川雅彦などのマキノ一族とも縁戚関係にあった。



    その他
    海外への影響についてはよく語られているが、海外からの影響については案外に語られない。黒澤明の映画はハリウッド、特にジョン・フォードの映画から強く影響を受けていることは本人が認めているところである(例えば馬が疾走する撮影のコツをジョン・フォード監督から教えて貰ったときの話を後年、黒澤は誇らしげに語っている)。その黒澤からコッポラやスピルバーグのようなハリウッドの監督が影響を受けるという、黒澤とハリウッド映画との相互関係がある。ぁ ^$?!"!X9SLn$NMQ?4K@!Y$NEp:nLdBj$G!"%;%k%8%*!&%l%*!<%M4FFD$O!V$7$+$7!"$3$N1G2h$@$C$F85$O$H$$$($P!X%@%7!<%k!&%O%a%C%H|血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、黒澤映画のすべてがオリジナルな訳ではない。そもそも黒澤自身が晩年に至るまで新しいスタイルを取り込むことに貪欲だった。『乱』ではそれまでのリアリズムを放棄して能装束を大胆に取り入れ(衣装デザイナーはワダ・エミ)、城内をカフェバーのような間接照明でデザインした。また城門の撮り方や前半のクライマックスの「三の城」炎上のシーンはフリッツ・ラング監督の『ニーベルンゲン』の宮殿炎上シーンと構図に多数の類似点がある。『夢』の川面を映すシーンの撮影方法はタルコフスキーに教えてもらったものである。また『八月の狂詩曲』ではスタッフに大林宣彦監督の『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』を何度も見せた上で作製に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により\xA1 ;#1F$5$l$kM=Dj$G5SK\$^$G=q$+$l$F$$$?$,!"%i%9%H$NMr$N%7!<%s$K9-! Bg$J%;%C %H$rI,MW$H$5$l$F$$$?$?$a!"%3%9%H$NLL$G@^$j9g$$$,$D$+$:!"@):n$,$j$K9b$/$D$/$N$G@GL3=p$K5?$o$l$k$H$$$&>iCL$N$h$&$J=PMh;v$b$"$C$?$H$$$&!#島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、酒も煙草も嗜んだ。1993年にイランのアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行こうと誘われたけど、後ろにいたスタッフの方が『断って』と合図を出すので已む無く断った。後で理由を聞いてみると黒澤には酒量を減らすようドクタースト\xA1 %C%W$,3]$+$C$F$$$k$H$$$&$3$H$G$7$?!#@'Hs9T$-$?$+$C$?$N$G$H$F$b;DG0$G$9!W$H8eG/=R2{$7$F$$$k!#2004年7月1日(木)産経新聞インタビューよりフジテレビのドラマ、踊る大捜査線の作中には黒澤明の作品を意図的に真似する、いわゆるオマージュが多数見受けられる。


    [ 脚注 ]





    監督作品





    受賞歴 


  • 羅生門(1951年ヴェネツィア国際映画祭|ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・イタリア批評家賞、1951年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1953年アメリカ監督組合賞ノミネート、1952年米アカデミー賞名誉賞(現在の外国語映画賞))

  • 生きる(1954年ベルリン国際映画祭ベルリン上院特別賞)

  • 七人の侍(1954年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)

  • 隠し砦の三悪人(1958年ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞・国際批評家連盟賞)

  • 赤ひげ(1965年ヴェネチア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(OCIC Award)、モスクワ映画祭ソ連映画人同盟賞、フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)

  • どですかでん(モスクワ映画祭映画労働組合賞)

  • デルス・ウザーラ(1975年モスクワ映画祭金賞・国際連盟批評家賞、1976年米アカデミー賞外国語映画賞、1977年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1977年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、パリ国際映画祭賞)

  • 影武者(1980年カンヌ国際映画祭パルム・ドール、1981年英国アカデミー賞監督賞、1981年セゼール賞外国語映画賞、1981年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、1981年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1981年ベルギー映画批評家協会監督賞)

  • 乱(1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)

  • 1979年モスクワ映画祭名誉賞

  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰

  • 1982年ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)

  • 1986年アメリカ監督組合賞特別賞

  • 1990年米アカデミー賞名誉賞

  • 1990年日本国福岡市 福岡アジア文化賞創設特別賞

  • 1992年アメリカ監督組合賞生涯功労賞



    関連項目


  • :Category:黒澤明の監督映画

  • 日本の映画監督一覧



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 世界の黒澤と梅干しの 味

  • Akira Kurosawa News and Information (英語)

  • The Internet Movie Database (英語)

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    2007年07月13日

    映画監督[井筒和幸]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    井筒和幸



    井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は日本の映画監督、タレント。奈良県大和郡山市出身。奈良県立奈良高等学校卒業。



