2008年01月31日

映画監督[三池崇史]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
三池崇史



三池 崇史(みいけ たかし、1960年8月24日 - )は、日本の映画監督。



来歴・人物

三重県尾鷲市出身の板金工の父の下に、大阪府八尾市で生まれる。日本映画学校卒業。今村昌平、恩地日出夫に師事。1991年のVシネマ『突風!ミニパト隊』で監督デビュー、1995年の『新宿黒社会』で初の劇場用オリジナル作品を手掛けた。コメディ、バイオレンス、ホラーなど多岐に渡るジャンルで映画制作を続ける。1998年に、米『TIME』誌上よりこれから活躍が期待される非英語圏の監督としてジョン・ウーと並び10位に選出。作品はクエンティン・タランティーノ監督に影響を与える(『殺し屋1』など)。『極道恐怖大劇場 牛頭』はVシネマとして初めてカンヌ国際映画祭に出品された。旧名は三池モバ。多作である。その映画制作スタイルは、鮮烈な暴力描写を伴うため、しばしば論争を巻き起こすものの、海外での評価は高い。2001年のトロント国際映画祭での『殺し屋1』の上映時には、エチケット袋を観客に配り、暴力描写が自分の持ち味であることをアピールした。海外での受賞は『極道戦国志 不動』でファンタスボルト国際映画祭審査員特別賞。『オーディション』でロッテルダム国際映画祭\xA1 $G9q:]HcI>2HO"LA>^$H%*%i%s%@%8%c!<%J%j%:%`O"LA>^!#!X%+%?%/%j2H$N9,J!!Y$G%8%'%k%_%J!<%l9q:]%U%!%s%?%9%F%#%C%/1G2h:W?3::0wFCJL>^!#!X5mF,!Y$GBh36回シッチェス・カタロニア国際映画祭審査員特別ビジュアルエフェクト賞など多数。フランシス・コッポラやウェイ・ワンがアジア人監督作品をプロデュースする企画に日本から参加が発表されるなど、ハリウッドからの引き合いは数年前からあった。
2006年にはアメリカのケーブルテレビ局Showtimeが企画した、ホラー映画の巨匠13人によるオムニバステレビシリーズ『マスターズ・オブ・ホラー』の第1シーズンに、日本人唯一の参加を果たした。しかし、実際に三池が製作した『インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜』(原作・岩井志麻子)は比較的緩いといわれるケーブルテレビの放送コードにさえ引っ掛かってしまう内容のもので、北米での放映は見送られることとなり、話題となった。また、日本では角川ヘラルド・ピクチャーズ配給で映画館公開も計画されていたが、映倫が審査を拒否したため、映倫の審査が必要ないシアター・イメージフォーラムで単館上映した。2007年11月、米『TIME』誌の調査による「Top 25 Horror Movies(ホラー映画ベスト25)」に唯一の日本映画として『オーディション』が選出された。



監督作品




[ 映画 ]


  • ヤッターマン|YATTER MAN 〜ヤッターマン〜(2009年春公開予定、松竹/日活配給)

  • 大魔神(仮題)(2008年公開予定、角川映画配給)

  • 神様のパズル(2008年夏公開予定、東映配給)

  • 美少年 (2008年公開予定) 

  • クローズZERO(2007年10月27日公開、東宝配給)

  • 探偵物語(2007年9月29日公開、真樹プロダクション配給)

  • スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ(2007年9月15日公開、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント配給) 兼脚本

  • 龍が如く 劇場版(2007年3月3日公開、東映配給)

  • 太陽の傷(2006年9月16日公開、シネマパラダイス配給)

  • 46億年の恋(2006年8月26日公開、エスピーオー配給)

  • WARU(2006年2月25日公開、真樹プロダクション配給)

  • 妖怪大戦争 (2005年)|妖怪大戦争(2005年8月6日公開、松竹配給)兼脚本

  • インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜(2005年製作、アメリカ映画)

  • IZO_(映画)|IZO(2004年8月21日公開、チームオクヤマ配給)

  • ゼブラーマン(2004年2月14日公開、東映配給)

  • 着信アリ(2004年1月17日公開、東宝配給)

  • 美しい夜、残酷な朝 (2004製作、香港/日本/韓国合作)

  • 極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU(2003年)

  • 許されざる者(2003年3月29日公開、シネマパラダイス配給)

  • SABU(2002年10月5日公開、キネマ旬報社配給)

  • 実録・安藤昇侠道(アウトロー)伝 烈火(2002年9月21日公開、東映ビデオ配給)

  • 金融破滅ニッポンv 桃源郷の人々(2002年9月7日公開、大映配給)

  • 多重人格探偵サイコ|MPD-PSYCHO/FAKE MOVIE REMIX EDITION(2002年7月6日公開、物語環境開発配給)演出

  • 新・仁義の墓場(2002年6月22日公開、大映配給)

  • 荒ぶる魂たち(2002年3月30日公開、大映配給)

  • 熊本物語(2002年7月20日公開)

  • カタクリ家の幸福(2002年2月23日公開、松竹配給)

  • DEAD OR ALIVE FINAL(2002年1月12日公開、大映配給)

  • 殺し屋1(2001年製作、日本/香港/韓国合作)

  • 天国から来た男たち(2001年6月16日公開、日活配給)

  • FAMILY2(2001年製作、未公開)

  • FAMILY(2001年3月31日公開、エクセレントフィルム配給)兼撮影

  • ビジターQ(2001年3月17日公開、シネロケット配給)

  • DEAD OR ALIVE 2 逃亡者 (2000年12月2日公開、大映配給)

  • 漂流街 THE HAZARD CITY(2000年11月11日公開、東宝配給)

  • オーディション (映画)|オーディション(2000年3月3日公開、アートポート配給)

  • 鞠智城物語 防人たちの唄(2000年製作)

  • DEAD OR ALIVE 犯罪者(1999年11月27日公開、大映配給)

  • サラリーマン金太郎(1999年11月13日公開、東宝配給)

  • 日本黒社会 LEY LINES(1999年5月22日公開、大映配給)

  • 岸和田少年愚連隊|岸和田少年愚連隊 望郷(1998年9月26日公開、松竹配給)

  • BLUES HARP(1998年7月15日公開、ボノボ/パノラマ・コミュニケーションズ配給)

  • アンドロメディア(1998年7月11日公開、松竹配給)

  • 中国の鳥人(1998年6月10日公開、シネマ・ドゥ・シネマ/セディック インターナショナル配給)

  • 隧穴幻想 トンカラリン夢伝説(1998年製作)

  • 極道黒社会 RAINY DOG(1997年6月28日公開、大映配給)

  • 岸和田少年愚連隊|岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(1997年6月21日公開、シネマ・ドゥ・シネマ配給)

  • 極道戦国志 不動(1996年10月12日公開、ギャガ・コミュニケーションズ配給)

  • 新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争(1995年8月26日公開、大映配給)

  • 第三の極道(1995年1月17日公開、ヒーロー配給)

  • 新・第三の極道 勃発関西極道ウォーズ!!(1995年製作、未公開)


    [ TV ]


  • ウルトラマンマックス 第三番惑星の奇跡/わたしはだあれ?(2005年10月8日/15日放送、東京放送|TBS) 兼特技監督

  • パートタイム探偵2(2004年2月25日放送、テレビ東京)

  • 交渉人(2003年製作 WOWOW)

  • パートタイム探偵(2002年12月11日放送、テレビ東京)

  • 多重人格探偵サイコ|多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還(2000年5月2日−7日放送、WOWOW) 兼脚本

  • 天然少女萬NEXT 横浜百夜篇(1999年11月25日/26日放送、WOWOW)

  • 天然少女萬(1999年製作、WOWOW)

  • 疾走フェラーリ250GTO/ラスト・ラン〜愛と裏切りの百億円(1992年製作)


    [ OV ]


  • レディハンター/殺しのプレリュード(1991年製作)

  • 突風!ミニパト隊/イキャッチジャンクション(1991年製作)

  • 人間兇器/愛と怒りのリング(1992年製作)

  • ボディガード牙(1993年製作)

  • 俺達は天使(カタギ)じゃない(1993年製作)

  • 俺達は天使(カタギ)じゃない2(1993年製作)

  • 修羅の黙示録 ボディガード牙(1994年製作)

  • なにわ遊侠伝(1995年製作)

  • 修羅の黙示録2 ボディガード牙(1995年製作)

  • 極道恐怖大劇場 牛頭(ごず)(2003年製作)

  • 新宿アウトロー(1994年製作)

  • 新・第三の極道II(1995年製作)

  • 仁義なき野望(1996年製作)

  • 喧嘩の花道|大阪最強伝説 喧嘩の花道(1996年製作)

  • ピイナッツ -落華星-(1996年製作)

  • 仁義なき野望2(1997年製作)

  • FULL METAL 極道(1997年製作)

  • シルバー(1999年製作)

  • 鬼哭 KIKOKU(2003年製作)



    出演作品


  • 映画『劇場版 どうぶつの森』(2006年12月16日公開、東宝配給、志村錠児監督) 声の出演・ラコスケ役

  • 映画『隣人13号#映画|隣人13号』(2005年4月2日公開、メディア・スーツ配給、井上靖雄監督) 友情出演・金田役

  • OV『岸和田少年愚連隊 マレーの虎』(2005年製作、宮坂武志監督) 三池イエロー名義

  • 映画『ホステル』(2005年製作、アメリカ映画、イーライ・ロス監督) 特別出演

  • 映画『恋の門』(2004年10月9日公開、アスミック・エース配給、松尾スズキ監督) イメクラ店長役

  • OV『極道刑事』(2003年製作、佐藤佐吉監督)

  • 映画『地球で最後のふたり』(2003年製作、タイ/日本/オランダ/フランス/シンガポール合作、ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)

  • 映画『荒ぶる魂たち』(2002年3月30日公開、大映配給、三池崇史監督) 三池モバ名義

  • OVA『殺し屋1 THE ANIMATION』(2002年製作、石平信司監督) 声の出演・垣原役

  • OV『肉体警備員 裂かれた制服』(2001年製作、熊沢尚人監督) 特別出演

  • OV『蘇える金狼2 復活篇』(1998年製作、渡辺武監督)

  • OV『恐怖!!寄生虫館の三姉妹』(1996年製作、宮坂武志監督) 特別出演 三池ドコモ名義 黛家父親役



    その他の参加作品




    [ 映画 ]


  • 難波金融伝 ミナミの帝王 スペシャル劇場版 ローンシャーク・・・追い込み(1995年7月1日公開、ケイエスエス配給、萩庭貞明監督) プロデューサー

  • 四万十川(1991年12月7日公開、ヘラルド/ヘラルド・エース配給、恩地日出夫監督) 助監督

  • ペエスケ ガタピシ物語(1990年5月12日公開、松竹配給、後藤秀司監督) 助監督

  • 黒い雨 (映画)|黒い雨(1989年5月13日公開、東映配給、今村昌平監督) 助監督

  • トップ・ファイター(1988年12月3日公開、松竹富士配給、中島芳人監督) 助監督


    [ TV ]


  • ダムド・ファイル エピソード・ゼロ(2003年製作) オープニング・タイトル

  • ダムド・ファイル(2003年7月4日放送開始、名古屋テレビ) オープニング・タイトル


    [ OV ]


  • 龍が如く(2006年製作、宮坂武志監督) 総合監督

  • 極道ジハード 〜聖戦〜(2002年製作、横井健司監督) 監修 

  • 極道ジハードII 〜聖戦〜(2002年製作、横井健司監督) 監修 

  • 極道ジハードIII 〜聖戦〜(2002年製作、横井健司監督) 監修

  • 闇金の帝王 銀と金2(1993年製作、中原俊監督) プロデューサー

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    2008年01月30日

    映画監督[宮崎駿]

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    宮崎駿



    宮崎 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身のアニメーション作家・映画監督・漫画家。埼玉県所沢市在住。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。学習院大学政治経済学部卒。株式会社スタジオジブリ(所在地:東京都小金井市梶野町1-4-25)に映画監督として所属し、取締役として経営にも参加している。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は「二馬力」で、主に氏の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。血液型はO型。



