2008年07月16日

映画監督[辻仁成]

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映画ファン「映画監督・評論家編」
辻仁成



辻 仁成(歌手・映画監督の場合つじ じんせい、作家の場合および本名つじ ひとなり、1959年10月4日- )は、日本の音楽家|ミュージシャン、映画監督、小説家。血液型はO型。現在の妻は、女優の中山美穂。京都造形芸術大学 芸術表現・アートプロデュース学科クリエイティブ・ライティングコース教授。



略歴


  • 1959年10月4日 東京都南多摩郡日野町(現日野市)に生まれ、その後父親の仕事の都合で福岡市、帯広市、函館市と各地を転々とする。北海道函館西高等学校卒業。成城大学経済学部中退(著書『そこに僕はいた』参照)。

  • 1985年、ロックバンドのECHOES(エコーズ)のヴォーカリストとしてデビュー。

  • 1989年、「ピアニシモ」で第13回すばる文学賞を受賞し作家デビュー。

  • 1991年、 ECHOES解散。本格的に作家としての活動を始める。

  • 1997年、「海峡の光」(『新潮』1996年12月号)で第116回芥川龍之介賞|芥川賞を受賞。函館市栄誉賞受賞。

  • 1999年、『白仏』の仏翻訳語版でフランスの五大文学賞の一つである「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として初めて受賞。祖父、今村豊がモデルとなっている。



    人物

    現在はパリを拠点に創作活動を続けている。6作目となる監督作品「アカシアの花の咲き出すころ 〜ACACIA〜」の制作発表が2008年6月に行われた。トヨタ「BLADE」とのコラボレーション企画として製作され、2008年11月に完成予定。2009年の公開を目指すという。主演には、アントニオ猪木。叔父は童話作家の故東君平。母は東君平夫人と従姉妹にあたる。
    弟:辻恒久は福岡市で陶芸教室を開いている。
    瀬戸内寂聴や江國香織、建築家の坂茂と交友が深い。


    [著作本]


  • 『ピアニシモ』(1990年/集英社)(第13回[すばる文学賞]受賞)

  • 『クラウディ』(1990年/集英社)

  • 『カイのおもちゃ箱』(1991年/集英社)

  • 『ガラスの天井』(1992年・エッセイ集/集英社)

  • 『旅人の木』(1992年/集英社)

  • 『そこに僕はいた』(1992年・エッセイ集/集英社)(ここに収録されている「新聞少年の歌」は教育出版の中学1年国語の教科書に、「そこに僕はいた」は東京書籍の中学1年国語の教科書に収録されている)

  • 『フラジャイル』(1992年・戯曲/徳間書店)(舞台「フラジャイル」原作)

  • 『屋上で遊ぶ子供たち』(1992年・詩集/集英社)

  • 『ミラクル』(1993年/講談社)(ミュージカル「ミラクル」原作)

  • 『希望回復作戦』(1993年・詩集/集英社)

  • 『グラスウールの城』(1993年/福武書店)

  • 『母なる凪と父なる時化』(1994年/新潮社)(第110回芥川賞候補作)

  • 『オープンハウス』(1994年・短編集/集英社)(映画「オープンハウス」原作)

  • 『愛はプライドより強く』(1995年/幻冬舎)

  • 『ここにいないあなたへ』(1995年・写真詩集/集英社)

  • 『パッサジオ』(1995年/文藝春秋)

  • 『錆びた世界のガイドブック』(1995年・写真+短編集/角川書店)

  • 『ぼく、いたくない』(1995年・絵本/新書館)

  • 『応答願イマス』(1995年・詩集/集英社)

  • 『ニュートンの林檎(上・下巻)』(1996年/集英社)

  • 『アンチノイズ』(1996年/新潮社)

  • 『きょうのきもち』(1996年・ポストカードブック/フレーベル館)

  • オリジナル文庫『函館物語』(1996年・写真エッセイ集/集英社文庫)

  • 『音楽が終わった夜に』(1996年・エッセイ集/マガジンハウス)

  • 『海峡の光』(1997年/新潮社)(第116回芥川賞受賞)

  • 『僕のヒコーキ雲』(1997年・日記/集英社)

  • 辻仁成詩集 現代詩文庫149』(1997年・詩集/思潮社)

  • 『白仏』(1997年/文藝春秋)(仏語翻訳版でフランスの文学賞「フェミナ賞・1999年外国小説賞」を日本人として初めて受賞)

  • 『世界は幻なんかじゃない』(1998年・写真+エッセイ集/幻冬舎)

  • ミニ文庫『ガンバルモンカ』(1998年・短編集/角川ミニ文庫)

  • 『ワイルドフラワー』(1998年/集英社)

  • 『五女夏音』(1998年/中央公論新社)

  • 『千年旅人』(1999年/集英社)(映画「千年旅人」原作)

  • 『冷静と情熱のあいだ Blu』(1999年/角川書店)(『冷静と情熱のあいだ Rosso』は江國香織著)(映画「冷静と情熱のあいだ」原作)

  • 『嫉妬の香り』(2000年/小学館)(TVドラマ「嫉妬の香り」原作)

  • 『ニューヨークポエトリーキット』(2000年・詩集/思潮社)

  • 『愛をください』(2000年/マガジンハウス)(TVドラマ「愛をください」原作)

  • 辻仁成 青春の譜』(2000年・歌詩集/幻冬舎)

  • 『サヨナライツカ』(2001年/世界文化社)

  • 『恋するために生まれた』(2001年・江國香織氏との対話集/幻冬舎)

  • 『太陽待ち』(2001年/文藝春秋)

  • 『目下の恋人』(2002年・短編集/光文社)(映画「目下の恋人」原作)

  • 辻仁成+種田陽平式映画づくりの旅』(2002年/世界文化社)(種田陽平と共著)

  • 『愛と永遠の青い空』(2002年/幻冬舎)

  • 文庫『彼女は宇宙服を着て眠る』(2002年・短編集/集英社文庫)

  • 『ZOO 〜愛をください〜』(2002年・写真詩集/河出書房新社)

  • 『オキーフの恋人 オズワルドの追憶(上・下巻)』(2003年/小学館)

  • 『99才まで生きたあかんぼう』(2003年・イラスト辻仁成/集英社+ホーム社)

  • 『いまこの瞬間 愛しているということ』(2003年/集英社)

  • 『刀』(2004年/新潮社)

  • 『代筆屋』(2004年/海竜社)

  • 『いつか、一緒にパリに行こう』(2005年・パリガイドブック・写真エッセイ集/光文社)

  • 『幸福な結末』(2005年/角川書店)

  • 『アカシア』(2005年・短編集/文藝春秋)

  • 絵本『ヤダとイイヨ』(2005年/リーガル出版)

  • 文庫『二十八光年の希望』(2006年・「いまこの瞬間 愛しているということ」より改題/集英社文庫)

  • 文庫『青空の休暇』(2006年・「愛と永遠の青い空」より改題/集英社文庫)

  • 『愛のあとにくるもの』(2006年/幻冬舎)(対応する韓国側作品は孔枝泳著)

  • 『ピアニシモ・ピアニシモ』(2007年/文藝春秋)

  • 『人は思い出にのみ嫉妬する』(2007年/光文社)

  • 『孤独にさようなら』(2007年/マガジンハウス)


    [ビデオ]


  • 『生まれ変わるとしたら』(1996年)(ポエトリー・リーディング)



    音楽




    [作品]


  • 『WELCOM TO THE LOST CHILD CLUB』(ECHOES)

  • 『HEART EDGE』(ECHOES)

  • 『No Kidding』(ECHOES)

  • 『Goodbye gentle land』(ECHOES)

  • 『HURTS』(ECHOES)

  • 『Dear Fridnd』(ECHOES)

  • 『EGGS』(ECHOES)

  • 『遠くの空は晴れている』(辻仁成

  • 『君から遠く離れて』(辻仁成

  • 『言葉はキュークツ』(辻仁成

  • 『第三反抗期』(辻仁成

  • 『Sq.-スクエア-』(辻仁成

  • 『抜本的政治改革』(BEAT MUSIK)

  • 『NEW WALL』(TSUJI JINSEI×BEAT MUSIK)■2007年
    8月

  • 『Jinsei Songs The Best of 辻仁成+3』(辻仁成/Sony Music)■2008年
    1月

  • DVD『辻』(JINSEI TSUJI/HANNA MUSIC)

  • CD『辻』(JINSEI TSUJI/HANNA MUSIC)



    [楽曲を提供したアーティスト]


  • 浅香唯 … 『孤独(ひとり)〜この声が聞こえても〜』(作曲)

  • 甲斐バンド … 『O'l Night Long Cruising』(作詞)

  • カルメン・マキ … 『ワイルドフラワー』(作詞・作曲)

  • 川村かおり … 『ZOO』・『Sweet Little Boy』・『真っ白な月-Moon On The Destiny-』(作詞・作曲)

  • 小森まなみ … 『ハートのKey Station』(作曲)

  • 中村あゆみ … 『つなぎとめてほしい』(作詞)・『Star Lights』(作曲)

  • 中村雅俊 … 『耐えられない愛の軽さ』(作詞・作曲)

  • 野本直美 … 『Crossroad Again』(作詞・作曲)

  • 高橋研 … 『St.Jone's crusedes』(共作)

  • 蓮井朱夏(菅野美穂) … 『ZOO 〜愛をください〜』(作詞・作曲)

  • 早見優 … 『風になれ』(作詞・作曲)

  • BEGIN … 『愛が走る』(作詞)

  • Yuma …『光の子供』・『見つけてね』・『Aria』(作詞・作曲)

  • Lyrico … 『キレイ』(作詞、映画『目下の恋人』エンディング)



    映画監督


  • 『天使のわけまえ』(1994年)(自主制作)

  • 『千年旅人』(1999年)

  • 『ほとけ』(2001年)(ドーヴィル・アジア映画祭にて最優秀イマージュ賞受賞)

  • 『フィラメント』(2002年)

  • 『目下の恋人』(2002年)



    テレビドラマ&映画 原作の提供・脚本・監督


  • TV『愛をください』(原作・脚本/フジテレビジョン|フジテレビ系)

  • TV『嫉妬の香り』(原作の提供/テレビ朝日|テレビ朝日系)

  • TV『愛の手前 恋のとなり』(原作「目下の恋人」・脚本・監督/2002年3月テレビ朝日|テレビ朝日系)

  • 映画『冷静と情熱のあいだ』(原作:辻仁成&江國香織/監督:中江功/2001年11月・東宝系にて公開)

  • 映画『オープンハウス』(原作の提供・監督:行定勳/2003年12月・池袋シネリーブルにて公開)



    出演番組




    [ラジオ]


  • Radio Freedom・金曜日(1985年12月 - ? 横浜エフエム放送|FM横浜)

  • 辻仁成のオールナイトニッポン・月曜日・2部(1987年10月 - 1989年10月 ニッポン放送)

  • FMロックサーキット・水曜日(1987年10月 - ? FM福岡)

  • パックインミュージック21・水曜日・1部(1993年1月 - 4月 TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ)



    エピソード





    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • 江國香織

  • 孔枝泳

  • 鈴木慶一

  • 松武秀樹

  • 尾崎豊

  • ポエムリーディング

  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • 辻仁成 オフィシャルウェブサイト

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    2008年07月15日

    映画監督[崔洋一]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    崔洋一



    崔 洋一(さい よういち、チェ・ヤンイル、???、男性、1949年7月6日- )は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。日本映画監督協会理事長、宝塚造形芸術大学教授でもある。大韓民国|韓国籍。



    来歴・人物

    1949年7月6日、長野県佐久市に生まれる。1968年、東京朝鮮中高級学校を卒業。東京綜合写真専門学校中退後、照明助手として映画界に入り、小道具を経てまもなく演出部に転向、1976年、『愛のコリーダ』(監督大島渚、主演藤竜也)、1978年、『最も危険な遊戯』(監督村川透、主演松田優作)の助監督 (映画)|チーフ助監督を務める。1981年、テレビ映画『プロハンター』(主演草刈正雄、藤竜也)で監督デビュー。同作のプロデューサーであった日本テレビ放送網|日本テレビの山口剛、セントラルアーツの黒澤満 (映画プロデューサー)|黒澤満のプロデュースのもと、「火曜サスペンス劇場」を2作撮り、満を持して1983年、『十階のモスキート』(主演内田裕也)でスクリーンに本格的にデビューする。同作はヴェネツィア国際映画祭にも出品され、1984年、毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。1993年、日本衛星放送(現WOWOW)のプロデューサー仙頭武則が立ち上げた「J・MOVIE・WARS」シリーズでのテレビ映画『月はどっちに出てぁ $$k#ドラマ|J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(主演石橋凌)にひきつづき、シネカノンの李鳳宇のプロデュースのもとに手がけた『月はどっちに出ている』(主演岸谷五朗)で報知映画賞、ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞、毎日映画コンクールほかの各賞、各部門賞受賞のほか、第17回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞にノミネートされる。文藝春秋のマルコポーロ1993年9月号にて「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」などとした発言に対し一部在日コリアンから「誤解を招く」と非難の声が上がる1996年には韓国の延世大学に留学、同国の映画人たちとの交流をはかる。1999年、映画『豚の報い』(主演小澤征悦)で第52回ロカルノ国際映画祭ロカルノ国際映画祭#金豹賞|金豹賞にノミネートされ、ドンキホーテ賞(国際シネクラブ賞)を受賞したAwards for Yoichi Saiによれば「ドンキホーテ賞 ''Don Quixo! te Award''」、日本映画監督協会 - 理事長の「プロフィール」には「国際シネクラブ賞」とあるので併記した。。また自作のWOWOW版『月はどっちに出ている』に「タクシー会社の課長」役で出演以来、俳優としての活動も頻繁になり、ついに同年、俳優として『御法度 (映画)|御法度』(監督大島渚)に近藤勇役で出演、翌2000年の第53回カンヌ国際映画祭の地を大島監督、ビートたけし、松田龍平とともに踏んだ。2005年、ビートたけし主演の映画『血と骨』(2004年)で第28回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞。また同年、かつてTBSテレビの「男と女のミステリー」で手がけた大沢在昌原作の『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(主演山崎努、1989年)以来、ひさびさに「大沢在昌#アルバイト探偵シリーズ|アルバイト探偵シリーズ」(『帰ってきたアルバイト探偵』)を原作に、WOWOWの「ドラマW」で『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(主演椎名桔平)を演出した。2006年、初の韓国資本の映画『\xA1 Th (映画)|壽』(主演チ・ジニ)の撮影を開始し、2007年3月22日韓国国内で公開、同年ドイツの「ミュンヘン・アジアフィルムフェスト」で上映された。2008年1月25日にはドイツで早くもDVDが発売される予定であり、2008年夏、日本でも公開の予定である。近年は日本テレビ放送網の『午後は○○おもいッきりテレビ』やテレビ朝日の『ビートたけしのTVタックル』などにコメンテーターとして出演することも多く、辛口コメントで有名。『爆笑問題のススメ』(札幌テレビ放送)では国鉄から鉄の資材を盗んで売っていたと告白したが謝罪はなかった。2004年、日本映画監督協会第8代理事長に就任、2007年4月、宝塚造形芸術大学教授に就任。2007年秋、白土三平原作、宮藤官九郎脚本、松山ケンイチ主演による映画『カムイ外伝』の撮影を開始、2009年公開の予定である。



    人物像
    テレビ出演の際の言葉遣いが非常にネット\xA1 >e$GLdBj$H$J$k!#



    フィルモグラフィ




    [ 助監督 ]


  • 1975年 ブラザー劇場『刑事くん』(第3部、テレビ映画、東映・東京放送|TBS)

  • 1975年 『新宿警察 (テレビドラマ)|新宿警察』(テレビ映画、東映・フジテレビジョン|フジテレビ)

  • 1975年 『告発 在日韓国人政治犯レポート』 監督岡本愛彦(統一社プロ)

  • 1976年 『愛のコリーダ』 監督大島渚(大島渚プロダクション、アルゴス・フィルム)

  • 1977年 『北村透谷 わが冬の歌』 監督山口清一郎(三映社、日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 1978年 『皮ジャン反抗族』 監督長谷部安春(東映セントラルフィルム、東映ビデオ|東映芸能ビデオ)

  • 1978年 『殺人遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1978年 『最も危険な遊戯』 監督村川透(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『俺達に墓はない』 監督澤田幸弘(東映セントラルフィルム)

  • 1979年 『さらば映画の友よ インディアンサマー』 監督原田眞人(キティ・フィルム|キティ・フィルム・コーポレーション)

  • 1979年 『探偵物語』(テレビ映画、東映芸能ビデオ・日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 1980年 『戒厳令の夜』 監督山下耕作(白夜プロダクション)

  • 1980年 『不良少年』 監督後藤幸一(東映)


    [ 監督 ]

    ・1980年代

  • 1981年 『プロハンター』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)
    第15話 『狙われた罠』
    第16話 『悪い女』
    第25話 『ロング・グッドバイ』(最終回)

  • 1982年 火曜サスペンス劇場『孤独な狩人』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 火曜サスペンス劇場『恐怖』(テレビ映画、セントラルアーツ・日本テレビ)

  • 1983年 『十階のモスキート』(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • 1983年 『性的犯罪』(日活|にっかつ)

  • 1983年 土曜ワイド劇場『松本清張の断線』(テレビ映画、東映・テレビ朝日)

  • 1984年 『いつか誰かが殺される』(東映、角川映画#角川春樹時代|角川春樹事務所)

  • 1985年 『友よ、静かに瞑れ』(角川春樹事務所)

  • 1985年 『特命刑事ザ・コップ』(テレビ映画、テレキャスト・朝日放送)
    第5話 『死刑の街に罠をはれ!』
    第6話 『ため死い旅をとめろ!』「特命刑事ザ・コップ」放送リストを参照。 

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『亜樹子・哀しみ色の罠』(テレビ映画、テレパック・TBS)

  • 1986年 水曜ドラマスペシャル『恋物語』(テレビ映画、角川春樹事務所・TBS)

  • 1987年 『黒いドレスの女』(角川春樹事務所)

  • 1987年 火曜サスペンス劇場『あなたに似た人』(テレビ映画、ヴァンフィル・日本テレビ)

  • 1988年 『花のあすか組!』(角川春樹事務所)

  • 1988年 乱歩賞作家サスペンス『罠の中の七面鳥』(テレビ映画、東映・関西テレビ放送|関西テレビ)

  • 1989年 『Aサインデイズ』(大映 (映画)|大映)

  • 1989年 男と女のミステリー『探偵冴木涼介 十番街の殺人』(テレビ映画、TBS);1990年代

  • 1990年 水曜グランドロマン『最後の結婚詐欺』(テレビ映画、ギャラクシー・ワン・日本テレビ)

  • 1991年 水曜グランドロマン『他人にいえない職業の男』(テレビ映画、ギャラクシーワン・日本テレビ)

  • 1991年 『襲撃 BURNING DOG』(東映ビデオ)

  • 1993年 『月はどっちに出ている#ドラマ|J・MOVIE・WARS 月はどっちに出ている』(日本衛星放送、ヒルヴィラ、東映)

  • 1993年 『月はどっちに出ている』(シネカノン)

  • 1995年 『平成無責任一家 東京デラックス』(アミューズ、シネカノン、テレビ東京)

  • 1995年 『マークスの山』(松竹、アミューズ、丸紅)

  • 1998年 『犬、走る。DOG RACE』(東映ビデオ)

  • 1999年 『豚の報い』(サンセントシネマワークス);2000年代

  • 2002年 『刑務所の中』(ビーワイルド、衛星劇場)

  • 2004年 『盲導犬クイールの一生|クイール』(松竹、テレビ東京、テレビ大阪、衛星劇場ほか)

  • 2004年 『血と骨』(「血と骨」製作委員会)

  • 2005年 ドラマW『アルバイト探偵(アイ) 100万人の標的』(テレビ映画、ビーワイルド・WOWOW)

  • 2007年 『壽 (映画)|壽』(原題『?』、製作TrizCLUB) ※初の韓国映画

  • 2009年 『カムイ外伝』(配給:松竹、製作プロダクション:ビーワイルド映画「カムイ外伝」公式サイトを参照した。2007年11月21日閲覧。



    ビブリオグラフィ


  • 『月はどっちに出ている - 崔洋一の世界』(鄭義信らと共著、日本テレビ放送網|日本テレビ出版部、1993年 ISBN 4820394169)

  • 『東京デラックス - 平成無責任一家』(鄭義信と共著、扶桑社、1994年 ISBN 459401609X)

  • 『映画「血と骨」の世界』(梁石日、鄭義信と共著、新幹社、2004年 ISBN 4884000420)



    関連項目


  • 日本の映画監督一覧

  • BATTLE TALK RADIO アクセス(TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ。2003年9月ごろまでコメンテーターとして出演、不定期)

  • 若松孝二

  • 山口剛 (プロデューサー)

  • 岡田裕(ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)

  • アナーキー (バンド)

  • 角川春樹

  • 榎望



    出演番組


  • 情報ライブミヤネ屋(讀賣テレビ|ytv、月曜日)









    外部リンク




  • 日本映画監督協会 - 同協会の公式サイト

  • テレビドラマデータベース

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    2008年07月14日

    映画監督[水野晴郎]

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    映画ファン「映画監督・評論家編」
    水野晴郎



    水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 - 2008年6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。生涯、独身であった。出生時の本名は水野和夫(みずの かずお)。通称・マイク・ミズノ (Mike Mizno) 。なお、訃報に接した水野の愛弟子・西田和昭によると、山下奉文陸軍大将への尊敬の念とシベリア超特急シリーズへの愛着から「水野先生は『(戸籍における)本名を山下奉文陸軍大将と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した』と自分に告げ、(改名・証拠文書として)保険証を見せてくれた」とのこと水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見 シネマトゥデイ映画ニュース2008年6月11日で、日本紳士録第八十版にもそれを裏付けるプロフィールの記述がある。



    経歴



    [ 生い立ち ]

    1931年、岡山県高梁市に誕生。2歳からは満州で育ち、第二次世界大戦後は岡山県に引き揚げる。青年期には岡山から大阪・神戸市|神戸・姫路の映画館に通っていた。慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で「紙幣捌きの名人」と称されていた。両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を男手一つで育てた。


    [ 映画界へ ]