    来歴

    「井筒和生」の名義で1975年 ピンク映画『行く行くマイトガイ 青春の悶々』(ラサール石井の実家で撮影)を初監督。上京後もピンク映画を続け、そのうちのひとつ、『色情女狩り』から「井筒和幸」名義となる。その後、『ガキ帝国』がヒットし、『赤い復讐 暴姦』を最後にピンク映画から遠ざかる。1991年9月映画『東方見聞録 (映画)|東方見聞録』撮影中に当時21歳であった俳優の林健太郎 (俳優)|林健太郎が死亡する事件が起きる(#東方見聞録撮影中の死亡事故|下記参照)。1996年公開の『岸和田少年愚連隊|岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』でブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞を受賞。この頃からテレビやラジオのバラエティ番組にも出演し、映画評論などをおこなうようになるが、自分の感性と合わない作品、特に大作や話題作を酷評していた。このスタイルに対し、個性と見る向きもあるが批判も少なくなく、結果的にそのような番組への出演は限られるようになった。まぁ ?!"K\?M$N%3%a%s%H$G$OBg$5$l$k$3$H$r62$l$F!"$G$-$k$@$14U>^$5$;$J$$$h$&$KF/$-$+$1$F$$$k$H$N$3$H$G$"$k!#!X8W$NLg!Y$K$*$$$F!"<+J"$r@Z$C$F1G2h$r8+$FHcI>$9$k%3!<%J!<$,J|Aw$5$l$F$$$k$,!"<+$i$N5$$KF~$i$J$$1G2h$K$J$k$HA0H>$G5oL2$j$r7h$a9~$_!":G8e$^$G4U>^$7$J$$$3$H$,8x3+$5$l$F$$$k$3$H$+$i!"HcI>FbMF$N?.Xa@-$,Ld$o$l$k$3$H$b$"$k!#!X%?%b%j6f3ZIt!Y$J$I!"1G2hHcI>$H4X78$N$J$$%P%i%(%F%#HVAH$K$O8=:_$b=P1i$7$F$$$k!#2006年以降は情報番組でのコメンテーターを務めることもある。1999年の『のど自慢 (映画)|のど自慢』や2003年の『ゲロッパ!』、2005年の『パッチギ!』など立て続けに話題作を制作し、多くの映画賞を受賞。



    東方見聞録撮影中の死亡事故

    1991年9月映画『東方見聞録』撮影中に俳優の林健太郎 (俳優)|林健太郎(当時21歳)が重量8kgの鎧を着て手を縛られた状態で人工の滝壺に入れられ溺死する事故が発生し、社会問題となった。遺族から告訴された井筒は、裁判において「林が自分の言うことを聞かず、勝手な行動を取ったため事故が起こった」というような発言をし、被害者感情を著しく損ねた。ちなみに製作を担当したディレクターズ・カンパニーが倒産した為、慰謝料は井筒がその後全額支払ったと言われている。このとき多額の慰謝料債務を背負い、映画監督としての道をも閉ざされかけていた井筒に手を差し伸べたのが、シネカノン代表の李鳳宇である。そして、李鳳宇の父親は朝鮮総連幹部であるため、これを契機に井筒と朝鮮総連との間に深い関わりが生まれたと言われる別冊ブブカ2006年6月号P42「反日プロパガンダ映画『パッチギ!』の裏に潜む、総連との黒い繋がり 井筒和幸


