2008年03月31日

映画監督[石井克人]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
石井克人



石井 克人 (いしい かつひと、1966年12月31日 - )は新潟県出身の映画監督、CMディレクター。1991年武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒。同年東北新社に入社し、CMディレクターとして働く傍ら多数の映像作品を手がける。2000年退社し、現在(株)337所属。米映画監督クエンティン・タランティーノのファンとして知られ、同映画監督作品の『キル・ビル Vol.1』ではアニメパートを担当した。
2003年演出家三木俊一郎、伊志嶺一(ANIKI)らと共に有限会社ナイスの森を設立。
2006年10月社名を株式会社ナイスレインボー[http://www.nicerainbow.com]に変更し現在活動中。



作品



[ CM ]
*1993「ハウス食品クリッパー」

  • 「スマップ・ニューアルバム告知」

  • 1997-2003「旭化成」シリーズ 診断篇 CM歌篇

  • 1997味の素「クノールカップスープ」シリーズ

  • 1997湖池屋「湖池屋ポテトチップス(チッチッチッ篇)」

  • ゼブラ「ジムノック(ペンは銃より強し)」

  • 1999〜2002「田辺製薬アスパラドリンク」(ハニホー・ヘニハー出演)

  • 2000-2001「SkyperfecTV」シリーズ

  • 2001「サントリーBOSS」(巨人篇)

  • 2001サントリー「マグナムドライ」

  • 2001「日テレ式」

  • 2002 NTV 「別 れてもチュキな人」番組宣伝CF

  • 2005 「キリンビバレッジ」
    「SEVEN SEVENS 登場 篇」(キリンレモン77)
    「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 「ハンゲーム」

  • 富士通FMV(岸部一徳・木村拓哉出演)

  • 東日本電信電話|NTT東日本 フレッツ光(SMAP出演)
    『マンションの絵篇』『結婚篇』保健室(電話)篇』


    [ 映画 ]


  • 8月の約束 - 初監督作品 ゆうばり国際冒険ファンタスティック映画祭ビデオ部門グランプリ受賞

  • 鮫肌男と桃尻女(浅野忠信主演)

  • PARTY7(永瀬正敏主演)

  • 茶の味(坂野真弥主演)−2004カンヌ映画祭監督週間????????作品、ロケ地・栃木県茂木町 

  • ナイスの森 〜The First Contact〜(石井克人×三木俊一郎×ANIKI監督、寺島進・浅野忠信ほか出演)

  • HAL&BONS

  • NEW HAL&BONS


    [ TV ]


  • 世にも奇妙な物語「BLACK ROOM」

  • SMAP×SMAP「MUSIC POWER GO! GO!〜ダモン君の巻」

  • 「ピロッポ」


    [ OV ]


  • 「TRAVA-FIST PLANET 」

  • SMAP「BIRD MAN FLY」

  • ナイスの森 The First Contact ディレクターズ・カット・バージョン ウェブムービー

  • 「ウサタクの話」 - 広告宣伝 : 富士通

  • 「ホクロ兄弟 フルスロットル!!!!」全7話


    [ 出演作 ]


  • 2003 CUTIE HONEY キューティーハニー





    「茶の味」

  • 2004年 アントレヴュ国際映画祭 最優秀外国語映画賞・観客賞

  • 2004年 第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭 Orient Express Casa Asia部門特別賞

  • 2004年 ハワイ国際映画祭 最優秀作品賞「モンスターブラックス 逆襲 篇」(キリンレモンブラック)

  • 第十一回オランダ・アニメーション国際映画祭・ベストCM賞



    外部リンク


  • NICE RAINBOW*武蔵野美術大学の人物一覧

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    2008年03月30日

    映画監督[小津安二郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業をサボタージュしたため、不良学生として寄宿舎から追放。


    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗したが、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたり、マンドリンを弾いたりして慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高梧との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。



    作風




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィクスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていないと指摘される。こうした映画文法の意図的な違反が、独特の時間感覚とともに作品に(ポジティヴな)違和感を生じさせており、特に海外の映画評論家からの評価を得ている。



    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下惠介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。


    [国際的な支持]

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(大韓民国|韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。※1953年までの作品は著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎

  • 小津安二郎のお墓

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    2008年03月29日

    映画監督[市川崑]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川崑



    市川 崑(いちかわ こん、1915年11月20日 - )は、三重県出身の映画監督。



    来歴

    東宝京都スタジオでアニメーターをつとめ、1945年人形劇『娘道成寺』デビュー。東宝東京撮影所から、東宝争議のなかで新東宝撮影所に転じ、のちにまた東宝に復帰した。この時期は『プーサン』や『億万長者』などの異色風刺喜劇や早口演出の『結婚行進曲』、大胆な映像処理の『盗まれた恋』などの実験的な作品で話題を読んだが、『三百六十五夜』のようなオーソドックスなメロドラマの大ヒット作品も撮っている。1955年にはその前年映画制作を再開したばかりの日活に移籍。『ビルマの竪琴』で一躍名監督の仲間入りを果たし、さらに大映に移籍。文芸映画を中心に、『鍵』、『野火 (小説)|野火』、『炎上』、『破戒』、『黒い十人の女』、『日本橋』、『ぼんち』、『私は二歳』、『雪之丞変化』など名作を毎年のように発表して地位を確立した。とりわけ1960年の『おとうと』は、大正時代を舞台にした姉弟の愛を宮川一夫のカメラで美しく表現、自身初の『キネマ旬報』ベスト1に輝く作品となった。この時期は日本映画の全盛期であると同時に、やがて映画産業の斜陽をもたらすことになるテレビの隆盛が始まる時期でもあった。映押 h4X78!$rIA$$$?$j$9$k$! J$I!"=>M h$N!V5-O?1G2h!W$H$OA4$/@-e$2$?!#$3$l$r%*%j%s%T%C%/C4EvBg?C$N2OLn0lO:$,!V5-O?@-$K7g$1$k!W$HHcH=$7$?$3$H$+$i後に市川は『朝日新聞』とのインタビューで「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と当時を振り返っている(1985年8月27日朝刊)。、「『東京オリンピック』は記録映画か芸術作品か」という大論争を呼び起こすことになった『東京オリンピック』はその芸術性が高く評価されて、同年度のカンヌ国際映画祭でドキュメンタリー作品としては異例の国際批評家賞を受賞している。また同作は映画館以外にも日本各地の学校や公民館などで上映会が開かれたことから、その観客動員数では事実上日本映画史上最多であるといわれている。。1970年代は横溝正史の「金田一耕助シリーズ」を手掛け、絢爛豪華な映像美と快テァ s%]$N8l$j8}$GA4:n$,Bg%R%C%H$H$J$C$?!#$5$i$K!X:Y@c!Y!"!X$*$O$s!Y!"!X


    作風

    市川は、大作『東京オリンピック』の後に人形劇『トッポ・ジージョのボタン戦争』を手がけたり、おどろおどろしい横溝正史の『獄門島』と『女王蜂 (横溝正史)|女王蜂』の間にアニメ合成を駆使した映像ファンタジー『火の鳥 (漫画)|火の鳥』を製作するなど、その活動の幅は広く、作風は多彩である。脚本はすべて妻であり同志でもあった和田夏十に委せるか、自らが全部または一部を手がけるというこだわりも見せる。1969年には黒澤明、木下恵介、小林正樹と4人で四騎の会を結成し、『どら平太』の脚本を共同で執筆、のちに自身で監督もしている。市川は新藤兼人に次ぐ日本映画界の大御所であり、そのキャリアや興行力においては比肩する者のない存在だが、老いてなおその実験精神は衰えない。近年では黒鉄ヒロシのマンガによる紙人形で全編を撮影した『新選組』がファンの度肝を抜いた。また、30年前に自らが撮った『犬神家の一族 (1976年の映画)|犬神家の一族』を、まったく同じ脚本と同じ主演俳優でリメイクしてみたりもしている。



    影響

    市川の独特の映像表現には定評があり、後輩の映画監督に多大な影響を与えている。*アニメ映画監督の庵野秀明は、自らの作品に市川作品を意識した映像表現を多用している。

  • 「岩井美学」とまで呼ばれる映像手法を確立した岩井俊二監督は、1976年の『犬神家の一族』を「自分の映画作りの教科書」と呼んでいる。市川を崇拝する岩井は、2006年に『市川崑物語』を製作している。

  • 北野武は市川の『東京オリンピック』に強い影響を受けたと語っている。

  • フランソワ・トリュフォー|トリュフォーら外国の監督にも市川の崇拝者は多い。

  • いわゆる「市川組」出身の映画監督には、東宝の古沢憲吾・橋本幸治・手塚昌明、日活の舛田利雄・江崎実生、大映の増村保造・田中徳三・池広一夫らがいる。なお和田誠・森遊机 編の『光と嘘 真実と影 市川崑監督作品を語る』(河出書房新社、2001年)では、塚本晋也、井上ひさし、小西康陽、橋本治、椎名誠、宮部みゆきなど各界の市川ファンが賛辞を寄せている。



    人物

    大変なヘビースモーカーとして有名。文化功労者に選出された1994年には『紅白歌合戦』に審査員として出演したが、司会の古舘伊知郎から「場内は禁煙でございますので」と忠告され頭をかいていた。



    和田夏十

    妻は脚本家の和田夏十。東宝撮影所で知り合い、1948年に結婚した。和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。そもそも「和田夏十」(わだなっと)という名は、東宝撮影所時代に2人が共同執筆するためのペンネームとして使っていたもので、1951年の『恋人』で「脚本の才能ではとても妻に及ばない」と市川がこれを妻に譲り、以後彼女専用のペンネームになったという経緯がある。



    受賞




    [ 映画賞 ]


  • 1956年 『ビルマの竪琴』で
    :*ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞
    :*アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
    :*リスボン国際映画祭審査員特別賞
    :*エジンバラ国際映画祭グランプリ

  • 1959年 『野火 (小説)|野火』で
    :*ロカルノ国際映画祭グランプリ
    :*バンクーバー国際映画祭カナダ映画協会賞

  • 1960年 『鍵』で
    :*カンヌ国際映画祭審査員賞
    :*ゴールデングローブ賞外国語映画賞

  • 1961年 『おとうと』で
    :*カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション

  • 1962年 『私は二歳』で
    :*アジア映画祭監督賞

  • 1965年 『東京オリンピック』で
    :*カンヌ国際映画祭青少年向映画賞
    :*UNICRIT賞
    :*英国アカデミー賞長編記録映画賞
    :*国連平和賞
    :*モスクワ国際映画祭スポーツ連盟賞

  • 1983年 『細雪』で
    :*アジア太平洋映画祭グランプリ
    :*同・監督賞

  • 1984年 『おはん』で
    :*アジア太平洋映画祭審査員特別賞

  • 1994年 『忠臣蔵 四十七人の刺客』で
    :*東京国際映画祭審査員特別賞

  • 2000年 ベルリン国際映画祭特別功労賞

  • 2001年 モントリオール国際映画祭功労賞

  • 2007年 東京国際映画祭黒澤明賞


    [ 叙勲 ]


  • 1982年 紫綬褒章

  • 1988年 勲四等旭日小綬章

  • 1994年 文化功労者選出



    監督作品




    [ 映画 ]


  • 『娘道成寺 (映画)|娘道成寺』(1945年、東宝教育映画)

  • 『東宝千一夜 大阪編』(1947年、新東宝)

  • 『三百六十五夜#映画|三百六十五夜』(1948年、新東宝)

  • 『花ひらく』(1948年、新東宝)

  • 『果てしなき情熱』(1949年、新世紀プロ=新東宝)

  • 『人間模様』(1949年、新東宝)

  • 『銀座三四郎』(1950年、新東宝=青柳プロ)

  • 『暁の追跡』(1950年、田中プロ=新東宝)

  • 『熱泥地』(1950年、新東宝)

  • 『恋人 (映画)|恋人』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『盗まれた恋』(1951年、新東宝=青柳プロ)

  • 『無国籍者』(1951年、昭映プロ=東横映画)

  • 『夜来香』(1951年、新東宝=昭映プロ)

  • 『ブンガワンソロ』(1951年、新東宝)

  • 『結婚行進曲 (映画)|結婚行進曲』(1951年、東宝)

  • 『足にさわった女』(1952年、東宝)

  • 『あの手この手』(1952年、大映|大映京都)

  • 『若い人』(1952年、東宝)

  • 『ラッキーさん』(1952年、東宝)

  • 『青色革命』(1953年、東宝)

  • 『愛人 (映画)|愛人』(1953年、東宝)

  • 『プーサン』(1953年、東宝)

  • 『天晴れ一番手柄 青春銭形平次』(1953年、東宝)

  • 『わたしの凡てを』(1954年、東宝)

  • 『女性に関する十二章』(1954年、東宝)

  • 『億万長者』(1954年、青年俳優クラブ)

  • 『こころ (映画)|こころ』(1955年、日活)

  • 『青春怪談』(1955年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第一部』(1956年、日活)

  • 『ビルマの竪琴|ビルマの竪琴 第二部』(1956年、日活)

  • 『日本橋 (映画)|日本橋』(1956年、大映東京)

  • 『処刑の部屋』(1956年、大映東京)

  • 『東北の神武たち』(1957年、東宝)

  • 『満員電車』(1957年、大映東京)

  • 『穴 (映画)|穴』(1957年、大映東京)

  • 『炎上 (映画)|炎上』(1958年、大映|大映京都)

  • 『あなたと私の合言葉 さようなら、今日は』(1959年、大映東京)

  • 『野火 (小説)|野火』(1959年、大映東京)

  • 『鍵 (映画)|鍵』(1959年、大映東京)

  • 『おとうと』(1960年、大映東京)

  • 『女経』(1960年、大映東京)

  • 『ぼんち (映画)|ぼんち』(1960年、大映京都)

  • 『黒い十人の女』(1961年、大映東京)

  • 『破戒 (映画)|破戒』(1962年、大映京都)

  • 『私は二歳』(1962年、大映東京)

  • 『太平洋ひとりぼっち』(1963年、日活・石原プロモーション|石原プロ)

  • 『雪之丞変化』(1963年、大映京都)

  • 『ど根性物語 銭の踊り』(1964年、大映東京)

  • 『東京オリンピック#記録映画|東京オリンピック』(1965年、東京オリンピック映画協会) 総監督

  • 『トッポ・ジージョ#映画|トッポ・ジージョのボタン戦争』(1967年、東宝東和)

  • 『第50回全国高校野球選手権大会 青春』(1968年、朝日新聞=朝日テレビ|朝日テレビニュース) 総監督

  • 『愛ふたたび』(1971年、東宝)

  • 『股旅』(1973年、崑プロ=日本アート・シアター・ギルド|ATG)脚本:市川崑・谷川俊太郎

  • 『吾輩は猫である』(1975年、芸苑社)

  • 『犬神家の一族 (1976年の映画)|犬神家の一族』(1976年、角川映画|角川春樹事務所)

  • 『妻と女の間』(1976年、東宝=芸苑社) 豊田四郎と共同監督

  • 『悪魔の手毬唄』(1977年、東宝)

  • 『獄門島』(1977年、東宝)

  • 『火の鳥 (漫画)#映画(実写版)|火の鳥』(1978年、火の鳥プロ=東宝)

  • 『女王蜂 (横溝正史)|女王蜂』(1978年、東宝)

  • 『病院坂の首縊りの家』(1979年、東宝)

  • 『銀河鉄道999』(1979年、東映) 監修

  • 『古都 (小説)|古都』(1980年、東宝=ホリプロ|ホリ企画)

  • 『幸福 (映画 1981年)|幸福』(1981年、フォーライフ=東宝)

  • 『細雪』(1983年、東宝)

  • 『おはん』(1984年、東宝)

  • 『ビルマの竪琴』(1985年、フジテレビジョン|フジテレビ=博報堂=キネマ東京)

  • 『鹿鳴館 (映画)|鹿鳴館』(1986年、MARUGEN-FILM)

  • 『竹取物語#映画|竹取物語』(1987年、東宝=フジテレビ)

  • 『映画女優』(1987年、東宝)

  • 『つる 鶴』(1988年、東宝)

  • 『天河伝説殺人事件 (映画)|天河伝説殺人事件』(1991年、東映=『天河伝説殺人事件』製作委員会)

  • 『帰ってきた木枯らし紋次郎』(1993年、フジテレビ=C.A.L)

  • 『忠臣蔵 四十七人の刺客』(1994年、東宝)

  • 『八つ墓村』(1996年、東宝)

  • 『どら平太』(2000年、『どら平太』製作委員会=日活)

  • 『新撰組 (2000年の映画)|新撰組』(2000年、フジテレビ=メディアポックス

  • 『かあちゃん』(2001年、映像京都=日活=イマジカ=シナノ企画)

  • 『犬神家の一族 (2006年の映画)|犬神家の一族』(2006年、角川映画)


    [ 主なテレビ作品 ]


  • 『木枯し紋次郎』(1972〜73年放送、フジテレビ=C.A.L) 第1、2、3、18話を監督、その他多くを監修

  • 終戦45年ドラマスペシャル 戦艦大和 (テレビドラマ)|戦艦大和』(1990年8月10日放送、フジテレビ=東宝)



    注釈





    関連項目


  • 三重県出身の人物一覧

  • 日本の映画監督一覧

  • 私の履歴書(日本経済新聞連載)

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    2008年03月28日

    映画監督[山田洋次]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山田洋次



    山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家。野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の階段』でデビューする。以降、膨大な数の人情劇を、実に精力的に発表する。作風は、凡庸である。特にカメラワークに凝る事も無く、目が覚める程の色彩を撮る事も無く、複雑に入り組んだ話を書く事も無い。特に大きな事件は描かず、普通の一般人の平板な日常生活を描く。コーエン兄弟、スタンリー・キューブリック、テオ・アンゲロプロスの様な、高級な映画は作らない。故に、「庶民的で分かり易い」「ヒューマニスティック」と評価する声も有れば、「偽善的」「陳腐な御伽噺」との批判もあり、賛否は分かれる。この意味でも、常に議論の中心に置かれる存在と言える。特徴として、『男はつらいよ』や『学校_(映画)|学校』の様に、同一の主題を持つシリーズを飽きずに何本も作る。シリーズ作品はどれも同じ話で、完全に予定調和の世界である。既視感が強い事は否めない。このため、「延々と続く二番煎じ」「全く冒険しない」「極めて惰性的」と、厳しい批判は数多い。日\xA1 K\6&;:E^$N;Y;}