    映画との出会いは戦後であった。 戦時中は軍人として死ぬ事を教育されていた水野は敗戦後の価値観の変化に戸惑う。アメリカ合衆国|アメリカに押しつけられた民主主義というものの意味が理解できなかった。そのときに出会ったのがアメリカ映画であった。「民主主義というのはこういう面白い映画をみんなが自由に撮れて、みんなが自由に観ることのできる社会なんだ!」そしてこの出会いは水野の人生そのものを決めることになったのであった。1956年、20世紀フォックス映画に入社し映画界へ。5年後にユナイテッド・アーティスツ|日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「史上最大の作戦」「真夜中のカーボーイ」「夕陽のガンマン」、「追想」、意図的に誤字を使った「007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発」などの邦題を考案したのも水野と言われる。この間1960 BG/Be$K$O!JK\L>!K?eLnOBIW!&L>5A$G!"$^$?FHN)8e$O水野晴郎・名義で、映画雑誌「スクリーン」や「キネマ旬報」に映画評などを多数執筆している。同誌には特に2000年代前半あたりまで「水野晴郎対談」や「アカデミー賞受賞作に見るアメリカ映画の楽しさ」など多数の連載ものをもっていた。


    [金曜ロードショーの解説者として]
    独立後は1972年10月4日から、日本テレビ放送網|日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(1972年〜1985年までは『水曜ロードショー』)の解説を担当。1983年6月、初の拘束名簿式比例代表制による選挙が行われた第13回参議院議員通常選挙比例代表区に確認団体「新自由クラブ民主連合」(新自由クラブと社会民主連合とが結成していた統一会派)から名簿順位第3位で出馬し、落選した(新自由クラブ民主連合の獲得議席は1。当選者は田英夫)。選挙出如 O$N$?$a!"6bMK%m!<%I%7%g!<$N2r@b$r1983年6月から降板\xA1 $7$F$$$? $,!"1985年4月に復帰。1997年3月まで24年半に渡って解説を続け、水野の知名度を飛躍的に上げることになった。その後1997年に「金曜ロードショー」の解説を降りたあとも、日本テレビの深夜の映画番組「麹町名画座」で「いやぁ映画って本当にいいもんですね〜」の文句とともに解説を5年間続けた。なお、「シベリア超特急」の上映会がアメリカで開かれた際に渡米していた2000年の途中からは水野の解説なしで同番組が放送されていた。水野はこの間、雑誌「スクリーン」の連載「アカデミー賞受賞作にみるアメリカ映画の楽しさ」も休載している。「いやぁ、映画って本当に(「ほんっとうに」と発音)いいもんですね〜(他に「面白いもんですね〜」や「素晴らしいもんですね〜」もあった。)」という水野のセリフは瞬く間に定着し、お茶の間の人気を集めることとなった。番組プロデューサーによると「クルーカットに口髭という一目で覚えられる風貌だったことが採用の決め手になった」とのこと。そのため収録時は口髭をメークで強調。当初はカメラの前で極度に緊張するのでNG連発だったという。本番前にココアや豆乳を亜 {$`$3$H$G5$;}$A$rMn$ACe$+$;$k$J$I!"47$l$k$^$G$O6lO+$NO"B3$@$C$?!#Cx:n!VJl$N0&!!$=$7$F1G2h$"$l$P$3$=!=L4$H4uK>$rDI$$B3$1$?$o$,60年」において「世界の警察を取材するために海外へ渡るときは解説を何本かまとめ撮りしていた」と述べている。また、番組開始時はフィルム撮影だったためNGを出すとフィルムを廃棄して頭から撮り直しになるので「いつか上手くなって一発で決めよう」と意気込んでいたが、そうなる前の1976年10月に「撮り直しの利くビデオ撮影に切り替わった」と当時を振り返っている。 またフジテレビジョン|フジテレビ系の映画番組『ゴールデン洋画劇場』も、「シベリア超特急」が放映される場合のみ解説を担当したことがある。ゴールデン洋画劇場の解説者の高島忠夫が病気療養で降板したため


    [映画俳優挑戦と「シベ超」シリーズ誕生]
    1992年には日活の創立80周年記念作品『洛陽』に山下奉文役で映画俳優に挑戦この起用は、軍服姿の水野の風貌が「山下奉文に酷似していたから」と言われ\xA1 $k!#。これが4年後の『シベリア超特急』に繋がぁ C$F$$$/! #2004年の映画「下妻物語」では、「主人公の下妻物語#登場人物と映画キャスト|白百合イチゴがコンビニで「水野晴郎」を見かける」という設定で本人役で友情出演していた。登場時にはテレビ出演時に水野がよく着るシベリア超特急のロゴが大きくプリントされた白のスウェットシャツを着ていた。ウィズダムを設立し、映画評論の仕事以外にもMGMのミュージカル「雲流るるはてに」、カトリーヌ・ドヌーブ主演「銀行」など海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。2004年には秋田県のシネマコンプレックス・パンテオンシネマズAKiTAをプロデュース。神戸のサンテレビジョン|サンテレビの映画番組『ドリームシアター』においても(体調不良により降板するまで)解説を担当した。また、2008年現在エフエム京都|α-Stationで放送されている番組『CHUMMY TRAIN』では、水野による「いやぁ、チャミトレって本当にいい番組ですね〜」というジングル (ラジオ)|ジングルが使用されている(現在は番組オープニング\xA1 $K$F;HMQ!K!#$3$l$O0JA0$3$NHVAH$N%2%9%H$K8F$P$l$?$H$-$K<}O?$7$?$b$N$G$"$k!#$3$NB>!"0lIt$NH/Gd6H

    [晩年]
    晩年の2000年代前半には体重の増加で肝臓が悪くなっており、骨粗鬆症にもなっていていたという。2006年1月には吐血して意識不明にもなっている。2007年6月29日、映画の試写室で階段踏み外しによる転倒で背骨を圧迫骨折して全治3ヶ月の重傷を負った(2004年にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している)。2007年10月にクランクインするはずだった「シベ超」シリーズ最終作の撮影も延期されていた。周囲が心配していた矢先に同年12月13日、自宅で転倒、肋骨を骨折し動けずにいたところを所属事務所関係者に発見され、12月17日までに入院した。2008年4月ごろにはペンすらもてなくなった。それでもなお、口述筆記で製作活動をつづけていたとのこと。そして2008年6月10日(15察 ~05分)肝不全により死去、水野晴郎さん死去、映画に情熱捧げた生涯 nikkansport.com、2008年6月11日「シベ超」終着駅に… 水野晴郎さん死去infoseek news 6月11日。死の直前には長年の夢であった「水野晴郎映画塾」を立ち上げたばかりだった。先述した「シベ超」最終作の台本はできあがっていたといい、西田らが何かしらの形で完成させるとの事。尚、葬儀・告別式は親族で行ない、7月17日に品川プリンスホテルにて、水野自身が創設した『日本映画批評家大賞』主催で偲ぶ会が開かれる予定である。



    「シベ超」

    1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、「シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。



    邦題・宣伝担当作品


  • ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (映画)|ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

  • 史上最大の作戦

  • 真夜中のカーボーイ

  • 夕陽のガンマン

  • 007 ロシアより愛をこめて|007/危機一発

  • 女王陛下の007

  • 夜の大捜査線

  • チキ・チキ・バン・バン

  • 華麗なる賭け

  • 眼下の敵



    出演映画


  • ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発 (2008年、松竹、監督:河崎実) 死去のおよそ2ヶ月前に撮影されており、遺作となった。一般公開は2008年7月(予定)。



    警察マニアの一面

    警察マニアとしても有名で、国際警察官協会の日本支部会長を務める。アメリカ合衆国|アメリカで保安官補(実際に活動する執行官)の体験勤務をしたり、パトカーのサイレン音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。警官の制服を着ているときの満面の笑みは有名。かつては警察学校で警官の昇進に関わる本格的な講義を受け持っていた他、生前には日本各地の警察、警察大学校、警察学校で講演していたこともあった。警察庁長官からは表彰を受けている。本業の映画解説にも米国警察や司法制度に精通する一面が随所で発揮された。かつては『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』で放送される本編の映画が93分未満で放送時間が余った際、映画とは関係のない水野の警察関係のコレクションや記念写真がミニコーナーでたまに放送されることがあった。また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されているが、この大学は実態のないディプロマミル(学位商法)である。なお、日本のパトカーにアメリカ式のパトライト、つまりバーライトを採用するよう提案したのは水野だという(本人談)  #=>MhF|K\$N%Q%H%+!<$K$O%k!<%U$NCf1{$K?eJ?2sE><0!&E{>u$N@V?'7Y8wEt$,$]$D$s$H水野晴郎の映画がいっぱい」「水野晴郎の映画がいっぱい2」「水曜日は映画の気分」「水野晴郎のわが映画人生」「水野晴郎の映画365」「映画のわかる本」「シベリア超特急連続殺人事件」「水野晴郎と銀幕の花々 : 日本映画の大女優たち 」「Women in Hollywood : ハリウッドの女神100年伝説」「ビデオで観る100本の洋画」「映画の旅はロマンでいっぱい」「ハリウッド100年」「世界のお巡りさん24時」「パトカーで駆けめぐるニューヨークの昼と夜」「アメリカン・ポリス体験旅行」「ザ・お巡りさん : 第一線警察官への手紙」「パトカー図鑑」「ザ・お巡りさん : 世界の警察直撃取材」など多数。



    水野ファミリー

    水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。
    そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。



    エピソード


  • 映画評論の仕事で多忙を極め、時間がなかったことから2本の映画を一度に、しかも同時に見たことも。「そんなんで話の内容、分かりますか?」と尋ねられた水野は「2本とも分かりませんでした」と答えている。

  • 名セリフである『いやあ、映画って本当にいいもんですね!』だが、本人に拠ればその言葉が出たのは「水曜ロードショーで1974年4月3日に放送した「シェーン」の映画で、最後の解説で時間が余った時に出た一言。担当者から『もう一言付け加えてください』と言われてとっさに出た言葉だったんだよ」とのことである。スポーツ報知 2008年6月12日付紙面に記事があるが、その詳しい経緯に関しては、1997年頃にスポーツニッポンのインタビューで報じられている。

  • 伊集院光のラジオ「深夜の馬鹿力」に出演した際、水野本人が語ったところによると初体験は18歳の時、森の中で年上の女性とだったと語っていた。

  • ラジオでおすぎに、弟子の西田和昭(西田和晃)を「まるで恋人みたい」と言わせるほど弟子思いの一面を持つ。

  • 他人の映画へのカメオ出演する場合、映画の内容にかかわらず「本人自身の役で、胸に『シベリア超特急』のロゴが入ったトレーナを着ている」か、「警官役で、制服姿である」のいずれかであると言ってよい。

  • 上述のように、水野自身が宣伝担当していた007シリーズのパロディである映画『0093 女王陛下の草刈正雄』(2007年公開)にもカメオ出演した。この他テレビゲームソフトであるゴールデンアイ 007のCMにも浜村淳と共演で出演していた。

  • 親代わりになって育てた妹が嫁ぐ時、涙を見せまいと毅然と装っていたが、途中席を立ち、式場のトイレで一人感涙したという。

  • 江頭2:50の著書?エィガ批評宣言?の帯のコメントが最後の仕事であった。

  • ゲイの趣味があり告白したこともある。水野晴郎激白…「シベ超」お色気番外編「欲捧/a>列車」 ] (ZAKZAK) 200年08月26日



    CM


  • ソニーベータマックス

  • リーバイス



    関連事項


  • 浜村淳

  • 西田和昭

  • ナンシー関

  • パンテオンシネマズAKiTA

  • 水野晴郎シネマ館

  • HANDSHAKING(第5回対談)

  • ケータイ刑事 銭形シリーズ

  • 浅草キッド

  • おすぎ

  • 新自由クラブ

  • 社会民主連合

  • 岡山県出身の人物一覧



    脚注





    外部リンク
    * 水野晴郎ドットコム(公式サイト)

  • 早稲田大学人物研究会・水野晴郎講演録

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月13日

    映画監督[押井守]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    押井守



    押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督、演出家。その他にも、ゲームクリエイター、小説家、脚本家、漫画原作者と活動は幅広い。東京都大田区出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度より東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授に就任予定であると、同大学のホームページにおいて発表があった。代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画『イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった(星雲賞では過去に例がある)。イヌ|犬好きであり、犬(バセット・ハウンドという希少な種類らしい)の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用していた。現在、公の場では靴下や下着など目立たない部分のみに止めている。個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区 (東京都)| $B9A6h8W%NLg!#2!0f<+?H$NA43[=P;q$K$h$C$F@_N)$5$l$?!#



    作風

    押井守が多く用いる映像表現として、アニメとコンピュータグラフィックス|CGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。これらの手法は押井の独創ではないが、現在の漫画・アニメ界に関わる多くの人に影響を与えている(押井のこれらの手法の使い方が印象的であることの証明ともいえる)。また「映画の半分は音楽である」と語るほど音楽を非常に重視しており、近年の作品の音楽はすべて川井憲次に任せている。もはや川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せないと言える。その映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「哲学的」に語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。押井の永遠のテーマとも言えるシナリオの方法論として、「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」がある。これも上記と同じく押井が源流ではない(前例として古くは荘子、近年では楳図かずお、フィリップ・K・ディック等が挙げられる)。押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で\xA1 !V<+J,$N:nIJ$N5R$O1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「北野武|たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。。また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。NHKの番組に出演した際、最も気に入っている作品はどれかと聞かれ、「自分で最も\xA1 K~B-$G$-$?:nIJ$O%"%t%!%m%s!W$HEz$($?!#?&?M4FFD$H$7$F@):n$KF~$C! $?:nIJ$O 7h$a$i$l$?M=;;$G%-%C%A%jG<4|$^$G$K;E>e$2$k$3$H$r%]%j%7!<$H$7$F$$$F!"8=$K!J8=>l$,F0$-=P$9A0$KF\:C$7$?:nIJ$r=|$-!KKX$I$N:nIJ$GM=;;$HG<4|$r犬が登場するシーンも含まれる。は、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断したシーン『機動警察パトレイバー 2 the Movie』ではかつての特車二課第二小隊の面々のエピソード、『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の回想シーンがカットとなっている。は画コンテ|コンテ段階で極力省かれる。中には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の諸星あたるが幾多の夢を迷走するシーンの一部や、『アヴァロン (映画)|アヴァロン』の冒頭、装甲ヘリが 爆撃態勢に入るカットなど、ほぼ完成していながら本編に入らなかった例もある。 ぁ =$&$7$?!"%9%H!<%j!]$rM?$($kMW0x$N1つとも言える。イノセンスの完成後会見では、「一回見ただけで分かられてたまるかという意気込みで作った」と述べており、作品を分かりやすくする意思は毛頭ないようである。1度完成し、公開された作品の映像に新たに手を加えることを好まず、ビデオソフト化においても本編に未公開シーンを加えた完全版などは基本的に制作されなかった。例外に森本晃司 (アニメーター)|森本晃司が手がけたシーンを加えた『うる星やつら オンリー・ユー 完全版』、音声を5.1chにサウンドリニューアルした『機動警察パトレイバー the Movie』 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がある。 しかし2007年末、「ブレードランナーファイナルカット版」の上映に伴うトークセッションにおいて「以前だったら絶対やらなかったと思うんだけど、ある作品は、今作り直す価値があるんじゃないかと考えている」と発言しており、「スカイ・クロラ|スカイ・クロラ The Sky ! Crawlers」の制作発表時にも見られた信条の変化が伺われる。!



    経歴

    1970年、東京学芸大学入学後すぐに「映像芸術研究会」を設立、金子修介を含む3人が集まり、実写映画を撮り始める。この時期、いくつか映画を撮るが、完成したのは卒業制作の一本のみ。学生時代は塾の講師を2年務めていた。卒業間近に映画監督を諦めて小学校の図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまい、映画関係の会社に就職活動するも全滅する。1977年、ラジオ制作会社に就職して番組を制作していたが、給料が少なく生活が辛かったので半年で退社。プラモデルを作るなど暇をもてあましていた時に、電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロの面接を受ける。この時、会社の制作した全ての作品を見ていると嘘をついて入社、実際はガッチャマンを数回見た程度だった。当初は事務雑用をしていたが、演出の人手不足からアニメ演出を手掛けるようになる。やがて、2年早く入社した西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター掘 P83$rGc$o$l!":G=i$+$i1i=P$rG$$5$l$F$$$?!#FHFC$N%.%c%0$N:MG=$r%?%D%N%3%W%m1i=PItD9$N:{@n$R$m$7$KGc$o$l$F!"!X%?%$%`%\%+%s%7%j!<%:!Y$rD9$/C4Ev!#%?%D%N%3%W%mB`8e$K8F$S=P$7$rlHGBh1作『うる星やつら オンリー・ユー』、さらに劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で単なるアニメ演出家というよりも映像作家として認知されるようになる。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(同年の1位は『風の谷のナウシカ』)。虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランスの演出家となる。1984年に宮崎駿、大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』の映画ルパン三世 バビロンの黄金伝説|第3作の監督の依頼を受ける。ところが、半年間考えた脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝と読売テレァ S$N%W%m%G%e!<%5!<$+$iKW$K$5$l$F@=:n$OCf;_!JF|K\J|Aw6(2q|NHKの番組トップランナーに出演した折の発言によると、その脚本とは「ルパンなる人物は実は存在しない」という内容だったという。)。その後、同映画のスタッフだった天野喜孝とともに、徳間書店・『アニメージュ』のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA『天使のたまご』を完成させる。なお、『天使のたまご』には、のちの劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』にも共通する、幻となった押井版ルパン三世|押井版『ルパン三世』で押井が描こうとしたテーマが根底に流れているといわれる。また、同年『アニメージュ』誌で初の漫画原作作品『とどのつまり…』連載を開始。作画は『うる星やつら』の作画を支えた森山ゆうじが担当した。1987年、タツノコプロで同僚だった西久保瑞穂が監督を務めた『赤い光弾ジリオン』に参加。画コンテ|絵コンテ2本のみだったが、この作品がきっかけとなって、後に活動の拠点とするProduction I.Gとの付き合いが始まる。同年、声優・千葉繁の宣伝|プロモーションビデオを自主制作する話が発展し\xA1 !"!X$&$k@1$d$D$i!Y$bC4Ev$7$?2;6A@):n2q押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時の写真フィルム|フィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、成人向けアニメが1位を記録していた、とのこと。
    これは日本アニメ史上初の快挙として、国内で大きく報道された。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス (映画)|マトリックス』はその影響を強く受けている。国内のプロからあまりはっきりした評価を受けず、海外のプロから激賞されたという意味で、日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。押井本人にそのような実感は無く、ビルボードさえ知らなかったと話す。1997年に織部賞を受賞。

    2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。カンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。2005年の2005年日本国際博覧会|愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。学生時代はSF小説家も志望していたが、ほぼ同い年である山田正紀のデビュー作『神狩り』を読んで才能の差にうちのめされ、「小説家になるのを諦めた」といくつかのインタビューで語っている。なお、山田は小説『イノセンス After The Long Goodbye』の執筆も手がけており、同作品内で押井は寄稿文を寄せている。



    人物像




    [ 本人について ]


  • 兄、姉の三人兄弟の末っ子。血液型O型。姉は舞踏家の最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。

  • 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つ利己主義|エゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。

  • 1968年に高等学校|高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。

  • 大学の同窓生によれば卒業制作は絵画・彫刻によるとされているにもかかわらず、ただ一人映画製作をし、強引に卒業作品として教授に認めさせ卒業してしまったという。使用したカメラはNHKから安く手に入れたベル&ハウエル。

  • 学生時代に影響を受けた映画監督はジャン=リュック・ゴダール。才能があると感じる監督にリドリー・スコット、デヴィッド・リンチを挙げている。

  • 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越したと公言している。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー (1979年の映画)|ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀ 2007年4月3日 永眠)と雑種のダニエル(通称ダニィ・♂ ダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越しをし、さらに看病のために仕事を休んだため、一時は監督解任かと騒がれたという逸話がある。また、完成した絵コンテにはハンコが捺印されるが、その絵柄も犬である。猫も嫌いというわけではなく過去には愛猫「ねね」(2000年 夏 永眠)、現在「水無月」がいる。

  • 初対面の人間ともよく喋るが、早口で小声である。また、字が汚く、師匠筋にあたる鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともある。そのため近年の画コンテ|絵コンテには写植が施されている。

  • 耳の聞こえが良くないので、邦画より字幕つきの洋画を好んで鑑賞する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』を海外で撮影した理由のひとつは字幕が出る方が好都合だと判断した為。

  • ゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』に随筆|エッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作に関わったゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコン『サンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』、そして昨今ではプレイステーション・ポータブル|PSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPG『ウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」「ワイバーン」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に至っては、『ウィザードリィ』を押井が独自の解釈で映像化したものであり、押井が脚本を担当した『パトレイバー』TV版の『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ』のパロディとなっている。

  • かつてパソコン通信を嗜んでおり、アスキー (企業)|アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。

  • 戦車や銃、戦闘機を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。下でも触れているが、人手が足りない『うる星やつら』初期に、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。特に好きな航空機は、三式戦闘機|飛燕。『笑っていいとも』(フジテレビ)2008年7月3日、テレフォンショッキングのコーナーにて本人が発言。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。

  • 初のOVA『ダロス』製作時には、作画スタッフをビルの屋上に集めて目の前でモデルガンを撃ち、薬莢は均一に飛ばないことを力説した。

  • アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌『アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』や『タイムパトロール隊オタスケマン』、『ヤッターマン#.E7.AC.AC2.E4.BD.9C.EF.BC.88.E3.83.AA.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.AF.E7.89.88.EF.BC.89|ヤッターマン(第2作)』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。「ミニパト」の中でも押井をモデルにした犬「オシイヌ」が登場する。

  • 『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。コンピュータグラフィックス|CGの登場により、実写とアニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)|ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、後に『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に活かされている。

  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。

  • 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒は飲まないとのこと。

  • 教員免許は小学校1級、中学校2級を所持していて、学生時代は何度も教育実習に行ったので子供の扱い方には慣れていると話す。教員試験の書類の提出を忘れた友人は、自分の教員試験の書類は提出しているという。

  • 制作した作品は暴力的なシーンが多い。これについては、「僕らの仕事は暴力とエロを表すことだ」という考えに基づくものだと言う。サンサーラ・ナーガ1×2必勝攻略法よりしかし、押井本人は実は血に弱く、『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』 の撮影中、銃撃シーン用に用意された大量の血糊を見て気分が悪くなり、その大半を廃棄させたこともある。

  • 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田。チェルシーFCとその元監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。その影響は作品にも現れ「押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬」作中の実在していない人物の名前は、サッカー選手から取られている。

