2007年11月30日

映画監督[野村芳太郎]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
野村芳太郎



野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年4月23日 - 2005年4月8日)は、日本の映画監督。京都府出身。父は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた野村芳亭(ほうてい)。慶應義塾大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。第二次世界大戦後の1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、1952年に『鳩』で監督デビューした。時代劇、メロドラマなど多様な娯楽作品を撮るが、野村芳太郎の名を広めたのは、松本清張の小説を映画化した『張込み』(1958年)。1974年に製作した『砂の器』で、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞、1978年には松本清張と共に製作プロダクション『霧プロ』を設立したが、1984年に解散した。また、製作者として『八甲田山 (映画)|八甲田山』、『キネマの天地』を手掛けた。野村の門下生には山田洋次、森崎東がいる。2005年4月8日、肺炎のため死去。享年85。



作品


  • 拝啓天皇陛下様

  • 砂の器

  • ゼロの焦点

  • 影の車

  • 鬼畜

  • 疑惑 (映画)|疑惑

  • ダメおやじ

  • 八つ墓村

  • 迷走地図


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL


  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月29日

    映画監督[滝田洋二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    滝田洋二郎



    滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年12月4日に産まれ、現在”バッテリー”などの作品で注目されている監督。




    来歴・人物
    1955年12月富山県生まれ。74年獅子プロに助監督として入社。81年『痴漢女教師』で監督デビュー。成人映画を監督として話題作を連発し、注目された。85年、一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』を監督。また、『木村家の人々』(88年)『病院へ行こう』(90年)『僕らはみんな生きている』(93年)『シャ乱Qの演歌の花道』(97年)『お受験』(99年)『秘密』(99年)『陰陽師』(01年)などの作品で人気を集めている。



    監督作品


  • 連続暴姦(1983年)

  • 痴漢電車 下着検札(1984年)

  • 痴漢電車 ちんちん発車(1984年)

  • グッバイボーイ(1984年)

  • OL24時 媚娼女(1984年)

  • 真昼の切り裂き魔(1984年)

  • 痴漢電車極秘本番(1984年)

  • 痴漢保険室(1984年)

  • ザ・緊縛(1984年)

  • 痴漢電車 聖子のお尻(1985年)

  • 桃色身体検査(1985年)

  • 痴漢電車 車内で一発(1985年)

  • 痴漢通勤バス(1985年)

  • 痴漢電車 あと奥まで1cm(1985年)

  • 絶倫ギャル やる気ムンムン(1985年)

  • ザ・マニア 快感生体実験(1986年)

  • 痴漢宅配便(1986年)

  • はみ出しスクール水着(1986年)

  • タイム・アバンチュール 絶頂5秒前(1986年)

  • コミック雑誌なんかいらない!(1986年)

  • 愛しのハーフ・ムーン(1987年)

  • 木村家の人々(1988年)

  • 病院へ行こう(1990年)

  • 病は気から 病院へ行こう2(1992年)

  • 僕らはみんな生きている(1993年)

  • 新宿鮫|眠らない街 新宿鮫(1993年)

  • 熱帯楽園倶楽部(1994年)

  • シャ乱Qの演歌の花道(1997年)

  • お受験(1999年)

  • 秘密 (小説、映画)|秘密(1999年)

  • 陰陽師 (映画)|陰陽師(2001年)

  • 壬生義士伝(2003年)

  • 陰陽師II(2003年10月)

  • 阿修羅城の瞳(2005年4月)

  • バッテリー (小説)|バッテリー(2007年3月)



    助監督作品


  • デパート・ガール 恍惚三姉妹(1978年)

  • 下落合焼とりムービー(1979年)

  • 猟奇薔薇化粧(1979年)

  • 実録 痴漢教師(1983年)



    外部リンク


  • allcinemaによるプロフィール

  • 日本映画データベースによるプロフィール




  • Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月28日

    映画監督[野村芳太郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    野村芳太郎



    野村 芳太郎(のむら よしたろう、1919年4月23日 - 2005年4月8日)は、日本の映画監督。京都府出身。父は日本の映画監督の草分け的存在で、松竹蒲田撮影所の所長も務めた野村芳亭(ほうてい)。慶應義塾大学卒業後の1941年、松竹大船撮影所に入社。第二次世界大戦後の1946年に復員後、黒澤明の助監督を務め、1952年に『鳩』で監督デビューした。時代劇、メロドラマなど多様な娯楽作品を撮るが、野村芳太郎の名を広めたのは、松本清張の小説を映画化した『張込み』(1958年)。1974年に製作した『砂の器』で、モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞、1978年には松本清張と共に製作プロダクション『霧プロ』を設立したが、1984年に解散した。また、製作者として『八甲田山 (映画)|八甲田山』、『キネマの天地』を手掛けた。野村の門下生には山田洋次、森崎東がいる。2005年4月8日、肺炎のため死去。享年85。



    作品


  • 拝啓天皇陛下様

  • 砂の器

  • ゼロの焦点

  • 影の車

  • 鬼畜

  • 疑惑 (映画)|疑惑

  • ダメおやじ

  • 八つ墓村

  • 迷走地図


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月27日

    映画監督[木下恵介]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    木下恵介



    木下 恵介(きのした けいすけ、1912年(大正元年)12月5日 - 1998年(平成10年)12月30日)は、日本の映画監督、脚本家。本名、木下 正吉。正字での表記は「木下 惠介」。実弟に作曲家の木下忠司、実妹に脚本家の楠田芳子がいる。



    略歴

    静岡県浜松市にて食料品店を営む父・周吉、母・たまの8人兄弟の4男として生まれる。浜松工業学校(現静岡県立浜松工業高等学校|浜松工業高等学校)紡績科を卒業後上京。1933年(昭和8年)松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎監督の撮影助手となり、翌1934年(昭和9年)には新たに作られた松竹大船撮影所に移り、島津監督の下助監督となる。1940年(昭和15年)に徴兵され中国を転戦も翌年、戦傷の為内地送還され帰国。 1943年(昭和18年)に監督になり『花咲く港』で山中貞雄賞を受賞し、華々しくデビューした。同年、黒澤明も監督デビューし終生のライバルとして日本映画界を支えてゆくこととなる。また、木下組から小林正樹、川頭義郎、松山善三、勅使河原宏、吉田喜重、山田太一 (脚本家)|山田太一等々多数の映画人が巣立っていった。1951年(昭和26年)に『カルメン故郷に帰る』で戦後初の長編カラー映画を発表。同作は、日本放送協会|NHK映画ベストテン第1位、日本映画文化賞を受賞する。1954年(昭和29年)『二十四の瞳 (映画)|! 二十四の瞳』で、ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞、外国語映画賞、ゴールデングローブ賞など数々の賞を受賞したが、その後、「戦場の固き約束」などが、興行上の採算性に対する疑義で松竹側からお蔵入りにされるなどの不遇にあい、 1964年(昭和39年)に松竹を退社し、テレビ界にも進出。「#木下恵介アワー|木下恵介アワー」などテレビドラマも製作した。後に木下恵介プロダクション(木下プロダクション→現・ドリマックス・テレビジョン)を設立する。1976年(昭和51年)『スリランカの愛と別れ』で再び映画監督に、また1979年(昭和54年)には松竹に復帰。映画、テレビドラマの監督と同時に脚本も数多く手がけている。1977年(昭和52年)紫綬褒章を受章。1984年(昭和59年)には勲四等旭日小綬章を受章。1991年(平成3年)に文化功労者に選出される。! 1998年12月30日午前3時10分、脳梗塞の\xA1 $?$aEl5~ ET9A6h (東京都)|港区の自宅で死去。享年86。生涯にメガホンをとった映画は全49作である。死後その功績に対し、エランドール特別賞が贈られた。



    監督作品





    テレビ


  • 木下恵介アワー">木下恵介アワー

    喜びも悲しみも幾歳月(大辻司郎、松本典子)
    二人の星(園井啓介、小林千登勢)
    記念樹(馬渕晴子)
    今年の恋(加藤剛、栗原小巻)
    女と刀(中原ひとみ)
    もがり笛(江原真二郎)
    おやじ太鼓(進藤英太郎、風見章子)
    3人家族(竹脇無我、栗原小巻)
    兄弟(津坂匡章、あおい輝彦、秋山ゆり、沢田雅美)
    あしたからの恋(尾崎奈々、大出俊)
    二人の世界 (テレビドラマ)|二人の世界(竹脇無我、栗原小巻)
    たんとんとん(森田健作、ミヤコ蝶々)
    太陽の涙(加藤剛、山本陽子)
    幸福相談(倍賞千恵子、山口崇)
    思い橋(藤岡弘、上村香子、松坂慶子)
    わが子は他人(松山省二、杉浦直樹、音無美紀子、林美智子 (女優)|林美智子)



    伝記


  • 三国隆三『木下恵介日本中を泣かせた映画監督』(展望社、1999年) ISBN 4885460174

  • 長部日出雄『天才監督木下惠介』(新潮社、2005年) ISBN 410337408X



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • 脚本家一覧



    外部リンク


  • 木下恵介記念館

  • 木下恵介・映画の世界

  • 浜松映画祭


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月26日

    映画監督[伊藤大輔]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊藤大輔



    伊藤大輔(いとうだいすけ)* 伊藤大輔 (映画監督)(1898-1981)は、愛媛県出身の大正・昭和期の時代劇で有名な映画監督。

  • 伊藤大輔 (レーサー)(1975- )は、三重県出身のレーシングドライバー。

  • 伊藤大輔 (俳優)は、NHK教育製作のドラマ「虹色定期便」に出演していた子役。

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月25日

    映画監督[今井雅之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今井雅之



    今井 雅之(いまい まさゆき 1961年4月21日-)は、兵庫県豊岡市(旧・城崎郡日高町_(兵庫県)|日高町)出身の日本の俳優、演出家。身長178cm。空手2段、柔道初段。本名は同じ。



    人物紹介

    兵庫県立豊岡高等学校卒業後陸上自衛隊に入隊、滋賀県高島市の第三戦車大隊に配属。退官後法政大学文学部英文学科卒業。1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて舞台デビュー。代表作に「THE WINDS OF GOD」(ザ・ウィンズオブゴッド・原作等)、「SUPPINぶるうす ザ・ムービー」(初監督作品・出身地の兵庫県豊岡市にて撮影)などがある。1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。2004年3月27日の『たかじんのそこまで言って委員会 春の芸能界スペシャル』において、「芸能人にプライバシーはあるか」というお題に対し、今井が、サンズエンタテインメントの野田義治社長のマネージメント戦略において、「自分たちは女衒、タレントは吉原の遊女」的な発言に「あんたらみたいのがおるから芸能界おかしくなんのじゃ」と発言。芸能人を守っていかなくてはいけない立場である野田の軽率な発言に今井が激怒。その発言に浜田幸一が激怒し「目上の人に向かってそんな口を利くんじゃない」と口論になり浜田が途中退席した。後日浜田は、『行列のできる法律相談所』で島田紳助に「また  "%-%l$?$=$&$d$J!W$HJ9$+$l!V$9$^$J$+$C$?!W$H 売れない時代に、「ラ・ボエム」の1号店(原宿店)に7年間、厨房で腕をふるっていたので、料理の腕前は凄いらしい。
    その風貌と性格からか一本気な役や男気あふれる役が多いが、コミカルな芝居もこなし笑いも取れる実力に高い評価を得ている。交友関係も広くSMAPの中居正広や代々木ゼミナール|某予備校名物英語講師西谷昇二とも仲がいいらしい。読売ジャイアンツの大ファンである。このほか岩波書店から『若いぼくらにできること-体験的教育論』(1997年、ISBN 4005002870)など複数の著作があり、最近ではチャンネル桜賛同人になったり、神社本庁や日本会議、靖国会館などでの講演会で神風特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守派・右派文化人としての側面も見せている。しかし「THE WINDS OF GOD」公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。



    出演




    [ 舞台 ]


  • 『THE WINDS OF GOD』 (今井雅之脚本・演出・主演)平成3年度文化庁主催芸術祭賞(原作・脚本・演技)受賞
    この「THE WINDS OF GOD」は1988年に初演から数十回にわたり再演をしており、海外(ニューヨーク?ロンドン?ハワイ)での公演も高い評価を得ている。2005年は今井雅之主演の舞台、DonDokoDonの山口智充とV6 (ジャニーズ)|V6の森田剛のドラマ、ハリウッドで全編英語脚本?日本人キャスト?スタッフによる映画制作がされている。なお、この舞台は一時封印していたが、9/11テロ事件を『神風アタック』と表現した米メディアに憤りを感じ、再演を決意したという。


    [映画]


  • 静かな生活

  • T・R・Y

  • 彼女が水着に着替えたら

  • 八つ墓村

  • 右向け左!自衛隊へ行こう

  • THE WINDS OF GOD
    ほか多数


    [ テレビドラマ ]

    ・◇日本放送協会|NHK総合

  • ええにょぼ(1993年4月〜10月)

  • 花の乱(1994年4月〜12月) 細川政元役

  • ハチロー〜母の詩、父の詩〜(2005年1月〜3月) アイン 役
    ・◇日本テレビ放送網|日本テレビ系

  • もう呼ぶな海!(1999年2月)

  • 87%(2005年1月〜3月) 川上 役
    ・◇東京放送|TBS系

  • 俺たちルーキーコップ(1992年4月〜7月)

  • やとわれ女将・菊千代の事件簿2(2005年2月、月曜ミステリー劇場)
    ・◇フジテレビジョン|フジテレビ系

  • 世にも奇妙な物語 『石田部長代理の災難』(1991年)

  • 世にも奇妙な物語 『常識酒場』『トラブル・カフェ』(1992年)

  • 世にも奇妙な物語 『心の声が聞こえる』(1994年)

  • NIGHT HEAD(1992年12月)

  • お金がない!(1994年7月〜9月)

  • 沙粧妙子・最後の事件(1995年7月〜9月)

  • ギフト (テレビドラマ)|ギフト(1997年4月〜6月)

  • お見合い結婚(2000年1月〜3月)
    ・◇テレビ朝日系

  • 味いちもんめ2(1996年1月〜3月)

  • 味いちもんめスペシャル(1997年1月)

  • 愛は正義(2001年1月〜3月)
    ・◇読売テレビ系

  • 極限推理コロシアム(2004年)


    [ TVCM ]


  • 協和発酵 焼酎 大五郎

  • 小林製薬 トイレその後に(2006年)


