2008年06月30日

映画監督[田中絹代]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
田中絹代



・山口県
| 国籍 = 日本
| 民族 =
| 血液型 =
| 生年 = 1909
| 生月 = 12
| 生日 = 29
| 没年 = 1977
| 没月 = 3
| 没日 = 21
| 職業 = 俳優、映画監督
| ジャンル = 映画
| 活動期間 = 1924年-1977年
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 公式サイト = 田中絹代の部屋
| 主な作品 = 愛染かつら、西鶴一代女
| アカデミー賞 =
| アリエル賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| エミー賞 =
| グラミー賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
| ジェミニ賞 =
| ジニー賞 =
| セザール賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| フィルムフェア賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| その他の賞 =ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞
1974年『サンダカン八番娼館 望郷』
| 備考 =
}}田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優・映画監督。黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画が世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)の全てで受賞しており、三冠を達成している(下記参照)。また、日本で二人目の女性映画監督でもある。



出生・下関から大阪へ

山口県下関市丸山町に父・田中久米吉、母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。母ヤスの実家小林家は下関で代々続く大地主の商家で、久米吉はそこの大番頭であった。二人は結婚して独立し、呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年(明治45)1月、久米吉が病死。その後母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。1916年(大正5)絹代は下関市立王江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。この年20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで田中一家は後ろ指を指されることになり、そのことが一家の経済事情を更に悪くした。翌1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。更に翌1918年4月、絹代は天王寺尋常小学校の三年に編入し、以後大阪で育つことになる。



戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の少女歌劇|琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



戦後〜演技派スター・女性監督へ

終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督。日本で二人目の女性監督の誕生であったが、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下惠介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ぁ 1$k0lJ}!"1970年の『樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役や連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。1974年に主演した熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去、。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

死後、勲三等瑞宝章が授与された。同年3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。法名 (浄土真宗)|法名は、迦陵院釋絹芳。墓所は神奈川県鎌倉市の円覚寺にある。



没後の顕彰

1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶應義塾大学|慶應野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。



代表作



[おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 真珠夫人(1927年、池田義信)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • マダムと女房(1931年、五所平之助)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1938年、野村浩将)

  • 暁に祈る(1940年、佐々木康)

  • 簪 (映画)|簪(1941年、清水宏)

  • 陸軍 (映画)|陸軍(1944年、木下惠介)

  • 結婚(1947年、木下惠介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下惠介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 武蔵野夫人(1951年、溝口健二)

  • 西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 安宅家の人々(1952年、久松静児)

  • 雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品。1953年、溝口健二)

  • 煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助)

  • 山椒大夫(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 流れる(1956年、成瀬巳喜男)

  • 黄色いからす(第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎)

  • 異母兄弟(1957年、家城巳代治)

  • 楢山節考(1958年、木下惠介)

  • 彼岸花 EQUINOX FLOWER (1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下惠介)

  • おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑)

  • 放浪記(1962年、成瀬巳喜男)

  • 赤ひげ(ヴェネチア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)受賞作品。1974年、熊井啓)

  • 北の岬(1976年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家 (テレビドラマ)|女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年):主人公の母親役

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年、連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1961年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 有森也実(1986年・映画『キネマの天地』)※役名は、田中小春

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会
     
    神奈川県逗子市にあった自宅敷地は「絹代御殿」と呼ばれるほどの風格ある建築物だった(元は政治家の別宅)。田中の没後も料亭として建物を保存していたが、店舗閉店後にみのもんたが買収し、解体された。



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代


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    2008年06月28日

    映画監督[和田誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    和田誠




    和田 誠(わだ まこと、1936年4月10日 - )は、大阪府生まれのイラストレーター、エッセイスト、映画監督。




    人物

    東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現デザイン)科卒業。1959年に広告制作プロダクション、ライトパブリシティに入社。同社を退社した1968年より、フリーのグラフィックデザイナー|デザイナー、イラストレーターとして活躍する。代表作として、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインがあまりにも有名。
    この他、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルや「週刊文春」の表紙も一般的には広く知られている。星新一著作の挿絵も多数手がける。星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹『アフターダーク』など、書籍のブックデザインも多く手がけているが、和田は普通カバー裏に直接印刷されているバーコードを嫌っているため、彼の作品にはISBNの数字のみが記載される。その際バーコードは帯#印刷・出版における帯|帯につけられていることが多い。本業のデザインのほかにも、作詞・作曲から、パロディ小説執筆、翻訳まで幅広い分野で活動。特に映画ファンとして有名で、「お楽しみはこれからだ」をはじめとするエッセイ集がある。一方で小泉今日子主演で知られる『怪盗ルビィ』などの映画監督を手掛けたりと、監督としての評価も高い。また、1960年に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成して草月ホールで定期的に上映会を行っていた際には、和田も横尾忠則や手塚治虫らとともに参加し、個人で制作したアニメーションを上映した。父は築地小劇場の創立者の一人で、のち、ラジオドラマを多数演出し\xA1 !V%i%8%*$N?@MM!W$H8F$P$l$?OBED@:!#IW?M$ONAM}0&9%2H!&%7%c%s%=%s2N


    受賞歴


  • 1958年:『夜のマルグリット』のポスターにより日本宣伝美術会賞受賞。

  • 1960年:タバコ|たばこの「ハイライト」のデザイン・コンペに入賞。

  • 1964年:短編アニメ映画『殺人 MURDER』により毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞。

  • 1969年:似顔絵その他で文藝春秋漫画賞受賞。

  • 1974年:似顔絵集『PEOPLE』で講談社出版文化賞(ブックデザイン部門)受賞。

  • 1981年:講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。

  • 1982年:『ビギン・ザ・ビギン』で角川書店日本ノンフィクション賞受賞。

  • 1984年:映画『麻雀放浪記』で報知映画賞新人賞受賞。

  • 1989年:映画『怪盗ルビイ』でブルーリボン賞受賞。

  • 1993年:『銀座界隈ドキドキの日々』で講談社エッセイ賞受賞。

  • 1994年:幅広い活躍により菊池寛賞受賞。



    挿絵・著作一覧


  • きまぐれロボット

  • ポスターランド

  • 倫敦巴里

  • いつか聴いた歌

  • 金田一耕助の冒険

  • 真説 金田一耕助

  • 冷蔵庫より愛をこめて

  • ナポレオン狂

  • 深夜の散歩−ミステリの愉しみ−

  • 探偵たちよ、スパイたちよ

  • 和田誠百貨店

  • ことばのこばこ

  • デザイン街路図

  • 装丁物語

  • お楽しみはこれからだ Part 1-7

  • シネマッド・カクテルパーティ

  • 新人監督日記

  • 銀座界隈ドキドキの日々

  • たかが映画じゃないか

  • それはまた別の話

  • これもまた別の話

  • 時間旅行

  • 今日も映画日和

  • 指からウロコ

  • 物語の旅

  • パイがいっぱい

  • 気まずい二人

  • ぼくは王さま、ノコ星ノコくん
    :王さまシリーズの挿絵は一冊目のみ。その後は和歌山静子に交代している。和田は寺村の同級生の教え子にあたる。


    [ 翻訳 ]


  • オフ・オフ・マザー・グース

  • ロビン・フッドに鉛の玉を

  • 虹の彼方の殺人

  • 劇団四季ミュージカル『クレイジー・フォー・ユー』訳詞


    [ フィルモグラフィー ]


  • 殺人 MURDER(1964年) 制作・監督・作画

  • パンパの活躍(1970年) 美術・アニメーション

  • 恋の大冒険(1970年) 美術

  • 麻雀放浪記#映画 麻雀放浪記|麻雀放浪記(1984年) 監督

  • 快盗ルビイ(1988年) 監督・脚本 「快盗ルビイ (シングル)|快盗ルビイ」の作詞もした

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年) 製作・監督・作曲

  • 怖がる人々(1994年) 監督・脚本

  • しずかなあやしい午後に(第一話 ガクの絵本)(1997年) 監督・脚本

  • 真夜中まで(1999年) 監督・脚本

  • みんなのいえ(2001年) 出演



    関連文献


  • 12人のグラフィックデザイナー(第2集)・美術出版社編集部編・美術出版社・1977年([http://www.booksrepublic.com/art-22detail.html])

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    2008年06月26日

    映画監督[柳下毅一郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    柳下毅一郎



    柳下 毅一郎(やなした きいちろう、1963年 - )は翻訳家、映画評論家、殺人研究家。自称「特殊翻訳家」(後述)。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科非常勤講師(映像芸術論)。大阪府生まれ。甲陽学院中学校・高等学校から東京大学理科一類を経て東京大学工学部建築学科卒業。「ガース柳下」や「曲守彦」のペンネーム|筆名を使うこともある。ただし「曲守彦」は、宝島社勤務時代に使った名前で、現在は使用されない。町山智浩と共に仕事をするときは「ガース柳下」「ウェイン町山」の「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」を名乗ることが多い。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。妻は、サイレント映画・伴奏者の、ピアニスト柳下美恵。東京大学在学中は、山形浩生とともに、「東京大学SF研究会」に属し、共同でウィリアム・バロウズについての研究ファンジン「バロウズ本」を作成した。卒業後、雑誌『宝島』の編集者をへて、フリーに。映画評論コンビの町山智浩とは、『宝\xA1 Eg!YJT=8It;~Be$NF1N=$G$"$C$?!#!VFCN$7$?:,K\7I$+$i1F6A$rN$G$"$k!#O"B3;&?M!"ND4q;&?M!"1G2h!"3$30%5%$%(%s%9!&%U%#%/%7%g%s|SF及びそれに隣接する海外前衛文学(コミック含む)等に造詣が深く、各分野で評論・エッセイを書いている。最愛の作家は、ともに異端のSF作家である、J・G・バラードとR・A・ラファティ。映画評論家としての仕事は、「映画秘宝」を中心に活動しており、ピンク映画やドキュメンタリー映画など一般の評論家がみない映画を積極的に見る一方、邦画・洋画問わず「駄目な大作映画」も見て「どこがどのように駄目か」評論するなどしている。また、著書『興行師たちの映画史』は、「見世物」としての映画を、製作する側の「見世物師としての映画作家たち(=興行師)」の側から論じた、画期的な映画史である。なお、唐沢俊一が著書『裏モノの神様』で、「送ってもらった柳下毅一郎氏の鬼畜映画エッセァ $!X0&$O;`$h$jNd$?$$!Y!D!D=q$-9~$^$l$F$$$k:`NA$OL5Cc6lCc$K$$$$$! /$;$K!"J 8>O$,AjJQ$o$i$:2<Z5r$8$c$J$$$+!#%*%l$ON"%b%N$H$+54C\7O$J$s$>$HL>>h$C$?$3$H$O0lEY$b$J$$!#@N$+$i$:$C$HJ83X


    著書


  • 『世界殺人鬼百選/Ultimate Murder File』(ぶんか社、1996.9)(ガース柳下名義)

  • 『世界殺人ツアー 殺人現場の誘惑』(原書房、1998.2)→文庫化にあたって改題『殺人マニア宣言』(ちくま文庫、2003.9)

  • 『愛は死より冷たい 映画嫌いのための映画の本』(洋泉社、1998.9)

  • 『コンプリート・チャールズ・マンソン チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』 (コアマガジン、1999.10)(共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』(洋泉社、1999.1)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社、2002.5)(町山智浩と共著)

  • 『シー・ユー・ネクスト・サタデイ 完全収録『激殺!映画ザンマイ』』(ぴあ、2003.10)

  • 『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』(青土社、2003.12)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判 2』(洋泉社、2004.9)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バ−カ−・ボ−イズの映画欠席裁判 3』(洋泉社 2007.3)(町山智浩と共著)

  • 『シネマ・ハント ハリウッドがつまらなくなった101の理由』(エスクァイアマガジンジャパン 2007.12)



    編書


  • 『ティム・バートン 期待の映像作家シリーズ』(キネマ旬報社、2000.3)

  • 『実録殺人映画ロードマップ』(洋泉社、2004.4)



    監修書


  • 『実録!マーダー・ウォッチャー 2005summer issue』(洋泉社、2005.7)

  • 『女優・林由美香』(洋泉社、2006.10)(編集は、直井卓俊、林田義行)

  • 『凶悪犯罪の歴史』(ぶんか社文庫 2008.2)

  • 『明治・大正・昭和・平成 実録殺人事件がわかる本』(洋泉社、2008.6)



    訳書


  • ウィリアム・S・バロウズ『おかま』(ペヨトル工房、1988)(山形浩生と共訳)

  • J・G・バラード『クラッシュ』(ペヨトル工房、1992)

  • フランク・リシャンドロ『ジム・モリスン/幻の世界』(JICC出版局、1992.4)

  • モリッシー/ジョン・ロバートスン『クイーン・イズ・デッド モリッシー発言集』(JICC出版局、1992.9)

  • ジョン・スラデック『遊星よりの昆虫軍X』(ハヤカワ文庫、1992.12)

  • ウィリアム・S・バロウズ『おぼえていないときもある』(ペヨトル工房、1993)(浅倉久志ほかと共訳)

  • ジョン・レチー『ラッシュ』(白夜書房、1993.5)

  • ジェームス・ヤング『ニコ ラスト・ボヘミアン』(宝島社、1993.5)

  • ギデオン・サムズ『ザ・パンク』(PSC、1994.12)

  • デヴィッド・ブレスキン『インナーヴューズ 映画作家は語る』(大栄出版、1994.12)

  • ハロルド・シェクター『オリジナル・サイコ 異常殺人者エド・ゲインの素顔』(ハヤカワ文庫、1995.2)

  • ブルース・ワグナー『バド・ウィギンズ氏のおかしな人生(上・下)』(扶桑社文庫、1995.9)

  • ルベン・マルティネス『すべてのリズムで踊れ LAラティーノの鳴動』(白水社、1996.2)

  • キャサリン・ダン『異形の愛』(ペヨトル工房、1996.7)

  • J・C・ハーツ『インターネット中毒者の告白』 (草思社、1996.11)(大森望と共訳)

  • オリヴァー・サイリャックス『世界犯罪百科全書』(原書房、1996.12)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、1997.10)

  • マイケル・マッカラーズ『オースティン・パワーズ』(青山出版社、1998.5)

  • ブライアン・マスターズ『ジェフリー・ダーマー死体しか愛せなかった男』(原書房、1999.3)

  • デレク・A・スミシー『コリン・マッケンジー物語』(パンドラ、1999.10)

  • クリストファー・プリースト『イグジステンズ』(竹書房文庫、2000.4)

  • サイモン・クーパー『サッカーの敵』(白水社、2001.3)

  • ニール・ゲイマン『ネバーウェア』 (インターブックス、2001.7)

  • ジェームズ・エリソン『パニック・ルーム』(ヴィレッジブックス、2002.3)

  • R.v.クラフト=エビング著『クラフト=エビング変態性慾ノ心理』 (原書房、2002.7)

  • ロバート・クラム『ロバート・クラムBEST―Robert Crumb’s troubles with women』 (河出書房新社、2002.7)

  • R・A・ラファティ『地球礁』(河出書房新社、2002.10)

  • フィリップ・ゴーレイヴィッチ『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実(上・下)』(WAVE出版、2003.6)

  • スティーヴン・ピジック『アイデンティティー』(ヴィレッジブックス、2003.10)

  • ウィリアム・S・バロウズ『ソフトマシーン』(河出文庫、2004.6)(山形浩生と共訳)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、2004.6)

  • ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(国書刊行会、2004.7)

  • サイモン・クーパー『アヤックスの戦争 第二次世界大戦と欧州サッカー』(白水社、2005.2)

  • デニス・オニール『バットマンビギンズ』(SB文庫、2005.6)

  • シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社、2005.6)(大森望編、大森望、伊藤典夫と共訳)

  • R・A・ラファティ『宇宙舟歌』(国書刊行会、2005.10)

  • ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会、2006.2)(浅倉久志、伊藤典夫と共訳)

  • マット・ウェイランド、ショーン・ウィルシー編『世界の作家32人によるワールドカップ教室』(白水社、2006.5)(越川芳明と共監訳)

  • ブライアン・オールディス『ブラザ-ズ・オブ・ザ・ヘッド』(河出文庫 2007.1)

  • ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』(河出書房新社 2008.2)(編集を担当。大森望らと共訳)



    外部リンク

    Kiichiro Yanasita's Murderous Page - 本人による公式ホームページ


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    2008年06月25日

    映画監督[高畑勲]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    高畑勲



    高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部フランス文学|仏文科卒業。紫綬褒章受賞。日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家で、「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの演出で知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。



    人物・概要

    岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長・土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎を父に持ち[http://www.pref.okayama.jp/soshiki/detail.html?lif_id=1778]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《''Paroles''》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。また、フランスの長編アニメーション映画「キリクと魔女」日本語版の字幕翻訳・演出、さらに原作本の翻訳も手がけている。同じくフランスの長編アニメーション映画「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。アニメ業界に入るきっかけは、海外の長編アニメ「やぶにらみの暴君」\xA1 $K46LC$7$?$+$i$G!"Bg3XB46H8e$KEl1GF02h$KF~/G/%1%s!W$G1i=P%G%S%e!