  • 一度見た映画は3カット見れば思い出すが、日常生活での約束や用事はすぐに忘れてしまうと語っている。なお、つまらない映画ほど記憶には残っているという。

  • 中高時代に柔道をやっていたので身体は丈夫で、腐りかけた牛乳を飲んでも身体を壊すことは無いという。一人の時の食事は5分以内に済ます。

  • ライターとなった娘(前妻との娘)からの取材を受けたことがあり、その際は「妙な気分だった」と語っている。この娘は作家乙一の夫人となった。

  • 「うる星やつら」での制作に「懲りて」今後は一生テレビアニメ制作はしないと心に決めている(宮崎駿に「テレビシリーズであくせくせずに自分の作りたいものを作れ」と助言されたことも一因だという)。以来テレビアニメには脚本・絵コンテ・企画の監修程度しか関わっていない。機動警察パトレイバーのTV化に「シリーズ化なんだ、あんたがやるのが筋だろう」と監督を依頼されるも、何とか粘って断ったという過去がある。

  • 原画製作の経験もあり、「うる星やつら」の制作時、戦闘機・戦車が書けるアニメーターがいなかったために押井が描いていた(しかし、さすがに旋回シーンは書けなかったと言う。クレジットには表記されていない)。「ダロス」制作時にも最終話のレーザービーム発射シーンの2・3カットは押井が書いていた(同じくノンクレジット)。

  • 「SFの匂いのする作品を追いかけて観ていた」という高校時代『ウルトラセブン』、特にアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子に憧れを抱く。NHKの『週刊お宝TV(2006年5月19日放送)』に出演した際ひし美のサイン入り写真集(『セブン』時代のもの)を贈られ感激、さらに『真・女立喰師列伝』では「鼈甲飴の有理」役にひし美を起用、演出している。

  • 旧Production I.G(現IGポート)の大株主の1人でもある(2008年1月現在、全株式の0.8%所有)。

  • 小学生時代はパイロットを目指していたが、運動神経が良くなかったため断念。体育の成績だけが、1か2だったと2008年7月3日放送の『笑っていいとも』出演時に、本人の口から語っている。(ちなみに他の学科の成績は全て5であったそうである)


    [ 人間関係 ]




    [ 宮崎駿 ]


  • 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。押井は宮崎駿がかねてよりその才能を認めていた数少ない同業者の一人であり、ルパン製作に押井を推薦するなどしている。対談でも圧倒的な論理を展開する宮崎に対して押井も独自の理論を展開して応戦するなど負けていない(宮崎は自分と対等に理論的に話せる相手を欲している、と鈴木プロデューサーは語っており、押井はその数少ない一人だったといえる)。また、二人の作品には共通点もあり、例えば戦車や飛行機など軍用機器や車、バイクを出すのが好きであること、モブシーンが多いこと、時折難解で長い文章を人物に話させること、高度なカメラワーク、そしてアニメ界屈指の演出能力の高さ、オチの付け方などである。初対面は『うる星やつら オンリー・ユー』制作後に当時アニメージュ編集者であった鈴木敏夫の引き合わせによって実現した対談の場である。その対談で宮崎は初対面であるにも拘らず『うる星やつら オンリー・ユー』についての疑問点を押井にぶつけ、押井自身もそのことを承知していただけに大変悔しい思いをしたと語っている。(宮崎は相手に才能がなければこんな質問は通常せぁ :!"$=$l$@$12!0f$N:MG=$rG'$a$F$$$?$+$i:Y$+$$ItJ,$,5$$K$J$C$?$N$G$"$k!#$&$k@1$d$D$i$K$*$1$k;E;v$K$D$$$F$O!VN5G72p=iEP>l$N2s$OLLGr$+$C$?!W$J$I$H>^;?$7$F$*$j!"$^$?86:np$b$7$F$$$k!#!K!!$=$N;~$K2!0f$O!V1は自分の思い通りにできなかったけど、2は絶対リターンマッチしてみせる」と意気込んでおり、宮崎も励ましていた。その後、スタジオぴえろを退社した押井は、一時宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかしその一方で、考え方の上での二人の対立(科学文明への賛否や環境問題|環境保護の有り方など)溝は深いとも言われる。宮崎のワンマン体制であるスタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」、「ソ連国家保安委員会|KGB」、「道場」と評している。またこれらにちなんで、宮崎駿を「書記長」、高畑勲\xA1 $r!V%m%7%"6&OB9q$NBgE}NN!W!"NkLZIRIW$r!VKGB長官」と評しぁ F$$$k!#J <4o$KJB30$l$?94$j$r8+$;$k2!0f$,!VC/$b$d$C$?$3$H$N$J$$6uCf@o!W$r8+$;$k$H0U5$9~$`!X%9%+%$!&%/%m%i The Sky Crawlers』の会見で「空中戦に関しては、はっきり言って宮さんより自信があります」と語ったように、親しみも敬意も対抗意識も見られる関係ながら、『スカイ・クロラ』について語られる端々に表れる「若い人に」という言葉は子供達の将来を案じる宮崎の姿勢に近づいて来ていることを窺わせる。宮崎が『千と千尋の神隠し』で、押井が『イノセンス』などで画の情報量に拘わり抜いた後の新作(『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』)では画のシンプルさを表明するという共通点が現れた。


    [ その他 ]


  • 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れした押井が新たに作ったもの。このサークルには後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代の押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。

  • 高畑勲についてはその作品に「ちょっと血が通ってないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」という理由であまり共感できない模様である。 しかし、演出的な意味では宮崎駿の作品よりも、高畑の『赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン』などの作品から受けた影響の方が大きいと語っている。

  • 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。

  • 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと冗談交じりに嘯いているという。

  • 宮崎駿の長男宮崎吾朗とは彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという逆に押井は娘から『紅の豚』のセル画が欲しいとせがまれている。。ボツになった企画『アンカー』の会議にも顔を出しており、押井が参考に持っていったTVドラマ『安寿子の靴』に感動していたという。月刊誌『サイゾー』での対談では「宮崎駿|宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ。」と迫っている。宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている。

  • 大塚康生とは宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている。参考文献 キネマ旬報(第1166号) 臨時増刊 1995年7月16日号『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 押井守インタビューより

  • 庵野秀明は、押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、「修行僧のような生活」に耐えかねて二週間で逃げ出したという(『AERA』掲載の「現代の肖像」(押井守)での記載)。また、押井の作風を「衒学的」と評したこともあったという。しかし、『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり(詳細は後述)、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』制作時、Production I.Gには『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズの制作の打診もあり、石川社長は受けるかどうか迷っていたが、押井は庵野に直接会い(石川に無断で)断りを入れている。

  • 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるアニメ制作に関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などと、限定的な評価に留まっている。

  • 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメをおだてておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」(対談当時。2006年に新設された)との発言をしている。

  • 高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔との多くの対談において「『装甲騎兵ボトムズ|ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉・沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。

  • 富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を評価しており、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオマージュ的な側面もあると語っている。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』で、庵野を聞き手に押井守が作品について多くを語っている。別の誌面での富野との対談時、押井は本人にその旨を伝えたが、富野の方は「お世辞だと思って聞き流した」とのこと(ただしこれがホンネかどうかは不明)。ただしガンダムそのものに対しては、「僕は『ガンダム』にはものすごく違和感を感じるんだね。僕個人の志向性、戦争とか暴力とかの敷居の上にはあるんだけど。『未来少年コナン|コナン』なんてのは自分の抱えている世界とはかなり違うから、素直に入っていったのかもしれないけどね」と語っている。

  • 安彦良和はかつて押井を非常に高く評価し、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たときには「引退を考えるほどの衝撃を受けた」と語っている『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン-G20』☆Vol.4 特集:安彦良和 - アニメの終わりと物語の始まり (エンターブレイン、2005年)。ただし、2007年には雑誌のインタビュー記事で『機動警察パトレイバー2 the Movie』以降の作品については違和を感じていることを表明しており、「今度会ったら『俺、あんたの作品嫌いだよ』と言ってやるつもりだった」とも述べている「歴史の忘却と捏造に抗して 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 という挑戦
    」(更科修一郎によるインタビュー)『ユリイカ』2007年9月号(青土社)


  • 出崎統監督作品、「劇場版エースをねらえ!」のビデオを何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している。

  • 実写の映画人では、ビートたけし|北野武に関心を持ち、作品のソフトはすべて所有している。一方、たけしは自らが審査委員長を務める東京スポーツ映画大賞の作品賞に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、主演女優賞に草薙素子を選出したことがある。

  • 少年時代からSF作家の光瀬龍のファンであり、高校時代にはファンレターを書いたことがきっかけで自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に対談で約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた。光瀬が亡くなった時に押井は『アヴァロン』の撮影で海外へ渡航中であり葬儀に出席できなかった。このことを押井は大変悔いていた。光瀬が亡くなった翌年(2000年)の日本SF大会(ZERO-CON)で押井が光瀬との思い出を語る企画が設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)また押井はこの後2005年の日本SF大会(HAMA-CON2)においても企画に参加している。

  • 「ガルム戦記」企画の際、当時はまだ知る人ぞのみ知る存在だった細田守の才能をいち早く見抜き、デジタル監督に抜擢した。結局は周知の通り凍結してしまうものの、それが縁となり交流が始まる。時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女に関して「『トキカケ』とかけて『葱ぬきのカケ』と解きます。そのココロは−どちらも出来立ての熱いのを戴くのが一番。茹で過ぎに注意。期待してます。」と早く見ることを勧めるコメントを残した。公開直前、細田・樋口・秋山貴彦と座談会を行う。アニメや特撮においてCGがこれからもたらすものその後押井の娘と乙一の結婚披露宴の際、細田に記念映像の制作を依頼する。



    映画作品




    [ アニメ ]


  • 1982年 『劇場版ニルスのふしぎな旅』 (画コンテ|絵コンテ・演出(案納正美と共作)、諸事情で公開されず、野田真外曰く「事実上押井さんが監督」)

  • 1983年 『ダロス』(脚本・監督・絵コンテ。世界初のOVA作品、一部地域で小規模の劇場公開を行った)

  • 1983年 『うる星やつら オンリー・ユー』 (監督・脚色・絵コンテ、実質上劇場監督デビュー作)

  • 1984年 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1990年 『御先祖様万々歳!|Maroko / 麿子』 (原作・監督・脚本)

  • 1993年 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1995年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 (監督・絵コンテ)

  • 1997年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』 (監督)

  • 2000年 『人狼 JIN-ROH』 (原作・脚本) (監督は沖浦啓之)

  • 2002年 『ミニパト』 (脚本・音響プロデュース・演出コンセプト) (『WXIII 機動警察パトレイバー 』の併映。監督は神山健治)

  • 2004年 『イノセンス』 (監督・絵コンテ・脚本)

  • 2008年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊|GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』 (監督・監修)

  • 2008年 『スカイ・クロラ#映画|スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 (監督)


    [ 実写 ]


  • 1970年 『屋上』(撮影・出演、TVでダイジェスト的に放送された、現在音声は紛失している)

  • 1985年 『八岐之大蛇の逆襲』(機材協力)

  • 1987年 『紅い眼鏡 / The Red Spectacles』(監督・共同脚本・絵コンテ)

  • 1991年 『ケルベロス 地獄の番犬』 (原作・監督・脚本)

  • 1992年 『トーキング・ヘッド』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 2001年 『アヴァロン (映画)|アヴァロン』 (監督)

  • 2003年 『KILLERS キラーズ』 (「.50 Woman」の監督・脚本)

  • 2005年 『ローレライ (映画)|ローレライ』 (「B-29〈ドッグ・スレー〉号機体マーク」デザイン)

  • 2007年 『真・女立喰師列伝』(原作・総監修・OP、『金魚姫 鼈甲飴の有理』、中CM、『ASSALT GIRL ケンタッキーの日菜子』監督・脚本)


    [ オシメーション (スーパーライヴメーション)]

    「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優の写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(:en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「オシメーション」という名称はProduction I.G社長石川光久が「押井守の原点にもどって作ってもらおうということで」「原点の赤ちゃんになってもらって、押井監督がおしめをはくような作品」という理由で命名し、『立喰師列伝』の制作会見の席上で西尾鉄也によるデフォルメ調の「おしめを穿いた押井守のイラスト」と共に発表された。 以後、あまり浸透せず宣伝等では「スーパーライヴメーション」という名称で紹介されることが多い。* 2006年 『立喰師列伝』 (原作・監督・脚本)
    第63回ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門に出品。



    テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ・CDドラマ・ゲーム




    [ テレビアニメ ]


  • 1977年 『一発貫太くん』 (13・28話画コンテ|絵コンテ、28話・29・41話演出、演出デビュー作)

  • 1978年 『ヤッターマン』 (55・59話絵コンテ、後半以降総助監督、野村和史名義)

  • 1978年 『科学忍者隊ガッチャマンII』 (6・10・17話演出、6話絵コンテ)

  • 1979年 『魔女っ子チックル』 (43話絵コンテ、名輪丈名義)

  • 1979年 『ゼンダマン』 (3・7・10・16・18・24・25・28・32話演出、3・10・18・24・25・28・32・34・38・50話絵コンテ、30話修正絵コンテ)

  • 1980年 『ニルスのふしぎな旅』 (6・9・10・13・17・18・23・27・32・34・36・40・41・43・46・49・51話演出、9・17・18・19・23・27・32・36・40・41・46・49話絵コンテ)

  • 1980年 『オタスケマン』(14・31・37・41・44・48話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1981年 『ヤットデタマン』(3話演出、丸輪零名義)

  • 1981年 『名犬ジョリィ』 (21・23話演出・16・23話絵コンテ・21・23話演出助手、小川守弘名義)

  • 1981年 『ゴールドライタン』(27・33話絵コンテ)

  • 1981年 『まいっちんぐマチコ先生』(3話絵コンテ)

  • 1981年 『世界名作ものがたり』 (オープニング演出・絵コンテ)

  • 1981年 『うる星やつら』 (チーフディレクター・43・49・64・78・79・83・104話脚本、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・39・43・44・49・56・59・62・66・72・75・84・86・87・91・99・100・116・126・127・129話演出、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・43・44・45・46・59・66・84・87・94・99・102・104・106・113・116・127話絵コンテ)

  • 1982年 『ダッシュ勝平』(21話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1982年 『逆転イッパツマン』 (10・14・17・21・27・33・39話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1983年 『スプーンおばさん (アニメ)|スプーンおばさん』 (54話脚本・絵コンテ)

  • 1983年 『子鹿物語』 (7・12話絵コンテ)

  • 1987年 『赤い光弾ジリオン』 (2・15話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー』 (3・9・14・29・38話脚本)

  • 2004年 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』 (ストーリーコンセプト)

  • 2004年 『風人物語』 (監修)

  • 2005年 『BLOOD+』 (企画協力)

  • 2007年 『PROJECT_MERMAID』 (監督、「アニクリ15」提供作品)


    [ OVA ]


  • 1981年 『りゅうの目のなみだ』 (演出・絵コンテ)

  • 1983年 『ダロス』 (監督・脚本・演出・絵コンテ(鳥海永行と共作))(日本初のOVA)

  • 1985年 『天使のたまご』 (原案・監督・脚本)

  • 1987年 『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』 (原案・監督・脚本)

  • 1988年 『機動警察パトレイバー』 (旧OVA・前期OVA) (監督・絵コンテ)

  • 1989年 『御先祖様万々歳!』 (原作・監督・脚本・絵コンテ)

  • 1990年 『機動警察パトレイバー』 (新OVA・後期OVA) (6・8・10・13話脚本)


    [ ラジオドラマ ]


  • 1987年 『紅い眼鏡を待ちつつ』(脚本)

  • 2006年 『押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬 / Kerberos Panzer J?ger』(脚本)

  • 2007年 『押井守・川井憲次 アハト アハト|acht acht / アハト・アハト』(脚本)


    [ CDドラマ ]


  • 1992年 『ゲーデルを夢見て〜録音監督1993年』

  • 1992年 『しあわせのかたち 水晶の滑鼠』

  • 1996年 『不帰の迷宮‐THE GREAT MAZE OF OVERKILL』(伊藤和典・千葉繁との3人によるリレー脚本)


    [ ゲーム ]


  • 1990年 『サンサーラ・ナーガ』(監督)

  • 1992年 『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』(監督)

  • 1994年 『サンサーラ・ナーガ2』(監督・マッピング)

  • 2001年 『サンサーラナーガ1×2』(監督)

  • 2005年 『機動警察パトレイバー かむばっくミニパト』(総監修)



    その他映像作品


  • 1982年『関西電力』(CM絵コンテ×2本)『うる星やつら』のキャラクターを使ったもの

  • 1991年 『DOG DAYS』(監督)『ケルベロス 地獄の番犬』アップグレード版特別付録レーザーディスク|LDに収録

  • 1996年 『宇宙貨物船レムナント6』(総合監修)(監督は万田邦敏)

  • 1998年 『バトルトライスト』(アーケードゲーム、エンディング絵コンテ)

  • 2000年 『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(企画協力)(監督は北久保弘之)

  • 2003年 『DOG DAYS AFTER』(監督)(『Mamoru Oshii Cinema Trilogy / 押井守シネマトリロジー』特別付録DVD)

  • 2003年 『東京スキャナー』(監修・CGパート絵コンテ)(監督は松宏彰)

  • 2003年 『東京静脈』(監修)(監督は野田真外)

  • 2004年 『球体関節人形展 - DOLLS of INNOCENCE - 』(監修)

  • 2005年 『めざめの方舟 「?鰉 SHO-HO (しょうほう)」「百禽 HYAKKIN (ひゃっきん)」「狗奴 KU-NU (くぬ)」』(総合演出)(:en:Mezame No Hakobune、愛知万博)

  • 2005年 『アイオーン』(演出、愛知万博公開、出演・最上和子、音楽・川井憲次、舞踏)

  • 2006年 『ズームイン!!SUPER』(CM演出)

  • 2006年 『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』(原作・脚本・監督)

  • 2007年 『夢のロボット舞踏会』(総合演出、太鼓演奏・茂戸藤浩司、舞踏・最上和子)

  • 2008年 『ケータイ捜査官7』(監督)

  • 2008年 NHKスペシャル『沸騰都市』OP・ED(監修)



    著書など


  • 1985年 『天使のたまご 少女季』 (あらきりつこ・天野喜孝 共著)

  • 1994年 『Methods 押井守「パトレイバー2」演出ノート』

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(前)』 富士見書房 ISBN 4829125527

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(後)』 富士見書房 ISBN 4829125683

  • 1995年 『注文の多い傭兵たち』

  • 1995年 『攻殻機動隊絵コンテ集』 (士郎正宗 共著)

  • 2000年 『獣たちの夜 - BLOOD THE LAST VAMPIRE』 角川書店 ISBN 4043666012

  • 2000年 『犬の気持ちは、わからない 〜熱海バセット通信〜』 (表紙、挿絵:桜玉吉 )

  • 2000年 『Avalon 灰色の貴婦人』 メディアファクトリー ISBN 4840107424

  • 2004年 『押井守の映像日記 TVをつけたらやっていた』

  • 2004年 『立喰師列伝』 角川書店 ISBN 4048735160

  • 2004年 『これが僕の回答である。1995-2004』

  • 2004年 『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』

  • 2004年 『すべての映画はアニメになる 【押井守発言集】』 徳間書店 ISBN 4198618283

  • 2004年 『押井守・映像機械論 【メカフィリア】』 (竹内敦志 共著)

  • 2005年 『TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR』 エンターブレイン ISBN 4757723660

  • 2005年 『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』

  • 2006年 『勝つために戦え!』

  • 2006年 『雷轟 rolling thunder PAX JAPONICA』 エンターブレイン ISBN 4757726694

  • 2006年 『立喰師、かく語り』

  • 2008年 『戦争のリアル』 (岡部いさく 共著)



    漫画原作


  • 1982年 『うる星やつら〜番外編〜父たち』 (原作) (作画は高田明美)
        『少年サンデーグラフィックうる星やつら3』に収録

  • 1984年 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は森山ゆうじ)

  • 1987年 『西武新宿戦線異状なし』 (原作)(作画は近藤和久)

  • 1988年 『犬狼伝説 Kerberos panzer cop』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 1992年 『西武新宿戦線異状なし DRAGON RETRIEVER』 (原作)(作画は大野安之)

  • 1994年 『セラフィム 2億6661万3336の翼』 (原作) (作画は今敏)

  • 1999年『犬狼伝説 Kerberos panzer cop 完結篇』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 2002年 『殺人者たち The Killers』 (原作)
     読切短編。最初は神崎将臣作画で掲載されたものの、押井・神崎とのストーリー構成の意見の食い違い、ファンから「押井らしくない」と批判があったため、後に杉浦守作画で再掲載。前者は単行本未収録であり、後者は「RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕」の単行本巻末に収録。

  • 2002年 『西武新宿戦線異状なし 番外編』 (原作)

  • 2003年 『RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕』 (原作)(作画は杉浦守)

  • 2006年 『ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女』 (原作)(作画は杉浦守)



    没になった企画


  • シャーロック・ホームズ
     奇しくも登場人物が犬という設定が名探偵ホームズより前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった。(パイロットフィルムもある)

  • フルムーン伝説 インドラ(キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行)
     英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。

  • アンカー(企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏)
     押井はジブリからの誘いに乗り、東京を謎が溢れた暗号化した街として再構成するアイデアを考え、高畑勲も監修として参加しプロットまで作ったが、キャラクター設定やストーリー展開の仕方について宮崎駿と大喧嘩になってしまい、結局その段階でお流れになったという。

  • 突撃!アイアンポーク(原作・企画・監修・宮崎駿)
     宮崎駿の雑想ノート6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。

  • 「押井版ルパン三世」

  • 押井版銀河英雄伝説
     キャラクターから艦までデザインを変更してもよいという条件で2〜3ヶ月付き合ったが結局断っている。

  • 押井版鉄人28号
     メカ造形が気に入ったため、今でも機会を窺っているらしい。

  • 立喰師列伝
     当初はトワイライトQの一作品になるはずであり、その際のタイトルは「最後の立喰い」であった。

  • 西武新宿戦線異状なし
     原作として関わり、1987年に近藤和久作画で「B-CLUB」誌16〜21号に掲載されるが、序盤途中で頓挫。のちに大野安之作画で1992年に仕切りなおし再スタート。基本プロットは近藤版と共通ながら、一部キャラクターの性別や車両の設定が変更された。こちらは無事完結し単行本化されている。

  • 連続ドラマ版 御先祖様万々歳(脚本・じんのひろあき)

  • D(脚本・伊藤和典)
     樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。

  • 犬狼伝説(当初OVA化の予定だった、後に人狼 JIN-ROHの原型となった)

  • ガメラ2 レギオン襲来
     「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。

  • G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)(今でも再開のチャンスを窺っている)

  • PATLABOR LIVE ACTION MOVIE

  • NEXT〜未来は誰のために
     樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画自体は1992年頃から存在しており、「ガルム戦記」頓挫後にガルムで表現しようとしたテクニックを使い始動しようとするもほどなく白紙になった。

  • エルの乱 鏖殺の島(監督のスケジュール等により製作延期)