    来歴

    満州鉄道のエンジニアだった父親の勤務のため、満州で少年期を過ごした。敗戦後、一家で日本に引き揚げる。1954年に大学を卒業して、松竹に入社する。野村の作品の脚本家・助監督を務めた。1961年に、『二階の他人』で監督としてデビューした。大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人たちが松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた時代にあって、山田は地味な存在であった。ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立してゆく中、松竹大船調路線の後継者として『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』などの作品で、企業内監督の道を歩む。1969年に、『男はつらいよ』を発表する。その後27年間に48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。この間『男』シリーズと平行して、『家族』、『幸福の黄色いハンカチ』、『学校』シリーズなどを発表。2000年9月に、第7回平壌国際映画祭に特別招待された。「日朝交流に尽力したい」との思いで、『男』と『学校』を上映した。北朝鮮で日本映画が公開されるのは、これが初である。金日成と金正日は、『男』のファンである。そして、日朝合作で北朝\xA1 A/$rIqBf$K$7$F!XCK!Y$r@):n$7$h$&$H$N7W2h$bIb>e$7$?!#$7$+$72002年9月に、正日が工作員による日本人拉致を認めた後は、計画が頓挫する。それでも山田は、「是非とも日朝交流に寄与したい。日朝国交正常化が実現したら、日朝合作映画を撮る」と並ならぬ意欲を示した。2002年に、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。山田にとって初の時代劇であり、藤沢の作品の映画化も、これが初であった。他の時代劇では無視され続けてきた、位の低い武士の苦悩を描いた物語である。構想に10年をかけ、時代考証に徹底して拘った。登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずがないから、剃った部分に髪が生えてくる等の、実に細かい部分をリアルに丹念に描いた。新鮮な時代劇と話題を呼び、大ヒットとなった。真田広之と宮沢りえの高い演技力もあって、出色の時代劇と評価され、日本の映画各賞を独占した。そして、1990年代後半以降低迷していた宮沢の、見事な復活作ともなった。2003年2月に、第57回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品される。2004年に、\xA1 Bh76回アカデミー賞外国語映画賞の候補になる。授賞式には真\xA1 ED$H=P@J $7!"!V$b$7^$7$?$i!"<+J,$O1Q8l$,ITF@0U$@$+$i!"??ED7/$KBeFI$G%9%T!<%A$7$FLc$&!W$H$NH/8@$,0u>]E*$@$C$?!#2004年に、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表する。ここでも位の低い武士の苦悩を描いたため、前作を踏襲した作品と位置づけられた。前作が高く評価されただけに、安易に同じシリーズを作る山田に対し、辟易し絶望する人は少なくなかった。『男』に続く山田のドル箱映画を作ろうとの、松竹の目論見を指摘する意見も有った。同作の公式サイトの掲示板には観客からの批判が相次ぎ、掲示板は4か月程で閉鎖された。



    学歴


  • 東京都立小山台高等学校卒業。

  • 1954年 - 東京大学法学部卒業。



    受賞歴


  • 1966年 - 『運がよけりゃ』でブルーリボン賞監督賞。

  • 芸術選奨文部大臣賞。

  • 毎日芸術賞。

  • 1972年 - 『男』で第20回菊池寛賞。

  • 1973年 - 『男』で第28回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1977年 - 『幸せの黄色いハンカチ』
    第1回日本アカデミー賞監督賞。
    ブルーリボン賞監督賞。
    毎日映画コンクール監督賞。

  • 山路ふみ子映画賞。

  • 第4回日本映画復興賞。

  • 1996年 - 紫綬褒章。

  • 2004年 - 文化功労者に選定。



    外部リンク


  • 日本映画データベース

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    2008年03月27日

    映画監督[植草甚一]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    植草甚一



    植草 甚一(うえくさ じんいち、男性、1908年(明治41年)8月8日 - 1979年(昭和54年)12月2日)は、欧米文学、ジャズ、映画の評論家。通称“J・J氏”。



    経歴

    東京市日本橋区小網町にて、木綿問屋の一人息子として生まれる。1915年、東華小学校入学。10歳の頃から姉に連れられて地元の映画館「水天館」に通う。1921年、渋谷鉢山町の東京府立第一商業学校(現在の東京都立第一商業高等学校)に入学、ここでは首席を通す。1923年、関東大震災で被災。これをきっかけに生家は没落する。1926年、旧制の第一高等学校 (旧制)|第一高等学校(現在の東京大学教養学部)を受験して失敗。このため、東京府立第五中学校(現在の東京都立小石川高等学校)の補習科に通学。併せて神田錦町の日土講習会に通う。当時は無産者新聞を愛読し、左翼思想に惹かれていた。1927年、第一高等学校を再度受験して失敗し、早稲田大学高等学院|早稲田大学第一高等学院理工科に補欠で入学。1930年、早稲田大学理工学部建築学科に進学。在学中は新劇に熱中し、劇団のポスターやイラストに才能を発揮。1932年から池袋のジャージー工場「藤幸」に勤務し、『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』などを翻訳。さらにセーターや水着のデザインも手がける。大学では落第を二度繰り返した後  "1933年、学費未納により除籍処分を受ける。今川小路「銀映座」の主任助手を経て、1935年、東宝に入社。このころ、初めての映画評論「目を閉じて視覚化せよ」を『キネマ旬報』に発表(アルフレッド・ヒッチコックの映画『三十九夜』を扱った内容)。1937年から吉岡重三郎のゴーストライターを務め、1938年には吉岡名義でダイヤモンド産業全書13『映画』を上梓。1941年、ユニバーサル映画の字幕スーパーを初めて手がける。同年9月、コンラッド・リクターの小説『樹海』の翻訳を三笠書房から刊行。東宝では宣伝部や調査部などに勤務していたが、1948年に労働争議で退職、『キネマ旬報』同人となり、『アメリカ映画』の編集委員を務める。1949年から本格的に映画評論を書き始め、『キネマ旬報』『映画之友』『スクリーン』などで活躍。ニックネームの「J・J」とは、このころ『映画芸術』に発表していた三人称スタイルの評論の中に自らの分身を「シネマディクトJ」(シネマディクトとは映画中毒者の意。Jは甚一の頭文字)の名で登場させた後、この評論を単行本に収録する際、語呂がい\xA1 $$$H$7$FJ・Jと改めたことに由来する。映画評論の傍ら\xA1 !"El5~AO 85.@bA4=8!Y$N4F=$!J1955年)や『現代推理小説全集』(1957年)の収録作品選定や全巻の解説執筆を担当。この間、1956年頃からジャズを聴き始める。1956年、初の単行本『外国の映画界』を同文館から上梓。小林信彦によると、この当時の植草は、肥満体の、好戦的で気難しい、敵の多い男として知られていた小林信彦『<超>読書法』p.131(文春文庫、1999年)。出版社と喧嘩が絶えず、『スイング・ジャーナル』誌の連載(1958年5月〜)だけを主な仕事としていた。1966年、『平凡パンチデラックス』などの若者向け雑誌で紹介されたことがきっかけで若い世代の読者が急増、植草ブームを招来する。1967年、本格的な単行本の第一冊である『ジャズの前衛と黒人たち』を晶文社から刊行。1970年に随筆|エッセイ『ぼくは散歩と雑学が好き』を刊行して若者にサブカルチャーを普及させた。1971年に胃の手術を受けてから体重が身長151センチ約60キロから約45キロへと激減し、痩身となる。この時期からブームが本格的になり、\xA1 0l%v7n$KLs300枚の原稿を執筆した。1973年には雑誌『ワンダーランド』の責任編集となる。この『ワンダーランド』が後にJICC出版局(現・宝島社)に譲渡され、『宝島 (雑誌)|宝島』(1973年10月号から誌名変更)として発展していった。1974年4月に初めてニューヨークへ渡り、3ヵ月半滞在。本、映画、ファッションなど様々な文化を独特の視点でエッセイとして発表し、さらに注目された。1977年、ベストドレッサー賞を受ける。1979年春、『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』(早川書房)により第32回日本推理作家協会賞(評論部門)を受ける。同年12月10日、心筋梗塞の発作により、東京都世田谷区経堂の自宅で逝去。モダンジャズを愛し、チャーリー・ミンガス、セシル・テイラー、マイルス・デイヴィス、アルバート・アイラーを尊敬。彼の死後、多数のレコードコレクションの散逸を防ぐために、タレントのタモリがその全てを買い取った。高平哲郎によると、その数は約4000枚という。蔵書の数は約4万冊にのぼり、「古本屋を開くのに最低5000冊は必\xA1 MW$@$H$$$&$1$l$I!"3軒は開ける」と自ら豪語していた。終の澄 32H$H$J$ C$?7PF2$N%^%s%7%g%s$G$O!"2部屋すべてを書庫として使用していた。エッセイ集として『植草甚一スクラップブック』(晶文社・1976年〜1980年/2004年復刻)がある。片岡義男その他がパーソナリティをつとめる番組「気まぐれ飛行船」の中のインタビューコーナー「飛行船学校」でしばしばロングインタビューを受け、肉声を聞くことが出来た。



    関連項目


  • 古書店

  • ニューヨーク

  • コラージュ

  • 淀川長治

  • 久保田二郎

  • 東宝

  • 晶文社

  • スイングジャーナル

  • 話の特集

  • 宝島 (雑誌)|宝島

  • 植草圭之助 - 脚本家。甚一の従弟。



    外部リンク


  • 著作リスト

  • 植草甚一ファンクラブ



    参考文献


  • 植草甚一スクラップ・ブック40『植草甚一自伝』晶文社、2005年

  • コロナ・ブックス編集部『植草甚一スタイル』平凡社、2005年



    脚注




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    2008年03月26日

    映画監督[鈴木雅之]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴木雅之



    鈴木 雅之(すずき まさゆき)は、日本の人名。* 江戸後期から明治期の国学者(1837年 - 1871年) → 鈴木雅之 (国学者)

  • 元ラッツ&スターの歌手(1956年 - ) → 鈴木雅之 (歌手)

  • フジテレビジョン|フジテレビに所属する演出家(1958年 - ) → 鈴木雅之 (演出家)

  • 声優 → 鈴木雅之 (声優)

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    2008年03月25日

    映画監督[大島渚]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大島渚



    大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - )は、映画監督。京都市生まれ。京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)卒業。大学在学中は京都府学連委員長を務め、1954年京都大学法学部を卒業後、松竹大船に入社。助監督を経て『青春残酷物語』『太陽の墓場』(1960年)などのヒット作で松竹ヌーベルバーグの旗手となる。日米安全保障条約の改定・批准に反対する安保闘争を舞台にした作品『日本の夜と霧』(1960年)の上映中止に抗議し、松竹を退社。その後、『愛のコリーダ』(1976年)、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『御法度』(1999年)など。テレビのコメンテーターとしても活躍。



    概要
    国内では初期の作品から注目を集め、松竹ヌーベルバーグの旗手ともいわれたが、国際的名声を不動にしたのは、1936年の阿部定事件を題材に男女の性的執着と究極の愛を描いた1976年の挑発的作品『愛のコリーダ  Y('':en:In the Realm of the Senses|In the Realm of the Senses'')であった。黒澤明監督流のヒューマニズムと検閲制度に対する激しい批判からハードコア・ポルノグラフィーへと傾斜した大島は、公権力の干渉を避けるため日仏合作という形を取り、撮影済みのフィルムをフランスに直送して、現像と編集の作業を行なった。公開当初は映画倫理管理委員会|映倫の介入によって作品が意味をなさないほどの大幅な修正で国内上映されたが、2000年のリバイバル上映で修正個所は大幅に減ったものの、ボカシが入ったものとなっており、現在でも国内でオリジナルヴァージョンを観ることはできない。『愛の亡霊』(''Empire of Passion'') は同様のテーマを扱った作品。不倫の妻が愛人と共謀して夫殺しに走るという、前作よりもある程度性的描写を抑制した。この作品でカンヌ国際映画祭が監督賞を授与した。その後1996年に約10年ぶりの映画製作発表をしてまもなく渡英先のロンドンで脳出血に見舞われた。その後、三年にわたるリハビリテーションが功を奏し復帰作『御法度』(1999年)の公開を果たした。



    ! 業績と変遷



    [映画監督として出発するまで]



    [『日本の夜と霧』]



    [社会派監督の時代]



    [時代と切りむすぶ]



    [日本と『絞首刑』]



    [当たり屋と沖縄]



    [60年代の総決算]



    [愛と自由を問う]



    [収容所と官能性]



    [集団性を凝視して]




    監督作品


  • 明日の太陽(1959)

  • 愛と希望の街(1959)

  • 青春残酷物語(1960)

  • 太陽の墓場(1960)

  • 日本の夜と霧(1960)

  • 飼育(1961)

  • 天草四郎時貞(1962)

  • 忘れられた皇軍 (TV)(1963)

  • 私はベレット(1964)

  • 悦楽(1965)

  • ユンボギの日記(1965)

  • 白昼の通り魔(1966)

  • 忍者武芸帳(1967)

  • 日本春歌考(1967)

  • 無理心中日本の夏(1967)

  • 絞死刑(1968)

  • 帰って来たヨッパライ(1968)

  • 新宿泥棒日記(1969)

  • 少年(1969)

  • 東京戦争戦後秘話(1970)

  • 儀式(1971)

  • 夏の妹(1972)

  • 愛のコリーダ(1973)

  • 愛の亡霊(1978)

  • 戦場のメリークリスマス(1983)

  • マックス、モン・アムール (Max, mon amour)(1987)

  • 御法度(1999)



    主な著書


  • 『日本の夜と霧』(作品集) 現代思潮社(1961)

  • 『戦後映画・破壊と創造』 三一書房(1963)

  • 『日本の夜と霧』(作品集、増補版) 現代思潮社(1966)

  • 『魔と残酷の発想』 芳賀書店(1966)

  • 『絞死刑』(作品集)至誠堂(1968)

  • 『解体と噴出』(評論集) 芳賀書店(1970)

  • 『青春 : 闇を犯しつづける葬儀人に一切の権力を!』 大光社(1970)

  • 『わが日本精神改造計画 : 異郷からの発作的レポート』 産報(1972)

  • 『青春について』 読売新聞社(1975)

  • 『体験的戦後映像論』 朝日新聞社(1975)

  • 『同時代作家の発見』 三一書房(1978)

  • 『愛の亡霊』 三一書房(1978)

  • 『日曜の午後の悲しみ』 PHP研究所(1979)

  • 『愛のコリーダ』 三一書房(1979)

  • 『女はみずうみ男は舟』 PHP研究所(1980)

  • 『マイ・コレクション』 PHP研究所(1981)

  • 『戦場のメリークリスマス』 思索社(1983)

  • 『理屈はいいこういう人間が愚かなんだ』 青春出版社(1993)

  • 大島渚1960』 青土社(1993)

  • 『自分も恋も大切に : 女の愛と仕事の相談事典』 マゼラン出版(1993)

  • 『女たち、もっと素敵に』 三笠書房(1994)

  • 『戦後50年映画100年』 風媒社(1995)

  • 『私が怒るわけ』 東京新聞出版局(1997)

  • 『ぼくの流儀』 淡交社(1999)

  • 『脳出血で倒れて「新しい自分」と出会う』青春出版社(2000.9)

  • 『癒されゆく日々』 日本放送出版協会(2000)

  • 大島渚』 日本図書センター(2001)



    主な出演テレビ番組


  • 「タモリのボキャブラ天国」シリーズ



    関連人物


  • 野坂昭如



    外部リンク


  • The Internet Movie Database: Nagisa Oshima

  • 日本映画データベース


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    2008年03月24日

    映画監督[是枝裕和]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    是枝裕和



    是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、1995年映画監督デビュー。現在までに5本の劇場映画を監督し、多くの国際映画祭に招待されるなど海外での評価が高い。若手監督のプロデュースや、CM作品・ミュージックビデオの演出も手がけている。現在国内外ともに最も高い評価を受ける日本の映画監督の一人である。主な作品として、映画『誰も知らない』『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』、TVドキュメンタリー『しかし… 福祉切り捨ての時代に』がある。書籍にノベライズ『小説ワンダフルライフ』、プロデュース作品として西川美和監督作品がある。『誰も知らない』ではカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞するなど、高い評価を受けた。



    監督作品
    !

