2008年07月06日

映画監督[押井守]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
押井守



押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、アニメや実写映画を中心に活動している日本の映画監督、演出家。その他にも、ゲームクリエイター、小説家、脚本家、漫画原作者と活動は幅広い。東京都大田区出身。東京都立小山台高等学校、東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。静岡県熱海市在住。2008年度より東京経済大学コミュニケーション学部の客員教授に就任予定であると、同大学のホームページにおいて発表があった。代表作に『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』など。アニメ映画『イノセンス』(カンヌ国際映画祭コンペ部門出品作品)により、日本SF大賞を受賞した。大賞でアニメ映画が対象となったのはこれが初めてであった(星雲賞では過去に例がある)。イヌ|犬好きであり、犬(バセット・ハウンドという希少な種類らしい)の絵柄がデザインされたTシャツやトレーナーを好んで着用していた。現在、公の場では靴下や下着など目立たない部分のみに止めている。個人事務所は、有限会社八八粍。事務所所在地は、東京都港区 (東京都)| $B9A6h8W%NLg!#2!0f<+?H$NA43[=P;q$K$h$C$F@_N)$5$l$?!#



作風

押井守が多く用いる映像表現として、アニメとコンピュータグラフィックス|CGの融合、レンズの概念をアニメに取り入れる、実写的要素をアニメに取り入れる、などがある。これらの手法は押井の独創ではないが、現在の漫画・アニメ界に関わる多くの人に影響を与えている(押井のこれらの手法の使い方が印象的であることの証明ともいえる)。また「映画の半分は音楽である」と語るほど音楽を非常に重視しており、近年の作品の音楽はすべて川井憲次に任せている。もはや川井憲次の音楽表現は押井作品と切り離せないと言える。その映像センスと音楽表現、そして時には「ギャグ」、時には「哲学的」に語られる独特の長台詞回し(「押井節」とも呼ばれる)は、一部から高い評価と支持を得ている。押井の永遠のテーマとも言えるシナリオの方法論として、「虚構と現実・真実と嘘の曖昧さ」がある。これも上記と同じく押井が源流ではない(前例として古くは荘子、近年では楳図かずお、フィリップ・K・ディック等が挙げられる)。押井は自らを「娯楽作品をつくる商業監督である」と語っているが、一方で\xA1 !V<+J,$N:nIJ$N5R$O1万人程度でいいと思っている」、「1本の映画を100万人が1回観るのも、1万人が100回観るのも同じ」といった発言発言の真意は「映画は公開された時に勝負が終わる訳ではなく、むしろその後の方が重要」という考えによる。があることから大衆・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である書籍『押井守全仕事』において、押井のアニメ業界での師匠であるアニメ監督の鳥海永行や、身内とでも言うべきほどに近しい北久保弘之から、こうした姿勢に苦言を呈されてもいる。また、作画監督の黄瀬和哉からは宮崎駿の『千と千尋の神隠し』の試写の後「あんたにはああいう映画は作れない」、『イノセンス』制作後のインタビューで「北野武|たけしでさえ『座頭市』を撮ったのに…」とのコメントがあった。。また、「自分より年上の人間に向かって作品を作ったことがない」という発言もある。NHKの番組に出演した際、最も気に入っている作品はどれかと聞かれ、「自分で最も\xA1 K~B-$G$-$?:nIJ$O%"%t%!%m%s!W$HEz$($?!#?&?M4FFD$H$7$F@):n$KF~$C! $?:nIJ$O 7h$a$i$l$?M=;;$G%-%C%A%jG<4|$^$G$K;E>e$2$k$3$H$r%]%j%7!<$H$7$F$$$F!"8=$K!J8=>l$,F0$-=P$9A0$KF\:C$7$?:nIJ$r=|$-!KKX$I$N:nIJ$GM=;;$HG<4|$r犬が登場するシーンも含まれる。は、たとえそれが作画作業中であってもカットすることが少なくない。また、上映時間は90分前後から最長でも120分未満を理想としているため、ストーリー上余分と判断したシーン『機動警察パトレイバー 2 the Movie』ではかつての特車二課第二小隊の面々のエピソード、『イノセンス』では前作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の回想シーンがカットとなっている。は画コンテ|コンテ段階で極力省かれる。中には『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の諸星あたるが幾多の夢を迷走するシーンの一部や、『アヴァロン (映画)|アヴァロン』の冒頭、装甲ヘリが 爆撃態勢に入るカットなど、ほぼ完成していながら本編に入らなかった例もある。 ぁ =$&$7$?!"%9%H!<%j!]$rM?$($kMW0x$N1つとも言える。イノセンスの完成後会見では、「一回見ただけで分かられてたまるかという意気込みで作った」と述べており、作品を分かりやすくする意思は毛頭ないようである。1度完成し、公開された作品の映像に新たに手を加えることを好まず、ビデオソフト化においても本編に未公開シーンを加えた完全版などは基本的に制作されなかった。例外に森本晃司 (アニメーター)|森本晃司が手がけたシーンを加えた『うる星やつら オンリー・ユー 完全版』、音声を5.1chにサウンドリニューアルした『機動警察パトレイバー the Movie』 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』がある。 しかし2007年末、「ブレードランナーファイナルカット版」の上映に伴うトークセッションにおいて「以前だったら絶対やらなかったと思うんだけど、ある作品は、今作り直す価値があるんじゃないかと考えている」と発言しており、「スカイ・クロラ|スカイ・クロラ The Sky ! Crawlers」の制作発表時にも見られた信条の変化が伺われる。!



経歴

1970年、東京学芸大学入学後すぐに「映像芸術研究会」を設立、金子修介を含む3人が集まり、実写映画を撮り始める。この時期、いくつか映画を撮るが、完成したのは卒業制作の一本のみ。学生時代は塾の講師を2年務めていた。卒業間近に映画監督を諦めて小学校の図画工作の教員になる予定だったが、教員試験の書類の提出を頼んでおいた友人がそれを忘れて、受験が不可能となってしまい、映画関係の会社に就職活動するも全滅する。1977年、ラジオ制作会社に就職して番組を制作していたが、給料が少なく生活が辛かったので半年で退社。プラモデルを作るなど暇をもてあましていた時に、電柱に貼ってあった求人広告を見てタツノコプロの面接を受ける。この時、会社の制作した全ての作品を見ていると嘘をついて入社、実際はガッチャマンを数回見た程度だった。当初は事務雑用をしていたが、演出の人手不足からアニメ演出を手掛けるようになる。やがて、2年早く入社した西久保瑞穂、真下耕一、うえだひでひとと共に「タツノコ四天王」の異名を取るようになる。なお、西久保と真下が演出助手から始めたのに対して、押井はラジオでのディレクター掘 P83$rGc$o$l!":G=i$+$i1i=P$rG$$5$l$F$$$?!#FHFC$N%.%c%0$N:MG=$r%?%D%N%3%W%m1i=PItD9$N:{@n$R$m$7$KGc$o$l$F!"!X%?%$%`%\%+%s%7%j!<%:!Y$rD9$/C4Ev!#%?%D%N%3%W%mB`8e$K8F$S=P$7$rlHGBh1作『うる星やつら オンリー・ユー』、さらに劇場版第2作『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で単なるアニメ演出家というよりも映像作家として認知されるようになる。なお『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』は1984年キネマ旬報読者選出ベスト・テン第7位(邦画)という快挙を成し遂げている(同年の1位は『風の谷のナウシカ』)。虚構性をテーマとする押井の作風が確立したのはこの頃からである。1984年、『うる星やつら』を降板すると同時にスタジオぴえろを退社(当時『アニメージュ』のプレゼント色紙に「玄界灘」というコメントとともに崖に立つ自画像を描いたこともある)。以後フリーランスの演出家となる。1984年に宮崎駿、大塚康生の誘いもあり、『ルパン三世』の映画ルパン三世 バビロンの黄金伝説|第3作の監督の依頼を受ける。ところが、半年間考えた脚本(「押井版ルパン三世」)を東宝と読売テレァ S$N%W%m%G%e!<%5!<$+$iKW$K$5$l$F@=:n$OCf;_!JF|K\J|Aw6(2q|NHKの番組トップランナーに出演した折の発言によると、その脚本とは「ルパンなる人物は実は存在しない」という内容だったという。)。その後、同映画のスタッフだった天野喜孝とともに、徳間書店・『アニメージュ』のバックアップにより、スタジオディーンの制作でOVA『天使のたまご』を完成させる。なお、『天使のたまご』には、のちの劇場アニメ『機動警察パトレイバー the Movie』にも共通する、幻となった押井版ルパン三世|押井版『ルパン三世』で押井が描こうとしたテーマが根底に流れているといわれる。また、同年『アニメージュ』誌で初の漫画原作作品『とどのつまり…』連載を開始。作画は『うる星やつら』の作画を支えた森山ゆうじが担当した。1987年、タツノコプロで同僚だった西久保瑞穂が監督を務めた『赤い光弾ジリオン』に参加。画コンテ|絵コンテ2本のみだったが、この作品がきっかけとなって、後に活動の拠点とするProduction I.Gとの付き合いが始まる。同年、声優・千葉繁の宣伝|プロモーションビデオを自主制作する話が発展し\xA1 !"!X$&$k@1$d$D$i!Y$bC4Ev$7$?2;6A@):n2q押井守が言うには、「年間」ではなく、「週間」の瞬間最大風速でしかない。アメリカでの上映時の写真フィルム|フィルムの状態がひどく悪く、鮮明な画質で見たい人たちが発売と同時に購入した。実は既に、成人向けアニメが1位を記録していた、とのこと。
これは日本アニメ史上初の快挙として、国内で大きく報道された。スティーブン・スピルバーグやジェームズ・キャメロンなどに絶賛され、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス (映画)|マトリックス』はその影響を強く受けている。国内のプロからあまりはっきりした評価を受けず、海外のプロから激賞されたという意味で、日本以外で有名な映画監督と言えるかもしれない。押井本人にそのような実感は無く、ビルボードさえ知らなかったと話す。1997年に織部賞を受賞。

2004年には『イノセンス』が第57回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門にノミネートされた。カンヌ国際映画祭のコンペ部門に日本のアニメーション作品が出品されるのはこの作品が初めてであり(宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』はベルリン国際映画祭に出品)、ここでも押井作品の国際的な評価が高いことがわかる。2005年の2005年日本国際博覧会|愛知万博にて、中日新聞プロデュース共同館「夢みる山」で上映した映像作品『めざめの方舟』の総合演出を担当した。学生時代はSF小説家も志望していたが、ほぼ同い年である山田正紀のデビュー作『神狩り』を読んで才能の差にうちのめされ、「小説家になるのを諦めた」といくつかのインタビューで語っている。なお、山田は小説『イノセンス After The Long Goodbye』の執筆も手がけており、同作品内で押井は寄稿文を寄せている。



人物像




[ 本人について ]


  • 兄、姉の三人兄弟の末っ子。血液型O型。姉は舞踏家の最上和子。父は興信所で私立探偵業を行なっていた。

  • 遠浅の東京湾が埋め立てられていく過程を見て育ったためか、埋立地への嫌悪を隠そうとしない。『機動警察パトレイバー』シリーズでは「予算の都合から(作画の手間が少なくて済む)埋立地を舞台にした」としているが、押井が担当したエピソードでは人間が持つ利己主義|エゴイズムの象徴として描かれる傾向がある。また『パトレイバー』に限らず、いくつかの作品では埋立地のゴミ処分場がラストシーンになっている。

  • 1968年に高等学校|高校2年で成田闘争に参加。押井の大学入学時に学園紛争は終息に向かうが、学生運動は押井の原風景となって、いくつもの作品に顔を出している。後に押井自身は自らの世代を「(学生運動という祭りに)遅れてきた世代」と語っている。

  • 大学の同窓生によれば卒業制作は絵画・彫刻によるとされているにもかかわらず、ただ一人映画製作をし、強引に卒業作品として教授に認めさせ卒業してしまったという。使用したカメラはNHKから安く手に入れたベル&ハウエル。

  • 学生時代に影響を受けた映画監督はジャン=リュック・ゴダール。才能があると感じる監督にリドリー・スコット、デヴィッド・リンチを挙げている。

  • 無類の犬好きで、犬を飼うためだけに熱海へ引っ越したと公言している。魚、鳥とともに犬を作品のモチーフとし、自らの愛犬を作品によく登場させる。愛犬雑誌の『WAN』(ペットライフ社)に連載「熱海バセット通信」を執筆した。本人の自画像などにも犬を用いるが、これはアンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー (1979年の映画)|ストーカー』によるものらしい。好きな犬種はバセットハウンドとシェーファーフント(シェパード)。愛犬はバセットハウンドのガブリエル(通称ガブ・♀ 2007年4月3日 永眠)と雑種のダニエル(通称ダニィ・♂ ダニだらけだったからダニィということもある)。『イノセンス』の制作中ガブリエルがヘルニアを患ったため引越しをし、さらに看病のために仕事を休んだため、一時は監督解任かと騒がれたという逸話がある。また、完成した絵コンテにはハンコが捺印されるが、その絵柄も犬である。猫も嫌いというわけではなく過去には愛猫「ねね」(2000年 夏 永眠)、現在「水無月」がいる。

  • 初対面の人間ともよく喋るが、早口で小声である。また、字が汚く、師匠筋にあたる鳥海永行から「よくこの字で大学を合格できたな」と言われたこともある。そのため近年の画コンテ|絵コンテには写植が施されている。

  • 耳の聞こえが良くないので、邦画より字幕つきの洋画を好んで鑑賞する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』を海外で撮影した理由のひとつは字幕が出る方が好都合だと判断した為。

  • ゲーム雑誌『コンプティーク』および『電撃王』に随筆|エッセイ『注文の多い傭兵たち』を連載。製作に関わったゲームには、ファミコンゲーム『サンサーラ・ナーガ』、スーパーファミコン『サンサーラ・ナーガ2』、メガドライブ『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』、そして昨今ではプレイステーション・ポータブル|PSP『機動警察パトレイバー かむばっく ミニパト』がある。またコンピュータRPG『ウィザードリィ』の影響を強く受けており、『機動警察パトレイバー2 the Movie』には「トレボー」「ワイバーン」など『ウィザードリィ』にちなんだ名前が劇中に登場する。『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に至っては、『ウィザードリィ』を押井が独自の解釈で映像化したものであり、押井が脚本を担当した『パトレイバー』TV版の『地下迷宮物件』および『ダンジョン再び』は、エピソードそのものが『ウィザードリィ』のパロディとなっている。

  • かつてパソコン通信を嗜んでおり、アスキー (企業)|アスキーの運営する『アスキーネット』に書き込みをしたことがある。

  • 戦車や銃、戦闘機を愛好するミリタリーマニア。アルバイトで加わった名作アニメ『名犬ジョリィ』では、必要以上にガンの描写にこだわった絵コンテを切った。下でも触れているが、人手が足りない『うる星やつら』初期に、戦車の原画を描いたことがあった。『うる星やつら』の演出を担当した最後の話では、第二次世界大戦時代の戦車や航空機を用いて攻防戦を描いた。特に好きな航空機は、三式戦闘機|飛燕。『笑っていいとも』(フジテレビ)2008年7月3日、テレフォンショッキングのコーナーにて本人が発言。映画『ミニパト』でも銃について薀蓄を披露している。

  • 初のOVA『ダロス』製作時には、作画スタッフをビルの屋上に集めて目の前でモデルガンを撃ち、薬莢は均一に飛ばないことを力説した。

  • アニメのキャラクターデザインのモデルになったことがある。スタジオぴえろ時代にアルバイトで参加した『逆転イッパツマン』では「若作りの丸輪さん」。アニメ『うる星やつら』の脚本の伊藤和典とキャラクターデザイナーの高田明美が参加した『魔法の天使クリィミーマミ』では「星井守ディレクター」、「日高守少年」。伊藤と高田はアニメ雑誌『アニメージュ』で押井を主人公にした4コマ漫画を連載したこともある。『ゼンダマン』や『タイムパトロール隊オタスケマン』、『ヤッターマン#.E7.AC.AC2.E4.BD.9C.EF.BC.88.E3.83.AA.E3.83.A1.E3.82.A4.E3.82.AF.E7.89.88.EF.BC.89|ヤッターマン(第2作)』に登場する「惜しい」を連呼するマスコット「オシイ星人」も押井から取られたもの。「ミニパト」の中でも押井をモデルにした犬「オシイヌ」が登場する。

  • 『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の凍結解除を執念深く待ち続けている。コンピュータグラフィックス|CGの登場により、実写とアニメーションは融合して区別できなくなる、というのが年来の押井の持論である。『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)|ガルム戦記』において、その自身の理論を現実に展開するはずであった。ただ、『ガルム戦記』パイロット版の制作で得たノウハウは、後に『アヴァロン (映画)|アヴァロン』に活かされている。