    人物・エピソード


  • 左派として主に朝鮮総連、在日本大韓民国民団|民団の代弁者として討論番組にも多く出演する。日常会話にまで朝鮮語が自然と混じるほど朝鮮半島に深い関わりを持つ論客として有名。ある番組で評論家の三宅久之と口論になり、後に自身のコラムにおいて「三宅にパッチギ(朝鮮語で頭突きの意)を食らわそうと思った」と書くなど映画評論以外にも過激な発言が目立つ。*日本文化チャンネル桜において、出演者から映画『パッチギ!』は国賊ものと罵倒された。*石原慎太郎東京都知事や石原プロモーション|石原軍団、同じ関西生まれのやしきたかじん、上沼恵美子、長戸大幸を批判することもあり、敵対関係に至るケースが多々生じている。*映画『ALWAYS 三丁目の夕日』については否定的で、至る所で酷評していた。しかし、第29回日本アカデミー賞最優秀作品賞部門において井筒の作『パッチギ!』は『ALWAYS 三丁目の夕日』に敗れ、受賞を逃している。発表の瞬間、井筒は憮然とした表情を浮かべ、授賞式後には、「初めて見たが学芸会もいいとこ、4コマ漫画もいいとこで、こんなゲテモノがアカデ\xA1 %_!<12冠だったのかと改めて吃驚した」と、改めて同作品を批判したが、これにより、同作品を見ることなしに批判していたことが、またしても、判明した(尚、このときも見ている途中で寝入ってしまったらしく、全てを見ずに批判している)。東京スポーツ2006年3月16日付*石原慎太郎東京都知事が製作総指揮・脚本を務める映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を引き合いに出して、「映画なら俺が先輩やから先に観に来て欲しい。そしたら観に行こ」と交流を提案したことがある2007年4月15日、明治学院大学で行われたトークショー付試写会において。しかし、石原は1958年(井筒が6歳の頃)に初監督作品「若い獣」を上梓し、それ以外にも多くの作品で脚本を担当するなど、実際は映画においても井筒よりはるかに先輩であり、この発言によって、日本映画及び日本映画界に関する井筒の知識のなさを露呈する結果となった。また、同映画について、?戦争の美化?や「若者を右へならえしようとしている」などと作品批判を展開した。同映画に出演した窪塚洋介は\xA1 2q8+$G!"?右と左両方に翼があるから鳥は飛べる。この映画を検 +$F@oAhH ~2=$H$$$&J}$,$*$+$7$$!#$b$&0l2s8+$?$[$&$,$$$$!#8+$kA0$K$$$&E[$O%"%[?と反論したが、これに対して井筒は、「おれは忙しいから都知事の映画は観てへんねん」と、またもや作品そのものを見ていない上で批判したことを露呈2007年5月14日、東京・新宿にファン1000人を集めて行われた『パッチギ!LOVE&PEACE』大音楽祭において(両方の作品を観た人の殆どは井筒の「観ていない」発言を疑問視している)、重ねて「こっちの作品を先に観て欲しいんですがね」とあくまで石原が井筒の作品を先に見る事への執着を表す発言をし、窪塚発言を無視した。尚、井筒による一連の発言に対しては、当の石原本人には全く相手にされず、この件に関して特にコメントをしていない。*海上自衛隊のCMを討論している最中に、「人命救助なんてどうでもいい」と発言した。*井筒は「映画を愛している」と公言している。これについて北野武が記者会見でこのことに触れ「映画なんて愛さなくていい。映画をやる人は愛するどうこうの問題じゃない」と言い切ったたけし、井筒監督を痛烈「映画なんて愛さなくていい!」 - オリコンニュース。*妻は元日本航空のフライトアテンダント。*薬物使用をしていたこと、ヤクザの友人がいたことを自ら告白している[http://www.mf-davinci.com/ramohada/index_loft4_1.html]



    主な監督作品


  • 『行く行くマイトガイ 性春の悶々』 (1975年・井筒和生 名義、三上寛 茜ゆう子 橘ルミ子)

  • 『熱くて深い交わり 肉色の海』 (1978年・井筒和生 名義、北京一 大賀美津子 城あけみ)

  • 『暴行魔真珠責め』 (1979年・井筒和生 名義、池内琢磨 高橋章代 反口博子)

  • 『足の裏から冥王まで』 (1979年・井筒和生 名義、劇団日本維新派)

  • 『僕と隠岐島号』 (1979年・井筒和生 名義、港雄一)

  • 『女教師 覗かれた暴行現場』 (1980年・井筒和生 名義、港まゆみ 沢木ミミ 青野梨麻)

  • 『色情女狩り』 (1981年・上野淳 紗貴めぐみ 亜希いずみ)

  • 『ガキ帝国』 (1981年・島田紳助・松本竜介)

  • 『赤い復讐 暴姦』 (1982年・沢木美伊子 下元史郎 大杉漣)

  • 『みゆき』 (1983年・永瀬正敏 宇沙美ゆかり 三田寛子)

  • 『晴れ、ときどき殺人』 (1984年・渡辺典子 太川陽介 松任谷正隆)

  • 『(金)(ビ)の金魂巻』 (1985年・九十九一 小林まさひろ 大門正明)

  • 『二代目はクリスチャン』 (1985年・志穂美悦子 岩城滉一 柄本明)

  • 『犬死にせしもの』 (1986年・真田広之 佐藤浩市 安田成美)

  • 『宇宙の法則』 (1990年・古尾谷雅人 横山めぐみ 鳥越マリ)

  • 『風、スローダウン』 (1991年・石田靖 五十嵐いづみ 長原成樹)

  • 『東方見聞録』 (1992年・未公開、緒形直人 設楽りさ子 柴俊夫)

  • 『罪と罰 ドタマかちわったろかの巻』 (1994年・間寛平 坂上香織 古尾谷雅人)

  • 『突然炎のごとく』 (1994年・坂上香織 小木茂光 山本太郎)

  • 『クレジー・コップ 捜査はせん!』 (1995年・間寛平 小松みゆき 大竹まこと)

  • 『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』 (1996年・矢部浩之・岡村隆史(ナインティナイン)、大河内奈々子)

  • 『さすらいのトラブルバスター』 (1996年・鹿賀丈史 久本雅美 村田雄浩)

  • 『のど自慢』 (1999年・室井滋 尾藤イサオ 小林稔侍)

  • 『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』 (1999年・室井滋 尾藤イサオ 竹内結子)

  • 『ゲロッパ! GET UP!』 (2003年・西田敏行 常盤貴子 山本太郎)