    [ バラエティ ]


  • 中居くん温泉(1997年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • チューボーですよ!(TBS)

  • 英語でしゃべらナイト(NHK)
    自慢の英語で、映画『ターミナル』公開時に来日していたトム・ハンクスにインタビューをした。その際、「あなたの英語は素晴らしい」と褒められる。その後、スタジオにも出演。



    関連項目


  • 日本の男優一覧


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月24日

    映画監督[町山智浩]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    町山智浩



    町山 智浩(まちやま ともひろ、1962年7月4日 - )は、映画評論家、コラムニスト。東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒。放送作家の町山広美は実妹。1997年よりアメリカ合衆国|米国カリフォルニア州オークランド市に在住し2007年、オークランドから隣町であるバークレーに引っ越した。ガース柳下こと柳下毅一郎との対談コンビ「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」ではウェイン町山を名乗る。



    来歴

    町山の経歴は、『サブカルチャー世界遺産』ISBN 4594030491 に掲載された本人のインタビューに詳しい。雑誌hon-ninに本人が連載するところによると、韓国籍の父とは幼くして別れ、日本人の母の町山籍に入った。元宝島社勤務・洋泉社出向。映画秘宝創刊後独立。宝島社(旧JICC出版局)時代は、まず80年代中期パンク雑誌だった頃の『宝島 (雑誌)|宝島』本誌を担当しており、VOW関係者など主要な執筆陣からは、愛情をこめて「バカの町山」と呼ばれ愛される存在だった。
    担当はみうらじゅん、デーモン小暮、坂東齢人など。
    「ゴジラ宣言」「このビデオを見ろ!」などのムックも編集。続いて『別冊宝島』シリーズで、89年に『おたくの本』を企画編集。この本がベストセラーになったことで、「おたく」という言葉が一般に認知される。
    『別冊宝島』では他に、『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』などのベストセラーを企画編集。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団と元フランス外人部隊の傭兵訓練に自ら参加している。また、後の『映画秘宝』の流れにつながる『映画宝島』シリーズを企画、自ら取材執筆している。
    1991年、『映画宝島・異人たちのハリウッド』はハリウッドスターをエスニシティという視点から読み解いた研究書で、自ら父方の姓(柳)を名乗った。その後、月刊誌『宝島30』編集部で、当時は政府もマスコミも認めていなかった朝鮮総連のスパイ行為や北朝鮮の日本人拉致問題をいちはやく追及し、左翼文化人や岩波書店を名指しで攻撃、送られてきた内容証明を誌上で公開するなどした。
    1995年 宝島社の子会社・洋泉社に出向。
    『トンデモ本の世界』をベストセラーにして、と学会を売り出した。
    また『映画秘宝』シリーズを創刊した。1996年、第3回みうらじゅん賞受賞。1996年、「キネマ旬報パイ投げ事件」を起こす。『映画秘宝・底抜け超大作』に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』の副編集長が編集後記で攻撃し、「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。それに対して町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長にぶつけた。
    キネマ旬報は弁護士を通じて洋泉社に抗議文を送りつけ、町山はキネマ旬報に謝罪するとともに依願退職し、渡米した。その後、アメリカ各地を転々としながら、日本人のあまり知らないアメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などをレポートして『映画秘宝』『TVブロス』『サイゾー』『週刊現代』ほか日本の新聞・雑誌に送っている。2004年4月より、TBSラジオ『ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム』「コラムの花道」にレギュラー出演中(火曜日)。この番組では、別れた父(故人)が在日コリアンであることを明かした際、水曜日の出演者である勝谷誠彦の批判を突然始めたことがある (2005年7月19日)。その週は、クリスチャンとムスリム(イスラム教徒)が互いの立場を逆転させて生活するテレビ番組を紹介していた。差別の苦しみは差別されなければわからない、なので知識も背景もわかろうともせずに無用な差別はしてはいけない、というのが町山の結び。その結びの際 B(17分20秒)にいきなり「勝谷なんとかという奴」という表現で話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。ただ、翌日(2005年7月20日)の勝谷はこのことについて直接言及することはなく、それ以後も町山自身もこのことについて触れることはなかった。これは、「番組リスナーのためにも交戦してほしくない」という同番組ディレクターの仲介によるものである(WEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士)。なお、2007年7月に勝谷が出演した際、パーソナリティの小西克哉が前日に町山と酒席をもったことを気にしているような態度を取り、「アメリカからいやな奴が帰ってきてるんだろ」といった表現で、名指しはしないものの初めて町山に言及した。この日の番組のエンデァ #%s%0$G>.@>$O!V>!C+$5$s$HD.;3$5$s$r2人だけで会わせたらど\xA1 $s$J$3$H $K$J$k$+!W$H8@$C$F$$$?!#2007年10月に町山が、アメリカの超保守の女性コラムニストの話をした際、小西が「日本でいうと誰にたとえればいいでしょうね」と言うと、町山は「このコーナーに明日出る人」と答えた。また2007年5月には、同じコーナーでジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ大統領が弾劾裁判で失職する可能性が出てきたという話をしていて最後に突然、「宮崎哲弥は2004年の大統領選挙でこんなブッシュを支持する発言をしていたんですよ」と批判を始めた。
    その後、宮崎哲弥本人からTBSラジオ及び町山本人に抗議が来たようで、翌週の同コーナーにおいて『筑紫哲也の番組でブッシュ支持と反ブッシュで同じ人数に分かれて討論する演出だったが、ブッシュ支持の人数が足らず、番組に頼まれてイラク戦争には反対だが日本人には投票権がないし関係ないかと思い渋々ブッシュ支持に回った。そういった裏事情はラジオや活字媒体で説明済みである』という宮崎の反論を放送。町山もそういった裏事情を知らなかったということで謝罪した。
    しかし、「イラク戦争は日本人に関係ない訳ではない。ブッシュがイラク戦争のために北朝鮮問題を軽視している」と批判している。
    戸田奈津子を、堂々と「字幕が酷い」と批判することでも知られる。(※町山に限った話ではなく、戸田の字幕翻訳の質やセンスに関しては、さまざまな分野の人間からも批判が上がっているが、かつては映画業界関係者は堂々と口に出せなかった)また、複数の雑誌に『スター・ウォーズ エピソード3』の政治的暗喩について書いたところ、配給会社20世紀FOX日本支局の圧力によって検閲された事情を「コラムの花道」で暴露。さらにアメリカのジャーナリストを通じてルーカス・フィルムにもFOX宣伝部の検閲行為を伝えたところ、本人いわく「そこから仕事が来なくなった」そうである。2004年、アメリカでパトリック・マシアスとの共著Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo を出版(英語)。
    2005年、日本で配給会社がつかなかった映画『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求めてラジオや雑誌で訴え、これに呼応して有志が署名運動を起こした。同作は、2006年1月に日本公開が実現した。



    主な著書


  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』 ISBN 4896913574

  • 『アメリカ横断TVガイド』 ISBN 4896914848

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』 ISBN 4896916298

  • 『映画の見方がわかる本―「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』 ISBN 4896916603

  • 『底抜け合衆国―アメリカが最もバカだった4年間』ISBN 4896918436

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』ISBN 4896918452

  • 『USAカニバケツ/超大国の三面記事的真実』ISBN 4872338936

  • (翻訳)『ブーンドックス/ブッシュが最も恐れた小学生』アーロン・マッグルーダー著 ISBN 4344006658

  • 『〈映画の見方〉がわかる本―80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀』 ISBN 4896919742

  • (編集・翻訳) 『オタク・イン・USA〜愛と誤解のAnime輸入史』パトリック・マシアス著(Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyoの日本語版) ISBN 4778310020



    DVD


  • 監督・出演『ウェイン町山のLA秘宝』DVD



    外部リンク


  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

  • TBSラジオ ストリーム(毎週火曜日担当)

  • 町山智浩のアメリカ映画特電

  • アメリカでのインタビュー(英語)

  • ベイエリアの公共ラジオ KQED でのゲスト出演(英語)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月23日

    映画監督[植草甚一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    植草甚一



    植草 甚一(うえくさ じんいち、男性、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。



    経歴

    東京市日本橋区小網町にて、木綿問屋の一人息子として生まれる。1915年、東華小学校入学。10歳の頃から姉に連れられて地元の映画館「水天館」に通う。1921年、渋谷鉢山町の東京府立第一商業学校(現在の東京都立第一商業高等学校)に入学、ここでは首席を通す。1923年、関東大震災で被災。これをきっかけに生家は没落する。1926年、旧制の第一高等学校(現在の東京大学教養学部)を受験して失敗。このため、東京府立第五中学校(現在の東京都立小石川高等学校)の補習科に通学。併せて神田錦町の日土講習会に通う。当時は無産者新聞を愛読し、左翼思想に惹かれていた。1927年、第一高等学校を再度受験して失敗し、早稲田大学高等学院|早稲田大学第一高等学院理工科に補欠で入学。1930年、早稲田大学理工学部建築学科に進学。在学中は新劇に熱中し、劇団のポスターやイラストに才能を発揮。1932年から池袋のジャージー工場「藤幸」に勤務し、『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』などを翻訳。さらにセーターや水着のデザインも手がける。大学では落第を二度繰り返した後、1933年、学費未納により除澄 R=hJ,$r.O)!V6d1G:B!W$NO@$NK5$i!"El5~AO85.@bA4=8! !Y$N4F=$ !J1955年)や『現代推理小説全集』(1957年)の収録作品選定や全巻の解説執筆を担当。この間、1956年頃からジャズを聴き始める。1956年、初の単行本『外国の映画界』を同文館から上梓。小林信彦によると、この当時の植草は、肥満体の、好戦的で気難しい、敵の多い男として知られていた小林信彦『<超>読書法』p.131(文春文庫、1999年)。出版社と喧嘩が絶えず、『スイング・ジャーナル』誌の連載(1958年5月〜)だけを主な仕事としていた。1966年、『平凡パンチデラックス』などの若者向け雑誌で紹介されたことがきっかけで若い世代の読者が急増、植草ブームを招来する。1967年、本格的な単行本の第一冊である『ジャズの前衛と黒人たち』を晶文社から刊行。1970年に随筆|エッセイ『ぼくは散歩と雑学が好き』を刊行して若者にサブカルチャーを普及させた。1971年に胃の手術を受けてから体重が身長151センチ約60キロから約45キロへと激減し、痩身となる。この時期からブームが本格的になり、一ヶ月に約300枚の原稿を執鼻 .$7$?!#1973年には雑誌『ワンダーランド』の責任編集となる。この『ワンダーランド』が後にJICC出版局(現・宝島社)に譲渡され、『宝島 (雑誌)|宝島』(1973年10月号から誌名変更)として発展していった。1974年4月に初めてニューヨークへ渡り、3ヵ月半滞在。本、映画、ファッションなど様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表し、さらに注目された。1977年、ベストドレッサー賞を受ける。1979年春、『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』(早川書房)により第32回日本推理作家協会賞(評論部門)を受ける。同年12月10日、心筋梗塞の発作により、東京都世田谷区経堂の自宅で逝去。モダンジャズを愛し、チャーリー・ミンガス、セシル・テイラー、マイルス・デイヴィス、アルバート・アイラーを尊敬。彼の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、タレントのタモリがその全てを買い取った。高平哲郎によると、その数は約4000枚という。蔵書の数は約4万冊にのぼり、「古本屋を開くのに最低5000冊は必要だというけれど、3軒は開ぁ 1$k!W$H<+$i9k8l$7$F$$$?!#=*$N@32H$H$J$C$?7PF2$N%^%s%7%g%s$G$O!! "2 It20$9$Y$F$r=q8K$H$7$F;HMQ$7$F$$$?!#%(%C%;%$=8$H$7$F!X植草甚一スクラップブック』(晶文社・1976年〜1980年/2004年復刻)がある。片岡義男その他がパーソナリティをつとめる番組「気まぐれ飛行船」の中のインタビューコーナー「飛行船学校」でしばしばロングインタビューを受け、肉声を聞くことが出来た。



    関連項目


  • 古書店

  • ニューヨーク

  • コラージュ

  • 淀川長治

  • 久保田二郎

  • 東宝

  • 晶文社

  • スイングジャーナル

  • 話の特集

  • 宝島 (雑誌)|宝島

  • 植草圭之助 - 脚本家。甚一の従弟。



    外部リンク


  • 著作リスト

  • 植草甚一ファンクラブ



    参考文献


  • 植草甚一スクラップ・ブック40『植草甚一自伝』晶文社、2005年

  • コロナ・ブックス編集部『植草甚一スタイル』平凡社、2005年



    脚注



    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月22日

    映画監督[寺山修司]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    寺山修司



    寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、劇作家、歌人、詩人、小説家、映画監督、競馬評論家など幅広い分野で活躍した人物である。



    略歴


  • 1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
    母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
    寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっているといわれる。
    戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現:三沢市)。
    父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。

  • 1941年(昭和16年)八戸市へ転居。
    父八郎出征(その後戦死)のため、母と三沢市へ疎開。母はその後九州で働くために青森市の親類に預けられる。青森市マリア幼稚園入園。

  • 1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現:浦町小学校)入学。

  • 1945年(昭和20年)青森空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす米軍による集中攻撃だった。母ハツとともに逃げ惑い焼け出される。家も焼け一面焼け野原。
    終戦後はハツの兄を頼り六戸村古間木(現:三沢市)の古間木駅前(現:三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは進駐軍の米軍キャンプで働く。
    米軍差し押さえの民家に移る。

  • 1948年(昭和23年)古間木中学校入学。
    秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校。

  • 1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。全国学生俳句会議結成。同期生に沢田教一。

  • 1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。山田太一とは同級。在学中から歌人として活動。18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。

  • 在学1年足らずで中途退学。

  • 1967年(昭和42年)演劇実験室・天井桟敷を結成。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。

  • 1970年(昭和45年)3月24日、人気漫画?あしたのジョー?の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。

  • 1971年(昭和46年)『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出した。

  • 1983年(昭和58年)東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。。その後、天井桟敷の劇団員を中心に演劇実験室「万有引力」結成。現在に至る。青森県三沢市に寺山修司記念館あり。相当な人見知り癖があったと、美輪明宏は述懐している。



    歌集


  • 『空には本』(1958年)

  • 『血と麦』(1962年)

  • 『田園に死す』(1965年)

  • 『テーブルの上の荒野』(1971年 『寺山修司全歌集』収録)