  • アニメにおけるレイアウトシステムの重要性を訴え、大量のレイアウトを解説した『METHODS 機動警察パトレイバー2 演出ノート』を著している。

  • 日本酒については熱燗派で、夏でも冷酒は飲まないとのこと。

  • 教員免許は小学校1級、中学校2級を所持していて、学生時代は何度も教育実習に行ったので子供の扱い方には慣れていると話す。教員試験の書類の提出を忘れた友人は、自分の教員試験の書類は提出しているという。

  • 制作した作品は暴力的なシーンが多い。これについては、「僕らの仕事は暴力とエロを表すことだ」という考えに基づくものだと言う。サンサーラ・ナーガ1×2必勝攻略法よりしかし、押井本人は実は血に弱く、『ケルベロス 〜StrayDog〜 地獄の番犬』 の撮影中、銃撃シーン用に用意された大量の血糊を見て気分が悪くなり、その大半を廃棄させたこともある。

  • 夫人の影響で、最近はサッカー観戦も趣味となった。ご贔屓のクラブチームはジュビロ磐田。チェルシーFCとその元監督ジョゼ・モウリーニョのファンであり、UEFAチャンピオンズリーグも非常に楽しみにしている。ドイツも好きらしくワールドカップではドイツを応援し、日韓共同開催の際にドイツ対イングランドをスタジアムで観戦した。その影響は作品にも現れ「押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬」作中の実在していない人物の名前は、サッカー選手から取られている。

  • 一度見た映画は3カット見れば思い出すが、日常生活での約束や用事はすぐに忘れてしまうと語っている。なお、つまらない映画ほど記憶には残っているという。

  • 中高時代に柔道をやっていたので身体は丈夫で、腐りかけた牛乳を飲んでも身体を壊すことは無いという。一人の時の食事は5分以内に済ます。

  • ライターとなった娘(前妻との娘)からの取材を受けたことがあり、その際は「妙な気分だった」と語っている。この娘は作家乙一の夫人となった。

  • 「うる星やつら」での制作に「懲りて」今後は一生テレビアニメ制作はしないと心に決めている(宮崎駿に「テレビシリーズであくせくせずに自分の作りたいものを作れ」と助言されたことも一因だという)。以来テレビアニメには脚本・絵コンテ・企画の監修程度しか関わっていない。機動警察パトレイバーのTV化に「シリーズ化なんだ、あんたがやるのが筋だろう」と監督を依頼されるも、何とか粘って断ったという過去がある。

  • 原画製作の経験もあり、「うる星やつら」の制作時、戦闘機・戦車が書けるアニメーターがいなかったために押井が描いていた(しかし、さすがに旋回シーンは書けなかったと言う。クレジットには表記されていない)。「ダロス」制作時にも最終話のレーザービーム発射シーンの2・3カットは押井が書いていた(同じくノンクレジット)。

  • 「SFの匂いのする作品を追いかけて観ていた」という高校時代『ウルトラセブン』、特にアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子に憧れを抱く。NHKの『週刊お宝TV(2006年5月19日放送)』に出演した際ひし美のサイン入り写真集(『セブン』時代のもの)を贈られ感激、さらに『真・女立喰師列伝』では「鼈甲飴の有理」役にひし美を起用、演出している。

  • 旧Production I.G(現IGポート)の大株主の1人でもある(2008年1月現在、全株式の0.8%所有)。

  • 小学生時代はパイロットを目指していたが、運動神経が良くなかったため断念。体育の成績だけが、1か2だったと2008年7月3日放送の『笑っていいとも』出演時に、本人の口から語っている。(ちなみに他の学科の成績は全て5であったそうである)


    [ 人間関係 ]




    [ 宮崎駿 ]


  • 宮崎駿と親交があり「宮さん」と呼んでいる。押井は宮崎駿がかねてよりその才能を認めていた数少ない同業者の一人であり、ルパン製作に押井を推薦するなどしている。対談でも圧倒的な論理を展開する宮崎に対して押井も独自の理論を展開して応戦するなど負けていない(宮崎は自分と対等に理論的に話せる相手を欲している、と鈴木プロデューサーは語っており、押井はその数少ない一人だったといえる)。また、二人の作品には共通点もあり、例えば戦車や飛行機など軍用機器や車、バイクを出すのが好きであること、モブシーンが多いこと、時折難解で長い文章を人物に話させること、高度なカメラワーク、そしてアニメ界屈指の演出能力の高さ、オチの付け方などである。初対面は『うる星やつら オンリー・ユー』制作後に当時アニメージュ編集者であった鈴木敏夫の引き合わせによって実現した対談の場である。その対談で宮崎は初対面であるにも拘らず『うる星やつら オンリー・ユー』についての疑問点を押井にぶつけ、押井自身もそのことを承知していただけに大変悔しい思いをしたと語っている。(宮崎は相手に才能がなければこんな質問は通常せぁ :!"$=$l$@$12!0f$N:MG=$rG'$a$F$$$?$+$i:Y$+$$ItJ,$,5$$K$J$C$?$N$G$"$k!#$&$k@1$d$D$i$K$*$1$k;E;v$K$D$$$F$O!VN5G72p=iEP>l$N2s$OLLGr$+$C$?!W$J$I$H>^;?$7$F$*$j!"$^$?86:np$b$7$F$$$k!#!K!!$=$N;~$K2!0f$O!V1は自分の思い通りにできなかったけど、2は絶対リターンマッチしてみせる」と意気込んでおり、宮崎も励ましていた。その後、スタジオぴえろを退社した押井は、一時宮崎の個人事務所「二馬力」に机を置いた。宮崎は東京ムービーからの『ルパン三世』監督の依頼に対して、自分の代わりに押井を紹介。「押井版ルパン三世」頓挫後にはスタジオジブリで宮崎プロデュースによる押井監督作品を準備するなど、才能を認め合う仲である。しかしその一方で、考え方の上での二人の対立(科学文明への賛否や環境問題|環境保護の有り方など)溝は深いとも言われる。宮崎のワンマン体制であるスタジオジブリの制作システムについて「クレムリン」、「ソ連国家保安委員会|KGB」、「道場」と評している。またこれらにちなんで、宮崎駿を「書記長」、高畑勲\xA1 $r!V%m%7%"6&OB9q$NBgE}NN!W!"NkLZIRIW$r!VKGB長官」と評しぁ F$$$k!#J <4o$KJB30$l$?94$j$r8+$;$k2!0f$,!VC/$b$d$C$?$3$H$N$J$$6uCf@o!W$r8+$;$k$H0U5$9~$`!X%9%+%$!&%/%m%i The Sky Crawlers』の会見で「空中戦に関しては、はっきり言って宮さんより自信があります」と語ったように、親しみも敬意も対抗意識も見られる関係ながら、『スカイ・クロラ』について語られる端々に表れる「若い人に」という言葉は子供達の将来を案じる宮崎の姿勢に近づいて来ていることを窺わせる。宮崎が『千と千尋の神隠し』で、押井が『イノセンス』などで画の情報量に拘わり抜いた後の新作(『崖の上のポニョ』と『スカイ・クロラ』)では画のシンプルさを表明するという共通点が現れた。


    [ その他 ]


  • 大学時代に主宰した「映像芸術研究会」は、既存の大学の映画研究会と喧嘩別れした押井が新たに作ったもの。このサークルには後に映画監督となる後輩の金子修介や、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』に登場する自衛官・荒川茂樹のモデルとなる一橋大学の学生が所属していた。本人は童顔のため、少年役で出演することが多かった。大学時代の押井は毎日のように名画座に通い、年間1000本の映画を見たと言う。

  • 高畑勲についてはその作品に「ちょっと血が通ってないという部分を感じる」「描写にこだわるが、それが全部理屈に見える」という理由であまり共感できない模様である。 しかし、演出的な意味では宮崎駿の作品よりも、高畑の『赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン』などの作品から受けた影響の方が大きいと語っている。

  • 宮崎の紹介で『ルパン三世』の監督就任があっさりと決まったのは、当時の東京ムービー社長・藤岡豊が「押井守っていう天才少年がいるそうじゃないか」「『うる星やつら』はうまい・動きが冴えてる」と押井の評判を知っていたからである。

  • 近年になり再び『ルパン三世』の監督オファーの話があったものの、その際は押井の側からNGを出して断ったと言われている。残念がる周囲の人間には「腕毛が生えているのが気に入らないから断った」などと冗談交じりに嘯いているという。

  • 宮崎駿の長男宮崎吾朗とは彼が高校生の頃から面識があり、当時の吾朗には父の作品『風の谷のナウシカ』より押井の 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の方が面白かったという逆に押井は娘から『紅の豚』のセル画が欲しいとせがまれている。。ボツになった企画『アンカー』の会議にも顔を出しており、押井が参考に持っていったTVドラマ『安寿子の靴』に感動していたという。月刊誌『サイゾー』での対談では「宮崎駿|宮さんに引導を渡せ」「それは僕らの役目ではなく、やっぱり息子である吾朗くんの役目であり、義務なんだよ。」と迫っている。宮崎吾朗はスタジオジブリ公式サイトの『ゲド戦記』監督日誌で押井について「私に対して一方的な親近感をもってくれているらしく」「もうひと花咲かせてほしいと思っています」とコメントしている。

  • 大塚康生とは宮崎駿が縁となり知り合う。実写映画『紅い眼鏡』では「対話タクシーの運転手」役としての出演、撮影用に「ジープ」を貸してもらうなどの親交がある。 押井は大塚から「理屈が自転車に乗っているような人間」と例えられている。参考文献 キネマ旬報(第1166号) 臨時増刊 1995年7月16日号『宮崎駿、高畑勲とスタジオジブリのアニメーションたち』 押井守インタビューより

  • 庵野秀明は、押井のスタジオぴえろ退社とほぼ同時期にやはり宮崎駿の元に身を寄せていた時期があり、『天使のたまご』制作にいったんは参加したものの、「修行僧のような生活」に耐えかねて二週間で逃げ出したという(『AERA』掲載の「現代の肖像」(押井守)での記載)。また、押井の作風を「衒学的」と評したこともあったという。しかし、『逆襲のシャア』の同人誌で庵野が押井にインタビューを行ったり(詳細は後述)、『新世紀エヴァンゲリオン』制作前に押井に聖書関連の参考文献についてアドバイスを求めに来たことがあったり、親しい関係である。 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』制作時、Production I.Gには『新世紀エヴァンゲリオン』TVシリーズの制作の打診もあり、石川社長は受けるかどうか迷っていたが、押井は庵野に直接会い(石川に無断で)断りを入れている。

  • 新海誠やインディーズアニメなどの個人によるアニメ制作に関しては、「まわりの人間から何も吸収しなくなってしまう」「(新海が儲かったことで)アニメーターが俺もそうすれば儲かると考えて辞めてしまう」などと、限定的な評価に留まっている。

  • 邦画のシステムに対して不信感を抱いており、金子修介との対談の際「邦画というシステムは一度崩壊した方がいい」「(アニメをおだてておきながら)アニメを映画として認めてこなかった。現に日本アカデミー賞にはアニメーション映画部門がない」(対談当時。2006年に新設された)との発言をしている。

  • 高橋良輔 (アニメ監督)|高橋良輔との多くの対談において「『装甲騎兵ボトムズ|ボトムズ』を見たときには血が逆流した」「僕がやりたかったことの先取りだった」「『ボトムズ』は軍事をアニメに持ち込んだエポック的作品だった」などと、高橋の代表作『装甲騎兵ボトムズ』へ熱い賛辞を述べている。押井のレイアウトシステム確立に不可欠だった『機動警察パトレイバー』『攻殻機動隊』『イノセンス』のキーアニメーターで作画監督を務めた黄瀬和哉・沖浦啓之はともに、『ボトムズ』を始め1980年代の高橋作品の作画の中核を担った作画スタジオ、アニメアールの出身者である。

  • 富野由悠季作品の中では『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を評価しており、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』はオマージュ的な側面もあると語っている。庵野秀明らによって出版された同人誌『逆襲のシャア友の会』で、庵野を聞き手に押井守が作品について多くを語っている。別の誌面での富野との対談時、押井は本人にその旨を伝えたが、富野の方は「お世辞だと思って聞き流した」とのこと(ただしこれがホンネかどうかは不明)。ただしガンダムそのものに対しては、「僕は『ガンダム』にはものすごく違和感を感じるんだね。僕個人の志向性、戦争とか暴力とかの敷居の上にはあるんだけど。『未来少年コナン|コナン』なんてのは自分の抱えている世界とはかなり違うから、素直に入っていったのかもしれないけどね」と語っている。

  • 安彦良和はかつて押井を非常に高く評価し、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見たときには「引退を考えるほどの衝撃を受けた」と語っている『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン-G20』☆Vol.4 特集:安彦良和 - アニメの終わりと物語の始まり (エンターブレイン、2005年)。ただし、2007年には雑誌のインタビュー記事で『機動警察パトレイバー2 the Movie』以降の作品については違和を感じていることを表明しており、「今度会ったら『俺、あんたの作品嫌いだよ』と言ってやるつもりだった」とも述べている「歴史の忘却と捏造に抗して 『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 という挑戦
    」(更科修一郎によるインタビュー)『ユリイカ』2007年9月号(青土社)


  • 出崎統監督作品、「劇場版エースをねらえ!」のビデオを何度も繰り返し見て「アニメを映画にする方法を学んだ」と発言している。

  • 実写の映画人では、ビートたけし|北野武に関心を持ち、作品のソフトはすべて所有している。一方、たけしは自らが審査委員長を務める東京スポーツ映画大賞の作品賞に『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』、主演女優賞に草薙素子を選出したことがある。

  • 少年時代からSF作家の光瀬龍のファンであり、高校時代にはファンレターを書いたことがきっかけで自宅に何度も訪問するまでになった。しかし、当時押井もかかわっていた学生運動について意見が対立し、それ以降は長く接することがなかったという。『天使のたまご』を制作した際に対談で約20年ぶりの再会を果たし、確執は解けた。光瀬が亡くなった時に押井は『アヴァロン』の撮影で海外へ渡航中であり葬儀に出席できなかった。このことを押井は大変悔いていた。光瀬が亡くなった翌年(2000年)の日本SF大会(ZERO-CON)で押井が光瀬との思い出を語る企画が設けられた。その際、「今でも『百億の昼と千億の夜』は映画化したいと思っている」と発言している(企画書を書いたこともあったという)また押井はこの後2005年の日本SF大会(HAMA-CON2)においても企画に参加している。

  • 「ガルム戦記」企画の際、当時はまだ知る人ぞのみ知る存在だった細田守の才能をいち早く見抜き、デジタル監督に抜擢した。結局は周知の通り凍結してしまうものの、それが縁となり交流が始まる。時をかける少女 (アニメ映画)|時をかける少女に関して「『トキカケ』とかけて『葱ぬきのカケ』と解きます。そのココロは−どちらも出来立ての熱いのを戴くのが一番。茹で過ぎに注意。期待してます。」と早く見ることを勧めるコメントを残した。公開直前、細田・樋口・秋山貴彦と座談会を行う。アニメや特撮においてCGがこれからもたらすものその後押井の娘と乙一の結婚披露宴の際、細田に記念映像の制作を依頼する。



    映画作品




    [ アニメ ]


  • 1982年 『劇場版ニルスのふしぎな旅』 (画コンテ|絵コンテ・演出(案納正美と共作)、諸事情で公開されず、野田真外曰く「事実上押井さんが監督」)

  • 1983年 『ダロス』(脚本・監督・絵コンテ。世界初のOVA作品、一部地域で小規模の劇場公開を行った)

  • 1983年 『うる星やつら オンリー・ユー』 (監督・脚色・絵コンテ、実質上劇場監督デビュー作)

  • 1984年 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1990年 『御先祖様万々歳!|Maroko / 麿子』 (原作・監督・脚本)

  • 1993年 『機動警察パトレイバー 2 the Movie』 (監督・絵コンテ)

  • 1995年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』 (監督・絵コンテ)

  • 1997年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 インターナショナル・ヴァージョン』 (監督)

  • 2000年 『人狼 JIN-ROH』 (原作・脚本) (監督は沖浦啓之)

  • 2002年 『ミニパト』 (脚本・音響プロデュース・演出コンセプト) (『WXIII 機動警察パトレイバー 』の併映。監督は神山健治)

  • 2004年 『イノセンス』 (監督・絵コンテ・脚本)

  • 2008年 『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊|GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』 (監督・監修)

  • 2008年 『スカイ・クロラ#映画|スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 (監督)


    [ 実写 ]