    略歴


  • 1935年10月29日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。

  • 1938年、三重県津市に転居。

  • 1942年、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学。

  • 1943年、父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入。卒業後、岡山大学付属中学校に進学し卒業。

  • 1954年、岡山県立朝日高校を卒業、東京大学教養学部に入学。

  • 1956年4月、東京大学文学部仏文科に進級。

  • 1959年3月、東京大学卒業。4月、東映動画に演出助手として入社。「安寿と厨子王丸」「鉄ものがたり」「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「新・ゲゲゲの鬼太郎」「アパッチ野球軍」などに参加。東映動画労働組合での組合運動を通じ宮崎駿と親交を深める。

  • 1971年6月10日、宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)へ移籍。「ルパン三世」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」に参加。

  • 1973年、宮崎駿、小田部羊一と共に瑞鷹 (アニメ製作会社)|ズイヨー映像(現日本アニメーション)へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などに参加。

  • 1978年、宮崎駿の「未来少年コナン」に(絵コンテ)参加。

  • 1979年、 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン演出。

  • 1981年、 テレコム・アニメーションフィルムへ移籍。「じゃりン子チエ」(脚本・監督)公開。

  • 1982年、「セロ弾きのゴーシュ」(脚本・監督)公開。

  • 1983年、「リトル・ニモ」の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板。

  • 1984年、「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)公開。

  • 1985年、 スタジオジブリ設立に参画。

  • 1986年、「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)公開。

  • 1987年、「柳川堀割物語」(脚本・監督)公開。

  • 1988年、「火垂るの墓」(脚本・監督)公開。

  • 1989年、「魔女の宅急便」(音楽演出)公開。

  • 1991年、「おもひでぽろぽろ」(脚本・監督)公開。

  • 1994年、「平成狸合戦ぽんぽこ」(原作・脚本・監督)公開。

  • 1998年、1998年秋の紫綬褒章を授章。

  • 1999年、「ホーホケキョとなりの山田くん」(脚本・監督)公開。



    宮崎駿との関係

    アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年共に作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は大きいと言われている。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えたと言われている。但し、現在は二人の作風や思想に埋めがたい溝があり、二人三脚で作品を作ることはなくなっている。(作風の違いについては宮崎駿の項参照)高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。(こどもの城(渋谷)での講演より)
    とはいっても、今でも互いの才能は認めている。例えば、高畑は「となりのトトロ」を、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。他方宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、千と千尋の神隠しの制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為である。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである。



    仕事
    緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描けず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランぁ rE83+$5$;!"$=$l$r:n2h5;=Q$r;}$D%9%?%C%U$,3(%3%s%F$K$^$H$a$k$H$$$&7A<0$r$H$C$F$$$kただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。。しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。

    スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。



    手がけた主要作品


  • 1962年 鉄ものがたり (演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)

  • 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)

  • 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)

  • 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)

  • 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)

  • 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (演出)

  • 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗

  • 1971年 ルパン三世 (演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)

  • 1972年 パンダコパンダ (監督)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 (監督)

  • 1974年、1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ (演出)

  • 1976年、1980年 母をたずねて三千里 (演出)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン (演出・脚本)

  • 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版

  • 1981年、1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版

  • 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)

  • 1982年 リトル・ニモ|ニモ/NEMO (日本側演出) ※1983年3月12日に降板

  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)

  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)

  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)

  • 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)

  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)

  • 1999年 ののちゃん#ホーホケキョ となりの山田くん|ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)



    賞歴


  • 1998年 紫綬褒章を受章。

  • 2007年 第12回アニメーション神戸賞・特別賞を受賞。



    著書




    [単著]


  • 『ホルスの映像表現』(ISBN 4196695140)

  • 『映画を作りながら考えたこと』(ISBN 4195546397)

  • 『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(ISBN 4198609713)

  • 『木を植えた男を読む』(ISBN 4193642798)

  • 『話の話―映像詩の世界』(ISBN 4196695248)

  • 『漫画映画の志―「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店,2007年 ISBN 4000220373)


    [共著]


  • (宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ)『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社,1988年,ISBN 4106019566)


    [訳書]


  • ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』(ISBN 4198616906) 翻訳

  • ジャック・プレヴェール『ことばたち』(ぴあ,2004年 ISBN 4835609603)翻訳

  • ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』(ぴあ,2006年,奈良美智絵,ISBN 4835616359) 編・訳



    関連書籍


  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)



    脚注





    関連項目


  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • スタジオジブリ



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • GhibliWorld.com(英語)

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所


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    2008年06月24日

    映画監督[小津安二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業には出なかったため、不良学生として寄宿舎から追放。


    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗したが、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたり、マンドリンを弾いたりして慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高梧との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。



    作風




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィクスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない、すなわち切り返しのショットにおいてイマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘されている。この指摘は小津の生前から数多くなされていたが、小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。こうした映画文法の意図的な違反が、独特の時間感覚とともに作品にポジティヴな違和感を生じさせており、特に海外の映画評論家から評価を得ている。


    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下惠介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。


    [国際的な支持]

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、成瀬巳喜男、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(大韓民国|韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。※1953年までの作品は著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎

  • 小津安二郎のお墓


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    2008年06月23日

    映画監督[浜村淳]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    浜村淳




    浜村 淳(はまむら じゅん・JUN HAMAMURA、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ|パーソナリティ、映画評論|映画評論家、司会者。本名塩浜 真(しおはま まこと)。なお芸名の「淳」の読み方の一つに「まこと」と言う読み方がある。京都府出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。毎日放送|MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」のパーソナリティを35年以上担当している。所属芸能事務所|事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクションである。



    来歴・人物

    「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)等のフレーズと、独特の「浜村節」でお馴染み。関西地方で毎朝流れるラジオ番組、毎日放送|MBSの「ありがとう浜村淳です」の司会を1974年から続けており、朝の8時からほとんどCM無しで喋り続け、驚異的な聴取率を誇っている。1980年代からは大平サブローが緻密なものまねを披露しており、人気を得ている。浜村の物真似の定番は、スパンコールで派手な1970年代を思わせるジャケットに、派手な装飾の色眼鏡(決してサングラスではない)に、色カツラである。また映画解説でも水野晴郎の様に高い評価を得ている。浜村の映画解説は独特で、映画の内容を詳細にわたって熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうほど勢いのある物である。これから映画を観ようとする人にとって「観る前にストーリーを明かされた」と思わせるほど、ストーリーを理解している。アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れるなどの特徴がある。\xA1 2r@b$O$"$i$+$8$aMQ0U$5$l$?BfK\$J$I$rFI$s$G$$$k$N$G$O$J$/!"40A4$J%"%I%j%V$G$"$k!#$5$i$K!"1G2h$N%Q%s%U%l%C%H1枚見ただけでも長い時間話せる技も持っている。これらのことから浜村の映画解説は映画ファンのみならず多くのラジオファンからも熱烈に支持されている。それは通常の解説の域を越え、ひとつの芸と見なされてコンパクトディスク|CD化もなされている。新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しや連呼が使われ(「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」等)、捲くし立てる様に連呼の後に「…と、いうような」と、緩急のつけ方も巧い。そのとき出てくる言葉にちなんだネタ(映画に関するものが多い)が出てくるなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使して「遠回りしながら」の解説が多く、「○○でしょうか?いえ、そんな事はありません!」等という反語的言い回しも多用する。映画に極めて詳しい一方で芸能関係では、年配の芸能人には詳しいが若手芸能人には詳細に踏み込まず、知識不足を露呈することがある。上岡龍太郎の喋りの師としても知られる。ディベートの巧みさに関しても筆舌に尽くしがたい技\xA1 =Q$r;}$C$F$$$k!#$+$D$F!V:G8e$NHU;A_(テレビ番組)|最\xA1 8e$NHU;A !W$H$$$&%F%l%SHVAH$G!"=P1i$N=P1iCO0h$G;E;v$r$7$F$$$J$$!#:#$G$b4X@>$N8E$$%P%s%I%^%s!&%7%s%,!<$+$i$O!"K\L>$r$b$8$C$?!V$^$3%A%c%s!W$H8F$P$l$k$3$H$,$"$k!#OBED%"%-;R$H$O%P%s%I2<@Q$_;~Be$+$i$N?F8r$,$"$j!"!VOBED%"%-;R!W$H8F$S/$J$$7]G=?M$G$"$k!JOBED$b!V$^$3%A%c%s!W$H8F$s$G$$$k!K!#!V?M$KG/Np$r?R$M$k$N$OL5?h!W$H$N%]%j%7!<$+$i!"?M$KG/Np$rJ9$+$J$$$HF1;~$K<+$i$NG/Np$K$D$$$F$b?J$s$G$O8l$i$J$$!#%i%8%*$GG/Np$r8@$&$H$-$O7h$^$C$F38歳である。人から年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」とだけ答える。相手がなおも「アラン・ドロンっていくつでしたっけ」と聞いてくる場合は、「私と同じです」と答えるのである。2006年、徳川夢声市民賞を受賞。授賞式と記念講演は同年12月10日に島根県益田市で行われた。



    作品




    [ アルバム ]


  • 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)

  • 甦る心の名画座(2004年)



    出演




    [ テレビ番組 ]


  • ゲーム・ホントにホント?(1975年〜1981年、日本放送協会|NHK レギュラーパネリスト)

  • 浜村淳の人・街・夢(関西テレビ放送|KTV)

  • かんさい珍版・瓦版(MBS)

  • 上方漫才まつり(MBS)

  • シェフにおまかせ!(1981年〜1983年、MBS)

  • イカにもスミにも(1987年〜1990年、MBS)

  • 最後の晩餐 (テレビ番組)|最後の晩餐(2000年〜2002年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • 2時のワイドショー(1979年〜1992年、よみうりテレビ)

  • 浜村淳の大阪夢散歩(KTV)

  • 全日本有線放送大賞(1968年〜1991年、よみうりテレビ)

  • クイズおもしろ駅サイティング(1986年〜1988年、サンテレビジョン|サンテレビ)

  • 夕やけニャンニャン(1985年〜1987年、フジテレビ)

  • また又・三匹が斬る!(1991年4月 - 9月放送)〜新・三匹が斬る!(1992年7月 - 1993年2月放送)ナレーター、また又・三匹が斬る!の1話に出演。仁兵衛役 (テレビ朝日)

  • 映画へようこそ・解説(MBS)

  • 健康手帖(テレビ大阪|TVO)

  • ママの番組デス!!(MBS)

  • 全日本歌謡選手権(よみうりテレビ)

  • ワイドABCDE〜す(朝日放送|ABC)

  • アップダウンクイズ(MBS) 10問正解・ハワイ旅行を達成している

  • パネルクイズ アタック25(ABC)パリ旅行を達成している


    [ ラジオ ]


  • ヒットでヒット!バチョンと行こう→サタデーバチョン(1970年〜1991年、ラジオ大阪|OBC)

  • ありがとう浜村淳です(1974年〜、MBSラジオ|MBS)

  • ありがとう浜村淳です土曜日です(1974年〜、MBS)

  • 浜村淳の日曜夢語り(〜2006年3月、MBS)

  • 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4〜9月、MBS)

  • 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月〜MBS)

  • かんさい土曜ほっとタイム(1995年〜、日本放送協会|NHK、第4土曜日のみ出演)

  • お待たせしました 浜村淳です! (TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBS)

  • 古今東西!浜村淳 (TBS)

  • ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム(TBS)
    :金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。

  • MBSヤングタウン|ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年〜1992年、MBS)

  • 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク


    [ 映画 ]


  • 続・新悪名(1962年)のど自慢の司会役 渡辺プロ所属時代の唯一の表舞台であった。

  • GREEN BOY グリーンボーイ(1989年)

  • 風、スローダウン(1991年)踏切の男

  • ビリケン(1996年シネカノン)

  • PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演

  • 大阪物語(1999年)

  • かぞくのひけつ(2006年シマフィルム)性病科の医師役


    [ CD ]


  • 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)

  • ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)

  • ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)


    [ CM ]


  • 恩地食品 「あ〜おんちかった(あ〜おいしかった)」のフレーズで有名。

  • リクルート 週刊就職情報

  • イズミヤ

  • 広東料理ハマムラ

  • ニンテンドー64用ソフト ゴールデンアイ 007

  • 原子力発電推進PR

  • メナード青山リゾート



    書籍


  • 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)

  • 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)

  • 星影の飛鳥(1989年、羊書桝f人社])

  • 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)

  • 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ[青心社])

  • 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)

  • さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)



    ゲーム


  • 大幽霊屋敷(だいおばけやしき)〜浜村淳の実話怪談〜(プレイステーション、1998年、ヴィジット)



    備考


  • 芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。

  • ユニバーサルスタジオジャパンがオープンしたとき、関西では「浜村淳は連れて行かない」というテレビCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが、「何でですねん?」と問い返すという内容)。オープン後、彼が初めてUSJに行く模様が毎日放送テレビのバラエティ番組で実況中継された。CMに関してはあくまでも演出である。