    句集


  • 寺山修司青春歌集






  • 長編叙事詩・李庚順

  • 未刊詩集ロング・グッドバイ

  • 寺山修司少女詩集



    評論など

    幅広く評論をしており、ジャンルは漫画、歴史人物、小説、映画などジャンルは広い。
    竹宮恵子の「風と木の詩」1巻に寺山修司の解説有り、また「サザエさんの性生活」について書いた事がある。



    競馬

    寺山修司は競馬への造詣も深く、『ユリシーズ』(船橋競馬所属)という競走馬の馬主でもあった。
    またスポーツ報知|報知新聞競馬面に1970年10月から1983年4月まで『風の吹くまゝ』というタイトルで予想コラムを書いていたことでも知られる。
    騎手では吉永正人(故人)を贔屓にしていた。『馬敗れて草原あり』『競馬無宿』『競馬への望郷』など、競馬に関する著作も多い。
    またハイセイコーやテンポイントへ捧げる詩も作った。
    寺山修司は日本中央競馬会(JRA)のコマーシャルにも出演し、『カモメは飛びながら歌を覚える。人生は遊びながら年老いていく』と、本人自らが台詞を喋るシーンもあった。
    日本放送協会|NHKが製作した『ルポルタージュにっぽん』「ダービーの日」(1978年6月)という番組では寺山自ら進行役として出演し、1978年5月28日に開催された東京優駿|日本ダービーの日の東京競馬場ぁ ND9$$0lF|$r!"53


    脚本




    [ ラジオ ]



    [ テレビ ]


  • 一匹

  • ミュージカル わが心のかもめ(1966年(昭和41年)3月22日放送/日本放送協会|NHK)


    [ 映画 ]

    (監督作品を除く)

  • みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)

  • 乾いた湖(1960年)

  • わが恋の旅路(1961年)

  • 夕陽に赤い俺の顔(1961年)

  • 涙を、獅子のたて髪に(1962年)

  • 初恋・地獄篇(1968年)

  • 無頼漢(1970年)

  • サード(1978年)

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)


    [ 長編 ]




    演劇


  • 「演劇の文学ばなれ(戯曲ばなれ)」を主張し続けた。戯曲に書かれて完結した世界を、舞台でそのまま再現することが演劇なのか。「一度、『戯曲』として書き、きちんと幕を切ってしまったものを、どうしてもう一度、生身の人間を使って現場検証してみようとするのか」。演劇は、演劇という独自の表現なのであり、創造のきっかけとなるキーワードとしての「台本」(「戯曲」とは異なる)のみ許される、とした。

  • 演劇の重要な構成要素であるはずの観客に焦点を当てる作品も上演した(「観客席」)。「俳優座や文学座があって、どうして観客座という名の劇団がないのか」。

  • 上記のような考えから、演劇を劇場外の市街で行う「市街劇」の試みを複数行っている。その中で、1975年に東京・杉並区で30時間にわたり「上演」された「ノック」は、その上演に際して警察が介入し、マスコミを賑わせることになった。

  • 彼の考え方は生前の演劇界においては異端視され、主に海外で評価されることになった。没後20年以上経った現在では、数多くの劇団が寺山作品を上演し、新たなる観客との出会いを試み続けている。

  • 当時の天井桟敷は、唐十郎の赤テント、佐藤信の黒テント、鈴木忠志の早稲田小劇場、と共に「アングラ四天王」と呼ばれ、大きな支持を受けた。


    [ 主な作品(一部共同台本、共同演出を含む) ]


  • 毛皮のマリー

  • 犬神

  • 邪宗門

  • 阿片戦争

  • 盲人書簡

  • ノック

  • 中国の不思議な役人

  • 青ひげ公の城

  • 身毒丸

  • 奴婢訓

  • レミング



    映画




    [ 長編 ]


  • 書を捨てよ町へ出よう(1971年)

  • 田園に死す(1974年)

  • ボクサー(1977年)

  • 草迷宮 (映画)|草迷宮(1979年、1983年)

  • さらば箱舟(1984年)


    [ 短編 ]


  • 猫学(キャットロジー)

  • 檻囚

  • トマトケチャップ皇帝

  • ジャンケン戦争

  • ローラ

  • 蝶服記

  • 青少年のための映画入門

  • 迷宮譚

  • 疱瘡譚

  • 審判



  • 消しゴム

  • マルドロールの歌

  • 一寸法師を記述する試み

  • 二頭女―影の映画

  • 書見機



    作詞


  • 戦争は知らない(1967年、ザ・フォーク・クルセダーズ)

  • 涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)

  • 新 初恋(1968年、江夏圭介)

  • かもめ(1968年、浅川マキ)

  • 時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)

  • 涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)

  • さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭 (音楽ユニット)|六文銭)

  • 首つりの木(1970年、J.A.シーザー)

  • 酔いどれ船(1970年、緑魔子)

  • あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)

  • 孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)

  • 勇士のふるさと(1972年、ヤング101)

  • 人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)

  • 君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)

  • 海猫(1973年、北原ミレイ)

  • 新宿港(1974年、桜井京)

  • 浜昼顔(1974年、五木ひろし)

  • 元気ですか(1976年、ジャニーズJr.スペシャル|JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)

  • ぼくの消息(1976年、豊川誕)

  • 与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)

  • もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)



    外部リンク


  • 三沢市 寺山修司記念館

  • TERAYAMA WORLD

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月21日

    映画監督[岩井俊二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    岩井俊二



    岩井 俊二(いわい しゅんじ、1963年1月24日 - )は、宮城県仙台市出身の映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。脚本家としては、網野 酸(あみの さん)というペンネームを用いることもある。



    概要

    仙台第一高等学校を経て、1987年、横浜国立大学教育学部美術学科卒。学生時代から小説家を目差し、美術の学科に入ったのもその道に影響すればいいと思ったため。絵はあくまでも趣味で描き、漫画の持込みなどもした。卒業後は就職活動をせず、とにかく映像関係の仕事に就きたいとアルバイトとして人脈を広げた。1988年、ビーイングなどのミュージック・ビデオの仕事を始める。1993年、テレビドラマ『If もしも|ifもしも〜打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を演出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。同作品は再編集され、1994年劇場公開される。1995年、初の長編映画『Love Letter』を監督。日本でも好評だったが、韓国では特に爆発的な人気を呼んだ。これに続く『スワロウテイル』は賛否両論あったが、岩井の知名度を大きく上げた作品である。その後長編・短編作品を順調に公開し、独特な映像美から「岩井美学」などと呼ばれるようになる。初めてドキュメンタリーを発表した1999年頃から劇映画の監督業以外にもフィールドを広げ、2000年には庵野秀明監督『式日』に俳優とし\xA1 $F=P1i!#?7$7$$5;=Q$K$bL4Cf$G!"F1G/%$%s%?!<%M%C%H>e$NEE;R7G<(HD|BBSを使った大衆参加による小説『リリイ・シュシュのすべて』を完成、映画化する。この映画もまたHD24Pという、フィルム表現に近いデジタル撮影による新しい方法で行われ、仮編集はアップルコンピュータ|ApplePowerBookが用いられた。この撮影法をいち早く取り入れた一人である。また、2003年にはWEB配信という新しい上映方法で『花とアリス(ショートフィルム)』を公開。2004年4月1日からオフィシャルのウェブページでシナリオ募集していた『しな丼』のコーナーを閉鎖し、「戯作通信」こと『playwoks(プレイワークス)』というウェブサイトを開設、また合わせてラジオ番組、『円都通信』がスタート。この『playwoks』(『しな丼』)で扱われたシナリオがラジオドラマとして毎週放送されている。



    作品




    [ 映像作品 ]




    [ テレビドラマ ]


  • 見知らぬ我が子 (1991年、テレビドラマ|TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 殺しに来た男 (1991年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • マリア (1992年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語 「蟹缶」(1992年、監督)

  • 夏至物語 (1992年、TVドラマ「薔薇DOS」、脚本・監督)

  • オムレツ (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • GHOST SOUP (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 雪の王様 (1993年、「TV-DOS-T」、脚本・監督)

  • FRIED DRAGON FISH (1993年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? (1993年、「If もしも 」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語「ルナティック・ラヴ」 (1994年、脚本・監督)


    [ 映画 ]


  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1994年、脚本・監督)

  • PiCNiC(1994年、脚本・監督)

  • Undo_(映画)|undo(1994年、脚本・監督)

  • Love Letter(1995年、脚本・監督)

  • スワロウテイル(1996年、脚本・監督)

  • ACRI(1996年、原作・脚本)

  • 四月物語(1998年、脚本・監督・音楽(CLASSIC名義))

  • リリイ・シュシュのすべて(2001年、脚本・監督)

  • Jam Films「ARITA」(2002年、脚本・監督・音楽)

  • 花とアリス|花とアリス(ショートフィルム)(2003年、脚本・監督・音楽)
    web配信とDVD-Video(キットカットと同梱。現在は配信・生産共に終了)

  • 花とアリス(2004年、脚本・監督・音楽)

  • 市川崑物語(2006年、脚本・監督・編集)


    [ ドキュメンタリー ]


  • 少年たちは花火を横から見たかった(1999年)

  • 六月の勝利の歌を忘れない(2002年)


    [ ミュージックビデオ ]


  • ZARD
    Good-bye My Loneliness(1991年)
    不思議ね…(1991年)
    もう探さない (シングル)|もう探さない(1991年)

  • 大事MANブラザーズバンド
    うたをうたおう(1992年)

  • 東京少年
    Getting Home(1991年)
    陽のあたる坂道で(1991年)
    Love you,So long(1991年)

  • Merry Christmas To You/前田亘輝(1991年)

  • 見つめるだけで/陣内大蔵(1993年)

  • 素敵なバーディー (NO NO BIRDY)/サザンオールスターズ(1993年)

  • 毛ぼうし(ニットキャップマン)/ムーンライダーズ(1996年、短編VC、脚本・監督)

  • フィルム 空の鏡/松たか子(1997年)

  • Lily Chou-Chou
    グライド(2000年)
    共鳴(空虚な石)(2000年)
    飛べない翼(2001年)

  • 大塚愛
    クムリウタ(2007年)

  • YEN TOWN BAND
    Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜(1996年)


    [ 網野酸名義での作品 ]


  • 虹の女神 (2006年10月28日公開、脚本)


    [ラジオドラマ]


  • カルシウム (2004年6月、脚本(共著))

  • Bandage (2005年2月、脚本(共著))

  • MY LITTLE HONDA (2005年9月、脚本(共著))


    [ 著作 ]


  • Love Letter (1995年、小説)

  • スワロウテイル (1996年、小説)

  • トラッシュバスケット・シアター (1997年、自伝的エッセイ)

  • ウォーレスの人魚 (1997年、小説)

  • マジック・ランチャー (1998年、庵野秀明との対談本)

  • リリイ・シュシュのすべて (2001年、小説)



    出演作品


  • 式日(2000年)



    関連項目


  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 円都通信

  • 戯作通信

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月20日

    映画監督[岩井俊二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    岩井俊二



    岩井 俊二(いわい しゅんじ、1963年1月24日 - )は、宮城県仙台市出身の映画監督・映像作家・脚本家・音楽家。脚本家としては、網野 酸(あみの さん)というペンネームを用いることもある。



    概要

    仙台第一高等学校を経て、1987年、横浜国立大学教育学部美術学科卒。学生時代から小説家を目差し、美術の学科に入ったのもその道に影響すればいいと思ったため。絵はあくまでも趣味で描き、漫画の持込みなどもした。卒業後は就職活動をせず、とにかく映像関係の仕事に就きたいとアルバイトとして人脈を広げた。1988年、ビーイングなどのミュージック・ビデオの仕事を始める。1993年、テレビドラマ『If もしも|ifもしも〜打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を演出し、日本映画監督協会新人賞を受賞。同作品は再編集され、1994年劇場公開される。1995年、初の長編映画『Love Letter』を監督。日本でも好評だったが、韓国では特に爆発的な人気を呼んだ。これに続く『スワロウテイル』は賛否両論あったが、岩井の知名度を大きく上げた作品である。その後長編・短編作品を順調に公開し、独特な映像美から「岩井美学」などと呼ばれるようになる。初めてドキュメンタリーを発表した1999年頃から劇映画の監督業以外にもフィールドを広げ、2000年には庵野秀明監督『式日』に俳優とし\xA1 $F=P1i!#?7$7$$5;=Q$K$bL4Cf$G!"F1G/%$%s%?!<%M%C%H>e$NEE;R7G<(HD|BBSを使った大衆参加による小説『リリイ・シュシュのすべて』を完成、映画化する。この映画もまたHD24Pという、フィルム表現に近いデジタル撮影による新しい方法で行われ、仮編集はアップルコンピュータ|ApplePowerBookが用いられた。この撮影法をいち早く取り入れた一人である。また、2003年にはWEB配信という新しい上映方法で『花とアリス(ショートフィルム)』を公開。2004年4月1日からオフィシャルのウェブページでシナリオ募集していた『しな丼』のコーナーを閉鎖し、「戯作通信」こと『playwoks(プレイワークス)』というウェブサイトを開設、また合わせてラジオ番組、『円都通信』がスタート。この『playwoks』(『しな丼』)で扱われたシナリオがラジオドラマとして毎週放送されている。



    作品




    [ 映像作品 ]




    [ テレビドラマ ]


  • 見知らぬ我が子 (1991年、テレビドラマ|TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 殺しに来た男 (1991年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • マリア (1992年、TVドラマ「DRAMADOS」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語 「蟹缶」(1992年、監督)

  • 夏至物語 (1992年、TVドラマ「薔薇DOS」、脚本・監督)

  • オムレツ (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • GHOST SOUP (1992年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 雪の王様 (1993年、「TV-DOS-T」、脚本・監督)

  • FRIED DRAGON FISH (1993年、「La cuisine」、脚本・監督)

  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? (1993年、「If もしも 」、脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語「ルナティック・ラヴ」 (1994年、脚本・監督)


    [ 映画 ]


  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1994年、脚本・監督)

  • PiCNiC(1994年、脚本・監督)

  • Undo_(映画)|undo(1994年、脚本・監督)

  • Love Letter(1995年、脚本・監督)

  • スワロウテイル(1996年、脚本・監督)

  • ACRI(1996年、原作・脚本)

  • 四月物語(1998年、脚本・監督・音楽(CLASSIC名義))