    関連項目


  • ケルベロス・サーガ

  • Production I.G

  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • 金子修介

  • 伊藤和典

  • 高田明美

  • 樋上晴彦

  • 出渕裕

  • ゆうきまさみ

  • 高橋留美子

  • 黄瀬和哉

  • 沖浦啓之

  • 野田真外

  • 神山健治

  • 本広克行



    御用達声優


  • 千葉繁
     しかし、立喰師列伝のイベントで、「もう押井作品に出演することはないかも」と千葉が発言し押井も「そうだねぇ、もう千葉君も演出家だからね」とコメントしている。

  • 玄田哲章
     容姿を押井に気に入られ、それ以来キャラクターデザインのモデルにされることが多い。一例として『犬狼伝説』の室戸文明。

  • 古川登志夫

  • 立木文彦
     実写では主役に負けないほどよくしゃべる役が多いが、アニメでは台詞の短い脇役(整備員の一人など)が多い。

  • 大塚明夫

  • 山寺宏一
     押井曰く「彼の最大の欠点は、(演技や声色が多彩すぎて)誰も彼の本当の声を知らないことである」とのこと。

  • 田中敦子 (声優)|田中敦子

  • 竹中直人
     「パトレイバー2」の荒川役で仕事をした後、対談し「また一緒にやりましょう!」と意気投合。「ミニパト」を製作する際、再び荒川を登場させるべく押井は竹中に連絡を取ろうとしたが、知らない間に携帯の電話番号が変わっており、その時は実現しなかった。だが、のちに「イノセンス」では連絡が取れ、出演が実現している。

  • 兵藤まこ
     声優デビュー作となった「天使のたまご」以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。アヴァロン制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。「ミニパト」の企画に関しても、彼女に主題歌を歌わせてそれをCD化できることが引き受けた大きな目的だったと語っている。

  • 榊原良子
     キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。



    脚注





    外部リンク


  • 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱

  • 野良犬の塒 (押井守黙認ファンサイト)

  • 押井守小辞典

  • IMDb: Mamoru Oshii(英語)

  • DEIZ (『めざめの方舟』『立喰師列伝』などの制作に携わったプロダクション)

  • 押井守レトロスペクティヴ(パイロットとプロモーション)


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    2008年07月12日

    映画監督[町山智浩]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    町山智浩



    町山 智浩(まちやま ともひろ、1962年7月4日 - )は、映画評論家、コラムニスト。東京都出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学法学部卒。放送作家の町山広美は実妹。元宝島社勤務、洋泉社出向。映画秘宝創刊後、退社。ガース柳下こと柳下毅一郎との対談コンビ「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」ではウェイン町山を名乗る。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。



    来歴

    在日韓国人一世の父親と、日本人との母親との間に生まれた。韓国人の父親については、死の直前に父親の病床を訪ねて彼の来歴を聞いた、雑誌『hon-nin』の連載「Who's your daddy?」に詳しいが、両親は離婚して、母親の姓「町山」で育つ。父親からは、韓国関係のことを一切教わらず、それなのに、学校で「朝鮮人の子供」として差別されることに、理不尽な思いを抱く。思春期は、映画マニア、サイエンス・フィクション|SFマニアとして、すごす。また、宝島社及び洋泉社勤務時代の、「宝島サブカルチャー黄金期」については、『サブカルチャー世界遺産』(ISBN 4594030491)に掲載された本人のインタビューに詳しい。学生時代からバイトで出入りしていた、宝島社(旧JICC出版局)に入社。まず1980年代中期パンク雑誌だった頃の『宝島 (雑誌)|宝島』本誌を担当した。担当はみうらじゅん(みうらからはバカの町山の称号を与えられるただし、同じく「バカ」の称号を持っていた、『宝島』出身のライターで、みうらと親しい佐藤克之とは、町山が濃いサブカル野郎、佐藤はサブカルの知識ゼロのため、犬猿の叩 g$G$"$C$?!#)、デーモン小暮、馳星周|坂東齢人、根本敬など。「ゴジラ宣言」「このビデオを見ろ!」などのムックも編集。続いて『別冊宝島』シリーズなお、いしかわじゅんのエッセイ漫画「フロムK」によると、「フロムK」中で知人の結婚式で裸踊りをする町山を、いしかわが描いたため、それを見た社長が激怒し、『別冊宝島』に異動させられたという。で、1989年12月に、浅羽通明らを起用した『おたくの本』を企画編集。この本がベストセラーになったことと、同年の7月に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件|宮崎勤事件が起きていたことなどが相まって、「おたく」という言葉が一般に認知される。『別冊宝島』では他に、『裸の自衛隊!』『いまどきの神サマ』などのベストセラーを企画編集。『裸の自衛隊!』では習志野第一空挺団(大月隆寛とともに)と元フランス外人部隊の傭兵訓練に自ら参加している。また、後の『映画秘宝』の流れにつながる『映画宝島』シリーズを企画、自ら取材執筆している。1991年、『映画宝島・異人たちのハリウッド』はハリウッドスターをエスニシティという視邸 @$+$iFI$_2r$$$?8&5f=q$G!"<+$iIcJ}$N@+!JLx!K$rL>>h$C$?!#$=$N8e!! "7n4);o! XJuEg30』編集部で、当時は政府もマスコミも認めていなかった朝鮮総連のスパイ行為や朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮の日本人拉致問題をいちはやく追及し、左翼文化人や岩波書店を名指しで攻撃、送られてきた内容証明を誌上で公開するなどした。1995年 宝島社の子会社・洋泉社に出向。『トンデモ本の世界』をベストセラーにして、と学会を売り出した。また『映画秘宝』シリーズを創刊した。1996年、第3回みうらじゅん賞受賞。1996年、『映画秘宝・底抜け超大作』に載った中原昌也の原稿の事実関係の間違いを、老舗の映画雑誌『キネマ旬報』の副編集長が「こんな映画いじめの雑誌はダメだ」と批判した。それに対して町山はキネ旬編集部に乗り込み、シェービングクリームで作ったパイを副編集長にぶつけた。キネマ旬報は弁護士を通じて洋泉社に抗議文を送り、町山はキネマ旬報に謝罪するとともに依願退職し、妻とともに渡米した。アメリカでは英語を学ぶとともに、映画学校にも通う。妻の仕事の関係でアメリカのあちこちを移り住んだ後、1997年よりアメリカ合衆国|米国カリフォルニア州オークランド (カ\xA1 %j%U%)%k%K%"=#)|オークランド市に在住。その後、日本人のあまり知らないアメリカ映画の動向やアメリカの人気テレビ番組、B級文化、政治状況などをレポートして『映画秘宝』『TVブロス』『サイゾー』『週刊現代』ほか日本の新聞・雑誌に送っている。2004年4月よりTBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ『ストリーム (TBSラジオ)|ストリーム』「コラムの花道」にレギュラー出演中(火曜日)。2004年、アメリカで、友人の日本映画マニアパトリック・マシアスとの共著『Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyo』を出版(英語)。また、2004年にマイケル・ムーア監督が制作した、ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ政権のイラク戦争制作を批判するドキュメンタリー作品『華氏911』を、「アメリカで暮らし、税金を払っている者」として支持し、自身のブログや様々なメディアで発言。だが、ネット右翼たちから「甘いリベラル主義者」と決め付けられて攻撃され、自身のブログのコメント欄を封鎖する騒動になった。2005年、日本で配給会社がつか\xA1 $J$+$C$?1G2h!X%[%F%k!&%k%o%s%@!Y$NF|K\8x3+$r5a$a$F%i%8%*$d;(;o! $GAJ$(!" $3$l$K8F1~$7$FM-;V$,=pL>1?F0$r5/$3$7$?!#F1:n$O!"2006年1月に日本公開が実現した。2007年にオークランドから、隣町であるバークレー (カリフォルニア州)|バークレーに引っ越した。また、2008年6月発売の、雑誌「hon-nin」vol.07から、回顧録の連載を始めている。


    [映画評論のスタイル]

    主要な著書である、『〈映画の見方〉がわかる本』シリーズでは、論証対象の映画ができあがるまでの、原作者、脚本家、監督、俳優、プロデューサー等それぞれの、思想・考えや行動、偶然のできごとなどの、エピソードなどを事細かにとりあげ、論じている。そのため、蓮実重彦が提唱して映画批評界に大きな影響を与えた「映画をその映画内に表現された内容のみで論じる」という「表層批評」と、大きく敵対している。なお、町山は、蓮実については、「70年代に雑誌『映画芸術』で、B級映画を褒めていたころは好きだった」と、語っている。また、影響を受けた映画評論家としては、川本三郎、石上三登志、双葉十三郎、増淵健、(かつての)蓮實重彦、山田宏一らの名前を挙げている。[http://www.news-link.net/hiho/index2.html]


    [戸田奈津子に関して]

    字幕翻訳家の大御所である戸田奈津子を堂々と「デタラメな翻訳で英語字幕を独占している!」と名指しで批判する。(戸田の翻訳に関しては戸田奈津子を参照)。


    [ 「コラムの花道」内 ]


  • 複数の雑誌にスター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐|スター・ウォーズ エピソード3の政治的暗喩について書いたところ、配給会社である20世紀FOX日本支局によって検閲された事情を「コラムの花道」で暴露。さらにアメリカのジャーナリストを通じてルーカス・フィルムにもFOX宣伝部の検閲行為を伝えたところ、本人いわく「そこから仕事が来なくなった」そうである。*同番組では、2007年5月に、同じコーナーでジョージ・ウォーカー・ブッシュ|ブッシュ大統領が弾劾裁判で失職する可能性が出てきたという話をしていて最後に突然、「宮崎哲弥は2004年の大統領選挙でこんなブッシュを支持する発言をしていたんですよ」と批判を始めた。その後、宮崎哲弥本人からTBSラジオ及び町山本人に抗議が来たようで、翌週の同コーナーにおいて『筑紫哲也の番組でブッシュ支持と反ブッシュで同じ人数に分かれて討論する演出だったが、ブッシュ支持の人数が足らず、番組に頼まれてイラク戦争には反対だが日本人には投票権がないし関係ないかと思い渋々ブッシュ支持に回った。そう\xA1 $$$C$?N";v>p$O%i%8%*$d3h;zG^BN$G@bL@:Q$_$G$"$k!Y$H$$$&5\:j$NH?O@$rJ|Aw!#D.;3$b$=$&$$$C$?N";v>p$rCN$i$J$+$C$?$H$$$&$3$H$G

    [ 勝谷誠彦との関係 ]

    「コラムの花道」内において、別れた父(故人)が在日コリアンであることを明かした際、水曜日の出演者である勝谷誠彦の批判を突然始めたことがある (2005年7月19日)。その週は、クリスチャン(キリスト教徒)とムスリム(イスラム教徒)が互いの立場を逆転させて生活するテレビ番組を紹介していた。差別の苦しみは差別されなければわからない、なので知識も背景もわかろうともせずに無用な差別はしてはいけない、というのが町山の結び。その結びの際(17分20秒)にいきなり「勝谷なんとかという奴」という表現で話にあげ、「彼をそのテレビ番組に出演させて、中国人や韓国人として生活させれば少しは言われる側の気持ちがわかるだろう」という趣旨の発言をした。ただ、翌日(2005年7月20日)の勝谷はこのことについて直接言及することはなく、それ以後も町山自身もこのことについて触れることはなかった。これぁ O!"!VHVAH%j%9%J!<$N$?$a$K$b8r@o$7$F$[$7$/$J$$!W$H$$$&F1HVAH%G%#%l%/%?!<$NCg2p$K$h$k$b$N$G$"$k!JWEBダ・ヴィンチ|4ちゃんねる! - 水道橋博士)。なお、2007年7月に勝谷が出演した際、勝谷は、パーソナリティの小西克哉が前日に町山と酒席をもったことを気にしているような態度を取り、そのときに「アメリカからいやなヤツが来てるんでしょ?」といった表現で、名指しはしないものの初めて町山に言及した。この日の番組のエンディングで小西は「勝谷さんと町山さんを2人だけで会わせたらどんなことになるか」と発言した。2007年10月に町山が、アメリカの超保守で過激な発言で知られる女性コラムニスト(アン・コールター)の話をした際、小西が「日本でいうと誰に例えればいいでしょうね」と問われると、町山は「このコーナーに明日出る人」と答えた(但し、勝谷はアン・コールターと全く同じではないと否定している)。2008年3月12日の放送で勝谷は、コラムの花道ぁ NK\$,=P$k$3$H$K$D$$$F!"!VI=;f$N%*%l$NL>A0$,D.;3$5$s$N8e$m$K$"$! k!W$H!"= i$a$FD.;3$NL>A0$rD>@\5s$2$?!#$5$i$K!"%3!<%J!<$N=P1i 2004-03-13付けのブログでも「その奇妙な今枝擁護記事を書いたのはたしか勝谷ナントカとか言う男だった。」とマルコポーロ時代の勝谷を名指しで批判している。ただ、2008年4月1日放送のコラムの花道において番組内で使われる自身のキャッチフレーズに対する不満を述べた際に、「勝谷さんはどうなんですか?」「時限爆弾(勝谷のキャッチフレーズ)の方がまだいいじゃないですか、エロの伝道師(町山のキャッチフレーズ)よりも」と述べたり、2008年4月22日の放送で「勝谷さんがイラクに行ってフセインが入っていた穴に入って???」と述べるなど、以前とは多少違った形で勝谷誠彦に言及しはじめている。なお、リベラル寄りと見られがちな町山だが、実は『宝島30』の編集者時代1992年に、張明秀の朝鮮総連内部告発の連載を担当し、辛光洙(シン・ガンス)の対日工作の詳細や日本人の拉致や北からの工作員上陸に総連が関わっている事実を告発していた。この件を当時勝谷が所属していた週刊文春にも取り上げてくれるよう頼んぁ @$,!"Ev;~$OYGCWLdBj$KBP$9$k%a%G%#%"$N4X?4$ODc$/!"$^$C$?$/Aj


    主な著書


  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』 ISBN 4896913574

  • 『アメリカ横断TVガイド』 ISBN 4896914848

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』 ISBN 4896916298

  • 『映画の見方がわかる本―「2001年宇宙の旅」から「未知との遭遇」まで』 ISBN 4896916603

  • 『底抜け合衆国―アメリカが最もバカだった4年間』ISBN 4896918436

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』ISBN 4896918452

  • 『USAカニバケツ/超大国の三面記事的真実』ISBN 4872338936

  • (翻訳)『ブーンドックス/ブッシュが最も恐れた小学生』アーロン・マッグルーダー著 ISBN 4344006658

  • 『〈映画の見方〉がわかる本―80年代アメリカ映画カルトムービー篇 ブレードランナーの未来世紀』 ISBN 4896919742

  • (編集・翻訳) 『オタク・イン・USA〜愛と誤解のAnime輸入史』パトリック・マシアス著(Cruising the Anime City: An Otaku Guide to Neo Tokyoの日本語版) ISBN 4778310020

  • (柳下との共著) 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判3』



    DVD


  • 監督・出演『ウェイン町山のLA秘宝』DVD



    脚注




    外部リンク


  • ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

  • TBSラジオ ストリーム(毎週火曜日担当)

  • 町山智浩のアメリカ映画特電

  • アメリカでのインタビュー(英語)

  • ベイエリアの公共ラジオ KQED でのゲスト出演(英語)


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    2008年07月11日

    映画監督[松尾スズキ]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    松尾スズキ



    松尾 スズキ(まつお すずき、本名:松尾 勝幸(まつお かつゆき)、1962年12月15日- )は、日本の俳優、演出家、脚本家、コラムニスト。福岡県北九州市八幡西区生まれ。八幡大学附属高等学校(現・九州国際大学付属高等学校)、九州産業大学芸術学部デザイン学科卒業。劇団『大人計画』主宰。愛猫は「オロチ(雌)」大学卒業後は広告会社でサラリーマンをしていたが、会社全体のやる気の無さなどから一年で挫折。その後、80年代後半に劇団を設立する。『ファンキー!宇宙は見える所までしかない』で第41回岸田國士戯曲賞受賞。2004年公開の監督デビュー映画『恋の門』はヴェネチア国際映画祭に出品された。漫画原作者としても著名。特に漫画家、河井克夫との活動は名義を「チーム紅卍」としている。最近では山本直樹の漫画原作などもした。2006年1月、小説『クワイエットルームにようこそ』が第134回芥川龍之介賞の候補になった。



    出演作鼻 J


  • 世にも奇妙な物語「行列」(1991年、フジテレビ)

  • 愛の新世界

  • チキン・ハート

  • 殺し屋1

  • ピンポン (漫画)|ピンポン

  • いま、会いにゆきます

  • 真夜中の弥次さん喜多さん ヒゲのおいらん役 (2005年)

  • イン・ザ・プール 伊良部一郎役 (2005年)

  • フリクリ(声優)

  • マンハッタンラブストーリー土井垣役 (2003年)

  • 日本の裸族

  • 恋する幼虫

  • キューティーハニー(実写版)

  • サイレン 〜FORBIDDEN SIREN〜

  • 世界の終わりという名の雑貨店

  • 突入せよ! あさま山荘事件(2002年)

  • ユメ十夜 第一夜(夏目漱石)

  • 世界ウルルン滞在記ルネサンス(ナレーター)

  • 図鑑に載ってない虫 三木聡監督作品 エンドー役 (2007年)

  • 自虐の詩  堤幸彦監督作品 中年男役  (2007年)


    [CM]


  • コニカミノルタ



    作品




    [ 舞台 ]


  • 絶妙な関係(1988年・作・演出・出演)

  • 手塚治虫の生涯(1988年・作・演出・出演)

  • マイアミにかかる月(1989年・作・演出・出演)

  • 嫌な子供(1989年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係?(1989年・作・演出・出演)

  • ゲームの達人(1990年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱[鼻始め](1990年・作・演出・出演)

  • 絶妙な関係 Live at秘宝館(1990年・作・演出・出演)

  • 猿ヲ放ツ(1991年・作・演出・出演)

  • 溶解ロケンロール(1991年・作・演出・出演)

  • サエキナイト〜ムーディを探せ〜(1991年・作・演出・出演)

  • やられたい男(1992年・作・演出)

  • 冬の皮(1992年・作・演出・出演)

  • インスタントジャパニーズ(1992年・演出・出演)

  • セックスキングダム(1993年・作・演出・出演)

  • 鼻と小箱(1993年・演出・出演)

  • ゲームの達人(再演)(1993年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(1994年・作・演出・出演)

  • 嘘は罪(1994年・作・演出・出演)

  • カウントダウン(1995年・作・演出・出演)

  • ちょん切りたい(1995年・作・演出・出演)

  • ファンキー!(1996年・作・演出・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(日本総合悲劇協会・1996年・作・演出・出演)

  • 愛の罰(再演)(1997年・作・演出・出演)

  • 生きてるし死んでるし(1997-1998年・作・演出・出演)

  • ニッキー・イズ・セックスハンター(ウーマンリブ・1998年・出演)

  • ヘブンズサイン(1998年・作・演出・出演)

  • ふくすけ(日本総合悲劇協会・1998年・作・演出・出演)

  • 母を逃がす (1999年・作・演出・出演)

  • キレイ(2000年・作・演出・出演)

  • エロスの果て(2001年・作・演出・出演)

  • マシーン日記(スズキビリーバーズ・2001年・作・演出・出演)

  • 春子ブックセンター (2002年・出演)

  • 業音(日本総合悲劇協会・2002年・作・演出・出演)

  • ニンゲン御破産 (2003年・作・演出・出演)

  • 熊沢パンキース03(2003年・出演)

  • ドライブイン カリフォルニア(再演)(日本総合悲劇協会・2004年・作・演出・出演)

  • イケニエの人 (2004年・作・演出・出演)

  • キレイ(再演)(2005年・作・演出・出演)

  • まとまったお金の唄 (2006年・作・演出・出演)

  • ウーマンリブ先生 (2006年・出演)

  • ドブの輝き (2007年・作・演出・出演)

  • キャバレー (2007年・演出)


    [ 映画 ]


  • 恋の門(監督・脚本)

  • ユメ十夜 第六夜(監督・脚本・振り付け)

  • クワイエットルームにようこそ(監督・脚本)

  • female 夜の舌先(監督・脚本)

  • 東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (映画)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜(脚本)


    [ DVD ]


  • 『月刊すほうれいこ 能力の女』(2004年、イーネット・フロンティア)監督・脚本・挿入歌作詞・出演


    [ 著書 ]


  • 『大人失格』(1995年・マガジンハウス)

  • 『ファンキー! 宇宙は見える所までしかない』(1997年・白水社)

  • 『ヘブンズサイン』(1998年・白水社)

  • 『第三の役たたず』(1999年・情報センター出版局)

  • 『この日本人に学びたい』(1999年・ロッキング・オン)

  • 『ぬるーい地獄の歩き方』(1999年・演劇ぶっく社)

  • 『キレイ 神様と待ち合わせした女』(2000年・白水社)

  • 『永遠の10分遅刻』(2001年・ロッキング・オン)

  • 『母を逃がす』(2001年・白水社)

  • 『これぞ日本の日本人』(2001年・ぴあ)

  • 『マシーン日記 悪霊』(2001年・白水社)

  • 『エロスの果て』(2002年・白水社)

  • 『ふくすけ』(2002年・白水社)

  • 『同姓同名小説』(2002年・ロッキング・オン)

  • 『ニンゲン御破産』(2003年・白水社)

  • 『寝言サイズの断末魔』(2003年・扶桑社)

  • 『撮られた暁の女 松活妄想撮影所』(2003年・扶桑社)

  • 『実況生中年 』(2004年・扶桑社)

  • 『ドライブインカリフォルニア』(2004年・白水社)

  • 『宗教が往く』(2004年・マガジンハウス)

  • 『恋の門 フィルムブック』(2004年・マガジンハウス)

  • 『スズキが覗いた芸能界』(2004年・太田出版)

  • 『監督ちゃん 松尾スズキの映画『恋の門』制作日記』(2004年・ロッキング・オン)

  • 『クワイエットルームにようこそ』(2005年・文藝春秋)

  • 『厄年の街』(2006年・扶桑社)

  • 『まとまったお金の唄』(2006年・白水社)

  • 『12歳の大人計画 課外授業ようこそ先輩』(2006年・文芸春秋)

  • 『ザ・シナリオ東京タワー オカンとボクと、時々、オトン 』(2007年・扶桑社)

  • 『東京物欲道場』(2007年・ソニーマガジンズ)



    関連項目


  • 福岡県出身の人物一覧



    外部リンク


  • 松尾ヶ原(公式)

  • 大人計画


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    2008年07月10日

    映画監督[三谷幸喜]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    三谷幸喜




    三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は日本の劇作家、脚本家、俳優、映画監督。 血液型A型。身長174.8cm。妻は女優の小林聡美。



