2007年12月30日

映画監督[石井輝男]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
石井輝男



石井 輝男(いしい てるお、1924年1月1日 - 2005年8月12日)は、日本の映画監督。新東宝で斬新な作品を発表した後東映に移り、「網走番外地シリーズ」を連続NO.1ヒットさせる。東映随一の大ヒットメーカーでありながら1968年よりポルノ映画、それも“異常性愛路線”と呼ばれる一連のエログロ作品を率先して作るようになり世間を驚かせた。70年代までに東映のエログロ作品とアクション作品を量産し、90年代はつげ義春、江戸川乱歩の世界へ傾倒した。東映プロデューサーの天尾完次は、石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置すると評している。



略歴


  • 1924(大正13)年1月1日、東京都中央区_(東京都)|中央区生まれ。生家は浅草の綿問屋。



    [東宝]


  • 1939(昭和14)年、早稲田実業学校|早稲田実業を中退。後に東宝へ撮影助手として入社。

  • 1945(昭和20)年、召集。復員後、東宝に戻る。



    [新東宝]


  • 1946(昭和21)年、新東宝に参加。撮影部より演出部に移る。

  • 1947(昭和22)年3月、渡辺邦男監督の助監督につき演出の仕事を始める。この後、清水宏 (映画監督)|清水宏、成瀬巳喜男の助監督にもつく。

  • 1957(昭和32)年、「栄光の世界」で監督デビュー。

  • 1960(昭和35)年、1月13日「黒線地帯」公開。


    [ 東映 ]


  • 1961(昭和36)年、東映と専属契約を結ぶ。6.23公開の「花と嵐とギャング」が東映(第二東映)での第1作。

  • 1965(昭和40)年、4月18日「網走番外地」(高倉健主演)公開。大ヒットとなり、高倉とのコンビでシリーズ10作を世に送り出す。

  • 1968(昭和43)年、5月1日「徳川女系図」公開。9.28公開の「徳川女刑罰史」は低予算で同年邦画配収の9位。

  • 1969(昭和44)年、10月31日「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」公開。

  • 1974(昭和49)年、12月28日「直撃地獄拳 大逆転」(千葉真一主演)公開。

  • 1977(昭和52)年、7月17日「惑星ロボ ダンガードA|惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団」公開。

  • 1979(昭和54)年、10月6日「暴力戦士」公開。この後、劇映画は休養に入る。


    [復活]


  • 1991(平成3)年、6月14日「ザ・ヒットマン 血はバラの匂い」(東映Vシネマ)リリース。

  • 1993(平成5)年、7月24日「ゲンセンカン主人」公開。これ以降、「無頼平野」「ねじ式」「地獄 (1999年)|地獄」を撮る。

  • 2005(平成17)年、8月12日癌により没す。享年81。遺作は「盲獣VS一寸法師」(2001年)。



    備考


  • 成瀬巳喜男の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品の仕事を渇望していたが、水木に嫌われていた、とする説がある。

  • 2006年8月5日、石井の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記された墓碑の碑文は、高倉健によるものである。また、石井の功績を讃え、博物館網走監獄の正門前に石碑“映画『網走番外地』撮影地の碑”が建てられ、2006年8月6日に除幕式が行われた。



    参考図書

    石井輝男映画魂」石井輝男・福間健二、ワイズ出版  ; ISBN 4948735086



    外部リンク


  • 石井輝男監督公認ウェブサイト

  • 博物館網走監獄 「番外地の生みの親」、網走に眠る・・

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    2007年12月29日

    映画監督[田中絹代]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    田中絹代



     『人生のお荷物』 次女・逸子役)
    田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優・映画監督。黎明期の日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。また日本で二人目の女性映画監督でもある。



    出生・下関から大阪へ

    山口県下関市丸山町に父・田中久米吉、母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。母ヤスの実家小林家は下関で代々続く大地主の商家で、久米吉はそこの大番頭であった。二人は結婚して独立し、呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年(明治45)1月、久米吉が病死。その後母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。1916年(大正5)絹代は下関市立大江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。この年20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで田中一家は後ろ指を指されることになり、そのことが一家の経済事情を更に悪くした。翌1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。更に翌1918年4月、絹代は天王寺尋常小学校の三年に編入し、以後大阪で育つことになる。



    戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

    幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の少女歌劇|琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



    戦後〜演技派スター・女性監督へ

    終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督日本で二人目の女性監督である。また、生涯に6本の作品を手がけ、長編劇映画の一般映画に限れば、女性監督としては日本最多である(ピンク映画を含めれば浜野佐知がいる)。ただし、浜野も一般映画を手がけ、さらに河瀬直美や荻上直子らも現\xA1 Lr$G3hF0$7$F$$$k$N$G!"$$$:$l$O$=$N:B$r>y$k$3$H$K$J$m$&!#。しかし、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下恵介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける一方、1970年の『樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。1974年に主演した熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭主演女優賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去。。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

    死後、勲三等瑞宝章が授与された。同年3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。戒名は迦陵院釈尼絹芳大姉。墓所は神奈川県鎌倉市の円覚寺にある。



    没後の顕彰

    1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶応義塾大学|慶応野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。



    代表作



    [おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1938年、野村浩将)

  • 暁に祈る(1940年、佐々木康)

  • 簪 (映画)|簪(1941年、清水宏)

  • 陸軍(1944年、木下恵介)

  • 結婚(1947年、木下恵介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下恵介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品。1953年、溝口健二)

  • 煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助)

  • 山椒大夫(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 黄色いからす(第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎)

  • 楢山節考(1958年、木下恵介)

  • 彼岸花 EQUINOX FLOWER (1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下恵介)

  • おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑)

  • 赤ひげ(ヴェネチア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞受賞作品。1974年、熊井啓)

  • 北の岬(1976年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年):主人公の母親役

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年、NHK朝の連続テレビ小説)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1961年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代

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    2007年12月28日

    映画監督[阪本順治]

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    阪本順治



    阪本 順治(さかもと じゅんじ、1958年10月1日 - )は、日本の映画監督。



    来歴・評価

    大阪府堺市生まれ。大阪府立三国丘高校を経て、横浜国立大学教育学部中退。在学中から自主映画を制作し、赤井英和主演の『どついたるねん』で監督デビューを果たした。男の世界を描いた作品が多いが、2000年の『顔 (映画)|顔』では主演に藤山直美を迎えて女の内面を見事に描き各方面から賞賛され、2001年度の日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。2007年1月2日放送の人気者でいこう!#芸能人格付けチェック|芸能人格付けチェックこれぞ真の一流品だ!!'07お正月スペシャル!で一流監督と素人が監督した作品とを見極めるという主旨の問題で、一流監督として短編作品を監督した。ただし、多くの俳優や芸能人が素人のハリセンボン (お笑いコンビ)|ハリセンボンの箕輪はるかが監督した作品の方を支持するという結果になってしまった。



    エピソード


  • 「どついたるねん」、「王手 (映画)|王手」、「ビリケン (映画)|ビリケン」を新世界3部作と呼ぶが、これは阪本が「大林宣彦督の“大林宣彦#尾道三部作|尾道三部作”に対抗しましょっか」と冗談で言ったのが始まり。



    監督作品


  • 1989年 - 「どついたるねん」

  • 1990年 - 「鉄拳 (映画)|鉄拳」

  • 1991年 - 「王手 (映画)|王手」

  • 1994年 - 「トカレフ (映画)|トカレフ」

  • 1995年 - 「BOXER JOE」

  • 1996年 - 「ビリケン (映画)|ビリケン」

  • 1997年 - 「傷だらけの天使」

  • 1998年 - 「愚か者 傷だらけの天使」

  • 2000年 - 「顔 (映画)|顔」

  • 2000年 - 「新・仁義なき戦い」

  • 2002年 - 「KT (映画)|KT」(1973年に発生した金大中事件を脚色した作品)

  • 2003年 - 「ぼくんち」

  • 2004年 - 「この世の外へ クラブ進駐軍」

  • 2005年 - 「亡国のイージス」

  • 2007年 - 「魂萌え!」

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    2007年12月27日

    映画監督[森田芳光]

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    森田芳光



    森田 芳光(もりた よしみつ、1950年1月25日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市育ち。1981年に『の・ようなもの』で長編映画監督デビュー。以降、シリアスなドラマから喜劇、ブラックコメディー、アイドル映画、恋愛映画、ホラー映画、ミステリ映画と幅広いテーマを意欲的に取り扱い、話題作を数多く発表する。



    来歴

    日本大学芸術学部放送学科在学中に、映画の制作を開始する。特に映画好きではなかったが、日大闘争の煽りでサークルが無かったので、取り敢えず映画を作ってみたのだという。その一方で、全共闘運動に参加するほか、落語研究会に所属。同研究会の先輩には、のちに放送作家となる高田文夫がいた。1981年に、『の・ようなもの』でデビュー。題名は、三遊亭金馬 (3代目)の落語『居酒屋』に出て来る、「のようなもの」というフレーズから採られた。1983年に、松田優作主演の『家族ゲーム』を発表する。家庭をシニカルに、暴力的に描いた、出色のブラックコメディーである。家族全員が長い食卓に、画面に向かって横一列に並んで座る何とも奇妙な食事場面等、何気無い日常の風景を非日常的に描写した、人を食った演出が評判となった。これが出世作となり、新世代の鬼才として広く注目を集める。

    映画のTV放映が時間枠の都合でカットされる事を嫌い、本作がTV初放映された際には、一番の見所であり、視聴者も期待していたであろうクライマックスの食卓バトルのシーンを丸ごとカットしてこれに抵抗した。1985年に、夏目漱石原作、松田優作主演の『それから』を発表する。村上春樹は、本作を観て以降は、明治時代に書かれた小説を読むと主人公に松田の顔を思い浮かべてしまうと告白している。1986年に、広告代理店を描いたコメディー『そろばんずく』を発表した。バブル景気|バブル時代を色濃く描いた作品となった。1996年に、パソコン通信による男女の出会いを描いた『(ハル)』を発表する。日本映画でパソコンをテーマにした作品は珍しく、話題になった。1997年5月に、渡辺淳一原作の『失楽園 (渡辺淳一)|失楽園』を発表する。役所広司、黒木瞳の主演、人生に疲れた中年男女が不倫の果てに心中するというストーリーで、映画のレイティングシステム|R-15指定をうける。観客動員数が200万人を超えるヒットとなった。「失楽園」という言葉はこの年の流行語ともなった。199! 9年に、貴志祐介原作の『黒い家』を発表する。『リング』、『らせん』と、1997年以降、日本のホラー映画が高い注目を集めていた。しかし本作は、一連のホラーブームに便乗したのではない、群を抜くホラー映画と評価された。2002年に、宮部みゆきの大ベストセラー小説を原作とした、中居正広主演のミステリー『模倣犯 (小説)|模倣犯』を発表する。全編に渡って独自のメディア論を展開したため、純粋なサスペンスを期待した原作者及び原作ファンの怒りを買ってしまった。ただ一部の森田ファンにはその独特の語り口に往年の森田が帰ってきたという声もある。2003年11月に、向田邦子原作の『阿修羅のごとく』を発表する。4人姉妹のそれぞれの複雑な色恋を描いた恋愛映画である。大竹しのぶ、黒木瞳、桃井かおり、深津絵里と豪華な女優陣が結集した。2004年11月に、伊東美咲主演の『海猫』を発表する。北海道の田舎の漁師の家に嫁いだ女が、夫の弟との密通の果てに自殺するという、破滅的な色恋を描いた恋愛映画である。森田は「多くの人に見て貰いたい」との気持ちを抱いていたが、伊東の演じた激しいベッァ I%7!<%s$J$I!"7c$7$$@-IAT"9a?%86:n$N!X4V5\7;Do!Y$rH/I=$7$?!#2007年夏にサウスバウンドを発表。原作とは違う視点で物語を書いている。2007年12月1日に椿三十郎 (2007年の映画)|椿三十郎が12月1日公開。



    作品




    [監督]


  • 『ライブイン・茅ヶ崎』1978年。脚本兼任。

  • 『の・ようなもの』1981年。脚本兼任。

  • 『シブがき隊 ボーイズ&ガールズ』1982年。脚本兼任。
    「本(マルホン)噂のストリッパー」
    「ピンクカット太く愛して長く愛して」

  • 『家族ゲーム』1983年。脚本兼任。

  • 『メイン・テーマ』1984年。脚本兼任。

  • 『ときめきに死す』1984年。脚本兼任。

  • 『それから』1985年。

  • 『そろばんずく』1986年。脚本兼任。

  • 『悲しい色やねん』1988年。脚本兼任。

  • 『キッチン (映画)|キッチン』1989年。脚本兼任。原作:よしもとばなな

  • 『愛と平成の色男』1989年。脚本兼任。

  • 『おいしい結婚』1991年。脚本兼任。

  • 『未来の想い出――Last Christmas』1992年。脚本兼任。

  • 『(ハル)』1996年。脚本兼任。

  • 『失楽園 (渡辺淳一)|失楽園』1997年。

  • 『39 刑法第三十九条』1999年。

  • 『黒い家』1999年。

  • 『模倣犯 (小説)|模倣犯』2002年。脚本兼任。

  • 『阿修羅のごとく』2003年。

  • 『海猫』2004年。

  • 『間宮兄弟』2006年。脚本兼任。

  • 『サウスバウンド』2007年10月6日公開。

  • 『椿三十郎 (2007年の映画)|椿三十郎』2007年12月1日公開。



    [制作総指揮]


  • 『バカヤロー! 私、怒ってます』1988年。オムニバス映画。渡辺えり子、堤幸彦、中島哲也、原隆仁が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!2 幸せになりたい。』1989年。オムニバス。本田昌広、鈴木元、岩松了、成田裕介が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!3 へんな奴ら』1990年。オムニバス。鹿島勤、長谷川康夫、黒田秀樹、山川直人 (映画監督)|山川直人が監督。脚本兼任。

  • 『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』1991年。オムニバス。太田光、明石知幸、加藤良一が監督。脚本兼任。


    [脚本]


  • 『ウホッホ探検隊』1986年。

  • 『免許がない!』1994年。

  • 『キリコの風景』1998年。

  • 『カラフル (小説)|カラフル』2000年。


    [出演]


  • 『東京日和』1997年。

  • 『世界の中心で、愛をさけぶ』2004年。



    受賞歴


  • 1978年 - 『ライブ・イン・茅ヶ崎』で、第2回ぴあフィルムフェスティバル入選。

  • 1982年 - 『の・ようなもの』で、第3回ヨコハマ映画祭作品賞、新人監督賞。

  • 1984年 - 『家族ゲーム』
    第26回ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞監督賞。
    第29回キネマ旬報賞日本映画監督賞、脚本賞。
    第38回毎日映画コンクール脚本賞。
    第5回ヨコハマ映画祭作品賞、監督賞、脚本賞。
    第34回芸術選奨文部大臣新人賞映画部門。
    第24回日本映画監督協会新人賞。
    第7回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞、優秀脚本賞。

  • 1986年 - 『それから』
    第31回キネマ旬報賞日本映画監督賞。
    第28回ブルーリボン賞監督賞。
    第10回報知映画賞監督賞。
    第9回日本アカデミー賞優秀作品賞、優秀監督賞。