  • リリイ・シュシュのすべて(2001年、脚本・監督)

  • Jam Films「ARITA」(2002年、脚本・監督・音楽)

  • 花とアリス|花とアリス(ショートフィルム)(2003年、脚本・監督・音楽)
    web配信とDVD-Video(キットカットと同梱。現在は配信・生産共に終了)

  • 花とアリス(2004年、脚本・監督・音楽)

  • 市川崑物語(2006年、脚本・監督・編集)


    [ ドキュメンタリー ]


  • 少年たちは花火を横から見たかった(1999年)

  • 六月の勝利の歌を忘れない(2002年)


    [ ミュージックビデオ ]


  • ZARD
    Good-bye My Loneliness(1991年)
    不思議ね…(1991年)
    もう探さない (シングル)|もう探さない(1991年)

  • 大事MANブラザーズバンド
    うたをうたおう(1992年)

  • 東京少年
    Getting Home(1991年)
    陽のあたる坂道で(1991年)
    Love you,So long(1991年)

  • Merry Christmas To You/前田亘輝(1991年)

  • 見つめるだけで/陣内大蔵(1993年)

  • 素敵なバーディー (NO NO BIRDY)/サザンオールスターズ(1993年)

  • 毛ぼうし(ニットキャップマン)/ムーンライダーズ(1996年、短編VC、脚本・監督)

  • フィルム 空の鏡/松たか子(1997年)

  • Lily Chou-Chou
    グライド(2000年)
    共鳴(空虚な石)(2000年)
    飛べない翼(2001年)

  • 大塚愛
    クムリウタ(2007年)

  • YEN TOWN BAND
    Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜(1996年)


    [ 網野酸名義での作品 ]


  • 虹の女神 (2006年10月28日公開、脚本)


    [ラジオドラマ]


  • カルシウム (2004年6月、脚本(共著))

  • Bandage (2005年2月、脚本(共著))

  • MY LITTLE HONDA (2005年9月、脚本(共著))


    [ 著作 ]


  • Love Letter (1995年、小説)

  • スワロウテイル (1996年、小説)

  • トラッシュバスケット・シアター (1997年、自伝的エッセイ)

  • ウォーレスの人魚 (1997年、小説)

  • マジック・ランチャー (1998年、庵野秀明との対談本)

  • リリイ・シュシュのすべて (2001年、小説)



    出演作品


  • 式日(2000年)



    関連項目


  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 円都通信

  • 戯作通信

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月19日

    映画監督[水野晴郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 - )は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫(みずのかずお)。マイク・ミズノ (Mike Mizno) の通称でも知られている。独身。



    経歴




    [ 生い立ち ]

    1931年、岡山県高梁市に生まれ、2歳からは満州で育ち、第二次世界大戦の集結後は岡山県に引き揚げる。青年期には岡山から大阪・神戸市|神戸・姫路の映画館に通っていた。慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を男手一つで育てた。


    [ 映画界へ ]

    映画との出会いは戦後であった。 戦時中は軍人として死ぬ事を教育されていた水野は敗戦後の価値観の変化に戸惑う。アメリカに押しつけられた民主主義というものの意味が理解できなかった。そのときに出会ったのがアメリカ映画であった。「民主主義というのはこういう面白い映画をみんなが自由に撮れて、みんなが自由に観ることのできる社会なんだ!」そしてこの出会いは水野の人生そのものを決めることになったのであった。1956年、20世紀フォックス映画に入社し映画界へ。5年後に日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「史上最大の作戦」「真夜中のカーボーイ」「夕陽のガンマン」、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも水野であるとされる。独立後は1972年5月から、日本テレビ放送網|日本テレビ系\xA1 $N1G2hHVAH!X6bMK%m!<%I%7%g!l!Y$b!"!V%7%Y%j%"D6FC5^!W$,J|1G$5$l$k>l9g$N$_2r@b$rC4Ev$7$?$3$H$,$"$kゴールデン洋画劇場の解説者の高島忠夫が病気療養で降板したため。1992年には日活の創立80周年記念作品『洛陽』に山下奉文役で映画俳優に挑戦この起用は、軍服姿の水野の風貌が、山下奉文に酷似しているためとされる。。これが4年後の『シベリア超特急』に繋がっていく。2004年の映画「下妻物語」では、「主人公の下妻物語#登場人物と映画キャスト|白百合イチゴがコンビニで「水野晴郎」を見かける」という設定で本人役で友情出演していた。登場時にはテレビ出演時に水野がよく着るシベリア超特急のロゴが大きくプリントされた白のスウェットシャツを着ていた。ウィズダムを設立し、映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。2004年には秋田県のシネマコンプレックス・パンテオンシネマズAKiTAをプロデュース。兵庫サンテレビジョン|サンテレビの映画函 VAH!X%I%j!<%`%7%"%?!体調不良により降板している。また、2007年現在エフエム京都|α-Stationで放送されている番組『CHUMMY TRAIN』では、水野による「いやぁ〜、チャミトレって本当にいい番組ですね」というジングル (ラジオ)|ジングルが使用されている。これは以前この番組のゲストに呼ばれたときに収録したものと思われる。


    [ 「シベ超」 ]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、「シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    邦題・宣伝担当作品


  • 史上最大の作戦

  • 007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発

  • 女王陛下の007

  • 華麗なる賭け

  • チキ・チキ・バン・バン

  • 真夜中のカーボーイ

  • 夜の大捜査線



    警察マニアの一面

    警察マニアとしても有名で、国際警察官協会の日本支部会長を務める。アメリカ合衆国|アメリカで保安官補(実際に活動する執行官)の体験勤務をしたり、パトカーのサイレン音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。警官の制服を着ているときの満面の笑みは有名。かつては警察学校で警官の昇進に関わる本格的な講義を受け持っていたほか、現在でも日本各地の警察、警察大学校、警察学校で講演しているという。警察庁長官からは表彰を受けている。本業の映画解説にも米国警察や司法制度に精通する一面が随所で発揮された。『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』で放送される本編の映画が93分未満で放送時間が余った際、映画とは関係のない水野の警察関係のコレクションや記念写真がミニコーナーでたまに放送されることがあった。また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されているが、この大学は実態のないディプロマミルである。なお、日本のパトカーにアメリカ式のパトランプ、つまりバーライトを採用するよう提案したのは水野だという(本人談)。従来日本のパトカーにはァ k!<%U$NCf1{$K?eJ?2sE><0$N@V?'7Y8wEt$,$]$D$s$H



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    エピソード


  • 伊集院光のラジオ「深夜の馬鹿力」に出演した際、水野本人が語ったところによると初体験は18歳の時、森の中で年上の女性とだったらしい。*2007年6月29日、映画の試写室で階段踏み外し転倒し背骨を圧迫骨折して全治3ヶ月の重傷を負った。なお2004年にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している。*他人の映画へのカメオ出演する場合、映画の内容にかかわらず「本人自身の役で、胸に『シベリア超特急』のロゴが入ったトレーナを着ている」か、「警官役で、制服姿である」のいずれかであると言ってよい。*上述のように、水野自身が宣伝担当していた007シリーズのパロディである映画『0093女王陛下の草刈正雄』(2007年公開)にもカメオ出演した。



    関連事項


  • 浜村淳

  • 西田和昭

  • ナンシー関

  • パンテオンシネマズAKiTA

  • 水野晴郎シネマ館

  • HANDSHAKING(第5回対談)

  • ケータイ刑事 銭形シリーズ

  • 浅草キッド

  • おすぎ

  • 新自由クラブ

  • 社会民主連合



    脚注





    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム(公式サイト)

  • 水野晴郎研究室(倉敷芸術科学大学)

  • 早稲田大学人物研究会・水野晴郎講演録

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月18日

    映画監督[川本三郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    川本三郎



    川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年 - )は評論家。



    来歴・人物

    東京都出身。麻布学園から東京大学法学部を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞市|朝霞の自衛官殺害事件(赤衛軍事件)で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『Have You Ever Seen The Rain?』を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。1971年11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、1972年1月9日には川本もまた逮捕され、会社は懲戒免職となり、1972年9月27日、浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は自伝的な『マイ・バック・ページ−ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。文芸・映画・都市などジャンルぁ ,I}9-$$I>O@2H$GB??t$NCx=q$,$"$k!#



    受賞歴


  • 『大正幻影』でサントリー学芸賞

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』で1996年,第48回読売文学賞・評論・伝記賞

  • 『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞



    著作


  • 『大正幻影』(筑摩書房,1997年,ISBN 4480032665)

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(都市出版,1996年,ISBN 978-4-924831-38-4)

  • 『林芙美子の昭和』(新書館,2003年,ISBN 4403210821)

  • 『都市の感受性』

  • 『映画を見ればわかること』

  • 『この映画見た?』

  • 『本のちょっとの話』

  • 『ロードショーが150円だった頃』など多数。

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月17日

    映画監督[五所平之助]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    五所平之助



    五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日−1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶應義塾高等学校|慶応義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子ぁ N!XHT2N!Y$r5W2fH~;R$G$"$k!#GP?M$H$7$F$bCN$i$l$F$*$j!"!V5WJ]EDK|B@O:|春燈」同人として「五所亭」という俳号で活躍した。1941年、紫綬褒章、1947年勲四等旭日小綬章受章。



    代表作



  • 南島の春(1925年)

  • 彼女(1926年)

  • 寂しき乱暴者(1927年)

  • 恥しい夢(1927年)

  • からくり娘(1927年)

  • 村の花嫁(1928年)

  • マダムと女房(1931年)

  • 伊豆の踊子(1933年)

  • 十九の春(1933年)

  • 生きとし生けるもの(1934年)

  • 人生のお荷物(1935年)

  • 新道(1936年)

  • 木石(1940年)

  • 新雪(1942年)

  • 今ひとたびの(1947年)

  • 煙突の見える場所(1953年)

  • 愛と死の谷間(1954年)

  • 鶏はふたたび鳴く(1954年)

  • たけくらべ(1955年)

  • 黄色いからす(1957年)

  • 挽歌(1957年)

  • 蟻の街のマリア(1958年)

  • 白い牙(1960年)

  • 猟銃(1961年)

  • かあちゃんと11人の子ども(1966年)

  • 女と味噌汁(1968年)

  • 明治はるあき(1968年)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月16日

    映画監督[伊丹十三]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊丹十三



    伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。女優の宮本信子は妻。俳優の池内万作は息子。作家の大江健三郎は義弟。バイオリン等の演奏や画家、料理通としても知られる。



    来歴・人物




    [幼少〜青年期]

    映画監督の伊丹万作を父親として京都市右京区鳴滝泉谷町に生まれる。第二次世界大戦末期、京都師範付属国民学校を経て、湯川秀樹によって当時構想された、科学者養成のための英才集団特別科学学級で教育を受けた。当時としては珍しく、戦時中に英語教育を実践していたと云われる。同窓に日本画家の上村淳之がいる。中学生の時に父親は死去する。京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)に入学、同窓に共同通信労組の林直久がいた。その後、愛媛県松山市へ移り、愛媛県立松山東高等学校に転入。ここで大江健三郎と知り合う。その後、二度落第して愛媛県立松山南高等学校に転入。同校を卒業したが大学を受験して失敗したため、東京へ行き新東宝編集部を経て商業デザイナーとなる。明朝体を書かせたら日本一といわれ、その才能は後の映画のタイトル作りにも活かされた。


    [マルチタレントとして活躍]

    舞台芸術学院に学び、26歳の時大映 (映画)|大映に入社、「伊丹 一三」という芸名を永田雅一にもらい俳優となる。1960年に日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子と最初の結婚をする。同じ年に作家であり友人の大江が妹ゆかりと結婚する。1961年、大映 (映画)|大映を退社する。その後『北京の55日』(1963年)『ロード・ジム』(1965年)などの外国映画に出演し、話題となる。1969年に「伊丹 十三」と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)では、キネマ旬報賞助演男優賞を受賞している。1960年代には、外国映画に出演した際のロケ道中をまとめたエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』を出版し大ヒット。その後も『女たちよ!』など軽妙なエッセイを次々と発表し、文筆業においても名声を得る。これらエッセイにおける、気障に映りながらも、物事の本質をその細部にいたるまで理詰めで探求していく独自のスタイルは、その後の多くのエッセイストに影響を与えたとされ\xA1 $k!#1970年代に入るとテレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、『遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい』等のドキュメンタリー番組の制作に関わり?自らレポートする。この時培ったドキュメンタリー的手法は、その後の映画制作にも反映している。また『日本世間噺大系』『小説より奇なり』に見られる、独特の聞き書き書体はこの時代の経験を反映している。また70年代後半には『アフタヌーンショー』のレポーターを務め?得意の緻密な画力で犯罪現場をスタジオで描いてみせた。1969年に山口瞳の媒酌で女優の宮本信子と再婚し、宮本との間に子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。ちなみに長男の万作は父の名前をそのまま取って命名された。岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977年)を読み、彼の主張する唯幻論に傾倒する。『哺育器の中の大人』(1978年)は、伊丹が岸田から唯幻論についての講義を受けるというスタイルの対談である。また、岸田らを中心に取り上げた現代思想の雑誌『モノンクル』(フランス語で“僕のおじ\xA1 $5$s!I$N0U!K$r1981年に創刊し、編集主幹を務めた。しかし、\xA1 6\xB9 f$G=*4)$H$J$k!#0KC0$N4X$o$C$?5-;v$N$$$/$D$+$O!"!X<+J,$?$A$h!』に収録されている。この一方で、文化人達が伊丹の周辺に集まり、一種のサロンを形成している。コピーライターの糸井重里、自称芸術家の篠原勝之、作家の村松友視は伊丹より直接の影響は受けていないかも知れないが、1970年代においてマイナーな分野を掘り下げていく作業において伊丹の精神を利用していると見えなくもない。この意味で高踏的文化人と見られていた伊丹が批評家や大衆と直接向き合い、時に罵声を浴びる覚悟で映画製作に乗り出したのは衝撃的でもあった。


    [映画監督への転身]

