2008年04月30日

映画監督[中条省平]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
中条省平



中条 省平(ちゅうじょう しょうへい、昭和29年(1954年) - )は、日本の映画評論家、フランス文学者、漫画評論家。学習院大学文学部教授。研究分野は19世紀のフランス小説。



略歴


  • 1954年:神奈川県に生まれる

  • 麻布中学校・高等学校|麻布高等学校を経て東京外国語大学中退?専攻していた言語になじめなかったといわれる

  • 1981年:学習院大学仏文科卒業

  • 1984年:フランス政府給費留学生としてパリに滞在

  • 1987年:パリ第十大学第三期文学博士号取得

  • 1988年:東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得修了 学習院大学文学部フランス文学科専任講師となる



    著書


  • 『Pulsions du roman; le cas Barbey d'Aurevilly』(学習院大学、1988年)

  • 『最後のロマン主義者――バルベー・ドールヴィイの小説宇宙』(中央公論社、1992年)

  • 『映画作家論――リヴェットからホークスまで』(平凡社、1994年)

  • 『小説家になる!』(メタローグ、1995年)。『小説の解剖学』と改題、ちくま文庫、2002年)

  • 『小説家になる!2』(メタローグ、2001年。『小説家になる!』と改題、ちくま文庫、2006年)

  • 『文章読本――文豪に学ぶテクニック講座』(朝日新聞社、2000年。中公文庫、2003年)

  • 『クリント・イーストウッド――アメリカ映画史を再生する男』(朝日新聞社、2001年。ちくま文庫、2007年)

  • 『反=近代文学史』(文藝春秋、2002年。中公文庫、2007年)

  • 『フランス映画史の誘惑』(集英社新書、2003年)

  • 中条省平の秘かな愉しみ』(清流出版、2003年)

  • 『読んでから死ね!――現代必読マンガ101 』(文藝春秋、2003年)

  • 『名刀中条スパパパパン!!!』(春風社、2003年)

  • 中条省平は二度死ぬ!』(清流出版、2004年)

  • 『三島由紀夫が死んだ日』(編著、実業之日本社、2005年)

  • 『続・三島由紀夫が死んだ日』(編著、実業之日本社、2005年)

  • 『ただしいジャズ入門』(春風社、2005年)

  • 『決定版!フランス映画200選』(清流出版、2007年)



    主要翻訳


  • ペナック『人喰い鬼のお愉しみ』(白水社、1995年。白水uブックス、2000年)

  • ボバン『いと低きもの』(平凡社、1995年)

  • オフマルシェ『ドゥマゴ物語』(Bunkamura,1995年)

  • マンディアルグ『すべては消えゆく』(白水社、1996年。白水uブックス、2002年)

  • キュニー『ギル・エヴァンス音楽的生涯』(径書房、1996年)

  • マンシェット『眠りなき狙撃者』(学研、1997年)

  • グルニエ『フィッツジェラルドの午前三時』(白水社、1999年)

  • バルベー・ドールヴィイ『悪魔のような女たち』(ちくま文庫、2005年)

  • ブランケ『幸福の花束』(パロル舎、2005年)

  • バタイユ『マダム・エドワルダ/目玉の話』(光文社古典新訳文庫、2006年)

  • ヴィリエ・ド・リラダン『残酷物語』(河出書房新社、近刊)

  • バルベー・ドールヴィイ『デ・トゥーシュの騎士』(ちくま文庫、近刊)

  • マンシェット『愚者が出てくる お城が見える』(メディアファクトリー)

  • コクトー『恐るべき子供たち』(光文社古典新訳文庫、2007年)

  • パスカル・フロマン(Pascale Froment)『ロベルト・スッコ』( 太田出版、2002年 中条 省平・志穂 (翻訳))



    その他


  • 近年は漫画近評論にも力を入れる。「週刊文春」連載の漫画論「読んでから死ね!現代必読マンガ101」では、浦沢直樹、しりあがり寿、大島弓子、赤塚不二夫、安達哲、新井英樹、荒木飛呂彦、一條裕子、松本大洋、井上雄彦、古谷実、ねこぢる、皆川亮二らを解説した。


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    2008年04月29日

    映画監督[椎名誠]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    椎名誠




    椎名誠(しいなまこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家、随筆家|エッセイスト、写真家、映画監督。本名は、渡辺誠。椎名は旧姓で、結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ渡辺姓となった。



    経歴

    東京都世田谷区三軒茶屋に生まれ、千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張に育つ。千葉市立千葉高等学校卒業。イラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生。東京写真大学(現東京工芸大学)中退。異母兄弟の下から二番目に生まれ、長兄とは20歳位離れている。体育会系で喧嘩好きの少年であったが、一方で読書も好きで、サイエンス・フィクション|SFやナチュラリズム系の本、海外旅行記などを好んで読んだ。流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているストアーズ社に入社。同誌の編集長にまでなる。同社勤務中、同僚の目黒考二らと、『本の雑誌』を創刊(創刊以来、一貫して編集長を務めている)。誌上での椎名の文章が評判となった。『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局刊)でエッセイストとしてデビューする。その軽快で口語調の文体は嵐山光三郎らの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、一躍マスコミの寵児となり、ストアーズ社を退社して執筆業に専念する。なお、高校卒業後に、江戸川区小岩のアパート克美荘で共同生活をした沢野ひとし・木村晋介ら仲間と「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会を設立。その活動を『ぁ o$7$i$O2x$7$$C581Bb!Y$HBj$7$F=PHG!"%7%j!<%:2=$5$l$?!#$=$N8e$O>.@b$K?J=P!";d>.@b!"%5%$%(%s%9!&%U%#%/%7%g%s|SF小説、超常小説を多数発表。椎名はSF・超常小説を、「シーナワールド」と呼ぶ。文筆活動以外には、辺境の地への冒険をライフワークとし、ドキュメンタリー番組によく出演するほか、旅先での写真を多数発表。映像プロダクション「ホネ・フィルム」を設立、映画監督の経験もある(現在ホネ・フィルムは解散)。徳島で「川の学校」の講師、『週刊金曜日』の編集委員も務める(連載を担当していたほかは実質的な仕事をしていないとしており、表紙写真の担当を降りたことから2007年12月14日号を最後に退任)。写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。妻の渡辺一枝とは親友で弁護士の木村晋介の紹介で結婚した。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。息子の渡辺岳はボクサーで現在は写真家。格闘技、プロレスなども大好きで、彼自身柔道2段。また、マーシャル・アーツなども愛好する。2006年11月に写真活動の集大成ともいえる写真集『ONCE UPON A TIME』(本の雑誌社)を粥 )9T$7$?!#



    受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞

  • 1993年 『あひるのうたが聞こえてくるよ。』 第10回山路ふみ子映画文化賞。

  • 1995年 『白い馬』 JRA賞馬事文化賞

  • 1996年 『白い馬』 EARTH VISION 地球環境映像祭環境教育映像賞
                 第5回日本映画批評家大賞最優秀監督賞

  • 1997年 『白い馬』 ボーヴェ映画祭グランプリ受賞
                  ポーランド子ども映画祭特別賞



    作品リスト


  • クレジットカードの実務知識

  • さらば国分寺書店のオババ(デビュー作)

  • 気分はだぼだぼソース

  • 岳物語
    :息子、渡辺岳の成長を捉えた私小説。なお、娘(岳から見た姉)の渡辺葉については本人の希望により一切書かれていないため、岳が一人っ子のように描かれている。なお、作品中では家族名が(「渡辺家」ではなく)「シーナ家」となっていることから、出版社の付録では「フィクション小説」と扱われる場合が多い。『続・岳物語』も同じ。椎名自身は長期に渡って書き続ける予定であったが、息子が、小説の登場人物にされるのを嫌がるようになり、中断した。

  • 続・岳物語

  • アド・バード
    :集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。作品中の言語感覚には筒井康隆の影響が見られる。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の町に霧が降るのだ
    :他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探険隊

  • いろはカルタの真実

  • イスタンブールでなまず釣り

  • 砂の海 : 楼蘭・タクラマカン砂漠探検記

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • 風のかなたのひみつ島

  • 波のむこうのかくれ島

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇(「哀愁の街に〜」の続編)

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス(「新橋鳥森口〜」の続編)

  • ハマボウフウの花や風(第102回直木賞候補)

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび
    :本当の“岳物語”がある(姉の事について書かれている。)

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝
    :林政明と共著。

  • 人生途中対談
    :東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録
    :本の雑誌ができるまでを、編集の面を中心にして書かれた作品。

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 突撃 三角ベース団

  • 新宿熱風どかどか団

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談
    :東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後

  • 海ちゃん、おはよう

  • なつのしっぽ

  • いま この人が好きだ!
     パタゴニア−あるいは風とタンポポの物語り

  • 黄金時代



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    関連項目


  • 日本の秘境100選

  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫

  • 青山正明

  • 週刊金曜日


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    2008年04月28日

    映画監督[淀川長治]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    淀川長治



    淀川 長治(よどがわ ながはる、男性、1909年4月10日 - 1998年11月11日)とは、日本の映画評論家である。兵庫県神戸市出身。*旧制兵庫県立第三神戸中学校卒、日本大学予科除籍。

  • その独特の語り口からサヨナラおじさんとして親しまれた。



    プロフィール


  • 有名な芸者置屋の跡取り息子として神戸市|神戸に生まれる。実母は、父の本妻の姪にあたった。長く病身で、自分に子ができないことを悔いた本妻が、妾として姪を夫に推薦したのだった。本妻は、生まれてまもない淀川を病床で抱かせてもらい、安心したように数日後に永眠。実母がその後、本妻になった。姉が二人と、弟が一人いる(弟はのち自殺)。映画館の株主だった親の影響で子供の頃から映画に精通。

  • 旧制の兵庫県立第三神戸中学校(現在の兵庫県立長田高等学校)を卒業後、慶應義塾大学予科の入試に失敗し、日本大学予科に籍を置くが出席せずそのまま除籍となった。

  • 雑誌『映画世界』の編集者として活躍。その後UIP(ユナイテッド・アーティスツ|ユナイテッド・アーチスト映画社)の日本支社、東宝映画の宣伝部勤務、雑誌『映画の友』編集長を経て映画評論家として活動を開始。

  • 1936年(昭和11年)2月、来日したチャーリー・チャップリンとの会談に成功している。その後日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われる。

  • 1960年代中盤にテレビ朝日|日本教育テレビ(現テレビ朝日)で放送された海外映画『ララミー牧場』の解説で脚光を浴び、中でも1966年から始まるテレビ朝日系長寿番組『日曜洋画劇場』(当初は『土曜洋画劇場』)の解説者として、番組開始から死の前日までの32年間、独特の語り口でファンを魅了し続けた。特に「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」や番組末尾の「それでは次週をご期待ください。さよなら、さよなら、さよなら・・・」は淀川の名台詞として語り草とされており、子供たちやタレントの小松政夫がこれをものまねするなど一躍お茶の間の人気者となった。かつてはその都度「さよなら」の回数が異なっていたが、ある日少年から直接電話をうけ、何回「さよなら」と言うかが少年達の間で賭けられている、との話を淀川が耳にした。このとき、淀川は少年に「賭けをするのは良くないことだ」と諭し、それからは常に3回とするようにした。なお、回数が異なっていたのは、単に放送終了まで「さよなら」と連続して言い続けたからで、意図したものではないと本人が語っている。おまけに、解説では正面を向かっていたが、この「さよ\xA1 $J$i!W$rO"8F$9$k;~$@$1$O$J$<$+
  • 横浜市鶴見区 (横浜市)|鶴見区に自宅があったが、1987年末からは日曜洋画劇場の収録を行っていたテレビ朝日アーク放送センターと同じアークヒルズ内ある全日空ホテルズ|東京全日空ホテル34階のスイートルームで暮らしていた(「棺桶がちゃんと入るかどうか、エレベーターの大きさを調べて決めた」と『徹子の部屋』で明言)。スイートルームの広い部屋の中は映画に関する書籍や資料で埋め尽くされていたという。

  • 生涯独身を貫いたのは、「淀川家の血筋を絶やさぬためだけに妾にさせられた母が可哀相で仕方がなく、母に辛い思いをさせた淀川家に復讐するため、結婚せずに子供をつくらないことで血筋を絶やした」という痛切な告白を著書『私はまだかつて嫌いな人に逢ったことがない』の中で記述している。なお、淀川の母は当時「母がかわいそうだから結婚しない」と言っていた淀川の将来を案じ、一度花嫁候補の女性を家に連れてきて1週間一緒に住まわせたことがあるが、淀川自身がまったく相手にしないため、この女性は帰ってしまったと後に淀川自身が語っている。

  • 「名作映画は、人類にとって最高の総合芸術である」などの言葉を残している。

  • どの映画にも見所はあるというのが持論で、どんなB級映画でも決して悪口を言わず、「このセリフ回しが素晴らしい」、「女性の脚の組み方がいい」など、一般人は見過ごしそうな箇所を見つけては褒めていた。

  • 『日曜洋画劇場』での物腰が柔らかい姿とは対照的に、こと評論においては次項の通り非常に舌鋒鋭く映画に踏み込んでいた。

  • 蓮實重彦、山田宏一との鼎談において、ジャン・リュック・ゴダールとロベルト・ロッセリーニを「映画を破壊した大犯罪人」と評している。これは「彼らが素人でも映画が撮れると勘違いさせるような映画を撮ってきた」ことにより、プロ意識が欠乏したエピゴーネンがその後多く誕生したことを指摘したものである。監督としての評価は別で、キネマ旬報の毎年のベスト10には、2人の作品を入れている年もある。

  • 1968年〜1969年に放送したモノクロアニメ『怪物くん』(東京放送|TBS)で、登場した怪物の解説をした。また、エンディングでもナレーションを担当した。

  • 1969年の映画『薔薇の葬列』のラストでは、淀川長治本人の役で出演しており、映画の解説をする場面がある。

  • 1972年に公共広告機構初のCMに出演した。

  • 1996年に著書『男と男のいる映画』で、「子どもの頃から男が好きだった」とホモセクシュアルであったことを公にしている。また、マーティン・シャーマンの戯曲『ベント|BENT』(同性愛が主題の戯曲)について「私はこれまでに映画や芝居でどれだけのラブ・シーンを見てきたかは数えきれないが、『BENT』のラブ・シーンくらい痛ましく悲しく美しく強烈なラヴ・シーンに接したことはなかった」と言ったコメントも残している。また、アーノルド・シュワルツネッガーが来日した際に長寿の秘訣を聞かれた際にも「わかりました。じゃあ、お風呂でお聞きしましょう」とコメントしている。また女性インタビュアーも非常に嫌っていたという。

  • なお、今や日本中で親しまれているシュワルツネッガーの愛称である「シュワちゃん」は淀川の命名したものである。

  • 親友の黒澤明が死去した後の追悼放送で『夢』が放送された際、通常、邦画の解説はしない(番組名に配慮して)淀川は喪服を着て解説に臨んだ(本人の意思か局側の要請かは不明)。

  • 1998年11月15日放送の『ラストマン・スタンディング』の解説収録(1998年11月10日)の翌日に死去。収録を黒柳徹子が見学しており、一回でOKが出た直後に「汚ない!」と言い切り、2回目のOKでうなずいて、車椅子でスタジオを出たとのこと(病院からのスタジオ入りだった)。※参考文献および当時の放送より。なお映画『ラストマン・スタンディング』は黒澤明の『用心棒』のギャング映画としてのリメイクである。

  • 1998年11月11日午後8時7分、腹部大動脈瘤破裂が原因による心不全で死去した。89歳だった。喪主は姪の編集者淀川美代子。

  • 1998年11月15日の『日曜洋画劇場』の放送では、冒頭に特別企画として「サヨナラ 淀川長治さん 89年の輝ける映画人生」のタイトルで、追悼番組が約30分間流された。そして最後の解説のあとに「淀川長治さん 永い間、本当にありがとうございました」というテロップが出た。ただ死去する数年前から、『日曜洋画劇場』のプログラムは視聴率が容易に取れる近来のアクション映画が中心になっており、淀川が繰り返し語っていた「良い映画」を同番組で解説する機会はめっきり減っていた。

  • 2006年12月20日には、自身の代名詞ともいえる『日曜洋画劇場』が放送開始から40周年を迎えたのを記念して、『淀川長治の名画解説』と銘打った前代未聞の『映画本編は一切収録されない解説者の解説のみが入ったDVD』が発売されている。このような作品が出ることは淀川の死後多くの視聴者からの要望があったからだが、死から8年経っての実現とあってファンを喜ばせた。このDVDには『スター・ウォーズ』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』といったSF作品から、『ローマの休日』のような古典作品も解説されており、特典映像として最期の解説となった『ラストマン・スタンディング』の解説も収められている。



    淀川長治のベスト集

    (その折々で選出する作品等が異なる為、これらが決定稿とはいい難い。)一本の映画
     「キネマ旬報」1967年10月上旬号

  • 「愚なる妻」(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)ミュージカル映画この一本
     「キネマ旬報」増刊「ミュージカル・スター」(1968年)

  • 「ウエスト・サイド物語(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス)日本映画史上のベスト3
     「キネマ旬報」1979年11月下旬号

  • 残菊物語(溝口健二)

  • 羅生門 (映画)|羅生門(黒澤明)

  • 戸田家の兄妹(小津安二郎)外国映画史上のベスト3
     「キネマ旬報」1980年12月下旬号

  • 黄金狂時代(チャーリー・チャップリン|チャールズ・チャップリン)

  • 戦艦ポチョムキン(セルゲイ・エイゼンシュテイン)

  • グリード(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)

  • 大いなる幻影(ジャン・ルノワール)

  • ベニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ)オールタイム・スター ベスト5
     「キネマ旬報」1985年1月上旬号

    (男優)

  • チャールズ・チャップリン

  • オーソン・ウェルズ

  • ルイ・ジューヴェ

  • ローレンス・オリヴィエ

  • スペンサー・トレイシー
    (女優)

  • メアリー・ピックフォード|メリー・ピックフォード

  • グレタ・ガルボ

  • マレーネ・ディートリッヒ

  • ベティ・デイヴィス

  • イングリッド・バーグマン松竹映画 オールタイム・ベスト10
     「キネマ旬報」1986年8月下旬号

  • 戸田家の兄妹(小津安二郎)

  • 浪華悲歌(溝口健二)

  • 祇園の姉妹(溝口健二)

  • 春琴抄・お琴と佐助(島津保次郎)

  • 父ありき(小津安二郎)

  • 秋刀魚の味(小津安二郎)

  • 彼岸花(小津安二郎)

  • 二十四の瞳(木下惠介)

  • 女(木下惠介)

  • 東京物語(小津安二郎)

  • 張り込み(野村芳太郎)

  • 復讐するは我にあり(今村昌平)

  • マダムと女房(五所平之助)

  • 元禄忠臣蔵 前・後編(溝口健二)

  • 男はつらいよシリーズ(山田洋次)

  • 天一坊と伊賀亮(衣笠貞之助)

  • みかへりの塔(清水宏 (映画監督)|清水宏)

  • 浅草の灯(島津保次郎)

  • 生まれてはみたけれど(小津安二郎)

  • 転校生 (映画)|転校生(大林宣彦)その他のベスト

  • あるテレビ番組(NHK「この人淀川長治ショー」)では、一本の映画で「黄金狂時代」を挙げている。

  • ある本では、映画史上の悪役で「ジャッカルの日」のジャッカル(エドワード・フォックス)を選んでいる。



    受賞歴


  • 1986年:第4回川喜多賞受賞

  • 1999年:第36回ゴールデン・アロー賞特別賞受賞



    参考文献


  • 『徹子と淀川おじさん 人生おもしろ談義』(徹子の部屋での対談を纏めた本)NTT出版、2002年。光文社〈知恵の森文庫〉、2006年。



    外部記事


  • 産経新聞 ENAK 淀川長治の銀幕旅行

  • anan・淀川長治の新シネマトーク

  • 淀長フォーエバー

  • IVC 淀川長治のクラシック名作映画



    関連項目


  • 植草甚一 戦前東宝宣伝部時代の同僚で生涯の親友。淀川は彼の死に際して弔辞を読んだ。

  • 双葉十三郎

  • おすぎ

  • 黒柳徹子

  • 永六輔

  • 渥美清

  • ボーイング377

  • アンパンマン 登場人物のホラーマンは淀川がモデル。

  • 藤原啓治 アニメ版『ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹』のケロロ軍曹の登場人物一覧#番組ナレーション|ナレーター。アリサ=サザンクロスが登場する回になると淀川のような口調になる。


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    2008年04月27日

    映画監督[映画監督]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    映画監督



    映画監督(えいがかんとく)とは、映画の映像作成を統括する責任者で、ディレクターとも呼ぶ。一般に、製作を担当するプロデューサー|製作者(プロデューサー)と並んで、その映画のトップ2となる。テレビ番組やビデオ作品などについても「監督」「ディレクター」という言葉が用いられるが、「映画監督」は、劇場用映画(劇映画)や、フィルムで撮影されたまとまったドキュメンタリー作品の監督のみを意味する事が多い。一般に、テレビ番組やビデオ作品の監督よりは映画監督の方が格上であるというようなイメージがあるようだ。ただし、「映画監督」と「(テレビ番組やビデオ作品の)監督」の職務内容には、規模の違いこそあれ大きな差はないため、本稿では両者をまとめて扱う。



    基本的な仕事の範囲

    映画監督の基本的な責任範囲は「映画作品としての品質管理」である。「企画(どういう映画を作るかという案を策定する)」「製作(制作費の調達や管理、作品の売り出しなどを決定する)」は基本的に映画プロデューサー|プロデューサーの職分であり、監督という職種の本来の責任範囲ではない(監督がプロデューサーを兼ねることはある)。もっとも、監督が作品を作り上げる上で複数の職務を担当することもあり、「脚本」や「編集」に多く見られる。さらに、ジョン・カーペンターや大林宣彦などは、自分の作品で音楽家を兼任していたりもする。とはいえ、諸々の経済的事情を始めとする理由によって、監督が理想とする映画が作れる事はほとんどない。少しでも理想に近づけるための交渉術なども、監督にとって重要な資質であるといえる。又、映像作品を作り上げるためには、多くのスタッフが関係する事がある。それぞれの専門的なスタッフのアイディアをくみ上げ、アイディア1つ1つについて吟味し、採用したり却下したりという判断を下す事も、監督の重要な仕事ぁ G$"$k!#$J$*!"HVAH@):n2q映画監督の場合、基本的に作りたい映画を作れない。どういう映画を作るかは、番組制作会社の社長の決裁事項であり、正社員の映画監督は、それに従うしかないからである。どういう映画を企画するかについて、番組制作会社は、事前に市場調査を行なう。その結果、視聴者が好みそうな映画が制作されることになる。例えば、劇中の敵役は「政治家」「官僚」「東京大学|東大生」など「エリート」を意識させるキャラクターであることが少なくない。



    監督の実務




    [劇映画の場合]

    監督の仕事は、完成した脚本を受け取ってから始まる(それ以前にも脚本を完成させるための議論に参加するなどの仕事が発生するが、脚本が完成するまでは、基本的に脚本家の仕事である。ただし近時では伊丹十三のように監督自らが脚本を書く場合も少なくない)。#配役。どういう役に、どういう俳優を割り当てるかを決定する。主役級の俳優は、プロデューサ等によって決定済の場合もあるし、専門のキャスティング・プロデューサが置かれる場合もあり、監督がすべての配役を決定するわけではないが、決定に際しては、何らかの意見を求められるのが普通である。
    ・ロケーション・ハンティング|ロケハン。撮影を行う場所を決定する。
    ・衣裳合わせ。各シーンごとに、それぞれの俳優が着用する衣裳や、手に持つ小道具等を決めていく。監督の美意識がストレートに反映される部分であるため、最終決定権は監督にある。また、各人の衣裳により、カメラの位置、照明の方法、セットの組み方等も変わってくるため、各部門のチーフ級のスタッフも参加する。よって、これが俳優と各スタッフの、事実上の「初顔合わせ」の場になることが多い。
    ・撮影。撮影現場を管理する。カメラポジション(撮影場所)や画角、カメラの動き方を決め、絵柄を確定する。役者への演技指導を行う。撮影中の動きなどを把握した上で、OK/NGの判断をする(NGの場合は更に同じカットを繰り返して撮影する 撮影そのものを「テイク」、撮り直しとその回数で「テイクn」と称する)。テレビの場合は本番に入る際にディレクターが3、2、1キューと合図するのが普通だが撮影所製作の映画では「よーい、はい」と助監督が合図をして本番に入り、OKならシーン撮影終了の後に「OK!」、NGならNGの演技が出た瞬間に「カット!」と叫んで撮影を止めるのが慣例となっている。
    ・編集。撮れている映像から必要なものを抜き出してつなぐ。映像と映像のつなぎ方などを決定する。音楽や効果音をつけるかどうか、つけるとした場合はそのつけ方を決定する。


    [ドキュメンタリー映画の場合]

    ドキュメンタリー映画の場合は、劇映画ほど職務分担の違いが明らかではない(明らかにならないし、見つけられない)。多くの場合低予算でスタッフの人数が少ない事や、その場その場で判断しなければならない事が多いなどの理由から、一般にドキュメンタリー映画の監督は、監督としての職務のほかに、「企画」「調査(リサーチ)」「取材(インタビュアー)」などを兼務せざるを得ない(「撮影」を兼任する場合も多く、それどころか「荷物運び」なども当然に監督が分担すべき職務と考えられている現場もある)。ドキュメンタリー映画の監督の場合は、権限が広いというよりは、不可分ないくつかの職域を横断し監督一人が総合的に責任を負う事になるという、構造的な違いがある。



    監督の仕事のスタイル

    なお、監督の仕事のスタイルは、人によって様々である。又、撮影現場には、国や文化圏によって異なる様々な慣習があり、そういった意味でも違いは大きい。最終的に「(条件の範囲内で)良い作品を作る事」のみが監督の職務であり、監督の仕事の進め方については、(無難な仕事の進め方というものは、もちろん存在するものの)定石と呼べるようなものはない。最近では映画のメイキング映像なども比較的入手しやすくなっているが、実に千差万別に各人が工夫をして作品の映像を作り上げている事が分かる。それらを見比べるのも、映画の楽しみの1つであるといえる。



    関連項目


  • 映画監督一覧
    日本の映画監督一覧

  • 助監督


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    2008年04月26日

    映画監督[崔洋一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    崔洋一



    崔 洋一(さい よういち、チェ・ヤンイル、???、男性、1949年7月6日- )は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。日本映画監督協会理事長、宝塚造形芸術大学教授でもある。大韓民国|韓国籍。



    来歴・人物

    1949年7月6日、長野県佐久市に生まれる。1968年、東京朝鮮中高級学校を卒業。東京綜合写真専門学校中退後、照明助手として映画界に入り、小道具を経てまもなく演出部に転向、1976年、『愛のコリーダ』(監督大島渚、主演藤竜也)、1978年、『最も危険な遊戯』(監督村川透、主演松田優作)の助監督 (映画)|チーフ助監督を務める。1981年、テレビ映画『プロハンター』(主演草刈正雄、藤竜也)で監督デビュー。同作のプロデューサーであった日本テレビ放送網|日本テレビの山口剛、セントラルアーツの黒澤満 (映画プロデューサー)|黒澤満のプロデュースのもと、「火曜サスペンス劇場」を2作撮り、満を持して1983年、『十階のモスキート』(主演内田裕也)でスクリーンに本格的にデビューする。同作はヴェネツィア国際映画祭にも出品され、1984年、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。1993年、日本衛星放送(現WOWOW)のプロデューサー仙頭武則が立ち上げた「J・MOVIE・WARS」シリーズでのテレビ映画『月はどっちに出てぁ $$k#ドラマ|J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(主演石橋凌)にひきつづき、シネカノンの李鳳宇のプロデュースのもとに手がけた『月はどっちに出ている』(主演岸谷五朗)で報知映画賞、ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞、毎日映画コンクールほかの各賞、各部門賞受賞のほか、第17回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞にノミネートされる。文藝春秋 (出版社)|文藝春秋社のマルコポーロ1993年9月号にて「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」などとした発言に対し一部在日コリアンから「誤解を招く」と非難の声が上がる1996年には韓国の延世大学に留学、同国の映画人たちとの交流をはかる。1999年、映画『豚の報い』(主演小澤征悦)で第52回ロカルノ国際映画祭ロカルノ国際映画祭#金豹賞|金豹賞にノミネートされ、ドンキホーテ賞(国際シネクラブ賞)を受賞したAwards for Yoichi Saiによれぁ P!V%I%s%-%[!<%F>^ ''Don Quixote Award''」、日本映画監督協会 - 理事長の「プロフィール」には「国際シネクラブ賞」とあるので併記した。。また自作のWOWOW版『月はどっちに出ている』に「タクシー会社の課長」役で出演以来、俳優としての活動も頻繁になり、ついに同年、俳優として『御法度 (映画)|御法度』(監督大島渚)に近藤勇役で出演、翌2000年の第53回カンヌ国際映画祭の地を大島監督、ビートたけし、松田龍平とともに踏んだ。2005年、ビートたけし主演の映画『血と骨』(2004年)で第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞。また同年、かつてTBSテレビの「男と女のミステリー」で手がけた大沢在昌原作の『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(主演山崎努、1989年)以来、ひさびさに「大沢在昌#アルバイト探偵シリーズ|アルバイト探偵シリーズ」(『帰ってきたアルバイト探偵』)を原作に、WOWOWの「ドラマW」で『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(主演椎名桔平)を演出した。 B2006年、初の韓国資本の映画『壽 (映画)|壽』(主演チ・ジニ)の撮影を開始し、2007年3月22日韓国国内で公開、同年ドイツの「ミュンヘン・アジアフィルムフェスト」で上映された。2008年1月25日にはドイツで早くもDVDが発売される予定であり、2008年夏、日本でも公開の予定である。近年は日本テレビ放送網の『午後は○○おもいッきりテレビ』やテレビ朝日の『ビートたけしのTVタックル』などにコメンテーターとして出演することも多く、辛口コメントで有名。『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ)では国鉄から鉄の資材を盗んで売っていたと告白したが謝罪はなかった。2004年、日本映画監督協会第8代理事長に就任、2007年4月、宝塚造形芸術大学教授に就任。2007年秋、白土三平原作、宮藤官九郎脚本、松山ケンイチ主演による映画『カムイ外伝』の撮影を開始、2009年公開の予定である。



    フィルモグラフィ




    [ 助監督 ]


  • 1975年 ブラザー劇場『刑事くん』(第3部、テレビ映画、東映・東京放送|TBS)

  • 1975年 『新宿警察 (テレビドラマ)|新宿警察』(テレビ映画、東映・フジテレビジョン|フジテレビ)

  • 1975年 『告発 在日韓国人政治犯レポート』 監督岡本愛彦(統一社プロ)

  • 1976年 『愛のコリーダ』 監督大島渚(大島渚プロダクション、アルゴス・フィルム)

  • 1977年 『北村透谷 わが冬の歌』 監督山口清一郎(三映社、日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 1978年 『皮ジャン反抗族』 監督長谷部安春(東映セントラルフィルム、東映ビデオ|東映芸能ビデオ)

