2008年05月31日

映画監督[田中絹代]

お待たせ!
映画ファン「映画監督・評論家編」
田中絹代



・山口県
| 国籍 = 日本
| 民族 =
| 血液型 =
| 生年 = 1909
| 生月 = 12
| 生日 = 29
| 没年 = 1977
| 没月 = 3
| 没日 = 21
| 職業 = 俳優、映画監督
| ジャンル = 映画
| 活動期間 = 1924年-1977年
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 家族 =
| 公式サイト = 田中絹代の部屋
| 主な作品 = 愛染かつら、西鶴一代女
| アカデミー賞 =
| アリエル賞 =
| AFI賞 =
| 英国アカデミー賞 =
| エミー賞 =
| グラミー賞 =
| ゴールデングローブ賞 =
| ゴールデンラズベリー賞 =
| ゴヤ賞 =
| ジェミニ賞 =
| ジニー賞 =
| セザール賞 =
| トニー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| フィルムフェア賞 =
| ブルーリボン賞 =
| ローレンス・オリヴィエ賞 =
| その他の賞 =ベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞
1974年『サンダカン八番娼館 望郷』
| 備考 =
}}田中 絹代(たなか きぬよ、1909年12月29日 - 1977年3月21日)は、大正・昭和期の日本の俳優|女優・映画監督。黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。出演映画が世界三大映画祭(カンヌ・ヴェネチア・ベルリン)の全てで受賞しており、三冠を達成している(下記参照)。また、日本で二人目の女性映画監督でもある。



出生・下関から大阪へ

山口県下関市丸山町に父・田中久米吉、母・ヤスの四男四女の末娘として生まれる。母ヤスの実家小林家は下関で代々続く大地主の商家で、久米吉はそこの大番頭であった。二人は結婚して独立し、呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年(明治45)1月、久米吉が病死。その後母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。1916年(大正5)絹代は下関市立王江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。この年20歳の長兄・慶介が兵役忌避をして失踪したことで田中一家は後ろ指を指されることになり、そのことが一家の経済事情を更に悪くした。翌1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。更に翌1918年4月、絹代は天王寺尋常小学校の三年に編入し、以後大阪で育つことになる。



戦前・戦中〜アイドルスターとしての成功

幼少時より、琵琶を習い、1919年に、大阪楽天地 (大阪)|楽天地の少女歌劇|琵琶少女歌劇の舞台に立つ。兄が松竹大阪支社で給仕として働いていた関係で、1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏 (映画監督)|清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢される。松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』が好評を博する。その後、当時の人気スター鈴木傳明とのコンビで売り出し、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。また、五所監督による日本初のトーキー|トーキー映画、『マダムと女房』に主演し、トーキー時代になっても、スターとして迎えられる。特に、上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。1940年には、溝口健二監督の『浪花女』に出演し、溝口監督の厳しい注文に応え、自信を深める。



戦後〜演技派スター・女性監督へ

終戦後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善使節として滞在していたアメリカ合衆国|アメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスを行い、激しい世論の反発を受けてしまう。それ以降、スランプに陥り、松竹も退社する。この時期、メディアからは「老醜」とまで酷評されて打撃を受けている。1952年に溝口監督が彼女のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞し、彼女も完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。また、同年『恋文』を監督。日本で二人目の女性監督の誕生であったが、このことが溝口監督との仲を疎遠なものにしたといわれる。その後も、木下惠介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ぁ 1$k0lJ}!"1970年の『樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った』に出演以降、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役や連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。1974年に主演した熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1977年3月21日、脳腫瘍のため死去、。最晩年、病床についた彼女は「目が見えなくなっても、やれる役があるだろうか」と見舞いに来た者に尋ねたという。

死後、勲三等瑞宝章が授与された。同年3月31日、映画放送人葬が行われ、5000人が参列した。法名 (浄土真宗)|法名は、迦陵院釋絹芳。墓所は神奈川県鎌倉市の円覚寺にある。



没後の顕彰

1985年には、従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。「恋多き女性」としても有名で、清水宏監督との同棲生活と破局、慶應義塾大学|慶應野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。その波乱に富んだ一生は、1987年に市川崑監督、吉永小百合主演で『映画女優』というタイトルで映画化された。



代表作



[おもな出演映画作品]


  • 元禄女(1924年、野村方亭、吉野二郎)

  • 村の牧場(1924年、清水宏)

  • 恥しい夢(1927年、五所平之助)

  • 真珠夫人(1927年、池田義信)

  • 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)

  • マダムと女房(1931年、五所平之助)

  • 伊豆の踊子(1933年、五所平之助)

  • 愛染かつら・前後編(1938年、野村浩将)

  • 暁に祈る(1940年、佐々木康)

  • 簪 (映画)|簪(1941年、清水宏)

  • 陸軍 (映画)|陸軍(1944年、木下惠介)

  • 結婚(1947年、木下惠介)

  • 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二)

  • 不死鳥(1947年、木下惠介)

  • 夜の女たち(1948年、溝口健二)

  • 風の中の牝鶏(1948年、小津安二郎)

  • 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男)

  • 武蔵野夫人(1951年、溝口健二)

  • 西鶴一代女(ヴェネチア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二)

  • おかあさん(1952年、成瀬巳喜男)

  • 安宅家の人々(1952年、久松静児)

  • 雨月物語(ヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。第28回アカデミー賞衣裳デザイン賞白黒映画部門ノミネート作品。1953年、溝口健二)

  • 煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助)

  • 山椒大夫(ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二)

  • 噂の女(1954年、溝口健二)

  • 流れる(1956年、成瀬巳喜男)

  • 黄色いからす(第15回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎)

  • 異母兄弟(1957年、家城巳代治)

  • 楢山節考(1958年、木下惠介)

  • 彼岸花 EQUINOX FLOWER (1958年、小津安二郎)

  • この天の虹(1958年、木下惠介)

  • おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑)

  • 放浪記(1962年、成瀬巳喜男)

  • 赤ひげ(ヴェネチア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネチア市賞、国際カトリック映画事務局賞受賞作品。1965年、黒澤明)

  • 三婆(1974年、中村登)

  • サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞 (女優賞)受賞作品。1974年、熊井啓)

  • 北の岬(1976年、熊井啓)

  • 大地の子守唄(1976年、増村保造)


    [出演テレビドラマ]


  • 樅ノ木は残った (NHK大河ドラマ)|樅ノ木は残った(1970年)

  • 明日のしあわせ(1970年)

  • 女人平家 (テレビドラマ)|女人平家(1971年)