  • 1970年 『屋上』(撮影・出演、TVでダイジェスト的に放送された、現在音声は紛失している)

  • 1985年 『八岐之大蛇の逆襲』(機材協力)

  • 1987年 『紅い眼鏡 / The Red Spectacles』(監督・共同脚本・絵コンテ)

  • 1991年 『ケルベロス 地獄の番犬』 (原作・監督・脚本)

  • 1992年 『トーキング・ヘッド』 (監督・脚本・絵コンテ)

  • 2001年 『アヴァロン (映画)|アヴァロン』 (監督)

  • 2003年 『KILLERS キラーズ』 (「.50 Woman」の監督・脚本)

  • 2005年 『ローレライ (映画)|ローレライ』 (「B-29〈ドッグ・スレー〉号機体マーク」デザイン)

  • 2007年 『真・女立喰師列伝』(原作・総監修・OP、『金魚姫 鼈甲飴の有理』、中CM、『ASSALT GIRL ケンタッキーの日菜子』監督・脚本)


    [ オシメーション (スーパーライヴメーション)]

    「オシメーション」とは、デジタルカメラで撮影した俳優の写真をデジタル加工し、アニメのパーツとして使用する技法のこと。従来からアニメーションの技法のひとつとして、実写の人間をコマ撮りする、「ピクシレーション(:en:pixilation)」がある。このピクシレーションをさらに発展させたものが、「オシメーション」である。「オシメーション」という名称はProduction I.G社長石川光久が「押井守の原点にもどって作ってもらおうということで」「原点の赤ちゃんになってもらって、押井監督がおしめをはくような作品」という理由で命名し、『立喰師列伝』の制作会見の席上で西尾鉄也によるデフォルメ調の「おしめを穿いた押井守のイラスト」と共に発表された。 以後、あまり浸透せず宣伝等では「スーパーライヴメーション」という名称で紹介されることが多い。* 2006年 『立喰師列伝』 (原作・監督・脚本)
    第63回ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門に出品。



    テレビアニメ・OVA・ラジオドラマ・CDドラマ・ゲーム




    [ テレビアニメ ]


  • 1977年 『一発貫太くん』 (13・28話画コンテ|絵コンテ、28話・29・41話演出、演出デビュー作)

  • 1978年 『ヤッターマン』 (55・59話絵コンテ、後半以降総助監督、野村和史名義)

  • 1978年 『科学忍者隊ガッチャマンII』 (6・10・17話演出、6話絵コンテ)

  • 1979年 『魔女っ子チックル』 (43話絵コンテ、名輪丈名義)

  • 1979年 『ゼンダマン』 (3・7・10・16・18・24・25・28・32話演出、3・10・18・24・25・28・32・34・38・50話絵コンテ、30話修正絵コンテ)

  • 1980年 『ニルスのふしぎな旅』 (6・9・10・13・17・18・23・27・32・34・36・40・41・43・46・49・51話演出、9・17・18・19・23・27・32・36・40・41・46・49話絵コンテ)

  • 1980年 『オタスケマン』(14・31・37・41・44・48話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1981年 『ヤットデタマン』(3話演出、丸輪零名義)

  • 1981年 『名犬ジョリィ』 (21・23話演出・16・23話絵コンテ・21・23話演出助手、小川守弘名義)

  • 1981年 『ゴールドライタン』(27・33話絵コンテ)

  • 1981年 『まいっちんぐマチコ先生』(3話絵コンテ)

  • 1981年 『世界名作ものがたり』 (オープニング演出・絵コンテ)

  • 1981年 『うる星やつら』 (チーフディレクター・43・49・64・78・79・83・104話脚本、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・39・43・44・49・56・59・62・66・72・75・84・86・87・91・99・100・116・126・127・129話演出、1・2・5・9・15・19・20・27・34・35・43・44・45・46・59・66・84・87・94・99・102・104・106・113・116・127話絵コンテ)

  • 1982年 『ダッシュ勝平』(21話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1982年 『逆転イッパツマン』 (10・14・17・21・27・33・39話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1983年 『スプーンおばさん (アニメ)|スプーンおばさん』 (54話脚本・絵コンテ)

  • 1983年 『子鹿物語』 (7・12話絵コンテ)

  • 1987年 『赤い光弾ジリオン』 (2・15話絵コンテ、丸輪零名義)

  • 1989年 『機動警察パトレイバー』 (3・9・14・29・38話脚本)

  • 2004年 『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』 (ストーリーコンセプト)

  • 2004年 『風人物語』 (監修)

  • 2005年 『BLOOD+』 (企画協力)

  • 2007年 『PROJECT_MERMAID』 (監督、「アニクリ15」提供作品)


    [ OVA ]


  • 1981年 『りゅうの目のなみだ』 (演出・絵コンテ)

  • 1983年 『ダロス』 (監督・脚本・演出・絵コンテ(鳥海永行と共作))(日本初のOVA)

  • 1985年 『天使のたまご』 (原案・監督・脚本)

  • 1987年 『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』 (原案・監督・脚本)

  • 1988年 『機動警察パトレイバー』 (旧OVA・前期OVA) (監督・絵コンテ)

  • 1989年 『御先祖様万々歳!』 (原作・監督・脚本・絵コンテ)

  • 1990年 『機動警察パトレイバー』 (新OVA・後期OVA) (6・8・10・13話脚本)


    [ ラジオドラマ ]


  • 1987年 『紅い眼鏡を待ちつつ』(脚本)

  • 2006年 『押井守シアター ケルベロス鋼鉄の猟犬|ケルベロス 鋼鉄の猟犬 / Kerberos Panzer J?ger』(脚本)

  • 2007年 『押井守・川井憲次 アハト アハト|acht acht / アハト・アハト』(脚本)


    [ CDドラマ ]


  • 1992年 『ゲーデルを夢見て〜録音監督1993年』

  • 1992年 『しあわせのかたち 水晶の滑鼠』

  • 1996年 『不帰の迷宮‐THE GREAT MAZE OF OVERKILL』(伊藤和典・千葉繁との3人によるリレー脚本)


    [ ゲーム ]


  • 1990年 『サンサーラ・ナーガ』(監督)

  • 1992年 『機動警察パトレイバー 〜98式起動せよ〜』(監督)

  • 1994年 『サンサーラ・ナーガ2』(監督・マッピング)

  • 2001年 『サンサーラナーガ1×2』(監督)

  • 2005年 『機動警察パトレイバー かむばっくミニパト』(総監修)



    その他映像作品


  • 1982年『関西電力』(CM絵コンテ×2本)『うる星やつら』のキャラクターを使ったもの

  • 1991年 『DOG DAYS』(監督)『ケルベロス 地獄の番犬』アップグレード版特別付録レーザーディスク|LDに収録

  • 1996年 『宇宙貨物船レムナント6』(総合監修)(監督は万田邦敏)

  • 1998年 『バトルトライスト』(アーケードゲーム、エンディング絵コンテ)

  • 2000年 『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(企画協力)(監督は北久保弘之)

  • 2003年 『DOG DAYS AFTER』(監督)(『Mamoru Oshii Cinema Trilogy / 押井守シネマトリロジー』特別付録DVD)

  • 2003年 『東京スキャナー』(監修・CGパート絵コンテ)(監督は松宏彰)

  • 2003年 『東京静脈』(監修)(監督は野田真外)

  • 2004年 『球体関節人形展 - DOLLS of INNOCENCE - 』(監修)

  • 2005年 『めざめの方舟 「?鰉 SHO-HO (しょうほう)」「百禽 HYAKKIN (ひゃっきん)」「狗奴 KU-NU (くぬ)」』(総合演出)(:en:Mezame No Hakobune、愛知万博)

  • 2005年 『アイオーン』(演出、愛知万博公開、出演・最上和子、音楽・川井憲次、舞踏)

  • 2006年 『ズームイン!!SUPER』(CM演出)

  • 2006年 『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀 -パレスチナ死闘編-』(原作・脚本・監督)

  • 2007年 『夢のロボット舞踏会』(総合演出、太鼓演奏・茂戸藤浩司、舞踏・最上和子)

  • 2008年 『ケータイ捜査官7』(監督)

  • 2008年 NHKスペシャル『沸騰都市』OP・ED(監修)



    著書など


  • 1985年 『天使のたまご 少女季』 (あらきりつこ・天野喜孝 共著)

  • 1994年 『Methods 押井守「パトレイバー2」演出ノート』

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(前)』 富士見書房 ISBN 4829125527

  • 1994年 『TOKYO WAR - 機動警察パトレイバー(後)』 富士見書房 ISBN 4829125683

  • 1995年 『注文の多い傭兵たち』

  • 1995年 『攻殻機動隊絵コンテ集』 (士郎正宗 共著)

  • 2000年 『獣たちの夜 - BLOOD THE LAST VAMPIRE』 角川書店 ISBN 4043666012

  • 2000年 『犬の気持ちは、わからない 〜熱海バセット通信〜』 (表紙、挿絵:桜玉吉 )

  • 2000年 『Avalon 灰色の貴婦人』 メディアファクトリー ISBN 4840107424

  • 2004年 『押井守の映像日記 TVをつけたらやっていた』

  • 2004年 『立喰師列伝』 角川書店 ISBN 4048735160

  • 2004年 『これが僕の回答である。1995-2004』

  • 2004年 『イノセンス創作ノート 人形・建築・身体の旅+対談』

  • 2004年 『すべての映画はアニメになる 【押井守発言集】』 徳間書店 ISBN 4198618283

  • 2004年 『押井守・映像機械論 【メカフィリア】』 (竹内敦志 共著)

  • 2005年 『TOKYO WAR MOBILE POLICE PATLABOR』 エンターブレイン ISBN 4757723660

  • 2005年 『「イノセンス」 METHODS 押井守演出ノート』

  • 2006年 『勝つために戦え!』

  • 2006年 『雷轟 rolling thunder PAX JAPONICA』 エンターブレイン ISBN 4757726694

  • 2006年 『立喰師、かく語り』

  • 2008年 『戦争のリアル』 (岡部いさく 共著)



    漫画原作


  • 1982年 『うる星やつら〜番外編〜父たち』 (原作) (作画は高田明美)
        『少年サンデーグラフィックうる星やつら3』に収録

  • 1984年 『とどのつまり…』 (原作・絵コンテ) (作画は森山ゆうじ)

  • 1987年 『西武新宿戦線異状なし』 (原作)(作画は近藤和久)

  • 1988年 『犬狼伝説 Kerberos panzer cop』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 1992年 『西武新宿戦線異状なし DRAGON RETRIEVER』 (原作)(作画は大野安之)

  • 1994年 『セラフィム 2億6661万3336の翼』 (原作) (作画は今敏)

  • 1999年『犬狼伝説 Kerberos panzer cop 完結篇』 (原作)(作画は藤原カムイ)

  • 2002年 『殺人者たち The Killers』 (原作)
     読切短編。最初は神崎将臣作画で掲載されたものの、押井・神崎とのストーリー構成の意見の食い違い、ファンから「押井らしくない」と批判があったため、後に杉浦守作画で再掲載。前者は単行本未収録であり、後者は「RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕」の単行本巻末に収録。

  • 2002年 『西武新宿戦線異状なし 番外編』 (原作)

  • 2003年 『RAINY DOGS 紅い足痕 / 犬狼伝説 紅い足痕』 (原作)(作画は杉浦守)

  • 2006年 『ケルベロス×立喰師 腹腹時計の少女』 (原作)(作画は杉浦守)



    没になった企画


  • シャーロック・ホームズ
     奇しくも登場人物が犬という設定が名探偵ホームズより前に企画されていた。ただ、ここでの本筋はギャグの度合いが大きいという。押井は絵コンテ担当であった。(パイロットフィルムもある)

  • フルムーン伝説 インドラ(キャラクターデザイン・高田明美、美術監督・中村光毅、小説版執筆・鳥海永行)
     英名「THE FULLMOON TRADITION INDRA」押井は企画・原案・絵コンテ・演出としての参加だった。世界展開を予定していたがイタリアとの制作方針が合わずやむなく中止に。その後、鳥海が小説としてまとめた。

  • アンカー(企画、監修、脚本・宮崎駿、小説版執筆・夢枕獏)
     押井はジブリからの誘いに乗り、東京を謎が溢れた暗号化した街として再構成するアイデアを考え、高畑勲も監修として参加しプロットまで作ったが、キャラクター設定やストーリー展開の仕方について宮崎駿と大喧嘩になってしまい、結局その段階でお流れになったという。

  • 突撃!アイアンポーク(原作・企画・監修・宮崎駿)
     宮崎駿の雑想ノート6「多砲塔の出番」を原作とし、押井は監督として参加してOVA化する予定だったが、諸事情により中止に。

  • 「押井版ルパン三世」

  • 押井版銀河英雄伝説
     キャラクターから艦までデザインを変更してもよいという条件で2〜3ヶ月付き合ったが結局断っている。

  • 押井版鉄人28号
     メカ造形が気に入ったため、今でも機会を窺っているらしい。

  • 立喰師列伝
     当初はトワイライトQの一作品になるはずであり、その際のタイトルは「最後の立喰い」であった。

  • 西武新宿戦線異状なし
     原作として関わり、1987年に近藤和久作画で「B-CLUB」誌16〜21号に掲載されるが、序盤途中で頓挫。のちに大野安之作画で1992年に仕切りなおし再スタート。基本プロットは近藤版と共通ながら、一部キャラクターの性別や車両の設定が変更された。こちらは無事完結し単行本化されている。

  • 連続ドラマ版 御先祖様万々歳(脚本・じんのひろあき)

  • D(脚本・伊藤和典)
     樋口真嗣曰く「巨大怪獣もの」だという。大筋は「翼竜の大群が襲ってきて、自衛隊の新兵器がそれを撃墜する」というもの。樋口によると「とある怪獣映画の因縁を感じる」とのこと。

  • 犬狼伝説(当初OVA化の予定だった、後に人狼 JIN-ROHの原型となった)

  • ガメラ2 レギオン襲来
     「自衛隊のシーンを監督してほしい」と金子修介からオファーがあり押井も乗り気だったものの、スケジュールが合わず断念。

  • G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)(今でも再開のチャンスを窺っている)

  • PATLABOR LIVE ACTION MOVIE

  • NEXT〜未来は誰のために
     樋口曰く「巨大スーパーヒーロー物」らしい。企画自体は1992年頃から存在しており、「ガルム戦記」頓挫後にガルムで表現しようとしたテクニックを使い始動しようとするもほどなく白紙になった。

  • エルの乱 鏖殺の島(監督のスケジュール等により製作延期)



    関連項目


  • ケルベロス・サーガ

  • Production I.G

  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • 金子修介

  • 伊藤和典

  • 高田明美

  • 樋上晴彦

  • 出渕裕

  • ゆうきまさみ

  • 高橋留美子

  • 黄瀬和哉

  • 沖浦啓之

  • 野田真外

  • 神山健治

  • 本広克行



    御用達声優


  • 千葉繁
     しかし、立喰師列伝のイベントで、「もう押井作品に出演することはないかも」と千葉が発言し押井も「そうだねぇ、もう千葉君も演出家だからね」とコメントしている。

  • 玄田哲章
     容姿を押井に気に入られ、それ以来キャラクターデザインのモデルにされることが多い。一例として『犬狼伝説』の室戸文明。

  • 古川登志夫

  • 立木文彦
     実写では主役に負けないほどよくしゃべる役が多いが、アニメでは台詞の短い脇役(整備員の一人など)が多い。

  • 大塚明夫

  • 山寺宏一
     押井曰く「彼の最大の欠点は、(演技や声色が多彩すぎて)誰も彼の本当の声を知らないことである」とのこと。

  • 田中敦子 (声優)|田中敦子

  • 竹中直人
     「パトレイバー2」の荒川役で仕事をした後、対談し「また一緒にやりましょう!」と意気投合。「ミニパト」を製作する際、再び荒川を登場させるべく押井は竹中に連絡を取ろうとしたが、知らない間に携帯の電話番号が変わっており、その時は実現しなかった。だが、のちに「イノセンス」では連絡が取れ、出演が実現している。

  • 兵藤まこ
     声優デビュー作となった「天使のたまご」以来、大半の押井作品にアニメ・実写問わず出演している。アヴァロン制作時に、「ゴースト役が決まらなかったら彼女を起用する」と言うほど押井に惚れ込まれている。「ミニパト」の企画に関しても、彼女に主題歌を歌わせてそれをCD化できることが引き受けた大きな目的だったと語っている。

  • 榊原良子
     キャラクターの表現方法の意見の食い違いで一時期絶縁したが、後に和解する。



    脚注





    外部リンク


  • 押井守公式サイト ガブリエルの憂鬱

  • 野良犬の塒 (押井守黙認ファンサイト)