    1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうけ、受賞した映画賞は日本アカデミー賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。この作品で伊丹はその前歴の俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーター・商業デザイナーとしての全ての経験が活かせる事を発見し、その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ (映画)|タンポポ』や国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』、ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など、日本の社会に対する強い問題意識をもちながら、かつエンターテイメント性に富み、映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り、一躍日本を代表する映画監督となり、「伊丹映画」という1ジャンルを築く事に成功する。特に1992年の『ミンボーの女』では、地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き?観客は大喜びした。これまで日本では、ヤク\xA1 %6$rIA$$$?1G2h$NB?$/$O%d%/%6$r%R!<%m!<$H$7$FNi;?$7$FIA$$$F$$$?$b$N$@$C$?!#8x3+1週間後の5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ (映画)|タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』において、主人公(権藤)やソープ嬢を障害者とする設定を行ったことに対して、倫理的観点から厳しい社会的批判を受けた。しかし女シリーズに代表される「社\xA1 2qGI%3%a%G%#!W$N%8%c%s%k$r3NN)$7$?;v$OBg$$$J$k8y@S$H$$$($h$&!#! 0KC0$KB3 $/u$G$"$k!#1i=PLL$G$NFCD'$OGPM%$KBP$7$F0l8@0l6g$N%"%I%j%V$b5v$5$:!"2hLL$K1G$kA4$F$N>.F;6q$K0l@Z$NBE6($r5v$5$J$$$H$$$&873J$J$b$N$G$"$C$?!#$7$+$7GPM%$,NGを出しても決して怒鳴り散らしたりしないため、俳優にとっては非常にやり易かったという。


    [謎の「自殺」]

    1997年12月20日、写真週刊誌「FLASH (写真週刊誌)|フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死をもって潔白を証明する」との遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから投身自殺を遂げた。しかしながら、他殺とされる見解も多い。それは不倫疑惑について週刊誌の記者からインタビューを受けた際に「妻に聞いてみればいいよ」と笑いながら、全く意に介さず「いつものことだから」のように軽口を叩いていた伊丹が突然それを「死を以って証明する」と自殺するのはあまりにも不自然すぎるからであった。伊丹十三の「自殺」を知った宮本信子は立ち上がれないほど憔悴しきってしまったという。 伊丹は、民事介入暴力を描いた『ミンボーの女』公開直後(1992年)に、怒った暴力団の男たちに襲われて重傷を負い、さらにその入院生活を元に製作した『大病人』公開時(1993年)には自称右翼の男によってスクリーンを切り裂かれる事件が起こっている。これらの背景を元にした他殺説として、『マルタイの女』(1997\xA1 G/!K$KE\$C$?K=NOCD$d1&McCDBN$KKE;&$^$?$O<+;&$KDI$$5M$a$i$l$?$H$9$k@b$,$"$k!#2001年、大江健三郎の小説『取り替え子』に伊丹十三を思わせる人物が描かれ、話題となった。晩年は、湯河原に住んだ。



    著作


  • 『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)

  • 『フランス料理を私と』

  • 『女たちよ!』

  • 『再び女たちよ!』

  • 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』

  • 『自分たちよ!』

  • 『日本世間噺大系』

  • 『小説より奇なり』

  • 『問いつめられたパパとママの本』

  • 『「お葬式」日記』

  • 『「マルサの女」日記』

  • 『「大病人」日記』


    [ 共著 ]


  • 『快の打ち出の小槌』

  • 『哺育器の中の大人』(1978年)


    [ 訳書 ]


  • 『パパ・ユーア・クレイジー』

  • 『主夫と生活』

  • 『ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン』

  • 『中年を悟るとき』

  • 『ポテト・ブック』



    出演作品


  • 『黒い十人の女』(1961年)

  • 『北京の55日』(1963年、日本公開1964年)

  • 『執炎』(1964年)

  • 『源氏物語』(1965年、毎日放送)

  • 『ザ・ガードマン』第84話「ハートで盗め」(1966年、大映テレビ室・東京放送|TBS)

  • 『コメットさん』パパ役(1967-8年)

  • 『悪一代』(1969年、朝日放送)

  • 『天皇の世紀』(1973年、朝日放送)

  • 『国盗り物語』足利義昭役(1973年、日本放送協会|NHK)

  • 『もう頬づえはつかない』(1979年)

  • 『草迷宮 (映画)|草迷宮』(1979年、日本公開1983年)

  • 『夕暮まで』(1980年)

  • 『北の国から』(1981年)

  • 『峠の群像』吉良義央役(1982年、NHK)

  • 『家族ゲーム』(1983年)

  • 『細雪』(1983年)

  • 『居酒屋兆治』(1983年)

  • 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』

  • 『スウィートホーム (映画)|スウィートホーム』
    ほか



    CM


  • 味の素

  • 日産自動車 日産・サニー|サニー (1990年)

  • 一六本舗|一六タルト

  • ツムラ



    制作総指揮作品


  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム



    監督作品


  • 『お葬式』(1984年)

  • 『タンポポ (映画)|タンポポ』(1985年)

  • 『マルサの女』(1987年)

  • 『マルサの女2』(1988年)

  • 『あげまん (映画)|あげまん』(1990年)

  • 『ミンボーの女』(1992年)

  • 『大病人』(1993年)

  • 『静かな生活』(1995年)

  • 『スーパーの女』(1996年)

  • 『マルタイの女』(1997年)



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 伊丹十三記念館

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月15日

    映画監督[実相寺昭雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    実相寺昭雄



    日本
    | 民族 = 日本人
    | 血液型 =
    | 生年 = 1937
    | 生月 = 3
    | 生日 = 29
    | 没年 = 2006
    | 没月 = 11
    | 没日 = 29
    | ジャンル = 映画監督、演出家、脚本家、小説家
    | 活動時期 = 1959年 -2006年
    | 活動内容 =
    | 備考 =
    }}
    実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、映画監督、演出家、脚本家、小説家。東京芸術大学|東京藝術大学名誉教授。



    来歴・人物

    早稲田大学第二文学部卒業後、東京放送|TBSに入社し演出家として活動。殊にウルトラシリーズの演出で知られる。作風はとにかく「エキセントリック」の一語に尽きる。特に斜めからのアングル、逆光を浴びる登場人物などのカットを多用する。なお、話の内容も現実味を含んだ夢幻なのか、幻想のような現実なのかよくわからない世界を舞台にした話が多く、映像効果も非常にマッチしたものが多いので実相寺マジックと呼ばれていた。映画監督としては日本人特有の民族性・風土をテーマにした作品で有名。大島渚グループとの親交が深く、劇場用デビュー中篇「宵闇せまれば」の脚本を大島が執筆したほか、田村孟、佐々木守、石堂淑郎らの脚本が多い。とりわけ、現在からは信じがたいほど左翼色濃厚な作家だった石堂とはデビュー長編「無常」以下「曼荼羅」「哥」のATG三部作でタッグを組み、京都・滋賀・福井にかけての陰鬱な景色を切り取りながらの強烈なディスカッションは当時の日本映画に大きな衝撃を与えた。容赦ない性描写も話題を呼び、「膣掃除」の異名を奉られたこともある。多くの作品でタッグを組んだ美術・池谷仙克、照明技師・中堀正夫とともに独\xA1 FC$J%i%$%F%#%s%0$r9T$$!"$^$?!"8D@-$N6/$$!V 『無常』でロカルノ国際映画祭グランプリを、『波の盆』で芸術祭大賞受賞。他にカンヌCM映画祭グランプリも受賞している。荒俣宏原作『帝都物語』がヒットした。ウルトラシリーズの話の監督、または脚本を担当する際は、ウルトラ戦士の光線技を使って怪獣を倒させるといった行為を嫌っていた傾向があり、実相寺が担当する話でウルトラマンたちが敵を倒す時、ほとんど光線技を使っていない。ただし全くなかったというわけでもなく、ウルトラマンティガでは、2話とも光線技で倒させていた。実相寺のクラシック音楽のマニアぶりは、早くから演出作品のバックグラウンドミュージック|BGMに反映されていたが、やがて『オーケストラがやってきた』の演出、音楽雑誌への寄稿と徐々に仕事の一角を占めるようになり、ついにはオペラ演出にも進出。「イドメネオ」「カルメン」「魔笛」と多くの舞台を手がけ、東京藝術大学演奏芸術センター教授として教壇にも立った。妻は女優の原知佐子。娘の実相寺吾子も女優。また、一家の「長男」とされる愛用のアライグマのぬいぐるみ、ちな坊も度々自らの作品に登場させている。脚本執筆時には万福寺百合(まんぷぁ /$8 ゆり)、川崎高のペンネームも使用していた。鉄道ファン、特に路面電車ファンとしても知られ、雑誌『東京人』などにコラムなどを度々執筆しているほか、2003年には「昭和情景博物館」というストラクチャー食玩の監修も手がけた。2006年11月29日午後11時45分、胃癌のため東京都文京区の病院で死去。享年69。戒名は龍徳院禅徹定昭居士。書道をたしなみ、彼が題字を揮毫した漫画作品なども複数存在する。以前書道雑誌『墨』にインタビューを受けたこともあり、自らの書道は唐の顔真卿の影響があると述べたこともあった。



    演出作品




    [テレビ(含脚本)]


  • でっかく生きろ

  • 現在の主役 ウルトラQのおやじ

  • ウルトラマン(第14話『ガマクジラ|真珠貝防衛指令』、第15話『ガヴァドン|恐怖の宇宙線』、第22話『テレスドン|地上破壊工作』、第23話『ジャミラ|故郷は地球』、第34話『スカイドン|空の贈り物』、第35話『シーボーズ|怪獣墓場』)

  • レモンのような女

  • ウルトラセブン(第8話『メトロン星人|狙われた街』、第12話『スペル星人|遊星より愛をこめて』<現在欠番>、第43話『ロボット長官|第四惑星の悪夢』、第45話『ペロリンガ星人|円盤が来た』)

  • 風 (テレビドラマ)|風(演出の他、主題歌の作詞も川崎高名義で担当)

  • 怪奇大作戦(第4話『恐怖の電話』、第5話『死神の子守唄』、第23話『呪いの壷』、第25話『カドニウム光線発振機|京都買います』)

  • Oh!それ見よ

  • 帰ってきたウルトラマン(第28話『バリケーン|ウルトラ特攻大作戦』の脚本)

  • シルバー仮面(第1話『ふるさとは地球』、第2話『地球人は宇宙の敵』)

  • 子連れ狼 (萬屋錦之介版)|子連れ狼(オープニング及びタイトルバックの演出)

  • 長崎犯科帳(同上)

  • 二十四の瞳(1980年、アニメ作品)

  • 波の盆(1983年)

  • 火曜サスペンス劇場『青い沼の女』(1986年)出演:田村亮 (俳優)|田村亮、中山仁、堀内正美、原知佐子、寺田農、原保美、岡村春彦

  • ウルトラマンティガ(第37話『マノン星人|花』、第40話『バクゴン|夢』)

  • ウルトラマンダイナ(第38話『ブンダー|怪獣戯曲』)

  • ウルトラQ dark fantasy(第24話『雛|ヒトガタ』、第25話『異なもの|闇』、サウンドトラックCDの題字)

  • ウルトラマンマックス(第22話『魔デウス|胡蝶の夢』、第24話『メトロン星人|狙われない街』)

  • 怪奇大作戦 セカンドファイル(シリーズ構成、脚本、題字)*この作品が遺作となっている。


    [映画]


  • 宵闇せまれば(1969年)出演:斎藤憐、清水紘治、樋浦勉

  • 無常(1970年、ATG)出演:田村亮 (俳優)|田村亮、司美智子、岡田英次、ささきいさお|佐々木功、寺田農、小林昭二

  • 曼陀羅(1971年、ATG)出演:岸田森、田村亮、清水紘治、桜井浩子、草野大悟、小林昭二、原保美

  • 哥(うた)(1972年、ATG)出演:篠田三郎、八並映子、桜井浩子、田村亮、岸田森、東野孝彦、内田良平 (俳優)|内田良平、嵐寛寿郎

  • あさき夢みし(1974年、ATG)出演:ジャネット八田、花ノ本寿、寺田農、原知佐子、岸田森、篠田三郎、天田俊明、毒蝮三太夫

  • 歌麿・夢と知りせば(1977年)出演:岸田森、山城新伍、成田三樹夫、岡田英次、東野英心、緑魔子、岸田今日子、桜井浩子、平幹二朗

  • 実相寺昭雄監督作品ウルトラマン(1979年)出演:小林昭二、黒部進、毒蝮三太夫、二瓶正也、桜井浩子

  • 帝都物語(1988年)出演:勝新太郎、嶋田久作、西村晃、高橋幸治、佐野史郎、寺田農、平幹二朗

  • 悪徳の栄え(1988年)出演:清水紘治、李星蘭、石橋蓮司、寺田農、前原祐子、佐野史郎、原保美

  • ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説(1990年)出演:柴俊夫、荻野目慶子、風見しんご、中山仁、高樹澪、堀内正美、小林昭二、毒蝮三太夫、黒部進、寺田農

  • 屋根裏の散歩者(1992年)出演:三上博史、宮崎ますみ、六平直政、加賀恵子、嶋田久作、鈴木奈緒 (AV女優)|鈴木奈緒、寺田農、堀内正美

  • D坂の殺人事件(1998年)出演:真田広之、岸部一徳、嶋田久作、大家由祐子、六平直政、三輪ひとみ、寺田農、堀内正美、東野英心、岡野進一郎、原知佐子、浅野忠信

  • 姑獲鳥の夏 (映画)|姑獲鳥の夏(2005年)出演:堤真一、永瀬正敏、阿部寛、原田知世、田中麗奈、いしだあゆみ

  • 乱歩地獄『鏡地獄』(2005年)出演:浅野忠信、成宮寛貴、市川実日子、寺島進、原知佐子、堀内正美、寺田農

  • シルバー假面(2006年)出演:ニーナ、渡辺大、水橋研二、石橋蓮司、嶋田久作、ひし美ゆり子、堀内正美、寺田農

  • 夢十夜|ユメ十夜『第一夜』(2007年)出演:小泉今日子、松尾スズキ、堀内正美、寺田農


    [オリジナルビデオ演出]


  • アリエッタ(1989年、KUKI)出演:加賀恵子、清水大敬

  • ラ・ヴァルス(1990年、KUKI)出演:樹まり子、加賀恵子、前原祐子、寺田農、堀内正美、小林ひとみ

  • 実相寺昭雄の不思議館『受胎告知』(1992年)出演:加賀恵子、寺田農

  • 堕落(1992年)出演:加賀恵子、堀内正美、高樹澪、奥村公延

  • 私、なんでもします!(1993年)出演:加賀恵子、堀内正美


    [ラジオドラマ]