  • 長編映画
    『幻の光』(1995)
    『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    『DISTANCE』(2001)
    『誰も知らない』(2004)
    『花よりもなほ』(2006)
    『歩いても 歩いても』(2008)*TVドキュメンタリー
    『しかし… 福祉切り捨ての時代に』(1991) フジテレビNONFIX
    『もう一つの教育』(1991) 同上
    『公害はどこへ行った…』(1991) 同上
    『日本人になりたかった…』(1992) 同上
    『侯孝賢とエドワード・ヤン』(1993) 同上
    『心象スケッチ それぞれの宮沢賢治』(1993) テレビ東京 ドキュメンタリー人間劇場
    『彼のいない八月が』(1994) フジテレビNONFIXスペシャル
    『記憶が失われた時』(1996) NHK
    『歩くような速さで』(2002) 日本テレビ
    『シリーズ憲法 〜第9条・戦争放棄「忘却」〜』(2006) フジテレビNONFIX*CM
    日産ニューセレナ『モノより思い出』シリーズ (1999-2003)
    サントリーなっちゃん『3年目のなっちゃん』
    ポッカ『じっくりコトコト煮込んだスープ』
    SONY ミュージック・オーディション・シリーズ (2001-2002)
    フジテレビ・キャンペーン 『きっかけはフジテレビ』(2002)
    SONY プレイステーション2『アークザラッド精霊の黄昏』(2003)
    ネスカフェ『朝のリレー 寝顔篇』(2004)
    ダイハツ ミラ・カスタム (2006)

  • 柳楽優弥とYOU (タレント)|YOUが親子役で再共演*ミュージック・ビデオ
    Cocco『水鏡』(2000) 『陽の照りながら雨の降る』(2006)
    タテタカコ『宝石』(2004)
    スネオヘアー『やさしいうた』(2007)



    プロデュース作品


  • 『カクト』(2003) 監督:伊勢谷友介

  • 『蛇イチゴ』(2003) 監督:西川美和

  • 扉の向こう 〜エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方〜』(2004) ディレクター:千切谷知子

  • 『ゆれる』(2006) 監督:西川美和



    書籍


  • しかし…?ある福祉高級官僚 死への軌跡』(1992) あけび書房

  • 官僚はなぜ死を選んだのか?現実と理想の間で』(2001) 日経ビジネス人文庫

  • 小説ワンダフルライフ』(1999) ハヤカワ文庫

  • DISTANCE 〜映画が作られるまで〜』(2001) スイッチパブリッシング

  • あの頃のこと?Every day as a child』(共著、2004) ソニーマガジンズ

  • 花よりもなほ』(2006) 角川書店



    受賞歴


  • 『幻の光』(1995)
    第52回ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞
    バンクーバー映画祭 グランプリ
    シカゴ映画祭 グランプリ*『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    ナント三大陸映画祭 グランプリ
    トリノ映画祭 最優秀脚本賞
    ブエノスアイレス映画祭 グランプリ・最優秀脚本賞
    サンセバスチャン映画祭 国際批評家連盟賞*『DISTANCE』(2001)
    カンヌ国際映画祭 コンペティション部門招待*『誰も知らない』(2004)
    カンヌ国際映画祭 最優秀男優賞
    フランダース国際映画祭 グランプリ
    シカゴ国際映画祭 金のプラーク賞
    第78回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン
    第47回ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞 作品賞 監督賞*『花よりもなほ』(2005)
    トロント国際映画祭招待
    サンセバスチャン映画祭 コンペティション部門招待
    釜山国際映画祭招待*ドキュメンタリー作品において、ギャラクシー賞やATP賞などを数多く受賞。



    関連項目


  • 西川美和

  • 伊勢谷友介

  • タテタカコ

  • 森達也

  • テレビマンユニオン

  • NONFIX

  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • KORE-EDA.com 公式サイト


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    2008年03月22日

    映画監督[快楽亭ブラック]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    快楽亭ブラック



    快楽亭 ブラック(かいらくてい ぶらっく)は、落語家の名跡。当代は2代目。



    実在の人物


  • 快楽亭ブラック_(初代) - 明治・大正に活躍した。オーストラリア生まれのイギリス人。白人。国籍もイギリス。プロ推理小説家・プロ催眠術師を兼ねる。故人。

  • 快楽亭ブラック_(2代目) - 昭和・平成に活動、現在も活動を続けている。日本人の母とアメリカ人の父のもとに生まれたハーフ。国籍は日本。元落語家、映画監督、俳優、映画評論家を兼ねる。



    架空の人物


  • 二代目快楽亭ブラック - 漫画「美味しんぼ」の美味しんぼの登場人物#山岡たちの知り合い|登場人物である。落語家。アメリカ人で、初代より命名された。本名はヘンリー・ジェームス・ブラック(初代の本名とほぼ同一だが、初代のミドルネームは「ジェイムズ」である)という設定。なお、実在の2代目が「快楽亭ブラック」を襲名する以前より、作品に登場している。



    備考

    漫画「美味しんぼ」の2代目快楽亭ブラックの登場や、ブラックと言う名前から勘違いされることもあるが、実在の2代目快楽亭ブラックは日本国籍を持っている日本人(実際は日本人とアメリカ人のハーフ)である。


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    2008年03月21日

    映画監督[庵野秀明]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    庵野秀明



    庵野 秀明(あんの ひであき、男性、1960年5月22日 - )は、日本の映画監督、アニメーター。山口県宇部市生まれ。山口県立宇部高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現?映像学科)放校処分。カラー (アニメ制作会社)|株式会社カラー代表取締役。血液型はA型。妻は漫画家、エッセイストの安野モヨコ。代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』等。『新世紀エヴァンゲリオン』は第18回日本SF大賞を受賞。



    作風

    人間のエゴや醜さを抉り出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出に定評がある。エキセントリックなアングルや逆光などのを多様した描写などが多い。意外な所からとる独特のトリッキーなカメラワークは「凝っている」「新鮮で面白い」と好評であるものの、一部で「目が回りそう」「複雑だ」と批判がある。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い(なぜこれらの物体であるかについては宮台真司が、世代的なものであると指摘している)。特に電柱・電線にはフェチと言えるほどこだわりがあるようで、自らの会社スタジオカラー|カラーのホームページにも使用している『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 公式ガイドブック』や『庵野秀明のフタリシバイ』などでも、その一端を垣間見せている。。彼の演出する作品には自らの好きな映画・アニメ・漫画などへのパロディ・オマージュが必ずと言っていいほど大量に盛り込まれている。特に永井豪や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。 (B
    これらについては本人がアニメオタク・特撮マニアであることと、「今の時代、本当のオリジナルなんてないんだ。」という考えに基づくものだと言われる。オリジナルの問題については本人が様々なところで語っており、一例として、新世紀エヴァンゲリオンのコミック1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「僕のようなアニメや漫画をばかり見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる」というような旨の発言が挙げられる。
    また、彼の作品では往年の名曲のカバーが用いられる事が多い(フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン、あの素晴しい愛をもう一度、夢の中へ、等)。 
    ''作風については来歴の項目も参照のこと。''



    来歴




    [ 学生時代 ]

    幼い頃よりアニメや特撮そして大規模建造物等に夢中で、よく絵を描いていたという。山口県立宇部高等学校|高校時代は美術部で部長を務めていた為に画力は高く、「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に寮で知り合う山賀博之が語っている。高校在学時には「グループSHADO」おそらくは『謎の円盤UFO』における地球防衛組織SHADO(『エヴァンゲリオン』におけるNERVのモデル)から名前をとったものと思われる。詳細は『パラノ・エヴァンゲリオン』P50より。というアマチュア映像製作グループにも所属。高校卒業後は就職せず遊んでばかりいたので親に心配され一浪後、当時は学科試験の無かった大阪芸術大学に入学。実技試験については、宮崎駿等の絵コンテ等を見て勉強したという『パラノ・エヴァンゲリオン』P34より。。入学当初、班作りの際に山賀博之、赤井孝美らとグループを作る。当時同級生であった漫画家の島本和彦の証言によると、班が作れずに死にそうな顔をしていた庵野を見かけ、声をかけようと思ったが遠かったという理由でやめている(後に島本とは交流を\xA1 ;}$D$h$&$K$J$j!"%G%S%e!<;~$K%5%$%s$r$b$i$C$F$$$k!K!#F1$83X2J$NF14|$K$OFn2mI'!"@>?9>O|西森明良などの同業者、『エヴァンゲリオン』の碇シンジの名前の元となった広告デザイナーの碇義彦らが在籍していた。漫画家の士郎正宗も同期であったが面識・交流の有無は不明。在学中からアルバイトとしてアニメーターをしており、二年次に誘われた自主制作アニメに熱中、共同実習にしか出ず出席率も悪く、学費も全く払っていなかったため三年次に放校処分を受ける(サークルはSF研究会に所属)。その後、大阪で開かれたSF大会では、山賀等と自主製作映画グループ「DAICON FILM」の主要メンバーとして、大会としては異例のオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作、プロをも驚かせ高い評価を受けた。24歳で大学を放校処分になるが、この時はすでに『風の谷のナウシカ』への参加が決まっていた。


    [ アニメーター時代 ]

    『超時空要塞マクロス』、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』等の商業作品に参加、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。この系統のシーンはファンの間で「庵野爆発」という愛称で親しまれている。特に「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加している『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のクライマックスは圧巻で、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画まで殆どを一人でこなした。セルを一コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。劇場アニメ『風の谷のナウシカ』では、人手不足の為にアニメーターとしては素人同然であったが原画として採用される。担当した、巨神兵の登場するシーンは高く評価された。ただし、庵野本人は中割枚数などを挙げて「動きが速い、あれは失敗だった」と公言していて、あまりに不満があったのか、監督に黙って勝手にタイムシートを書き換え、そのまま動画に回したという2007年5月4日『僕らの音楽』(フジテレビ)。。同作のパンフレットでは「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」としてエピァ =!<%I$,>R2p$5$l$F$$$k!#0CLn$O!XD6;~6uMW:I%^%/%m%9!Y$NHDLn0lO:$H6&$K!XIw$NC+$N%J%&%7%+!Y5\:j=Y$r;U$H$7$F6D$$$G$$$k!#$^$?!"!X5!F0@o;N%,%s%@%`!Y$NIYLnM3M*5($i$r4^$a!"H`Ey%"%K%a!<%7%g%s3&$rBeI=$9$k:n2H$N;E;v$K;22C$G$-$?$3$H$r$H$F$b%i%C%-!<$@$C$?$H8l$C$F$*$j!"FC$K5\:j$+$i$O4FFD$H$7$F$N;E;v$N?J$aJ}Ey$r3X$s$@$H$$$&『パラノ・エヴァンゲリオン』P66より。。一方で宮崎とは対立した時期もあり、庵野が宮崎監督作品を「つまらない映画」と評し、宮崎も『エヴァンゲリオン』を「いらないアニメ」と酷評することもあった。しかし宮崎は『エヴァンゲリオン』放送終了後、心配して庵野に電話をかけ和解したという。人物を描くのが苦手であった事などから(監督から巨神兵のシーンでは人物も描くよう指示されるも、あまりに出来が悪かったので監督本人に頼んだという逸話がある『パラノ・エヴァンゲリオン』P63より。)、この頃から原画動画関係を一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。このすぐ後に創立されたアニメーション制作会社ガイナックスを支ぁ ($??MJ*$G$"$k!#


    ! [ 『\xBF 7@$5*%(%t%!%s%2%j%*%s!Y0J9_$N3hF0 ]

    『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面に進出するが、その後のアニメの仕事においていわゆる「実写畑」の声優を起用する事が多くなる。これは「声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作る事にしたとインタビューに答えている庵野秀明のフタリシバイ』(徳間書店)を参照のこと。。2002年3月26日に漫画家の安野モヨコと結婚。仲人は宮崎駿であった。二人が出合うきっかけは貞本義行による紹介である。庵野自身は彼女の『ハッピーマニア』等を読んでおり、高評していた。偶然ではあるが、安野モヨコのペンネームの苗字も「あんの」であるため、「Wアンノ」と話題になった。結婚生活は安野モヨコの漫画作品『監督不行届』で描写されている。2006年に、自身のアニメ制作会社カラー (アニメ制作会社)|カラーを創設し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役からは退いた。ただし、ガイナックスと絶縁したわけぁ G$O$J$$!JB>


    人物




    [ 菜食主義 ]

    ヴェジタリアン|菜食主義者で、肉を食べない事で知られる。その影響からか、彼の作品『ふしぎの海のナディア』のナディアや、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイは菜食主義者である。また『新世紀エヴァンゲリオン』中の肉食を強烈に感じさせるシーンも、肉食へのコンプレックスという見方をする者が多い。他にもキノコなどといった菌類も「バイキンだから」という理由で食べない。『ふしぎの海のナディア』第25話で主人公ジャンがキノコを食べて幻覚を見るシーンがあるが、これは当初ナディアが食べるはずであったのだが監督の樋口真嗣がナディアのモデルである庵野に「キノコを食べます?」と聞いたところ「いや、ぼくは食べないよ」と答えたたために、ジャンにお鉢が周ったという。しかし、『監督不行届』『スキゾ・エヴァンゲリオン』などで描写されている食生活を見ると、菜食主義者というよりは偏食による肉嫌いの印象が強い。本人によると、自分が肉を食べているということを意識することが嫌いなのであり、ただ単に肉の味がついたものは大丈夫らしい(例として、サッポロポテトのバーベキュー味は好物)。ハムサンドからハムだけを\xA1 H4$$$F?)$Y$?$H$$$&%(%T%=!<%I$b$"$k『スキゾ・エヴァンゲリオン』より。。本人は『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「菜食主義な訳ではなく、唯一食べられるのが野菜だけなのだ」という言い方をしている。


    [ 性格 ]

    監督デビュー作品『トップをねらえ!』を手がけていた時期は、非常に短気な性格で、背景のリテイクを「そんな時間ない」と断られて怒った庵野が「畜生、畜生!」と泣きながらロッカーを壊れるまで蹴飛ばし、壁を殴って穴を開けたという逸話も残っている(結局、「泣く奴にはかなわん」と渋々美術監督が了承し一晩かけてリテイクした)『スキゾ・エヴァンゲリオン』P134より。。『ふしぎの海のナディア』制作時は所謂島編の時に韓国の制作会社に作画を依頼していたがその出来が悪く激怒する(LD発売時に主要スタッフが自腹を切って作り直した回と、薩川昭夫と共にでっち上げた総集編の回がある)。『彼氏彼女の事情』制作時は、テレビ局との軋轢から監督降板なども経験(一時期クレジットされなかっただけという説もある)。しかし結婚後は「穏やかになった」らしい本人の公式サイトの『個人履歴』より。。『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』に出演していた声優の日高のり子が担当していたラジオ番組『はいぱぁナイト|はいぱぁナイト金曜』に度々ゲスト出演しては\xA1 FG@e$rEG$-$^$/$C$F$$$?!#
    『ナディア』出演時の日高のり子によると「あんなに人からコケにされたのは生まれて初めて」だったらしい。また、『ナディア』のCDで日高の筆記インタビューの「苦手なもの」の項目の所に、勝手に「難しい漢字が読めない」と付け加えていた。口癖が「そ、そ」なのと空母マニアな事から日高から「空母そそそそ」と言うアダ名を付けられる。『ふしぎの海のナディア』のボーカルコレクションで作詞した際にその名義を使用。また『ふしぎの海のナディア』第34話の作画監督の名義としても使用した。ちなみに本人は空母マニアではなく、戦艦マニアだと主張。


    [ アニメ・特撮マニア ]

    アニメ『機動戦士ガンダム』『美少女戦士セーラームーン』や特撮物のマニアでもある事はよく知られている。アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に関しては、作品への愛溢れる余り『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版するほど。この本にはゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫らの豪華メンバーが参加しており、庵野と押井守、そして富野由悠季らとの対談が収録されている。同作中には、直後の『新世紀エヴァンゲリオン』にも繋がる庵野の思いがそこかしこにあふれており、庵野秀明を深く知るためのテキストとしても重要な一冊である。また、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』もお気に入りの作品らしく、しばらくは会う人たちに「布教活動」を行っていたという。同作品の公式HPにもファンのひとりとして登場し、『機動戦士ガンダム』に対する愛情を語っている。『美少女戦士セーラームーン』についても熱心なファンで、当時、同作のテレビシリーズのエフェクトアニメの原画を手伝い程度ながら手がけたり、同作の同人誌を収集ぁ 7$F$$$?!#$^$?!"<+:n$N!X?7@$5*%(%t%!%s%2%j%*%s!Y$N=EMW?MJ*$N@ また最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げている。それ以外にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いのテレビ東京関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという『東京12チャンネルの挑戦』(金子明雄著、三一書房)p141より。。妻である安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったらしい。


    [ その他 ]

    エヴァブーム当時、インターネット上のチャット通信において巻き起こったエヴァ論争について、「便所の落書き」と批判1996年〜97年頃の発言。『スキゾ・エヴァンゲリオン』、『パラノ・エヴァンゲリオン』などを参照。、パソコン通信にはまる人たちに現実に帰れと諭した「ニュータイプ」1996年6月号のインタビューより。「アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ」と語る一方、アニメ界での作品は良作と評されることが多く、海外でも大きな評価を得ているが、実写作品では監督としてアニメ作品ほどの評価は得ていない。『ふしぎの海のナディア』以降アニメ、実写ともに摩砂雪が常にスタッフとして関わっており、庵野監督の女房役として支えている。2005年、日産自動車のTouch Your NISSANキャンペーンのCMに出演したときは普段のファッションに無頓着すぎる庵野とは思えないオシャレぶりを見せ、関係者、知人、ファン共々から反響があった。外出時のファッションに関しては、結婚を境に様変わりしたことは有名。理由については「妻が僕の為に恥\xA1 $r$+$/$H$$$1$J$$$+$i!W$H!"%$%Y%s%H$G6&1i$7$?NS86$a$0$_$K8l$C$?$H$$$&ラジオ番組より。。「○○に勝てるのは△△だけ」や「○○まさに△△」という言い回しを各種作品(『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など)にて多用する傾向にある。大地丙太郎と交流があり、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を公開すると同時に大地監督の短編映画を同時上映した。以降の庵野作品で大地の作品、演出方法へのオマージュが随所に見られるようになる(『彼氏彼女の事情』、『キューティーハニー』等)。アニメ的なキャラクターを描くのが苦手と言われており、実際に『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野のコンテやラフデザインなどでは、人物がかなりいい加減に描かれているのが散見されている(ただ、ゼネプロのパンフレットには庵野の作画と見られる女の子が描かれており、全く描けない訳ではないと考えられる)。



    略歴


  • 1960年 5月22日山口県宇部市生まれ。

  • 1980年 私立大阪芸術大学入学。

  • 1983年 大学除籍。『風の谷のナウシカ』の原画に採用され上京。

  • 1984年 株式会社ガイナックスの設立に参加。

  • 1998年 映画『ラブ&ポップ』で実写初監督。

  • 1999年 TVアニメ『彼氏彼女の事情』とメイキングビデオ『GAMERA 1999』の監督を同時に引き受ける。小惑星『庵野秀明 (小惑星)|庵野秀明』が命名される。

  • 2002年 漫画家安野モヨコと結婚。

  • 2006年 カラー (アニメ制作会社)を設立。



    作品リスト




    [監督作品]


  • 『トップをねらえ!』(OVA)

  • 『ふしぎの海のナディア』(テレビアニメ・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビアニメ)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』(映画・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』(映画・総監督)

  • 『ラブ&ポップ』(実写映画)

  • 『GAMERA1999』(メイキング・総監督)

  • 『GAMERA1999+』(メイキング・総監督)

  • 『彼氏彼女の事情』(テレビアニメ)

  • 『式日』(実写映画)

  • 『しりあがり寿|流星課長』(実写)

  • 『スタジオジブリ|空想の機械達の中の破壊の発明』(短編アニメ)

  • 『キューティーハニー』(実写映画)

  • 『』(OVA・総監督)

  • 『ストリングス〜愛と絆の旅路』(人形映画日本語版)

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(映画・総監督)
    前編『』(2007年9月1日公開)
    中編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2008年公開予定)
    後編+完結編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:急』+『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:?』(公開日未定)


    [その他のアニメ作品]




    [劇場アニメ]


  • 『風の谷のナウシカ』(原画)

  • 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(原画)

  • 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(作画監督、スペシャルエフェクトアーティスト、原画)

  • 『火垂るの墓』(原画)

  • 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(メカデザイン)


    [テレビアニメ]


  • 『超時空要塞マクロス』(原画)

  • 『まほろまてぃっく』(OPアニメーション絵コンテ)