  • 1978年 『殺人遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1978年 『最も危険な遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『俺達に墓はない』 監督澤田幸弘(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『さらば映画の友よ インディアンサマー』 監督原田眞人(キティ・フィルム|キティ・フィルム・コーポレーション)

  • 1979年 『探偵物語』(テレビ映画、東映芸能ビデオ・日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 1980年 『戒厳令の夜』 監督山下耕作(白夜プロダクション)

  • 1980年 『不良少年』 監督後藤幸一(東映)


    [ 監督 ]

    ・1980年代

  • 1981年 『プロハンター』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)
    第15話 『狙われた罠』
    第16話 『悪い女』
    第25話 『ロング・グッドバイ』(最終回)

  • 1982年 火曜サスペンス劇場『孤独な狩人』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 火曜サスペンス劇場『恐怖』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 『十階のモスキート』(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • 1983年 『性的犯罪』(日活|にっかつ)

  • 1983年 土曜ワイド劇場『松本清張の断線』(テレビ映画、東映・テレビ朝日)

  • 1984年 『いつか誰かが殺される』(東映、角川映画#角川春樹時代|角川春樹事務所)

  • 1985年 『友よ、静かに瞑れ』(角川春樹事務所)

  • 1985年 『特命刑事ザ・コップ』(テレビ映画、テレキャスト・朝日放送)
    第5話 『死刑の街に罠をはれ!』
    第6話 『ため死い旅をとめろ!』「特命刑事ザ・コップ」放送リストを参照。 

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『亜樹子・哀しみ色の罠』(テレビ映画、テレパック・TBS)

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『恋物語』(テレビ映画、角川春樹事務所・TBS)

  • 1987年 『黒いドレスの女』(角川春樹事務所)

  • 1987年 火曜サスペンス劇場『あなたに似た人』(テレビ映画、ヴァンフィル・日本テレビ)

  • 1988年 『花のあすか組!』(角川春樹事務所)

  • 1988年 乱歩賞作家サスペンス『罠の中の七面鳥』(テレビ映画、東映・関西テレビ放送|関西テレビ)

  • 1989年 『Aサインデイズ』(大映 (映画)|大映)

  • 1989年 男と女のミステリー『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(テレビ映画、TBS);1990年代

  • 1990年 水曜グランドロマン『最後の結婚詐欺』(テレビ映画、ギャラクシー・ワン・日本テレビ)

  • 1991年 水曜グランドロマン『他人にいえない職業の男』(テレビ映画、ギャラクシーワン・日本テレビ)

  • 1991年 『襲撃 BURNING DOG』(東映ビデオ)

  • 1993年 『月はどっちに出ている#ドラマ|J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(日本衛星放送、ヒルヴィラ、東映)

  • 1993年 『月はどっちに出ている』(シネカノン)

  • 1995年 『平成無責任一家 東京デラックス』(アミューズ、シネカノン、テレビ東京)

  • 1995年 『マークスの山』(松竹、アミューズ、丸紅)

  • 1998年 『犬、走る。DOG RACE』(東映ビデオ)

  • 1999年 『豚の報い』(サンセントシネマワークス);2000年代

  • 2002年 『刑務所の中』(ビーワイルド、衛星劇場)

  • 2004年 『盲導犬クイールの一生|クイール』(松竹、テレビ東京、テレビ大阪、衛星劇場ほか)

  • 2004年 『血と骨』(「血と骨」製作委員会)

  • 2005年 ドラマW『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(テレビ映画、ビーワイルド・WOWOW)

  • 2007年 『壽 (映画)|壽』(原題『?』、製作TrizCLUB) ※初の韓国映画

  • 2009年 『カムイ外伝』(配給:松竹、製作プロダクション:ビーワイルド映画「カムイ外伝」公式サイトを参照した。2007年11月21日閲覧。



    ビブリオグラフィ


  • 『月はどっちに出ている - 崔洋一の世界』(鄭義信らと共著、日本テレビ放送網|日本テレビ出版部、1993年 ISBN 4820394169)

  • 『東京デラックス - 平成無責任一家』(鄭義信と共著、扶桑社、1994年 ISBN 459401609X)

  • 『映画「血と骨」の世界』(梁石日、鄭義信と共著、新幹社、2004年 ISBN 4884000420)



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • BATTLE TALK RADIO アクセス(TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ。2003年9月ごろまでコメンテーターとして出演、不定期)

  • 若松孝二

  • 山口剛 (プロデューサー)

  • 岡田裕(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • アナーキー (バンド)

  • 角川春樹

  • 榎望



    出演番組


  • 情報ライブミヤネ屋(讀賣テレビ|ytv、月曜日)









    外部リンク




  • 日本映画監督協会 - 同協会の公式サイト

  • テレビドラマデータベース

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    2008年04月25日

    映画監督[市川準]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    市川準



    市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。本名は、市川 純(読み同じ)。東京都府中市 (東京都)|府中市出身。CM演出家を経て1987年に『BU・SU』で映画初監督。以降、幅広い題材に意欲的に取り組み話題作を数多く発表している。



    来歴

    聖パウロ学園高校卒業後、画家を志して東京芸術大学美術学部絵画科への入学を目指すが浪人を繰り返す。1975年にCM制作会社に入社してCM演出家になり、1981年の退社後は無所属で活動する。演出家として禁煙パイポ、タンスにゴン、エバラ焼肉のたれ、タフマン、デューダ等のテレビCMを作る。1987年10月に富田靖子主演の『BU・SU』で映画初監督。田舎の少女が上京して芸者になるビルドゥングスロマンである。暗く閉鎖的なために「性格ぶす」を揶揄される少女が他者と出会う様子を描き、好評を獲得する。1988年11月にハナ肇とクレージーキャッツ主演の『会社物語 MEMORIES OF YOU』を発表する。中年サラリーマンの群像劇を通して、決して平凡ではない普通の人達の生活を描いた。1989年12月にいとうせいこう原作の『ノーライフキング#映画|ノーライフキング』を発表する。テレビゲームに熱狂する少年達を描き、テレビゲームが広く注目を集めた当時の世相を色濃く反映した作品となった。世界観を原作とは大きく変えた。1990年にテレビ朝日系『市川準の東京日常劇場』で、月曜日〜金曜日の5日間で5分間のドラマを監督、深夜に放送していた。
    放送内容代表作:「妻に逃げられた男」(主演・すまけい)など。2002年に三谷幸喜原作の『竜馬の妻とその夫と愛人』を発表する。戯曲を映画化した珍しいタイプの作品である。坂本竜馬の死後に再婚して愛人も作った未亡人に主眼を置き、本来の主役(竜馬)を全く描かず、その周囲の人物の騒動を追った異色の時代劇となった。2004年に村上春樹原作の『トニー滝谷』を発表する。村上は大変高い人気を持つ小説家だが、その作品は殆ど映像化されていなかった極めて特殊な存在である。長年に渡り村上作品を愛読してきた市川は有名な長編ではなくマニアックな短編の映画化に挑んだ。市川はイッセー尾形と宮沢りえの二人の優れた俳優を用いて村上が照らす現代人の底の無い孤独を落ち着いた美しい色調で映像化した。第57回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を受賞した。



    監督作品





    出演作品

    ・『晴れた家』:2005年。『トニー滝谷』のメイキング映画。



    受賞歴


  • 1985年:カンヌ国際広告映画祭金賞。

  • 1991年:『つぐみ (映画)|つぐみ』
    第15回報知映画祭監督賞。
    第45回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1995年:『東京兄妹』
    第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞。
    芸術選奨文部大臣賞映画部門。

  • 1997年:『東京夜曲』
    第12回高崎映画祭監督賞。
    第21回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞。

  • 2004年:『トニー滝谷』で第57回ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞。


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    2008年04月24日

    映画監督[庵野秀明]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    庵野秀明



    庵野 秀明(あんの ひであき、男性、1960年5月22日 - )は、日本の映画監督、アニメーター。山口県宇部市生まれ。山口県立宇部高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現?映像学科)放校処分。カラー (アニメ制作会社)|株式会社カラー代表取締役。血液型はA型。妻は漫画家、エッセイストの安野モヨコ。代表作に『新世紀エヴァンゲリオン』、『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』等。『新世紀エヴァンゲリオン』は第18回日本SF大賞を受賞。



    作風

    人間のエゴや醜さを抉り出す心理描写、細部にこだわったメカ造型、大胆な映像演出に定評がある。意外な所からとるエキセントリックなアングルや逆光などを多用した描写が多い。その独特のトリッキーなカメラワークは「凝っている」「新鮮で面白い」と好評であるものの、一部で「目が回りそう」「複雑だ」と批判がある。また、作品中に電柱・電線、信号機、遮断機、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い(なぜこれらの物体であるかについては宮台真司が、世代的なものであると指摘している)。特に電柱・電線にはフェチと言えるほどこだわりがあるようで、自らの会社スタジオカラー|カラーのホームページにも使用している『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 公式ガイドブック』や『庵野秀明のフタリシバイ』などでも、その一端を垣間見せている。。彼の演出する作品には自らの好きな映画・アニメ・漫画などへのパロディ・オマージュが必ずと言っていいほど大量に盛り込まれている。特に永井豪や岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。!
    これらについては本人がアニメオタク・特撮マニアであることと、「今の時代、本当のオリジナルなんてないんだ。」という考えに基づくものだと言われる。オリジナルの問題については本人が様々なところで語っており、一例として、新世紀エヴァンゲリオンのコミック1巻の所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「僕のようなアニメや漫画をばかり見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる」というような旨の発言が挙げられる。また、彼の作品では往年の名曲のカバーが用いられる事が多い(フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン、あの素晴しい愛をもう一度、夢の中へ、等)。 
    ''作風については来歴の項目も参照のこと。''



    来歴




    [ 学生時代 ]

    幼い頃よりアニメや特撮そして大規模建造物等に夢中で、よく絵を描いていたという。山口県立宇部高等学校|高校時代は美術部で部長を務めていた為に画力は高く、「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に寮で知り合う山賀博之が語っている。高校在学時には「グループSHADO」おそらくは『謎の円盤UFO』における地球防衛組織SHADO(『エヴァンゲリオン』におけるNERVのモデル)から名前をとったものと思われる。詳細は『パラノ・エヴァンゲリオン』P50より。というアマチュア映像製作グループにも所属。高校卒業後は就職せず遊んでばかりいたので親に心配され一浪後、当時は学科試験の無かった大阪芸術大学に入学。実技試験については、宮崎駿等の絵コンテ等を見て勉強したという『パラノ・エヴァンゲリオン』P34より。。入学当初、班作りの際に山賀博之、赤井孝美らとグループを作る。当時同級生であった漫画家の島本和彦の証言によると、班が作れずに死にそうな顔をしていた庵野を見かけ、声をかけようと思ったが遠かったという理由でやめている(後に島本とは交流を\xA1 ;}$D$h$&$K$J$j!"%G%S%e!<;~$K%5%$%s$r$b$i$C$F$$$k!K!#F1$83X2J$NF14|$K$OFn2mI'!"@>?9>O|西森明良などの同業者、『エヴァンゲリオン』の碇シンジの名前の元となった広告デザイナーの碇義彦らが在籍していた。漫画家の士郎正宗も同期であったが面識・交流の有無は不明。二年次に誘われた自主制作アニメに熱中、共同実習にしか出ず出席率も悪く、学費も全く払っていなかったため三年次に放校処分を受ける(サークルはSF研究会に所属)。その後、大阪で開かれたSF大会では、山賀等と自主製作映画グループ「DAICON FILM」の主要メンバーとして、大会としては異例のオープニングアニメーションや、特撮作品等を製作、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、セルアニメに関しては全くの素人であったので、東京のアニメスタジオに見学しに行き、そのまま3ヶ月間アニメーターとして技術を学ぶ。24歳で大学を放校処分になるが、この時はすでに『風の谷のナウシカ』への参加が決まっていた。


    [ アニメーター時代 ]

    『超時空要塞マクロス』、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』等の商業作品に参加、メカや爆発シーン等のエフェクトアニメーションを手がける。この系統のシーンはファンの間で「庵野爆発」という愛称で親しまれている。特に「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加している『王立宇宙軍 オネアミスの翼』のクライマックスは圧巻で、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画まで殆どを一人でこなした。セルを一コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。当時、戦車やミサイルなどに極限のリアリティを追求しており、手当たり次第に軍事関係の資料に目を通し、自衛隊にも体験入隊している。劇場アニメ『風の谷のナウシカ』では、人手不足の為にアニメーターとしては素人同然であったが原画として採用される。担当した、巨神兵の登場するシーンは高く評価された。ただし、庵野本人は中割枚数などを挙げて「動きが速い、あれは失敗だった」と公言していて、あまりに不満があったのか、監督に黙って勝手にタイムシートを書き換え、そのまま動画に回したという2007年5月! 4日『僕らの音楽』(フジテレビ)。。同作のパンフレットでは「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」としてエピソードが紹介されている。庵野は『超時空要塞マクロス』の板野一郎と共に『風の谷のナウシカ』宮崎駿を師として仰いでいる。また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らを含め、彼等アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っており、特に宮崎からは監督としての仕事の進め方等を学んだという『パラノ・エヴァンゲリオン』P66より。。一方で宮崎とは対立した時期もあり、庵野が宮崎監督作品を「つまらない映画」と評し、宮崎も『エヴァンゲリオン』を「いらないアニメ」と酷評することもあった。しかし宮崎は『エヴァンゲリオン』放送終了後、心配して庵野に電話をかけ和解したという。人物を描くのが苦手であった事などから(監督から巨神兵のシーンでは人物も描くよう指示されるも、あまりに出来が悪かったので監督本人に頼んだという逸話がある『パラノ・エヴァンゲリオン』P63より。)、この頃から原画動画関係を一筋でぁ d$C$F$$$/$N$OL5M}$@$H9M$(!"4FFD!&1i=P$N;E;v$r%a%$%s$K@Z$jBX$($! k!#$3$N$ 9$08e$KAON)$5$l$?%"%K%a!<%7%g%s@):n2q

    [ 『新世紀エヴァンゲリオン』以降の活動 ]

    『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面に進出するが、その後のアニメの仕事においていわゆる「実写畑」の声優を起用する事が多くなる。これは「声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作る事にしたとインタビューに答えている庵野秀明のフタリシバイ』(徳間書店)を参照のこと。。2002年3月26日に漫画家の安野モヨコと結婚。仲人は宮崎駿であった。二人が出合うきっかけは貞本義行による紹介である。庵野自身は彼女の『ハッピーマニア』等を読んでおり、高評していた。偶然ではあるが、安野モヨコのペンネームの苗字も「あんの」であるため、「Wアンノ」と話題になった。結婚生活は安野モヨコの漫画作品『監督不行届』で描写されている。2006年に、自身のアニメ制作会社カラー (アニメ制作会社)|株式会社カラーを設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役からは退いた。ただし、ガイナックスと絶縁ぁ 7$?$o$1$G$O$J$$!JB>


    人物




    [ 菜食主義 ]

    ヴェジタリアン|菜食主義者で、肉を食べない事で知られる。その影響からか、彼の作品『ふしぎの海のナディア』のナディアや、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイは菜食主義者である。また『新世紀エヴァンゲリオン』中の肉食を強烈に感じさせるシーンも、肉食へのコンプレックスという見方をする者が多い。他にもキノコなどといった菌類も「バイキンだから」という理由で食べない。『ふしぎの海のナディア』第25話で主人公ジャンがキノコを食べて幻覚を見るシーンがあるが、これは当初ナディアが食べるはずであったのだが監督の樋口真嗣がナディアのモデルである庵野に「キノコを食べます?」と聞いたところ「いや、ぼくは食べないよ」と答えたたために、ジャンにお鉢が周ったという。しかし、『監督不行届』や『スキゾ・エヴァンゲリオン』などで描写されている食生活を見ると、菜食主義者というよりは偏食による肉嫌いの印象が強い。本人によると、自分が肉を食べているということを意識することが嫌いなのであり、ただ単に肉の味がついたものは大丈夫らしい(例として、サッポロポテトのバーベキュー味は好物)。ハムサンドからハムだけ\xA1 $rH4$$$F?)$Y$?$H$$$&%(%T%=!<%I$b$"$k『スキゾ・エヴァンゲリオン』より。。本人は『スキゾ・エヴァンゲリオン』において、「菜食主義な訳ではなく、唯一食べられるのが野菜だけなのだ」という言い方をしている。


    [ 性格 ]

    監督デビュー作品『トップをねらえ!』を手がけていた時期は、非常に短気な性格で、背景のリテイクを「そんな時間ない」と断られて怒った庵野が「畜生、畜生!」と泣きながらロッカーを壊れるまで蹴飛ばし、壁を殴って穴を開けたという逸話も残っている(結局、「泣く奴にはかなわん」と渋々美術監督が了承し一晩かけてリテイクした)『スキゾ・エヴァンゲリオン』P134より。。『ふしぎの海のナディア』制作時は所謂島編の時に韓国の制作会社に作画を依頼していたがその出来が悪く激怒する(LD発売時に主要スタッフが自腹を切って作り直した回と、薩川昭夫と共にでっち上げた総集編の回がある)。『彼氏彼女の事情』制作時は、テレビ局との軋轢から監督降板なども経験(一時期クレジットされなかっただけという説もある)。しかし結婚後は「穏やかになった」らしい本人の公式サイトの『個人履歴』より。。『トップをねらえ!』や『ふしぎの海のナディア』に出演していた声優の日高のり子が担当していたラジオ番組『はいぱぁナイト|はいぱぁナイト金曜』に度々ゲスト出演しては\xA1 FG@e$rEG$-$^$/$C$F$$$?!#
    『ナディア』出演時の日高のり子によると「あんなに人からコケにされたのは生まれて初めて」だったらしい。また、『ナディア』のCDで日高の筆記インタビューの「苦手なもの」の項目の所に、勝手に「難しい漢字が読めない」と付け加えていた。口癖が「そ、そ」なのと空母マニアな事から日高から「空母そそそそ」と言うアダ名を付けられる。『ふしぎの海のナディア』のボーカルコレクションで作詞した際にその名義を使用。また『ふしぎの海のナディア』第34話の作画監督の名義としても使用した。ちなみに本人は空母マニアではなく、戦艦マニアだと主張。


    [ アニメ・特撮マニア ]

    アニメ『機動戦士ガンダム』『美少女戦士セーラームーン』や特撮物のマニアでもある事はよく知られている。アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に関しては、作品への愛溢れる余り『逆襲のシャア友の会』なる同人誌を出版するほど。この本にはゆうきまさみ、出渕裕、美樹本晴彦、北爪宏幸、幾原邦彦、鈴木敏夫らの豪華メンバーが参加しており、庵野と押井守、そして富野由悠季らとの対談が収録されている。同作中には、直後の『新世紀エヴァンゲリオン』にも繋がる庵野の思いがそこかしこにあふれており、庵野秀明を深く知るためのテキストとしても重要な一冊である。また、OVA『機動戦士ガンダム MS IGLOO』もお気に入りの作品らしく、しばらくは会う人たちに「布教活動」を行っていたという。同作品の公式HPにもファンのひとりとして登場し、『機動戦士ガンダム』に対する愛情を語っている。『美少女戦士セーラームーン』についても熱心なファンで、当時、同作のテレビシリーズのエフェクトアニメの原画を手伝い程度ながら手がけたり、同作の同人誌を収集ぁ 7$F$$$?!#$^$?!"<+:n$N!X?7@$5*%(%t%!%s%2%j%*%s!Y$N=EMW?MJ*$N@ また最も多く観た映画として『激動の昭和史/沖縄決戦』(岡本喜八監督)を挙げている。それ以外にも時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いのテレビ東京関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという『東京12チャンネルの挑戦』(金子明雄著、三一書房)p141より。。妻である安野モヨコの著作『監督不行届』によると、伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「〜でちゅう」言葉を日常会話で使っていた時期があったらしい。


    [ その他 ]

    エヴァブーム当時、インターネット上のチャット通信において巻き起こったエヴァ論争について、「便所の落書き」と批判1996年〜97年頃の発言。『スキゾ・エヴァンゲリオン』、『パラノ・エヴァンゲリオン』などを参照。、パソコン通信にはまる人たちに現実に帰れと諭した「ニュータイプ」1996年6月号のインタビューより。「アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ」と語る一方、アニメ界での作品は良作と評されることが多く、海外でも大きな評価を得ているが、実写作品では監督としてアニメ作品ほどの評価は得ていない。『ふしぎの海のナディア』以降アニメ、実写ともに摩砂雪が常にスタッフとして関わっており、庵野監督の女房役として支えている。2005年、日産自動車のTouch Your NISSANキャンペーンのCMに出演したときは普段のファッションに無頓着すぎる庵野とは思えないオシャレぶりを見せ、関係者、知人、ファン共々から反響があった。外出時のファッションに関しては、結婚を境に様変わりしたことは有名。理由については「妻が僕の為に恥\xA1 $r$+$/$H$$$1$J$$$+$i!W$H!"%$%Y%s%H$G6&1i$7$?NS86$a$0$_$K8l$C$?$H$$$&ラジオ番組より。。「○○に勝てるのは△△だけ」や「○○まさに△△」という言い回しを各種作品(『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』など)にて多用する傾向にある。大地丙太郎と交流があり、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』を公開すると同時に大地監督の短編映画を同時上映した。以降の庵野作品で大地の作品、演出方法へのオマージュが随所に見られるようになる(『彼氏彼女の事情』、『キューティーハニー』等)。アニメ的なキャラクターを描くのが苦手と言われており、実際に『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野のコンテやラフデザインなどでは、人物がかなりいい加減に描かれているのが散見されている(ただ、ゼネプロのパンフレットには庵野の作画と見られる女の子が描かれており、全く描けない訳ではないと考えられる)。



    略歴


  • 1960年 5月22日山口県宇部市生まれ。

  • 1980年 大阪芸術大学入学。

  • 1983年 大学除籍。『風の谷のナウシカ』の原画に採用され上京。

  • 1984年 株式会社ガイナックスの設立に参加。

  • 1998年 映画『ラブ&ポップ』で実写初監督。

  • 1999年 TVアニメ『彼氏彼女の事情』とメイキングビデオ『GAMERA 1999』の監督を同時に引き受ける。小惑星『庵野秀明 (小惑星)|庵野秀明』が命名される。

  • 2002年 漫画家安野モヨコと結婚。

  • 2006年 庵野個人のアニメ製作会社カラー (アニメ制作会社)|株式会社カラーを設立。



    作品リスト




    [監督作品]


  • 『トップをねらえ!』(OVA)

  • 『ふしぎの海のナディア』(テレビアニメ・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン』(テレビアニメ)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』(映画・総監督)

  • 『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』(映画・総監督)

  • 『ラブ&ポップ』(実写映画)

  • 『GAMERA1999』(メイキング・総監督)

  • 『GAMERA1999+』(メイキング・総監督)

  • 『彼氏彼女の事情』(テレビアニメ)

  • 『式日』(実写映画)

  • 『しりあがり寿|流星課長』(実写)

  • 『スタジオジブリ|空想の機械達の中の破壊の発明』(短編アニメ)

  • 『キューティーハニー』(実写映画)

  • 『』(OVA・総監督)

  • 『ストリングス〜愛と絆の旅路』(人形映画日本語版)

  • 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ(映画・総監督)
    前編『』(2007年9月1日公開)
    中編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2008年公開予定)
    後編+完結編『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:急』+『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:?』(公開日未定)


    [その他のアニメ作品]




    [劇場アニメ]


  • 『風の谷のナウシカ』(原画)

  • 『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』(原画)

  • 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(原画)

  • 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(作画監督、スペシャルエフェクトアーティスト、原画)

  • 『火垂るの墓』(原画)

  • 『ウルトラマンUSA』(作画監督補佐)

  • 『劇場版美少女戦士セーラームーンR』(原画)

  • 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(メカデザイン)


    [テレビアニメ]


  • 『超時空要塞マクロス』(2話・9話・18話・24話・27話・28話原画)

  • 『うる星やつら』(156話原画)

  • 『魔法のスターマジカルエミ』(1話原画)

  • 『ついでにとんちんかん』(OP原画)

  • 『美少女戦士セーラームーンS』(103話原画・ウラヌス&ネプチューン変身バンク演出)

  • 『まほろまてぃっく』(OPアニメーション絵コンテ)

  • 『おるちゅばんエビちゅ』(企画)

  • 『アベノ橋魔法☆商店街』(原画、メカ作監、最終話画コンテ、声)

  • 『シュガシュガルーン』(OP・EDアニメーション画コンテ、演出)


    [OVA]


  • 『BIRTH』(原画)

  • 『くりいむレモン|くりいむレモン PART.2 エスカレーション 今夜はハードコア』(原画)

  • 『くりいむレモン|くりいむレモン PART.4 POPCHASER』(原画)

  • 『メガゾーン23』(原画)

  • 『メタルスキンパニック MADOX-01』(OP原画)

  • 『禁断の黙示録 クリスタルトライアングル』(原画)

  • 『真魔神伝』(作画監督補佐)

  • 『バオー来訪者』(原画)

  • 『江口寿史のなんとかなるでショ!』(原画)

  • 『炎の転校生』(「特報」熱烈友情演出)

  • 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(1・5話アバンタイトル)

  • 『帝都物語 菩薩篇』(原画)

  • 『マクロスプラス』(1話原画)

  • 『フリクリ』(監修、2・5話原画、4話友情メカ作監)

  • 『サブマリン707R』(OP演出、原画)

  • 『トップをねらえ2!』(監修、4・6話絵コンテ、原画)


    [その他]


  • 『ビクターハイパーロボットコンポ』(CM、絵コンテ、原画)

  • 『装甲巨神Zナイト』(PV、原画)

  • 『夢幻戦士ヴァリス』(CM・PV、監督、初監督作品)

  • 『松たか子・「コイシイヒト」』(PV・CM、監督)

  • 『アニメ店長』(PV、友情監督)

  • 『ローレライ (映画)|ローレライ』 (CGパート絵コンテ)

  • 『亡国のイージス』 (絵コンテ)



    出演作品


  • 『ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』(竜王役 1988年、制作スタッフとしてエフェクトアニメ演出も担当)

  • 『あぶない刑事|あぶない刑事フォーエヴァーTHE MOVIE』(怪しい男役 1998年、成田裕介監督)

  • 『茶の味』(監督役 2003年、石井克人監督作品)

  • 『恋の門』(旅館経営者夫婦役カメオ・妻役は安野モヨコ 2004年、松尾スズキ監督作品)劇中アニメ『不可思議実験体ギバレンガー』メカニックデザイン&演出も担当

  • 日産自動車 Touch Your NISSAN キャンペーンCM(2005年)

  • 『トゥルーラブ』(西村圭介役 2006年、フジテレビジョン|フジテレビP&Gパンテーンドラマスペシャル)

  • 『ナイスの森〜The First Contact〜』(原画マン ハスダ役 2006年、石井克人、三木俊一郎、ANIKI監督作品)

  • 『日本沈没』(山城教授の娘婿役 2006年、制作スタッフとしてメカデザインも担当)

  • 『キャッチボール屋』(先代キャッチボール屋役 2006年、大崎章 第一回監督作品)

  • 『さくらん』(玉菊屋の客役 2007年、原作・安野モヨコ 蜷川実花監督作品)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(松原医師役 2007年、松尾スズキ監督作品)


    [ 登場作品 ]


  • 『アオイホノオ』(島本和彦作、小学館)
    庵野をモデルとしたキャラクター「大阪芸術大学|大作家芸術大学学生で後のエヴァンゲリオン監督となる庵野秀明」が登場



    受賞歴


  • 『新世紀エヴァンゲリオン』で第18回日本SF大賞を受賞

  • アニメーション神戸96’(第一回アニメーション神戸) 個人賞

  • 第20回ヨコハマ映画祭 新人監督賞(『ラブ&ポップ』)



    脚注





    関連項目


  • ゼネラルプロダクツ

  • ガイナックス

  • カラー (アニメ制作会社)

  • DAICON FILM
    『愛國戰隊大日本』(特撮操演・ナレーター)
    『帰ってきたウルトラマン#その他_2|帰ってきたウルトラマン』(監督・出演)

  • ハッピー興行新社(庵野秀明が主宰する同人サークル)

  • 西村知美(中学校の後輩)

  • 蒼きウル

  • 庵野秀明 (小惑星)

  • 轟木一騎(助手)詳しい情報は公式サイトの仕事履歴を参照のこと。



    外部リンク


  • 株式会社カラー庵野秀明が代表取締役を務める制作会社)