  • 『パッチギ!』 (2005年・塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ)

  • 『パッチギ! LOVE&PEACE』 (2007年・井坂俊哉 中村ゆり 藤井隆)



    現在の出演番組




    [テレビ]


  • 虎の門 (テレビ朝日)

  • ナンボDEなんぼ(関西テレビ放送|関西テレビ)

  • ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい(毎日放送)※月1回火曜日のみ

  • スーパーモーニング (テレビ朝日)

  • THE・サンデー (日本テレビ放送網|日本テレビ)


    [ラジオ]


  • 井筒和幸の土曜ニュースアドベンチャー (ニッポン放送)2002年7月〜2005年3月

  • ブジオ! (TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)※火曜日担当

  • CUT BACK (エフエム京都|α-STATION)2006年4月〜10月

  • GEO@チャンネル presents シネラバ(エフエム東京|TOKYO FM)



    過去の出演番組


  • ぐるナイ(日本テレビ)

  • 爆笑問題のバク天!(TBSテレビ)



    脚注





    外部リンク


  • 講演依頼ドットコム

  • ウリ民族フォーラム2005

  • 労災連: 映画「東方見聞録」死亡事件

  • asahi.com「逆風満帆」映画監督 井筒和幸

  • PLAYBOY SPECIAL:[基調対談]井筒和幸×森 達也

  • KTV トミーズのはらぺこ亭

  • Amazon.co.jp: ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々


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    2007年07月12日

    映画監督[水野晴郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎 (みずの はるお, 1931年7月19日 - ) は、映画評論家、映画監督、倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫。マイク・ミズノ (Mike Mizuno) の愛称でも知られている。




    経歴




    [生い立ち]

    1931年、岡山県高梁市に生まれた水野は満州で育ち、戦後岡山に引き揚げ、慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。


    [映画界に]

    1956年に、20世紀フォックス映画に入社し映画界に。その後日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (アルバム)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも彼であるとされる。独立後は日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(当初は『水曜ロードショー』)の解説を担当。名文句?いやぁ〜、映画って本当にいいもんですねぇ?とともに、お茶の間の人気を集める。映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。


    [ ?シベ超」]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、?シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    警察マニアの一面

    水野は警察マニアとしても有名で、アメリカ合衆国|アメリカで保安官補佐の資格をとったり、パトカーの音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。現在でも日本各地の警察、警察大学、警察学校で講演しているという。 また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されている。在の日本のパトカーのパトランプの形は、水野が提案したものが採用されている。



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    関連事項


  • 西田和昭

  • ナンシー関



    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム (公式サイト)

  • 水野晴郎研究室 (倉敷芸術科学大学)

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    2007年07月11日

    映画監督[富野由悠季]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    富野由悠季




    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。本人は演出家・原案提供者としている。神奈川県小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物の一人である。日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』(ガンダムシリーズ)、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、『リーンの翼』など。