    来歴

    宮崎駿は、父親が親類の経営する「宮崎航空興学」の役員を務めていたために、太平洋戦争中に幼年時代を過ごしたにも関わらず、何不自由なく育った。しかし、疎開先の宇都宮市|宇都宮で空襲を受けたときに叔父の運転するトラックで宮崎一家が避難した際、知人とその子供の同乗を断って見捨てたことが負い目となって、宮崎駿のその後の人格形成や作品に大きく影響を与えた。会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことも軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。当時流行っていた社会主義思想に傾倒し、また手塚治虫に影響され、児童文学者・マンガ家を志すも才能なしと見切りをつけ大学卒業後、アニメータとして東映動画に入社する。たちまちその才能を現してメインスタッフとな\xA1 $k$H6&$K!"7k@.4V$bL5$$El1GF02hO+F/AH9g$N=q5-D9$K="G$$9$k!#7c$7$$AH9g3hF0$r9T$$$J$,$i9bH*7.!&BgDM9/@8$i$H6&$K!XB@M[$N2&;R%[%k%9$NBgKA81!Y$r:n$j>e$2$k!#$=$N8e$b宮崎駿・高畑勲・大塚康生のトリオはさまざまなスタジオで優れた作品を作り続ける。日本放送協会|NHKの『未来少年コナン』で監督として起用され、原作を大幅に改変したオリジナルのストーリーを展開して好評を得るが、次に手がけた『ルパン三世 カリオストロの城』がサイエンス・フィクション|SFアニメ全盛の時代に合わず興行的に振るわなかったため、作家として社会に認知されるまでには至らなかった。日米合作作品『ニモ』の準備に関わる間も『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』の原型となる企画を提出したが採用には至らず、失意の宮崎駿に徳間書店の『アニメージュ』誌が連載マンガの企画を持ちかけ、同誌上で『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。同作品の人気に目をつけた徳間書店の社長が劇場アニメ化を決断し、『ルパ\xA1 %s;0@$ カリオストロの城』がテレビ放映されてその面白さが后 -$/宮崎駿が認知された
    その後は徳間書店の助力を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受け、国民的映像作家としての地位を確立。1989年の天安門事件及びベルリンの壁崩壊に端を発するソ連東欧諸国の民主化は宮崎に大きな衝撃を与え、社会主義陣営の敗北と自由主義陣営の勝利という現実を前に思想的転向を余儀なくされる。1992年の「紅の豚」以後は過激な内容は控えるようになる。2001年に発表した「千と千尋の神隠し」は「タイタニック」が持っていた日本映画界の興行記録を更新する304億円の興行収入を達成。同作品は2002年にはベルリン国際映画祭で金熊賞を、2003年には米国のアカデミーアワードで長編アニメーション映画賞を受賞するなど海外でも高く評価された。
     その一方で,金熊賞受賞の際のインタビューで「今の日本のアニメはどん詰まり」などと語るなど,自らの作品以外の日本アニメに対して極めて否定的な態度を取ることから,コアなアニメファン(日本のみならず海外も含む)からは同氏の姿勢に対する批判も多い。児童文学者を志していただけに、宮崎駿の作品はほぼ一貫して子供の目線に立ち、悪役を大人にすることが多い。作中に登場する食べ物を美味しそうにディテール豊かに描くことでも定評がある。一方で、戦史・軍事マニアとして知られ、甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に発揮されている。
    宮崎のこの方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の宮崎駿の雑想ノートという虚実織り交ぜた架空戦記物の不定期連載マンガがある(途中からタイトルは妄想ノートに変更され、現在は中断)。プロの声優を起用せず、俳優、女優を業ないとする芸能人に依頼する事が多い。その理由は、おたく嫌いが原因とも、あるいはかつて属した東映動画の草創期の長編作品が俳優、女優を起用していたことへの原点回帰であるとも言われている。
    また、声優を「娼婦の声」と評したことがあり、俳優と声優に要求される資質は必ずしも一致しないので、一部では批判も受けているようであるが、現在、日本の映画界に宮崎駿ほどのビッグブランドは存在せず、声優のみならずその作品に出演したいと思うタレントは多く、またジブリ作品広報側にも彼らを拒んで積極的に声優を使わなければならない理由も見あたらないので、真実は藪の中である。また手塚治虫が亡くなった時、皆追悼の言葉で手塚の偉業をたたえている中、宮崎は手塚が築いた日本アニメーションの基盤を痛烈に批判した(日本のアニメが極めて低予算で作られる事になったきっかけを作ったのは手塚だという事に対して。しかし低予算で作られる事になったが故に生まれたメリットが多く存在するのも事実である)。発言は様々な波紋を呼んだが、手塚を日本アニメの神様に祭り上げようとする一部の動きを牽制する一定の効果はあった。宮崎とその作品について語る際は、プロデューサーの鈴木敏夫、音楽の久石譲、作画の近藤喜文、色彩設計の保田道世といった、それぞれの分野における優秀な人材\xA1 $,!"5\:j$r8%?HE*$K;Y$(!"$^$?H`$N9b%l%Y%k$NMW5a$K1~$($k$Y$/NO$r?T$/$7$?$3$H$rK:$l$F$O$J$i$J$$!#0x$_$K!"5\:j4FFD$N7`>lMQD9JT:nIJ$K$O%?%$%H%k$K!V$N!W$,IU$/$b$N$,B?$/!"!V$N!W$NK!B'$HEy$H8@$o$l$F$$$k!#9bH*7.$N!V$[!W$NK!B'$HJB$SM-L>!#
    (例・・・「ルパン三世 カリオストロの城」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「もののけ姫」など。)また大の?子供好き」でも有名である。



    略歴


  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現総務相)、高島肇久(現外務報道官、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店社長)、有薗憲一(ベスト電器社長)の各氏がいる。

  • 1971年 Aプロダクションに移籍。

  • 1973年 ズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。

  • 1979年 東京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。

  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。

  • 1982年 1月よりアニメージュ誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。

  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。

  • 1987年 『天空の城ラピュタ』により大藤信郎賞受賞。

  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位。12月20日、東京都民文化栄誉章を受賞。

  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクールアニメーション映画賞を受賞。

  • 1994年 『風の谷のナウシカ』により第23回日本漫画家協会賞大賞を受賞。

  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞を受賞。

  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。

  • 2002年 『千と千尋の神隠し』にて毎日映画コンクール日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、ベルリン国際映画祭金熊賞受賞。

  • 2003年 『千と千尋の神隠し』にてアカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞。

  • 2003年 埼玉県民栄誉賞を受賞。

  • 2004年 『ハウルの動く城』にてベネチア国際映画祭オゼッラ賞を受賞。

  • 2005年 ベネチア国際映画祭栄誉金獅子賞を受賞。



    作品




    [ 監督作品(劇場用アニメーション)]


  • 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)

  • 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)

  • 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)

  • 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)

  • 1989年 魔女の宅急便(脚本)

  • 1992年 紅の豚(原作・脚本)

  • 1997年 もののけ姫(原作・脚本)

  • 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)←お気に入り 志保 My Favorite by Shiho

  • 2004年 ハウルの動く城(脚本)


    [ 主要参加作品(劇場用アニメーション)]


  • 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)

  • 長靴をはいた猫(原画)

  • どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)

  • パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)

  • パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)

  • 耳をすませば(脚本・プロデューサー)

  • 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)


    [ 監督・演出作品(テレビアニメーション)]


  • ルパン三世 (TV第1シリーズ)の一部(Aプロ演出グループ名義)

  • 未来少年コナン

  • 死の翼アルバトロス(ルパン三世)(照樹務名義)

  • さらば愛しきルパンよ(ルパン三世)(照樹務名義)

  • 名探偵ホームズ(六話のみ)


    [ 主要参加作品(テレビアニメーション)]


  • アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)

  • 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン(場面設定・画面構成)(一〜十五話まで)


    [ そのほかの作品(漫画・絵物語など)]


  • 長靴をはいた猫

  • 砂漠の民(秋津三朗名義)

  • どうぶつ宝島

  • 風の谷のナウシカ

  • 宮崎駿イメージボード集

  • 宮崎駿の雑想ノート

  • 飛行艇時代

  • トトロの住む家

  • 泥まみれの虎 宮崎駿の妄想ノート

  • シュナの旅

  • On Your Mark 〜ジブリ実験劇場(短編映画・CHAGE&ASKAのミュージックフィルム)

  • 『出発点 [1979〜1996]』(エッセイ集)

  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)




    備考

    下記のキャラクターのデザインも担当している。

  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」

  • 神奈川県「ゆめ 国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」

  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」

  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」

  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」




    関連書籍


  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)




    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)

  • Nausicaa.net (英語)


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    2008年01月29日

    映画監督[成瀬巳喜男]

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    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが彼の作風は当時の小津安二郎と似通ったものがあり、蒲田撮影所長の城戸四郎(後の松竹社長)に「小津は2人いらない」と言われたといわれているが、真実は確認取れていない。監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三拭 M;PKe!Y!J1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ旬報』ベスト1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原検 ,2A$r


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。黒澤明のスタッフを長年務めた野上照代は「黒澤さんが、一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と述べている。石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってから。1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リァ b%6%s!"%l%*%9!&%+%i%C%/%9!"%@%K%(%k!&%7%e%_%C%H!"%(%I%o!<%I!&%d%s$H$$$C$?1G2h4FFD$?$A$,H`$K7I0U$rI=$7$F$$$k!#%7%e%_%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

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    2008年01月28日

    映画監督[飯田譲治]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    飯田譲治



    飯田 譲治(いいだじょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校卒業。明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画「休憩」でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、世にも奇妙な物語などの作曲で知られる?島邦明がいる。世にも奇妙な物語シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、「常識酒場」、「トラブルカフェ」は『NIGHT HEAD』の原型となった作品。



    脚本・監督作品




    [ テレビドラマ ]


  • 1989年奇妙な出来事 『恐怖のデイドリーム』

  • 1989年奇妙な出来事 『恐怖のデイドリーム?〜もう一度〜』

  • 1990年世にも奇妙な物語 「代打はヒットを打ったか?」(脚本のみ)

  • 1991年世にも奇妙な物語 「王将」(脚本のみ)

  • 1992年世にも奇妙な物語 「シャドゥボクサー」(脚本のみ)

  • 1992年世にも奇妙な物語 「常識酒場」

  • 1992年世にも奇妙な物語 「不幸の伝説」(脚本のみ)

  • 1992年世にも奇妙な物語 「トラブルカフェ」

  • 1992年世にも奇妙な物語 「贈り物」(脚本のみ)

  • 1992年世にも奇妙な物語 「妄想特急」(脚本のみ)

  • 1992-1993年『NIGHT HEAD』

  • 1993年『東京BABYLON』(ビデオドラマ)

  • 1995年『沙粧妙子-最後の事件-』(脚本のみ)

  • 1997年『ギフト (テレビドラマ)|ギフト』(脚本のみ)

  • 1997年『幻想ミッドナイト』

  • 2005年世にも奇妙な物語 「影武者」(脚本のみ)

  • 2008年自由死刑#テレビドラマ|あしたの、喜多善男〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜(脚本のみ)


    [ 映画 ]


  • 1998年『らせん』

  • 2000年『アナザヘヴン』

  • 2002年 Jam Films 「コールドスリープ」(原作。梓河人と共同著作)

  • 2003年『ドラゴンヘッド』

  • 2007年『黒帯 KURO-OBI』(脚本)


    [ アニメ ]


  • 2000年「Sci-Fi HARRY」(原作)

  • 2006年「NIGHT HEAD GENESIS」(原作・脚本)



    著書





    外部リンク


  • 飯田譲治倶楽部 - 公式サイト

  • 黒帯 KURO-OBI - 公式サイト


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    2008年01月27日

    映画監督[五所平之助]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    五所平之助



    五所 平之助(ごしょ へいのすけ、本名・平右衛門、1902年1月24日−1981年5月1日)は、昭和期の映画監督。日本最初の国産トーキー映画『マダムと女房』の監督として有名である。東京神田区鍋町(現・千代田区内神田3丁目)に、乾物問屋の息子として生まれる。慶應義塾高等学校|慶應義塾商工学校卒業。父の友人の息子である島津保次郎の口添えもあり、1923年、松竹蒲田撮影所へ入社する。島津の助監督を経て、1925年、原作、脚本も手がけた『南島の春』で監督デビューした。引き続き、『彼女』、『恥しい夢』、『村の花嫁』など、ユーモアあふれたそれでいて叙情性豊かな作品を次々と発表する。この作風は、小市民の生活をユーモラスに描いた『マダムと女房』において頂点に達する。また、山本有三原作の『生きとし生けるもの』においては社会派的側面を強く打ち出し、戦時中に撮った『新雪』は興行的にも大ヒットとなった。戦後になると、椎名麟三の『無邪気な人々』を映画化した『煙突の見える場所』を発表し、「新スタイルの笑い」を提供した。また、ベストセラーとなった原田康子ぁ N!XHT2N!Y$r5W2fH~;R$G$"$k!#GP?M$H$7$F$bCN$i$l$F$*$j!"!V5WJ]EDK|B@O:|春燈」同人として「五所亭」という俳号で活躍した。1941年、紫綬褒章、1947年勲四等旭日小綬章受章。



    代表作



  • 南島の春(1925年)

  • 彼女(1926年)

  • 寂しき乱暴者(1927年)

  • 恥しい夢(1927年)

  • からくり娘(1927年)

  • 村の花嫁(1928年)

  • マダムと女房(1931年)

  • 伊豆の踊子(1933年)

  • 十九の春(1933年)

  • 生きとし生けるもの(1934年)

  • 人生のお荷物(1935年)

  • 新道(1936年)

  • 木石(1940年)

  • 新雪(1942年)

  • 今ひとたびの(1947年)

  • 煙突の見える場所(1953年)

  • 愛と死の谷間(1954年)

  • 鶏はふたたび鳴く(1954年)

  • たけくらべ(1955年)

  • 黄色いからす(1957年)

  • 挽歌(1957年)

  • 蟻の街のマリア(1958年)

  • 白い牙(1960年)

  • 猟銃(1961年)

  • かあちゃんと11人の子ども(1966年)

  • 女と味噌汁(1968年)

  • 明治はるあき(1968年)


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    2008年01月26日

    映画監督[井筒和幸]

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    井筒和幸



    井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )奈良県大和郡山市出身)は映画監督でタレント・コメンテイター。奈良県立奈良高等学校卒業。
    1975年、ピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。上京後、ピンク映画を数本監督した後に、1981年「ガキ帝国」で一躍脚光を浴びる。1991年9月「東方見聞録」撮影中に俳優の林健太郎(当時21歳)を鎧をつけたまま人工滝壺に入れる演出で溺死させてしまう。また、
    遺族への補償金を支払っていた制作会社が倒産してしまったため、井筒本人が現在は補償金を支払っている。2003年には西田敏行主演の「ゲロッパ!」が大ヒットした。2005年には在日朝鮮人と日本人との友情を描いた『パッチギ!』を公開し、話題を呼んだ。また、そのトーク、映画評論の痛快な毒舌さ、面白さから、バラエティ番組にも多数出演している。妻は元日本航空のスチュワーデス。



    主な作品映画


  • 行く行くマイトガイ・性春の悶々(デビュー作)

  • 岸和田少年愚連隊(主演:ナインティナイン)

  • ゲロッパ!(主演:西田敏行)

  • 二代目はクリスチャン

  • 犬死にせしもの

  • のど自慢(室井滋主演)

  • ガキ帝国(島田紳助主演)

  • みゆき

  • パッチギ!(塩谷瞬主演)

  • 東方見聞録



    出演番組




    [テレビ]


  • 虎の門 (テレビ朝日)

  • ナンボDEなんぼ(関西テレビ)



    [ラジオ]


  • 井筒和幸の土曜ニュースアドベンチャー (ニッポン放送)



    外部リンク


  • 講演依頼ドットコム


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    2008年01月25日

    映画監督[蓮實重彦]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蓮實重彦




    蓮實 重彦(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語のほかイタリア語も解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家。長男の蓮実重臣は作曲家。



    経歴


  • 1954年 学習院高等科卒業

  • 1960年 東京大学文学部フランス文学科卒業

  • 1962年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学

  • 1962年 パリ大学人文科学部に留学

  • 1965年 パリ第四大学博士 (文学)|文学博士

  • 1966年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学

  • 1966年 東京大学文学部助手

  • 1968年 立教大学一般教育部専任講師

  • 1969年 同助教授

  • 1970年 東京大学教養学部講師

  • 1973年 同助教授

  • 1988年 同教授

  • 1993年 同学部長(〜1995年)

  • 1995年 東京大学副学長(〜1997年)

  • 1997年 東京大学総長(〜2001年)

  • 1998年 国立大学協会会長(〜2001年)