  • 早稲田大学人物研究会・庵野秀明会見録

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年04月23日

    映画監督[富野由悠季]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    富野由悠季



    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。



    人物像

    本名(旧ペンネーム)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、井荻麟というペンネームの由来は、:サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻の亜々子と2人の娘。長女は演劇集団 円文芸/演出の富野アカリ、次女\xA1 $O!"%@%s%5!<$NIYLn9,=o!"%U%!%s$+$i$N8F$SL>$O!V%,%s%@%`$N?F!W!"!V8fBg!W$J$I!#%U%j!<$N:"!"$H$K$+$/B?$/$N:nIJ$K;22C$7!"%3%s%F$r$+$J$j$N%9%T!<%I$G>e$2$F$$$C$?$3$H$+$i!V%3%s%F@iK\@Z$j$NIYLn!W$H$$$&0[L>$r$H$k$h$&$K$J$k!#6H3&$G$O!VIYLn$KMj$a$P3日でコンテが上がる」と言われていた。コンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。『富野由悠季全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に\xA1 ="$$$F$+$i$b<+$iB?$/$N%3%s%F$r@Z$j!"%9%?%C%U$KG$$;$?%3%s%F$KK~! B-$G$-$J $$;~$OK;$7$$;~4V$r3d$$$F<+?H$G$7$r$9$k;v$b$"$k!#!X%6%V%s%0%k!Y$N;~$K82Cx$G$"$C$?;vNc$G$"$k$,!"$[$H$s$I<+J,$N%3%s%F$K$J$C$F$7$^$C$?;~$G$b%9%?%C%U%m!<%k$N5-:\$rJQ$($k$3$H$O$7$J$$!#$3$l$O!V$7$5$l$??M4V$K$b%W%i%$%I$H$$$&$b$N$,$"$k$@$m$&!W$H$$$&G[N8$+$i$G$"$k!#BgDM9/@8$,8l$k$H$3$m$K$h$k$H!"IYLn$,3(%3%s%F$H$7$F;22C$7%/%l%8%C%H$b$5$l$?!XL$Mh>/G/%3%J%s!Y$K$*$$$F$O!"4FFD$N5\:j=Y$,$[$H$s$I<+J,$G%3%s%F$r=q$-BX$($?$3$H$b>/$J$/$J$+$C$?$H$$$&$3$H$+$i!"$=$&$7$?7P83$b1F6A$7$F$$$k$H9M$($i$l$F$$$k!#$7$+$7Cx=q!X1GA|$N86B'!Y$N8e=q$-$G$O!V$?$@H`$i$r4E$d$+$7$?$@$1$@$C$?$+$b$7$l$J$$!W$H=q$$$F$$$k!J$A$J$_$K!V$[$H$s$I!W$H$$$&E@$K$D$$$F$@$,!"%3%s%F$H$$$&$b$N$O1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事になる)。演出・絵コンテの圧倒的な経験量を背景とする高い編集能力には定評がある。最新の『劇場版 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作った。それだけの仕事を\xA1 $7$J$,$i!"$7$P$7$POP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズまでこなす。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。『巨人の星』の主人公星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹を『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムファンでもある子安武人も複数の作品で起用された結果、自身の演技の幅を更に広げた)。演技の指導は厳しく、要求に応えられない時はブースに駆け込んで罵声を飛ばす。阪口大助をはじめ新井里美、浅川悠らはその厳しさに泣き出したという(当時新人だった阪口に至っては鉄拳制裁まで\xA1 2C$($?;v$b$"$C$?$H$N;v!K!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G> 9-OB$O!V%-%c%i$r;&$7$F9_$m$9!W$H$^$G8@$o$l$?$H$$$&0oOC$b$"$k!#<+$i%a%+$r%G%6%$%s$9$k;v$b$"$j!"FCD'E*$JMFKF$d%.%_%C%/$r9%$`!#$^$?!"%@%/%H$GJ$$o$l$?%2%k%0%0$NF9BN$d%(%k%a%9$N%S%C%H$d%6%/%l%m$KG[$5$l$?B?J}LL%9%i%9%?!<$J$I$N5!G=E*$J%G%6%$%s$b$"$k!#%S%0%6%`$d%>%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"&IJ2=$NG!2?$K$+$+$o$i$:!"LO7?2=$G$-$k%G%6%$%s$r>o$K?43]$1$?$H$$$&!#H`$O%a%+%G%6%$%sBG$A9g$o$;;~!"%U%!%_%l%9!&5JCcE9Ey$N8x$N>l$G$"$C$F$b!"<+J,$N:nIJO@$K4p$E$$$F$+!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7!"%9%?%C%U$,JD8}$9$k;v$b$"$k$,<+?H$NB8:_$r3P$($F$b$i$&$?$a$K4:$($FA@$C$F$=$&$$$&H/8@$r$7$F$$$k%U%7$,$"$j%F%l%S4X78$N;E;v$N:]$O!V6X;_%3!<%I!W$@$+$i$H$=$NH/8@$r95$($k$J$I<+?H$NA@$$$rFw$o$;$F$$$k!#$+$D$FIYLn$N2<$G=$9T$7:n%"%K%a$r@8$_=P$7$?4FFD$O?tB?$$!#8eG/$NM&!5A!":#@nBY9(!"9b>>?.;J$J$I$bIYLn$N2<$G=$9T$7$?$H8@$o$l$k!#:#@! nBY9($r!X5!F0IpF.EAGガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。厳密には監督ではないが永野護も富野の元で修行した1人であり、富野自身がその才能を高く評価している1人でもある。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがあるが、その厳しい指導の成果は後進へと継がれている。また、教え子たちが監督を務めた作品を視聴しては、意見や批判もレポートに書いて出している。アニメ誌やテレビなどの媒体に露出度が高い上、歯に衣着せぬ物言いから、謙遜や謙譲を美徳とする人たちの反感を買う事もある。ただ、その先見の明と能力を評価する人もいる。また、色紙に座右の銘をと求められると「乾坤一擲」と書き込む様にチャレンジ精神を志向する人物なので、新作には必ず何か新しい試みを盛り込もうとしてアニメファンから抗議を受けるケースも珍しくない。ただひたすらに前を見て進もうとする姿勢を「潔い」と感じるか、逆に周囲の都合を顧みない「独善」と感じるかは受け手の側の資質によるところ\xA1 $,Bg$-$$!#$@$,!"NI$/$b0-$/$bG.Nu$J%U%!%s$,B?$$$3$H$G$bCN$i$l$k! !#%W%i%$ %Y!<%H$G$O4pK\E*$KL5富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して文化庁メディア芸術プラザ インタビューにおいて、「アニメを見るな」「文芸、演劇、物語を見ないで院 G2h!"%"%K%a$,:n$l$k$H;W$&$J!W!V%"%K%a0J30$N$3$H$KJ3F.$7$m!W!V=! $?H!&F;F A!"3J8@$r3X$Y!W!VBg?M$+$i3X$V$b$N$J$s$F$J$K$b$J$$!W!V1G2h;:6HA4HL$K="$-$?$$$N$J$i3X@8;~Be$+$i9-$/$b$N$r8+$J$5$$!W!V45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ」とアドバイスをしている。彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。映画『機動戦士ガンダム』の時、人生最大の天狗になっていたらしく劇場版三部作の一作目の主題歌砂の十字架のカップリング曲のスターチルドレンをやしきたかじんが作曲した際、偉そうな態度で「よくこんなメロディーが作れたねぇ」とたかじんに向かって言ったとされる。当時、ガンダムを子供向けロボットアニメとしか見ていなかったたかじんは「なんであんなにエラそうやねん。あの時はホンマに殴ったろかと思たわ」と語っている。富野は井荻名義でこの曲の作詞をしている。(2月15日放送のムハハnoたかじんより)


    作風

    監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。また「ガンダム」「イデオン」では登場するロボット群の大半のデザイン原案を自ら描いており、ほぼそのまま登場した物も多い。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品は台詞回しが特徴的で、「富野節」と呼ばれる。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語\xA1 $C$F$$$k!#$=$7$F!"IYLn:nIJA4$F$K6&DL$9$k%F!<%^$N

    [ 作風の違いに基づく異名 ]

    かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、TV版『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった(代表作『機動戦士ガンダム』では大半が生き残ったが、後の小説版では途中で主人公を戦死させるという展開が見られる)。しかし、富野は決して好き好んでキャラクターを死なせているわけではない。『イデオン』のストーリー後半の製作の際、スポンサーや上層部から声優の出演料の関係でキャラクターの殺害要求をされた時は、嫌だったという。またライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。自身も、「エンターテインメント作品は勧善懲悪の王道展開が面白いに掘 h$^$C$F$$$k!W$H$$$C$?$3$H$r=R$Y$F$$$k!#$=$N$?$a0lIt$N%U%!%s$N$"$$$@$G!"0E$/=E$$Ha7`E*$J:nIJ$K$D$$$F$O!V9uIYLn!W!"2&F;$N:nIJ$d%3%_%+%k$J:nIJ$O!VGrIYLn!W$HB/>N$5$l$F$$$k!#


    [ 登場キャラクターの特徴 ]

    主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。母のことについてはあまり語っていないが、父はBSアニメ夜話では零式艦上戦闘機|零戦の与圧服の開発スタッフだったと述べている。作品中にも、主人公と両親の関係が決して良好なものではなく、殺したり存在を忘れさせたりなどその姿勢を、頑なに変えない富野の「許し難い両親が生きている」という態度が作品中に出ている。しかし、死んでしまった時などは涙を流すなど本当は家族を愛していた一面も描かれている。また、ほとんどの作品に富野自身の特徴の一部と似た面(思想、境遇、頭が禿げているなど)を持つ政治家、権力者や野心家が登場している。その例として、デギン・ソド・ザビ、ドバ・アジバ、ドレイク・ルフト、バスク・オム、パプテマス・シロッコ、シャア・アズナブル、カロッゾ・ロナ、フォンセ・カガチ?クラックス・ドゥガチなどがその一例である。本人曰く、一番自分に近いキャラクターとしてギレン・ザビを挙げている。そして、作品の一部の男性キャラクタ\xA1 !<$OJl@-0&!J%^%6!<%3%s%W%l%C%/%9|マザコン)に飢えているという共通点もある。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインには芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見ても少女漫画や、いわゆる「萌え系」のような大き過ぎる眼(=顔の半分を占める 逆に鼻と口は存在しないに等しい大きさ)のキャラクターは全く登場しない。例外は『ダンバイン』のチャム・ファウと『エルガイム』のリリス・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目ぁ NBg$-$$%-%c%i%/%?!<$rIA$/$$$N$^$?$`$D$_$r%-%c%i%/%?!<%G%6%$%s$! K5/MQ$7$ ?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#IYLn[)$/!"!VK($(7O$N%-%c%i%/%?!<$NL\$,Bg$-$$$N$O!";kD0$G$"$k%*%?%/$,;k@~$K52$($F$$$k$+$i!W$H$N$3$H$G$"$k!#


    [ エンディングの法則 ]

    「富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す」この命題の初出は、1980年代アニメ雑誌の読者投稿欄によるものである。「すでに気づいていた」という編集者のコメントや、作劇の単純な法則から、ある程度の認識を持つ富野作品ファンの間では周知の事実であったと思われる。富野作品全般がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためである。これは何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかが明確ではない。さらに先述の「皆殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。しかし逆に、『イデオン』『ダンバイン』『ザンボット3』の衝撃的な結末には再生をも予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。(注:本法則は『ザンボット3』から休養直前の『機動戦士Vガンダム』まで、名古屋テレビ放繊 w|名古屋テレビ系リアルロボット作品群に適用。『ブレンパワード』以降は前述の経緯から適用されない)。下記に富野監督作品の結末の詳細を記述する。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング、△=ファンによって○か×か意見が二分されている】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が主人公らの正義をくつがえす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】 覚醒、仲間のもとへ帰還、大戦終結(※例外、ただし打ち切り前の構想ではラストに大虐殺)

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含め、全ての知的生命体が消滅(その時、別の惑星に生命がもたらされる描写も)

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含め、ほぼすべての主要登場人物の消失

  • エルガイム 【△】 支配階級の打破・革命(但し主人公は人格崩壊した義妹と共に世捨て人になった為、この作品に関してはファンによってハッピーエンドと見るかバッドエンドと見なすかで現在でも意見が真っ二つに分かれている)

  • Ζガンダム 【×】 主人公の精神崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織(後の劇場版ではラスト変更される)

  • ガンダムΖΖ 【○】 戦争終結、その後主人公は家族と再会し、木星へ旅に出る

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面にて奇跡があるも、あえて続編小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ|閃光のハサウェイ』まで敷衍するならバッドエンドとも言える

  • ガンダムF91 【○】 家族の理解と再生、愛する人との再会

  • Vガンダム 【×】 登場人物がたて続けに死亡、勝者のない(見えない)戦争と生き残ったカテジナの結末、終戦後の冬の情景





    経歴


  • 1941年:神奈川県小田原市生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。

  • 1964年:日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。山本とは学生時代にエピソードあり)を卒業し、手塚治虫主宰の虫プロダクションへ入社、制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受け、「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」と悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。
    : 本来実写作品の監督志望であったが、富野の大学卒業前、すでに大手映画会社は大学新卒者の採用をやめており、学部の関係上、就職口が虫プロダクションしかなかったとコメントしている。当時アニメは子供の漫画映画という認識しかなかったため、大の大人がおもちゃ屋の宣伝番組であるアニメの仕事をやるのは非常に恥ずかしかったと述べている。現在でも、実写ドラマの監督がやりたいという野心があると語っている。

  • 1967年:虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年:オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになりタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年:結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。このころに埼玉県新座市に引っ越す(『ダイターン3』の「シン・ザ・シティ」の元ネタとなる)。

  • 1972年:初の監督作品である『海のトリトン』の監督を務める。

  • 1975年:『勇者ライディーン』の監督を2クール(第26話)で降板する(後任は長浜忠夫)。出崎哲の後任として『ラ・セーヌの星』の3クール目(第27話〜第39話)の監督を務める。

  • 1977年:創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。サンライズ初のアニメーション作品である『無敵超人ザンボット3』の総監督を務める。

  • 1978年:『無敵鋼人ダイターン3』の総監督を務める。

  • 1979年:自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督を務めるが、打ち切りとなる。この作品が後のロボットアニメーション業界に「人物群像」と「事件の経過」という展開を与える。

  • 1980年:『伝説巨神イデオン』の総監督を務めるがガンダムと同じく打ち切りとなる。

  • 1981年:映画『機動戦士ガンダム?』の総監督を務める。5月22日、映画『機動戦士ガンダム? 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年:『機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』、『戦闘メカ ザブングル』、『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督を務める。この頃から原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1983年:『聖戦士ダンバイン』の総監督、『ザブングル グラフィティ』の監督。『銀河漂流バイファム』の原作を務める。

  • 1984年:『重戦機エルガイム』の総監督を務める。

  • 1985年:自身初の続編シリーズ物の『機動戦士Ζガンダム』の総監督を務める。後の本人の口からいい意味でも、悪い意味でも「思い入れのある作品」と答えている。

  • 1986年:『Ζガンダム』の続編として『機動戦士ガンダムΖΖ』の総監督を務める。

  • 1986年:当時、ガンダムシリーズの最終作品として作られた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の監督・脚本を務める。

  • 1991年:新たなるガンダムシリーズとして作られた『機動戦士ガンダムF91』の監督・脚本を務める。

  • 1993年:『機動戦士Vガンダム』の総監督を務める。この頃から制作における混乱があまりにも大きく、ひどい鬱状態となり数年間はアニメ監督をやっていない。(脚本や絵コンテはしている)

  • 1994年:漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(作画は長谷川裕一)。原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作に携わった。同作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編的物語で、1997年まで連載。

  • 1996年:初のOVA作品の『ガーゼィの翼』の監督をする。

  • 1998年:WOWOW初のオリジナル有料アニメ『ブレンパワード』の総監督を務める。93年の『機動戦士Vガンダム』以来5年ぶりのTV作品放映。

  • 1998年:『ガンダム』誕生20周年記念作品として、『∀ガンダム』の総監督を務める。この頃に安田朗と出会いカプコンによる「ガンダムのゲーム作っていいですか?」という質問に「いいよ」と答えたのが、ガンダムゲームの代表作のひとつである『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』である。

  • 2002年:再びWOWOWでの放送アニメ『OVERMANキングゲイナー』の総監督を務める。

  • 2004年:上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」となった。

  • 2005年:劇場版『機動戦士Ζガンダム』三部作を制作し、順次公開。映画『ローレライ (映画)|ローレライ』には、反乱軍として通信所を占拠する海軍大尉としてカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から自身初のWEBアニメ『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年:映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。

  • 2008年:映画『少林少女』に主人公(柴咲コウ)の亡き祖父としてカメオ出演。あくまでゲスト扱いであるが、昨今は実写映画への出演も目立ちつつある。近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧




    [ 鉄腕アトム ]
    * 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。「アニメだって映画、動かなくてはいけない。それを止めて見せることができるという発想は許し難かった。最初は仕事と割り切っていたが?半年もすると不満が沸いてきた。当時、虫プロで働いていたのは、映画的なセンスがない人たち。
    僕は映画的な演出ができる確信があったので、アニメとは言えない電動紙芝居でも?作りようはあると思うようになった。そんな体質が分かるのか、僕が演出になると?先輩から徹底的に嫌われた。『アトム』での僕の演出本数が一番になった時、みんなの視線が冷たかった。『アトム』が終わると、虫プロを辞めた。」(『アニメ大国の肖像』中日新聞連載、2006年)


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン(39話)

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。ただし『ど根性ガエル』のような作品は「またやってみたい」と発言し、一方で『いなかっぺ大将』については「下卑たギャグと舐めてかかったがゆえに惨敗した」と書き、また『巨人の星』についてアニメで畳部屋を描くことに抵抗を感じた、と吐露していることから、作者・川崎のぼるに代表される、洗練されていない日本人の感性に訴えかける「泥臭い魅力」を嫌悪しているのが富野の特性だ、ともとれる。余談だが、『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の\xA1 G0$b$"$j!X5!F0@o;N%,%s%@%`!Y$N@=:n;~$K$O!V%3%J%s$rDY$9$N$,L\I8!W$H8l$C$F$$$?$,!"HVAH=*N;;~$K$O!V?k$K%3%J%s$O0lEY$bH4$1$J$+$C$?!W$H8l$C$?!J$A$J$_$K2?$G$bH?O@$9$k$H$$$&5\:j=Y$O!"%3%J%s$G$OC/$N%3%s%F$G$bA4$F<+J,$G=q$-D>$7$F$$$?$=$&$@!K!#:#$G$O$=$N5\:j$K$bNt$i$L7W;;$5$l?T$/$5$l$?%3%s%F$O9b$$I>2A$r$@$C$?$@$1$K%j%_%F%C%I!&%"%K%a$H$O;X8~$,0c$C$F$$$?$H8@$o$l!"0BI'NIOB$K$h$l$P!V2h$rIA$/l$GE,Ev$K%+%C%H$7$F$$$?$=$&$G$"$k!#$=$l$G$bFC$KJ86g$r8@$C$F$3$J$$$?$a!V7Z$$1i=P2H!W$H$N0u>]$r;}$C$F$$$?$,!"%,%s%@%`@=:n;~$KKDBg$J@_Dj$r;}$A9~$`$N$r$_$F9M$($r2~$a$?$H$$$&!#


    [ 海のトリトン ]
    * 実質的に初のチーフ・ディレァ /%?! 手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン ]
    * 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト ]
    * 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。「ガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、『ヤマトをつぶせ!』これです。他にありません。松崎君(松崎健一)も一話でヤマトを越えたと言ってくれましたんで安心してます(笑)」(『アニメック』第10号、1980年)


    [ 幸福な王子|しあわせの王子 ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星 ]
    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3 ]
    * 原作(共同原作/鈴木良武)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3 ]
    * 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により\xA1 Ev=i$N52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく(ただし、富野本人はこれは社会現象ではなく、ただファンが盛り上がっただけと語っているNHK放送された『「まるごと!機動戦士ガンダム」』より)。本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司『絶望に効くクス\xA1 %j ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11! 号で\xA4 N%$%s%?%S%e!<$K$F)


    [ ザ☆ウルトラマン ]
    * 絵コンテ・演出

  • 確認できる範囲で2007年時点における、富野が自作以外で演出を担当した(単発作品やOP・ED等を除く)最後の作品である。


    [ 伝説巨神イデオン ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場版) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「スターチルドレン」(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため。タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「哀 戦士」(テーマソング)、「風にひとりで」(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞(ただし売野雅勇との共同作詞)
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「疾風ザブングル」(オープニング)、「乾いた大地」(エンディング)「HEY YOU」「わすれ草(そう)」(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇 ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「セーリング フライ」(『接触篇』挿入歌)、「海に陽に」(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「ダンバインとぶ」(オープニング)、「みえるだろうバイストン・ウェル」(エンディング)作詞
    ファミリーコンピューターが発売したばかりの年でもある当時の日本では、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジー作品があまり認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、実在するテクノロジーと異なったメカニズムを取り入れ、ファンタジー的異世界を舞台とした同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。


    [ ザブングル グラフィティ ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。


    [ 銀河漂流バイファム ]
    * 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「スターライト・シャワー」(エンディング)、「傷ついた嫉妬|ジェラシー」(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野監督の単一の作品としては総話数が全54話と最も多い。
    余談であるが、富野自身は「この作品は永野のもの」と語っている(世界観などの殆どが永野の考案である事からの発言だと推測される)


    [ 機動戦士Ζガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 井荻麟名義で「Ζ・刻をこえて」(前期オープニング)、「星空のBelieve」(エンディング)、「銀色ドレス」(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で「一千万年銀河」(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なる路線が災いしてファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」は『誰がやるか!』と吐き捨てるように語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。F91を中心に各作品のメインテーマを交響曲として発表し、富野もゲストとしてタクトを振るった『ガンダムコンサートライブ』においてもZZのみが関連曲が一つも流れなかった。


    [ 機動戦士ガンダム (B 逆襲のシャア ]
    * 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91 ]
    * 原作・監督・脚本(伊東恒久と協同)・絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ ママは小学4年生]
    * オープニングストーリーボード
     監督作品以外では唯一のオープニング担当になる。赤ん坊の全裸など後の作品に活かされる描写も多い。


    [ 機動戦士Vガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で「STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー」(前期オープニング)作詞(ただしみかみ麗緒との共同作詞)、「ひなげしの旅のむこうに」「いくつもの愛をかさねて」(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい「欝」状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていたと、著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません\xA1 !」との見出しをつけ、ファンを驚愕させた。


    [ 機動武闘伝Gガンダム ]
    * 絵コンテ「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、富野は次回作ガンダムの監督を拒否。監督に今川泰宏を指名し、彼に絶対にプロレスをやるようにと指示した。クレジットに名前はないが、実はこっそり作品作りに協力していた。


    [ 闇夜の時代劇 ]


  • 脚本・演出
    第2話「正体を見る」を担当。



    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼 ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。
    なお、本編ビデオ各巻末には本人出演による、バイストン・ウェルの世界観、演出、作画に関する解説が収録されている。富野が前述の鬱状態の中製作した作品である。
    後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。


    [ ブレンパワード ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「愛の輪郭(フィールド)」(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル (曖昧さ回避)|スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインにいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「ターンAターン」(前期オープニング)、「CENTURY COLOR」(後期オープニング)、「月の繭」(後期エンディング)、「月の魂」「宵越しの祭り」(劇中歌)、「月下美人」(挿入歌)、作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。シドがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、両小説ともに富野監督による初期構想案メモを元に沿っている。ぁ J$*J!0f>.@bHG$K$*$$$F$O!"9=@.0F%a%b$+$i@h$NJ*8l$OJ!0f@2IRFH<+$NE83+$K$9$k;v$r富野由悠季自身が了解している。


    [ OVERMANキングゲイナー ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「キングゲイナー・オーバー!」(オープニング)、「本当かい!」「ミイヤの祭り」「デビルズ・アイシング」(劇中歌)、「氷の上のおやすみなさい」(挿入歌)、作詞再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用した。若手\xA1 $N%9%?%C%U$,!V$$$+$K@(;4$KIA$/$+!W$rOC$7$F$$$?;~$K!"!V$b$&Ha;4$JOC$O$$$$$h!W$HM!$7$?$3$H!"!V100歳まで現役でやれる」と周囲を驚かせたエピソードがDVDブックレットで描かれていたことなどから、心理的に立ち直った事も伺える。有料放送なので視聴者は限られていたが、そのパワーある作風に心躍らせた視聴者も少なくは無い。


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶 ]


  • 原作・総監督
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3部作だったが、50話の『∀ガンダム』を2部構成にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い(監督自身も、1stガンダムに比べて編集が困難と語る)。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼 ]
    * 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で「はじめてのおっぱい」(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督


    [ 機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督



    小説他著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム
    :1979年から1981年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1987年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。全3巻。
    ・機動戦士Ζガンダム
    :単行本は1985年から1986年に講談社から刊行。文庫版は1987年に角川書店から角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処(ところ)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(前・中・後)
    :1987年から1991年に徳間書店(アニメージュ#アニメージュ文庫|アニメージュ文庫)から刊行。2002年に徳間デュアル文庫から『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』(雑誌『アニメージュ』連載時のタイトル)に改題して収録。
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン
    :1988年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。;機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上・下)
    :1991年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
    ・機動戦士Vガンダム
    :1993年から1994に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ;密会――アムロとララァ(上・下)
    :1997年に角川書店(角川mini文庫)から刊行。2000年に上下巻を全1巻にまとめて角川スニーカー文庫に収録。


    [ ガイア・ギア ]
    ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ]
    角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが現在では本作もほぼ「正史」として見られているようである。


    [ 機動戦士クロスボーン・ガンダム ]
    『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」と\xA1 $OG'$a$i$l$F$$$J$$$,!"IYLn$,L!2h86:nl$7$?;v$K$h$j!"K\:n$b$[$\!V@5;K!W$H$7$F8+$i$l$F$$$k$h$&$G$"$k!#


    [ 伝説巨神イデオン ]

    1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。

  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より
    :1984年から1986年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。1986年に角川文庫に収録。全6巻。
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)
    :1986年から1987年に角川書店(角川文庫)から刊行。
    ・オーラバトラー戦記
    :1986年から1992年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。2000年から2001年に角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼
    :1995年から1997年にアスペクト (企業)|アスペクト(ログアウト冒険文庫)から刊行。全5巻。


    [ 破嵐万丈シリーズ ]

    1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。
    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ ]

    1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。

  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして ]

    1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。


    [ 王の心 ]

    1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。
    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主に『Vガンダム』監督前から『∀ガンダム』放映終了までのもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)
    : 映像の特徴から編集・作画・演技・音響など、映像作りに必要なほとんどの作業についてを記した実務書。

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    原作名義作品

    富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたガンダム作品にもテロップでは「原作者」とされている。

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

  • 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY

  • 機動武闘伝Gガンダム

  • 新機動戦記ガンダムW

  • 機動新世紀ガンダムX

  • 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz

  • 機動戦士ガンダム 第08MS小隊

  • 機動戦士ガンダムSEED

  • SDガンダムフォース

  • 機動戦士ガンダムSEED DESTINY

  • 機動戦士ガンダム MS IGLOO

  • 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER

  • 機動戦士ガンダム00その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダムなどにも必ず名前が入っている。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年04月22日

    映画監督[雨宮慶太]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    雨宮慶太



    雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。



    来歴

    阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その翌年の1982年に有限会社クラウドを設立。1985年には『巨獣特捜ジャスピオン』にて初めてキャラクターデザインに携わり、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。映画監督としては1988年の『未来忍者 慶雲機忍外伝』でデビュー。代表作には1991年公開の『ゼイラム』や、『タオの月』(1997年)など。また映画以外にもTV作品の監督を務めることも多く、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)ではTV作品初演出にして、パイロット版(1、2話)の監督に抜擢されている。近年は自ら原作まで手がける事も多く、これまでに『鉄甲機ミカヅキ』(2000年)や『魔法少女隊アルス』(2004年)、『牙狼-GARO-|牙狼』(2005年)など、分野を問わず多彩な活動を見せている。国際SFアートコンテスト等の受賞歴を持つ。



    主な監督・脚本作品




    [映画]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1993年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [テレビ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991年~1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992年~1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004~2005年)(企画・原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005~2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年10月~12月)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年12月)(原作・総監督)


    [ビデオ作品]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [漫画作品]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB (模型雑誌)|B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [映画]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [テレビ]


  • 時空戦士スピルバン(1986年〜1987年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ゲーム]


  • 鋼 HAGANE(1994年)(キャラクターデザイン)

  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • デュアルヒーローズ(1997年)(総監督・キャラクターデザイン他)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [小説]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    関連人物


  • 篠原保

  • 阿部統
    上二名ともクラウドに所属していた経歴を持ち、名実共に雨宮の弟子と言える人物である。特に篠原とはクラウドを離れた後も共働する機会が多い。

  • 桂正和
    専門学校時代の2年後輩に当たる。『ゼイラム』に通行人役として出演経験があるほか、雨宮原作の『I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインも桂の手によるものである。



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン オフィシャルウェブサイト


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    2008年04月21日

    映画監督[富野由悠季]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    富野由悠季



    富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年11月5日 - )は、日本のアニメーション監督、作詞家、小説家。神奈川県小田原市出身。日本大学藝術学部映画学科卒。日本で最初の連続テレビアニメ番組「鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメ界をその草創期から知る人物で、日本を代表するアニメーション監督の一人である。代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。