  • 1987年 - 『そろばんずく』と『ウホッホ探検隊』
    第8回ヨコハマ映画祭脚本賞。
    第10回日本アカデミー賞優秀脚本賞。

  • 1997年 - 『(ハル)』
    第21回報知映画賞最優秀監督賞。
    第39回ブルーリボン賞監督賞。
    第18回ヨコハマ映画祭脚本賞。
    第20回日本アカデミー賞優秀脚本賞。

  • 1998年 - 『失楽園』で、第21回日本アカデミー賞優秀監督賞。

  • 2004年 - 『阿修羅のごとく』
    第46回ブルーリボン賞監督賞。
    第27回日本アカデミー賞優秀作品賞、最優秀監督賞。

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    2007年12月26日

    映画監督[鈴井貴之]

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    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント、映画監督、放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長。愛称はミスター。既婚者、妻はCREATIVE OFFICE CUE副社長鈴井亜由美。



    略歴

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。2005年まで泳げなかった。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きだった彼は、北海道長沼高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。自らの体に保険をかけたほどの意欲作。千秋楽では右手から出血をしながらカーテンコール中涙\xA1 $rN.$7!"%U%!%s$N4V$G$O8l$jAp$K$J$C$F$$$k$H$+!#$J$*!"1i7`0l6Z$@$C$?20代は恐ろしいほど極貧生活を送っていたという。演劇活動と並行して、在札局のテレビ番組の企画・構成を手掛け、エフエム北海道|AIR-G'では、夕方の帯番組「GO・I・S」を担当。その後、彼を有名にしたのは、自ら企画し、所属俳優の大泉洋などとともに出演した北海道テレビ放送(HTB)制作の深夜番組「モザイクな夜」や「水曜どうでしょう」である。北海道以外でもその内容が話題になり、道内での本放送が終了した後も、地方のテレビ朝日系列局や関東・関西の全国独立UHF放送協議会|UHF局で放送され、DVDによる販売では記録的な大ヒットとなっている。2004年8月にはアテネに行き、北海道テレビ放送の小野優子アナウンサーとアテネオリンピック (2004年)|五輪応援企画「アテネGEKIJO」の現地メインキャスターを務めた。韓国への映画留学のため芸能活動を中断。KING GO・I・Sは終了し、ぽっぷこ〜んシネマは音尾琢真に譲る形で降板した。帰国後の第一号作「リーディングドラマ第一章"! DIARY~失ったガラスの靴を探して…"」の作・演出として約\xA1 10 G/?6$j$KK\3JE*$KIqBf1i=P2H$H$7$F$N3hF0$r;O$a$?!#IqBfLr


    人物

    「CREATIVE OFFICE CUE」の代表取締役社長で、舞台やテレビ番組の企画・脚本などをこなす。加えて、自らも役者として活躍する。「ガメラ2 レギオン襲来」など映画出演もしているが、最近では映画監督としても活躍も目覚しい。しかし、いつになっても初心を忘れることはなく、若手には「俺は40になっても『タコ星人(タコのような衣装とメイク、常に激しく回転しているキャラクター)』をやってるんだぞ!」とハッパをかけている。生涯現役をモットーにしており、40代になった今でも強い存在感を示している。「水曜どうでしょう」の中では、「ミスターどうでしょう」という意味をこめて「ミスター」という愛称が生まれた。現在では知名度は大泉洋と共に全国区となり、東京国際映画祭のレッドカーペット上で「ミスター!」という歓声が上がった。最近は東北地方のローカル番組へのゲスト出演が多い。2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。同年10月より、エフエム仙台|Date FM(FM仙台)をキー局とした東北6県ブロックネットで「北風小僧(土曜20:00 $B!A20:55)」が放送されている。本人曰く?東北を制覇したら、関東を避けて次は東海地方?(HOME&AWAYでの発言)とのこと。吸っているタバコの銘柄はマールボロ (タバコ)|マルボロ。水曜どうでしょうの中でしばしば登場する。最近はタールのグラム数を落としたり、葉巻を吸い始めている。甘いものが大の苦手。これは水曜どうでしょうで発覚。以後同番組中で強制的に甘いものを大量に食べさせられるシーンが多く見られる特に、原付西日本縦断のときなどに行われたチーフディレクターの藤村忠寿との甘いもの早食い対決が有名。ただし、餡子、餅などが苦手なだけで甘いもの全てが苦手というわけではないようで、JTB北海道での連載コラムを持つほどのソフトクリーム好きである。また、度々駄洒落を言うことがあり、どうでしょうなどでも数々の名作を放っているが、自身は駄洒落があんまり好きではなく(ただし「嫌いではない」とも)、周りの人々(駄洒落好きである藤村忠寿|藤村Dなど)から乗せられているために(仕方なく)作っているという一面もある。北海道日本ハムファイターズと\xA1 %3%s%5%I!<%l;%KZ%U%!%s!#Cf3X9b9;$H%5%C%+!


    映画監督作品


  • 「man-hole」(2001年・主演:安田顕)

  • 「river」(2003年・主演:大泉洋)

  • 「銀のエンゼル」(2004年・主演:小日向文世)



    タレント活動




    [ テレビ番組(終了番組も含む) ]


  • 北海道テレビ放送
    「水曜どうでしょう」 (企画・出演)
    「ぽっぷこ〜んシネマ」
    「ドラバラ鈴井の巣」(企画・構成・出演)
    「週刊Nanだ!Canだ!」
    「モザイクな夜」(企画・構成・出演)
    「おにぎりあたためますか」(企画)

  • 札幌テレビ放送
    「1×8いこうよ!」(構成)
    「ステイ+α」(ステイタス)

  • 北海道文化放送
    「プカプカ」
    「にっぽんPUKAPUKA」

  • 北海道放送
    「パック2」(再現ビデオ)

  • フジテレビジョン
    「ケンカの花道」(素人として、夫婦で競演)

  • ビーエスフジ|BSフジ
    「おおいずみんみん蝉」(「TV☆Lab」内)

  • チャンネルNECO
    プロジェクトCue 鈴井貴之のフィルム・ジャンボリー」(2006年10月放送。映画3作とメイキング、北海道内のロケ地を訪ねるミニ番組「鈴井貴之のロケハン。」を放送。)
    鈴井貴之のロケハン。冬編」(2006年2月、3月放送)
      「鈴井貴之のロケハン。夏編」(2007年10、11月放送)


    [ ラジオ番組 ]


  • エフエム北海道|AIR-G'
    「GO・I・S」
    「KING GO・I・S」
    「HOME&AWAY」
    「FM ROCK KIDS」

  • エフエム仙台|Date FM
    「北風小僧」(東北6県ブロックネット)



    音楽


  • 「DA.BE.SA」−NORTH END×AYUMI(1994年・作詞・歌)エピックレコードジャパン|EPICソニー
    "AYUMI"こと鈴井亜由美は奥様(CREATIVE OFFICE CUE副社長)。
    EAST END×YURIも参照されたい。

  • 「おやG」「ソフトフォーカス」−ケンタカユッキー☆フライド事件(2001年・作詞・歌)インディーズ
    鈴井(ビューティーたか・Vo)と安田顕(アフターけん・G)によるデュオ。



    脚注





    関連項目


  • CREATIVE OFFICE CUE (社長を務める会社)

  • 大泉洋(所属の看板タレント)

  • 大下宗吾(所属タレント)

  • 藤尾仁志(オクラホマ (お笑い)|オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 河野真也(オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 音尾琢真(所属タレント)

  • 北川久仁子(所属タレント)

  • 小橋亜樹(所属タレント) 

  • 佐藤重幸(所属タレント)

  • 宮崎奈緒美(所属タレント)

  • 飯野智行(所属タレント)

  • 森崎博之(所属タレント)

  • 安田顕(所属タレント)

  • 川島直樹(所属していた元タレント。現在は芸能界引退)   

  • 北海道テレビ放送 (企画?出演している番組が多い、北海道のテレビ朝日系列局)

  • 藤村忠寿 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうチーフ・ディレクター)

  • 嬉野雅道 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうカメラ担当ディレクター)

  • DAIGO☆STARDUST (「デイジー」で初めてのPV監督を務めた)

  • 放送作家

  • 脚本家




    外部リンク


  • CREATIVE OFFICE CUE オフィシャルサイト

  • JTB北海道

  • 北海道テレビ:HTB online

  • AIR-G'・エフエム北海道

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    2007年12月25日

    映画監督[大島渚]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大島渚




    にて(右)、松田龍平(左)と
    大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - )は、日本の映画監督。夫人は女優の小山明子。岡山県玉野市生まれ、5歳の時岡山大学の教授だった父が死去し、母の実家のある京都市に移住。現在は神奈川県藤沢市在住。



    概要

    国内では初期の作品から注目を集め、松竹ヌーベルバーグの旗手とも呼ばれたが、自身はそのように呼ばれることを望んではいなかった。彼の作品は同時代の映画作家たちよりはるかに政治的であったし、権力に対して戦闘的でもあった。初期のモチーフの核心にあるものは常に権力機構がもたらす人間の蔑視であり、階級対立において侮蔑される側にいる人間の屈辱感を描き出した。国際的名声を不動にしたのは、阿部定事件(1936年)を題材に社会の底辺にすむ男女の性的執着と究極の愛を描いた1976年の『愛のコリーダ』('':fr:L'Empire des sens|L'Empire des sens'')であった。大島の闘いは必然的に、社会的な疎外感や屈辱感をもっとも鮮明に内包している人々の心理的探究へ移り、彼らを主要人物とした作品の制作へと向かうことになる。日本映画史上に前例のない作品を示そうという意気込みと、黒澤明流のヒューマニズムと、さらには検閲制度に対する激しい批判精神からハードコア・ポルノグラフィー表現へと傾斜した大島は、公権力の干渉を避けるため日仏合作という形を取り、撮影済みのフィルムをフランスへ直送して現像と編集の作業を行なぁ C$?!#F|K\8x3+$G$O!"1GNQ4IM}0Q0w2q|映倫の介入によって作品が意味をなさないほどの大幅な修正を受けることになった。『愛のコリーダ』は2000年にリバイバル上映されたが、修正個所は大幅に減ったものの、ボカシが入り現在でも日本ではオリジナルを観ることはできない。『愛の亡霊』(''Empire of Passion'') も同様のテーマを扱った作品で、不倫の妻が愛人と共謀して夫殺しに走るという内容である。ある程度性的描写を抑制し、前作ほど話題にならなかったが、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。監督・演出家としての才能だけではなく、演技者の素質を見抜く才にも希有なものがあった。当時お笑い芸人としてしか認知されていなかったビートたけしを「彼以外には考えられない」として『戦場のメリークリスマス』の重要な役に抜擢し、桜井啓子 (俳優)|桜井啓子(『無理心中日本の夏』映画出演前はフーテン族だった)、荒木一郎(『日本春歌考』)、ザ・フォーク・クルセダーズ(『帰ってきたヨッパライ』)、横尾忠則(『新宿泥棒日記』)、栗田ひろみ(『夏の妹』本作がデビュー作で主演)、坂本龍一(『戦場のメリークリス\xA1 %^%9!Y!K$J$I!"GPM%$rK\6H$H$7$J$$?MJ*$dAG?M$K6a$$?7?MGPM%$rB?$/! H4E'$7!" :nIJ$K$*$$$F$bH`$i$N@8$N$^$^$NAG:`$r3h$+$9$3$H$K@.8y$7$F$$$k!#%F%l%S$N%3%a%s%F!<%?!<$H$7$F$b3hLv!#1G2h@=:n$N;q6bG1=P$,L\E*$@$H;W$o$l$,$A$@$,!"K\?M$O%F%l%S$K=P$k$N$,@8$-$,$$$@$H=R$Y$F$$$k!#7c>p7?$N@-3J$G!"4Z9q$NJ82=?M$H$NBPCL$K$*$$$FAj$N39!Y$OK\?M$OEv=i!XH7$rGd$k>/G/!Y$H$$$&BjL>$G4k2h$r=P$7$?$,!"44It$+$iBjL>$,0E$/$FCOL#$@$H935D$5$l!"BE6(0F$H$7$FMn:9$rI=$7$?!X0&$HHa$7$_$N39!Y$H$$$&0F$r=P$7$?$,!"K\?M$NCN$i$J$$$&$A$K!X0&$H4uK>$N39!Y$H$$$&BjL>$KJQ$($i$l$F$7$^$C$?$H$$$&!#



    経歴
    *京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)卒業後、京都大学法学部に進む。尚、京大時代の同窓の1人に推理作家の和久峻三がいる。大学在学中は猪木正道に師事。京都府学連委員長を務め、法学部助手試験に不合格となる。1954年京大卒業後、松竹大船に入社。助監督を経て1959年に『愛と希望の街』で監督デビューした後、『青春残酷物語』、『太陽の墓場』(1960年)などのヒット作で松竹ヌーベルバーグの旗手となる。

  • 1961年、日米安全保障条約に反対する安保闘争を舞台にした作品『日本の夜と霧』(1960年)を、松竹が大島に無断で自主的に上映中止したことに猛抗議し、同社を退社。その後、同時に松竹を退社した妻の小山や渡辺文雄、大島の助監督でその後脚本家として活動する田村孟らに加え、小松方正、戸浦六宏らと共に映画制作会社「創造社」を創設する。

  • 『白昼の通り魔』(1966年)、『忍者武芸帳』(1967年、アニメ)、『絞死刑 (映画)|絞死刑』(1968年)、『新宿泥棒日記』(1969年)など、政治的な色合いを強く持つと共に、ジャーナリスティックな側面をも併せ持った作品を矢継ぎ早に制作、公開し国内外の認知度も高くなったが『夏の妹』(1972年)を最後に創造社は解散し、『愛のコリーダ』(1976年)の公開までは映画制作資金を稼ぐためのテレビ出演などの活動の日々が続く。『愛のコリーダ』により国際的な評価を確固たるものにしてからは、『愛の亡霊』(1978年)、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『マックス、モン・アムール』(1986年)など外国資本もしくは海外で公開されることを前提とされる作品が中心となっていった。

  • このような活動から海外における知名度は高く、アレクサンドル・ソクーロフ、テオ・アンゲロプロス、マーチン・スコセッシ、チェン・カイコーなど大島を敬愛する著名な映画監督・評論家は少なからずおり、ジャン=リュック・ゴダール|ゴダールが『映画史』において取り上げた日本人監督は溝口健二、小津安二郎、勅使河原宏と大島渚の四人だった。

  • 1996年1月下旬に約10年ぶりの映画製作発表をしてまもなく、翌2月下旬渡航先のロンドンで脳出血に見舞われた。その後、三年にわたるリハビリが功を奏し復帰作『御法度 (映画)|御法度』(1999年)の公開を果たすが、カンヌ映画祭では賞を得ることは出来なかった。その理由として、新選組という設定は日本人には忠臣蔵や水戸黄門と同じく馴染み深いものであり、登場人物の性格や行動様式を周知の事実としてストーリーを展開しても違和感がなかったが、ヨーロッパ人には舞台設定そのものに関する基礎知識がなく、そもそも理解の段階に至らなかったという点が考えられる。これは大島が日本社会に身をおいていたがゆえに気付かなかった盲点であると言える。

