2007年10月31日

映画監督[石井克人]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
石井克人



石井 克人 (いしい かつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。1991年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。同年東北新社に入社し、CMディレクターとして働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在(株)337所属。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。
2003年演出家三木俊一郎、伊志嶺一(ANIKI)らと共に有限会社ナイスの森を設立。
2006年10月社名を株式会社ナイスレインボー[http://www.nicerainbow.com]に変更し現在活動中。



作品



[ CM ]
*1993「ハウス食品クリッパー」

  • 「スマップ・ニューアルバム告知」

  • 1997-2003「旭化成」シリーズ 診断篇 CM歌篇

  • 1997味の素「クノールカップスープ」シリーズ

  • 1997湖池屋「湖池屋ポテトチップス(チッチッチッ篇)」

  • ゼブラ「ジムノック(ペンは銃より強し)」

  • 1999〜2002「田辺製薬アスパラドリンク」(ハニホー・ヘニハー出演)

  • 2000-2001「SkyperfecTV」シリーズ

  • 2001「サントリーBOSS」(巨人篇)

  • 2001サントリー「マグナムドライ」

  • 2001「日テレ式」

  • 2002 NTV 「別 れてもチュキな人」番組宣伝CF

  • 2005 「キリンビバレッジ」
    「SEVEN SEVENS 登場 篇」(キリンレモン77)
    「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 「ハンゲーム」

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)

  • 東日本電信電話|NTT東日本 フレッツ光(SMAP出演)
    『マンションの絵篇』『結婚篇』保健室(電話)篇』


    [ 映画 ]


  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞

  • 鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)

  • PARTY7(永瀬正敏主演)

  • 茶の味(坂野真弥主演)−2004カンヌ映画祭監督週間????????作品、ロケ地・栃木県茂木町 

  • ナイスの森 〜The First Contact〜(石井克人×三木俊一郎×ANIKI監督、寺島進・浅野忠信ほか出演)

  • HAL&BONS

  • NEW HAL&BONS


    [ TV ]


  • 世にも奇妙な物語「BLACK ROOM」

  • SMAP×SMAP「MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻」

  • 「ピロッポ」


    [ OV ]


  • 「TRAVA-FIST PLANET 」

  • SMAP「BIRD MAN FLY」

  • ナイスの森 The First Contact ディレクターズ・カット・バージョン ウェブムービー

  • 「ウサタクの話」 - 広告宣伝 : 富士通

  • 「ホクロ兄弟 フルスロットル!!!!」全7話


    [ 出演作 ]


  • 2003 CUTIE HONEY キューティーハニー





    「茶の味」

  • 2004年 アントレヴュ国際映画祭 最優秀外国語映画賞・観客賞

  • 2004年 第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭 Orient Express Casa Asia部門特別賞

  • 2004年 ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 第十一回オランダ・アニメーション国際映画祭・ベストCM賞



    外部リンク


  • NICE RAINBOW*武蔵野美術大学の人物一覧

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    2007年10月30日

    映画監督[飯田譲治]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    飯田譲治



    飯田譲治(いいだじょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。長野県諏訪市出身。
    世にも奇妙な物語シリーズでは「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている
    そのうち、「常識酒場」、「トラブルカフェ」は『NIGHT HEAD』の原型となった作品自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画「休憩」でぴあフィルムフェスティバルに入選。
    友人は世にも奇妙な物語などの作曲で知られる配島邦明



    脚本・監督作品


  • 1989年『奇妙な出来事 「恐怖のデイドリーム」』

  • 1989年『奇妙な出来事 「恐怖のデイドリーム?〜もう一度〜」』

  • 1990年『世にも奇妙な物語 「代打はヒットを打ったか?」』(脚本のみ)

  • 1990年『世にも奇妙な物語 「王将」』脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「シャドゥボクサー」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「常識酒場」』

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「不幸の伝説」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「トラブルカフェ」』

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「贈り物」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「妄想特急」』(脚本のみ)

  • 1994年『NIGHT HEAD』

  • 1998年『らせん』

  • 2000年『アナザヘヴン』

  • 2003年『ドラゴンヘッド』

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    2007年10月29日

    映画監督[大林宣彦]

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    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は広島県尾道市出身の映画監督。成城大学文芸学部中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際映画祭で、審査員特別賞に。

    その後テレビCMを数多く手がけ、1977年の「HOUSE」で商業映画に進出。以後、数多くの作品を世に送り出している。
    出身地である尾道市を舞台とした作品も多く、特に「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は"尾道三部作"として親しまれている。



    主な監督作品


  • 「なごり雪」(2002)

  • 「あの夏の日/とんでろ、じいちゃん」(1999)

  • 「風の歌が聴きたい」(1998)

  • 「SADA/戯作・阿部定の生涯」(1998)

  • 「あした」(1995)

  • 「女ざかり」(1994)

  • 「水の旅人/侍KIDS」(1993)

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1992)

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992)

  • 「ふたり」(1991)

  • 「彼女が結婚しない理由(わけ)」(1990)

  • 「北京的西瓜」(1989)

  • 「私の心はパパのもの」(1988)

  • 「異人たちとの夏」(1988)

  • 「漂流教室」(1987)

  • 「日本殉情伝おかしなふたり/ものくるほしきひとびとの群」(1986)

  • 「四月の魚/Poisson d'avril」(1986)

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1985)

  • 「姉妹坂」(1985)

  • 「さびしんぼう」(1985)

  • 「彼のオートバイ・彼女の島」(1985)

  • 「廃市」(1984)

  • 「天国にいちばん近い島」(1984)

  • 「時をかける少女」(1983)

  • 「転校生」(1982)

  • 「可愛い悪魔」(1982)

  • 「ねらわれた学園」(1981)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979)

  • 「ふりむけば愛」(1978)

  • 「ブラック・ジャック|BLACK JACK/瞳の中の訪問者」(1977)

  • 「HOUSE/ハウス」(1977)


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    2007年10月28日

    映画監督[富野由悠季]

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    富野由悠季




    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。



    人物像

    旧名(本名)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻の亜々子と2人の娘。スタッフを殴ったり怒鳴りつけるなど、気性が激しいと言われている。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがある。しかし、その厳しい指導の成果は確かなものがあり、かつて富野の下で修行ぁ 7:n%"%K%a$r@8$_=P$7$?4FFD$O?tB?$$!#8eG/$NM&!5A!":#@nBY9(!"9b>>?.;J$J$I$bIYLn$N2<$G=$9T$7$?$H8@$o$l$k!#:#@nBY9($r!X5!F0IpF.EAGガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。フリーの頃、とにかく多くの作品に参加し、コンテをかなりのスピードで上げていったことから「コンテ千本切りの富野」という異名をとるようになる。業界では「富野に頼めば3日でコンテが上がる」と言われていた。コンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。『 (B富野諭 3M*5( 全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事もある。『ザブングル』の時に顕著であった事例であるが、ほとんど自分のコンテになってしまった時でもスタッフロールの記載を変えることはしない。これは「手直しされた人間にもプライドというものがあるだろう」という配慮からである。大塚康生が語るところによると、富野が絵コンテとして参加しクレジットもされた『未来少年コナン』においては、監督の宮崎駿がほとんど自分でコンテを書き替えたことも少なくなかったということから、そうした経験も影響していると考えられている。しかし著書『映像の原則』の後書きでは「ただ彼らを甘やかしただけだったかもしれない」と書いている(ちなみに「ほとんど」という点についてだが、コンテというものは1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事にな\xA1 $C$F$7$^$&!K!#1i=P!&3(%3%s%F$N05E]E*$J7P83NL$rGX7J$H$9$k9b$$JT=8G=NO$K$ODjI>$,$"$k!#:G?7$N!X7`>lHG 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作るという離れ業をみせた。それだけの仕事をしながら、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズをしたりと、凄まじいまでの仕事の豊富さである。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹をアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムフ\xA1 %!%s$G$b$"$k;R0BIp?M$bJ#?t$N:nIJ$G5/MQ$5$l$?7k2L!"<+?H$N1i5;$N! I}$r99$K 9-$2$?!K!#1i5;$N;XF3$O87$7$/!"MW5a$K1~$($i$l$J$$;~$O%V!<%9$K6n$19~$s$GGM@<$rHt$P$9$[$I$N%@%a=P$7$V$j$O6/Nu$+$DM-L>$G$"$j!#:e8}Bg=u$r$O$8$a?70fN$H~!"@u@nM*$i$O$=$N87$7$5$K5c$-=P$7$?$H$$$&!JEv;~?7?M$@$C$?:e8}$K;j$C$F$OE47}@):[$^$G2C$($?;v$b$"$C$?$H8@$&!K!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G>9-OB$O!V%-%c%i$r;&$7$F9_$m$9!W$H$^$G8@$o$l$?$H$$$&0oOC$b$"$k!#<+$i%a%+$r%G%6%$%s$9$k;v$b$"$j!"FCD'E*$JMFKF$d%.%_%C%/$r9%$`!#$^$?!"%@%/%H$GJ$$o$l$?%2%k%0%0$NF9BN$d%(%k%a%9$N%S%C%H$d%6%/%l%m$KG[$5$l$?B?J}LL%9%i%9%?!<$J$I$N5!G=E*$J%G%6%$%s$b$"$k!#%S%0%6%`$d%>%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"&IJ2=$NG!2?$K$+$+$o$i$:!"LO7?2=$G$-$k%G%6%$%s$r>o$K?43]$1$?$H$$$&!#H`$O%a%+%G%6%$%sBG$A9g$o$;;~!"%U%!%_%l%9!&5JCcE9Ey$N8x$N>l$G$"$C$F$b!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7!"%9%?%C%U$,JD8}$9$k;v$b$"$C$?$H$5$l$k!#%"%K%a;o$d%F%l%S$J$I$NG^BN$KO*=PEY$,9b$$>e!";u$K0aCe$;$LJ*8@$$$+$i!"8,B=$d8,>y$rH~FA$! H$9$k?M$?$A$NH?46$rGc$&;v$b$"$k!#$?$@!"$=$N@h8+$NL@$HG=NO$rI>2A$9$k?M$b$$$k!#$^$?!"?';f$K:B1&$NLC$r$H5a$a$i$l$k$H!V4%:%0lZ3!W$H=q$-9~$`MM$K%A%c%l%s%8@:?@$r;V8~$9$k?MJ*$J$N$G!"?7:n$K$OI,$:2?$+?7$7$$;n$_$r@9$j9~$b$&$H$7$F%"%K%a%U%!%s$+$i935D$r^$r^$9$k$[$+5-O?E*$J%;!<%k%9$r@.$7?k$2!"Fs@$$^$G3hLv$9$k5\:j=Y$i%9%?%8%*%8%V%j@):n:nIJ$K%i%$%P%k0U<1$r;}$C$F$$$k!W$H$$$&$h$&$JH/8@$r$7$P$7$P$9$k!#5\:j!"9bH*7.$KBP$9$kI>2A$OHs>o$K9b$/!X富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して文化庁メディア芸術プラザ インタビューにおいて、「アニメを見るな!」「文芸、演劇、物語を見ないで映画、アニメが作れると思うな!」「アニメ以外のことに奮闘しろ」「修身・道徳、格言を学べ!」「大人から学ぶものなんてなにもない!」「映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい」「45歳までは君た\xA1 $A$bHT2s$G$-$k!#?M4V$N4pK\$O9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ!」と重みのあるアドバイスをしている。彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ。」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。



    作風

    監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品はセリフ回しが特徴的で、富野節と呼ばれる。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語っている。


    [ 作風に基づく異名 ]

    かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(「無敵超人ザンボット3」、「伝説巨神イデオン」、「聖戦士ダンバイン」、TV版「機動戦士Zガンダム」、「機動戦士Vガンダム」など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった。しかし、富野も好き好んでキャラを殺しているわけではなく、劇場版イデオン製作の際、スポンサーから声優のギャラの関係でキャラの殺害要求をされた時は、嫌だったという。一方でライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い鬱展開の作品については「黒富野」、王道の作品やコミカルな作品は「白富野」と俗称されている。


    [ 登場キャラクターの特徴 ]

    主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインにはお姫様タイプというより、芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見てもいわゆる萌え系のような大きすぎる目のキャラクターは全く登場しない。例外はダンバインのチャム・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目\xA1 $NBg$-$$%-%c%i%/%?!<$rIA$/$$$N$^$?$`$D$_$r%-%c%i%/%?!<%G%6%$%s$K5/MQ$7$?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#


    [ エンディングの法則 ]

    『富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す』この命題の初出は、1980年代アニメ雑誌の読者投稿欄によるものである。「すでに気づいていた」という編集者のコメントや、作劇の単純な法則から、ある程度の認識を持つ富野作品ファンの間では周知の事実であったと思われる。富野作品全般がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためである。これは何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかが明確ではない。さらに先述の「皆殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。しかし逆に、『イデオン』『ダンバイン』『ザンボット3』の衝撃的な結末には再生をも予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。(注:本法則は『ザンボット3』から休養直前の『機動戦士Vガンダム』まで、名古屋テレビ放繊 w|名古屋テレビ系リアルロボット作品群に適用。『ブレンパワード』以降は前述の経緯から適用されない)。下記に富野監督作品の結末の詳細を記述する。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が主人公らの正義をくつがえす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】(※例外) 覚醒、仲間のもとへ帰還、大戦終結

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含め、全ての知的生命体が消滅

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含め、ほぼすべての主要登場人物の消失

  • エルガイム 【○】 支配階級の打破・革命 (主人公は人格崩壊した義妹とともに世捨て人に)

  • Ζガンダム 【×】 主人公の精神崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織

  • ガンダムΖΖ 【○】 戦争終結、主人公が家族と再会

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面にて奇跡があるも、あえて続編小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ|閃光のハサウェイ』まで敷衍するならバッドエンドとも言える