    来歴

    東京都世田谷区出身。当時全盛期だった大相撲の横綱大鵬幸喜にあやかって「幸喜」と命名された(三谷が生まれた当時は大関で、生まれた年の9月場所後に横綱に昇進した)。
    少年時代は、とんねるずの木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。1983年、私立世田谷学園高等学校卒業後(私立獨協中学校中退)の日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」結成。活動初期では一橋壮太朗の芸名で自ら役者もつとめていた。なお、演劇科の3年後輩の太田光は、当時は演劇志望だったため、「三谷さんは学生の頃から、スゴイ人気者だった。日藝のヒーローだった。一方、自分は教授とケンカしたりして、演劇を諦めた。だから今でも、三谷さんにコンプレックスがある。」と、2006年に自らの番組「スタメン」に三谷がゲストで出演した際に、カラミぎみに語っていた。劇団の活動と並行して放送作家としても活動をしており、『アイアイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成などに携わる。テレビアニメ『サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん』の脚本を手がけたこともあるが、3本目に執筆した「タラちゃん成長期」(フグ田タラオ|タラちゃんがドーピング|筋肉増強剤を使って近代オリンピック|オリンピックに出る夢をみるというストーリー\xA1 !K$,%W%m%G%e!<%5!<$N5UNZ$K?($l$F9_HD$5$;$i$l$?$3$H$r!J$J$*!":nIJ$O4本作られたらしい)月刊「ドラマ」の特集で語っている。フジテレビジョン|フジテレビの深夜番組『やっぱり猫が好き』の脚本を一部執筆し(「このドラマが小林聡美と結婚するきっかけとなった」とよく言われるが、あくまで出会ったきっかけに過ぎず、交際に発展したのはもっと後のことらしい)、その後番組『子供、ほしいね』のほとんどの回を担当(なお、この作品には主人公・久保田うららの兄役で三谷本人が出演している)したことから一般に名が知られるようになり、1993年『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューする。この時、脚本が現場で勝手に直されるという事態に直面し、その体験を活かした舞台『ラジオの時間』を上演する。この作品は、後に三谷の映画監督デビュー作としてセルフリメイクされた(映画版は『ラヂオの時間』と表記)。この作品の成功により、翌1994年には『刑事コロンボ』のような推理小説#推理小説の分類|倒叙ミステリーとして『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。この作品で気弱な刑事・今泉\xA1 ?5B@O:$r1i$8$?$N$O!VEl5~%5%s%7%c%$%s%\!<%$%:!W$NLAM'@>B<2mI'$G! !"H`$b$3 $N:nIJ$G0lLvM-L>$K$J$C$?!J$b$C$H$b!"A0:n!X?6$jJV$l$PE[$,$$$k!Y$K$b=P1i$7!V?%EDM5Fs$r;I$7$?Lr>K\9,;MO: (9代目)|松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」との共同プロデュースで『バイ・マイセルフ』『マトリョーシカ (戯曲)|マトリョーシカ』でも脚本を担当した。松本幸四郎 (9代目)|松本幸四郎は、1995年に『王様のレストラン』の主役を駄目元で依頼して以来のつきあいとなっている(幸四郎は大河ドラマ『黄金の日日』や舞台『ラ・マンチャの男』の主演者として、学生時代の三谷に強い印象を残していた)。幸四郎自身も、三谷の脚本を高く買っているようである。もっとも、『王様のレストラン』の出演は、娘である松本紀保が、三谷作品のファンで、彼女が強く薦めた結果らしい。1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表。多くの映画賞を受賞。2001年には自身の体験に基づいた「建築コメディ」とも言うべき監督第2弾『みんなのいえ』を発表。両作品共イギリスやドイツなどでも上映会が催された。一方『古畑任三郎』以降も『王様のレストラン』、『竜馬におまかせ!』、『総理と呼ばな\xA1 $$$G!Y!"!X:#Lk!"1'Ch$NJR6y$G!Y!"!X9g$$8@MU$OM&5$!Y$J$I$NO"B3%I! %i%^$rH/ I=!"2002年には念願のシチュエーション・コメディ『HR (テレビドラマ)|HR』において、脚本だけではなく総合演出も手がけた。そして2004年に長年の夢であった日本放送協会|NHK大河ドラマで『新選組!』の脚本を担当。三谷の意向も入れられたというそのキャスティングは賛否両論を呼んだものの、大きな話題となった。そして、2006年に、続編(大河ドラマ史上初)となる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が1月3日に正月スペシャルとして放送された。また同年1月3日・4日・5日には『古畑任三郎 ファイナル』も放送され、正月特番ドラマを連続して手がけたことになる。この2つのドラマはNHKが放送した『新選組!! 土方歳三 最期の一日』の裏のフジテレビに『古畑任三郎 ファイナル』の初日(第1夜「今、甦る死」)が放送され、三谷ファン泣かせな編成になってしまった。これに関し、『古畑〜』が21.5%に対し『新選組!!〜』は視聴率が9.8%と振るわず、フジテレビ側は「調整が間に合わなかった」と謝罪している\xA1 !#2004年10月映画版『笑の大学』(監督:星護、主演:役所広司・稲垣吾郎)公開、2004年暮れに舞台『なにわバタフライ』(戸田恵子出演の一人芝居)、2006年に公開した映画『THE 有頂天ホテル』(監督も兼任、出演:役所広司、松たか子他)、2006年に東京ヴォードヴィルショーに書き下ろした『竜馬の妻とその夫と愛人』の再演があった。また2005年4月より清水ミチコとの対談形式のラジオ番組『MAKING SENSE』(J-WAVE)が放送されている。さらに2005年の11月〜2006年の1月にかけて、パルコ劇場プロデュース公演として『12人の優しい日本人』が再々々演された。出演は江口洋介他。この作品が、東京サンシャインボーイズ以外の出演者で上演されるのは、舞台としては初めてのことであった。エッセイ『オンリー・ミー 私だけを』(幻冬舎文庫)が50万部のベストセラーとなっているものの、あまり知られていないので「ひそかなベストセラー」といわれる。2006年、テレビ東京系の子供番組『おはスタ』で1月10日〜12日の間「やまちゃん\xA1 !W$3$H;3;{9(0l$NBeLr$H$7$F!V%3!<%-!$G;J2q=P1i$r$*$3! $J$$!"
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    2008年07月09日

    映画監督[是枝裕和]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    是枝裕和



    是枝 裕和(これえだ ひろかず、1962年 - )は、東京都清瀬市出身の映画監督。東京都立武蔵高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業。テレビマンユニオンに参加し、ドキュメンタリー番組の演出家をつとめた後、1995年映画監督デビュー。現在までに5本の劇場映画を監督し、多くの国際映画祭に招待されるなど海外での評価が高い。若手監督のプロデュースや、CM作品・ミュージックビデオの演出も手がけている。現在国内外ともに最も高い評価を受ける日本の映画監督の一人である。主な作品として、映画『誰も知らない』『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』、TVドキュメンタリー『しかし… 福祉切り捨ての時代に』がある。書籍にノベライズ『小説ワンダフルライフ』、プロデュース作品として西川美和監督作品がある。『誰も知らない』ではカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞するなど、高い評価を受けた。



    監督作品
    !

  • 長編映画
    『幻の光』(1995)
    『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    『DISTANCE』(2001)
    『誰も知らない』(2004)
    『花よりもなほ』(2006)
    『歩いても 歩いても』(2008)*TVドキュメンタリー
    『しかし… 福祉切り捨ての時代に』(1991) フジテレビNONFIX
    『もう一つの教育』(1991) 同上
    『公害はどこへ行った…』(1991) 同上
    『日本人になりたかった…』(1992) 同上
    『侯孝賢とエドワード・ヤン』(1993) 同上
    『心象スケッチ それぞれの宮沢賢治』(1993) テレビ東京 ドキュメンタリー人間劇場
    『彼のいない八月が』(1994) フジテレビNONFIXスペシャル
    『記憶が失われた時』(1996) NHK
    『歩くような速さで』(2002) 日本テレビ
    『シリーズ憲法 〜第9条・戦争放棄「忘却」〜』(2006) フジテレビNONFIX*CM
    日産ニューセレナ『モノより思い出』シリーズ (1999-2003)
    サントリーなっちゃん『3年目のなっちゃん』
    ポッカ『じっくりコトコト煮込んだスープ』
    SONY ミュージック・オーディション・シリーズ (2001-2002)
    フジテレビ・キャンペーン 『きっかけはフジテレビ』(2002)
    SONY プレイステーション2『アークザラッド精霊の黄昏』(2003)
    ネスカフェ『朝のリレー 寝顔篇』(2004)
    ダイハツ ミラ・カスタム (2006)

  • 柳楽優弥とYOU (タレント)|YOUが親子役で再共演
    ミツカン 金のつぶ (2007)

  • ミュージック・ビデオ
    Cocco『水鏡』(2000) 『陽の照りながら雨の降る』(2006)
    タテタカコ『宝石』(2004)
    スネオヘアー『やさしいうた』(2007)



    プロデュース作品


  • 『カクト』(2003) 監督:伊勢谷友介

  • 『蛇イチゴ』(2003) 監督:西川美和

  • 扉の向こう 〜エレファントカシマシ・宮本浩次という生き方〜』(2004) ディレクター:千切谷知子

  • 『ゆれる』(2006) 監督:西川美和



    書籍


  • しかし…?ある福祉高級官僚 死への軌跡』(1992) あけび書房

  • 官僚はなぜ死を選んだのか?現実と理想の間で』(2001) 日経ビジネス人文庫

  • 小説ワンダフルライフ』(1999) ハヤカワ文庫

  • DISTANCE 〜映画が作られるまで〜』(2001) スイッチパブリッシング

  • あの頃のこと?Every day as a child』(共著、2004) ソニーマガジンズ

  • 花よりもなほ』(2006) 角川書店



    受賞歴


  • 『幻の光』(1995)
    第52回ヴェネツィア国際映画祭 金のオゼッラ賞
    バンクーバー映画祭 グランプリ
    シカゴ映画祭 グランプリ*『ワンダフルライフ (映画)|ワンダフルライフ』(1999)
    ナント三大陸映画祭 グランプリ
    トリノ映画祭 最優秀脚本賞
    ブエノスアイレス映画祭 グランプリ・最優秀脚本賞
    サンセバスチャン映画祭 国際批評家連盟賞*『DISTANCE (映画)|DISTANCE』(2001)
    カンヌ国際映画祭 コンペティション部門招待*『誰も知らない』(2004)
    カンヌ国際映画祭 最優秀男優賞
    フランダース国際映画祭 グランプリ
    シカゴ国際映画祭 金のプラーク賞
    第78回キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン
    第47回ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞 作品賞 監督賞*『花よりもなほ』(2005)
    トロント国際映画祭招待
    サンセバスチャン映画祭 コンペティション部門招待
    釜山国際映画祭招待*ドキュメンタリー作品において、ギャラクシー賞やATP賞などを数多く受賞。



    関連項目


  • 西川美和

  • 伊勢谷友介

  • タテタカコ

  • 森達也

  • テレビマンユニオン

  • NONFIX

  • TBS「いのちの響」



    外部リンク


  • KORE-EDA.com 公式サイト

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    2008年07月08日

    映画監督[雨宮慶太]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    雨宮慶太



    雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。



    来歴

    阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その翌年の1982年に有限会社クラウドを設立。1985年には『巨獣特捜ジャスピオン』にて初めてキャラクターデザインに携わり、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。映画監督としては1988年の『未来忍者 慶雲機忍外伝』でデビュー。代表作には1991年公開の『ゼイラム』や、『タオの月』(1997年)など。また映画以外にもTV作品の監督を務めることも多く、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)ではTV作品初演出にして、パイロット版(1、2話)の監督に抜擢されている。近年は自ら原作まで手がける事も多く、これまでに『鉄甲機ミカヅキ』(2000年)や『魔法少女隊アルス』(2004年)、『牙狼-GARO-|牙狼』(2005年)など、分野を問わず多彩な活動を見せている。国際SFアートコンテスト等の受賞歴を持つ。



    人物


  • 幼少時より特撮好きで特に仮面ライダーのファンであり少年仮面ライダー隊隊員番号No.2をもつ。東映スーパーヒーローフェアでは石ノ森章太郎原作のシリーズを3年間監督しており原作者である石ノ森章太郎とも面識がある。特に仮面ライダーZOでは1号ライダー=本郷猛を主人公とした物語にしたいと考えていたという(諸般の事情からその考えは実現できなかった)。

  • 機械の怪人(例:人造人間ハカイダーのハカイダー)デザインでは「生物らしさ」を出し、生物の怪人(例:仮面ライダーZOのドラス)では「生物らしさ」を強調しているのが特徴である。



    主な監督・脚本作品




    [ 映画 ]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1993年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [ テレビ ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991-1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992-1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004-2005年)(企画・原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005-2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年)(原作・総監督)

  • キューティーハニー THE LIVE(2007-2008年)(監督)


    [ ビデオ作品 ]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [ 漫画作品 ]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB (模型雑誌)|B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [ 映画 ]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [ テレビ ]


  • 時空戦士スピルバン(1986年〜1987年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ ゲーム ]


  • 鋼 HAGANE(1994年)(キャラクターデザイン)

  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • デュアルヒーローズ(1997年)(総監督・キャラクターデザイン他)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [ 小説 ]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    関連人物


  • 篠原保

  • 阿部統
    上二名ともクラウドに所属していた経歴を持ち、名実共に雨宮の弟子と言える人物である。特に篠原とはクラウドを離れた後も共働する機会が多い。

  • 桂正和
    専門学校時代の2年後輩に当たる。『ゼイラム』に通行人役として出演経験があるほか、雨宮原作の『I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインも桂の手によるものである。

  • 竹谷隆之
    専門学校時代の3年後輩に当たる。雨宮のでデビュー作品『未来忍者』以降、特殊造形を担当している。よくファンからは「雨宮デザインの造形は竹谷が1番」と言われている。



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン オフィシャルウェブサイト


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    2008年07月07日

    映画監督[三谷幸喜]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    三谷幸喜




    三谷 幸喜(みたに こうき、1961年7月8日 - )は日本の劇作家、脚本家、俳優、映画監督。 血液型A型。身長174.8cm。妻は女優の小林聡美。



    来歴

    東京都世田谷区出身。当時全盛期だった大相撲の横綱大鵬幸喜にあやかって「幸喜」と命名された(三谷が生まれた当時は大関で、生まれた年の9月場所後に横綱に昇進した)。
    少年時代は、とんねるずの木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。1983年、私立世田谷学園高等学校卒業後(私立獨協中学校中退)の日本大学藝術学部演劇学科在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」結成。活動初期では一橋壮太朗の芸名で自ら役者もつとめていた。なお、演劇科の3年後輩の太田光は、当時は演劇志望だったため、「三谷さんは学生の頃から、スゴイ人気者だった。日藝のヒーローだった。一方、自分は教授とケンカしたりして、演劇を諦めた。だから今でも、三谷さんにコンプレックスがある。」と、2006年に自らの番組「スタメン」に三谷がゲストで出演した際に、カラミぎみに語っていた。劇団の活動と並行して放送作家としても活動をしており、『アイアイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成などに携わる。テレビアニメ『サザエさん (テレビアニメ)|サザエさん』の脚本を手がけたこともあるが、3本目に執筆した「タラちゃん成長期」(フグ田タラオ|タラちゃんがドーピング|筋肉増強剤を使って近代オリンピック|オリンピックに出る夢をみるというストーリー\xA1 !K$,%W%m%G%e!<%5!<$N5UNZ$K?($l$F9_HD$5$;$i$l$?$3$H$r!J$J$*!":nIJ$O4本作られたらしい)月刊「ドラマ」の特集で語っている。フジテレビジョン|フジテレビの深夜番組『やっぱり猫が好き』の脚本を一部執筆し(「このドラマが小林聡美と結婚するきっかけとなった」とよく言われるが、あくまで出会ったきっかけに過ぎず、交際に発展したのはもっと後のことらしい)、その後番組『子供、ほしいね』のほとんどの回を担当(なお、この作品には主人公・久保田うららの兄役で三谷本人が出演している)したことから一般に名が知られるようになり、1993年『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューする。この時、脚本が現場で勝手に直されるという事態に直面し、その体験を活かした舞台『ラジオの時間』を上演する。この作品は、後に三谷の映画監督デビュー作としてセルフリメイクされた(映画版は『ラヂオの時間』と表記)。この作品の成功により、翌1994年には『刑事コロンボ』のような推理小説#推理小説の分類|倒叙ミステリーとして『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。この作品で気弱な刑事・今泉\xA1 ?5B@O:$r1i$8$?$N$O!VEl5~%5%s%7%c%$%s%\!<%$%:!W$NLAM'@>B<2mI'$G! !"H`$b$3 $N:nIJ$G0lLvM-L>$K$J$C$?!J$b$C$H$b!"A0:n!X?6$jJV$l$PE[$,$$$k!Y$K$b=P1i$7!V?%EDM5Fs$r;I$7$?Lr>K\9,;MO: (9代目)|松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」との共同プロデュースで『バイ・マイセルフ』『マトリョーシカ (戯曲)|マトリョーシカ』でも脚本を担当した。松本幸四郎 (9代目)|松本幸四郎は、1995年に『王様のレストラン』の主役を駄目元で依頼して以来のつきあいとなっている(幸四郎は大河ドラマ『黄金の日日』や舞台『ラ・マンチャの男』の主演者として、学生時代の三谷に強い印象を残していた)。幸四郎自身も、三谷の脚本を高く買っているようである。もっとも、『王様のレストラン』の出演は、娘である松本紀保が、三谷作品のファンで、彼女が強く薦めた結果らしい。1997年には初の映画監督作品として『ラヂオの時間』を発表。多くの映画賞を受賞。2001年には自身の体験に基づいた「建築コメディ」とも言うべき監督第2弾『みんなのいえ』を発表。両作品共イギリスやドイツなどでも上映会が催された。一方『古畑任三郎』以降も『王様のレストラン』、『竜馬におまかせ!』、『総理と呼ばな\xA1 $$$G!Y!"!X:#Lk!"1'Ch$NJR6y$G!Y!"!X9g$$8@MU$OM&5$!Y$J$I$NO"B3%I! %i%^$rH/ I=!"2002年には念願のシチュエーション・コメディ『HR (テレビドラマ)|HR』において、脚本だけではなく総合演出も手がけた。そして2004年に長年の夢であった日本放送協会|NHK大河ドラマで『新選組!』の脚本を担当。三谷の意向も入れられたというそのキャスティングは賛否両論を呼んだものの、大きな話題となった。そして、2006年に、続編(大河ドラマ史上初)となる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が1月3日に正月スペシャルとして放送された。また同年1月3日・4日・5日には『古畑任三郎 ファイナル』も放送され、正月特番ドラマを連続して手がけたことになる。この2つのドラマはNHKが放送した『新選組!! 土方歳三 最期の一日』の裏のフジテレビに『古畑任三郎 ファイナル』の初日(第1夜「今、甦る死」)が放送され、三谷ファン泣かせな編成になってしまった。これに関し、『古畑〜』が21.5%に対し『新選組!!〜』は視聴率が9.8%と振るわず、フジテレビ側は「調整が間に合わなかった」と謝罪している\xA1 !#2004年10月映画版『笑の大学』(監督:星護、主演:役所広司・稲垣吾郎)公開、2004年暮れに舞台『なにわバタフライ』(戸田恵子出演の一人芝居)、2006年に公開した映画『THE 有頂天ホテル』(監督も兼任、出演:役所広司、松たか子他)、2006年に東京ヴォードヴィルショーに書き下ろした『竜馬の妻とその夫と愛人』の再演があった。また2005年4月より清水ミチコとの対談形式のラジオ番組『MAKING SENSE』(J-WAVE)が放送されている。さらに2005年の11月〜2006年の1月にかけて、パルコ劇場プロデュース公演として『12人の優しい日本人』が再々々演された。出演は江口洋介他。この作品が、東京サンシャインボーイズ以外の出演者で上演されるのは、舞台としては初めてのことであった。エッセイ『オンリー・ミー 私だけを』(幻冬舎文庫)が50万部のベストセラーとなっているものの、あまり知られていないので「ひそかなベストセラー」といわれる。2006年、テレビ東京系の子供番組『おはスタ』で1月10日〜12日の間「やまちゃん\xA1 !W$3$H;3;{9(0l$NBeLr$H$7$F!V%3!<%-!$G;J2q=P1i$r$*$3! $J$$!"
    posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月06日

    映画監督[押井守]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    押井守



    押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督、演出家。その他にも、ゲームクリエイター、小説家、脚本家、漫画原作者と活動は幅広い。東京都大田区出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度より東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授に就任予定であると、同大学のホームページにおいて発表があった。代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画『イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった(星雲賞では過去に例がある)。イヌ|犬好きであり、犬(バセット・ハウンドという希少な種類らしい)の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用していた。現在、公の場では靴下や下着など目立たない部分のみに止めている。個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区 (東京都)| $B9A6h8W%NLg!#2!0f<+?H$NA43[=P;q$K$h$C$F@_N)$5$l$?!#



    作風

    押井守が多く用いる映像表現として、アニメとコンピュータグラフィックス|CGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。これらの手法は押井の独創ではないが、現在の漫画・アニメ界に関わる多くの人に影響を与えている(押井のこれらの手法の使い方が印象的であることの証明ともいえる)。また「映画の半分は音楽である」と語るほど音楽を非常に重視しており、近年の作品の音楽はすべて川井憲次に任せている。もはや川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せないと言える。その映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「哲学的」に語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。押井の永遠のテーマとも言えるシナリオの方法論として、「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」がある。これも上記と同じく押井が源流ではない(前例として古くは荘子、近年では楳図かずお、フィリップ・K・ディック等が挙げられる)。押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で\xA1 !V<+J,$N:nIJ$N5R$O1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「北野武|たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。。また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。NHKの番組に出演した際、最も気に入っている作品はどれかと聞かれ、「自分で最も\xA1 K~B-$G$-$?:nIJ$O%"%t%!%m%s!W$HEz$($?!#?&?M4FFD$H$7$F@):n$KF~$C! $?:nIJ$O 7h$a$i$l$?M=;;$G%-%C%A%jG<4|$^$G$K;E>e$2$k$3$H$r%]%j%7!<$H$7$F$$$F!"8=$K!J8=>l$,F0$-=P$9A0$KF\:C$7$?:nIJ$r=|$-!KKX$I$N:nIJ$GM=;;$HG<4|$r犬が登場するシーンも含まれる。は、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断したシーン『機動警察パトレイバー 2 the Movie』ではかつての特車二課第二小隊の面々のエピソード、『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の回想シーンがカットとなっている。は画コンテ|コンテ段階で極力省かれる。中には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の諸星あたるが幾多の夢を迷走するシーンの一部や、『アヴァロン (映画)|アヴァロン』の冒頭、装甲ヘリが 爆撃態勢に入るカットなど、ほぼ完成していながら本編に入らなかった例もある。 ぁ =$&$7$?!"%9%H!<%j!]$rM?$($kMW0x$N1つとも言える。イノセンスの完成後会見では、「一回見ただけで分かられてたまるかという意気込みで作った」と述べており、作品を分かりやすくする意思は毛頭ないようである。1度完成し、公開された作品の映像に新たに手を加えることを好まず、ビデオソフト化においても本編に未公開シーンを加えた完全版などは基本的に制作されなかった。例外に森本晃司 (アニメーター)|森本晃司が手がけたシーンを加えた『うる星やつら オンリー・ユー 完全版』、音声を5.1chにサウンドリニューアルした『機動警察パトレイバー the Movie』 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がある。 しかし2007年末、「ブレードランナーファイナルカット版」の上映に伴うトークセッションにおいて「以前だったら絶対やらなかったと思うんだけど、ある作品は、今作り直す価値があるんじゃないかと考えている」と発言しており、「スカイ・クロラ|スカイ・クロラ The Sky ! Crawlers」の制作発表時にも見られた信条の変化が伺われる。!



