2007年08月31日

映画監督[石井輝男]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
石井輝男



石井 輝男(いしい てるお、1924年1月1日 - 2005年8月12日)は、日本の映画監督。70年代はエログロ作品とアクション作品を量産し、90年代はつげ義春、江戸川乱歩の世界へ傾倒した。東映プロデューサーの天尾完次は石井は同じ東宝出身の黒澤明と対極に位置すると評している。



略歴


  • 1924(大正13)年1月1日、東京都中央区_(東京都)|中央区生まれ。生家は浅草の綿問屋。



    [東宝]


  • 1939(昭和14)年、早稲田実業学校|早稲田実業を中退。後に東宝へ撮影助手として入社。

  • 1945(昭和20)年、召集。復員後、東宝に戻る。



    [新東宝]


  • 1946(昭和21)年、新東宝に参加。撮影部より演出部に移る。

  • 1947(昭和22)年3月、渡辺邦男監督の助監督につき演出の仕事を始める。この後、清水宏 (映画監督)|清水宏、成瀬巳喜男の助監督にもつく。

  • 1957(昭和32)年、「栄光の世界」で監督デビュー。

  • 1960(昭和35)年、1月13日「黒線地帯」公開。


    [ 東映 ]


  • 1961(昭和36)年、東映と専属契約を結ぶ。6.23公開の「花と嵐とギャング」が東映(第二東映)の第1作。

  • 1965(昭和40)年、4月18日「網走番外地」(高倉健主演)公開。

  • 1968(昭和43)年、5月1日「徳川女系図」公開。9.28公開の「徳川女刑罰史」は低予算で同年邦画配収の9位。

  • 1969(昭和44)年、10月31日「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」公開。

  • 1974(昭和49)年、12月28日「直撃地獄拳 大逆転」(千葉真一主演)公開。

  • 1977(昭和52)年、7月17日「惑星ロボ ダンガードA|惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団」公開。

  • 1979(昭和54)年、10月6日「暴力戦士」公開。この後、劇映画は休養に入る。

  • 1991(平成3)年、6月14日「ザ・ヒットマン 血はバラの匂い」(東映Vシネマ)リリース。


    [復活]


  • 1993(平成5)年、7月24日「ゲンセンカン主人」公開。これ以降、「無頼平野」「ねじ式」「地獄 (1999年)|地獄」を撮る。

  • 2005(平成17)年、8月12日癌により没す。享年81。遺作は「盲獣VS一寸法師」(2001年)。



    備考

    成瀬巳喜男の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品を渇望していたが水木に嫌われていたとする説がある。



    参考図書

    石井輝男映画魂」石井輝男・福間健二、ワイズ出版  ; ISBN 4948735086



    外部リンク


  • 石井輝男監督公認ウェブサイト

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    2007年08月30日

    映画監督[水野晴郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 - )は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫(みずのかずお)。マイク・ミズノ (Mike Mizno) の通称でも知られている。独身。



    経歴




    [ 生い立ち ]

    1931年、岡山県高梁市に生まれ、2歳からは満州で育ち、第二次世界大戦の集結後は岡山県に引き揚げる。青年期には岡山から大阪・神戸・姫路の映画館に通っていた。慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を男手一つで育てた。


    [ 映画界へ ]

    1956年、20世紀フォックス映画に入社し映画界へ。5年後に日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「史上最大の作戦」「真夜中のカーボーイ」「夕陽のガンマン」、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも水野であるとされる。独立後は1972年5月から、日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(当初は『水曜ロードショー』)の解説を担当。1983年参議院議員選挙で新自由クラブ民主連合(新自由クラブと社会民主連合とが結成していた統一会派)から出馬し、落選。1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。1997年3月まで24年半に渡って解説を続け、水野の知名度を飛躍的に上げることになった。名文句「いやぁ〜、映画って本当に(「ほんっ\xA1 $H$&$K!W$HH/2;!K$$$$$b$s$G$9$M$'!」と共に、お茶の間の人気を集める。番組プロデューサーによると「クルーカットに口髭という一目で覚えられる風貌だったことが採用の決め手になった」とのこと。そのため収録時は口髭をメークで強調。当初はカメラの前で極度に緊張するのでNG連発だったという。本番前にココアや豆乳を飲むことで気持ちを落ち着かせる等、慣れるまでは苦労の連続だった。また、番組開始時はフィルム撮影だったためNGを出すとフィルムを廃棄して頭から撮り直しになるので「いつか上手くなって一発で決めよう」と意気込んでいたが、そうなる前の1976年10月に撮り直しの利くビデオ撮影に切り替わったと当時を振り返っている。 またフジテレビ系の映画番組『ゴールデン洋画劇場』も、「シベリア超特急」が放映される場合のみ解説を担当したことがあるゴールデン洋画劇場の解説者の高島忠夫が病気療養で降板したため。1992年には日活の創立80周年記念作品『洛陽』に山下奉文役で映画俳優に挑戦。これが4年後の『シベリア超特急』に繋がっていく。2004年の映画「\xA1 2<:JJ*8l!W$G$O!"!V水野晴郎」を見かける」という設定で本人役で友情出演していた。登場時にはテレビ出演時に水野がよく着るシベリア超特急のロゴが大きくプリントされた白のスウェットシャツを着ていた。ウィズダムを設立し、映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。2004年には秋田県のシネマコンプレックス・パンテオンシネマズAKiTAをプロデュース。兵庫サンテレビジョン|サンテレビの映画番組『ドリームシアター』で解説も担当した体調不良により降板している。また、2007年現在エフエム京都|α-Stationで放送されている番組『CHUMMY TRAIN』では、水野による「いやぁ〜、チャミトレって本当にいい番組ですね」というジングル (ラジオ)|ジングルが使用されている。これは以前この番組のゲストに呼ばれたときに収録したものと思われる。


    [ 「シベ超」 ]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、「シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    邦題・宣伝担当作品


  • 史上最大の作戦

  • 007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発

  • 女王陛下の007

  • 華麗なる賭け

  • チキ・チキ・バン・バン

  • 真夜中のカーボーイ

  • 夜の大捜査線



    警察マニアの一面

    警察マニアとしても有名で、国際警察官協会の日本支部会長を務める。アメリカ合衆国|アメリカで保安官補(実際に活動する執行官)の体験勤務をしたり、パトカーのサイレン音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。警官の制服を着ているときの満面の笑みは有名。かつては警察学校で警官の昇進に関わる本格的な講義を受け持っていたほか、現在でも日本各地の警察、警察大学校、警察学校で講演しているという。警察庁長官からは表彰を受けている。本業の映画解説にも米国警察や司法制度に精通する一面が随所で発揮された。『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』で放送される本編の映画が93分未満で放送時間が余った際、映画とは関係のない水野の警察関係のコレクションや記念写真がミニコーナーでたまに放送されることがあった。また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されているが、この大学は実態のないディプロマミルである。なお、日本のパトカーにアメリカ式のパトランプ、つまりバーライトを採用するよう提案したのは水野だという(本人談)。従来日本のパトカーにはァ k!<%U$NCf1{$K?eJ?2sE><0$N@V?'7Y8wEt$,$]$D$s$H


    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    エピソード


  • 2007年6月29日、映画の試写室で階段踏み外し転倒し背骨を圧迫骨折して全治3ヶ月の重傷を負った。なお2004年にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している。



    関連事項


  • 浜村淳

  • 西田和昭

  • ナンシー関

  • パンテオンシネマズAKiTA

  • 水野晴郎シネマ館

  • HANDSHAKING(第5回対談)

  • ケータイ刑事 銭形シリーズ

  • 浅草キッド

  • おすぎ



    脚注





    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム(公式サイト)

  • 水野晴郎研究室(倉敷芸術科学大学)

  • 早稲田大学人物研究会・水野晴郎講演録

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    2007年08月29日

    映画監督[岡本喜八]

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    岡本喜八



    岡本 喜八(おかもと きはち , 1924年2月17日 - 2005年2月19日)は日本の映画監督。鳥取県米子市生まれ。本名は岡本喜八郎(おかもと・きはちろう)。明治大学専門部商科卒業後、1943年東宝に入社し助監督となる。しかし、戦局の悪化に伴い軍事工場に動員され、豊橋陸軍予備士官学校で終戦を迎えた。
    復員後、「結婚のすべて」(主演:雪村いづみ)で初メガホンを取る。以降、「日本のいちばん長い日」(1967年)、「肉弾」(1968年)など、戦時中や戦後の人々を描いた作品を世に送り出す。その特徴は、独特のシニカルな視点から描く点であり、その代表が、日中戦争の場に西部劇の要素をこめた「独立愚連隊」シリーズである。70年代後半からは「ダイナマイトどんどん」(1978年)、「ジャズ大名」(1986年)、「大誘拐 RAINBOW KIDS」(1991年)など、戦中戦後の時期を描いた作品にも見られた娯楽色を、さらに前面に押し出した作品が多くなっていく。2005年2月19日、食道がんのため川崎市の自宅で死去。享年81。



    作品リスト


  • 独立愚連隊(1959年)

  • 独立愚連隊西へ(1960年)

  • 江分利満氏の優雅な生活(1963年)

  • 侍(1965年)

  • 日本のいちばん長い日(1967年)

  • 殺人狂時代 (日本映画)|殺人狂時代(1967年)

  • 肉弾(1968年)

  • 吶喊(1975年)

  • 姿三四郎(1977年)

  • 科学忍者隊ガッチャマン(総指揮)(1978年)

  • ダイナマイトどんどん(1978年)

  • ジャズ大名(1986年)

  • 太閤記(1987年)

  • 大誘拐 RAINBOW KIDS(1991年)

  • Coo 遠い海から来たクー(脚本)(1993年)

  • EAST MEETS WEST(1995年)

  • 助太刀屋助六(2001年)