  • たった一人の反乱(1973年)

  • りんりんと(1974年)

  • 前略おふくろ様(1975年):主人公の母親役

  • 幻の町(1976年)

  • 雲のじゅうたん(ナレーション)(1976年、連続テレビ小説|NHK朝の連続テレビ小説)


    [監督映画作品]


  • 恋文(1953年)

  • 月は昇りぬ(1955年)

  • 乳房よ永遠なれ(1955年)

  • 流転の王妃(1960年)

  • 女ばかりの夜(1961年)

  • お吟さま(1962年)



    田中絹代を演じた女優


  • 乙羽信子?秋吉久美子・高橋かおり(1984年・テレビドラマ『花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代の生涯』)

  • 有森也実(1986年・映画『キネマの天地』)※役名は、田中小春

  • 吉永小百合(1987年・映画『映画女優 (1987年映画)|映画女優』)



    参考図書


  • 『花も嵐も 女優・田中絹代の生涯』古川薫著、文藝春秋刊

  • 『小説 田中絹代』新藤兼人著、文藝春秋刊



    関連項目


  • 田中絹代賞(毎日映画コンクール)…毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社主催。出生地の下関市長が副賞を贈る。

  • 田中絹代メモリアル協会…出生地で墓がある下関市の遺品管理団体。映画祭や田中絹代賞への協力、遺品の展示、市民による墓参「花嵐忌(からんき)」などを催す。

  • 田中絹代メモリアル懇談会
     
    神奈川県逗子市にあった自宅敷地は「絹代御殿」と呼ばれるほどの風格ある建築物だった(元は政治家の別宅)。田中の没後も料亭として建物を保存していたが、店舗閉店後にみのもんたが買収し、解体された。



    外部リンク


  • 田中絹代の部屋(田中絹代メモリアル協会)

  • キネマ旬報データベース「田中絹代

  • 日本映画データベース「田中絹代


    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL


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    2008年05月30日

    映画監督[実相寺昭雄]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    実相寺昭雄



    日本
    | 民族 = 日本人
    | 血液型 =
    | 生年 = 1937
    | 生月 = 3
    | 生日 = 29
    | 没年 = 2006
    | 没月 = 11
    | 没日 = 29
    | ジャンル = 映画監督、演出家、脚本家、小説家
    | 活動時期 = 1959年 -2006年
    | 活動内容 =
    | 備考 =
    }}
    実相寺 昭雄(じっそうじ あきお、1937年3月29日 - 2006年11月29日)は、映画監督、演出家、脚本家、小説家。東京芸術大学|東京藝術大学名誉教授。



    来歴・人物

    早稲田大学第二文学部卒業後、東京放送|TBSに入社し演出家として活動。殊にウルトラシリーズの演出で知られる。作風はとにかく「エキセントリック」の一語に尽きる。特に斜めからのアングル、逆光を浴びる登場人物などのカットを多用する。なお、話の内容も現実味を含んだ夢幻なのか、幻想のような現実なのかよくわからない世界を舞台にした話が多く、映像効果も非常にマッチしたものが多いので実相寺マジックと呼ばれていた。映画監督としては日本人特有の民族性・風土をテーマにした作品で有名。大島渚グループとの親交が深く、劇場用デビュー中篇「宵闇せまれば」の脚本を大島が執筆したほか、田村孟、佐々木守、石堂淑郎らの脚本が多い。とりわけ、現在からは信じがたいほど左翼色濃厚な作家だった石堂とはデビュー長編「無常」以下「曼陀羅」「哥」のATG三部作でタッグを組み、京都・滋賀・福井にかけての陰鬱な景色を切り取りながらの強烈なディスカッションは当時の日本映画に大きな衝撃を与えた。容赦ない性描写も話題を呼び、「膣掃除」の異名を奉られたこともある。多くの作品でタッグを組んだ美術・池谷仙克、撮影監督・中堀正夫とともに独\xA1 FC$J9=?^!&>HL@$r9T$$!"$^$?!"8D@-$N6/$$!V 1970年に映画『無常』でロカルノ国際映画祭グランプリを、1983年にテレビドラマ『波の盆』で芸術祭大賞受賞。他にカンヌCM映画祭グランプリも受賞している。1988年には、荒俣宏原作『帝都物語』を大ヒットさせた。ウルトラシリーズの話の監督、または脚本を担当する際は、ウルトラ戦士の光線技を使って怪獣を倒させるといった行為を嫌っていた傾向があり、実相寺が担当する話でウルトラマンたちが敵を倒す時、ほとんど光線技を使っていない。ただし全くなかったというわけでもなく、「帰ってきたウルトラマン」や1997年に30年ぶりにウルトラシリーズのメガホンをとった「ウルトラマンティガ」では光線技を使用している。
    また怪獣をデザインする際、この世と思えないほどグロデスクな容姿の怪獣を描きたかったのだが、「ゴールデンタイムで食事中に視聴者が不愉快になる。」という理由で却下されている。実相寺のクラシック音楽への傾倒ぶりは、早くから演出作品のバックグラウンドミュージック|BGMに反映されていたが、やがて『オーケストラがやってきた』の演出、音楽雑誌への寄稿と徐々に仕事の一角を占めるようになり、ついにはオペラ演出にも進出。「イドメネオ」「カルメン」「魔笛」と多くの舞台を手がけ、東京藝術大学演奏芸術センター教授として教壇にも立った。妻は女優の原知佐子。娘の実相寺吾子も女優。また、一家の「長男」とされる愛用のアライグマのぬいぐるみ、ちな坊も度々自らの作品に登場させている。脚本執筆時には万福寺百合(まんぷくじ ゆり)、川崎高のペンネームも使用していた。鉄道ファン、特に路面電車ファンとしても知られ、雑誌『東京人』などにコラムなどを度々執筆しているほか、2003年には「昭和情景博物館」というストラクチャー食玩の監修も手がけた。2006年11月29日午後11時45分、胃癌のたぁ aEl5~ETJ85~6h$NIB1!$G;`5n!#5}G/69。戒名は龍徳院禅徹定昭居士。書道をたしなみ、彼が題字を揮毫した漫画作品なども複数存在する。以前書道雑誌『墨』にインタビューを受けたこともあり、自らの書道は唐の顔真卿の影響があると述べたこともあった。



    演出作品




    [テレビ(含脚本)]


  • でっかく生きろ

  • 現代の主役 ウルトラQのおやじ(1966年)