    経歴

    1970年、東京学芸大学入学後すぐに「映像芸術研究会」を設立、金子修介を含む3人が集まり、実写映画を撮り始める。この時期、いくつか映画を撮るが、完成したのは卒業制作の一本のみ。学生時代は塾の講師を2年務めていた。卒業間近に映画監督を諦めて小学校の図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまい、映画関係の会社に就職活動するも全滅する。1977年、ラジオ制作会社に就職して番組を制作していたが、給料が少なく生活が辛かったので半年で退社。プラモデルを作るなど暇をもてあましていた時に、電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロの面接を受ける。この時、会社の制作した全ての作品を見ていると嘘をついて入社、実際はガッチャマンを数回見た程度だった。当初は事務雑用をしていたが、演出の人手不足からアニメ演出を手掛けるようになる。やがて、2年早く入社した西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター掘 P83$rGc$o$l!":G=i$+$i1i=P$rG$$5$l$F$$$?!#FHFC$N%.%c%0$N:MG=$r%?%D%N%3%W%m1i=PItD9$N:{@n$R$m$7$KGc$o$l$F!"!X%?%$%`%\%+%s%7%j!<%:!Y$rD9$/C4Ev!#%?%D%N%3%W%mB`8e$K8F$S=P$7$rlHGBh1作『うる星やつら オンリー・ユー』、さらに劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で単なるアニメ演出家というよりも映像作家として認知されるようになる。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(同年の1位は『風の谷のナウシカ』)。虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランスの演出家となる。1984年に宮崎駿、大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』の映画ルパン三世 バビロンの黄金伝説|第3作の監督の依頼を受ける。ところが、半年間考えた脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝と読売テレァ S$N%W%m%G%e!<%5!<$+$iKW$K$5$l$F@=:n$OCf;_!JF|K\J|Aw6(2q|NHKの番組トップランナーに出演した折の発言によると、その脚本とは「ルパンなる人物は実は存在しない」という内容だったという。)。その後、同映画のスタッフだった天野喜孝とともに、徳間書店・『アニメージュ』のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA『天使のたまご』を完成させる。なお、『天使のたまご』には、のちの劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』にも共通する、幻となった押井版ルパン三世|押井版『ルパン三世』で押井が描こうとしたテーマが根底に流れているといわれる。また、同年『アニメージュ』誌で初の漫画原作作品『とどのつまり…』連載を開始。作画は『うる星やつら』の作画を支えた森山ゆうじが担当した。1987年、タツノコプロで同僚だった西久保瑞穂が監督を務めた『赤い光弾ジリオン』に参加。画コンテ|絵コンテ2本のみだったが、この作品がきっかけとなって、後に活動の拠点とするProduction I.Gとの付き合いが始まる。同年、声優・千葉繁の宣伝|プロモーションビデオを自主制作する話が発展し\xA1 !"!X$&$k@1$d$D$i!Y$bC4Ev$7$?2;6A@):n2q押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時の写真フィルム|フィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、成人向けアニメが1位を記録していた、とのこと。
    これは日本アニメ史上初の快挙として、国内で大きく報道された。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス (映画)|マトリックス』はその影響を強く受けている。国内のプロからあまりはっきりした評価を受けず、海外のプロから激賞されたという意味で、日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。押井本人にそのような実感は無く、ビルボードさえ知らなかったと話す。1997年に織部賞を受賞。

    2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。カンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。2005年の2005年日本国際博覧会|愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。学生時代はSF小説家も志望していたが、ほぼ同い年である山田正紀のデビュー作『神狩り』を読んで才能の差にうちのめされ、「小説家になるのを諦めた」といくつかのインタビューで語っている。なお、山田は小説『イノセンス After The Long Goodbye』の執筆も手がけており、同作品内で押井は寄稿文を寄せている。



    人物像




    [ 本人について ]


  • 兄、姉の三人兄弟の末っ子。血液型O型。姉は舞踏家の最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。

  • 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つ利己主義|エゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。

  • 1968年に高等学校|高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。

  • 大学の同窓生によれば卒業制作は絵画・彫刻によるとされているにもかかわらず、ただ一人映画製作をし、強引に卒業作品として教授に認めさせ卒業してしまったという。使用したカメラはNHKから安く手に入れたベル&ハウエル。

  • 学生時代に影響を受けた映画監督はジャン=リュック・ゴダール。才能があると感じる監督にリドリー・スコット、デヴィッド・リンチを挙げている。

  • 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越したと公言している。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー (1979年の映画)|ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀ 2007年4月3日 永眠)と雑種のダニエル(通称ダニィ・♂ ダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越しをし、さらに看病のために仕事を休んだため、一時は監督解任かと騒がれたという逸話がある。また、完成した絵コンテにはハンコが捺印されるが、その絵柄も犬である。猫も嫌いというわけではなく過去には愛猫「ねね」(2000年 夏 永眠)、現在「水無月」がいる。

  • 初対面の人間ともよく喋るが、早口で小声である。また、字が汚く、師匠筋にあたる鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともある。そのため近年の画コンテ|絵コンテには写植が施されている。

  • 耳の聞こえが良くないので、邦画より字幕つきの洋画を好んで鑑賞する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』を海外で撮影した理由のひとつは字幕が出る方が好都合だと判断した為。

  • ゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』に随筆|エッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作に関わったゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコン『サンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』、そして昨今ではプレイステーション・ポータブル|PSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPG『ウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」「ワイバーン」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に至っては、『ウィザードリィ』を押井が独自の解釈で映像化したものであり、押井が脚本を担当した『パトレイバー』TV版の『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ』のパロディとなっている。

  • かつてパソコン通信を嗜んでおり、アスキー (企業)|アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。

  • 戦車や銃、戦闘機を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。下でも触れているが、人手が足りない『うる星やつら』初期に、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。特に好きな航空機は、三式戦闘機|飛燕。『笑っていいとも』(フジテレビ)2008年7月3日、テレフォンショッキングのコーナーにて本人が発言。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。

  • 初のOVA『ダロス』製作時には、作画スタッフをビルの屋上に集めて目の前でモデルガンを撃ち、薬莢は均一に飛ばないことを力説した。

  • アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌『アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』や『タイムパトロール隊オタスケマン』、『ヤッターマン#.E7.AC.AC2.E4.BD.9C.EF.BC.88.E3.83.AA.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.AF.E7.89.88.EF.BC.89|ヤッターマン(第2作)』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。「ミニパト」の中でも押井をモデルにした犬「オシイヌ」が登場する。

  • 『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。コンピュータグラフィックス|CGの登場により、実写とアニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)|ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、後に『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に活かされている。

  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。

  • 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒は飲まないとのこと。

  • 教員免許は小学校1級、中学校2級を所持していて、学生時代は何度も教育実習に行ったので子供の扱い方には慣れていると話す。教員試験の書類の提出を忘れた友人は、自分の教員試験の書類は提出しているという。

  • 制作した作品は暴力的なシーンが多い。これについては、「僕らの仕事は暴力とエロを表すことだ」という考えに基づくものだと言う。サンサーラ・ナーガ1×2必勝攻略法よりしかし、押井本人は実は血に弱く、『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』 の撮影中、銃撃シーン用に用意された大量の血糊を見て気分が悪くなり、その大半を廃棄させたこともある。

  • 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田。チェルシーFCとその元監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。その影響は作品にも現れ「押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬」作中の実在していない人物の名前は、サッカー選手から取られている。

  • 一度見た映画は3カット見れば思い出すが、日常生活での約束や用事はすぐに忘れてしまうと語っている。なお、つまらない映画ほど記憶には残っているという。

  • 中高時代に柔道をやっていたので身体は丈夫で、腐りかけた牛乳を飲んでも身体を壊すことは無いという。一人の時の食事は5分以内に済ます。

  • ライターとなった娘(前妻との娘)からの取材を受けたことがあり、その際は「妙な気分だった」と語っている。この娘は作家乙一の夫人となった。

  • 「うる星やつら」での制作に「懲りて」今後は一生テレビアニメ制作はしないと心に決めている(宮崎駿に「テレビシリーズであくせくせずに自分の作りたいものを作れ」と助言されたことも一因だという)。以来テレビアニメには脚本・絵コンテ・企画の監修程度しか関わっていない。機動警察パトレイバーのTV化に「シリーズ化なんだ、あんたがやるのが筋だろう」と監督を依頼されるも、何とか粘って断ったという過去がある。

  • 原画製作の経験もあり、「うる星やつら」の制作時、戦闘機・戦車が書けるアニメーターがいなかったために押井が描いていた(しかし、さすがに旋回シーンは書けなかったと言う。クレジットには表記されていない)。「ダロス」制作時にも最終話のレーザービーム発射シーンの2・3カットは押井が書いていた(同じくノンクレジット)。

  • 「SFの匂いのする作品を追いかけて観ていた」という高校時代『ウルトラセブン』、特にアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子に憧れを抱く。NHKの『週刊お宝TV(2006年5月19日放送)』に出演した際ひし美のサイン入り写真集(『セブン』時代のもの)を贈られ感激、さらに『真・女立喰師列伝』では「鼈甲飴の有理」役にひし美を起用、演出している。

  • 旧Production I.G(現IGポート)の大株主の1人でもある(2008年1月現在、全株式の0.8%所有)。

  • 小学生時代はパイロットを目指していたが、運動神経が良くなかったため断念。体育の成績だけが、1か2だったと2008年7月3日放送の『笑っていいとも』出演時に、本人の口から語っている。(ちなみに他の学科の成績は全て5であったそうである)


    [ 人間関係 ]




    [ 宮崎駿 ]


  • 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。押井は宮崎駿がかねてよりその才能を認めていた数少ない同業者の一人であり、ルパン製作に押井を推薦するなどしている。対談でも圧倒的な論理を展開する宮崎に対して押井も独自の理論を展開して応戦するなど負けていない(宮崎は自分と対等に理論的に話せる相手を欲している、と鈴木プロデューサーは語っており、押井はその数少ない一人だったといえる)。また、二人の作品には共通点もあり、例えば戦車や飛行機など軍用機器や車、バイクを出すのが好きであること、モブシーンが多いこと、時折難解で長い文章を人物に話させること、高度なカメラワーク、そしてアニメ界屈指の演出能力の高さ、オチの付け方などである。初対面は『うる星やつら オンリー・ユー』制作後に当時アニメージュ編集者であった鈴木敏夫の引き合わせによって実現した対談の場である。その対談で宮崎は初対面であるにも拘らず『うる星やつら オンリー・ユー』についての疑問点を押井にぶつけ、押井自身もそのことを承知していただけに大変悔しい思いをしたと語っている。(宮崎は相手に才能がなければこんな質問は通常せぁ :!"$=$l$@$12!0f$N:MG=$rG'$a$F$$$?$+$i:Y$+$$ItJ,$,5$$K$J$C$?$N$G$"$k!#$&$k@1$d$D$i$K$*$1$k;E;v$K$D$$$F$O!VN5G72p=iEP>l$N2s$OLLGr$+$C$?!W$J$I$H>^;?$7$F$*$j!"$^$?86:np$b$7$F$$$k!#!K!!$=$N;~$K2!0f$O!V1は自分の思い通りにできなかったけど、2は絶対リターンマッチしてみせる」と意気込んでおり、宮崎も励ましていた。その後、スタジオぴえろを退社した押井は、一時宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかしその一方で、考え方の上での二人の対立(科学文明への賛否や環境問題|環境保護の有り方など)溝は深いとも言われる。宮崎のワンマン体制であるスタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」、「ソ連国家保安委員会|KGB」、「道場」と評している。またこれらにちなんで、宮崎駿を「書記長」、高畑勲\xA1 $r!V%m%7%"6&OB9q$NBgE}NN!W!"NkLZIRIW$r!VKGB長官」と評しぁ F$$$k!#J <4o$KJB30$l$?94$j$r8+$;$k2!0f$,!VC/$b$d$C$?$3$H$N$J$$6uCf@o!W$r8+$;$k$H0U5$9~$`!X%9%+%$!&%/%m%i The Sky Crawlers』の会見で「空中戦に関しては、はっきり言って宮さんより自信があります」と語ったように、親しみも敬意も対抗意識も見られる関係ながら、『スカイ・クロラ』について語られる端々に表れる「若い人に」という言葉は子供達の将来を案じる宮崎の姿勢に近づいて来ていることを窺わせる。宮崎が『千と千尋の神隠し』で、押井が『イノセンス』などで画の情報量に拘わり抜いた後の新作(『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』)では画のシンプルさを表明するという共通点が現れた。


    [ その他 ]


  • 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れした押井が新たに作ったもの。このサークルには後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代の押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。

  • 高畑勲についてはその作品に「ちょっと血が通ってないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」という理由であまり共感できない模様である。 しかし、演出的な意味では宮崎駿の作品よりも、高畑の『赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン』などの作品から受けた影響の方が大きいと語っている。

  • 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。

  • 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと冗談交じりに嘯いているという。

  • 宮崎駿の長男宮崎吾朗とは彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという逆に押井は娘から『紅の豚』のセル画が欲しいとせがまれている。。ボツになった企画『アンカー』の会議にも顔を出しており、押井が参考に持っていったTVドラマ『安寿子の靴』に感動していたという。月刊誌『サイゾー』での対談では「宮崎駿|宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ。」と迫っている。宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている。

  • 大塚康生とは宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている。参考文献 キネマ旬報(第1166号) 臨時増刊 1995年7月16日号『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 押井守インタビューより

  • 庵野秀明は、押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、「修行僧のような生活」に耐えかねて二週間で逃げ出したという(『AERA』掲載の「現代の肖像」(押井守)での記載)。また、押井の作風を「衒学的」と評したこともあったという。しかし、『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり(詳細は後述)、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』制作時、Production I.Gには『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズの制作の打診もあり、石川社長は受けるかどうか迷っていたが、押井は庵野に直接会い(石川に無断で)断りを入れている。

  • 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるアニメ制作に関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などと、限定的な評価に留まっている。

  • 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメをおだてておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」(対談当時。2006年に新設された)との発言をしている。

  • 高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔との多くの対談において「『装甲騎兵ボトムズ|ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉・沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。

  • 富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を評価しており、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオマージュ的な側面もあると語っている。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』で、庵野を聞き手に押井守が作品について多くを語っている。別の誌面での富野との対談時、押井は本人にその旨を伝えたが、富野の方は「お世辞だと思って聞き流した」とのこと(ただしこれがホンネかどうかは不明)。ただしガンダムそのものに対しては、「僕は『ガンダム』にはものすごく違和感を感じるんだね。僕個人の志向性、戦争とか暴力とかの敷居の上にはあるんだけど。『未来少年コナン|コナン』なんてのは自分の抱えている世界とはかなり違うから、素直に入っていったのかもしれないけどね」と語っている。

  • 安彦良和はかつて押井を非常に高く評価し、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たときには「引退を考えるほどの衝撃を受けた」と語っている『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン-G20』☆Vol.4 特集:安彦良和 - アニメの終わりと物語の始まり (エンターブレイン、2005年)。ただし、2007年には雑誌のインタビュー記事で『機動警察パトレイバー2 the Movie』以降の作品については違和を感じていることを表明しており、「今度会ったら『俺、あんたの作品嫌いだよ』と言ってやるつもりだった」とも述べている「歴史の忘却と捏造に抗して 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 という挑戦
    」(更科修一郎によるインタビュー)『ユリイカ』2007年9月号(青土社)


  • 出崎統監督作品、「劇場版エースをねらえ!」のビデオを何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している。

  • 実写の映画人では、ビートたけし|北野武に関心を持ち、作品のソフトはすべて所有している。一方、たけしは自らが審査委員長を務める東京スポーツ映画大賞の作品賞に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、主演女優賞に草薙素子を選出したことがある。

  • 少年時代からSF作家の光瀬龍のファンであり、高校時代にはファンレターを書いたことがきっかけで自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に対談で約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた。光瀬が亡くなった時に押井は『アヴァロン』の撮影で海外へ渡航中であり葬儀に出席できなかった。このことを押井は大変悔いていた。光瀬が亡くなった翌年(2000年)の日本SF大会(ZERO-CON)で押井が光瀬との思い出を語る企画が設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)また押井はこの後2005年の日本SF大会(HAMA-CON2)においても企画に参加している。

  • 「ガルム戦記」企画の際、当時はまだ知る人ぞのみ知る存在だった細田守の才能をいち早く見抜き、デジタル監督に抜擢した。結局は周知の通り凍結してしまうものの、それが縁となり交流が始まる。時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女に関して「『トキカケ』とかけて『葱ぬきのカケ』と解きます。そのココロは−どちらも出来立ての熱いのを戴くのが一番。茹で過ぎに注意。期待してます。」と早く見ることを勧めるコメントを残した。公開直前、細田・樋口・秋山貴彦と座談会を行う。アニメや特撮においてCGがこれからもたらすものその後押井の娘と乙一の結婚披露宴の際、細田に記念映像の制作を依頼する。



    映画作品




    [ アニメ ]


  • 1982年 『劇場版ニルスのふしぎな旅』 (画コンテ|絵コンテ・演出(案納正美と共作)、諸事情で公開されず、野田真外曰く「事実上押井さんが監督」)

  • 1983年 『ダロス』(脚本・監督・絵コンテ。世界初のOVA作品、一部地域で小規模の劇場公開を行った)

  • 1983年 『うる星やつら オンリー・ユー』 (監督・脚色・絵コンテ、実質上劇場監督デビュー作)

  • 1984年 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1990年 『御先祖様万々歳!|Maroko / 麿子』 (原作・監督・脚本)

  • 1993年 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1995年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 (監督・絵コンテ)

  • 1997年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』 (監督)

  • 2000年 『人狼 JIN-ROH』 (原作・脚本) (監督は沖浦啓之)

  • 2002年 『ミニパト』 (脚本・音響プロデュース・演出コンセプト) (『WXIII 機動警察パトレイバー 』の併映。監督は神山健治)

  • 2004年 『イノセンス』 (監督・絵コンテ・脚本)

  • 2008年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊|GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』 (監督・監修)

  • 2008年 『スカイ・クロラ#映画|スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 (監督)


    [ 実写 ]


  • 1970年 『屋上』(撮影・出演、TVでダイジェスト的に放送された、現在音声は紛失している)

  • 1985年 『八岐之大蛇の逆襲』(機材協力)

  • 1987年 『紅い眼鏡 / The Red Spectacles』(監督・共同脚本・絵コンテ)

  • 1991年 『ケルベロス 地獄の番犬』 (原作・監督・脚本)

  • 1992年 『トーキング・ヘッド』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 2001年 『アヴァロン (映画)|アヴァロン』 (監督)

  • 2003年 『KILLERS キラーズ』 (「.50 Woman」の監督・脚本)

  • 2005年 『ローレライ (映画)|ローレライ』 (「B-29〈ドッグ・スレー〉号機体マーク」デザイン)

  • 2007年 『真・女立喰師列伝』(原作・総監修・OP、『金魚姫 鼈甲飴の有理』、中CM、『ASSALT GIRL ケンタッキーの日菜子』監督・脚本)


    [ オシメーション (スーパーライヴメーション)]

    「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優の写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(:en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「オシメーション」という名称はProduction I.G社長石川光久が「押井守の原点にもどって作ってもらおうということで」「原点の赤ちゃんになってもらって、押井監督がおしめをはくような作品」という理由で命名し、『立喰師列伝』の制作会見の席上で西尾鉄也によるデフォルメ調の「おしめを穿いた押井守のイラスト」と共に発表された。 以後、あまり浸透せず宣伝等では「スーパーライヴメーション」という名称で紹介されることが多い。* 2006年 『立喰師列伝』 (原作・監督・脚本)
    第63回ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門に出品。



    テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ・CDドラマ・ゲーム




    [ テレビアニメ ]


  • 1977年 『一発貫太くん』 (13・28話画コンテ|絵コンテ、28話・29・41話演出、演出デビュー作)

  • 1978年 『ヤッターマン』 (55・59話絵コンテ、後半以降総助監督、野村和史名義)

  • 1978年 『科学忍者隊ガッチャマンII』 (6・10・17話演出、6話絵コンテ)

  • 1979年 『魔女っ子チックル』 (43話絵コンテ、名輪丈名義)

  • 1979年 『ゼンダマン』 (3・7・10・16・18・24・25・28・32話演出、3・10・18・24・25・28・32・34・38・50話絵コンテ、30話修正絵コンテ)

  • 1980年 『ニルスのふしぎな旅』 (6・9・10・13・17・18・23・27・32・34・36・40・41・43・46・49・51話演出、9・17・18・19・23・27・32・36・40・41・46・49話絵コンテ)

  • 1980年 『オタスケマン』(14・31・37・41・44・48話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1981年 『ヤットデタマン』(3話演出、丸輪零名義)

  • 1981年 『名犬ジョリィ』 (21・23話演出・16・23話絵コンテ・21・23話演出助手、小川守弘名義)

  • 1981年 『ゴールドライタン』(27・33話絵コンテ)

  • 1981年 『まいっちんぐマチコ先生』(3話絵コンテ)

  • 1981年 『世界名作ものがたり』 (オープニング演出・絵コンテ)

  • 1981年 『うる星やつら』 (チーフディレクター・43・49・64・78・79・83・104話脚本、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・39・43・44・49・56・59・62・66・72・75・84・86・87・91・99・100・116・126・127・129話演出、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・43・44・45・46・59・66・84・87・94・99・102・104・106・113・116・127話絵コンテ)