  • なお、『御法度』にはビートたけしと崔洋一、2人の映画監督が俳優として出演しており、二人に撮影現場でのサポート役を託していたとされる。

  • 2001年6月フランス芸術文化勲章(オフィシエ)を受章。その後再び病状が悪化し、リハビリ生活に専念するため実質的に監督業から退いている。

  • 2006年に映画の著作権問題を問う映画『映画監督って何だ!』に登場し、エンディングシーンで強烈な存在感を示した。また同年2月26日この作品披露会見を兼ねた日本映画監督協会の創立70周年祝賀パーティーにも歴代理事長として壇上に上がる。公の場に姿を現すのは実に4年8ヶ月ぶりであった。



    その他
    *妻は女優の小山明子。

  • 長男は大学教授。

  • 次男の大島新はフジテレビ退社後、フリーのディレクターに転身。2007年12月にデビュー作のドキュメンタリーが公開。



    監督作品


  • 明日の太陽(1959)

  • 愛と希望の街(1959)松竹:脚本 大島渚

  • 青春残酷物語(1960)

  • 太陽の墓場(1960)脚本 大島渚・石堂淑朗

  • 日本の夜と霧(1960)松竹:脚本 大島渚・石堂淑朗

  • 飼育(1961)

  • 天草四郎時貞(1962)

  • 忘れられた皇軍(1963)

  • 私はベレット(1964)

  • 悦楽(1965)

  • ユンボギの日記(1965)

  • 白昼の通り魔(1966)

  • 忍者武芸帳(1967)

  • 日本春歌考(1967)

  • 無理心中日本の夏(1967)

  • 絞死刑 (映画)|絞死刑(1968)カンヌ映画祭招待作品

  • 帰って来たヨッパライ(1968)

  • 新宿泥棒日記(1969)

  • 少年 (映画)|少年(1969)ベネチア映画祭招待作品

  • 東京戦争戦後秘話(1970)カンヌ映画祭招待作品

  • 儀式 (映画)|儀式(1971)カンヌ映画祭招待作品

  • 夏の妹(1972)ベネチア映画祭招待作品

  • 愛のコリーダ(1976)カンヌ映画祭監督週間招待、イギリス映画批評家賞外国語映画賞、シカゴ映画祭審査員特別賞

  • 愛の亡霊(1978)カンヌ映画祭監督賞

  • 戦場のメリークリスマス(1983)カンヌ映画祭コンペティション、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞主演男優賞、英国アカデミー賞作曲賞

  • マックス、モン・アムール(Max, mon amour)(1987)カンヌ映画祭コンペティション

  • 御法度 (映画)|御法度(1999)カンヌ映画祭コンペティション、サンクトペテルグブルグ映画祭グランプリ



    主な著書


  • 『日本の夜と霧』(作品集) 現代思潮社(1961)

  • 『戦後映画・破壊と創造』 三一書房(1963)

  • 『日本の夜と霧』(作品集、増補版) 現代思潮社(1966)

  • 『魔と残酷の発想』 芳賀書店(1966)

  • 『絞死刑』(作品集)至誠堂(1968)

  • 『解体と噴出』(評論集) 芳賀書店(1970)

  • 『青春 : 闇を犯しつづける葬儀人に一切の権力を!』 大光社(1970)

  • 『わが日本精神改造計画 : 異郷からの発作的レポート』 産報(1972)

  • 『青春について』 読売新聞社(1975)

  • 『体験的戦後映像論』 朝日新聞社(1975)

  • 『同時代作家の発見』 三一書房(1978)

  • 『愛の亡霊』 三一書房(1978)

  • 『日曜の午後の悲しみ』 PHP研究所(1979)

  • 『愛のコリーダ』 三一書房(1979)

  • 『女はみずうみ男は舟』 PHP研究所(1980)

  • 『マイ・コレクション』 PHP研究所(1981)

  • 『戦場のメリークリスマス』 思索社(1983)

  • 『理屈はいいこういう人間が愚かなんだ』 青春出版社(1993)

  • 大島渚1960』 青土社(1993)

  • 『自分も恋も大切に : 女の愛と仕事の相談事典』 マゼラン出版(1993)

  • 『女たち、もっと素敵に』 三笠書房(1994)

  • 『戦後50年映画100年』 風媒社(1995)

  • 『私が怒るわけ』 東京新聞出版局(1997)

  • 『ぼくの流儀』 淡交社(1999)

  • 『脳出血で倒れて「新しい自分」と出会う』青春出版社(2000.9)

  • 『癒されゆく日々』 日本放送出版協会(2000)

  • 大島渚』 日本図書センター(2001)



    主な出演テレビ番組


  • 朝まで生テレビ!

  • タモリのボキャブラ天国 シリーズ

  • 午後は○○おもいッきりテレビ

  • やじうまワイド

  • ザ・ワイド

  • 探偵!ナイトスクープ



    関連項目


  • TBS「いのちの響」


    [人物]


  • 野坂昭如



    外部リンク


  • The Internet Movie Database: Nagisa Oshima

  • 日本映画データベース


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    2007年12月24日

    映画監督[溝口健二]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    溝口健二



    溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年5月16日 - 1956年8月24日)は、東京都出身の映画監督。女性を主人公に据えた情緒的な作品が多い。



    来歴

    1898年5月16日、東京市浅草区に生まれる。小学校卒業後、神戸又新日報|神戸又新日報社に図案係として勤務。1920年(大正9年)日活撮影所|日活向島撮影所に入る。関東大震災後、同京都撮影所に移る。1925年(大正14年)、恋人であり同棲中の雇女(別れた後?貧しさのため娼婦となる)に背中を剃刀で斬られる事件以来、以後女性をテーマにした作品に独特の感覚を発揮するようになる。1932年(昭和7年)?日活を辞め入江たか子の入江プロダクションで仕事をするようになり、『満蒙建国の黎明』、『瀧の白糸』が大ヒット。1934年(昭和9年)、永田雅一の第一映画に参加、のち松竹・大映と移る。戦中戦後はスランプとなりヒットがなく引退が時間の問題といわれた。客を呼べなくなった田中絹代を主役にするなと言う周りの声に耳を貸さず重用し続けた。1952年の『西鶴一代女』はヒットしなかったが、ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を得て流れが変わる。1953年『雨月物語』(銀獅子賞)、1954年『山椒大夫』(銀獅子賞)という3年連続の同映画祭での入賞ぁ O!"F|K\9qFb$G$OB>$KN`$r8+$J$$8y@S$G$"$k!#$=$N8e$^$b$J$/BND4$rJx$7!"1956年(昭和31年)、『赤線地帯』撮影後の8月24日、白血病のため京都で死去。58歳没。同作が遺作となった。ジャン=リュック・ゴダールをはじめ、フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール、ベルナルド・ベルトルッチ、ジャック・リヴェット、ピエル・パオロ・パゾリーニなどヌーベルヴァーグ世代のヨーロッパの映画作家に多大な影響を与えた。とりわけゴダールの溝口への傾倒ぶりは有名で、「好きな監督を3人挙げると?」との問いに「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたほどである。またゴダールは1966年、溝口の墓に参っている。黒澤明、小津安二郎、木下恵介、成瀬巳喜男らと並び称される日本映画の巨匠であり、没後50年に当たる2006年には、2003年の小津生誕100周年、2005年の成瀬生誕100周年同様DVD BOXのリリースや名画座などでの回顧特集が組まれ、改めて注目を浴びた。



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    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中。

  • 1923年 愛に甦へる日

  • 1929年 東京行進曲 原作菊池寛

  • 1929年 朝日は輝く 共同監督伊奈精一

  • 1933年 瀧の白糸 原作泉鏡花

  • 1935年 折鶴お千 原作泉鏡花

  • 1935年 虞美人草 原作夏目漱石

  • 1936年 浪華悲歌

  • 1936年 祇園の姉妹

  • 1938年 露營の歌

  • 1939年 残菊物語 原作村松梢風

  • 1941年 藝道一代男

  • 1941年 - 1942年 元禄忠臣蔵 前篇・後篇 原作真山青果

  • 1946年 女性の勝利

  • 1946年 歌麿をめぐる五人の女 原作邦枝完二

  • 1947年 女優須磨子の恋 原作長坂秀雄

  • 1948年 夜の女たち 原作久板栄二郎

  • 1950年 雪夫人絵図 原作舟橋聖一

  • 1951年 お遊さま 原作谷崎潤一郎

  • 1951年 武蔵野夫人 原作大岡昇平

  • 1952年 西鶴一代女 原作井原西鶴 ※ヴェネツィア国際映画祭国際賞、BBC「21世紀に残したい映画100本」に選出

  • 1953年 雨月物語#派生作品|雨月物語 原作上田秋成 ※ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞、米アカデミー賞衣装デザイン賞ノミネート、ナショナル・ボード・オブ・レビュー経歴賞

  • 1953年 祇園囃子 原作川口松太郎

  • 1954年 噂の女

  • 1954年 近松物語 原作近松門左衛門 ※第8回カンヌ国際映画祭コンペティション

  • 1954年 山椒大夫#映画版|山椒大夫 原作森鴎外 ※ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞

  • 1955年 新・平家物語 原作吉川英治 ※ヴェネツィア国際映画祭コンペティション

  • 1955年 楊貴妃 ※ヴェネツィア国際映画祭コンペティション

  • 1956年 赤線地帯 ※ヴェネツィア国際映画祭コンペティション



    作風


  • 演技の流れをカット割りによって断ち切ってしまうことを嫌い、(特に後年の作品において)1カット数分に及ぶような長回しを多用した。結果として流麗かつ緊張感にあふれた演出を編み出し、右腕であったカメラマン宮川一夫の撮影とあわせて高評価を得た。

  • 上述通り女性を中心に据えた濃密なドラマの演出に才を見せる一方、歴史劇製作に際しての綿密な考証によっても知られる。『元禄忠臣蔵』撮影の際は実物大の松の廊下のセットを製作(建築監督として新藤兼人が参加)したり、『楊貴妃』では当時の中国唐代研究の最高峰である京都大学人文科学研究所に協力を依頼したり、宮内省(現在の宮内庁)雅楽部の尽力により唐代の楽譜を音楽に活用するといった、妥協のない映画作りを展開している。また、日本画家の甲斐庄楠音を時代風俗考証担当に抜擢した事でも知られる。

  • 役者に演技をつけずやり直しを命じ、悩んだ役者がどうすればいいのか訊いても「演技するのが役者の領分でしょう」といっさい助言などをしなかった。出演者に強い付加と緊張を強いる演出法ながら、「ちゃんと考えて、セットに入るときにその役の気持ちになっていれば、自然に動けるはずだ、と監督さんはおっしゃるんです。それは当然ですよね」という香川京子のコメント没後五十年特別企画「溝口健二の映画」カタログ「はじめての溝口健二などの好意的な評価も見られる。

  • 演出の際、俳優たちに「反射していますか」と口癖のように言って回った。これは「相手役の演技を受けて、自分の演技を相手に“はね返す”」といったような意味合いであったといわれる。長回し主体の溝口演出においては重要な点であった。

  • こうした一切の妥協を見せず俳優やスタッフを厳しく叱咤する演出法から、「ゴテ健」(ゴテるとは、不平や不満を言うこと)とあだ名された。

  • 『西鶴一代女』で家並みのセットを作ったところ、溝口がやってきて「下手の家並みを1間前に出せ」といった。それはほんのワンシーンのためのセットで映画の中でさほど重要ではない。助監督はやむなく嫌がる大道具のスタッフに頭を下げて徹夜で作り直させた。翌日、セットを見て監督が言うには「上手の家並みを1間下げろ」。つまり結局は元に戻せということであり、助監督は激怒して帰宅したと伝えられる。この言いがかりとも考えられる指示は、演出に行き詰っていたための時間稼ぎだったと言われる。

  • 宮川一夫(カメラマン)、依田義賢(脚本)、水谷浩(美術)、早坂文雄(音楽)といった類まれな才能を持ったスタッフが溝口組に参加していた。中でも水谷は日本では他のスタッフより知名度が低いが、反対にフランスでは水谷が一番有名。彼の手による溝口のデスマスクが、現在でも保管されている。



    人物


  • 映画人との私的な交際はあまり見られなかったが、田中絹代とは公私にわたる親交を育んだ。田中との親交を物語るエピソードとして、幼時から「美人ではないが(演技力がある)」という冠詞をもって語られることの多い田中に、『お遊さま』撮影に際し「あなたを最も美しく撮ります」と語ったという話がある。

  • 田中とはその後、彼女が映画監督をやることになったことを記者から聞かされて「田中の頭では監督は出来ません」と答え、関係に距離が生じたとされている。ただしこのコメントには田中が自分の元から離れてしまうことへの嫉妬心があったともされる。

  • 女性に対する暴言も有名で、前述のように情婦を怒らせ斬られている。『祇園囃子』の際、若尾文子に対して決して名前を呼ばず「おい?子供」、『赤線地帯』の際には「顔の造作が悪い」と罵倒した。かつて入江ぷろだくしょんに雇われ、名匠と呼ばれるきっかけを作った恩人でもあった入江たか子に対してすら、『楊貴妃』の際「化け猫ばかりやってるからそんな芸格のない芝居しか出来ないのだ」と満座の中で罵倒している。また『雨月物語』の際、水戸光子に向かって、「あんたは輪姦された経験がないんですか!」 と言い放った。ただし田中には、上記のコメントを除いては常に紳士的な態度を崩さなかった。

  • 他に『わが恋は燃えぬ』の際、菅井一郎に向かって、「君は脳梅毒です!医者に診てもらいなさい!」と言い放ち、『山椒大夫』の際、子役に向かって「この子はどうしようもないバカだね!」と言い、すぐ近くにいた母親は真っ青になった。

  • 一方で『雨月物語』撮影中には、会心の演技を見せた森雅之が「誰かタバコをください」と言った時に、自ら率先してタバコを差し出し火を点けて労ったという話もある。これにはスタッフや森自身も大いに驚いたらしい。

  • 『西鶴一代女』をプロデュースした児井英生児井英生『伝 日本映画の黄金時代』(文藝春秋、1989年 ISBN 4163430105)の記述を参照。によると溝口監督はわがままで、権威のある人には弱く、目下のものには横暴というタイプであるため役者からもスタッフからも嫌われていた。さらに映画で使われた道具を内緒で自分のものにしてしまったり、自分の生活費の一部を映画の製作費から支払わせていたということもあった。

  • ただし、溝口に崇拝の念を抱いている新藤兼人などは人格面でも一定の評価を下している。

  • 友人は少なかったが、幼馴染の川口松太郎や花柳章太郎とは親交を長くもったという。

  • 成瀬巳喜男の『浮雲 (映画)|浮雲』が話題になっていたとき、当時の助監督の熱心な勧めによって鑑賞したが、その助監督に「成瀬には金玉が付いとるのですか」と感想を語ったことがある。両者の作風や人間性の違いを物語るエピソードである。

  • 日本映画史上初の女性監督は坂根田鶴子(さかねたづこ)で、彼女は戦前の溝口作品で助監督を務めていた。そして2人目は田中絹代であり、溝口は女性監督第1号と第2号に深く関わっていることになる。

  • 映画会社から新人だった宮川一夫を使うよう命令されて、溝口はひどく立腹するも、いざ仕事をするとその態度は豹変。他の監督の撮影が延期して宮川が溝口組に参加できなくなると、「僕たちの仲を裂くんですか!」と会社に抗議した。