  • 毎日放送の映画劇場にて「マイク・ザ・ウィザード」の解説を行った際、浜村は「それではアメリカの、お金のかかった凄い凄いSFXをたっぷりとご覧いただきましょう。」と言っている。しかしこの映画は監督のマイク・ジトロフによるホームメイドテイスト溢れる自主映画に近い存在の作品で、SFXは古典的なコマ撮りをメインにした内容。この事から分かるように解説をしている作品全てを浜村が見ている訳ではなく、ラジオなどで解説した内容と、実際の映画の内容が違うということはよくある。

  • 嫌いな映画として、バットマンを挙げている。“背景も暗ければ、ストーリーも暗いから"であると言う。



    外部リンク


  • 昭和プロダクション(所属事務所のホームページ)

  • MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」

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    2008年06月22日

    映画監督[行定勲]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    行定勲



    行定 勲(ゆきさだ いさお、1968年8月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県出身。熊本県立第二高等学校普通科卒業。東放学園|東放学園専門学校在学中より制作会社へ入社。



    来歴・人物

    岩井俊二監督のTVドラマ(『GHOST SOUP』・『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』:共にフジテレビジョン|フジテレビ)の助監督、林海象監督のインディーズ系映画の助監督等を経て、岩井俊二監督の劇場映画「『Love Letter』(1995年、ヘラルド・エース)・『スワロウテイル』(1996年、日本ヘラルド)等に助監督として参加。『OPEN HOUSE』(1997年、松竹)で長編映画初監督(第2回みちのく国際ミステリー映画祭 in 盛岡で新人監督奨励賞グランプリ)。当時松竹のプロデューサーだった奥山和由氏の解任騒動で、劇場での上映 ( 盛岡フォーラム1 ) はこの映画祭のみだった。しかし、行定勲の初監督作品という事で2003年末にシネ・リーブル池袋などで公開された。この頃から一部業界関係者からはポスト岩井の呼び声も高く、注目され始める。その後『OPEN HOUSE』を観たプロデューサーから映画監督の依頼があり、『ひまわり』(第5回釜山国際映画祭批評家連盟賞)で拭 k$K7`>l8x3+4FFD%G%S%e!行定勲」をスタートさせた。http://www.fmk.fm/kantoku/



    監督作品




    [ 映画 ]


  • OPEN HOUSE(1997年、兼脚本)

  • 閉じる日(2000年、兼脚本)

  • ひまわり (2000年の映画)|ひまわり(2000年、兼脚本)

  • えんがわの犬(2001年)

  • GO(小説)|GO(2001年)

  • 贅沢な骨(2001年、兼プロデューサー・脚本)

  • Jam Films(2002年、兼脚本)

  • 月に沈む(2002年、兼脚本)

  • ロックンロールミシン(2002年、兼脚本)

  • きょうのできごと a day on the planet(2003年、兼脚本)

  • セブンス アニバーサリー(2003年)

  • 北の零年(2004年)

  • 世界の中心で、愛をさけぶ(2004年、兼脚本)

  • 春の雪(2005年)

  • ショコラの見た世界(2006年)

  • ユビサキから世界を(2006年、兼脚本)

  • 遠くの空に消えた(2007年、兼脚本)

  • クローズド・ノート(2007年、兼脚本)


    [ テレビドラマ ]


  • カノン(2001年)

  • 私立探偵 濱マイク(2002年、兼脚本)

  • 恋する日曜日(ファーストシリーズ)(2003年)


    [ ウェブドラマ ]


  • 髪からはじまる物語(2005年、兼脚本)



    その他の作品




    [ 映画 ]


  • 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?(1993年) - 助監督

  • 我が人生最悪の時(1994年) - 助監督

  • 遥かな時代の階段を(1995年) - 助監督

  • Love Letter(1995年) - 助監督

  • スワロウテイル(1996年) - 助監督

  • 四月物語(1998年) - 助監督

  • Jam Films|Jam Films S(2004年) - プロデューサー・脚本


    [ テレビドラマ ]


  • GHOST SOUP(1992年) - 助監督


    [ OV ]


  • 毛ぼうし (1997年) - 助監督



    受賞歴


  • 日本アカデミー賞
    第25回最優秀監督賞(『GO (小説)|GO』)
    第28回優秀監督賞(『世界の中心で、愛をさけぶ』)
    第29回優秀監督賞(『北の零年』)

  • ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞
    第44回監督賞(『GO (小説)|GO』)

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    2008年06月21日

    映画監督[鈴木雅之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴木雅之



    鈴木 雅之(すずき まさゆき)は、日本の人名。* 江戸後期から明治期の国学者(1837年 - 1871年) → 鈴木雅之 (国学者)

  • 元ラッツ&スターの歌手(1956年 - ) → 鈴木雅之 (歌手)

  • フジテレビジョン|フジテレビに所属する演出家(1958年 - ) → 鈴木雅之 (演出家)

  • 声優 → 鈴木雅之 (声優)

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    2008年06月20日

    映画監督[伊藤大輔]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊藤大輔



    伊藤大輔(いとうだいすけ)* 伊藤大輔 (映画監督)(1898-1981)は、愛媛県出身の大正・昭和期の時代劇で有名な映画監督。

  • 伊藤大輔 (レーサー)(1975- )は、三重県出身のレーシングドライバー。

  • 伊藤大輔 (俳優)は、NHK教育製作のドラマ『虹色定期便』に出演していた子役。

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    2008年06月19日

    映画監督[北村龍平]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    北村龍平



    北村 龍平(きたむら りゅうへい、1969年5月30日 - )は、DGA(全米監督協会|全米映画TV監督組合)に所属する日本人映画監督。大阪生まれ。ハリウッドのエージェントはクリエイティブ・アーティスツ・エージェンシー(CAA)。東京都内に製作会社ナパーム・フィルムズを主宰。現在はロサンゼルス在住。



    経歴
    大阪の高校中退後、17歳でオーストラリアへ渡り、スクール・ オブ・ビジュアル・アーツ映画科に入学。卒業制作の短編映画『EXIT -イグジット-』が高い評価を受け、年間最優秀監督賞を受賞する。帰国後映画以外の職に就きながら1995年に映像集団ナパームフィルムズを結成、自主制作映画『DOWN TO HELL』が第1回インディーズムービー・フェスティバルでグランプリを受賞し、渡部篤郎主演で『ヒート・アフター・ダーク』を製作する。その後インディーズムービー・フェスティバルのスカラシップ作品ぁ H$7$F4FFD$7$?!XVERSUS (映画)|VERSUS -ヴァーサス-』で名を知られるようになる。その後『あずみ (映画)|あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』などの大作を監督する。そのビッグマウスと豪胆な風貌から国内の評価は分かれるが、海外での評価は高く『VERSUS -ヴァーサス-』はかのジャン=リュック・ゴダールも『アワーミュージック』(2004年)に引用したと述べている。『VERSUS -ヴァーサス-』でローマ国際ファンタスティック映画祭監督賞、『荒神』でブリュッセル国際ファンタスティック映画祭監督賞、『あずみ』でフィラデルフィア国際映画祭観客賞を受賞。



    評価・批評・興行価値
    *なお、北村作品は『あずみ』『ゴジラ FINAL WARS』など歴代の人気漫画・シリーズを手がける際、国内のファンから批判されるものも少なからず存在しており、「どこかで見たようなビジュアル」「本人のビッグマウスに作品の評価\xA1 $,$D$$$F9T$C$F$J$$!W$J$I$N2A$r2<$5$l$k;v$bB?$$!#
  • ストーリーと上映時間が合致しないのも、北村評では定番の見解。アクションだけの映画で2時間以上であるとか、無意味に長い上映時間も北村作品の興行価値を落としている要因と云われている。初期作品で上映時間を巡って映像編集の掛須秀一ともかなりの確執があったと、自身もDVDコメンタリで述べている。

  • 北村の作品『あずみ』(8億円)『ゴジラ FINAL WARS』(12.6億円)の2本が自身、最高興収部類に入るが、両作共、(主にコアなファンから)賛否両論、それ以上に否定的な意見も多く、特にゴジラにおいては最終作にもかかわらず従来のゴジラ映画の「お約束事」を次々と破ったため、「ゴジラを殺した男」と云う辛辣な意見もある。

  • 『VERSUS -ヴァーサス-』の国際映画祭での上映で、一気に北村人気に火がつく。特にホラーとアクションをブレンドした作りは、一見チープに見えるも、そのチープさを覆い隠す勢いが北村作品にある。しかしこの手の展開が毎度続き、観客を飽きさせているのも事実である。



    北村とハリウッド
    *『VERSUS -ヴァーサス-』の成功で、ハリウッドのミラマックス・フィルムズが北村と複数年のファーストルック契約(企画を同社優先で検討出来る契約)を締結、年間数千万円の企画調査費が支給されたと思われる。こうして北村=ハリウッド・コネクションは完成されたが、北村の進出第1弾へのサインを交わしたのはそれから4年後の事で、アメコミ映画の映画化や人気シリーズの続編等、北村を触発する様な企画は無かったと云う。その中の1本に『ワイルドスピード 東京ドリフト』もあったと云う。最終的にハリウッド進出第1弾が決まったぁ N$,2006年秋で、その作品はクライブ・バーカー原作の短編『ミッドナイト・ミートトレイン』と決定。2007年春にロサンゼルスで撮影開始、2008年5月にライオンズゲートによって世界配給される予定だが、ミラマックスは本作とは関係ない。

  • 新作を選んだ理由について北村は自称アクションフィギュアのコレクターである事をクライブ・バーカーの公式サイトで明かしており、「この20年同じフィギアばかり買っており、新しいアクションヒーローの登場を待望していた。その要素がこの企画にはある」と述べている。

  • 新作『ミッドナイト・ミートトレイン』の脚本改稿過程で、原作者のクライブ・バーカーとの意見の相違がかなり見られたが、北村が自らのアイデアを最後まで押し通し、合意に達したと、バーカー自身の公式ウェブサイトで語っている。北村本人は映画ウェブIndiewire.comでこの件に関し、「原作のクライヴはかなり激怒したが、ヒットさせるため、敢えて自分のアイデアを推した。原作者の云われた通りにやったのでは来た意味がない」と、日本時代と同様、俺流を通したと述べている。

  • 当初全米公開が3月だった『ミッドナイト・ミート・トレイン』は1月・2月のリサーチ用試写でのあまりの評判の悪さを受け、作品の改良をはかるため5月に公開を延期。しかし、制作・配給を手がけるライオンズ・ゲート社は「手直し出来るレベルに無い」との判断から全米公開を中止。劇場作品としてではなく、DVDスルー作品とすると発表。これにより北村龍平監督のハリウッドデビューは完全なる大失敗になると思われたが、某有名編集マンの力を借りたすえに再編集版が完成。再度テスト試写を行うと、1,2月の酷評が嘘のような高評価を獲得。ライオンズ・ゲートは8月1日に全米劇場公開を決定した。



    その他
    *ハンドヘルド撮影(手持ちカメラ)を極端に嫌い、得意とするアクション・シーンではフィックス撮影、ドーリー撮影を多用する。

  • フランス映画界の巨匠ジャン=リュック・ゴダールの監督作品『アワーミュージック』で北村の『VERSUS -ヴァーサス-』の事が触れられている。

  • アメリカでの代理人はCAA(クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー)とマネージメント会社Anonymous Content社。ウォン・カーワイやアン・リー、デイヴィッド・フィンチャー、菊池凛子等もCAAに代理されている。

  • デビュー前に「フレディVSジェイソン」という映画の絵コンテを作っていた。奇しくもまったく同じ企画の「フレディVSジェイソン」が公開されたが、北村はその映画を「良かった」と評価した。



    主な監督作品



    [ 劇場用映画 ]
    * DOWN TO HELL(1997年)

  • ヒート・アフター・ダーク(1999年)

  • VERSUS (映画)|VERSUS -ヴァーサス-(2000年)

  • Jam Films 「the messenger -弔いは夜の果てで-」(2002年)

  • ALIVE (映画)|ALIVE -アライブ-(2003年)

  • あずみ (映画)|あずみ(2003年)

  • 荒神(2003年)

  • スカイハイ (漫画)#スカイハイ 劇場版|スカイハイ 劇場版(2003年)

  • LONGINUS(2004年) - DVD作品

  • ゴジラ FINAL WARS(2004年、東宝)

  • Bandage(2005年)

  • LOVE DEATH(2006年)

  • ミッドナイト・ミートトレイン(2008年)


    [ ゲーム ]
    *メタルギアソリッド|METAL GEAR SOLID THE TWIN SNAKES(2004年) ※ムービー部分の演出


    [ CM ]
    *京セラ 携帯電話 A1403K(2004年)


    [ その他 ]
    *『長渕剛オールナイトライブin桜島DVD』

  • 『スカイハイ』(2003年/テレビ朝日)

  • 『スペシャルドラマ恋愛小説/月のしずく』(2006年/東京放送|TBS)

  • 『コミックフラッパー』にて漫画原作者として「マリオンハイド」連載(作画:加倉井ミサイル)



    外部リンク
    *Ryuhei Kitamura.com

  • マイコミ・ジャーナル

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    2008年06月17日

    映画監督[篠原哲雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    篠原哲雄



    篠原 哲雄(しのはら てつお、1962年2月9日 - )は、東京都出身の映画監督。桐蔭学園高等学校、明治大学法学部卒。専攻は法社会学、法文化論。監督作品『月とキャベツ』が初の劇場用長編作品となる。以降、『洗濯機は俺にまかせろ』(1999年)、『はつ恋』(2000年)、『命』(2002年)等を手がける。



    監督作品


  • 亀顔少年(1984年)

  • RUNNING HIGH(1989年)

  • 草の上の仕事(1993年)

  • バカヤロー!V エッチで悪いか -天使たちのカタログ-(1993年 カラー31分 ビデオ作品(オムニバスの1本))

  • YOUNG & FINE(1994年、ツインズ)

  • 歪んだ欲望 -Emotional Blue-(1995年、アルゴピクチャーズ)

  • 月とキャベツ(1996年、エースピクチャーズ、西友)
    出演:山崎まさよし、真田麻垂美

  • 悪の華(1996年、KISS
    出演:大沢樹生、原久美子、大杉漣、浅沼順子、原サチコ、並木史郎、横山あきお

  • 恋、した。 オールドタウンで恋をして(1997年、テレビ東京、アミューズ)
    出演:小林麻子

  • ふたりのアリス(1997年 フジテレビジョン|フジテレビ、ロボット (企業)|ROBOT)
    出演:浜丘麻矢、鶴見辰吾

  • なっちゃん家 なっちゃん家のお客さん(1998年、テレビ朝日、アミューズ)

  • 洗濯機は俺にまかせろ(1999年、ボノボ、スターボード)
    出演:筒井道隆、富田靖子、小林薫

  • 村山由佳|きみのためにできること(1999年、日活)
    出演:柏原崇、真田麻垂美、川井郁子、岩城滉一、大杉漣、田口浩正

  • はつ恋(2000年、東映)
    出演:田中麗奈、原田美枝子、平田満、真田広之

  • 死者の学園祭(2000年、東映)
    原作:赤川次郎
    出演:深田恭子、加藤雅也、内田朝陽、根津甚八 (俳優)|根津甚八

  • 華倫変|張り込み(2001年、JRSS)
    出演:若林しほ、小市慢太郎、堺雅人、榊ゆりこ、木村つかさ、伊沢麿紀、伊藤洋三郎

  • 女学生の友(2001年7月、ビーエス・アイ|BS-i、東宝)
    原作:柳美里、出演:山崎努、前田亜季、野村佑香、山崎一、毬谷友子、中村久美、山田辰夫

  • 命 (映画)|命 (2002年、命製作委員会(東京放送|TBS、東映、小学館、TOKYO FM、朝日新聞))
    原作:柳美里
    出演:江角マキコ、豊川悦司、筧利夫、寺脇康文、平田満、麻生久美子、樹木希林