  • ガンダムF91 【○】 家族の理解と再生、愛する人との再会

  • Vガンダム 【×】 登場人物がたて続きに死亡、勝者のなき(見えない)戦争、終戦後の冬の情景





    経歴


  • 1941年  神奈川県小田原市生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。

  • 1964年  日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。山本とは学生時代にエピソードあり)を卒業し、手塚治虫主宰の虫プロダクションへ入社、制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受け、「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」と悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。
    : 本来実写作品の監督志望であったが、富野の大学卒業前、すでに大手映画会社は大学新卒者の採用をやめており、学部の関係上、就職口が虫プロダクションしかなかったとコメントしている。当時アニメは子供の漫画映画という認識しかなかったため、大の大人がおもちゃ屋の宣伝番組であるアニメの仕事をやるのは非常に恥ずかしかったと述べている。* 1967年  虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年  オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになりタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年  結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。このころに埼玉県新座市に引っ越す(『ダイターン3』の「シン・ザ・シティ」の元ネタとなる)。

  • 1972年  初の監督作品である『海のトリトン』の監督を務める。

  • 1975年  『勇者ライディーン』の監督を2クール(第26話)で降板する(後任は長浜忠夫)。出崎哲の後任として『ラ・セーヌの星』の3クール目(第27話 - 第39話)の監督を務める。

  • 1977年  創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。サンライズ初のアニメーション作品である『無敵超人ザンボット3』の総監督を務める。

  • 1978年  『無敵鋼人ダイターン3』の総監督を務める。

  • 1979年  自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督を務めるが、打ち切りとなる。この作品が後のロボットアニメーション業界に「人物群像」と「事件の経過」という展開を与える。

  • 1980年  『伝説巨神イデオン』の総監督を務めるがガンダムと同じく打ち切りとなる。

  • 1981年  映画『機動戦士ガンダム?』の総監督を務める。5月22日、映画『機動戦士ガンダム? 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年  『機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』、『戦闘メカ ザブングル』、『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督を務める。この頃から原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1983年  『聖戦士ダンバイン』の総監督、『ザブングル グラフィティ』の監督。『銀河漂流バイファム』の原作を務める。

  • 1984年  『重戦機エルガイム』の総監督を務める。

  • 1985年  自身初の続編シリーズ物の『機動戦士Ζガンダム』の総監督を務める。後の本人の口からいい意味でも、悪い意味でも「思い入れのある作品」と答えている。

  • 1986年  『Ζガンダム』の続編として『機動戦士ガンダムΖΖ』の総監督を務める。

  • 1986年  当時、ガンダムシリーズの最終作品として作られた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の監督・脚本を務める。

  • 1991年  新たなるガンダムシリーズとして作られた『機動戦士ガンダムF91』の監督・脚本を務める。

  • 1993年  『機動戦士Vガンダム』の総監督を務める。この頃から制作における混乱があまりにも大きく、ひどい鬱状態となり数年間はアニメ監督をやっていない。(脚本や絵コンテはしている)

  • 1994年  漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(作画は長谷川裕一)。原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作に携わった。同作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編的物語で、1997年まで連載。

  • 1996年  初のOVA作品の『ガーゼィの翼』の監督をする。

  • 1998年  WOWOW初のオリジナル有料アニメ『ブレンパワード』の総監督を務める。93年の『機動戦士Vガンダム』以来5年ぶりのTV作品放映。

  • 1998年  『ガンダム』誕生20周年記念作品として、『∀ガンダム』の総監督を務める。この頃に安田朗と出会いカプコンによる「ガンダムのゲーム作っていいですか?」という質問に「いいよ」と答えたのが、ガンダムゲームの代表作のひとつである『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』である。

  • 2002年  再びWOWOWでのオリジナル有料アニメ『OVERMANキングゲイナー』の総監督を務める。

  • 2004年  上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」となった。

  • 2005年  劇場版『機動戦士Ζガンダム』三部作を制作し、順次公開。映画『ローレライ (映画)|ローレライ』には、反乱軍として通信所を占拠する海軍大尉としてカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から自身初のWEBアニメ『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年  映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧




    [ 鉄腕アトム ]
    * 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。余談だが、『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり『機動戦士ガンダム』の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った(ちなみに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)。今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと\xA1 8@$o$l!"0BI'NIOB$K$h$l$P!V2h$rIA$/l$GE,Ev$K%+%C%H$7$F$$$?$=$&$G$"$k!#$=$l$G$bFC$KJ86g$r8@$C$F$3$J$$$?$a!V7Z$$1i=P2H!W$H$N0u>]$r;}$C$F$$$?$,!"%,%s%@%`@=:n;~$KKDBg$J@_Dj$r;}$A9~$`$N$r$_$F9M$($r2~$a$?$H$$$&!#


    [ 海のトリトン ]
    * 実質的に初のチーフ・ディレクター(1968年の『夕やけ番長』が初チーフディレクター作品だが、実際には初期数話に関わった程度)。
    手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン ]
    * 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト ]
    * 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。


    [ しあわせの王子 ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星 ]
    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3 ]
    * 原作(共同原作/鈴木良武)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3 ]
    * 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により\xA1 Ev=i$N52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく。本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司『絶望に効くクスリ ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)


    [ ザ☆ウルトラマン ! ]
    * 絵コンテ・演出

  • 確認できる範囲で2007年時点における、富野が自作以外で演出を担当した(単発作品やOP・ED等を除く)最後の作品である。


    [ 伝説巨神イデオン ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場版) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「スターチルドレン」(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため。タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「哀 戦士」(テーマソング)、「風にひとりで」(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「疾風ザブングル」(オープニング)、「乾いた大地」(エンディング)「HEY YOU」「わすれ草(そう)」(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇 ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「セーリング フライ」(『接触篇』挿入歌)、「海に陽に」(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「ダンバインとぶ」(オープニング)、「みえるだろうバイストン・ウェル」(エンディング)作詞
    ファミリーコンピューターが発売したばかりの年でもある当時の日本では、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジー作品があまり認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、実在するテクノロジーと異なったメカニズムを取り入れ、ファンタジー的異世界を舞台とした同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。


    [ ザブングル グラフィティ ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。


    [ 銀河漂流バイファム ]
    * 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「スターライト・シャワー」(エンディング)、「傷ついたジェラシー」(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野監督の単一の作品としては総話数が最も多い(全54話)。


    [ 機動戦士Ζガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 井荻麟名義で「Ζ・刻をこえて」(前期オープニング)、「星空のBelieve」(エンディング)、「銀色ドレス」(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で「一千万年銀河」(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なる路線が災いしてファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」はやらないと語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。


    [ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ]
    * 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91 ]
    * 原作・監督・脚本(伊東恒久と協同)・絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ 機動戦士Vガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で「STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー」(前期オープニング)、「ひなげしの旅のむこうに」「いくつもの愛をかさねて」(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい欝状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていた、と著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しをつけ、ファンを驚愕ぁ 5$;$?!#


    [ 機動武闘伝Gガンダム ]
    * 絵コンテ・脚本「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、スポンサーの一方的な都合で監督を降ろされたが、次作のガンダムの内容に絶対にプロレスをやるように監督の今川をはじめとするスタッフに指示した。クレジットにこそ名前はないが実はこっそり協力していた。


    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼 ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。富野が鬱化していく最中に製作された事もあり、全体に精彩を欠く感は否めない。後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。


    [ ブレンパワード ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「愛の輪郭(フィールド)」(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインに自らの嗜好に合わないとしながらいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「ターンAターン」(前期オープニング)、「CENTURY COLOR」(後期オープニング)、「月の繭」(後期エンディング)、「月の魂」「宵越しの祭り」(劇中歌)、「月下美人」(挿入歌)、作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。シドがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、福井版では富野監督による初期構想のシナリオに沿っている。!


    [ OVERMANキングゲイナー ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「キングゲイナー・オーバー!」(オープニング)、「本当かい!」「ミイヤの祭り」「デビルズ・アイシング」(劇中歌)、「氷の上のおやすみなさい」(挿入歌)、作詞再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用、ヒーロー\xA1 MWAG$H4]$/2DF0@-$N9b$$%G%6%$%s$rN>N)$7$?!#:n2h$O9b?e=`$G0BDj$7!":n2hKg?t$NB?$$Bh1話や、意表をつくアクションの第14話、原画や動画に著名な作画監督やスタジオがお祭りのごとく多数参加した最終話が例としてよく挙げられる。若手のスタッフが「いかに凄惨に描くか」を話していた時に、「もう悲惨な話はいいよ」と諭したことなどから、心理的に立ち直った事も伺える。視聴者層が限られていたとはいえ、作品自体は総じて軒並み高評価で、「ファーストガンダム以来の傑作」とする人も少なくない。


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶 ]


  • 原作・総監督
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3本だったのに、50話の『∀ガンダム』を2本にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い。また『地球光』のラストは「夜中の夜明け」までだが、マニューピチでのエピソードを飛ばして『月光蝶』が始まるなど、重要な話が省かれてしまっている。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼 ]
    * 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で「はじめてのおっぱい」(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督


    [ 機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督



    小説他著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム
    :1979年から1981年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1987年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。全3巻。
    ・機動戦士Ζガンダム
    :単行本は1985年から1986年に講談社から刊行。文庫版は1987年に角川書店から角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処(ところ)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(前・中・後)
    :1987年から1991年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。2002年に徳間デュアル文庫から『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』(雑誌『アニメージュ』連載時のタイトル)に改題して収録。
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン
    :1988年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。;機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上・下)
    :1991年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
    ・機動戦士Vガンダム
    :1993年から1994に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ;密会――アムロとララァ(上・下)
    :1997年に角川書店(角川mini文庫)から刊行。2000年に上下巻を全1巻にまとめて角川スニーカー文庫に収録。


    [ ガイア・ギア ]
    ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ]
    角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが現在では本作もほぼ「正史」として見られているようである。


    [ 機動戦士クロスボーン・ガンダム ]
    『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」と\xA1 $OG'$a$i$l$F$$$J$$$,!"IYLn$,L!2h86:nl$7$?;v$K$h$j!"K\:n$b$[$\!V@5;K!W$H$7$F8+$i$l$F$$$k$h$&$G$"$k!#


    [ 伝説巨神イデオン ]

    1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。

  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より
    :1984年から1986年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。1986年に角川文庫に収録。全6巻。
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)
    :1986年から1987年に角川書店(角川文庫)から刊行。
    ・オーラバトラー戦記
    :1986年から1992年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。2000年から2001年に角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼
    :1995年から1997年にアスペクト (企業)|アスペクト(ログアウト冒険文庫)から刊行。全5巻。


    [ 破嵐万丈シリーズ ]

    1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。
    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ ]

    1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。

  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして ]

    1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。


    [ 王の心 ]

    1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。
    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主に『Vガンダム』監督前から『∀ガンダム』放映終了のもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    原作名義作品

    富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたアナザーガンダムにもテロップでは「原作者」とされている。

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

  • 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY

  • 機動武闘伝Gガンダム

  • 新機動戦記ガンダムW

  • 機動新世紀ガンダムX

  • 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz

  • 機動戦士ガンダム 第08MS小隊

  • 機動戦士ガンダムSEED

  • SDガンダムフォース

  • 機動戦士ガンダムSEED DESTINY

  • 機動戦士ガンダム MS IGLOO

  • 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER

  • 機動戦士ガンダム00その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダムなどにも必ず名前が入っている。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ


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    2007年10月27日

    映画監督[水野晴郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎 (みずの はるお, 1931年7月19日 - ) は、映画評論家、映画監督、倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫。マイク・ミズノ (Mike Mizuno) の愛称でも知られている。




    経歴




    [生い立ち]

    1931年、岡山県高梁市に生まれた水野は満州で育ち、戦後岡山に引き揚げ、慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。


    [映画界に]

    1956年に、20世紀フォックス映画に入社し映画界に。その後日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (アルバム)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも彼であるとされる。独立後は日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(当初は『水曜ロードショー』)の解説を担当。名文句?いやぁ〜、映画って本当にいいもんですねぇ?とともに、お茶の間の人気を集める。映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。


    [ ?シベ超」]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、?シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    警察マニアの一面

    水野は警察マニアとしても有名で、アメリカ合衆国|アメリカで保安官補佐の資格をとったり、パトカーの音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。現在でも日本各地の警察、警察大学、警察学校で講演しているという。 また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されている。在の日本のパトカーのパトランプの形は、水野が提案したものが採用されている。



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    関連事項


  • 西田和昭

  • ナンシー関



    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム (公式サイト)

  • 水野晴郎研究室 (倉敷芸術科学大学)

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    2007年10月26日

    映画監督[SABU]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    SABU



    SABU(さぶ、サブ、サブゥー)*SABU (映画監督)(サブ) - 日本の俳優・映画監督(1964年 - )。代表作に『弾丸ランナー』など。

  • SABU 〜さぶ〜 - 2002年にテレビ朝日系で放送された名古屋テレビ制作のテレビドラマ。劇場公開もされた。

  • SABU(サブゥー) - アメリカ合衆国出身のプロレスラー、テリー・ブルンクのリングネーム(1963年 - )。



    関連項目


  • サブ(曖昧さ回避)

  • さぶ(曖昧さ回避)

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    2007年10月25日

    映画監督[滝田洋二郎]

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    滝田洋二郎



    滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年生まれ)は、映画監督。富山県出身。



    監督作品


  • コミック雑誌なんかいらない!(1986年)

  • 木村家の人々(1988年)

  • 病院へ行こう(1990年)

  • 病は気から 病院へ行こう2(1992年)