  • 溝口は俳優の演技に興奮すると我を忘れて手をブルブル震わせる癖があり、その振動が横にあるカメラにまで伝わるほどだった。そこで高い場所など不安定な位置からの撮影時は、本番になると溝口と同じ体重分の鉄板をカメラの横に置いて、本人は別の場所に移動してもらっていた。本番もできるだけカメラと同じ位置で見ようと、梯子の上に座布団を乗せて馬乗り状態の溝口の写真が残っている。また溝口は最初、宮川一夫から手の震えを指摘されても全然本気にせず、ラッシュ(未編集の下見用フィルム)で目の当たりにして、「こんなに震えてるのかい?」と照れくさそうに笑って素直に認めたという。



    関連項目


  • 映画監督一覧 - 日本の映画監督一覧

  • 田中絹代

  • 三船敏郎



    参考文献


  • 溝口健二というおのこ』、津村節夫、実業之日本社、1958年 (芳賀書店、1977年)

  • 溝口健二の人と芸術』、依田義賢、映画芸術社、1964年
    :社会思想社、1996年 ISBN 439011588X
    :田畑書店、2003年 ISBN 4803800294

  • 『ある映画監督の生涯 - 溝口健二の記録 -』、新藤兼人、映人社、1975年

  • 『映画監督 溝口健二』、四方田犬彦編、新曜社、1999年 ISBN 4788506920

  • 映画『ある映画監督の生涯』、監督新藤兼人、1975年、日本アート・シアター・ギルド|ATG ※ドキュメンタリー、関係者のインタビュー集

  • 映画『時代を越える溝口健二』、監督櫻田明広、2006年、角川ヘラルド映画 ※ドキュメンタリー









    外部リンク


  • kadokawa

  • 溝口健二 - 人と作品 個人の研究サイト

  • 日本映画データベース:溝口健二 - 全フィルモグラフィー



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    2007年12月23日

    映画監督[山城新伍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山城新伍



    山城 新伍(やましろ しんご、本名:渡辺 安治。1938年11月10日 - )は、京都府京都市出身の俳優、映画評論家、映画監督、タレント。サイプロダクション所属。血液型O。東映ニューフェイスでありながら、既に映画業界は斜陽化しておりテレビ映画への出演が多く、映画の出演の機会にはなかなか恵まれなかった。俳優業以外にも司会、映画評論、映画監督もこなしており、監督作品では「せんせい」、「やくざ道入門」、「ファミリー」がある。また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビジョン|サンテレビで放送された「火曜洋画劇場」で司会をし、低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で…」など歯に衣着せぬ言葉で映画の批評を行っていた。プロ野球・阪神タイガースのファンであり、以前までは年1回サンテレビのプロ野球中継「サンテレビボックス席」にゲストとして呼ばれていた。



    ! 略歴


  • 1957年 東映ニューフェイス第4期生

  • 1959年 「風小僧」でデビュー(共演)

  • 1960年 「白馬童子」で主演し、人気を博す。

  • 1966年 女優の花園ひろみと結婚。

  • 1975年 独占!男の時間でバラエティに進出。

  • 1981年 フジテレビジョン|フジテレビ系「アイ・アイゲーム」で伏字を「チョメチョメ」と表現し流行語になる。

  • 1985年 花園ひろみと離婚。

  • 1991年 花園ひろみと2度目の結婚。これを「新伍のお待ちどおさま」で梅宮辰夫に発表され、更に彼から祝福のキスを受ける。

  • 1999年8月 花園ひろみと2度目の離婚。



    主な出演作品




    [映画]


  • 仁義なき戦い (東映)

  • 週刊 バビロン (東映、監督作品)

  • ミズターどん兵衛 (東映、監督作品)

  • サラリーマン金太郎 (東宝)

  • ハチ公物語 (松竹)

  • 塀の中の懲りない面々 (松竹)

  • せんせい (松竹、監督作品)

  • やくざ道入門 (松竹、監督作品)

  • 本日またまた休診なり (松竹、監督作品)


    [テレビ]


  • 風小僧 (東映制作、テレビ朝日|NET)

  • 白馬童子 (東映制作、NET)

  • 独占!男の時間 (テレビ東京|東京12チャンネル)

  • 笑アップ歌謡大作戦 (テレビ朝日)

  • 何かとワイド面白地球 (テレビ朝日、司会)

  • アイ・アイゲーム (フジテレビジョン|フジテレビ、司会)

  • クイズ天国と地獄 (東京放送|TBS、司会)

  • 新伍のお待ちどおさま(TBS、司会)

  • クイズ・マネーイズマネー (讀賣テレビ放送|よみうりテレビ、司会)

  • 新伍・紳助のあぶない話 (関西テレビ放送|関西テレビ、司会)

  • 新伍にタッチ(毎日放送、司会)

  • クイズ世界はSHOW by ショーバイ!! (日本テレビ放送網|日本テレビ、解答者)

  • 火曜洋画劇場 (サンテレビ、司会・映画評論)

  • 壮絶バトル花の芸能界 男と女!! (日本テレビ、パネラー)

  • 東京金歯(ビーエスフジ、審査員)


    [Vシネマ]


  • 殺しのメロディ (東映、監督作品)

  • 江戸むらさき特急 (アミューズ、監督作品)


    [CM]


  • どん兵衛 (日清食品、川谷拓三と共演)

  • フマキラー 「ベープ」




    関連項目


  • 日本の男優一覧

  • 映画評論家一覧

  • 日本の映画監督一覧
     
    代表語録::「チョメチョメ」

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    2007年12月22日

    映画監督[市川崑]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川崑



    市川 崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - )は、三重県出身の映画監督。



    来歴

    東宝京都スタジオでアニメーターをつとめ、1945年人形劇『娘道成寺』デビュー。東宝東京撮影所から、東宝争議のなかで新東宝撮影所に転じ、のちにまた東宝に復帰した。この時期は『プーサン』や『億万長者』などの異色風刺喜劇や早口演出の『結婚行進曲』、大胆な映像処理の『盗まれた恋』などの実験的な作品で話題を読んだが、『三百六十五夜』のようなオーソドックスなメロドラマの大ヒット作品も撮っている。1955年にはその前年映画制作を再開したばかりの日活に移籍。『ビルマの竪琴』で一躍名監督の仲間入りを果たし、さらに大映に移籍。文芸映画を中心に、『鍵』、『野火』、『炎上』、『破戒』、『黒い十人の女』、『日本橋』、『ぼんち』、『私は二歳』、『雪之丞変化』など名作を毎年のように発表して地位を確立した。とりわけ1960年の『おとうと』は、大正時代を舞台にした姉弟の愛を、宮川一夫のカメラで美しく表現、自身初の『キネマ旬報』ベスト1に輝く作品となった。この時期は日本映画の全盛期であると同時に、やがて映画産業の斜陽をもたらすことになるテレビの隆盛が始まる時期でもあった。映画関係者の中にはテレビぁ KE(BP0U<1$r;}$D$rIA$$$?$j$9$k$J$I!"=>Mh$N!V5-O?1G2h!W$! H$OA4$/@ -e$2$?!#$3$l$r%*%j%s%T%C%/C4EvBg?C$N2OLn0lO:$,!V5-O?@-$K7g$1$k!W$HHcH=$7$?$3$H$+$i後に市川は『朝日新聞』とのインタビューで「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と当時を振り返っている(1985年8月27日朝刊)。、「『東京オリンピック』は記録映画か芸術作品か」という大論争を呼び起こすことになった『東京オリンピック』はその芸術性が高く評価されて、同年度のカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品としては異例の国際批評家賞を受賞している。また同作は映画館以外にも日本各地の学校や公民館などで上映会が開かれたことから、その観客動員数では事実上日本映画史上最多であるといわれている。。1970年代は横溝正史の「金田一耕助シリーズ」を手掛け、絢爛豪華な映像美と快テンポの語り口で全作が大ヒァ C%H$H$J$C$?!#$5$i$K!X:Y@c!Y!"!X$*$O$s!Y!"!X


    作風

    市川は、大作『東京オリンピック』の後に人形劇『トッポ・ジージョのボタン戦争』を手がけたり、おどろおどろしい横溝正史の『獄門島』と『女王蜂』の間にアニメ合成を駆使した映像ファンタジー『火の鳥』を製作するなど、その活動の幅は広く、作風は多彩である。脚本はすべて妻であり同志でもあった和田夏十に委せるか、自らが全部または一部を手がけるというこだわりも見せる。1969年には黒澤明、木下恵介、小林正樹と四人で四騎の会を結成し、『どら平太』の脚本を共同で執筆、のちに自身で監督もしている。市川は新藤兼人に次ぐ日本映画界の大御所であり、そのキャリアや興行力においては比肩する者のない存在だが、老いてなおその実験精神衰えない。近年では黒鉄ヒロシのマンガによる紙人形で全編を撮影した『新選組』がファンの度肝を抜いた。30年前に自らが撮った『犬神家の一族』を、まったく同じ脚本と同じ主演俳優でリメイクしてみるというもの他の監督が思いもつかないような冒険である。「巨匠」「異才」など、名監督としての名を欲しいままにしながらも、市川は決してそうした看板の上にあぐらをかくことはなく、常に新しいアイディア\xA1 $d;B?7$J%9%?%$%k$rDI$$5a$aB3$1$k!#$=$l$,;T@n$N??9|D:$G$"$j!"$3$l$3$=$,;T@n$N:nIw$@$H$b$$$($k!#$=$s$J7?$K$H$i$o$l$J$$;T@n$K!"F|K\$N1G2h4X78Mh;T@n$K$D$$$F7!$j2<$2$?8&5f$,9T$o$l$?$j@lLgE*$J:nIJO@I>$,=q$+$l$k$3$H$O5)$@$C$?!#4FFD:nIJ$,B?$/!"$7$+$b?t!9$NEA@bE*$J:nIJ$r


    影響

    市川の独特の映像表現には定評があり、後輩の映画監督に多大な影響を与えている。*アニメ映画監督の庵野秀明は、自らの作品に市川作品を意識した映像表現を多用している。

  • 「岩井美学」とまで呼ばれる映像手法を確立した岩井俊二監督は、1976年の『犬神家の一族』を「自分の映画作りの教科書」と呼んでいる。市川を崇拝する岩井は、2006年に『市川崑物語』を製作している。

  • 北野武は市川の『東京オリンピック』に強い影響を受けたと語っている。

  • フランソワ・トリュフォー|トリュフォーら外国の監督にも市川の崇拝者は多い。

  • いわゆる「市川組」出身の映画監督には、東宝の古沢憲吾・橋本幸治・手塚昌明、日活の舛田利雄・江崎実生、大映の増村保造・田中徳三・池広一夫らがいる。なお和田誠・森遊机 編の『光と嘘 真実と影 市川崑監督作品を語る』(河出書房新社、2001年)では、塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆきなど各界の市川ファンが賛辞を寄せている。



    人物

    大変なヘビースモーカーとして有名。文化功労者に選出された1994年には紅白歌合戦に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。



    和田夏十

    妻は脚本家の和田夏十。東宝撮影所で知り合い、1948年に結婚した。和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと) という名は、東宝撮影所時代に二人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と市川がこれを和田に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。



    受賞




    [ 映画賞 ]


  • 1956年 『ビルマの竪琴』で
    :*ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞
    :*アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
    :*リスボン国際映画祭審査員特別賞
    :*エジンバラ国際映画祭グランプリ

  • 1959年 『野火』で
    :*ロカルノ国際映画祭グランプリ
    :*バンクーバー国際映画祭カナダ映画協会賞

  • 1960年 『鍵』で
    :*カンヌ国際映画祭審査員賞
    :*ゴールデングローブ賞外国語映画賞

  • 1961年 『おとうと』で
    :*カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション

  • 1962年 『私は二歳』で
    :*アジア映画祭監督賞

  • 1965年 『東京オリンピック』で
    :*カンヌ国際映画祭青少年向映画賞
    :*UNICRIT賞
    :*英国アカデミー賞長編記録映画賞
    :*国連平和賞
    :*モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞

  • 1983年 『細雪』で
    :*アジア太平洋映画祭グランプリ
    :*同・監督賞

  • 1984年 『おはん』で
    :*アジア太平洋映画祭審査員特別賞

  • 1994年 『四十七人の刺客』で
    :*東京国際映画祭審査員特別賞

  • 2000年 ベルリン国際映画祭特別功労賞

  • 2001年 モントリオール国際映画祭功労賞

  • 2007年 東京国際映画祭黒澤明賞


    [ 叙勲 ]


  • 1982年 紫綬褒章

  • 1988年 勲四等旭日小綬章

  • 1994年 文化功労者選出



    監督作品




    [ 映画 ]


  • 『娘道成寺 (映画)|娘道成寺』(1945年、東宝教育映画)

  • 『東宝千一夜 大阪編』(1947年、新東宝)

  • 『三百六十五夜#映画|三百六十五夜』(1948年、新東宝)

  • 『花ひらく』(1948年、新東宝)

  • 『果てしなき情熱』(1949年、新世紀プロ=新東宝)

  • 『人間模様』(1949年、新東宝)

  • 『銀座三四郎』(1950年、新東宝=青柳プロ)

  • 『暁の追跡』(1950年、田中プロ=新東宝)

  • 『熱泥地』(1950年、新東宝)

  • 『恋人 (映画)|恋人』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『盗まれた恋』(1951年、新東宝=青柳プロ)

  • 『無国籍者』(1951年、昭映プロ=東横映画)

  • 『夜来香』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『ブンガワンソロ』(1951年、新東宝)

  • 『結婚行進曲 (映画)|結婚行進曲』(1951年、東宝)

  • 『足にさわった女』(1952年、東宝)

  • 『あの手この手』(1952年、大映|大映京都)

  • 『若い人』(1952年、東宝)

  • 『ラッキーさん』(1952年、東宝)

  • 『青色革命』(1953年、東宝)

  • 『愛人 (映画)|愛人』(1953年、東宝)

  • 『プーサン』(1953年、東宝)

  • 『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』(1953年、東宝)

  • 『わたしの凡てを』(1954年、東宝)

  • 『女性に関する十二章』(1954年、東宝)

  • 『億万長者』(1954年、青年俳優クラブ)

  • 『こころ (映画)|こころ』(1955年、日活)

  • 『青春怪談』(1955年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第一部』(1956年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第二部』(1956年、日活)

  • 『日本橋 (映画)|日本橋』(1956年、大映東京)

  • 『処刑の部屋』(1956年、大映東京)

  • 『東北の神武たち』(1957年、東宝)

  • 『満員電車』(1957年、大映東京)

  • 『穴 (映画)|穴』(1957年、大映東京)

  • 『炎上 (映画)|炎上』(1958年、大映|大映京都)

  • 『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』(1959年、大映東京)

  • 『野火』(1959年、大映東京)

  • 『鍵 (映画)|鍵』(1959年、大映東京)

  • 『おとうと』(1960年、大映東京)

  • 『女経』(1960年、大映東京)

  • 『ぼんち (映画)|ぼんち』(1960年、大映京都)

  • 『黒い十人の女』(1961年、大映東京)

  • 『破戒 (映画)|破戒』(1962年、大映京都)

  • 『私は二歳』(1962年、大映東京)

  • 『太平洋ひとりぼっち』(1963年、日活・石原プロモーション|石原プロ)

  • 『雪之丞変化』(1963年、大映京都)

  • 『ど根性物語 銭の踊り』(1964年、大映東京)