    人物像

    本名(旧ペンネーム)は富野 喜幸。富野由悠季というペンネームは1982年以降、原作、監督、小説執筆の時に使われるようになった。そのほか作詞家としての井荻 麟(いおぎ りん)、井荻麟というペンネームの由来は、:サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズの事務所のあった下井草駅|下井草が西武新宿線の井荻駅の隣(となり)であることによる。絵コンテ、脚本、演出のために使われる斧谷 稔(よきたに みのる)等複数のペンネームを持つ。なお、血液型はAB型。本人執筆の小説の作者紹介欄によると、趣味はスケッチ|素描(ドローイング)とある。自身の小説の挿絵もしばしば描いている。家族構成は、妻の亜々子と2人の娘。長女は演劇集団 円文芸/演出の富野アカリ、次女\xA1 $O!"%@%s%5!<$NIYLn9,=o!"%U%!%s$+$i$N8F$SL>$O!V%,%s%@%`$N?F!W!"!V8fBg!W$J$I!#%U%j!<$N:"!"$H$K$+$/B?$/$N:nIJ$K;22C$7!"%3%s%F$r$+$J$j$N%9%T!<%I$G>e$2$F$$$C$?$3$H$+$i!V%3%s%F@iK\@Z$j$NIYLn!W$H$$$&0[L>$r$H$k$h$&$K$J$k!#6H3&$G$O!VIYLn$KMj$a$P3日でコンテが上がる」と言われていた。コンテの完成度がそれほど高いわけではなかったが、制作スケジュールの厳しいアニメ業界では、富野のように絵コンテを上げるのが早い人材が重宝された。一時期富野の片腕と言われたアニメーターの湖川友謙によると、一部に例外があるようだがと断りながら「おトミさんのコンテの画は、どうとでもとれるような描き方なんですよ。アニメーターがもっと面白い事をやってくれればいいかという感じにもとれるのね。」と語っている。(アニメスタイルで連載されていた湖川友謙へのインタビューより抜粋)。『富野由悠季全仕事』の調査では、『∀ガンダム』開始時点での絵コンテ総数は少なくみて586本(名前が確認できるもののみ)で、恐らくアニメ史上最多記録であると考えられる。監督業に\xA1 ="$$$F$+$i$b<+$iB?$/$N%3%s%F$r@Z$j!"%9%?%C%U$KG$$;$?%3%s%F$KK~! B-$G$-$J $$;~$OK;$7$$;~4V$r3d$$$F<+?H$G$7$r$9$k;v$b$"$k!#!X%6%V%s%0%k!Y$N;~$K82Cx$G$"$C$?;vNc$G$"$k$,!"$[$H$s$I<+J,$N%3%s%F$K$J$C$F$7$^$C$?;~$G$b%9%?%C%U%m!<%k$N5-:\$rJQ$($k$3$H$O$7$J$$!#$3$l$O!V$7$5$l$??M4V$K$b%W%i%$%I$H$$$&$b$N$,$"$k$@$m$&!W$H$$$&G[N8$+$i$G$"$k!#BgDM9/@8$,8l$k$H$3$m$K$h$k$H!"IYLn$,3(%3%s%F$H$7$F;22C$7%/%l%8%C%H$b$5$l$?!XL$Mh>/G/%3%J%s!Y$K$*$$$F$O!"4FFD$N5\:j=Y$,$[$H$s$I<+J,$G%3%s%F$r=q$-BX$($?$3$H$b>/$J$/$J$+$C$?$H$$$&$3$H$+$i!"$=$&$7$?7P83$b1F6A$7$F$$$k$H9M$($i$l$F$$$k!#$7$+$7Cx=q!X1GA|$N86B'!Y$N8e=q$-$G$O!V$?$@H`$i$r4E$d$+$7$?$@$1$@$C$?$+$b$7$l$J$$!W$H=q$$$F$$$k!J$A$J$_$K!V$[$H$s$I!W$H$$$&E@$K$D$$$F$@$,!"%3%s%F$H$$$&$b$N$O1つのカットではなく、カットの連続に意味があるので、直す場合はどうしても全て直すという事になる)。演出・絵コンテの圧倒的な経験量を背景とする高い編集能力には定評がある。最新の『劇場版 機動戦士Ζガンダム』では還暦を過ぎてなおコンピュータ編集を身に付け、20年近く前のテレビシリーズから3本の映画を作った。それだけの仕事を\xA1 $7$J$,$i!"$7$P$7$POP・ED曲や挿入歌の作詞をし、さらに並行してアニメのノベライズまでこなす。ただ、「小説で鬱憤を吐き出してしまうという悪い癖がある」と自認し、後書きなどで反省している。独特の声優審美眼でも知られる。『巨人の星』の主人公星飛雄馬のイメージが強かった古谷徹を『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ役に推したり、俳優の池田秀一、戸田恵子、舞台役者であった白鳥哲、朴ロ美|朴?美などを声優として発掘したり(基本的に人選のセンスは音響監督によるが、声優としての演技センスを育てるという点では正しい表現と言える。)、一見ミスマッチでも視聴後には他のキャストは考えられないような配役を行なう。アフレコ現場には必ず立ち会って声優と演技の詳細を詰めると言われ、富野作品で実力をつけた声優は少なくない(大のガンダムファンでもある子安武人も複数の作品で起用された結果、自身の演技の幅を更に広げた)。演技の指導は厳しく、要求に応えられない時はブースに駆け込んで罵声を飛ばす。阪口大助をはじめ新井里美、浅川悠らはその厳しさに泣き出したという(当時新人だった阪口に至っては鉄拳制裁まで\xA1 2C$($?;v$b$"$C$?$H$N;v!K!#$^$?!"!X=E@o5!%(%k%,%$%`!Y$G> 9-OB$O!V%-%c%i$r;&$7$F9_$m$9!W$H$^$G8@$o$l$?$H$$$&0oOC$b$"$k!#<+$i%a%+$r%G%6%$%s$9$k;v$b$"$j!"FCD'E*$JMFKF$d%.%_%C%/$r9%$`!#$^$?!"%@%/%H$GJ$$o$l$?%2%k%0%0$NF9BN$d%(%k%a%9$N%S%C%H$d%6%/%l%m$KG[$5$l$?B?J}LL%9%i%9%?!<$J$I$N5!G=E*$J%G%6%$%s$b$"$k!#%S%0%6%`$d%>%C%/$J$I$OIYLn%G%6%$%s$,$[$\$=$N$^$^;D$C$?Nc$G$"$j!"&IJ2=$NG!2?$K$+$+$o$i$:!"LO7?2=$G$-$k%G%6%$%s$r>o$K?43]$1$?$H$$$&!#H`$O%a%+%G%6%$%sBG$A9g$o$;;~!"%U%!%_%l%9!&5JCcE9Ey$N8x$N>l$G$"$C$F$b!"<+J,$N:nIJO@$K4p$E$$$F$+!"?ML\$r$O$P$+$i$:H\`P$J8@MU$rH/$7!"%9%?%C%U$,JD8}$9$k;v$b$"$k$,<+?H$NB8:_$r3P$($F$b$i$&$?$a$K4:$($FA@$C$F$=$&$$$&H/8@$r$7$F$$$k%U%7$,$"$j%F%l%S4X78$N;E;v$N:]$O!V6X;_%3!<%I!W$@$+$i$H$=$NH/8@$r95$($k$J$I<+?H$NA@$$$rFw$o$;$F$$$k!#$+$D$FIYLn$N2<$G=$9T$7:n%"%K%a$r@8$_=P$7$?4FFD$O?tB?$$!#8eG/$NM&!5A!":#@nBY9(!"9b>>?.;J$J$I$bIYLn$N2<$G=$9T$7$?$H8@$o$l$k!#:#@! nBY9($r!X5!F0IpF.EAGガンダム』の監督に推薦したのは富野で、富野が今川に「ガンダムをぶっ壊してもらいたかった」という理由からである。厳密には監督ではないが永野護も富野の元で修行した1人であり、富野自身がその才能を高く評価している1人でもある。アニメの監督になっていなかったら、自分は禁治産者とみなされるか、犯罪者になっていたかもしれないと語ったことがあるが、その厳しい指導の成果は後進へと継がれている。また、教え子たちが監督を務めた作品を視聴しては、意見や批判もレポートに書いて出している。アニメ誌やテレビなどの媒体に露出度が高い上、歯に衣着せぬ物言いから、謙遜や謙譲を美徳とする人たちの反感を買う事もある。ただ、その先見の明と能力を評価する人もいる。また、色紙に座右の銘をと求められると「乾坤一擲」と書き込む様にチャレンジ精神を志向する人物なので、新作には必ず何か新しい試みを盛り込もうとしてアニメファンから抗議を受けるケースも珍しくない。ただひたすらに前を見て進もうとする姿勢を「潔い」と感じるか、逆に周囲の都合を顧みない「独善」と感じるかは受け手の側の資質によるところ\xA1 $,Bg$-$$!#$@$,!"NI$/$b0-$/$bG.Nu$J%U%!%s$,B?$$$3$H$G$bCN$i$l$k! !#%W%i%$ %Y!<%H$G$O4pK\E*$KL5富野由悠季全仕事』のインタビューで「誤解を恐れず言えば、宮崎、高畑の演出論は黒澤明以上だ。」とまで評している。富野は、将来のアニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して文化庁メディア芸術プラザ インタビューにおいて、「アニメを見るな」「文芸、演劇、物語を見ないで院 G2h!"%"%K%a$,:n$l$k$H;W$&$J!W!V%"%K%a0J30$N$3$H$KJ3F.$7$m!W!V=! $?H!&F;F A!"3J8@$r3X$Y!W!VBg?M$+$i3X$V$b$N$J$s$F$J$K$b$J$$!W!V1G2h;:6HA4HL$K="$-$?$$$N$J$i3X@8;~Be$+$i9-$/$b$N$r8+$J$5$$!W!V45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ」とアドバイスをしている。彼はまた、「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人(成人)になればアニメはさっさと忘れるべきだ」と主張している。彼の作品中でもそのようなテーマを打ち出しているものも多い。映画『機動戦士ガンダム』の時、人生最大の天狗になっていたらしく劇場版三部作の一作目の主題歌砂の十字架のカップリング曲のスターチルドレンをやしきたかじんが作曲した際、偉そうな態度で「よくこんなメロディーが作れたねぇ」とたかじんに向かって言ったとされる。当時、ガンダムを子供向けロボットアニメとしか見ていなかったたかじんは「なんであんなにエラそうやねん。あの時はホンマに殴ったろかと思たわ」と語っている。富野は井荻名義でこの曲の作詞をしている。(2月15日放送のムハハnoたかじんより)


    作風

    監督を務めた作品には、ロボットアニメが主なジャンルである。本稿にもあるように、ロボットアニメ以外にも世界名作劇場シリーズを始め、広範に渡るジャンルにおいてコンテや脚本を手がけている。しかし本人曰く「オリジナルのストーリーをギャラをもらって作って練習できるのはロボットアニメしかないと気付いた」とのことである。また「ガンダム」「イデオン」では登場するロボット群の大半のデザイン原案を自ら描いており、ほぼそのまま登場した物も多い。顔見知り同士なのに相手の名前をわざわざフルネームで呼ぶなど、関わった作品は台詞回しが特徴的で、「富野節」と呼ばれる。また、登場メカや人物の名称には特徴があり、恐らくは富野自身が好んで使用する、ある一定のリズムに則った反復感や法則性が指摘されている。テーマ曲を作詞する時(特にテレビ放送作品の前期オープニングテーマ曲)に、かつてのスーパーロボット作品のそれと同じく、たいていタイトルや主役機の名前またはその一部を入れている。これは製作現場および業界にそういった空気が充満していたためで、「主役ロボットの名前には濁点と『ン』が入っていないとダメだった」とも本人が語\xA1 $C$F$$$k!#$=$7$F!"IYLn:nIJA4$F$K6&DL$9$k%F!<%^$N

    [ 作風の違いに基づく異名 ]

    かつては物語を盛り上げる必要に応じて重要なキャラクターが死ぬ展開もいとわず、終盤に近づくにつれ、主要登場人物の大半が死に至るような作品(『無敵超人ザンボット3』、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』、TV版『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士Vガンダム』など)を作ることが多く、視聴者に強い衝撃を与えたため、「皆殺しの富野」などの異名で呼ばれた事もあった(代表作『機動戦士ガンダム』では大半が生き残ったが、後の小説版では途中で主人公を戦死させるという展開が見られる)。しかし、富野は決して好き好んでキャラクターを死なせているわけではない。『イデオン』のストーリー後半の製作の際、スポンサーや上層部から声優の出演料の関係でキャラクターの殺害要求をされた時は、嫌だったという。またライトでコミカルな作品(『無敵鋼人ダイターン3』、『戦闘メカ ザブングル』など)も作っている。近年では、『∀ガンダム』や『OVERMANキングゲイナー』など、昔と比べると人の死や悲惨な描写が少ない王道展開の作品が多い。自身も、「エンターテインメント作品は勧善懲悪の王道展開が面白いに掘 h$^$C$F$$$k!W$H$$$C$?$3$H$r=R$Y$F$$$k!#$=$N$?$a0lIt$N%U%!%s$N$"$$$@$G!"0E$/=E$$Ha7`E*$J:nIJ$K$D$$$F$O!V9uIYLn!W!"2&F;$N:nIJ$d%3%_%+%k$J:nIJ$O!VGrIYLn!W$HB/>N$5$l$F$$$k!#


    [ 登場キャラクターの特徴 ]

    主人公の大半は「家庭環境が悪いので、理屈っぽい捻くれた性格をしている」場合のパターンが多い。富野自身も両親に対して憎悪のような感情を抱いていたと述懐している。母のことについてはあまり語っていないが、父はBSアニメ夜話では零式艦上戦闘機|零戦の与圧服の開発スタッフだったと述べている。作品中にも、主人公と両親の関係が決して良好なものではなく、殺したり存在を忘れさせたりなどその姿勢を、頑なに変えない富野の「許し難い両親が生きている」という態度が作品中に出ている。しかし、死んでしまった時などは涙を流すなど本当は家族を愛していた一面も描かれている。また、ほとんどの作品に富野自身の特徴の一部と似た面(思想、境遇、頭が禿げているなど)を持つ政治家、権力者や野心家が登場している。その例として、デギン・ソド・ザビ、ドバ・アジバ、ドレイク・ルフト、バスク・オム、パプテマス・シロッコ、シャア・アズナブル、カロッゾ・ロナ、フォンセ・カガチ?クラックス・ドゥガチなどがその一例である。本人曰く、一番自分に近いキャラクターとしてギレン・ザビを挙げている。そして、作品の一部の男性キャラクタ\xA1 !<$OJl@-0&!J%^%6!<%3%s%W%l%C%/%9|マザコン)に飢えているという共通点もある。1981年に出版された著書『だから 僕は…』には、当時のヒロインの多くは、若かりし頃につきあいのあった「チョキ」というニックネームの女性をモデルとしていると記されており、ヒロインには芯の強さが目立つ。実年齢とは別に、主人公よりもやや大人びた感じや引っ張っていくような性格の強さが目立つことが多い。富野本人は「目の大きいキャラクターが大嫌い」で、作品を見ても少女漫画や、いわゆる「萌え系」のような大き過ぎる眼(=顔の半分を占める 逆に鼻と口は存在しないに等しい大きさ)のキャラクターは全く登場しない。例外は『ダンバイン』のチャム・ファウと『エルガイム』のリリス・ファウぐらいである(彼女の場合は妖精なので意図的にそうしていると見られる)。そのため、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』連載当時、作画担当の長谷川裕一に「キャラクターの目をもう少し小さくしてくれ」と注文し、長谷川を仰天させた(クロスボーン・ガンダムは長谷川の作風のため、キャラクターの目は多少大きめに描かれていた)。『ブレンパワード』において目ぁ NBg$-$$%-%c%i%/%?!<$rIA$/$$$N$^$?$`$D$_$r%-%c%i%/%?!<%G%6%$%s$! K5/MQ$7$ ?:]$b!"K\?M$rL\$NA0$K$7$F!V9%$-$G$O$J$$!W$HH/8@$7$F$*$j!"%"%K%a!<%7%g%s%G%6%$%s$rC4Ev$7$?=EEDFX;J$K$bL\$r>.$5$/=q$/$h$&$K;X<($r=P$7$F$$$k!#IYLn[)$/!"!VK($(7O$N%-%c%i%/%?!<$NL\$,Bg$-$$$N$O!";kD0$G$"$k%*%?%/$,;k@~$K52$($F$$$k$+$i!W$H$N$3$H$G$"$k!#


    [ エンディングの法則 ]

    「富野総監督作品はハッピー、バッドエンディングを交互に繰り返す」この命題の初出は、1980年代アニメ雑誌の読者投稿欄によるものである。「すでに気づいていた」という編集者のコメントや、作劇の単純な法則から、ある程度の認識を持つ富野作品ファンの間では周知の事実であったと思われる。富野作品全般がエポックとされる所以は「単純な勧善懲悪もの」を否定し、相対的な視点をもつドラマを提示したためである。これは何を基準に「ハッピー・バッド」と線引きするかが明確ではない。さらに先述の「皆殺しの富野」の異名通り、この期間全作品に「バッドエンディング」と結論付けできる「苦み」や「しこり」が必ず含まれる。しかし逆に、『イデオン』『ダンバイン』『ザンボット3』の衝撃的な結末には再生をも予感させるカタルシスが含まれ「痛み = バッド」とすることもためらわれる。ほぼブランクが介在しないこの時期の作品カラーを富野監督本人の言及・製作背景とあわせて俯瞰するうえで、単純ゆえに興味深い履歴といえる。(注:本法則は『ザンボット3』から休養直前の『機動戦士Vガンダム』まで、名古屋テレビ放繊 w|名古屋テレビ系リアルロボット作品群に適用。『ブレンパワード』以降は前述の経緯から適用されない)。下記に富野監督作品の結末の詳細を記述する。*【○=ハッピーエンディング、×=バッドエンディング、△=ファンによって○か×か意見が二分されている】

  • ザンボット3 【×】 主人公を残し家族の大半が死亡、敵首領が主人公らの正義をくつがえす

  • ダイターン3 【○】 敵対組織壊滅とチームの発展的解散

  • ガンダム 【○】 覚醒、仲間のもとへ帰還、大戦終結(※例外、ただし打ち切り前の構想ではラストに大虐殺)

  • イデオン 【×】 味方・敵対種族を含め、全ての知的生命体が消滅(その時、別の惑星に生命がもたらされる描写も)

  • ザブングル 【○】 支配階級からの開放・自立 (劇場版での補完)

  • ダンバイン 【×】 味方・敵対組織を含め、ほぼすべての主要登場人物の消失

  • エルガイム 【△】 支配階級の打破・革命(但し主人公は人格崩壊した義妹と共に世捨て人になった為、この作品に関してはファンによってハッピーエンドと見るかバッドエンドと見なすかで現在でも意見が真っ二つに分かれている)

  • Ζガンダム 【×】 主人公の精神崩壊、敵味方区別なく疲弊・消耗しつくした組織(後の劇場版ではラスト変更される)

  • ガンダムΖΖ 【○】 戦争終結、その後主人公は家族と再会し、木星へ旅に出る

  • ガンダム逆襲のシャア 【×】 2人の主人公は死亡(富野が非公式に認める)、最終局面にて奇跡があるも、あえて続編小説『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ|閃光のハサウェイ』まで敷衍するならバッドエンドとも言える

  • ガンダムF91 【○】 家族の理解と再生、愛する人との再会

  • Vガンダム 【×】 登場人物がたて続けに死亡、勝者のない(見えない)戦争と生き残ったカテジナの結末、終戦後の冬の情景





    経歴


  • 1941年:神奈川県小田原市生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には宮崎駿や同じ虫プロ出身のりんたろうがいる。

  • 1964年:日本大学芸術学部映画科(一年先輩には映画監督の山本晋也がいる。山本とは学生時代にエピソードあり)を卒業し、手塚治虫主宰の虫プロダクションへ入社、制作進行を担当する。後に人手不足も手伝い、演出・脚本等も手掛けるようになる。そこで自分より年下のスタッフ達の絵の上手さに衝撃を受け、「彼らに負けない仕事をするにはどうするか?」と悩んだ末に出た答えが「誰よりも早くコンテを描く」ことだった。この努力が認められ『鉄腕アトム (アニメ第1作) |鉄腕アトム』の後半は多くの作品で演出を任されるようになる。
    : 本来実写作品の監督志望であったが、富野の大学卒業前、すでに大手映画会社は大学新卒者の採用をやめており、学部の関係上、就職口が虫プロダクションしかなかったとコメントしている。当時アニメは子供の漫画映画という認識しかなかったため、大の大人がおもちゃ屋の宣伝番組であるアニメの仕事をやるのは非常に恥ずかしかったと述べている。現在でも、実写ドラマの監督がやりたいという野心があると語っている。

  • 1967年:虫プロダクションを退社。東京デザイナー学院で講師として講義を持つかたわら、オオタキ・プロダクション(※)でCM制作に関わる。
    :※この表記は著作『だから僕は…』に準拠。エッセイ『∀の癒し』には同一CM制作会社と思われる会社がシノ・プロの名で登場している。

  • 1968年:オオタキ・プロダクションを退社。以後フリーとなる。講師やオオタキ・プロダクションとの付き合いも続けながら、アニメ界へ復帰を模索するようになりタツノコプロで仕事を受注する。虫プロ時代は以前使った絵を使い回して上手く話を作るという作業が多かったため、タツノコでは一般的な映像演出能力の不足を指摘されることが多く、「自惚れを認めざるを得なかった」という。この経験以降「才能を持つ人間に負けたくない」という思いが更に強まる。ジャンルを問わず精力的に仕事をこなし、業界内で「富野が絵コンテ千本切りを目論んでいる」と半ば非難と冗談を交えて噂されたのはこの時期のことである。

  • 1971年:結婚。結婚式当日でさえ絵コンテ用紙を手放せなかったと本人は回顧している。このころに埼玉県新座市に引っ越す(『ダイターン3』の「シン・ザ・シティ」の元ネタとなる)。

  • 1972年:初の監督作品である『海のトリトン』の監督を務める。

  • 1975年:『勇者ライディーン』の監督を2クール(第26話)で降板する(後任は長浜忠夫)。出崎哲の後任として『ラ・セーヌの星』の3クール目(第27話〜第39話)の監督を務める。

  • 1977年:創映社がサンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズとして改組・独立。サンライズ初のアニメーション作品である『無敵超人ザンボット3』の総監督を務める。

  • 1978年:『無敵鋼人ダイターン3』の総監督を務める。

  • 1979年:自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督を務めるが、打ち切りとなる。この作品が後のロボットアニメーション業界に「人物群像」と「事件の経過」という展開を与える。

  • 1980年:『伝説巨神イデオン』の総監督を務めるがガンダムと同じく打ち切りとなる。

  • 1981年:映画『機動戦士ガンダム?』の総監督を務める。5月22日、映画『機動戦士ガンダム? 哀・戦士編』の主題歌発表記者会見にて、作詞家「井荻麟」の正体が自分である事を公表。

  • 1982年:『機動戦士ガンダム? めぐりあい宇宙編』、『戦闘メカ ザブングル』、『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督を務める。この頃から原作・監督の仕事に富野由悠季名を使い始める。

  • 1983年:『聖戦士ダンバイン』の総監督、『ザブングル グラフィティ』の監督。『銀河漂流バイファム』の原作を務める。

  • 1984年:『重戦機エルガイム』の総監督を務める。

  • 1985年:自身初の続編シリーズ物の『機動戦士Ζガンダム』の総監督を務める。後の本人の口からいい意味でも、悪い意味でも「思い入れのある作品」と答えている。

  • 1986年:『Ζガンダム』の続編として『機動戦士ガンダムΖΖ』の総監督を務める。

  • 1986年:当時、ガンダムシリーズの最終作品として作られた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の監督・脚本を務める。

  • 1991年:新たなるガンダムシリーズとして作られた『機動戦士ガンダムF91』の監督・脚本を務める。

  • 1993年:『機動戦士Vガンダム』の総監督を務める。この頃から制作における混乱があまりにも大きく、ひどい鬱状態となり数年間はアニメ監督をやっていない。(脚本や絵コンテはしている)

  • 1994年:漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』原作(作画は長谷川裕一)。原作者の肩書きだけであった富野が、初めて漫画制作に携わった。同作品は『機動戦士ガンダムF91』の続編的物語で、1997年まで連載。

  • 1996年:初のOVA作品の『ガーゼィの翼』の監督をする。

  • 1998年:WOWOW初のオリジナル有料アニメ『ブレンパワード』の総監督を務める。93年の『機動戦士Vガンダム』以来5年ぶりのTV作品放映。

  • 1998年:『ガンダム』誕生20周年記念作品として、『∀ガンダム』の総監督を務める。この頃に安田朗と出会いカプコンによる「ガンダムのゲーム作っていいですか?」という質問に「いいよ」と答えたのが、ガンダムゲームの代表作のひとつである『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』である。

  • 2002年:再びWOWOWでの放送アニメ『OVERMANキングゲイナー』の総監督を務める。

  • 2004年:上井草駅|上井草(井荻の隣の駅)に転居。名実ともに「井荻麟」となった。

  • 2005年:劇場版『機動戦士Ζガンダム』三部作を制作し、順次公開。映画『ローレライ (映画)|ローレライ』には、反乱軍として通信所を占拠する海軍大尉としてカメオ出演(画面での確認は困難)。12月から自身初のWEBアニメ『リーンの翼』の監督を務める。

  • 2006年:映画『日本沈没#映画(リメイク)|日本沈没』にカメオ出演(京都の高僧役)。第11回AMDアワード功労賞を受賞。第42回シカゴ国際映画祭アニメーション功労賞を受賞。

  • 2008年:映画『少林少女』に主人公(柴咲コウ)の亡き祖父としてカメオ出演。あくまでゲスト扱いであるが、昨今は実写映画への出演も目立ちつつある。近年は大学で講義を持ち、文化庁の依頼で海外で講演を行うなど、今なお方面を広げて精力的に活動している。雑誌ガンダムエースでは、各界のスペシャリストとの対談記事『教えてください。富野です』が毎月連載されている。



    参加作品一覧




    [ 鉄腕アトム ]
    * 制作進行・演出助手・脚本・演出
    手塚治虫が自身の同名人気漫画を原作に、自ら社長を勤める虫プロで制作した日本初のTVアニメーション(モノクロ)。富野は64年に虫プロに入社し、制作進行及び演出助手を担当。同年11月放送の第96話「ロボット・ヒューチャー」で、新田修介の名で演出家としてデビューした(同話では脚本と絵コンテも担当)。以後合計25本の演出と絵コンテを担当。自ら脚本を書いたエピソードも多い。この演出本数はアトム全体で最も多く、二話連続コンテなども何度かある。ある意味後半のアトムは富野が乗っ取った形になっているために、元々メインだったりんたろうとは後年まで軋轢があったそうである(現在では和解している)。「アニメだって映画、動かなくてはいけない。それを止めて見せることができるという発想は許し難かった。最初は仕事と割り切っていたが?半年もすると不満が沸いてきた。当時、虫プロで働いていたのは、映画的なセンスがない人たち。
    僕は映画的な演出ができる確信があったので、アニメとは言えない電動紙芝居でも?作りようはあると思うようになった。そんな体質が分かるのか、僕が演出になると?先輩から徹底的に嫌われた。『アトム』での僕の演出本数が一番になった時、みんなの視線が冷たかった。『アトム』が終わると、虫プロを辞めた。」(『アニメ大国の肖像』中日新聞連載、2006年)


    [ 過去に関わった作品(1968年 - ) ]

    虫プロを退社し、「さすらいのコンテ・マン」だった時代に関わりを持ったアニメには次のようなものがある。


  • リボンの騎士

  • 巨人の星

  • アニマル1

  • 海底少年マリン

  • いなかっぺ大将

  • どろろ

  • 紅三四郎

  • ムーミン

  • アタックNo.1

  • 男一匹ガキ大将

  • シートン動物記

  • あしたのジョー

  • 昆虫物語 みなしごハッチ

  • さすらいの太陽

  • 天才バカボン(阿佐みなみ名義)

  • オバケのQ太郎|新・オバケのQ太郎


  • モンシェリCoCo

  • ど根性ガエル

  • けろっこデメタン

  • 新造人間キャシャーン

  • 山ねずみロッキーチャック

  • ゼロテスター

  • アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ

  • 新みなしごハッチ

  • 破裏拳ポリマー

  • 侍ジャイアンツ

  • 小さなバイキングビッケ

  • 宇宙戦艦ヤマト

  • フランダースの犬 (アニメ)|フランダースの犬

  • アンデス少年ペペロの冒険


  • 母をたずねて三千里

  • 超電磁ロボ コン・バトラーV

  • ゴワッパー5 ゴーダム

  • ろぼっ子ビートン

  • あらいぐまラスカル

  • ヤッターマン(39話)

  • 超電磁マシーン ボルテスV

  • シートン動物記 くまの子ジャッキー

  • とびだせ!マシーン飛竜

  • ペリーヌ物語

  • 未来少年コナン(21話)

  • 合身戦隊メカンダーロボ

  • 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン
  • 上記以外にも多数あると思われる。当時、どこのスタジオに行っても見かける「さすらいのコンテマン」として有名だったという。この時期の富野は、ある程度の作風は確立していたものの、演出家としてあまり評価が高いとは言えなかった。そこそこのコンテをとにかく早く上げられるため、業界の便利屋として使われている部分が多かった。ただ、これほど多岐にわたる作品に関わった演出家は他におらず、後の硬軟入り交じる複雑な作風の下地となった事は疑いの余地がない。一方苦手なコンテはギャグ方面のアニメで、『いなかっぺ大将』では何度もやり直しを受けたという。ただし『ど根性ガエル』のような作品は「またやってみたい」と発言し、一方で『いなかっぺ大将』については「下卑たギャグと舐めてかかったがゆえに惨敗した」と書き、また『巨人の星』についてアニメで畳部屋を描くことに抵抗を感じた、と吐露していることから、作者・川崎のぼるに代表される、洗練されていない日本人の感性に訴えかける「泥臭い魅力」を嫌悪しているのが富野の特性だ、ともとれる。余談だが、『未来少年コナン』ではコンテを宮崎駿に全て書き直され、畏敬の\xA1 G0$b$"$j!X5!F0@o;N%,%s%@%`!Y$N@=:n;~$K$O!V%3%J%s$rDY$9$N$,L\I8!W$H8l$C$F$$$?$,!"HVAH=*N;;~$K$O!V?k$K%3%J%s$O0lEY$bH4$1$J$+$C$?!W$H8l$C$?!J$A$J$_$K2?$G$bH?O@$9$k$H$$$&5\:j=Y$O!"%3%J%s$G$OC/$N%3%s%F$G$bA4$F<+J,$G=q$-D>$7$F$$$?$=$&$@!K!#:#$G$O$=$N5\:j$K$bNt$i$L7W;;$5$l?T$/$5$l$?%3%s%F$O9b$$I>2A$r$@$C$?$@$1$K%j%_%F%C%I!&%"%K%a$H$O;X8~$,0c$C$F$$$?$H8@$o$l!"0BI'NIOB$K$h$l$P!V2h$rIA$/l$GE,Ev$K%+%C%H$7$F$$$?$=$&$G$"$k!#$=$l$G$bFC$KJ86g$r8@$C$F$3$J$$$?$a!V7Z$$1i=P2H!W$H$N0u>]$r;}$C$F$$$?$,!"%,%s%@%`@=:n;~$KKDBg$J@_Dj$r;}$A9~$`$N$r$_$F9M$($r2~$a$?$H$$$&!#


    [ 海のトリトン ]
    * 実質的に初のチーフ・ディレァ /%?! 手塚治虫の漫画『青いトリトン』(後にアニメに合わせて『海のトリトン』に改題)を原作としているが、「トリトンやピピはトリトン族である」といったキャラクター設定以外に共通点を見出すことは難しい。実質的にオリジナル・ストーリーで、ハードなストーリー展開と理屈っぽい主人公という富野色はこの頃からすでに十分表れている。放送当時は視聴率が伸びず、わずか2クールで終了したが、原作ファンも合わせて富野版トリトンの設定は評価が高く、今日なお熱烈なファンを持つ作品となった。


    [ 勇者ライディーン ]
    * 監督・絵コンテ(前半)
    オリジナル・ストーリーをやれると思って引き受けた仕事だったが、原作(鈴木良武)が持っていたオカルト的要素が、諸事情により第1話の作画に入ってから決まった放送局の方針と合わず、急な方向転換を余儀無くされるという不運の中、前半2クールで降板することとなった。後任の監督となった長浜忠夫は、この富野に対するあまりにも横暴な人事に激怒しながらも引き受け、富野も鬱憤を感じながらも、後半でも長浜の下で何本か絵コンテを切るなどの形で番組自体には関わり続けた。そしてこの機会に長浜忠夫の下で技法を吸収する事に努め、監督の立場から作品全体をコントロールする術を学んだと自身で回想している。後に長浜ロマンロボシリーズにも演出、絵コンテとして参加している。


    [ 宇宙戦艦ヤマト ]
    * 絵コンテ
    著作『だから 僕は…』によれば、第3話の絵コンテを西崎義展プロデューサーに強引に引き受けさせられたものである。そのストーリーが気に入らなかった富野は、ストーリーを改ざんして西崎に渡し、西崎を激怒させた。翌日か翌々日には本来のストーリーでの絵コンテを再納品したが、それきり二度と西崎からの依頼は来なかったと言う。「ガンダムを作るきっかけですが、以前にも少し話したんですけど、本音はただ一つです。ごたいそうなものじゃなくてね、『ヤマトをつぶせ!』これです。他にありません。松崎君(松崎健一)も一話でヤマトを越えたと言ってくれましたんで安心してます(笑)」(『アニメック』第10号、1980年)


    [ 幸福な王子|しあわせの王子 ]


  • 演出

  • 1975年の教育映画祭一般教養部門児童劇・動画部門の最優秀作品賞、第17回厚生省児童福祉文化賞を受賞。
    オスカー・ワイルド原作。全国の幼稚園や小学校で情操教育などを目的に上映された教育映画。一般公開はされていない。


    [ ラ・セーヌの星 ]
    途中降板した出崎哲の後を受け、最終話までの1クールのみ監督。


    [ 無敵超人ザンボット3 ]
    * 原作(共同原作/鈴木良武)・総監督・演出・絵コンテ・原画(ノンクレジットだが、富野本人が証言している)
    日本サンライズの第一回制作作品。先の「ライディーン」途中降板の経験を受け、企画段階からスポンサー・放送局に「まず要求を全部言って下さい」と談判し「戦闘シーンは何分要るのか」「武器は何種類出せばいいのか」等、全ての条件を受容れた上で「その中でどこまで劇を入れられるか実験を試みた」という。
    当作品は、本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的であった当時の業界や視聴者に強い衝撃を与えた。大人の間では「子どもに見せるものとしては不適格」とする声もあった。しかし、ガンダムの前作品として再評価する意見も出ている。