    人物像

    旧名(本名)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われる。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。アニメの監督になっていなかったら、自分は殺人者になっていたかもしれないと語ったことがある。大学卒業後、手塚治虫の主宰する虫プロダクションに入社し、そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受ける。「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。虫プロダクション倒産後、CM制作なども手掛けるが再びアニメーションの世界に身を投じタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。フリーの頃、とぁ K$+$/B?$/$N:nIJ$K;22C$7!"%3%s%F$r$+$J$j$N%9%T!<%I$G>e$2$F$$$C$?$3$H$+$i!V%3%s%F@iK\@Z$j$NIYLn!W$H$$$&0[L>$r$H$k$h$&$K$J$k!#6H3&$G$O!VIYLn$KMj$a$P;0F|$G%3%s%F$,>e$,$k!W$H8@$o$l$F$$$?!#%3%s%F!&5SK\$N40@.EY$,Ht$SH4$1$F$$$?$o$1$G$O$J$+$C$?$,!"@):n%9%1%8%e!<%k$N87$7$$%"%K%a6H3&$G$O!"IYLn$N$h$&$K3(%3%s%F$r>e$2$k$N$,Aa$$?M:`$,=EJu$5$l$?GX7J$b$"$k!#0l;~4|JROS$H8@$o$l$?%"%K%a!<%?!<$N8P@nM'8,$K$h$k$H!"0lIt$KNc30$,$"$k$h$&$@$,$HCG$j$J$,$i!V$*%H%_$5$s$N%3%s%F$N2h$O!"$I$&$H$G$b$H$l$k$h$&$JIA$-J}$J$s$G$9$h!#%"%K%a!<%?!<$,$b$C$HLLGr$$;v$r$d$C$F$/$l$l$P$$$$$+$H$$$&46$8$K$b$H$l$k$N$M!#!W$H8l$C$F$$$k!#!J%"%K%a%9%?%$%k$GO":\$5$l$F$$$?8P@nM'8,$X$N%$%s%?%S%e!<$h$jH4?h!K!#!X富野由悠季全仕事』の調査では、∀ガンダム開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事も\xA1 $"$k!#%6%V%s%0%k$N;~$K82Cx$G$"$C$?;vNc$G$"$k$,!"$[$H$s$I<+J,$N! %3%s%F$K $J$C$F$7$^$C$?;~$G$b%9%?%C%U%m!<%k$N5-:\$rJQ$($k$3$H$O$7$J$$!#$3$l$O!V$7$5$l$??M4V$K$b%W%i%$%I$H$$$&$b$N$,$"$k$@$m$&!W$H$$$&G[N8$+$i$G$"$k!#1i=P!&3(%3%s%F$N05E]E*$J7P83NL$rGX7J$H$9$k9b$$JT=8G=NO$K$ODjI>$,$"$k!#:G?7$N!X7`>lHG 機動戦士Zガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作るという離れ業をみせた(編集ツールに関するインタビュー)。それだけの仕事をしながら、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズをしたりと、凄まじいまでの仕事の豊富さである。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹をアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声\xA1 M%$H$7$F$N1i5;%;%s%9$r0i$F$k$H$$$&E@$G$O@5$7$$I=8=$H8@$($k!#!K$H!"0l8+%_%9%^%C%A$G$b;kD08e$K$OB>$N%-%c%9%H$O9M$($i$l$J$$$h$&$JG[Lr$r9T$J$&!#%"%U%l%38=>l$K$OI,$:N)$A2q$C$F@\:Y$r5M$a$k$H$$$&!#IYLn:nIJ$G/$J$/$J$$!#$7$+$71i5;$N;XF3<+BN$O87$7$/!":e8}Bg=u$r$O$8$a?70fN$H~!"@u@nM*$i$O$=$N87$7$5$K5c$-=P$7$?$H$$$&!#%V!<%9$K6n$19~$s$GGM@<$rHt$P$9%@%a=P$7$O6/Nu$+$DM-L>!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G>9-OB$O!"4FFD$NGe%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"l$G$"$C$F$b!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7$F%9%?! %C%U$,JD 8}$9$k;v$b$"$C$?!#%"%K%a;o$d%F%l%S$J$I$NG^BN$KO*=PEY$,9b$$>e!";u$K0aCe$;$LJ*8@$$$+$i!"8,B=$d8,>y$rH~FA$H$9$k?M$?$A$NH?46$rGc$&;v$b$"$k!#$?$@!"$=$N@h8+$NL@$HG=NO$rI>2A$9$k?M$b$$$k!#$=$7$F<+J,$N:nIJ$K0&Ce$r<($5$J$$$+$NMM$JH/8@$r$h$/$7$F$$$k!#$^$?!"?';f$K:B1&$NLC$r$H5a$a$i$l$k$H!V4%:%0lZ3!W$H=q$-9~$`MM$K%A%c%l%s%8@:?@$r;V8~$9$k?MJ*$J$N$G!"?7:n$K$OI,$:2?$+?7$7$$;n$_$r@9$j9~$b$&$H$7$F%"%K%a%U%!%s$+$i935D$ro$J$i$6$kEXNO$r$7$F$-$?$H8l$k$@$1$K!"$3$N%(%T%=!<%I$O5.=E$G$"$k!#!JJL$N%$%s%?%S%e!<$G!"!V%2!<%`$OKcLt!W!V%2!<%`$K7H$o$k;E;v$r$7$F$$$k?M4V$O7y$$!W$H$$$C$?H/8@$r$7$F$$$k!#$?$@!"%2!<%`5;=Q$NH/E8$K$D$$$F$O$"$kDxEY$NM}2r$b<($7$F$$$k$h$&$@!#!K6aG/$O!J?7:n!&5l:n$rLd$o$:!K<+?H$N:nIJ$N%$%s%?%S%e!<$K$*$$$F!"!V%"%+%G%_!<>^$r^$9$k$[$+5-O?E*$J%;!<%k%9$r@.$7?k$2!"Fs@$$^$G3hLv$9$k5\:j=Y$i%9%?%8%*%8%V%j@):n:nIJ$K%i%$%P%k0U<1$r;}$C$F$$$k!W$H;W$o$l$kH/8@$r$7$P$7$P$9$k!#5\:j!"9bH*7.$KBP$9$kI>2A$OHs>o$K9b$/!X富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。彼は「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(若者)になればアニメはさっさと忘れるべきだ。」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。