  • 『東京オリンピック#記録映画|東京オリンピック』(1965年、東京オリンピック映画協会) 総監督

  • 『トッポ・ジージョ#映画|トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年、東宝東和)

  • 『第50回全国高校野球選手権大会 青春』(1968年、朝日新聞=朝日テレビ|朝日テレビニュース) 総監督

  • 『愛ふたたび』(1971年、東宝)

  • 『股旅』(1973年、崑プロ=日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 『吾輩は猫である』(1975年、芸苑社)

  • 『犬神家の一族』(1976年、角川映画|角川春樹事務所)

  • 『妻と女の間』(1976年、東宝=芸苑社) 豊田四郎と共同監督

  • 『悪魔の手毬唄』(1977年、東宝)

  • 『獄門島』(1977年、東宝)

  • 『火の鳥 (漫画)#映画(実写版)|火の鳥』(1978年、火の鳥プロ=東宝)

  • 『女王蜂 (横溝正史)|女王蜂』(1978年、東宝)

  • 『病院坂の首縊りの家』(1979年、東宝)

  • 『銀河鉄道999』(1979年、東映) 監修

  • 『古都 (小説)|古都』(1980年、東宝=ホリプロ|ホリ企画)

  • 『幸福 (映画 1981年)|幸福』(1981年、フォーライフ=東宝)

  • 『細雪』(1983年、東宝)

  • 『おはん』(1984年、東宝)

  • 『ビルマの竪琴』(1985年、フジテレビジョン|フジテレビ=博報堂=キネマ東京)

  • 『鹿鳴館 (映画)|鹿鳴館』(1986年、MARUGEN-FILM)

  • 『竹取物語#映画|竹取物語』(1987年、東宝=フジテレビ)

  • 『映画女優』(1987年、東宝)

  • 『つる 鶴』(1988年、東宝)

  • 『天河伝説殺人事件 (映画)|天河伝説殺人事件』(1991年、東映=『天河伝説殺人事件』製作委員会)

  • 『帰ってきた木枯らし紋次郎』(1993年、フジテレビ=C.A.L)

  • 『忠臣蔵 四十七人の刺客|四十七人の刺客』(1994年、東宝)

  • 『八つ墓村』(1996年、東宝)

  • 『どら平太』(2000年、『どら平太』製作委員会=日活)

  • 『新撰組 (映画 2000年)|新撰組』(2000年、フジテレビ=メディアポックス

  • 『かあちゃん』(2001年、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)

  • 『犬神家の一族 (映画 2006年)|犬神家の一族』(2006年、角川映画)


    [ 主なテレビ作品 ]


  • 『木枯し紋次郎』(1972〜73年放送、フジテレビ=C.A.L) 第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修

  • 終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和 (テレビドラマ)|戦艦大和』(1990年8月10日放送、フジテレビ=東宝)



    注釈





    関連項目


  • 三重県出身の有名人一覧

  • 日本の映画監督一覧

  • 私の履歴書(日本経済新聞連載)

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    2007年12月21日

    映画監督[石井克人]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    石井克人



    石井 克人 (いしい かつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。1991年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。同年東北新社に入社し、CMディレクターとして働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在(株)337所属。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。
    2003年演出家三木俊一郎、伊志嶺一(ANIKI)らと共に有限会社ナイスの森を設立。
    2006年10月社名を株式会社ナイスレインボー[http://www.nicerainbow.com]に変更し現在活動中。



    作品



    [ CM ]
    *1993「ハウス食品クリッパー」

  • 「スマップ・ニューアルバム告知」

  • 1997-2003「旭化成」シリーズ 診断篇 CM歌篇

  • 1997味の素「クノールカップスープ」シリーズ

  • 1997湖池屋「湖池屋ポテトチップス(チッチッチッ篇)」

  • ゼブラ「ジムノック(ペンは銃より強し)」

  • 1999〜2002「田辺製薬アスパラドリンク」(ハニホー・ヘニハー出演)

  • 2000-2001「SkyperfecTV」シリーズ

  • 2001「サントリーBOSS」(巨人篇)

  • 2001サントリー「マグナムドライ」

  • 2001「日テレ式」

  • 2002 NTV 「別 れてもチュキな人」番組宣伝CF

  • 2005 「キリンビバレッジ」
    「SEVEN SEVENS 登場 篇」(キリンレモン77)
    「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 「ハンゲーム」

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)

  • 東日本電信電話|NTT東日本 フレッツ光(SMAP出演)
    『マンションの絵篇』『結婚篇』保健室(電話)篇』


    [ 映画 ]


  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞

  • 鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)

  • PARTY7(永瀬正敏主演)

  • 茶の味(坂野真弥主演)−2004カンヌ映画祭監督週間????????作品、ロケ地・栃木県茂木町 

  • ナイスの森 〜The First Contact〜(石井克人×三木俊一郎×ANIKI監督、寺島進・浅野忠信ほか出演)

  • HAL&BONS

  • NEW HAL&BONS


    [ TV ]


  • 世にも奇妙な物語「BLACK ROOM」

  • SMAP×SMAP「MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻」

  • 「ピロッポ」


    [ OV ]


  • 「TRAVA-FIST PLANET 」

  • SMAP「BIRD MAN FLY」

  • ナイスの森 The First Contact ディレクターズ・カット・バージョン ウェブムービー

  • 「ウサタクの話」 - 広告宣伝 : 富士通

  • 「ホクロ兄弟 フルスロットル!!!!」全7話


    [ 出演作 ]


  • 2003 CUTIE HONEY キューティーハニー





    「茶の味」

  • 2004年 アントレヴュ国際映画祭 最優秀外国語映画賞・観客賞

  • 2004年 第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭 Orient Express Casa Asia部門特別賞

  • 2004年 ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 第十一回オランダ・アニメーション国際映画祭・ベストCM賞



    外部リンク


  • NICE RAINBOW*武蔵野美術大学の人物一覧

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    2007年12月20日

    映画監督[市川崑]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川崑



    市川 崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - )は、三重県出身の映画監督。



    来歴

    東宝京都スタジオでアニメーターをつとめ、1945年人形劇『娘道成寺』デビュー。東宝東京撮影所から、東宝争議のなかで新東宝撮影所に転じ、のちにまた東宝に復帰した。この時期は『プーサン』や『億万長者』などの異色風刺喜劇や早口演出の『結婚行進曲』、大胆な映像処理の『盗まれた恋』などの実験的な作品で話題を読んだが、『三百六十五夜』のようなオーソドックスなメロドラマの大ヒット作品も撮っている。1955年にはその前年映画制作を再開したばかりの日活に移籍。『ビルマの竪琴』で一躍名監督の仲間入りを果たし、さらに大映に移籍。文芸映画を中心に、『鍵』、『野火』、『炎上』、『破戒』、『黒い十人の女』、『日本橋』、『ぼんち』、『私は二歳』、『雪之丞変化』など名作を毎年のように発表して地位を確立した。とりわけ1960年の『おとうと』は、大正時代を舞台にした姉弟の愛を、宮川一夫のカメラで美しく表現、自身初の『キネマ旬報』ベスト1に輝く作品となった。この時期は日本映画の全盛期であると同時に、やがて映画産業の斜陽をもたらすことになるテレビの隆盛が始まる時期でもあった。映画関係者の中にはテレビぁ KE(BP0U<1$r;}$D$rIA$$$?$j$9$k$J$I!"=>Mh$N!V5-O?1G2h!W$! H$OA4$/@ -e$2$?!#$3$l$r%*%j%s%T%C%/C4EvBg?C$N2OLn0lO:$,!V5-O?@-$K7g$1$k!W$HHcH=$7$?$3$H$+$i後に市川は『朝日新聞』とのインタビューで「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と当時を振り返っている(1985年8月27日朝刊)。、「『東京オリンピック』は記録映画か芸術作品か」という大論争を呼び起こすことになった『東京オリンピック』はその芸術性が高く評価されて、同年度のカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品としては異例の国際批評家賞を受賞している。また同作は映画館以外にも日本各地の学校や公民館などで上映会が開かれたことから、その観客動員数では事実上日本映画史上最多であるといわれている。。1970年代は横溝正史の「金田一耕助シリーズ」を手掛け、絢爛豪華な映像美と快テンポの語り口で全作が大ヒァ C%H$H$J$C$?!#$5$i$K!X:Y@c!Y!"!X$*$O$s!Y!"!X


    作風

    市川は、大作『東京オリンピック』の後に人形劇『トッポ・ジージョのボタン戦争』を手がけたり、おどろおどろしい横溝正史の『獄門島』と『女王蜂』の間にアニメ合成を駆使した映像ファンタジー『火の鳥』を製作するなど、その活動の幅は広く、作風は多彩である。脚本はすべて妻であり同志でもあった和田夏十に委せるか、自らが全部または一部を手がけるというこだわりも見せる。1969年には黒澤明、木下恵介、小林正樹と四人で四騎の会を結成し、『どら平太』の脚本を共同で執筆、のちに自身で監督もしている。市川は新藤兼人に次ぐ日本映画界の大御所であり、そのキャリアや興行力においては比肩する者のない存在だが、老いてなおその実験精神衰えない。近年では黒鉄ヒロシのマンガによる紙人形で全編を撮影した『新選組』がファンの度肝を抜いた。30年前に自らが撮った『犬神家の一族』を、まったく同じ脚本と同じ主演俳優でリメイクしてみるというもの他の監督が思いもつかないような冒険である。「巨匠」「異才」など、名監督としての名を欲しいままにしながらも、市川は決してそうした看板の上にあぐらをかくことはなく、常に新しいアイディア\xA1 $d;B?7$J%9%?%$%k$rDI$$5a$aB3$1$k!#$=$l$,;T@n$N??9|D:$G$"$j!"$3$l$3$=$,;T@n$N:nIw$@$H$b$$$($k!#$=$s$J7?$K$H$i$o$l$J$$;T@n$K!"F|K\$N1G2h4X78Mh;T@n$K$D$$$F7!$j2<$2$?8&5f$,9T$o$l$?$j@lLgE*$J:nIJO@I>$,=q$+$l$k$3$H$O5)$@$C$?!#4FFD:nIJ$,B?$/!"$7$+$b?t!9$NEA@bE*$J:nIJ$r


    影響

    市川の独特の映像表現には定評があり、後輩の映画監督に多大な影響を与えている。*アニメ映画監督の庵野秀明は、自らの作品に市川作品を意識した映像表現を多用している。

  • 「岩井美学」とまで呼ばれる映像手法を確立した岩井俊二監督は、1976年の『犬神家の一族』を「自分の映画作りの教科書」と呼んでいる。市川を崇拝する岩井は、2006年に『市川崑物語』を製作している。

  • 北野武は市川の『東京オリンピック』に強い影響を受けたと語っている。

  • フランソワ・トリュフォー|トリュフォーら外国の監督にも市川の崇拝者は多い。

  • いわゆる「市川組」出身の映画監督には、東宝の古沢憲吾・橋本幸治・手塚昌明、日活の舛田利雄・江崎実生、大映の増村保造・田中徳三・池広一夫らがいる。なお和田誠・森遊机 編の『光と嘘 真実と影 市川崑監督作品を語る』(河出書房新社、2001年)では、塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆきなど各界の市川ファンが賛辞を寄せている。



    人物

    大変なヘビースモーカーとして有名。文化功労者に選出された1994年には紅白歌合戦に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。



    和田夏十

    妻は脚本家の和田夏十。東宝撮影所で知り合い、1948年に結婚した。和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと) という名は、東宝撮影所時代に二人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と市川がこれを和田に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。



    受賞




    [ 映画賞 ]


  • 1956年 『ビルマの竪琴』で
    :*ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞
    :*アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
    :*リスボン国際映画祭審査員特別賞
    :*エジンバラ国際映画祭グランプリ

  • 1959年 『野火』で
    :*ロカルノ国際映画祭グランプリ
    :*バンクーバー国際映画祭カナダ映画協会賞

  • 1960年 『鍵』で
    :*カンヌ国際映画祭審査員賞
    :*ゴールデングローブ賞外国語映画賞

  • 1961年 『おとうと』で
    :*カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション

  • 1962年 『私は二歳』で
    :*アジア映画祭監督賞

  • 1965年 『東京オリンピック』で
    :*カンヌ国際映画祭青少年向映画賞
    :*UNICRIT賞
    :*英国アカデミー賞長編記録映画賞
    :*国連平和賞
    :*モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞

  • 1983年 『細雪』で
    :*アジア太平洋映画祭グランプリ
    :*同・監督賞

  • 1984年 『おはん』で
    :*アジア太平洋映画祭審査員特別賞

  • 1994年 『四十七人の刺客』で
    :*東京国際映画祭審査員特別賞

  • 2000年 ベルリン国際映画祭特別功労賞

  • 2001年 モントリオール国際映画祭功労賞

  • 2007年 東京国際映画祭黒澤明賞


    [ 叙勲 ]


  • 1982年 紫綬褒章

  • 1988年 勲四等旭日小綬章

  • 1994年 文化功労者選出



    監督作品




    [ 映画 ]


  • 『娘道成寺 (映画)|娘道成寺』(1945年、東宝教育映画)

  • 『東宝千一夜 大阪編』(1947年、新東宝)

  • 『三百六十五夜#映画|三百六十五夜』(1948年、新東宝)

  • 『花ひらく』(1948年、新東宝)

  • 『果てしなき情熱』(1949年、新世紀プロ=新東宝)

  • 『人間模様』(1949年、新東宝)

  • 『銀座三四郎』(1950年、新東宝=青柳プロ)

  • 『暁の追跡』(1950年、田中プロ=新東宝)

  • 『熱泥地』(1950年、新東宝)

  • 『恋人 (映画)|恋人』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『盗まれた恋』(1951年、新東宝=青柳プロ)

  • 『無国籍者』(1951年、昭映プロ=東横映画)

  • 『夜来香』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『ブンガワンソロ』(1951年、新東宝)

  • 『結婚行進曲 (映画)|結婚行進曲』(1951年、東宝)

  • 『足にさわった女』(1952年、東宝)

  • 『あの手この手』(1952年、大映|大映京都)

  • 『若い人』(1952年、東宝)

  • 『ラッキーさん』(1952年、東宝)

  • 『青色革命』(1953年、東宝)

  • 『愛人 (映画)|愛人』(1953年、東宝)

  • 『プーサン』(1953年、東宝)

  • 『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』(1953年、東宝)

  • 『わたしの凡てを』(1954年、東宝)

  • 『女性に関する十二章』(1954年、東宝)

  • 『億万長者』(1954年、青年俳優クラブ)

  • 『こころ (映画)|こころ』(1955年、日活)

  • 『青春怪談』(1955年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第一部』(1956年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第二部』(1956年、日活)

  • 『日本橋 (映画)|日本橋』(1956年、大映東京)

  • 『処刑の部屋』(1956年、大映東京)

  • 『東北の神武たち』(1957年、東宝)

  • 『満員電車』(1957年、大映東京)

  • 『穴 (映画)|穴』(1957年、大映東京)

  • 『炎上 (映画)|炎上』(1958年、大映|大映京都)

  • 『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』(1959年、大映東京)

  • 『野火』(1959年、大映東京)

  • 『鍵 (映画)|鍵』(1959年、大映東京)

  • 『おとうと』(1960年、大映東京)