  • 現在、東京大学名誉教授。



    人物

    本来はフランス近代文学(フローベール)を専攻とするフランス文学者であるが、1970年代初頭に当時安原顯が編集者を務めていた文芸雑誌「海」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルト、ジャン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や『反=日本語論』に収められた「エッセイ」にも及び『反=日本語論』は読売文学賞受賞を受賞。直接的な断定を周到に避ける独特かつ難解な語り口や、読点の極端に少ない長大な文体が人気を呼び、! 1980年代初頭から中盤にかけては最も知名度が高く多筆なアカデミズムの書き手の一人であった。思想や文学作品の論評から論壇に登場したが、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、事実一番最初に活字化されたものは大学院在学中に著し、「東京大学新聞社|東京大学新聞」に掲載された映画時評だった。1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸を氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となった。その後も、東京大学総長を務めていた一時期、少なくとも国内においては映画に関する文章を公開することを控えていたことを除くと映画評論が活動の中心であり、一般的には(元)東京大学総長という肩書きを除けば、文芸評論家、フランス文学者やフローベールの研究者あるいはフランス現代思想の論評家としてではなく、映画評論家として認知されていると思われる。ただし、東京大学から離れた現在では、あまり存在感がなくなってしまったという感も否めない。



    映画について

    大好きな監督、俳優はジョン・フォード、ジャン・ルノワール、小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、山中貞雄、オーソン・ウェルズ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、カール・テホ・ドライヤー、アッバス・キアロスタミ、クリント・イーストウッド、ジョン・カサヴェテス、マキノ雅弘、ジム・ジャームッシュ、エルンスト・ルビッチ、ダグラス・サーク、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、リチャード・フライシャー、トニー・スコット(以上監督)、ジョン・ウェイン、トム・クルーズ、山田五十鈴(以上俳優)等、膨大。苦手な監督はウォシャウスキー兄弟、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジェームズ・キャメロン等多数。嫌いな監督、俳優はヘンリー・フォンダ(ジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にヒューゴ・ウィービング、ジェーン・カンピオン、リドリー・スコット、ラッセル・クロウ等。フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思わ\xA1 $l$k$3$H$b$"$k$h$&$@$,!"%"%a%j%+1G2h!"FC$K1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。ただし、ニコラス・レイ、アンソニー・マン、ジョゼフ・ロージー、サミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロス、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。氏の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードがハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画察 K:FFI$N$?$a$N0l$D$N;k3Q!Y(レンフィルム祭パンフレット所収\xA1 )\xA4 K$*$1$k%5%$%l%s%H$+$i%H!<%-!<$X$NJQKF$N2aDx$H$=$NK\/$J$/$H$bF|K\$K$*$$$F$O;a$,=i$a$FDs<($7L@3N2=$7$?1G2h;KE*$J4QE@$,>/$J$+$i$:$"$k!#;a$NHcI>$O0J8e$N1G2hHcI>$K@dBg$J1F6A$rM?$($?!#$^$?!"N)65Bg3X;~Be$N65$(;R$H$7$F1G2h4FFD$N9uBt@6!"<~KI@59T!"K|EDK.IR!"1vEDL@I'!"1G2h4FFD!&>.@b2H$N@D;3??<#Ey!"L$Mh$N8=>l4FFD$K$bBg$-$J1F6A$rM?$($?!#H`$i$,7A@.$7$?1G2hJ82=$r!V%L!<%t%'%k%t%!!<%0|立教ヌーヴェルヴァーグ」という。一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦(明治学院大学教授・映画批評家)を筆頭に、松浦寿輝(東京大学教授・詩人)、野崎歓(東京大学教授・映画批評家)、堀潤之(関西大学専任講師・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創設に奔走した東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論コースの卒業者は映画批評・研究の領域における一大勢力に育ちつつある。なお、四方田犬彦は、現在は蓮實重彦が唱えた「映画は映画の内側においてぁ N$_FC8"E*$K8l$i$l$k$Y$-!W$G$"$k$H$9$k!VI=AX


    その他の活動

    本業はフローベールの研究者だが、長い間予告され続けた『ボヴァリー夫人論』は未だに上梓されていない。そのことを他人に問われると「今年は出します」と答え続け約20年が経過したが、2006年発行の『表象の奈落』にフローベール論が収められた。ただし蓮實自身は『ボヴァリー夫人論』は数百ページに渡る長大なものになると予告していたこともある。東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。東大の時計台(駒場本館、本郷の安田記念講堂)を権威の象徴と決め付け「ああいうものは良くない」として、背後に高層ビルを建てさせて東京大学の景観を決定的に破壊してしまった。その結果、最近では卒業生や入学生が記念写真を撮るアングルに大変苦労するようになってしまった。スポーツなどへの言及も多いが、その批評、特にサッカー批評では\xA1 !"CN<1$N7gG!$KBP$9$kHcH=$,B?$$!#



    草野進について

    草野進(くさのしん)は、自称・公称、女流華道家。主にプロ野球への批評を書いている。贔屓のチームを持つ事を諌めたり、スポーツは生で見よと誘ったり、あえてプロ野球が退屈だと断言したりと、その挑発的な批評は、出現した当時、これまでのスポーツ批評に、静かながら確実な影響を与えた。草野進は蓮實重彦である、とか、草野進は蓮實重彦と渡部直己との共同執筆である、などの「説」がある。(ちなみに、「共著者」でもある蓮實重彦は草野球の名捕手だったという。 自筆年表より)主著に『どうしたって、プロ野球は面白い』、『プロ野球批評宣言』(草野進編)、『読売巨人軍再建のための建白書』(渡部直己との共著)、『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(渡部直己、蓮實重彦との共著)、『世紀末のプロ野球』など。



    著書


  • 評論など
    『批評あるいは仮死の祭典』
    『反=日本語論』(読売文学賞受賞)
    『表層批評宣言』
    『ミシェル・フーコー|フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
    『夏目漱石論』
    『大江健三郎論』
    『物語批判序説』
    『凡庸な芸術家の肖像』(芸術選奨文部大臣賞受賞)
    『凡庸さについてお話させていただきます』
    『小説から遠く離れて』
    『小説論=批評論』(のちに『文学批判序説 小説論=批評論』と改題)
    『「私小説」を読む』
    『映画 誘惑のエクリチュール』
    『映画はいかにして死ぬか』
    『シネマの記憶装置』
    『シネマの煽動装置』
    『映画の神話学』(略称)
    『映像の詩学』
    『監督 小津安二郎』(2003年に増補版刊行、仏語・韓国語訳あり)
    『映画狂人シリーズ』(全10巻)
    『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』
    『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』
    『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』
    『魅せられて 作家論集』
    『ゴダール革命』
    『表象の奈落』
    『「赤」の誘惑 フィクション論序説』など多数。

  • 翻訳
    『マゾッホとサド』(ジル・ドゥルーズ)
    『フーコーそして /あるいはドゥルーズ』(ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ)
    『映画術ヒッチコック』(山田宏一と共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック)など。

  • テクスト(小説)
    『陥没地帯』
    『オペラ・オペラシオネル』がある。

  • 編集
    「リュミエール」(1985年より廃刊(14号)まで従事。)
    「ルプレザンタシオン」



    関連項目


  • 評論家一覧

  • フランス現代思想

  • 映画評論家

  • 文芸理論



    外部リンク


  • www.mube.jp(公式サイト)

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    2008年01月23日

    映画監督[新藤兼人]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    新藤兼人



    新藤 兼人(しんどう かねと、本名:新藤 兼登(読み方同じ)1912年4月22日 - )は、日本の映画監督、脚本家。日本のインディペンデント映画の先駆者である。広島県名誉県民。孫の新藤風は映画監督、新藤力也はDDTプロレスリングのリング・アナウンサー。



    人物・経歴

    広島県佐伯郡石内村(現・広島市佐伯区五日市町)に生まれる。石内村は広島市内から一山越えた農村で、豪農の家に生まれるが、父が借金の連帯保証人になったことで破産し、14歳の頃に一家は離散。高等科に進むと活動写真に惹かれ、山向こうの広島市内へ足繁く通い夜遅く提灯を下げて帰宅した。1933年、尾道の兄宅に居候中に見た山中貞雄の映画『盤獄の一生』に感激し映画を志す。1年半の臨時雇いで金を貯め、あてもないまま1934年、京都へ出る。映画の助監督への道は狭く、入ることが出来たのは新興キネマ現像部でフィルム乾燥の雑役から映画キャリアをスタートさせる。満州国が帝制に移行した年であった。目指す創造する世界とはかけ離れた長靴を履き辛い水仕事を一年ほどする。撮影所の便所で落とし紙にされたシナリオを発見、初めて映画がシナリオから出来ているものと知る。新興キネマ現像部の東京移転に同行し美術部門に潜り込む。美術助手として美術デザインを担当。仲間からは酷評されても暇を見つけてシナリオを書き続け投稿し賞を得るが、映画化はされなかった。家が近所だった落合吉人が監督に昇進し、脚本部に推薦され『南拭 J=w@-!Y$G5SK\2H%G%S%e!1944年、所属していた興亜映画が松竹大船撮影所に吸収され脚本部へ移籍。同年4月、脚本を1本も書かないうちに召集され二等兵として呉市|呉海兵団に入団。既に32歳ながら年下の上等兵の若者に扱き使われ、彼らの身の周りの世話をする。上官にはクズと呼ばれ、木の棒で気が遠くなる程叩かれ続けた。兵隊は叩けば叩くほど強くなると信じられていた時代だった。同期の若者は大半が前線に送られた。
    1945年、宝塚海軍航空隊で終戦。宝塚歌劇団の図書\xA1 4[$G5:6J=8$rA4ItFI$_=*$(>>C]BgA%$KI|5"!#F1G/=)=q$$$?!XBTHAAq!Y! $,%^%-%N @5Gn$K$h$C$F1G2h2=$5$l1947年のキネマ旬報ベストテン4位となり初めて実力が認められた。溝口のために溝口の戦後第1作『女性の勝利』(1946年)と『わが恋は燃えぬ』(1949年)を書く。1947年、吉村公三郎と組んで『安城家の舞踏会』を発表。大ヒットしベストテン1位も獲得、シナリオライターとしての地位を固めた。 その後は吉村とのドル箱コンビでヒットを連発。木下恵介にも『結婚』、『お嬢さん乾杯』を書く。1949年、『森の石松』の興行的失敗や『愛妻物語』の内容に松竹首脳らが「新藤のシナリオは社会性が強くて暗い」とクレームをつけるに及び、自らの作家性を貫くため1950年、松竹を退社して独立プロダクションの先駈けとなる近代映画協会を吉村、殿山泰司らと設立。

    1951年、『愛妻物語』で39歳にして宿願の監督デビューを果たす。同作品に主演した大映の看板スター乙羽信子がこれをきっかけに近代映画協会へ参加する。また大映に持ち込んだ『偽れる盛装』が1951年大ヒット、新藤=吉村コンビの最高傑作となった。
    1952年、戦後に初めて原爆を直接取り上げた映画「原爆の子」を発表。翌1953年、カンヌ国際映画祭に出品。米国がこの作品に圧力をかけ、受賞妨害に外務省が工作を試みた。また西ドイツでは反戦映画として軍当局に没収されるなど、各国で物議を醸したが"原爆許すまじ"という世界の声に合致し各国で大きな反響を呼んだ。チェコ国際映画祭平和賞、英国フィルムアカデミー国連賞、ポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受け、世界に於いても反核映画の第1号となった。現在もこの映画はヨーロッパでよく上映されている 。
    以降は自作のシナリオを自らの資金繰りで監督する独立映画作家となり、劇団民藝の協力やカンパなどを得て数多くの作品を発表。しかし芸術性と商業性との矛盾に悩み失敗と試行錯誤を繰り返した。

    この頃、同時期に日本映画に衰退の陰りが見え大きな映画会社の経営が困難になり始めた。しかし、産業としての映画の衰退は、社会派映画や前衛芸術映画の躍進のチャンスでもあった。大映画会社による映画館の独占支配体制が緩み、小さな独立系プロの製作する映画にも上映の機会を得ることができるようになった。

    1960年に撮った台詞のない無言の映画詩『裸の島』は資金がなく、近代映画協会の解散記念作品にとキャスト2人・スタッフ11人で瀬戸内海ロケを敢行。撮影期間1ヶ月でこの映画をわずか550万円の予算で作り上げた。これにより、限られた観客を相手に、極端に低い製作費で優れた作品を撮ることが可能であることを示し、大会社の資本制約から離れる事で自由な映画表現と制作ができる事を証明した。作品はモスクワ国際映画祭でグランプリを獲り、新藤は世界の映画作家として認められた。また世界62ヶ国に作品の上映権を売ることで、それまでの借金を返済した。以降は放射能を題材とした『第五福竜丸 (映画)|第五福竜丸』、『さくら隊散る』、連続拳銃発砲事件の永山則夫を題材にした『裸の十九才』、家庭内暴力に材を取った『絞殺』、死と不能をテーマにした『性の起源』、老いをテーマとした『午後の遺言状』など社会に問題提起を投げかける作品を発表。また「頼まれた仕事は断らない」を信条に自作の映画制作と平行し日本映画の脚本を多数手がけた。中には映画史に残る名作、話題作や評価の低い作品も色々あるが、「優れぁ ?7]=Q2H$OB?:n$G$"$k!W$H$$$&4QE@$+$i$$$/$H$3$l$b=($G$?:MG=$H$$$($k!#I>2A$N9b$$:nIJ$K$O@nEgM:;04FFD/『しとやかな獣』(1962年)、鈴木清順監督/『けんかえれじい』(1966年)、神山征二郎監督/『ハチ公物語』(1987年)などがある。娯楽怪作としては江戸川乱歩の原作をミュージカル仕立てにした『黒蜥蜴』(1962年)などがある。TVドラマ、演劇作品も含めると手がけた脚本は370本にも及び、多くの賞を受賞した。「ドラマも人生も、発端・葛藤・終結の三段階で構成される」というのが持論である。現在も現役で活躍、70年の映画キャリアを誇り、世界最長老の映像作家のひとりである事で知られる。2007年には自らの戦争体験を脚本化した「陸に上がった軍艦」(山本保博監督)で、95歳にして映画初主演を果たした。また池広一夫、神山征二郎、千葉茂樹、松井稔、金佑宣、田代廣孝、田渕久美子ら多くの門下生を出した。尚、近代映画協会は一時100近く有った独立プロのうち唯一成功し現在も存続、映画作品を送り出している。結婚は3度経験して、1994如 /$K;`5n$7$?=wM%$N251)?.;R$O3度目の妻。長年の映画製作に対\xA1 $7$F!"
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    2008年01月22日

    映画監督[中条省平]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    中条省平



    中条 省平(ちゅうじょう しょうへい、昭和29年(1954年) - )は、日本の映画評論家、フランス文学者、漫画評論家。学習院大学文学部教授。研究分野は19世紀のフランス小説。