  • 押井守小辞典

  • IMDb: Mamoru Oshii(英語)

  • DEIZ (『めざめの方舟』『立喰師列伝』などの制作に携わったプロダクション)

  • 押井守レトロスペクティヴ(パイロットとプロモーション)


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL


  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月04日

    映画監督[大林宣彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は、日本の映画監督。本人は「映画作家」と称している。広島県尾道市土堂出身。広島県立尾道北高等学校|尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加している。劇作家・演出家の平田オリザ|平田オリザは甥にあたる。自主製作映画の先駆者として、コマーシャルメッセージ|CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"。




    来歴

    代々続く医家の長男として生まれる。「尾道出身」として有名だが、講演会等で大林自らが述べているところによれば、出生時には父親が岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)に勤務していたため、「生誕地」は岡山市内である。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った(このとき作った『マヌケ先生』を元にして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が作られた)。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16才の夏休みに福永武彦の「草の花」を読み感銘を受ける。いつかフレデリック・ショパン|ショパンのピアノ曲のような映画を作りたい、と思いそれは30年後『さびしんぼう_(映画)|さびしんぼう』で実現する。1956年上京し、成城大学在学中から8ミリ|8mmで作品を発表。自主製作映画の先駆者として早くから名前を知られた。1960年に大学を中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際実験映画祭で\xA1 ?3::0wFCJL>^!#!XHxF;!Y!"!XCf;3F;!Y!"!X?)$Y$??M!Y!"!XComplexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などがアンダーグラウンド (文化)|アングラブームに乗って反響を呼ぶ。60年代後半からは草創期のテレビコマーシャルメッセージ|コマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わり始め、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン、「ユニリーバ・ジャパン|ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スターなどの起用で、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなり、また山口百恵・三浦友和コンビの「江崎グリコ|グリコチョコレート|アーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「日本国有鉄道|国鉄フルムーン」など10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、テレビCMを新しい映像表現として確立したと\xA1 $5$l$k!#$^$?!"<+?H$b6e=#EENO$NCMに出演したことがある。 B1977 G/$N!X%O%&%9_(映画)|HOUSE』で商業映画に進出。7人の少女が生き物のような"家"に食べられてしまうというホラー映画|ホラー・ファンタジー映画|ファンタジーを、ソフト・フォーカスを用いたコマーシャルフィルム|CF的映像、実写とアニメの合成など、様々な特撮を使って見せる華麗でポップな映像世界は世の映画少年を熱狂させた。その影響で映画への道を目指した人材も少なくないぴあシネマクラブ 日本映画編、ぴあ、P459大特撮―日本特撮映画史―、コロッサス、P150-151、P280-281日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。個人的好悪の激しい映画ではあるが、それまでの子供達向けから、初めて若者に向けた特撮映画としても特筆される大特撮―日本特撮映画史―、P150-151、P280-281。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出した(この流れから自主映画出身者として大森一樹、森田芳光、CM B=P?H日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。他に先達として自主映画仲間の高林陽一らが存在するものの、自己プロダクション+日本アート・シアター・ギルド|ATGという経路であり、いきなりメジャーの東宝|東宝映画でデビューというのは当時画期的であった。メディア (媒体)|メディアを巧みに動員した大林自身の自己プロモートに加え、当時副社長(のち社長、会長)の松岡功と、東宝撮影所のボス的立場にあったベテラン岡本喜八監督の口添えが大きかったといわれる。同年の『ブラック・ジャック (実写版)|ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者』と共にブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞新人賞受賞。1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生 (映画)|転校生』を発表。『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』、『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』と合わせ"#尾道三部作 (B|尾道三部作"として多くの熱狂的な支持を集め、ロケ地宗 d$j$N%U% !%s$rA}$d$7$?!#$3$l$i$O!":M5$$,K[=P$9$k$"$^$j$K0lItI>O@2H$+$i$O!V$*;RMM%i%s%A!W!V$*$b$A$cH"!W$H9sI>$5$l$k$3$H$b$"$C$?=i4|:nIJ$KHf$Y$k$H!"Mn$ACe$-$H;m>p$rC9$($FI>2A$b9b$/!"1G2h:n2H$H$7$F$R$H$D$ND:E@$rC[$/$3$H$H$J$C$?!#$^$?!"$3$l$i$N1G2h:n$j$K$O!"CO85HxF;$rCf?4$H$7$?B?$/$N;?F12A$5$l$F$$$k!#6aG/$O0l;~4|$[$I%"%$%I%k1G2h$r;#1F$7$J$/$J$C$?0lJ}$G;0ED2B;R$d5H1J>.I49g$r あると言われ、原作との差異で監督と原作者の軋轢が起こるケースも少なくない中で
    赤川次郎は自らの作品が映画化された際に原作に忠実であったので驚いたとコメントを残したことがある。
    独得の語り口でも知られ、近年はコメンテーターなどでテレビ出演、雑誌インタビュー等も多い。



    主な監督作品


  • 「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967年3月8日公開)

  • 「ハウス_(映画)|HOUSE ハウス」(1977年7月30日公開、東宝) 兼製作

  • 「ブラック・ジャック (実写版)|瞳の中の訪問者」(1977年11月26日公開、ホリプロ/東宝) 兼出演

  • 「ふりむけば愛」(1978年7月22日公開、東宝)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979年7月14日公開、東映)

  • 「人はそれをスキャンダルという」第1回(1979年11月21日放送、東京放送|TBS)

  • 「ねらわれた学園 (映画)|ねらわれた学園」(1981年7月11日、東宝)

  • 「転校生 (映画)|転校生」(1982年4月17日公開、松竹)

  • 「可愛い悪魔」(1982年8月10日放送、日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 「時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女」(1983年7月16日公開、東映) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説」(1983年8月30日放送、日本テレビ)

  • 「廃市」(1984年1月2日公開、日本アート・シアター・ギルド|ATG) 兼プロデューサー/企画/編集/作曲

  • 「少年ケニヤ」(1984年3月10日公開) 兼編集

  • 「天国にいちばん近い島」(1984年12月15日公開、東映) 兼潤色/編集

  • 「さびしんぼう (映画)|さびしんぼう」(1985年4月13日公開、東宝) 兼脚本/編集

  • 「姉妹坂」(1985年12月21日公開、東宝)

  • 「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年4月26日公開、東宝) 兼編集

  • 「四月の魚」(1986年5月31日公開、ジョイパックフィルム) 兼企画/脚本/編集

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986年10月4日公開、ATG) 兼編集/音楽

  • 「漂流教室」(1987年7月11日公開、東宝東和) 兼潤色

  • 「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988年3月29日公開、アートリンクス) 兼脚本/編集

  • 「異人たちとの夏」(1988年9月15日、松竹)

  • 「北京的西瓜(ぺきんのすいか)」(1989年11月18日公開、松竹) 兼編集

  • 「ふたり」テレビドラマ(NHK)版(1990年)

  • 「ふたり」(1991年5月11日公開、松竹) 兼編集

  • 「私の心はパパのもの」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「彼女が結婚しない理由」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992年10月31日公開、東映) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1993年2月20日公開) 兼脚本/編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「水の旅人 侍KIDS|水の旅人 -侍KIDS-」(1993年7月17日公開 東宝) 兼編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「女ざかり」(1994年6月18日公開、松竹) 兼脚本/編集

  • 「あした (映画)|あした」(1995年9月23日公開) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの推理 <ディレクターズカット>(1998年2月14日公開、PSC、ザナドゥー (企業)|ザナドゥー) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(1998年2月21日放送、テレビ朝日) 兼脚本

  • 「SADA 戯作・阿部定の生涯」(1998年4月11日公開)
    第48回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞

  • 「風の歌が聴きたい」(1998年7月17日公開、ザナドゥー) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説 劇場版」(1998年8月16日公開、PSC) 兼編集/作曲

  • 「あの、夏の日|あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜」(1999年7月3日公開、東映) 兼脚本

  • 「マヌケ先生」(2000年9月30日公開、PSC) 兼原作/脚本

  • 「淀川長治物語・神戸篇 サイナラ」(2000年9月30日公開、PSC)

  • 「告別」(2001年放送、ビーエス・アイ|BS-i) 兼脚本

  • 「なごり雪 (映画)|なごり雪」(2002年9月28日公開、大映) 兼脚本/編集

  • 「理由 (小説)|理由」(2004年12月18日公開、アスミック・エース) 兼脚本

  • 「理由(日テレヴァージョン)」(TVドラマ 2005年)

  • 「転校生 -さよなら あなた-」(2007年6月23日公開、角川映画) 兼脚本/潤色/編集/撮影台本

  • 「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年夏公開、角川映画) 兼脚本



    その他の主な作品


  • すばらしい蒸気機関車(1970年10月10日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 最後の蒸気機関車(1975年1月11日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 本陣殺人事件(1975年9月27日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 新・木枯し紋次郎(1977年10月5日〜1978年3月29日放送、テレビ東京|東京12チャンネル) タイトル

  • 親子ねずみの不思議な旅(1978年3月11日公開、フレッド・ウォルフ/チャールズ・スウェンソン監督、日本ヘラルド映画) 歌詞

  • ホワイト・ラブ(1979年8月4日公開、小谷承靖監督、東宝) 出演

  • MOMENT(1981年4月4日公開、手塚真監督) 出演

  • 俗物図鑑(1982年11月8日公開、内藤誠監督) 出演

  • アイコ十六歳(1983年12月17日公開、今関あきよし監督、日本ヘラルド映画|日本ヘラルド) 製作総指揮

  • 乙女物語 お嬢様危機イッパツ!(1990年12月8日公開、内藤忠司監督、バンダイ) 出演

  • MAKING OF DREAMS 夢 黒澤明・大林宣彦映画的対話 演出・インタビュー聞き手)(1990年) 

  • 金なら返せん!(1994年12月9日放送) 出演

  • タイム・リープ(1997年6月7日公開、今関あきよし監督) 監修



    尾道三部作

    大林宣彦が、出身地尾道を舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が同じく3つ造られたため、これを“新尾道三部作”と称すこともある。

  • 尾道三部作
    『転校生 (映画)|転校生』(1982年)
    『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』(1983年)
    『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』(1985年)

  • 新尾道三部作
    『ふたり』(1991年)
    『あした (映画)|あした』(1995年)
    『あの、夏の日』(1999年)★音楽関連

  • 坂上香織 「香織の、―わたしものがたり。」 監督作品(VHS/LD) [1988年09月、EMIミュージック・ジャパン|東芝EMIより発売]
    :坂上のイメージビデオ(いわゆるミュージッククリップ)。
    :坂上のデビュー曲でこの作品に収録された「レースのカーディガン」ミュージック・ビデオ|PV撮影において、尾道三部作で使用されたロケ地を随所に織り交ぜて撮影し、「大林宣彦ワンダーワールド作品」と銘打って発売された、ミュージック関連の映像としては当時異色の作品。坂上が一人三役を演じ、合成演出を施した幻想的でメランコリーな雰囲気だが、非常に美しい仕上がりの作品である。



    テレビ版から劇場版

    大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。

    「理由」はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。

  • 麗猫伝説 (日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1983年8月30日放送)
    :→ 劇場公開 1998年8月16日

  • 私の心はパパのもの (日本テレビ「水曜グランドロマン」1988年11月30日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • ふたり (NHK「子どもパビリオン」1990年11月9日・16日放送)
    :→ 劇場公開 1991年5月11日

  • 彼女が結婚しない理由 (日本テレビ「水曜グランドロマン」1990年12月26日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • はるか、ノスタルジィ (WOWOW 1992年10月25日放送)
    :→ 劇場公開 1993年2月20日

  • マヌケ先生(原作・総監督、中国放送/TBS 1998年1月24日)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (テレビ朝日「日曜洋画劇場」1999年11月7日放送)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 告別 (BS-i 2001年2月24日放送)
    :→ 劇場公開 2001年7月14日

  • 理由 (WOWOW「ドラマW」2004年4月29日放送)
    :→ 劇場公開 2004年12月18日
    :→ 日本テレビ「DRAMA COMPLEX」 2005年11月8日放送



    関連項目


  • :Category:大林宣彦の監督映画

  • 山中恒(映画の原作となった作品が多い)

  • 宮崎尚志

  • 黒澤明

  • 林海象

  • 石森史郎

  • 原田知世

  • ウッチャンナンチャン

  • パパとムスメの7日間

  • ロリコン

  • 富田靖子

  • 小林聡美

  • 石田ひかり

  • 山口百恵

  • 今関あきよし



    脚注





    参考文献


  • 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社・1988年)

  • 佐藤忠男『日本の映画人 日本映画の創造者たち』(日外アソシエーツ・2007年)

  • 『ぴあシネマクラブ 日本映画編』(ぴあ・2006年)

  • 『大特撮―日本特撮映画史―』(コロッサス・1979年)



    外部リンク


  • 大林監督のブログ

  • 大林宣彦の映画 普遍的個人映画--A MOVIE

  • 尾道撮歩記

  • インタビュー

  • 純愛映画の名手 映画秘宝.com インタビュー


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年07月03日

    映画監督[成瀬巳喜男]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    成瀬巳喜男



    成瀬 巳喜男(なるせ みきお、1905年8月20日 - 1969年7月2日)は、東京都四谷出身の映画監督。



    来歴

    1920年に松竹松竹蒲田撮影所|蒲田撮影所に入社。小道具係、助監督を経て1930年に『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。最初はドタバタ喜劇を手がけていたが、1931年の『腰弁頑張れ』で注目を集める。『君と別れて』、『夜ごとの夢』といった作品で頭角を現すようになる。だが監督に昇格しても、個室も与えられず、他の助監督たちとの大部屋暮らし。さらには、他の監督たちが拒否した脚本で撮らされ、そのときの約束「これを撮ったら、次は好きなのを撮らしてやる」も反故にされては、さすがに堪忍袋の緒が切れ、このままではいつまでたってもトーキーを撮らしてもらえないと考え、移籍を決心する。それを知った小津は、「それも良し」と日記に書いている。またこの時期、後の東宝で彼の映画を多数製作することになる藤本真澄とも知りあうことになる。1934年、助監督の山本薩夫とともに、東宝の前身であるPCLに移籍して、初トーキー映画『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)を監督する。次いで、中野実の戯曲『女優と詩人』と『妻よ薔薇のやうに』(1935年)を監督。『妻よ-』は批評家から高い評価を受けて『キネマ宗 \Js!Y%Y%9%H1に選ばれる。この作品は『''Kimiko''』と題され、1937年にニューヨークで劇場公開される(アメリカでお金を取って上映された初めての日本映画)。主演女優の千葉早智子と1937年に結婚するが数年後離婚する。大佛次郎原作の『雪崩』(1937年)では黒澤明が助監督をつとめる。黒澤の自伝には、「成瀬さん的には不本意な写真だが、大変勉強になった」の記載がある。戦時下では『鶴八鶴次郎』、『歌行燈』、『芝居道』など「芸道もの」というジャンルで冴えを見せる。戦争直後は民主主義路線映画『浦島太郎の後裔』、『俺もお前も』、『春の目ざめ』といった映画の監督を余儀なくされる。同時期に東宝争議によって東宝撮影所の機能がマヒしたため、成瀬は山本嘉次郎、黒澤明、谷口千吉らと共に東宝を離れ「映画芸術協会」を設立。フリーの立場で東宝、新東宝、松竹、大映などで監督することになる。1951年、林芙美子原作、原節子と上原謙主演の『めし』が高い評価を受ける。東宝復帰後の1955年、『浮雲 (映画)|浮雲』は一般に成瀬の最高傑作とされるばかりでなく、世界映画史に残る恋愛映画とする\xA1 I>2A$,$"$k!#NS86:n$N!X0p:J!Y!"!X:J!Y!"!XHU5F!Y!"!XIb1@ (\xA1 1G2h) |浮雲』、『放浪記』をはじめとして、川端康成原作の『舞姫』、『山の音』、室生犀星原作の『あにいもうと』、『杏っ子』といった純文学作品から、石坂洋次郎原作の『まごころ』、『石中先生行状記』、『くちづけ』といった大衆作品まで幅広いジャンルにわたる文芸映画を中心に、人間の細やかな情感を何気ないやりとりで描ききった。遺作は1967年、司葉子、加山雄三主演の『乱れ雲』。1969年に直腸癌のため死去。なお闘病中、見舞いに訪れた高峰秀子に「白一色の幕を背にして高峰秀子が一人芝居をする」という奇抜な作品の構想を語ったが、実現しなかった。これについては、成瀬と多くの作品でコンビを組んだ名カメラマン・玉井正夫が後年インタビューで「その発言は、成瀬さんが死ぬ間際に弱気になっていたからこそ出た言葉ですよ。成瀬さんは、高峰秀子を個人的には好きではなかったですよ、高峰さんは、人からどういう風に思われているか、良く考えたほうがいいですよ」と、興味深い発言をしている。2005年は生誕100周年にあたり、DVDボックスのリリースや関連書籍の出版、各地の名画座での特集上映などが行われた。