  • 1982年 『ダッシュ勝平』(21話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1982年 『逆転イッパツマン』 (10・14・17・21・27・33・39話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1983年 『スプーンおばさん (アニメ)|スプーンおばさん』 (54話脚本・絵コンテ)

  • 1983年 『子鹿物語』 (7・12話絵コンテ)

  • 1987年 『赤い光弾ジリオン』 (2・15話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー』 (3・9・14・29・38話脚本)

  • 2004年 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』 (ストーリーコンセプト)

  • 2004年 『風人物語』 (監修)

  • 2005年 『BLOOD+』 (企画協力)

  • 2007年 『PROJECT_MERMAID』 (監督、「アニクリ15」提供作品)


    [ OVA ]


  • 1981年 『りゅうの目のなみだ』 (演出・絵コンテ)

  • 1983年 『ダロス』 (監督・脚本・演出・絵コンテ(鳥海永行と共作))(日本初のOVA)

  • 1985年 『天使のたまご』 (原案・監督・脚本)

  • 1987年 『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』 (原案・監督・脚本)

  • 1988年 『機動警察パトレイバー』 (旧OVA・前期OVA) (監督・絵コンテ)

  • 1989年 『御先祖様万々歳!』 (原作・監督・脚本・絵コンテ)

  • 1990年 『機動警察パトレイバー』 (新OVA・後期OVA) (6・8・10・13話脚本)


    [ ラジオドラマ ]


  • 1987年 『紅い眼鏡を待ちつつ』(脚本)

  • 2006年 『押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬 / Kerberos Panzer J?ger』(脚本)

  • 2007年 『押井守・川井憲次 アハト アハト|acht acht / アハト・アハト』(脚本)


    [ CDドラマ ]


  • 1992年 『ゲーデルを夢見て〜録音監督1993年』

  • 1992年 『しあわせのかたち 水晶の滑鼠』

  • 1996年 『不帰の迷宮‐THE GREAT MAZE OF OVERKILL』(伊藤和典・千葉繁との3人によるリレー脚本)


    [ ゲーム ]


  • 1990年 『サンサーラ・ナーガ』(監督)

  • 1992年 『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』(監督)

  • 1994年 『サンサーラ・ナーガ2』(監督・マッピング)

  • 2001年 『サンサーラナーガ1×2』(監督)

  • 2005年 『機動警察パトレイバー かむばっくミニパト』(総監修)



    その他映像作品


  • 1982年『関西電力』(CM絵コンテ×2本)『うる星やつら』のキャラクターを使ったもの

  • 1991年 『DOG DAYS』(監督)『ケルベロス 地獄の番犬』アップグレード版特別付録レーザーディスク|LDに収録

  • 1996年 『宇宙貨物船レムナント6』(総合監修)(監督は万田邦敏)

  • 1998年 『バトルトライスト』(アーケードゲーム、エンディング絵コンテ)

  • 2000年 『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(企画協力)(監督は北久保弘之)

  • 2003年 『DOG DAYS AFTER』(監督)(『Mamoru Oshii Cinema Trilogy / 押井守シネマトリロジー』特別付録DVD)

  • 2003年 『東京スキャナー』(監修・CGパート絵コンテ)(監督は松宏彰)

  • 2003年 『東京静脈』(監修)(監督は野田真外)

  • 2004年 『球体関節人形展 - DOLLS of INNOCENCE - 』(監修)

  • 2005年 『めざめの方舟 「?鰉 SHO-HO (しょうほう)」「百禽 HYAKKIN (ひゃっきん)」「狗奴 KU-NU (くぬ)」』(総合演出)(:en:Mezame No Hakobune、愛知万博)

  • 2005年 『アイオーン』(演出、愛知万博公開、出演・最上和子、音楽・川井憲次、舞踏)

  • 2006年 『ズームイン!!SUPER』(CM演出)

  • 2006年 『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』(原作・脚本・監督)

  • 2007年 『夢のロボット舞踏会』(総合演出、太鼓演奏・茂戸藤浩司、舞踏・最上和子)

  • 2008年 『ケータイ捜査官7』(監督)

  • 2008年 NHKスペシャル『沸騰都市』OP・ED(監修)



    著書など


  • 1985年 『天使のたまご 少女季』 (あらきりつこ・天野喜孝 共著)

  • 1994年 『Methods 押井守「パトレイバー2」演出ノート』

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(前)』 富士見書房 ISBN 4829125527

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(後)』 富士見書房 ISBN 4829125683

  • 1995年 『注文の多い傭兵たち』

  • 1995年 『攻殻機動隊絵コンテ集』 (士郎正宗 共著)

  • 2000年 『獣たちの夜 - BLOOD THE LAST VAMPIRE』 角川書店 ISBN 4043666012

  • 2000年 『犬の気持ちは、わからない 〜熱海バセット通信〜』 (表紙、挿絵:桜玉吉 )

  • 2000年 『Avalon 灰色の貴婦人』 メディアファクトリー ISBN 4840107424

  • 2004年 『押井守の映像日記 TVをつけたらやっていた』

  • 2004年 『立喰師列伝』 角川書店 ISBN 4048735160

  • 2004年 『これが僕の回答である。1995-2004』

  • 2004年 『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』

  • 2004年 『すべての映画はアニメになる 【押井守発言集】』 徳間書店 ISBN 4198618283

  • 2004年 『押井守・映像機械論 【メカフィリア】』 (竹内敦志 共著)

  • 2005年 『TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR』 エンターブレイン ISBN 4757723660

  • 2005年 『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』

  • 2006年 『勝つために戦え!』

  • 2006年 『雷轟 rolling thunder PAX JAPONICA』 エンターブレイン ISBN 4757726694

  • 2006年 『立喰師、かく語り』

  • 2008年 『戦争のリアル』 (岡部いさく 共著)



    漫画原作


  • 1982年 『うる星やつら〜番外編〜父たち』 (原作) (作画は高田明美)
        『少年サンデーグラフィックうる星やつら3』に収録

  • 1984年 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は森山ゆうじ)

  • 1987年 『西武新宿戦線異状なし』 (原作)(作画は近藤和久)

  • 1988年 『犬狼伝説 Kerberos panzer cop』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 1992年 『西武新宿戦線異状なし DRAGON RETRIEVER』 (原作)(作画は大野安之)

  • 1994年 『セラフィム 2億6661万3336の翼』 (原作) (作画は今敏)

  • 1999年『犬狼伝説 Kerberos panzer cop 完結篇』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 2002年 『殺人者たち The Killers』 (原作)
     読切短編。最初は神崎将臣作画で掲載されたものの、押井・神崎とのストーリー構成の意見の食い違い、ファンから「押井らしくない」と批判があったため、後に杉浦守作画で再掲載。前者は単行本未収録であり、後者は「RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕」の単行本巻末に収録。

  • 2002年 『西武新宿戦線異状なし 番外編』 (原作)

  • 2003年 『RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕』 (原作)(作画は杉浦守)

  • 2006年 『ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女』 (原作)(作画は杉浦守)



    没になった企画


  • シャーロック・ホームズ
     奇しくも登場人物が犬という設定が名探偵ホームズより前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった。(パイロットフィルムもある)

  • フルムーン伝説 インドラ(キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行)
     英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。

  • アンカー(企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏)
     押井はジブリからの誘いに乗り、東京を謎が溢れた暗号化した街として再構成するアイデアを考え、高畑勲も監修として参加しプロットまで作ったが、キャラクター設定やストーリー展開の仕方について宮崎駿と大喧嘩になってしまい、結局その段階でお流れになったという。

  • 突撃!アイアンポーク(原作・企画・監修・宮崎駿)
     宮崎駿の雑想ノート6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。

  • 「押井版ルパン三世」

  • 押井版銀河英雄伝説
     キャラクターから艦までデザインを変更してもよいという条件で2〜3ヶ月付き合ったが結局断っている。

  • 押井版鉄人28号
     メカ造形が気に入ったため、今でも機会を窺っているらしい。

  • 立喰師列伝
     当初はトワイライトQの一作品になるはずであり、その際のタイトルは「最後の立喰い」であった。

  • 西武新宿戦線異状なし
     原作として関わり、1987年に近藤和久作画で「B-CLUB」誌16〜21号に掲載されるが、序盤途中で頓挫。のちに大野安之作画で1992年に仕切りなおし再スタート。基本プロットは近藤版と共通ながら、一部キャラクターの性別や車両の設定が変更された。こちらは無事完結し単行本化されている。

  • 連続ドラマ版 御先祖様万々歳(脚本・じんのひろあき)

  • D(脚本・伊藤和典)
     樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。

  • 犬狼伝説(当初OVA化の予定だった、後に人狼 JIN-ROHの原型となった)

  • ガメラ2 レギオン襲来
     「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。

  • G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)(今でも再開のチャンスを窺っている)

  • PATLABOR LIVE ACTION MOVIE

  • NEXT〜未来は誰のために
     樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画自体は1992年頃から存在しており、「ガルム戦記」頓挫後にガルムで表現しようとしたテクニックを使い始動しようとするもほどなく白紙になった。

  • エルの乱 鏖殺の島(監督のスケジュール等により製作延期)



    関連項目


  • ケルベロス・サーガ

  • Production I.G

  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • 金子修介

  • 伊藤和典

  • 高田明美

  • 樋上晴彦

  • 出渕裕

  • ゆうきまさみ

  • 高橋留美子

  • 黄瀬和哉

  • 沖浦啓之

  • 野田真外

  • 神山健治

  • 本広克行



    御用達声優


  • 千葉繁
     しかし、立喰師列伝のイベントで、「もう押井作品に出演することはないかも」と千葉が発言し押井も「そうだねぇ、もう千葉君も演出家だからね」とコメントしている。

  • 玄田哲章
     容姿を押井に気に入られ、それ以来キャラクターデザインのモデルにされることが多い。一例として『犬狼伝説』の室戸文明。

  • 古川登志夫

  • 立木文彦
     実写では主役に負けないほどよくしゃべる役が多いが、アニメでは台詞の短い脇役(整備員の一人など)が多い。

  • 大塚明夫

  • 山寺宏一
     押井曰く「彼の最大の欠点は、(演技や声色が多彩すぎて)誰も彼の本当の声を知らないことである」とのこと。

  • 田中敦子 (声優)|田中敦子

  • 竹中直人
     「パトレイバー2」の荒川役で仕事をした後、対談し「また一緒にやりましょう!」と意気投合。「ミニパト」を製作する際、再び荒川を登場させるべく押井は竹中に連絡を取ろうとしたが、知らない間に携帯の電話番号が変わっており、その時は実現しなかった。だが、のちに「イノセンス」では連絡が取れ、出演が実現している。

  • 兵藤まこ
     声優デビュー作となった「天使のたまご」以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。アヴァロン制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。「ミニパト」の企画に関しても、彼女に主題歌を歌わせてそれをCD化できることが引き受けた大きな目的だったと語っている。

  • 榊原良子
     キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。



    脚注





    外部リンク


  • 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱

  • 野良犬の塒 (押井守黙認ファンサイト)

  • 押井守小辞典

  • IMDb: Mamoru Oshii(英語)

  • DEIZ (『めざめの方舟』『立喰師列伝』などの制作に携わったプロダクション)

  • 押井守レトロスペクティヴ(パイロットとプロモーション)


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    2008年07月04日

    映画監督[大林宣彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は、日本の映画監督。本人は「映画作家」と称している。広島県尾道市土堂出身。広島県立尾道北高等学校|尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加している。劇作家・演出家の平田オリザ|平田オリザは甥にあたる。自主製作映画の先駆者として、コマーシャルメッセージ|CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"。




    来歴

    代々続く医家の長男として生まれる。「尾道出身」として有名だが、講演会等で大林自らが述べているところによれば、出生時には父親が岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)に勤務していたため、「生誕地」は岡山市内である。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った(このとき作った『マヌケ先生』を元にして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が作られた)。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16才の夏休みに福永武彦の「草の花」を読み感銘を受ける。いつかフレデリック・ショパン|ショパンのピアノ曲のような映画を作りたい、と思いそれは30年後『さびしんぼう_(映画)|さびしんぼう』で実現する。1956年上京し、成城大学在学中から8ミリ|8mmで作品を発表。自主製作映画の先駆者として早くから名前を知られた。1960年に大学を中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際実験映画祭で\xA1 ?3::0wFCJL>^!#!XHxF;!Y!"!XCf;3F;!Y!"!X?)$Y$??M!Y!"!XComplexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などがアンダーグラウンド (文化)|アングラブームに乗って反響を呼ぶ。60年代後半からは草創期のテレビコマーシャルメッセージ|コマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わり始め、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン、「ユニリーバ・ジャパン|ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スターなどの起用で、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなり、また山口百恵・三浦友和コンビの「江崎グリコ|グリコチョコレート|アーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「日本国有鉄道|国鉄フルムーン」など10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、テレビCMを新しい映像表現として確立したと\xA1 $5$l$k!#$^$?!"<+?H$b6e=#EENO$NCMに出演したことがある。 B1977 G/$N!X%O%&%9_(映画)|HOUSE』で商業映画に進出。7人の少女が生き物のような"家"に食べられてしまうというホラー映画|ホラー・ファンタジー映画|ファンタジーを、ソフト・フォーカスを用いたコマーシャルフィルム|CF的映像、実写とアニメの合成など、様々な特撮を使って見せる華麗でポップな映像世界は世の映画少年を熱狂させた。その影響で映画への道を目指した人材も少なくないぴあシネマクラブ 日本映画編、ぴあ、P459大特撮―日本特撮映画史―、コロッサス、P150-151、P280-281日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。個人的好悪の激しい映画ではあるが、それまでの子供達向けから、初めて若者に向けた特撮映画としても特筆される大特撮―日本特撮映画史―、P150-151、P280-281。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出した(この流れから自主映画出身者として大森一樹、森田芳光、CM B=P?H日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。他に先達として自主映画仲間の高林陽一らが存在するものの、自己プロダクション+日本アート・シアター・ギルド|ATGという経路であり、いきなりメジャーの東宝|東宝映画でデビューというのは当時画期的であった。メディア (媒体)|メディアを巧みに動員した大林自身の自己プロモートに加え、当時副社長(のち社長、会長)の松岡功と、東宝撮影所のボス的立場にあったベテラン岡本喜八監督の口添えが大きかったといわれる。同年の『ブラック・ジャック (実写版)|ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者』と共にブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞新人賞受賞。1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生 (映画)|転校生』を発表。『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』、『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』と合わせ"#尾道三部作 (B|尾道三部作"として多くの熱狂的な支持を集め、ロケ地宗 d$j$N%U% !%s$rA}$d$7$?!#$3$l$i$O!":M5$$,K[=P$9$k$"$^$j$K0lItI>O@2H$+$i$O!V$*;RMM%i%s%A!W!V$*$b$A$cH"!W$H9sI>$5$l$k$3$H$b$"$C$?=i4|:nIJ$KHf$Y$k$H!"Mn$ACe$-$H;m>p$rC9$($FI>2A$b9b$/!"1G2h:n2H$H$7$F$R$H$D$ND:E@$rC[$/$3$H$H$J$C$?!#$^$?!"$3$l$i$N1G2h:n$j$K$O!"CO85HxF;$rCf?4$H$7$?B?$/$N;?F12A$5$l$F$$$k!#6aG/$O0l;~4|$[$I%"%$%I%k1G2h$r;#1F$7$J$/$J$C$?0lJ}$G;0ED2B;R$d5H1J>.I49g$r あると言われ、原作との差異で監督と原作者の軋轢が起こるケースも少なくない中で
    赤川次郎は自らの作品が映画化された際に原作に忠実であったので驚いたとコメントを残したことがある。
    独得の語り口でも知られ、近年はコメンテーターなどでテレビ出演、雑誌インタビュー等も多い。



    主な監督作品


  • 「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967年3月8日公開)

  • 「ハウス_(映画)|HOUSE ハウス」(1977年7月30日公開、東宝) 兼製作

  • 「ブラック・ジャック (実写版)|瞳の中の訪問者」(1977年11月26日公開、ホリプロ/東宝) 兼出演

  • 「ふりむけば愛」(1978年7月22日公開、東宝)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979年7月14日公開、東映)

  • 「人はそれをスキャンダルという」第1回(1979年11月21日放送、東京放送|TBS)

  • 「ねらわれた学園 (映画)|ねらわれた学園」(1981年7月11日、東宝)

  • 「転校生 (映画)|転校生」(1982年4月17日公開、松竹)

  • 「可愛い悪魔」(1982年8月10日放送、日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 「時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女」(1983年7月16日公開、東映) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説」(1983年8月30日放送、日本テレビ)

  • 「廃市」(1984年1月2日公開、日本アート・シアター・ギルド|ATG) 兼プロデューサー/企画/編集/作曲

  • 「少年ケニヤ」(1984年3月10日公開) 兼編集

  • 「天国にいちばん近い島」(1984年12月15日公開、東映) 兼潤色/編集

  • 「さびしんぼう (映画)|さびしんぼう」(1985年4月13日公開、東宝) 兼脚本/編集

  • 「姉妹坂」(1985年12月21日公開、東宝)

  • 「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年4月26日公開、東宝) 兼編集

  • 「四月の魚」(1986年5月31日公開、ジョイパックフィルム) 兼企画/脚本/編集

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986年10月4日公開、ATG) 兼編集/音楽

  • 「漂流教室」(1987年7月11日公開、東宝東和) 兼潤色

  • 「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988年3月29日公開、アートリンクス) 兼脚本/編集

  • 「異人たちとの夏」(1988年9月15日、松竹)

  • 「北京的西瓜(ぺきんのすいか)」(1989年11月18日公開、松竹) 兼編集

  • 「ふたり」テレビドラマ(NHK)版(1990年)

  • 「ふたり」(1991年5月11日公開、松竹) 兼編集

  • 「私の心はパパのもの」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「彼女が結婚しない理由」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992年10月31日公開、東映) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1993年2月20日公開) 兼脚本/編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「水の旅人 侍KIDS|水の旅人 -侍KIDS-」(1993年7月17日公開 東宝) 兼編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「女ざかり」(1994年6月18日公開、松竹) 兼脚本/編集

  • 「あした (映画)|あした」(1995年9月23日公開) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの推理 <ディレクターズカット>(1998年2月14日公開、PSC、ザナドゥー (企業)|ザナドゥー) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(1998年2月21日放送、テレビ朝日) 兼脚本

  • 「SADA 戯作・阿部定の生涯」(1998年4月11日公開)
    第48回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞

  • 「風の歌が聴きたい」(1998年7月17日公開、ザナドゥー) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説 劇場版」(1998年8月16日公開、PSC) 兼編集/作曲

  • 「あの、夏の日|あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜」(1999年7月3日公開、東映) 兼脚本

  • 「マヌケ先生」(2000年9月30日公開、PSC) 兼原作/脚本

  • 「淀川長治物語・神戸篇 サイナラ」(2000年9月30日公開、PSC)

  • 「告別」(2001年放送、ビーエス・アイ|BS-i) 兼脚本

  • 「なごり雪 (映画)|なごり雪」(2002年9月28日公開、大映) 兼脚本/編集

  • 「理由 (小説)|理由」(2004年12月18日公開、アスミック・エース) 兼脚本

  • 「理由(日テレヴァージョン)」(TVドラマ 2005年)

  • 「転校生 -さよなら あなた-」(2007年6月23日公開、角川映画) 兼脚本/潤色/編集/撮影台本

  • 「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年夏公開、角川映画) 兼脚本



    その他の主な作品


  • すばらしい蒸気機関車(1970年10月10日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 最後の蒸気機関車(1975年1月11日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 本陣殺人事件(1975年9月27日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 新・木枯し紋次郎(1977年10月5日〜1978年3月29日放送、テレビ東京|東京12チャンネル) タイトル

  • 親子ねずみの不思議な旅(1978年3月11日公開、フレッド・ウォルフ/チャールズ・スウェンソン監督、日本ヘラルド映画) 歌詞

  • ホワイト・ラブ(1979年8月4日公開、小谷承靖監督、東宝) 出演

  • MOMENT(1981年4月4日公開、手塚真監督) 出演

  • 俗物図鑑(1982年11月8日公開、内藤誠監督) 出演

  • アイコ十六歳(1983年12月17日公開、今関あきよし監督、日本ヘラルド映画|日本ヘラルド) 製作総指揮

  • 乙女物語 お嬢様危機イッパツ!(1990年12月8日公開、内藤忠司監督、バンダイ) 出演

  • MAKING OF DREAMS 夢 黒澤明・大林宣彦映画的対話 演出・インタビュー聞き手)(1990年) 

  • 金なら返せん!(1994年12月9日放送) 出演

  • タイム・リープ(1997年6月7日公開、今関あきよし監督) 監修



    尾道三部作

    大林宣彦が、出身地尾道を舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が同じく3つ造られたため、これを“新尾道三部作”と称すこともある。

  • 尾道三部作
    『転校生 (映画)|転校生』(1982年)
    『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』(1983年)
    『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』(1985年)

  • 新尾道三部作
    『ふたり』(1991年)
    『あした (映画)|あした』(1995年)
    『あの、夏の日』(1999年)★音楽関連

  • 坂上香織 「香織の、―わたしものがたり。」 監督作品(VHS/LD) [1988年09月、EMIミュージック・ジャパン|東芝EMIより発売]
    :坂上のイメージビデオ(いわゆるミュージッククリップ)。
    :坂上のデビュー曲でこの作品に収録された「レースのカーディガン」ミュージック・ビデオ|PV撮影において、尾道三部作で使用されたロケ地を随所に織り交ぜて撮影し、「大林宣彦ワンダーワールド作品」と銘打って発売された、ミュージック関連の映像としては当時異色の作品。坂上が一人三役を演じ、合成演出を施した幻想的でメランコリーな雰囲気だが、非常に美しい仕上がりの作品である。



    テレビ版から劇場版

    大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。

    「理由」はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。

  • 麗猫伝説 (日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1983年8月30日放送)
    :→ 劇場公開 1998年8月16日

  • 私の心はパパのもの (日本テレビ「水曜グランドロマン」1988年11月30日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • ふたり (NHK「子どもパビリオン」1990年11月9日・16日放送)
    :→ 劇場公開 1991年5月11日

  • 彼女が結婚しない理由 (日本テレビ「水曜グランドロマン」1990年12月26日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • はるか、ノスタルジィ (WOWOW 1992年10月25日放送)
    :→ 劇場公開 1993年2月20日

  • マヌケ先生(原作・総監督、中国放送/TBS 1998年1月24日)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (テレビ朝日「日曜洋画劇場」1999年11月7日放送)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 告別 (BS-i 2001年2月24日放送)
    :→ 劇場公開 2001年7月14日