  • 木曜組曲(2001年、光和インターナショナル)
    出演:鈴木京香、原田美枝子、富田靖子、西田尚美、加藤登紀子、浅丘ルリ子

  • 昭和歌謡大全集(2001年、光和インターナショナル、バンダイビジュアル)
    出演:松田龍平、池内博之、斉藤陽一郎、近藤公園、安藤政信

  • けん玉(『Jam Films』内の一編・2002年)
    出演:山崎まさよし、篠原涼子、山田幸伸、氏家恵、あがた森魚

  • オー・ド・ヴィー(2002年、オー・ド・ヴィー製作委員会)
    出演:岸谷五朗、小山田サユリ、鰐淵晴子、寺田農、松重豊、朝加真由美、根岸季衣

  • 天国の本屋〜恋火(2004年)
    出演:竹内結子、玉山鉄二、香里奈、新井浩文、香川照之、原田芳雄

  • 深呼吸の必要(2004年)
    出演:香里奈、谷原章介、成宮寛貴、長澤まさみ

  • 欲望 (日本映画)|欲望(2005年、光和インターナショナル)
    出演:板谷由夏、村上淳、高岡早紀、津川雅彦

  • 地下鉄に乗って|地下鉄(メトロ)に乗って(2006年)
    出演:堤真一、岡本綾、大沢たかお、常盤貴子

  • クリアネス|クリアネス(2008年2月16日公開 ゼアリズエンタープライズ/ドーガ堂)
    出演:杉野希妃、細田よしひこ、哀川翔、小柳友、高田純次、斎藤工

  • 山桜|山桜(2008年5月公開予定 東京テアトル)
    出演:田中麗奈、東山紀之、篠田三郎、檀ふみ、北条隆博、南沢奈央、富司純子



    外部リンク


  • 篠原哲雄オフィシャルホームページ

  • 「命」公式サイト

  • 篠原哲雄監督が出演された番組


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    2008年06月16日

    映画監督[竹中直人]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    竹中直人



    神奈川県横浜市
    | 国籍 =
    | 民族 =
    | 血液型 = A型
    | 生年 = 1956
    | 生月 = 3
    | 生日 = 20
    | 没年 =
    | 没月 =
    | 没日 =
    | 職業 =俳優・コメディアン・映画監督・歌手
    | ジャンル = 映画・テレビドラマ・舞台・オリジナルビデオ
    | 活動期間 = 1977年所属事務所の公式プロフィールより。それ以前のテレビ出演は素人としてのものである。 - 現在
    | 活動内容 =
    | 配偶者 =木之内みどり
    | 家族 =
    | 公式サイト =
    | 主な作品 =
    | 日本アカデミー賞 =
    | その他の賞 =
    | 備考 =
    }}
    竹中 直人(たけなか なおと、1956年3月20日 - )は、日本の俳優、コメディアン、映画監督、歌手。フロムファーストプロダクション所属。妻は、元アイドル歌手・女優の木之内みどり。



    来歴




    [ 経歴 ]

    神奈川県横浜市金沢区出身。横浜市立富岡小学校、横浜市立金沢中学校、関東学院六浦高等学校、多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業。大学在学中は映像演出研究会に所属。8ミリ映画の制作に没頭し、監督から出演までこなした(ブルース・リーをモチーフにした作品が多く、代表作は「燃えよタマゴン」)。大学在学中の1978年に劇団青年座に入団。前年の1977年、『ぎんざNOW!』(東京放送|TBS)の「素人コメディアン道場」で第18代チャンピオンに輝き、芸能界入り。その後、『TVジョッキー』(日本テレビ系)の素人参加コーナーへ出演し物真似|モノマネ芸でチャンピオンとなり注目される。当時の持ちネタでは「笑いながら怒る人」が有名。1979年12月に、『欽ちゃんの仮装大賞』の欽ちゃんの仮装大賞の作品一覧 (01回-10回)|第一回に出場しモノマネを披露(タイトルは「松田優作のドラキュラ」)、番組初の不合格となる。



    [ 芸能界入り後の活躍ぶり ]

    1983年、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』のオーディションコーナー「飛び出せ!笑いのニュースター」に出場し、グランドチャンピオンとなり脚光を浴びる。同番組で司会を務め、普段は辛口な評論をする横山やすしからも絶賛された。1985年には大竹まこと、きたろう、斉木しげる(以上三人は「シティーボーイズ」)、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成し、人気を博す。1990年に青年座を退団後、劇作家の岩松了と組んで「竹中直人の会」を開始、2002年に至るまでほぼ一年に一度のペースで公演を行う。1991年、つげ義春の漫画『無能の人』を映画化する際、奥山和由に才能を見出されて主演を務めると共に監督にも抜擢され、同作にて映画監督デビュー。1996年、日本放送協会|NHK大河ドラマ『秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉』で主演の豊臣秀吉役を務めた。同作は平均視聴率30%を超え、後にモビットのCMで竹中が秀吉役を演じたり、パチスロ機『竹中直人のパチスロ太閤記』が登場するなど、社会現象と呼べるほど反響が大きかった。テレビ朝日『敵は本能寺にあり』(2007年12月放送)にて、他局ではあるが再び秀吉を演じている。1999年、遠藤周作を主人公とした遠藤夫人の回顧録が原作のTBSドラマ『夫の宿題』で遠藤周作役を好演。2006年7月、竹中直人&ワタナベイビーとして、『今夜はブギーバック』をカバー(プロデュース・スチャダラパー)。



    人物


  • 妻・木之内みどりとの間に2人(1女、1男)の子供に恵まれている。血液型はA型。趣味はギター、映画の磁気テープ|ビデオ・DVD収集など。キャラクターや声を自在に操る。俳優や監督としての注目が集まる一方、なおもコメディアンとしてオリジナルビデオ『普通の人々』やTV番組『東京イエローページ』、『竹中直人の恋のバカンス』、『デカメロン』においてシュールなコントを展開。番組終了後もCSにおける再放送やDVDソフト化が実現するなど、現在もお笑いファンからカルト的な支持を得ている。その他様々なラジオのラジオパーソナリティ|パーソナリティやバラエティ番組などの司会を担当している。歌手としても高橋幸宏プロデュースのアルバム『MERCI BOKU』、『イレイザーヘッド』を発表。

  • 木之内との結婚前、美保純と交際して結婚寸前までいったが破局。

  • 2003年、47歳にして普通自動車運転免許オートマチック限定免許|AT限定を取得。

  • 女優の室井滋とは不仲説もあるが、二人ともネタとしてラジオや雑誌でふざけて罵りあっているだけで、実際は何度もドラマで夫婦役(夫婦漫才に近い掛け合いが特徴)などで共演している。

  • かつては漫画家やフォークシンガーを目指していた。『恋のバカンス』のコント中でもギターを片手に自作の歌を披露する事も多く、その演奏・作曲能力は高い(なぜか『夾竹桃』のフレーズをよく使う)。幼少時から絵を描くのが趣味であったという。

  • 好きな音楽は忌野清志郎、フィッシュマンズ、クラムボン、ホフディラン、SUPER BUTTER DOGなど。特にSUPER BUTTER DOGは彼らの楽曲「サヨナラCOLOR」にインスパイアされて同名の映画を制作したほどである。

  • 筋金入りの加山雄三ファン。モノマネやコントに取り入れたほか、楽曲のカヴァーや本人との共演も果たした。

  • 石井隆、押井守、周防正行、矢口史靖監督らの映画作品の常連俳優であり、竹中監督作品『東京日和』では周防監督を郵便配達役に配役して出演させている。



    作品




    [ 監督作品 ]


  • 無能の人 (1991)

  • 119 (映画)|119 (1994)

  • 東京日和 (映画)|東京日和 (1997)

  • 連弾 (映画)|連弾 (2001)

  • サヨナラCOLOR (2005)


    [ シングル ]


  • ポストマンパットのうた(1994年)

  • ドクトクくん(1995年)

  • デカメロン(1997年)

  • 君に星が降る(1997年)

  • 日曜日の食事(1998年)



    [ アルバム ]


  • かわったかたちのいし(1984年)

  • 24HOURS+レスラー

  • 竹中直人の君といつまでも(1995年)

  • siesta?

  • MERCI BOKU(1995年)

  • イレイザーヘッド(1996年)

  • MERCI BOKU,UNPEU BOKU〜LIVE IN JAPAN(1995年)

  • 口笛とウクレレ(2000年)


    [ 参加作品 ]


  • 友情のエール(2006年)

  • :世界中の子供達にサッカーボールを届けるというチャリティー企画「YELL FROM NIPPON」に参加。

  • DEMENTO (シネマティクスディレクター)


    [ 書籍 ]

    文芸評論家の武藤康史は竹中のエッセイを、非常に高く評価している。

  • 芸の無原理(ねじめ正一との共著) 1985.6

  • 『無能の人』のススメ(編集担当) 1991.12

  • 少々おむづかりのご様子 1993.12

  • 朱に交わればしゅらしゅしゅしゅ 1994.11

  • 映画日和(岩松了との共著) 1997.10

  • 月夜の蟹 2000.11 (改題『直人の素敵な小箱』)

  • おぢさんの小さな旅? 2006.3 - 絵本



    出演




    [ テレビドラマ ]


  • 元祖おじゃまんが山田くん(1984年、フジテレビジョン|フジテレビ)

  • ゲゲゲの鬼太郎(1985年、フジテレビ)

  • 太陽にほえろ! 第682話「揺れる命」(1986年、日本テレビ)

  • セーラー服反逆同盟(1986年、日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 世にも奇妙な物語「プリズナー」(1991年)

  • 世にも奇妙な物語「切腹都市(ハラキリシティー)」(1991年)

  • NHK大河ドラマ秀吉_(NHK大河ドラマ)|秀吉(1996年、日本放送協会|NHK)

  • 壬生義士伝 - 斎藤一 役

  • 恋のためらい(1997年、東京放送|TBS)

  • 坊さんが行く(1998年、NHK)

  • 坊さんが行く2(1999年、NHK)

  • ヤマダ一家の辛抱(1999年、TBS)

  • 夫の宿題(1999年、毎日放送、TBS)

  • 伝説の教師(2000年、日本テレビ)

  • ストレートニュース (テレビドラマ)|ストレートニュース(2000年、日本テレビ)

  • 菜の花の沖(2000年、NHK) - 高田屋嘉兵衛 役

  • 怪談百物語(2002年、フジテレビ)- 蘆屋道三役

  • 日曜劇場 GOOD LUCK!!(2003年、TBS)

  • 東京ラブ・シネマ(2003年、フジテレビ)

  • WATER BOYS(2003年、フジテレビ)

  • ライオン先生(2003年、讀賣テレビ放送|読売テレビ)

  • 流転の王妃・最後の皇弟(2003年、テレビ朝日) - 甘粕正彦 役

  • 奥さまは魔女_(テレビドラマ)|奥さまは魔女(2004年、TBS)

  • 連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説 天花_(朝ドラ)|天花(2004年、NHK)

  • あいくるしい(2005年、TBS)

  • ボイスレコーダー〜残された声の記録〜ジャンボ機墜落20年目の真実(2005年8月12日、TBS) - 藤田日出男 役

  • 天下騒乱〜徳川三代の陰謀|天下騒乱〜徳川三代の陰謀(2006年、テレビ東京)

  • 戦国自衛隊|戦国自衛隊・関ケ原の戦い(2006年、中京テレビ放送|中京テレビ) - 石田三成 役

  • 都立水商!(2006年3月、日本テレビ) - 矢倉茂夫 役

  • 赤い奇跡(2006年4月、TBS)

  • タイヨウのうた(2006年、TBS)

  • のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ(2006年10月〜12月、フジテレビ) - フランツ?フォン?シュトレーゼマン 役

  • ホテリアー (日本版)|ホテリアー(2007年4月〜6月、テレビ朝日) - 森本正和 役

  • 島根の弁護士(2007年、フジテレビ) - 山崎晴雄 役

  • ファースト・キス (テレビドラマ)|ファースト・キス(2007年、フジテレビ)

  • 点と線(2007年11月、テレビ朝日) - 石田芳男役

  • 敵は本能寺にあり (2007年12月、テレビ朝日) - 豊臣秀吉|羽柴秀吉 役

  • のだめカンタービレ (テレビドラマ)|のだめカンタービレ in ヨーロッパ(2008年1月、フジテレビ) - フランツ?フォン?シュトレーゼマン 役

  • 4姉妹探偵団(2008年、テレビ朝日)- 佐々本周平 役


    [ テレビ番組 ]


  • ソロモンの王宮(テレビ東京系)

  • 特命リサーチ200X|特命リサーチ200X II(2002年-2004年、日本テレビ)柏木康一郎 役

  • キヤノンスペシャル・光の惑星 5000年の旅(2004年12月、テレビ朝日) スタジオ司会

  • 東京イエローページ(1990年-1991年、TBS)

  • ポンキッキーズ(1993年-2001年、フジテレビ) 人形アニメ 「ポストマンパット」声の出演、楽曲参加・イベント出演

  • 竹中直人の恋のバカンス(1994年-1995年、テレビ朝日)

  • デカメロン(1997年、TBS)

  • 素敵な小箱(2006年、フジテレビ)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!(フジテレビ)テレフォンショッキングゲスト、
    :出演する際には、観客から「笑いながら怒る人やって!」といつも言われている。一度だけ「中野区に住んでるムタトオルです」と言いながらムタトオル名義で出演したことがあるが、結局最後にお友達紹介のときに普通の竹中に戻った。

  • どんぶり5656(1983年、讀賣テレビ放送|よみうりテレビ)

  • なげやり倶楽部(1985年、よみうりテレビ)

  • Naoto Takenaka P.S.45 ( 2006 BS-FUJI )

  • 愛のエプロン(2006年11月8日放送分)

  • 北海道遺産物語(北海道テレビ放送/ナレーション)


    [ 映画 ]


  • 痴漢電車 下着検札(1984年、新東宝)

  • ロケーション(1984年、松竹) - ダボ役

  • 夕ぐれ族(1984年、にっかつ) - 宇津井役

  • ベッドタイムアイズ(1987年、角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画) - 柳役

  • 私をスキーに連れてって(1987年、東宝) - 所崎役

  • 天使のはらわた 赤い眩暈(1988年、にっかつ) - 村木役

  • 226(1989年、松竹富士) - 磯部浅一役

  • ファンシイダンス(1989年、大映) - 北川光輝役

  • バカヤロー!2 幸せになりたい。第三話「新しさについていけない」(1989年)