    特徴

    成瀬は女性映画の名手として知られており、とくに高峰秀子とのコンビによって多数の作品を手がける。また小津映画によって神話化された原節子を『めし』、『驟雨 (映画)|驟雨』で起用し、市井に生きる飾らない妻の姿を生き生きと演じさせた。また幸田文原作の『流れる』では高峰を始め、田中絹代、杉村春子、山田五十鈴、岡田茉莉子、中北千枝子、そしてサイレント映画女優の重鎮・栗島すみ子が共演を果たしている。他に戦前では水久保澄子・忍節子・入江たか子・岡田嘉子、戦後では若山セツ子・杉葉子・久我美子・木暮実千代・香川京子・新珠三千代・草笛光子・有馬稲子といった女優が彼の映画で輝きを放っている。女性をいきいきと描けたのは、水木洋子や田中澄江といった女流脚本家による部分が大きいと思われる。スター俳優|男優の意外な起用にも長けており、三船敏郎は『石中先生行状記』、『妻の心』で黒澤映画で見せる男性的魅力とは異なる側面を見せ、三國連太郎は『夫婦』、『妻』で奇妙な味わいを残した。戦前の松竹のスター上原は『めし』以降の諸作で、山村聰とともに飾らない中年男性の姿を手堅く演じつづけた。晩年の『乱れる  Y$H!XMp$l1@!Y$G$O!"!X-%7%j!<%:|若大将』シリーズで人気絶頂だったスター加山から繊細な演技を引き出したことも特筆に値する。また小林桂樹に殺人犯として主役を務めさせたり(『女の中にいる他人』)、その風貌から篤実、凡庸な性格の役回りが多い加東大介に結婚詐欺師(『女が階段を上る時』)や若い女と駆け落ちを繰り返す亭主(『女の座』)を演じさせるなど、名脇役として知られる俳優についても意外な一面を引き出している。数は少ないが子供を主人公とした情感豊かな佳作も手がけており『まごころ』、『秀子の車掌さん』、『なつかしの顔』、『秋立ちぬ』などは隠れた名作である。特に『秋立ちぬ』は、主人公に成瀬本人の幼少時代が重ねられているという意味でも、貴重な作品である。彼の映画を支えていたのは東宝の映画撮影所の優秀な人材によるところも大きく、それは美術監督をつとめた中古智による証言(『成瀬巳喜男の設計』)に詳しい。成瀬は美術に中古、撮影に玉井正夫、照明に石井長四郎、録音に下永尚、音楽に斉藤一郎、といった「成瀬組」と呼ばれた固定スタ\xA1 %C%U$G$N:n6H$r9%$_!"$^$?H`$i$b$=$l$>$l$N;}$D0lN.0J>e$N5;=Q$G@.! @%$r;Y$( $?!#5SK\$K$O?eLZMN;R$,B?$/$N:nIJ$G9W8%$7$F$$$k!#Hs>o$K;~Be@-$r0U<1$7$?4FFD$G$"$j!":nCf$K$5$j$2$J$/Ev;~$N@$Aj$r@9$j9~$`$3$H$,B?$+$C$?!#0lNc$H$7$F!XMp$l$k!Y$G$N8D?M>&E9$H%9!<%Q!<%^!<%1%C%H|スーパーとの価格競争や、『妻として女として』で妻や家族が「三種の神器 (電化製品)|三種の神器」を欲しがるシーン、などがある。こうした設定が伏線として、話の本筋に活かされる事も多い。
    また、戦後の作品では街頭シーンでチンドン屋が登場することが非常に多い。ほとんどは話に絡むことがなく(『めし』でわずかに登場人物が言及する程度である)BGMとしての意味合いも兼ねていたが、成瀬自身が特に好んで取り上げていたと言われている。成瀬の映画で国内外を問わず最も高い評価を受けているのは『浮雲 (映画)|浮雲』であるが、『浮雲』は、その重い雰囲気、こってりとした画調などが成瀬作品として異質であり、『浮雲』をして成瀬の代表作とするべきではないという意見もある。成瀬本人も『浮雲』を自身の最高傑作とは看做していなかったといわれている。スタッフには慕われていたが、無口な性格で付き合いをほとんど持たなかったため、姓名を捩って「ヤルセナキオ」と渾名された。



    評価

    成瀬は国内では生前から一定の評価を得ていたが、それは個性的な映画作家というよりむしろ職人監督としてであった。実際、成瀬は自他共に認める職人監督であり、監督本数も多いがそのためか際立った個性をなかなか見出しづらい。同時代を生きた人の評として有名なものが*蒲田撮影所の城戸四郎所長(後の松竹社長)による「小津は2人いらない」(真偽は不明)。

  • 「『浮雲』は俺にはできないシャシンだ」とする小津発言。

  • 「あの人のシャシンはうまいことはうまいが、いつもキンタマが有りませんね」(津村秀夫著「溝口健二というおのこ」)の溝口健二などである。

    かつて教えを受けた石井輝男は不肖の弟子と自ら認めているが「映画は映画館で上映される数週間だけの命である」とする成瀬の姿勢に敬意を払っていた。また黒澤のスクリプターとして側にいた野上照代は「黒澤さんが一番尊敬してたのは間違いなく成瀬さん」と自著に書いている。国際的名声が高まったのは彼の死から10年以上もたってからで川喜多かしこのような熱心な映画ファンの尽力により1983年のロカルノ国際映画祭の特集上映プログラムがくまれて以降である。フランス映画誌『カイエ・デュ・シネマ』は、彼を小津、溝口健二、黒澤に次ぐ日本の「第4の巨匠」と讃えた。その後、1988年では香港国際映画祭で、1998年にはサン・セバスティアン国際映画祭で特集上映が組まれた。また彼の映画の美術を多数担当した中古智と蓮實重彦とのインタビュー『成瀬巳喜男の設計』(1990年)が筑摩書房から刊行される。ジャン・ピエール・リモザン、レオス・カラックス、ダニエル・シュミット、エドワード・ヤンといった映画監督たちが彼に敬意を表している。シュァ _%C%H$O%I%-%e%a%s%?%j!<1G2h!X=q$+$l$?4i!Y$G!"!XHU5F!Y$N0lIt$r0zMQ$7!"2A$K4X$7$F$O!"D9$/!V@oCf@o8e$K%9%i%s%W$N;~4|$,$"$C$?$,!"!X$a$7!Y$r7@5!$KI|3h$r2L$?$7=w@-1G2h$NL>2A$,8~>e$7$D$D$"$k!#



    監督作品

    ※1953年までの作品は著作権の保護期間が終了したと考えられることから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中(只、2007年の時点では厳密には監督没後38年以内なので発売差し止めを求められる可能性が有るもののその場合でも保護期間は2007年一杯までなので期間を考えれば皆無と言って良い)。




    外部リンク


  • キネマ旬報データベース「成瀬巳喜男

  • 日本映画データベース「成瀬巳喜男

  • 成瀬巳喜男 記憶の現場(生誕100周年記念映画)

  • 成瀬巳喜男のお墓

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    2008年07月02日

    映画監督[雨宮慶太]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    雨宮慶太



    雨宮 慶太(あめみや けいた、1959年8月24日 - )は、千葉県浦安市(当時は東葛飾郡浦安町)出身の映画監督、イラストレーター、キャラクターデザイン|キャラクタデザイナー。有限会社クラウド代表。



    来歴

    阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業後、1981年にデン・フィルム・エフェクトに入社。その翌年の1982年に有限会社クラウドを設立。1985年には『巨獣特捜ジャスピオン』にて初めてキャラクターデザインに携わり、翌年の『時空戦士スピルバン』よりメインでキャラクターデザインを手がけるようになる。映画監督としては1988年の『未来忍者 慶雲機忍外伝』でデビュー。代表作には1991年公開の『ゼイラム』や、『タオの月』(1997年)など。また映画以外にもTV作品の監督を務めることも多く、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991年)ではTV作品初演出にして、パイロット版(1、2話)の監督に抜擢されている。近年は自ら原作まで手がける事も多く、これまでに『鉄甲機ミカヅキ』(2000年)や『魔法少女隊アルス』(2004年)、『牙狼-GARO-|牙狼』(2005年)など、分野を問わず多彩な活動を見せている。国際SFアートコンテスト等の受賞歴を持つ。



    人物


  • 幼少時より特撮好きで特に仮面ライダーのファンであり少年仮面ライダー隊隊員番号No.2をもつ。東映スーパーヒーローフェアでは石ノ森章太郎原作のシリーズを3年間監督しており原作者である石ノ森章太郎とも面識がある。特に仮面ライダーZOでは1号ライダー=本郷猛を主人公とした物語にしたいと考えていたという(諸般の事情からその考えは実現できなかった)。

  • 機械の怪人(例:人造人間ハカイダーのハカイダー)デザインでは「生物らしさ」を出し、生物の怪人(例:仮面ライダーZOのドラス)では「生物らしさ」を強調しているのが特徴である。



    主な監督・脚本作品




    [ 映画 ]


  • 未来忍者 慶雲機忍外伝(1988年)(監督)

  • ゼイラム(1991年)(脚本・監督)

  • 仮面ライダーZO(1993年)(監督)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督)

  • ゼイラム2(1994年)(原作・脚本・監督)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本)

  • 怪談新耳袋#怪談新耳袋劇場版|怪談新耳袋劇場版 「約束」(2004年)(監督)

  • コワイ女「カタカタ」(2006年)(原案・脚本・監督)


    [ テレビ ]


  • 鳥人戦隊ジェットマン(1991-1992年)(監督、ベロニカデザイン)

  • 世にも奇妙な物語「電気じかけの幽霊」(1992年)(監督)

  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー(1992-1993年)(監督)

  • 鉄甲機ミカヅキ(2000年)(原作・監督)

  • 魔法少女隊アルス(2004-2005年)(企画・原作)

  • 牙狼-GARO-|牙狼(2005-2006年)(原作・総監督・監督・脚本)

  • ライオン丸G(2006年)(企画協力)

  • 牙狼-GARO-スペシャル 白夜の魔獣|牙狼スペシャル 白夜の魔獣(2006年)(原作・総監督)

  • キューティーハニー THE LIVE(2007-2008年)(監督)


    [ ビデオ作品 ]


  • ウルトラマンVS仮面ライダー(1993年)(監督)


    [ 漫画作品 ]


  • レッド・モーサリアム(B-CLUB (模型雑誌)|B-CLUB)

  • ガナパの手(月刊アフタヌーン)

  • キバクロウ(月刊アフタヌーン)

  • かるた_(漫画)|かるた(週刊少年チャンピオン)(題字提供)

  • るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 完全版(題字提供)



    主なキャラクターデザイン




    [ 映画 ]


  • 仮面ライダーZO(監督・キャラクターデザイン)

  • 仮面ライダーJ(1994年)(監督・キャラクターデザイン)

  • 人造人間ハカイダー(1995年)(監督・キャラクターデザイン)

  • タオの月(1997年)(監督・脚本・キャラクターデザイン)


    [ テレビ ]


  • 時空戦士スピルバン(1986年〜1987年)(キャラクターデザイン)

  • 超人機メタルダー(1987年〜1988年)(キャラクターデザイン)

  • 機動刑事ジバン(1989年〜1990年)(キャラクターデザイン)

  • 特警ウインスペクター(1990年〜1991年)(キャラクターデザイン)

  • 魔弾戦記リュウケンドー(2006年)(敵キャラクターデザイン)


    [ ゲーム ]


  • 鋼 HAGANE(1994年)(キャラクターデザイン)

  • ルドラの秘宝|ルドラの秘宝(1996年)(キャラクターデザイン)※クラウド名義

  • 七つ風の島物語 (1997年) (キャラクターデザイン・ゲームデザイン・シナリオ)

  • デュアルヒーローズ(1997年)(総監督・キャラクターデザイン他)

  • 鬼武者|鬼武者2(2002年)(キャラクターデザイン)

  • クロックタワー3(2002年)(キャラクターデザイン)

  • GENJI(2005年)(美術監修・キャラクターデザイン)


    [ 小説 ]


  • ブラックロッド(1996年)(イラストキャラクターデザイン)



    関連人物


  • 篠原保

  • 阿部統
    上二名ともクラウドに所属していた経歴を持ち、名実共に雨宮の弟子と言える人物である。特に篠原とはクラウドを離れた後も共働する機会が多い。

  • 桂正和
    専門学校時代の2年後輩に当たる。『ゼイラム』に通行人役として出演経験があるほか、雨宮原作の『I・Я・I・A ZЁIЯAM THE ANIMATION』のキャラクターデザインも桂の手によるものである。

  • 竹谷隆之
    専門学校時代の3年後輩に当たる。雨宮のでデビュー作品『未来忍者』以降、特殊造形を担当している。よくファンからは「雨宮デザインの造形は竹谷が1番」と言われている。



    外部リンク


  • 有限会社クラウド オフィシャルウェブサイト

  • 雨宮慶太ファン オフィシャルウェブサイト


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    2008年07月01日

    映画監督[村上龍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    村上龍




    | birth_place = 日本、長崎県佐世保市
    | death_date =
    | death_place =
    | occupation =小説家、映画監督
    | nationality =
    | period = 1976年ー
    | genre = 小説、エッセイ、評論
    | subject =
    | movement =
    | debut_works =
    | spouse =
    | partner =
    | children =
    | relations =
    | influences =
    | influenced =
    | signature =
    | website =
    | footnotes =
    }}村上 龍(むらかみ りゅう、1952年2月19日 - )は、日本の小説家、映画監督。長崎県佐世保市出身。血液型はO型。武蔵野美術大学在学中の1976年、麻薬とセックスに溺れる若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。アメリカ文化の影響を強く受けた作家として村上春樹とともに時代を代表する作家と目される。主要作品に『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『希望の国のエクソダス』『半島を出よ』など。また自身の小説を元に映画製作も行なう。1999年より日本の経済問題を考えるメールマガジン『JMM』を主宰、以後社会問題に対し積極的に関わっている。本名は「龍之介」だが、芥川龍之介と同じ名前では恐れ多いという理由から筆名を用いた。



    来歴

    1952年2月19日、長崎県佐世保市に生まれる。父は美術教師、母は数学教師であった。佐世保市立御船小学校、佐世保市立光海中学校を経て、1967年長崎県立佐世保北中学校・高等学校|長崎県立佐世保北高等学校に入学。翌年、佐世保港にアメリカの原子力空母エンタープライズが入港、この際の反代々木系全学連の入港阻止運動に感動する。高校在学中はロックバンドを結成しドラムを担当、その後解散し新聞部へ移る。3年生の夏、高校の屋上を仲間とともにバリケード封鎖し無期謹慎処分となる。3ヶ月に及ぶ謹慎期間中、ヒッピー文化に出会い大きな影響を受けた。1970年佐世保北高を卒業、前後して再びロックバンドを結成し、文化会館を借りてロック・フェスティバルを行なった他、8ミリ映画の制作や劇団を作って活動するなどした。この年の春に上京し、現代思潮社の主宰する美学校のシルクスクリーン科に入学するも、半年で退学、同年10月から1972年2月まで、米軍横田基地に近い福生市に住んだ。1972年、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科入学。このころより福生での体験をもとに小説を書\xA1 $-;O$a$k!#1976年、基地の町で麻薬と乱交に明け暮れる若者の姿を描いた『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞を受賞、同年第75回芥川賞を受賞し衝撃的なデビューを飾る。芥川賞選考会では評価が真っ二つに分かれ、文壇でも奥野健男が評価する一方江藤淳が批判するなど議論を呼んだ。同年、エレクトーン奏者の女性と結婚。翌年大学を中退し本格的な作家活動に入る。1980年、コインロッカーに遺棄された孤児の破壊衝動を描いた『コインロッカー・ベイビーズ』で第3回野間文芸新人賞受賞。以降、自伝的作品である『69 sixty nine』、日本を弱肉強食型の社会に変革しようともくろむ秘密結社「狩猟社」の闘いを描いた『愛と幻想のファシズム』(ともに1987年)、SM嬢を過激な性表現で描いて話題となった連作『トパーズ』(1988年)などを次々に発表、小説執筆の傍ら自作の映画化に取り組むなど精力的な活動を行なう。パラレル・ワールドの日本を描いた『五分後の世界』(1994年)などを経て、1996年、『69』の続編である『\xA1 B<>eN6映画小説集』で平林たい子文学賞受賞。同年、女子\xA1 9b@8$N1g =u8r:]$rIA$$$?!X%i%V&ポップ』を発表、アニメーション監督の庵野秀明が実写映画化したことで話題となる。1998年、サイコホラー風の作品『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞受賞。1999年より、金融・経済を中心に論議する場としてメールマガジン『JMM』を主宰し編集長を務める。同年、バブル景気の対応を批判した絵本『あの金で何が買えたか』を発表。以降、経済、社会問題に対する議論に積極的に関わるようになる。2000年、引きこもりの青年が戦争に魅了されていく様を描いた『共生虫』を発表、第31回谷崎潤一郎賞受賞。同年発表した『希望の国のエクソダス』では、日本社会に希望を失った中学生たちがインターネットを通じて新たな社会システムを作り挙げていく様を描き、大きな話題となった。2004年、中学生へ向けて働くことへの興味を促す目的で『13歳のハローワーク』を発表。2005年には綿密な取材を元に日本と朝鮮との関係を描いた『半島を出よ』を発表、第58回野間文芸賞、第59回毎日出版文化賞を受賞した。