    略歴


  • 1954年:神奈川県に生まれる

  • 麻布中学校・高等学校|麻布高等学校を経て東京外国語大学中退?専攻学部になじめなかったといわれる

  • 1981年:学習院大学仏文科卒業

  • 1984年:フランス政府給費留学生としてパリに滞在

  • 1987年:パリ第十大学第三期文学博士号取得

  • 1988年:東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得修了 学習院大学文学部フランス文学科専任講師となる



    著書


  • 『Pulsions du roman; le cas Barbey d'Aurevilly』(学習院大学、1988年)

  • 『最後のロマン主義者――バルベー・ドールヴィイの小説宇宙』(中央公論社、1992年)

  • 『映画作家論――リヴェットからホークスまで』(平凡社、1994年)

  • 『小説家になる!』(メタローグ、1995年)。『小説の解剖学』と改題、ちくま文庫、2002年)

  • 『小説家になる!2』(メタローグ、2001年。『小説家になる!』と改題、ちくま文庫、2006年)

  • 『文章読本――文豪に学ぶテクニック講座』(朝日新聞社、2000年。中公文庫、2003年)

  • 『クリント・イーストウッド――アメリカ映画史を再生する男』(朝日新聞社、2001年。ちくま文庫、2007年)

  • 『反=近代文学史』(文藝春秋、2002年。中公文庫、2007年)

  • 『フランス映画史の誘惑』(集英社新書、2003年)

  • 中条省平の秘かな愉しみ』(清流出版、2003年)

  • 『読んでから死ね!――現代必読マンガ101 』(文藝春秋、2003年)

  • 『名刀中条スパパパパン!!!』(春風社、2003年)

  • 中条省平は二度死ぬ!』(清流出版、2004年)

  • 『三島由紀夫が死んだ日』(編著、実業之日本社、2005年)

  • 『続・三島由紀夫が死んだ日』(編著、実業之日本社、2005年)

  • 『ただしいジャズ入門』(春風社、2005年)

  • 『決定版!フランス映画200選』(清流出版、2007年)



    主要翻訳


  • ペナック『人喰い鬼のお愉しみ』(白水社、1995年。白水uブックス、2000年)

  • ボバン『いと低きもの』(平凡社、1995年)

  • オフマルシェ『ドゥマゴ物語』(Bunkamura,1995年)

  • マンディアルグ『すべては消えゆく』(白水社、1996年。白水uブックス、2002年)

  • キュニー『ギル・エヴァンス音楽的生涯』(径書房、1996年)

  • マンシェット『眠りなき狙撃者』(学研、1997年)

  • グルニエ『フィッツジェラルドの午前三時』(白水社、1999年)

  • バルベー・ドールヴィイ『悪魔のような女たち』(ちくま文庫、2005年)

  • ブランケ『幸福の花束』(パロル舎、2005年)

  • バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』(光文社古典新訳文庫、2006年)

  • ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』(河出書房新社、近刊)

  • バルベー・ドールヴィイ『デ・トゥーシュの騎士』(ちくま文庫、近刊)

  • マンシェット『愚者が出てくる お城が見える』(メディアファクトリー)

  • コクトー『恐るべき子供たち』(光文社古典新訳文庫、2007年)



    その他


  • 近年は漫画近評論にも力を入れる。「週刊文春」連載の漫画論「読んでから死ね!現代必読マンガ101」では、浦沢直樹、しりあがり寿、大島弓子、赤塚不二夫、安達哲、新井英樹、荒木飛呂彦、一條裕子、松本大洋、井上雄彦、古谷実、ねこぢる、皆川亮二らを解説した。


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    2008年01月21日

    映画監督[黒澤明]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒澤明



    黒澤 明(くろさわ あきら、1910年3月23日 - 1998年9月6日)(黒沢 明とも表記)は、日本の映画監督。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に、世界的に広く名前が知られている日本映画の 巨匠の一人であり「世界のクロサワ」、またその妥協を許さない徹底ぶりとワンマンな振舞に対して尊敬と皮肉をこめて「クロサワ天皇」などと呼ばれた。 米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章者。東京都名誉都民。



    経歴

    東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)に4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師。
    1928年、京華中学校・高等学校|京華中学校卒業。画家を志して日本プロレタリア美術家同盟に参加、洋画家の岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わる。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督を務める。1943年、『姿三四郎 (映画)|姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬 (映画)|野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。1950年に大映で撮影した『羅生門 (映画)|羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてフョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー原作の『白痴 (黒澤明)|白痴』(1951年)やヒューマンドラマの傑作『生きる (映画)|生きる』(1952年)を発表し、後者でベルリ\xA1 %s9q:]1G2h:W>e1!FCJL>^$r^!#1954年に発表した大型時代劇『七人の侍』は大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価も受ける。ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピアの『マクベス (シェイクスピア)|マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)や娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を作成後に、独立プロダクションである黒澤プロを設立。時代活劇の傑作『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄 (映画)|天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し大監督の名声を確定させる。黒澤プロの設立は、黒澤監督の意向によるものというより『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業をにやした東宝側が黒澤にリスク負担させることにより、枷をはめようとしたものであり(収益の分配も東宝側に非常に有利な契約になっていた)、「天国と地獄」までの作品はその皮肉な成果といえよう。枠をはめられる事を嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ暴走した『赤ひげ』(19! 65年、 山本周五郎原作)は撮影期間約1年を要し大鼻 }$JM=;;D 62a$H$J$j!"ElJu$H$N4X78$r0-2=$5$;$k$3$H$H$J$C$?!#%O%j%&%C%I$+$i$N%*%U%!!<$r$b=P$?$,!"%b%9%/%o1G2h:W6b>^!"%"%+%G%_!<>^309q8l1G2h>^$r^$7!"F|K\9q30$G$O9u_7I|3h$r0u>]IU$1$k:nIJ$H$J$k!#1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。その後も、日本国外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者 (映画)|影武者』(1980年)、フランスとの合作の『乱 (映画)|乱』(1985年)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮を務めた『夢 (映画)|夢』(1990年)等の作品を監督。1985年11月、文化勲章受章。『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入り1998年9月6日脳卒中により死去。。叙・従三位。同年10月 B1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年ぁ K$OJF=54 );o%?%$%` (雑誌)|タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・三宅一生・豊田英二・井上大佑)。戒名は「映明院殿紘國慈愛大居士」。



    作品をめぐる評価とその演出

    黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として十指に必ず入る大監督である。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(「世界的な影響」を参照)。ただし、『赤ひげ』以後のカラー作品については評価が分かれ、娯楽性よりも芸術性を重視したそれらの作品に対しての否定的な見解も出されている。妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、等々逸話は多い。(黒澤の撮影方法についてはノートで検討中です。)『荒野の用心棒』の盗作問題で、セルジオ・レオーネ監督は「しかし、この映画だって元はといえば『ダシール・ハメット|血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、黒澤映画のすべてがオリジナルといぁ &Lu$G$O$J$$!#$=$b$=$b9u_7<+?H$,HUG/$K;j$k$^$G?7$7$$%9%?%$%k$rkFb$r%+%U%'%P!<$N$h$&$J4V@\>HL@$G%G%6%$%s$7$?!#$^$?>kLg$N;#$jJ}$dA0H>$N%/%i%$%^%C%/%9$N!V;0$N>k!W1j>e$N%7!<%s$O%U%j%C%D!&%i%s%04FFD$N!X%K!<%Y%k%s%2%s!Y$N5\EB1j>e%7!<%s$H9=?^$KB??t$NN`;wE@$,$"$k!#!XL4!Y$N@nLL$r1G$9%7!<%s$N;#1FJ}K!$O%?%k%3%U%9%-!<$K65$($F$b$i$C$?$b$N$G$"$k!#$^$?!XH,7n$N68;m6J!Y$G$O%9%?%C%U$KBgNS@kI'4FFD$N!X$5$S$7$s$\$& (映画)|さびしんぼう』を何度も見せた上で作製に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。その、新技術導入に意欲的だった黒澤だが、特撮映画については長らく及び腰ではあった。東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ』も評価していたにもかかわらず、東宝のお家芸であるミニチュアセット撮影を黒澤は好まなかったのである。「蜘蛛巣城」では霧の中ぁ GF0$/?9$,ElJuFC5;$K$h$k%_%K%A%e%";#1F$G$"$k$,!"$=$N=PMh$K$D$$$! F9u_7$OI TK~$rO3$i$7$F$$$k!#!XE79q$HCO9v!YA0H>$N8"F#E!$+$i8+$($k2#IM$N7J?'$K$O!"$K%_%K%A%e%"%;%C%H$rAH$s$G;#1F$7$F$$$k$,!"KX$I;HMQ$5$l$J$+$C$?!#!X@V$R$2!Y$G$O;3:jEX$N2sA[%7!<%s$GBgCO?L$,IA$+$l$k$,!"%_%K%A%e%"FC;#$N%7!<%s$,F~$j$=$&$J=j$G$b9u_7$Ok$N1j>e%7!<%s$K%_%K%A%e%"1GA|$H$N8w3X9g@.$,;HMQ$5$l$k$J$I!":nNc$,8=$l$k!#!J!XMp!Y$G$O$3$NB>$K!"0l$N>k$NE7k9g@o$G$NLp$N0lIt!"COJ?@~$+$i8+$($k;0$N>k1j>e$N1l!"3u$N7-7A$NH?


    三船敏郎との関係
    黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、その為2人の関係は様々に取り沙汰されることになる。(両者の軋轢に関する具体例はノートで検討中です。)





    世界的な影響

    日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』自体のストーリーが『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野\xA1 $NMQ?4K@!Y!J%;%k%8%*!&%l%*!<%M4FFD!K$N$h$&$KEp:nLdBj$KH/E8$7$?%1!<%9$b$"$k!#5;=QE*$K$ONc$($P%5%`!&%Z%-%s%Q!<4FFD$,F@0U$H$7$FB>$N%"%/%7%g%s1G2h$G$bB?MQ$5$l$k%"%/%7%g%s%7!<%s$N%9%m!<%b!<%7%g%s;#1F$O!"85$O$H$$$($P黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせ、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせ、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせ、視覚効果を得るために様々な工夫を凝らしている。さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用ぁ 5$l$F$$$?$j!"!X%i%9%H%5%`%i%$!Y!J%(%I%o!<%I!&%:%&%#%C%/4FFD!K$! G$O1+$dI w!"GO$d;S$N;H$$J}$J$I!"9u_71G2h$+$i0zMQ$5$l$?%7%g%C%H$OB??t$KEO$C$F$$$k!#黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどである。



    その他

    熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。全編をラブストーリーで構成するという内容はのこれまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品はラブストーリーを撮りたかったという説もある。私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、アルコール飲料|酒も煙草も嗜んだ。1993年にイランのアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行こ\xA1 $&$HM6$o$l$?$1$I!"8e$m$K$$$?%9%?%C%U$NJ}$,!XCG$C$F!Y$H9g?^$r=P$9$N$GVa$`L5$/CG$C$?!#8e$GM}M3$rJ9$$$F$_$k$H!"9u_7$K$O2004年7月1日(木)産経新聞インタビューより



    芸能界に関係する家族

    妻は矢口陽子(女優だが、結婚後に引退)。タレントでプロデューサーの黒澤久雄は息子。久雄の元妻はタレントの林寛子 (タレント)|林寛子。その二人に生まれた黒澤優と黒澤萌は孫娘。娘の衣装デザイナーの黒澤和子は、加東大介の息子である加藤晴之と結婚して孫の加藤隆之(俳優)を生むが離婚。つまり長門裕之や津川雅彦などのマキノ一族とも縁戚関係にあった。


    [ 脚注 ]





    監督作品





    その他の作品




    [その他の映像作品]


  • 藤十郎の恋(1938年5月1日公開、山本嘉次郎演出) 製作主任

  • 綴方教室#映画|綴方教室(1938年8月21日公開、山本嘉次郎演出、東宝) 製作主任

  • 馬 (映画)|馬(1941年3月11日公開、山本嘉次郎演出、東宝映画 製作主任

  • 翼の凱歌(1942年10月15日公開、山本薩夫監督) 脚本

  • 土俵祭(1944年3月30日公開、丸根賛太郎監督、大映) 脚本

  • 四つの恋の物語 第一話「初恋」(1947年3月11日公開、豊田四郎演出) 脚本

  • 銀嶺の果て(1947年8月5日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 肖像 (映画)|肖像(1948年7月27日公開、木下恵介監督) 脚本

  • ジャコ万と鉄(1949年7月11日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 暁の脱走(1950年1月8日公開、谷口千吉監督、東宝) 脚本

  • 殺陣師段平(1950年8月26日公開、マキノ雅弘監督、東京映画配給) 脚色

  • 獣の宿(1951年6月8日公開、大曾根辰夫監督) 脚本

  • 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年1月3日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国無頼(1952年5月22日公開、稲垣浩監督) 脚本

  • ソ満国境2号作戦 消えた中隊(1955年1月14日公開、三村明監督、日活) 脚本

  • あすなろ物語(1955年10月5日公開、堀川弘通監督) 脚本

  • 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957年12月28日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国群盗伝(1959年8月9日公開、杉江敏男監督) 潤色

  • 荒野の七人(1960年製作、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画) 原作

  • 殺陣師段平(1962年9月30日公開、瑞穂春海監督、大映) 脚本

  • 暴行 (映画)|暴行(1963年製作、マーティン・リット監督、アメリカ映画) 原作

  • 荒野の用心棒(1964年製作、ボブ・ロバートソン監督、イタリア映画) 原作

  • ジャコ萬と鉄(1964年2月8日公開、深作欣二監督) 脚本

  • 姿三四郎 (1965年の映画)|姿三四郎(1965年5月29日公開、内川清一郎監督、東宝) 製作/脚本

  • 野良犬 (1973年の映画)|野良犬(1973年9月29日公開、森崎東監督) 原作

  • 暴走機関車(1985年製作、アンドレイ・コンチャロフスキー監督、アメリカ映画) 原案

  • ドキュメント黒澤明 A・K(1985年製作、クリス・マルケル監督、フランス/日本映画) 出演

  • 雨あがる(2000年1月22日公開、小泉堯史監督、東宝/アスミック・エース) 脚本

  • どら平太(2000年5月13日公開、市川崑監督) 脚本

  • 海は見ていた(2002年7月27日公開、熊井啓監督、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメント/日活 脚本