  • 『女経』(1960年、大映東京)

  • 『ぼんち (映画)|ぼんち』(1960年、大映京都)

  • 『黒い十人の女』(1961年、大映東京)

  • 『破戒 (映画)|破戒』(1962年、大映京都)

  • 『私は二歳』(1962年、大映東京)

  • 『太平洋ひとりぼっち』(1963年、日活・石原プロモーション|石原プロ)

  • 『雪之丞変化』(1963年、大映京都)

  • 『ど根性物語 銭の踊り』(1964年、大映東京)

  • 『東京オリンピック#記録映画|東京オリンピック』(1965年、東京オリンピック映画協会) 総監督

  • 『トッポ・ジージョ#映画|トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年、東宝東和)

  • 『第50回全国高校野球選手権大会 青春』(1968年、朝日新聞=朝日テレビ|朝日テレビニュース) 総監督

  • 『愛ふたたび』(1971年、東宝)

  • 『股旅』(1973年、崑プロ=日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 『吾輩は猫である』(1975年、芸苑社)

  • 『犬神家の一族』(1976年、角川映画|角川春樹事務所)

  • 『妻と女の間』(1976年、東宝=芸苑社) 豊田四郎と共同監督

  • 『悪魔の手毬唄』(1977年、東宝)

  • 『獄門島』(1977年、東宝)

  • 『火の鳥 (漫画)#映画(実写版)|火の鳥』(1978年、火の鳥プロ=東宝)

  • 『女王蜂 (横溝正史)|女王蜂』(1978年、東宝)

  • 『病院坂の首縊りの家』(1979年、東宝)

  • 『銀河鉄道999』(1979年、東映) 監修

  • 『古都 (小説)|古都』(1980年、東宝=ホリプロ|ホリ企画)

  • 『幸福 (映画 1981年)|幸福』(1981年、フォーライフ=東宝)

  • 『細雪』(1983年、東宝)

  • 『おはん』(1984年、東宝)

  • 『ビルマの竪琴』(1985年、フジテレビジョン|フジテレビ=博報堂=キネマ東京)

  • 『鹿鳴館 (映画)|鹿鳴館』(1986年、MARUGEN-FILM)

  • 『竹取物語#映画|竹取物語』(1987年、東宝=フジテレビ)

  • 『映画女優』(1987年、東宝)

  • 『つる 鶴』(1988年、東宝)

  • 『天河伝説殺人事件 (映画)|天河伝説殺人事件』(1991年、東映=『天河伝説殺人事件』製作委員会)

  • 『帰ってきた木枯らし紋次郎』(1993年、フジテレビ=C.A.L)

  • 『忠臣蔵 四十七人の刺客|四十七人の刺客』(1994年、東宝)

  • 『八つ墓村』(1996年、東宝)

  • 『どら平太』(2000年、『どら平太』製作委員会=日活)

  • 『新撰組 (映画 2000年)|新撰組』(2000年、フジテレビ=メディアポックス

  • 『かあちゃん』(2001年、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)

  • 『犬神家の一族 (映画 2006年)|犬神家の一族』(2006年、角川映画)


    [ 主なテレビ作品 ]


  • 『木枯し紋次郎』(1972〜73年放送、フジテレビ=C.A.L) 第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修

  • 終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和 (テレビドラマ)|戦艦大和』(1990年8月10日放送、フジテレビ=東宝)



    注釈





    関連項目


  • 三重県出身の有名人一覧

  • 日本の映画監督一覧

  • 私の履歴書(日本経済新聞連載)

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    2007年12月19日

    映画監督[植草甚一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    植草甚一



    植草 甚一(うえくさ じんいち、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。早稲田大学理工学部中退後、東宝に入社。戦後独立して映画評論を手がける傍らジャズや雑学への造詣を深め、1970年にエッセー「ぼくは散歩と雑学が好き」を刊行して若者にサブカルチャーを普及させた。1973年には雑誌『ワンダーランド』を創刊する。この『ワンダーランド』が後にJICC出版局に譲渡・発展して『宝島社|宝島』になる。
    1974年にはじめてニューヨークへ行き、本、映画、ファッションなど様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表しさらに注目された。
    1979年、世田谷区経堂の自宅で逝去。
    エッセー集として「植草甚一スクラップブック」(晶文社・1976年〜1980年/2004年復刻)がある。




    関連項目


  • 古書店

  • ニューヨーク



    外部リンク


  • 著作リスト

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    2007年12月18日

    映画監督[今井雅之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    今井雅之



    今井 雅之(いまい まさゆき 1961年4月21日-)は、兵庫県豊岡市(旧・城崎郡日高町_(兵庫県)|日高町)出身の日本の俳優、演出家。身長178cm。空手2段、柔道初段。本名は同じ。



    来歴・人物

    兵庫県立豊岡高等学校卒業後陸上自衛隊に入隊、滋賀県高島市の第三戦車大隊に配属。退官後法政大学文学部英文学科卒業。1986年奈良橋陽子演出『MONKEY』にて舞台デビュー。代表作に「THE WINDS OF GOD」(ザ・ウィンズオブゴッド・原作等)、「SUPPINぶるうす ザ・ムービー」(初監督作品・出身地の兵庫県豊岡市にて撮影)などがある。1996年日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。2004年3月27日の『たかじんのそこまで言って委員会 春の芸能界スペシャル』において、「芸能人にプライバシーはあるか」というお題に対し、今井が、サンズエンタテインメントの野田義治社長のマネージメント戦略において、「自分たちは女衒、タレントは吉原の遊女」的な発言に「あんたらみたいのがおるから芸能界おかしくなんのじゃ」と発言。芸能人を守っていかなくてはいけない立場である野田の軽率な発言に今井が激怒。その発言に浜田幸一が激怒し「目上の人に向かってそんな口を利くんじゃない」と口論になり浜田が途中退席した。後日浜田は、『行列のできる法律相談所』で島田紳助に「また、キレたそうやな」と福 9$+$l!V$9$^$J$+$C$?!W$H 売れない時代に、「ラ・ボエム」の1号店(原宿店)に7年間、厨房で腕をふるっていたので、料理の腕前は凄いらしい。
    その風貌と性格からか一本気な役や男気あふれる役が多いが、コミカルな芝居もこなし笑いも取れる実力に高い評価を得ている。交友関係も広くSMAPの中居正広や代々木ゼミナール|某予備校名物英語講師西谷昇二とも仲がいいらしい。読売ジャイアンツの大ファンである。このほか岩波書店から『若いぼくらにできること-体験的教育論』(1997年、ISBN 4005002870)など複数の著作があり、最近ではチャンネル桜賛同人になったり、神社本庁や日本会議、靖国会館などでの講演会で神風特攻隊を「武士道精神に溢れる」と語るなど、保守派・右派文化人としての側面も見せている。しかし「THE WINDS OF GOD」公演の最後には涙ながらに「NO MORE WAR!」と叫ぶなど、反戦への意志も強い。



    出演




    [ 舞台 ]


  • 『THE WINDS OF GOD』 (今井雅之脚本・演出・主演)平成3年度文化庁主催芸術祭賞(原作・脚本・演技)受賞
    この「THE WINDS OF GOD」は1988年に初演から数十回にわたり再演をしており、海外(ニューヨーク?ロンドン?ハワイ)での公演も高い評価を得ている。2005年は今井雅之主演の舞台、DonDokoDonの山口智充とV6 (ジャニーズ)|V6の森田剛のドラマ、ハリウッドで全編英語脚本?日本人キャスト?スタッフによる映画制作がされている。なお、この舞台は一時封印していたが、9/11テロ事件を『神風アタック』と表現した米メディアに憤りを感じ、再演を決意したという。


    [映画]


  • 彼女が水着に着替えたら

  • ポップコーンLOVE

  • 静かな生活

  • T・R・Y

  • 八つ墓村

  • 右向け左!自衛隊へ行こう

  • THE WINDS OF GOD
    ほか多数


    [ テレビドラマ ]

    ・◇日本放送協会|NHK総合

  • ええにょぼ(1993年4月〜10月)

  • 花の乱(1994年4月〜12月) 細川政元役

  • ハチロー〜母の詩、父の詩〜(2005年1月〜3月)アイン役
    ・◇日本テレビ放送網|日本テレビ系

  • もう呼ぶな海!(1999年2月)

  • 87%(2005年1月〜3月)川上役
    ・◇東京放送|TBS系

  • 俺たちルーキーコップ(1992年4月〜7月)

  • やとわれ女将・菊千代の事件簿2(2005年2月、月曜ミステリー劇場)
    ・◇フジテレビジョン|フジテレビ系

  • 世にも奇妙な物語 『石田部長代理の災難』(1991年)

  • 世にも奇妙な物語 『常識酒場』『トラブル・カフェ』(1992年)

  • 世にも奇妙な物語 『心の声が聞こえる』(1994年)

  • 世にも奇妙な物語 『扉の先』(1997年)

  • NIGHT HEAD(1992年12月)

  • お金がない!(1994年7月〜9月)

  • 沙粧妙子・最後の事件(1995年7月〜9月)

  • ギフト (テレビドラマ)|ギフト(1997年4月〜6月)

  • お見合い結婚(2000年1月〜3月)
    ・◇テレビ朝日系

  • 味いちもんめ2(1996年1月〜3月)

  • 味いちもんめスペシャル(1997年1月)

  • 愛は正義(2001年1月〜3月)
    ・◇読売テレビ系

  • 極限推理コロシアム(2004年)


    [ TVCM ]


  • 協和発酵 焼酎 大五郎

  • 小林製薬 トイレその後に(2006年)


    [ バラエティ ]


  • 中居くん温泉(1997年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • チューボーですよ!(TBS)

  • 英語でしゃべらナイト(NHK)
    自慢の英語で、映画『ターミナル (映画)|ターミナル』公開時に来日していたトム・ハンクスにインタビューをした。その際、「あなたの英語は素晴らしい」と褒められる。その後、スタジオにも出演。



    関連項目


  • 日本の男優一覧



    外部リンク


  • 今井雅之オフィシャルブログ『今井雅之の「押忍!」』

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    2007年12月17日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが彼の作風は当時の小津安二郎と似通ったものがあり、蒲田撮影所長の城戸四郎(後の松竹社長)に「小津は2人いらない」と言われたといわれているが、真実は確認取れていない。監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三拭 M;PKe!Y!J1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原検 ,2A$r


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる』と『乱れ雲\xA1 !Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタッフでの作供 H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.@%$r;Y$($?!! #5SK\$K$ O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。
    スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。黒澤明のスタッフを長年務めた野上照代は「黒澤さんが、一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と述べている。石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってから。1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リァ b%6%s!"%l%*%9!&%+%i%C%/%9!"%@%K%(%k!&%7%e%_%C%H!"%(%I%o!<%I!&%d%s$H$$$C$?1G2h4FFD$?$A$,H`$K7I0U$rI=$7$F$$$k!#%7%e%_%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。



    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
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    2007年12月16日

    映画監督[飯田譲治]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    飯田譲治



    飯田譲治(いいだじょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。長野県諏訪市出身。
    世にも奇妙な物語シリーズでは「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている
    そのうち、「常識酒場」、「トラブルカフェ」は『NIGHT HEAD』の原型となった作品自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画「休憩」でぴあフィルムフェスティバルに入選。
    友人は世にも奇妙な物語などの作曲で知られる配島邦明



    脚本・監督作品


  • 1989年『奇妙な出来事 「恐怖のデイドリーム」』

  • 1989年『奇妙な出来事 「恐怖のデイドリーム?〜もう一度〜」』

  • 1990年『世にも奇妙な物語 「代打はヒットを打ったか?」』(脚本のみ)

  • 1990年『世にも奇妙な物語 「王将」』脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「シャドゥボクサー」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「常識酒場」』

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「不幸の伝説」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「トラブルカフェ」』

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「贈り物」』(脚本のみ)

  • 1992年『世にも奇妙な物語 「妄想特急」』(脚本のみ)

  • 1994年『NIGHT HEAD』

  • 1998年『らせん』

  • 2000年『アナザヘヴン』

  • 2003年『ドラゴンヘッド』

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    2007年12月15日

    映画監督[庵野秀明]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    庵野秀明



    庵野 秀明(あんの ひであき、男性、1960年5月22日 - )は、日本の映画監督、アニメーター。山口県宇部市生まれ。山口県立宇部高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現?映像学科)除籍。血液型A型。妻は漫画家、エッセイストの安野モヨコ。代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』等。『新世紀エヴァンゲリオン』は第18回日本SF大賞を受賞。



    作風

    人間のエゴや醜さを抉り出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出に定評がある。しかし、意外な所からとる独特のトリッキーなカメラワークは「凝っている」「新鮮で面白い」と好評であるものの、一部で「目が回りそう」「複雑だ」と批判がある。また、作品中に電柱、信号機、遮断機、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い(なぜこれらの物体であるかについては宮台真司が、世代的なものであると指摘している)。彼の演出する作品にはパロディ・オマージュが必ずと言っていいほど大量に盛り込まれており(大まかな部分ではセリフ・設定・ストーリー、細かくみれば五秒足らずのシーンにもあるという)、相当な映画・アニメ・漫画マニアでないと見抜けないものも多く存在する。有名な所では永井豪のマジン・サーガ(エヴァの設定等に引用が見られる)、楳図かずおの作品群・作風(トップ例・最終話のシチュエーション・設定等に漂流教室との類似点が見られる。、ナディア例・第1話アバンタイトル、おまけ劇場等、エヴァ例・22話、旧劇場板26話の槍のシー\xA1 %s!&0lIt$N;HEL$NB$7A$OI:N.65<<$+$i!"%^%.$NFbIt$O$o$?$7$O??8g$+$i!"%A%k%I%l%s$N@_Dj$N0lIt!&23話のあるエピソードは14歳 (漫画)|14歳からの流用、の設定・ストーリー構成等に一部流用されている)、岡本喜八のブルークリスマス、激動の昭和史・沖縄決戦(エヴァの設定の一部に生かされる例・エヴァンゲリオン旧劇場版第25話)、松本零士の宇宙戦艦ヤマト(ナディアのメカ造形の参考になった)、海底軍艦 (映画)|海底軍艦(ナディアのアトランティス帝国やネモ船長の設定)が挙げられる。
    これらについては本人がアニメオタク・特撮マニアであることと、「今の時代、本当のオリジナルなんてないんだオリジナルの問題については本人が様々なところで語っている。一例として、コミック1巻の所信表明文、スキゾ・エヴァンゲリオンにおいて「僕のようなアニメや漫画をばかり見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる」というような旨の発言。本人以外にも竹熊健太郎が「スキゾ・エヴァンゲリオン」において、GAINAXのオリジナルの問題を語っている。」という考えに基づくものだと言われる。 ''作風については来歴の項目も参照のこと。''



    来歴




    [ 学生時代 ]