    著作




    [ 長編小説 ]


  • 限りなく透明に近いブルー(1976年、講談社)

  • 海の向こうで戦争が始まる(1977年、講談社)

  • コインロッカー・ベイビーズ(1980年、講談社)

  • だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、集英社)

  • 悲しき熱帯 (村上龍)|悲しき熱帯(1984年、角川書店。1988年に『Summer in the city』に改題)

  • テニスボーイの憂鬱(1985年、集英社)

  • 69 sixty nine(1987年、集英社)

  • 愛と幻想のファシズム(1987年、講談社)

  • ラッフルズホテル(1989年、集英社)

  • コックサッカーブルース(1991年、小学館)

  • 超伝導ナイトクラブ(1991年、講談社)

  • イビサ(1992年、角川書店)

  • 長崎オランダ村(1992年、講談社)

  • エクスタシー(1993年、集英社)

  • フィジーの小人(1993年、角川書店)

  • 368Y Par4 第2打(1993年、講談社)

  • 音楽の海岸(1993年、角川書店)

  • 昭和歌謡大全集(1994年、集英社)

  • 五分後の世界(1994年、幻冬舎)

  • ピアッシング(1994年、幻冬舎)

  • KYOKO(1995年、集英社)

  • ヒュウガ・ウイルス 五分後の世界?(1996年、幻冬舎)

  • メランコリア(1996年、集英社)

  • ラブ&ポップ トパーズ?(1996年、幻冬舎)

  • はじめての夜 二度目の夜 最後の夜(1996年、集英社)

  • オーディション(1997年、ぶんか社)

  • ストレンジ・デイズ(1997年、講談社)

  • イン ザ・ミソスープ(1997年、読売新聞社)

  • ライン(1998年、幻冬舎)

  • 共生虫(2000年、講談社)

  • 希望の国のエクソダス(2000年、文芸春秋)

  • タナトス(2001年、集英社)

  • THE MASK CLUB(2001年、メディアファクトリー)

  • 最後の家族(2001年、幻冬舎)

  • 悪魔のパス天使のゴール(2001年、幻冬舎)

  • 2days 4girls 2日間で4人の女とセックスする方法(2002年、幻冬舎)

  • 半島を出よ(2005年、幻冬舎)


    [ 短編集・連作集 ]


  • POST ポップアートのある部屋(1986年、講談社)

  • 走れ!タカハシ(1986年、講談社)

  • ニューヨーク・シティ・マラソン(1986年、講談社)

  • トパーズ(1988年、角川書店)

  • 村上龍料理小説集(1988年、集英社)

  • 恋はいつも未知なもの(1991年、朝日新聞社)

  • 村上龍映画小説集(1995年、講談社)

  • モニカ-音楽家の夢・小説家の物語(1996年、新潮社)坂本龍一との共著

  • 白鳥(1997年、幻冬舎)

  • ワイン一杯だけの真実(1998年、幻冬舎)

  • とおくはなれてそばにいて(2003年、KKベストセラーズ)短篇選集

  • どこにでもある場所どこにもいないわたし(2003年、文芸春秋)文庫版刊行時に『空港にて』に改題

  • 特権的情人美食 村上龍料理&官能小説集(2007年、ベストセラーズ)


    [ エッセイ・評論集 ]


  • アメリカン★ドリーム(1985年、講談社)

  • すべての男は消耗品である。Vol.1-Vol.9(1987年-2007年、KKベストセラーズ)

  • テニスボーイ・アラウンド・ザ・ワールド(1987年、講談社)

  • ビッグ・イベント(1989年、講談社)

  • 龍言飛語(1992年、集英社)

  • 「普通の女の子」として存在したくないあなたへ。(1993年、マガジンハウス)

  • あなたがいなくなった後の東京物語(1996年、角川書店)

  • 寂しい国の殺人(1998年、シングルカット社)

  • フィジカル・インテンシティ 1-5(1998年-2002年、光文社)

  • 寂しい国から遥かなるワールドサッカーへ(1999年、ビクターエンターテインメント・ビクターブックス)

  • 誰にでもできる恋愛(2000年、青春出版)

  • ダメな女(2001年、光文社)

  • だまされないために、わたしは経済を学んだ 村上龍weekly report(2002年、日本放送出版協会)

  • 恋愛の格差(2002年、青春出版社)

  • マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ 村上龍weekly report』2002年、日本放送出版協会)

  • 自殺よりはSEX 村上龍の恋愛・女性論(2003年、KKベストセラーズ)エッセイ選

  • わたしは甘えているのでしょうか?27歳・OL(2006年、青春出版社)

  • 村上龍文学的エッセイ集(2006年、シングルカット社)

  • 案外、買い物好き(2007年、幻冬舎)

  • それでもわたしは、恋がしたい 幸福になりたい お金も欲しい(2008年、幻冬舎)


    [ 対談・インタビュー・書簡集 ]


  • 中上健次vs村上龍 俺たちの船は、動かぬ霧の中を、纜を解いて(1977年、角川書店)中上健次との共著

  • ウォーク・ドント・ラン(1981年、講談社)村上春樹との共著

  • EV.Cafe 超進化論(1985年、講談社)坂本龍一との共著

  • Ryu's Bar 気ままにいい夜(1988年、講談社)同名TV番組での対談集、著:村上龍&Ryu's Barスタッフ

  • 世界をボクらの遊び場(1991年)講談社

  • 友よ、また逢おう(1992年、角川書店)往復書簡、坂本龍一との共著

  • 村上龍+椹木野衣 最新対論 神は細部に宿る(1994年、新浪漫社)椹木野衣との共著

  • 「超能力」から「能力」へ 宇宙的な未知の力を、身近なソフトウェアに,(1995年、講談社)山岸隆との共著

  • RYU'S倶楽部-「仲間」ではなく友人として(1997年、毎日新聞社)

  • 『夢見るころを過ぎれば 村上龍vs.女子高生51人』(インタビュー集), メディアファクトリー, 1998年6月.

  • 憂鬱な希望としてのインターネット(1998年、メディアファクトリー)インタビュー)

  • 村上龍対談集 存在の耐えがたきサルサ(1999年、文芸春秋)

  • 最前線 THE FRONT LINE(1999年、ラインブックス)

  • 世のため、人のため、そしてもちろん自分のため Rie & Ryu,e‐mails(2000年、日本放送協会)電子メールによる往復書簡、[藤木りえとの共著

  • 「教育の崩壊」という嘘(2001年、日本放送出版協会)

  • 対立と自立 構造改革が生み出すもの(2001年、日本放送出版協会)

  • 収縮する世界、閉塞する日本 Post September eleventh(2001年、日本放送出版協会)

  • 円安+インフレ=夜明けor悪夢?(2002年、日本放送出版協会)

  • 文体とパスの精度(2002年、集英社)電子メールによる往復書簡、中田英寿との共著

  • 会社人間の死と再生 ダメな会社と心中しないための戦略とは?(2003年、扶桑社)

  • 啓蒙的なアナウンスメント(2巻)(2003年、日本放送出版協会)

  • 人生における成功者の定義と条件(2004年、NHK出版)

  • 「個」を見つめるダイアローグ(2006年、ダイヤモンド社)

  • カンブリア宮殿 村上龍×経済人(2巻)(2007年-2008年、日本経済新聞出版社)


    [ 絵本 ]


  • 絵本 だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、集英社)絵:吉田カツ

  • 友達のラ リ ル レ ロ(1989年、角川書店)絵:安井須磨子

  • すてきなジェニファー(1996年、新書館)絵:山本容子

  • あの金で何が買えたか バブル・ファンタジー(1999年、小学館)絵:はまのゆか

  • ストレイト・ストーリー(2000年、集英社)絵:はまのゆか
    同名映画(監督:デイヴィッド・リンチ)の絵本化

  • おじいさんは山へ金儲けに 時として、投資は希望を生む(2001年、日本放送出版協会)絵:はまのゆか

  • 13歳のハローワーク(2003年、幻冬舎)絵:はまのゆか

  • ポストマン(2003年、NHK出版)絵:はまのゆか

  • シールド(盾)(2006年、幻冬舎)絵:はまのゆか


    [ CDブック ]


  • シボネイ-遥かなるキューバ(1991年、主婦の友社)

  • 或る恋の物語 エキゾチズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)

  • Se fue彼女は行ってしまった ロマンチシズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)

  • わたしのすべてを エロチシズム120%(1996年、ソニー・ミュージックエンタテインメント)


    [ 映画シナリオ ]


  • 真昼の映像・真夜中の言葉(1979年、講談社)

  • メイキング オブ だいじょうぶマイ・フレンド,(1983年、CBSソニー出版)

  • シナリオ ラッフルズホテル(1989年、集英社)野沢尚との共著

  • トパーズの誘惑(1992年、角川書店)

  • KYOKOの軌跡 神が試した映画(1996年、幻冬舎)


    [ JMM関連 ]


  • JMM Vol.1 - Vol.13(1999年 - 2001年、NHK出版)メールマガジン集

  • 村上龍 失われた10年を問う(JMM extra issue)(2000年、NHK出版)


    [ 著作集 ]


  • 村上龍全エッセイ(全3巻)(1991年、講談社)

  • 村上龍自選小説集(全8巻)(1998年-2000年、集英社)


    [ アンソロジーなど ]


  • ビートルズってなんだ?―53人の"マイ・ビートルズ"(1984年、講談社)エッセイ・アンソロジー

  • 十七粒の媚薬(1989年、マガジンハウス)「クリーム色」収録

  • 贅沢な恋愛(1990年、角川書店)「ムーン・リバー」収録

  • 贅沢な失恋(1993年、角川書店)「マナハウス」収録

  • 贅沢な恋人たち(1994年、幻冬舎)「白鳥」収録


    [ その他 ]


  • American road show(1986年、東宝出版事業室)

  • 快楽のテニス講座(テニス解説書)(1988年、講談社)

  • セビロとルージュと秘密の手紙(1992年、角川書店)短篇+ポストカード

  • 新世界のビート 快楽のキューバ音楽ガイド(1993年、新潮社)キューバ音楽ガイド

  • 世紀末を一人歩きするために(1995年、講談社)自作小説・エッセイからの引用集

  • バイオテック・レイヤード(1998年、ピー・エヌ・エヌ)CG画集

  • 共生虫ドットコム(2000年、講談社)Webサイトの活動記録など、著:村上龍、Kyoseichu.com制作班

  • 「希望の国のエクソダス」取材ノート(2000年、文芸春秋)

  • eメールの達人になる(2001年、集英社)新書

  • 日本経済に関する7年間の疑問(2006年、日本放送出版協会)新書、JMMのリポートを再編集

  • 美しい時間(2006年、KKベストセラーズ)小説。村上龍『冬の花火』と小池真理子『時の銀河』の2冊から成る。



    作品の映像化、舞台化など

    映画

  • 限りなく透明に近いブルー(1979年、監督・脚本:村上龍

  • だいじょうぶマイ・フレンド(1983年、監督・脚本:村上龍

  • ラッフルズホテル(1989年、監督:村上龍、原案:奥山和由、脚本:野沢尚)

  • トパーズ(1992年、監督・脚本:村上龍

  • KYOKO(1996年、監督・脚本:村上龍

  • ラブ&ポップ(1998年、監督:庵野秀明、脚本:薩川昭夫)

  • オーディション(2000年、監督:三池崇史、脚本:天願大介)

  • 走れ!イチロー(2001年、原作『走れ! タカハシ』、監督:大森一樹、脚本:丸山昇一・大森一樹)

  • 昭和歌謡大全集(2002年、監督:篠原哲雄、脚本:大森寿美男)

  • 69 sixty nine(2004年、監督:李相日、脚本:宮藤官九郎)
    ※『半島を出よ』が韓国で、『コインロッカー・ベイビーズ』がアメリカにおいて映画化の予定テレビドラマ

  • 最後の家族(2001年、脚本:村上龍)ラジオドラマ

  • コインロッカー・ベイビーズ(1981年、演出:村上龍

  • ハワイアン・ラプソディ(1984年)舞台

  • 昭和歌謡大全集(1997年、演出:蜷川幸雄、脚本:清水邦夫)ゲーム

  • PS2「五分後の世界」(2001年、原作:村上龍 株式会社メディアファクトリー)



    出演番組


  • 1978年4月 - ルポルタージュにっぽん「ボブ・ディランがやって来た」NHK

  • 1983年4月 - 「アップダウンクイズ」シルエットゲスト 毎日放送|MBS-東京放送|TBS

  • 1987年10月〜1991年3月 - Ryu's Bar 気ままにいい夜 MBS-TBS

  • 2000年5月 - NHKスペシャル インターネット・エッセイ 村上龍 '失われた10年'を問う NHK

  • 2001年1月 - Ryu's Barスペシャル21 TBS/毎日放送

  • 2004年1月 - NHKスペシャル 日本再生 ひとりからの出発 ?村上龍とリーダーたちの対話? NHK

  • 2006年4月 - 日経スペシャル カンブリア宮殿〜村上龍の経済トークライブ〜 テレビ東京



    インターネットでの活動




    [JMM (ジャパン・メール・メディア)]

    1999年から始まった村上龍が編集長を務めるメールマガジン。2005年10月31日現在、発行部数約13万部。特に経済分野に関して比重が大きい。執筆者は、冷泉彰彦、春具、アン・ヨンヒなど。書籍化もされている。
    月曜日の配信は、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』と題して、一週間前に出された村上からの質問に対する専門家の回答と、村上からの新たな質問が提示される構成となっている。これがJMMにおいて編集長である村上からのコメントが定期的に掲載される唯一の配信である。


    [RVR (Ryu's Video Report)]

    2006年から始まったスポーツ、韓国映画、時事問題をテーマにしたインターネットによる映像配信。



    キューバ音楽との関わり


  • キューバのミュージシャンの日本公演をプロデュースしている。(バンボレオ、NG・ラ・バンダ、ロス・ヴァン・ヴァンなど)また、自己レーベル MURAKAMI's を作ってNG・ラ・バンダなどのCDを発売した。

  • キューバのミュージシャン「チャランガ・アバネーラ」を追った映画『ポプラル!』 (2005) でエクゼクティブ・プロデューサーを務める。作家 村上 龍に聞く(前編) - L-Cruise - 日経トレンディネット



    参考文献


  • 群像日本の作家29 村上龍(1998年、小学館)

  • 龍が昇るとき(村上新一郎著、1977年、講談社)
    実父の村上新一郎が息子について書いたもの。

  • 別冊宝島 僕たちの好きな村上龍(2003年、宝島社)



    外部リンク


  • 編集長 村上龍 Japan Mail Media

  • RVR Ryu's Video Report

  • 13歳のハローワーク 公式サイト

  • 悪魔と天使の瞬間 スポーツ報知のコラム


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    2008年06月30日

    映画監督[田中絹代]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    田中絹代



    ・山口県
    | 国籍 = 日本
    | 民族 =
    | 血液型 =
    | 生年 = 1909
    | 生月 = 12
    | 生日 = 29
    | 没年 = 1977
    | 没月 = 3
    | 没日 = 21
    | 職業 = 俳優、映画監督
    | ジャンル = 映画
    | 活動期間 = 1924年-1977年
    | 活動内容 =
    | 配偶者 =
    | 家族 =
    | 公式サイト = 田中絹代の部屋
    | 主な作品 = 愛染かつら、西鶴一代女
    | アカデミー賞 =
    | アリエル賞 =
    | AFI賞 =
    | 英国アカデミー賞 =
    | エミー賞 =
    | グラミー賞 =
    | ゴールデングローブ賞 =
    | ゴールデンラズベリー賞 =
    | ゴヤ賞 =
    | ジェミニ賞 =
    | ジニー賞 =
    | セザール賞 =
    | トニー賞 =
    | 日本アカデミー賞 =
    | フィルムフェア賞 =
    | ブルーリボン賞 =
    | ローレンス・オリヴィエ賞 =
    | その他の賞 =ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞
    1974年『サンダカン八番娼館 望郷』
    | 備考 =
    }}田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優・映画監督。黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画が世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)の全てで受賞しており、三冠を達成している(下記参照)。また、日本で二人目の女性映画監督でもある。