  • ウルトラQ倶楽部


    [CM]


  • 資生堂CM『初恋編』(カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞/17歳時の薬師丸ひろ子が主演)

  • エスビー食品CM『ゴールデンレインボーカレー』「にわとり篇」「牛篇」「パッケージ篇」出演/水谷豊 、演出補助/岸田森

  • エスビー食品CM『スナックチップ』「インタビュー篇」「階段篇」「コロコロ(寄り)」「寄席篇」「ポスター篇」「影篇」「待ち人」「和歌」「新聞」「カラッポ」 「タイコ」「浜辺」「ジャングル」「少女(語らい)」「少女(散歩)」「人形」「人形 A型」「人形 B型」「どうぞ」 「人気絶頂」「御本家」出演/水谷豊、演出補助/岸田森

  • エスビー食品CM『スナックトースト』「野球」「外野フライ」「キャッチャーフライ」「ご一緒に」「カリカリ」「まざっちゃった」「パターン」「飲み物」「八木節」出演/水谷豊、演出補助/岸田森


    [監修]


  • 地球防衛少女イコちゃん 2(監督:河崎実)

  • 超高層ハンティング(監督:服部光則)

  • ミカドロイド(監督:原口智生)

  • オリジナルビデオ実相寺昭雄の不思議館(実相寺昭雄のミステリーファイル)シリーズ(「受胎告知」と、各エピソード繋ぎにある寺田農の出演シーンは演出)

  • マイ・ブルー・ヘヴン わたし調教されました(監督:寺田農)音楽監修

  • 東京デカメロン(監督:小林浩一)

  • いかレスラー(監督:河崎実)

  • 日本以外全部沈没(監督:河崎実)

  • ヅラ刑事(監督:河崎実)

  • プレイステーション用ソフト有限会社地球防衛隊(監修・演出・タイトル文字)

  • 昭和情景博物館/都電の風景(企画監修・玩具菓子/ハピネット)

  • 昭和情景博物館/金魚鉢の光(企画監修・玩具菓子/ハピネット)



    小説


  • 星の林に月の舟

  • ウルトラマン・ゴールドラッシュ作戦(1993年、小学館)スーパークエスト文庫

  • ウルトラセブン・狙われた星(1993年、小学館)スーパークエスト文庫)



    著書


  • 闇への憧れ 所詮、死ぬまでのヒマツブシ

  • ウルトラマンのできるまで(1988年、筑摩書房)ちくまプリマーブックス13

  • 夜ごとの円盤 怪獣夢幻館

  • ウルトラマンに夢見た男たち(筑摩書房)ちくまプリマーブックス37

  • 旅の軽さ

  • ウルトラマンの東京

  • チェレスタは星のまたたき

  • ナメてかかれ

  • 怪獣な日々 私の円谷英二100年

  • 昭和電車少年



    実相寺昭雄(に相当する役)を演じた俳優


  • 三上博史〔吉良平治〕「ウルトラマンを作った男たち」

  • 橋爪淳〔仙童〕ウルトラQ dark fantasy第25話『闇』



    ウルトラシリーズにおける裏話




    [『ウルトラマン』]

    佐々木守とのコンビで活躍。ウルトラマンがスペシウム光線や八つ裂き光輪を使わない、地球人の一方的な都合だけで怪獣を倒すことの是非をテーマに掲げる等、他の監督の演出とは一線を画す内容となっている。


    [ 第22話「地上破壊工作」]

    本作品の脚本は、クレジット上では佐々木守となっているが、実際は実相寺の脚本。


    [ 第34話「空の贈り物」]

    本作品では、作戦室を飛び出した時に持っていたカレースプーンのままで変身しようとしたハヤタ隊員のシーンが有名だが、これは撮影後に円谷プロ内部で問題になった。この演出に噛み付いたのは、黒澤明の下で長年助監督を務めてきた、ベテラン監督の野長瀬三摩地。当時、東京放送|TBSから出向という形で演出をしていた実相寺とはキャリア等の面で相当な開きがある。その野長瀬からすれば、<完全無欠の神にも等しい存在であるべきヒーロー・ウルトラマン(=ハヤタ隊員)にあんな間抜けな行動をとらせるとは、若造め何を考えていやがるんだ>という気持ちだったのだろう。上原正三の著書・『ウルトラマン島唄』によれば、金城哲夫に説得された野長瀬は渋々ながら、それを聞き入れたようである。今でこそ、名監督のほまれ高い実相寺であるが、その自伝的小説『星の林に月の舟』やその映像化作品に見られるように、その演出はあちらこちらで問題を起こしていたようである。スプーンでの変身シーンは、現在でも『ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹』や『おねがいマイメロディ』などのアニメでパロディ化されるなど、有名なシーンの一つとなっている\xA1 !#$^$?!"%O%d%?$N%U%#%.%e%"2=$N:]$K!"%Y!<%?!<%+%W%;%k$H%9%W!<%s$,N>J}IUB0$7$?;v$b$"$k!#$^$?8e$K%&%k%H%i%7%j!<%:$=$N$b$N$G%O%d%?Bb0wLr$N9uIt?J;a$K$h$k%;%k%U%Q%m%G%#$bEP>l$7$?!#


    [『ウルトラセブン』]




    [ 第8話「狙われた街」]

    本作は、モロボシ・ダン(=ウルトラセブン)とメトロン星人との宇宙人同士が卓袱台を挟んで会見するシーンが有名だが、当時のTBSは、ウルトラシリーズについては海外への作品の輸出を視野に入れたうえで番組製作を行っており、日本を思わせるものは極力入れない方針であった。故に製作開始の時の申し合わせに際しても、関係者に対してこのことは厳守するように伝えていた。しかし実相寺はこの事を敢えて無視し、劇中に卓袱台を登場させ、放送後にプロデューサーから怒号された(辰巳出版『ウルトラマンAGE』に於ける実相寺へのインタビュー記事より要約)。
    この回及び同時に撮影された第12話「遊星より愛をこめて」(現在欠番・詳細はウルトラセブン#第12話の欠番について|こちらを参照のこと)の放映後、実相寺はしばらく『ウルトラセブン』の演出を離れ、京都で時代劇の演出を担当することとなる。これはこの卓袱台事件に対しての懲罰人事異動|人事であったとも言われるが、真相は不明である。本作の脚本は金城哲夫が担当したが、ラストシーンに流れるナレーションは佐々木守によるもの。後に実相\xA1 ;{$O!"$3$NOC$r85$K!X%&%k%H%i%;%V%s ねらわれた星』という小説を書いている。『ウルトラマンマックス』という作品自体は旧作との関連性は無いが、実相寺が演出を担当した第24話「狙われない街」(2005年12月10日放送)は本作の続編的な内容となっている。


    [『ウルトラマンティガ』]




    [ 第37話「花」]

    本作のクライマックス、桧舞台でのマノン星人との一騎打ちでは、客席からGUTS隊員たちが見つめているという案もあったという。マノン星人(人間体)に原知佐子、三輪ひとみ。


    [ 第40話「夢」]

    本作品の撮影時期は、自ら監督の映画『D坂の殺人事件』クランクアップの頃であり、同作品から嶋田久作を始めとする出演者が大挙カメオ出演している。基本的にテレビドラマに出ない浅野忠信の出演もレアである。


    [『ウルトラマンダイナ』]




    [ 第38話「怪獣戯曲」]



    [『ウルトラマンマックス』]




    [ 第22話「胡蝶の夢」]




    [ 第24話「狙われない街」]




    関連項目


  • 円谷プロダクション

  • 成田亨

  • 日本アート・シアター・ギルド公開作品の一覧

  • 九鬼 (アダルトビデオ)

  • 宇宙家族カールビンソン



    外部リンク


  • 鬼才・実相寺昭雄の夢幻ワールド


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 05:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月14日

    映画監督[三谷幸喜]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    三谷幸喜




    三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は日本の劇作家、脚本家、俳優。 血液型はA型。身長174.8cm。妻は女優の小林聡美。



    来歴

    東京都世田谷区出身。当時全盛期だった大相撲の横綱大鵬幸喜にあやかって「幸喜」と命名された(三谷が生まれた当時は大関で、生まれた年の9月場所後に横綱に昇進した)。1983年、私立世田谷学園高等学校卒業後(私立獨協中学校中退)の日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」結成。活動初期では一橋壮太朗の芸名で自ら役者もつとめていた。劇団の活動と並行して放送作家としても活動をしており、『アイアイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成などに携わる。テレビアニメ『サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん』の脚本を手がけたこともあるが、3本目に執筆した「タラちゃん成長期」(フグ田タラオ|タラちゃんがドーピング|筋肉増強剤を使って近代オリンピック|オリンピックに出る夢をみるというストーリー)がプロデューサーの逆鱗に触れて降板させられる(なお、作品は4本作られたらしい)。フジテレビジョン|フジテレビの深夜番組『やっぱり猫が好き』の脚本を一部担当し(「このドラマが小林聡美と結婚するきっかけとなった\xA1 !W$H$h$/8@$o$l$k$,!"$"$/$^$G$-$C$+$1$K2a$.$:!"三谷幸喜本人が出演している)したことから一般に名が知られるようになり、1993年『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューする。この時、脚本が現場で勝手に直されるという事実に直面し、その体験を活かした舞台『ラジオの時間』を上演する。この作品は後に三谷の映画監督デビュー作としてリメイクされ、数々の賞を総なめにする(ちなみに映画版は『ラヂオの時間』と表記)。この作品の成功により、翌年には『刑事コロンボ』のような推理小説#推理小説の分類|倒叙ミステリーとして『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。この作品で気弱な刑事・今泉慎太郎を演じたのは「東京サンシャインボーイズ」の盟友西村雅彦で、彼もこの作品で一躍有名になった(尤も、前作『振り返れば奴がいる』にも出演し「織田裕二を刺した役者」と言われた)。また、同時期に「\xA1 El5~%5%s%7%c%$%s%\!<%$%:!W$NBeI=:n!X12人の優しい日本人』\xA1 $,Cf86=S 4FFD$K$h$C$F1G2h2=$5$l!"7`CD$+$i$OAjEg0lG7!"3a86A1$N2人が、舞台と同じ配役で出演している。1994年頃、劇団の活動に行き詰まりを感じたため、新宿シアタートップスでの『東京サンシャインボーイズの罠』を最後に30年間の充電期間に入る。劇団の人気が最高潮になり「チケットが取れない劇団」と言われ始めた1993年にはパルコによるプロデュース公演に参加、伊原剛志・松下由樹による二人芝居『ダァダァダァ』の演出・脚本を担当。翌年には、三谷の発案により唐沢寿明を起用したサスペンススリラー『出口なし!』の演出・脚本を担当する。それ以降も『君となら』『巌流島 (戯曲)|巌流島』『笑の大学』『温水夫妻』『オケピ!』(2001年第45回岸田國士戯曲賞受賞)『バッドニュース☆グッドタイミング』『彦馬がゆく』などのヒット作を次々生み出していく。また、松本幸四郎 (9代目)|松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」との共同プロデュースで『バイ・マイセルフ』『マトリョーシカ (戯曲)|マトリョーシカ』でも脚本を担当した。現在、パルコプロデュースシリ  <%:$NCf$G:G$b?7:n$NBT$?$l$k:n2H$H$J$C$?!#$A$J$_$K!">>K\9,;MO: (9代目)|松本幸四郎は、三谷が大河ドラマ『黄金の日日』で大河の脚本を夢見、その後『ラマンチャの男』で舞台脚本家を夢見た経緯があり、『王様のレストラン』の際に、駄目元で主演を依頼して以来のつきあいとなっている。幸四郎自身も、三谷の脚本を高く買っているようである。もっとも、『王様のレストラン』の出演は、娘である松本紀保が、三谷作品のファンで、彼女が強く薦めた結果らしい。1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表。多くの映画賞を受賞、絶賛を浴びる。2001年には自身の体験に基づいた「建築コメディ」とも言うべき監督第2弾『みんなのいえ』を発表。両作品共イギリスやドイツなどでも上映会が催され、多くの喝采を浴びた。一方『古畑任三郎』以降も『王様のレストラン』『総理と呼ばないで』『今夜、宇宙の片隅で』『合い言葉は勇気』『竜馬におまかせ!』など次々作品を発表、2002年暮れには念願のシチュエーション・コメディ『HR (テレビドラマ)|HR』において、脚本だけではなく総合演出も手がけた\xA1 !#$=$7$F2004年に長年の夢であった日本放送協会|NHK大\xA1 2O%I%i%^ !X?7A*AH!』の脚本を担当。三谷の意向も入れられたというそのキャスティングは賛否両論を呼んだものの、大きな話題となった。そして、2006年に、続編(大河ドラマ史上初)となる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が1月3日に正月スペシャルとして放送された。また同年1月3日・4日・5日には『古畑任三郎 ファイナル』も放送され、正月特番ドラマを連続して手がけたことになる。この2つのドラマはNHKが放送した『新選組!! 土方歳三 最期の一日』の裏のフジテレビに『古畑任三郎 ファイナル』の初日(第1夜「今、甦る死」)が放送され、三谷ファン泣かせな編成になってしまった。これに関し、『古畑〜』が21.5%に対し『新選組!!〜』は視聴率が9.8%と振るわず、フジテレビ側は「調整が間に合わなかった」と謝罪している。2004年10月映画版『笑の大学』(監督:星護、主演:役所広司・稲垣吾郎)公開、2004年暮れに舞台『なにわバタフライ』(戸田恵子出演の一人芝居)、2006年に公開した映画『THE 有頂天ホ\xA1 %F%k!Y!J4FFD$b7sG$!"=P1i!'Lr=j9-;J!">>$?$+;RB>!K!"2006年に東京ヴォードヴィルショーに書き下ろした『竜馬の妻とその夫と愛人』の再演など、相変わらずの人気作家ぶりが伺える。また2005年4月より清水ミチコとの対談形式のラジオ番組『MAKING SENSE』(J-WAVE)が放送されている。さらに2005年の11月〜2006年の1月にかけて、パルコ劇場プロデュース公演として「12人の優しい日本人」が再々々演された。出演は江口洋介他。この作品が、東京サンシャインボーイズ以外の出演者で上演されるのは、舞台としては初めてのことであった。尚、『笑の大学』はロシアで上演されるなど国際的な広がりをみせており、IMDBでは少数ながらも高評価を得ている。著作である『オンリー・ミー 私だけを』が50万部のベストセラーとなっているものの、あまり公表されていないので「ひそかなベストセラー」といわれる。テレビ東京系の子供番組『おはスタ』で2006年1月10日〜12日の間「やまちゃん」こと山寺宏一の代役として「コーキー」の呼び名で司会出演をした。2006\xA1 G/$NBg2O%I%i%^!X8yL>$,DT (NHK大河ドラマ)|功名が辻  Y!JBg@P@ E5SK\!K$G$O!"Bg@P$K@A$o$l$FLr-73B-Mx5A><$r1i$8$?!#2006年11月には、劇団東京ヴォードヴィルショー第61回公演「エキストラ」の脚本・演出を担当。
    2007年には、パルコ劇場で舞台「コンフィダント・絆」、伊東四朗、三宅裕司、佐藤B作による舞台「社長放浪記」の脚本(演出は三宅裕司)、芸術座の後継劇場となる「シアタークリエ」のこけら落し公演「恐れを知らぬ川上音次郎一座」の脚本・演出を担当することになっている。
    また、第4弾監督作品「ザ・マジックアワー」(2008年6月公開予定)のクランクインも予定されている。第一回日芸賞受賞者。佐藤隆太と共に授賞式に臨んだ。本人は、思いもよらない賞の獲得に驚いていた。