    外部リンク


  • 日本映画データベース・岡本喜八作品リスト

  • 明治大学「岡本喜八」学友協賛会

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    2007年08月28日

    映画監督[富野由悠季]

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    富野由悠季




    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、アニメーション監督、作詞家、小説家。神奈川県小田原市出身。日本大学芸術学部映画学科卒。TVアニメの黎明期を知る、「TVアニメの生き字引」とも言える存在。旧名(本名)に富野 喜幸。作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。そして、富野由悠季というペンネームは原作、監督の時に使われる。富野が関わった作品はセリフ回しが特徴的で、一部、好事家の間では富野節と呼ばれている。また、作品中で必ずと言っていいほど主要人物が死亡する事で有名で、「皆殺しの富野」「キャラクター全殺しの富野」等と呼ばれる事もある。さらにヒロインの多くは若かりし頃に一緒に仕事をした女性「チョキ(その女性のあだ名)」を性格的なモデルとしていると本人は述べている(著書「だから 僕は…」参照。ただし、初版は1981年)。
    アニメ誌\xA1 $d%F%l%S$J$I$NG^BN$KO*=PEY$,9b$$>e!";u$K0aCe$;$LJ*8@$$$r$9$k$N$G!"8,B=$d8,>y$rH~FA$H$9$k?M$?$A$NH?46$rGc$&$3$H$,>/$J$/$J$$!#$^$?!"?';f$K:B1&$NLC$r$H5a$a$i$l$k$H!X4%:%0lZ3!Y$H=q$-9~$`$[$I%A%c%l%s%8@:?@$N2"@9$J?MJ*$J$N$G!"?7:n$K$OI,$:2?$+?7$7$$;n$_$r@9$j9~$b$&$H$7$F5l:n$N%U%!%s$+$i935D$r代表作は『機動戦士ガンダム』ガンダムシリーズ|シリーズなど。



    富野由悠季小史

    ■1941年  神奈川県小田原市に生まれる。■1964年  日本大学芸術学部映画科卒業後、虫プロダクション入社。制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い演出・脚本等も手掛けるようになる。■1967年  虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクションでCM制作に関わる。■1968年  オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば批難と冗談を交えて噂されたのはこの時期(1968〜1974)のことである。■1971年  結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。■1972年  「海のトリトン」(アニメーション・スタッフルーム制作)で実質的に初のチーフ・ディレクターを務める。手塚治虫の漫画を原作としているが、実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色\xA1 $O$3$N:"$+$i$9$G$K==J,I=$l$F$$$k!#:#$J$i9M$($i$l$J$$$3$H$@$,!"OPの作画が間に合わず、当時のフォーク・グループ『かぐや姫』がEDテーマ「海のトリトン」を歌う映像を約1クールの間OPと入れ替えて用いていた。視聴率が伸びず2クールで終了したが、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。日本で最初にファンクラブができたアニメと言われている。■1975年  創映社初のロボット・アニメ「勇者ライディーン」の監督となる。オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武=五武冬史)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。(後半の監督は長浜忠夫が担当。)その後、「ラ・セーヌの星」を、途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールを監督したが本人的には悔いを残した。■1977年  創映社が日本サンライズとして改組・独立し、その第1回作品「無敵超人ザンボット3」の原作(共同原作/痢 kLZNIIp!a8^IpE_;K!K!&Am4FFD!&1i=P!&3(%3%s%F$rC4Ev!#:#:n$O!"K\M! h%R!<%m! <$G$"$k$O$:$Nl?MJ*$,W7b$rM?$($?!#EvA3$N$3$H$J$,$i!"Bg?M$N4V$G$O!V;R$I$b$K8+$;$k$b$N$H$7$F$OITE,3J!W$H$9$k@<$,6/$+$C$?!#"#1978年  「無敵鋼人ダイターン3」原作・総監督・脚本・絵コンテを担当。前作「無敵超人ザンボット3」の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。多くの死者を出すようなシリアスな展開のシリーズの次は比較的明るいシリーズにしようとするのはこの頃からの傾向である。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。ヒロインの唇にわざわざ彩色が施されて大人っぽい雰囲気を演出している多分日本では初めての作品である。シリアスな展開でどこか哀しみを漂わせた最終話を忘れられないファンは多い。■1979年  「機動戦士ガンダム」原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ・OP、ED、挿入歌の作詞を手がける。巨大ロボットをモビルスーツと呼び習わし、主人公機こそ一機\xA1 uBV$NIA $j$KEbFM$J=*$o$jJ}$r$7$?$?$a$K!"K\Mh$N7kKv$r8+$?$$$H$$$&%U%!%s$NG.K>$K$h$j1982年にテレビ放映分の総集編「THE IDEON 接触篇」と未発表に終わった部分をまとめた「THE IDEON 発動篇」が映画化され同時公開された。■1981年  劇場版「機動戦士ガンダム」で初の劇場映画を監督。自伝的小説「だから僕は…」を出版。引き続き劇場版「機動戦士ガンダム 哀・戦士編」を監督。■1982年  「戦闘メカ ザブングル」原作・総監督・ストーリーボード・OP、EDの作詞。「伝説巨神イデオン」の後を受け、明るさを基本とした作品であったが、平行して進めなければならない映画化作品の作業もあって、人に委ねる部分も多かった。とにかくこの頃の仕事量は殺人的であったと思われる。原作・監督の仕事に『富野由悠季』名を使い始めたのはこの年のことである。劇場版「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙編」を監督。劇場版「THE IDEON 接触篇/発動篇」監督・原作・絵コンテ。■1983年  「聖戦士ダンバイン」原作・総監督・脚\xA1 K\!&%9%H!<%j!<%\!<%I!&OP、EDの作詞。この頃から富野由悠季独特の登場人物一人一人を丹念に描き込むことで物語世界やその時代性を浮かび上がらせようとする大河小説的技法がより顕著になり、取りあえず主人公に感情移入すれば物語を見失うことはないだろう的な考え方をするファンの中には置いてけぼりを喰らうケースも増えて来た。また、最終話放映前に思い切り良くかつ余りにあっけらかんと失敗作を宣言したために、本人としては率直に反省の弁を述べたつもりが、「ファンをバカにするな」「失敗作だと言えば許されると思っているのか」等と激昂するファンの数が急増した。他に劇場版「ザブングル グラフィティ」監督・原作、「銀河漂流バイファム」原案。■1984年  「重戦機エルガイム」原作・総監督・ストーリーボード・挿入歌の作詞。キャラクター&メカニカルデザインに永野護を起用し、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半シリアスな物語展開を見せるに至って離れて行ったファンも少なくない。この\xA1 :"$+$i;kD0
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    2007年08月26日

    映画監督[寺山修司]

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    寺山修司




    寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の劇作家、歌人、詩人、小説家、映画監督、競馬評論家など幅広い分野で活躍した秀才である。



    略歴


  • 1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
    母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
    寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっていると言われる。
    戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現:三沢市)。
    父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。

  • 1941年(昭和16年))八戸市へ転居。
    父八郎出征(その後戦死)のため、母と三沢市へ転居。母は米軍基地で働き、その後九州で働くために、青森市の親類に預けられる。青森市マリア幼稚園入園。

  • 1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現:浦町小学校)入学。

  • 1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす、B29による集中攻撃だった。母ハツとともに命からがら逃げ惑い、焼け出される。家も焼けて一面焼け野原。
    ハツの兄を頼って、六戸村古間木(現:三沢市)の古間木駅前(現:三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは米軍キャンプで働く。
    米軍差し押さえの民家に移る。

  • 1948年(昭和23年)古間木中学校入学。
    秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校。

  • 1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。全国学生俳句会議結成。同期生に沢田教一。

  • 1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。山田太一とは同級。在学中から歌人として活動。18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。

  • 在学1年足らずで中途退学。

  • 1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。

  • 1970年3月24日、人気漫画?あしたのジョー?の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。

  • 1971年、『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出した。

  • 1983年、東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。享年48。享年の表記は満年齢(数え年)で行ってください。<--->その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。相当な人見知り癖があったと、美輪明宏は述懐している。



    歌集


  • 『空には本』(1958年)

  • 『血と麦』(1962年)

  • 『田園に死す』(1965年)

  • 『テーブルの上の荒野』(1971年 『寺山修司全歌集』収録)



    句集


  • 寺山修司青春歌集






  • 長編叙事詩・李庚順

  • 未刊詩集ロング・グッドバイ

  • 寺山修司少女詩集



    評論など

    幅広く評論をしており、ジャンルは漫画、歴史人物、小説、映画などジャンルは広い。
    竹宮恵子の「風と木の詩」1巻に寺山修司の解説有り、また「サザエさんの性生活」について書いた事がある。



    競馬

    寺山修司は競馬への造詣も深く、『ユリシーズ』という競走馬の馬主でもあった。またスポーツ報知|報知新聞競馬面に1970年10月から1983年4月まで『風の吹くまゝ』というタイトルで予想コラムを書いていたことでも知られる。騎手では吉永正人(故人)を贔屓にしていた。『馬敗れて草原あり』『競馬無宿』『競馬への望郷』など、競馬に関する著作も多い。またハイセイコーやテンポイントへ捧げる詩も作った。寺山修司は日本中央競馬会(JRA)のCMにも出演し、『カモメは飛びながら歌を覚える。人生は遊びながら年老いていく』と、本人自ら台詞を喋るシーンもあった。



    脚本




    [ ラジオ ]



    [ テレビ ]


  • 一匹

  • ミュージカル わが心のかもめ(1966年(昭和41年)3月22日放送/NHK)


    [ 映画 ]

    (監督作品を除く)

  • みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)

  • 乾いた湖(1960年)

  • わが恋の旅路(1961年)

  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年)

  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年)

  • 初恋・地獄篇(1968年)

  • 無頼漢(1970年)

  • サード(1978年)

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)


    [ 長編 ]