  • 『おるちゅばんエビちゅ』(企画)

  • 『アベノ橋魔法☆商店街』(原画、メカ作監、最終話画コンテ、声)

  • 『シュガシュガルーン』(OP・EDアニメーション画コンテ、演出)


    [OVA]
    *『装甲巨神Zナイト』(原画)

  • 『メガゾーン23』(原画)

  • 『くりいむレモン|くりいむレモン PART.4 POPCHASER』(原画)

  • 『真魔人伝 バトルロイヤルハイスクール』(作画監督補佐)

  • 『メタルスキンパニック MADOX-01』(OP原画)

  • 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(アバンタイトル)

  • 『マクロスプラス』(原画)

  • 『フリクリ』(監修、原画、友情メカ作監)

  • 『トップをねらえ2!』(監修、絵コンテ、原画)



    出演作品


  • 『ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』(竜王役 1988年、制作スタッフとしてエフェクトアニメ演出も担当)

  • 『あぶない刑事|あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE』(怪しい男役 1998年、成田裕介監督)

  • 『茶の味』(監督役 2003年、石井克人監督作品)

  • 『恋の門』(旅館経営者夫婦役カメオ・妻役は安野モヨコ 2004年、松尾スズキ監督作品)劇中アニメ『不可思議実験体ギバレンガー』メカニックデザイン&演出も担当

  • 日産自動車 Touch Your NISSAN キャンペーンCM(2005年)

  • 『トゥルーラブ』(西村圭介役 2006年、フジテレビジョン|フジテレビP&Gパンテーンドラマスペシャル)

  • 『ナイスの森〜The First Contact〜』(原画マン ハスダ役 2006年、石井克人、三木俊一郎、ANIKI監督作品)

  • 『日本沈没』(山城教授の娘婿役 2006年、制作スタッフとしてメカデザインも担当)

  • 『キャッチボール屋』(先代キャッチボール屋役 2006年、大崎章 第一回監督作品)

  • 『さくらん』(玉菊屋の客役 2007年、原作・安野モヨコ 蜷川実花監督作品)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(松原医師役 2007年、松尾スズキ監督作品)


    [ 登場作品 ]


  • 『アオイホノオ』(島本和彦作、小学館)
    庵野をモデルとしたキャラクター「大阪芸術大学|大作家芸術大学学生で後のエヴァンゲリオン監督となる庵野秀明」が登場



    受賞歴


  • 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞

  • アニメーション神戸96’(第一回アニメーション神戸) 個人賞

  • 第20回ヨコハマ映画祭 新人監督賞(『ラブ&ポップ』)



    脚注





    関連項目


  • ゼネラルプロダクツ

  • ガイナックス

  • カラー (アニメ制作会社)

  • DAICON FILM

  • ハッピー興行新社(庵野秀明が主宰する同人サークル)
    『愛國戰隊大日本』(特撮操演・ナレーター)
    『帰ってきたウルトラマン#後年への影響|帰ってきたウルトラマン』(監督・出演)

  • 西村知美(中学校の後輩)

  • 蒼きウル

  • 庵野秀明 (小惑星)

  • 轟木一騎(助手)詳しい情報は公式サイトの仕事履歴を参照のこと。



    外部リンク


  • 株式会社カラー庵野秀明が代表取締役を務める制作会社)

  • 早稲田大学人物研究会・庵野秀明会見録

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    2008年03月20日

    映画監督[周防正行]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    周防正行



    周防 正行(すお まさゆき、1956年10月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家。アルタミラピクチャーズ専務、
    太田出版監査役。東京都出身。立教大学文学部フランス文学科卒業。妻は、バレリーナで女優の草刈民代。



    来歴・人物

    立教大学在学中に蓮實重彦の映画論の講義に出席し大きな影響を受ける。また、自身は参加していなかったものの、同大学の映画製作サークルであるパロディアス・ユニティーのメンバーだった黒沢清、万田邦敏等と親交を持った。大学卒業後、映画製作を目指し『神田川淫乱戦争』(黒沢清監督・1983年)等のピンク映画の助監督を務めた後に、1984年に『変態家族 兄貴の嫁さん』で監督デビュー(この作品は、台本上の原題は『お嫁さん日和』というタイトルだった)。全編小津安二郎の映画の引用と参照で埋められたこの作品は、小津安二郎を心から愛する周防正行が、その愛しているものを一度はそっくりそのままマネしたいと思って制作したもので、安直なオマージュやらパロディーではない。周防自身、一度だけの挑戦と心に決めていたと明言しており、事実、その後の周防の作品には小津の赤裸様なかつ直接的な影響も作家主義的な色合いもなく、コメディーとエンターテイメントに徹した作品を作り続けている。1987年には伊丹十三監督のヒット作『マルサの女』の撮影現場を追ぁ C$?%*%j%8%J%k%a%$%-%s%0%S%G%*!X%^%k%5$N=w$r%^%k%5$9$k!Y!"Mb1988年には『マルサの女2をマルサする』の演出・構成を担当。2作目では一部撮影も行っている。1989年、修行僧達の日常と青春を描いた『ファンシイダンス』で注目を浴び、高い評価を得た後、1991年に大学の弱小相撲部を舞台にした『シコふんじゃった。』を製作。そして1996年に『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞の監督賞と脚本賞を受賞。その後、自らフィルムを抱えアメリカに渡り、長期間かけて全米各地区を巡って地道な映写活動を行い商業的な成功を収め、ピーター・チェルソム監督によるリメイク(『Shall We Dance』・2004年)が制作されるに至っている。またこの時、『Shall we ダンス?』の全米における配給を担当した米ミラマックスとの間で、以後の映画制作に関するファーストルック契約を結んでいるが、現在は既に失効している模様である。長いブランク(映画に関して。映画以外の表現活動については、この間もコンスタントに活動している)があったが、痴漢冤罪に興味を持ち、日本の警察・司法に対し疑問を邸 j$2$+$1$?!X$=$l$G$b%\%/$O$d$C$F$J$$!Y$,2007年1月 B20日 $K8x3+$5$l$?!#



    姓(周防)に関して

    姓の呼び方は、元々「すお」であったが、「すおう」と呼ばれる為に公式にも周防は「すおう」としていた。だが本来は「すお」であるため、近年公式にも「すお」に正式に変えている(『久米宏 ラジオなんですけど』より)。「すお」とは、母親が教えてくれたそうであるが、親戚は「すおう」と称していると語っている(『めざましテレビ』より)。



    監督作品


  • 変態家族 兄貴の嫁さん(1984年)

  • マルサの女をマルサする(1987年)

  • マルサの女をマルサする2(1988年)

  • ファンシイダンス(1989年)

  • シコふんじゃった。(1991年)

  • Shall we ダンス?(1996年)

  • それでもボクはやってない(2007年)



    著書




    [小説]


  • シコふんじゃった。(太田出版、1991年)

  • Shall we ダンス?(幻冬舎、1996年)



    [エッセイ]


  • 『Shall weダンス?』アメリカを行く(太田出版、1998年)

  • スタジアムへ行こう! - 周防正行のスポーツ観戦記(角川書店、2000年)

  • インド待ち(集英社、2001年)

  • アメリカ人が作った「Shall we dance?」(太田出版、2005年)


    [対談・インタビュー]


  • 古田式(太田出版、2001年、古田敦也との共著)

  • ファンの皆様おめでとうございます(大巧社、2002年、若松勉との共著)

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    2008年03月18日

    映画監督[石井隆]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    石井隆



    石井 隆(いしい たかし、1946年7月11日 - )は、日本の漫画家、脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身。早稲田大学商学部卒業。劇画漫画家としてデビュー。自作『天使のはらわた』が大ヒットし、日活にてシリーズ映画化される。シリーズ第2作目にて自ら脚本を手がけることとなり、脚本家としてもデビューする。数々の劇画原作・脚本を手がけ、『天使のはらわた 赤い眩暈』で監督としてもデビューする。



    作品

    監督作品

  • 天使のはらわた 赤い眩暈 (1988年)

  • 月下の蘭 (1991年)

  • 死んでもいい (映画)|死んでもいい (1992年)

  • ヌードの夜 (1993年)

  • 夜がまた来る (1994年)

  • 天使のはらわた 赤い閃光 (1994年)

  • GONIN (1995年)

  • GONIN2 (1996年)

  • 黒の天使 Vol.1 (1998年)

  • 黒の天使 Vol.2 (1999年)

  • フリーズ・ミー (2000年)

  • TOKYO G.P. (2001年)

  • 花と蛇 (2004年)

  • 花と蛇2 パリ / 静子 (2005年)

  • 人が人を愛することのどうしようもなさ (2007年)漫画

  • 名美

  • 黒の天使

  • 『天使のはらわた』(ヤングコミックス)

  • 『ガッデム!!』


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    2008年03月17日

    映画監督[松尾スズキ]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    松尾スズキ



    松尾 スズキ(まつお すずき、本名松尾 勝幸、1962年12月15日- )は、日本の俳優、演出家、脚本家、コラムニスト。福岡県北九州市八幡西区生まれ。八幡大学附属高等学校(現・九州国際大学付属高等学校)、九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。劇団『大人計画』主宰。愛猫は「オロチ(雌)」大学卒業後は広告会社でサラリーマンをしていたが、会社全体のやる気の無さなどから一年で挫折。その後、80年代後半に劇団を設立する。『ファンキー!宇宙は見える所までしかない』で第41回岸田國士戯曲賞受賞。2004年公開の監督デビュー映画『恋の門』はヴェネチア国際映画祭に出品された。漫画原作者としても著名。特に漫画家、河井克夫との活動は名義を「チーム紅卍」としている。最近では山本直樹の漫画原作などもした。2006年1月、小説『クワイエットルームにようこそ』が第134回芥川龍之介賞の候補になった。



    出演作品

  • 世にも奇妙な物語「行列」(1991年、フジテレビ)

  • 愛の新世界

  • チキン・ハート

  • 殺し屋1

  • ピンポン (漫画)|ピンポン

  • いま、会いにゆきます

  • 真夜中の弥次さん喜多さん ヒゲのおいらん役 (2005年)

  • イン・ザ・プール 伊良部一郎役 (2005年)

  • フリクリ(声優)

  • マンハッタンラブストーリー土井垣役 (2003年)

  • 日本の裸族

  • 恋する幼虫

  • キューティーハニー(実写版)

  • サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜

  • 世界の終わりという名の雑貨店

  • 突入せよ! あさま山荘事件(2002年)

  • ユメ十夜 第一夜(夏目漱石)

  • 世界ウルルン滞在記ルネサンス(ナレーター)

  • 図鑑に載ってない虫 三木聡監督作品 エンドー役 (2007年)

  • 自虐の詩  堤幸彦監督作品 中年男役  (2007年)


    [CM]


  • コニカミノルタ



    作品




    [ 舞台 ]


  • 絶妙な関係(1988年・作・演出・出演)

  • 手塚治虫の生涯(1988年・作・演出・出演)

  • マイアミにかかる月(1989年・作・演出・出演)

  • 嫌な子供(1989年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係?(1989年・作・演出・出演)

  • ゲームの達人(1990年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱[鼻始め](1990年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係 Live at秘宝館(1990年・作・演出・出演)

  • 猿ヲ放ツ(1991年・作・演出・出演)

  • 溶解ロケンロール(1991年・作・演出・出演)

  • サエキナイト〜ムーディを探せ〜(1991年・作・演出・出演)

  • やられたい男(1992年・作・演出)

  • 冬の皮(1992年・作・演出・出演)

  • インスタントジャパニーズ(1992年・演出・出演)

  • セックスキングダム(1993年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱(1993年・演出・出演)

  • ゲームの達人(再演)(1993年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(1994年・作・演出・出演)

  • 嘘は罪(1994年・作・演出・出演)

  • カウントダウン(1995年・作・演出・出演)

  • ちょん切りたい(1995年・作・演出・出演)

  • ファンキー!(1996年・作・演出・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(日本総合悲劇協会・1996年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(再演)(1997年・作・演出・出演)

  • 生きてるし死んでるし(1997-1998年・作・演出・出演)

  • ニッキー・イズ・セックスハンター(ウーマンリブ・1998年・出演)

  • ヘブンズサイン(1998年・作・演出・出演)

  • ふくすけ(日本総合悲劇協会・1998年・作・演出・出演)

  • 母を逃がす (1999年・作・演出・出演)

  • キレイ(2000年・作・演出・出演)

  • エロスの果て(2001年・作・演出・出演)

  • マシーン日記(スズキビリーバーズ・2001年・作・演出・出演)

  • 春子ブックセンター (2002年・出演)

  • 業音(日本総合悲劇協会・2002年・作・演出・出演)

  • ニンゲン御破産 (2003年・作・演出・出演)

  • 熊沢パンキース03(2003年・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(再演)(日本総合悲劇協会・2004年・作・演出・出演)

  • イケニエの人 (2004年・作・演出・出演)

  • キレイ(再演)(2005年・作・演出・出演)

  • まとまったお金の唄 (2006年・作・演出・出演)

  • ウーマンリブ先生 (2006年・出演)

  • ドブの輝き (2007年・作・演出・出演)

  • キャバレー (2007年・演出)


    [ 映画 ]


  • 恋の門 (監督・脚本)

  • ユメ十夜 第六夜 (監督・脚本)

  • 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (脚本)

  • クワイエットルームにようこそ (監督・脚本)


    [ 著書 ]


  • 『大人失格』(1995年・マガジンハウス)

  • 『ファンキー! 宇宙は見える所までしかない』(1997年・白水社)

  • 『ヘブンズサイン』(1998年・白水社)

  • 『第三の役たたず』(1999年・情報センター出版局)

  • 『この日本人に学びたい』(1999年・ロッキング・オン)

  • 『ぬるーい地獄の歩き方』(1999年・演劇ぶっく社)

  • 『キレイ 神様と待ち合わせした女』(2000年・白水社)

  • 『永遠の10分遅刻』(2001年・ロッキング・オン)

  • 『母を逃がす』(2001年・白水社)

  • 『これぞ日本の日本人』(2001年・ぴあ)

  • 『マシーン日記 悪霊』(2001年・白水社)

  • 『エロスの果て』(2002年・白水社)

  • 『ふくすけ』(2002年・白水社)

  • 『同姓同名小説』(2002年・ロッキング・オン)

  • 『ニンゲン御破産』(2003年・白水社)

  • 『寝言サイズの断末魔』(2003年・扶桑社)

  • 『撮られた暁の女 松活妄想撮影所』(2003年・扶桑社)

  • 『実況生中年 』(2004年・扶桑社)

  • 『ドライブインカリフォルニア』(2004年・白水社)

  • 『宗教が往く』(2004年・マガジンハウス)

  • 『恋の門 フィルムブック』(2004年・マガジンハウス)

  • 『スズキが覗いた芸能界』(2004年・太田出版)

  • 『監督ちゃん 松尾スズキの映画『恋の門』制作日記』(2004年・ロッキング・オン)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(2005年・文藝春秋)

  • 『厄年の街』(2006年・扶桑社)

  • 『まとまったお金の唄』(2006年・白水社)

  • 『12歳の大人計画 課外授業ようこそ先輩』(2006年・文芸春秋)

  • 『ザ・シナリオ東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 』(2007年・扶桑社)

  • 『東京物欲道場』(2007年・ソニーマガジンズ)



    関連項目


  • 福岡県出身の人物一覧



    外部リンク


  • 松尾ヶ原(公式)

  • 大人計画


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    2008年03月16日

    映画監督[水野晴郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎 (みずの はるお, 1931年7月19日 - ) は、映画評論家、映画監督、倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。本名は水野和夫。マイク・ミズノ (Mike Mizuno) の愛称でも知られている。




    経歴




    [生い立ち]

    1931年、岡山県高梁市に生まれた水野は満州で育ち、戦後岡山に引き揚げ、慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で、紙幣さばきの名人と称されていた。


    [映画界に]

    1956年に、20世紀フォックス映画に入社し映画界に。その後日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (アルバム)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの歴史に残る邦題を考案したのも彼であるとされる。独立後は日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(当初は『水曜ロードショー』)の解説を担当。名文句?いやぁ〜、映画って本当にいいもんですねぇ?とともに、お茶の間の人気を集める。映画評論の仕事以外にも海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。


    [ ?シベ超」]

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、?シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    警察マニアの一面

    水野は警察マニアとしても有名で、アメリカ合衆国|アメリカで保安官補佐の資格をとったり、パトカーの音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。現在でも日本各地の警察、警察大学、警察学校で講演しているという。 また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されている。在の日本のパトカーのパトランプの形は、水野が提案したものが採用されている。



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    関連事項


  • 西田和昭

  • ナンシー関



    外部リンク


  • 水野晴郎ドットコム (公式サイト)

  • 水野晴郎研究室 (倉敷芸術科学大学)

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    2008年03月15日

    映画監督[崔洋一]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    崔洋一



    崔 洋一(さい よういち、チェ・ヤンイル、???、男性、1949年7月6日- )は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。日本映画監督協会理事長、宝塚造形芸術大学教授でもある。韓国籍。