  • BEST GUY(1990年、東映) - 管制官役

  • ヒルコ 妖怪ハンター(1991年、松竹富士) - 八部高史役

  • 無能の人(1991年、松竹富士) - ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞主演男優賞

  • ふたり(1991年、松竹) - 医師役 ※同時期放送の日本放送協会|NHK編集版では出演シーンはカット。

  • シコふんじゃった。(1992年、東宝) - 日本アカデミー賞助演男優賞

  • ヌードの夜(1993年、ヘラルド・エース) - 紅次郎(村木)役

  • RAMPO 奥山監督版(1994年) - 江戸川乱歩役

  • RAMPO 黛監督版(1994年) - 江戸川乱歩役

  • BE-BOP-HIGHSCHOOL (1994年の映画)|BE-BOP-HIGHSCHOOL(1994年)

  • GONIN(1995年、松竹)

  • GONIN2(1996年、銃砲店店員役 松竹)

  • 写楽(1995年、松竹) - 大田南畝役

  • Shall we ダンス?(1996年、東宝) - 青木富夫役

  • HAPPYPEOPLE (1997年) −一場面のみ出演

  • 東京日和(1997年、東宝) −監督、主演 島津巳喜男役

  • アンドロメディア(1998年、松竹)

  • 岸和田少年愚連隊 望郷(1998年)

  • 完全なる飼育(1999年、東京テアトル)

  • 三文役者 (2000年、近代映画協会)- 殿山泰司役

  • ウォーターボーイズ(2001年、東宝)

  • Stereo Future SF episode 2002(2001年、東北新社) - 高山龍太郎役

  • およう(2002年、松竹) - 伊藤晴雨役

  • ミスター・ルーキー(2002年、東宝)

  • TRICK 劇場版(2002年、東宝) - 神001番 役

  • 青の炎(2003年)

  • あずみ(2003年、東宝) - 加藤清正役

  • 恋人はスナイパー|恋人はスナイパー 劇場版(2004年、東映)

  • シュレック2(2004年、ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ|UIP) - 長靴をはいた猫|長ぐつをはいた猫役(声の出演)

  • スウィングガールズ(2004年、東宝) - 小澤忠彦役

  • 妖怪大戦争 (2005年の映画)|妖怪大戦争(2005年、松竹) - 油すまし役

  • サヨナラCOLOR(2005年)

  • ピーナッツ (映画)|ピーナッツ(2006年、コムストック)

  • キャッチ ア ウェーブ(2006年、ワーナー)

  • 男はソレを我慢できない(2006年7月29日)

  • 大奥 (映画)|大奥(2006年12月23日) - 谷口新八 役

  • それでもボクはやってない(2007年1月20日)

  • あなたを忘れない(2007年)

  • シュレック3(2007年) - 長靴をはいた猫|長ぐつをはいた猫役(声の出演)

  • ゲゲゲの鬼太郎 (実写映画)|ゲゲゲの鬼太郎(2007年) - そば屋店主役

  • 映画 クロサギ(2008年)

  • ポストマン (2008年の映画)|ポストマン(2008年3月)

  • ぼくたちと駐在さんの700日戦争(2008年4月5日公開予定)

  • 20世紀少年(2008年)

  • まぼろしの邪馬台国 (映画)|まぼろしの邪馬台国(2008年11月、東映)


    [ ビデオ作品 ]


  • 地球防衛少女イコちゃん2 ルンナの秘密(1988年) トビヤマ隊長役

  • 地球防衛少女イコちゃん3 大江戸大作戦(1990年) トビヤマ隊長役

  • 竹中直人の放送禁止テレビ

  • ギニーピッグ4 ピーターの悪魔の女医さん(1990年)

  • ブラック・ビリンセス(1990年)

  • ブローバック(1990年)

  • カルロス(1991年)

  • 普通の人々(監督、出演)

  • バットマンのひみつ(ナレーション)


    [ 舞台 ]


  • 青年座公演「どん底」

  • 青年座公演「パラダイス・オブ・ギンザ」

  • 青年座公演「写楽考」

  • 竹中直人の会 旗揚げ公演「隣の男」

  • 竹中直人の会 第2回公演「鉢植を持つ男」

  • 竹中直人の会 第3回公演「市ヶ尾の坂〜伝説の虹の三兄弟〜」

  • 竹中直人の会 第4回公演「こわれゆく男〜中産階級の然るべき頽廃」

  • 竹中直人の会 第5回公演「月光のつヽしみ」

  • 竹中直人の会 第6回公演「テレビ・デイズ」

  • 竹中直人の会 第7回公演「水の戯れ」

  • 竹中直人の会 第8回公演「隠れる女」

  • 蜷川幸雄演出「四谷怪談」

  • 竹中直人の会 第9回公演「月光のつヽしみ」(2002年)

  • 竹中直人の会 改メ 竹中直人の匙かげん1「唐辛子なあいつはダンプカー!」(2004年)

  • 竹中直人 ハードボイルド・ソーセージ in 下北沢(2005年)


    [ ラジオ ]


  • 竹中直人ハードボイルド・ソーセージ(プロ野球オフシーズン、TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)


    [ 劇場版アニメ ]


  • アイス・エイジ_(映画)|アイス・エイジ(ディエゴ)

  • イノセンス(キム)

  • お勢登場(語り)

  • カッくんカフェ(1984年、ジョイパックフィルム) - ケンイチ、タコ委員長、ナゾの男役

  • 機動警察パトレイバー 2 the Movie(荒川茂樹)

  • 最終教師|恐怖のバイオ人間 最終教師(茶羽顔八)

  • 劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI(エンテイ、シュリー・スノードン博士)

  • ストレンヂア 無皇刃譚(祥庵)


    [ ゲーム ]


  • 龍が如く 見参! (丸目長恵)


    [ CM ]


  • 大阪ガス

  • 福岡競艇場|福岡競艇

  • アデランス

  • モビット

  • ガリバーインターナショナル|ガリバー

  • トヨタ自動車トヨタ・ラウム|ラウム

  • 久光製薬(のびのびサロンシップ、ブテナロック)

  • 明治乳業

  • 武田薬品工業(タケダ胃腸薬 1984年のシーズン)、ほか

  • NEC VALUESTAR|バリュースター

  • 日産自動車日産・セフィーロ|セフィーロ

  • コカ・コーラ|日本コカ・コーラ(リアルゴールド、ジョージア缶コーヒー・2005年9月〜)

  • 内閣府(政府広報 「ひろがる、NIPPON聖域なき構造改革|構造改革」・2006年2月〜)

  • 東京建物 Brillia

  • SEIKO(SEIKO Avenue)



    映画賞


  • 1991年
    :ヴェネチア国際映画祭(国際批評家連盟賞)「無能の人」
    :ブルーリボン賞_(映画)|ブルーリボン賞(主演男優賞)「無能の人」

  • 1992年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「シコふんじゃった。」

  • 1995年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「EAST MEETS WEST」

  • 1996年
    :日本アカデミー賞(助演男優賞)「Shall we ダンス?」



    主なネタ・ものまね・キャラクター


  • 笑いながら怒る人

  • 60年代の生き証人・中津川ジャンボリー君

  • クイズ番組司会者・ショスタコビッチ三郎太

  • ナンの男

  • 一人三役やる人

  • 感情を込めた「あいうえお」

  • 三半規管が丈夫なのでグルグル回っても真っ直ぐ歩ける

  • 人をバカにした態度

  • 「人の事を指さすなよ」

  • 「いやあ、失敬、失敬!」

  • 「アンタ失敬だな!」

  • 「煙草、やめろ!」

  • 「○○で〜ございやす」

  • 松田優作

  • 草刈正雄

  • 丹波哲郎

  • 石立鉄男

  • 加山雄三

  • 田中邦衛

  • 松本清張

  • 遠藤周作

  • 芥川龍之介

  • 武者小路実篤

  • ブルース・リー



    脚注






    外部リンク


  • フロムファーストプロダクションによるプロフィール

  • 竹中直人 - JMDb



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    2008年06月15日

    映画監督[椎名誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    椎名誠




    椎名誠(しいなまこと、1944年6月14日 - )は日本の作家、サイエンス・フィクション|SF作家、随筆家|エッセイスト、写真家、映画監督(本名は、渡辺誠)。椎名は旧姓で、結婚したときに妻の渡辺一枝の姓に合わせ渡辺姓となった。妻(元保育士)の渡辺一枝とは親友で弁護士の木村晋介の紹介で結婚。娘の渡辺葉は翻訳家でエッセイスト。息子の『岳物語』のモデルとなった渡辺岳はボクサーで現在は写真家。息子の岳は格闘技、プロレスなども大好きで、彼自身柔道2段。また、マーシャル・アーツなども愛好する。2006年11月に写真活動の集大成ともいえる写真集『ONCE UPON A TIME』(本の雑誌社)を刊行した。



    経歴


  • 東京都世田谷区三軒茶屋に生まれ。父親は公認会計士。千葉県印旛郡酒々井町と千葉市幕張に育つ。特に、小学校1年で世田谷から漁師町である酒々井町に引っ越した際は、非常にカルチャー・ショックを感じたという。千葉市立千葉高等学校卒業。イラストレーターの沢野ひとしは高校時代の同級生。東京写真大学(現東京工芸大学)中退。*異母兄弟の下から二番目に生まれ、長兄とは20歳位離れている。読書が好きで、サイエンス・フィクション|SFやナチュラリズム系の本、海外旅行記などを好んで読んだ。また映画少年でもあった。*小学校6年の時に父親が死に、中学に進学するとガラの悪い学校で、以降、高校まで喧嘩にあけくれる。一方、中学3年で8ミリの自主ニュース映画を撮った。*高校卒業後に、江戸川区小岩のアパート克美荘で、沢野ひとし・木村晋介ら4人で、6畳1間で共同生活をした。東京写真大学は半年でやめ、シナリオライター養成学校に通いながら、皿洗いのバイトなどをする。。*流通業界の専門誌『ストアーズレポート』を刊行しているストアーズ社に入社。この時、\xA1 F~$K$J$k!"9bED1I0l$@$C$?$H$$$&!#JT=8南伸坊『さる業界の人々』(ちくま文庫)の関川夏央の解説より。なお、関川も同時期にエロ漫画雑誌の編集長及び、原作執筆を手がけていたという。*『本の雑誌』誌上での椎名の「面白文体」の文章が評判となり、1979年『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局刊)でエッセイストとしてデビューする。その軽快で口語調の文体は嵐山光三郎らの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、一躍マスコミの寵児となり、ストアーズ社を退社して執筆業に専念する。*沢野ひとし・木村晋介ら仲間と「東日本何でもケトばす会」、通称東ケト会を設立。盛んに、島のなど\xA1 $KN9$7$F!"3$4_$G%-%c%s%W$rD%$j!"<+?f$r$7$F1c2q$7$?!#$=$N3hF0$r! 1980$BG/!"!X$o$7$i$O2x$7$$C581Bb!Y$HBj$7$F=PHG!"%7%j!<%:2=$5$l$?!#*その後は小説に進出、私小説、サイエンス・フィクション|SF小説、超常小説を多数発表。椎名はSF・超常小説を、「シーナワールド」と呼ぶ。*文筆活動以外には、辺境の地への冒険をライフワークとし、ドキュメンタリー番組によく出演するほか、旅先での写真を多数発表。また、本好きの習性として、旅先にも大量の本を持参して読了している。映像プロダクション「ホネ・フィルム」を設立、映画監督の経験もある(現在ホネ・フィルムは解散)。徳島で「川の学校」の講師もつとめた。写真雑誌『アサヒカメラ』の連載などを受け持っている。*『週刊金曜日』の編集委員も務めたが、連載を担当していたほかは実質的な仕事をしていないとしており、表紙写真の担当を降りたことから2007年12月14日号を最後に退任。



    受賞リスト


  • 1988年 『犬の系譜』 吉川英治文学新人賞

  • 1990年 『アド・バード』 日本SF大賞

  • 1993年 『あひるのうたが聞こえてくるよ。』 第10回山路ふみ子映画賞|山路ふみ子映画文化賞。

  • 1995年 『白い馬』 JRA賞馬事文化賞

  • 1996年 『白い馬』 EARTH VISION 地球環境映像祭環境教育映像賞
                 第5回日本映画批評家大賞最優秀監督賞

  • 1997年 『白い馬』 ボーヴェ映画祭グランプリ受賞
                  ポーランド子ども映画祭特別賞



    作品リスト


  • クレジットカードの実務知識

  • さらば国分寺書店のオババ(デビュー作)

  • 気分はだぼだぼソース

  • 岳物語

  • 続・岳物語
    :息子、渡辺岳の成長を捉えた私小説。なお、娘(岳から見た姉)の渡辺葉については本人の希望により一切書かれていないため、岳が一人っ子のように描かれている。なお、作品中では家族名が(「渡辺家」ではなく)「シーナ家」となっていることから、出版社の付録では「フィクション小説」と扱われる場合が多い。『続・岳物語』も同じ。椎名自身はさらに長期にわたって書き続ける予定であったが、息子が、小説の登場人物にされるのを嫌がるようになり、中断した。

  • アド・バード
    :集英社刊。異形の怪物がうろつく世界で、主人公の兄弟が父親を探しに行くというSF大作。作品中の言語感覚には筒井康隆の影響が見られる。日本SF大賞受賞作品。

  • 哀愁の町に霧が降るのだ
    :他称自伝的小説。克美荘時代を中心とした、作者とその仲間たちの生活を書いている。

  • わしらは怪しい探険隊

  • いろはカルタの真実

  • イスタンブールでなまず釣り

  • 砂の海 : 楼蘭・タクラマカン砂漠探検記

  • かつをぶしの時代なのだ

  • ジョン万作の逃亡

  • 風にころがる映画もあった

  • 風のかなたのひみつ島

  • 波のむこうのかくれ島

  • インドでわしも考えた

  • 赤眼評論

  • 風景進化論



  • フグと低気圧

  • 新橋烏森口青春篇(「哀愁の街に〜」の続編)

  • 犬の系譜

  • 熱風大陸 ダーウィンの海をめざして

  • さよなら、海の女たち

  • あやしい探検隊 海で笑う

  • ねじのかいてん

  • 土星を見るひと

  • 白い手

  • 水域

  • 武装島田倉庫

  • 胃袋を買いに。

  • 銀座のカラス(「新橋鳥森口〜」の続編)

  • ハマボウフウの花や風(第102回直木賞候補)

  • 草の海 モンゴル奥地への旅

  • むはの迷走

  • ひるめしのもんだい

  • 地下生活者

  • おろかな日々

  • フィルム旅芸人の記録

  • モンパの木の下で

  • ガリコン式映写装置

  • はるさきのへび
    :本当の“岳物語”がある(姉の事について書かれている。)

  • 南国かつおまぐろ旅

  • 猫殺し その他の短篇

  • 鉄塔のひと その他の短篇

  • ネコの亡命

  • 馬追い旅日記

  • あやしい探検隊 焚火酔虎伝

  • 時にはうどんのように

  • でか足国探検記

  • 麦の道

  • カープ島サカナ作戦

  • 麦酒主義の構造とその応用力学

  • 風の道 雲の旅

  • あやしい探検隊 焚火発見伝
    :林政明と共著。

  • 人生途中対談
    :東海林さだおと共著。

  • みるなの木

  • 本の雑誌血風録
    :本の雑誌ができるまでを、編集の面を中心にして書かれた作品。

  • ギョーザのような月がでた

  • あるく魚とわらう風

  • 海浜棒球始末記

  • 突撃 三角ベース団
    :「浮き球▲(三角)ベースボール」についての本。奄美大島訪問中に、地元の漁師が砂浜で流木のバットと「浮き球」を使って遊んでいた草野球と出会い、その際、持ち帰った浮き球で後日、仲間と始めた三角ベースが原型。椎名は、「全日本浮き球リーグ」、通称「う・リーグ」の創設者。

  • 新宿熱風どかどか団
    :『本の雑誌血風録』の続編。本の雑誌創刊後、椎名がメジャーな文化人になって、色々な仕事をこなすようになるまでを描く作品。

  • あやしい探検隊 バリ島横恋慕

  • ずんが島漂流記

  • ビールうぐうぐ対談
    :東海林さだおと共著。

  • とんがらしの誘惑

  • 問題温泉

  • くじらの朝がえり

  • にっぽん・海風魚旅 怪し火さすらい編

  • もう少しむこうの空の下へ

  • すっぽんの首

  • 焚火オペラの夜だった

  • 春画

  • ハリセンボンの逆襲

  • ぶっかけめしの午後

  • 海ちゃん、おはよう

  • なつのしっぽ

  • いま この人が好きだ!