    演劇


  • 「演劇の文学ばなれ(戯曲ばなれ)」を主張し続けた。戯曲に書かれて完結した世界を、舞台でそのまま再現することが演劇なのか。「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」。演劇は、演劇という独自の表現なのであり、創造のきっかけとなるキーワードとしての「台本」(「戯曲」とは異なる)のみ許される、とした。

  • 演劇の重要な構成要素であるはずの観客に焦点を当てる作品も上演した(「観客席」)。「俳優座や文学座があって、どうして観客座という名の劇団がないのか」。

  • 彼の考え方は生前の演劇界においては異端視され、主に海外で評価されることになった。没後20年以上経った現在では、数多くの劇団が寺山作品を上演し、新たなる観客との出会いを試み続けている。

  • 当時の天井桟敷は、唐十郎の赤テント、佐藤信の黒テント、鈴木忠志の早稲田小劇場、と共に「アングラ四天王」と呼ばれ、大きな支持を受けた。


    [ 主な作品(一部共同台本、共同演出を含む) ]


  • 毛皮のマリー

  • 犬神

  • 邪宗門

  • 阿片戦争

  • 盲人書簡

  • ノック

  • 中国の不思議な役人

  • 青ひげ公の城

  • 身毒丸

  • 奴婢訓

  • レミング



    映画




    [ 長編 ]


  • 書を捨てよ町へ出よう(1971年)

  • 田園に死す(1974年)

  • ボクサー(1977年)

  • 草迷宮 (映画)|草迷宮(1979年、1983年)

  • さらば箱舟(1984年)


    [ 短編 ]


  • 猫学(キャットロジー)

  • 檻囚

  • トマトケチャップ皇帝

  • ジャンケン戦争

  • ローラ

  • 蝶服記

  • 青少年のための映画入門

  • 迷宮譚

  • 疱瘡譚

  • 審判



  • 消しゴム

  • マルドロールの歌

  • 一寸法師を記述する試み

  • 二頭女―影の映画

  • 書見機



    作詞


  • 戦争は知らない(1967年、ザ・フォーク・クルセダーズ)

  • 涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)

  • 新 初恋(1968年、江夏圭介)

  • かもめ(1968年、浅川マキ)

  • 時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)

  • 涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)

  • さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭 (音楽ユニット)|六文銭)

  • 首つりの木(1970年、J.A.シーザー)

  • 酔いどれ船(1970年、緑魔子)

  • あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)

  • 孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)

  • 勇士のふるさと(1972年、ヤング101)

  • 人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)

  • 君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)

  • 海猫(1973年、北原ミレイ)

  • 新宿港(1974年、桜井京)

  • 浜昼顔(1974年、五木ひろし)

  • 元気ですか(1976年、ジャニーズJr.スペシャル|JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)

  • ぼくの消息(1976年、豊川誕)

  • 与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)

  • もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)



    外部リンク


  • 三沢市 寺山修司記念館

  • TERAYAMA WORLD


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    2007年08月25日

    映画監督[黒沢清]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒沢清




    黒沢 清(くろさわ きよし、男性、1955年7月19日 - )は、兵庫県神戸市出身の映画監督、脚本家。六甲中学校・高等学校|六甲高校を経て立教大学社会学部卒業。在学中に兼任講師として映画論講座を受け持っていた蓮實重彦の薫陶を受ける。同ゼミに、当時東京大学|東大の学生だった宮台真司(現:首都大学東京准教授)が出入りしており、当時から黒沢との親交があった。1990年代以降の日本映画界には希有な鬼才。映画監督の黒澤明とは血縁は無い。立教大学在籍中に8ミリの『白い肌に狂う牙』を監督。また万田邦敏らと映画制作集団パロディアス・ユニティーを結成し、伝説的な自主映画『School Days』や『しがらみ学園』を撮った。(→ヌーヴェルヴァーグ|立教ヌーヴェルヴァーグ)1980年、『しがらみ学園』がぴあフィルムフェスティバルに入賞し注目される。
    大学四年時に、長谷川和彦の『太陽を盗んだ男』に制作進行として、1981年には、相米慎二『セーラー服と機関銃』に助監督として映画を学び、その流れからディレクターズカンパニー制作のピンク映画『神田川淫乱戦争』1983年で商業映画デビュー。続く『女子大生恥ずかしゼミナール』は、配給元から日活|にっかつロマンポルノとしては公開拒否の憂き目にあうも、後に一部追加撮影・再編集され『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年)として晴れて一般公開された。
    この作品の出演を通じ交流を持った伊丹十三の制作・主演でプロ三作目の『スウィートホーム (映画)|スウィートホーム』(1989年)を監督したが、演出方針やビデオ化報酬などで伊丹側と対立、訴訟沙汰にまでいたるほど悪化し、以降両者は関係を絶っている。1992年、オリジナル脚本『カリスマ』がサンダンス・インスティチュートのスカラシップを獲得し渡米(その様子はビデオ作品『2001映画と旅』に散見できる)。帰国後、<職人的な仕事に徹した>低予算、早撮りの環境下で才能の真価を発揮、『復讐』、『勝手にしやがれ』シリーズ、『蛇の道』、『蜘蛛の瞳』など哀川翔主演の連作を手がけたことで、彼のイメージに新たな一面を付け加え、また自身の鮮烈で特異な作風の基盤を築いた。事実、黒沢映画でおなじみの廃墟シーンやダンボール等の小道具が散見されるようになったのはこの時期からである。1997年役所広司主演の傑作『CURE』で世界的な名声を獲得し、世界各国で特集が組まれ、映画祭にも招待された。シネフィルとして70年代ホラー映画、ハマー・フィルム、トビー・フーパー|フーパー、ァ 8%g%s!&%+!<%Z%s%?!<|カーペンターらを愛し、人をこわがらせる表現や恐怖や死といったホラー映画的題材を好んで扱うと同時に、ロバート・アルドリッチ|アルドリッチ、リチャード・フライシャー|フライシャー、ドン・シーゲル|シーゲル、サム・ペキンパー|ペキンパー、サミュエル・フラー|フラーらによる職人気質のウェルメイドな「アメリカ映画」の影響から、感傷的な心理描写を排した作風が生まれた。また蓮實のいう映画史的に正しいとされる映画を顕揚した。高橋洋とともに清水崇『呪怨』の監修を行ったことなどから、『回路』のハリウッドリメイク版『PULSE』のトレイラーでは「Godfather of J-Horror」と称されるなど、フランスや英国では、アキラではない、もう一人のクロサワとして重要な作家として認められている。その功績から2005年、北野武とともに東京芸術大学大学院教授に就任した。黒沢は、いまだ撮られていない映像表現を求め、方法論的な探求から「映画」というメディアの特性に自覚的で、とりわけフィルム撮影にこだわっているわけでもなく、デジタル技術も積極的に取り入れ、既存のジャァ s%k1G2h$H$O$I$l$K$b;w$F$$$J$$?7$?$J:nIJ$rCGB3E*$K@8$_=P$7B3$1$! F$*$j!": #8e$b?7:n$,BT$AK>$^$l$k!#>.@b2H$H$7$F$O<+:n$N%N%t%'%i%$%:>.@b!XCURE』、『回路』(いずれも徳間書店刊)があり、なかでも名著『映像のカリスマ』は、洒脱な語り口と内容から著述家としても黒沢の明晰さをうかがいしることができる。




    監督作品


  • 白い肌に狂う牙(1977年)

  • SCHOOL DAYS(1978年)

  • しがらみ学園(1980年)

  • 神田川淫乱戦争 Kandagawa Wars (1983年)

  • ドレミファ娘の血は騒ぐ The Excitement of the Do-Re-Mi-Fa Girl (1985年)

  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム Sweet Home (1989年)

  • 奴らは今夜もやってきた (『危ない話 夢幻物語』第2話) (1989年)

  • もだえ苦しむ活字中毒者 地獄の味噌蔵(1990年) TV

  • 地獄の警備員 The Guard from the Underground (1992年)

  • よろこびの渦巻(1992年) TV

  • 胸さわぎの15才 第11話、第12話(最終回)(1993年)TV

  • ワタナベ1話、2話、11話、12話(最終回) (1993年)TV

  • ヤクザタクシー 893TAXI(1994年)ビデオ

  • 打鐘(ジャン) 男たちの激情(1994年)ビデオ

  • 花子さん(『リアリスティック・ホラー 学校の怪談I』) (1994年)

  • 勝手にしやがれ!!強奪計画(1995年)

  • 勝手にしやがれ!!脱出計画(1995年)

  • 勝手にしやがれ!!黄金計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!逆転計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!成金計画(1996年)

  • 勝手にしやがれ!!英雄計画(1996年)

  • DOOR III (1996年)

  • 復讐 運命の訪問者(1997年)

  • 復讐 消えない傷痕(1997年)

  • 廃校綺談(『学校の怪談f』) (1997年)

  • CURE (1998年)

  • 蛇の道 Serpent's Path(ビデオ題・修羅の極道 蛇の道) (1998年)

  • 蜘蛛の瞳 Eyes of the Spider(ビデオ題・修羅の狼 蜘蛛の瞳) (1998年)

  • 木霊(『学校の怪談G』) (1998年)

  • ニンゲン合格 License to Live (1999年)

  • 大いなる幻影 Barren Illusion (1999年)

  • カリスマ (映画)|カリスマ Charisma (1999年)

  • 回路 (映画)|回路 Pulse (2000年) 第54回カンヌ国際映画祭 国際批評家連盟賞

  • 降霊 KOUREI/Seance (2001年)

  • 花子さん(学校の怪談 物の怪スペシャル) (2001年)

  • 2001年映画と旅 「第16回国民文化祭・ぐんま2001in たかさき」より製作依頼された作品 (2001年)