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    作風

    終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」と非難された事もあった。しかし一方でライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っていた。描くキャラクターも伝説的で「海のトリトン|こころならずも敵側の一般市民を皆殺しにしてしまったことを知り愕然とする主人公」や「無敵超人ザンボット3|敵に人間爆弾に改造されて主人公の目の前で爆死するガールフレンド」、「カミーユ・ビダン|最終回で精神崩壊を起こす主人公」、「ウッソ・エヴィン|主人公の母親の生首が千切れ飛ぶ」、「伝説巨神イデオン|全宇宙が滅亡し、全滅した登場人物たちが幽霊になって宇宙空間を飛ぶ」、「シャア・アズナブル|ロリコンのマザコンのシスコンの独裁嗜好が強い革命家」、「カテジナ・ルース|情けない男に過剰に思い入れしたがために年下の男を嬲りつづける少女」、「カロッゾ・ロナ|妻を文魁 XJx$l$N%Q%s20$K?2h$C$F!X2HDm$NLdBj$@$+$i$J!Y$HLLCK!W$J$I!"Hs>o$K8D@-E*$G$b$"$k!#8=:_$G$O!"!X"O%,%s%@%`!Y$d!XOVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない作品が多い。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い作品は「黒富野」、そうでない作品は「白富野」と俗称されている。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品はセリフ回しが特徴的で、富野節と呼ばれている。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。また、彼が名付けた映像作品のタイトルには、必ず濁点と「ン(ん)」の音が含まれるといった指摘もある。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインにはどことなくお姫様タイプというよりは芯の強さがある。実年齢とは別に、主人公よ\xA1 $j$b$d$dBg?M$S$?46$8$d0z$CD%$C$F$$$/$h$&$J@-3J$,6/$$$3$H$,B?$$! !#$=$7$F $O!V2HDm4D6-$,0-$$$N$G!"M}6~$C$]$$G1$/$l$?@-3J$r$7$F$$$k!W>l9g$N%Q%?!<%s$,B?$$!#IYLn<+?H$bN>?F$KBP$7$FA~0-$N$h$&$J46>p$rJz$$$F$$$?$H6!=R$7$F$$$k!#%F!<%^6J$r:n;l$9$k;~!JFC$K%F%l%SJ|Aw:nIJ$NA04|%*!<%W%K%s%0%F!<%^6J!K$K!"$+$D$F$N%9!<%Q!<%m%\%C%H:nIJ$N$=$l$HF1$8$/!"$?$$$F$$%?%$%H%k$dA0$^$?$O$=$N0lIt$rF~$l$F$$$k!#$3$l$O@=:n8=>l$*$h$S6H3&$K$=$&$$$C$?6u5$$,=A0$K$OByE@$H!X%s!Y$,F~$C$F$$$J$$$H%@%a$@$C$?!W$H$bK\?M$,8l$C$F$$$k!#富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見てもいわゆる萌え系のような大きすぎる目のキャラクターは全く登場しない。そのため、機動戦士クロスボーン・ガンダム連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風上、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目の大きいキャラクターを書くいのまたむつみをキャラクター\xA1 %G%6%$%s$K5/MQ$7$?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#$^$?IYLn:nIJ$K$*$$$FI,$:$H8@$C$F$$$$$[$I!V?M$r2%$k%7!<%s!W$,=P$F$/$k!#%$%s%?%S%e!<$K$*$$$FIYLn$O!V@N$OL<$r;`$L$[$I2%$C$?$7!"%9%?%C%U$r2%$C$?$3$H$b$"$k!#!W$HH/8@!#$5$i$K8e?J$N%"%K%a@=:n

    [ エンディングの法則 ]

    『富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す』

    (「ザンボット3」から休養直前の「機動戦士Vガンダム」間の名古屋テレビ系リアルロボット作品群で適用、「ブレンパワード」以降は前述の経緯から適用されない)
    初出は80年代アニメ雑誌の読者投稿欄から。編集者の「すでに気づいていた」というコメント、単純な法則から、マニア間では周知の認識であったと思われる。
    富野作品がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためであり、何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかも明確ではない。さらに「みな殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。逆に「イデオン」「ダンバイン」「ザンボット3」の衝撃的な結末にも再生を予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。
    しかし、ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が地球の守護者としての主人公らの存在意義をくつがす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】(※例外) 世界大戦終結と仲間への帰還、覚醒

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含めすべての生命の消滅

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含めすべての登場人物の消失

  • エルガイム 【○】 支配階級の打破・革命 (主人公は人格崩壊した義妹とともに世捨て人に)

  • Zガンダム 【×】 主人公の人格崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織

  • ガンダムZZ 【○】 戦争終結、主人公が家族と再会

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面での奇跡的具現、あえて続編小説「閃光のハサウェイ」まで敷衍するならバッドエンドか?