    来歴・人物

    1949年7月6日、長野県佐久市に生まれる。1968年、東京朝鮮中高級学校を卒業。東京綜合写真専門学校中退後、照明助手として映画界に入り、小道具を経てまもなく演出部に転向、1976年、『愛のコリーダ』(監督大島渚、主演藤竜也)、1978年、『最も危険な遊戯』(監督村川透、主演松田優作)の助監督 (映画)|チーフ助監督を務める。1981年、テレビ映画『プロハンター』(主演草刈正雄、藤竜也)で監督デビュー。同作のプロデューサーであった日本テレビ放送網|日本テレビの山口剛、セントラルアーツの黒澤満のプロデュースのもと、「火曜サスペンス劇場」を2作撮り、満を持して1983年、『十階のモスキート』(主演内田裕也)でスクリーンに本格的にデビューする。同作はヴェネツィア国際映画祭にも出品され、1984年、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。1993年、日本衛星放送(現WOWOW)のプロデューサー仙頭武則が立ち上げた「J・MOVIE・WARS」シリーズでのテレビ映画『月はどっちに出ている#ドラマ|J・MOVIE・ (BWARS 月はどっちに出ている』(主演石橋凌)にひきつづき、シネカノンの李鳳宇のプロデュースのもとに手がけた『月はどっちに出ている』(主演岸谷五朗)で報知映画賞、ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞、毎日映画コンクールほかの各賞、各部門賞受賞のほか、第17回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞にノミネートされる。文藝春秋 (出版社)|文藝春秋社のマルコポーロ1993年9月号にて「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」などとした発言に対し一部在日コリアンから「誤解を招く」と非難の声が上がる1996年には大韓民国|韓国の延世大学に留学、同国の映画人たちとの交流をはかる。1999年、映画『豚の報い』(主演小澤征悦)で第52回ロカルノ国際映画祭ロカルノ国際映画祭#金豹賞|金豹賞にノミネートされ、ドンキホーテ賞(国際シネクラブ賞)を受賞したAwards for Yoichi Saiによれば「ドンキホーテ賞 ''Don Quixo! te Award''」、日本映画監督協会 - 理事長の「プロフィール」には「国際シネクラブ賞」とあるので併記した。。また自作のWOWOW版『月はどっちに出ている』に「タクシー会社の課長」役で出演以来、俳優としての活動も頻繁になり、ついに同年、俳優として『御法度 (映画)|御法度』(監督大島渚)に近藤勇役で出演、翌2000年の第53回カンヌ国際映画祭の地を大島監督、ビートたけし、松田龍平とともに踏んだ。2005年、ビートたけし主演の映画『血と骨』(2004年)で第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞。また同年、かつてTBSテレビの「男と女のミステリー」で手がけた大沢在昌原作の『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(主演山崎努、1989年)以来、ひさびさに「大沢在昌#アルバイト探偵シリーズ|アルバイト探偵シリーズ」(『帰ってきたアルバイト探偵』)を原作に、WOWOWの「ドラマW」で『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(主演椎名桔平)を演出した。2006年、初の韓国資本の映画『\xA1 Th (映画)|壽』(主演チ・ジニ)の撮影を開始し、2007年3月22日韓国国内で公開、同年ドイツの「ミュンヘン・アジアフィルムフェスト」で上映された。2008年1月25日にはドイツで早くもDVDが発売される予定であり、2008年夏、日本でも公開の予定である。近年は日本テレビ放送網の『午後は○○おもいッきりテレビ』やテレビ朝日の『ビートたけしのTVタックル』などにコメンテーターとして出演することも多く、辛口コメントで有名。『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ)では国鉄から鉄の資材を盗んで売っていたと告白したが謝罪はなかった。2004年、日本映画監督協会第8代理事長に就任、2007年4月、宝塚造形芸術大学教授に就任。2007年秋、白土三平原作、宮藤官九郎脚本、松山ケンイチ主演による映画『カムイ外伝』の撮影を開始、2009年公開の予定である。



    フィルモグラフィ




    [ 助監督 ]


  • 1975年 ブラザー劇場『刑事くん』(第3部、テレビ映画、東映・東京放送|TBS)

  • 1975年 『新宿警察 (テレビドラマ)|新宿警察』(テレビ映画、東映・フジテレビジョン|フジテレビ)

  • 1975年 『告発 在日韓国人政治犯レポート』 監督岡本愛彦(統一社プロ)

  • 1976年 『愛のコリーダ』 監督大島渚(大島渚プロダクション、アルゴス・フィルム)

  • 1977年 『北村透谷 わが冬の歌』 監督山口清一郎(三映社、日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 1978年 『皮ジャン反抗族』 監督長谷部安春(東映セントラルフィルム、東映ビデオ|東映芸能ビデオ)

  • 1978年 『殺人遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1978年 『最も危険な遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『俺達に墓はない』 監督澤田幸弘(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『さらば映画の友よ インディアンサマー』 監督原田眞人(キティ・フィルム|キティ・フィルム・コーポレーション)

  • 1979年 『探偵物語』(テレビ映画、東映芸能ビデオ・日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 1980年 『戒厳令の夜』 監督山下耕作(白夜プロダクション)

  • 1980年 『不良少年』 監督後藤幸一(東映)


    [ 監督 ]

    ・1980年代

  • 1981年 『プロハンター』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)
    第15話 『狙われた罠』
    第16話 『悪い女』
    第25話 『ロング・グッドバイ』(最終回)

  • 1982年 火曜サスペンス劇場『孤独な狩人』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 火曜サスペンス劇場『恐怖』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 『十階のモスキート』(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • 1983年 『性的犯罪』(日活|にっかつ)

  • 1983年 土曜ワイド劇場『松本清張の断線』(テレビ映画、東映・テレビ朝日)

  • 1984年 『いつか誰かが殺される』(東映、角川映画#角川春樹時代|角川春樹事務所)

  • 1985年 『友よ、静かに瞑れ』(角川春樹事務所)

  • 1985年 『特命刑事ザ・コップ』(テレビ映画、テレキャスト・朝日放送)
    第5話 『死刑の街に罠をはれ!』
    第6話 『ため死い旅をとめろ!』「特命刑事ザ・コップ」放送リストを参照。 

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『亜樹子・哀しみ色の罠』(テレビ映画、テレパック・TBS)

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『恋物語』(テレビ映画、角川春樹事務所・TBS)

  • 1987年 『黒いドレスの女』(角川春樹事務所)

  • 1987年 火曜サスペンス劇場『あなたに似た人』(テレビ映画、ヴァンフィル・日本テレビ)

  • 1988年 『花のあすか組!』(角川春樹事務所)

  • 1988年 乱歩賞作家サスペンス『罠の中の七面鳥』(テレビ映画、東映・関西テレビ放送|関西テレビ)

  • 1989年 『Aサインデイズ』(大映 (映画)|大映)

  • 1989年 男と女のミステリー『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(テレビ映画、TBS);1990年代

  • 1990年 水曜グランドロマン『最後の結婚詐欺』(テレビ映画、ギャラクシー・ワン・日本テレビ)

  • 1991年 水曜グランドロマン『他人にいえない職業の男』(テレビ映画、ギャラクシーワン・日本テレビ)

  • 1991年 『襲撃 BURNING DOG』(東映ビデオ)

  • 1993年 『月はどっちに出ている#ドラマ|J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(日本衛星放送、ヒルヴィラ、東映)

  • 1993年 『月はどっちに出ている』(シネカノン)

  • 1995年 『平成無責任一家 東京デラックス』(アミューズ、シネカノン、テレビ東京)

  • 1995年 『マークスの山』(松竹、アミューズ、丸紅)

  • 1998年 『犬、走る。DOG RACE』(東映ビデオ)

  • 1999年 『豚の報い』(サンセントシネマワークス);2000年代

  • 2002年 『刑務所の中』(ビーワイルド、衛星劇場)

  • 2004年 『盲導犬クイールの一生|クイール』(松竹、テレビ東京、テレビ大阪、衛星劇場ほか)

  • 2004年 『血と骨』(「血と骨」製作委員会)

  • 2005年 ドラマW『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(テレビ映画、ビーワイルド・WOWOW)

  • 2007年 『壽 (映画)|壽』(原題『?』、製作TrizCLUB) ※初の韓国映画

  • 2009年 『カムイ外伝』(配給:松竹、製作プロダクション:ビーワイルド映画「カムイ外伝」公式サイトを参照した。2007年11月21日閲覧。



    ビブリオグラフィ


  • 『月はどっちに出ている - 崔洋一の世界』(鄭義信らと共著、日本テレビ放送網|日本テレビ出版部、1993年 ISBN 4820394169)

  • 『東京デラックス - 平成無責任一家』(鄭義信と共著、扶桑社、1994年 ISBN 459401609X)

  • 『映画「血と骨」の世界』(梁石日、鄭義信と共著、新幹社、2004年 ISBN 4884000420)



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • BATTLE TALK RADIO アクセス(TBSラジオ。2003年9月ごろまでコメンテーターとして出演、不定期)

  • 若松孝二

  • 山口剛 (プロデューサー)

  • 岡田裕(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • アナーキー (バンド)

  • 角川春樹

  • 榎望









    外部リンク




  • 日本映画監督協会 - 同協会の公式サイト

  • テレビドラマデータベース

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    2008年03月14日

    映画監督[押井守]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    押井守



    押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督、演出家。その他にも、ゲームクリエイター、小説家、脚本家、漫画原作者と活動は幅広い。東京都大田区出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度より東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授に就任予定であると、同大学のホームページにおいて発表があった。代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画『イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった(星雲賞では過去に例がある)。イヌ|犬好きであり、犬の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用していた。現在、公の場では靴下や下着など目立たない部分のみに止めている。個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区 (東京都)|港区虎ノ門。押井自身の全額出資によって設立\xA1 $5$l$?!#



    作風

    押井守が多く用いる映像表現として、アニメとコンピュータグラフィックス|CGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。これらの手法は押井の独創ではないが、現在の漫画・アニメ界に関わる多くの人に影響を与えている(押井のこれらの手法の使い方が印象的であることの証明ともいえる)。また「映画の半分は音楽である」と語るほど音楽を非常に重視しており、近年の作品の音楽はすべて川井憲次に任せている。もはや川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せないと言える。その映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「哲学的」に語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。押井の永遠のテーマとも言えるシナリオの方法論として、「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」がある。これも上記と同じく押井が源流ではない(前例として古くは荘子、近年では楳図かずお、フィリップ・K・ディック等が挙げられる)。押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で\xA1 !V<+J,$N:nIJ$N5R$O1万人程度でいいと思っている」「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である。書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「北野武|たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。NHKの番組に出演した際、最も気に入っている作品はどれかと聞かれ、「自分で最も満\xA1 B-$G$-$?:nIJ$O%"%t%!%m%s!W$HEz$($?!#?&?M4FFD$H$7$F@):n$KF~$C$?! :nIJ$O7h $a$i$l$?M=;;$G%-%C%A%jG<4|$^$G$K;E>e$2$k$3$H$r%]%j%7!<$H$7$F$$$F!"8=$K!J8=>l$,F0$-=P$9A0$KF\:C$7$?:nIJ$r=|$-!KKX$I$N:nIJ$GM=;;$HG<4|$r犬が登場するシーンも含まれる。は、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断したシーン『機動警察パトレイバー 2 the Movie』ではかつての特車二課第二小隊の面々のエピソード、『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の回想シーンがカットとなっている。は画コンテ|コンテ段階で極力省かれる。中には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の諸星あたるが幾多の夢を迷走するシーンの一部や、『アヴァロン (映画)|アヴァロン』の冒頭、装甲ヘリが 爆撃態勢に入るカットなど、ほぼ完成していながら本編に入らなかった例もある。 そぁ &$7$?!"%9%H!<%j!]$rM?$($kMW0x$N1つとも言える。イノセンスの完成後会見では、「一回見ただけで分かられてたまるかという意気込みで作った」と述べており、作品を分かりやすくする意思は毛頭ないようである。1度完成し、公開された作品の映像に新たに手を加えることを好まず、ビデオソフト化においても本編に未公開シーンを加えた完全版などは基本的に制作されなかった。例外に森本晃司 (アニメーター)|森本晃司が手がけたシーンを加えた『うる星やつら オンリー・ユー完全版』、音声を5.1chにサウンドリニューアルした『機動警察パトレイバー the Movie』 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がある。 しかし2007年末、「ブレードランナーファイナルカット版」の上映に伴うトークセッションにおいて「以前だったら絶対やらなかったと思うんだけど、ある作品は、今作り直す価値があるんじゃないかと考えている」と発言しており、スカイ・クロラ The Sky Crawlersの制作発表時にも見らぁ l$??.>r$NJQ2=$,;G$o$l$k!#



    経歴

    1970年、東京学芸大学入学後すぐに「映像芸術研究会」を設立、金子修介を含む3人が集まり、実写映画を撮り始める。卒業間近に映画監督を諦めて小学校の図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまい、映画関係の会社に就職活動するも全滅する。1977年、ラジオ制作会社に就職したが給料が少なく生活が辛かったので半年で退社。プラモデルを作るなど暇をもてあましていた時に、電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロに入社。当初は事務雑用をしていたが、演出の人手不足からアニメ演出を手掛けるようになる。当時、スタジオに入るまでアニメにはあまり触れておらず、タツノコプロのアニメはちらっと見て印象に残っていたため、求人広告に応じたという。やがて、2年早く入社した西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター経験を買われ、最初から演出を任されていた。独特のギャグの才能をタツノコプロ演出部長の笹川ひろしに買わ\xA1 $l$F!"!X%?%$%`%\%+%s%7%j!<%:!Y$rD9$/C4Ev!#%?%D%N%3%W%mB`8e$K8F$S=P$7$rlHGBh1作『うる星やつら オンリー・ユー』、さらに劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で単なるアニメ演出家というよりも映像作家として認知されるようになる。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(同年の1位は『風の谷のナウシカ』)。虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランスの演出家となる。1984年に宮崎駿、大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』映画ルパン三世 バビロンの黄金伝説|第3作の監督の依頼を受ける。ところが、半年間考えた脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝と読売テレビのプロデューサーから没にされて製作は中止(日本放送協会|NHKの番組トップランナーに出演した折の発\xA1 8@$K$h$k$H!"$=$N5SK\$H$O!V%k%Q%s$J$k?MJ*$O押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時の写真フィルム|フィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、成人向けアニメが1位を記録していた、とのこと。
    これは日本アニメ史上初の快挙として、国内で大きく報道された。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス (映画)|マトリックス』はその影響を強く受けている。国内のプロからあまりはっきりした評価を受けず、海外のプロから激賞されたという意味で、日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。ちなみに押井本人にそのような実感は無く、ビルボードさえ知らなかったと話す。1997年に織部賞を受賞。

    2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。ちなみにカンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。2005年の2005年日本国際博覧会|愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。学生時代は小説家も志望していたが、ほぼ同い年である山田正紀のデビュー作『神狩り』を読んで才能の差にうちのめされ、「小説家になるのを諦めた」といくつかのインタビューで語っている。なお、山田は小説『イノセンス After The Long Goodbye』の執筆も手がけており、同作品内で押井は寄稿文を寄せている。



    人物像




    [ 本人について ]


  • 兄、姉の三人兄弟の末っ子。血液型O型。姉は舞踏家の最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。その影響か、しばしば押井作品には探偵や刑事が登場する。

  • 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つ利己主義|エゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。

  • 1968年に高等学校|高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。

  • 大学の同窓生によれば卒業制作は絵画・彫刻によるとされているにもかかわらず、ただ一人映画製作をし、強引に卒業作品として教授に認めさせ卒業してしまったという。使用したカメラはNHKから安く手に入れたベル&ハウエル。

  • 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越したと公言している(猫も嫌いというわけではなく過去には愛猫「ねね」(2000年 夏 永眠)、現在「水無月」がいる)。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー (1979年の映画)|ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀ 2007年4月3日 永眠)と雑種のダニエル(通称ダニィ・♂ ちなみにダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越しをし、さらに看病のために仕事を休んだため、一時は監督解任かと騒がれたという逸話がある。また、完成した絵コンテにはハンコが捺印されるが、その絵柄も犬である。

  • 初対面の人間ともよく喋るが、早口で小声であるために聞き取りにくいという人もいる。これは本人が中耳炎を患っているためでもある。

  • 字が汚く、師匠の鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともある。そのため近年の画コンテ|絵コンテには写植が施されている。

  • 『天使のたまご』後にしばらく仕事が途絶えたころ、上記の通りファミコンとパーソナルコンピュータ|パソコンでゲームに熱中した。この経験を活かしてゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』に随筆|エッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作に関わったゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコン『サンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』、そして昨今ではプレイステーション・ポータブル|PSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPG『ウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」「ワイバーン」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に至っては、『ウィザードリィ』を押井が独自の解釈で映像化したものであり、押井が脚本を担当した『パトレイバー』TV版の『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ  Y$N%Q%m%G%#$H$J$C$F$$$k!#

  • パソコン通信を行なっていた。アスキー (企業)|アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。

  • 戦車や銃を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。下でも触れているが、人手が足りない『うる星やつら』初期に、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。

  • アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌『アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』や『タイムパトロール隊オタスケマン』、『ヤッターマン#.E7.AC.AC2.E4.BD.9C.EF.BC.88.E3.83.AA.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.AF.E7.89.88.EF.BC.89|ヤッターマン(第2作)』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。「ミニパト」の中でも押井をモデルにした犬「オシイヌ」が登場する。

  • 『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。コンピュータグラフィックス|CGの登場により、実写とアニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)|ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、のちに『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に活かされている。

  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。

  • 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒は飲まないらしい。

  • 制作した作品は暴力的なシーンが多い。これについては、「僕らの仕事は暴力とエロを表すことだ」という考えに基づくものだと言われる。サンサーラ・ナーガ1×2必勝攻略法よりしかし、押井本人は実は血に弱く、『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』 の撮影中、銃撃シーン用に用意された大量の血糊を見て気分が悪くなり、その大半を廃棄させたことがある。

  • 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田。チェルシーFCとその元監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。その影響は作品にも現れ「ケルベロス:鋼鉄の猟犬」作中の実在していない人物の名前は、サッカー選手から取られている。

  • ライターとなった娘(前妻との娘)からの取材を受けたことがあり、その際は「妙な気分だった」と語っている。ちなみにこの娘は作家乙一の夫人となった。

  • うる星やつらでの制作に「懲りて」今後は一生テレビアニメ制作はしないと心に決めている(宮崎駿に「テレビシリーズであくせくせずに自分の作りたいものを作れ」と助言されたことも一因だという。「PROJECT_MERMAID」は例外とみた方がいいだろう)。それ以来テレビアニメには脚本・絵コンテ・企画の監修程度しか関わっていない。機動警察パトレイバーのTV化に「シリーズ化なんだ、あんたがやるのが筋だろう」と監督を依頼されるも、何とか粘って断った過去がある。

  • あまり語られていないが原画を書いたことがある。「うる星やつら」の制作時、戦闘機・戦車が書けるアニメーターがいなかったために押井が書いていた(しかしさすがに旋回シーンは書けなかったと言う。クレジットには表記されていない)。「ダロス」制作時にも最終話のレーザービーム発射シーンの2・3カットは押井が書いていた(同じくノークレジット)。

  • 「SFの匂いのする作品を追いかけて観ていた」という高校時代『ウルトラセブン』、特にアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子に憧れを抱く。NHKの『週刊お宝TV(2006年5月19日放送)』に出演した際ひし美のサイン入り写真集(『セブン』時代のもの)を贈られ感激、さらに『真・女立喰師列伝』では「鼈甲飴の有理」役にひし美を起用、演出している。

  • 旧production I.G(現IGポート)の大株主の1人でもある(2008年1月現在、全株式の0.8%所有)。


    [ 人間関係 ]




    [ 宮崎駿 ]