  • タイムスリップ (2002年)オムニバス「愛と不思議と恐怖の物語」のうちの一本

  • 風の又三郎 NHK「朗読紀行・にっぽんの名作」の一作(2003年)

  • 刑事(デカ)まつり『霊刑事』(2003年)

  • アカルイミライ bright future (2003年) 第56回カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品

  • ドッペルゲンガー (映画)|ドッペルゲンガー Doppelganger (2003年)

  • ココロオドル (2004年) 雑誌"Invitation"に特別付録DVDとして付属

  • 楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家 (2005年)

  • LOFT ロフト (映画)|LOFT (2006年)

  • 叫 (映画)|叫 (2007年) 第63回ヴェネチア国際映画祭 特別招待作品



    関連書籍


  • 映像のカリスマ―黒沢清映画史(1992年) フィルムアート社

  • キュア(1997年) 徳間文庫

  • ロスト・イン・アメリカ(2000年) 青山真治、安井豊、阿部和重、塩田明彦、(編)稲川方人、樋口泰人 デジタルハリウッド出版局

  • 回路(2001年) 徳間書店

  • 映画はおそろしい(2001年) 青土社

  • 黒沢清の恐怖の映画史 篠崎誠 (共著)(2003年) 青土社

  • 回路(2003年) 徳間文庫

  • ユリイカ「黒沢清 特集」(2003年7月号) 青土社 [万田氏との対談、俳優インタビューなど]

  • 映画の授業―映画美学校の教室から(2004年) 青土社

  • 黒沢清の映画術(2006年) 新潮社

  • 映像のカリスマ―増補改訂版(2006年) エクスナレッジ



    出演作品


  • 星くず兄弟の伝説(1985) サロン魚の目の客

  • 誘惑者(1989)  図書館員

  • ミカドロイド(1991)

  • パチンカー奈美(1992)

  • したくて、したくて、たまらない、女。(1995)  ジャーナリスト

  • 亡霊学級(1996)

  • ピエタ(1997)  地下酒場の警官

  • 血を吸う宇宙(2001) 新聞配達

  • 曖昧な未来、黒沢清(2002)  本人

  • 3on3 スリー・オン・スリー(2003)

  • ピンクリボン(2004) 本人

  • 輪廻(2006) 大学教授

  • 映画監督って何だ!(2006) 


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    2007年08月24日

    映画監督[小津安二郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業をサボタージュしたため、不良学生として寄宿舎から追放。



    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗して、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたりマンドリンを弾いて慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高悟との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。



    作品




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィックスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていないと指摘されており、独特の時間感覚とともに作品に違和感を生じさせる一因ともなっている。自らは独身|家庭を持たぬ小津が、原節子|女優に家人の役を配役したり、家族の姿を語らせるなど今だ実像に迫りきっていない部分も多い。



    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下恵介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。



    国際的な支持

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎


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    2007年08月23日

    映画監督[五所平之助]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    五所平之助



    五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日−1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶應義塾高等学校|慶応義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子ぁ N!XHT2N!Y$r5W2fH~;R$G$"$k!#GP?M$H$7$F$bCN$i$l$F$*$j!"!V5WJ]EDK|B@O:|春燈」同人として「五所亭」という俳号で活躍した。1941年、紫綬褒章、1947年勲四等旭日小綬章受章。



    代表作



  • 南島の春(1925年)

  • 彼女(1926年)

  • 寂しき乱暴者(1927年)

  • 恥しい夢(1927年)

  • からくり娘(1927年)

  • 村の花嫁(1928年)

  • マダムと女房(1931年)

  • 伊豆の踊子(1933年)

  • 十九の春(1933年)

  • 生きとし生けるもの(1934年)

  • 人生のお荷物(1935年)

  • 新道(1936年)

  • 木石(1940年)

  • 新雪(1942年)

  • 今ひとたびの(1947年)

  • 煙突の見える場所(1953年)

  • 愛と死の谷間(1954年)

  • 鶏はふたたび鳴く(1954年)

  • たけくらべ(1955年)

  • 黄色いからす(1957年)

  • 挽歌(1957年)

  • 白い牙(1960年)

  • 猟銃(1961年)

  • かあちゃんと11人の子ども(1966年)

  • 女と味噌汁(1968年)

  • 明治はるあき(1968年)


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    2007年08月22日

    映画監督[川本三郎]

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    川本三郎



    川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年 - )は評論家。



    来歴・人物

    東京都出身。麻布学園から東京大学法学部を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞市|朝霞の自衛官殺害事件(赤衛軍事件)で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『Have You Ever Seen The Rain?』を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。1971年11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、1972年1月9日には川本もまた逮捕され、会社は懲戒免職となり、1972年9月27日、浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は自伝的な『マイ・バック・ページ−ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。文芸・映画・都市などジャンルぁ ,I}9-$$I>O@2H$GB??t$NCx=q$,$"$k!#



    受賞歴


  • 『大正幻影』でサントリー学芸賞

  • 『荷風と東京』で読売文学賞

  • 『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞



    その他の著作


  • 『都市の感受性』

  • 『映画を見ればわかること』

  • 『この映画見た?』

  • 『本のちょっとの話』

  • 『ロードショーが150円だった頃』など多数。

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    2007年08月21日

    映画監督[実相寺昭雄]

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    実相寺昭雄



    実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - )は、映画監督、演出家、脚本家、小説家。早稲田大学第二文学部卒業。殊にウルトラシリーズの演出で知られる。脚本執筆時には万福寺百合(まんぷくじゆり)のペンネームも使用していた。ウルトラシリーズ、殊に第一期ウルトラシリーズ製作時に於ける実相寺のエピソードは、スカイドン、メトロン星人を参照のこと。路面電車ファンでも知られ、雑誌「東京人」などにコラムなどを度々執筆している。



    テレビでの演出(含脚本)作品
    *ウルトラマン

  • ウルトラセブン

  • 怪奇大作戦

  • 帰ってきたウルトラマン

  • シルバー仮面

  • 長崎犯科帳(オープニング及びタイトルバックの演出)

  • 子連れ狼 (萬屋錦之介版)(同上)

  • ウルトラマンティガ

  • ウルトラマンダイナ

  • ウルトラQ dark fantasy



    映画での監督・演出作品
    *実相寺昭雄監督作品ウルトラマン

  • 帝都物語

  • ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説

  • 歌麿・夢と知りせば

  • 哥(うた)

  • 曼陀羅

  • 無常

  • 波の盆

  • あさき夢みし

  • 青い沼の女

  • 悪徳の栄え



    小説
    *星の林に月の舟

  • ウルトラマンの東京

  • ウルトラマン・ゴールドラッシュ作戦

  • ウルトラセブン・狙われた星

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    2007年08月20日

    映画監督[伊丹十三]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊丹十三



    伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、本名、池内 義弘(いけうちよしひろ)、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、映画監督、俳優、エッセイスト。愛媛県立松山南高等学校卒業。映画監督の伊丹万作を父親として京都に生まれる。中学生の時に父親は死去。京都府立山城高等学校に入学するが、愛媛県松山市へ移り、愛媛県立松山東高等学校に転入。ここで大江健三郎と知り合う。その後、愛媛県立松山南高等学校に転入。大学受験に失敗し、上京し商業デザイナーとなる。26歳の時、大映東京に入社し、伊丹 一三という芸名で俳優となる。『北京の55日』(1963年)等の外国映画にも出演し、話題となる。その後、伊丹 十三と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)では、キネマ旬報賞助演男優賞を受賞している。エッセイストとして、1960年代から独自の境地を開拓してきている。「ヨーロッパ退屈日記 」「女たちよ 」に見られる、気障に映りながらも、物事の本質をその細部にいたぁ k$^$GM}5M$a$GC55a$7$F$$$/$=$N%9%?%$%k$O!"$=$N8e$NB?$/$N%(%C%;%$%9%H$K1F6A$rM?$($?!#1970年代、テレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、『遠くへ行きたい』等のドキュメンタリー番組の制作に関わる。この時培ったドキュメンタリー的手法は、その後の映画制作にも反映している。また『日本世間噺大系』『小説より奇なり』に見られる、独特の聞き書き書体はこの時代の経験を反映している。岸田秀の著書『ものぐさ精神分析』を読み、彼の主張する唯幻論に傾倒する。『哺育器の中の大人』は、伊丹が岸田から唯幻論についての講義を受けるというスタイルの対談である。また、岸田らを中心に取り上げた現代思想の雑誌『モノンクル』(フランス語で“僕のおじさん”の意)を創刊し、編集主幹を務めた。伊丹の関わった記事のいくつかは、『自分たちよ!』に収録されている。夫人は女優の宮本信子。長男は俳優の池内万作。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。1984年、『お葬式』で監督としてデビュー。その年の日本の映画界から、圧倒的な評価を受ける。その後、人間にとって普遍的な営みである金・食・病気などを題材とし、一般観客に福 ,$+$j$d$9$/%(%s%?!<%F%$%a%s%H@-$KIY$_!"$+$D1G2h;KE*0zMQ$d:YIt$! K$3$@$o$ C$?1G2h$E$/$j$K$h$j!"F|K\$rBeI=$9$k1G2h4FFD$H$J$k!#!X%?%s%]%] (映画)|タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。晩年は自作品の模倣に終わることが多く、興業収入も停滞、批評家からの評価も厳しくなっていた。作家の大江健三郎は高校の文芸部時代からの友人であり、実の妹の夫。『静かな生活』は大江の原作を映画化したもの。大江の小説『取り替え子』は、二人の間の交流を題材にしたものである。『静かな生活』は興業としては失敗作となった。民事介入暴力を題材にした『ミンボーの女』を公開した直後に、作品の存在をよしとしない暴力団後藤組組員から襲撃され、全治数ヶ月の重傷を負う。また『大病人』を公開中の映画館のスクリーンを、自称右翼の男に切り裂かれる事件もおこった。1997年12月20日、不倫疑惑が取りだたされたことに対して「死をもって潔白を証明する」との遺書を残し伊丹プロダクションのある東京のマンションから投身自殺。享年64。



    著作、訳!
    *ヨーロッパ退屈日記

  • フランス料理を私と

  • 女たちよ

  • 再び女たちよ

  • 女たちよ!男たちよ!子供たちよ!