  • ガンダムF91 【○】 家族の再生、新世代の予兆

  • Vガンダム 【×】 勝者のない(見えない)戦争、土着的な生活にもどる主人公たち、冬の情景




    経歴


  • 1964年  日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。学生時代のエピソードあり)卒業後、虫プロダクション入社。制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。

  • 1967年  虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年  オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年  結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。

  • 1977年  創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。

  • 1981年  5月22日、映画版『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年  原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1994年  漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(画は長谷川裕一)。『機動戦士ガンダム F91』の続編的物語として作られ、他のガンダム漫画では、原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作自体に携わった(連載は1997年まで)。

  • 2004年  上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」になった。

  • 2005年  劇場版機動戦士Zガンダム三部作を制作し、順次公開。また、映画『ローレライ (映画)|ローレライ』にカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年  映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。近年、大学で講義を持ったり、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお各方面で精力的に活動中である。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧(括弧内は放送形態および放映年)




    [ 鉄腕アトム(TVシリーズ 1963年 - ) ]


  • 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。余談だが、「未来少年コナン」ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり「機動戦士ガンダム」の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った。
    (因みに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)
    今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと言われ、安彦良和によれば「画を描く手間を考えないアニメーター泣かせのコンテ」、湖川友謙は「動かす意欲を刺激する良いコンテ」と、アニメーターからすると「手を抜くに抜けないコンテ」と認識されているようだ。


    [ 海のトリトン(TVシリーズ 1972年)]


  • 実質的に初のチーフ・ディレクター(68年の『夕やけ番長』が初チーフディレクター作品だが、実際には初期数話に関わった程度)。
    手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン(TVシリーズ 1975年)]


  • 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武=五武冬史)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。(後半の監督は長浜忠夫が担当。)この富野に対するあまりにも横暴な人事に、後任の長浜は激怒したという。富野もそんな仕打ちに鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。これを機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだ。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト(TVシリーズ 1975年)]


  • 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。


    [ しあわせの王子(短編教育映画 1975年) ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星(TVシリーズ 1975年) ]

    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3(TVシリーズ 1977年) ]


  • 原作(共同原作/鈴木良武=五武冬史)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    今作は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3(TVシリーズ 1978年) ]


  • 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。ストーリーに新たな試みを取り入れたザンボット3やガンダムに比べると、前時代的な作風だったのは否めないが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせるシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム(TVシリーズ 1979年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『翔べ! ガンダム』(オープニング)、『永遠にアムロ』(エンディング)、『シャアが来る!!』『いまはおやすみ』(挿入歌)、『きらめきのララァ』(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される。(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セットがバカ売れし、スポンサーの要請により当初の52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、\xA1 G.?4$J%U%!%s$N:FJ|AwC24j$K$h$j?M5$$,K\3JE*$K2aG.$9$k!#J|Aw=*N;8e$K%P%s%@%$$+$i300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時は只の単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく。

    ちなみに、機動戦士ガンダムの企画案はサンライズが30万円で買い取った。(出典:山田玲司『絶望に効くクスリ ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)



    [ 伝説巨神イデオン(TVシリーズ 1980年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『復活のイデオン』(オープニング)、『コスモスに君と』(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。『ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場用作品 1981年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『スターチルドレン』(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までを収録している。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編(劇場用作品 1981年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『哀 戦士』(テーマソング)、『風にひとりで』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでを収録。前作が不入りであれば今作以降は作られなかった可能性も高かったようだ。前作にローマ数字の「I」とサブタイトルがついていないのはそのような理由かららしい。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編(劇場用作品 1982年) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までを収録。宇宙と書いて「そら」と読ませる。大幅にストーリーラインが変更されたのと、TVシリーズ制作時に作画監督の安彦良和が病気で現場を離れていた事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル(TVシリーズ 1982年) ]


  • 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『疾風ザブングル』(オープニング)、『乾いた大地』(エンディング)『HEY YOU』『わすれ草(そう)』(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇(劇場用作品 1982年) ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『セーリング フライ』(『接触篇』挿入歌)、『海に陽に』(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、総集編の残りの後39話が一部形を変え、繰り返される形となっている)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン(TVシリーズ 1983年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『ダンバインとぶ』(オープニング)、『見えるだろうバイストンウェル』(エンディング)作詞
    まだ日本にファンタジー物がほとんど認知されていおらずリアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、中世ヨーロッパに似た異世界を舞台とし、実在するテクノロジーと異なったメカニズムなど、ファンタジー的な要素を強く打ち出した異色作だった。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことに賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワーク的世界となった。


    [ ザブングル グラフィティ(劇場用作品 1983年) ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。また、あまり知られていないが、ラストには少し手が加えられており、テレビ版とは異なる。かなり重要な変更なのだが、何故改変が行われたのかは不明。


    [ 銀河漂流バイファム(TVシリーズ 1983年) ]


  • 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。もう一つの企画原案は『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム(TVシリーズ 1984年) ]


  • 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で『スターライト・シャワー』(エンディング)、『傷ついたジェラシー』(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である。(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)


    [ 機動戦士Ζガンダム(TVシリーズ 1985年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞。

  • 井荻麟名義で『Z・刻を越えて』(前期オープニング)、『星空のBelieve』(エンディング)、『銀色ドレス』(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンもいる。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ(TVシリーズ 1986年) ]


  • 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で『一千万年銀河』(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、ファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」はやらないと語っている。