    人物

    ・ 仕事
    : 彼の作品は、基本的に喜劇である。本人も「面白い話しか書けない」と言っているように、悲劇やシリアスは苦手なところがある。
    : 仕事ぶりの方では、毎回締め切り間近に台本・脚本が仕上がるほどの遅筆が有名で、監督泣かせと言われている。舞台『巌流島』では、三谷の遅筆により台本が完成せず、予定していた公演初日が大幅にずれ込むことになり、佐々木小次郎役の陣内孝則が降板している。この時に三谷は、「今後、同様なことを起こしたら筆を折る」と宣言している。
    : テレビドラマの演出家には不信を持った時期があるようで、かつてはドラマディレクターに対する辛辣な発言振りが目立ったが(ドラマの現場で脚本が勝手に書き換えられるといった事など)、それでも共同テレビの河野圭太、星護などには一定の信頼は置いているようである。
    ・ 自己アピール
    : 自身のドラマや映画では、自らプレゼンターとして視聴者やマスコミの前に登場するが、その際は必ずタキシードを身にまとう。希望するBGMは布施明「君は薔薇より美しい」。
    : 2007年日本アカデミー賞で、最優秀監督賞を逃し、一気飲み後、テーブルに突っ伏し悔しがるという「演技」をしていた。ただし日本アカデミー賞自体では、「ラヂオの時間」で最優秀脚本賞を受賞している。
    ・ 性格
    : 神経質な性格の持ち主であり、自身の作品に否定的な意見を目にし、創作力の減退を防ぐという理由から、インターネットはほとんどみない。
    : 気難しい性格を現す一面に、なかなか他人を家に入れないという面がある。ココリコの田中直樹 (お笑い)|田中直樹にコレクションを見せると約束し、自宅を訪れた田中を玄関の外で応対し、自宅の中に招き入れることはなかった。妻・小林聡美の父親(つまり義父)が、小林の外出中に訪ねてきたときも自宅に入れなかった程である。
    :幼い頃に母と離婚した父が「長男(三谷幸喜)は俺があそこまで育て上げた」と各所で吹聴するようになってからは、その父が経営する印刷屋によって自作の台本が印刷されることを頑として拒否している(現在は腹違いの弟が家業を継いでいるが、拒否を続けている)。この辺りの複雑な生い立ちが人間不信に結びつき、気難しい性格を作り出した一因があると思われる。
    ・ 好きな女性
    : 観月ありさ、平野レミ、中森明菜の大ファンである。
    ・ テレビ狂
    : 子供の頃からかなりのテレビ狂であり、三度の飯よりテレビが大好きだったという。実家には今も当時使っていたテレビが残っているらしい。非常に数多くのテレビ番組に詳しく、海外ドラマ、特に『刑事コロンボ』には精通している。他にも『ドラえもん』『パーマン』『おそ松くん』などのアニメ番組や『ポンキッキーズ』『おはスタ』などの児童向け番組にも詳しい。彼が手がけたテレビドラマにも、これらの番組に使われたセリフや内容が度々登場する。
    : また「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)を初期の頃から見続けた「夜ヒットフリーク」であり(この点については「スカイパーフェクTV!」の月間広報誌でもインタビューの中で三谷自らが発言している)「ラヂオの時間」における井上順の配役の人物考証は夜ヒットでの井上のキャラクターに基づくものであるともいわれている。
    ・ 少女コミック
    : 少女趣味な一面があり、りぼん系の少女コミック「姫ちゃんのリボン」を読んでいる。他に「赤ずきんチャチャ」はアニメだけ見ていたらしい(これが、後に間接的ではあるが当時声優をつとめた香取慎吾との出会いになっており『古畑任三郎vsスマップ』の回では、古畑がこのアニメについて語っている)。
    ・ 歴史マニア
    : 歴史マニアでもあり、中学校の同級生が歴史の教科書の江藤新平の写真に似ていると思うと、彼に写真と同じような着物を着せて写真をとったという。以来、友達をモデルに幕末の志士のコスプレ写真をとり続けたというエピソードがある。また、横山光輝の『水滸伝』『三国志』のファンでもある。
    : 中学校の時、郷土クラブにも所属し「お墓研究班」班長として烏山の寺町の墓の数を数えていた。



    作品の特徴

    ・作風
    :ウィットやユーモアに富んだ演出による、ハートウォーミング、人間賛歌が多く、露骨な社会風刺やグロテスクな描写、きわどい台詞などは一切使わない。そうした独特の暖かみとなっており、多くのファンを魅了している。また劇中において登場するギャグはほとんどが三谷の考案によるものである。
    :ちなみに、織田裕二主演のテレビドラマ『振り返れば奴がいる』は、当初コメディ色の強い作品だったが、制作スタッフが現場で勝手に脚本を書き換え、当時流行っていたシリアスな作風になってしまった経緯がある。最終的には三谷の意図とは外れ、全く別の作品になってしまうという憂き目に遭っている。
    ・当て書き
    :三谷は自分が執筆した劇作品を、初演と違う出演者によって再演することを絶対に許可しない作家としても知られている。その理由のひとつは、全ての戯曲・台本をそれぞれの役を演じる役者への「当て書き(先に役者を決めてから、その役者をイメージしながら台本を書くこと)」として執筆していることによる(ただし、同じ役を異なる複数の役者が演じることを前提に企画されたTVドラマ『3番テーブルの客』は例外)。
    :たとえば『笑の大学』は、もともと三宅裕司と坂東三津五郎 (10代目)|坂東八十助 (5代目)に宛てて書かれたラジオドラマ脚本であるが、後に西村雅彦と近藤芳正出演で舞台化された際や、役所広司と稲垣吾郎出演で映画化された際には、そのたびごとに脚本自体を一から書き直している(ただし、ロシアで公演されているロシア語版に関してはその範囲外である)。
    ・俳優
    :他の脚本家や監督もやることではあるが、気に入った俳優を自身の作品に積極的に起用することが、三谷には顕著に見られる。それは舞台俳優にも同じで、三谷の作品がきっかけでTVドラマに出演し、脚光を浴びるようになる俳優も少なくない。
    :そして、その起用法ゆえか、三谷が監督をした映画には、普通の映画に出演すれば必ずエンディングのキャスト欄で最終に表記(いわゆるトメ)されると思われるほどの役者が多く出演しており、監督一作目の「ラヂオの時間」のエンディングでは、キャストの表示される順番が「あいうえお順(五十音順)」、三作目の「THE 有頂天ホテル」では「登場順」になっている。(注:キャスティングの「五十音順」は三谷作品に限るものではなく、昔からオールスターキャストの映画などで多く用いられた手法である。これは、当時から役者が自分の名前の表記順にこだわっていたことを示すものでもある。)



    赤い洗面器の男

    三谷作品を語る上では欠かせない「赤い洗面器を頭の上に乗せた男」の小咄。これまでに複数作品の登場人物によってこの話が語られるが、誰もが最後のオチを口にしようとした途端、必ず何かしら邪魔が入って話が途切れてしまい、結末はいまだ明かされず謎のままである。詳細については、「赤い洗面器の男」を参照。




    盗作問題

    2006年8月31日〜9月3日にかけて、声優の櫻井孝宏が主宰する劇団joy2006が、『東京サンシャインボーイズの罠』の題名及び脚本の一部を改変して無断で上演したことが判明した。櫻井は三谷本人に直接謝罪して自身の公式サイトに謝罪文を掲載した他、9月30日から1ヶ月間、ラジオ番組への出演を自粛した(11月から復帰)。また、櫻井の所属事務所である81プロデュースも公式サイト上に謝罪文を掲載した。なお、櫻井と三谷との間での話し合いは済んでおり、三谷側もこれ以上のアクションを起こす意向はない。



    作品一覧




    [ テレビドラマ ]


  • やっぱり猫が好き(第1シリーズ1988年〜1990年、第2シーズン1990年〜1991年、フジテレビ)

  • 東京ストーリーズ「大災難の街 東京」(1989年、フジテレビ)

  • 子供、ほしいね(1990年、フジテレビ)

  • 天国から北へ3キロ(1991年、フジテレビ)

  • 世にも奇妙な物語「息子帰る」(1991年、フジテレビ)

  • 振り返れば奴がいる(1993年、フジテレビ)

  • 古畑任三郎(1994〜2006年、フジテレビ)

  • 総務課長戦場を行く!(1994年、フジテレビ)

  • 王様のレストラン(1995年、フジテレビ)

  • 竜馬におまかせ!(1996年、日本テレビ)

  • 3番テーブルの客(1996年〜1997年、フジテレビ)

  • 総理と呼ばないで(1997年、フジテレビ)

  • 今夜、宇宙の片隅で(1998年、フジテレビ)

  • 合い言葉は勇気(2000年、フジテレビ)

  • HR_(テレビドラマ)|HR(2002年〜2003年、フジテレビ)

  • 川、いつか海へ第2話・4話(2003年、日本放送協会|NHK)

  • 新選組!(2004年、日本放送協会|NHK)

  • 新選組!! 土方歳三 最期の一日(2006年、日本放送協会|NHK)


    [ 映画 ]


  • 12人の優しい日本人(1991年、原作・脚本)監督:中原俊

  • マルタイの女(1997年、協力)監督:伊丹十三

  • ラヂオの時間(1997年、原作・脚本・監督)

  • 世にも奇妙な物語#映画|世にも奇妙な物語 映画の特別編(2000年、脚本)ストーリーテラー部分

  • みんなのいえ(2001年、脚本・監督)

  • 竜馬の妻とその夫と愛人(2002年、原作・脚本)監督:市川準

  • 笑の大学(2004、原作・脚本)監督:星護

  • THE 有頂天ホテル(2006年、脚本・監督)

  • ザ・マジックアワー(2008年、脚本・監督)


    [ 舞台 ]


  • ショウ・マスト・ゴー・オン

  • 彦馬がゆく

  • ラヂオの時間

  • 12人の優しい日本人

  • ダア! ダア! ダア!

  • 出口なし!

  • 君となら

  • 巌流島 (戯曲)|巌流島

  • 笑の大学

  • バイ・マイセルフ

  • 温水夫妻

  • マトリョーシカ(舞台)|マトリョーシカ

  • オケピ!

  • ヴァンプショウ

  • バッドニュース☆グッドタイミング

  • なにわバタフライ

  • 決闘! 高田馬場(パルコ歌舞伎)

  • 恐れを知らぬ川上音二郎一座(2007年11月シアタークリエこけら落し公演)

  • 社長放浪記

  • コンフィダント・絆

  • サザエさん


    [漫画原作]

    天国から北へ3キロ (作画・藤本あきほ)


    [ 著作 ]


  • 大根性(画・藪野てんや)

  • 気まずい二人

  • オンリー・ミー 私だけを

  • 古畑任三郎 殺人事件ファイル

  • それはまた別の話

  • 仕事、三谷幸喜

  • 三谷幸喜のありふれた生活

  • 三谷幸喜のありふれた生活2 怒濤の厄年

  • 三谷幸喜のありふれた生活3 大河な日日

  • 三谷幸喜のありふれた生活4 冷や汗の向こう側

  • 三谷幸喜のありふれた生活5 有頂天時代
    (以上5点は、朝日新聞に連載中のエッセイをまとめたもの)

  • 合い言葉は勇気

  • オケピ!