  • 僕らはみんな生きている(1993年)

  • 眠らない街 新宿鮫(1993年)

  • 熱帯楽園倶楽部(1994年)

  • シャ乱Qの演歌の花道(1997年)

  • お受験(1999年)

  • 秘密(1999年)

  • 陰陽師(2001年)

  • 壬生義士伝(2003年)

  • 陰陽師2(2003年10月)

  • 阿修羅城の瞳(2005年4月)


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    2007年10月24日

    映画監督[北村龍平]

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    北村龍平



    北村 龍平(きたむら りゅうへい、1969年5月30日 - )は、DGA(アメリカ映画TV監督組合)に所属する日本人映画監督。大阪生まれ。



    経歴
    大阪の高校中退後、17歳でオーストラリアへ渡り、スクール・ オブ・ビジュアル・アーツ映画科に入学。卒業制作の短編映画『EXIT -イグジット-』が高い評価を受け、年間最優秀監督賞を受賞する。帰国後、1995年に映像集団ナパームフィルムズを結成、自主制作映画『DOWN TO HELL』が第1回インディーズムービー・フェスティバルでグランプリを受賞し、渡部篤郎主演で『ヒートアフターダーク』を製作する。その後インディーズムービー・フェスティバルのスカラシップ作品として監督した『VERSUS ヴァーサス』で名を知られるようになる。その後『あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』などの大作を監督する。そのビッグマウスと豪胆な風貌から国内の評価は分かれるが、海外での鼻 >2A$O9b$/!XVERSUS ヴァーサス』はかのジャン=リュック・ゴダールも『アワーミュージック』(2004年)に引用したと述べている。『VERSUS ヴァーサス』でローマ国際ファンタスティック映画祭監督賞、『荒神』でブリュッセル国際ファンタスティック映画祭監督賞、『あずみ』でフィラデルフィア国際映画祭観客賞を受賞。



    評価・評判・興行価値
    *なお、彼の作品は『あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』など歴代の人気漫画・シリーズを手がける際、国内のファンから批判されるものも少なからず存在しており、「どこかで見たようなビジュアル」「本人のビッグマウスに作品の評価がついて行ってない」などの手厳しい評価を下される事も多い。

  • ストーリーと上映時間が合致しないのも、北村評では定番の見解。アクションだけの映画で2時間以上であるとか、3時間のラブサスペンス「Lovedeath」等、これが北村作品の興行価値を落としている一番の要因とも云われている。初期作品で上映時間を巡って映像編集の掛須秀一ともかなりの確執があったと、自身もDVDコメンタリで述べている。

  • 北村の作品「あずみ」(約15億円)「ゴジラ FINAL WARS」(12.6億円)の2本が自身、最高興収部類に入るが、両作共、駄作と評される声が多く、「ゴジラを殺した男」と云う辛辣な意見もある。

  • 「Versus」の国際映画祭での上映で、一気に北村人気に火がつく。特にホラーとアクションをブレンドした作りは、一見チープに見えるも、そのチープさを覆い隠す勢いが北村作品にある。しかしこの手の展開が毎度続き、観客を飽きさせてるのも同時に事実でもある。



    北村とハリウッド
    *「Versus」の成功で、ハリウッドのミラマックス・フィルムズ社が北村と複数年のファースト・ルック契約(企画を同社優先で検討出来る契約)を締結、年間数千万円の栄養費が支給されたと思われる。こうして北村=ハリウッド・コネクションは完成されたが、北村の進出第1弾へのサインを交わしたのはそれから4年後の事で、その作品はクライブ・バーカー原作の短編『ミッドナイト・ミートトレイン』と決定。2007年春に撮影開始、2008年早々にライオンズゲートによって世界配給される予定だが、ミラマックスは本作とは関係ない。

  • 新作を選んだ理由について北村は自称アクション・フィギアのコレクターである事をクライブ・バーカーの公式サイトで明かしており、「この20年同じフィギアばかり買っており、新しいアクションヒーローの登場を待望していた。その要素がこの企画にはある」と述べている。

  • 新作「ミッドナイト・ミート・トレイン」の脚本改稿過程で、原作者のクライブ・バーカーとの意見の相違がかなり見られたが、北村が自らのアイデアを最後まで押し通し、合意に達したと、バーカー自身の公式ウェブサイトで語っている。北村本人は映画ウェブIndiewire.comでこの件に関し、「原作のクライヴはかなり激怒したが、ヒットさせるため、敢えて自分のアイデアを推した。原作者の云われた通りにやったのでは来た意味がない」と、日本時代と同様、俺流を通したと述べている。



    その他
    *ハンドヘルド撮影(手持ちカメラ)を極端に嫌い、得意とするアクション・シーンではフィックス撮影、ドーリー撮影を多用する。

  • アメリカでの代理人はCAA(クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー)とマネージメント会社Anonymous Content社。ウォン・カーワイやアン・リー、デイヴィッド・フィンチャー、菊池凛子等もCAAに代理されている。



    主な監督作品



    [ 劇場用映画 ]
    * DOWN TO HELL(1997年)

  • ヒート・アフター・ダーク(1999年)

  • VERSUS (映画)|VERSUS -ヴァーサス-(2000年)

  • Jam Films 「the messenger -弔いは夜の果てで-」(2002年)

  • ALIVE (映画)|ALIVE -アライブ-(2003年)

  • あずみ (映画)|あずみ(2003年)

  • 荒神(2003年)

  • スカイハイ (漫画)#スカイハイ 劇場版|スカイハイ 劇場版(2003年)

  • LONGINUS(2004年) - DVD作品

  • ゴジラ FINAL WARS(2004年、東宝)

  • Bandage(2005年)

  • LOVEDEATH(2006年)

  • ミッドナイト・ミート・トレイン(2008年)


    [ ゲーム ]
    *メタルギアソリッド|METAL GEAR SOLID THE TWIN SNAKES(2004年) ※ムービー部分の演出


    [ CM ]
    *京セラ 携帯電話 A1403K(2004年)


    [ その他 ]
    *『長渕剛オールナイトライブin桜島DVD』

  • 『スカイハイ』(2003年/テレビ朝日)

  • 『スペシャルドラマ恋愛小説/月のしずく』(2006年/東京放送|TBS)

  • 『コミックフラッパー』にて漫画原作者として「マリオンハイド」連載(作画:加倉井ミサイル)



    外部リンク
    *Ryuhei Kitamura.com


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    2007年10月23日

    映画監督[伊藤大輔]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊藤大輔



    伊藤大輔(いとうだいすけ)* 伊藤大輔 (映画監督)(1898-1981)は、愛媛県出身の大正・昭和期の時代劇で有名な映画監督。

  • 伊藤大輔 (レーサー)(1975- )は、三重県出身のレーシングドライバー。

  • 伊藤大輔 (俳優)は、NHK教育製作のドラマ「虹色定期便」に出演していた子役。

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    2007年10月22日

    映画監督[富野由悠季]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    富野由悠季




    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。



    人物像

    旧名(本名)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、井荻麟というペンネームの由来は、日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻の亜々子と2人の娘。スタッフを殴ったり怒鳴りつけるなど、気性が激しいと言われている。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがある。しかし、その厳しい指導の成果は確かなものがあり、かつて富野の下で修行ぁ 7:n%"%K%a$r@8$_=P$7$?4FFD$O?tB?$$!#8eG/$NM&!5A!":#@nBY9(!"9b>>?.;J$J$I$bIYLn$N2<$G=$9T$7$?$H8@$o$l$k!#:#@nBY9($r!X5!F0IpF.EAGガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。フリーの頃、とにかく多くの作品に参加し、コンテをかなりのスピードで上げていったことから「コンテ千本切りの富野」という異名をとるようになる。業界では「富野に頼めば3日でコンテが上がる」と言われていた。コンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。『 (B富野諭 3M*5( 全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に就いてからも自ら多くのコンテを切り、スタッフに任せたコンテに満足できない時は忙しい時間を割いて自身で手直しをする事もある。『ザブングル』の時に顕著であった事例であるが、ほとんど自分のコンテになってしまった時でもスタッフロールの記載を変えることはしない。これは「手直しされた人間にもプライドというものがあるだろう」という配慮からである。大塚康生が語るところによると、富野が絵コンテとして参加しクレジットもされた『未来少年コナン』においては、監督の宮崎駿がほとんど自分でコンテを書き替えたことも少なくなかったということから、そうした経験も影響していると考えられている。しかし著書『映像の原則』の後書きでは「ただ彼らを甘やかしただけだったかもしれない」と書いている(ちなみに「ほとんど」という点についてだが、コンテというものは1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事にな\xA1 $C$F$7$^$&!K!#1i=P!&3(%3%s%F$N05E]E*$J7P83NL$rGX7J$H$9$k9b$$JT=8G=NO$K$ODjI>$,$"$k!#:G?7$N!X7`>lHG 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作るという離れ業をみせた。それだけの仕事をしながら、しばしばOP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズをしたりと、凄まじいまでの仕事の豊富さである。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹をアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムフ\xA1 %!%s$G$b$"$k;R0BIp?M$bJ#?t$N:nIJ$G5/MQ$5$l$?7k2L!"<+?H$N1i5;$N! I}$r99$K 9-$2$?!K!#1i5;$N;XF3$O87$7$/!"MW5a$K1~$($i$l$J$$;~$O%V!<%9$K6n$19~$s$GGM@<$rHt$P$9$[$I$N%@%a=P$7$V$j$O6/Nu$+$DM-L>$G$"$j!#:e8}Bg=u$r$O$8$a?70fN$H~!"@u@nM*$i$O$=$N87$7$5$K5c$-=P$7$?$H$$$&!JEv;~?7?M$@$C$?:e8}$K;j$C$F$OE47}@):[$^$G2C$($?;v$b$"$C$?$H8@$&!K!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G>9-OB$O!V%-%c%i$r;&$7$F9_$m$9!W$H$^$G8@$o$l$?$H$$$&0oOC$b$"$k!#<+$i%a%+$r%G%6%$%s$9$k;v$b$"$j!"FCD'E*$JMFKF$d%.%_%C%/$r9%$`!#$^$?!"%@%/%H$GJ$$o$l$?%2%k%0%0$NF9BN$d%(%k%a%9$N%S%C%H$d%6%/%l%m$KG[$5$l$?B?J}LL%9%i%9%?!<$J$I$N5!G=E*$J%G%6%$%s$b$"$k!#%S%0%6%`$d%>%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"&IJ2=$NG!2?$K$+$+$o$i$:!"LO7?2=$G$-$k%G%6%$%s$r>o$K?43]$1$?$H$$$&!#H`$O%a%+%G%6%$%sBG$A9g$o$;;~!"%U%!%_%l%9!&5JCcE9Ey$N8x$N>l$G$"$C$F$b!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7!"%9%?%C%U$,JD8}$9$k;v$b$"$C$?$H$5$l$k!#%"%K%a;o$d%F%l%S$J$I$NG^BN$KO*=PEY$,9b$$>e!";u$K0aCe$;$LJ*8@$$$+$i!"8,B=$d8,>y$rH~FA$! H$9$k?M$?$A$NH?46$rGc$&;v$b$"$k!#$?$@!"$=$N@h8+$NL@$HG=NO$rI>2A$9$k?M$b$$$k!#$^$?!"?';f$K:B1&$NLC$r$H5a$a$i$l$k$H!V4%:%0lZ3!W$H=q$-9~$`MM$K%A%c%l%s%8@:?@$r;V8~$9$k?MJ*$J$N$G!"?7:n$K$OI,$:2?$+?7$7$$;n$_$r@9$j9~$b$&$H$7$F%"%K%a%U%!%s$+$i935D$r^$r^$9$k$[$+5-O?E*$J%;!<%k%9$r@.$7?k$2!"Fs@$$^$G3hLv$9$k5\:j=Y$i%9%?%8%*%8%V%j@):n:nIJ$K%i%$%P%k0U<1$r;}$C$F$$$k!W$H$$$&$h$&$JH/8@$r$7$P$7$P$9$k!#5\:j!"9bH*7.$KBP$9$kI>2A$OHs>o$K9b$/!X富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して文化庁メディア芸術プラザ インタビューにおいて、「アニメを見るな!」「文芸、演劇、物語を見ないで映画、アニメが作れると思うな!」「アニメ以外のことに奮闘しろ」「修身・道徳、格言を学べ!」「大人から学ぶものなんてなにもない!」「映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい」「45歳までは君た\xA1 $A$bHT2s$G$-$k!#?M4V$N4pK\$O9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ!」と重みのあるアドバイスをしている。彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ。」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。



    作風

    監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品はセリフ回しが特徴的で、富野節と呼ばれる。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語っている。


    [ 作風に基づく異名 ]

    かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(「無敵超人ザンボット3」、「伝説巨神イデオン」、「聖戦士ダンバイン」、TV版「機動戦士Zガンダム」、「機動戦士Vガンダム」など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった。しかし、富野も好き好んでキャラを殺しているわけではなく、劇場版イデオン製作の際、スポンサーから声優のギャラの関係でキャラの殺害要求をされた時は、嫌だったという。一方でライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。そのため一部のファンのあいだで、暗く重い鬱展開の作品については「黒富野」、王道の作品やコミカルな作品は「白富野」と俗称されている。


    [ 登場キャラクターの特徴 ]

    主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインにはお姫様タイプというより、芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見てもいわゆる萌え系のような大きすぎる目のキャラクターは全く登場しない。例外はダンバインのチャム・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目\xA1 $NBg$-$$%-%c%i%/%?!<$rIA$/$$$N$^$?$`$D$_$r%-%c%i%/%?!<%G%6%$%s$K5/MQ$7$?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#