  • 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。
    押井は宮崎駿がかねてよりその才能を認めていた数少ない同業者の一人であり、ルパン製作に押井を推薦するなどしている。対談でも圧倒的な論理を展開する宮崎に対して押井も独自の理論を展開して応戦するなど負けていない。(宮崎は自分と対等に理論的に話せる相手を欲している、と鈴木プロデューサーは語っており、押井はその数少ない一人だったといえる)
    また、二人の作品には共通点もあり、例えば戦車や飛行機など軍用機器や車、バイクを出すのが好きであること、モブシーンが多いこと、時折難解で長い文章を人物に話させること、高度なカメラワーク、そしてアニメ界屈指の演出能力の高さ、オチの付け方などである。初対面は『うる星やつら オンリー・ユー』制作後に当時アニメージュ編集者であった鈴木敏夫の引き合わせによって実現した対談の場である。その対談で宮崎は初対面であるにも拘らず『うる星やつら オンリー・ユー』についての疑問点を押井にぶつけ、押井自身もそのことを承知していただけに大変悔しい思いをしたと語っている。(宮崎は相手に才能がなければこんな質問は通常せず、それだけ押井の才能を認めていたから細かい部分が気になったのである。うる星やつらにおける仕事については「竜之介初登場の回は面白かった」などと賞賛しており、また原作者(高橋留美子)は女性だから、自分ら男性にはラムの心はなかなかわからない、などと同情もしている。) その時に押井は「1は自分の思い通りにできなかったけど、2は絶対リターンマッチしてみせる」と意気込んでおり、宮\xA1 :j$bNe$^$7$F$$$?!#
    その後、スタジオぴえろを退社した押井は、一時宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかしその一方で、考え方の上での二人の対立(科学文明への賛否や環境問題|環境保護のありかた、果ては専業声優の起用不起用など)の溝は深いとも言われる。あるインタビューでは、「宮崎駿|どこかの監督のように安易に俳優を使うことはしたくない。声だけで全ての演技をする声優は素晴らしい役者だ」と述べているほど、声優を大事にする一面を持つ(渡米して『攻殻機動隊』の英語版アフレコに立ち会った後、「日本の声優という職業は世界に例がない貴重な仕事」とも語っている)。また、宮崎のワンマン体制であるスタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」、「ソ連国家保安委員会|KGB」、「道場」と評している。またこれらにちなんで、宮崎駿を「書記長」、高畑勲を「ロシア共和国の大統領」、鈴木敏夫を「KGB長粥 1!W$HI>$7$F$$$k!#
    兵器に並外れた拘りを見せる押井が「誰もやったことのない空中戦」を見せると意気込む『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の会見で「空中戦に関しては、はっきり言って宮さんより自信があります」と語ったように、親しみも敬意も対抗意識も見られる関係ながら、『スカイ・クロラ』について語られる端々に表れる「若い人に」という言葉は子供達の将来を案じる宮崎の姿勢に近づいて来ていることを窺わせる。宮崎が『千と千尋の神隠し』で、押井が『イノセンス』などで画の情報量に拘わり抜いた後の新作(『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』)では画のシンプルさを表明するという共通点が現れた。

  • 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れした押井が新たに作ったもの。このサークルには後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代の押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。

  • 高畑勲についてはその作品に「ちょっと血が通ってないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」という理由であまり共感できない模様である。 しかし、演出的な意味では宮崎駿の作品よりも、高畑の『赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン』などの作品から受けた影響の方が大きいと語っている。

  • 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。

  • 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと冗談交じりに嘯いているという。

  • 宮崎駿の長男宮崎吾朗とは彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという。逆に押井は娘から『紅の豚』のセル画が欲しいとせがまれている。月刊誌『サイゾー』での対談では「宮崎駿|宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ。」と迫っている。ちなみに宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている。

  • 大塚康生とは宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている。参考文献 キネマ旬報(第1166号) 臨時増刊 1995年7月16日号『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 押井守インタビューより

  • 庵野秀明は、押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、「修行僧のような生活」に耐えかねて二週間で逃げ出したという(『AERA』掲載の「現代の肖像」(押井守)での記載)。また、押井の作風を「衒学的」と評したこともあったという。しかし、『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり(詳細は後述)、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。 ちなみに『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』制作時、Production I.Gには『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズの制作の打診もあり、石川社長は受けるかどうか迷っていたが、押井は庵野に直接会い(石川に無断で)断りを入れている。

  • 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるアニメ制作に関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などと、限定的な評価に留まっている。

  • 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメをおだてておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」(対談当時。2006年に新設された)との発言をしている。

  • 高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔との多くの対談において「『装甲騎兵ボトムズ|ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。ちなみに押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉・沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。

  • 富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を絶賛しており、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオマージュ的な側面もあると語っている。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』で、庵野を聞き手に押井守が作品について多くを語っている。別の誌面での富野との対談時、押井は本人にその旨を伝えたが、富野の方は「お世辞だと思って聞き流した」とのこと(ただしこれがホンネかどうかは不明)。

  • ただしガンダムそのものに対しては、「僕は『ガンダム』にはものすごく違和感を感じるんだね。僕個人の志向性、戦争とか暴力とかの敷居の上にはあるんだけど」と語っている。

  • 安彦良和はかつて押井を非常に高く評価し、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たときには、引退を考えるほどの衝撃を受けた、と語っている『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン-G20』☆Vol.4 特集:安彦良和 - アニメの終わりと物語の始まり (エンターブレイン、2005年)。ただし、2007年には雑誌のインタビュー記事で『機動警察パトレイバー2 the Movie』以降の作品については違和を感じていることを表明しており、「今度会ったら『俺、あんたの作品嫌いだよ』と言ってやるつもりだった」とも述べている「歴史の忘却と捏造に抗して 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 という挑戦
    」(更科修一郎によるインタビュー)『ユリイカ』2007年9月号(青土社)


  • 出崎統監督作品、「劇場版エースをねらえ!」のビデオを公開直前に極秘入手し、何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している。

  • 実写の映画人では、ビートたけし|北野武に関心を持ち、作品のソフトはすべて所有している。一方、たけしは自らが審査委員長を務める東京スポーツ映画大賞の作品賞に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、主演女優賞に草薙素子を選出したことがある。

  • 少年時代からSF作家の光瀬龍のファンであり、高校時代にはファンレターを書いたことがきっかけで自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に対談で約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた。光瀬が亡くなった時に押井は『アヴァロン』の撮影で海外へ渡航中であり葬儀に出席できなかった。このことを押井は大変悔いていた。光瀬が亡くなった翌年(2000年)の日本SF大会(ZERO-CON)で押井が光瀬との思い出を語る企画が設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)また押井はこの後2005年の日本SF大会(HAMA-CON2)においても企画に参加している。

  • 「ガルム戦記」企画の際、当時はまだ知る人ぞのみ知る存在だった細田守の才能をいち早く見抜き、デジタル監督に抜擢した。結局は周知の通り凍結してしまうものの、それが縁となり交流が始まる。時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女に関して「『トキカケ』とかけて『葱ぬきのカケ』と解きます。そのココロは−どちらも出来立ての熱いのを戴くのが一番。茹で過ぎに注意。期待してます。」と早く見ることを勧めるコメントを残した。公開直前、細田・樋口・秋山貴彦と座談会を行う。アニメや特撮においてCGがこれからもたらすものその後押井の娘と乙一の結婚披露宴の際、細田に記念映像の制作を依頼する。



    映画作品




    [ アニメ ]


  • 1982年 『劇場版ニルスのふしぎな旅』 (画コンテ|絵コンテ・演出(案納正美と共作)、諸事情で公開されず、野田真外曰く「事実上押井さんが監督」)

  • 1983年 『ダロス』(脚本・監督・絵コンテ。世界初のOVA作品、一部地域で小規模の劇場公開を行った)

  • 1983年 『うる星やつら オンリー・ユー』 (監督・脚色・絵コンテ、実質上劇場監督デビュー作)

  • 1984年 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1990年 『御先祖様万々歳!|Maroko / 麿子』 (原作・監督・脚本)

  • 1993年 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1995年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 (監督・絵コンテ)

  • 1997年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』 (監督)

  • 2000年 『人狼 JIN-ROH』 (原作・脚本) (監督は沖浦啓之)

  • 2002年 『ミニパト』 (脚本・音響プロデュース・演出コンセプト) (『WXIII 機動警察パトレイバー 』の併映。監督は神山健治)

  • 2004年 『イノセンス』 (監督・絵コンテ・脚本)

  • 2008年 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 (監督)


    [ 実写 ]


  • 1970年 『屋上』(撮影・出演、TVでダイジェスト的に放送された、現在音声は紛失している)

  • 1985年 『八岐之大蛇の逆襲』(機材協力)

  • 1987年 『紅い眼鏡 / The Red Spectacles』(監督・共同脚本・絵コンテ)

  • 1991年 『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』 (原作・監督・脚本)

  • 1992年 『Talking Head / トーキング・ヘッド』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 2001年 『アヴァロン (映画)|アヴァロン』 (監督)

  • 2003年 『KILLERS キラーズ』 (「.50 Woman」の監督・脚本)

  • 2005年 『ローレライ (映画)|ローレライ』 (「B-29マーク」デザイン)

  • 2007年 『真・女立喰師列伝』(原作・総監修・OP、『金魚姫 鼈甲飴の有理』、中CM、『ASSALT GIRL ケンタッキーの日菜子』監督・脚本)


    [ オシメーション (スーパーライヴメーション)]

    「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優の写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(:en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「オシメーション」という名称はProduction I.G社長石川光久が「押井守の原点にもどって作ってもらおうということで」「原点の赤ちゃんになってもらって、押井監督がおしめをはくような作品」という理由で命名し、『立喰師列伝』の制作会見の席上で西尾鉄也によるデフォルメ調の「おしめを穿いた押井守のイラスト」と共に発表された。 以後、あまり浸透せず宣伝等では「スーパーライヴメーション」という名称で紹介されることが多い。* 2006年 『立喰師列伝』 (原作・監督・脚本)
    第63回ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門に出品。



    テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ・CDドラマ・ゲーム




    [ テレビアニメ ]


  • 1977年 『一発貫太くん』 (13・28話画コンテ|絵コンテ、28話・29・41話演出、演出デビュー作)

  • 1978年 『ヤッターマン』 (55・59話絵コンテ、後半以降総助監督、野村和史名義)

  • 1978年 『科学忍者隊ガッチャマンII』 (6・10・17話演出、6話絵コンテ)

  • 1979年 『魔女っ子チックル』 (43話絵コンテ、名輪丈名義)

  • 1979年 『ゼンダマン』 (3・7・10・16・18・24・25・28・32話演出、3・10・18・24・25・28・32・34・38・50話絵コンテ、30話修正絵コンテ)

  • 1980年 『ニルスのふしぎな旅』 (6・9・10・13・17・18・23・27・32・34・36・40・41・43・46・49・51話演出、9・17・18・19・23・27・32・36・40・41・46・49話絵コンテ)

  • 1980年 『オタスケマン』(14・31・37・41・44・48話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1981年 『ヤットデタマン』(3話演出、丸輪零名義)

  • 1981年 『名犬ジョリィ』 (21・23話演出・16・23話絵コンテ・21・23話演出助手、小川守弘名義)

  • 1981年 『ゴールドライタン』(27・33話絵コンテ)

  • 1981年 『まいっちんぐマチコ先生』(3話絵コンテ)

  • 1981年 『世界名作ものがたり』 (オープニング演出・絵コンテ)

  • 1981年 『うる星やつら』 (チーフディレクター・43・49・64・78・79・83・104話脚本、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・39・43・44・49・56・59・62・66・72・75・84・86・87・91・99・100・116・126・127・129話演出、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・43・44・45・46・59・66・84・87・94・99・102・104・106・113・116・127話絵コンテ)

  • 1982年 『ダッシュ勝平』(21話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1982年 『逆転イッパツマン』 (10・14・17・21・27・33・39話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1983年 『スプーンおばさん (アニメ)|スプーンおばさん』 (54話脚本・絵コンテ)

  • 1983年 『子鹿物語』 (7・12話絵コンテ)

  • 1987年 『赤い光弾ジリオン』 (2・15話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー』 (3・9・14・29・38話脚本)

  • 2004年 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』 (ストーリーコンセプト)

  • 2004年 『風人物語』 (監修)

  • 2005年 『BLOOD+』 (企画協力)

  • 2007年 『PROJECT_MERMAID』 (監督、「アニクリ15」提供作品)


    [ OVA ]


  • 1981年 『りゅうの目のなみだ』 (演出・絵コンテ)

  • 1983年 『ダロス』 (監督・脚本・演出・絵コンテ(鳥海永行と共作))(日本初のOVA)

  • 1985年 『天使のたまご』 (原案・監督・脚本)

  • 1987年 『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』 (原案・監督・脚本)

  • 1988年 『機動警察パトレイバー』 (旧OVA・前期OVA) (監督・絵コンテ)

  • 1989年 『御先祖様万々歳!』 (原作・監督・脚本・絵コンテ)

  • 1990年 『機動警察パトレイバー』 (新OVA・後期OVA) (6・8・10・13話脚本)


    [ ラジオドラマ ]


  • 1987年 『紅い眼鏡を待ちつつ』(脚本)

  • 2006年 『押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬 / Kerberos Panzer J?ger』(脚本)

  • 2007年 『押井守・川井憲次 アハト アハト|acht acht / アハト・アハト』(脚本)


    [ CDドラマ ]


  • 1992年 『ゲーデルを夢見て〜録音監督1993年』

  • 1992年 『しあわせのかたち 水晶の滑鼠』

  • 1996年 『不帰の迷宮‐THE GREAT MAZE OF OVERKILL』(伊藤和典・千葉繁との3人によるリレー脚本)


    [ ゲーム ]


  • 1990年 『サンサーラ・ナーガ』(監督)

  • 1992年 『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』(監督)

  • 1994年 『サンサーラ・ナーガ2』(監督・マッピング)

  • 2001年 『サンサーラナーガ1×2』(監督)

  • 2005年 『機動警察パトレイバー かむばっくミニパト』(総監修)



    その他映像作品


  • 1982年『関西電力』(CM絵コンテ×2本) ※『うる星やつら』のキャラクターを使ったもの

  • 1991年 『DOG DAYS』 (監督) (『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』アップグレード版特別付録レーザーディスク|LD)

  • 1996年 『宇宙貨物船レムナント6』 (総合監修) (監督は万田邦敏)

  • 1998年『バトルトライスト』(アーケードゲーム、エンディング絵コンテ)

  • 2000年 『BLOOD THE LAST VAMPIRE』 (企画協力) (監督は北久保弘之)

  • 2003年 『DOG DAYS AFTER』(監督)(『Mamoru Oshii Cinema Trilogy / 押井守シネマトリロジー』特別付録DVD)

  • 2003年 『東京スキャナー』 (監修・CGパート絵コンテ) (監督は松宏彰)

  • 2003年 『東京静脈』 (監修) (監督は野田真外)

  • 2004年 『球体関節人形展 -- DOLLS of INNOCENCE --』 (監修)

  • 2005年 『めざめの方舟 「?鰉 SHO-HO (しょうほう)」「百禽 HYAKKIN (ひゃっきん)」「狗奴 KU-NU (くぬ)」』 (総合演出) (:en:Mezame No Hakobune、愛知万博)

  • 2005年 『アイオーン』 (演出、愛知万博公開、出演・最上和子、音楽・川井憲次、舞踏)

  • 2006年 『ズームイン!!SUPER』 (CM演出)

  • 2006年 『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』 (原作・脚本・監督)

  • 2007年 『夢のロボット舞踏会』 (総合演出、太鼓演奏・茂戸藤浩司、舞踏・最上和子)

  • 2008年 『ケータイ捜査官7』(監督)



    著書など


  • 1985年 『天使のたまご 少女季』 (あらきりつこ・天野喜孝 共著)

  • 1994年 『Methods 押井守「パトレイバー2」演出ノート』

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(前)』 富士見書房 ISBN 4829125527

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(後)』 富士見書房 ISBN 4829125683

  • 1995年 『注文の多い傭兵たち』

  • 1995年 『攻殻機動隊絵コンテ集』 (士郎正宗 共著)

  • 2000年 『獣たちの夜 - BLOOD THE LAST VAMPIRE』 角川書店 ISBN 4043666012

  • 2000年 『犬の気持ちは、わからない 〜熱海バセット通信〜』 (桜玉吉 共著)

  • 2000年 『Avalon 灰色の貴婦人』 メディアファクトリー ISBN 4840107424

  • 2004年 『押井守の映像日記 TVをつけたらやっていた』

  • 2004年 『立喰師列伝』 角川書店 ISBN 4048735160

  • 2004年 『これが僕の回答である。1995-2004』

  • 2004年 『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』

  • 2004年 『すべての映画はアニメになる 【押井守発言集】』 徳間書店 ISBN 4198618283

  • 2004年 『押井守・映像機械論 【メカフィリア】』 (竹内敦志 共著)

  • 2005年 『TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR』 エンターブレイン ISBN 4757723660

  • 2005年 『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』

  • 2006年 『勝つために戦え!』

  • 2006年 『雷轟 rolling thunder PAX JAPONICA』 エンターブレイン ISBN 4757726694

  • 2006年 『立喰師、かく語りき』



    漫画原作


  • 1982年 『うる星やつら〜番外編〜父たち』 (原作) (作画は高田明美)
        『少年サンデーグラフィックうる星やつら3』に収録

  • 1984年 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は森山ゆうじ)

  • 1987年 『西武新宿戦線異常なし』 (原作)(作画は近藤和久)

  • 1988年 『犬狼伝説 Kerberos panzer cop』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 1992年 『西武新宿戦線異状なし DRAGON RETRIEVER』 (原作)(作画は大野安之)

  • 1994年 『セラフィム 2億6661万3336の翼』 (原作) (作画は今敏)

  • 1999年『犬狼伝説 Kerberos panzer cop 完結篇』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 2002年 『殺人者たち The Killers』 (原作)
     読切短編。最初は神崎将臣作画で掲載されたものの、押井・神崎とのストーリー構成の意見の食い違い、ファンから「押井らしくない」と批判があったため、後に杉浦守作画で再掲載。前者は単行本未収録であり、後者は「RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕」の単行本巻末に収録。

  • 2002年 『西武新宿戦線異状なし 番外編』 (原作)

  • 2003年 『RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕』 (原作)(作画は杉浦守)

  • 2006年 『ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女』 (原作)(作画は杉浦守)