  • ウルトラマン(1966年 第14話『ガマクジラ|真珠貝防衛指令』、第15話『ガヴァドン|恐怖の宇宙線』、第22話『テレスドン|地上破壊工作』、第23話『ジャミラ|故郷は地球』、第34話『スカイドン|空の贈り物』、第35話『シーボーズ|怪獣墓場』)

  • レモンのような女(1967年)

  • ウルトラセブン(1967年 第8話『メトロン星人|狙われた街』、第12話『スペル星人|遊星より愛をこめて』<現在欠番>、第43話『ロボット長官|第四惑星の悪夢』、第45話『ペロリンガ星人|円盤が来た』)

  • 風 (テレビドラマ)|風(演出の他、主題歌の作詞も川崎高名義で担当)

  • 怪奇大作戦(1968年 第4話『恐怖の電話』、第5話『死神の子守唄』、第23話『呪いの壷』、第25話『カドニウム光線発振機|京都買います』)

  • Oh!それ見よ

  • 帰ってきたウルトラマン(1971年 第28話『バリケーン|ウルトラ特攻大作戦』の脚本)

  • シルバー仮面(1971年 第1話『ふるさとは地球』、第2話『地球人は宇宙の敵』)

  • 子連れ狼 (萬屋錦之介版)|子連れ狼(オープニング及びタイトルバックの演出)

  • 長崎犯科帳(同上)

  • 二十四の瞳(1980年、アニメ作品)

  • 波の盆(1983年)

  • 火曜サスペンス劇場『青い沼の女』(1986年)出演:田村亮 (俳優)|田村亮、中山仁、堀内正美、原知佐子、寺田農、原保美、岡村春彦

  • ウルトラマンティガ(1997年 第37話『マノン星人|花』、第40話『バクゴン|夢』)

  • ウルトラマンダイナ(1998年 第38話『ブンダー|怪獣戯曲』)

  • ウルトラQ dark fantasy(2004年 第24話『雛|ヒトガタ』、第25話『異なもの|闇』、サウンドトラックCDの題字)

  • ウルトラマンマックス(2005年 第22話『魔デウス|胡蝶の夢』、第24話『メトロン星人|狙われない街』)

  • 怪奇大作戦 セカンドファイル(2007年 シリーズ構成、脚本、題字)*この作品が遺作となっている。


    [映画]


  • 宵闇せまれば(1969年)出演:斎藤憐、清水紘治、樋浦勉

  • 無常 (映画)|無常(1970年、日本アート・シアター・ギルド|ATG)出演:田村亮 (俳優)|田村亮、司美智子、岡田英次、ささきいさお|佐々木功、寺田農、小林昭二

  • 曼陀羅 (映画)|曼陀羅(1971年、ATG)出演:岸田森、田村亮、清水紘治、桜井浩子、草野大悟、小林昭二、原保美

  • 哥(うた)(1972年、ATG)出演:篠田三郎、八並映子、桜井浩子、田村亮、岸田森、東野孝彦、内田良平 (俳優)|内田良平、嵐寛寿郎

  • あさき夢みし(1974年、ATG)出演:ジャネット八田、花ノ本寿、寺田農、原知佐子、岸田森、篠田三郎、天田俊明、毒蝮三太夫

  • 歌麿 夢と知りせば(1977年)出演:岸田森、山城新伍、成田三樹夫、岡田英次、東野英心、緑魔子、岸田今日子、桜井浩子、平幹二朗

  • 実相寺昭雄監督作品ウルトラマン(1979年)出演:小林昭二、黒部進、毒蝮三太夫、二瓶正也、桜井浩子

  • 帝都物語(1988年)出演:勝新太郎、嶋田久作、西村晃、高橋幸治、佐野史郎、寺田農、平幹二朗

  • 悪徳の栄え(1988年)出演:清水紘治、李星蘭、石橋蓮司、寺田農、前原祐子、佐野史郎、原保美

  • ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説(1990年)出演:柴俊夫、荻野目慶子、風見しんご、中山仁、高樹澪、堀内正美、小林昭二、毒蝮三太夫、黒部進、寺田農

  • 屋根裏の散歩者(1992年)出演:三上博史、宮崎ますみ、六平直政、加賀恵子、嶋田久作、鈴木奈緒 (AV女優)|鈴木奈緒、寺田農、堀内正美

  • D坂の殺人事件(1998年)出演:真田広之、岸部一徳、嶋田久作、大家由祐子、六平直政、三輪ひとみ、寺田農、堀内正美、東野英心、岡野進一郎、原知佐子、浅野忠信

  • 姑獲鳥の夏 (映画)|姑獲鳥の夏(2005年)出演:堤真一、永瀬正敏、阿部寛、原田知世、田中麗奈、いしだあゆみ

  • 乱歩地獄『鏡地獄』(2005年)出演:浅野忠信、成宮寛貴、市川実日子、寺島進、原知佐子、堀内正美、寺田農

  • シルバー假面(2006年)出演:ニーナ、渡辺大、水橋研二、石橋蓮司、嶋田久作、ひし美ゆり子、堀内正美、寺田農

  • 夢十夜|ユメ十夜『第一夜』(2007年)出演:小泉今日子、松尾スズキ、堀内正美、寺田農


    [オリジナルビデオ演出]


  • アリエッタ(1989年、KUKI)出演:加賀恵子、清水大敬

  • ラ・ヴァルス(1990年、KUKI)出演:樹まり子、加賀恵子、前原祐子、寺田農、堀内正美、小林ひとみ

  • 実相寺昭雄の不思議館『受胎告知』(1992年)出演:加賀恵子、寺田農

  • 堕落(1992年)出演:加賀恵子、堀内正美、高樹澪、奥村公延

  • 私、なんでもします!(1993年)出演:加賀恵子、堀内正美


    [ラジオドラマ]


  • ウルトラQ倶楽部


    [CM]


  • 資生堂CM『初恋編』(カンヌ国際広告祭でグランプリ受賞/17歳時の薬師丸ひろ子が主演)

  • エスビー食品CM『ゴールデンレインボーカレー』「にわとり篇」「牛篇」「パッケージ篇」出演/水谷豊 、演出補助/岸田森

  • エスビー食品CM『スナックチップ』「インタビュー篇」「階段篇」「コロコロ(寄り)」「寄席篇」「ポスター篇」「影篇」「待ち人」「和歌」「新聞」「カラッポ」 「タイコ」「浜辺」「ジャングル」「少女(語らい)」「少女(散歩)」「人形」「人形 A型」「人形 B型」「どうぞ」 「人気絶頂」「御本家」出演/水谷豊、演出補助/岸田森