    幼い頃よりアニメや特撮そして大規模建造物等に夢中で、よく絵を描いていたという。山口県立宇部高等学校|高校時代は美術部で部長を務めていた為に画力は高く、「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に寮で知り合う山賀博之が語っている。高校在学時には「グループSHADO」おそらくは謎の円盤UFOにおける地球防衛組織SHADO(エヴァンゲリオンにおけるNERVのモデル)から名前をとったものと思われる。詳細はパラノ・エヴァンゲリオンP50より。というアマチュア映像製作グループにも所属。高校卒業後は就職せず遊んでばかりいたので親に心配され一浪後、当時は学科試験の無かった大阪芸術大学に入学。実技試験については、宮崎駿等の絵コンテ等を見て勉強したというパラノ・エヴァンゲリオンP34より。入学当初、班作りの際に山賀博之、赤井孝美らとグループを作る。当時同級生であった漫画家の島本和彦の証言によると、班が作れずに死にそうな顔をしていた庵野を見かけ、声をかけようと思ったが遠かったという理由でやめている(後に島本とは交流を持つようになり、デ\xA1 %S%e!<;~$K%5%$%s$r$b$i$C$F$$$k!K!#F1$83X2J$NF14|$K$OFn2mI'!"@>?9>O|西森明良などの同業者、エヴァンゲリオンの碇シンジの名前の元となった広告デザイナーの碇義彦らが在籍していた。漫画家の士郎正宗も同期であったが面識・交流の有無は不明。在学中からアルバイトとしてアニメーターをしており、二年次に誘われた自主制作アニメに熱中、共同実習にしか出ず出席率も悪く、学費も全く払っていなかったため三年次に放校処分を受ける(サークルはSF研究会に所属)。その後、大阪で開かれたSF大会では、山賀等と自主製作映画グループ「ダイコンフィルム」の主要メンバーとして、大会としては異例のオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作、プロをも驚かせ高い評価を受けた。23歳で大学を除籍されるが、この時はすでに『風の谷のナウシカ』への参加が決まっていた。


    [ アニメーター時代 ]

    『超時空要塞マクロス』、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』等の商業作品に参加、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。この系統のシーンはファンの間で「庵野爆発」という愛称で親しまれている。特に「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加している『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のクライマックスは圧巻で、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画まで殆どを一人でこなした。セルを一コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。劇場アニメ『風の谷のナウシカ』では、人手不足の為にアニメーターとしては素人同然であったが原画として採用される。担当した、巨神兵の登場するシーンは高く評価された。ただし、庵野本人は中割枚数などを挙げて「動きが速い、あれは失敗だった」と公言していて、あまりに不満があったのか、監督に黙って勝手にタイムシートを書き換え、そのまま動画に回したという2007年5月4日「僕らの音楽」(フジテレビ)。同作のパンフレットでは「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」としてエピソ  <%I$,>R2p$5$l$F$$$k!#0CLn$O!XD6;~6uMW:I%^%/%m%9!Y$NHDLn0lO:$H6&$K!XIw$NC+$N%J%&%7%+!Y5\:j=Y$r;U$H$7$F6D$$$G$$$k!#$^$?!"!X5!F0@o;N%,%s%@%`!Y$NIYLnM3M*5($i$r4^$a!"H`Ey%"%K%a!<%7%g%s3&$rBeI=$9$k:n2H$N;E;v$K;22C$G$-$?$3$H$r$H$F$b%i%C%-!<$@$C$?$H8l$C$F$*$j!"FC$K5\:j$+$i$O4FFD$H$7$F$N;E;v$N?J$aJ}Ey$r3X$s$@$H$$$&パラノ・エヴァンゲリオンP66より。一方で宮崎とは対立した時期もあり、庵野が宮崎監督作品を「つまらない映画」と評し、宮崎もエヴァンゲリオンを「いらないアニメ」と酷評することもあった。しかし宮崎はエヴァンゲリオン放送終了後、心配して庵野に電話をかけたという。人物を描くのが苦手であった事などから(監督から巨神兵のシーンでは人物も描くよう指示されるも、あまりに出来が悪かったので監督本人に頼んだという逸話があるパラノ・エヴァンゲリオンP63より)、この頃から原画動画関係を一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。このすぐ後に創立されたアニメーション制作会社ガイナックスを支えた人物である。

    [ 『新世紀エヴァンゲリオァ s!Y0J9_$ N3hF0 ]

    『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面に進出するが、その後のアニメの仕事においていわゆる「実写畑」の声優を起用する事が多くなる。これは「声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作る事にしたとインタビューに答えている庵野秀明のフタリシバイ(徳間書店)を参照のこと。。2002年3月26日に漫画家の安野モヨコと結婚。仲人は宮崎駿であった。二人が出合うきっかけは貞本義行による紹介である。庵野自身は彼女の『ハッピーマニア』等を読んでおり、高評していた。偶然ではあるが、安野モヨコのペンネームの苗字も「あんの」であるため、「Wアンノ」と話題になった。結婚生活は安野モヨコの漫画作品『監督不行届』で描写されている。2006年に、自身のアニメ制作会社カラー (アニメ制作会社)|カラーを創設し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役からは退いた。ただし、ガイナックスと絶縁したわけではない(臓 >


    人物




    [ 菜食主義 ]

    ヴェジタリアン|菜食主義者で、肉を食べない事で知られる。その影響からか、彼の作品『ふしぎの海のナディア』のナディアや、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイは菜食主義者である。また『新世紀エヴァンゲリオン』中の肉食を強烈に感じさせるシーンも、肉食へのコンプレックスという見方をする者が多い。他にもキノコなどといった菌類も「バイキンだから」という理由で食べない。『ふしぎの海のナディア』第25話で主人公ジャンがキノコを食べて幻覚を見るシーンがあるが、これは当初ナディアが食べるはずであったのだが監督の樋口真嗣がナディアのモデルである庵野に「キノコを食べます?」と聞いたところ「いや、ぼくは食べないよ」と答えたたために、ジャンにお鉢が周ったという。しかし、『監督不行届』『スキゾ・エヴァンゲリオン』などで描写されている食生活を見ると、菜食主義者というよりは偏食による肉嫌いの印象が強い。本人によると、自分が肉を食べているということを意識することが嫌いなのであり、ただ単に肉の味がついたものは大丈夫らしい(例として、サッポロポテトのバーベキュー味は好物)。ハムサンドからハムだけを\xA1 H4$$$F?)$Y$?$H$$$&%(%T%=!<%I$b$"$kスキゾ・エヴァンゲリオンより。本人は『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「菜食主義な訳ではなく、唯一食べられるのが野菜だけなのだ」という言い方をしている。


    [ 性格 ]

    監督デビュー作品トップをねらえ!を手がけていた時期は、非常に短気な性格で、背景のリテイクを「そんな時間ない」と断られて怒った庵野が「畜生、畜生!」と泣きながらロッカーを壊れるまで蹴飛ばし、壁を殴って穴を開けたという逸話も残っている(結局、「泣く奴にはかなわん」と渋々美術監督が了承し一晩かけてリテイクした)スキゾ・エヴァンゲリオンP134より。ふしぎの海のナディア制作時は所謂島編の時に韓国の制作会社に作画を依頼していたがその出来が悪く激怒する(LD発売時に主要スタッフが自腹を切って作り直した回と、薩川昭夫と共にでっち上げた総集編の回がある)。彼氏彼女の事情制作時は、テレビ局との軋轢から監督降板なども経験(一時期クレジットされなかっただけという説もある)。しかし結婚後は「穏やかになった」らしい本人の公式サイトの『個人履歴』より。『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』に出演していた声優の日高のり子が担当していたラジオ番組『はいぱぁナイト|はいぱぁナイト金曜』に度々ゲスト出演しては毒舌を吐きまくってい\xA1 $?!#
    『ナディア』出演時の日高のり子によると「あんなに人からコケにされたのは生まれて初めて!」だったらしい。また、『ナディア』のCDで日高の筆記インタビューの「苦手なもの」の項目の所に、勝手に「難しい漢字が読めない」と付け加えていた。口癖が「そ、そ」なのと空母マニアな事から日高から「空母そそそそ」と言うアダ名を付けられる。『ふしぎの海のナディア』のボーカルコレクションで作詞した際にその名義を使用。また『ふしぎの海のナディア』第34話の作画監督の名義としても使用した。ちなみに本人は空母マニアではなく、戦艦マニアだと主張。


    [ アニメ・特撮マニア ]

    アニメ『機動戦士ガンダム』『美少女戦士セーラームーン』や特撮物のマニアでもある事はよく知られている。アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に関しては、作品への愛溢れる余り『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版するほど。この本にはゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫らの豪華メンバーが参加しており、庵野と押井守、そして富野由悠季らとの対談が収録されている。同作中には、直後の『新世紀エヴァンゲリオン』にも繋がる庵野の思いがそこかしこにあふれており、庵野秀明を深く知るためのテキストとしても重要な一冊である。また、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』もお気に入りの作品らしく、しばらくは会う人たちに「布教活動」を行っていたという。同作品の公式HPにもファンのひとりとして登場し、『機動戦士ガンダム』に対する愛情を語っている。『美少女戦士セーラームーン』についても熱心なファンで、当時、同作のテレビシリーズのエフェクトアニメの原画を手伝い程度ながら手がけたり、同作の同人誌を収集ぁ 7$F$$$?!#$^$?!"<+:n$N!X?7@$5*%(%t%!%s%2%j%*%s!Y$N=EMW?MJ*$N@ また最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げている。それ以外にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いのテレビ東京関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという。「東京12チャンネルの挑戦」(金子明雄著、三一書房)p.141妻である安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったらしい。


    [ その他 ]

    エヴァブーム当時、インターネット上のチャット通信において巻き起こったエヴァ論争について、「便所の落書き」と批判1996年〜97年頃の発言。スキゾ・エヴァンゲリオン、パラノ・エヴァンゲリオンなどを参照。、パソコン通信にはまる人たちに現実に帰れと諭したニュータイプ1996年6月号のインタビューより。「アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ」と語る一方、アニメ界での作品は良作と評されることが多く、海外でも大きな評価を得ているが、実写作品では監督としてアニメ作品ほどの評価は得ていない。『ふしぎの海のナディア』以降アニメ、実写ともに摩砂雪が常にスタッフとして関わっており、庵野監督の女房役として支えている。2005年、日産自動車のTouch Your NISSANキャンペーンのCMに出演したときは普段のファッションに無頓着すぎる庵野とは思えないオシャレぶりを見せ、関係者、知人、ファン共々から反響があった。外出時のファッションに関しては、結婚を境に様変わりしたことは有名。理由については「妻が僕の為に恥をかくといけ\xA1 $J$$$+$i!W$H!"%$%Y%s%H$G6&1i$7$?NS86$a$0$_$K8l$C$?$H$$$&ラジオ番組より。「○○に勝てるのは△△だけ」や「○○まさに△△」という言い回しを各種作品(『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など)にて多用する傾向にある。大地丙太郎と交流があり、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を公開すると同時に大地監督の短編映画を同時上映した。以降の庵野作品で大地の作品、演出方法へのオマージュが随所に見られるようになる(『彼氏彼女の事情』、『キューティーハニー』等)。アニメ的なキャラクターを描くのが苦手と言われており、実際に新世紀エヴァンゲリオンの庵野のコンテやラフデザインなどでは、人物がかなりいい加減に描かれているのが散見されている(ただ、ゼネプロのパンフレットには庵野の作画と見られる女の子が描かれており、全く描けない訳ではないと考えられる)。



    略歴


  • 1960年 5月22日山口県宇部市生まれ。

  • 1980年 私立大阪芸術大学入学。

  • 1983年 大学除籍。『風の谷のナウシカ』の原画に採用され上京。

  • 1984年 株式会社ガイナックスの設立に参加。

  • 1998年 映画『ラブ&ポップ』で実写初監督。

  • 1999年 TVアニメ『彼氏彼女の事情』とメイキングビデオ『GAMERA 1999』の監督を同時に引き受ける。小惑星『庵野秀明 (小惑星)|庵野秀明』が命名される。

  • 2002年 漫画家安野モヨコと結婚。

  • 2006年 カラー (アニメ制作会社)を設立。



    作品リスト




    [監督作品]


  • 『トップをねらえ!』(OVA)

  • 『ふしぎの海のナディア』(テレビアニメ)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビアニメ)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』(映画)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』(映画)

  • 『ラブ&ポップ』(実写映画)

  • 『GAMERA1999』

  • 『彼氏彼女の事情』(テレビアニメ)

  • 『式日』(実写映画)

  • 『しりあがり寿|流星課長』(実写映画)

  • 『キューティーハニー』(実写映画)

  • 『』(OVA)

  • 『ストリングス〜愛と絆の旅路』(人形映画日本語版)

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(映画)
    前編『』(2007年9月1日公開)
    中編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2008年公開予定)
    後編+完結編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:急』+『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:?』(公開日未定)


    [その他のアニメ作品]




    [劇場アニメ]


  • 『風の谷のナウシカ』(原画)

  • 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(原画)

  • 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(作画監督、スペシャルエフェクトアーティスト、原画)

  • 『火垂るの墓』(原画)

  • 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(メカデザイン)


    [テレビアニメ]


  • 『超時空要塞マクロス』(原画)

  • 『まほろまてぃっく』(OPアニメーション絵コンテ)

  • 『おるちゅばんエビちゅ』(企画)

  • 『アベノ橋魔法☆商店街』(原画、メカ作監、最終話画コンテ、声)

  • 『シュガシュガルーン』(OP・EDアニメーション画コンテ、演出)


    [OVA]


  • 『装甲巨神Zナイト』(原画)

  • 『メガゾーン23』(原画)

  • 『くりぃむレモン|くりぃむレモン PART4 POPCHASER』(原画)

  • 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(アバンタイトル)

  • 『フリクリ』(監修、原画、友情メカ作監)

  • 『トップをねらえ2!』(監修、絵コンテ、原画)



    出演作品


  • 『ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』(竜王役 1988年、制作スタッフとしてエフェクトアニメ演出も担当)

  • 『あぶない刑事|あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE』(怪しい男役 1998年、成田裕介監督)

  • 『茶の味』(監督役 2003年、石井克人監督作品)

  • 『恋の門』(旅館経営者夫婦役カメオ・妻役は安野モヨコ 2004年、松尾スズキ監督作品)劇中アニメ『不可思議実験体ギバレンガー』メカニックデザイン&演出も担当

  • 日産自動車 Touch Your NISSAN キャンペーンCM(2005年)

  • 『トゥルーラブ』(西村圭介役 2006年、フジテレビP&Gパンテーンドラマスペシャル)

  • 『ナイスの森 〜The First Contact〜』(原画マン ハスダ役 2006年、石井克人、三木俊一郎、ANIKI監督作品)

  • 『日本沈没』(山城教授の娘婿役 2006年、制作スタッフとしてメカデザインも担当)

  • 『キャッチボール屋』(先代キャッチボール屋役 2006年、大崎章 第一回監督作品)

  • 『さくらん』(玉菊屋の客役 2007年、原作・安野モヨコ 蜷川実花監督作品)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(松原医師役 2007年、松尾スズキ監督作品)


    [ 登場作品 ]


  • 『アオイホノオ』(島本和彦作、小学館)
    庵野をモデルとしたキャラクター「大阪芸術大学|大作家芸術大学学生で後のエヴァンゲリオン監督となる庵野秀明」が登場



    受賞歴


  • 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞

  • アニメーション神戸96’(第一回アニメーション神戸) 個人賞

  • 第20回ヨコハマ映画祭 新人監督賞(ラブ&ポップ)



    脚注





    関連項目


  • ゼネラルプロダクツ

  • ガイナックス

  • カラー (アニメ制作会社)

  • ダイコンフィルム
    『愛國戰隊大日本』(特撮操演・ナレーター)
    『帰ってきたウルトラマン#後年への影響|帰ってきたウルトラマン』(監督・出演)