    [ エンディングの法則 ]

    『富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す』この命題の初出は、1980年代アニメ雑誌の読者投稿欄によるものである。「すでに気づいていた」という編集者のコメントや、作劇の単純な法則から、ある程度の認識を持つ富野作品ファンの間では周知の事実であったと思われる。富野作品全般がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためである。これは何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかが明確ではない。さらに先述の「皆殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。しかし逆に、『イデオン』『ダンバイン』『ザンボット3』の衝撃的な結末には再生をも予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。(注:本法則は『ザンボット3』から休養直前の『機動戦士Vガンダム』まで、名古屋テレビ放繊 w|名古屋テレビ系リアルロボット作品群に適用。『ブレンパワード』以降は前述の経緯から適用されない)。下記に富野監督作品の結末の詳細を記述する。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が主人公らの正義をくつがえす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】(※例外) 覚醒、仲間のもとへ帰還、大戦終結

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含め、全ての知的生命体が消滅

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含め、ほぼすべての主要登場人物の消失

  • エルガイム 【○】 支配階級の打破・革命 (主人公は人格崩壊した義妹とともに世捨て人に)

  • Ζガンダム 【×】 主人公の精神崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織

  • ガンダムΖΖ 【○】 戦争終結、主人公が家族と再会

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面にて奇跡があるも、あえて続編小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ|閃光のハサウェイ』まで敷衍するならバッドエンドとも言える

  • ガンダムF91 【○】 家族の理解と再生、愛する人との再会

  • Vガンダム 【×】 登場人物がたて続きに死亡、勝者のなき(見えない)戦争、終戦後の冬の情景





    経歴


  • 1941年  神奈川県小田原市生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。

  • 1964年  日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。山本とは学生時代にエピソードあり)を卒業し、手塚治虫主宰の虫プロダクションへ入社、制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受け、「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」と悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。
    : 本来実写作品の監督志望であったが、富野の大学卒業前、すでに大手映画会社は大学新卒者の採用をやめており、学部の関係上、就職口が虫プロダクションしかなかったとコメントしている。当時アニメは子供の漫画映画という認識しかなかったため、大の大人がおもちゃ屋の宣伝番組であるアニメの仕事をやるのは非常に恥ずかしかったと述べている。* 1967年  虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年  オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになりタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年  結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。このころに埼玉県新座市に引っ越す(『ダイターン3』の「シン・ザ・シティ」の元ネタとなる)。

  • 1972年  初の監督作品である『海のトリトン』の監督を務める。

  • 1975年  『勇者ライディーン』の監督を2クール(第26話)で降板する(後任は長浜忠夫)。出崎哲の後任として『ラ・セーヌの星』の3クール目(第27話 - 第39話)の監督を務める。

  • 1977年  創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。サンライズ初のアニメーション作品である『無敵超人ザンボット3』の総監督を務める。

  • 1978年  『無敵鋼人ダイターン3』の総監督を務める。

  • 1979年  自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督を務めるが、打ち切りとなる。この作品が後のロボットアニメーション業界に「人物群像」と「事件の経過」という展開を与える。

  • 1980年  『伝説巨神イデオン』の総監督を務めるがガンダムと同じく打ち切りとなる。

  • 1981年  映画『機動戦士ガンダム?』の総監督を務める。5月22日、映画『機動戦士ガンダム? 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年  『機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』、『戦闘メカ ザブングル』、『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督を務める。この頃から原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1983年  『聖戦士ダンバイン』の総監督、『ザブングル グラフィティ』の監督。『銀河漂流バイファム』の原作を務める。

  • 1984年  『重戦機エルガイム』の総監督を務める。

  • 1985年  自身初の続編シリーズ物の『機動戦士Ζガンダム』の総監督を務める。後の本人の口からいい意味でも、悪い意味でも「思い入れのある作品」と答えている。

  • 1986年  『Ζガンダム』の続編として『機動戦士ガンダムΖΖ』の総監督を務める。

  • 1986年  当時、ガンダムシリーズの最終作品として作られた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の監督・脚本を務める。

  • 1991年  新たなるガンダムシリーズとして作られた『機動戦士ガンダムF91』の監督・脚本を務める。

  • 1993年  『機動戦士Vガンダム』の総監督を務める。この頃から制作における混乱があまりにも大きく、ひどい鬱状態となり数年間はアニメ監督をやっていない。(脚本や絵コンテはしている)

  • 1994年  漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(作画は長谷川裕一)。原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作に携わった。同作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編的物語で、1997年まで連載。

  • 1996年  初のOVA作品の『ガーゼィの翼』の監督をする。

  • 1998年  WOWOW初のオリジナル有料アニメ『ブレンパワード』の総監督を務める。93年の『機動戦士Vガンダム』以来5年ぶりのTV作品放映。

  • 1998年  『ガンダム』誕生20周年記念作品として、『∀ガンダム』の総監督を務める。この頃に安田朗と出会いカプコンによる「ガンダムのゲーム作っていいですか?」という質問に「いいよ」と答えたのが、ガンダムゲームの代表作のひとつである『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』である。

  • 2002年  再びWOWOWでのオリジナル有料アニメ『OVERMANキングゲイナー』の総監督を務める。

  • 2004年  上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」となった。

  • 2005年  劇場版『機動戦士Ζガンダム』三部作を制作し、順次公開。映画『ローレライ (映画)|ローレライ』には、反乱軍として通信所を占拠する海軍大尉としてカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から自身初のWEBアニメ『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年  映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧




    [ 鉄腕アトム ]
    * 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。余談だが、『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の念もあり『機動戦士ガンダム』の製作時には「コナンを潰すのが目標」と語っていたが、番組終了時には「遂にコナンは一度も抜けなかった」と語った(ちなみに何でも反論するという宮崎駿は、コナンでは誰のコンテでも全て自分で書き直していたそうだ)。今ではその宮崎にも劣らぬ計算され尽くされたコンテは高い評価を受けている。元々映画系志望だっただけにリミテッド・アニメとは指向が違っていたと\xA1 8@$o$l!"0BI'NIOB$K$h$l$P!V2h$rIA$/l$GE,Ev$K%+%C%H$7$F$$$?$=$&$G$"$k!#$=$l$G$bFC$KJ86g$r8@$C$F$3$J$$$?$a!V7Z$$1i=P2H!W$H$N0u>]$r;}$C$F$$$?$,!"%,%s%@%`@=:n;~$KKDBg$J@_Dj$r;}$A9~$`$N$r$_$F9M$($r2~$a$?$H$$$&!#


    [ 海のトリトン ]
    * 実質的に初のチーフ・ディレクター(1968年の『夕やけ番長』が初チーフディレクター作品だが、実際には初期数話に関わった程度)。
    手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン ]
    * 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト ]
    * 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。


    [ しあわせの王子 ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星 ]
    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3 ]
    * 原作(共同原作/鈴木良武)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3 ]
    * 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により\xA1 Ev=i$N52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく。本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司『絶望に効くクスリ ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11号でのインタビューにて)


    [ ザ☆ウルトラマン ! ]
    * 絵コンテ・演出

  • 確認できる範囲で2007年時点における、富野が自作以外で演出を担当した(単発作品やOP・ED等を除く)最後の作品である。


    [ 伝説巨神イデオン ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場版) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「スターチルドレン」(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため。タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「哀 戦士」(テーマソング)、「風にひとりで」(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「疾風ザブングル」(オープニング)、「乾いた大地」(エンディング)「HEY YOU」「わすれ草(そう)」(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇 ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「セーリング フライ」(『接触篇』挿入歌)、「海に陽に」(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「ダンバインとぶ」(オープニング)、「みえるだろうバイストン・ウェル」(エンディング)作詞
    ファミリーコンピューターが発売したばかりの年でもある当時の日本では、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジー作品があまり認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、実在するテクノロジーと異なったメカニズムを取り入れ、ファンタジー的異世界を舞台とした同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。


    [ ザブングル グラフィティ ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。


    [ 銀河漂流バイファム ]
    * 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「スターライト・シャワー」(エンディング)、「傷ついたジェラシー」(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野監督の単一の作品としては総話数が最も多い(全54話)。


    [ 機動戦士Ζガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 井荻麟名義で「Ζ・刻をこえて」(前期オープニング)、「星空のBelieve」(エンディング)、「銀色ドレス」(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で「一千万年銀河」(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なる路線が災いしてファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」はやらないと語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。


    [ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ]
    * 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91 ]
    * 原作・監督・脚本(伊東恒久と協同)・絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ 機動戦士Vガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で「STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー」(前期オープニング)、「ひなげしの旅のむこうに」「いくつもの愛をかさねて」(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい欝状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていた、と著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません!」との見出しをつけ、ファンを驚愕ぁ 5$;$?!#


    [ 機動武闘伝Gガンダム ]
    * 絵コンテ・脚本「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、スポンサーの一方的な都合で監督を降ろされたが、次作のガンダムの内容に絶対にプロレスをやるように監督の今川をはじめとするスタッフに指示した。クレジットにこそ名前はないが実はこっそり協力していた。


    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼 ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。富野が鬱化していく最中に製作された事もあり、全体に精彩を欠く感は否めない。後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。


    [ ブレンパワード ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「愛の輪郭(フィールド)」(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインに自らの嗜好に合わないとしながらいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「ターンAターン」(前期オープニング)、「CENTURY COLOR」(後期オープニング)、「月の繭」(後期エンディング)、「月の魂」「宵越しの祭り」(劇中歌)、「月下美人」(挿入歌)、作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。シドがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、福井版では富野監督による初期構想のシナリオに沿っている。!


    [ OVERMANキングゲイナー ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「キングゲイナー・オーバー!」(オープニング)、「本当かい!」「ミイヤの祭り」「デビルズ・アイシング」(劇中歌)、「氷の上のおやすみなさい」(挿入歌)、作詞再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用、ヒーロー\xA1 MWAG$H4]$/2DF0@-$N9b$$%G%6%$%s$rN>N)$7$?!#:n2h$O9b?e=`$G0BDj$7!":n2hKg?t$NB?$$Bh1話や、意表をつくアクションの第14話、原画や動画に著名な作画監督やスタジオがお祭りのごとく多数参加した最終話が例としてよく挙げられる。若手のスタッフが「いかに凄惨に描くか」を話していた時に、「もう悲惨な話はいいよ」と諭したことなどから、心理的に立ち直った事も伺える。視聴者層が限られていたとはいえ、作品自体は総じて軒並み高評価で、「ファーストガンダム以来の傑作」とする人も少なくない。


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶 ]


  • 原作・総監督
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3本だったのに、50話の『∀ガンダム』を2本にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い。また『地球光』のラストは「夜中の夜明け」までだが、マニューピチでのエピソードを飛ばして『月光蝶』が始まるなど、重要な話が省かれてしまっている。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼 ]
    * 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で「はじめてのおっぱい」(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督


    [ 機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督



    小説他著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム
    :1979年から1981年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1987年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。全3巻。
    ・機動戦士Ζガンダム
    :単行本は1985年から1986年に講談社から刊行。文庫版は1987年に角川書店から角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処(ところ)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(前・中・後)
    :1987年から1991年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。2002年に徳間デュアル文庫から『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』(雑誌『アニメージュ』連載時のタイトル)に改題して収録。
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン
    :1988年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。;機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上・下)
    :1991年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
    ・機動戦士Vガンダム
    :1993年から1994に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ;密会――アムロとララァ(上・下)
    :1997年に角川書店(角川mini文庫)から刊行。2000年に上下巻を全1巻にまとめて角川スニーカー文庫に収録。


    [ ガイア・ギア ]
    ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ]
    角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが現在では本作もほぼ「正史」として見られているようである。


    [ 機動戦士クロスボーン・ガンダム ]
    『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」と\xA1 $OG'$a$i$l$F$$$J$$$,!"IYLn$,L!2h86:nl$7$?;v$K$h$j!"K\:n$b$[$\!V@5;K!W$H$7$F8+$i$l$F$$$k$h$&$G$"$k!#


    [ 伝説巨神イデオン ]

    1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。

  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より
    :1984年から1986年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。1986年に角川文庫に収録。全6巻。
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)
    :1986年から1987年に角川書店(角川文庫)から刊行。
    ・オーラバトラー戦記
    :1986年から1992年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。2000年から2001年に角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼
    :1995年から1997年にアスペクト (企業)|アスペクト(ログアウト冒険文庫)から刊行。全5巻。


    [ 破嵐万丈シリーズ ]

    1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。
    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ ]

    1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。

  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして ]

    1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。


    [ 王の心 ]

    1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。
    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主に『Vガンダム』監督前から『∀ガンダム』放映終了のもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    原作名義作品

    富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたアナザーガンダムにもテロップでは「原作者」とされている。

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

  • 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY

  • 機動武闘伝Gガンダム

  • 新機動戦記ガンダムW

  • 機動新世紀ガンダムX

  • 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz

  • 機動戦士ガンダム 第08MS小隊

  • 機動戦士ガンダムSEED

  • SDガンダムフォース

  • 機動戦士ガンダムSEED DESTINY

  • 機動戦士ガンダム MS IGLOO

  • 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER

  • 機動戦士ガンダム00その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダムなどにも必ず名前が入っている。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ


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    2007年10月21日

    映画監督[岩井俊二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    岩井俊二



    岩井 俊二(いわい しゅんじ、1963年1月24日 - )は、宮城県仙台市出身の映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。脚本家としては、網野 酸(あみの さん)というペンネームを用いることもある。