  • エスビー食品CM『スナックトースト』「野球」「外野フライ」「キャッチャーフライ」「ご一緒に」「カリカリ」「まざっちゃった」「パターン」「飲み物」「八木節」出演/水谷豊、演出補助/岸田森


    [監修]


  • 地球防衛少女イコちゃん 2(監督:河崎実)

  • 超高層ハンティング(監督:服部光則)

  • ミカドロイド(監督:原口智生)

  • オリジナルビデオ実相寺昭雄の不思議館(実相寺昭雄のミステリーファイル)シリーズ(「受胎告知」と、各エピソード繋ぎにある寺田農の出演シーンは演出)

  • マイ・ブルー・ヘヴン わたし調教されました(監督:寺田農)音楽監修

  • 東京デカメロン(監督:小林浩一)

  • いかレスラー(監督:河崎実)

  • 日本以外全部沈没(監督:河崎実)

  • ヅラ刑事(監督:河崎実)

  • プレイステーション用ソフト有限会社地球防衛隊(監修・演出・タイトル文字)

  • 昭和情景博物館/都電の風景(企画監修・玩具菓子/ハピネット)

  • 昭和情景博物館/金魚鉢の光(企画監修・玩具菓子/ハピネット)



    小説


  • 星の林に月の舟

  • ウルトラマン・ゴールドラッシュ作戦(1993年、小学館)スーパークエスト文庫

  • ウルトラセブン・狙われた星(1993年、小学館)スーパークエスト文庫)



    著書


  • 闇への憧れ 所詮、死ぬまでのヒマツブシ

  • ウルトラマンのできるまで(1988年、筑摩書房)ちくまプリマーブックス13

  • 夜ごとの円盤 怪獣夢幻館

  • ウルトラマンに夢見た男たち(筑摩書房)ちくまプリマーブックス37

  • 旅の軽さ

  • ウルトラマンの東京

  • チェレスタは星のまたたき

  • ナメてかかれ

  • 怪獣な日々 私の円谷英二100年

  • 昭和電車少年



    実相寺昭雄(に相当する役)を演じた俳優


  • 三上博史〔吉良平治〕「ウルトラマンを作った男たち」

  • 橋爪淳〔仙童〕ウルトラQ dark fantasy第25話『闇』



    ウルトラシリーズにおける裏話




    [『ウルトラマン』]

    佐々木守とのコンビで活躍。ウルトラマンがスペシウム光線や八つ裂き光輪を使わない、地球人の一方的な都合だけで怪獣を倒すことの是非をテーマに掲げる等、他の監督の演出とは一線を画す内容となっている。


    [ 第22話「地上破壊工作」]

    本作品の脚本は、クレジット上では佐々木守となっているが、実際は実相寺の脚本。実相寺作品ならではの独特なカメラワークによるモノクロ撮影の地底世界(ロケ地は代々木体育館)、暗闇を生かした地底怪獣ウルトラマンの登場怪獣#テレスドン|テレスドンとの夜戦シーンなど、後の実相寺作品の萌芽が見られる。


    [ 第34話「空の贈り物」]

    本作品では、作戦室を飛び出した時に持っていたカレースプーンのままで変身しようとしたハヤタ隊員のシーンが有名だが、これは撮影後に円谷プロ内部で問題になった。この演出に噛み付いたのは、黒澤明の下で長年助監督を務めてきた、ベテラン監督の野長瀬三摩地。当時、東京放送|TBSから出向という形で演出をしていた実相寺とはキャリア等の面で相当な開きがある。その野長瀬からすれば、<完全無欠の神にも等しい存在であるべきヒーロー・ウルトラマン(=ハヤタ隊員)にあんな間抜けな行動をとらせるとは、若造め何を考えていやがるんだ>という気持ちだったのだろう。上原正三の著書・『ウルトラマン島唄』によれば、金城哲夫に説得された野長瀬は渋々ながら、それを聞き入れたようである。今でこそ、名監督のほまれ高い実相寺であるが、その自伝的小説『星の林に月の舟』やその映像化作品に見られるように、その演出はあちらこちらで問題を起こしていたようである。スプーンでの変身シーンは、現在でも『ケロロ軍曹 (アニメ)|ケロロ軍曹』や『おねがいマイメロディ』などのアニメでパロディ化されるなど、有名なシーンの一つとなっている\xA1 !#$^$?!"%O%d%?$N%U%#%.%e%"2=$N:]$K!"%Y!<%?!<%+%W%;%k$H%9%W!<%s$,N>J}IUB0$7$?;v$b$"$k!#$^$?8e$K%&%k%H%i%7%j!<%:$=$N$b$N$G%O%d%?Bb0wLr$N9uIt?J;a$K$h$k%;%k%U%Q%m%G%#$bEP>l$7$?!#


    [『ウルトラセブン』]




    [ 第8話「狙われた街」]

    本作は、ウルトラセブン (架空のキャラクター)|モロボシ・ダン(=ウルトラセブン)とメトロン星人との宇宙人同士が卓袱台を挟んで会見するシーンが有名だが、当時のTBSは、ウルトラシリーズについては海外への作品の輸出を視野に入れたうえで番組製作を行っており、日本を思わせるものは極力入れない方針であった。故に製作開始の時の申し合わせに際しても、関係者に対してこのことは厳守するように伝えていた。しかし実相寺はこの事を敢えて無視し、劇中に卓袱台を登場させ、放送後にプロデューサーから怒号された(辰巳出版『ウルトラマンAGE』に於ける実相寺へのインタビュー記事より要約)。
    この回及び同時に撮影された第12話「遊星より愛をこめて」(現在欠番・詳細はスペル星人#第12話の欠番について|こちらを参照のこと)の放映後、実相寺はしばらく『ウルトラセブン』の演出を離れ、京都で時代劇の演出を担当することとなる。これはこの卓袱台事件に対しての懲罰人事異動|人事であったとも言われるが、真相は不明である。本作の脚本は金城哲夫が担当したが、ラストシーンに流れ\xA1 $k%J%l!<%7%g%s$O:4!9LZ


    [ 第43話「第四惑星の悪夢」]

    視聴率と予算の関係で、「金をかけずにそれなりの画が撮れる」と呼び戻され
    た実相寺が撮った作品。放映当時の評判は芳しくなかったが、今日では「セブン最大の異色作」と好評。脚本の上原正三は「準備稿にろくに目も通さないので怒ったが、できてみると不思議な名作になっていた。これが天才の技かと思った」と後に語っている。


    [ 第44話「円盤が来た」]