  • 赤ひげ (テレビドラマ 2002年)|赤ひげ(2002年12月28日放送、フジテレビジョン|フジテレビ) 脚本

  • 旋風の用心棒(2003年1月25日公開、川原圭敬監督、エムロックス) 原案

  • SAMURAI 7(2004年6月12日〜12月25日放送、パーフェクト・チョイス) 原作

  • 椿三十郎 (2007年の映画)|椿三十郎(2007年12月1日公開予定、森田芳光監督、東宝) 脚本

  • 隠し砦の三悪人 (2008年5月10日公開予定、樋口真嗣監督、東宝) 脚本


    [作詞]


  • ジャングルブギ(服部良一作曲、笠置シズ子唄)

  • 七人の侍(早坂文雄作曲、山口淑子唄)



    受賞歴 


  • 羅生門(1951年ヴェネツィア国際映画祭|ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・イタリア批評家賞、1951年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1953年アメリカ監督組合賞ノミネート、1952年米アカデミー賞名誉賞(現在の外国語映画賞))

  • 生きる(1954年ベルリン国際映画祭ベルリン上院特別賞)

  • 七人の侍(1954年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)

  • 隠し砦の三悪人(1958年ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞・国際批評家連盟賞)

  • 赤ひげ(1965年ヴェネチア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(OCIC Award)、モスクワ映画祭ソ連映画人同盟賞、フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)

  • どですかでん(モスクワ映画祭映画労働組合賞)黒沢明・絵コンテの世界

  • デルス・ウザーラ(1975年モスクワ映画祭金賞・国際連盟批評家賞、1976年米アカデミー賞外国語映画賞、1977年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1977年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、パリ国際映画祭賞)

  • 影武者(1980年カンヌ国際映画祭パルム・ドール、1981年英国アカデミー賞監督賞、1981年セゼール賞外国語映画賞、1981年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、1981年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1981年ベルギー映画批評家協会監督賞)

  • 乱(1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)

  • 1979年モスクワ映画祭名誉賞

  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰黒沢明・絵コンテの世界

  • 1982年ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)

  • 1986年アメリカ監督組合賞特別賞

  • 1990年米アカデミー賞名誉賞

  • 1990年日本国福岡市 福岡アジア文化賞創設特別賞

  • 1992年アメリカ監督組合賞生涯功労賞



    著作権問題

    上記の作品の内、1952年までの作品は著作権の保護期間が終了(公開後50年)したと考えられたことから幾つかの作品がパブリックドメインDVD|激安DVDで発売された。これに対し、製作者(版権継承者)の東宝と角川映画は2036年(監督没後38年)まで著作権が存続するとして発売業者を相手取り発売差し止めと在庫の廃棄を求める訴えを東京地裁に起こした。2007年9月14日に東京地裁で原告勝訴の判決が下った。発売業者は控訴の方針。



    出典





    関連項目


  • :Category:黒澤明の監督映画

  • 日本の映画監督一覧

  • チャーリー・チャップリン(同様の著作権問題が発生)

  • 日本エアシステム



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 世界の黒澤と梅干しの 味

  • Akira Kurosawa News and Information (英語)

  • The Internet Movie Database (英語)


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    2008年01月20日

    映画監督[石井克人]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    石井克人



    石井克人 (いしいかつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。武蔵野美術大学卒。



    作品

    CM

  • アスパラドリンク

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)
    映画

  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞*鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)*PARTY7(永瀬正敏主演)*茶の味(坂野真弥主演)*キル・ビル Vol.1


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    2008年01月19日

    映画監督[石井克人]

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    石井克人



    石井克人 (いしいかつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。武蔵野美術大学卒。



    作品

    CM

  • アスパラドリンク

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)
    映画

  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞*鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)*PARTY7(永瀬正敏主演)*茶の味(坂野真弥主演)*キル・ビル Vol.1


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    2008年01月18日

    映画監督[木下恵介]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    木下恵介



    木下 恵介(きのした けいすけ、1912年(大正元年)12月5日 - 1998年(平成10年)12月30日)は、日本の映画監督、脚本家。本名、木下 正吉。正字での表記は「木下 惠介」。実弟に作曲家の木下忠司、実妹に脚本家の楠田芳子がいる。



    略歴

    静岡県浜松市にて食料品店を営む父・周吉、母・たまの8人兄弟の4男として生まれる。浜松工業学校(現静岡県立浜松工業高等学校|浜松工業高等学校)紡績科を卒業後上京。1933年(昭和8年)松竹蒲田撮影所に入り島津保次郎監督の撮影助手となり、翌1934年(昭和9年)には新たに作られた松竹大船撮影所に移り、島津監督の下助監督となる。1940年(昭和15年)に徴兵され中国を転戦も翌年、戦傷の為内地送還され帰国。 1943年(昭和18年)に監督になり『花咲く港』で山中貞雄賞を受賞し、華々しくデビューした。同年、黒澤明も監督デビューし終生のライバルとして日本映画界を支えてゆくこととなる。また、木下組から小林正樹、川頭義郎、松山善三、勅使河原宏、吉田喜重、山田太一 (脚本家)|山田太一等々多数の映画人が巣立っていった。1951年(昭和26年)に『カルメン故郷に帰る』で戦後初の長編カラー映画を発表。同作は、日本放送協会|NHK映画ベストテン第1位、日本映画文化賞を受賞する。1954年(昭和29年)『二十四の瞳 (映画)|! 二十四の瞳』で、ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞、外国語映画賞、ゴールデングローブ賞など数々の賞を受賞したが、その後、「戦場の固き約束」などが、興行上の採算性に対する疑義で松竹側からお蔵入りにされるなどの不遇にあい、 1964年(昭和39年)に松竹を退社し、テレビ界にも進出。「#木下恵介アワー|木下恵介アワー」などテレビドラマも製作した。後に木下恵介プロダクション(木下プロダクション→現・ドリマックス・テレビジョン)を設立する。1976年(昭和51年)『スリランカの愛と別れ』で再び映画監督に、また1979年(昭和54年)には松竹に復帰。映画、テレビドラマの監督と同時に脚本も数多く手がけている。1977年(昭和52年)紫綬褒章を受章。1984年(昭和59年)には勲四等旭日小綬章を受章。1991年(平成3年)に文化功労者に選出される。! 1998年12月30日午前3時10分、脳梗塞の\xA1 $?$aEl5~ ET9A6h (東京都)|港区の自宅で死去。享年86。生涯にメガホンをとった映画は全49作である。死後その功績に対し、エランドール特別賞が贈られた。1960年代までは黒澤明と並ぶ日本映画の両雄と見なされ、国内での評価はむしろ黒澤を上回ることが多かった。しかし、海外での受賞が少ないこと、基本的に日常派で華々しい話題性や刺激に乏しい作品が多いこともあり、晩年は急速に忘れられた巨匠と化しつつあった。亡くなった年の紅白歌合戦でその年の物故者を振り返るコーナーで木下を取り上げた際、アナウンサー(久保純子)が名前を読み間違え(「キノスケ」と発言、即訂正)、ファンを嘆かせたこともある。しかし、その洗練された話法やテクニック、社会的視点の鋭さなど、死後ゆっくりと再評価が進んでいる。今日で言う成田離婚に近い短期の結婚生活を除いて生涯独身。小津安二郎と同じく作品ではほとんど性描写をしない作家でありセクシャリティは定かではないが、女性的な言葉遣いで知られていた。



    粥 FFD:nIJ





    テレビ


  • 木下恵介アワー">木下恵介アワー

    喜びも悲しみも幾歳月(大辻司郎、松本典子)
    二人の星(園井啓介、小林千登勢)
    記念樹(馬渕晴子)
    今年の恋(加藤剛、栗原小巻)
    女と刀(中原ひとみ)
    もがり笛(江原真二郎)
    おやじ太鼓(進藤英太郎、風見章子)
    3人家族(竹脇無我、栗原小巻)
    兄弟(津坂匡章、あおい輝彦、秋山ゆり、沢田雅美)
    あしたからの恋(尾崎奈々、大出俊)
    二人の世界 (テレビドラマ)|二人の世界(竹脇無我、栗原小巻)
    たんとんとん(森田健作、ミヤコ蝶々)
    太陽の涙(加藤剛、山本陽子)
    幸福相談(倍賞千恵子、山口崇)
    思い橋(藤岡弘、上村香子、松坂慶子)
    わが子は他人(松山省二、杉浦直樹、音無美紀子、林美智子 (女優)|林美智子)



    伝記


  • 三国隆三『木下恵介日本中を泣かせた映画監督』(展望社、1999年) ISBN 4885460174

  • 長部日出雄『天才監督木下惠介』(新潮社、2005年) ISBN 410337408X



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • 脚本家一覧



    外部リンク


  • 木下恵介記念館

  • 木下恵介・映画の世界

  • 浜松映画祭


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    2008年01月17日

    映画監督[快楽亭ブラック]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    快楽亭ブラック



    快楽亭 ブラック(かいらくてい ぶらっく)は、落語家の名跡。当代は2代目。



    実在の人物


  • 快楽亭ブラック_(初代) - 明治・大正に活躍した。オーストラリア生まれのイギリス人。白人。国籍もイギリス。プロ推理小説家・プロ催眠術師を兼ねる。故人。

  • 快楽亭ブラック_(2代目) - 昭和・平成に活動、現在も活動を続けている。日本人の母とアメリカ人の父のもとに生まれたハーフ。国籍は日本。映画監督、俳優、映画評論家を兼ねる。



    架空の人物


  • 二代目快楽亭ブラック - 漫画「美味しんぼ」の美味しんぼの登場人物#山岡たちの知り合い|登場人物である。落語家。アメリカ人で、初代より命名された。本名はヘンリー・ジェームス・ブラック(初代の本名とほぼ同一だが、初代のミドルネームは「ジェイムズ」である)という設定。なお、実在の2代目が「快楽亭ブラック」を襲名する以前より、作品に登場している。



    備考

    漫画「美味しんぼ」の2代目快楽亭ブラックの登場や、ブラックと言う名前から勘違いされることもあるが、実在の2代目快楽亭ブラックは日本国籍を持っている日本人(実際は日本人とアメリカ人のハーフ)である。


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    2008年01月16日

    映画監督[石井輝男]

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    石井輝男



    石井 輝男(いしい てるお、1924年1月1日 - 2005年8月12日)は、日本の映画監督。新東宝で斬新な作品を発表した後東映に移り、「網走番外地シリーズ」を連続NO.1ヒットさせる。東映随一の大ヒットメーカーでありながら1968年よりポルノ映画、それも“異常性愛路線”と呼ばれる一連のエログロ作品を率先して作るようになり世間を驚かせた。70年代までに東映のエログロ作品とアクション作品を量産し、90年代はつげ義春、江戸川乱歩の世界へ傾倒した。東映プロデューサーの天尾完次は、石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置すると評している。



    略歴


  • 1924(大正13)年1月1日、東京都中央区_(東京都)|中央区生まれ。生家は浅草の綿問屋。



    [東宝]


  • 1939(昭和14)年、早稲田実業学校|早稲田実業を中退。後に東宝へ撮影助手として入社。

  • 1945(昭和20)年、召集。復員後、東宝に戻る。



    [新東宝]


  • 1946(昭和21)年、新東宝に参加。撮影部より演出部に移る。

  • 1947(昭和22)年3月、渡辺邦男監督の助監督につき演出の仕事を始める。この後、清水宏 (映画監督)|清水宏、成瀬巳喜男の助監督にもつく。

  • 1957(昭和32)年、「リングの王者 栄光の世界」で監督デビュー。

  • 同年より翌年、昭和33年にかけ、「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズを監督、1〜6作目までを担当。

  • 1960(昭和35)年、1月13日「黒線地帯」公開。


    [ 東映 ]


  • 1961(昭和36)年、東映と専属契約を結ぶ。6.23公開の「花と嵐とギャング」が東映(第二東映)での第1作。

  • 1965(昭和40)年、4月18日「網走番外地」(高倉健主演)公開。大ヒットとなり、高倉とのコンビでシリーズ10作を世に送り出す。

  • 1968(昭和43)年、5月1日「徳川女系図」公開。9.28公開の「徳川女刑罰史」は低予算で同年邦画配収の9位。

  • 1969(昭和44)年、10月31日「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」公開。

  • 1974(昭和49)年、12月28日「直撃地獄拳 大逆転」(千葉真一主演)公開。

  • 1975(昭和50)年、4月5日「大脱獄」公開。高倉健との最後のコンビ作となった。

  • 1977(昭和52)年、7月17日「惑星ロボ ダンガードA|惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団」(明比正行と共同演出)公開。

  • 1979(昭和54)年、10月6日「暴力戦士」公開。この後、劇映画は休養に入る。


    [復活]


  • 1991(平成3)年、6月14日「ザ・ヒットマン 血はバラの匂い」(東映Vシネマ)リリース。

  • 1993(平成5)年、7月24日「ゲンセンカン主人」公開。

  • 1995(平成7)年、5月29日「無頼平野」公開。これ以降、自ら立ち上げたプロダクションで「ねじ式」「地獄 (1999年)|地獄」を撮る。

  • 2005(平成17)年、8月12日肺癌により没す。享年81。遺作は「盲獣VS一寸法師」(2001年)。



    備考


  • 成瀬巳喜男の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品の仕事を渇望していたが、水木に嫌われていた、とする説がある。

  • 2006年8月5日、石井の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記された墓碑の碑文は、高倉健によるものである。また、石井の功績を讃え、博物館網走監獄の正門前に石碑“映画『網走番外地』撮影地の碑”が建てられ、2006年8月6日に除幕式が行われた。



    参考図書

    石井輝男映画魂」石井輝男・福間健二、ワイズ出版  ; ISBN 4948735086



    外部リンク


  • 石井輝男監督公認ウェブサイト

  • 博物館網走監獄 「番外地の生みの親」、網走に眠る・・

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    2008年01月15日

    映画監督[周防正行]

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    周防正行



    周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。東京都出身。立教大学文学部フランス文学科卒業。妻は、バレリーナで女優の草刈民代。