  • 西村知美(中学校の後輩)

  • 蒼きウル

  • 庵野秀明 (小惑星)詳しい情報は公式サイトの仕事履歴を参照のこと。



    外部リンク


  • 庵野秀明公式Webサイト

  • 早稲田大学人物研究会・庵野秀明会見録


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    2007年12月14日

    映画監督[川本三郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    川本三郎



    川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年 - )は評論家。



    来歴・人物

    東京都出身。麻布学園から東京大学法学部を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞市|朝霞の自衛官殺害事件(赤衛軍事件)で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『Have You Ever Seen The Rain?』を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。1971年11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、1972年1月9日には川本もまた逮捕され、会社は懲戒免職となり、1972年9月27日、浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は自伝的な『マイ・バック・ページ−ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。文芸・映画・都市などジャンルぁ ,I}9-$$I>O@2H$GB??t$NCx=q$,$"$k!#



    受賞歴


  • 『大正幻影』でサントリー学芸賞

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』で1996年,第48回読売文学賞・評論・伝記賞

  • 『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞



    著作


  • 『大正幻影』(筑摩書房,1997年,ISBN 4480032665)

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(都市出版,1996年,ISBN 978-4-924831-38-4)

  • 『林芙美子の昭和』(新書館,2003年,ISBN 4403210821)

  • 『都市の感受性』

  • 『映画を見ればわかること』

  • 『この映画見た?』

  • 『本のちょっとの話』

  • 『ロードショーが150円だった頃』など多数。

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    2007年12月13日

    映画監督[松尾スズキ]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    松尾スズキ



    松尾 スズキ(まつお すずき、本名松尾 勝幸、1962年12月15日- )は、日本の俳優、演出家、脚本家、コラムニスト。福岡県北九州市八幡西区生まれ。八幡大学附属高等学校(現・九州国際大学付属高等学校)、九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。劇団『大人計画』主宰。愛猫は「オロチ(雌)」大学卒業後はサラリーマンをしていたが、一年で挫折。その後、80年代後半に劇団を設立する。『ファンキー!宇宙は見える所までしかない』で第41回岸田國士戯曲賞受賞。2004年公開の監督デビュー映画『恋の門』はヴェネチア国際映画祭に出品された。漫画原作者としても著名。特に漫画家、河井克夫との活動は名義を「チーム紅卍」としている。最近では山本直樹の漫画原作などもした。2006年1月、小説『クワイエットルームにようこそ』が第134回芥川龍之介賞の候補になった。



    出演作品


  • 世にも奇妙な物語「行列」(1991年、フジテレビ)

  • 愛の新世界

  • チキン・ハート

  • 殺し屋1

  • ピンポン (漫画)|ピンポン

  • いま、会いにゆきます

  • 真夜中の弥次さん喜多さん ヒゲのおいらん役 (2005年)

  • イン・ザ・プール 伊良部一郎役 (2005年)

  • フリクリ(声優)

  • マンハッタンラブストーリー土井垣役 (2003年)

  • 日本の裸族

  • 恋する幼虫

  • キューティーハニー(実写版)

  • サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜

  • 世界の終わりという名の雑貨店

  • 突入せよ! あさま山荘事件(2002年)

  • ユメ十夜 第一夜(夏目漱石)

  • 世界ウルルン滞在記ルネサンス(ナレーター)

  • 図鑑に載ってない虫 三木聡監督作品 エンドー役 (2007年)

  • 自虐の詩  堤幸彦監督作品 中年男役  (2007年)


    [CM]


  • コニカミノルタ



    作品




    [ 舞台 ]


  • 絶妙な関係(1988年・作・演出・出演)

  • 手塚治虫の生涯(1988年・作・演出・出演)

  • マイアミにかかる月(1989年・作・演出・出演)

  • 嫌な子供(1989年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係?(1989年・作・演出・出演)

  • ゲームの達人(1990年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱[鼻始め](1990年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係 Live at秘宝館(1990年・作・演出・出演)

  • 猿ヲ放ツ(1991年・作・演出・出演)

  • 溶解ロケンロール(1991年・作・演出・出演)

  • サエキナイト〜ムーディを探せ〜(1991年・作・演出・出演)

  • やられたい男(1992年・作・演出)

  • 冬の皮(1992年・作・演出・出演)

  • インスタントジャパニーズ(1992年・演出・出演)

  • セックスキングダム(1993年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱(1993年・演出・出演)

  • ゲームの達人(再演)(1993年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(1994年・作・演出・出演)

  • 嘘は罪(1994年・作・演出・出演)

  • カウントダウン(1995年・作・演出・出演)

  • ちょん切りたい(1995年・作・演出・出演)

  • ファンキー!(1996年・作・演出・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(日本総合悲劇協会・1996年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(再演)(1997年・作・演出・出演)

  • 生きてるし死んでるし(1997-1998年・作・演出・出演)

  • ニッキー・イズ・セックスハンター(ウーマンリブ・1998年・出演)

  • ヘブンズサイン(1998年・作・演出・出演)

  • ふくすけ(日本総合悲劇協会・1998年・作・演出・出演)

  • 母を逃がす (1999年・作・演出・出演)

  • キレイ(2000年・作・演出・出演)

  • エロスの果て(2001年・作・演出・出演)

  • マシーン日記(スズキビリーバーズ・2001年・作・演出・出演)

  • 春子ブックセンター (2002年・出演)

  • 業音(日本総合悲劇協会・2002年・作・演出・出演)

  • ニンゲン御破産 (2003年・作・演出・出演)

  • 熊沢パンキース03(2003年・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(再演)(日本総合悲劇協会・2004年・作・演出・出演)

  • イケニエの人 (2004年・作・演出・出演)

  • キレイ(再演)(2005年・作・演出・出演)

  • まとまったお金の唄 (2006年・作・演出・出演)

  • ウーマンリブ先生 (2006年・出演)

  • ドブの輝き (2007年・作・演出・出演)

  • キャバレー (2007年・演出)


    [ 映画 ]


  • 恋の門 (監督・脚本)

  • ユメ十夜 第六夜 (監督・脚本)

  • 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (脚本)

  • クワイエットルームにようこそ (監督・脚本)


    [ 著書 ]


  • 『大人失格』(1995年・マガジンハウス)

  • 『ファンキー! 宇宙は見える所までしかない』(1997年・白水社)

  • 『ヘブンズサイン』(1998年・白水社)

  • 『第三の役たたず』(1999年・情報センター出版局)

  • 『この日本人に学びたい』(1999年・ロッキング・オン)

  • 『ぬるーい地獄の歩き方』(1999年・演劇ぶっく社)

  • 『キレイ 神様と待ち合わせした女』(2000年・白水社)

  • 『永遠の10分遅刻』(2001年・ロッキング・オン)

  • 『母を逃がす』(2001年・白水社)

  • 『これぞ日本の日本人』(2001年・ぴあ)

  • 『マシーン日記 悪霊』(2001年・白水社)

  • 『エロスの果て』(2002年・白水社)

  • 『ふくすけ』(2002年・白水社)

  • 『同姓同名小説』(2002年・ロッキング・オン)

  • 『ニンゲン御破産』(2003年・白水社)

  • 『寝言サイズの断末魔』(2003年・扶桑社)

  • 『撮られた暁の女 松活妄想撮影所』(2003年・扶桑社)

  • 『実況生中年 』(2004年・扶桑社)

  • 『ドライブインカリフォルニア』(2004年・白水社)

  • 『宗教が往く』(2004年・マガジンハウス)

  • 『恋の門 フィルムブック』(2004年・マガジンハウス)

  • 『スズキが覗いた芸能界』(2004年・太田出版)

  • 『監督ちゃん 松尾スズキの映画『恋の門』制作日記』(2004年・ロッキング・オン)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(2005年・文藝春秋)

  • 『厄年の街』(2006年・扶桑社)

  • 『まとまったお金の唄』(2006年・白水社)

  • 『12歳の大人計画 課外授業ようこそ先輩』(2006年・文芸春秋)

  • 『ザ・シナリオ東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 』(2007年・扶桑社)

  • 『東京物欲道場』(2007年・ソニーマガジンズ)



    関連項目


  • 福岡県出身の有名人一覧



    外部リンク


  • 松尾ヶ原(公式)

  • 大人計画


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    2007年12月12日

    映画監督[篠原哲雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    篠原哲雄



    篠原 哲雄(しのはら てつお、1962年2月9日 - )は、東京都出身の映画監督。桐蔭学園高等学校、明治大学法学部卒。専攻は法社会学、法文化論。監督作品『月とキャベツ』が初の劇場用長編作品となる。以降、『洗濯機は俺にまかせろ』(1999年)、『はつ恋』(2000年)、『命』(2002年)等を手がける。



    監督作品


  • 亀顔少年(1984年)

  • RUNNING HIGH(1989年)

  • 草の上の仕事(1993年)

  • バカヤロー!V エッチで悪いか -天使たちのカタログ-(1993年 カラー31分 ビデオ作品(オムニバスの1本))

  • YOUNG & FINE(1994年、ツインズ)

  • 歪んだ欲望 -Emotional Blue-(1995年、アルゴピクチャーズ)

  • 月とキャベツ(1996年、エースピクチャーズ、西友)
    出演:山崎まさよし、真田麻垂美

  • 悪の華(1996年、KISS)
    出演:大沢樹生、原久美子、大杉漣、浅沼順子、原サチコ、並木史郎、横山あきお

  • 恋、した。 オールドタウンで恋をして(1997年、テレビ東京、アミューズ)
    出演:小林麻子

  • ふたりのアリス(1997年 フジテレビジョン|フジテレビ、ロボット (企業)|ROBOT)
    出演:浜丘麻矢、鶴見辰吾

  • なっちゃん家 なっちゃん家のお客さん(1998年、テレビ朝日、アミューズ)

  • 洗濯機は俺にまかせろ(1999年、ボノボ、スターボード)
    出演:筒井道隆、富田靖子、小林薫

  • きみのためにできること(1999年、日活)
    出演:柏原崇、真田麻垂美、川井郁子、岩城滉一、大杉漣、田口浩正

  • はつ恋(2000年、東映)
    出演:田中麗奈、原田美枝子、平田満、真田広之

  • 死者の学園祭(2000年、東映)
    原作:赤川次郎
    出演:深田恭子、加藤雅也、内田朝陽、根津甚八 (俳優)|根津甚八

  • 華倫変|張り込み(2001年、JRSS)
    出演:若林しほ、小市慢太郎、堺雅人、榊ゆりこ、木村つかさ、伊沢麿紀、伊藤洋三郎

  • 女学生の友(2001年7月、ビーエス・アイ|BS-i、東宝)
    原作:柳美里、出演:山崎努、前田亜季、野村佑香、山崎一、毬谷友子、中村久美、山田辰夫

  • 命 (映画)|命 (2002年、命製作委員会(東京放送|TBS、東映、小学館、TOKYO FM、朝日新聞))
    原作:柳美里
    出演:江角マキコ、豊川悦司、筧利夫、寺脇康文、平田満、麻生久美子、樹木希林

  • 木曜組曲(2001年、光和インターナショナル)
    出演:鈴木京香、原田美枝子、富田靖子、西田尚美、加藤登紀子、浅丘ルリ子

  • 昭和歌謡大全集(2001年、光和インターナショナル、バンダイビジュアル)
    出演:松田龍平、池内博之、斉藤陽一郎、近藤公園、安藤政信

  • けん玉(『Jam Films』内の一編・2002年)
    出演:山崎まさよし、篠原涼子、山田幸伸、氏家恵、あがた森魚

  • オー・ド・ヴィー(2002年、オー・ド・ヴィー製作委員会)
    出演:岸谷五朗、小山田サユリ、鰐淵晴子、寺田農、松重豊、朝加真由美、根岸季衣

  • 天国の本屋〜恋火(2004年)
    出演:竹内結子、玉山鉄二、香里奈、新井浩文、香川照之、原田芳雄

  • 深呼吸の必要(2004年)
    出演:香里奈、谷原章介、成宮寛貴、長澤まさみ

  • 欲望 (日本映画)|欲望(2005年、光和インターナショナル)
    出演:板谷由夏、村上淳、高岡早紀、津川雅彦

  • 地下鉄に乗って|地下鉄(メトロ)に乗って(2006年)
    出演:堤真一、岡本綾、大沢たかお、常盤貴子



    外部リンク


  • 篠原哲雄オフィシャルホームページ

  • 「命」公式サイト


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    2007年12月11日

    映画監督[滝田洋二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    滝田洋二郎



    滝田 洋二郎(たきた ようじろう、1955年12月4日〜)は、現在『バッテリー (小説)|バッテリー』などの作品で注目されている映画監督。



    来歴・人物

    1955年12月、富山県高岡市生まれ。1974年、獅子プロに助監督として入社。1981年、『痴漢女教師』で監督デビュー。成人映画を監督として話題作を連発し、注目された。1985年、一般映画『コミック雑誌なんかいらない!』を監督。また、『木村家の人々』(1988年)『病院へ行こう』(1990年)『僕らはみんな生きている』(1993年)『シャ乱Qの演歌の花道』(1997年)『お受験』(1999年)『秘密』(1999年)『陰陽師』(2001年)などの作品で人気を集めている。



    監督作品


  • 連続暴姦(1983年)

  • 痴漢電車 下着検札(1984年)

  • 痴漢電車 ちんちん発車(1984年)

  • グッバイボーイ(1984年)

  • OL24時 媚娼女(1984年)

  • 真昼の切り裂き魔(1984年)

  • 痴漢電車極秘本番(1984年)

  • 痴漢保険室(1984年)

  • ザ・緊縛(1984年)

  • 痴漢電車 聖子のお尻(1985年)

  • 桃色身体検査(1985年)

  • 痴漢電車 車内で一発(1985年)

  • 痴漢通勤バス(1985年)

  • 痴漢電車 あと奥まで1cm(1985年)

  • 絶倫ギャル やる気ムンムン(1985年)

  • ザ・マニア 快感生体実験(1986年)

  • 痴漢宅配便(1986年)

  • はみ出しスクール水着(1986年)

  • タイム・アバンチュール 絶頂5秒前(1986年)

  • コミック雑誌なんかいらない!(1986年)

  • 愛しのハーフ・ムーン(1987年)

  • 木村家の人々(1988年)

  • 病院へ行こう(1990年)

  • 病は気から 病院へ行こう2(1992年)

  • 僕らはみんな生きている(1993年)

  • 新宿鮫|眠らない街 新宿鮫(1993年)

  • 熱帯楽園倶楽部(1994年)

  • シャ乱Qの演歌の花道(1997年)

  • お受験(1999年)

  • 秘密 (小説、映画)|秘密(1999年)

  • 陰陽師 (映画)|陰陽師(2001年)

  • 壬生義士伝(2003年)

  • 陰陽師II(2003年10月)

  • 阿修羅城の瞳(2005年4月)

  • バッテリー (小説)|バッテリー(2007年3月)



    助監督作品


  • デパート・ガール 恍惚三姉妹(1978年)

  • 下落合焼とりムービー(1979年)

  • 猟奇薔薇化粧(1979年)

  • 実録 痴漢教師(1983年)



    外部リンク


  • allcinemaによるプロフィール

  • 日本映画データベースによるプロフィール




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