    「狙われた街(前述)」であれほど問題になったにもかかわらず、当時の下町を舞台としたドラマ部分と、実相寺自ら「サイケデリック|サイケな戦闘シーン」と明記した幻想的な戦闘シーンとが評判を博した。


    [『ウルトラマンティガ』]




    [ 第37話「花」]

    本作のクライマックス、桧舞台でのマノン星人との一騎打ちでは、客席からGUTS隊員たちが見つめているという案もあったという。マノン星人(人間体)に原知佐子、三輪ひとみ。


    [ 第40話「夢」]

    本作品の撮影時期は、自ら監督の映画『D坂の殺人事件』クランクアップの頃であり、同作品から嶋田久作を始めとする出演者が大挙カメオ出演している。基本的にテレビドラマに出ない浅野忠信の出演もレアである。


    [『ウルトラマンダイナ』]




    [ 第38話「怪獣戯曲」]



    [『ウルトラマンマックス』]




    [ 第22話「胡蝶の夢」]




    [ 第24話「狙われない街」]




    関連項目


  • 円谷プロダクション

  • 成田亨

  • 日本アート・シアター・ギルド公開作品の一覧

  • 九鬼 (アダルトビデオ)

  • 宇宙家族カールビンソン

  • 庵野秀明(実相寺の影響を多大に受けたアニメーション監督。庵野作品にも実相寺と酷似したアングルや描写が多用されている)



    外部リンク


  • 鬼才・実相寺昭雄の夢幻ワールド


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  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年05月29日

    映画監督[宮崎駿]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    宮崎駿





    宮? 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、東京都文京区出身(墨田区出身という説もある)のアニメーション作家・映画監督・漫画家。学習院大学政治経済学部卒。山羊座。血液型O型。アニメーション制作会社スタジオジブリに映画監督として所属し、2005年4月より取締役。また、自身が企画開発した三鷹の森ジブリ美術館の館主である。個人の事務所は二馬力で、主に宮?の著作権関連の管理を行っており、自身は代表取締役社長である。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿(みやざき はやお)と表記されることもある。



    来歴




    [ 初期 ]

    宮?駿は、一族が経営する「宮?航空興学」の役員を務める一家の二男に生まれ、太平洋戦争中であっても何不自由なく幼年時代を過ごした会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮?が回想した戦争体験としては、疎開先の宇都宮市|宇都宮が空襲を受け、親類の運転する貨物自動車|トラックで宮?一家(駿は4歳)が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、小さいトラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走りだした。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている。(『時代を翔るアニメ監督 宮崎駿』北海道新聞夕刊、2001年)。子供の頃から絵が上手く、手塚治虫や杉浦茂の漫画、特に福島鉄次の絵物語『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であったが、当時の進学校である東京都立豊多摩高等学校在学中の3年\xA1 @8$N;~$K4Q$?El1GF02h@=:n!XGr「『白蛇伝』との出会いは強烈な衝撃を残していった。
    マンガ家を志望して、流行の不条理劇でも描こうとしていた自分の愚かさを思い知らされたのだった。口をつく不信の言葉と裏腹に、本心は、あの三文メロドラマの安っぽくても、ひたむきで純粋な世界に憧れている自分に気づかされてしまった。世界を肯定したくてたまらない自分がいるのをもう否定できなくなっていた。
     それ以来、ぼくは真面目に何をつくるべきか考えるようになったらしい。少なくとも本心で作らなければダメだと、思うようになっていた。」
    (『日本映画の現在』岩波書店、1988年)、アニメーションにも関心を持つようになる。学習院大学に進学したが、当時は大学に漫画サークルが無かったため、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。幾つかの人形劇を企画しつつ、漫画家を志して漫画を描き続けていたが、漫画かアニメーションかを悩んだ末に、アニメーションの世界へ進む事を決断する在学中に幾つかの雑誌編集部に革命をテーマにした自作漫画の持ち込みをしたが、時代物は扱っていないと門前払いされ、採用され無かったので将来に不安を感じた事もあるが、
    「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」
    (『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
    。学習院大学を卒業し、アニメーターとして東映動画に入社した。その後しばらくは東映動画で制作されていた作品に魅力を感じることが出来ず、漫画家への未練を断ち切れずにいたが、入社1年後に観たソビエト連邦|ソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』に強い感銘を受け「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」
    (『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)
    、アニメーションを一生の仕事にしようと決意した。たちまち才能を現してメインスタッフとなると共に、結成間も無い東映動画労働組合の書記長に就任する。激しい組合活動を行いながら高畑勲・森康二・大塚康生らと共に『太陽の王子ホルスの大冒険』を作り上げ、その後も、さまざまなスタジオで優れた作品を作り続けた。1971年にはTVアニメ、ルパン三世 (TV第1シリーズ)を途中から演出の仕事を担当した。視聴率は芳しくなかったものの、宮崎はその後のルパンの基礎となる部分を作り上げた。(詳しくはルパンの項を参照)1974年にはTVアニメ、アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジで全カットの場面設定・画面構成(レイアウト)を担当。主要スタッフとして一年半番組を引っ張った。この作品は最高平均視聴率が26.9%となるなど大ヒットとなり、宮崎としても初の大きな成功であった。


    [未来少年コナンからナウシカまで]

    1978年、『未来少年コナン』(日本放送協会|NHK)で初演出を務める。演出という肩書きではあったが、脚本から、絵コンテ、レイアウト、原画に至るまで、あらゆる作業を自身でも行うという超人的な仕事量をこなした。持ち前の高度な作家性を発揮して、原作「残された人びと」の悲壮なイメージを大幅に改変し、オリジナルといってもよい作品を作り上げた。後に宮崎アニメと呼ばれる作品群の原点とも言える。視聴率は低調だったが、この作品に衝撃を受け、後にアニメーターとなった者も少なくない。(鳥山明もコナンのような漫画を描きたいと語っている)その後テレコム・アニメーションフィルムに移籍し、映画『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)で監督としてデビューした。同作は業界関係者やコアなアニメファンからは熱狂的に支持されるも、サイエンス・フィクション|SFアニメ全盛の時代という事もあり、受け入れられにくい作品であったために、興行的には前作に及ばなかった。むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われないなど不遇の時を過ごすことになった。(ぁ 7$+$78e$K!":FJ|Aw$5$l$F$O9b;kD0N($r$"$2$k$J$I!"%"%K%a!<%7%g%s$N6b;zEcE*:nIJ$H$7$F9b$$I>2A$r8e$K$O!"%k%Q%s;0@$ (TV第2シリーズ)で最終回含め2話の制作に演出として携わっている。アメリカ合衆国|アメリカに渡り、大塚康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の準備に携わったが、企画への疑問から降板。この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』などの原型となる企画を構想しているが実現には至らなかった。コナンの時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫が、自社イベントの為の特別短編アニメーション企画を彼にもちかける。これがのちに『風の谷のナウシカ』として開花する。企画は短編の筈だったが次第に拡大していった為、「原作付き企画」のハクをつけるべく『風の谷のナウシカ』の連載が始まる。尾形の尽力によって、当時映画事業に意欲的だった徳間書店の徳間康快社長(当時)が劇場アニメーション化を決断し 尾形英夫「あの旗を撃て!―『アニメージュ』血風録」(オークラ出版、2004年)\xA1 、宮?の弟が勤務する博報堂がこれに乗る形でプァ m%8%'%/% H$,7k@.$5$l!"1984年にアニメーション映画として製作・公開された。映画『風の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に認知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宮?駿が広く認知されることとなった。