    [ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(劇場用作品 1988年) ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、アニメ版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91(劇場用作品 1991年) ]


  • 原作・総監督・脚本・絵コンテ・挿入歌の作詞。

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ 機動戦士Vガンダム(TVシリーズ 1993年) ]


  • 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で『STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー』(前期オープニング)、『ひなげしの旅のむこうに』『いくつもの愛をかさねて』(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、放送直前に第4話が第1話に置き換えられるなど混乱も見られた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品で、作画にもムラがあったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作と同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい欝状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていた、と著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しぁ r$D$1!"%U%!%s$r6CX3$5$;$?!#


    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼(OVA 1996年) ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。ダンバインと同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。


    [ ブレンパワード(TVシリーズ 1998年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で『愛の輪郭(フィールド)』(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインに自らの嗜好に合わないとしながらいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム(TVシリーズ 1999年) ]


  • 原作・総監督・絵コンテ。

  • 井荻麟名義で『ターンAターン』(前期オープニング)、『CENTURY COLOR』(後期オープニング)、『月の繭』(後期エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括する、原点に返るといった意味を込めて本作品では「ターンエー」と読んでいる。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を全否定し、かつ全肯定する作品を目指し、キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。しかしシドがデザインした革新的なガンダム(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)のデザインは放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開される。なお、この作品のノベライズ化を福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、福井版では富野監督による構想初期のシナリオに沿っている。


    [ OVERMANキングゲイナー(TVシリーズ 2002年) ]


  • 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ。

  • 井荻麟名義で『キングゲイナー・オーバー!』(オープニング)作詞
    再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により高いレベルで安定したデザインを実現。富野の提案で、登場メカは人工筋肉素材「マッスルエンジン」を用いた骨格に皮膚を被せ、衣服の役目を果たすオプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮し、柔軟な動きが可能なロボットという設定が組み込まれた。このため、メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用、ヒーロー要素と丸く可動性の高いデザインを両立した。作画は高水準で安定し、作画枚数の多い第1話や、意表をつくアクションの第14蓮 C!"862h$dF02h$KCxL>$J:n2h4FFD$d%9%?%8%*$,$*:W$j$N$4$H$/B??t;22C$7$?:G=*OC$,Nc$H$7$F$h$/5s$2$i$l$k!#$C$?;v$b;G$($k!#;kD02A$G!"!V%U%!!<%9%H%,%s%@%`0JMh$N7f:n!W$H$9$k?M$b>/$J$/$J$$!#


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶(劇場用作品 2002年) ]


  • 原作・総監督。
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3本だったのに、50話の∀ガンダムを2本にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼(OVA・ネット配信 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で『はじめてのおっぱい』(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者(劇場用作品 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち(劇場用作品 2005年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。


    [ 機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛(劇場用作品 2006年) ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督。



    小説著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム(1-3)(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1979年-1981年/角川書店[角川文庫], 1987年)
    ・機動戦士Zガンダム(講談社, 1985年-1986年/角川書店[角川文庫], 1987年)

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア−ハイストリーマー(前・中・後)(徳間書店[アニメージュ文庫], 1987-1991年)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア−ベルトーチカ・チルドレン(角川書店[角川文庫]、1988年);機動戦士ガンダムF91(上・下)(角川書店[角川スニーカー文庫], 1991年)
    ・機動戦士Vガンダム(角川書店[角川スニーカー文庫], 1993年-1994年)

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ
    ・密会――アムロとララァ(上・下)(角川書店[角川mini文庫], 1997年/[角川スニーカー文庫], 2000年)


    [ ガイア・ギア(1-5)(角川書店[角川スニーカー文庫], 1988年-1992年)]

    : ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。版権等の問題から正史とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上・中・下)(角川書店[角川スニーカー文庫, 1989年-1990年) ]

    : 一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているため、正確には角川書店版の小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の続編に当たるが、現在では本作もほぼ正史として見られているようである。


    [ 伝説巨神イデオン(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1981年-1982年/角川書店[角川文庫], 1987年-1988年) ]


  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より(1-6)(角川書店[カドカワノベルス], 1984年-1986年/[角川文庫], 1986年)
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)(角川書店[角川文庫], 1986年-1987年)
    ・オーラバトラー戦記(角川書店[カドカワノベルス], 1986年-1992年/[角川スニーカー文庫], 2000年-2001年)

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼(1-5)(アスペクト[ログアウト冒険文庫], 1995年-1997年)


    [ 破嵐万丈シリーズ(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1987年-1992年) ]

    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ(徳間書店[アニメージュ文庫], 1988年-1989年) ]


  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして(1-3)(朝日ソノラマ[ソノラマ文庫], 1995年-1996年) ]



    [ 王の心(角川書店[角川ノベルス], 1995年-1996年) ]

    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主にVガンダム監督前から∀ガンダム放映終了のもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ



    外部リンク


  • 日本バトリング協会富野監督担当


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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