    [ 無敵鋼人ダイターン3 ]
    * 原作・総監督・脚本・絵コンテ
    前作『無敵超人ザンボット3』の暗さを吹き飛ばすかのように全体的にコミカルな作品となった。主人公破嵐万丈は今日でも多くのファンを持つ。衝撃的な『ザンボット3』の後番組だったため、初期の視聴率は伸び悩んだが、最終話は、高いレベルの作画でどこか哀しみを漂わせ、『ザンボット3』や『ガンダム』に引けを取らないシリアスなストーリーで締めくくった。破嵐万丈の人気は根強く、その後もノベライズやオーディオドラマによる後日談など関連作品が生み出されていった。


    [ 機動戦士ガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「翔べ! ガンダム」(オープニング)、「永遠にアムロ」(エンディング)、「シャアが来る」「いまはおやすみ」(挿入歌)、「きらめきのララァ」(挿入歌・本編未使用)作詞
    富野の代表作として真っ先に挙げられるタイトル。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した(富野は、最初に支持してくれたのは、主に十代の若い女性であったと回想している)。続編が次々作られるようになったことで、便宜上「ファースト・ガンダム」と呼ばれることもある。今でこそ名作とされる場合が多いが、初回放送時は視聴率で苦戦し、スポンサーの意向によりテコ入れの路線変更と52話から39話への放送期間短縮が決定される(2クール目より冒頭にガンダム換装シーン、新商品Gメカと毎回敵メカが出てくるスーパーロボット路線への変更)。講談社刊、ガンプラジェネレーションでの当時の関係者に証言によると、この効果により新商品のDX合体セット(Gファイターとガンダムの合体セットだが、当時の定番としてGファイター、ガンダム共に数々の玩具的ギミック、デフォルメが施されている)がヒットし、スポンサーの要請により\xA1 Ev=i$N52話完結へと話が戻された。スタッフ等の諸事情により1ヶ月分の4話を延長した全43話で折り合いが尽き完結するものの、熱心なファンの再放送嘆願により人気が本格的に過熱する。放送終了後にバンダイから300円のキャラクタープラモデル(いわゆるガンプラ)が発売され、企画時はただの単独ラインナップからシリーズ化、さらには劇中に登場しなかったオリジナルモビルスーツ(モビルスーツバリエーション|MSV)の機体も多数発売されることにより、独自の世界観を切り開いていった。これが契機となりガンダム人気はマーケットを主体とした、初回放送時とは比較にならない一大ブームを起こし、再放送、やがて映画化へと繋がる社会現象を引き起こしてゆく(ただし、富野本人はこれは社会現象ではなく、ただファンが盛り上がっただけと語っているNHK放送された『「まるごと!機動戦士ガンダム」』より)。本作の企画案は当時金欠だった富野がサンライズへ30万円で売り渡したため、いくらガンダム関連商品が売れようとも富野自身に還元されることは無い。(出典:山田玲司『絶望に効くクス\xA1 %j ONE ON ONE』、『週刊ヤングサンデー』2005年11! 号で\xA4 N%$%s%?%S%e!<$K$F)


    [ ザ☆ウルトラマン ]
    * 絵コンテ・演出

  • 確認できる範囲で2007年時点における、富野が自作以外で演出を担当した(単発作品やOP・ED等を除く)最後の作品である。


    [ 伝説巨神イデオン ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「復活のイデオン」(オープニング)、「コスモスに君と」(エンディング)作詞
    『機動戦士ガンダム』終了のわずか数ヵ月後に放送開始されたロボットアニメ。前作である『機動戦士ガンダム』同様に途中打ち切りとなるが、折からのアニメブームの中、「本当の結末が見たい」というファンの声援に後押しされて、後にテレビ版総集編と完結編が二本同時に劇場公開された。


    [ 機動戦士ガンダム(劇場版) ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「スターチルドレン」(挿入歌・本編未使用)作詞
    劇場版三部作の第1作。TVシリーズでホワイトベースがサイド7から地球に辿り着き、敵・ジオン公国の脅威を認識する場面(ランバ・ラルとの遭遇と、その後のギレン・ザビの演説)までのエピソード。それまでもテレビアニメで評判の高かったものが再編集されて劇場公開されるケースはあったが、それらの多くは劇場版となった途端に実写畑の監督や監修者を立てていた。そのことに違和感を持っていた富野は、本作で「他人を監督に立てるのであれば上映権は認めません」と会社側と談判して監督権を勝ち取った。本作が不入りであれば以降は作られなかった可能性も高かったため。タイトルにローマ数字の「I」とサブタイトルがついていない。


    [ 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で「哀 戦士」(テーマソング)、「風にひとりで」(挿入歌)作詞
    劇場版三部作の第2作。TVシリーズで地球に降下してから連邦軍の本拠であるジャブローに辿り着き、ジオン軍との決戦の為に再び宇宙へ旅立とうとするところまでのエピソード。


    [ 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 ]


  • 総監督

  • 井荻麟名義で『めぐりあい』(テーマソング)、『ビギニング』(挿入歌)作詞(ただし売野雅勇との共同作詞)
    劇場版三部作の第3作。再び宇宙に舞台を移してから最終決戦を経て終戦に至る最終話までのエピソード。宇宙と書いて「そら」と読ませる。TVシリーズ制作時に病気で現場を離れていた作画監督の安彦良和によるリターンマッチという事もあり、ほとんど新作に近い量の新規作画が起こされている。


    [ 戦闘メカ ザブングル ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「疾風ザブングル」(オープニング)、「乾いた大地」(エンディング)「HEY YOU」「わすれ草(そう)」(挿入歌)作詞原作・脚本を担当した鈴木良武(=五武冬史)によれば、当初彼と知り合いであったことで吉川惣司が監督として参加していた。しかし、ロボット物でギャグという企画が吉川自身のロボット物に対する思い入れと合わなかったらしく、話し合いを重ねたが企画はなかなかまとまらなかった。そうこうするうちに富野が加わり、それまで何本も書いていた企画書を整理。そこに富野監督としての意見が付加されて本作の形がまとまって行ったのだと言う(吉川は監督こそ降りたものの脚本として本作に最後まで参加している)。初めの1クール半は『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』の劇場版の仕事で手一杯でわりに人任せにしていたが、自分の求めた動きになって来ないと見て取るや、時間を捻出して他人の切ったコンテを全面的に切り直したりコンテに動画の中割りまで指定するなどかなりの力技を振った。そのため一時はスタッフとの間にかなり険悪なムードが立ちこめたが、終了後スタッフから「転機になった」「つぁ i$+$C$?$1$I3Z$7$+$C$?!WEy!"?76-CO$r8+=P$7$?$i$7$$8@MU$,B?$/J9$+$l$k$H$3$m$r8+$l$PI,MW$JBPN)$@$C$?$H$b8@$($h$&!#DdBZ$dFk$l9g$$$r7y$&IYLn$O$7$P$7$P%9%?%C%U$H$N4V$KmBm`$r@8$_=P$9$,!"$=$N@-3J$,$"$C$?$l$P$3$=D9G/%"%K%a4FFD$H$7$F0l@~$G3hLv$7$FMh$i$l$?$N$@$m$&$7!"$=$N;Q@*$K;I7c$r/$J$/$O$J$$!#:#:n$G$OESCf$Ge=i!#


    [ The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇 ]


  • 総監督・原作・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「セーリング フライ」(『接触篇』挿入歌)、「海に陽に」(『発動篇』挿入歌)作詞
    『接触篇』がテレビ版の総集編(といっても物語の中盤程度まで。ここで描かれなかった総集編部は次の『発動篇』冒頭にかかっている)、『発動篇』が打ち切りにならなければ描かれたはずの完結部分となっている(但し、最終決戦のきっかけとなる39話は『発動篇』に含まれる)。2本同時公開。


    [ 聖戦士ダンバイン ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「ダンバインとぶ」(オープニング)、「みえるだろうバイストン・ウェル」(エンディング)作詞
    ファミリーコンピューターが発売したばかりの年でもある当時の日本では、王侯・騎士と神話・妖精が織りなす中世ヨーロッパ的ファンタジー作品があまり認知されていなかった。したがって、リアルロボットものが隆盛をきわめつつあった時代に、実在するテクノロジーと異なったメカニズムを取り入れ、ファンタジー的異世界を舞台とした同作は異色だったといえる。しかし、後半で現代の地球に舞台を移したことには賛否がある。富野自身が放送終了前に失敗作宣言をしたり、放映中にスポンサー企業が倒産するなどのトラブルが発生したことでも知られる。舞台となる異世界「バイストン・ウェル」は、富野がしばしば同じ世界観で小説を書くライフワークとして続くこととなった。


    [ ザブングル グラフィティ ]


  • 監督・原作
    テレビ版『ザブングル』の再編集版。『太陽の牙ダグラム』の総集編である『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』と併映。当初から、2本立ての企画物として制作され(実際は、さらに短編『チョロQダグラム』が加えられ3本立て)、上映時間が90分以内という制約があったため、まともな総集編を作るのは無理と判断、割り切って楽屋落ちにして、本編の勢いを悪乗りさせた作品となった。だが、その割には新しく書き下ろされたカットも多く、実は結構力が入っている。


    [ 銀河漂流バイファム ]
    * 原案
    『十五少年漂流記』のように子供達だけで宇宙をサバイバルする物語を、と企画された時に出された企画原案の一つ。その際採用された企画原案が『機動戦士ガンダム』になった。


    [ 重戦機エルガイム ]
    * 原作・総監督・ストーリーボード

  • 井荻麟名義で「スターライト・シャワー」(エンディング)、「傷ついた嫉妬|ジェラシー」(挿入歌)作詞
    キャラクターデザインとメカニックデザインに永野護を起用。そのビジュアル的な斬新さには多くのファンがついた。物語としては、前半は自分で自作のパロディをやるのかと言われるほど明るい色調でファンの受けも良かったが、後半、物語がシリアスな展開を見せるにつれ話について行けなくなり、離れて行ったファンも少なくない。
    富野監督作品内で唯一、「ン」が付かない作品である(理由はスポンサーであったバンダイが「この題名でやれ」と言ったため)。ちなみにTVアニメでの富野監督の単一の作品としては総話数が全54話と最も多い。
    余談であるが、富野自身は「この作品は永野のもの」と語っている(世界観などの殆どが永野の考案である事からの発言だと推測される)


    [ 機動戦士Ζガンダム ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 井荻麟名義で「Ζ・刻をこえて」(前期オープニング)、「星空のBelieve」(エンディング)、「銀色ドレス」(挿入歌)作詞
    それまでの続き物にありがちだった続編(判りやすい例えとしては『宇宙戦艦ヤマト』)とは違う続編の作り方を意図的に試みた作品。前作の登場人物が年齢を重ねて再登場したり、時代の変化によってかれらの立場や考え方が変わっているなど当時としては斬新な作品となった。初放送時は批判的な意見が多く見られたが、今日では『ガンダム』シリーズ中、最も好きな作品に挙げるファンも少なくない。ともあれガンダムシリーズが四半世紀を越えた現在、なお新作を求められたり実際に作り続けられている理由の一つは、本作によって確立された年代史的な続編の作り方にあると言っても過言ではないだろう。2005年に20年の歳月を経て富野自身の手により劇場版3部作に「新訳」されて公開された。


    [ 機動戦士ガンダムΖΖ ]
    * 原作・総監督・脚本・ストーリーボード・OP、EDの絵コンテ

  • 井荻麟名義で「一千万年銀河」(後期エンディング)作詞
    スポンサー側からの提案で前作『機動戦士Ζガンダム』放送中に急遽製作が決まった続編(ただし、本人は予測の内であったと語っている)。時代的には前作から連続し、前作の主要キャラクターは脇に退き、ミドルティーンの少年少女を主役グループに置いて「暗い」「カタルシスがない」と評された前作とは正反対に「明るいガンダム」を目指した。しかし、この前作の事実上の続編でありながらも全く方向性が異なる路線が災いしてファンからは苦情が寄せられ、シリーズ半ばからやや方向転換している。なお、この作品の「新訳」は『誰がやるか!』と吐き捨てるように語っている。自身のコメントの中でも特にけなす作品のひとつであり、「あれは論外」「なかったことにして欲しい」「あの時の自分が一番ダメ」等、ファンの心象等お構いなしの暴言が飛び出す。ガンダムシリーズで唯一、ノベライズも書いていない。F91を中心に各作品のメインテーマを交響曲として発表し、富野もゲストとしてタクトを振るった『ガンダムコンサートライブ』においてもZZのみが関連曲が一つも流れなかった。


    [ 機動戦士ガンダム (B 逆襲のシャア ]
    * 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初の劇場版オリジナル作品。「シャア・アズナブル|シャアとアムロ・レイ|アムロの物語に決着をつける」ために作った作品と本人は述べている。小説版も富野自身が手がけているが、徳間書店版(『ハイストリーマー』(前・中・後))と角川書店版(『ベルトーチカ・チルドレン』)の二種類がある。角川書店版は同作の初期案をベースとしている。大筋のストーリーは共通しているが、アムロとベルトーチカの関係が続いており、ベルトーチカがアムロの子供を身篭っているという設定がある。この設定は上層部から「ヒーローに子供ができるのはどうか」と指摘を受け、映画版では取り下げた。徳間書店版のほうは、前半にかなりの物語が追加されている。


    [ 機動戦士ガンダムF91 ]
    * 原作・監督・脚本(伊東恒久と協同)・絵コンテ・挿入歌の作詞

  • 日本アニメ大賞・最優秀作品賞を受賞。
    背景となる時代は一気に下り、『逆襲のシャア』までのキャラクターが引き継がれることはなかった。キャラクターやメカニカルデザインに『機動戦士ガンダム』当時のスタッフを起用しており、懐かしい気分に浸ったファンも少なくない。本来はTVシリーズの予定で企画されたが、劇場公開用として再編集されたと言われている。本作公開時にスタッフは、テレビシリーズかビデオシリーズかで本作の続編を作るつもりでいたが、興行的に今ひとつ振るわなかったためか、立ち消えとなった。後に直接的な続編である漫画『機動戦士クロスボーン・ガンダム』の原作を担当している。


    [ ママは小学4年生]
    * オープニングストーリーボード
     監督作品以外では唯一のオープニング担当になる。赤ん坊の全裸など後の作品に活かされる描写も多い。


    [ 機動戦士Vガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ・構成

  • 井荻麟名義で「STAND UP TO THE VICTORY〜トゥ・ザ・ヴィクトリー」(前期オープニング)作詞(ただしみかみ麗緒との共同作詞)、「ひなげしの旅のむこうに」「いくつもの愛をかさねて」(挿入歌)作詞第1話に主役機のガンダムが出てこないため、スポンサーの意向により第4話が第1話と置き換えられた。暗いストーリーや、凄惨な描写の多い作品だったが、高度なドラマ性は一部で高い評価を得ている。音楽が作品の重要な要素である点は、第一作などと同様である。本作以降、「ガンダム」は富野の手を離れ、複数の監督が製作を続けた結果、「『ガンダム』はすでにジャンルである」と言われるほどに多様化した。そのことは今日なお「ガンダム」新シリーズが作り続けられる理由の一つとなっている。富野はこの後1〜2年間にわたり現場から離れる。その間彼はひどい「欝」状態にあり、立っていられないほどの目まいがしたり、ほとんど気絶するような感じで眠りについていたと、著作『∀の癒し』で告白している。本作DVD-BOX発売時には、同梱リーフレットに「この作品は見られたものではないので買ってはいけません\xA1 !」との見出しをつけ、ファンを驚愕させた。


    [ 機動武闘伝Gガンダム ]
    * 絵コンテ「機動戦士Vガンダム」の放送終了後、富野は次回作ガンダムの監督を拒否。監督に今川泰宏を指名し、彼に絶対にプロレスをやるようにと指示した。クレジットに名前はないが、実はこっそり作品作りに協力していた。


    [ 闇夜の時代劇 ]


  • 脚本・演出
    第2話「正体を見る」を担当。



    [ バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼 ]


  • 原作・監督・脚本・絵コンテ
    初のOVA作品。『ダンバイン』と同じくバイストン・ウェルの世界を舞台にしているが、ロボット(オーラバトラー)の出てこない、純粋なファンタジー作品となっている。
    なお、本編ビデオ各巻末には本人出演による、バイストン・ウェルの世界観、演出、作画に関する解説が収録されている。富野が前述の鬱状態の中製作した作品である。
    後年作品を見直した富野は「糸が伸び切っているという印象」との感想を残している。


    [ ブレンパワード ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「愛の輪郭(フィールド)」(エンディング)作詞
    WOWOW初のオリジナルアニメ。スクランブル (曖昧さ回避)|スクランブル放送だったため、視聴者数はある程度限られた。富野は「自分たちは子供たちを"親なし子"にしてしまったのではないか?」という危機感から「人と人とが絆を結ぶとはどういうことか」を示そうとした、とDVDの説明書きで語っている。また、当時企画が進行中であったガンダム作品(『∀ガンダム』)の制作に向けた、鬱症状からアニメ制作現場へ戻るためのリハビリと位置づけている。作品としては『エルガイム』以来14年ぶりのオリジナル・ロボットアニメ。初期の数話でスタッフからガンダム作品と同じ演出になっているとたしなめられるエピソードや、ロボットデザインに旧知の永野護を起用する一方、キャラクターデザインにいのまたむつみを起用した。


    [ ∀ガンダム ]
    * 原作・総監督・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「ターンAターン」(前期オープニング)、「CENTURY COLOR」(後期オープニング)、「月の繭」(後期エンディング)、「月の魂」「宵越しの祭り」(劇中歌)、「月下美人」(挿入歌)、作詞
    『機動戦士ガンダム』誕生20周年記念作品として作られた。「∀」は、数学や論理学などで「すべての〜」という意味で用いられる全称記号である。これを解釈し、全てを包括して原点に返るという意味を込めて、本作品のタイトルである「ターンエー」として用いられた。過去に作られた「ガンダム」と名の付くすべての作品を、全否定かつ全肯定する作品を目指したものである。キャラクターデザインには『ストリートファイターII』シリーズで知られるカプコンの安田朗を、メカニックデザインはアメリカの工業デザイナー・シド・ミードを起用した。シドがデザインした革新的なガンダムのデザイン(見た目と劇中の俗称から「ヒゲ」と呼称されることが多い)は放送前から意見が分かれた。もっとも、放送が始まると徐々に評価が高まり、2002年には劇場版2部作として公開された。(富野道(劇場公開時のコラム))なお、この作品のノベライズを福井晴敏と佐藤茂が個別に引き受けており、両小説ともに富野監督による初期構想案メモを元に沿っている。ぁ J$*J!0f>.@bHG$K$*$$$F$O!"9=@.0F%a%b$+$i@h$NJ*8l$OJ!0f@2IRFH<+$NE83+$K$9$k;v$r富野由悠季自身が了解している。


    [ OVERMANキングゲイナー ]
    * 原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ

  • 井荻麟名義で「キングゲイナー・オーバー!」(オープニング)、「本当かい!」「ミイヤの祭り」「デビルズ・アイシング」(劇中歌)、「氷の上のおやすみなさい」(挿入歌)、作詞再びWOWOWにてスクランブル放送枠で放送される。富野と田中公平による元気なオープニングアニメと主題歌が作品世界を象徴し、インターネットコミュニティでも多く取り上げられた。当時、富野自身が多く発言していた芸能・祭といった要素が作品の内容や演出に取り入れられている。前作の『∀ガンダム』同様、スタッフの意見を取りまとめる立場を強く意識して制作に携わった。本作ではキャラクターデザインにグループワークという概念を取り入れ、中村嘉宏、西村キヌ、吉田健一 (アニメーター)|吉田健一の3名の共同作業により、高いレベルのデザインを実現。富野の案、登場メカは人工素材「マッスルエンジン」で柔軟な動きが可能で、オプション装備の「オーバーコート」を着用する事によりそれぞれが特殊な能力を発揮するロボットという設定から出発した。メカニックデザインには『∀ガンダム』での縁もある安田朗を起用した。若手\xA1 $N%9%?%C%U$,!V$$$+$K@(;4$KIA$/$+!W$rOC$7$F$$$?;~$K!"!V$b$&Ha;4$JOC$O$$$$$h!W$HM!$7$?$3$H!"!V100歳まで現役でやれる」と周囲を驚かせたエピソードがDVDブックレットで描かれていたことなどから、心理的に立ち直った事も伺える。有料放送なので視聴者は限られていたが、そのパワーある作風に心躍らせた視聴者も少なくは無い。


    [ 劇場版 ∀ガンダム I 地球光/II 月光蝶 ]


  • 原作・総監督
    『∀ガンダム』を再編集したもの。声は新録で、新カットも多少追加されている。BGMもオリジナルのものが少々ある。サイマル・ロードショー方式という日替わりで1部・2部を上映する公開方法がとられた。43話の初代ガンダムでさえ映画は3部作だったが、50話の『∀ガンダム』を2部構成にまとめている上、∀には編集する上で省略しやすい戦闘シーンが少なく、ストーリーも複雑なので、非常に展開が速い(監督自身も、1stガンダムに比べて編集が困難と語る)。それでも何とかまとめた監督の手腕は大したものだが、残念ながら本作の評価はTV版に比べて低めである。


    [ リーンの翼 ]
    * 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 井荻麟名義で「はじめてのおっぱい」(挿入歌)作詞
    富野由悠季が初めてネット配信という形式で作ったアニメ。1話25分前後で全6話。自身の小説『リーンの翼』を多少アレンジし、その数十年後の物語である。ダンバインで出てきた「オーラバトラー」が登場する。オーラバトラーなどにCGが使用されている。独特のセリフ回しと非常に速い展開が特徴。ガンダムエース誌上で大森倖三によって漫画版が連載され、コミック全3巻が発売されている。


    [ 機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督

  • 第10回アニメーション神戸賞・劇場部門作品賞を受賞。

  • 第20回デジタルコンテンツグランプリ・優秀賞を受賞。


    [ 機動戦士ΖガンダムII 恋人たち ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督


    [ 機動戦士ΖガンダムIII 星の鼓動は愛 ]


  • 原作・脚本・絵コンテ・総監督



    小説他著作一覧




    [ 機動戦士ガンダムシリーズ ]

    ・機動戦士ガンダム
    :1979年から1981年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1987年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。全3巻。
    ・機動戦士Ζガンダム
    :単行本は1985年から1986年に講談社から刊行。文庫版は1987年に角川書店から角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 カミーユ・ビダン

  • 2巻 アムロ・レイ

  • 3巻 強化人間

  • 4巻 ザビ家再臨

  • 5巻 戻るべき処(ところ)
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア(前・中・後)
    :1987年から1991年に徳間書店(アニメージュ#アニメージュ文庫|アニメージュ文庫)から刊行。2002年に徳間デュアル文庫から『機動戦士ガンダム ハイ・ストリーマー』(雑誌『アニメージュ』連載時のタイトル)に改題して収録。
    ・機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン
    :1988年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。;機動戦士ガンダムF91 クロスボーン・バンガード(上・下)
    :1991年に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。
    ・機動戦士Vガンダム
    :1993年から1994に角川書店(角川スニーカー文庫)から刊行。

  • 1巻 ウッソ・エヴィン

  • 2巻 マルチプル・モビルスーツ

  • 3巻 マリア・リーディング

  • 4巻 コンビネーション

  • 5巻 エンジェル・ハイロゥ;密会――アムロとララァ(上・下)
    :1997年に角川書店(角川mini文庫)から刊行。2000年に上下巻を全1巻にまとめて角川スニーカー文庫に収録。


    [ ガイア・ギア ]
    ガンダムシリーズ中での紀年法、宇宙世紀において、現在のところ原作者である富野によって描かれている作品では最も遠い未来が舞台。著作権等の問題から「正史」とは認められていないため、シリーズのパラレルワールドとして扱われる外伝的作品。


    [ 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ ]
    角川書店版の小説『ベルトーチカ・チルドレン』の続編に当たるため一部の設定が宇宙世紀の正史とは異なっているが現在では本作もほぼ「正史」として見られているようである。


    [ 機動戦士クロスボーン・ガンダム ]
    『機動戦士ガンダムF91』の続編に当たり、初めてガンダムシリーズの漫画原作者として、原作及び企画に関わった作品(作画は長谷川裕一が担当)。サンライズの年表では「正史」と\xA1 $OG'$a$i$l$F$$$J$$$,!"IYLn$,L!2h86:nl$7$?;v$K$h$j!"K\:n$b$[$\!V@5;K!W$H$7$F8+$i$l$F$$$k$h$&$G$"$k!#


    [ 伝説巨神イデオン ]

    1981年から1982年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。1981年から1982年に角川書店(角川スニーカー文庫)に収録。

  • 1巻 覚醒編

  • 2巻 胎動編

  • 3巻 発動編


    [ バイストン・ウェル物語シリーズ ]

    ・リーンの翼 − バイストン・ウェル物語より
    :1984年から1986年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。1986年に角川文庫に収録。全6巻。
    ・ファウ・ファウ物語(上・下)
    :1986年から1987年に角川書店(角川文庫)から刊行。
    ・オーラバトラー戦記
    :1986年から1992年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。2000年から2001年に角川スニーカー文庫に収録。

  • 1巻 アの国の恋

  • 2巻 戦士・美井奈

  • 3巻 ガロウ・ラン・サイン

  • 4巻 ギィ撃壊

  • 5巻 離反

  • 6巻 軟着陸

  • 7巻 東京上空

  • 8巻 マシン増殖

  • 9巻 オーラ壊乱

  • 10巻 重層の刻

  • 11巻 完結編・ハイパー・ホリゾン
    ・ガーゼィの翼
    :1995年から1997年にアスペクト (企業)|アスペクト(ログアウト冒険文庫)から刊行。全5巻。


    [ 破嵐万丈シリーズ ]

    1987年から1992年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。
    ・薔薇戦争
    ・憂鬱ミュージアム
    ・ヒット・カップル
    ・愛はシベリアから


    [ シーマ・シーマ ]

    1988年から1989年に徳間書店(アニメージュ文庫)から刊行。

  • 前篇 疾風の果てに

  • 中篇 修羅に昇る

  • 後篇 血族を払う


    [ アベニールをさがして ]

    1995年から1996年に朝日ソノラマ(ソノラマ文庫)から刊行。全3巻。


    [ 王の心 ]

    1995年から1996年に角川書店(カドカワノベルス)から刊行。全3巻。
    ・死者の書
    ・天女生誕の書
    ・再臨飛翔の書



    その他の著作一覧


  • だから僕は…(1981、角川書店[角川スニーカー文庫], 2002年)
    : 自伝。『機動戦士ガンダム』までを自ら振返った内容。文庫版は増補が加えられている。

  • ザ・ロンゲスト・ロード イン 破嵐万丈/鈴置洋孝
    :(1980年、声優:鈴置洋孝のレコードのプロデュース、ドラマ、作詞。A面がドラマレコード。井荻麟名義で『ハッシャ バイ』作詞(『劇場版 Ζガンダム』で挿入歌として使用される))

  • 「イデオン」ライナー・ノート アニメの作り方 教えます(1982、徳間書店)
    : 虚実入り混じる、TV版から番組打ち切りを経て映画版公開へといたる『イデオン』製作手記風創作。TV放映時に同時進行で『アニメージュ』誌に連載していたものを纏めたもの。

  • ∀の癒し(角川春樹事務所, 2000年)
    :エッセイ。主に『Vガンダム』監督前から『∀ガンダム』放映終了までのもの。

  • 映像の原則−ビギナーからプロまでのコンテ主義(キネマ旬報社, 2002年)
    : 映像の特徴から編集・作画・演技・音響など、映像作りに必要なほとんどの作業についてを記した実務書。

  • 戦争と平和(共著:大塚英志・上野俊哉・ササキバラ・ゴウ)(徳間書店, 2002年)

  • 教えてください。富野です(角川書店, 2005年)
    : 富野がホスト役を務める『ガンダムエース』誌連載の対談企画をまとめたもの。対談相手として、坂村健、上妻宏光、斎藤孝、水谷修、野口聡一らさまざまな分野の専門家を招いている。装丁は樋口真嗣によるもので、両手を掲げて咆哮する全裸の富野というビジュアルが見る者に強烈な印象を与える。また、巻末の解説は福井晴敏が執筆している。

  • 富野に訊け!(徳間書店, 2005年)
    : 『アニメージュ』誌上連載をまとめたもの。読者からの相談に富野が答える人生相談である。『劇場版 Ζガンダム』の主題歌を歌うGacktとの対談が収録されているほか、相談の中には声優・歌手の桃井はるこからの相談もあった。

  • From First
    : 彫刻。2005年に開催された美術展『GUNDAM―来たるべき未来のために―』での展示。上野の森美術館での開催時に、新しく展示物に加わった作品で、大阪サントリーミュージアムでの開催時は展示されていない。



    原作名義作品

    富野由悠季以外のスタッフの手によって製作されたガンダム作品にもテロップでは「原作者」とされている。

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争

  • 機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY

  • 機動武闘伝Gガンダム

  • 新機動戦記ガンダムW

  • 機動新世紀ガンダムX

  • 新機動戦記ガンダムW Endless Waltz

  • 機動戦士ガンダム 第08MS小隊

  • 機動戦士ガンダムSEED

  • SDガンダムフォース

  • 機動戦士ガンダムSEED DESTINY

  • 機動戦士ガンダム MS IGLOO

  • 機動戦士ガンダムSEED C.E.73 STARGAZER

  • 機動戦士ガンダム00その他、SDガンダムや漫画・小説のガンダムなどにも必ず名前が入っている。



    関連項目


  • アニメ

  • サンライズ (アニメ制作会社)|サンライズ

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    2008年04月20日

    映画監督[金子修介]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    金子修介



    金子 修介(かねこ しゅうすけ、1955年6月8日 - )は、日本の映画監督。東京都渋谷区出身。東京都立三鷹高等学校、東京学芸大学卒業後、にっかつロマンポルノで監督デビューし、後に一般映画に転向する。また、大学卒業時に小学校教員国語科の教員免許を取得している。1995年、『ガメラ 大怪獣空中決戦』で映画芸術誌邦画ベスト10で第1位、1996年に『ガメラ2 レギオン襲来』で第17回日本SF大賞を受賞。



    略歴

    父は、「アメリカはベトナムから手を引け」等の反戦ゼッケンを、8年もの間、胸に付けて通勤し続けた金子徳好、母は、切絵作家の金子静枝である。東京学芸大学では、映像芸術研究会に所属。押井守の直接の後輩にあたる。商業デビューは、押井の手がけていた『うる星やつら』テレビシリーズ版第3話の脚本(1981年)だった。また、劇作家・演出家・俳優の野田秀樹とは渋谷区立幡代小学校の同学年。ロマンポルノでは山本奈津子・イヴ (AV女優)|イヴ・水島裕子・かとうみゆき、一般映画では深津絵理・小沢なつき・中山美穂・宮沢りえ・斉藤由貴・織田裕二・佐伯日菜子らなどから、最近では優香・上戸彩・藤原竜也まで、いわゆるアイドル映画を多く撮り、コメディ要素やマニアックな部分を交えながらも商業作品として成立させ、映画監督としての地位を築いた。『ゴジラvsモスラ』の大森一樹監督の降板の際には自ら監督立候補するなど、怪獣映画を作ることに関心を寄せ、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の成功で一躍怪獣映画の第一人者になった。