    [ スタジオジブリ発足 ]

    その後は徳間書店の出資を得て創設したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2〜3年おきに長編作品を製作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受けた。興行的に一定の成果を果たし、また国民的映像作家としての地位を確立したのは1989年『魔女の宅急便 (スタジオジブリ作品)|魔女の宅急便』以降である。1997年に公開された『もののけ姫』は、前年の徳間書店とディズニー社の業務提携によるジブリ作品の世界進出のニュースや、ジブリ史上最大の製作費、宮?の監督引退説などが話題になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画興行成績|興行記録を塗り替える大ヒット作となった。2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録をさらに塗り替え、観客動員2350万人、興行収入304億円と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。海外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはァ "%+%G%_!<>^D9JT%"%K%a!<%7%g%sItLg:nIJ>^$r^$7$?!# 2004年公開の『ハウルの動く城』は、宣伝を極めて抑えた公開であったにもかかわらず公開2日目で観客動員数110万人、興行収入14億8,000万円と日本映画歴代最高のオープニングを飾り、映画史上第2位の大ヒットを記録。 さらにヴェネチア国際映画祭のオゼッラ賞、ニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞するなど前作同様海外においても高く評価された。2005年には、ヴェネチア国際映画祭において優れた世界的映画人に贈られる栄誉金獅子賞を受賞した。2006年には、アメリカ映画界最高の名誉とされるアカデミー賞の選考委員に選ばれ、招待状が送付された。宮?はこれ以前に2度選ばれているが、創作活動に専念したいなどの理由から就任を辞退した。2008年夏に、新作『崖の上のポニョ』の公開を予定し、現在は、その制作に取り組んでいる。



    略歴


  • 1941年 1月5日東京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ監督には、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鳥海永行がいる。杉並区立永福小学校、杉並区立大宮中学校、東京都立豊多摩高等学校卒。

  • 1963年 学習院大学政治経済学部卒業。東映動画入社。なお、同年の政治経済学部卒業生には、麻生太郎(現外務相)、高島肇久(現外務省参与、元NHK解説委員長)、三枝輝行(阪神百貨店相談役)、有薗憲一(ベスト電器社長)らがいる。

  • 1964年 東映動画労働組合の第2代書記長に就任。なお、初代書記長は大塚康生。

  • 1965年 同僚の太田朱美と結婚。なお、式の司会は大塚康生。

  • 1967年 長男(宮崎吾朗・(財)徳間記念アニメーション文化財団理事)誕生。

  • 1970年 次男(宮崎敬介・木口木版画家)誕生。

  • 1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(現シンエイ動画)に移籍。

  • 1973年 高畑勲、小田部羊一と共に瑞鷹 (アニメ制作会社)|ズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改組)に移籍。

  • 1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。

  • 1979年 東京ムービーの子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。

  • 1980年 初監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎賞を受賞。

  • 1982年 1月より『アニメージュ』誌上で『風の谷のナウシカ』連載開始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。

  • 1984年 4月、個人事務所二馬力を設立。

  • 1985年 『風の谷のナウシカ』が大藤信郎賞受賞。スタジオジブリを設立。

  • 1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎賞受賞。

  • 1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・大藤信郎賞、第39回芸術選奨・芸術作品賞・文部大臣賞、第12回山路ふみ子映画賞を受賞。キネマ旬報日本映画ベスト・テン第一位に選出。

  • 1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受賞。東京都民文化栄誉章を受章。

  • 1993年 『紅の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画賞、アヌシー国際アニメーション映画祭|アヌシー国際アニメーションフェスティバル・長編部門賞を受賞。

  • 1994年 『風の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家協会賞・大賞を受賞。

  • 1997年 『もののけ姫』が毎日映画コンクール日本映画大賞・大藤信郎賞、第2回アニメーション神戸・部門賞・演出部門を受賞。

  • 1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を設立。『もののけ姫』が日本アカデミー賞・最優秀作品賞、第1回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞を受賞。第26回アニー賞・生涯功労賞、山路ふみ子文化賞、淀川長治賞を受賞。

  • 1999年 スタジオジブリに所長として復帰。

  • 2000年 第3回司馬遼太郎賞を受賞。

  • 2001年 三鷹の森ジブリ美術館を創立し、初代館主に就任。第49回菊池寛賞を受賞。

  • 2002年 『千と千尋の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大賞・監督賞・アニメーション映画賞、第5回文化庁メディア芸術祭・アニメーション部門大賞、第52回ベルリン国際映画祭・金熊賞、第68回ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞、ボストン映画批評家協会・特別賞を受賞。『くじらとり』が大藤信郎賞を受賞。朝日賞、フランス国家功労賞、パリ市勲章を受章。『Business Week』誌のStar of Asia・イノベーター部門に選出。

  • 2003年 『千と千尋の神隠し』が第30回アニー賞・長編アニメ映画賞・監督賞・脚本賞・音楽賞、第75回アカデミー賞・長編アニメーション映画賞を受賞。埼玉県民栄誉賞を受賞。『TIME』誌アジア電子版の「アジアの英雄20人」に選出。

  • 2004年 『ハウルの動く城』が、第61回ベネチア国際映画祭・金のオゼッラ賞、第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭・観客賞、第16回ザグレブ国際アニメーションフェスティバル・功労賞を受賞。『ルパン三世 カリオストロの城』がキネマ旬報創刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部門第一位に選出。12月、パリ造幣局美術館にて、初の個展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を開催。