    出生・下関から大阪へ

    山口県下関市丸山町に父・田中久米吉、母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。母ヤスの実家小林家は下関で代々続く大地主の商家で、久米吉はそこの大番頭であった。二人は結婚して独立し、呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年(明治45)1月、久米吉が病死。その後母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。1916年(大正5)絹代は下関市立王江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。この年20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで田中一家は後ろ指を指されることになり、そのことが一家の経済事情を更に悪くした。翌1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。更に翌1918年4月、絹代は天王寺尋常小学校の三年に編入し、以後大阪で育つことになる。



    戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

    幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の少女歌劇|琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



    戦後〜演技派スター・女性監督へ

    終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督。日本で二人目の女性監督の誕生であったが、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下惠介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ぁ 1$k0lJ}!"1970年の『樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役や連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。1974年に主演した熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去、。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

    死後、勲三等瑞宝章が授与された。同年3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。法名 (浄土真宗)|法名は、迦陵院釋絹芳。墓所は神奈川県鎌倉市の円覚寺にある。



    没後の顕彰

    1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶應義塾大学|慶應野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。



    代表作



    [おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 真珠夫人(1927年、池田義信)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • マダムと女房(1931年、五所平之助)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1938年、野村浩将)

  • 暁に祈る(1940年、佐々木康)

  • 簪 (映画)|簪(1941年、清水宏)

  • 陸軍 (映画)|陸軍(1944年、木下惠介)

  • 結婚(1947年、木下惠介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下惠介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 武蔵野夫人(1951年、溝口健二)

  • 西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 安宅家の人々(1952年、久松静児)

  • 雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品。1953年、溝口健二)

  • 煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助)

  • 山椒大夫(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 流れる(1956年、成瀬巳喜男)

  • 黄色いからす(第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎)

  • 異母兄弟(1957年、家城巳代治)

  • 楢山節考(1958年、木下惠介)

  • 彼岸花 EQUINOX FLOWER (1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下惠介)

  • おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑)

  • 放浪記(1962年、成瀬巳喜男)

  • 赤ひげ(ヴェネチア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)受賞作品。1974年、熊井啓)

  • 北の岬(1976年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家 (テレビドラマ)|女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年):主人公の母親役

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年、連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1961年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 有森也実(1986年・映画『キネマの天地』)※役名は、田中小春

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会
     
    神奈川県逗子市にあった自宅敷地は「絹代御殿」と呼ばれるほどの風格ある建築物だった(元は政治家の別宅)。田中の没後も料亭として建物を保存していたが、店舗閉店後にみのもんたが買収し、解体された。



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代


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    2008年06月28日

    映画監督[和田誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    和田誠




    和田 誠(わだ まこと、1936年4月10日 - )は、大阪府生まれのイラストレーター、エッセイスト、映画監督。




    人物

    東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現デザイン)科卒業。1959年に広告制作プロダクション、ライトパブリシティに入社。同社を退社した1968年より、フリーのグラフィックデザイナー|デザイナー、イラストレーターとして活躍する。代表作として、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインがあまりにも有名。
    この他、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルや「週刊文春」の表紙も一般的には広く知られている。星新一著作の挿絵も多数手がける。星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹『アフターダーク』など、書籍のブックデザインも多く手がけているが、和田は普通カバー裏に直接印刷されているバーコードを嫌っているため、彼の作品にはISBNの数字のみが記載される。その際バーコードは帯#印刷・出版における帯|帯につけられていることが多い。本業のデザインのほかにも、作詞・作曲から、パロディ小説執筆、翻訳まで幅広い分野で活動。特に映画ファンとして有名で、「お楽しみはこれからだ」をはじめとするエッセイ集がある。一方で小泉今日子主演で知られる『怪盗ルビィ』などの映画監督を手掛けたりと、監督としての評価も高い。また、1960年に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成して草月ホールで定期的に上映会を行っていた際には、和田も横尾忠則や手塚治虫らとともに参加し、個人で制作したアニメーションを上映した。父は築地小劇場の創立者の一人で、のち、ラジオドラマを多数演出し\xA1 !V%i%8%*$N?@MM!W$H8F$P$l$?OBED@:!#IW?M$ONAM}0&9%2H!&%7%c%s%=%s2N


    受賞歴


  • 1958年:『夜のマルグリット』のポスターにより日本宣伝美術会賞受賞。

  • 1960年:タバコ|たばこの「ハイライト」のデザイン・コンペに入賞。

  • 1964年:短編アニメ映画『殺人 MURDER』により毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞。

  • 1969年:似顔絵その他で文藝春秋漫画賞受賞。

  • 1974年:似顔絵集『PEOPLE』で講談社出版文化賞(ブックデザイン部門)受賞。

  • 1981年:講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。

  • 1982年:『ビギン・ザ・ビギン』で角川書店日本ノンフィクション賞受賞。

  • 1984年:映画『麻雀放浪記』で報知映画賞新人賞受賞。

  • 1989年:映画『怪盗ルビイ』でブルーリボン賞受賞。

  • 1993年:『銀座界隈ドキドキの日々』で講談社エッセイ賞受賞。

  • 1994年:幅広い活躍により菊池寛賞受賞。



    挿絵・著作一覧


  • きまぐれロボット

  • ポスターランド

  • 倫敦巴里

  • いつか聴いた歌

  • 金田一耕助の冒険

  • 真説 金田一耕助

  • 冷蔵庫より愛をこめて

  • ナポレオン狂

  • 深夜の散歩−ミステリの愉しみ−

  • 探偵たちよ、スパイたちよ

  • 和田誠百貨店

  • ことばのこばこ

  • デザイン街路図

  • 装丁物語

  • お楽しみはこれからだ Part 1-7

  • シネマッド・カクテルパーティ

  • 新人監督日記

  • 銀座界隈ドキドキの日々

  • たかが映画じゃないか

  • それはまた別の話

  • これもまた別の話

  • 時間旅行

  • 今日も映画日和

  • 指からウロコ

  • 物語の旅

  • パイがいっぱい

  • 気まずい二人

  • ぼくは王さま、ノコ星ノコくん
    :王さまシリーズの挿絵は一冊目のみ。その後は和歌山静子に交代している。和田は寺村の同級生の教え子にあたる。


    [ 翻訳 ]


  • オフ・オフ・マザー・グース

  • ロビン・フッドに鉛の玉を

  • 虹の彼方の殺人

  • 劇団四季ミュージカル『クレイジー・フォー・ユー』訳詞


    [ フィルモグラフィー ]


  • 殺人 MURDER(1964年) 制作・監督・作画

  • パンパの活躍(1970年) 美術・アニメーション

  • 恋の大冒険(1970年) 美術

  • 麻雀放浪記#映画 麻雀放浪記|麻雀放浪記(1984年) 監督

  • 快盗ルビイ(1988年) 監督・脚本 「快盗ルビイ (シングル)|快盗ルビイ」の作詞もした

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年) 製作・監督・作曲

  • 怖がる人々(1994年) 監督・脚本

  • しずかなあやしい午後に(第一話 ガクの絵本)(1997年) 監督・脚本

  • 真夜中まで(1999年) 監督・脚本

  • みんなのいえ(2001年) 出演



    関連文献


  • 12人のグラフィックデザイナー(第2集)・美術出版社編集部編・美術出版社・1977年([http://www.booksrepublic.com/art-22detail.html])

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    2008年06月26日

    映画監督[柳下毅一郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    柳下毅一郎



    柳下 毅一郎(やなした きいちろう、1963年 - )は翻訳家、映画評論家、殺人研究家。自称「特殊翻訳家」(後述)。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科非常勤講師(映像芸術論)。大阪府生まれ。甲陽学院中学校・高等学校から東京大学理科一類を経て東京大学工学部建築学科卒業。「ガース柳下」や「曲守彦」のペンネーム|筆名を使うこともある。ただし「曲守彦」は、宝島社勤務時代に使った名前で、現在は使用されない。町山智浩と共に仕事をするときは「ガース柳下」「ウェイン町山」の「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」を名乗ることが多い。なお、ウェイン、ガースは『ウェインズ・ワールド』のボンクラ・コンビの名前。「ファビュラス・バーカー・ボーイズ」は映画『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』のもじりである。妻は、サイレント映画・伴奏者の、ピアニスト柳下美恵。東京大学在学中は、山形浩生とともに、「東京大学SF研究会」に属し、共同でウィリアム・バロウズについての研究ファンジン「バロウズ本」を作成した。卒業後、雑誌『宝島』の編集者をへて、フリーに。映画評論コンビの町山智浩とは、『宝\xA1 Eg!YJT=8It;~Be$NF1N=$G$"$C$?!#!VFCN$7$?:,K\7I$+$i1F6A$rN$G$"$k!#O"B3;&?M!"ND4q;&?M!"1G2h!"3$30%5%$%(%s%9!&%U%#%/%7%g%s|SF及びそれに隣接する海外前衛文学(コミック含む)等に造詣が深く、各分野で評論・エッセイを書いている。最愛の作家は、ともに異端のSF作家である、J・G・バラードとR・A・ラファティ。映画評論家としての仕事は、「映画秘宝」を中心に活動しており、ピンク映画やドキュメンタリー映画など一般の評論家がみない映画を積極的に見る一方、邦画・洋画問わず「駄目な大作映画」も見て「どこがどのように駄目か」評論するなどしている。また、著書『興行師たちの映画史』は、「見世物」としての映画を、製作する側の「見世物師としての映画作家たち(=興行師)」の側から論じた、画期的な映画史である。なお、唐沢俊一が著書『裏モノの神様』で、「送ってもらった柳下毅一郎氏の鬼畜映画エッセァ $!X0&$O;`$h$jNd$?$$!Y!D!D=q$-9~$^$l$F$$$k:`NA$OL5Cc6lCc$K$$$$$! /$;$K!"J 8>O$,AjJQ$o$i$:2<Z5r$8$c$J$$$+!#%*%l$ON"%b%N$H$+54C\7O$J$s$>$HL>>h$C$?$3$H$O0lEY$b$J$$!#@N$+$i$:$C$HJ83X


    著書


  • 『世界殺人鬼百選/Ultimate Murder File』(ぶんか社、1996.9)(ガース柳下名義)

  • 『世界殺人ツアー 殺人現場の誘惑』(原書房、1998.2)→文庫化にあたって改題『殺人マニア宣言』(ちくま文庫、2003.9)

  • 『愛は死より冷たい 映画嫌いのための映画の本』(洋泉社、1998.9)

  • 『コンプリート・チャールズ・マンソン チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』 (コアマガジン、1999.10)(共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』(洋泉社、1999.1)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(洋泉社、2002.5)(町山智浩と共著)

  • 『シー・ユー・ネクスト・サタデイ 完全収録『激殺!映画ザンマイ』』(ぴあ、2003.10)

  • 『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』(青土社、2003.12)

  • 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判 2』(洋泉社、2004.9)(町山智浩と共著)

  • 『ファビュラス・バ−カ−・ボ−イズの映画欠席裁判 3』(洋泉社 2007.3)(町山智浩と共著)

  • 『シネマ・ハント ハリウッドがつまらなくなった101の理由』(エスクァイアマガジンジャパン 2007.12)



    編書


  • 『ティム・バートン 期待の映像作家シリーズ』(キネマ旬報社、2000.3)

  • 『実録殺人映画ロードマップ』(洋泉社、2004.4)



    監修書


  • 『実録!マーダー・ウォッチャー 2005summer issue』(洋泉社、2005.7)

  • 『女優・林由美香』(洋泉社、2006.10)(編集は、直井卓俊、林田義行)

  • 『凶悪犯罪の歴史』(ぶんか社文庫 2008.2)

  • 『明治・大正・昭和・平成 実録殺人事件がわかる本』(洋泉社、2008.6)



    訳書


  • ウィリアム・S・バロウズ『おかま』(ペヨトル工房、1988)(山形浩生と共訳)

  • J・G・バラード『クラッシュ』(ペヨトル工房、1992)

  • フランク・リシャンドロ『ジム・モリスン/幻の世界』(JICC出版局、1992.4)

  • モリッシー/ジョン・ロバートスン『クイーン・イズ・デッド モリッシー発言集』(JICC出版局、1992.9)

  • ジョン・スラデック『遊星よりの昆虫軍X』(ハヤカワ文庫、1992.12)

  • ウィリアム・S・バロウズ『おぼえていないときもある』(ペヨトル工房、1993)(浅倉久志ほかと共訳)

  • ジョン・レチー『ラッシュ』(白夜書房、1993.5)

  • ジェームス・ヤング『ニコ ラスト・ボヘミアン』(宝島社、1993.5)

  • ギデオン・サムズ『ザ・パンク』(PSC、1994.12)

  • デヴィッド・ブレスキン『インナーヴューズ 映画作家は語る』(大栄出版、1994.12)

  • ハロルド・シェクター『オリジナル・サイコ 異常殺人者エド・ゲインの素顔』(ハヤカワ文庫、1995.2)

  • ブルース・ワグナー『バド・ウィギンズ氏のおかしな人生(上・下)』(扶桑社文庫、1995.9)

  • ルベン・マルティネス『すべてのリズムで踊れ LAラティーノの鳴動』(白水社、1996.2)

  • キャサリン・ダン『異形の愛』(ペヨトル工房、1996.7)

  • J・C・ハーツ『インターネット中毒者の告白』 (草思社、1996.11)(大森望と共訳)

  • オリヴァー・サイリャックス『世界犯罪百科全書』(原書房、1996.12)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、1997.10)

  • マイケル・マッカラーズ『オースティン・パワーズ』(青山出版社、1998.5)

  • ブライアン・マスターズ『ジェフリー・ダーマー死体しか愛せなかった男』(原書房、1999.3)

  • デレク・A・スミシー『コリン・マッケンジー物語』(パンドラ、1999.10)

  • クリストファー・プリースト『イグジステンズ』(竹書房文庫、2000.4)

  • サイモン・クーパー『サッカーの敵』(白水社、2001.3)

  • ニール・ゲイマン『ネバーウェア』 (インターブックス、2001.7)

  • ジェームズ・エリソン『パニック・ルーム』(ヴィレッジブックス、2002.3)

  • R.v.クラフト=エビング著『クラフト=エビング変態性慾ノ心理』 (原書房、2002.7)

  • ロバート・クラム『ロバート・クラムBEST―Robert Crumb’s troubles with women』 (河出書房新社、2002.7)

  • R・A・ラファティ『地球礁』(河出書房新社、2002.10)

  • フィリップ・ゴーレイヴィッチ『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実(上・下)』(WAVE出版、2003.6)

  • スティーヴン・ピジック『アイデンティティー』(ヴィレッジブックス、2003.10)

  • ウィリアム・S・バロウズ『ソフトマシーン』(河出文庫、2004.6)(山形浩生と共訳)

  • ジョン・ウォーターズ『ジョン・ウォーターズの悪趣味映画作法』(青土社、2004.6)

  • ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(国書刊行会、2004.7)

  • サイモン・クーパー『アヤックスの戦争 第二次世界大戦と欧州サッカー』(白水社、2005.2)

  • デニス・オニール『バットマンビギンズ』(SB文庫、2005.6)

  • シオドア・スタージョン『輝く断片』(河出書房新社、2005.6)(大森望編、大森望、伊藤典夫と共訳)

  • R・A・ラファティ『宇宙舟歌』(国書刊行会、2005.10)

  • ジーン・ウルフ『デス博士の島その他の物語』(国書刊行会、2006.2)(浅倉久志、伊藤典夫と共訳)

  • マット・ウェイランド、ショーン・ウィルシー編『世界の作家32人によるワールドカップ教室』(白水社、2006.5)(越川芳明と共監訳)

  • ブライアン・オールディス『ブラザ-ズ・オブ・ザ・ヘッド』(河出文庫 2007.1)

  • ジョン・スラデック『蒸気駆動の少年』(河出書房新社 2008.2)(編集を担当。大森望らと共訳)



    外部リンク

    Kiichiro Yanasita's Murderous Page - 本人による公式ホームページ


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    2008年06月25日

    映画監督[高畑勲]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    高畑勲



    高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - )は、三重県伊勢市出身の映画監督、プロデューサー、翻訳家。東京大学文学部フランス文学|仏文科卒業。紫綬褒章受賞。日本のアニメーションを黎明期から支えてきた演出家で、「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ」「火垂るの墓」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン」「じゃりン子チエ」などの演出で知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもとてつ)がある。



    人物・概要

    岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代経団連会長・土光敏夫らと共に岡山県で初めての名誉県民に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎を父に持ち[http://www.pref.okayama.jp/soshiki/detail.html?lif_id=1778]、7人兄弟の末っ子。血液型O型。愛称は「パクさん」。趣味は音楽鑑賞と勉強。アニメーション以外にも、水の都福岡県柳川市の風情を撮影した「柳川堀割物語」といった実写のドキュメンタリー作品や人形劇の演出も手がけている。学生時代からフランスの詩人・脚本家であるジャック・プレヴェールの作品を愛好し影響を受けており、彼の名詩集《''Paroles''》(邦訳題名『ことばたち』)の日本初完訳(2004年)という仕事も行っている。また、フランスの長編アニメーション映画「キリクと魔女」日本語版の字幕翻訳・演出、さらに原作本の翻訳も手がけている。同じくフランスの長編アニメーション映画「王と鳥」の字幕翻訳も手がけた。「紅の豚」の劇場用パンフレットではさくらんぼの実る頃(原題: Le Temps des cerises)の訳詞を載せている。アニメ業界に入るきっかけは、海外の長編アニメ「やぶにらみの暴君」\xA1 $K46LC$7$?$+$i$G!"Bg3XB46H8e$KEl1GF02h$KF~/G/%1%s!W$G1i=P%G%S%e!