    評価等

    アイドル映画及び漫画が原作の作品を多く手がけているが、これはデビュー以後の時代的背景もあり、またそれを商品としてヒットさせるだけの力量が認められていたからとも言える。それゆえか『学校の怪談 (映画)#『学校の怪談3』(1997年)|学校の怪談3』『あずみ2 Death or Love』『神の左手悪魔の右手』など、シリーズや他の監督の仕事を引き継ぐこともある。日活時代の『みんなあげちゃう』(1985年)にはウルトラの母(ヒロインが女としての悩みを打ち明けるイメージシーンに登場、本人曰く「菩薩の象徴」)を出したりと彼のマニアックさが垣間見れるが、『1999年の夏休み』や『ウルトラQ dark fantasy』の「綺亞羅」などには耽美的なセンスもみられ、独特の個性が窺える。『ゴジラ』・『ガメラ』という、怪獣映画の2大シリーズを撮った唯一の監督でもあり、『ゴジラVSガメラ』を撮るとしたら、最適任は彼だと言われている。彼のメッセージとして、『ウルトラマンマックス』の劇中でソフトビニールを使い、子供の遊びとしてゴジラ対ガメラを模写している。このシチュエーションは粥 {$K!X%4%8%i%7%j!<%:!Y!X%,%a%i%7%j!<%:!YN>J}$GIA


    作品




    [ 映画 ]


  • 宇能鴻一郎の濡れて打つ(1984年) - 劇場公開初監督作品

  • OL百合族19歳(1984年)

  • イヴちゃんの姫(1984年)

  • みんなあげちゃう(1985年)

  • いたずらロリータ。うしろからバージン(1986年)

  • 恐怖のヤッちゃん(1987年)

  • 山田村ワルツ(1988年)

  • 1999年の夏休み#映画『1999年の夏休み』|1999年の夏休み(1988年)

  • ラスト・キャバレー(1988年)

  • どっちにするの。(1989年)

  • 香港パラダイス(1990年)

  • 就職戦線異状なし(1991年)

  • 咬みつきたい(1991年)

  • ネクロノミカン(1993年)

  • 卒業旅行 ニホンから来ました(1993年)

  • 毎日が夏休み(1994年)

  • ガメラ 大怪獣空中決戦(1995年)

  • ガメラ2 レギオン襲来(1996年)

  • 学校の怪談 (映画)#『学校の怪談3』(1997年)|学校の怪談3(1997年)

  • F (エフ)(1998年)

  • ガメラ3 邪神覚醒|ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒(1999年)

  • クロスファイア (小説)|クロスファイア(2000年)

  • ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)

  • 恋に唄えば♪(2002年)

  • あずみ2 Death or Love(2005年)

  • デスノート (映画)|デスノート / デスノート the Last name(2006年)

  • 神の左手悪魔の右手#映画|神の左手悪魔の右手(2006年)

  • プライド (一条ゆかり)|プライド(2009年)


    [ テレビアニメ ]


  • うる星やつら(1981年 - 1982年)

  • おちゃめ神物語コロコロポロン(1982年)

  • 銀河旋風ブライガー(1982年)

  • 魔法の天使クリィミーマミ(1983年 - 1984年)


    [ テレビドラマ ]


  • ザ・サムライ#テレビドラマ版|ザ・サムライ(月曜ドラマランド)(1996年、フジテレビジョン|フジテレビ)

  • スカイハイ (漫画)#TVドラマ|スカイハイ2 第1・2話(2004年1月、テレビ朝日)

  • ウルトラQ dark fantasy(2004年、テレビ東京)

  • ホーリーランド(2005年、テレビ東京)

  • ウルトラマンマックス(2005年、東京放送|TBS)

  • 結婚詐欺師(2007年11月18日、WOWOW)

  • ケータイ捜査官7(2008年、テレビ東京)


    [ 演劇 ]


  • 偽伝、樋口一葉(2006年、アロッタファジャイナ) - 監修


    [ PV ]


  • TOKIO「青春 SEISYuN」(2007年)



    著作


  • ガメラ監督日誌(1998年)

  • 失われた歌謡曲(1999年)



    関連項目


  • カルト映画



    外部リンク


  • Shusuke Kaneko Information Website(公式サイト)

  • 金子修介の雑記“Essay”(ブログ)


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    2008年04月19日

    映画監督[辻仁成]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    辻仁成



    辻 仁成(歌手・映画監督の場合つじ じんせい、作家の場合および本名つじ ひとなり、1959年10月4日- )は、日本の音楽家|ミュージシャン、映画監督、小説家。血液型はO型。京都造形芸術大学 芸術表現・アートプロデュース学科クリエイティブ・ライティングコース教授。



    略歴

    1959年10月4日 東京都南多摩郡日野町(現日野市)に生まれ、その後父親の仕事の都合で福岡市、帯広市、函館市と各地を転々とする。北海道函館西高等学校卒業。成城大学経済学部中退(著書『そこに僕はいた』参照)。1985年、ロックバンドのECHOES(エコーズ)のヴォーカリストとしてデビュー。1989年、「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞し作家デビュー。1991年、 ECHOES解散。本格的に作家としての活動を始める。1997年、「海峡の光」(『新潮』1996年12月号)で第116回芥川龍之介賞|芥川賞を受賞。函館市栄誉賞受賞。1999年、『白仏』の仏翻訳語版でフランスの五大文学賞の一つである「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として初めて受賞。祖父、今村豊がモデルとなっている。




    人物

    プライベートは、一度目の結婚で一児をもうけ離婚、1995年に女優の南果歩と再婚し一男をもうけ2000年3月に離婚。
    2002年6月に女優で歌手の中山美穂と再々婚し一男をもうける。自らの婚姻暦に関して「今まで子供を3人もうけたが、ようやく最近、子供と向き合え、上手に父親というものができるようになった。」と日経新聞の「こどもと育つ」に発表し、自ら「上手にできるようになった」というのは不見識だと話題になった。現在の妻である中山美穂との初めての対面では「やっと会えたね」と言葉を残し、小説家としては、言葉選びのセンスがいささか恥ずかしいと思えるようなエピソードが語られている。母は、童話作家の東君平夫人と従姉妹にあたる。
    弟:辻恒久は福岡市で陶芸教室を開いている。現在はパリを拠点に創作活動を続けている。近年ようやく、ワードを用いての執筆活動になった。パリでの暮らしは、和服を愛用し、長男十斗の幼稚園の迎えなどを日常的におこなっている。夕食は、みずから台所にたち、家族や来客に振舞うことが多い。また、妻の趣味である刺繍や読書や文筆に理解を持って接している。また、芥川賞受賞の際には、多くの作家、評論家から、賞に値しない作家、作品であるとの批判があった。当時の文学界新人賞の選考委員だったある作家は、「もしも、その作品をこの新人賞に応募したら、一次選考で必ず落ちるはずだ」と酷評したほどである。人気作家であることは衆目の認めるところではあるが、現在でも、文学性(芸術性)については疑問視されている。瀬戸内寂聴氏や江國香織氏との交友が深いとされ、瀬戸内氏の評判を落としている。



    作家




    [著作本]


  • 『ピアニシモ』(1990年/集英社)(第13回[すばる文学賞]受賞)

  • 『クラウディ』(1990年/集英社)

  • 『カイのおもちゃ箱』(1991年/集英社)

  • 『ガラスの天井』(1992年・エッセイ集/集英社)

  • 『旅人の木』(1992年/集英社)

  • 『そこに僕はいた』(1992年・エッセイ集/集英社)(ここに収録されている「新聞少年の歌」は教育出版の中学1年国語の教科書に、「そこに僕はいた」は東京書籍の中学1年国語の教科書に収録されている)

  • 『フラジャイル』(1992年・戯曲/徳間書店)(舞台「フラジャイル」原作)

  • 『屋上で遊ぶ子供たち』(1992年・詩集/集英社)

  • 『ミラクル』(1993年/講談社)(ミュージカル「ミラクル」原作)

  • 『希望回復作戦』(1993年・詩集/集英社)

  • 『グラスウールの城』(1993年/福武書店)

  • 『母なる凪と父なる時化』(1994年/新潮社)(第110回芥川賞候補作)

  • 『オープンハウス』(1994年・短編集/集英社)(映画「オープンハウス」原作)

  • 『愛はプライドより強く』(1995年/幻冬舎)

  • 『ここにいないあなたへ』(1995年・写真詩集/集英社)

  • 『パッサジオ』(1995年/文藝春秋)

  • 『錆びた世界のガイドブック』(1995年・写真+短編集/角川書店)

  • 『ぼく、いたくない』(1995年・絵本/新書館)

  • 『応答願イマス』(1995年・詩集/集英社)

  • 『ニュートンの林檎(上・下巻)』(1996年/集英社)

  • 『アンチノイズ』(1996年/新潮社)

  • 『きょうのきもち』(1996年・ポストカードブック/フレーベル館)

  • オリジナル文庫『函館物語』(1996年・写真エッセイ集/集英社文庫)

  • 『音楽が終わった夜に』(1996年・エッセイ集/マガジンハウス)

  • 『海峡の光』(1997年/新潮社)(第116回芥川賞受賞)

  • 『僕のヒコーキ雲』(1997年・日記/集英社)

  • 辻仁成詩集 現代詩文庫149』(1997年・詩集/思潮社)

  • 『白仏』(1997年/文藝春秋)(仏語翻訳版でフランスの文学賞「フェミナ賞・1999年外国小説賞」を日本人として初めて受賞)

  • 『世界は幻なんかじゃない』(1998年・写真+エッセイ集/幻冬舎)

  • ミニ文庫『ガンバルモンカ』(1998年・短編集/角川ミニ文庫)

  • 『ワイルドフラワー』(1998年/集英社)

  • 『五女夏音』(1998年/中央公論新社)

  • 『千年旅人』(1999年/集英社)(映画「千年旅人」原作)

  • 『冷静と情熱のあいだ Blu』(1999年/角川書店)(『冷静と情熱のあいだ Rosso』は江國香織著)(映画「冷静と情熱のあいだ」原作)

  • 『嫉妬の香り』(2000年/小学館)(TVドラマ「嫉妬の香り」原作)

  • 『ニューヨークポエトリーキット』(2000年・詩集/思潮社)

  • 『愛をください』(2000年/マガジンハウス)(TVドラマ「愛をください」原作)

  • 辻仁成 青春の譜』(2000年・歌詩集/幻冬舎)

  • 『サヨナライツカ』(2001年/世界文化社)

  • 『恋するために生まれた』(2001年・江國香織氏との対話集/幻冬舎)

  • 『太陽待ち』(2001年/文藝春秋)

  • 『目下の恋人』(2002年・短編集/光文社)(映画「目下の恋人」原作)

  • 辻仁成+種田陽平式映画づくりの旅』(2002年/世界文化社)(種田陽平と共著)

  • 『愛と永遠の青い空』(2002年/幻冬舎)

  • 文庫『彼女は宇宙服を着て眠る』(2002年・短編集/集英社文庫)

  • 『ZOO 〜愛をください〜』(2002年・写真詩集/河出書房新社)

  • 『オキーフの恋人 オズワルドの追憶(上・下巻)』(2003年/小学館)

  • 『99才まで生きたあかんぼう』(2003年・イラスト辻仁成/集英社+ホーム社)

  • 『いまこの瞬間 愛しているということ』(2003年/集英社)

  • 『刀』(2004年/新潮社)

  • 『代筆屋』(2004年/海竜社)

  • 『いつか、一緒にパリに行こう』(2005年・パリガイドブック・写真エッセイ集/光文社)

  • 『幸福な結末』(2005年/角川書店)

  • 『アカシア』(2005年・短編集/文藝春秋)

  • 絵本『ヤダとイイヨ』(2005年/リーガル出版)

  • 文庫『二十八光年の希望』(2006年・「いまこの瞬間 愛しているということ」より改題/集英社文庫)

  • 文庫『青空の休暇』(2006年・「愛と永遠の青い空」より改題/集英社文庫)

  • 『愛のあとにくるもの』(2006年/幻冬舎)(対応する韓国側作品は孔枝泳著)

  • 『ピアニシモ・ピアニシモ』(2007年/文藝春秋)

  • 『人は思い出にのみ嫉妬する』(2007年/光文社)

  • 『孤独にさようなら』(2007年/マガジンハウス)


    [ビデオ]


  • 『生まれ変わるとしたら』(1996年)(ポエトリー・リーディング)



    音楽




    [作品]


  • 『WELCOM TO THE LOST CHILD CLUB』(ECHOES)

  • 『HEART EDGE』(ECHOES)

  • 『No Kidding』(ECHOES)

  • 『Goodbye gentle land』(ECHOES)

  • 『HURTS』(ECHOES)

  • 『Dear Fridnd』(ECHOES)

  • 『EGGS』(ECHOES)

  • 『遠くの空は晴れている』(辻仁成

  • 『君から遠く離れて』(辻仁成

  • 『言葉はキュークツ』(辻仁成

  • 『第三反抗期』(辻仁成

  • 『Sq.-スクエア-』(辻仁成

  • 『抜本的政治改革』(BEAT MUSIK)

  • 『NEW WALL』(TSUJI JINSEI×BEAT MUSIK)■2007年
    8月

  • 『Jinsei Songs The Best of 辻仁成+3』(辻仁成/Sony Music)■2008年 
    1月

  • DVD『辻』(JINSEI TSUJI/HANNA MUSIC)

  • CD『辻』(JINSEI TSUJI/HANNA MUSIC) 


    [楽曲を提供したアーティスト]


  • 浅香唯 … 『孤独(ひとり)〜この声が聞こえても〜』(作曲)

  • 甲斐バンド … 『O'l Night Long Cruising』(作詞)

  • カルメン・マキ … 『ワイルドフラワー』(作詞?作曲)

  • 川村かおり … 『ZOO』・『Sweet Little Boy』・『真っ白な月-Moon On The Destiny-』(作詞・作曲)

  • 小森まなみ … 『ハートのKey Station』(作曲)

  • 中村あゆみ … 『つなぎとめてほしい』(作詞)・『Star Lights』(作曲)

  • 野本直美 … 『Crossroad Again』(作詞?作曲)

  • 高橋研 … 『St.Jone's crusedes』(共作)

  • 蓮井朱夏(菅野美穂) … 『ZOO 〜愛をください〜』(作詞・作曲)

  • 早見優 … 『風になれ』(作詞・作曲)

  • BEGIN … 『愛が走る』(作詞)

  • Yuma …『光の子供』・『見つけてね』・『Aria』(作詞・作曲)



    映画監督


  • 『天使のわけまえ』(1994年)(自主制作)

  • 『千年旅人』(1999年)

  • 『ほとけ』(2001年)(ドーヴィル・アジア映画祭にて最優秀イマージュ賞受賞)

  • 『フィラメント』(2002年)

  • 『目下の恋人』(2002年)



    テレビドラマ脚本


  • 『愛をください』(フジテレビジョン|フジテレビ系)



    出演番組




    [ラジオ]


  • Radio Freedom・金曜日(1985年12月 - ? 横浜エフエム放送|FM横浜)

  • 辻仁成のオールナイトニッポン・月曜日・2部(1987年10月 - 1989年10月 ニッポン放送)

  • FMロックサーキット・水曜日(1987年10月 - ? FM福岡)

  • パックインミュージック21・水曜日・1部(1993年1月 - 4月 TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)



    エピソード




    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • 江國香織

  • 孔枝泳

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  • ポエムリーディング

  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 辻仁成 オフィシャルウェブサイト

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    2008年04月18日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ宗 \Js!Y%Y%9%H1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年、『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画とする\xA1 I>2A$,$"$k!#NS86:n$N!X0p:J!Y!"!X:J!Y!"!XHU5F!Y!"!XIb1@ (\xA1 1G2h) |浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマン・玉井正夫が後年インタビューで「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ、高峰さんは、人からどういう風に思われているか、良く考えたほうがいいですよ」と、興味深い発言をしている。2005年は生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。同時代を生きた人の評として有名なものが*蒲田撮影所の城戸四郎所長(後の松竹社長)による「小津は2人いらない」(真偽は不明)。

  • 「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」とする小津発言。

  • 「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」(津村秀夫著「溝口健二というおのこ」)の溝口健二などである。

    かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで「川喜多かしこ」のような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。ァ 7%e%_%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

  • 成瀬巳喜男のお墓

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    2008年04月17日

    映画監督[青山真治]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    青山真治




    青山 真治(あおやま しんじ、男性、1964年7月13日 - )は、映画監督、小説家。



    概要

    福岡県北九州市出身。北九州市立緑ヶ丘中学校、福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。地元、福岡県の門司を舞台にした『Helpless』で商業映画デビュー。監督作品『EUREKA_(映画)|EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞。『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。ジャン=リュック・ゴダール、神代辰巳、中上健次などをリスペクトしている。小説家としても活動し、2001年には自作の小説化|ノベライズ小説『EUREKA』で第14回三島由紀夫賞を受賞している。また、2005年には『ホテル・クロニクルズ』で第27回野間文芸新人賞候補にノミネートされた。妻は女優のとよた真帆。



    監督作品


  • 教科書にないッ! 1995年 (オリジナルビデオ)

  • Helpless 1996年

  • 我が胸に凶器あり 1996年 (オリジナルビデオ)

  • チンピラ (映画)|チンピラ 1996年

  • WiLd LIFe jump into the dark 1997年

  • 冷たい血 AN OBSESSION 1997年

  • June 12 1998 1999年(ドキュメンタリー)

  • シェイディー・グローヴ 1999年

  • EM エンバーミング 1999年

  • EUREKA (映画)|EUREKA 2000年

  • 路地へ 中上健次の残したフィルム 2000年 (ドキュメンタリー)

  • 月の砂漠 2001年

  • 名前のない森 2002年 (テレビドラマシリーズ『私立探偵 濱マイク』第6話)

  • なんくるムービー あじまぁのウタ 上原知子─天上の歌声 2002年(ドキュメンタリー)

  • Noと言える刑事 2003年 (オムニバス『刑事(デカ)まつり』)

  • 軒下のならずものみたいに 2003年

  • TRUNK 2003年(Webシネマ)

  • 秋聲旅日記 2003年

  • レイクサイド マーダーケース 2004年

  • エリ・エリ・レマ・サバクタニ 2005年

  • AA (映画)|AA 2006年

  • こおろぎ(映画)|こおろぎ 2006年

  • サッド ヴァケイション 2007年



    著書




    [ 小説 ]


  • ユリイカ─EUREKA
    2000年12月24日、角川書店、ISBN 9784048732673
    2002年6月25日、角川文庫、ISBN 9784043656011

  • 月の砂漠
    2002年12月25日、角川書店、ISBN 9784048734318
    2005年7月25日、角川文庫、ISBN 9784043656028

  • Helpless(2003年10月30日、新潮社、ISBN 9784104631018)
    Helpless(『新潮』2002年4月号)
    わがとうそう(『新潮』2003年6月号)
    軒下のならず者みたいに

  • ホテル・クロニクルズ(2005年3月15日、講談社、ISBN 9784062126519
    ブラックサテン
    交響(『新潮』2003年1月号)
    砂浜に雨が降る(『新潮』2004年1月号)
    Radio Hawaii
    蜘蛛の家(『群像』2004年4月号)
    地上にひとつの場所を!(『群像』2004年10月号)
    白猫

  • 死の谷'95(2005年11月20日、講談社、ISBN 9784062131520)
    初出:『群像』2005年7月号

  • 雨月物語(2006年7月、角川学芸出版、ISBN 9784046210784)

  • サッド・ヴァケイション(2006年7月30日、新潮社、ISBN 9784104631025)
    初出:『新潮』2005年9月号

  • エンターテインメント!(2007年5月30日、朝日新聞社、ISBN 9784022502865)
    エンターテインメント
    底流
    夜警(『群像』2006年10月号)
    焼土
    刺青の男(『小説トリッパー』2007年春号)


    [ 単行本未収録作品 ]


  • 遊水池の眺め(『早稲田文学|早稲田文学0』)

  • 天国を待ちながら(『群像』2007年9月号)

  • 見返りキメラ(『新潮』2008年3月号)


    [ 評論・対談 ]


  • ロスト・イン・アメリカ(共著、2000年4月25日、デジタルハリウッド|デジタルハリウッド出版局、ISBN 9784925140195)

  • ヴィム・ヴェンダ−ス(2000年6月、キネマ旬報社|キネ旬ムック、9784873765419)

  • われ映画を発見せり (評論集、2001年8月8日、青土社、ISBN 9784791759033)

  • 青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!(2004年7月28日、リトルモア、ISBN 9784898151327)



    外部リンク


  • Shinji Aoyama (IMDb)

  • 青山真治 (allcinema ONLINE)


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    2008年04月16日

    映画監督[大島渚]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大島渚




    にて(右)、松田龍平(左)と
    大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - )は、日本の映画監督。夫人は女優の小山明子。岡山県玉野市生まれ、5歳の時岡山大学の教授だった父が死去し、母の実家のある京都市に移住。現在は神奈川県藤沢市在住。



    概要

    国内では初期の作品から注目を集め、松竹ヌーベルバーグの旗手とも呼ばれたが、自身はそのように呼ばれることを望んではいなかった。彼の作品は同時代の映画作家たちよりはるかに政治的であったし、権力に対して戦闘的でもあった。初期のモチーフの核心にあるものは常に権力機構がもたらす人間の蔑視であり、階級対立において侮蔑される側にいる人間の屈辱感を描き出した。国際的名声を不動にしたのは、阿部定事件(1936年)を題材に社会の底辺にすむ男女の性的執着と究極の愛を描いた1976年の『愛のコリーダ』('':fr:L'Empire des sens|L'Empire des sens'')であった。大島の闘いは必然的に、社会的な疎外感や屈辱感をもっとも鮮明に内包している人々の心理的探究へ移り、彼らを主要人物とした作品の制作へと向かうことになる。日本映画史上に前例のない作品を示そうという意気込みと、黒澤明流のヒューマニズムと、さらには検閲制度に対する激しい批判精神からハードコア・ポルノグラフィー表現へと傾斜した大島は、公権力の干渉を避けるため日仏合作という形を取り、撮影済みのフィルムをフランスへ直送して現像と編集の作業を行なぁ C$?!#F|K\8x3+$G$O!"1GNQ4IM}0Q0w2q|映倫の介入によって作品が意味をなさないほどの大幅な修正を受けることになった。『愛のコリーダ』は2000年にリバイバル上映されたが、修正個所は大幅に減ったものの、ボカシが入り現在でも日本ではオリジナルを観ることはできない。『愛の亡霊』(''Empire of Passion'') も同様のテーマを扱った作品で、不倫の妻が愛人と共謀して夫殺しに走るという内容である。ある程度性的描写を抑制し、前作ほど話題にならなかったが、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞した。監督・演出家としての才能だけではなく、演技者の素質を見抜く才にも希有なものがあった。当時お笑い芸人としてしか認知されていなかったビートたけしを「彼以外には考えられない」として『戦場のメリークリスマス』の重要な役に抜擢し、桜井啓子 (俳優)|桜井啓子(『無理心中日本の夏』映画出演前はフーテン族だった)、荒木一郎(『日本春歌考』)、ザ・フォーク・クルセダーズ(『帰ってきたヨッパライ』)、横尾忠則(『新宿泥棒日記』)、栗田ひろみ(『夏の妹』本作がデビュー作で主演)、坂本龍一(『戦場のメリークリス\xA1 %^%9!Y!K$J$I!"GPM%$rK\6H$H$7$J$$?MJ*$dAG?M$K6a$$?7?MGPM%$rB?$/! H4E'$7!" :nIJ$K$*$$$F$bH`$i$N@8$N$^$^$NAG:`$r3h$+$9$3$H$K@.8y$7$F$$$k!#$^$?!"1950年代後半から人気ファッションモデルとして活躍していた芳村真理に女優への転向を促したのも大島であった。1980年代後半から『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)のレギュラーパネラーとなり、テレビのコメンテーターとしても活躍した。映画製作の資金捻出が目的ではなく、本人はテレビに出るのが生きがいだと述べている。朝生の討論で、パネラーの国会議員に「批判しているだけ」と指摘され、「僕がテレビで話すことは社会的に価値のある活動だと思っている」と言い返したが、スタジオの観客からは笑われた。激情型の性格で、韓国の文化人との対談において相手方に対し暴言(「ばかやろう」発言)を吐き問題を起こしたことがある。大島が結婚30周年パーティーを開いた際、壇上で祝辞を述べる予定だった作家の野坂昭如の名前を読み上げるのを忘れ、酩酊していた野坂に殴られた。このときは、持っていたマイクで殴り返す奮迅ぶりを示した[http://www.youtube.com/watch?v=KJ3UWInckMI](のちに互いに反省文を書き送り合った)。学生運動の経験もあり、安保反臓 P!&JF73E1B`$r$N39!Y$OK\?M$OEv=i!XH7$rGd$k>/G/!Y$H$$$&BjL>$G4k2h$r=P$7$?$,!"44It$+$iBjL>$,0E$/$FCOL#$@$H935D$5$l!"BE6(0F$H$7$FMn:9$rI=$7$?!X0&$HHa$7$_$N39!Y$H$$$&0F$r=P$7$?$,!"K\?M$NCN$i$J$$$&$A$K!X0&$H4uK>$N39!Y$H$$$&BjL>$KJQ$($i$l$F$7$^$C$?$H$$$&!#



    経歴
    *京都市立洛陽高等学校(現・京都市立洛陽工業高等学校)卒業後、京都大学法学部に進む。尚、京大時代の同窓の1人に推理作家の和久峻三がいる。大学在学中は猪木正道に師事。京都府学連委員長を務め、法学部助手試験に不合格となる。1954年京大卒業後、松竹大船に入社。助監督を経て1959年に『愛と希望の街』で監督デビューした後、『青春残酷物語』、『太陽の墓場』(1960年)などのヒット作で松竹ヌーベルバーグの旗手となる。

  • 1961年、日米安全保障条約に反対する安保闘争を舞台にした作品『日本の夜と霧』(1960年)を、松竹が大島に無断で自主的に上映中止したことに猛抗議し、同社を退社。その後、同時に松竹を退社した妻の小山や渡辺文雄、大島の助監督でその後脚本家として活動する田村孟らに加え、小松方正、戸浦六宏らと共に映画制作会社「創造社」を創設する。

  • 『白昼の通り魔』(1966年)、『忍者武芸帳』(1967年、アニメ)、『絞死刑 (映画)|絞死刑』(1968年)、『新宿泥棒日記』(1969年)など、政治的な色合いを強く持つと共に、ジャーナリスティックな側面をも併せ持った作品を矢継ぎ早に制作、公開し国内外の認知度も高くなったが『夏の妹』(1972年)を最後に創造社は解散し、『愛のコリーダ』(1976年)の公開までは映画制作資金を稼ぐためのテレビ出演などの活動の日々が続く。『愛のコリーダ』により国際的な評価を確固たるものにしてからは、『愛の亡霊』(1978年)、『戦場のメリークリスマス』(1983年)、『マックス、モン・アムール』(1986年)など外国資本もしくは海外で公開されることを前提とされる作品が中心となっていった。

  • このような活動から海外における知名度は高く、アレクサンドル・ソクーロフ、テオ・アンゲロプロス、マーチン・スコセッシ、チェン・カイコーなど大島を敬愛する著名な映画監督・評論家は少なからずおり、ジャン=リュック・ゴダール|ゴダールが『映画史』において取り上げた日本人監督は溝口健二、小津安二郎、勅使河原宏と大島渚の四人だった。

  • 1996年1月下旬に約10年ぶりの映画製作発表をしてまもなく、翌2月下旬渡航先のロンドンで脳出血に見舞われた。その後、三年にわたるリハビリが功を奏し復帰作『御法度 (映画)|御法度』(1999年)の公開を果たすが、カンヌ映画祭では賞を得ることは出来なかった。その理由として、新選組という設定は日本人には忠臣蔵や水戸黄門と同じく馴染み深いものであり、登場人物の性格や行動様式を周知の事実としてストーリーを展開しても違和感がなかったが、ヨーロッパ人には舞台設定そのものに関する基礎知識がなく、そもそも理解の段階に至らなかったという点が考えられる。これは大島が日本社会に身をおいていたがゆえに気付かなかった盲点であると言える。

  • なお、『御法度』にはビートたけしと崔洋一、2人の映画監督が俳優として出演しており、二人に撮影現場でのサポート役を託していたとされる。

  • 2001年6月フランス芸術文化勲章(オフィシエ)を受章。その後再び病状が悪化し、リハビリ生活に専念するため実質的に監督業から退いている。

  • 2006年に映画の著作権問題を問う映画『映画監督って何だ!』に登場し、エンディングシーンで強烈な存在感を示した。また同年2月26日この作品披露会見を兼ねた日本映画監督協会の創立70周年祝賀パーティーにも歴代理事長として壇上に上がる。公の場に姿を現すのは実に4年8ヶ月ぶりであった。



    その他
    *妻は女優の小山明子。

  • 長男の大島武は東京工芸大学芸術学部准教授。

  • 次男の大島新はフジテレビ退社後、フリーのディレクターに転身。「情熱大陸」では見城徹篇や秋元康篇など十本以上を担当。2007年12月にデビュー作のドキュメンタリー映画『シアトリカル〜唐十郎と劇団唐組の記録』が公開。



    監督作品


  • 明日の太陽 (1959年) - 短編

  • 愛と希望の街 (1959年) - 脚本 大島渚

  • 青春残酷物語 (1960年)

  • 太陽の墓場 (1960年) - 脚本 大島渚・石堂淑朗

  • 日本の夜と霧 (1960年) - 脚本 大島渚・石堂淑朗

  • 飼育 (小説)|飼育 (1961年)

  • 天草四郎時貞 (映画)|天草四郎時貞 (1962)

  • 忘れられた皇軍 (1963年) - TVドキュメンタリー

  • 小さな冒険旅行 (1963年)

  • 私はベレット (1964年)

  • 悦楽 (1965年)

  • ユンボギの日記 (1965年)

  • 白昼の通り魔 (1966年)

  • 忍者武芸帳 (1967年)

  • 日本春歌考 (1967年)

  • 無理心中日本の夏 (1967年)

  • 絞死刑 (映画)|絞死刑 (1968年) - カンヌ映画祭招待作品

  • 帰って来たヨッパライ (1968年)

  • 新宿泥棒日記 (1969年)

  • 少年 (映画)|少年 (1969年) - ベネチア映画祭招待作品

  • 東京戦争戦後秘話 (1970年) - カンヌ映画祭招待作品

  • 儀式 (映画)|儀式 (1971年) - カンヌ映画祭招待作品

  • 夏の妹 (1972年) - ベネチア映画祭招待作品

  • 愛のコリーダ ''L'Empire des sens'' (1976年) - カンヌ映画祭監督週間招待、イギリス映画批評家賞外国語映画賞、シカゴ映画祭審査員特別賞

  • 愛の亡霊 ''L'Empire de la passion'' (1978年) - カンヌ映画祭監督賞

  • 戦場のメリークリスマス ''Merry Christmas, Mr. Lawrence'' (1983年) - カンヌ映画祭コンペティション、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞主演男優賞、英国アカデミー賞作曲賞

  • マックス、モン・アムール ''Max, mon amour'' (1987年) - カンヌ映画祭コンペティション

  • 御法度 (映画)|御法度 (1999年) - カンヌ映画祭コンペティション、サンクトペテルグブルグ映画祭グランプリ



    主な著書


  • 『日本の夜と霧』(作品集) 現代思潮社(1961)

  • 『戦後映画・破壊と創造』 三一書房(1963)

  • 『日本の夜と霧』(作品集、増補版) 現代思潮社(1966)

  • 『魔と残酷の発想』 芳賀書店(1966)

  • 『絞死刑』(作品集)至誠堂(1968)

  • 『解体と噴出』(評論集) 芳賀書店(1970)

  • 『青春 : 闇を犯しつづける葬儀人に一切の権力を!』 大光社(1970)

  • 『わが日本精神改造計画 : 異郷からの発作的レポート』 産報(1972)

  • 『青春について』 読売新聞社(1975)

  • 『体験的戦後映像論』 朝日新聞社(1975)

  • 『同時代作家の発見』 三一書房(1978)

  • 『愛の亡霊』 三一書房(1978)

  • 『日曜の午後の悲しみ』 PHP研究所(1979)

  • 『愛のコリーダ』 三一書房(1979)

  • 『女はみずうみ男は舟』 PHP研究所(1980)

  • 『マイ・コレクション』 PHP研究所(1981)

  • 『戦場のメリークリスマス』 思索社(1983)

  • 『理屈はいいこういう人間が愚かなんだ』 青春出版社(1993)

  • 大島渚1960』 青土社(1993)

  • 『自分も恋も大切に : 女の愛と仕事の相談事典』 マゼラン出版(1993)

  • 『女たち、もっと素敵に』 三笠書房(1994)

  • 『戦後50年映画100年』 風媒社(1995)

  • 『私が怒るわけ』 東京新聞出版局(1997)

  • 『ぼくの流儀』 淡交社(1999)

  • 『脳出血で倒れて「新しい自分」と出会う』青春出版社(2000.9)

  • 『癒されゆく日々』 日本放送出版協会(2000)

  • 大島渚』 日本図書センター(2001)



    主な出演テレビ番組


  • 朝まで生テレビ!