    没になった企画


  • シャーロック・ホームズ
     奇しくも登場人物が犬という設定が名探偵ホームズより前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった。(パイロットフィルムもある)

  • フルムーン伝説 インドラ(キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行)
     英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。

  • アンカー(企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏)
     高畑勲も監修として参加しプロットまで作ったがその際ストーリー展開の仕方について大喧嘩になってしまい、結局その段階でお流れになったという。

  • 突撃!アイアンポーク(原作・企画・監修・宮崎駿)
     宮崎駿の雑想ノート6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。

  • 「押井版ルパン三世」

  • 押井版銀河英雄伝説
     キャラクターから艦までデザインを変更してもよいという条件で2〜3ヶ月付き合ったが結局断っている。

  • 押井版鉄人28号
     メカ造形が気に入ったため、今でも機会を窺っているらしい。

  • 立喰師列伝
     当初はトワイライトQの一作品になるはずであり、その際のタイトルは「最後の立喰い」であった。

  • 西武新宿戦線異常なし
     原作として関わり、1987年に近藤和久作画で「B-CLUB」誌16〜21号に掲載されるが、序盤途中で頓挫。のちに大野安之作画で1992年に仕切りなおし再スタート。基本プロットは近藤版と共通ながら、一部キャラクターの性別や車両の設定が変更された。こちらは無事完結し単行本化されている。

  • 連続ドラマ版 御先祖様万々歳(脚本・じんのひろあき)

  • D(脚本・伊藤和典)
     樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。

  • 犬狼伝説(当初OVA化の予定だった、後に人狼 JIN-ROHの原型となった)

  • ガメラ2 レギオン襲来
     「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。

  • G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)(今でも再開のチャンスを窺っている)

  • PATLABOR LIVE ACTION MOVIE

  • NEXT〜未来は誰のために
     樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画自体は1992年頃から存在しており、「ガルム戦記」頓挫後にガルムで表現しようとしたテクニックを使い始動しようとするもほどなく白紙になった。

  • エルの乱 鏖殺の島(監督のスケジュール等により製作延期)



    関連項目


  • ケルベロス・サーガ

  • Production I.G

  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • 伊藤和典

  • 高田明美

  • 樋上晴彦

  • 出渕裕

  • ゆうきまさみ

  • 高橋留美子

  • 黄瀬和哉

  • 沖浦啓之

  • 野田真外

  • 神山健治

  • 本広克行



    御用達声優


  • 千葉繁
     しかし、立喰師列伝のイベントで、「もう押井作品に出演することはないかも」と千葉が発言し押井も「そうだねぇ、もう千葉君も演出家だからね」とコメントしている。

  • 玄田哲章
     容姿を押井に気に入られ、それ以来キャラクターデザインのモデルにされることが多い。一例として『犬狼伝説』の室戸文明。

  • 古川登志夫

  • 立木文彦
     実写では主役に負けないほどよくしゃべる役が多いが、アニメでは台詞の短い脇役(整備員の一人など)が多い。

  • 大塚明夫

  • 山寺宏一
     押井曰く「彼の最大の欠点は、(演技や声色が多彩すぎて)誰も彼の本当の声を知らないことである」とのこと。

  • 田中敦子 (声優)|田中敦子

  • 竹中直人
     「パトレイバー2」の荒川役で仕事をした後、対談し「また一緒にやりましょう!」と意気投合。「ミニパト」を製作する際、再び荒川を登場させるべく押井は竹中に連絡を取ろうとしたが、知らない間に携帯の電話番号が変わっており、その時は実現しなかった。だが、のちに「イノセンス」では連絡が取れ、出演が実現している。

  • 兵藤まこ
     声優デビュー作となった「天使のたまご」以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。アヴァロン制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。「ミニパト」の企画に関しても、彼女に主題歌を歌わせてそれをCD化できることが引き受けた大きな目的だったと語っている。

  • 榊原良子
     キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。



    脚注





    外部リンク


  • 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱

  • 野良犬の塒 (押井守黙認ファンサイト)

  • 押井守小辞典

  • IMDb: Mamoru Oshii(英語)

  • DEIZ (『めざめの方舟』『立喰師列伝』などの制作に携わったプロダクション)

  • 押井守レトロスペクティヴ(パイロットとプロモーション)


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    2008年03月13日

    映画監督[椎名誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    椎名誠




    椎名誠(しいなまこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家、随筆家|エッセイスト、写真家、映画監督。本名は、渡辺誠。椎名は旧姓で、結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ渡辺姓となった。



    経歴

    東京都世田谷区三軒茶屋に生まれ、千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張に育つ。千葉市立千葉高等学校卒業。イラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生。東京写真大学(現東京工芸大学)中退。異母兄弟の下から二番目に生まれ、長兄とは20歳位離れている。体育会系で喧嘩好きの少年であったが、一方で読書も好きで、サイエンス・フィクション|SFやナチュラリズム系の本、海外旅行記などを好んで読んだ。流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているストアーズ社に入社。同誌の編集長にまでなる。そのサラリーマン時代に、同僚の目黒考二らと、『本の雑誌』を創刊(創刊以来、一貫して編集長を務めている)。誌上での、椎名の文章が評判となり、情報センター出版局から、『さらば国分寺書店のオババ』でデビューする。その軽快で口語調の文体は嵐山光三郎らの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、マスコミの寵児となり、ストアーズ社を退社して、フリーとなる。なお、高校卒業後に、江戸川区小岩のアパート克美荘で共同生活をした沢野ひとし、木村晋介ら仲間と「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会を設立。その活動を『わしらは怪しぁ $C581Bb!Y$H$7$F=PHG!"%7%j!<%:2=$5$l$?!#$=$N8e$b;d>.@b!"%(%C%;%$!"%5%$%(%s%9!&%U%#%/%7%g%s|SF小説、超常小説、写真を多数執筆・発表。SF、超常小説は、分類によって「シーナワールド」と呼ばれる。文筆活動以外には、辺境の地への冒険をライフワークとし、ドキュメンタリー番組によく出演するほか、映像プロダクション「ホネ・フィルム」を設立、映画監督の経験もある(現在ホネ・フィルムは解散徳島で「川の学校」の講師、『週刊金曜日』の編集委員も務める(連載を担当していたほかは実質的な仕事をしていないとしており、表紙写真の担当を降りたことから2007年12月14日号を最後に退任)。写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。妻の渡辺一枝とは親友で弁護士の木村晋介の紹介で結婚した。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。息子の渡辺岳はボクサーで現在は写真家。寡黙だが文章の面白さと強靭な肉体で若い頃から仲間に一目置かれていた。格闘技、プロレスなども大好きで、彼自身柔道2段。また、マーシャル・アーツなども愛好する。2006年11月に写真活動の集大成ともいえる写拭 ?=8!XONCE UPON A TIME』(本の雑誌社)を刊行した。
    !


    受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞

  • 1993年 『あひるのうたが聞こえてくるよ。』 第10回山路ふみ子映画文化賞。

  • 1995年 『白い馬』 JRA賞馬事文化賞

  • 1996年 『白い馬』 EARTH VISION 地球環境映像祭環境教育映像賞
                 第5回日本映画批評家大賞最優秀監督賞

  • 1997年 『白い馬』 ボーヴェ映画祭グランプリ受賞
                  ポーランド子ども映画祭特別賞



    作品リスト


  • クレジットカードの実務知識

  • さらば国分寺書店のオババ(デビュー作)

  • 気分はだぼだぼソース

  • 岳物語
    :息子、渡辺岳の成長を捉えた私小説。なお、娘(岳から見た姉)の渡辺葉については本人の希望により一切書かれていないため、岳が一人っ子のように描かれている。なお、作品中では家族名が(「渡辺家」ではなく)「シーナ家」となっていることから、出版社の付録では「フィクション小説」と扱われる場合が多い。『続・岳物語』も同じ。椎名自身は長期に渡って書き続ける予定であったが、息子が、小説の登場登場人物にされるのを嫌がるようになり、中断した。

  • 続・岳物語

  • アド・バード
    :集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。作品中の言語感覚には筒井康隆の影響が見られる。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の町に霧が降るのだ
    :他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探険隊

  • いろはカルタの真実

  • イスタンブールでなまず釣り

  • 砂の海 : 楼蘭・タクラマカン砂漠探検記

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • 風のかなたのひみつ島

  • 波のむこうのかくれ島

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇(「哀愁の街に〜」の続編)

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス(「新橋鳥森口〜」の続編)

  • ハマボウフウの花や風(第102回直木賞候補)

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび
    :本当の“岳物語”がある(姉の事について書かれている。)

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝
    :林政明と共著。

  • 人生途中対談
    :東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録
    :本の雑誌ができるまでを、編集の面を中心にして書かれた作品。

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 突撃 三角ベース団

  • 新宿熱風どかどか団

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談
    :東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後

  • 海ちゃん、おはよう

  • なつのしっぽ

  • いま この人が好きだ!
     パタゴニア−あるいは風とタンポポの物語り



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    関連項目


  • 日本の秘境100選

  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫

  • 青山正明

  • 週刊金曜日


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    2008年03月12日

    映画監督[黒澤明]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒澤明



    黒澤 明(くろさわ あきら、1910年3月23日 - 1998年9月6日)(黒沢 明とも表記)は、日本の映画監督。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に、世界的に広く名前が知られている日本映画の 巨匠の一人であり「世界のクロサワ」、またその妥協を許さない徹底ぶりとワンマンな振舞に対して尊敬と皮肉をこめて「クロサワ天皇」などと呼ばれた。 米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章者。東京都名誉都民。



    経歴

    東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)に4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師。
    1928年、京華中学校・高等学校|京華中学校卒業。画家を志して日本プロレタリア美術家同盟に参加、洋画家の岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わる。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督を務める。1943年、『姿三四郎 (映画)|姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬 (映画)|野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。1950年に大映で撮影した『羅生門 (映画)|羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてフョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー原作の『白痴 (黒澤明)|白痴』(1951年)やヒューマンドラマの傑作『生きる (映画)|生きる』(1952年)を発表し、後者でベルリ\xA1 %s9q:]1G2h:W>e1!FCJL>^$r^!#1954年に発表した大型時代劇『七人の侍』は大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価も受ける。ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピアの『マクベス (シェイクスピア)|マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)や娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を作成後に、独立プロダクションである黒澤プロを設立。時代活劇の傑作『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄 (映画)|天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し大監督の名声を確定させる。黒澤プロの設立は、黒澤監督の意向によるものというより『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業をにやした東宝側が黒澤にリスク負担させることにより、枷をはめようとしたものであり(収益の分配も東宝側に非常に有利な契約になっていた)、「天国と地獄」までの作品はその皮肉な成果といえよう。枠をはめられる事を嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ暴走した『赤ひげ』(19! 65年、 山本周五郎原作)は撮影期間約1年を要し大鼻 }$JM=;;D 62a$H$J$j!"ElJu$H$N4X78$r0-2=$5$;$k$3$H$H$J$C$?!#%O%j%&%C%I$+$i$N%*%U%!!<$r$b=P$?$,!"%b%9%/%o1G2h:W6b>^!"%"%+%G%_!<>^309q8l1G2h>^$r^$7!"F|K\9q30$G$O9u_7I|3h$r0u>]IU$1$k:nIJ$H$J$k!#1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。その後も、日本国外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者 (映画)|影武者』(1980年)、フランスとの合作の『乱 (映画)|乱』(1985年)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮を務めた『夢 (映画)|夢』(1990年)等の作品を監督。1985年11月、文化勲章受章。『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養生活に入り1998年9月6日脳卒中により死去。。叙・従三位。同年10月 B1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年ぁ K$OJF=54 );o%?%$%` (雑誌)|タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・三宅一生・豊田英二・井上大佑)。戒名は「映明院殿紘國慈愛大居士」。



    作品をめぐる評価とその演出

    黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として十指に必ず入る大監督である。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(「世界的な影響」を参照)。ただし、『赤ひげ』以後のカラー作品については評価が分かれ、娯楽性よりも芸術性を重視したそれらの作品に対しての否定的な見解も出されている。妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、等々逸話は多い。(黒澤の撮影方法についてはノートで検討中です。)『荒野の用心棒』の盗作問題で、セルジオ・レオーネ監督は「しかし、この映画だって元はといえば『ダシール・ハメット|血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、黒澤映画のすべてがオリジナルといぁ &Lu$G$O$J$$!#$=$b$=$b9u_7<+?H$,HUG/$K;j$k$^$G?7$7$$%9%?%$%k$rkFb$r%+%U%'%P!<$N$h$&$J4V@\>HL@$G%G%6%$%s$7$?!#$^$?>kLg$N;#$jJ}$dA0H>$N%/%i%$%^%C%/%9$N!V;0$N>k!W1j>e$N%7!<%s$O%U%j%C%D!&%i%s%04FFD$N!X%K!<%Y%k%s%2%s!Y$N5\EB1j>e%7!<%s$H9=?^$KB??t$NN`;wE@$,$"$k!#!XL4!Y$N@nLL$r1G$9%7!<%s$N;#1FJ}K!$O%?%k%3%U%9%-!<$K65$($F$b$i$C$?$b$N$G$"$k!#$^$?!XH,7n$N68;m6J!Y$G$O%9%?%C%U$KBgNS@kI'4FFD$N!X$5$S$7$s$\$& (映画)|さびしんぼう』を何度も見せた上で作製に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。その、新技術導入に意欲的だった黒澤だが、特撮映画については長らく及び腰ではあった。東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ』も評価していたにもかかわらず、東宝のお家芸であるミニチュアセット撮影を黒澤は好まなかったのである。「蜘蛛巣城」では霧の中ぁ GF0$/?9$,ElJuFC5;$K$h$k%_%K%A%e%";#1F$G$"$k$,!"$=$N=PMh$K$D$$$! F9u_7$OI TK~$rO3$i$7$F$$$k!#!XE79q$HCO9v!YA0H>$N8"F#E!$+$i8+$($k2#IM$N7J?'$K$O!"$K%_%K%A%e%"%;%C%H$rAH$s$G;#1F$7$F$$$k$,!"KX$I;HMQ$5$l$J$+$C$?!#!X@V$R$2!Y$G$O;3:jEX$N2sA[%7!<%s$GBgCO?L$,IA$+$l$k$,!"%_%K%A%e%"FC;#$N%7!<%s$,F~$j$=$&$J=j$G$b9u_7$Ok$N1j>e%7!<%s$K%_%K%A%e%"1GA|$H$N8w3X9g@.$,;HMQ$5$l$k$J$I!":nNc$,8=$l$k!#!J!XMp!Y$G$O$3$NB>$K!"0l$N>k$NE7k9g@o$G$NLp$N0lIt!"COJ?@~$+$i8+$($k;0$N>k1j>e$N1l!"3u$N7-7A$NH?


    三船敏郎との関係
    黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、その為2人の関係は様々に取り沙汰されることになる。(両者の軋轢に関する具体例はノートで検討中です。)





    世界的な影響

    日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』自体のストーリーが『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野\xA1 $NMQ?4K@!Y!J%;%k%8%*!&%l%*!<%M4FFD!K$N$h$&$KEp:nLdBj$KH/E8$7$?%1!<%9$b$"$k!#5;=QE*$K$ONc$($P%5%`!&%Z%-%s%Q!<4FFD$,F@0U$H$7$FB>$N%"%/%7%g%s1G2h$G$bB?MQ$5$l$k%"%/%7%g%s%7!<%s$N%9%m!<%b!<%7%g%s;#1F$O!"85$O$H$$$($P黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせ、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせ、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせ、視覚効果を得るために様々な工夫を凝らしている。さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用ぁ 5$l$F$$$?$j!"!X%i%9%H%5%`%i%$!Y!J%(%I%o!<%I!&%:%&%#%C%/4FFD!K$! G$O1+$dI w!"GO$d;S$N;H$$J}$J$I!"9u_71G2h$+$i0zMQ$5$l$?%7%g%C%H$OB??t$KEO$C$F$$$k!#黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどである。



    その他

    熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。全編をラブストーリーで構成するという内容はのこれまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品はラブストーリーを撮りたかったという説もある。私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、アルコール飲料|酒も煙草も嗜んだ。1993年にイランのアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行こ\xA1 $&$HM6$o$l$?$1$I!"8e$m$K$$$?%9%?%C%U$NJ}$,!XCG$C$F!Y$H9g?^$r=P$9$N$GVa$`L5$/CG$C$?!#8e$GM}M3$rJ9$$$F$_$k$H!"9u_7$K$O2004年7月1日(木)産経新聞インタビューより



    芸能界に関係する家族

    妻は矢口陽子(女優だが、結婚後に引退)。タレントでプロデューサーの黒澤久雄は息子。久雄の元妻はタレントの林寛子 (タレント)|林寛子。その二人に生まれた黒澤優と黒澤萌は孫娘。娘の衣装デザイナーの黒澤和子は、加東大介の息子である加藤晴之と結婚して孫の加藤隆之(俳優)を生むが離婚。つまり長門裕之や津川雅彦などのマキノ一族とも縁戚関係にあった。


    [ 脚注 ]





    監督作品





    その他の作品




    [その他の映像作品]


  • 藤十郎の恋(1938年5月1日公開、山本嘉次郎演出) 製作主任

  • 綴方教室#映画|綴方教室(1938年8月21日公開、山本嘉次郎演出、東宝) 製作主任

  • 馬 (映画)|馬(1941年3月11日公開、山本嘉次郎演出、東宝映画 製作主任

  • 翼の凱歌(1942年10月15日公開、山本薩夫監督) 脚本

  • 土俵祭(1944年3月30日公開、丸根賛太郎監督、大映) 脚本

  • 四つの恋の物語 第一話「初恋」(1947年3月11日公開、豊田四郎演出) 脚本

  • 銀嶺の果て(1947年8月5日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 肖像 (映画)|肖像(1948年7月27日公開、木下恵介監督) 脚本

  • ジャコ万と鉄(1949年7月11日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 暁の脱走(1950年1月8日公開、谷口千吉監督、東宝) 脚本

  • 殺陣師段平(1950年8月26日公開、マキノ雅弘監督、東京映画配給) 脚色

  • 獣の宿(1951年6月8日公開、大曾根辰夫監督) 脚本

  • 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年1月3日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国無頼(1952年5月22日公開、稲垣浩監督) 脚本

  • ソ満国境2号作戦 消えた中隊(1955年1月14日公開、三村明監督、日活) 脚本

  • あすなろ物語(1955年10月5日公開、堀川弘通監督) 脚本

  • 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957年12月28日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国群盗伝(1959年8月9日公開、杉江敏男監督) 潤色