  • 自分たちよ!

  • 日本世間噺大系

  • 小説より奇なり

  • 問いつめられたパパとママの本

  • 「お葬式」日記

  • 「マルサの女」日記

  • 「大病人」日記

  • 快の打ち出の小槌(共著)

  • 哺育器の中の大人(共著)

  • パパ・ユーア・クレイジー (訳)

  • 主夫と生活 (訳)

  • ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン (訳)

  • 中年を悟るとき (訳)

  • ポテト・ブック (訳)




    監督作品


  • お葬式 (1984年)

  • タンポポ (映画)|タンポポ (1985年)

  • マルサの女 (1987年)

  • マルサの女2(1988年)

  • あげまん(1990年)

  • ミンボーの女(1992年)

  • 大病人(1993年)

  • 静かな生活(1995年)

  • スーパーの女(1996年)

  • マルタイの女(1997年)



    外部リンク

    日本映画データベース

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    2007年08月18日

    映画監督[今敏]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今敏



    今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - )は、アニメ監督、漫画家。北海道釧路市出身。

    国際映画祭への出品と一般的な支持からアニメ監督としての知名度が高い。なお、ギタリスト・スタジオミュージシャンの今剛は実の兄に当たる。



    来歴

    父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志し、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科に入学。

    大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)でちばてつや賞を受賞し漫画家としてデビュー。大学卒業後、『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの、デビュー作から大友作品による影響が強い)などを発表。

    その後アニメーションの仕事を手がけるようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューを果たした。『千年女優』で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と共に文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し話題となった。



    監督作品


  • 1997年『パーフェクトブルー』
    :初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。


  • 2001年『千年女優』
    :ドリームワークスにより世界配給された。


  • 2003年『東京ゴッドファーザーズ』
    :先の『千年女優』と共にアカデミー賞アカデミー長編アニメ賞|長編アニメ賞候補作品に選出され、『ファインディング・ニモ』と競った。


  • 2004年『妄想代理人』
    :WOWOWにてシリーズ化された。初めてのテレビアニメーションとなる。

  • 2006年『パプリカ (アニメ映画)|パプリカ』
    :原作は筒井康隆の小説。公開に先駆け第63回ベネチア映画祭のコンペティション部門に出品された。




    受賞


  • 2002年 『千年女優』
    第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
    第57回毎日映画コンクール大藤信郎賞
    第6回ファンタジア映画祭最優秀アニメーション映画賞芸術的革新賞
    第33回シッチェス映画祭最優秀アジア映画作品賞

  • 2005年 『東京ゴッドファーザーズ』
    第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
    第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
    第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞



    漫画作品


  • 『虜 -とりこ-』

  • 『海帰線』

  • 『ワールド・アパートメントホラー』

  • 『セラフィム 〜2億6661万3336の翼〜』(原案 押井守、未完、単行本未収録)



    外部リンク


  • KON'STONE(公式サイト)


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    2007年08月17日

    映画監督[椎名誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    椎名誠




    椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家。東京都生まれで千葉県千葉市出身。東京写真大学中退。本名は渡辺 誠、妻は渡辺一枝。



    経歴

    流通業界の専門誌『ストアーズレポート』の編集長を経て、「スーパーエッセイ」と称した『さらば国分寺書店のオババ』で作家デビュー、大ヒットとなる。その軽い文体は嵐山光三郎の文体とともに昭和軽薄体と呼ばれた。克美荘で共同生活をした仲間と東日本何でもケトばす会、通称東ケト会を設立。
    その後の活動を『わしらは怪しい探険隊』として出版、シリーズ化された。
    その後も私小説、エッセイ、サイエンス・フィクション|SF小説、超常、写真を多数執筆・発表、
    SF、超常小説の類は分類によって「シーナワールド」といわれる。作家以外には、辺境の地への冒険をライフワークとするほか、「ホネ・フィルム」を設立、映画監督としても活躍した。(現在「ホネ・フィルム」は解散)目黒考二らと本の雑誌社を設立、本の雑誌編集長を務めるほか、徳島で川の学校の講師、週刊金曜日の編集委員も務める。また岸洋子のファンとしても有名である。



    受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞



    作品リスト


  • さらば国分寺書店のオババ

  • 岳物語 - 息子、岳の成長や友情を捕らえた私小説。後に自身の手により映画化された。

  • 続・岳物語

  • アド・バード - 集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の街に霧が降るのだ - 他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探検隊

  • いろはカルタの真実

  • 砂の海

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス

  • ハマボウフウの花や風

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝 - 林政明と共著。

  • 人生途中対談 - 東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 突撃 三角ベース団

  • 新宿熱風どかどか団

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談 - 東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    関連項目


  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫



    外部リンク


  • WEB本の雑誌

  • 週刊金曜日

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    2007年08月16日

    映画監督[今敏]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今敏



    今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - )は、アニメ監督、漫画家。北海道釧路市出身。

    国際映画祭への出品と一般的な支持からアニメ監督としての知名度が高い。なお、ギタリスト・スタジオミュージシャンの今剛は実の兄に当たる。



    来歴

    父の転勤により、小学4年生の時から中学2年生まで札幌で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌での同級生であり、親しい友人でもあった。北海道釧路湖陵高等学校時代にアニメーターを志し、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科に入学。

    大学在学中に、『週刊ヤングマガジン』(講談社)にて『虜 -とりこ-』(1984年)でちばてつや賞を受賞し漫画家としてデビュー。大学卒業後、『海帰線』(1990年)、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの、デビュー作から大友作品による影響が強い)などを発表。

    その後アニメーションの仕事を手がけるようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューを果たした。『千年女優』で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』と共に文化庁メディア芸術祭で大賞を受賞し話題となった。



    監督作品


  • 1997年『パーフェクトブルー』
    :初監督作品。同作は、ベルリン国際映画祭招待作品となる(非コンペ)。


  • 2001年『千年女優』
    :ドリームワークスにより世界配給された。


  • 2003年『東京ゴッドファーザーズ』
    :先の『千年女優』と共にアカデミー賞アカデミー長編アニメ賞|長編アニメ賞候補作品に選出され、『ファインディング・ニモ』と競った。


  • 2004年『妄想代理人』
    :WOWOWにてシリーズ化された。初めてのテレビアニメーションとなる。

  • 2006年『パプリカ (アニメ映画)|パプリカ』
    :原作は筒井康隆の小説。公開に先駆け第63回ベネチア映画祭のコンペティション部門に出品された。




    受賞


  • 2002年 『千年女優』
    第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞
    第57回毎日映画コンクール大藤信郎賞
    第6回ファンタジア映画祭最優秀アニメーション映画賞芸術的革新賞
    第33回シッチェス映画祭最優秀アジア映画作品賞

  • 2005年 『東京ゴッドファーザーズ』
    第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞
    第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
    第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞



    漫画作品


  • 『虜 -とりこ-』

  • 『海帰線』

  • 『ワールド・アパートメントホラー』

  • 『セラフィム 〜2億6661万3336の翼〜』(原案 押井守、未完、単行本未収録)



    外部リンク


  • KON'STONE(公式サイト)


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    2007年08月15日

    映画監督[浜村淳]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    浜村淳




    浜村 淳(はまむら じゅん・JUN HAMAMURA、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ|パーソナリティ、映画評論家、司会者。本名塩浜 真(しおはま まこと)。京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。毎日放送|MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティを30年以上担当している。所属芸能事務所|事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。



    来歴・人物

    「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)等のフレーズと、独特の「浜村節」でお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、毎日放送|MBSの「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。浜村の物真似の定番は、スパンコールで派手な1970年代を思わせるジャケットに、派手な装飾の色眼鏡(決してサングラスではない)に、色カツラである。また映画解説でも水野晴郎の様に高い評価を得ている。浜村の映画解説は独特で、映画の内容を詳細にわたって関西弁丸出しで熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうほど勢いのある物である。これから映画を観ようとする人にとって「観る前にストーリーを明かされた」と思わせるほど、ストーリーを理解している。アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れるなど\xA1 $NFCD'$,$"$k!#2r@b$O$"$i$+$8$aMQ0U$5$l$?BfK\$J$I$rFI$s$G$$$k$N$G$O$J$/!"40A4$J%"%I%j%V$G$"$k!#$3$l$i$N$3$H$+$iIMB<$N1G2h2r@b$O1G2h%U%!%s$N$_$J$i$:B?$/$N%i%8%*%U%!%s$+$i$bG.Nu$K;Y;}$5$l$F$$$k!#$=$l$ODL>o$N2r@b$N0h$r1[$(!"$R$H$D$N7]$H8+$J$5$l$F%3%s%Q%/%H%G%#%9%/|CD化もなされている。新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しや連呼が使われ(「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」等)、捲くし立てる様に連呼の後に「…と、いうような」と、緩急のつけ方も巧い。そのとき出てくる言葉にちなんだネタ(映画に関するものが多い)が出てくるなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使して「遠回りしながら」の解説が多く、「○○でしょうか?いえ、そんな事はありません!」等という反語的言い回しも多用する。映画に極めて詳しい一方で芸能関係では、年配の芸能人には詳しいが若手芸能人には詳細に踏み込まず、知識不足を露呈することがある。上岡龍太郎の喋りの師としても知られる。ディベートの巧みさに関しても筆舌に尽くしがたい技術を持っている。かつて「最後の晩餐_(テレビ番組)|最検 e$NHU;A!W$H$$$&%F%l%SHVAH$G!"=P1i$N=P1i


    作品




    [ アルバム ]