  • パタゴニア-あるいは風とタンポポの物語り

  • 黄金時代

  • 全日本食えばわかる図鑑
    :2004年から始めた「全日本麺の甲子園大会」の模様が収録されている。



    映画監督作品


  • ガクの冒険

  • うみ・そら・さんごのいいつたえ

  • しずかなあやしい午後に 遠野灘鮫原海岸

  • 白い馬



    脚注




    関連項目


  • 日本の秘境100選

  • 沢野ひとし

  • 木村晋介

  • 野田知佑

  • 群ようこ

  • 目黒考二

  • 中村征夫

  • 青山正明

  • 週刊金曜日



    外部リンク


  • 浮き球.com

  • 椎名誠の「麺の甲子園」ブログ

  • 作家の読書道:第19回 椎名 誠さん

  • 椎名誠 シングルモルトウイスキーの旅


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    2008年06月14日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ宗 \Js!Y%Y%9%H1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年、『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画とする\xA1 I>2A$,$"$k!#NS86:n$N!X0p:J!Y!"!X:J!Y!"!XHU5F!Y!"!XIb1@ (\xA1 1G2h) |浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマン・玉井正夫が後年インタビューで「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ、高峰さんは、人からどういう風に思われているか、良く考えたほうがいいですよ」と、興味深い発言をしている。2005年は生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。同時代を生きた人の評として有名なものが*蒲田撮影所の城戸四郎所長(後の松竹社長)による「小津は2人いらない」(真偽は不明)。

  • 「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」とする小津発言。

  • 「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」(津村秀夫著「溝口健二というおのこ」)の溝口健二などである。

    かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで川喜多かしこのような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。シュァ _%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

  • 成瀬巳喜男のお墓

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
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    2008年06月13日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ宗 \Js!Y%Y%9%H1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年、『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画とする\xA1 I>2A$,$"$k!#NS86:n$N!X0p:J!Y!"!X:J!Y!"!XHU5F!Y!"!XIb1@ (\xA1 1G2h) |浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマン・玉井正夫が後年インタビューで「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ、高峰さんは、人からどういう風に思われているか、良く考えたほうがいいですよ」と、興味深い発言をしている。2005年は生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。同時代を生きた人の評として有名なものが*蒲田撮影所の城戸四郎所長(後の松竹社長)による「小津は2人いらない」(真偽は不明)。

  • 「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」とする小津発言。

  • 「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」(津村秀夫著「溝口健二というおのこ」)の溝口健二などである。

    かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで川喜多かしこのような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。シュァ _%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

  • 成瀬巳喜男のお墓

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
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    2008年06月12日

    映画監督[鈴井貴之]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    鈴井貴之



    鈴井 貴之(すずい たかゆき 1962年5月6日 - )は、北海道を中心に活躍するタレント、映画監督、放送作家。株式会社CREATIVE OFFICE CUEの代表取締役社長。愛称はミスター。既婚者、妻はCREATIVE OFFICE CUE副社長鈴井亜由美。



    経歴

    北海道赤平市出身。血液型O型。幼少期は病弱で入退院を繰り返す日々を送る。小さい頃から8ミリカメラで映画を撮るのが好きであった。北海道長沼高等学校を経て、北海学園大学法学部に入学。しかしそこで演劇に出会い、酒と演劇に溺れ大学を中退。その後「ノーティキッズ」、「劇団487パラシュート」などいくつかの劇団を立ち上げた後、「劇団OOPARTS(1990年旗揚げ、1998年完全消滅(解散ではないらしい))」を主宰。当時300人収容の札幌本多小劇場や倉庫などの芝居小屋が当たり前だった札幌演劇界の中、700人収容の道新ホールなど大ホールで公演。地元北海道では「1000人の客を集められる男」として演劇界にその名を知られた。最近は鈴井自身が舞台などの場において芝居をすることは殆どないが、その昔は他を圧倒するような演技だったといわれる。1991年秋に札幌本多小劇場で行った初の一人芝居では、ガラスを割ったりエキストラに殴られるなどの過激なシーンが乱発。自らの体に保険をかけたほどの意欲作。なお、演劇一筋だった20代は恐ろしいほどの極貧生活を送っていたという。1992 $BG/!"Lr^!"Bh15回福岡アジア国際映画祭2001で審査員特別賞を受賞する。また、ベルリン国際映画祭正式出品作品、金鶏百花映画祭2002公式招待上映作品と海外でも上映された。その後も「river」、「銀のエンゼル」を製作、国内外の映画祭に次々と出品している。
    2005年、大韓民国|韓国への映画留学のため芸能活動を中断。これに伴いGO・I・Sの後継番組であったKING GO・I・Sは終了し、ぽっぷこ〜んシネマは音尾琢真に譲る形で降板、1年間タレントとしての活動を休止した。韓国ではカク・キョンテク監督の映画「タイフーン」に参加。10ヶ月もの間プロデューサー待遇でロケ現場、編集など製作現場のほぼ全てに参加し映画制作に携わる。帰国後の第一号作「リーディングドラマ第一章"DIARY~失ったガラスの靴を探して…"」の作・演出として約10年振りに本格的に舞台演出家としての活動を始めた。舞台役者としては98年のOOPARTS消滅を以って引退していたが、「CUE DREAM JAM-BOREE 2006」では、プロデューサーたる大泉の策略によって同イベント限定ではあるが8年ぶりに舞台復帰した。また、AIR-G'のHOME&AWAYでレギュラー番組が復活し、本格的に芸能活動を再開させる。アルバイト北海道のCMをプロデュースしたり、ジェイティービー|JTB北海道のイメージキャラクターに起用されるなど、留学前とはまた違った活躍をしている。北海道以外からタレントとしてのオファーがあり、2006年3月にはエフエム青森の特別番組のメインパーソナリティーとして出演。同じく2006年10月より、エフエム仙台|Date FM(FM仙台)をキー局とした東北6県ブロックネットで「北風小僧(土曜20:00〜20:55)」が放送されていた。



    人物

    「CREATIVE OFFICE CUE」の代表取締役社長で、舞台やテレビ番組の企画・脚本などをこなす。加えて、自らも俳優・タレントとして活躍する。しかし、いつになっても初心を忘れることはなく、若手には「俺は40になっても『タコ星人(タコのような衣装とメイク、常に激しく回転しているキャラクター)』をやってるんだぞ!」とハッパをかけている。生涯現役をモットーにしており、40代を迎えても強い存在感を示している。「水曜どうでしょう」の中では、「ミスターどうでしょう」という意味をこめて「ミスター」という愛称が生まれた。現在では知名度は大泉洋と共に全国区となり、東京国際映画祭のレッドカーペット上で「ミスター!」という歓声が上がった。愛煙家であり、水曜どうでしょうなど番組内でも度々喫煙している。愛車はジャガーのXJタイプ、ボルボのXC90。バイクはBMWのR1200C。甘いものが大の苦手で、水曜どうでしょうでは反対に「甘いもの好き」として扱われ、強制的に甘いものを大量に食べさせられるシーンが多く見られる。ただし、餡子、餅などが苦手なだけで甘いもの全てが苦手というわけではないぁ h$&$G!"JTB北海道での連載コラムを持つほどのソフトクリーム好きである。また、度々駄洒落を言うことがあるが、自身は駄洒落があんまり好きではなく(ただし「嫌いではない」とも)、周りの人々(駄洒落好きである藤村忠寿|藤村Dなど)から乗せられているために(仕方なく)作っているという一面もある。娘がおり、親バカっぷりがどうでしょうで明らかになっている。ヨーロッパ21カ国完全走破では、くまのプーさんのモノマネを娘によくしていることを明かし、どうでしょう班にも披露している。また、サイコロ3後編ではあまりの過酷さに目に娘が思い浮かんで泣いてしまう一幕もあった。鉄道オタクであり鉄道模型を所有している。北海道日本ハムファイターズとコンサドーレ札幌ファン。中学高校とサッカー部だったためサッカーに精通しており、コンサドーレ札幌の中継にゲスト出演したこともある。好きな選手は三浦知良。水曜どうでしょうでELLEGARDENのライブTシャツを着ていたことがあり、Vo.の細美武士とは交流がある。



    監督・演出此 nIJ




    [ 映画 ]


  • 「man-hole」(2001年・主演:安田顕)

  • 「river」(2003年・主演:大泉洋)

  • 「銀のエンゼル」(2004年・主演:小日向文世)



    [ テレビドラマ ]


  • 「ロス:タイム:ライフ」(2008年・フジテレビジョン|フジテレビ・第三節「スキヤキ編」・主演:友近)



    タレント活動




    [ テレビ番組(終了番組も含む) ]


  • 北海道テレビ放送
    「水曜どうでしょう」 (企画・出演)
    「ぽっぷこ〜んシネマ」
    「ドラバラ鈴井の巣」(企画・構成・出演)
    「週刊Nanだ!Canだ!」
    「モザイクな夜」(企画・構成・出演)
    「おにぎりあたためますか」(企画)

  • 札幌テレビ放送
    「ドラマシティ'92・いまも友だちいますか?」 (同局制作全国放送/主演の国生さゆりの婚約者役)
    「1×8いこうよ!」(構成)
    「ステイ+α」(ステイタス)

  • 北海道文化放送
    「プカプカ」
    「にっぽんPUKAPUKA」

  • 北海道放送
    「東芝日曜劇場・拝啓、男たちへ(4)闘いたい男たち」 (同局制作全国放送/主演の林隆三を刺すチンピラ役)
    「パック2」(再現ビデオ)

  • フジテレビジョン
    「ケンカの花道」(素人として、夫婦で競演)

  • ビーエスフジ|BSフジ
    「おおいずみんみん蝉」(「TV☆Lab」内)

  • チャンネルNECO
    プロジェクトCue 鈴井貴之のフィルム・ジャンボリー」(2006年10月放送。映画3作とメイキング、北海道内のロケ地を訪ねるミニ番組「鈴井貴之のロケハン。」を放送。)
    鈴井貴之のロケハン。冬編」(2006年2月、3月放送)
    鈴井貴之のロケハン。夏編」(2007年10、11月放送)


    [ ラジオ番組 ]


  • エフエム北海道|AIR-G'
    BLAMDNEW BLUE
    「GO・I・S」
    「KING GO・I・S」
    「HOME&AWAY」
    「FM ROCK KIDS」

  • エフエム仙台|Date FM
    「北風小僧」(東北6県ブロックネット)



    音楽


  • 「DA.BE.SA」−NORTH END×AYUMI(1994年・作詞・歌)エピックレコードジャパン|EPICソニー
    "AYUMI"こと鈴井亜由美は奥様(CREATIVE OFFICE CUE副社長)。
    EAST END×YURIも参照されたい。

  • 「おやG」「ソフトフォーカス」−ケンタカユッキー☆フライド事件(2001年・作詞・歌)インディーズ
    鈴井(ビューティーたか・Vo)と安田顕(アフターけん・G)によるデュオ。



    脚注





    関連項目


  • CREATIVE OFFICE CUE (社長を務める会社)

  • 大泉洋(所属の看板タレント)

  • 大下宗吾(所属タレント)

  • 藤尾仁志(オクラホマ (お笑い)|オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 河野真也(オクラホマ)(所属のローカルタレント)

  • 音尾琢真(所属タレント)

  • 北川久仁子(所属タレント)

  • 小橋亜樹(所属タレント) 

  • 戸次重幸(所属タレント。旧名・佐藤重幸)

  • 宮崎奈緒美(所属タレント)

  • 飯野智行(所属タレント)

  • 森崎博之(所属タレント)

  • 安田顕(所属タレント)

  • 川島直樹(所属していた元タレント。現在は芸能界引退)   

  • 北海道テレビ放送 (企画?出演している番組が多い、北海道のテレビ朝日系列局)

  • 藤村忠寿 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうチーフ・ディレクター)

  • 嬉野雅道 (北海道テレビ放送制作部所属のディレクター。水曜どうでしょうカメラ担当ディレクター)

  • DAIGO☆STARDUST (「デイジー」で初めてのPV監督を務めた)

  • 放送作家

  • 脚本家




    外部リンク


  • CREATIVE OFFICE CUE オフィシャルサイト

  • JTB北海道

  • 北海道テレビ:HTB online

  • AIR-G'・エフエム北海道


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    2008年06月11日

    映画監督[石井輝男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    石井輝男



    石井 輝男(いしい てるお、1924年1月1日 - 2005年8月12日)は、日本の映画監督。本名は北川 輝男(きたがわ てるお)。新東宝で斬新な作品を発表した後東映に移り、「網走番外地シリーズ」を連続NO.1ヒットさせる。東映随一の大ヒットメーカーでありながら1968年よりポルノ映画、それも“異常性愛路線”と呼ばれる一連のエログロ作品を率先して作るようになり世間を驚かせた。70年代までに東映のエログロ作品とアクション作品を量産し、90年代はつげ義春、江戸川乱歩の世界へ傾倒した。東映プロデューサーの天尾完次は、石井は同じ東宝出身の黒澤明の対極に位置すると評している。



    略歴


  • 1924(大正13)年1月1日、東京都千代田区_(東京都)|千代田区麹町生まれ。生家は浅草の綿問屋。



    [東宝]


  • 1939(昭和14)年、早稲田実業学校|早稲田実業を中退。1942(昭和17)年、東宝へ撮影助手として入社。

  • 1945(昭和20)年、召集、陸軍浜松航空隊の写真班員として中国大陸へ配属。復員後、東宝に戻る。


    [新東宝]


  • 1946(昭和21)年、新東宝に参加。撮影部より演出部に移る。

  • 1947(昭和22)年3月、渡辺邦男監督の助監督につき演出の仕事を始める。この後、清水宏 (映画監督)|清水宏、成瀬巳喜男の助監督にもつく。

  • 1957(昭和32)年、「リングの王者 栄光の世界」で監督デビュー。

  • 同年より翌年、昭和33年にかけ、「鋼鉄の巨人(スーパージャイアンツ)」シリーズを監督、1〜6作目までを担当。

  • 1960(昭和35)年、1月13日「黒線地帯」公開。


    [ 東映 ]