  • タモリのボキャブラ天国 シリーズ

  • 午後は○○おもいッきりテレビ

  • やじうまワイド

  • ザ・ワイド

  • 探偵!ナイトスクープ



    関連項目


  • TBS「いのちの響」


    [人物]


  • 野坂昭如



    外部リンク


  • The Internet Movie Database: Nagisa Oshima

  • 日本映画データベース

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年04月15日

    映画監督[黒澤明]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    黒澤明



    東京府荏原郡大井町
    | 国籍 =
    | 民族 =
    | 血液型 = B型
    | 生年 = 1910
    | 生月 = 3
    | 生日 = 23
    | 没年 = 1998
    | 没月 = 9
    | 没日 = 6
    | 職業 = 映画監督
    | ジャンル =
    | 活動期間 =
    | 活動内容 =
    | 配偶者 =
    | 家族 = 長男・黒澤久雄、長女・黒澤和子
    | 公式サイト =
    | 主な作品 =
    | アカデミー賞 = 名誉賞
    1952年『羅生門 (映画)|羅生門』
    アカデミー外国語映画賞|外国語映画賞
    1976年『デルス・ウザーラ』
    名誉賞
    1990年 映画芸術への功績に対して
    | AFI賞 =
    | 英国アカデミー賞 =
    | セザール賞 =
    | エミー賞 =
    | ジェミニ賞 =
    | ゴールデングローブ賞 =
    | ゴールデンラズベリー賞 =
    | ゴヤ賞 =
    | グラミー賞 =
    | ブルーリボン賞 =
    | ローレンス・オリヴィエ賞 =
    | 全米映画俳優組合賞 =
    | トニー賞 =
    | 日本アカデミー賞 =
    | その他の賞 =
    | 備考 =
    }}
    黒澤 明(くろさわ あきら、1910年3月23日 - 1998年9月6日)(黒沢 明とも表記)は、日本の映画監督。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らと共に、世界的に広く名前が知られている日本映画の 巨匠の一人であり「世界のクロサワ」と呼ばれた。 米国映画芸術科学アカデミー会員。文化勲章受章者。東京都名誉都民。



    経歴




    [監督になるまで]

    東京府荏原郡大井町(現在の東京都品川区東大井)に4男4女の末っ子として生まれる。父親は秋田県大仙市(旧中仙町)出身の元軍人、体育教師。1928年、京華中学校・高等学校|京華中学校卒業。画家を志して日本プロレタリア美術家同盟に参加、洋画家の岡本唐貴(白土三平の実父)に絵を教わる。1936年、画業に見切りをつけて26歳でP.C.L.映画製作所(現在の東宝)に入社。主として山本嘉次郎の助監督を務める。1941年助監督として『馬』の制作に携わっていたとき、出演していた高峰秀子と恋に落ち、婚約(当時、黒澤30歳、高峰17歳)したが、高峰の養母に「助監督ふぜいに嫁にやれぬ」と大反対され、婚約解消した。


    [白黒映画監督時代]

    1943年、『姿三四郎 (映画)|姿三四郎』で監督デビュー。以後、終戦を挟んで『一番美しく』『わが青春に悔なし』『素晴らしき日曜日』『醉いどれ天使』『野良犬 (映画)|野良犬』などの社会派ヒューマンドラマの佳作を次々と発表し、東宝の看板監督の一人となる。また山本が参加していたオーディションで、三船敏郎をたまたま目撃。本来は落選となっていた三船だが、一目ぼれした黒澤は山本に直訴までして採用。三船のデビュー作『銀嶺の果て』では既に脚本を務めた(共演者に志村喬もいた)。三船のデビュー3作目『醉いどれ天使』からは、黒澤監督作品の常連俳優となった。1950年に大映で撮影した『羅生門 (映画)|羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は1951年にヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。その映像感覚が国際的に注目される。続けてフョードル・ドストエフスキー|ドストエフスキー原作の『白痴 (1951年の映画)|白痴』(1951年)やヒューマンドラマの傑作『生きる (映画)|生きる』(1952年)を発表し、後者でベルリン国際映画祭上院特別賞を\xA1 ^!#1954年に発表した大型時代劇『七人の侍』は大ヒットし、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞するなど国際的評価も受ける。ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピアの『マクベス (シェイクスピア)|マクベス』を日本の戦国時代を舞台に翻案した『蜘蛛巣城』(1957年)や娯楽時代活劇『隠し砦の三悪人』(1958年)を作成後に、独立プロダクションである黒澤プロを設立。時代活劇の傑作『用心棒』(1961年)『椿三十郎』(1962年)、社会派サスペンスの傑作『天国と地獄 (映画)|天国と地獄』(1963年)を立て続けに発表し大監督の名声を確定させる。黒澤プロの設立は、黒澤監督の意向によるものというより、『隠し砦の三悪人』の大幅な撮影予定期間オーバーによる予算超過に業をにやした東宝側が、黒澤にリスク負担させることにより枷をはめようとしたものであり(収益の分配も東宝側に非常に有利な契約になっていた)、「天国と地獄」までの作品はその皮肉な成果といえよう。枠をはめられる事を嫌っていた黒澤がその完全主義を徹底させ暴走した『赤ひげ』(1965年、 山本周\xA1 8^O:86:n!K$O!";#1F4|4VLs1年を要して大幅な予算超過となり  "ElJu$H$ N4X78$r0-2=$5$;$k$3$H$H$J$C$?!#


    [白黒映画および三船との決別後]

    ハリウッドからのオファーを受けるようになった黒澤は『赤ひげ』の撮影後、アメリカ合衆国|アメリカで『暴走機関車』の制作を準備、主演にピーター・フォークとヘンリー・フォンダ、撮影監督にアカデミー賞|オスカー受賞者ハスケル・ウィクスラーが決定していたが、制作方針を巡りアメリカ側プロデューサーのジュセフ・E・レヴィンと深刻な対立が生じたために頓挫(後にアンドレイ・コンチャロフスキーが黒澤の脚本を原案として映画化)。1968年に日米合作『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を務めることになったが、米国側の製作会社であった20世紀フォックスと、演出方針や撮影スケジュール、予算を巡って激しく衝突。監督を降板させられた。この事件は黒澤に精神的打撃を与えたとされており、1970年|2年後に自殺未遂事件を起こす。そして日本の映画産業の衰退の時期と重なったこともあり、この後は5年おきにしか新作が撮れなくなる。しかしこの類い希な才能を埋もらしてはいけないと手を差し伸べたのは海外であった。1975年にソビエト連邦から招かれ、ごく少数の日本人スタッフを連れてソ連に邸 O$j!X%G%k%9!&%&%6!<%i!Y$r@=:n!#%=%S%(%HO"K.$N41N=BN@)$NCf$G;W$&$h$&$K;#1F$,?J$^$:!"%7%Y%j%"$N%?%$%,$G$N%m%1;#1F$O:$Fq$r6K$a$?!#40@.$7$?:nIJ$O!"$=$l$^$G$N:nIw$H0[$J$j6K$a$F@EE*$J$b$N$G$"$C$?$?$a!"F|K\9qFb$G$O9sI>$b=P$?$,!"%b%9%/%o1G2h:W6b>^!"%"%+%G%_!<309q8l1G2h>^$r^$7!"%=%S%(%HO"K.$N4|BT$K==FsJ,$K1~$(!"F|K\9q30$G$O9u_7I|3h$r0u>]IU$1$k:nIJ$H$J$k!#1976年11月、日本政府から文化功労者として顕彰される。その後も、日本国外資本参加による映画制作が続き、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラを外国版プロデューサーに配した『影武者 (映画)|影武者』(1980年)、フランスとの合作の『乱 (映画)|乱』(1985年)、米ワーナー・ブラザーズ製作でスティーブン・スピルバーグが外国版製作総指揮を務めた『夢 (映画)|夢』(1990年)等の作品を監督。1985年11月、文化勲章受章。『八月の狂詩曲』(1991年)、『まあだだよ』(1993年)に続く次回作として予定されていた『雨あがる』の脚本執筆中に京都の旅館で転倒骨折。療養澄 83h$KF~$j1998年9月6日脳卒中により死去、。叙  &=>;00L! #F1G/10月1日、映画監督としては初の国民栄誉賞を受賞、翌1999年には米週刊誌タイム (雑誌)|タイム・アジア版で「今世紀最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた(他の日本人の受賞者は昭和天皇・盛田昭夫・三宅一生・豊田英二・井上大佑)。戒名は「映明院殿紘國慈愛大居士」。



    作品をめぐる評価とその演出

    黒澤が日本映画史を代表する映画監督であることは疑問の余地がない。国際的にも20世紀の映画監督として十指に必ず入る大監督である。骨太のヒューマニズムやストーリーテリングの巧みさ、鋭い映像感覚は映画のお手本として多くの後進映画監督たちに影響を与えた(「#世界的な影響|世界的な影響」を参照)。ただし、『赤ひげ』以後のカラー作品については評価が分かれ、娯楽性よりも芸術性を重視したそれらの作品に対しての否定的な見解も出されている。妥協を許さない厳しい演出はことに有名で、何ヶ月にもわたる俳優たちの演技リハーサル、スタッフと役者を待機させながら演出意図に沿った天候を何日も待ち続ける、カメラに写らないところにまで大道具小道具を作り込む、撮影に使う馬はレンタルせず、何十頭を丸ごと買い取って長期間調教し直してから使う、等々逸話は多い。''(黒澤の撮影方法についてはノートで検討中です。)''『荒野の用心棒』の盗作問題で、セルジオ・レオーネ監督は「しかし、この映画だって元はといえば『ダシール・ハメット|血の収穫』のパクリじゃないか」という趣旨のことを述べているように、后 u_71G2h$N$9$Y$F$,%*%j%8%J%k$H$$$&Lu$G$O$J$$!#$=$b$=$b9u_7<+?H$,HUG/$K;j$k$^$G?7$7$$%9%?%$%k$rkFb$r%+%U%'%P!<$N$h$&$J4V@\>HL@$G%G%6%$%s$7$?!#$^$?>kLg$N;#$jJ}$dA0H>$N%/%i%$%^%C%/%9$N!V;0$N>k!W1j>e$N%7!<%s$O%U%j%C%D!&%i%s%04FFD$N!X%K!<%Y%k%s%2%s!Y$N5\EB1j>e%7!<%s$H9=?^$KB??t$NN`;wE@$,$"$k!#!XL4!Y$N@nLL$r1G$9%7!<%s$N;#1FJ}K!$O%"%s%I%l%$!&%?%k%3%U%9%-!<|タルコフスキーに教えてもらったものである。また『八月の狂詩曲』ではスタッフに大林宣彦監督の『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』を何度も見せた上で制作に入っている。実際、出来上がった作品は、子供の使い方や語り口、特撮合成に至るまで、親子ほども年齢差のある年下の大林宣彦監督の影響を受けたものとなった。新技術導入に意欲的だった黒澤だが、特撮映画については長らく及び腰ではあった。東宝の同僚である本多猪四郎とは無二の親友であったし、『ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ』も評価していたにもかかわらず\xA1 !"ElJu$N$*2H7]$G$"$k%_%K%A%e%"%;%C%H;#1F$r9u_7$O9%$^$J$+$C$?$N! $G$"$k!# !VCXiaAc>k!W$G$OL8$NCf$GF0$/?9$,ElJuFC5;$K$h$k%_%K%A%e%";#1F$G$"$k$,!"$=$N=PMh$K$D$$$F9u_7$OITK~$rO3$i$7$F$$$k!#!XE79q$HCO9v!YA0H>$N8"F#E!$+$i8+$($k2#IM$N7J?'$K$O!"$K%_%K%A%e%"%;%C%H$rAH$s$G;#1F$7$F$$$k$,!"KX$I;HMQ$5$l$J$+$C$?!#!X@V$R$2!Y$G$O;3:jEX$N2sA[%7!<%s$GBgCO?L$,IA$+$l$k$,!"%_%K%A%e%"FC;#$N%7!<%s$,F~$j$=$&$J=j$G$b9u_7$Ok$N1j>e%7!<%s$K%_%K%A%e%"1GA|$H$N8w3X9g@.$,;HMQ$5$l$k$J$I!":nNc$,8=$l$k!J!XMp!Y$G$O$3$NB>$K!"0l$N>k$NE7k9g@o$G$NLp$N0lIt!"COJ?@~$+$i8+$($k;0$N>k1j>e$N1l!"3u$N7-7A$NH?


    ! 三船敏郎との関係

    黒澤は1948年の『醉いどれ天使』にはじまり、1965年の『赤ひげ』まで、主演には三船敏郎を頻繁に起用した。この時期の黒澤作品は「三船無くして黒澤は無く、黒澤無くして三船は無い」とでもいうべき、スター俳優とスター監督との幸福な関係に支えられているといってよい。「赤ひげ」を最後に黒澤は三船を使わなくなり、その為2人の関係は様々に取り沙汰されることになる。''(両者の軋轢に関する具体例はノートで検討中です。)''





    世界的な影響

    日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べており(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のストーリー自体が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)、スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』の砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われ、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー (映画)|ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したといわれる。また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野\xA1 $NMQ?4K@!Y!J%;%k%8%*!&%l%*!<%M4FFD!K$N$h$&$KEp:nLdBj$KH/E8$7$?%1!<%9$b$"$k!#5;=QE*$K$O!"Nc$($P%5%`!&%Z%-%s%Q!<4FFD$,F@0U$H$7$FB>$N%"%/%7%g%s1G2h$G$bB?MQ$5$l$k!"%"%/%7%g%s%7!<%s$N%9%m!<%b!<%7%g%s;#1F$O!"85$O$H$$$($P黒澤明の手法であったし、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与えたし、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせ、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせ、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせ、視覚効果を得るために様々な工夫を凝らしている。さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、「七人の侍」の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま亜 zMQ$5$l$F$$$?$j!"!X%i%9%H%5%`%i%$!Y!J%(%I%o!<%I!&%:%&%#%C%/4FF! D!K$G$O1 +$dIw!"GO$d;S$N;H$$J}$J$I!"9u_71G2h$+$i0zMQ$5$l$?%7%g%C%H$OB??t$KEO$C$F$$$k!#黒澤明を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどである。



    その他

    熊井啓監督作品『海は見ていた』は、元々黒澤により撮影される予定で脚本まで書かれていたが、ラストの嵐のシーンに広大なセットを必要とされていたため、コストの面で折り合いがつかず、制作が実現しなかった作品である。全編をラブストーリーで構成するという内容は、それまで黒澤の作品には珍しく、人生最後の作品にはラブストーリーを撮りたかったという説もある。私生活の黒澤はグルメで知られ、この年代の日本人には珍しく肉料理が多かったと家族が著書に記している。旺盛な創作意欲の原動力に美食生活が欠かせなかったのか、妻や娘が腕によりを掛けた手料理を振舞ったが、一方で食費が余りに高くつくので税務署に疑われるという冗談のような出来事もあったという。島敏光 『黒澤明のいる風景』 新潮社、1991年撮影がトラブル続きで機嫌が悪いときも好物のスッポン料理を口にすると機嫌が直るほどであった。また、アルコール飲料|酒も煙草も嗜んだ。1993年にイランのアッバス・キアロスタミ監督が来日・対談した折は「黒澤に飲みに行\xA1 $3$&$HM6$o$l$?$1$I!"8e$m$K$$$?%9%?%C%U$NJ}$,!XCG$C$F!Y$H9g?^$r=P$9$N$GVa$`L5$/CG$C$?!#8e$GM}M3$rJ9$$$F$_$k$H!"9u_7$K$O2004年7月1日(木)産経新聞インタビューよりまた、大酒飲みであったので三船敏郎は打ち上げになると逃げてどこかへ行ってしまうのだという。代わりに宝田明が呼ばれ、幹事の如く仕切らせられるのだという。



    芸能界に関係する家族


  • 妻は矢口陽子(女優だが、結婚後に引退)。

  • タレントでプロデューサーの黒澤久雄は息子。

  • 久雄の元妻はタレントの林寛子 (タレント)|林寛子。

  • 黒澤優と黒澤萌はその2人に生まれた孫娘。

  • 娘の衣装デザイナーの黒澤和子は、加東大介の息子である加藤晴之と結婚して孫の加藤隆之(俳優)を生むが離婚。つまり長門裕之や津川雅彦などのマキノ一族とも縁戚関係にあった。


    [ 脚注 ]





    監督作品





    その他の作品




    [その他の映像作品]


  • 藤十郎の恋(1938年5月1日公開、山本嘉次郎演出) 製作主任

  • 綴方教室#映画|綴方教室(1938年8月21日公開、山本嘉次郎演出、東宝) 製作主任

  • 馬 (映画)|馬(1941年3月11日公開、山本嘉次郎演出、東宝映画 製作主任

  • 翼の凱歌(1942年10月15日公開、山本薩夫監督) 脚本

  • 土俵祭(1944年3月30日公開、丸根賛太郎監督、大映) 脚本

  • 四つの恋の物語 第一話「初恋」(1947年3月11日公開、豊田四郎演出) 脚本

  • 銀嶺の果て(1947年8月5日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 肖像 (映画)|肖像(1948年7月27日公開、木下惠介監督) 脚本

  • ジャコ万と鉄(1949年7月11日公開、谷口千吉監督) 脚本

  • 暁の脱走(1950年1月8日公開、谷口千吉監督、東宝) 脚本

  • 殺陣師段平(1950年8月26日公開、マキノ雅弘監督、東京映画配給) 脚色

  • 獣の宿(1951年6月8日公開、大曾根辰夫監督) 脚本

  • 荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻(1952年1月3日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国無頼(1952年5月22日公開、稲垣浩監督) 脚本

  • ソ満国境2号作戦 消えた中隊(1955年1月14日公開、三村明監督、日活) 脚本

  • あすなろ物語(1955年10月5日公開、堀川弘通監督) 脚本

  • 日露戦争勝利の秘史 敵中横断三百里(1957年12月28日公開、森一生監督) 脚本

  • 戦国群盗伝(1959年8月9日公開、杉江敏男監督) 潤色

  • 荒野の七人(1960年製作、ジョン・スタージェス監督、アメリカ映画) 原作

  • 殺陣師段平(1962年9月30日公開、瑞穂春海監督、大映) 脚本

  • 暴行 (映画)|暴行(1963年製作、マーティン・リット監督、アメリカ映画) 原作

  • 荒野の用心棒(1964年製作、ボブ・ロバートソン監督、イタリア映画) 原作

  • ジャコ萬と鉄(1964年2月8日公開、深作欣二監督) 脚本

  • 姿三四郎 (1965年の映画)|姿三四郎(1965年5月29日公開、内川清一郎監督、東宝) 製作/脚本

  • 野良犬 (1973年の映画)|野良犬(1973年9月29日公開、森崎東監督) 原作

  • 暴走機関車(1985年製作、アンドレイ・コンチャロフスキー監督、アメリカ映画) 原案

  • ドキュメント黒澤明 A・K(1985年製作、クリス・マルケル監督、フランス/日本映画) 出演

  • 雨あがる(2000年1月22日公開、小泉堯史監督、東宝/アスミック・エース) 脚本

  • どら平太(2000年5月13日公開、市川崑監督) 脚本

  • 海は見ていた(2002年7月27日公開、熊井啓監督、ソニー・ピクチャーズ・エンタテイメント/日活 脚本

  • 赤ひげ (テレビドラマ 2002年)|赤ひげ(2002年12月28日放送、フジテレビジョン|フジテレビ) 脚本

  • 旋風の用心棒(2003年1月25日公開、川原圭敬監督、エムロックス) 原案

  • SAMURAI 7(2004年6月12日〜12月25日放送、パーフェクト・チョイス) 原作

  • 椿三十郎 (2007年の映画)|椿三十郎(2007年12月1日公開予定、森田芳光監督、東宝) 脚本

  • 隠し砦の三悪人(2008年5月10日公開予定、樋口真嗣監督、東宝) 脚本


    [作詞]


  • ジャングルブギ(服部良一作曲、笠置シヅ子|笠置シズ子唄)

  • 七人の侍(早坂文雄作曲、山口淑子唄)



    受賞歴 


  • 羅生門(1951年ヴェネツィア国際映画祭|ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・イタリア批評家賞、1951年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1953年アメリカ監督組合賞ノミネート、1952年米アカデミー賞名誉賞(現在のアカデミー外国語映画賞|外国語映画賞))

  • 生きる(1954年ベルリン国際映画祭ベルリン上院特別賞)

  • 七人の侍(1954年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞)

  • 隠し砦の三悪人(1958年ベルリン国際映画祭銀熊賞監督賞・国際批評家連盟賞)

  • 赤ひげ(1965年ヴェネチア国際映画祭国際カトリック映画事務局賞(OCIC Award)、モスクワ映画祭ソ連映画人同盟賞、フィリピン・マグサイサイ賞ジャーナリズム部門賞)

  • どですかでん(モスクワ映画祭映画労働組合賞)黒沢明・絵コンテの世界

  • デルス・ウザーラ(1975年モスクワ映画祭金賞・国際連盟批評家賞、1976年米アカデミー賞外国語映画賞、1977年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1977年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、パリ国際映画祭賞)

  • 影武者(1980年カンヌ国際映画祭パルム・ドール、1981年英国アカデミー賞監督賞、1981年セゼール賞外国語映画賞、1981年イタリア批評家協会賞監督賞(外国語)、1981年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1981年ベルギー映画批評家協会監督賞)

  • 乱(1985年米アカデミー賞監督賞ノミネート、1985年全米批評家協会賞作品賞、1985年ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞、1985年ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞、1985年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞監督賞、1985年ボストン批評家協会賞作品賞、1986年伊ダビデ・ディ・ドナテルロ賞監督賞(外国語)、1987年英国アカデミー賞外国語映画賞、1987年ロンドン映画批評家賞監督賞)

  • 1979年モスクワ映画祭名誉賞

  • 1980年カンヌ国際映画祭35周年記念特別表彰黒沢明・絵コンテの世界

  • 1982年ヴェネチア国際映画祭栄誉金獅子賞(Career Golden Lion)

  • 1986年アメリカ監督組合賞特別賞

  • 1990年米アカデミー賞名誉賞

  • 1990年日本国福岡市 福岡アジア文化賞創設特別賞

  • 1992年アメリカ監督組合賞生涯功労賞



    著作権問題

    上記の作品の内、1952年までの作品は著作権の保護期間が終了(公開後50年)したと考えられたことから、幾つかの作品がパブリックドメインDVD|激安DVDで発売された。これに対し、製作者(版権継承者)の東宝と角川映画は2036年(監督没後38年)まで著作権が存続するとして発売業者を相手取り、発売差し止めと在庫の廃棄を求める訴えを東京地方裁判所|東京地裁に起こした。2007年9月14日に東京地裁で原告勝訴の判決が下った。発売業者は控訴の方針。



    出典





    関連項目

    }}

  • :Category:黒澤明の監督映画

  • 日本の映画監督一覧

  • チャーリー・チャップリン(同様の著作権問題が発生)

  • 日本エアシステム



    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 世界の黒澤と梅干しの 味

  • Akira Kurosawa News and Information (英語)

  • The Internet Movie Database (英語)

  • 黒澤明のお墓

  • 黒澤明生誕100年プロジェクト AK100project


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    2008年04月14日

    映画監督[町山智浩]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    町山智浩



    町山 智浩(まちやま ともひろ、1962年7月4日 - )は、映画評論家、コラムニスト。東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒。放送作家の町山広美は実妹。元宝島社勤務、洋泉社出向。映画秘宝創刊後、退社。ガース柳下こと柳下毅一郎との対談コンビ「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」ではウェイン町山を名乗る。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。



    来歴

    在日韓国人一世の父親と、日本人との母親との間に生まれた。韓国人の父親については、死の直前に父親の病床を訪ねて彼の来歴を聞いた、雑誌『hon-nin』の連載「Who's your daddy?」に詳しいが、両親は離婚して、母親の姓「町山」で育つ。父親からは、韓国関係のことを一切教わらず、それなのに、学校で「朝鮮人の子供」として差別されることに、理不尽な思いを抱く。思春期は、映画マニア、サイエンス・フィクション|SFマニアとして、すごす。また、宝島社及び洋泉社勤務時代の、「宝島サブカルチャー黄金期」については、『サブカルチャー世界遺産』(ISBN 4594030491)に掲載された本人のインタビューに詳しい。学生時代からバイトで出入りしていた、宝島社(旧JICC出版局)に入社。まず1980年代中期パンク雑誌だった頃の『宝島 (雑誌)|宝島』本誌を担当した。担当はみうらじゅん(みうらからはバカの町山の称号を与えられる)、デーモン小暮、馳星周|坂東齢人、根本敬など。「ゴジラ宣言」「このビデオを見ろ!」などのムックも編集。続いて『別冊宝島』シリーズで、1989年12月に『おたぁ /$NK\!Y$r4k2hJT=8!#$3$NK\$,%Y%9%H%;%i!<$K$J$C$?$3$H$H!"F1G/$N7月に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件|宮崎勤事件が起きていたことなどが相まって、「おたく」という言葉が一般に認知される。『別冊宝島』では他に、『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』などのベストセラーを企画編集。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団(大月隆寛とともに)と元フランス外人部隊の傭兵訓練に自ら参加している。また、後の『映画秘宝』の流れにつながる『映画宝島』シリーズを企画、自ら取材執筆している。1991年、『映画宝島・異人たちのハリウッド』はハリウッドスターをエスニシティという視点から読み解いた研究書で、自ら父方の姓(柳)を名乗った。その後、月刊誌『宝島30』編集部で、当時は政府もマスコミも認めていなかった朝鮮総連のスパイ行為や朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮の日本人拉致問題をいちはやく追及し、左翼文化人や岩波書店を名指しで攻撃、送られてきた内容証明を誌上で公開するなどした。1995年 宝島社の子会社・洋泉社に出向。『トンデモ本の世界』をベストセラーにして、と学会を売り出した。また『院 G2hHkJu!Y%7%j!<%:$rAO4)$7$?!#1996年、第3回みうらじ\xA1 $e$s>^^!#1996年、『映画秘宝・底抜け超大作』に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』の副編集長が「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。それに対して町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長にぶつけた。キネマ旬報は弁護士を通じて洋泉社に抗議文を送り、町山はキネマ旬報に謝罪するとともに依願退職し、渡米した。1997年よりアメリカ合衆国|米国カリフォルニア州オークランド (カリフォルニア州)|オークランド市に在住。その後、アメリカ各地を転々としながら、日本人のあまり知らないアメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などをレポートして『映画秘宝』『TVブロス』『サイゾー』『週刊現代』ほか日本の新聞・雑誌に送っている。2004年4月よりTBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ『ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム』「コラムの花道」にレギュラー出演中(火曜日)。2004年、アメリカで友人の日本映画マニアパトリック・マシアスとの共著『Cr! uising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo』を出版(英語)。2005年、日本で配給会社がつかなかった映画『ホテル・ルワンダ』の日本公開を求めてラジオや雑誌で訴え、これに呼応して有志が署名運動を起こした。同作は、2006年1月に日本公開が実現した。2007年にオークランドから隣町であるバークレー (カリフォルニア州)|バークレーに引っ越した。


    [映画評論のスタイル]

    主要な著書である、『〈映画の見方〉がわかる本』シリーズでは、論証対象の映画ができあがるまでの、原作者、脚本家、監督、俳優、プロデューサー等それぞれの、思想・考えや行動、偶然のできごとなどの、エピソードなどを事細かにとりあげ、論じている。そのため、蓮実重彦が提唱して映画批評界に大きな影響を与えた「映画をその映画内に表現された内容のみで論じる」という「表層批評」と、大きく敵対している。なお、町山は、蓮実については、「70年代に雑誌『映画芸術』でB級映画を褒めていたころは好きだったと、語っている。また、影響を受けた映画評論家としては、川本三郎、石上三登志、双葉十三郎、増淵健、(かつての)蓮實重彦、山田宏一らの名前を挙げている。[http://www.news-link.net/hiho/index2.html]


    [戸田奈津子に関して]

    戸田奈津子を堂々と「デタラメな翻訳で英語字幕を独占している!」と名指しで批判する。(戸田の翻訳に関しては戸田奈津子を参照)。


    [ 「コラムの花道」内 ]


  • 複数の雑誌にスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐|スター・ウォーズ エピソード3の政治的暗喩について書いたところ、配給会社である20世紀FOX日本支局によって検閲された事情を「コラムの花道」で暴露。さらにアメリカのジャーナリストを通じてルーカス・フィルムにもFOX宣伝部の検閲行為を伝えたところ、本人いわく「そこから仕事が来なくなった」そうである。*同番組では、2007年5月に、同じコーナーでジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ大統領が弾劾裁判で失職する可能性が出てきたという話をしていて最後に突然、「宮崎哲弥は2004年の大統領選挙でこんなブッシュを支持する発言をしていたんですよ」と批判を始めた。その後、宮崎哲弥本人からTBSラジオ及び町山本人に抗議が来たようで、翌週の同コーナーにおいて『筑紫哲也の番組でブッシュ支持と反ブッシュで同じ人数に分かれて討論する演出だったが、ブッシュ支持の人数が足らず、番組に頼まれてイラク戦争には反対だが日本人には投票権がないし関係ないかと思い渋々ブッシュ支持に回った。そう\xA1 $$$C$?N";v>p$O%i%8%*$d3h;zG^BN$G@bL@:Q$_$G$"$k!Y$H$$$&5\:j$NH?O@$rJ|Aw!#D.;3$b$=$&$$$C$?N";v>p$rCN$i$J$+$C$?$H$$$&$3$H$G