  • 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)

  • 甦る心の名画座(2004年)



    出演




    [ テレビ番組 ]


  • クイズホントにホント(1975年〜1981年、日本放送協会|NHK レギュラーパネリスト)

  • 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ放送|KTV)

  • かんさい珍版・瓦版(MBS)

  • 上方漫才まつり(MBS)

  • シェフにおまかせ!(1981年〜1983年、MBS)

  • イカにもスミにも(1987年〜1990年、MBS)

  • 最後の晩餐 (テレビ番組)|最後の晩餐(2000年〜2002年、讀賣テレビ放送|ytv')

  • 2時のワイドショー(1979年〜1992年、ytv')

  • 浜村淳の大阪夢散歩(KTV)

  • 全日本有線放送大賞(1968年〜1991年、ytv')

  • 夕やけニャンニャン(1985年〜1987年、フジテレビ)

  • また又・三匹が斬る!(1991年4月 - 9月放送)〜新・三匹が斬る!(1992年7月 - 1993年2月放送)ナレーター、また又・三匹が斬る!の1話に出演。仁兵衛役 (テレビ朝日)

  • 映画へようこそ (MBS)|映画へようこそ・解説(MBS)

  • 健康手帖(テレビ大阪|TVO)

  • ママの番組デス!!(MBS)

  • 全日本歌謡選手権(ytv')

  • ワイドABCDE~す(朝日放送|ABC)


    [ ラジオ ]


  • ヒットでヒット!バチョンと行こう→サタデーバチョン(1970年〜1991年、ラジオ大阪|OBC)

  • ありがとう浜村淳です(1974年〜、毎日放送|MBS)

  • ありがとう浜村淳です土曜日です(1974年〜、MBS)

  • 浜村淳の日曜夢語り(〜2006年、MBS)

  • 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4〜9月、MBS)

  • 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月〜MBS)

  • かんさい土曜ほっとタイム(1995年〜、日本放送協会|NHK、第4土曜日のみ出演)

  • お待たせしました 浜村淳です! (TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBS)

  • 古今東西 浜村淳! (TBS)

  • ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム(TBS)  ※金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。

  • MBSヤングタウン|ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年〜1992年、MBS)

  • 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク


    [ 映画 ]


  • 続・新悪名(1962年)のど自慢の司会役

  • GREEN BOY グリーンボーイ(1989年)

  • 風、スローダウン(1991年)踏切の男

  • ビリケン(1996年シネカノン)

  • PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演

  • 大阪物語(1999年)

  • かぞくのひけつ(2006年シマフィルム)性病科の医師役


    [ CD ]


  • 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)

  • ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)


    [ CM ]


  • 恩地食品 「あ〜おんちかった(あ〜おいしかった)」のフレーズで有名。

  • リクルート 週刊就職情報

  • イズミヤ

  • 広東料理ハマムラ

  • ゴールデンアイ 007



    書籍


  • 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)

  • 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)

  • 星影の飛鳥(1989年、羊書桝f人社])

  • 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)

  • 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ[青心社])

  • 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)

  • さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)



    ゲーム


  • 大幽霊屋敷(だいおばけやしき)〜浜村淳の実話怪談〜(プレイステーション、1998年、ヴィジット)



    備考


  • 芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。

  • ユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、関西では「浜村淳は連れて行かない」というテレビCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが、「何でですねん?」と問い返すという内容)。オープン後、彼が初めてUSJに行く模様が毎日放送テレビのバラエティ番組で実況中継された。CMに関してはあくまでも演出である。

  • 毎日放送の映画劇場にて「マイク・ザ・ウィザード」の解説を行った際、浜村は「それではアメリカの、お金のかかった凄い凄いSFXをたっぷりとご覧いただきましょう。」と言っている。しかしこの映画の作品は監督のマイク・ジトロフによるホームメイドテイスト溢れる自主映画に近い存在の作品で、SFXは古典的なコマ撮りをメインにした内容。この事から分かるように解説をしている作品全てを浜村が見ている訳ではない。



    外部リンク


  • 昭和プロダクション(所属事務所のホームページ)

  • MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」


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    2007年08月14日

    映画監督[深作欣二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    深作欣二



    深作 欣二(ふかさく きんじ、1930年7月3日-2003年1月12日)は日本の映画監督。茨城県水戸市出身。妻は女優の中原早苗。映画監督の深作健太は実子。仲間からの愛称は「サクさん」。




    略歴


  • 茨城大学教育学部附属中学校を卒業。水戸第一高等学校卒業後、日本大学芸術学部卒業。

  • 1953年、東映に入社。

  • 1961年、『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』(千葉真一主演)で監督デビュー。『誇り高き挑戦』(鶴田浩二主演)で注目される。以後、『ジャコ萬と鉄』、『軍旗はためく下に』などの秀作を発表。

  • 1973年から始まった『仁義なき戦い』(脚本笠原和夫 (脚本家)|笠原和夫、主演菅原文太)シリーズは、映画史に残る大ブームとなり、「実録映画」の第一人者の地位を不動のものとする。その後もTVドラマ『傷だらけの天使』(2本を監督)、映画『柳生一族の陰謀』、『蒲田行進曲』、『バトル・ロワイアル』など発表する作品の多くが話題作となる。ガンマー第3号 宇宙大作戦はMGM配給で全米公開され大ヒット。宇宙からのメッセージはユナイト映画配給で全米公開され、やはり大ヒットを記録。欧米ではSF映画の監督として知られていたが、
    ロッテルダム映画祭やトロント映画祭などの特集上映で作家性が注目され、『バトル・ロワイアル』はフランスやイギリスなど海外でも大ヒットし、香港では興行成績1位を記録した。アクション映画の監督と見られがちであるが、小松左京原作の『復活の日』、檀一雄原作の『火宅の人』を映像化するなど、取り上げるテーマは幅広い。

  • 1997年、紫綬褒章受章。

  • 2002年中はカプコンのPS2ゲーム『クロックタワー3』のイベントCGムービーの監督として撮影(モーションキャプチャー収録)、これを撮り終えた(撮り終えたという意味ではこちらが遺作である)。

  • 2003年1月12日、前立腺がんのため72歳で死去。。後に勲四等旭日小綬章を贈られた。
    深作は抗癌剤の投与を拒んだ。副作用による男性機能の低下を懸念したためである。また、未完だった遺作『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の監督は、プロデューサーを務めていた息子深作健太に引き継がれた。



    作風

    暴力的作品を撮る映画監督と取られがちであるが、本人が体験した戦争という巨大な暴力をきっかけに、暴力を描くことによって暴力を否定しようという考えが根底にある。だからこそ様々な批判を受けても作風は変えなかったと思われる。しかし、暴力作品だけではなく、『蒲田行進曲』や『柳生一族の陰謀』といった時代劇、『おもちゃ』のような文芸作からサイエンス・フィクション|SFまでも世に残している。作品について、日本国内外から好評であり、クエンティン・タランティーノやジョン・ウーなど著名監督らが彼を崇拝している。なお、全フィルモグラフィーのうち『おもちゃ』以外の全ての作品で人が死ぬシーンがあり、死について生涯こだわり続けたことが窺える。



    人物

    相当にエネルギッシュな人物で、『仁義なき戦い』での演出はほとんど「行けー!!」「やれー!!」「死ねー!!」などの言葉ですましたそうである。深夜にまで撮影がおしたのにもかかわらず俳優達を引き連れ飲みに行き、朝からまた撮影をするという生活を何ヶ月も続けた伝説を残している。主演の菅原文太のように酒が強くタフな俳優であればよいが、他の多くの俳優は付き合うのが正直大変であった。ろくに寝ていない俳優達は、脹れた顔を元に戻すために冷たいタオルを顔にあてて撮影に臨んだという。朝に弱く、夜になると調子が出てきて撮影が毎日深夜まで続くため「深作=深夜作業の略」とも言われた。干されていた室田日出男や大部屋でくすぶっていた川谷拓三や志賀勝らを抜擢し「ピラニア軍団」として知らしめた。



    死去前後の出来事




    [2002年]


  • 9月25日-前立腺癌|前立腺ガンを公表。『バトル・ロワイアルII(仮題)』の製作を発表。

  • 10月25日-前作公開時に舌戦を繰り広げた民主党 (1996-)|民主党衆議院議員の石井紘基が右翼活動家に自宅前で刺され死亡。

  • 12月16日-『バトル・ロワイアルII(仮題)』撮影開始。

  • 12月21日-骨がんの痛みから、放射線治療のため予定より2日早く入院。

  • 12月23日-定期の放射線治療を受ける。

  • 12月29日-体力の低下による風邪から肺炎を併発する。

  • 12月31日-自力呼吸が困難になり、人工呼吸器を装着。一時危篤状態に。


    [2003年]


  • 1月初頭-小康状態に回復。

  • 1月5日-深作健太が監督代行として、撮影を再開。

  • 1月6日-深作健太が監督代行に正式決定。

  • 1月7日-東映社長と深作健太が会見。同社長は深作欣二について2月初頭に復帰させたいと発言。

  • 1月11日-夕方から容態が悪化。妻の中原早苗、息子健太や菅原文太らが病院へ。荻野目慶子も見舞を申し入れたが、妻の中原がこれを拒否。

  • 1月12日-午前1時、死去。

  • 1月16日-午後、築地本願寺で葬儀・告別式。菅原文太弔辞。出演者やファンら約1100人参列。ジョン・ウーなど弔電約1000通。

  • 1月18日-東大泉の東映撮影所で撮影再開。監督室に遺骨安置。

  • 2月7日-政府、勲四等旭日小綬章授与を閣議決定。

  • 3月10日-長崎県西彼杵郡での撮影現場をマスコミに公開。

  • 3月12日-ビートたけし参加シーンの撮影現場をマスコミに公開。

  • 3月20日-横須賀市田浦町の水道施設「盛福寺管路ずい道」内でトンネルのシーンを撮影。

  • 4月10日-俳優の出演するシーンの撮影が終了。

  • 4月13日-東映本社でクランクアップ報告の記者会見。アフガニスタン・ヒンドゥーク地方での田園風景撮影計画を発表。

  • 4月21日-アフガニスタンで8日間に渡る撮影を開始。撮影対象は町並みに変更された。スタッフは5名で、予定されていた健太監督は同行せず。

  • 5月18日-『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』の映画のレイティングシステム|R-15指定が発表。