    概要

    仙台第一高等学校を経て、1987年、横浜国立大学教育学部美術学科卒。学生時代から小説家を目差し、美術の学科に入ったのもその道に影響すればいいと思ったため。絵はあくまでも趣味で描き、漫画の持込みなどもした。卒業後は就職活動をせず、とにかく映像関係の仕事に就きたいとアルバイトとして人脈を広げた。1988年、ビーイングなどのミュージック・ビデオの仕事を始める。1993年、テレビドラマ『If もしも|ifもしも〜打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を演出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。同作品は再編集され、1994年劇場公開される。1995年、初の長編映画『Love Letter』を監督。日本でも好評だったが、韓国では特に爆発的な人気を呼んだ。これに続く『スワロウテイル』は賛否両論あったが、岩井の知名度を大きく上げた作品である。その後長編・短編作品を順調に公開し、独特な映像美から「岩井美学」などと呼ばれるようになる。初めてドキュメンタリーを発表した1999年頃から劇映画の監督業以外にもフィールドを広げ、2000年には庵野秀明監督『式日』に俳優とし\xA1 $F=P1i!#?7$7$$5;=Q$K$bL4Cf$G!"F1G/%$%s%?!<%M%C%H>e$NEE;R7G<(HD|BBSを使った大衆参加による小説『リリイ・シュシュのすべて』を完成、映画化する。この映画もまたHD24Pという、フィルム表現に近いデジタル撮影による新しい方法で行われ、仮編集はアップルコンピュータ|ApplePowerBookが用いられた。この撮影法をいち早く取り入れた一人である。また、2003年にはWEB配信という新しい上映方法で『花とアリス(ショートフィルム)』を公開。2004年4月1日からオフィシャルのウェブページでシナリオ募集していた『しな丼』のコーナーを閉鎖し、「戯作通信」こと『playwoks(プレイワークス)』というウェブサイトを開設、また合わせてラジオ番組、『円都通信』がスタート。この『playwoks』(『しな丼』)で扱われたシナリオがラジオドラマとして毎週放送されている。



    作品




    [ 映像作品 ]




    [ テレビドラマ ]


  • 見知らぬ我が子 (1991年、テレビドラマ|TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 殺しに来た男 (1991年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • マリア (1992年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語 「蟹缶」(1992年、監督)

  • 夏至物語 (1992年、TVドラマ「薔薇DOS」、脚本・監督)

  • オムレツ (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • GHOST SOUP (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 雪の王様 (1993年、「TV-DOS-T」、脚本・監督)

  • FRIED DRAGON FISH (1993年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? (1993年、「If もしも 」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語「ルナティック・ラヴ」 (1994年、脚本・監督)


    [ 映画 ]


  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? (1994年、脚本・監督)

  • PiCNiC (1994年、脚本・監督)

  • Undo_(映画)|undo (1994年、脚本・監督)

  • Love Letter (1995年、脚本・監督)

  • スワロウテイル (1996年、脚本・監督)

  • ACRI (1996年、原作・脚本)

  • 四月物語 (1998年、脚本・監督・音楽(CLASSIC名義))

  • リリイ・シュシュのすべて (2001年、脚本・監督)

  • Jam Films 「ARITA」(2002年、脚本・監督・音楽)

  • 花とアリス|花とアリス(ショートフィルム) (2003年、脚本・監督・音楽)
    ※web配信とDVD-Video(キットカットと同梱。現在は配信・生産共に終了)

  • 花とアリス (2004年、脚本・監督・音楽)

  • 市川崑物語(2006年、脚本・監督・編集)


    [ ドキュメンタリー ]


  • 少年たちは花火を横から見たかった(1999年)

  • 六月の勝利の歌を忘れない(2002年)


    [ ミュージックビデオ ]


  • ZARD
    Good-bye My Loneliness(1991年)
    不思議ね…(1991年)
    もう探さない (シングル)|もう探さない(1991年)

  • 大事MANブラザーズバンド
    うたをうたおう(1992年)

  • 東京少年
    Getting Home(1991年)
    陽のあたる坂道で(1991年)
    Love you,So long(1991年)

  • Merry Christmas To You/前田亘輝(1991年)

  • 見つめるだけで/陣内大蔵(1993年)

  • 素敵なバーディー (NO NO BIRDY)/サザンオールスターズ(1993年)

  • 毛ぼうし(ニットキャップマン)/ムーンライダーズ(1996年、短編VC、脚本・監督)

  • フィルム 空の鏡/松たか子(1997年)

  • Lily Chou-Chou
    グライド(2000年)
    共鳴(空虚な石)(2000年)
    飛べない翼(2001年)

  • LOVE PiECE|クムリウタ/大塚愛(2007年)


    [ 網野酸名義での作品 ]


  • 虹の女神 (2006年10月28日公開、脚本)


    [ラジオドラマ]


  • カルシウム (2004年6月、脚本(共著))

  • Bandage (2005年2月、脚本(共著))

  • MY LITTLE HONDA (2005年9月、脚本(共著))


    [ 著作 ]


  • Love Letter (1995年、小説)

  • スワロウテイル (1996年、小説)

  • トラッシュバスケット・シアター (1997年、自伝的エッセイ)

  • ウォーレスの人魚 (1997年、小説)

  • マジック・ランチャー (1998年、庵野秀明との対談本)

  • リリイ・シュシュのすべて (2001年、小説)



    出演作品


  • 式日(2000年)



    関連項目


  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 円都通信

  • 戯作通信


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    2007年10月20日

    映画監督[野村芳太郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    野村芳太郎



    野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年4月23日 - 2005年4月8日)は、日本の映画監督。京都府出身。父は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた野村芳亭(ほうてい)。慶應義塾大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。第二次世界大戦後の1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、1952年に『鳩』で監督デビューした。時代劇、メロドラマなど多様な娯楽作品を撮るが、野村芳太郎の名を広めたのは、松本清張の小説を映画化した『張込み』(1958年)。1974年に製作した『砂の器』で、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞、1978年には松本清張と共に製作プロダクション『霧プロ』を設立したが、1984年に解散した。また、製作者として『八甲田山 (映画)|八甲田山』、『キネマの天地』を手掛けた。野村の門下生には山田洋次、森崎東がいる。2005年4月8日、肺炎のため死去。享年85。



    作品


  • 拝啓天皇陛下様

  • 砂の器

  • ゼロの焦点

  • 影の車

  • 鬼畜

  • 疑惑 (映画)|疑惑

  • ダメおやじ

  • 八つ墓村

  • 迷走地図


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    2007年10月19日

    映画監督[金子修介]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    金子修介



    金子 修介(かねこ しゅうすけ、1955年6月8日 - )は、日本の映画監督。東京都渋谷区出身。東京都立三鷹高等学校、東京学芸大学卒業後、にっかつロマンポルノで監督デビューし、後に一般映画に転向する。また、大学卒業時に小学校教員国語科の教員免許を取得している。1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、1996年に『ガメラ2 レギオン襲来』で第17回日本SF大賞を受賞。



    略歴

    東京学芸大学では、映像芸術研究会に所属。押井守の直接の後輩にあたる。商業デビューは、押井の手がけていた『うる星やつら』テレビシリーズ版第3話の脚本(1981年)だった。また、劇作家・演出家・俳優の野田秀樹とは渋谷区立幡代小学校の同学年。ロマンポルノでは山本奈津子・イヴ (AV女優)|イヴ・水島裕子・かとうみゆき、一般映画では深津絵理・小沢なつき・中山美穂・宮沢りえ・斉藤由貴・織田裕二・佐伯日菜子らなどから、最近では優香・上戸彩・藤原竜也まで、いわゆるアイドル映画を多く撮り、コメディ要素やマニアックな部分を交えながらも商業作品として成立させ、映画監督としての地位を築いた。『ゴジラvsモスラ』の大森一樹監督の降板の際には自ら監督立候補するなど、怪獣映画を作ることに関心を寄せ、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の成功で一躍怪獣映画の第一人者になった。



    評価等

    独特の作風を持ち、広く一般受けするとは言い難い癖のある作品が多いが、興行的に成功したヒット作品も多数手掛けている。映画監督としてはアイドル映画及び漫画が原作の作品を多く手がけているが、これはデビュー以後の時代的背景もあり、またそれを商品としてヒットさせるだけの力量が認められていたからでもある。しかし、劇中でのアイドルの存在感確立のために世界観その物を破壊する事も厭わない為、その作品に原作が存在する場合、原作ファンから批判を受ける事もある。『学校の怪談 (映画)#『学校の怪談3』(1997年)|学校の怪談3』『あずみ2 Death or Love』『神の左手悪魔の右手』など、他の監督の仕事を引き継ぐことも多い。日活時代の『みんなあげちゃう』(1985年)にはウルトラの母(ヒロインが女としての悩みを打ち明けるイメージシーンに登場、本人曰く「菩薩の象徴」)を出したりと彼のマニアックさが垣間見れるが、『1999年の夏休み』や『ウルトラQ dark fantasy』の「綺亞羅」などには耽美的なセンスもみられ、独特の個性が窺える。『ゴジラ』・『ガメラ』という、怪獣映画の B2大シリーズを撮った唯一の監督でもあり、『ゴジラVSガメラ』を撮るとしたら、最適任は彼だと言われている。彼のメッセージとして、『ウルトラマンマックス』の劇中でソフトビニールを使い、子供の遊びとしてゴジラ対ガメラを模写している。このシチュエーションは既に『ゴジラシリーズ』『ガメラシリーズ』両方で描写され、『ゴジラシリーズ』では『ゴジラ FINAL WARS』で亀のソフトビニール人形を子供が火の中に入れてしまうという場面があり、それを遡る事24年前の『宇宙怪獣ガメラ』でゴジラを皮肉ったシーンがあった。これに対し、『ウルトラマンマックス』内では金子は喧嘩両成敗として双方を怪獣の餌食にしている。しかし、『ガメラ』での試写会で、『ゴジラ』を侮辱した発言をしたことなどから、『ゴジラVSガメラ』を任せたくないとするファンも多い。さらに『ゴジラ』を撮った翌年には今度は『ガメラ』を侮辱する発言をしたこともある。また『ゴジラVSビオランテ』を見て、特撮に感動して川北紘一のファンになり、同映画を押井守に見せたりもしている(押井の感想は芳しいものではなかったという)、故に平成ゴジラの\xA1 FC;#$O9b$/I>2A$7$F$$$?!#5U$K<+:n$N!X%,%a%i!Y$N%U%!%s$,J?@.%4%8! %i$rC!$- $J$,$i%,%a%i$r>N$($kMM;R$K$O68?.E*$HNd$d$d$+$K8+$F$$$?$h$&$@!"6b;R$H@nKL$O8e$K%$%Y%s%H$GBPCL$7$F$$$k!#$^$?!XB46HN99T!&%K%[%s$+$iMh$^$7$?!Y$N;#1F=*N;8e!"A0:n$+$i%3%s%S$rAH$s$G$$$?D$r 『ガメラ3 邪神覚醒|ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』公開後、作品を受け入れられなかったファンが公式掲示板に批判文を書き込んでいたのに対し、自ら書き込みを行い「メイキングビデオのせいでわたしの印象が悪くなっている」として、それを企図したとして、特定のスタッフの名前をあげている。また「女優を魅力的に撮れる」という理由でオファーされたという『デスノート (映画)|デスノート』では週間集客ランキング1位を記録。さらに海外でも評価を受けており、漫画原作という題材自体が成功し辛いことも考えると、映画としては成功させたと言える。そして後編の『デスノート the Last name』は前編以上の大ヒットを記録し、人間ドラマを重視した演出・脚色は原作ファンからも好評を博した。



    作品




    [ 映画 ]


  • 宇能鴻一郎の濡れて打つ(1984年) - 劇場公開初監督作品

  • OL百合族19歳(1984年)

  • イヴちゃんの姫(1984年)

  • みんなあげちゃう(1985年)

  • いたずらロリータ。うしろからバージン(1986年)

  • 恐怖のヤッちゃん(1987年)

  • 山田村ワルツ(1988年)

  • 1999年の夏休み#映画『1999年の夏休み』|1999年の夏休み(1988年)

  • ラスト・キャバレー(1988年)

  • どっちにするの。(1989年)

  • 香港パラダイス(1990年)

  • 就職戦線異状なし(1991年)

  • 咬みつきたい(1991年)

  • ネクロノミカン(1993年)

  • 卒業旅行 ニホンから来ました(1993年)

  • 毎日が夏休み(1994年)

  • ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年)

  • ガメラ2 レギオン襲来(1996年)

  • 学校の怪談 (映画)#『学校の怪談3』(1997年)|学校の怪談3(1997年)

  • F [エフ](1998年)

  • ガメラ3 邪神覚醒|ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(1999年)

  • クロスファイア (小説)|クロスファイア(2000年)

  • ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)

  • 恋に唄えば♪(2002年)

  • あずみ2 Death or Love(2005年)

  • デスノート (映画)|デスノート(2006年6月17日公開)

  • 神の左手悪魔の右手#映画|神の左手悪魔の右手(2006年)

  • デスノート the Last name(2006年11月3日公開)


    [テレビドラマ]


  • ザ・サムライ(月曜ドラマランド) (1996年、フジテレビ)

  • ウルトラQ dark fantasy(2004年、テレビ東京)

  • スカイハイ (漫画)#TVドラマ|スカイハイ2 第1・2話(2004年1月、テレビ朝日)

  • ホーリーランド(2005年、テレビ東京)

  • ウルトラマンマックス(2005年、東京放送|TBS)


    [演劇]


  • 偽伝、樋口一葉監修(2006年、アロッタファジャイナ)



    著作


  • ガメラ監督日誌(1998年)

  • 失われた歌謡曲(1999年)



    関連項目


  • カルト映画



    外部リンク


  • Shusuke Kaneko Information Website(公式サイト)

  • 金子修介の雑記“Essay”(ブログ)