    略歴


  • 1935年10月29日、三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれる。

  • 1938年、三重県津市に転居。

  • 1942年、三重県立師範学校男子部付属国民学校に入学。

  • 1943年、父の転勤に伴い岡山県立師範学校男子部付属国民学校に転入。卒業後、岡山大学付属中学校に進学し卒業。

  • 1954年、岡山県立朝日高校を卒業、東京大学教養学部に入学。

  • 1956年4月、東京大学文学部仏文科に進級。

  • 1959年3月、東京大学卒業。4月、東映動画に演出助手として入社。「安寿と厨子王丸」「鉄ものがたり」「わんぱく王子の大蛇退治」「狼少年ケン」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「ゲゲゲの鬼太郎」「もーれつア太郎」「新・ゲゲゲの鬼太郎」「アパッチ野球軍」などに参加。東映動画労働組合での組合運動を通じ宮崎駿と親交を深める。

  • 1971年6月10日、宮崎駿、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)へ移籍。「ルパン三世」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」に参加。

  • 1973年、宮崎駿、小田部羊一と共に瑞鷹 (アニメ製作会社)|ズイヨー映像(現日本アニメーション)へ移籍。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「ペリーヌ物語」などに参加。

  • 1978年、宮崎駿の「未来少年コナン」に(絵コンテ)参加。

  • 1979年、 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン演出。

  • 1981年、 テレコム・アニメーションフィルムへ移籍。「じゃりン子チエ」(脚本・監督)公開。

  • 1982年、「セロ弾きのゴーシュ」(脚本・監督)公開。

  • 1983年、「リトル・ニモ」の準備作業をするが米国側と意見が合わず演出を降板。

  • 1984年、「風の谷のナウシカ」(プロデューサー)公開。

  • 1985年、 スタジオジブリ設立に参画。

  • 1986年、「天空の城ラピュタ」(プロデューサー)公開。

  • 1987年、「柳川堀割物語」(脚本・監督)公開。

  • 1988年、「火垂るの墓」(脚本・監督)公開。

  • 1989年、「魔女の宅急便」(音楽演出)公開。

  • 1991年、「おもひでぽろぽろ」(脚本・監督)公開。

  • 1994年、「平成狸合戦ぽんぽこ」(原作・脚本・監督)公開。

  • 1998年、1998年秋の紫綬褒章を授章。

  • 1999年、「ホーホケキョとなりの山田くん」(脚本・監督)公開。



    宮崎駿との関係

    アニメーション作家・映画監督の宮崎駿は東映動画(現・東映アニメーション)時代の後輩である。また、「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「おもひでぽろぽろ」に至るまで、永年共に作品を作ってきた盟友でもある。東映動画時代、組合活動を通じて(まだ一アニメーターに過ぎなかった)宮崎に与えた思想的影響は大きいと言われている。東映動画を離れて以降も共に作品を作り続け、演出面でも宮崎に影響を与えたと言われている。但し、現在は二人の作風や思想に埋めがたい溝があり、二人三脚で作品を作ることはなくなっている。(作風の違いについては宮崎駿の項参照)高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。(こどもの城(渋谷)での講演より)
    とはいっても、今でも互いの才能は認めている。例えば、高畑は「となりのトトロ」を、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「三鷹の森ジブリ美術館」を激賞し、その建築的意義を称えている。他方宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、千と千尋の神隠しの制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わった為である。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである。



    仕事
    緻密な構成力を有し、アニメーションでありながら、リアルで自然な説得力のある世界観を追求している。演出家であるものの、絵は描けず、制作の際は口述や筆記によって自身の演出プランぁ rE83+$5$;!"$=$l$r:n2h5;=Q$r;}$D%9%?%C%U$,3(%3%s%F$K$^$H$a$k$H$$$&7A<0$r$H$C$F$$$kただし宮崎と組んだ時などには、どんな物語にするか? プロットは? 一つ一つの情景は? という事を綿密に打ち合わせて、共通のイメージが出来上がった時点で絵にしていくという繰り返しで、物語を作る際に宮崎は膨大な量のイメージボードを描いている。それがスタッフ共通のイメージとなって進行していく事が多く、『母をたずねて三千里』 の脚本の深沢一夫は、宮崎のイメージボードで出てきた着想も多かったと語っている。。しかしながら制作のスピードに関しては、宮崎が「パクさんはナマケモノの子孫です」と譬えるほど遅筆である。「太陽の王子 ホルスの大冒険」では、製作の遅れの責任を取って、プロデューサーが何度も交代するほどであった。

    スタジオジブリの鈴木敏夫は2007年6月のTV番組において、なるべく早く高畑勲に映画を撮らせたいと語った。ただ高畑の場合自分で絵を描くことが出来ないので、彼のイメージを具現化できるアニメーターが必要になるのでその点が難しいが、何とかすると語った。鈴木によると、実際に脚本段階まで進んでいる企画が複数あるとの事。



    手がけた主要作品


  • 1962年 鉄ものがたり (演助進行(演出助手と制作進行を兼任することを指す)

  • 1963年 わんぱく王子の大蛇退治 (演出助手)

  • 1963年 暗黒街最大の決闘 (助監督)

  • 1964年 狼少年ケン おばけ嫌い ジャングル最大の作戦 (演出)

  • 1965年 狼少年ケン 誇りたかきゴリラ (演出)

  • 1968年 太陽の王子 ホルスの大冒険 (演出)

  • 1971年 長くつ下のピッピ ※アニメ化権取得に失敗

  • 1971年 ルパン三世 (演出)(大隅正秋降板後、宮崎と共に「Aプロダクション演出グループ」名義で参加)

  • 1972年 パンダコパンダ (監督)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 (監督)

  • 1974年、1975年、1979年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ (演出)

  • 1976年、1980年 母をたずねて三千里 (演出)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン (演出・脚本)

  • 1981年 じゃりン子チエ (監督・脚本) ※劇場版

  • 1981年、1982年、1983年 じゃリン子チエ (チーフディレクター、絵コンテ、演出) ※テレビ版

  • 1982年 セロ弾きのゴーシュ (監督・脚本)

  • 1982年 リトル・ニモ|ニモ/NEMO (日本側演出) ※1983年3月12日に降板

  • 1984年 風の谷のナウシカ (プロデューサー)

  • 1986年 天空の城ラピュタ (プロデューサー)

  • 1987年 柳川堀割物語 (監督・脚本)

  • 1988年 火垂るの墓 (監督・脚本)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ (監督・脚本)

  • 1994年 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ (原作・監督・脚本)

  • 1999年 ののちゃん#ホーホケキョ となりの山田くん|ホーホケキョ となりの山田くん (監督・脚本)



    賞歴


  • 1998年 紫綬褒章を受章。

  • 2007年 第12回アニメーション神戸賞・特別賞を受賞。



    著書




    [単著]


  • 『ホルスの映像表現』(ISBN 4196695140)

  • 『映画を作りながら考えたこと』(ISBN 4195546397)

  • 『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(ISBN 4198609713)

  • 『木を植えた男を読む』(ISBN 4193642798)

  • 『話の話―映像詩の世界』(ISBN 4196695248)

  • 『漫画映画の志―「やぶにらみの暴君」と「王と鳥」』(岩波書店,2007年 ISBN 4000220373)


    [共著]


  • (宮崎駿・鈴木伸一・おかだえみこ)『アニメの世界 とんぼの本』(新潮社,1988年,ISBN 4106019566)


    [訳書]


  • ミッシェル・オスロ『キリクと魔女』(ISBN 4198616906) 翻訳

  • ジャック・プレヴェール『ことばたち』(ぴあ,2004年 ISBN 4835609603)翻訳

  • ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』(ぴあ,2006年,奈良美智絵,ISBN 4835616359) 編・訳



    関連書籍


  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)



    脚注





    関連項目


  • 宮崎駿

  • 鈴木敏夫

  • スタジオジブリ



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • GhibliWorld.com(英語)

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所


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    2008年06月24日

    映画監督[小津安二郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    小津安二郎



    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903年12月12日 - 1963年12月12日)は日本の映画監督。



    プロフィール




    [生い立ち]

    1903年(明治36年)、東京都|東京深川 (江東区)|深川の下町に次男として生まれる。豪商湯浅屋の番頭だった父虎之助と母あさゑの下で育てられる。9歳のときに父の郷里である三重県の松阪市|松阪へ転居。その後旧制・三重県立宇治山田中学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学。映画館通いに熱中して学校の授業には出なかったため、不良学生として寄宿舎から追放。


    [代用教員]

    1921年(大正10年)神戸商業大学 (旧制)|神戸高等商業学校(現在の神戸大学)を受験して失敗。1922年(大正11年)、三重師範学校(現三重大学教育学部)受験も失敗したが、現在の松阪市飯高町にある山村の宮前尋常小学校に1年間の代用教員として赴任。いつも羽織と袴、そして、げたばきと他の教師とは違った異彩を放った風貌で、児童たちに映画の話をしたり、マンドリンを弾いたりして慕われる。現在でも彼の教え子達は健在であり監督以前の小津を語れる重要な人物としてよくインタビューを受けている。



    [映画人生]

    1923年(大正12年)3月に東京へ。親類のつてで松竹蒲田撮影所に入社。大久保忠素に師事する。1927年(昭和2年)『懺悔の刃』で初監督。戦前は、『大学は出たけれど』、『生まれてはみたけれど』などユーモア溢れる作風の監督として知られる。
    戦争中は軍部報道映画班としてシンガポールへ赴任。ここで、接収された大量のハリウッド映画を観て過ごす。戦後は『長屋紳士録』で復帰。以降は『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『東京物語』などの名作を立て続けに発表し、日本映画界の重鎮となる。この時期の作品は、ほとんど前衛的とすら言える一貫した独自のスタイルに貫かれ、近づきがたい印象さえ一部の人間に与えているが、一般には松竹映画を代表する「ユーモアとペーソスの映画監督」として知られた。この時期の多くの作品は野田高梧との共同脚本であり、原節子や笠智衆などをメインキャストとしている。



    作風




    [ローアングル]

    地面ぎりぎりから撮影する独得の低いカメラアングルと厳格なまでの正面からの切り返しのフィクスショットを特徴とし、ローアングルの映画監督としても知られている。このローアングルで撮った「ちゃぶ台を囲む家族たち」のシーン、あるいは「婚期を逃しかけている娘を心配する父親」「父を思いやる娘」等、日本のテレビにおける「ホームドラマ」の型を完成させた監督でもある。
    なお、小津安二郎の「切り返しショット」は通常の映画の「文法」に沿っていない、すなわち切り返しのショットにおいてイマジナリーラインを超えてはならないとされる「原則」に反していると指摘されている。この指摘は小津の生前から数多くなされていたが、小津は確信を持ってこの手法を取り入れていたため、少なくとも中期以降の作品においては、切り返しショットがイマジナリーラインを超えて真正面から捉える手法の大原則が破られることはなかった。こうした映画文法の意図的な違反が、独特の時間感覚とともに作品にポジティヴな違和感を生じさせており、特に海外の映画評論家から評価を得ている。


    [周囲]

    後輩の篠田正浩が「物がなくなっていく映画」とユニークに評している。また評論家の川本三郎によると彼は白樺派及び永井荷風の影響を受けたと評されている。死後、製作されたドキュメンタリー、『生きてはみたけれど 小津安二郎伝』は、彼と共に松竹を支えた木下惠介、追い出されるようにして独立した新藤兼人、疑問を抱いて道を分けた今村昌平という3人の貴重な回想を、やはり「蛮さん」のニックネームで小津に可愛がられた井上和男が監督している。



    評価

    戦後の『晩春』以降の作品は国内でも評価が高くヒットしたが、死後は「古臭いホームドラマ映画監督」として忘れ去られようとしていた。これには、松竹ヌーベルバーグを担った大島渚や篠田正浩や吉田喜重など当時の新進監督たちによる古参監督たちへの反発も関与している。死後、しばらくしてからフランスを中心に国際的評価が高まり、その独特の映画スタイルが斬新なものとされ、著名な映画人たちが小津映画への敬愛を口にするようになった。日本では蓮実重彦らが精力的に執筆して、小津安二郎の再評価に努めた。2003年は小津の生誕100周年にあたるため、記念プロジェクトが立ち上がり、各地で上映会等の記念イベントが催された。


    [国際的な支持]

    映画監督以上に映像芸術家として国際的に知られる日本人。溝口健二、成瀬巳喜男、黒澤明と並んで小津も評価が高く、作品『東京物語』はヨーロッパで人気が高い。敬愛しあるいは影響を明言している作家は世界的にひろがる。その国の映画制作の巨匠も多い。

  • ヴィクトル・エリセ(スペイン)

  • ペドロ・コスタ

  • マノエル・デ・オリヴェイラ(以上ポルトガル)

  • ヴィム・ヴェンダース

  • ペーター・ハントケ(以上ドイツ)

  • ストローブ=ユイレ

  • ジャン=リュック・ゴダール

  • フランソワ・トリュフォー(以上フランス)

  • アキ・カウリスマキ(フィンランド)

  • フランシス・コッポラ

  • ヴィンセント・ギャロ

  • ジム・ジャームッシュ

  • ポール・シュレーダー(以上アメリカ合衆国|アメリカ)

  • アン・リー

  • ホウ・シャオシェン

  • エドワード・ヤン(以上台湾)

  • メイベル・チャン

  • スタンリー・クワン(以上香港)

  • ホ・ジノ(大韓民国|韓国)

  • アッバス・キアロスタミ(イラン)



    作品

    監督作品は全54作。代表作に、『東京物語』『大学は出たけれど』『生れてはみたけれど』『晩春 (映画)|晩春』『麦秋』『浮草物語』『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』『浮草』『秋刀魚の味』『東京の合唱』がある。※1953年までの作品は著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と監督没後38年の両方を満たす)したことから幾つかの作品が現在パブリックドメインDVD|激安DVDで発売中。



    資料館・関連施設


  • おのみち映画資料館 - 東京物語で舞台になった尾道市にある映画資料館。小津の映画作りに関する資料等が展示されている。

  • 茅ヶ崎館 - 茅ヶ崎市にある老舗の宿泊施設。かつて、小津が仕事部屋として使用した事がある。

  • 無藝荘 - 1954年以来、小津と野田高梧の共同脚本作業の場となった蓼科高原の山荘。2003年、長野県茅野市と地元で建物を引き取り、プール平に移築して保存・公開している。この山荘にちなんで、小津安二郎記念蓼科高原映画祭が毎年開催されている。



    参考資料・関連作品


  • 小津安二郎の芸術』 佐藤忠男 1978年 朝日選書 朝日新聞社

  • 『監督小津安二郎』 蓮實重彦 1982年 筑摩書房

  • 『東京画』 ヴィム・ヴェンダース 1985年

  • 小津安二郎の反映画』 吉田喜重 1998年 岩波書店

  • 小津安二郎の食卓』 貴田庄 2000年 芳賀書店

  • 『筑紫哲也のオズの魔法使い|小津の魔法使い』 1999年 世界文化社



    外部リンク


  • 小津安二郎生誕100年記念プロジェクト

  • デジタル小津安二郎

  • 小津安二郎のお墓


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