  • 2005年 徳間書店より独立した、株式会社スタジオジブリの取締役に就任。『ハウルの動く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション賞、ニューヨーク映画批評家協会・最優秀アニメ賞を受賞。第62回ベネチア国際映画祭・栄誉金獅子賞、国際交流基金賞を受賞。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」に選出。

  • 2006年 日本テレビ放送網|日本テレビ2階・マイスタジオ|マイスタ外壁に設置される巨大時計のデザインを手掛ける。『TIME』誌アジア版の「60年間のアジアの英雄」に選出。

  • 2007年『ハウルの動く城』がアメリカSFファンタジー作家協会 (SFWA) ・ネビュラ賞(脚本部門)を受賞。



    作風

    ・ 子供の視点
    : 一貫してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい現実世界からの、子供の一時の逃げ場が必要だ」という趣旨の発言をしている「僕らは抜き差しならない現実社会に、抜き差しならない自分をかかえて生きているでしょう。だけどね、いろんなコンプレックスとかガンジガラメの関係から抜け出て、もっと自由な、おおらかな世界にあればね、自分は強くも雄々しくもなれる。もっと美しく、やさしくなれるのに、という思いを持ってるんじゃないか。少年も老人も、女も男も…」(富沢洋子編「また、会えたね!」アニメージュ#アニメージュ文庫|アニメージュ文庫 徳間書店、1983年)。児童文学を愛読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言し、その作品はほぼ一貫して子供の視点に立ち、悪役を大人にすることが多い。ただし、多くの作品は単純明快な勧善懲悪ものではなく、「悪役」もまた、重層的で複雑なキャラクターであることが多い。また、主人公が少女であることが多く、この理由は同性であると対象化しきれず、元気な女の子の方がやる気が出るからと話す。
    ・ 脚本なしでの制作
    : 制作の準備段階でイメージボードを大量に描いて作品の構想を練り、脚本なしで絵コンテと同時進行で作品を制作していくという手法で知られる。これは、周囲から「アニメーション界のレオナルド・ダ・ヴィンチ」「制作要らずの宮さん」と呼ばれる程の超人的制作管理能力を持つ宮?にして初めて可能な手法である。ただし、まったくの白紙の状態から絵コンテを描くわけではなく、ノートにストーリーの構成やアイディアを書いている。本人によれば、「一日中文字を書いていることもある」ということである。また、作品では空を舞うシーンが描かれることが多く、監督本人も意識している。
    ・ 戦史・軍事マニア
    : 戦史・軍事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲冑・鎧兜や兵器・AFVに造詣が深い。作中で登場する兵器や乗り物にはその知識が十全に活かされている。この方面の趣味が発揮されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』誌の『宮崎駿の雑想ノート』という虚実織り交ぜた架空戦記物の超不定期連載マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、現在は中断)。
    ・ 声優の起用
    : 『紅の豚』以降は本業としての声優をほとんど起用せず『紅の豚』以前の『天空の城ラピュタ』でも主人公の少年パズー役に実際の少年を起用しようとしたといい、非声優の採用は早くから検討されていた。『天空の城ラピュタ』でプロの成人の女性声優を起用した(最終的にパズーを演じたのは田中真弓)のは演技力の問題であったという(『アニメージュ』徳間書店、1986年8月号)。なお主役級以外に関しては、それ以前の作品から俳優や文化人などの出演はある。、俳優、女優を起用する事が多い。この点に関して一部の非声優の演技力等について否定的な意見がある。もっとも、近年の俳優、タレント起用に関しては、宮?以外のジブリ作品も同様であり、製作の鈴木敏夫の意向が強いとされている。ただ宮崎本人も、海外メディアとのインタビューの中で「我々が欲しいのはコケティッシュな声ではない」という旨を述べている。[http://www.noderunner.net/~airami/interviews.htm][http://film.guardian.co.uk/interview/interviewpages/0,6737,1569689,00.html]
    ・ 作品名の共通点
    : 監督を担当した長編アニメーション映画の作品名には、どれも平仮名の「の」が含まれているのが特徴。
    ・ 手塚治虫の評価
    : 1988年手塚治虫が亡くなった時、漫画では自分も影響を受けた、と全面的に肯定した上で、アニメーションに携わる人間の立場から、アニメーション作家としての手塚が日本のアニメーション史に果たした役割に痛烈な批判を加えた「コミックボックス」ふゅーじょん・ぷろだくと、1989年5月号。。特にテレビアニメーション草創期に、手塚が市場優位性を確立させるため、鉄腕アトムなどの自社(虫プロダクション)制作番組を原価を割り込むほどの低価格で売り込んだことが、現在に至るまで日本のアニメーション製作費が極めて低く抑えられる要因となったとして舌鋒鋭く批判した。東映入社以来、映画アニメに携わっていた宮崎も低賃金、非人間的労働が当然のTVアニメの方に回され、そこから映画アニメ専門の世界に移るまでには長い期間を要した。また、「しずく」などの手塚アニメーション作品そのものに対しても辛口の批判をしたことがある。
    ・ 日本のアニメーション界への危機感
    : 2002年のベルリン映画祭金熊賞受賞の際の記者会見のインタビューで「今の日本のアニメーションはどん詰まり」などと語った。1985年2月号のアニメ雑誌「アニメージュ」の押井守、河森正治との対談で「どんづまり」、1986年『天空の城ラピュタ』製作中に行ったアニメーション雑誌記者との会見「コミックボックス」に全録、「月刊OUT」みのり書房、1986年8月号に抄録で掲載。でも「崖っぷち」と表現するなど、以前から、短時間・低予算で量産される日本のアニメーションに対して、危機感を抱き続けており、スタジオジブリのスタジオ運営では月給制を取っていたこともあった。イギリスの英国放送協会|BBCなど日本国内外の様々なメディアで伝えられ、日本国内のみならず海外のアニメーションファンを含めて様々な反響があった「アニメージュ」2002年5月号において、宮?の発言に対する5人のアニメ業界人のコメントを掲載。久美薫『宮?駿の仕事 1979~2004』(鳥影社、2004年)では宮?発言が「反響が大きかった」とし、久美自身も8! ページをかけて宮?発言を論じる。。なお、西島克彦が「アニメージュ」に載せた『プロジェクトA子』のコメントを取り上げて、「セーラー服が機関銃撃って走り回っているアニメーションを作っていちゃダメなんです」と発言したのは、上記のうち1986年の会見でのことである。