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    2007年10月18日

    映画監督[宮崎駿]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    宮崎駿



    宮崎 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身のアニメーション作家・映画監督・漫画家。埼玉県所沢市在住。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。学習院大学政治経済学部卒。株式会社スタジオジブリ(所在地:東京都小金井市梶野町1-4-25)に映画監督として所属し、取締役として経営にも参加している。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は「二馬力」で、主に氏の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。血液型はO型。



    来歴

    宮崎駿は、父親が親類の経営する「宮崎航空興学」の役員を務めていたために、太平洋戦争中に幼年時代を過ごしたにも関わらず、何不自由なく育った。しかし、疎開先の宇都宮市|宇都宮で空襲を受けたときに叔父の運転するトラックで宮崎一家が避難した際、知人とその子供の同乗を断って見捨てたことが負い目となって、宮崎駿のその後の人格形成や作品に大きく影響を与えた。会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことも軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。当時流行っていた社会主義思想に傾倒し、また手塚治虫に影響され、児童文学者・マンガ家を志すも才能なしと見切りをつけ大学卒業後、アニメータとして東映動画に入社する。たちまちその才能を現してメインスタッフとな\xA1 $k$H6&$K!"7k@.4V$bL5$$El1GF02hO+F/AH9g$N=q5-D9$K="G$$9$k!#7c$7$$AH9g3hF0$r9T$$$J$,$i9bH*7.!&BgDM9/@8$i$H6&$K!XB@M[$N2&;R%[%k%9$NBgKA81!Y$r:n$j>e$2$k!#$=$N8e$b宮崎駿・高畑勲・大塚康生のトリオはさまざまなスタジオで優れた作品を作り続ける。日本放送協会|NHKの『未来少年コナン』で監督として起用され、原作を大幅に改変したオリジナルのストーリーを展開して好評を得るが、次に手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』がサイエンス・フィクション|SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかったため、作家として社会に認知されるまでには至らなかった。日米合作作品『ニモ』の準備に関わる間も『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』の原型となる企画を提出したが採用には至らず、失意の宮崎駿に徳間書店の『アニメージュ』誌が連載マンガの企画を持ちかけ、同誌上で『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。同作品の人気に目をつけた徳間書店の社長が劇場アニメ化を決断し、『ルパ\xA1 %s;0@$ カリオストロの城』がテレビ放映されてその面白さが后 -$/宮崎駿が認知された
    その後は徳間書店の助力を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受け、国民的映像作家としての地位を確立。1989年の天安門事件及びベルリンの壁崩壊に端を発するソ連東欧諸国の民主化は宮崎に大きな衝撃を与え、社会主義陣営の敗北と自由主義陣営の勝利という現実を前に思想的転向を余儀なくされる。1992年の「紅の豚」以後は過激な内容は控えるようになる。2001年に発表した「千と千尋の神隠し」は「タイタニック」が持っていた日本映画界の興行記録を更新する304億円の興行収入を達成。同作品は2002年にはベルリン国際映画祭で金熊賞を、2003年には米国のアカデミーアワードで長編アニメーション映画賞を受賞するなど海外でも高く評価された。
     その一方で,金熊賞受賞の際のインタビューで「今の日本のアニメはどん詰まり」などと語るなど,自らの作品以外の日本アニメに対して極めて否定的な態度を取ることから,コアなアニメファン(日本のみならず海外も含む)からは同氏の姿勢に対する批判も多い。児童文学者を志していただけに、宮崎駿の作品はほぼ一貫して子供の目線に立ち、悪役を大人にすることが多い。作中に登場する食べ物を美味しそうにディテール豊かに描くことでも定評がある。一方で、戦史・軍事マニアとして知られ、甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に発揮されている。
    宮崎のこの方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の宮崎駿の雑想ノートという虚実織り交ぜた架空戦記物の不定期連載マンガがある(途中からタイトルは妄想ノートに変更され、現在は中断)。プロの声優を起用せず、俳優、女優を業ないとする芸能人に依頼する事が多い。その理由は、おたく嫌いが原因とも、あるいはかつて属した東映動画の草創期の長編作品が俳優、女優を起用していたことへの原点回帰であるとも言われている。
    また、声優を「娼婦の声」と評したことがあり、俳優と声優に要求される資質は必ずしも一致しないので、一部では批判も受けているようであるが、現在、日本の映画界に宮崎駿ほどのビッグブランドは存在せず、声優のみならずその作品に出演したいと思うタレントは多く、またジブリ作品広報側にも彼らを拒んで積極的に声優を使わなければならない理由も見あたらないので、真実は藪の中である。また手塚治虫が亡くなった時、皆追悼の言葉で手塚の偉業をたたえている中、宮崎は手塚が築いた日本アニメーションの基盤を痛烈に批判した(日本のアニメが極めて低予算で作られる事になったきっかけを作ったのは手塚だという事に対して。しかし低予算で作られる事になったが故に生まれたメリットが多く存在するのも事実である)。発言は様々な波紋を呼んだが、手塚を日本アニメの神様に祭り上げようとする一部の動きを牽制する一定の効果はあった。宮崎とその作品について語る際は、プロデューサーの鈴木敏夫、音楽の久石譲、作画の近藤喜文、色彩設計の保田道世といった、それぞれの分野における優秀な人材\xA1 $,!"5\:j$r8%?HE*$K;Y$(!"$^$?H`$N9b%l%Y%k$NMW5a$K1~$($k$Y$/NO$r?T$/$7$?$3$H$rK:$l$F$O$J$i$J$$!#0x$_$K!"5\:j4FFD$N7`>lMQD9JT:nIJ$K$O%?%$%H%k$K!V$N!W$,IU$/$b$N$,B?$/!"!V$N!W$NK!B'$HEy$H8@$o$l$F$$$k!#9bH*7.$N!V$[!W$NK!B'$HJB$SM-L>!#
    (例・・・「ルパン三世 カリオストロの城」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「もののけ姫」など。)また大の?子供好き」でも有名である。



    略歴


  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現総務相)、高島肇久(現外務報道官、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店社長)、有薗憲一(ベスト電器社長)の各氏がいる。

  • 1971年 Aプロダクションに移籍。

  • 1973年 ズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。

  • 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。

  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。

  • 1982年 1月よりアニメージュ誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。

  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。

  • 1987年 『天空の城ラピュタ』により大藤信郎賞受賞。

  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位。12月20日、東京都民文化栄誉章を受賞。

  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞。

  • 1994年 『風の谷のナウシカ』により第23回日本漫画家協会賞大賞を受賞。

  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞を受賞。

  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。

  • 2002年 『千と千尋の神隠し』にて毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。

  • 2003年 『千と千尋の神隠し』にてアカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞。

  • 2003年 埼玉県民栄誉賞を受賞。

  • 2004年 『ハウルの動く城』にてベネチア国際映画祭オゼッラ賞を受賞。

  • 2005年 ベネチア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞。



    作品




    [ 監督作品(劇場用アニメーション)]


  • 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)

  • 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)

  • 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)

  • 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)

  • 1989年 魔女の宅急便(脚本)

  • 1992年 紅の豚(原作・脚本)

  • 1997年 もののけ姫(原作・脚本)

  • 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)←お気に入り 志保 My Favorite by Shiho

  • 2004年 ハウルの動く城(脚本)


    [ 主要参加作品(劇場用アニメーション)]


  • 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)

  • 長靴をはいた猫(原画)

  • どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)

  • パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)

  • パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)

  • 耳をすませば(脚本・プロデューサー)

  • 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)


    [ 監督・演出作品(テレビアニメーション)]


  • ルパン三世 (TV第1シリーズ)の一部(Aプロ演出グループ名義)

  • 未来少年コナン

  • 死の翼アルバトロス(ルパン三世)(照樹務名義)

  • さらば愛しきルパンよ(ルパン三世)(照樹務名義)

  • 名探偵ホームズ(六話のみ)


    [ 主要参加作品(テレビアニメーション)]


  • アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)

  • 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン(場面設定・画面構成)(一〜十五話まで)


    [ そのほかの作品(漫画・絵物語など)]


  • 長靴をはいた猫

  • 砂漠の民(秋津三朗名義)

  • どうぶつ宝島

  • 風の谷のナウシカ

  • 宮崎駿イメージボード集

  • 宮崎駿の雑想ノート

  • 飛行艇時代

  • トトロの住む家

  • 泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート

  • シュナの旅

  • On Your Mark 〜ジブリ実験劇場(短編映画・CHAGE&ASKAのミュージックフィルム)

  • 『出発点 [1979〜1996]』(エッセイ集)

  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)




    備考

    下記のキャラクターのデザインも担当している。

  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」

  • 神奈川県「ゆめ 国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」

  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」

  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」

  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」




    関連書籍


  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)




    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)

  • Nausicaa.net (英語)


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    2007年10月17日

    映画監督[堤幸彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    堤幸彦



    堤 幸彦(つつみ ゆきひこ、1955年11月3日 - )は、日本の演出家、映画監督。オフィスクレッシェンドの取締役。活動初期は堤ユキヒコ名義を使用した。




    経歴

    愛知県名古屋市出身。愛知中学校・高等学校|愛知高等学校を経て、法政大学社会学部社会学科中退。学校法人東放学園卒業。TBS『EXPOスクランブル』(1985年)及び日本テレビ放送網|日本テレビ『コラーッ!とんねるず』(1985年〜1989年)のテレビディレクターから出発(コラとんでは、TBSには無断で行っていたため、「ハロルドKITAGAWA」「ローゼンKITAGAWA」「ローゼン堤」等の変名を使用)。数々のCMやプロモーションビデオの演出を手掛けながら、1988年オムニバス作品『バカヤロー! 私、怒ってます』の第4話「英語がなんだ」で劇場映画デビュー。テレビドラマ『金田一少年の事件簿』『ケイゾク』で話題となり、『池袋ウエストゲートパーク』、『トリック (テレビドラマ)|TRICK』シリーズなどスタイリッシュな作品で高い評価を得て著名になった。



    作品




    [ 映画 ]


  • バカヤロー! 私、怒ってます 第4話「英語がなんだ」(1988年) - 出演:小林薫、室井滋ほか。

  • ![ai-ou] (1991年) - 出演:柴田恭兵、錦織一清、大槻ケンヂ、岡部まりほか。

  • 金田一少年の事件簿|金田一少年の事件簿 上海魚人伝説(1997年) - 出演:堂本剛、ともさかりえほか。

  • トイレの花子さん|新生トイレの花子さん(1998年) - 出演:前田愛 (女優)|前田愛ほか

  • ケイゾク#映画版|ケイゾク/映画 Beautiful Dreamer(2000年) - 出演:中谷美紀、渡部篤郎ほか。

  • CHINESE DINNER(2001年)- 出演:柳葉敏郎、IZAMほか。

  • 溺れる魚(2001年)- 出演:椎名桔平、窪塚洋介ほか。

  • トリック劇場版(2002年)- 出演:仲間由紀恵、阿部寛ほか。

  • ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY(2002年) - 出演:嵐 (ジャニーズ)|嵐ほか。

  • Jam Films「HIJIKI」(2002年) - 出演:佐々木蔵之介ほか。

  • 恋愛寫眞(2003年) - 出演:広末涼子、松田龍平ほか。

  • 2LDK(2003年) - 出演:野波麻帆、小池栄子ほか。

  • ピカ☆☆ンチ LIFE IS HARDだからHAPPY(2004年) - 出演:嵐 (ジャニーズ)|嵐ほか。

  • SIREN|サイレン FORBIDDEN SIREN(2006年)- 出演:市川由衣、阿部寛ほか。

  • 明日の記憶(2006年)- 出演:渡辺謙、樋口可南子ほか。

  • トリック劇場版2(2006年)- 出演:仲間由紀恵、阿部寛ほか。

  • 大帝の剣 (映画)|大帝の剣(2007年)- 出演:阿部寛、長谷川京子、宮藤官九郎、竹内力ほか。

  • 自虐の詩(2007年公開予定)- 出演:中谷美紀、阿部寛ほか。

  • 包帯クラブ(2007年公開予定) - 出演:柳楽優弥、石原さとみほか。

  • 20世紀少年(2008年公開予定)

  • スシ王子 銀幕版(2008年公開予定)

  • まぼろしの邪馬台国(2008年秋以降公開予定)出演:吉永小百合、竹中直人ほか。


    [ テレビドラマ ]


  • 世にも奇妙な物語「城 (テレビドラマ)|城」(1992年、フジテレビ)

  • クリスマスキス〜イブに逢いましょう(1995年、テレビ東京)

  • 金田一少年の事件簿 (テレビドラマ)|金田一少年の事件簿(1995年、1996年、日本テレビ)

  • サイコメトラーEIJI(1997年、日本テレビ)

  • ぼくらの勇気 未満都市(1997年、日本テレビ)

  • ハルモニア この愛の涯て(1998年、日本テレビ)

  • ケイゾク(1999年、TBS)

  • プリズンホテル(1999年、テレビ朝日)

  • 俺たちの旅|新・俺たちの旅 Ver.1999(1999年、日本テレビ)

  • 池袋ウエストゲートパーク (テレビドラマ)|池袋ウエストゲートパーク(2000年、TBS)

  • トリック (テレビドラマ)|トリックシリーズ(2000年・2002年・2003年、テレビ朝日)
    トリック新作スペシャル(2005年11月、テレビ朝日) - 『日曜洋画劇場』特別企画として単発放送

  • ハンドク!!!(2001年、TBS)

  • 愛なんていらねえよ、夏(2002年、TBS)

  • Stand Up!!(2003年、TBS)

  • 劇団演技者。「アンラッキー・デイズ〜ナツメの妄想〜」(2004年、フジテレビ)