  • 1961(昭和36)年、東映と専属契約を結ぶ。6.23公開の「花と嵐とギャング」が東映(ニュー東映)での第1作。

  • 1965(昭和40)年、4月18日「網走番外地」(高倉健主演)公開。大ヒットとなり、高倉とのコンビでシリーズ10作を世に送り出す。

  • 1968(昭和43)年、5月1日「徳川女系図」公開。9.28公開の「徳川女刑罰史」は低予算で同年邦画配収の9位。

  • 1969(昭和44)年、10月31日「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」公開。

  • 1974(昭和49)年、12月28日「直撃地獄拳 大逆転」(千葉真一主演)公開。

  • 1975(昭和50)年、4月5日「大脱獄」公開。高倉健との最後のコンビ作となった。

  • 1977(昭和52)年、7月17日「惑星ロボ ダンガードA|惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団」(明比正行と共同演出)公開。

  • 1979(昭和54)年、10月6日「暴力戦士」公開。この後、劇映画は休養に入る。


    [復活]


  • 1991(平成3)年、6月14日「ザ・ヒットマン 血はバラの匂い」(東映Vシネマ)リリース。

  • 1993(平成5)年、7月24日「ゲンセンカン主人」公開。

  • 1995(平成7)年、5月29日「無頼平野」公開。これ以降、自ら立ち上げたプロダクションで「ねじ式」「地獄 (1999年の映画)|地獄」を撮る。

  • 2001年(平成13)年、「盲獣VS一寸法師」を完成させ、6月24日「第23回ぴあフィルムフェスティバル」で上映。本作が最後の監督作品となった。

  • 2004年(平成17)年、3月13日、、上映方式の問題などで難航していた「盲獣VS一寸法師」一般公開が実現。

  • 2005(平成17)年、8月12日肺癌により没す。享年81歳。



    作品


  • リングの王者 栄光の世界 (1957.04.10、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|鋼鉄の巨人 (1957.07.30、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|続鋼鉄の巨人 (1957.08.13、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|鋼鉄の巨人 怪星人の魔城 (1957.10.01、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|鋼鉄の巨人 地球滅亡寸前 (1957.10.08、新東宝)

  • 五人の犯罪者 (1957.11.10、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|スーパージャイアンツ 人工衛星と人類の破滅 (1957.12.28、新東宝)

  • スーパージャイアンツ|続スーパージャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突 (1958.01.03、新東宝)

  • 天城心中 天国に結ぶ恋 (1958.01.26、富士映画)

  • 女体棧橋 (1958.04.12、新東宝)

  • 白線秘密地帯 (1958.09.21、新東宝)

  • 女王蜂の怒り (1958.12.28、新東宝)

  • 戦場のなでしこ (1959.02.25、新東宝)

  • 猛吹雪の死闘 (1959.04.29、新東宝)

  • 日本ロマンス旅行 (1959.06.19、新東宝)

  • 黒線地帯 (1960.01.13、新東宝)

  • 女体渦巻島 (1960.02.27、新東宝)

  • 黄線地帯 (1960.04.29、新東宝)

  • 女王蜂と大学の竜 (1960.09.01、新東宝)

  • セクシー地帯 (1961.01.09、新東宝)

  • 恋愛ズバリ講座 第三話 (1961.01.21、新東宝)

  • 花と嵐とギャング (1961.06.23、ニュー東映東京)

  • 霧と影 (1961.08.26、ニュー東映東京)

  • 黄色い風土 (1961.09.23、ニュー東映東京)

  • 恋と太陽とギャング (1962.03.21、東映東京)

  • 太平洋のGメン (1962.04.22、東映東京)

  • ギャング対ギャング (1962.07.13、東映東京)

  • 暗黒街の顔役 十一人のギャング (1963.01.15、東映東京)

  • ギャング対Gメン 集団金庫破り (1963.02.23、東映東京)

  • 親分を倒せ (1963.06.22、東映東京)

  • 昭和侠客伝 (1963.10.05、東映東京)

  • 東京ギャング対香港ギャング (1964.01.01、東映東京)

  • ならず者 (1964.04.05、東映東京)

  • 御金蔵破り (1964.08.13、東映京都)

  • いれずみ突撃隊 (1964.10.21、東映東京)

  • 顔役 (1965.01.03、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 (1965.04.18、東映東京)

  • 網走番外地|続網走番外地 (1965.07.10、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 望郷篇 (1965.10.31、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 北海篇 (1965.12.31、東映東京)

  • 日本ゼロ地帯 夜を狙え (1966.03.05、松竹大船)

  • 網走番外地|網走番外地 荒野の対決 (1966.04.23、東映東京)

  • 大悪党作戦 (1966.07.09、松竹大船)

  • 網走番外地|網走番外地 南国の対決 (1966.08.13、東映東京)

  • 神火101 殺しの用心棒 (1966.12.23、松竹大船)

  • 網走番外地|網走番外地 大雪原の対決 (1966.12.30、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 決斗零下30度 (1967.04.20、東映東京)

  • 決着 (1967.05.20、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 悪への挑戦 (1967.08.12、東映東京)

  • 網走番外地|網走番外地 吹雪の斗争 (1967.12.23、東映東京)

  • 続決着 (1968.03.30、東映東京)

  • 徳川女系図 (1968.05.01、東映京都)

  • 温泉あんま芸者 (1968.06.28、東映京都)

  • 徳川女刑罰史 (1968.09.28、東映京都)

  • 残酷異常虐待物語 元禄女系図 (1969.01.09、東映京都)

  • 異常性愛記録 ハレンチ (1969.02.21、東映京都)

  • 昇り竜鉄火肌 (1969.03.29、日活)

  • 徳川いれずみ師 責め地獄 (1969.05.02、東映京都)

  • やくざ刑罰史 私刑 (1969.06.27、東映京都)

  • 明治大正昭和 猟奇女犯罪史 (1969.08.27、東映京都)

  • 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 (1969.10.31、東映京都)

  • 殺し屋人別帳 (1970.01.31、東映京都)

  • 監獄人別帳 (1970.04.10、東映京都)

  • 怪談昇り竜 (1970.06.20、日活)

  • 緋ぢりめん博徒 (1972.11.21、東映京都)

  • ポルノ時代劇 忘八武士道 (1973.02.03、東映京都)

  • やさぐれ姐御伝 総括リンチ (1973.06.07、東映京都)

  • 現代任侠史 (1973.10.27、東映京都)

  • 直撃!地獄拳 (1974.08.10、東映東京)

  • 直撃地獄拳 大逆転 (1974.12.28、東映東京)

  • 大脱獄 (1975.04.05、東映東京)

  • 爆発!暴走族 (1975.09.20、東映東京)

  • 実録三億円事件 時効成立 (1975.11.22、東映東京)

  • 爆発!暴走遊戯 (1976.01.15、東映東京)

  • キンキンのルンペン大将 (1976.04.24、東映東京)

  • 暴走の季節 (1976.07.01、東映東京)

  • 惑星ロボ ダンガードA#劇場版|惑星ロボ ダンガードA対昆虫ロボット軍団 (1977.07.17、東映動画) ??? 共同演出

  • 暴力戦士 (1979.10.06、東映東京)

  • ケンタウロスの伝説(1985年)??? 総監督

  • ザ・ヒットマン 血はバラの匂い (1991.06.14、東映ビデオ)

  • ゲンセンカン主人#映画化作品|ゲンセンカン主人 (1993.07.24、キノシタ映画)

  • 無頼平野 (1995.05.29、ワイズ出版=M.M.I.)

  • ねじ式#映画|ねじ式 (1998.07.18、石井プロ)

  • 地獄 (1999年の映画)|地獄 (1999.11.20、石井プロ)

  • 盲獣VS一寸法師 (2001.06.24、一般公開2004.03.13、石井輝男プロ)



    備考


  • 成瀬巳喜男の助監督時代に、成瀬作品の産みの親である脚本家の水木洋子の作品の仕事を渇望していたが、水木に嫌われていた、とする説がある。

  • 2006年8月5日、石井の生前の意思により、網走市内の潮見墓園に墓碑が建てられ、遺骨が納められた。“安らかに 石井輝男”と記された墓碑の碑文は、高倉健によるものである。また、石井の功績を讃え、博物館網走監獄の正門前に石碑“映画『網走番外地』撮影地の碑”が建てられ、2006年8月6日に除幕式が行われた。



    参考図書

    石井輝男映画魂」石井輝男・福間健二、ワイズ出版  ; ISBN 4948735086



    外部リンク


  • 石井プロダクション公式サイト 監督石井輝男

  • 博物館網走監獄 「番外地の生みの親」、網走に眠る・・

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    2008年06月09日

    映画監督[柳下毅一郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    柳下毅一郎



    柳下 毅一郎(やなした きいちろう、1963年 - )は翻訳家、映画評論家、殺人研究家。自称「特殊翻訳家」(後述)。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科非常勤講師(映像芸術論)。大阪府生まれ。甲陽学院中学校・高等学校から東京大学理科一類を経て東京大学工学部建築学科卒業。「ガース柳下」や「曲守彦」のペンネーム|筆名を使うこともある。ただし「曲守彦」は、宝島社勤務時代に使った名前で、現在は使用されない。町山智浩と共に仕事をするときは「ガース柳下」「ウェイン町山」の「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」を名乗ることが多い。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。妻は、サイレント映画・伴奏者の、ピアニスト柳下美恵。東京大学在学中は、山形浩生とともに、「東京大学SF研究会」に属し、共同でウィリアム・バロウズについての研究ファンジン「バロウズ本」を作成した。卒業後、雑誌『宝島』の編集者をへて、フリーに。映画評論コンビの町山智浩とは、『宝\xA1 Eg!YJT=8It;~Be$NF1N=$G$"$C$?!#!VFCN$7$?:,K\7I$+$i1F6A$rN$G$"$k!#O"B3;&?M!"ND4q;&?M!"1G2h!"3$30%5%$%(%s%9!&%U%#%/%7%g%s|SF及びそれに隣接する海外前衛文学(コミック含む)等に造詣が深く、各分野で評論・エッセイを書いている。最愛の作家は、ともに異端のSF作家である、J・G・バラードとR・A・ラファティ。映画評論家としての仕事は、「映画秘宝」を中心に活動しており、ピンク映画やドキュメンタリー映画など一般の評論家がみない映画を積極的に見る一方、邦画・洋画問わず「駄目な大作映画」も見て「どこがどのように駄目か」評論するなどしている。また、著書『興行師たちの映画史』は、「見世物」としての映画を、製作する側の「見世物師としての映画作家たち(=興行師)」の側から論じた、画期的な映画史である。なお、唐沢俊一が著書『裏モノの神様』で、「送ってもらった柳下毅一郎氏の鬼畜映画エッセァ $!X0&$O;`$h$jNd$?$$!Y!D!D=q$-9~$^$l$F$$$k:`NA$OL5Cc6lCc$K$$$$$! /$;$K!"J 8>O$,AjJQ$o$i$:2<Z5r$8$c$J$$$+!#%*%l$ON"%b%N$H$+54C\7O$J$s$>$HL>>h$C$?$3$H$O0lEY$b$J$$!#@N$+$i$:$C$HJ83X


    著書


  • 『世界殺人鬼百選/Ultimate Murder File』(ぶんか社、1996.9)(ガース柳下名義)

  • 『世界殺人ツアー 殺人現場の誘惑』(原書房、1998.2)→文庫化にあたって改題『殺人マニア宣言』(ちくま文庫、2003.9)

  • 『愛は死より冷たい 映画嫌いのための映画の本』(洋泉社、1998.9)

  • 『コンプリート・チャールズ・マンソン チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』 (コアマガジン、1999.10)(共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』(洋泉社、1999.1)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社、2002.5)(町山智浩と共著)

  • 『シー・ユー・ネクスト・サタデイ 完全収録『激殺!映画ザンマイ』』(ぴあ、2003.10)

  • 『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』(青土社、2003.12)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判 2』(洋泉社、2004.9)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バ−カ−・ボ−イズの映画欠席裁判 3』(洋泉社 2007.3)(町山智浩と共著)

  • 『シネマ・ハント ハリウッドがつまらなくなった101の理由』(エスクァイアマガジンジャパン 2007.12)



    編書


  • 『ティム・バートン 期待の映像作家シリーズ』(キネマ旬報社、2000.3)

  • 『実録殺人映画ロードマップ』(洋泉社、2004.4)



    監修書


  • 『実録!マーダー・ウォッチャー 2005summer issue』(洋泉社、2005.7)

  • 『女優・林由美香』(洋泉社、2006.10)(編集は、直井卓俊、林田義行)

  • 『凶悪犯罪の歴史』(ぶんか社文庫 2008.2)



    訳書


  • ウィリアム・S・バロウズ『おかま』(ペヨトル工房、1988)(山形浩生と共訳)

  • J・G・バラード『クラッシュ』(ペヨトル工房、1992)

  • フランク・リシャンドロ『ジム・モリスン/幻の世界』(JICC出版局、1992.4)

  • モリッシー/ジョン・ロバートスン『クイーン・イズ・デッド モリッシー発言集』(JICC出版局、1992.9)

  • ジョン・スラデック『遊星よりの昆虫軍X』(ハヤカワ文庫、1992.12)

  • ウィリアム・S・バロウズ『おぼえていないときもある』(ペヨトル工房、1993)(浅倉久志ほかと共訳)

  • ジョン・レチー『ラッシュ』(白夜書房、1993.5)

  • ジェームス・ヤング『ニコ ラスト・ボヘミアン』(宝島社、1993.5)

  • ギデオン・サムズ『ザ・パンク』(PSC、1994.12)

  • デヴィッド・ブレスキン『インナーヴューズ 映画作家は語る』(大栄出版、1994.12)

  • ハロルド・シェクター『オリジナル・サイコ 異常殺人者エド・ゲインの素顔』(ハヤカワ文庫、1995.2)

  • ブルース・ワグナー『バド・ウィギンズ氏のおかしな人生(上・下)』(扶桑社文庫、1995.9)

  • ルベン・マルティネス『すべてのリズムで踊れ LAラティーノの鳴動』(白水社、1996.2)

  • キャサリン・ダン『異形の愛』(ペヨトル工房、1996.7)

  • J・C・ハーツ『インターネット中毒者の告白』 (草思社、1996.11)(大森望と共訳)

  • オリヴァー・サイリャックス『世界犯罪百科全書』(原書房、1996.12)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、1997.10)

  • マイケル・マッカラーズ『オースティン・パワーズ』(青山出版社、1998.5)

  • ブライアン・マスターズ『ジェフリー・ダーマー死体しか愛せなかった男』(原書房、1999.3)

  • デレク・A・スミシー『コリン・マッケンジー物語』(パンドラ、1999.10)

  • クリストファー・プリースト『イグジステンズ』(竹書房文庫、2000.4)

  • サイモン・クーパー『サッカーの敵』(白水社、2001.3)

  • ニール・ゲイマン『ネバーウェア』 (インターブックス、2001.7)