    出演作品・CM


  • フジテレビ『鍵師|鍵師3』(渡辺謙・小林聡美出演、車の鍵を失くした男役)

  • フジテレビ『たほいや』

  • NHK大河ドラマ『功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻』(足利義昭役)

  • 映画『真夜中まで』(監督 : 和田誠)

  • 映画『犬神家の一族 (映画 2006年)|犬神家の一族』(監督:市川崑、那須ホテル主人役)

  • 映画『西遊記 (2007年の映画)|西遊記』

  • コマーシャルメッセージ|CM - JAL日本航空(相武紗季と共演、ちなみに三谷本人はあまり飛行機が好きではないらしい)

  • CM - 富士通パソコンFMV(木村拓哉と共演、終了)

  • CM - ネスレ日本「ネスカフェ・ゴールドブレンド」(唐沢寿明と共演、終了)



    主なレギュラー番組・連載エッセイ




    [ ラジオ ]


  • MAKING SENSE(J-WAVE・月 - 金23:45 - 24:00)- 清水ミチコと共演。


    [ 新聞 ]


  • 三谷幸喜のありふれた生活(朝日新聞)



    外部リンク


  • パルコプロデュース・三谷幸喜作品 オフィシャルサイト

  • 三谷幸喜と東京サンシャインボーイズデータバンク 私設ファンサイト


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月13日

    映画監督[黒澤明]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒澤明



    黒澤 明(くろさわ あきら、1910年3月23日 - 1998年9月6日)(黒沢 明とも表記)は、日本の映画監督。小津安二郎、溝口健二らと共に、海外でも広く名前が知られている日本映画の巨匠の一人であり、「世界のクロサワ」と呼ばれることもある。 映画芸術科学アカデミーの会員だった。文化勲章受章者。妻は矢口陽子(女優)。タレントでプロデューサーの黒澤久雄は息子。衣装デザイナーの黒澤和子は娘。加藤隆之は孫。 黒澤優と黒澤萌は孫娘。



    来歴
     ロシア文学とジョン・フォードの映画の影響を受け、
    シェイクスピアの「リア王」(「乱」)、「マクベス」(「蜘蛛巣城 」)、ドストエフスキーの「白痴 (小説)」(「白痴 (映画)」)、芥川龍之介の「藪の中」(「羅生門 (映画)|羅生門」)などの文芸作品の翻案もの、
    「七人の侍」、「隠し砦の三悪人」などの純粋な娯楽時代劇、
    「生きる」「天国と地獄」などのヒューマン現代劇などの作品がある。1948年の「酔いどれ天使」にはじまり、1965年の「赤ひげ」まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。 一方で、その妥協を許さない厳しい製作姿勢から、映画製作が滞ったこともあった。「赤ひげ」の制作で東宝との関係が悪化したこともあって黒澤はアメリカで「暴走機関車」の
    制作を準備するが制作方針を巡りアメリカ側と深刻な対立が生じたため、映画は実現しなかった
    (後にアンドレイ・コンチャロコフスキーが黒澤の脚本を原案として映画化)。
    1968年に日米合作「トラ・トラ・トラ!」の日本側監督を務めた際には、撮影開始当初から米国側の製作会社であった20世紀フォックスや仲介の日本人ブローカーと、撮影スケジュールや予算を巡って激しく衝突した結果、監督を降板する事態となり、自殺未遂事件を起こした。黒澤の代役には舛田利雄、深作欣二(クレジット上は共同監督だが、深作が担当したのは特撮合成が必要となる戦闘機のコクピットシーンのみで実質的にはB班監督)とが共同で当たった。なお黒澤本人の意向によりクレジットに名前はないが脚本は黒澤が書いたものがほとんどそのまま使用されている。 その後、一時映画製作から遠ざかっていたが、ソビエト映画界の全面支援による「デルス・ウザーラ」、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した「影武者 (映画)|影武者」、フランスとの合作の「乱」、米ワーナーブラザース製作(日本ではこの映画への出資をワーナーに働きかけて実現させたスティーブン・スピルバーグ提供とクレジットされている)「夢」等海外資本の参加によって実現した映画が続くことになる。それ以降も\xA1 !VH,7n$N68;m6J!W!"!V$^$"$@$@$h!W$H@):n$OB3$/$,!"E]9|@^$7$?$?$a$KNEM\@83h$KF~$j!"1G2h@):n$OIT2DG=$H$J$C$?!#1998年9月6日に脳卒中により逝去。1998年10月1日、国民栄誉賞を受賞。



    世界的な影響
     海外の、アメリカを中心とした映画監督にも影響を与え、ジョージ・ルーカスは代表作「スター・ウォーズ」の登場キャラクターを「隠し砦の三悪人」から着想したと述べており(そもそも「スター・ウォーズ 新たなる希望」自体のストーリーが「隠し砦の三悪人」に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、フランシス・フォード・コッポラの「ゴッド・ファーザー」のファーストシーンの結婚式の場面は「悪い奴ほどよく眠る」の手法を模したといわれる。また、「七人の侍」が米映画「荒野の七人」(ジョン・スタージェス監督)、「用心棒」が米映画「ラストマン・ス\xA1 %?%s%G%#%s%0!W!J%&%)%k%?!


    監督作品
    *姿三四郎(1943/東宝)

  • 一番美しく(1944/東宝)

  • 続姿三四郎(1945/東宝)

  • 虎の尾を踏む男達(1945/東宝)

  • わが青春に悔なし(1946/東宝)

  • 素晴らしき日曜日(1947/東宝)

  • 酔いどれ天使(1948/東宝)

  • 静かなる決闘(1949/大映)

  • 野良犬(1949/新東宝=映画芸術協会)

  • 醜聞(1950/松竹=映画芸術協会)

  • 羅生門 (映画)|羅生門(1950/大映)

  • 白痴 (映画)|白痴(1951/松竹)

  • 生きる(1952/東宝)

  • 七人の侍(1954/東宝)

  • 生きものの記録(1955/東宝)

  • 蜘蛛巣城(1957/東宝)

  • どん底(1957/東宝)

  • 隠し砦の三悪人(1958/東宝)

  • 悪い奴ほどよく眠る(1960/東宝=黒澤プロ)

  • 用心棒(1961/東宝=黒澤プロ)

  • 椿三十郎(1962/東宝=黒澤プロ)

  • 天国と地獄(1963/東宝=黒澤プロ)

  • 赤ひげ(1965/東宝=黒澤プロ)

  • どですかでん(1970/四騎の会=東宝)

  • デルス・ウザーラ(1975/モスフィルム)

  • 影武者 (映画)|影武者(1980/東宝=黒澤プロ)

  • 乱(1985/グリニッチ・フィルム=ヘラルド・エース)

  • 夢(映画)|夢(1990/黒澤プロ)

  • 八月の狂詩曲(1991/黒澤プロ=フィーチャーフィルムエンタープライズII)

  • まあだだよ(1993/大映=電通=黒澤プロ)



    受賞歴 


  • 羅生門(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、米アカデミー賞特別賞=最優秀外国語映画賞、ヴェネチア国際映画祭創立50周年記念・獅子の中の獅子)

  • 生きる(ベルリン国際映画祭銀熊賞)

  • 七人の侍(ヴェネチア国際映画祭金獅子賞)

  • 隠し砦の三悪人(ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞)

  • 赤ひげ(フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)

  • デルス・ウザーラ(モスクワ映画祭金賞、米アカデミー賞外国語映画賞、パリ国際映画祭賞)

  • 影武者(カンヌ国際映画祭グランプリ、英国アカデミー賞監督賞)

  • 乱(ニューヨーク批評家協会最優秀作品賞)

  • 1990年米アカデミー賞特別名誉賞

  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰



    外部リンク

    日本映画データベース


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月11日

    映画監督[SABU]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    SABU



    SABU(さぶ、サブ、サブゥー)*SABU (映画監督)(サブ) - 日本の俳優・映画監督(1964年 - )。代表作に『弾丸ランナー』など。

  • SABU 〜さぶ〜 - 2002年にテレビ朝日系で放送された名古屋テレビ制作のテレビドラマ。劇場公開もされた。

  • SABU(サブゥー) - アメリカ合衆国出身のプロレスラー、テリー・ブルンクのリングネーム(1963年 - )。



    関連項目


  • サブ(曖昧さ回避)

  • さぶ(曖昧さ回避)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2007年11月09日

    映画監督[蓮實重彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蓮實重彦




    蓮實 重彦(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語のほかイタリア語も解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家。長男の蓮実重臣は作曲家。



    経歴


  • 1954年 学習院高等科卒業

  • 1960年 東京大学文学部フランス文学科卒業

  • 1962年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学

  • 1962年 パリ大学人文科学部に留学

  • 1965年 パリ第四大学博士 (文学)|文学博士

  • 1966年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学

  • 1966年 東京大学文学部助手

  • 1968年 立教大学一般教育部専任講師

  • 1969年 同助教授

  • 1970年 東京大学教養学部講師

  • 1973年 同助教授

  • 1988年 同教授

  • 1993年 同学部長(〜1995年)

  • 1995年 東京大学副学長(〜1997年)

  • 1997年 東京大学総長(〜2001年)

  • 1998年 国立大学協会会長(〜2001年)

  • 現在、東京大学名誉教授。



    人物

    本来はフランス近代文学(フローベール)を専攻とするフランス文学者であるが、1970年代初頭に当時安原顯が編集者を務めていた文芸雑誌「海」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルト、ジャン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や『反=日本語論』に収められた「エッセイ」にも及び『反=日本語論』は読売文学賞受賞を受賞。直接的な断定を周到に避ける独特かつ難解な語り口や、読点の極端に少ない長大な文体が人気を呼び、! 1980年代初頭から中盤にかけては最も知名度が高く多筆なアカデミズムの書き手の一人であった。思想や文学作品の論評から論壇に登場したが、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、事実一番最初に活字化されたものは大学院在学中に著し、「東京大学新聞社|東京大学新聞」に掲載された映画時評だった。1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸を氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となった。その後も、東京大学総長を務めていた一時期、少なくとも国内においては映画に関する文章を公開することを控えていたことを除くと映画評論が活動の中心であり、一般的には(元)東京大学総長という肩書きを除けば、文芸評論家、フランス文学者やフローベールの研究者あるいはフランス現代思想の論評家としてではなく、映画評論家として認知されていると思われる。ただし、東京大学から離れた現在では、あまり存在感がなくなってしまったという感も否めない。



    映画について

    大好きな監督、俳優はジョン・フォード、ジャン・ルノワール、小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、山中貞雄、オーソン・ウェルズ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、カール・テホ・ドライヤー、アッバス・キアロスタミ、クリント・イーストウッド、ジョン・カサヴェテス、マキノ雅弘、ジム・ジャームッシュ、エルンスト・ルビッチ、ダグラス・サーク、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、リチャード・フライシャー、トニー・スコット(以上監督)、ジョン・ウェイン、トム・クルーズ、山田五十鈴(以上俳優)等、膨大。苦手な監督はウォシャウスキー兄弟、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジェームズ・キャメロン等多数。嫌いな監督、俳優はヘンリー・フォンダ(ジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にヒューゴ・ウィービング、ジェーン・カンピオン、リドリー・スコット、ラッセル・クロウ等。フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思わ\xA1 $l$k$3$H$b$"$k$h$&$@$,!"%"%a%j%+1G2h!"FC$K1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。ただし、ニコラス・レイ、アンソニー・マン、ジョゼフ・ロージー、サミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロス、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。氏の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードがハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画察 K:FFI$N$?$a$N0l$D$N;k3Q!Y(レンフィルム祭パンフレット所収\xA1 )\xA4 K$*$1$k%5%$%l%s%H$+$i%H!<%-!<$X$NJQKF$N2aDx$H$=$NK\/$J$/$H$bF|K\$K$*$$$F$O;a$,=i$a$FDs<($7L@3N2=$7$?1G2h;KE*$J4QE@$,>/$J$+$i$:$"$k!#;a$NHcI>$O0J8e$N1G2hHcI>$K@dBg$J1F6A$rM?$($?!#$^$?!"N)65Bg3X;~Be$N65$(;R$H$7$F1G2h4FFD$N9uBt@6!"<~KI@59T!"K|EDK.IR!"1vEDL@I'!"1G2h4FFD!&>.@b2H$N@D;3??<#Ey!"L$Mh$N8=>l4FFD$K$bBg$-$J1F6A$rM?$($?!#H`$i$,7A@.$7$?1G2hJ82=$r!V%L!<%t%'%k%t%!!<%0|立教ヌーヴェルヴァーグ」という。一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦(明治学院大学教授・映画批評家)を筆頭に、松浦寿輝(東京大学教授・詩人)、野崎歓(東京大学教授・映画批評家)、堀潤之(関西大学専任講師・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創設に奔走した東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論コースの卒業者は映画批評・研究の領域における一大勢力に育ちつつある。なお、四方田犬彦は、現在は蓮實重彦が唱えた「映画は映画の内側においてぁ N$_FC8"E*$K8l$i$l$k$Y$-!W$G$"$k$H$9$k!VI=AX


    その他の活動

    本業はフローベールの研究者だが、長い間予告され続けた『ボヴァリー夫人論』は未だに上梓されていない。そのことを他人に問われると「今年は出します」と答え続け約20年が経過したが、2006年発行の『表象の奈落』にフローベール論が収められた。ただし蓮實自身は『ボヴァリー夫人論』は数百ページに渡る長大なものになると予告していたこともある。東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。スポーツなどへの言及も多いが、その批評、特にサッカー批評では、知識の欠如に対する批判が多い。



    草野進について

    草野進(くさのしん)は、自称・公称、女流華道家。主にプロ野球への批評を書いている。贔屓のチームを持つ事を諌めたり、スポーツは生で見よと誘ったり、あえてプロ野球が退屈だと断言したりと、その挑発的な批評は、出現した当時、これまでのスポーツ批評に、静かながら確実な影響を与えた。草野進は蓮實重彦である、とか、草野進は蓮實重彦と渡部直己との共同執筆である、などの「説」がある。(ちなみに、「共著者」でもある蓮實重彦は草野球の名捕手だったという。 自筆年表より)主著に『どうしたって、プロ野球は面白い』、『プロ野球批評宣言』(草野進編)、『読売巨人軍再建のための建白書』(渡部直己との共著)、『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(渡部直己、蓮實重彦との共著)、『世紀末のプロ野球』など。



    著書


  • 評論など
    『批評あるいは仮死の祭典』
    『反=日本語論』(読売文学賞受賞)
    『表層批評宣言』
    『ミシェル・フーコー|フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
    『夏目漱石論』
    『大江健三郎論』
    『物語批判序説』
    『凡庸な芸術家の肖像』(芸術選奨文部大臣賞受賞)
    『凡庸さについてお話させていただきます』
    『小説から遠く離れて』
    『小説論=批評論』(のちに『文学批判序説 小説論=批評論』と改題)
    『「私小説」を読む』
    『映画 誘惑のエクリチュール』
    『映画はいかにして死ぬか』
    『シネマの記憶装置』
    『シネマの煽動装置』
    『映画の神話学』(略称)
    『映像の詩学』
    『監督 小津安二郎』(2003年に増補版刊行、仏語・韓国語訳あり)
    『映画狂人シリーズ』(全10巻)
    『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』
    『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』
    『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』
    『魅せられて 作家論集』
    『ゴダール革命』
    『表象の奈落』
    『「赤」の誘惑 フィクション論序説』など多数。

  • 翻訳
    『マゾッホとサド』(ジル・ドゥルーズ)
    『フーコーそして /あるいはドゥルーズ』(ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ)
    『映画術ヒッチコック』(山田宏一と共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック)など。

  • テクスト(小説)
    『陥没地帯』
    『オペラ・オペラシオネル』がある。

  • 編集
    「リュミエール」(1985年より廃刊(14号)まで従事。)
    「ルプレザンタシオン」



    関連項目


  • 評論家一覧

  • フランス現代思想

  • 映画評論家

  • 文芸理論



    外部リンク


  • www.mube.jp(公式サイト)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(4) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    広告


    この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

    以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

    ・記事の投稿、編集をおこなう
    ・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


    ×

    この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。