    来歴・人物

    立教大学在学中に蓮實重彦の映画論の講義に出席し大きな影響を受ける。また、自身は参加していなかったものの、同大学の映画製作サークルであるパロディアス・ユニティーのメンバーだった黒沢清、万田邦敏等と親交を持った。大学卒業後、映画製作を目指し『神田川淫乱戦争』(黒沢清監督・1983年)等のピンク映画の助監督を務めた後に、1984年に『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー(この作品は、台本上の原題は『お嫁さん日和』というタイトルだった)。全編小津安二郎の映画の引用と参照で埋められたこの作品は、小津安二郎を心から愛する周防正行が、その愛しているものを一度はそっくりそのままマネしたいと思って制作したもので、安直なオマージュやらパロディーではない。周防自身、一度だけの挑戦と心に決めていたと明言しており、事実、その後の周防の作品には小津の赤裸様なかつ直接的な影響も作家主義的な色合いもなく、コメディーとエンターテイメントに徹した作品を作り続けている。1987年には伊丹十三監督のヒット作『マルサの女』の撮影現場を追ぁ C$?%*%j%8%J%k%a%$%-%s%0%S%G%*!X%^%k%5$N=w$r%^%k%5$9$k!Y!"Mb1988年には『マルサの女2をマルサする』の演出・構成を担当。2作目では一部撮影も行っている。1989年、修行僧達の日常と青春を描いた『ファンシイダンス』で注目を浴び、高い評価を得た後、1991年に大学の弱小相撲部を舞台にした『シコふんじゃった。』を製作。そして1996年に『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞。その後、自らフィルムを抱えアメリカに渡り、長期間かけて全米各地区を巡って地道な映写活動を行い商業的な成功を収め、ピーター・チェルソム監督によるリメイク(『Shall We Dance』・2004年)が制作されるに至っている。またこの時、『Shall we ダンス?』の全米における配給を担当した米ミラマックスとの間で、以後の映画制作に関するファーストルック契約を結んでいるが、現在は既に失効している模様である。長いブランク(映画に関して。映画以外の表現活動については、この間もコンスタントに活動している)があったが、痴漢冤罪に興味を持ち、日本の警察・司法に対し疑問を邸 j$2$+$1$?!X$=$l$G$b%\%/$O$d$C$F$J$$!Y$,2007年1月 B20日 $K8x3+$5$l$?!#



    姓(周防)に関して

    姓の呼び方は、元々「すお」であったが、「すおう」と呼ばれる為に公式にも周防は「すおう」としていた。だが本来は「すお」であるため、近年公式にも「すお」に正式に変えている(『久米宏 ラジオなんですけど』より)。「すお」とは、母親が教えてくれたそうであるが、親戚は「すおう」と称していると語っている(『めざましテレビ』より)。



    監督作品


  • 変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)

  • マルサの女をマルサする(1987年)

  • マルサの女をマルサする2(1988年)

  • ファンシイダンス(1989年)

  • シコふんじゃった。(1991年)

  • Shall we ダンス?(1996年)

  • それでもボクはやってない(2007年)



    著書




    [小説]


  • シコふんじゃった。(太田出版、1991年)

  • Shall we ダンス?(幻冬舎、1996年)



    [エッセイ]


  • 『Shall weダンス?』アメリカを行く(太田出版、1998年)

  • スタジアムへ行こう! - 周防正行のスポーツ観戦記(角川書店、2000年)

  • インド待ち(集英社、2001年)

  • アメリカ人が作った「Shall we dance?」(太田出版、2005年)


    [対談・インタビュー]


  • 古田式(太田出版、2001年、古田敦也との共著)

  • ファンの皆様おめでとうございます(大巧社、2002年、若松勉との共著)

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    2008年01月14日

    映画監督[庵野秀明]

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    庵野秀明



    庵野 秀明(あんの ひであき、男性、1960年5月22日 - )は、日本の映画監督、アニメーター。山口県宇部市生まれ。山口県立宇部高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現?映像学科)放校処分。血液型A型。妻は漫画家、エッセイストの安野モヨコ。代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』等。『新世紀エヴァンゲリオン』は第18回日本SF大賞を受賞。



    作風

    人間のエゴや醜さを抉り出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出に定評がある。エキセントリックなアングルや逆光などのを多様した描写などが多い。意外な所からとる独特のトリッキーなカメラワークは「凝っている」「新鮮で面白い」と好評であるものの、一部で「目が回りそう」「複雑だ」と批判がある。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い(なぜこれらの物体であるかについては宮台真司が、世代的なものであると指摘している)。特に電柱・電線にはフェチと言えるほどこだわりがあるようで、自らの会社スタジオカラー|カラーのホームページにも使用している『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 公式ガイドブック』や『庵野秀明のフタリシバイ』などでも、その一端を垣間見せている。。彼の演出する作品には自らの好きな映画・アニメ・漫画などへのパロディ・オマージュが必ずと言っていいほど大量に盛り込まれている。特に永井豪や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。 (B
    これらについては本人がアニメオタク・特撮マニアであることと、「今の時代、本当のオリジナルなんてないんだ。」という考えに基づくものだと言われる。オリジナルの問題については本人が様々なところで語っており、一例として、新世紀エヴァンゲリオンのコミック1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「僕のようなアニメや漫画をばかり見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる」というような旨の発言が挙げられる。 
    ''作風については来歴の項目も参照のこと。''



    来歴




    [ 学生時代 ]

    幼い頃よりアニメや特撮そして大規模建造物等に夢中で、よく絵を描いていたという。山口県立宇部高等学校|高校時代は美術部で部長を務めていた為に画力は高く、「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に寮で知り合う山賀博之が語っている。高校在学時には「グループSHADO」おそらくは『謎の円盤UFO』における地球防衛組織SHADO(『エヴァンゲリオン』におけるNERVのモデル)から名前をとったものと思われる。詳細は『パラノ・エヴァンゲリオン』P50より。というアマチュア映像製作グループにも所属。高校卒業後は就職せず遊んでばかりいたので親に心配され一浪後、当時は学科試験の無かった大阪芸術大学に入学。実技試験については、宮崎駿等の絵コンテ等を見て勉強したという『パラノ・エヴァンゲリオン』P34より。。入学当初、班作りの際に山賀博之、赤井孝美らとグループを作る。当時同級生であった漫画家の島本和彦の証言によると、班が作れずに死にそうな顔をしていた庵野を見かけ、声をかけようと思ったが遠かったという理由でやめている(後に島本とは交流を\xA1 ;}$D$h$&$K$J$j!"%G%S%e!<;~$K%5%$%s$r$b$i$C$F$$$k!K!#F1$83X2J$NF14|$K$OFn2mI'!"@>?9>O|西森明良などの同業者、『エヴァンゲリオン』の碇シンジの名前の元となった広告デザイナーの碇義彦らが在籍していた。漫画家の士郎正宗も同期であったが面識・交流の有無は不明。在学中からアルバイトとしてアニメーターをしており、二年次に誘われた自主制作アニメに熱中、共同実習にしか出ず出席率も悪く、学費も全く払っていなかったため三年次に放校処分を受ける(サークルはSF研究会に所属)。その後、大阪で開かれたSF大会では、山賀等と自主製作映画グループ「DAICON FILM」の主要メンバーとして、大会としては異例のオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作、プロをも驚かせ高い評価を受けた。24歳で大学を放校処分になるが、この時はすでに『風の谷のナウシカ』への参加が決まっていた。


    [ アニメーター時代 ]

    『超時空要塞マクロス』、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』等の商業作品に参加、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。この系統のシーンはファンの間で「庵野爆発」という愛称で親しまれている。特に「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加している『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のクライマックスは圧巻で、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画まで殆どを一人でこなした。セルを一コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。劇場アニメ『風の谷のナウシカ』では、人手不足の為にアニメーターとしては素人同然であったが原画として採用される。担当した、巨神兵の登場するシーンは高く評価された。ただし、庵野本人は中割枚数などを挙げて「動きが速い、あれは失敗だった」と公言していて、あまりに不満があったのか、監督に黙って勝手にタイムシートを書き換え、そのまま動画に回したという2007年5月4日『僕らの音楽』(フジテレビ)。。同作のパンフレットでは「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」としてエピァ =!<%I$,>R2p$5$l$F$$$k!#0CLn$O!XD6;~6uMW:I%^%/%m%9!Y$NHDLn0lO:$H6&$K!XIw$NC+$N%J%&%7%+!Y5\:j=Y$r;U$H$7$F6D$$$G$$$k!#$^$?!"!X5!F0@o;N%,%s%@%`!Y$NIYLnM3M*5($i$r4^$a!"H`Ey%"%K%a!<%7%g%s3&$rBeI=$9$k:n2H$N;E;v$K;22C$G$-$?$3$H$r$H$F$b%i%C%-!<$@$C$?$H8l$C$F$*$j!"FC$K5\:j$+$i$O4FFD$H$7$F$N;E;v$N?J$aJ}Ey$r3X$s$@$H$$$&『パラノ・エヴァンゲリオン』P66より。。一方で宮崎とは対立した時期もあり、庵野が宮崎監督作品を「つまらない映画」と評し、宮崎も『エヴァンゲリオン』を「いらないアニメ」と酷評することもあった。しかし宮崎は『エヴァンゲリオン』放送終了後、心配して庵野に電話をかけたという。人物を描くのが苦手であった事などから(監督から巨神兵のシーンでは人物も描くよう指示されるも、あまりに出来が悪かったので監督本人に頼んだという逸話がある『パラノ・エヴァンゲリオン』P63より。)、この頃から原画動画関係を一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。このすぐ後に創立されたアニメーション制作会社ガイナックスを支えた人福 *$G$"$k!#


    [   X?7@$5*% (%t%!%s%2%j%*%s!Y0J9_$N3hF0 ]

    『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面に進出するが、その後のアニメの仕事においていわゆる「実写畑」の声優を起用する事が多くなる。これは「声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作る事にしたとインタビューに答えている庵野秀明のフタリシバイ』(徳間書店)を参照のこと。。2002年3月26日に漫画家の安野モヨコと結婚。仲人は宮崎駿であった。二人が出合うきっかけは貞本義行による紹介である。庵野自身は彼女の『ハッピーマニア』等を読んでおり、高評していた。偶然ではあるが、安野モヨコのペンネームの苗字も「あんの」であるため、「Wアンノ」と話題になった。結婚生活は安野モヨコの漫画作品『監督不行届』で描写されている。2006年に、自身のアニメ制作会社カラー (アニメ制作会社)|カラーを創設し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役からは退いた。ただし、ガイナックスと絶縁したわけぁ G$O$J$$!JB>


    人物




    [ 菜食主義 ]

    ヴェジタリアン|菜食主義者で、肉を食べない事で知られる。その影響からか、彼の作品『ふしぎの海のナディア』のナディアや、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイは菜食主義者である。また『新世紀エヴァンゲリオン』中の肉食を強烈に感じさせるシーンも、肉食へのコンプレックスという見方をする者が多い。他にもキノコなどといった菌類も「バイキンだから」という理由で食べない。『ふしぎの海のナディア』第25話で主人公ジャンがキノコを食べて幻覚を見るシーンがあるが、これは当初ナディアが食べるはずであったのだが監督の樋口真嗣がナディアのモデルである庵野に「キノコを食べます?」と聞いたところ「いや、ぼくは食べないよ」と答えたたために、ジャンにお鉢が周ったという。しかし、『監督不行届』『スキゾ・エヴァンゲリオン』などで描写されている食生活を見ると、菜食主義者というよりは偏食による肉嫌いの印象が強い。本人によると、自分が肉を食べているということを意識することが嫌いなのであり、ただ単に肉の味がついたものは大丈夫らしい(例として、サッポロポテトのバーベキュー味は好物)。ハムサンドからハムだけを\xA1 H4$$$F?)$Y$?$H$$$&%(%T%=!<%I$b$"$k『スキゾ・エヴァンゲリオン』より。。本人は『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「菜食主義な訳ではなく、唯一食べられるのが野菜だけなのだ」という言い方をしている。


    [ 性格 ]

    監督デビュー作品『トップをねらえ!』を手がけていた時期は、非常に短気な性格で、背景のリテイクを「そんな時間ない」と断られて怒った庵野が「畜生、畜生!」と泣きながらロッカーを壊れるまで蹴飛ばし、壁を殴って穴を開けたという逸話も残っている(結局、「泣く奴にはかなわん」と渋々美術監督が了承し一晩かけてリテイクした)『スキゾ・エヴァンゲリオン』P134より。。『ふしぎの海のナディア』制作時は所謂島編の時に韓国の制作会社に作画を依頼していたがその出来が悪く激怒する(LD発売時に主要スタッフが自腹を切って作り直した回と、薩川昭夫と共にでっち上げた総集編の回がある)。『彼氏彼女の事情』制作時は、テレビ局との軋轢から監督降板なども経験(一時期クレジットされなかっただけという説もある)。しかし結婚後は「穏やかになった」らしい本人の公式サイトの『個人履歴』より。。『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』に出演していた声優の日高のり子が担当していたラジオ番組『はいぱぁナイト|はいぱぁナイト金曜』に度々ゲスト出演しては\xA1 FG@e$rEG$-$^$/$C$F$$$?!#
    『ナディア』出演時の日高のり子によると「あんなに人からコケにされたのは生まれて初めて」だったらしい。また、『ナディア』のCDで日高の筆記インタビューの「苦手なもの」の項目の所に、勝手に「難しい漢字が読めない」と付け加えていた。口癖が「そ、そ」なのと空母マニアな事から日高から「空母そそそそ」と言うアダ名を付けられる。『ふしぎの海のナディア』のボーカルコレクションで作詞した際にその名義を使用。また『ふしぎの海のナディア』第34話の作画監督の名義としても使用した。ちなみに本人は空母マニアではなく、戦艦マニアだと主張。


    [ アニメ・特撮マニア ]

    アニメ『機動戦士ガンダム』『美少女戦士セーラームーン』や特撮物のマニアでもある事はよく知られている。アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に関しては、作品への愛溢れる余り『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版するほど。この本にはゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫らの豪華メンバーが参加しており、庵野と押井守、そして富野由悠季らとの対談が収録されている。同作中には、直後の『新世紀エヴァンゲリオン』にも繋がる庵野の思いがそこかしこにあふれており、庵野秀明を深く知るためのテキストとしても重要な一冊である。また、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』もお気に入りの作品らしく、しばらくは会う人たちに「布教活動」を行っていたという。同作品の公式HPにもファンのひとりとして登場し、『機動戦士ガンダム』に対する愛情を語っている。『美少女戦士セーラームーン』についても熱心なファンで、当時、同作のテレビシリーズのエフェクトアニメの原画を手伝い程度ながら手がけたり、同作の同人誌を収集ぁ 7$F$$$?!#$^$?!"<+:n$N!X?7@$5*%(%t%!%s%2%j%*%s!Y$N=EMW?MJ*$N@ また最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げている。それ以外にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いのテレビ東京関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという『東京12チャンネルの挑戦』(金子明雄著、三一書房)p141より。。妻である安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったらしい。


    [ その他 ]