  • 5月23日-カンヌ国際映画祭の見本市にて、欧州8カ国と上映権契約締結。既に締結済みの5カ国とあわせ、13カ国に。

  • 6月1日-鉄道駅や学校前などに「『殺しに行け』と先生が言った」というコピーの入った広告ポスターの掲示を開始。

  • 6月6日-「抗議が殺到」したという理由で広告差し替えを発表。撤去開始。

  • 6月22日-新宿の東京厚生年金会館で完成披露試写会。

  • 7月3日-渋谷東映で公開前々夜祭。故・深作欣二の誕生日。

  • 7月5日-全国261館で公開開始。深作健太、パート3製作の予定なしと発言。岡田社長、興収40億円を狙えると発言。

  • 7月13日-公開8日目。観客動員50万人突破。



    監督作品リスト




    [映画]


  • 風来坊探偵 赤い谷の惨劇(1961年)

  • 風来坊探偵 岬を渡る黒い風(1961年)

  • ファンキーハットの快男児(1961年)

  • ファンキーハットの快男児 二千万円の腕(1961年)

  • 白昼の無頼漢(1961年)

  • 誇り高き挑戦(1962年)

  • ギャング対Gメン(1962年)

  • ギャング同盟(1963年)

  • ジャコ萬と鉄(1964年)

  • 狼と豚と人間(1964年)

  • 脅迫 (映画)|脅迫(おどし)(1966年)

  • カミカゼ野郎 真昼の決斗(1966年)

  • 北海の暴れ竜(1966年)

  • 解散式 (映画)|解散式(1967年)

  • 博徒解散式(1968年)

  • 黒蜥蜴(1968年)

  • 恐喝こそわが人生(1968年)

  • ガンマー第3号 宇宙大作戦(1968年)

  • 黒薔薇の館(1969年)

  • 日本暴力団 組長(1969年)

  • 血染の代紋(1970年)

  • 君が若者なら(1970年)

  • トラ・トラ・トラ!(1970年)

  • 博徒外人部隊(1971年)

  • 軍旗はためく下に(1972年)

  • 現代やくざ 人斬り与太(1972年)

  • 人斬り与太 狂犬三兄弟(1972年)

  • 仁義なき戦い|仁義なき戦いシリーズ(1973年〜1976年)
    仁義なき戦い(1973年)
    仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
    仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
    仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
    仁義なき戦い 完結篇(1974年)
    新・仁義なき戦い(1974年)
    新・仁義なき戦い 組長の首(1975年)
    新・仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)

  • 仁義の墓場(1975年)

  • 県警対組織暴力(1975年)

  • 資金源強奪(1975年)

  • 暴走パニック 大激突(1976年)

  • やくざの墓場 くちなしの花(1976年)

  • 北陸代理戦争(1977年)

  • ドーベルマン刑事(1977年)

  • 柳生一族の陰謀(1978年)

  • 宇宙からのメッセージ(1978年)

  • 赤穂城断絶(1978年)

  • 復活の日(1980年)

  • 青春の門(1981年)

  • 魔界転生(1981年)

  • 道頓堀川(1982年)

  • 蒲田行進曲(1982年)

  • 人生劇場(1983年)

  • 里見八犬伝 (1983年)|里見八犬伝(1983年・東映角川映画)

  • 上海バンスキング(1984年)

  • 火宅の人(映画)|火宅の人(1986年)

  • 必殺IV 恨みはらします(1987年)

  • 華の乱(1988年、東映(京都))

  • いつかギラギラする日(1992年)

  • 忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年)

  • おもちゃ (映画)|おもちゃ(1999年)

  • バトル・ロワイアル(2000年)

  • バトル・ロワイアル|バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年)

  • クロックタワー3(PS2/ゲームイベントCGムービー)(2002年)

  • バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】(2003年)


    [テレビドラマ]


  • キイハンター

  • 必殺仕掛人 - 第1話「仕掛けて仕損じなし」、第2話「暗闘仕掛人殺し」、第24話「士農工商大仕掛け」

  • 傷だらけの天使

  • Gメン'75 - 第85話「'77元旦 デカ部屋ぶっ飛ぶ!」

  • 影同心 - 第18話「濡れた女の殺し節」

  • ダブル・パニック'90 ロス警察大捜査線(1990年 テレビ朝日・東映)

  • 阿部一族(1995年 フジテレビ・松竹京都)



    参考文献


  • 『夫・深作欣二 最後の戦い』 / 中原早苗(『文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋』2003年3月号)



    関連項目


  • :Category:深作欣二の監督映画



    外部リンク


  • 日刊スポーツによる襌/a>報]

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    2007年08月13日

    映画監督[井筒和幸]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    井筒和幸



    井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は日本の映画監督、タレント。奈良県大和郡山市出身。奈良県立奈良高等学校卒業。



    映画監督として




    [ 来歴 ]

    1975年、ピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』を初監督(「井筒和生」名義)。上京後もピンク映画を続け、そのうちのひとつ、『色情女狩り』から「井筒和幸」名義となる。1981年に一般映画『ガキ帝国』がヒットし、日本映画監督協会新人賞|日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。『赤い復讐 暴姦』を最後にピンク映画から遠ざかる。1991年9月、大作『東方見聞録 (映画)|東方見聞録』の撮影中にエキストラの俳優が死亡する事故が起きる1991年9月、映画『東方見聞録』の撮影中、エキストラとして出演していた林健太郎 (俳優)|林健太郎が、静岡県小山町のロケ現場に造られた滝壺のセットで溺れ、翌日死亡する事故が発生した[http://www15.ocn.ne.jp/~rousai/jikorei.htm/]。井筒は助監督とともに業務上過失致死の疑いで書類送検。製作会社のディレクターズ・カンパニーは事故の翌如 /$KE];:$7!"0dB2$X$NJd=~6b$O0fE{$,0l?M$G;YJ'$$$rB3$1$F$$$k。事故後、映画の仕事から距離を置いていたが、1993年、仙頭武則の依頼により『突然炎のごとく』の監督として映画界に復帰した。1996年公開の『岸和田少年愚連隊|岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』でブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞を受賞。その後、1999年の『のど自慢 (映画)|のど自慢』や2003年の『ゲロッパ!』、2005年の『パッチギ!』など立て続けに話題作を制作し、多くの映画賞を受賞している。


    [ 主な監督作品 ]


  • 『行く行くマイトガイ 性春の悶々』(1975年・井筒和生 名義、三上寛 茜ゆう子 橘ルミ子)

  • 『熱くて深い交わり 肉色の海』(1978年・井筒和生 名義、北京一 大賀美津子 城あけみ)

  • 『暴行魔真珠責め』(1979年・井筒和生 名義、池内琢磨 高橋章代 反口博子)

  • 『足の裏から冥王まで』(1979年・井筒和生 名義、劇団日本維新派)

  • 『僕と隠岐島号』(1979年・井筒和生 名義、港雄一)

  • 『女教師 覗かれた暴行現場』(1980年・井筒和生 名義、港まゆみ 沢木ミミ 青野梨麻)

  • 『色情女狩り』(1981年・上野淳 紗貴めぐみ 亜希いずみ)

  • 『ガキ帝国』(1981年・島田紳助・松本竜介)

  • 『赤い復讐 暴姦』(1982年・沢木美伊子 下元史郎 大杉漣)

  • 『みゆき』(1983年・永瀬正敏 宇沙美ゆかり 三田寛子)

  • 『晴れ、ときどき殺人』(1984年・渡辺典子 太川陽介 松任谷正隆)

  • 『(金)(ビ)の金魂巻』(1985年・九十九一 小林まさひろ 大門正明)

  • 『二代目はクリスチャン』(1985年・志穂美悦子 岩城滉一 柄本明)

  • 『犬死にせしもの』(1986年・真田広之 佐藤浩市 安田成美)

  • 『宇宙の法則』(1990年・古尾谷雅人 横山めぐみ 鳥越マリ)

  • 『風、スローダウン』(監修、1991年・石田靖 五十嵐いづみ 長原成樹)

  • 『東方見聞録』(1993年ビデオ発売、緒形直人 設楽りさ子 柴俊夫)

  • 『罪と罰 ドタマかちわったろかの巻』(1994年・間寛平 坂上香織 古尾谷雅人)

  • 『突然炎のごとく』(1994年・坂上香織 小木茂光 山本太郎)

  • 『クレイジー・コップ 捜査はせん!』(監修、1995年・間寛平 小松みゆき 大竹まこと)

  • 『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(1996年・矢部浩之・岡村隆史(ナインティナイン)、大河内奈々子)

  • 『さすらいのトラブルバスター』(1996年・鹿賀丈史 久本雅美 村田雄浩)

  • 『のど自慢』(1999年・室井滋 尾藤イサオ 小林稔侍)

  • 『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』(1999年・室井滋 尾藤イサオ 竹内結子)

  • 『ゲロッパ! GET UP!』(2003年・西田敏行 常盤貴子 山本太郎)

  • 『パッチギ!』(2005年・塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ)

  • 『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年・井坂俊哉 中村ゆり 藤井隆)



    タレントとして

    1990年代半ばからテレビやラジオのバラエティ番組にも出演し、映画評論などをおこなうようになる。しかし、自分の感性と合わない作品、特に大作や話題作を酷評する井筒のスタイルから、そのような番組への出演は限られるようになった。『タモリ倶楽部』など、映画批評と関係のないバラエティ番組には現在も出演している。2006年以降は情報番組でのコメンテーターを務めることもある。