  • 世界の中心で、愛をさけぶ(2004年、TBS)

  • 加藤家へいらっしゃい! 〜名古屋嬢っ〜(2004年、名古屋テレビ)

  • 四谷くんと大塚くん/天才少年探偵登場の巻(2004年7月21日、TBS『水曜プレミア』)

  • H2〜君といた日々(2005年、TBS)

  • 巷説百物語「狐者異」(2005年3月、WOWOW)

  • 巷説百物語「飛縁魔」(2006年3月、WOWOW)

  • 下北サンデーズ(2006年、テレビ朝日)

  • スシ王子!(2007年、テレビ朝日)


    [ 舞台 ]


  • ロストタイム・ロストマイセルフ(2001年)中目黒ウッディーシアター - 出演:犬山犬子、小西康久ほか。

  • ISIKARI(2002 - 2003年)中目黒ウッディーシアター - 出演:小西康久、岩尾万太郎ほか。

  • GOCARAKU(2002 - 2003年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、佐藤二朗ほか。

  • 毒薬と、イ○ン・ソープ…(2003 - 2004年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、佐藤二朗ほか。

  • 理由なき反抗(2005年)グローブ座ほか - 出演:二宮和也(嵐 (ジャニーズ)|嵐)、貫地谷しほりほか。

  • 電車男(2005年) - 出演:武田真治、河原雅彦ほか。

  • 明解 日本語アクセント事変(2006-2007年)中目黒ウッディーシアター - 出演:野添義弘、半海一晃ほか。


    [ ビデオ ]


  • うしろゆびさされ組「マジカルうしろゆびツアー」(1987年、ポニーキャニオン)

  • 柴田恭兵「ONE ROUND JACK〜僕をさがして〜」(1989年、Kyohei Office自主製作)

  • 柴田恭兵「コンサート・AGAIN〜そしてこの夜に〜」(1990年、フォーライフレコード)

  • スリラーブラウン管(1991年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)

  • 君と見たい怖い話「ノミネート」(1991年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)

  • 鬼束ちひろ「眩暈/edge|edge」ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ(2001年、東芝EMI)

  • 安藤裕子「サリー」・「海原の月」ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ(2003年・2007年、cutting edge)

  • 大塚愛「LOVE PiECE #DVD|HEART」ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ(2007年、avex trax)



    外部リンク


  • 堤幸彦のページ(公式サイト)

  • 堤幸彦のページ(ブログ)(日記と空趣味写真)

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    2007年10月16日

    映画監督[篠田正浩]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    篠田正浩



    篠田 正浩(しのだ まさひろ、1931年3月9日 - )は、岐阜県岐阜市出身の映画監督。(本人は2003年監督作品『スパイ・ゾルゲ』をもって監督業を引退したと公言している)妻は、女優の岩下志麻。美術家の篠田桃紅は従姉にあたる。岐阜県立加納高等学校、早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学時代に箱根駅伝に出場、「花の2区」を走った経験を持つ。広島カープファン。



    監督作品


  • 恋の片道切符(1960年)

  • 乾いた湖(1960年)  脚本:寺山修司

  • 三味線とオートバイ(1961年) 原作:川口松太郎

  • わが恋の旅路(1961年) 原作:曽野綾子、脚本:寺山修司

  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年) 脚本:寺山修司

  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年) 脚本:寺山修司・水沼一郎・篠田正浩

  • 山の讃歌 燃ゆる若者たち(1962年) 脚本:白坂依志夫

  • 私たちの結婚(1962年) 脚本:松山善三・篠田正浩

  • 暗殺 (映画)|暗殺(1964年) 原作:司馬遼太郎

  • 乾いた花(1964年) 原作:石原慎太郎 カンヌ映画祭招待作品

  • 美しさと哀しみと(1965年) 原作:川端康成

  • 異聞猿飛佐助(1965年)

  • 処刑の島(1966年) 原作:武田泰淳、脚本:石原慎太郎

  • あかね雲(1967年)

  • 心中天網島(1969年) 原作:近松門左衛門、脚本:富岡多恵子・武満徹・篠田正浩 ヴェネチア映画祭招待作品、ロンドン映画祭招待作品

  • 無頼漢(1970年) 脚本:寺山修司 アデレード映画祭批評家賞

  • 沈黙 SILENCE(1971年) 原作:遠藤周作 カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 札幌オリンピック(1972年)(記録映画)ゴールデングローブ賞長編記録映画賞ノミネート

  • 化石の森(1973年) 原作:石原慎太郎

  • 卑弥呼(1974年)カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 桜の森の満開の下(1975年) 原作:坂口安吾

  • はなれ瞽女おりん(1977年) 原作:水上勉 アジア映画祭監督賞

  • 夜叉ヶ池(1979年) 原作:泉鏡花

  • 悪霊島(1981年) 原作:横溝正史

  • 瀬戸内少年野球団(1984年) 原作:阿久悠 ヒューストン映画祭外国語映画賞

  • ALLUSION -転生譚-(1985年)

  • 鑓の権三(1986年) 原作:近松門左衛門 ベルリン映画祭銀熊賞

  • 舞姫(1989年) 原作:森?外

  • 少年時代(1990年) 原作:藤子不二雄A 日本アカデミー賞最優秀作品賞

  • 写楽(1995年) 原作:皆川博子 カンヌ映画祭コンペティション出品

  • 瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年) 原作:阿久悠 ベルリン映画祭コンペティション出品

  • 梟の城(1999年) 原作:司馬遼太郎 プチョン国際ファンタスティック映画祭監督賞

  • スパイ・ゾルゲ(2003年)



    受賞歴


  • 第14回日本アカデミー賞優秀監督賞・最優秀監督賞(1991年、少年時代)



    関連項目


  • 碓井優

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    2007年10月15日

    映画監督[雨宮慶太]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    雨宮慶太



    雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。




    略歴


  • 1981年:デン・フィルム・エフェクトに入社。

  • 1982年:有限会社クラウドを設立。

  • 1988年:未来忍者 慶雲機忍外伝で監督デビュー。



    主な監督・脚本作品




    [映画]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1992年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [テレビ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991年~1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992年~1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004~2005年)(原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005~2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年10月~12月)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年12月)(原作・総監督)


    [ビデオ作品]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [漫画作品]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB (模型雑誌)|B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [映画]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [テレビ]


  • 時空戦士スピルバン(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ゲーム]


  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [小説]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン オフィシャルウェブサイト


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    2007年10月14日

    映画監督[伊丹十三]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊丹十三



    伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。女優の宮本信子は妻。俳優の池内万作は息子。作家の大江健三郎は義弟。バイオリン等の演奏や画家、料理通としても知られる。



    来歴・人物




    [幼少〜青年期]

    映画監督の伊丹万作を父親として京都市右京区鳴滝泉谷町に生まれる。第二次世界大戦末期、京都師範付属国民学校を経て、湯川秀樹によって当時構想された、科学者養成のための英才集団特別科学学級で教育を受けた。当時としては珍しく、戦時中に英語教育を実践していたと云われる。同窓に日本画家の上村淳之がいる。中学生の時に父親は死去する。京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)に入学、同窓に共同通信労組の林直久がいた。その後、愛媛県松山市へ移り、愛媛県立松山東高等学校に転入。ここで大江健三郎と知り合う。その後、二度落第して愛媛県立松山南高等学校に転入。同校を卒業したが大学を受験して失敗したため、東京へ行き新東宝編集部を経て商業デザイナーとなる。明朝体を書かせたら日本一といわれ、その才能は後の映画のタイトル作りにも活かされた。


    [マルチタレントとして活躍]

    舞台芸術学院に学び、26歳の時大映 (映画)|大映に入社、「伊丹 一三」という芸名を永田雅一にもらい俳優となる。1960年に日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子と最初の結婚をする。同じ年に作家であり友人の大江が妹ゆかりと結婚する。1961年、大映 (映画)|大映を退社する。その後『北京の55日』(1963年)『ロード・ジム』(1965年)などの外国映画に出演し、話題となる。1969年に「伊丹 十三」と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)では、キネマ旬報賞助演男優賞を受賞している。1960年代には、外国映画に出演した際のロケ道中をまとめたエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』を出版し大ヒット。その後も『女たちよ!』など軽妙なエッセイを次々と発表し、文筆業においても名声を得る。これらエッセイにおける、気障に映りながらも、物事の本質をその細部にいたるまで理詰めで探求していく独自のスタイルは、その後の多くのエッセイストに影響を与えたとされ\xA1 $k!#1970年代に入るとテレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、『遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい』等のドキュメンタリー番組の制作に関わり?自らレポートする。この時培ったドキュメンタリー的手法は、その後の映画制作にも反映している。また『日本世間噺大系』『小説より奇なり』に見られる、独特の聞き書き書体はこの時代の経験を反映している。また70年代後半には『アフタヌーンショー』のレポーターを務め?得意の緻密な画力で犯罪現場をスタジオで描いてみせた。1969年に山口瞳の媒酌で女優の宮本信子と再婚し、宮本との間に子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。ちなみに長男の万作は父の名前をそのまま取って命名された。岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977年)を読み、彼の主張する唯幻論に傾倒する。『哺育器の中の大人』(1978年)は、伊丹が岸田から唯幻論についての講義を受けるというスタイルの対談である。また、岸田らを中心に取り上げた現代思想の雑誌『モノンクル』(フランス語で“僕のおじ\xA1 $5$s!I$N0U!K$r1981年に創刊し、編集主幹を務めた。しかし、\xA1 6\xB9 f$G=*4)$H$J$k!#0KC0$N4X$o$C$?5-;v$N$$$/$D$+$O!"!X<+J,$?$A$h!』に収録されている。この一方で、文化人達が伊丹の周辺に集まり、一種のサロンを形成している。コピーライターの糸井重里、自称芸術家の篠原勝之、作家の村松友視は伊丹より直接の影響は受けていないかも知れないが、1970年代においてマイナーな分野を掘り下げていく作業において伊丹の精神を利用していると見えなくもない。この意味で高踏的文化人と見られていた伊丹が批評家や大衆と直接向き合い、時に罵声を浴びる覚悟で映画製作に乗り出したのは衝撃的でもあった。


    [映画監督への転身]

    1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうけ、受賞した映画賞は日本アカデミー賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。この作品で伊丹はその前歴の俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーター・商業デザイナーとしての全ての経験が活かせる事を発見し、その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ (映画)|タンポポ』や国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』、ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など、日本の社会に対する強い問題意識をもちながら、かつエンターテイメント性に富み、映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り、一躍日本を代表する映画監督となり、「伊丹映画」という1ジャンルを築く事に成功する。特に1992年の『ミンボーの女』では、地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き?観客は大喜びした。これまで日本では、ヤク\xA1 %6$rIA$$$?1G2h$NB?$/$O%d%/%6$r%R!<%m!<$H$7$FNi;?$7$FIA$$$F$$$?$b$N$@$C$?!#8x3+1週間後の5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ (映画)|タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』において、主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して、倫理的観点から厳しい社会的批判を受けた。しかし女シリーズに代表される「社\xA1 2qGI%3%a%G%#!W$N%8%c%s%k$r3NN)$7$?;v$OBg$$$J$k8y@S$H$$$($h$&!#! 0KC0$KB3 $/u$G$"$k!#1i=PLL$G$NFCD'$OGPM%$KBP$7$F0l8@0l6g$N%"%I%j%V$b5v$5$:!"2hLL$K1G$kA4$F$N>.F;6q$K0l@Z$NBE6($r5v$5$J$$$H$$$&873J$J$b$N$G$"$C$?!#$7$+$7GPM%$,NGを出しても決して怒鳴り散らしたりしないため、俳優にとっては非常にやり易かったという。


    [謎の「自殺」]

    1997年12月20日、写真週刊誌「FLASH (写真週刊誌)|フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死をもって潔白を証明する」との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意に介さず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。伊丹十三の「自殺」を知った宮本信子は立ち上がれないほど憔悴しきってしまったという。 伊丹は、民事介入暴力を描いた『ミンボーの女』公開直後(1992年)に、怒った暴力団の男たちに襲われて重傷を負い、さらにその入院生活を元に製作した『大病人』公開時(1993年)には自称右翼の男によってスクリーンを切り裂かれる事件が起こっている。これらの背景を元にした他殺説として、『マルタイの女』(1997\xA1 G/!K$KE\$C$?K=NOCD$d1&McCDBN$KKE;&$^$?$O<+;&$KDI$$5M$a$i$l$?$H$9$k@b$,$"$k!#2001年、大江健三郎の小説『取り替え子』に伊丹十三を思わせる人物が描かれ、話題となった。晩年は、湯河原に住んだ。



    著作


  • 『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)

  • 『フランス料理を私と』

  • 『女たちよ!』

  • 『再び女たちよ!』

  • 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』

  • 『自分たちよ!』

  • 『日本世間噺大系』

  • 『小説より奇なり』

  • 『問いつめられたパパとママの本』

  • 『「お葬式」日記』

  • 『「マルサの女」日記』

  • 『「大病人」日記』


    [ 共著 ]


  • 『快の打ち出の小槌』

  • 『哺育器の中の大人』(1978年)


    [ 訳書 ]


  • 『パパ・ユーア・クレイジー』

  • 『主夫と生活』

  • 『ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン』

  • 『中年を悟るとき』

  • 『ポテト・ブック』



    出演作品


  • 『黒い十人の女』(1961年)

  • 『北京の55日』(1963年、日本公開1964年)

  • 『執炎』(1964年)

  • 『源氏物語』(1965年、毎日放送)

  • 『ザ・ガードマン』第84話「ハートで盗め」(1966年、大映テレビ室・東京放送|TBS)

  • 『コメットさん』パパ役(1967-8年)