    [ 勝谷誠彦との関係 ]

    「コラムの花道」内において、別れた父(故人)が在日コリアンであることを明かした際、水曜日の出演者である勝谷誠彦の批判を突然始めたことがある (2005年7月19日)。その週は、クリスチャン(キリスト教徒)とムスリム(イスラム教徒)が互いの立場を逆転させて生活するテレビ番組を紹介していた。差別の苦しみは差別されなければわからない、なので知識も背景もわかろうともせずに無用な差別はしてはいけない、というのが町山の結び。その結びの際(17分20秒)にいきなり「勝谷なんとかという奴」という表現で話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。ただ、翌日(2005年7月20日)の勝谷はこのことについて直接言及することはなく、それ以後も町山自身もこのことについて触れることはなかった。これぁ O!"!VHVAH%j%9%J!<$N$?$a$K$b8r@o$7$F$[$7$/$J$$!W$H$$$&F1HVAH%G%#%l%/%?!<$NCg2p$K$h$k$b$N$G$"$k!JWEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士)。なお、2007年7月に勝谷が出演した際、勝谷は、パーソナリティの小西克哉が前日に町山と酒席をもったことを気にしているような態度を取り、そのときに「アメリカからいやなヤツが来てるんでしょ?」といった表現で、名指しはしないものの初めて町山に言及した。この日の番組のエンディングで小西は「勝谷さんと町山さんを2人だけで会わせたらどんなことになるか」と言っていた。2007年10月に町山が、アメリカの超保守の女性コラムニスト(アン・コールター)の話をした際、小西が「日本でいうと誰にたとえればいいでしょうね」と言うと、町山は「このコーナーに明日出る人」と答えた。2008年3月12日の放送で勝谷は、コラムの花道の本が出ることについて、「表紙のオレの名前が町山さんの後ろにある」と、初めて町山の名繊 0$rD>@\5s$2$?!#$5$i$K!"%3!<%J!<$N=P1i


    主な著書


  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』 ISBN 4896913574

  • 『アメリカ横断TVガイド』 ISBN 4896914848

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』 ISBN 4896916298

  • 『映画の見方がわかる本―「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』 ISBN 4896916603

  • 『底抜け合衆国―アメリカが最もバカだった4年間』ISBN 4896918436

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』ISBN 4896918452

  • 『USAカニバケツ/超大国の三面記事的真実』ISBN 4872338936

  • (翻訳)『ブーンドックス/ブッシュが最も恐れた小学生』アーロン・マッグルーダー著 ISBN 4344006658

  • 『〈映画の見方〉がわかる本―80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀』 ISBN 4896919742

  • (編集・翻訳) 『オタク・イン・USA〜愛と誤解のAnime輸入史』パトリック・マシアス著(Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyoの日本語版) ISBN 4778310020

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判3』



    DVD


  • 監督・出演『ウェイン町山のLA秘宝』DVD



    外部リンク


  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

  • TBSラジオ ストリーム(毎週火曜日担当)

  • 町山智浩のアメリカ映画特電

  • アメリカでのインタビュー(英語)

  • ベイエリアの公共ラジオ KQED でのゲスト出演(英語)

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    2008年04月13日

    映画監督[市川準]

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    市川準



    市川 準(いちかわ じゅん、1948年11月25日 - )は、日本の映画監督、CMディレクター。本名は、市川 純(読み同じ)。東京都府中市 (東京都)|府中市出身。CM演出家を経て1987年に『BU・SU』で映画初監督。以降、幅広い題材に意欲的に取り組み話題作を数多く発表している。



    来歴

    聖パウロ学園高校卒業後、画家を志して東京芸術大学美術学部絵画科への入学を目指すが浪人を繰り返す。1975年にCM制作会社に入社してCM演出家になり、1981年の退社後は無所属で活動する。演出家として禁煙パイポ、タンスにゴン、エバラ焼肉のたれ、タフマン、デューダ等のテレビCMを作る。1987年10月に富田靖子主演の『BU・SU』で映画初監督。田舎の少女が上京して芸者になるビルドゥングスロマンである。暗く閉鎖的なために「性格ぶす」を揶揄される少女が他者と出会う様子を描き、好評を獲得する。1988年11月にハナ肇とクレージーキャッツ主演の『会社物語 MEMORIES OF YOU』を発表する。中年サラリーマンの群像劇を通して、決して平凡ではない普通の人達の生活を描いた。1989年12月にいとうせいこう原作の『ノーライフキング#映画|ノーライフキング』を発表する。テレビゲームに熱狂する少年達を描き、テレビゲームが広く注目を集めた当時の世相を色濃く反映した作品となった。世界観を原作とは大きく変えた。1990年にテレビ朝日系『市川準の東京日常劇場』で、月曜日〜金曜日の5日間で5分間のドラマを監督、深夜に放送していた。
    放送内容代表作:「妻に逃げられた男」(主演・すまけい)など。2002年に三谷幸喜原作の『竜馬の妻とその夫と愛人』を発表する。戯曲を映画化した珍しいタイプの作品である。坂本竜馬の死後に再婚して愛人も作った未亡人に主眼を置き、本来の主役(竜馬)を全く描かず、その周囲の人物の騒動を追った異色の時代劇となった。2004年に村上春樹原作の『トニー滝谷』を発表する。村上は大変高い人気を持つ小説家だが、その作品は殆ど映像化されていなかった極めて特殊な存在である。長年に渡り村上作品を愛読してきた市川は有名な長編ではなくマニアックな短編の映画化に挑んだ。市川はイッセー尾形と宮沢りえの二人の優れた俳優を用いて村上が照らす現代人の底の無い孤独を落ち着いた美しい色調で映像化した。第57回ロカルノ国際映画祭で審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を受賞した。



    監督作品





    出演作品

    ・『晴れた家』:2005年。『トニー滝谷』のメイキング映画。



    受賞歴


  • 1985年:カンヌ国際広告映画祭金賞。

  • 1991年:『つぐみ (映画)|つぐみ』
    第15回報知映画祭監督賞。
    第45回毎日映画コンクール監督賞。

  • 1995年:『東京兄妹』
    第45回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞。
    芸術選奨文部大臣賞映画部門。

  • 1997年:『東京夜曲』
    第12回高崎映画祭監督賞。
    第21回モントリオール世界映画祭最優秀監督賞。

  • 2004年:『トニー滝谷』で第57回ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞。


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    2008年04月12日

    映画監督[中田秀夫]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    中田秀夫



    中田 秀夫(なかた ひでお、1961年7月19日 - )は、岡山県浅口郡金光町(現・浅口市)出身の映画監督。



    略歴


  • 金光学園中学校・高等学校|金光学園高等学校卒業。1980年、東京大学理科1類に入学し工学部応用物理学科に進学が内定していたが、進路を変更し教養学部アジア学科卒業。在学中に蓮實重彦の映画ゼミに参加し、非常に大きな影響を受ける。

  • 1985年に日活撮影所|にっかつ撮影所に入社し、助監督を経て1992年に『ほんとにあった怖い話』で監督デビュー。

  • 同年、文化庁芸術家在外研修員として渡英。1995年に帰国するが、渡英中に製作を開始したジョセフ・ロージーのドキュメンタリーが完成したのは1998年だった。

  • 帰国後に監督した『女優霊』がヒットしたことから多くのホラー作品を手掛けるようになり、現在では黒沢清や清水崇らと並ぶホラー映画|Jホラー(ジャパニーズホラー)の代表の一人と目されている。

  • 国内で大ヒットしたホラー映画『リング (ホラー)|リング』は米国でリメイクされた。この作品は他の監督(ゴア・ヴァービンスキー)の手なるものだったが、続編である『ザ・リング2』では自身が監督を務め、念願のハリウッド・デビューを果たしている。トム・クルーズ製作の『The EYE』、フォックス・サーチライトで『Entity』、ニューラインで『OUT』、ドリームワークスで『ザ・リング3』、Foxで『Inhuman』などハリウッドでの企画も多数進行中である。



    人物


  • デビュー作が『ほんとにあった怖い話』シリーズの一作であったり、出世作も『女優霊』というホラー作品であり、何よりも『リング』という大ヒット作の監督であることからホラー(専門)監督と見なされることが多いが、本人に取り立ててホラー映画指向はなく「本当に撮りたいものはホラーではない」と公言している。実際はメロドラマ志向の人であり、『ガラスの脳』はそれが結実した念願の企画でもある。



    作品




    [ 映画 ]


  • 女優霊(1996年)

  • 暗殺の街(1997年)

  • ジョセフ・ロージー 四つの名を持つ男(1998年、16mm作品)

  • リング (ホラー)|リング(1998年)

  • リング2(1999年)

  • ガラスの脳(1999年)

  • サディスティック&マゾヒスティック(2000年)

  • カオス (2000年の映画)|カオス(2000年)

  • 仄暗い水の底から#仄暗い水の底から(映画)|仄暗い水の底から(2002年)

  • ラストシーン(2002年)

  • ザ・リング2(2005年)

  • 怪談 (2007年の映画)|怪談(2007年)

  • デスノート (映画)#『L change the WorLd』|L change the WorLd(2008年)


    [ テレビドラマ ]


  • 怪奇大作戦 セカンドファイル「人喰い樹」(2007年、日本放送協会|NHK)


    [ 助監督作品 ]


  • ビー・バップ・ハイスクール (1985年の映画)|ビー・バップ・ハイスクール(1985年)

  • ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌(1986年)



    外部リンク


  • 公式サイト


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    2008年04月11日

    映画監督[宮崎駿]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    宮崎駿





    宮? 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。学習院大学政治経済学部卒。山羊座。血液型O型。アニメーション制作会社スタジオジブリに映画監督として所属し、2005年4月より取締役。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は二馬力で、主に宮?の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿(みやざき はやお)と表記されることもある。



    来歴




    [ 初期 ]

    宮?駿は、一族が経営する「宮?航空興学」の役員を務める一家の二男に生まれ、太平洋戦争中であっても何不自由なく幼年時代を過ごした会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮?が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮市|宇都宮が空襲を受け、親類の運転する貨物自動車|トラックで宮?一家(駿は4歳)が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、小さいトラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走りだした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。(『時代を翔るアニメ監督 宮崎駿』北海道新聞夕刊、2001年)。子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であったが、当時の進学校である東京都立豊多摩高等学校在学中の3年\xA1 @8$N;~$K4Q$?El1GF02h@=:n!XGr「『白蛇伝』との出会いは強烈な衝撃を残していった。
    マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。
     それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。」
    (『日本映画の現在』岩波書店、1988年)、アニメーションにも関心を持つようになる。学習院大学に進学したが、当時は大学に漫画サークルが無かったため、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志して漫画を描き続けていたが、漫画かアニメーションかを悩んだ末に、アニメーションの世界へ進む事を決断する在学中に幾つかの雑誌編集部に革命をテーマにした自作漫画の持ち込みをしたが、時代物は扱っていないと門前払いされ、採用され無かったので将来に不安を感じた事もあるが、
    「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」
    (『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
    。学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に入社した。その後しばらくは東映動画で制作されていた作品に魅力を感じることが出来ず、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソビエト連邦|ソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』に強い感銘を受け「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」
    (『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
    、アニメーションを一生の仕事にしようと決意した。たちまち才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任する。激しい組合活動を行いながら高畑勲・森康二・大塚康生らと共に『太陽の王子ホルスの大冒険』を作り上げ、その後も、さまざまなスタジオで優れた作品を作り続けた。1971年にはTVアニメ、ルパン三世 (TV第1シリーズ)を途中から演出の仕事を担当した。視聴率は芳しくなかったものの、宮崎はその後のルパンの基礎となる部分を作り上げた。(詳しくはルパンの項を参照)1974年にはTVアニメ、アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジで全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。主要スタッフとして一年半番組を引っ張った。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。


    [未来少年コナンからナウシカまで]

    1978年、『未来少年コナン』(日本放送協会|NHK)で初演出を務める。演出という肩書きではあったが、脚本から、絵コンテ、レイアウト、原画に至るまで、あらゆる作業を自身でも行うという超人的な仕事量をこなした。持ち前の高度な作家性を発揮して、原作「残された人びと」の悲壮なイメージを大幅に改変し、オリジナルといってもよい作品を作り上げた。後に宮崎アニメと呼ばれる作品群の原点とも言える。視聴率は低調だったが、この作品に衝撃を受け、後にアニメーターとなった者も少なくない。(鳥山明もコナンのような漫画を描きたいと語っている)その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で監督としてデビューした。同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されるも、サイエンス・フィクション|SFアニメ全盛の時代という事もあり、受け入れられにくい作品であったために、興行的には前作に及ばなかった。むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われないなど不遇の時を過ごすことになった。(ぁ 7$+$78e$K!":FJ|Aw$5$l$F$O9b;kD0N($r$"$2$k$J$I!"%"%K%a!<%7%g%s$N6b;zEcE*:nIJ$H$7$F9b$$I>2A$r8e$K$O!"%k%Q%s;0@$ (TV第2シリーズ)で最終回含め2話の制作に演出として携わっている。アメリカ合衆国|アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。コナンの時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメーション企画を彼にもちかける。これがのちに『風の谷のナウシカ』として開花する。企画は短編の筈だったが次第に拡大していった為、「原作付き企画」のハクをつけるべく『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力によって、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し 尾形英夫「あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録」(オークラ出版、2004年)\xA1 、宮?の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプァ m%8%'%/% H$,7k@.$5$l!"1984年にアニメーション映画として製作・公開された。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮?駿が広く認知されることとなった。


    [ スタジオジブリ発足 ]

    その後は徳間書店の出資を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2〜3年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受けた。興行的に一定の成果を果たし、また国民的映像作家としての地位を確立したのは1989年『魔女の宅急便 (スタジオジブリ作品)|魔女の宅急便』以降である。1997年に公開された『もののけ姫』は、前年の徳間書店とディズニー社の業務提携によるジブリ作品の世界進出のニュースや、ジブリ史上最大の製作費、宮?の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行成績|興行記録を塗り替える大ヒット作となった。2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2350万人、興行収入304億円と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。海外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはァ "%+%G%_!<>^D9JT%"%K%a!<%7%g%sItLg:nIJ>^$r^$7$?!# 2004年公開の『ハウルの動く城』は、宣伝を極めて抑えた公開であったにもかかわらず公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。 さらにヴェネチア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞するなど前作同様海外においても高く評価された。2005年には、ヴェネチア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞した。2006年には、アメリカ映画界最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮?はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。2008年夏に、新作『崖の上のポニョ』の公開を予定し、現在は、その制作に取り組んでいる。



    略歴


  • 1941年 1月5日東京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校卒。

  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現外務相)、高島肇久(現外務省参与、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店相談役)、有薗憲一(ベスト電器社長)らがいる。

  • 1964年 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。

  • 1965年 同僚の太田朱美と結婚。なお、式の司会は大塚康生。

  • 1967年 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。

  • 1970年 次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。

  • 1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。

  • 1973年 高畑勲、小田部羊一と共に瑞鷹 (アニメ制作会社)|ズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。

  • 1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。

  • 1979年 東京ムービーの子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。

  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。

  • 1982年 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。

  • 1984年 4月、個人事務所二馬力を設立。

  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。

  • 1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎賞受賞。

  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・大藤信郎賞、第39回芸術選奨・芸術作品賞・文部大臣賞、第12回山路ふみ子映画賞を受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位に選出。

  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。東京都民文化栄誉章を受章。

  • 1993年 『紅の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、アヌシー国際アニメーション映画祭|アヌシー国際アニメーションフェスティバル・長編部門賞を受賞。

  • 1994年 『風の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家協会賞・大賞を受賞。

  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞、第2回アニメーション神戸・部門賞・演出部門を受賞。

  • 1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。『もののけ姫』が日本アカデミー賞・最優秀作品賞、第1回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を受賞。第26回アニー賞・生涯功労賞、山路ふみ子文化賞、淀川長治賞を受賞。

  • 1999年 スタジオジブリに所長として復帰。

  • 2000年 第3回司馬遼太郎賞を受賞。

  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞を受賞。

  • 2002年 『千と千尋の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、第5回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、第52回ベルリン国際映画祭・金熊賞、第68回ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞、ボストン映画批評家協会・特別賞を受賞。『くじらとり』が大藤信郎賞を受賞。朝日賞、フランス国家功労賞、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。

  • 2003年 『千と千尋の神隠し』が第30回アニー賞・長編アニメ映画賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、第75回アカデミー賞・長編アニメーション映画賞を受賞。埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。

  • 2004年 『ハウルの動く城』が、第61回ベネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞、第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭・観客賞、第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル・功労賞を受賞。『ルパン三世 カリオストロの城』がキネマ旬報創刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部門第一位に選出。12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。

  • 2005年 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。『ハウルの動く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞、ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞を受賞。第62回ベネチア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。

  • 2006年 日本テレビ放送網|日本テレビ2階・マイスタジオ|マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。

  • 2007年『ハウルの動く城』がアメリカSFファンタジー作家協会 (SFWA) ・ネビュラ賞(脚本部門)を受賞。



    作風

    ・ 子供の視点
    : 一貫してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている「僕らは抜き差しならない現実社会に、抜き差しならない自分をかかえて生きているでしょう。だけどね、いろんなコンプレックスとかガンジガラメの関係から抜け出て、もっと自由な、おおらかな世界にあればね、自分は強くも雄々しくもなれる。もっと美しく、やさしくなれるのに、という思いを持ってるんじゃないか。少年も老人も、女も男も…」(富沢洋子編「また、会えたね!」アニメージュ#アニメージュ文庫|アニメージュ文庫 徳間書店、1983年)。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言し、その作品はほぼ一貫して子供の視点に立ち、悪役を大人にすることが多い。ただし、多くの作品は単純明快な勧善懲悪ものではなく、「悪役」もまた、重層的で複雑なキャラクターであることが多い。また、主人公が少女であることが多く、この理由は同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからと話す。
    ・ 脚本なしでの制作
    : 制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくという手法で知られる。これは、周囲から「アニメーション界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的制作管理能力を持つ宮?にして初めて可能な手法である。ただし、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではなく、ノートにストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」ということである。また、作品では空を舞うシーンが描かれることが多く、監督本人も意識している。
    ・ 戦史・軍事マニア
    : 戦史・軍事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、現在は中断)。
    ・ 声優の起用
    : 『紅の豚』以降は本業としての声優をほとんど起用せず『紅の豚』以前の『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、非声優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でプロの成人の女性声優を起用した(最終的にパズーを演じたのは田中真弓)のは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)。なお主役級以外に関しては、それ以前の作品から俳優や文化人などの出演はある。、俳優、女優を起用する事が多い。この点に関して一部の非声優の演技力等について否定的な意見がある。もっとも、近年の俳優、タレント起用に関しては、宮?以外のジブリ作品も同様であり、製作の鈴木敏夫の意向が強いとされている。鈴木は、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。
    ・ 作品名の共通点
    : 監督を担当した長編アニメーション映画の作品名には、どれも平仮名の「の」が含まれているのが特徴。
    ・ 手塚治虫の評価
    : 1988年手塚治虫が亡くなった時、漫画では自分も影響を受けた、と全面的に肯定した上で、アニメーションに携わる人間の立場から、アニメーション作家としての手塚が日本のアニメーション史に果たした役割に痛烈な批判を加えた「コミックボックス」ふゅーじょん・ぷろだくと、1989年5月号。。特にテレビアニメーション草創期に、手塚が市場優位性を確立させるため、鉄腕アトムなどの自社(虫プロダクション)制作番組を原価を割り込むほどの低価格で売り込んだことが、現在に至るまで日本のアニメーション製作費が極めて低く抑えられる要因となったとして舌鋒鋭く批判した。東映入社以来、映画アニメに携わっていた宮崎も低賃金、非人間的労働が当然のTVアニメの方に回され、そこから映画アニメ専門の世界に移るまでには長い期間を要した。また、「しずく」などの手塚アニメーション作品そのものに対しても辛口の批判をしたことがある。
    ・ 日本のアニメーション界への危機感
    : 2002年のベルリン映画祭金熊賞受賞の際の記者会見のインタビューで「今の日本のアニメーションはどん詰まり」などと語った。1985年2月号のアニメ雑誌「アニメージュ」の押井守、河森正治との対談で「どんづまり」、1986年『天空の城ラピュタ』製作中に行ったアニメーション雑誌記者との会見「コミックボックス」に全録、「月刊OUT」みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。でも「崖っぷち」と表現するなど、以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメーションに対して、危機感を抱き続けており、スタジオジブリのスタジオ運営では月給制を取っていたこともあった。イギリスの英国放送協会|BBCなど日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず海外のアニメーションファンを含めて様々な反響があった「アニメージュ」2002年5月号において、宮?の発言に対する5人のアニメ業界人のコメントを掲載。久美薫『宮?駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)では宮?発言が「反響が大きかった」とし、久美自身も8! ページをかけて宮?発言を論じる。。なお、西島克彦が「アニメージュ」に載せた『プロジェクトA子』のコメントを取り上げて、「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメーションを作っていちゃダメなんです」と発言したのは、上記のうち1986年の会見でのことである。



    政治的・思想的スタンス


    ・ 反戦
    : 一貫して反戦を、『風の谷のナウシカ』以降は環境保全を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。
    ・ 思想的転向
    : 大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は激しい組合活動を行った。その後も長らく左翼的思想を保ちつづけていたが、1989年の六四天安門事件|天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、
    ・ 思想的転向はないという見方
    : 宮崎の社会主義思想は未来少年コナンにみられるように国家的組織による強権的な社会主義には批判的であり(作中に登場するインダストリアのイメージは大理石の男の独立自主管理労働組合「連帯」|レーニン造船所を彷彿とさせる)、汗を流した労働を尊ぶという描写は初期の頃から現在まで一貫している。明るい陽気な共同体生活の描写はユートピア社会主義、強権的社会主義体制への批判は南欧発祥のユーロコミュニズムに近い。また近年アメリカでの公演に於いて毛沢東語録から言葉を引用したりもしている。
    : 宮?の強権的「国家」に対する批判的姿勢は、作家の堀田善衛や司馬遼太郎らとの交流から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する(宮?が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。
    ・ 中尾佐助の思想
    : 宮?に深く影響を与えた思想に、植物学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色をもつ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に「もののけ姫」に強く表れており、その後も宮?はインタビュー・対談など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。
    ・ 政治的リアリスト
    : 最近では、問題になった新しい歴史教科書をつくる会の教科書を、?民族の『誇り』は、歴史を歪曲することで得られるものではない?と語ったことがある。一方で宮?は、司馬遼太郎や堀田善衛との鼎談で、日本の被害国にもナショナリズムの行き過ぎが見られると批判しており、コスモポリタン的な立場で各国の偏狭なナショナリズムを批判しているという主張もある。また、宮?は憲法改定に関して日本国憲法第9条|9条の支持を表明しているが、同時に、もし国民が9条改定を選択したならそれを尊重するといった趣旨の発言もしており、政治的リアリストとしての一面も持っている。; もののけ姫における歴史観
    : もののけ姫には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら(鑪・鈩)製鉄技術者集団、馬子運送業者、らい病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天皇|天朝さまとはなんぞや。」とうそぶく女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。もっとも、いわゆる「網野史観」に全面的に依拠しているわけではなく、大規模な定着化した踏鞴場の描写など、技術者集団等の非定着性に注目した網野と対立する観点も散見される。



    作品




    [ 監督作品 ]




    [ 長編アニメーション映画 ]


  • 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)

  • 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)

  • 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)

  • 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)

  • 1989年 魔女の宅急便(脚本・プロデューサー)

  • 1992年 紅の豚(原作・脚本)

  • 1997年 もののけ姫(原作・脚本)

  • 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)

  • 2004年 ハウルの動く城(脚本)

  • 2008年 崖の上のポニョ(原作・脚本)


    [ 短編アニメーション映画 ]


  • 1995年 On Your Mark〜ジブリ実験劇場(原作・脚本)

  • 2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)

  • 2001年 くじらとり(脚本)

  • 2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)

  • 2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)

  • 2002年 空想の空飛ぶ機械達(原作・脚本・ナレーション)

  • 2006年 水グモもんもん(原作・脚本)

  • 2006年 星をかった日(脚本)

  • 2006年 やどさがし(原作・脚本)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)

  • 1978年 未来少年コナン

  • 1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
    第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
    第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)

  • 1985年 名探偵ホームズ
    第3話「小さなマーサの大事件!?」
    第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
    第5話「青い紅玉」
    第9話「海底の財宝」
    第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
    第11話「ねらわれた巨大貯金箱」


    [ 参加作品 ]




    [ 劇場用アニメーション映画 ]


  • 1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)

  • 1968年 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)

  • 1969年 長靴をはいた猫(原画)

  • 1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)

  • 1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)

  • 1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)

  • 1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)

  • 1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)

  • 1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)

  • 2002年 猫の恩返し(企画)

  • 2006年 ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記(原案)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1969年 ひみつのアッコちゃん(原画)

  • 1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)

  • 1973年 侍ジャイアンツ(原画)

  • 1974年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)

  • 1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)

  • 1977年 あらいぐまラスカル(原画)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1〜15話まで)



    その他の作品




    [漫画・絵物語など]


  • 長靴をはいた猫

  • 砂漠の民(秋津三朗名義)

  • どうぶつ宝島

  • 妹へ(「宮?駿・大塚康生の世界」に収録)

  • 風の谷のナウシカ(全七巻)

  • 宮?駿イメージボード集

  • シュナの旅

  • 「風の谷のナウシカ」−宮?駿水彩画集

  • 宮?駿の雑想ノート

  • 飛行艇時代

  • 泥まみれの虎 宮?駿の妄想ノート

  • ハンスの帰還

  • (ロバート・ウェストール・作、宮?駿・編、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃機』 (児童書) 岩波書店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
    「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加えて、宮?の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併録。


    [デザインワーク]


  • TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」

  • TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」

  • 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船

  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」

  • 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」

  • 三鷹の森ジブリ美術館

  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」

  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」

  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」

  • 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
    1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリ社長・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。

  • 日本テレビ放送網|日本テレビ社屋外壁の大からくり時計「日テレ大時計」

  • 広島県福山市鞆町の「竜馬の宿」


    [作詞]


  • 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)

  • 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)

  • 『となりのトトロ (楽曲)|となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)

  • 『カントリー・ロード』(日本語訳詞の補作)(『耳をすませば』エンディング)

  • 『もののけ姫』(『もののけ姫』主題歌)

  • 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
    『神々さま』
    『油屋』
    『さみしい さみしい』
    『白い竜』

  • 『お母さんの写真』(CMソング)

  • 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
    『崖の上のポニョ』(補作詞)(『崖の上のポニョ』主題歌)
    『いもうと達』
    『ポニョの子守唄』
    『ひまわりの家の輪舞曲』


    [著書(対談・インタビューなど)]


  • 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集)

  • 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談集)

  • 『トトロの住む家』(画文集)

  • 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集)

  • 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談集)

  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)

  • 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談)

  • 『教育について』(共著、インタビュー集)


    [表紙イラストなど]


  • 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ著、新潮社、東京創元社)

  • 『夜間飛行』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)

  • 『人間の土地』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)

  • 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・ケイス・チェスタートン著、春秋社)



    絵コンテ集




    [劇場用アニメーション映画]


  • パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)

  • 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)

  • となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)

  • 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)

  • 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)

  • 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)

  • もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)

  • 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)

  • ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)



    [テレビアニメーション]


  • ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)



    幻の作品一覧

    宮?駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。

  • 長くつ下のピッピ(1971年ころ。アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品、宮崎らAプロダクションのスタッフたちはスウェーデンまでロケハンに行ったが原作者から映画化の承諾を得られなかった。そのイメージは後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便」で活かされている。)

  • ユキの太陽(ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。)

  • もののけ姫(1980年ころ。『美女と野獣』&戦国時代をモチーフとしているが、1997年に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通なだけで、物語もデザインも全く異なる作品である。イメージボードは1993年にスタジオジブリ(後に徳間書店)から大型絵本として出版されている。)

  • ロルフ(1981年ころ。リチャード・コーベン原作のアングラコミック。イメージボードが作成されている。舞台設定やデザインは『風の谷のナウシカ』の原型とも言える作品)

  • 戦国魔城(1981年ころ。日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。イメージボードが作成されている。)

  • NEMO(1981-1982年。ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』の企画にテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初からかかわって大量のイメージボードを作成していたが、制作発表前に降板して退社。フリーになっている。映画自体は1989年に公開されている。)

  • 風の谷の一日(1983年ころ。ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎が提案したが、最終的に映画化されることになる)

  • アンカー(1980年代半ば。夢枕獏との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督押井守、プロデューサー高畑勲で検討されるが、企画段階で中止される。)

  • 突撃!アイアンポーク(1985年ころ。「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。)

  • 大東京物語(ふくやまけいこの漫画)

  • 墨攻(古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説)

  • 東京汚穢合戦(宮?が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。)

  • ゴチャガチャ通りのリナ(柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』)

  • 煙突描きのリン(震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となった。)

  • 毛虫のボロ(長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界はどう見えるか」という企画。「もののけ姫」の前にボツになったが、後に『水グモもんもん』として実現した。)

  • 旅のラゴス(筒井康隆原作のSFファンタジー小説)

  • ジョナサンと宇宙クジラ(ロバート・F・ヤングのSF小説)



    脚注




    関連項目





    参考文献




    [関連書籍]


  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)(ISBN 4-19-554639-7)

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)(ISBN 4-19-861047-9)

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)(ISBN 4-19-861361-3)

  • 大泉実成『宮?駿の原点 母と子の物語』(潮出版社、2002年)(ISBN 4-267-01653-4)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)(ISBN 4-19-861890-9)

  • 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(オークラ出版、2004年)(ISBN 4-7755-0480-0)

  • 鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005年)(ISBN 4-8356-1540-9)

  • 叶精二『宮?駿全書』(フィルムアート社、2006年)(ISBN 4845906872)


    [関連DVD]


  • 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ブエナビスタ (ウォルト・ディズニー・カンパニー)|ブエナビスタホームエンターテイメント、2001年)

  • 『柳川堀割物語』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『ジョン・ラセター|ラセターさんありがとう』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『世界・わが心の旅 (2巻セット)』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 『宮?駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 『宮?駿とジブリ美術館』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2005年)



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • GhibliWorld.com(英語)

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所

  • くろねこ亭

  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)

  • Nausicaa.net (英語)

  • Online Ghibli (英語)

  • 吉卜力之宮?作品倶楽部 (中国語)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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