    [ 現在の出演番組 ]




    [ テレビ ]


  • 虎の門 (テレビ朝日)

  • ナンボDEなんぼ(関西テレビ放送|関西テレビ)

  • ちちんぷいぷい (テレビ番組)|ちちんぷいぷい(毎日放送)※月1回火曜日のみ

  • スーパーモーニング (テレビ朝日)

  • THE・サンデー (日本テレビ放送網|日本テレビ)


    [ 過去の出演番組 ]




    [ テレビ ]


  • ぐるナイ(日本テレビ)

  • 爆笑問題のバク天!(TBSテレビ)


    [ ラジオ ]


  • 井筒和幸の土曜ニュースアドベンチャー (ニッポン放送)2002年7月〜2005年3月

  • ブジオ! (TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)※火曜日担当

  • CUT BACK (エフエム京都|α-STATION)2006年4月〜10月

  • GEO@チャンネル presents シネラバ(エフエム東京|TOKYO FM)



    著書




    [ 共著 ]






  • 脚注





    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 講演依頼ドットコム


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    2007年08月12日

    映画監督[小津安二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業をサボタージュしたため、不良学生として寄宿舎から追放。



    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗して、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたりマンドリンを弾いて慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高悟との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。



    作品




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィックスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていないと指摘されており、独特の時間感覚とともに作品に違和感を生じさせる一因ともなっている。自らは独身|家庭を持たぬ小津が、原節子|女優に家人の役を配役したり、家族の姿を語らせるなど今だ実像に迫りきっていない部分も多い。



    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下恵介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。



    国際的な支持

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎


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    2007年08月11日

    映画監督[堤幸彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    堤幸彦



    堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、日本の演出家、映画監督。オフィスクレッシェンドの取締役。活動初期は堤ユキヒコ名義を使用した。




    経歴

    愛知県名古屋市出身。愛知中学校・高等学校|愛知高等学校を経て、法政大学社会学部社会学科中退。学校法人東放学園卒業。日本テレビ放送網|日本テレビ『コラーッ!とんねるず』(1985年〜1989年)のテレビディレクターから出発(「ハロルドKITAGAWA」「ローゼンKITAGAWA」「ローゼン堤」等の変名を使用)。数々のCMやプロモーションビデオの演出を手掛けながら、1988年オムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』の第4話「英語がなんだ」で劇場映画デビュー。テレビドラマ『金田一少年の事件簿』『ケイゾク』で話題となり、『池袋ウエストゲートパーク』、『トリック (テレビドラマ)|TRICK』シリーズなどスタイリッシュな作品で高い評価を得て著名になった。



    作品




    [ 映画 ]


  • バカヤロー! 私、怒ってます 第4話「英語がなんだ」(1988年) - 出演:小林薫、室井滋ほか。

  • 金田一少年の事件簿|金田一少年の事件簿 上海魚人伝説(1997年) - 出演:堂本剛、ともさかりえほか。

  • トイレの花子さん|新生トイレの花子さん(1998年) - 出演:前田愛 (女優)|前田愛ほか

  • ケイゾク#映画版|ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer(2000年) - 出演:中谷美紀、渡部篤郎ほか。

  • CHINESE DINNER(2001年)- 出演:柳葉敏郎、IZAMほか。

  • 溺れる魚(2001年)- 出演:椎名桔平、窪塚洋介ほか。

  • トリック劇場版(2002年)- 出演:仲間由紀恵、阿部寛ほか。

  • ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY(2002年) - 出演:嵐 (ジャニーズ)|嵐ほか。

  • Jam Films「HIJIKI」(2002年) - 出演:佐々木蔵之介ほか。

  • 恋愛寫眞(2003年) - 出演:広末涼子、松田龍平ほか。

  • 2LDK(2003年) - 出演:野波麻帆、小池栄子ほか。

  • ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY(2004年) - 出演:嵐 (ジャニーズ)|嵐ほか。

  • SIREN|サイレン FORBIDDEN SIREN(2006年)- 出演:市川由衣、阿部寛ほか。

  • 明日の記憶(2006年)- 出演:渡辺謙、樋口可南子ほか。

  • トリック劇場版2(2006年)- 出演:仲間由紀恵、阿部寛ほか。

  • 大帝の剣 (映画)|大帝の剣(2007年)- 出演:阿部寛、長谷川京子、宮藤官九郎、竹内力ほか。

  • 自虐の詩(2007年公開予定)- 出演:中谷美紀、阿部寛ほか。

  • 包帯クラブ(2007年公開予定) - 出演:柳楽優弥、石原さとみほか。

  • 20世紀少年(2008年公開予定)

  • スシ王子 銀幕版(2008年公開予定)


    [ テレビドラマ ]


  • 世にも奇妙な物語「城 (テレビドラマ)|城」(1992年、フジテレビ)

  • クリスマスキス〜イブに逢いましょう(1995年、テレビ東京)

  • 金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|金田一少年の事件簿(1995年、1996年、日本テレビ)

  • サイコメトラーEIJI(1997年、日本テレビ)

  • ぼくらの勇気 未満都市(1997年、日本テレビ)

  • ハルモニア この愛の涯て(1998年、日本テレビ)

  • ケイゾク(1999年、TBS)

  • プリズンホテル(1999年、テレビ朝日)

  • 俺たちの旅|新・俺たちの旅 Ver.1999(1999年、日本テレビ)

  • 池袋ウエストゲートパーク(2000年、TBS)

  • トリック (テレビドラマ)|トリックシリーズ(2000年・2002年・2003年、テレビ朝日)
    トリック新作スペシャル(2005年11月、テレビ朝日) - 『日曜洋画劇場』特別企画として単発放送

  • ハンドク!!!(2001年、TBS)

  • 愛なんていらねえよ、夏(2002年、TBS)

  • Stand Up!!(2003年、TBS)

  • 劇団演技者。』「アンラッキー・デイズ〜ナツメの妄想〜」(2004年、フジテレビ)

  • 世界の中心で、愛をさけぶ(2004年、TBS)

  • 加藤家へいらっしゃい! 〜名古屋嬢っ〜(2004年、名古屋テレビ)

  • 四谷くんと大塚くん/天才少年探偵登場の巻(2004年7月21日、TBS『水曜プレミア』)

  • H2 (漫画)|H2〜君といた日々(2005年、TBS)

  • 巷説百物語「狐者異」(2005年3月、WOWOW)

  • 巷説百物語「飛縁魔」(2006年3月、WOWOW)

  • 下北サンデーズ(2006年、テレビ朝日)

  • スシ王子!(2007年、テレビ朝日)


    [ 舞台 ]


  • ロストタイム・ロストマイセルフ(2001年)中目黒ウッディーシアター - 出演:犬山犬子、小西康久ほか。

  • ISIKARI(2002 - 2003年)中目黒ウッディーシアター - 出演:小西康久、岩尾万太郎ほか。

  • GOCARAKU(2002 - 2003年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、佐藤二朗ほか。

  • 毒薬と、イ○ン・ソープ…(2003 - 2004年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、佐藤二朗ほか。

  • 理由なき反抗(2005年)グローブ座ほか - 出演:二宮和也(嵐 (ジャニーズ)|嵐)、貫地谷しほりほか。

  • 電車男(2005年) - 出演:武田真治、河原雅彦ほか。

  • 明解 日本語アクセント事変(2006-2007年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、半海一晃ほか。


    [ ビデオ ]


  • うしろゆびさされ組「マジカルうしろゆびツアー」(1987年、ポニーキャニオン)

  • スリラーブラウン管(1991年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)

  • 君と見たい怖い話「ノミネート」(1991年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)

  • 鬼束ちひろ「眩暈/edge|edge」ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ(2001年、東芝EMI)



    外部リンク


  • 堤幸彦のページ(公式サイト)

  • 堤幸彦のページ(ブログ)(日記と空趣味写真)

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  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(1) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年08月10日

    映画監督[大林宣彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は広島県尾道市出身の映画監督。成城大学文芸学部中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際映画祭で、審査員特別賞に。

    その後テレビCMを数多く手がけ、1977年の「HOUSE」で商業映画に進出。以後、数多くの作品を世に送り出している。
    出身地である尾道市を舞台とした作品も多く、特に「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は"尾道三部作"として親しまれている。



    主な監督作品


  • 「なごり雪」(2002)

  • 「あの夏の日/とんでろ、じいちゃん」(1999)

  • 「風の歌が聴きたい」(1998)

  • 「SADA/戯作・阿部定の生涯」(1998)

  • 「あした」(1995)

  • 「女ざかり」(1994)

  • 「水の旅人/侍KIDS」(1993)

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1992)

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992)

  • 「ふたり」(1991)

  • 「彼女が結婚しない理由(わけ)」(1990)

  • 「北京的西瓜」(1989)

  • 「私の心はパパのもの」(1988)

  • 「異人たちとの夏」(1988)

  • 「漂流教室」(1987)

  • 「日本殉情伝おかしなふたり/ものくるほしきひとびとの群」(1986)

  • 「四月の魚/Poisson d'avril」(1986)

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1985)

  • 「姉妹坂」(1985)

  • 「さびしんぼう」(1985)

  • 「彼のオートバイ・彼女の島」(1985)

  • 「廃市」(1984)

  • 「天国にいちばん近い島」(1984)

  • 「時をかける少女」(1983)

  • 「転校生」(1982)

  • 「可愛い悪魔」(1982)

  • 「ねらわれた学園」(1981)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979)

  • 「ふりむけば愛」(1978)

  • 「ブラック・ジャック|BLACK JACK/瞳の中の訪問者」(1977)

  • 「HOUSE/ハウス」(1977)


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  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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