  • 理由 (WOWOW「ドラマW」2004年4月29日放送)
    :→ 劇場公開 2004年12月18日
    :→ 日本テレビ「DRAMA COMPLEX」 2005年11月8日放送



    関連項目


  • :Category:大林宣彦の監督映画

  • 山中恒(映画の原作となった作品が多い)

  • 宮崎尚志

  • 黒澤明

  • 林海象

  • 石森史郎

  • 原田知世

  • ウッチャンナンチャン

  • パパとムスメの7日間

  • ロリコン

  • 富田靖子

  • 小林聡美

  • 石田ひかり

  • 山口百恵

  • 今関あきよし



    脚注





    参考文献


  • 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社・1988年)

  • 佐藤忠男『日本の映画人 日本映画の創造者たち』(日外アソシエーツ・2007年)

  • 『ぴあシネマクラブ 日本映画編』(ぴあ・2006年)

  • 『大特撮―日本特撮映画史―』(コロッサス・1979年)



    外部リンク


  • 大林監督のブログ

  • 大林宣彦の映画 普遍的個人映画--A MOVIE

  • 尾道撮歩記

  • インタビュー

  • 純愛映画の名手 映画秘宝.com インタビュー


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    2008年07月03日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ宗 \Js!Y%Y%9%H1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年、『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画とする\xA1 I>2A$,$"$k!#NS86:n$N!X0p:J!Y!"!X:J!Y!"!XHU5F!Y!"!XIb1@ (\xA1 1G2h) |浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマン・玉井正夫が後年インタビューで「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ、高峰さんは、人からどういう風に思われているか、良く考えたほうがいいですよ」と、興味深い発言をしている。2005年は生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。同時代を生きた人の評として有名なものが*蒲田撮影所の城戸四郎所長(後の松竹社長)による「小津は2人いらない」(真偽は不明)。

  • 「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」とする小津発言。

  • 「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」(津村秀夫著「溝口健二というおのこ」)の溝口健二などである。

    かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで川喜多かしこのような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。シュァ _%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

  • 成瀬巳喜男のお墓

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    2008年07月02日

    映画監督[雨宮慶太]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    雨宮慶太



    雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。



    来歴

    阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その翌年の1982年に有限会社クラウドを設立。1985年には『巨獣特捜ジャスピオン』にて初めてキャラクターデザインに携わり、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。映画監督としては1988年の『未来忍者 慶雲機忍外伝』でデビュー。代表作には1991年公開の『ゼイラム』や、『タオの月』(1997年)など。また映画以外にもTV作品の監督を務めることも多く、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)ではTV作品初演出にして、パイロット版(1、2話)の監督に抜擢されている。近年は自ら原作まで手がける事も多く、これまでに『鉄甲機ミカヅキ』(2000年)や『魔法少女隊アルス』(2004年)、『牙狼-GARO-|牙狼』(2005年)など、分野を問わず多彩な活動を見せている。国際SFアートコンテスト等の受賞歴を持つ。



    人物


  • 幼少時より特撮好きで特に仮面ライダーのファンであり少年仮面ライダー隊隊員番号No.2をもつ。東映スーパーヒーローフェアでは石ノ森章太郎原作のシリーズを3年間監督しており原作者である石ノ森章太郎とも面識がある。特に仮面ライダーZOでは1号ライダー=本郷猛を主人公とした物語にしたいと考えていたという(諸般の事情からその考えは実現できなかった)。

  • 機械の怪人(例:人造人間ハカイダーのハカイダー)デザインでは「生物らしさ」を出し、生物の怪人(例:仮面ライダーZOのドラス)では「生物らしさ」を強調しているのが特徴である。



    主な監督・脚本作品




    [ 映画 ]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1993年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [ テレビ ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991-1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992-1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004-2005年)(企画・原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005-2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年)(原作・総監督)

  • キューティーハニー THE LIVE(2007-2008年)(監督)


    [ ビデオ作品 ]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [ 漫画作品 ]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB (模型雑誌)|B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [ 映画 ]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [ テレビ ]


  • 時空戦士スピルバン(1986年〜1987年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ ゲーム ]


  • 鋼 HAGANE(1994年)(キャラクターデザイン)

  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • デュアルヒーローズ(1997年)(総監督・キャラクターデザイン他)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [ 小説 ]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    関連人物


  • 篠原保

  • 阿部統
    上二名ともクラウドに所属していた経歴を持ち、名実共に雨宮の弟子と言える人物である。特に篠原とはクラウドを離れた後も共働する機会が多い。

  • 桂正和
    専門学校時代の2年後輩に当たる。『ゼイラム』に通行人役として出演経験があるほか、雨宮原作の『I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインも桂の手によるものである。

  • 竹谷隆之
    専門学校時代の3年後輩に当たる。雨宮のでデビュー作品『未来忍者』以降、特殊造形を担当している。よくファンからは「雨宮デザインの造形は竹谷が1番」と言われている。



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン オフィシャルウェブサイト


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    2008年07月01日

    映画監督[村上龍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    村上龍




    | birth_place = 日本、長崎県佐世保市
    | death_date =
    | death_place =
    | occupation =小説家、映画監督
    | nationality =
    | period = 1976年ー
    | genre = 小説、エッセイ、評論
    | subject =
    | movement =
    | debut_works =
    | spouse =
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    | children =
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    | influences =
    | influenced =
    | signature =
    | website =
    | footnotes =
    }}村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は、日本の小説家、映画監督。長崎県佐世保市出身。血液型はO型。武蔵野美術大学在学中の1976年、麻薬とセックスに溺れる若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。アメリカ文化の影響を強く受けた作家として村上春樹とともに時代を代表する作家と目される。主要作品に『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』など。また自身の小説を元に映画製作も行なう。1999年より日本の経済問題を考えるメールマガジン『JMM』を主宰、以後社会問題に対し積極的に関わっている。本名は「龍之介」だが、芥川龍之介と同じ名前では恐れ多いという理由から筆名を用いた。



    来歴

    1952年2月19日、長崎県佐世保市に生まれる。父は美術教師、母は数学教師であった。佐世保市立御船小学校、佐世保市立光海中学校を経て、1967年長崎県立佐世保北中学校・高等学校|長崎県立佐世保北高等学校に入学。翌年、佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港、この際の反代々木系全学連の入港阻止運動に感動する。高校在学中はロックバンドを結成しドラムを担当、その後解散し新聞部へ移る。3年生の夏、高校の屋上を仲間とともにバリケード封鎖し無期謹慎処分となる。3ヶ月に及ぶ謹慎期間中、ヒッピー文化に出会い大きな影響を受けた。1970年佐世保北高を卒業、前後して再びロックバンドを結成し、文化会館を借りてロック・フェスティバルを行なった他、8ミリ映画の制作や劇団を作って活動するなどした。この年の春に上京し、現代思潮社の主宰する美学校のシルクスクリーン科に入学するも、半年で退学、同年10月から1972年2月まで、米軍横田基地に近い福生市に住んだ。1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。このころより福生での体験をもとに小説を書\xA1 $-;O$a$k!#1976年、基地の町で麻薬と乱交に明け暮れる若者の姿を描いた『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞、同年第75回芥川賞を受賞し衝撃的なデビューを飾る。芥川賞選考会では評価が真っ二つに分かれ、文壇でも奥野健男が評価する一方江藤淳が批判するなど議論を呼んだ。同年、エレクトーン奏者の女性と結婚。翌年大学を中退し本格的な作家活動に入る。1980年、コインロッカーに遺棄された孤児の破壊衝動を描いた『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞受賞。以降、自伝的作品である『69 sixty nine』、日本を弱肉強食型の社会に変革しようともくろむ秘密結社「狩猟社」の闘いを描いた『愛と幻想のファシズム』(ともに1987年)、SM嬢を過激な性表現で描いて話題となった連作『トパーズ』(1988年)などを次々に発表、小説執筆の傍ら自作の映画化に取り組むなど精力的な活動を行なう。パラレル・ワールドの日本を描いた『五分後の世界』(1994年)などを経て、1996年、『69』の続編である『\xA1 B<>eN6映画小説集』で平林たい子文学賞受賞。同年、女子\xA1 9b@8$N1g =u8r:]$rIA$$$?!X%i%V&ポップ』を発表、アニメーション監督の庵野秀明が実写映画化したことで話題となる。1998年、サイコホラー風の作品『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞受賞。1999年より、金融・経済を中心に論議する場としてメールマガジン『JMM』を主宰し編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵本『あの金で何が買えたか』を発表。以降、経済、社会問題に対する議論に積極的に関わるようになる。2000年、引きこもりの青年が戦争に魅了されていく様を描いた『共生虫』を発表、第31回谷崎潤一郎賞受賞。同年発表した『希望の国のエクソダス』では、日本社会に希望を失った中学生たちがインターネットを通じて新たな社会システムを作り挙げていく様を描き、大きな話題となった。2004年、中学生へ向けて働くことへの興味を促す目的で『13歳のハローワーク』を発表。2005年には綿密な取材を元に日本と朝鮮との関係を描いた『半島を出よ』を発表、第58回野間文芸賞、第59回毎日出版文化賞を受賞した。



    著作




    [ 長編小説 ]


  • 限りなく透明に近いブルー(1976年、講談社)

  • 海の向こうで戦争が始まる(1977年、講談社)

  • コインロッカー・ベイビーズ(1980年、講談社)

  • だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、集英社)

  • 悲しき熱帯 (村上龍)|悲しき熱帯(1984年、角川書店。1988年に『Summer in the city』に改題)

  • テニスボーイの憂鬱(1985年、集英社)

  • 69 sixty nine(1987年、集英社)

  • 愛と幻想のファシズム(1987年、講談社)

  • ラッフルズホテル(1989年、集英社)

  • コックサッカーブルース(1991年、小学館)

  • 超伝導ナイトクラブ(1991年、講談社)

  • イビサ(1992年、角川書店)

  • 長崎オランダ村(1992年、講談社)

  • エクスタシー(1993年、集英社)

  • フィジーの小人(1993年、角川書店)

  • 368Y Par4 第2打(1993年、講談社)

  • 音楽の海岸(1993年、角川書店)

  • 昭和歌謡大全集(1994年、集英社)

  • 五分後の世界(1994年、幻冬舎)

  • ピアッシング(1994年、幻冬舎)

  • KYOKO(1995年、集英社)

  • ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界?(1996年、幻冬舎)

  • メランコリア(1996年、集英社)

  • ラブ&ポップ トパーズ?(1996年、幻冬舎)

  • はじめての夜 二度目の夜 最後の夜(1996年、集英社)

  • オーディション(1997年、ぶんか社)

  • ストレンジ・デイズ(1997年、講談社)

  • イン ザ・ミソスープ(1997年、読売新聞社)

  • ライン(1998年、幻冬舎)

  • 共生虫(2000年、講談社)

  • 希望の国のエクソダス(2000年、文芸春秋)

  • タナトス(2001年、集英社)

  • THE MASK CLUB(2001年、メディアファクトリー)

  • 最後の家族(2001年、幻冬舎)

  • 悪魔のパス天使のゴール(2001年、幻冬舎)

  • 2days 4girls 2日間で4人の女とセックスする方法(2002年、幻冬舎)

  • 半島を出よ(2005年、幻冬舎)


    [ 短編集・連作集 ]


  • POST ポップアートのある部屋(1986年、講談社)

  • 走れ!タカハシ(1986年、講談社)

  • ニューヨーク・シティ・マラソン(1986年、講談社)

  • トパーズ(1988年、角川書店)

  • 村上龍料理小説集(1988年、集英社)

  • 恋はいつも未知なもの(1991年、朝日新聞社)

  • 村上龍映画小説集(1995年、講談社)

  • モニカ-音楽家の夢・小説家の物語(1996年、新潮社)坂本龍一との共著

  • 白鳥(1997年、幻冬舎)

  • ワイン一杯だけの真実(1998年、幻冬舎)

  • とおくはなれてそばにいて(2003年、KKベストセラーズ)短篇選集

  • どこにでもある場所どこにもいないわたし(2003年、文芸春秋)文庫版刊行時に『空港にて』に改題

  • 特権的情人美食 村上龍料理&官能小説集(2007年、ベストセラーズ)


    [ エッセイ・評論集 ]


  • アメリカン★ドリーム(1985年、講談社)

  • すべての男は消耗品である。Vol.1-Vol.9(1987年-2007年、KKベストセラーズ)

  • テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド(1987年、講談社)

  • ビッグ・イベント(1989年、講談社)

  • 龍言飛語(1992年、集英社)

  • 「普通の女の子」として存在したくないあなたへ。(1993年、マガジンハウス)

  • あなたがいなくなった後の東京物語(1996年、角川書店)

  • 寂しい国の殺人(1998年、シングルカット社)

  • フィジカル・インテンシティ 1-5(1998年-2002年、光文社)

  • 寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ(1999年、ビクターエンターテインメント・ビクターブックス)

  • 誰にでもできる恋愛(2000年、青春出版)

  • ダメな女(2001年、光文社)

  • だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龍weekly report(2002年、日本放送出版協会)

  • 恋愛の格差(2002年、青春出版社)

  • マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龍weekly report』2002年、日本放送出版協会)

  • 自殺よりはSEX 村上龍の恋愛・女性論(2003年、KKベストセラーズ)エッセイ選

  • わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL(2006年、青春出版社)

  • 村上龍文学的エッセイ集(2006年、シングルカット社)

  • 案外、買い物好き(2007年、幻冬舎)

  • それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい(2008年、幻冬舎)


    [ 対談・インタビュー・書簡集 ]


  • 中上健次vs村上龍 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて(1977年、角川書店)中上健次との共著

  • ウォーク・ドント・ラン(1981年、講談社)村上春樹との共著

  • EV.Cafe 超進化論(1985年、講談社)坂本龍一との共著

  • Ryu's Bar 気ままにいい夜(1988年、講談社)同名TV番組での対談集、著:村上龍&Ryu's Barスタッフ

  • 世界をボクらの遊び場(1991年)講談社

  • 友よ、また逢おう(1992年、角川書店)往復書簡、坂本龍一との共著

  • 村上龍+椹木野衣 最新対論 神は細部に宿る(1994年、新浪漫社)椹木野衣との共著

  • 「超能力」から「能力」へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに,(1995年、講談社)山岸隆との共著

  • RYU'S倶楽部-「仲間」ではなく友人として(1997年、毎日新聞社)

  • 『夢見るころを過ぎれば 村上龍vs.女子高生51人』(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月.

  • 憂鬱な希望としてのインターネット(1998年、メディアファクトリー)インタビュー)

  • 村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ(1999年、文芸春秋)

  • 最前線 THE FRONT LINE(1999年、ラインブックス)

  • 世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails(2000年、日本放送協会)電子メールによる往復書簡、[藤木りえとの共著

  • 「教育の崩壊」という嘘(2001年、日本放送出版協会)

  • 対立と自立 構造改革が生み出すもの(2001年、日本放送出版協会)

  • 収縮する世界、閉塞する日本 Post September eleventh(2001年、日本放送出版協会)

  • 円安+インフレ=夜明けor悪夢?(2002年、日本放送出版協会)

  • 文体とパスの精度(2002年、集英社)電子メールによる往復書簡、中田英寿との共著

  • 会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?(2003年、扶桑社)

  • 啓蒙的なアナウンスメント(2巻)(2003年、日本放送出版協会)

  • 人生における成功者の定義と条件(2004年、NHK出版)

  • 「個」を見つめるダイアローグ(2006年、ダイヤモンド社)

  • カンブリア宮殿 村上龍×経済人(2巻)(2007年-2008年、日本経済新聞出版社)


    [ 絵本 ]


  • 絵本 だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、集英社)絵:吉田カツ

  • 友達のラ リ ル レ ロ(1989年、角川書店)絵:安井須磨子

  • すてきなジェニファー(1996年、新書館)絵:山本容子

  • あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー(1999年、小学館)絵:はまのゆか

  • ストレイト・ストーリー(2000年、集英社)絵:はまのゆか
    同名映画(監督:デイヴィッド・リンチ)の絵本化

  • おじいさんは山へ金儲けに 時として、投資は希望を生む(2001年、日本放送出版協会)絵:はまのゆか

  • 13歳のハローワーク(2003年、幻冬舎)絵:はまのゆか

  • ポストマン(2003年、NHK出版)絵:はまのゆか

  • シールド(盾)(2006年、幻冬舎)絵:はまのゆか


    [ CDブック ]


  • シボネイ-遥かなるキューバ(1991年、主婦の友社)

  • 或る恋の物語 エキゾチズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)

  • Se fue彼女は行ってしまった ロマンチシズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)

  • わたしのすべてを エロチシズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)


    [ 映画シナリオ ]


  • 真昼の映像・真夜中の言葉(1979年、講談社)

  • メイキング オブ だいじょうぶマイ・フレンド,(1983年、CBSソニー出版)

  • シナリオ ラッフルズホテル(1989年、集英社)野沢尚との共著

  • トパーズの誘惑(1992年、角川書店)

  • KYOKOの軌跡 神が試した映画(1996年、幻冬舎)


    [ JMM関連 ]


  • JMM Vol.1 - Vol.13(1999年 - 2001年、NHK出版)メールマガジン集

  • 村上龍 失われた10年を問う(JMM extra issue)(2000年、NHK出版)


    [ 著作集 ]


  • 村上龍全エッセイ(全3巻)(1991年、講談社)

  • 村上龍自選小説集(全8巻)(1998年-2000年、集英社)


    [ アンソロジーなど ]


  • ビートルズってなんだ?―53人の"マイ・ビートルズ"(1984年、講談社)エッセイ・アンソロジー

  • 十七粒の媚薬(1989年、マガジンハウス)「クリーム色」収録

  • 贅沢な恋愛(1990年、角川書店)「ムーン・リバー」収録

  • 贅沢な失恋(1993年、角川書店)「マナハウス」収録

  • 贅沢な恋人たち(1994年、幻冬舎)「白鳥」収録


    [ その他 ]


  • American road show(1986年、東宝出版事業室)

  • 快楽のテニス講座(テニス解説書)(1988年、講談社)

  • セビロとルージュと秘密の手紙(1992年、角川書店)短篇+ポストカード

  • 新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド(1993年、新潮社)キューバ音楽ガイド

  • 世紀末を一人歩きするために(1995年、講談社)自作小説・エッセイからの引用集

  • バイオテック・レイヤード(1998年、ピー・エヌ・エヌ)CG画集

  • 共生虫ドットコム(2000年、講談社)Webサイトの活動記録など、著:村上龍、Kyoseichu.com制作班

  • 「希望の国のエクソダス」取材ノート(2000年、文芸春秋)

  • eメールの達人になる(2001年、集英社)新書

  • 日本経済に関する7年間の疑問(2006年、日本放送出版協会)新書、JMMのリポートを再編集

  • 美しい時間(2006年、KKベストセラーズ)小説。村上龍『冬の花火』と小池真理子『時の銀河』の2冊から成る。



    作品の映像化、舞台化など

    映画

  • 限りなく透明に近いブルー(1979年、監督・脚本:村上龍

  • だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、監督・脚本:村上龍

  • ラッフルズホテル(1989年、監督:村上龍、原案:奥山和由、脚本:野沢尚)

  • トパーズ(1992年、監督・脚本:村上龍

  • KYOKO(1996年、監督・脚本:村上龍

  • ラブ&ポップ(1998年、監督:庵野秀明、脚本:薩川昭夫)

  • オーディション(2000年、監督:三池崇史、脚本:天願大介)

  • 走れ!イチロー(2001年、原作『走れ! タカハシ』、監督:大森一樹、脚本:丸山昇一・大森一樹)

  • 昭和歌謡大全集(2002年、監督:篠原哲雄、脚本:大森寿美男)

  • 69 sixty nine(2004年、監督:李相日、脚本:宮藤官九郎)
    ※『半島を出よ』が韓国で、『コインロッカー・ベイビーズ』がアメリカにおいて映画化の予定テレビドラマ

  • 最後の家族(2001年、脚本:村上龍)ラジオドラマ

  • コインロッカー・ベイビーズ(1981年、演出:村上龍

  • ハワイアン・ラプソディ(1984年)舞台

  • 昭和歌謡大全集(1997年、演出:蜷川幸雄、脚本:清水邦夫)ゲーム

  • PS2「五分後の世界」(2001年、原作:村上龍 株式会社メディアファクトリー)



    出演番組


  • 1978年4月 - ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」NHK

  • 1983年4月 - 「アップダウンクイズ」シルエットゲスト 毎日放送|MBS-東京放送|TBS

  • 1987年10月〜1991年3月 - Ryu's Bar 気ままにいい夜 MBS-TBS

  • 2000年5月 - NHKスペシャル インターネット・エッセイ 村上龍 '失われた10年'を問う NHK

  • 2001年1月 - Ryu's Barスペシャル21 TBS/毎日放送

  • 2004年1月 - NHKスペシャル 日本再生 ひとりからの出発 ?村上龍とリーダーたちの対話? NHK

  • 2006年4月 - 日経スペシャル カンブリア宮殿〜村上龍の経済トークライブ〜 テレビ東京



    インターネットでの活動




    [JMM (ジャパン・メール・メディア)]

    1999年から始まった村上龍が編集長を務めるメールマガジン。2005年10月31日現在、発行部数約13万部。特に経済分野に関して比重が大きい。執筆者は、冷泉彰彦、春具、アン・ヨンヒなど。書籍化もされている。
    月曜日の配信は、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』と題して、一週間前に出された村上からの質問に対する専門家の回答と、村上からの新たな質問が提示される構成となっている。これがJMMにおいて編集長である村上からのコメントが定期的に掲載される唯一の配信である。


    [RVR (Ryu's Video Report)]

    2006年から始まったスポーツ、韓国映画、時事問題をテーマにしたインターネットによる映像配信。



    キューバ音楽との関わり


  • キューバのミュージシャンの日本公演をプロデュースしている。(バンボレオ、NG・ラ・バンダ、ロス・ヴァン・ヴァンなど)また、自己レーベル MURAKAMI's を作ってNG・ラ・バンダなどのCDを発売した。

  • キューバのミュージシャン「チャランガ・アバネーラ」を追った映画『ポプラル!』 (2005) でエクゼクティブ・プロデューサーを務める。作家 村上 龍に聞く(前編) - L-Cruise - 日経トレンディネット



    参考文献


  • 群像日本の作家29 村上龍(1998年、小学館)

  • 龍が昇るとき(村上新一郎著、1977年、講談社)
    実父の村上新一郎が息子について書いたもの。

  • 別冊宝島 僕たちの好きな村上龍(2003年、宝島社)



    外部リンク


  • 編集長 村上龍 Japan Mail Media

  • RVR Ryu's Video Report

  • 13歳のハローワーク 公式サイト

  • 悪魔と天使の瞬間 スポーツ報知のコラム


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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