    エヴァブーム当時、インターネット上のチャット通信において巻き起こったエヴァ論争について、「便所の落書き」と批判1996年〜97年頃の発言。『スキゾ・エヴァンゲリオン』、『パラノ・エヴァンゲリオン』などを参照。、パソコン通信にはまる人たちに現実に帰れと諭した「ニュータイプ」1996年6月号のインタビューより。「アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ」と語る一方、アニメ界での作品は良作と評されることが多く、海外でも大きな評価を得ているが、実写作品では監督としてアニメ作品ほどの評価は得ていない。『ふしぎの海のナディア』以降アニメ、実写ともに摩砂雪が常にスタッフとして関わっており、庵野監督の女房役として支えている。2005年、日産自動車のTouch Your NISSANキャンペーンのCMに出演したときは普段のファッションに無頓着すぎる庵野とは思えないオシャレぶりを見せ、関係者、知人、ファン共々から反響があった。外出時のファッションに関しては、結婚を境に様変わりしたことは有名。理由については「妻が僕の為に恥\xA1 $r$+$/$H$$$1$J$$$+$i!W$H!"%$%Y%s%H$G6&1i$7$?NS86$a$0$_$K8l$C$?$H$$$&ラジオ番組より。。「○○に勝てるのは△△だけ」や「○○まさに△△」という言い回しを各種作品(『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など)にて多用する傾向にある。大地丙太郎と交流があり、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を公開すると同時に大地監督の短編映画を同時上映した。以降の庵野作品で大地の作品、演出方法へのオマージュが随所に見られるようになる(『彼氏彼女の事情』、『キューティーハニー』等)。アニメ的なキャラクターを描くのが苦手と言われており、実際に『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野のコンテやラフデザインなどでは、人物がかなりいい加減に描かれているのが散見されている(ただ、ゼネプロのパンフレットには庵野の作画と見られる女の子が描かれており、全く描けない訳ではないと考えられる)。



    略歴


  • 1960年 5月22日山口県宇部市生まれ。

  • 1980年 私立大阪芸術大学入学。

  • 1983年 大学除籍。『風の谷のナウシカ』の原画に採用され上京。

  • 1984年 株式会社ガイナックスの設立に参加。

  • 1998年 映画『ラブ&ポップ』で実写初監督。

  • 1999年 TVアニメ『彼氏彼女の事情』とメイキングビデオ『GAMERA 1999』の監督を同時に引き受ける。小惑星『庵野秀明 (小惑星)|庵野秀明』が命名される。

  • 2002年 漫画家安野モヨコと結婚。

  • 2006年 カラー (アニメ制作会社)を設立。



    作品リスト




    [監督作品]


  • 『トップをねらえ!』(OVA)

  • 『ふしぎの海のナディア』(テレビアニメ・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビアニメ)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』(映画・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』(映画・総監督)

  • 『ラブ&ポップ』(実写映画)

  • 『GAMERA1999』(メイキング・総監督)

  • 『GAMERA1999+』(メイキング・総監督)

  • 『彼氏彼女の事情』(テレビアニメ)

  • 『式日』(実写映画)

  • 『しりあがり寿|流星課長』(実写)

  • 『キューティーハニー』(実写映画)

  • 『』(OVA・総監督)

  • 『ストリングス〜愛と絆の旅路』(人形映画日本語版)

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(映画・総監督)
    前編『』(2007年9月1日公開)
    中編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2008年公開予定)
    後編+完結編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:急』+『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:?』(公開日未定)


    [その他のアニメ作品]




    [劇場アニメ]


  • 『風の谷のナウシカ』(原画)

  • 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(原画)

  • 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(作画監督、スペシャルエフェクトアーティスト、原画)

  • 『火垂るの墓』(原画)

  • 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(メカデザイン)


    [テレビアニメ]


  • 『超時空要塞マクロス』(原画)

  • 『まほろまてぃっく』(OPアニメーション絵コンテ)

  • 『おるちゅばんエビちゅ』(企画)

  • 『アベノ橋魔法☆商店街』(原画、メカ作監、最終話画コンテ、声)

  • 『シュガシュガルーン』(OP・EDアニメーション画コンテ、演出)


    [OVA]
    *『装甲巨神Zナイト』(原画)

  • 『メガゾーン23』(原画)

  • 『くりいむレモン|くりいむレモン PART.4 POPCHASER』(原画)

  • 『真魔人伝 バトルロイヤルハイスクール』(作画監督補佐)

  • 『メタルスキンパニック MADOX-01』(OP原画)

  • 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(アバンタイトル)

  • 『マクロスプラス』(原画)

  • 『フリクリ』(監修、原画、友情メカ作監)

  • 『トップをねらえ2!』(監修、絵コンテ、原画)



    出演作品


  • 『ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』(竜王役 1988年、制作スタッフとしてエフェクトアニメ演出も担当)

  • 『あぶない刑事|あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE』(怪しい男役 1998年、成田裕介監督)

  • 『茶の味』(監督役 2003年、石井克人監督作品)

  • 『恋の門』(旅館経営者夫婦役カメオ・妻役は安野モヨコ 2004年、松尾スズキ監督作品)劇中アニメ『不可思議実験体ギバレンガー』メカニックデザイン&演出も担当

  • 日産自動車 Touch Your NISSAN キャンペーンCM(2005年)

  • 『トゥルーラブ』(西村圭介役 2006年、フジテレビジョン|フジテレビP&Gパンテーンドラマスペシャル)

  • 『ナイスの森 〜The First Contact〜』(原画マン ハスダ役 2006年、石井克人、三木俊一郎、ANIKI監督作品)

  • 『日本沈没』(山城教授の娘婿役 2006年、制作スタッフとしてメカデザインも担当)

  • 『キャッチボール屋』(先代キャッチボール屋役 2006年、大崎章 第一回監督作品)

  • 『さくらん』(玉菊屋の客役 2007年、原作・安野モヨコ 蜷川実花監督作品)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(松原医師役 2007年、松尾スズキ監督作品)


    [ 登場作品 ]


  • 『アオイホノオ』(島本和彦作、小学館)
    庵野をモデルとしたキャラクター「大阪芸術大学|大作家芸術大学学生で後のエヴァンゲリオン監督となる庵野秀明」が登場



    受賞歴


  • 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞

  • アニメーション神戸96’(第一回アニメーション神戸) 個人賞

  • 第20回ヨコハマ映画祭 新人監督賞(『ラブ&ポップ』)



    脚注





    関連項目


  • ゼネラルプロダクツ

  • ガイナックス

  • カラー (アニメ制作会社)

  • DAICON FILM

  • ハッピー興行新社(庵野秀明が主宰する同人サークル)
    『愛國戰隊大日本』(特撮操演・ナレーター)
    『帰ってきたウルトラマン#後年への影響|帰ってきたウルトラマン』(監督・出演)

  • 西村知美(中学校の後輩)

  • 蒼きウル

  • 庵野秀明 (小惑星)詳しい情報は公式サイトの仕事履歴を参照のこと。



    外部リンク


  • 株式会社カラー庵野秀明が代表取締役を務める制作会社)

  • 早稲田大学人物研究会・庵野秀明会見録

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年01月12日

    映画監督[山城新伍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山城新伍



    山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - )は、京都府京都市出身の俳優、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべやすじ)。 血液型O型。京都府立山城高等学校出身。父は医師で母は看護師。



    所属事務所

    東映 → 沢井プロダクション → (株)サイプロダクション → (株)プロダクションノータイトル → フリー




    人物

    時代劇スターにあこがれエキストラをやる。高校卒業して東映ニューフェイス第4期でデビュー。同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。テレビドラマ白馬童子で子供たちの人気者となる。映画では脇役が多かった。60年代に入ると時代劇の人気がなくなり、コメディーやエログロ路線で個性を生かすようになる。しかしながら、そのジャンルを選ばぬ姿勢を評して「ミスター・プログラムピクチャー」と呼ばれて人気があり、1970年代始めに多くの映画俳優たちが斜陽の映画界から躊躇しながら入っていったテレビの世界では既にすんなりと溶け込んでいて、テレビドラマだけでなく、バラエティ番組でもいかんなくその個性を発揮。俳優らしからぬ機転の良さとコメディー・センスと関西弁の話術で、司会やパネラーとして活躍し、2時間ドラマでは主演作を多く持った。それでも映画への想いは熱く、俳優・タレント活動以外にも、映画評論、映画監督もこなしている。監督としては、にっかつロマンポルノのヒット作『女猫 (1983年の映画)|女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入\xA1 Lg!Y!"!XK\F|$^$?$^$?5Y?G$J$j!Y!"!X%U%!%_%j!< (映画)|ファミリー』といった作品がある。若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビジョン|サンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会をし、低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で・・・」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である。高校では、ラグビー部に入っていた。元夫人の花園ひろみと車で湖に突っ込み、「結婚してくれないとこのまま察 `$L!」と迫った話はテレビで何度も言っている。それだけ花園\xA1 $r?<$/0& $7!"$=$l$K<+?.$r;}$C$F$$$k$,!"=w@-4X78$K$f$k$$ItJ,$b$"$j!"2V1`$H$O7k:'$HN%:'$r2回ずつしている。「僕の家族は山城教だ」と家族の結束に強い自信を持っていたが、娘から女性誌を介して絶縁状を突きつけられたことがある。1990年代まではテレビ番組の司会やクイズ番組のパネラーとして活躍し、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』で共演した逸見政孝とは、同じ関西出身であった事や番組出演がきっかけで親友となり、彼の葬儀では弔辞を読み涙した。また日曜19時枠で『クイズ・マネーイズマネー』の司会を務め、同番組が終了して暫く経った後、当時裏番組であった『クイズ!!ひらめきパスワード』で2代目司会を務めるという珍現象もあった。かつて島田紳助とは『新伍&紳助のあぶない話』で共に司会を務め、バラエティ番組で共演するほど仲が良かったが、後に関係が悪化するが、2002年10月の『開運!なんでも鑑定団』で共演している。超C調なバカキャラ(『不良番長』シリーズなど)から無口で職人肌の男(『付き馬屋おえん』など)まで、演じる役の幅は広く、どの役でも圧倒的な存在感\xA1 $r8+$;$F$$$k!#2005年12月25日、『いつみても波瀾万丈』(日本テレビ放送網|日本テレビ系)に出演。糖尿病を患っていたことを告白。また、鶴田浩二、若山富三郎、菅原文太、里見浩太朗、逸見政孝とのエピソードについて語った。糖尿病を患ってからは痩せ、テレビ番組の露出を控えている。2006年某週刊誌のインタビューを受け、風貌は頬はこけ、髪は白く薄くなり、まるで別人のような風貌であった。周りからは心身ともに心配されているという。事実、自分の力だけでは階段を上れないほどであるという。また週刊女性によると「食べこぼし徘徊の日々」のタイトルで深夜に徘徊して自動販売機に大声で話しかけているという記事が掲載された。この記事に対し山城自身がテレビに出演し否定をした。2007年5月6日、朝日新聞日曜版で写真入りで近況が伝えられる。糖尿病はコントロールできているとのことで、容色もふっくらとして良さそうで、現場復帰への意欲を述べていた。関西弁(時おり標準語になることもある)で物事をはっきりとテレビでも言う性格で知られているため、敵対する者も多く、やしきたかじんは「山城は掘 y$$$d!W$H8@$C$FX_$i$J$$!J0JA0!X?78`$N$o$,$^$^Bg9%$-!Y$J$I$G$b6! &1i$7$F$ $$?!K!#;3>k<+?H$OH`$rI>2A$7$F$*$j!"!X$?$+$8$snoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。某有名女性フリーアナウンサー(現在は引退)には強硬に肉体関係を迫ったため、番組内で共演した時も露骨に嫌な顔をされていた。



    山城の発言録


  • 「日本放送協会|NHKは公共放送。なのになんで1週間ずっとジャニーズ事務所|ジャニーズが出て、SMAP全員に主役を持たせるのか。あんな近藤勇なんか見とうないわ」

  • 「どこの芸能事務所|事務所に所属しているかで、キャスティングが決まるのはおかしい。別にバーニングプロダクション|バーニングとはいってへんけどね」

  • 「これまでの時代劇を全否定しやがって。三谷幸喜、なめとんのか。俺は許さんよ」
    (『古畑任三郎』に出演し、三谷も山城の回のエンディングは敬意を払ったもので、相互の評価は悪いものではなかったが、NHK大河ドラマ『新選組!』については時代劇俳優として決定的に受け入れられるものではなかった。また、この発言のときは映画の完成発表のときでもあり、彼一流のアドバルーンであった側面もある)

  • 「寄らば大樹はクズの考え。今の芸能界はそうなっている。俺の意見に日本国民の8割は賛成してくれるやろう」

  • 「NHKの受信料の一部は、ジャニーズに流れとるんやろ。そんな受信料なら払うな」

  • 「昼はファンに追いかけられ、夜は社長に追いかけられる。どこのジャニーズ事務所|プロダクションのことか分かるやろ」

  • 「俺の残りの俳優生命をかけてもええ」

  • 「俺があんな(おどけた)CMやったとき、『ああ、落ちぶれたな』とか思わせへん自信はあるよ。宝田明さんと違ごてね」

  • 「嫌いな俳優? 緒形拳やね。あんな鈍くさい奴、俺より評価受けとる俳優みんな嫌いや」

  • 「その方がロマンがあるがな。マンコ|コーマンやないで」

  • 1992年、『EXテレビ』にて、当時参議院議員だったアントニオ猪木の都知事選辞退に際して金の授受があったとの疑惑に関して、「あれはあかん。もう終わりやね」と発言。しかし、数年後に『あぶない話』に猪木がゲスト出演した際には、「猪木さんが金もらうわけないがな」と180度方向転換したコメントを発した。

  • 1994年『森田一義アワー笑っていいとも!|笑っていいとも!』出演時、宅麻伸と賀来千香子の結婚について「3年で別れる。俺は当たるんだ」とコメント。2007年現在、宅麻夫妻は離婚していない。

  • 「親が子とやったらおかしいやろ」(梅宮辰夫が名づけ親の女性タレントを山城が性交渉|やってしまい、梅宮から「何で俺より先にやるんだ!!」と怒られた際に)

  • 「女は梅宮が、男はカルーセル麻紀|カルーセルが全部手をつけた」(ある映画の撮影中)

  • 「男と(セックスを)やらなあかんのやったら、(相手は)名高達男がええ」

  • (小泉純一郎の長男小泉孝太郎|孝太郎が芸能界入りするというニュースに対して)「そんなもん俺が苛めて芸能界から追い出したる」

  • 2001年頃、「小泉総理よ、あんたが首相としてやった事は息子を芸能界デビューさせた事だけなんや」、「政治家として、何一つやってないんや」



    部落差別問題と著作

    芸能の歴史と部落差別問題について詳しく、著作もある。

  • 「現代・河原乞食考―役者の世界って何やねん? 」(解放出版社)