  • 『悪一代』(1969年、朝日放送)

  • 『天皇の世紀』(1973年、朝日放送)

  • 『国盗り物語』足利義昭役(1973年、日本放送協会|NHK)

  • 『もう頬づえはつかない』(1979年)

  • 『草迷宮 (映画)|草迷宮』(1979年、日本公開1983年)

  • 『夕暮まで』(1980年)

  • 『北の国から』(1981年)

  • 『峠の群像』吉良義央役(1982年、NHK)

  • 『家族ゲーム』(1983年)

  • 『細雪』(1983年)

  • 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

  • 『スウィートホーム (映画)|スウィートホーム』
    ほか



    CM


  • 味の素

  • 日産自動車 日産・サニー|サニー (1990年)

  • 一六本舗|一六タルト

  • ツムラ



    制作総指揮作品


  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム



    監督作品


  • 『お葬式』(1984年)

  • 『タンポポ (映画)|タンポポ』(1985年)

  • 『マルサの女』(1987年)

  • 『マルサの女2』(1988年)

  • 『あげまん (映画)|あげまん』(1990年)

  • 『ミンボーの女』(1992年)

  • 『大病人』(1993年)

  • 『静かな生活』(1995年)

  • 『スーパーの女』(1996年)

  • 『マルタイの女』(1997年)



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 伊丹十三記念館

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    2007年10月13日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都出身の映画監督。1920年に松竹蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタパタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが彼の作風は当時の小津安二郎と似通ったものがあり、松竹社長・城戸四郎に「小津は2人いらない」と言われる。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年に、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される。主演女優の千葉\xA1 AaCR;R$H7k:'$9$k$,$9$0$KN%:'$9$k!#BgPG
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    2007年10月12日

    映画監督[蜷川幸雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蜷川幸雄



    蜷川幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - )は日本の演出家、映画監督、俳優。埼玉県川口市出身。開成高等学校卒業。妻は女優、キルト作家の真山知子。二人の娘がおり、長女は写真家の蜷川実花。次女は一般人の為、非公表。姪に女優の蜷川有紀と蜷川みほ。



    来歴・人物


  • 俳優として活躍していたが「自分は演出に向いている」と悟り演出家に転向し、アンダーグラウンド (文化)|アングラ・小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビュー。

  • 70年代半ばから商業演劇に活動の場を移し、大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表。

  • 90年代以降は中劇場の空間を好んで使っている。*鮮烈なヴィジュアルイメージで観客を劇世界に惹きこむことを得意とする、現代日本を代表する演出家のひとり。

  • 作品は海外でも評価が高く、「世界のニナガワ」とも呼ばれる。

  • 起用する出演者はトップスターや実力派俳優から人気アイドルまでと幅広く、意表をついたキャスティングで話題を呼ぶ。

  • 一方で、知名度はあるが実力が十分ではない者を敢えて主要な役に据えるケースもあることから、「単なる金儲け主義者」「拝金主義」という見解もされている。

  • 短気であり、妥協や甘えを許さない俳優指導の厳しさでも知られ、世間一般的には「灰皿を投げる」スパルタ演出家のイメージが強い。現在は煙草を吸わないため、灰皿は投げないが、ごくたまに履いている靴などを投げたりすることはあるという。

  • 俳優を稽古中に「ブタ」「鼻くそ」「不感症」「でくのぼう」などと罵倒することもある。現在でも批判の声は少なくない。

  • 人情的で心優しい面があり、また「周りにだけでなく、同様に自分に対しても厳しい」姿勢で仕事をするため、数多くの俳優やスタッフから慕われている。

  • 歌舞伎の演出には「手を出すまい」と決めていたが、過去に『グリークス』に出演した尾上菊之助 (5代目)|尾上菊之助の依頼により、2005年に初演出(2007年に再演)。照明家と作曲家を除いては常連スタッフを起用せず、ほぼ単身で稽古に臨んだ。「歌舞伎国へ留学する」とは本人の弁。

  • 作品は、清水邦夫、唐十郎、井上ひさし、野田秀樹などの現代劇から、ギリシャ悲劇やシェイクスピア、アントン・チェーホフ|チェーホフなど海外の古典・近代劇に至るまで、幅広く手がけている。Bunkamuraシアターコクーン芸術監督。
    (財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督。
    英国グローブ座アーティスティック・ディレクター。
    桐朋学園芸術短期大学学長、ニナガワ・スタジオ主宰。
    さいたまゴールド・シアター主宰。



    略歴


  • 1955年 開成高校卒業後、劇団「青俳」に入団。

  • 1967年 青俳を退団し、劇団「現代人劇場」結成。

  • 1969年 『真情あふるる軽薄さ』で演出家デビュー。

  • 1971年 現代人劇場解散。

  • 1972年 劇結社「櫻社」結成。

  • 1974年 櫻社解散。『ロミオとジュリエット』で商業演劇に進出。

  • 1983年 『メディア (ギリシャ悲劇)|王女メディア』で初の海外公演。

  • 1984年 「GEKISHA NINAGAWA STUDIO(現ニナガワ・スタジオ)」を結成。

  • 1986年 『第37回NHK紅白歌合戦』出演予定の北島三郎を、暴力団との交際のスキャンダルにより出演辞退に追い込んだNHKに対して、たかが芸能番組で道徳を振りかざしていると異議を唱え、自らも特別審査員を辞退。

  • 1987年 英国ローレンス・オリヴィエ賞演出部門にノミネートされる。

  • 1992年 ロンドン・グローブ座芸術監督陣の一員となる。

  • 1993年 桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻の教授に就任。

  • 1998年 彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督となる。

  • 1999年 Bunkamuraシアターコクーン芸術監督に就任。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー|ロイヤルシェイクスピア・カンパニーの演出家として『リア王』を日本・英国で長期公演。

  • 2000年 「蜷川イヤーズ」と題し、2年間で12本の作品(演出作9本、監修作3本)を彩の国さいたま芸術劇場で上演。

  • 2002年 大英帝国勲章(CBE=三等勲章)を授与される。

  • 2004年 桐朋学園芸術短期大学学長に就任。

  • 2005年 シアターコクーン芸術監督就任7年目及び70歳を迎える年を記念して「NINAGAWA VS COCOON」と銘打ち、新作4本を同劇場で上演。尾上菊之助 (5代目)|尾上菊之助の依頼を受け歌舞伎を初演出(『NINAGAWA十二夜』)、歌舞伎座で上演。

  • 2006年 (財)埼玉県芸術文化振興財団芸術監督に就任、高齢者演劇集団「さいたまゴールド・シアター」発足。



    主な上演作品年表
    *1969年 『真情あふるる軽薄さ』

  • 1970年 『明日そこへ花を挿そうよ』『想い出の日本一萬年』

  • 1971年 『東海道四谷怪談』『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』

  • 1972年 『ぼくらが非情の大河をくだる時』

  • 1973年 『盲導犬』『泣かないのか? 泣かないのか1973年のために?』

  • 1974年 『ロミオとジュリエット』

  • 1975年 『唐版 瀧の白糸』『リア王』

  • 1976年 『オイディプス王』『近代能楽集 卒塔婆小町/弱法師』

  • 1977年 『三文オペラ』

  • 1978年 『メディア (ギリシャ悲劇)|王女メディア』『ハムレット』

  • 1979年 『近松心中物語』『ノートルダム・ド・パリ』

  • 1980年 『NINAGAWAマクベス (シェイクスピア)|マクベス』『元禄港歌』

  • 1981年 『下谷万年町物語』

  • 1982年 『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』『南北恋物語』

  • 1983年 『黒いチューリップ』『王女メディア』(イタリア、ギリシャ公演)

  • 1984年 『にごり江』『タンゴ・冬の終わりに』『王女メディア』(ギリシャ、イタリア、フランス公演)『稽古場という名の劇場で上演される「三人姉妹」』

  • 1985年 『恐怖時代』『95?と97?のあいだ』『NINAGAWAマクベス』(オランダ、イギリス公演)『作品たち』

  • 1986年 『オイディプス王』『NINAGAWA少年少女鼓笛隊による「血の婚礼」』『王女メディア』(イギリス、アメリカ、カナダ公演)『貧民倶楽部』

  • 1987年 『テンペスト (シェイクスピア)|テンペスト』『虹のバクテリア』『なぜか青春時代』『ギプス』

  • 1988年 『欲望という名の市電』『ハムレット』『仮名手本忠臣蔵』

  • 1989年 『王女メディア』(香港公演)『唐版 滝の白糸』『近松心中物語』(ベルギー、イギリス公演)『盲導犬』

  • 1990年 『ペール・ギュント』『PLAYZONE'90 MASK』『近代能楽集 卒塔婆小町』(イギリス公演)『NINAGAWAマクベス』(カナダ、アメリカ公演)

  • 1991年 『1991・待つ』『リア王』『七人みさき』『タンゴ・冬の終わりに|Tango at the End of Winter』(英国内公演)『近代能楽集 卒塔婆小町』(アメリカ公演)

  • 1992年 『1992・待つ』『さまよえるオランダ人』『SHOW劇 MASK』『NINAGAWAマクベス/王女メディア』(シンガポール公演)『三人姉妹』『テンペスト』(イギリス公演)『千年の街のクリスマス』

  • 1993年 『1993・待つ』『春』『王女メディア』(台湾、スイス公演)『魔女の宅急便』『初夏の夜の夢』『血の婚礼』

  • 1994年 『ペール・ギュント|Peer Gynt』(英国内公演、ノルウェー、日本公演も)『夏の夜の夢』『オセロー』『ゴドーを待ちながら』

  • 1995年 『夏の夜の夢』(イギリス公演)『ハムレット』『身毒丸』

  • 1996年 『王女メディア』(パレスチナ、エジプト公演)『夏の夜の夢』(イギリス公演)『零れる果実』『1996・待つ』

  • 1997年 『草迷宮』『昭和歌謡大全集』『銀色クジラの時間旅行』『身毒丸』(イギリス公演)

  • 1998年 『ロミオとジュリエット』『1998・待つ』『ハムレット』(イギリス公演)『十二夜』

  • 1999年 『リチャード三世 (シェイクスピア)|リチャード三世』『かもめ (チェーホフ)|かもめ』『リア王』(イギリス公演も)『パンドラの鐘』

  • 2000年 『唐版 滝の白糸』『三人姉妹』『グリークス』『近代能楽集 卒塔婆小町/弱法師』『NINAGAWA火の鳥 (漫画)|火の鳥』

  • 2001年 『真情あふるる軽薄さ2001』『マクベス』『近代能楽集』(イギリス公演)『三文オペラ』『ハムレット』『2001・待つ』『四谷怪談』

  • 2002年 『欲望という名の電車』『オイディプス王』『夏の夜の夢』(フランス公演)『マクベス』(アメリカ公演)

  • 2003年 『桜の園 (チェーホフ)|桜の園』『ペリクリーズ』(イギリス公演も)『エレクトラ』『ハムレット』

  • 2004年 『タイタス・アンドロニカス』『近松心中物語|新・近松心中物語』『シブヤから遠く離れて』『オイディプス王』(ギリシャ公演)『お気に召すまま』『ハムレット|Hamlet』(英国内公演)『ロミオとジュリエット』

  • 2005年 『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』『KITCHEN』『メディア (ギリシャ悲劇)|メディア』『近代能楽集』(アメリカ公演)『NINAGAWA十二夜』『天保十二年のシェイクスピア』

  • 2006年 『間違いの喜劇』『タイタス・アンドロニカス』(イギリス公演)『白夜の女騎士』『あわれ彼女は娼婦』『オレステス』『タンゴ・冬の終わりに』

  • 2007年 『コリオレイナス』(イギリス公演も)『ひばり』『恋の骨折り損』『藪原検校』『船上のピクニック』『エレンディラ』『オセロー』『カリギュラ』

  • 2008年 『リア王』『身毒丸』(アメリカ公演)『ガラスの仮面』※ 基本的には同演出での再演作品の明記(海外公演を除く)、および稽古場発表会などでの上演作品の明記はしていない



    受賞歴

    菊田一夫演劇賞、芸術祭大賞、テアトロ演劇賞、芸術選奨文部大臣賞、読売演劇大賞(最優秀演出家賞、大賞)、松尾芸能賞、毎日芸術賞、朝日賞、朝日舞台芸術賞(グランプリ、特別大賞)、紀伊國屋演劇賞個人賞など受賞歴多数。他には、平成13年紫綬褒章、平成16年度文化功労者に選出、第53回菊池寛賞など。1992年には英国エジンバラ大学名誉博士号、2002年には英国名誉大英勲章第三位を授受。2005年にはWalpoleメダル受賞。



    監督作品




    [ 映画 ]


  • 『海よ、お前が - 帆船日本丸の青春』(1980年)

  • 『魔性の夏』(1981年)

  • 『Wの悲劇』(劇中劇(作品内での演劇シーン)のみを担当)

  • 『青の炎』(2003年)

  • 『嗤う伊右衛門』(2004年)

  • 『蛇にピアス』



    [テレビドラマ]


  • 『水の女』(1990年)

  • 『風ものがたり』(1990年)

  • 『3番テーブルの客』(1997年3月31日)



    著書


  • BGMはあなたまかせ

  • Note 1969 - 1988

  • 千のナイフ、千の目

  • 蜷川幸雄の子連れ狼伝説

  • 蜷川幸雄・闘う劇場

  • Note 1969 - 2001 増補完全版

  • 演出術

  • 反逆とクリエイション



    関連項目


  • 映画

  • テレビドラマ

  • 小劇場演劇

  • シアターコクーン

  • 彩の国さいたま芸術劇場

  • 桐朋学園芸術短期大学

  • TBS「いのちの響」


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