  • 荒野の七人(1960年製作、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画) 原作

  • 殺陣師段平(1962年9月30日公開、瑞穂春海監督、大映) 脚本

  • 暴行 (映画)|暴行(1963年製作、マーティン・リット監督、アメリカ映画) 原作

  • 荒野の用心棒(1964年製作、ボブ・ロバートソン監督、イタリア映画) 原作

  • ジャコ萬と鉄(1964年2月8日公開、深作欣二監督) 脚本

  • 姿三四郎 (1965年の映画)|姿三四郎(1965年5月29日公開、内川清一郎監督、東宝) 製作/脚本

  • 野良犬 (1973年の映画)|野良犬(1973年9月29日公開、森崎東監督) 原作

  • 暴走機関車(1985年製作、アンドレイ・コンチャロフスキー監督、アメリカ映画) 原案

  • ドキュメント黒澤明 A・K(1985年製作、クリス・マルケル監督、フランス/日本映画) 出演

  • 雨あがる(2000年1月22日公開、小泉堯史監督、東宝/アスミック・エース) 脚本

  • どら平太(2000年5月13日公開、市川崑監督) 脚本

  • 海は見ていた(2002年7月27日公開、熊井啓監督、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメント/日活 脚本

  • 赤ひげ (テレビドラマ 2002年)|赤ひげ(2002年12月28日放送、フジテレビジョン|フジテレビ) 脚本

  • 旋風の用心棒(2003年1月25日公開、川原圭敬監督、エムロックス) 原案

  • SAMURAI 7(2004年6月12日〜12月25日放送、パーフェクト・チョイス) 原作

  • 椿三十郎 (2007年の映画)|椿三十郎(2007年12月1日公開予定、森田芳光監督、東宝) 脚本

  • 隠し砦の三悪人 (2008年5月10日公開予定、樋口真嗣監督、東宝) 脚本


    [作詞]


  • ジャングルブギ(服部良一作曲、笠置シヅ子|笠置シズ子唄)

  • 七人の侍(早坂文雄作曲、山口淑子唄)



    受賞歴 


  • 羅生門(1951年ヴェネツィア国際映画祭|ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・イタリア批評家賞、1951年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1953年アメリカ監督組合賞ノミネート、1952年米アカデミー賞名誉賞(現在の外国語映画賞))

  • 生きる(1954年ベルリン国際映画祭ベルリン上院特別賞)

  • 七人の侍(1954年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)

  • 隠し砦の三悪人(1958年ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞・国際批評家連盟賞)

  • 赤ひげ(1965年ヴェネチア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(OCIC Award)、モスクワ映画祭ソ連映画人同盟賞、フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)

  • どですかでん(モスクワ映画祭映画労働組合賞)黒沢明・絵コンテの世界

  • デルス・ウザーラ(1975年モスクワ映画祭金賞・国際連盟批評家賞、1976年米アカデミー賞外国語映画賞、1977年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1977年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、パリ国際映画祭賞)

  • 影武者(1980年カンヌ国際映画祭パルム・ドール、1981年英国アカデミー賞監督賞、1981年セゼール賞外国語映画賞、1981年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、1981年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1981年ベルギー映画批評家協会監督賞)

  • 乱(1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)

  • 1979年モスクワ映画祭名誉賞

  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰黒沢明・絵コンテの世界

  • 1982年ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)

  • 1986年アメリカ監督組合賞特別賞

  • 1990年米アカデミー賞名誉賞

  • 1990年日本国福岡市 福岡アジア文化賞創設特別賞

  • 1992年アメリカ監督組合賞生涯功労賞



    著作権問題

    上記の作品の内、1952年までの作品は著作権の保護期間が終了(公開後50年)したと考えられたことから幾つかの作品がパブリックドメインDVD|激安DVDで発売された。これに対し、製作者(版権継承者)の東宝と角川映画は2036年(監督没後38年)まで著作権が存続するとして発売業者を相手取り発売差し止めと在庫の廃棄を求める訴えを東京地裁に起こした。2007年9月14日に東京地裁で原告勝訴の判決が下った。発売業者は控訴の方針。



    出典





    関連項目


  • :Category:黒澤明の監督映画

  • 日本の映画監督一覧

  • チャーリー・チャップリン(同様の著作権問題が発生)

  • 日本エアシステム



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 世界の黒澤と梅干しの 味

  • Akira Kurosawa News and Information (英語)

  • The Internet Movie Database (英語)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年03月11日

    映画監督[北野武]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    北野武



    ビート たけし(本名・北野 武、きたの たけし、1947年1月18日 - )は、東京都足立区出身のお笑いタレント、映画監督、俳優、大学教授である。オフィス北野に所属する。愛称は「たけちゃん」(たけし軍団からは「殿」と呼ばれる)。明治大学特別卒業認定者(2004年)。
    父・菊次郎と母・さきの四男(次男が夭折し、実質は三男として育つ)。長兄が宇野製作所取締役営業本部長の北野重一、次兄がタレントで淑徳大学教授、工学博士の北野大。他に姉がいる。
    妻は元漫才師の北野幹子(旧姓・松田)、娘は北野井子(しょうこ)。
    血液型O型。趣味は音楽、映画、ゴルフ。好きな食べ物はおにぎり、九州ラーメン、から揚げ。星座は山羊座。



    経歴

    東京都立足立高等学校卒業し、明治大学工学部(現在の理工学部)機械工学科に入学するも中退。その後、2004年に、特別卒業認定者に選ばれる。その為、学歴は、明治大学理工学部卒である。
    その後、東京都台東区浅草にあったストリップ劇場・浅草フランス座のエレベーターボーイをしていたが、同劇場を取り仕切る「浅草の首領」こと深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太としてコントを学ぶ。幕間コントに出演して腕を磨き、前座仲間とのコントコンビでのデビューを目指すが、仲間の病気により頓挫。
    先に松鶴家千とせ門下の漫才師となっていた同僚の兼子二郎(ビートきよし。現・ビートキヨシ)に誘われ、師匠の深見千三郎|深見に冷笑されつつも、漫才コンビ・松鶴家二郎次郎の二代目松鶴家次郎となり漫才師に転身。後にコンビ名を空たかしきよし(たかしが北野。きよしが兼子。)にするが、この頃は兼子主導で漫才を進行させていた。
    さらにツービートと改名してからは、たけしのツッコミにきよしがボケるスタイルにチェンジし、「赤信号みんなで渡れば恐くない」などの毒舌に隠れた、鋭い世相批判などが若者達に受け董 ~$l$i$l!"1980年代のMANZAIブームで一躍人気者になる。ニッポン放送系の深夜放送ラジオ番組ビートたけしのオールナイトニッポンでは、制約にあまり縛られずに、より一層、聴取者を振り切らんばかりの先鋭的かつシュールなギャグを提供した。番組中、ただ横で笑っているだけのように見られていた放送作家の高田文夫は、実はたけしのハイテンションを支えていた。番組から出た本はほとんど高田によるものである。また、ハガキ職人と呼ばれた熱心な投稿者の存在も大きい。明石家さんま、島田紳助、片岡鶴太郎たちと出演した『オレたちひょうきん族』(フジテレビジョン|フジテレビ、メインはたけし)は、当時のお化け番組『8時だョ!全員集合』 (東京放送|TBS) を放送終了に追い込んだ。『オレたちひょうきん族』の人気コーナーで、たけしが主役のヒーローコント『THE タケちゃんMAN』は当時一世を風靡し、これにあやかって学校給食に「タケちゃんマンライス」なる料理が登場するようになった。

    2005年4月より東京芸術大学大学院教授。



    事件


  • 1986年12月9日にたけし軍団とともに講談社襲撃事件(フライデー事件)を起こし逮捕。たけしのレギュラー番組で人気だった天才・たけしの元気が出るテレビ!!や風雲!たけし城|痛快なりゆき番組 風雲!たけし城、スーパーJOCKEYの出演も謹慎のため半年間欠席した。*1994年8月2日午前1時40分。東京都新宿区の都道でオートバイ事故を起こし、これもまた、半年間ブラウン管から姿を消していた。また、たけしが司会を行っている番組は他の出演者が司会代理を行っていたが、平成教育委員会はたけしと仲の良い明石家さんま、所ジョージなどが代理講師をつとめた。



    人物


  • ドラマ、映画に出演し、コメディアンとしてだけではなく、俳優として深みのある演技を見せる。また、情報番組の司会を数多くこなす他、ピアノ、タップダンスを習得するなど多彩な一面を見せている。また、立川談志の門下生(Bコース)でもあり、「立川錦之助」という高座名ももつ(ただし現在、落語の高座はしない)。※ タップダンスは浅草の下積み時代に習得したものであり、ピアノ演奏の習得は最近のことである。*1990年代から映画監督として活躍し、『HANA-BI』ではヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を、『座頭市』では同映画祭で銀獅子賞(監督賞)を受賞するなど、国内外で高い評価を得ており、特にヨーロッパにおいてはKitanistと呼ばれる固定的かつ熱狂的なファンを有するまでに至っており、日本国内でも「世界の北野」と呼ばれるほど絶賛されている。また画家として個展も開催している(Wikipwedia英語版では、「コメディアン・俳優・作家・詩人・画家・映画監督」と紹介されている。:en:Takeshi Kitanoを参照)。*日本の映画監督黒澤明とも親交があり、たけしは黒澤を敬愛している。たけしのァ Y%9%H1G2h$O!X<7?M$N;x!Y$G$"$k!#$A$J$_$K!"9u_7$OKLLn$N$3$H$r!V%S!<%H7/!W$H8F$s$G$$$?!#!X:BF,;T!Y$N%9%?%C%U$rL3$a$?!"L<$N%G%6%$%J!北野武と黒沢清の二名のみである。
    また、兄の北野大も淑徳大学の教授なので兄弟で教授となる。 B*たけしが出演する番組の大半は、イースト (テレビ制作押 q


    映画作品




    [監督作品]

    (基本的に出演しているが、していない作品もある。(※出演はビートたけし名義。)原則として映画監督としての活動は北野武名義)

  • その男、狂暴につき(1989年)

  • 3-4×10月(1990年)

  • あの夏、いちばん静かな海(1991年)

  • ソナチネ(1993年)

  • みんな〜やってるか(1995年)(ビートたけし名義)

  • キッズ・リターン(1996年)

  • HANA-BI(1998年、前年ヴェネチア国際映画祭金獅子賞受賞)

  • 菊次郎の夏(1999年)

  • BROTHER(2001年)

  • Dolls(2002年)

  • 座頭市(2003年、同年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞)


    [出演作]


  • すっかり・・・その気で!(1981年、初主演作品)

  • 戦場のメリークリスマス(1983年、大島渚監督、坂本龍一と共演、友川かずきの代役に選ばれた。)

  • コミック雑誌なんかいらない(滝田洋二郎監督、内田裕也と共演)

  • 悲しい気分でジョーク(1985年)

  • 夜叉(1985年、高倉健と共演)

  • 教祖誕生(1993年、萩原聖人と共演)

  • JM(1995年、キアヌ・リーブスと共演)

  • バトル・ロワイアル(2000年、深作欣二監督)

  • バトル・ロワイアル 【特別篇】(2001年、深作欣二監督)

  • 御法度(2001年、大島渚監督)

  • バトル・ロワイアルII 鎮魂歌|バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】(2003年、深作欣二・深作健太監督)

  • 血と骨(2004年、崔洋一監督)



    主なテレビ出演番組




    [現在出演中の番組]


  • 世界まる見え!テレビ特捜部(日本テレビ)

  • 北野タレント名鑑(フジテレビ)

  • 奇跡体験!アンビリバボー(フジテレビ)

  • ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日)

  • 最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学(朝日放送)

  • たけしの誰でもピカソ(テレビ東京)

  • 平成教育委員会|平成教育委員会スペシャル(フジテレビ)


    [過去に出演した番組]


  • ビートたけしのアイドルパンチ(テレビ朝日)

  • Oh!たけし(日本テレビ)

  • 気分はパラダイス!(テレビ東京)

  • 笑ってポン!(TBS)

  • スーパージョッキー(日本テレビ)

  • ビートたけしのスポーツ大将(テレビ朝日)

  • 世界まるごとHOWマッチ!!(毎日放送)

  • ギミア・ぶれいく(TBS)

  • 天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)

  • スポーツシャワー~ヒーローに花束を~(朝日放送)

  • たけし・逸見の平成教育委員会|平成教育委員会(フジテレビ)(※この番組では北野武名義。)

  • FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(87、90)→FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島91’→平成教育テレビ→FNSの日(フジテレビ)
        1992年〜1996年は総合司会として参加、1987年は深夜に飛び入り参加。これによりビッグスリー|BIG3が誕生した。また1992年の平成教育テレビの前日、笑っていいとも!に登場し、当時は明石家さんまも金曜レギュラーだった為、タモリ、たけし、さんまが正月のスペシャル、FNSの日以外で珍しく3人が集まったこともあった。1996年に司会を降りてからはFNSの日に登場する事はなくなってしまった。

  • ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ)

  • ドラキュラがねらってる(毎日放送)

  • 神出鬼没!タケシムケン(テレビ朝日)

  • FNN DATE LINE|FNNデイトライン特別版(フジテレビ)

  • 風雲!たけし城(TBS)

  • ここがヘンだよ日本人(TBS)

  • たけしの万物創世紀(朝日放送)

  • たけし・所のWA風が来た!(朝日放送)

  • 蝶々・たけしの21世紀まで待てない!(毎日放送)

  • たけしのここだけの話(関西テレビ)

  • 新橋ミュージックホール(読売テレビ)

  • ビートたけしの!こんなはずでは!!(テレビ朝日)

  • 北野ファンクラブ(フジテレビ)

  • 北野富士(フジテレビ)

  • 足立区のたけし、世界の北野(フジテレビ)

  • たけしの斉藤寝具店(フジテレビ)

  • 世界超偉人伝説(日本テレビ系)

  • タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ(フジテレビ)



    主なラジオ出演番組


  • ビートたけしのオールナイトニッポン(ニッポン放送)



    主な主演ドラマ


  • 刑事ヨロシク(TBS)

  • 学問ノススメ(TBS)

  • 浮浪雲(TBS)

  • 昭和46年 大久保清の犯罪(TBS)

  • 説得 エホバの証人と輸血拒否事件(TBS)

  • 兄弟(なかにし礼原作:テレビ朝日)

  • 火曜サスペンス劇場・鬼畜(日本テレビ)

  • 実録犯罪史シリーズ 金(キム)の戦争 ライフル魔殺人事件(フジテレビ)



    主な著作物




    [北野武名義]


  • たけしくん、ハイ!(太田出版)

  • ビートたけしの世紀末毒談(集英社文庫)

  • 余生(ロッキングオン)

  • 孤独(ロッキングオン)

  • 時効



    [ビートたけし名義]


  • 浅草キッド(太田出版;新潮文庫)

  • たけし! オレの毒ガス半生記(講談社)

  • 顔面麻痺(幻冬社文庫)

  • あのひと(新潮文庫)

  • 菊次郎とさき(新潮文庫)

  • 愛でもくらえ(祥伝社)



    音楽制作




    [主な歌唱作品]


  • OKマリアンヌ

  • 抱いた腰がチャッチャッチャッ

  • たかをくくろうか

  • I'll be back again...いつかは

  • GOD BLESS YOU〜神の御加護を〜

  • 友だちじゃないか(ぢ・大黒堂名義)


    [主な作詞提供]


  • チポップ(宮沢りえ)



    参加したテレビゲーム


  • たけしの挑戦状(タイトー)



    ビートたけしを演じた人


  • 小磯勝弥 NHK『たけしくん、ハイ!』(1985年)『続・たけしくんハイ!』(1986年)

  • 天宮良 テレビ朝日『ビートたけしの浅草キッド・青春奮闘編』(1988年)

  • 松尾銀三 フジテレビ『ちびまる子ちゃん』「まる子サーカスに行く」の巻(1996年2月4日)

  • ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン テレビ朝日『菊次郎とさき』(2001年1月6日)

  • 水道橋博士 SkyPerfecTV!『浅草キッドの「浅草キッド」』(2002年4月26日)

  • 岡嶋秀昭 ABC『ナンバ壱番館』島田洋七の回(2002年11月4日)



    その他


  • 東京スポーツ|東京スポーツ新聞社客員編集長

  • 1999年フランス政府より芸術文化シュバリエ勲章授与。

  • 明治大学特別功労賞授与(2004年)

  • 東京芸術大学大学院教授(2005年より)



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 明治大学HPより「北野武氏へ明治大学特別卒業認定証ならびに特別功労賞を贈呈」

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年03月10日

    映画監督[椎名誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    椎名誠




    椎名 誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家。東京都生まれで千葉県千葉市出身。東京写真大学中退。本名は渡辺 誠、妻は渡辺一枝。



    経歴

    流通業界の専門誌『ストアーズレポート』の編集長を経て、「スーパーエッセイ」と称した『さらば国分寺書店のオババ』で作家デビュー、大ヒットとなる。その軽い文体は嵐山光三郎の文体とともに昭和軽薄体と呼ばれた。克美荘で共同生活をした仲間と東日本何でもケトばす会、通称東ケト会を設立。
    その後の活動を『わしらは怪しい探険隊』として出版、シリーズ化された。
    その後も私小説、エッセイ、サイエンス・フィクション|SF小説、超常、写真を多数執筆・発表、
    SF、超常小説の類は分類によって「シーナワールド」といわれる。作家以外には、辺境の地への冒険をライフワークとするほか、「ホネ・フィルム」を設立、映画監督としても活躍した。(現在「ホネ・フィルム」は解散)目黒考二らと本の雑誌社を設立、本の雑誌編集長を務めるほか、徳島で川の学校の講師、週刊金曜日の編集委員も務める。また岸洋子のファンとしても有名である。



    受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞



    作品リスト


  • さらば国分寺書店のオババ

  • 岳物語 - 息子、岳の成長や友情を捕らえた私小説。後に自身の手により映画化された。

  • 続・岳物語

  • アド・バード - 集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の街に霧が降るのだ - 他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探検隊

  • いろはカルタの真実

  • 砂の海

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス

  • ハマボウフウの花や風

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝 - 林政明と共著。

  • 人生途中対談 - 東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 突撃 三角ベース団

  • 新宿熱風どかどか団

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談 - 東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    関連項目


  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫



    外部リンク


  • WEB本の雑誌

  • 週刊金曜日

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
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