    そのほかの著作


  • 「軟派の硬意地 芸能界、裁くのは俺だ 裁かれるのも俺だ」(実業之日本社)

  • 「新伍のぶっつけ本番」(ふたば書房)

  • 「若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ」(幻冬舎)

  • 「わがまま筆まかせ」(中央公論社)



    略歴


  • 1957年 東映ニューフェイス第4期生

  • 1959年 「風小僧」でデビュー(共演)

  • 1960年 「白馬童子」で主演し、人気を博す。

  • 1966年 女優の花園ひろみと結婚。

  • 1975年 「独占!男の時間」でバラエティに進出。

  • 1981年 フジテレビジョン|フジテレビ系「アイ・アイゲーム」で伏字を「チョメチョメ」と表現し流行語になる。

  • 1985年 花園ひろみと離婚。

  • 1991年 花園ひろみと2度目の結婚。これを「新伍のお待ちどおさま」で梅宮辰夫に発表され、更に彼から祝福のキスを受ける。

  • 1999年8月 花園ひろみと2度目の離婚。
    その後も同居していたが、2001年以降は一人暮らし。

  • 2005年 糖尿病で入院。
    現在は自宅療養中であり、2007年夏以降に復帰という方向で動いているらしいが詳細は不明。



    主な出演作品




    [ 映画 ]


  • 不良番長シリーズ(東映。ほぼ全作に出演)

  • 喜劇 ギャンブル必勝法(東映。数少ない現代劇の主演作品)

  • 仁義なき戦い(東映) 江田省一 役
    広島死闘篇
    代理戦争
    頂上作戦
    完結篇

  • 新仁義なき戦い(東映)

  • 直撃地獄拳 大逆転(東映)

  • 県警対組織暴力(東映)

  • 資金源強奪(東映)

  • トラック野郎(東映)
    爆走一番星 (トルコの帝王/須間田三四郎)役
    故郷特急便 (プロデューサー奥村)役

  • 週刊バビロン(東映、監督作品)

  • ミスターどん兵衛(東映、監督作品)

  • サラリーマン金太郎(東宝)

  • ハチ公物語(松竹)

  • 塀の中の懲りない面々(松竹)

  • せんせい(松竹、監督作品)

  • やくざ道入門(松竹、監督作品)

  • 本日またまた休診なり(松竹、監督作品)

  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム(東宝)


    [ ドラマ ]


  • 風小僧(東映制作、テレビ朝日|NET)

  • 白馬童子(東映制作、NET)

  • Gメン'75(TBS・東映)第12話「漂流死体」

  • ザ・ハングマン|新ハングマン(朝日放送)

  • 桃太郎侍(日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 新五捕物帳(日本テレビ ただし、主演は杉良太郎)

  • 必殺必中仕事屋稼業(1975年、必殺シリーズ)第9話「からくり勝負」

  • 付き馬屋おえん事件帳(テレビ東京)

  • 火曜サスペンス劇場「悪夢の五日間」(1990年8月14日放送、日本テレビ・トムソーヤ企画)主演

  • 新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵(1987年正月、必殺シリーズ) 大石内蔵助役

  • 必殺スペシャル・新春 せんりつ誘拐される、主水どうする? 江戸政界の黒幕と対決! 純金のカラクリ座敷 (1992年正月、必殺シリーズ) 丑寅の辰役

  • 半七捕物帳(1992年10月〜1993年2月、日本テレビ・ユニオン映画)

  • 暁に斬る!(関西テレビ放送|関西テレビ・ヴァンフィル)

  • 闇を斬れ(1981年、関西テレビ・松竹)

  • 監察医・薮野善次郎1〜10(1996年〜2003年、東京放送|TBS) 主演・薮野善次郎役

  • 古畑任三郎「魔術師の選択」(1996年、フジテレビ)犯人・南大門昌男役

  • 南町奉行事件帖 怒れ!求馬#南町奉行事件帖 怒れ!求馬II|南町奉行事件帖 怒れ!求馬II(1999年 東京放送|TBS・C.A.L.)第2話「泣きぼくろの女」 喜之助役

  • 水戸黄門 (テレビドラマ)|水戸黄門第28部(2000年、TBS)ゲスト出演

  • 土曜ワイド劇場「癒しの事件簿・藤井若菜の犯罪被害者相談室」(2007年3月31日、テレビ朝日) 伊集院遊心役


    [ バラエティ他 ]


  • 独占!男の時間 (東京12チャンネル 現・テレビ東京)

  • 笑アップ歌謡大作戦(テレビ朝日)

  • 何かとワイド面白地球(テレビ朝日、司会)

  • 世界とんでも!?ヒストリー(1993年 テレビ朝日、解答者)

  • アイ・アイゲーム(フジテレビジョン|フジテレビ、司会)

  • クイズ!ベストカップル(フジテレビ、司会)

  • クイズ天国と地獄(東京放送|TBS、司会)

  • クイズ!!ひらめきパスワード(毎日放送|MBS、司会 野村啓司アナから2代目を引継ぐ)

  • 新伍とんでけ捕物帳(MBS、主演)

  • それいけ!新伍迷探偵(MBS、主演)

  • 金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ放送網|日本テレビ 三日月刑事役)

  • 金曜娯楽版(日本テレビ、司会)

  • 夜はドキドキ!!(関西テレビ放送|KTV、司会)

  • 新伍のお待ちどおさま(TBS、司会)

  • クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ、解答者)

  • クイズ・マネーイズマネー(讀賣テレビ放送|ytv'、司会)

  • 新伍のわがまま大好き(朝日放送|ABC、司会)

  • 新伍・紳助のあぶない話(KTV、司会)

  • レインボー_(テレビ番組)|レインボー(MBS、司会)

  • 新伍Niタッチ!(MBS、司会)

  • 新伍のワガママ大百科(MBS、司会)

  • 山城桃源郷(ytv'、司会)

  • クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ、通常放送では解答者・特番では司会、1993年に逸見政孝の代理司会)
    新装開店!SHOW by ショーバイ!!
    新装開店!SHOW by ショーバイ2

  • 火曜洋画劇場(サンテレビ、司会・映画評論)

  • 壮絶バトル花の芸能界 男と女!!(日本テレビ、パネラー)

  • 東京金歯(BSフジ、審査員)


    [ オリジナルビデオ ]


  • 殺しのメロディ(東映、監督作品)

  • 江戸むらさき特急(アミューズ、監督作品)

  • ファミリー_(映画)|ファミリー(ラスカル、監督作品)

  • 六本木の帝王カポネ(ラスカル、監督作品)

  • フレンズ(ラスカル、監督作品)

  • 新・日本の首領


    [ 吹き替え ]


  • 刑事コロンボ|刑事コロンボ・ルーサン警部の犯罪(ウィリアム・シャトナー)

  • マッコイと野郎ども(トニー・カーティス)


    [ CM ]


  • どん兵衛(日清食品、川谷拓三と共演)

  • ユンケル黄帝液(佐藤製薬|サトウ製薬)

  • ベープ(フマキラー)

  • バブルスター(原ヘルス工業、北大路欣也と松方弘樹と梅宮辰夫と千葉真一と共演)

  • サッポロ生黒ラベル(サッポロビール)

  • マツダ・タイタン|タイタン(マツダ)

  • マツダ・ボンゴ|ボンゴ(マツダ)



    受賞歴


  • 第4回日本ジュエリーベストドレッサー賞男性部門(1993年)



    関連項目


  • 日本の男優一覧

  • 映画評論家一覧

  • 梅宮辰夫

  • 松方弘樹

  • 逸見政孝

  • 上島竜兵



    外部リンク


  • 「プロダクションノータイトル」所属時代のプロフィール


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    2008年01月11日

    映画監督[大森一樹]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大森一樹



    大森 一樹(おおもり かずき、1952年3月3日 - )は、日本の男性映画監督。大阪市生まれ。六甲中学校・高等学校|六甲高等学校、京都府立医科大学医学部卒業。医師免許を持つ珍しい映画監督。兵庫県芦屋市在住。大阪芸術大学芸術学部映像学科教授。名古屋学芸大学メディア映像学科非常勤講師。高校の時から映画監督を目指し、大学時代に完成させた16ミリ映画が高く評価される。1998年に『日本沈没1999』の監督に抜擢されるが、松竹の経営不振により、製作中止になった経緯がある。



    作品


  • 1977年『オレンジロード急行』(第3回城戸賞)

  • 1981年『ヒポクラテスたち』(監督・脚本)

  • 1981年『風の歌を聴け』(監督・脚本)

  • 1984年『すかんぴんウォーク』(監督)

  • 1986年『恋する女たち』(文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞優秀脚本賞・優秀監督賞)

  • 1987年『トットチャンネル』(監督・脚本 文部大臣新人賞受賞)

  • 1988年『「さよなら」の女たち』(監督・脚本)

  • 1989年『ゴジラvsビオランテ』(脚本・監督)

  • 1989年『花の降る午後』(脚本・監督)

  • 1991年『満月』(監督)

  • 1991年『ゴジラvsキングギドラ』(脚本・監督)

  • 1992年『ゴジラvsモスラ』(脚本)

  • 1994年『シュート!』(監督)

  • 1995年『大失恋。』(監督)

  • 1995年『ゴジラvsデストロイア』(脚本)

  • 1996年『わが心の銀河鉄道〜宮沢賢治物語』(第29回日本アカデミー賞優秀監督賞)

  • 1998年『ジューンブライド 6月19日の花嫁』(監督・脚本)

  • 2000年『ちんちろまい』(監督・脚本)

  • 2001年『走れ!イチロー』(監督・脚本)

  • 2002年『T.R.Y. トライ』(監督)

  • 2005年『超星艦隊セイザーX 戦え! 星の戦士たち』(監督)

  • 2006年『のじぎく兵庫国体・全国障害者スポーツ大会|のじぎく兵庫大会』開閉会式式典総合プロデューサー

  • 2006年『悲しき天使(映画)|悲しき天使』(脚本・監督)

  • 2007年『黒い春』(監督)WOWOW ドラマW (TVM)



    著書


  • 1978年『MAKING OF オレンジロード急行』ぴあ出版

  • 1981年『虹を渡れない少年たちよ』PHP

  • 1986年『星よりひそかに 大森一樹の作った本 』東宝出版事業室

  • 1989年『映画物語』筑摩書房

  • 1998年『震災ファミリー』平凡社

  • 2001年『あなたの人生案内』平凡社



    関連項目


  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 公式サイト

  • 大森一樹 IMDB

  • 大森一樹 JMDB

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    2008年01月10日

    映画監督[犬童一心]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    犬童一心



    犬童 一心(いぬどう いっしん、男性、1960年6月24日−)は、日本の映画監督。東京都生まれ。東京造形大学造形学部卒業。



    来歴

    法政大学第一高等学校(現:法政大学中学高等学校|法政大学高等学校)在学中より自主制作映画の監督、製作をスタート。1979年『気分を変えて?』の脚本・監督をつとめ、ぴあフィルムフェスティバル入選。自主制作時代、池袋文芸坐(現・新文芸坐)主催のMWC(マインド・ウェーブ・シネマ)に参加、1982年『赤すいか黄すいか』(16mmフィルム)、1983年『夏がいっぱい物語』(8mmフィルム)などのフィルムによる作品を手がけている。
    大学卒業後は朝日プロモーション(現ADKアーツ)入社。
    CMディレクターとして数多くのTVCMの企画・演出を手掛け、全日本シーエム放送連盟|ACC賞、IBA、ニューヨークフィルムフェスティバルなど受賞多数。CM演出のかたわら、1993年『何もかも百回も言われたこと』監督・製作。 同年、実写とアニメーションを組み合わせた短編『金魚の一生』監督・製作で「キリンコンテンポラリーアワード」1993年度最優秀作品賞受賞を機に、翌年『二人が喋ってる。』で長編デビュー。サンダンスフィルムフェスティバル in東京でグランプリ、日本映画監督協会新人賞受賞。 同作をきっかけに98年、市川準監督より『大阪物語』の脚本執筆を依頼される。 1999年、『金髪の草原』を監督。 脚本家としては、塩田明彦監督『黄泉がえり』を担当し、大ヒット。2003年、(第54回)芸術選奨映画部門において、監督作品『ジョゼと虎と魚たち』が大林宣彦、佐藤忠男、羽田澄子、山田洋次、高野悦子 (映画運動家)|高野悦子、市川準等の審査員によって「文部科学大臣新人賞」に選出された。余り知られていないが大林宣彦監督の『ねらわれた学園 ! (映画)|ねらわれた学園』(1981年)にて、生徒会長『高見沢みちる』の超能力で懲らしめられる不良学生役で出演している。(同作品には『有川正彦』役の手塚眞をはじめ、当時の自主映画関係者が多数エキストラ参加している)。映画監督髄一の少女漫画家大島弓子ファン。現時点で自主映画時代を含め3本の長編作品を映画化。思い入れの強さはグーグーだって猫であるが金髪の草原以来の監督・脚本兼務に現れている。



    フィルモグラフィー


  • 『気分を変えて?』1979年(監督/脚本)※8mm映画

  • 『ミッドナイト・ドライブイン・シアター (ポッキー・ホラーショー)』1982年(監督)※8mm映画
     (オムニバス映画。他に手塚眞、今関あきよしらが監督)

  • 『赤すいか黄すいか』1982年(監督/脚本)※16mm映画(モノクロ)

  • 『夏がいっぱい物語』1983年(監督/脚本)※8mm映画

  • 『金魚の一生』1993年(監督/脚本)

  • 『何もかも百回もいわれたこと』1993年(監督)

  • 『二人が喋ってる。』1995年(監督/脚本)

  • 『大阪物語』1999年(脚本)

  • 『ドリームメーカー』1999年(脚本)

  • 『金髪の草原』2000年(監督/脚本/編集)

  • 『黄泉がえり』2002年(脚本)

  • 『ジョゼと虎と魚たち』2003年(監督)

  • 『死に花』2004年(監督)

  • 『いぬのえいが』2005年(監督)

  • 『オールラウンドAV物語 たのし荘の人々』2005年(監督)※NECプロモーション・ネットムービー/全7話

  • 『タッチ (漫画)|タッチ』2005年(監督)

  • 『メゾン・ド・ヒミコ』2005年(監督)

  • 『黄色い涙』2006年(監督)

  • 『眉山-びざん-』2007年(監督)

  • 『グーグーだって猫である』2008年(監督/脚本)


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