  • ジェームズ・エリソン『パニック・ルーム』(ヴィレッジブックス、2002.3)

  • R.v.クラフト=エビング著『クラフト=エビング変態性慾ノ心理』 (原書房、2002.7)

  • ロバート・クラム『ロバート・クラムBEST―Robert Crumb’s troubles with women』 (河出書房新社、2002.7)

  • R・A・ラファティ『地球礁』(河出書房新社、2002.10)

  • フィリップ・ゴーレイヴィッチ『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実(上・下)』(WAVE出版、2003.6)

  • スティーヴン・ピジック『アイデンティティー』(ヴィレッジブックス、2003.10)

  • ウィリアム・S・バロウズ『ソフトマシーン』(河出文庫、2004.6)(山形浩生と共訳)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、2004.6)

  • ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(国書刊行会、2004.7)

  • サイモン・クーパー『アヤックスの戦争 第二次世界大戦と欧州サッカー』(白水社、2005.2)

  • デニス・オニール『バットマンビギンズ』(SB文庫、2005.6)

  • シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社、2005.6)(大森望編、大森望、伊藤典夫と共訳)

  • R・A・ラファティ『宇宙舟歌』(国書刊行会、2005.10)

  • ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会、2006.2)(浅倉久志、伊藤典夫と共訳)

  • マット・ウェイランド、ショーン・ウィルシー編『世界の作家32人によるワールドカップ教室』(白水社、2006.5)(越川芳明と共監訳)

  • ブライアン・オールディス『ブラザ-ズ・オブ・ザ・ヘッド』(河出文庫 2007.1)

  • ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』(河出書房新社 2008.2)(編集を担当。大森望らと共訳)



    外部リンク

    Kiichiro Yanasita's Murderous Page - 本人による公式ホームページ

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    2008年06月08日

    映画監督[高畑勲]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    高畑勲



    高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部フランス文学|仏文科卒業。紫綬褒章受賞。日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家で、「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの演出で知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。



    人物・概要

    岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長・土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎を父に持ち[http://www.pref.okayama.jp/soshiki/detail.html?lif_id=1778]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《''Paroles''》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。また、フランスの長編アニメーション映画「キリクと魔女」日本語版の字幕翻訳・演出、さらに原作本の翻訳も手がけている。同じくフランスの長編アニメーション映画「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。アニメ業界に入るきっかけは、海外の長編アニメ「やぶにらみの暴君」\xA1 $K46LC$7$?$+$i$G!"Bg3XB46H8e$KEl1GF02h$KF~/G/%1%s!W$G1i=P%G%S%e!


    略歴


  • 1935年10月29日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。

  • 1938年、三重県津市に転居。

  • 1942年、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学。

  • 1943年、父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入。卒業後、岡山大学付属中学校に進学し卒業。

  • 1954年、岡山県立朝日高校を卒業、東京大学教養学部に入学。

  • 1956年4月、東京大学文学部仏文科に進級。

  • 1959年3月、東京大学卒業。4月、東映動画に演出助手として入社。「安寿と厨子王丸」「鉄ものがたり」「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「新・ゲゲゲの鬼太郎」「アパッチ野球軍」などに参加。東映動画労働組合での組合運動を通じ宮崎駿と親交を深める。

  • 1971年6月10日、宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)へ移籍。「ルパン三世」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」に参加。

  • 1973年、宮崎駿、小田部羊一と共に瑞鷹 (アニメ製作会社)|ズイヨー映像(現日本アニメーション)へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などに参加。

  • 1978年、宮崎駿の「未来少年コナン」に(絵コンテ)参加。

  • 1979年、 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン演出。

  • 1981年、 テレコム・アニメーションフィルムへ移籍。「じゃりン子チエ」(脚本・監督)公開。

  • 1982年、「セロ弾きのゴーシュ」(脚本・監督)公開。

  • 1983年、「リトル・ニモ」の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板。

  • 1984年、「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)公開。

  • 1985年、 スタジオジブリ設立に参画。

  • 1986年、「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)公開。

  • 1987年、「柳川堀割物語」(脚本・監督)公開。

  • 1988年、「火垂るの墓」(脚本・監督)公開。

  • 1989年、「魔女の宅急便」(音楽演出)公開。

  • 1991年、「おもひでぽろぽろ」(脚本・監督)公開。

  • 1994年、「平成狸合戦ぽんぽこ」(原作・脚本・監督)公開。

  • 1998年、1998年秋の紫綬褒章を授章。

  • 1999年、「ホーホケキョとなりの山田くん」(脚本・監督)公開。



    宮崎駿との関係

    アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年共に作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は大きいと言われている。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えたと言われている。但し、現在は二人の作風や思想に埋めがたい溝があり、二人三脚で作品を作ることはなくなっている。(作風の違いについては宮崎駿の項参照)高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。(こどもの城(渋谷)での講演より)
    とはいっても、今でも互いの才能は認めている。例えば、高畑は「となりのトトロ」を、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。他方宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、千と千尋の神隠しの制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為である。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである。



    仕事
    緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描けず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランぁ rE83+$5$;!"$=$l$r:n2h5;=Q$r;}$D%9%?%C%U$,3(%3%s%F$K$^$H$a$k$H$$$&7A<0$r$H$C$F$$$kただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。。しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。

    スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。



    手がけた主要作品


  • 1962年 鉄ものがたり (演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)

  • 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)

  • 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)

  • 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)

  • 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)

  • 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (演出)

  • 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗

  • 1971年 ルパン三世 (演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)

  • 1972年 パンダコパンダ (監督)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 (監督)

  • 1974年、1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ (演出)

  • 1976年、1980年 母をたずねて三千里 (演出)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン (演出・脚本)

  • 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版

  • 1981年、1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版

  • 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)

  • 1982年 リトル・ニモ|ニモ/NEMO (日本側演出) ※1983年3月12日に降板

  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)

  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)

  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)

  • 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)

  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)

  • 1999年 ののちゃん#ホーホケキョ となりの山田くん|ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)



    賞歴


  • 1998年 紫綬褒章を受章。

  • 2007年 第12回アニメーション神戸賞・特別賞を受賞。



    著書




    [単著]


  • 『ホルスの映像表現』(ISBN 4196695140)

  • 『映画を作りながら考えたこと』(ISBN 4195546397)

  • 『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(ISBN 4198609713)

  • 『木を植えた男を読む』(ISBN 4193642798)

  • 『話の話―映像詩の世界』(ISBN 4196695248)

  • 『漫画映画の志―「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店,2007年 ISBN 4000220373)


    [共著]


  • (宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ)『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社,1988年,ISBN 4106019566)


    [訳書]


  • ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』(ISBN 4198616906) 翻訳

  • ジャック・プレヴェール『ことばたち』(ぴあ,2004年 ISBN 4835609603)翻訳

  • ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』(ぴあ,2006年,奈良美智絵,ISBN 4835616359) 編・訳



    関連書籍


  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)



    脚注





    関連項目


  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • スタジオジブリ



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • GhibliWorld.com(英語)

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所


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    2008年06月07日

    映画監督[山田洋次]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山田洋次



    山田 洋次(やまだ ようじ、1931年9月13日 - )は、大阪府豊中市出身の映画監督、脚本家。川島雄三、野村芳太郎の助監督を経て、1961年に『二階の他人』でデビューする。以降、『男はつらいよ』シリーズをはじめとする膨大な数の人情劇を発表し、大衆的な人気がある。中国などでは、日本映画界の第一人者としてよく知られている。いわさきちひろ美術館理事。関西大学 大学院文学研究科・立命館大学映像学部双方の客員教授。作風は、落語等の影響を受けており、主に人間ドラマに焦点を当て、ユーモアとペーソスに溢れたものである。奇を衒った様な映像、性的描写や暴力表現等、安易に人目を惹く様な表現は抑制し、一般人や社会の逸れ者のささやかな日常生活に潜む喜びと哀しみを丹念に描く。



    来歴


  • 1931年、大阪府豊中市生まれ。南満州鉄道|満鉄のエンジニアだった父親の勤務のため、2歳で満州に渡り少年期を過ごした。終戦後の1947年、大連市|大連から一家で日本に引き揚げ、15歳から18歳までを山口県宇部市の伯母の持ち家で過ごした。流れ者や社会の逸脱者を多く描くのは、山田自身の引き揚げ体験が強く影響している。

  • 旧制宇部中(現在の山口県立宇部高等学校)を経て山口高等学校 (旧制)|旧制山口高等学校(現在の山口大学)在学中に学制改革を経験。新制の東京都立小山台高等学校から東京大学法学部に入学。怠学による出席日数不足で中退するつもりであったが、1954年に東京大学を卒業して、松竹に入社する。野村芳太郎作品の脚本家・助監督を務めた。1961年、『二階の他人』で監督としてデビューした。

  • 大島渚、篠田正浩、吉田喜重といった気鋭の新人が松竹ヌーヴェルヴァーグとして活躍していた時代にあって、山田は地味な存在であった。ヌーヴェルヴァーグ派が松竹から独立して行く中、松竹大船調路線の後継者として『下町の太陽』、『馬鹿まるだし』等のコメディを中心とした作品で企業内監督の道を歩む。

  • 1969年、『男はつらいよ』を発表。その後27年間に全48作が製作される大ヒットシリーズとなり、国民的映画とまで言われた。しかし、車寅次郎役である渥美清の体調が優れなくなってからは、年2回作られていた『男はつらいよ』シリーズを年1回に減らし、さらに渥美の病状が深刻になってからは、甥の満男を主役としたサブストーリーが作られ、満男の出番を増やして寅次郎の出番を最小限に減らす決断をするが、松竹の経営事情などにより映画の制作は続けざるをえなかった。第47作と第48作は、ドクターストップがあったものの無理に出演して貰ったものである。1996年8月13日、「寅さんとのお別れの会」で弔辞を読んだ。このように渥美とは長年いっしょではあったものの渥美の家族や個人的な連絡先は知らなかったと言う。知るようになったのは寅さんとのお別れ会の後である。渥美の死去によって『男はつらいよ』シリーズを失った4年後には大船撮影所が閉鎖され、監督としてメガホンを執る機会も減ってしまった。

  • 2002年、藤沢周平原作の『たそがれ清兵衛』を発表する。山田にとって、『運がよけりゃ』に続く2度目の時代劇『たそがれ清兵衛』を、「山田監督初めての時代劇」と紹介するのは誤りである。ただし『運が良けりゃ』は、「時代喜劇」とも呼ばれるもので、設定は江戸時代であるものの、筋のメインは喜劇である。よって、『たそがれ清兵衛』を「山田監督の初めての本格時代劇」とすれば、全くの誤りとは言えなくなる。であり、藤沢作品を初映画化したものであった。他の時代劇では無視され続けてきた“位の低い”武士の苦悩を描いた物語である。構想に10年を掛け時代考証に徹底して拘った。登場人物が綺麗な新品の服ではなく、着古した古着を着ていたり、毎日月代を剃るはずが無いから、剃った部分に髪が生えてくる等の実に細かい部分をリアルに丹念に描き、「第76回アカデミー賞」外国語映画部門にノミネートされた。

  • 2004年、再び藤沢原作の時代劇『隠し剣 鬼の爪』を発表し、「第7回ジンバブエ国際映画祭」最優秀作品賞を受賞した。

  • 2006年、大相撲横綱審議委員の山田は、「部員不足解消に役立つなら」と、OBである東京大学相撲部の名誉顧問となった。京都大学との交流戦を観戦し、「初心者にしか見えない学生が鼻血を出しながら立ち向かう姿が愛しい」と興奮した。

  • 2007年、自身の監督作『幸福の黄色いハンカチ』がハリウッドでリメイクされる事が決定。主人公はオスカー俳優・ウィリアム・ハートが演じる。



    エピソード


  • 最終作の撮影現場で体調を崩して楽屋で寝込んでいた所、その頃は既に自分の死が近いことを悟っていたのか渥美清から「山田さん大丈夫ですか?あなたは体を大事にして長生きしなければなりませんよ。」と言われたのが今でも心に残っていると言う。

  • 近年ではロケ地に行くと「男はつらいよを何本でも作れそうだ」と語っている。



    主な受賞


  • 芸術選奨文部大臣賞(1969年)

  • 菊池寛賞(1972年)

  • アジア映画祭最優秀喜劇賞(1980年)

  • 都民栄誉賞(1982年)

  • ウィーン市ヨハン賞(1989年)

  • 紫綬褒章(1996年)

  • 上海国際映画祭最高監督賞(1999年)

  • 勲四等旭日章|旭日小授章(2002年)

  • 文化功労者(2004年)

  • アジア映画終身監督賞(2008年)

  • アジア・フィルム・アワード特別功労賞(2008年)



    主な作品


  • 「二階の他人」(1961年)

  • 「下町の太陽」(1963年)

  • 「馬鹿まるだし」(1964年)

  • 「いいかげん馬鹿」(1964年)

  • 「馬鹿が戦車でやってくる」(1964年)

  • 「霧の旗」(1965年)

  • 「運が良けりゃ」(1966年)

  • 「なつかしい風来坊」(1966年)

  • 「坂本九|九ちゃんのでっかい夢」(1967年)

  • 「愛の讃歌」(1967年)

  • 「喜劇 一発勝負」(1967年)

  • 「ハナ肇の一発大冒険」(1968年)

  • 「吹けば飛ぶよな男だが」(1968年)

  • 「喜劇 一発大必勝」(1969年)

  • 「男はつらいよ」(1969年〜1995年、全48作)

  • 「家族 (映画)|家族」(1970年)

  • 「故郷 (映画)|故郷」(1972年)

  • 「同胞 (映画)|同胞」(1975年)

  • 「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)

  • 「遙かなる山の呼び声」(1980年)

  • 「キネマの天地」(1986年)

  • 「ダウンタウン・ヒーローズ」(1988年)
       ベルリン映画祭コンペティション

  • 「息子 (映画)|息子」(1991年)

  • 「学校 (映画)|学校」1〜4(1993年〜2000年、全4作)

  • 「虹をつかむ男」(1996年〜1997年、全2作)

  • 「たそがれ清兵衛」(2002年)
       アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ベルリン映画祭コンペティション、ハワイ映画祭グラプリ、香港電影金像奨アジア映画賞

  • 「隠し剣 鬼の爪」(2004年)
       ジンバブエ国際映画祭最優秀作品賞、ベルリン映画祭コンペティション、イスタンブール映画祭グランプリ

  • 「武士の一分」(2006年)
       ベルリン映画祭

  • 「母べえ」(2008年)
       ベルリン映画祭コンペティション


    [脚本のみ]


  • 「釣りバカ日誌」(1988年〜)

  • 「祖国 (テレビドラマ)|祖国」(2005年)

  • 「出口のない海」(2006年)



    主な著書


  • 山田洋次作品集」(全8巻) 立風書房

  • 「映画をつくる」 大月書店

  • 「寅さんの教育論」 岩波書店

  • 「寅さんの学校論」 岩波書店

  • 「映画館(こや)がはねて」 中公文庫


    [参考文献]


  • 山田洋次の<世界>」 筑摩書房(2004年、切通理作著)



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • 田坂具隆

  • いわさきちひろ美術館



    脚注





    外部リンク


  • 日本映画データベース

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