    政治的・思想的スタンス


    ・ 反戦
    : 一貫して反戦を、『風の谷のナウシカ』以降は環境保全を主題とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方針に反対の立場を表明していた。
    ・ 思想的転向
    : 大学時代から社会主義思想に傾倒するようになり、東映動画入社後は激しい組合活動を行った。その後も長らく左翼的思想を保ちつづけていたが、1989年の六四天安門事件|天安門事件および東欧革命に大きな衝撃を受け、
    ・ 思想的転向はないという見方
    : 宮崎の社会主義思想は未来少年コナンにみられるように国家的組織による強権的な社会主義には批判的であり(作中に登場するインダストリアのイメージは大理石の男の独立自主管理労働組合「連帯」|レーニン造船所を彷彿とさせる)、汗を流した労働を尊ぶという描写は初期の頃から現在まで一貫している。明るい陽気な共同体生活の描写はユートピア社会主義、強権的社会主義体制への批判は南欧発祥のユーロコミュニズムに近い。また近年アメリカでの公演に於いて毛沢東語録から言葉を引用したりもしている。
    : 宮?の強権的「国家」に対する批判的姿勢は、作家の堀田善衛や司馬遼太郎らとの交流から、人間の実相を「もっと長いスタンスで、もっと遠くを見る」ように凝視する(宮?が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿勢に転換していく。例えば漫画版『風の谷のナウシカ』のラストなどに、その人間観・世界観の変化の影響が見受けられる。
    ・ 中尾佐助の思想
    : 宮?に深く影響を与えた思想に、植物学者中尾佐助による「照葉樹林文化論」がある。ヒマラヤ山脈南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘類などの特色をもつ共通の農耕文化圏に含まれるとするこの学説に、国家の枠を乗り越える視点を与えられ、「呪縛からの解放」感を味わったという。この影響は特に「もののけ姫」に強く表れており、その後も宮?はインタビュー・対談など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。
    ・ 政治的リアリスト
    : 最近では、問題になった新しい歴史教科書をつくる会の教科書を、?民族の『誇り』は、歴史を歪曲することで得られるものではない?と語ったことがある。一方で宮?は、司馬遼太郎や堀田善衛との鼎談で、日本の被害国にもナショナリズムの行き過ぎが見られると批判しており、コスモポリタン的な立場で各国の偏狭なナショナリズムを批判しているという主張もある。また、宮?は憲法改定に関して日本国憲法第9条|9条の支持を表明しているが、同時に、もし国民が9条改定を選択したならそれを尊重するといった趣旨の発言もしており、政治的リアリストとしての一面も持っている。; もののけ姫における歴史観
    : もののけ姫には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら(鑪・鈩)製鉄技術者集団、馬子運送業者、らい病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天皇|天朝さまとはなんぞや。」とうそぶく女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。もっとも、いわゆる「網野史観」に全面的に依拠しているわけではなく、大規模な定着化した踏鞴場の描写など、技術者集団等の非定着性に注目した網野と対立する観点も散見される。



    作品




    [ 監督作品 ]




    [ 長編アニメーション映画 ]


  • 1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)

  • 1984年 風の谷のナウシカ(原作・脚本)

  • 1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)

  • 1988年 となりのトトロ(原作・脚本)

  • 1989年 魔女の宅急便(脚本・プロデューサー)

  • 1992年 紅の豚(原作・脚本)

  • 1997年 もののけ姫(原作・脚本)

  • 2001年 千と千尋の神隠し(原作・脚本)

  • 2004年 ハウルの動く城(脚本)

  • 2008年 崖の上のポニョ(原作・脚本)


    [ 短編アニメーション映画 ]


  • 1995年 On Your Mark〜ジブリ実験劇場(原作・脚本)

  • 2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)

  • 2001年 くじらとり(脚本)

  • 2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)

  • 2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)

  • 2002年 空想の空飛ぶ機械達(原作・脚本・ナレーション)

  • 2006年 水グモもんもん(原作・脚本)

  • 2006年 星をかった日(脚本)

  • 2006年 やどさがし(原作・脚本)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4話以降のAプロ演出グループ名義のモノ)

  • 1978年 未来少年コナン

  • 1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
    第145話「死の翼アルバトロス」(照樹務名義)
    第155話「さらば愛しきルパンよ」(照樹務名義)

  • 1985年 名探偵ホームズ
    第3話「小さなマーサの大事件!?」
    第4話「ミセス・ハドソン人質事件」
    第5話「青い紅玉」
    第9話「海底の財宝」
    第10話「ドーバー海峡の大空中戦!」
    第11話「ねらわれた巨大貯金箱」


    [ 参加作品 ]




    [ 劇場用アニメーション映画 ]


  • 1965年 ガリバーの宇宙旅行(動画・原画)

  • 1968年 太陽の王子ホルスの大冒険 (場面設計・原画)

  • 1969年 長靴をはいた猫(原画)

  • 1969年 空飛ぶゆうれい船(原画)

  • 1971年 どうぶつ宝島(アイデア構成・原画)

  • 1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・場面設定・原画)

  • 1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美術設定・画面構成・原画)

  • 1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)

  • 1991年 おもひでぽろぽろ(製作プロデューサー)

  • 1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)

  • 1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)

  • 2002年 猫の恩返し(企画)

  • 2006年 ゲド戦記 (映画)|ゲド戦記(原案)


    [ テレビアニメーション ]


  • 1969年 ひみつのアッコちゃん(原画)

  • 1972年 赤胴鈴之助(26、27、41話の絵コンテ)

  • 1973年 侍ジャイアンツ(原画)

  • 1974年 アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ(場面設定・画面構成)

  • 1976年 母を訪ねて三千里(場面設定・画面構成)

  • 1977年 あらいぐまラスカル(原画)

  • 1979年 赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン(場面設定・画面構成)(1〜15話まで)



    その他の作品




    [漫画・絵物語など]


  • 長靴をはいた猫

  • 砂漠の民(秋津三朗名義)

  • どうぶつ宝島

  • 妹へ(「宮?駿・大塚康生の世界」に収録)

  • 風の谷のナウシカ(全七巻)

  • 宮?駿イメージボード集

  • シュナの旅

  • 「風の谷のナウシカ」−宮?駿水彩画集

  • 宮?駿の雑想ノート

  • 飛行艇時代

  • 泥まみれの虎 宮?駿の妄想ノート

  • ハンスの帰還

  • (ロバート・ウェストール・作、宮?駿・編、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃機』 (児童書) 岩波書店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
    「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加えて、宮?の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併録。


    [デザインワーク]


  • TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」

  • TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」

  • 実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船

  • 日本テレビ放送網のシンボルキャラクター「なんだろう」

  • 神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」

  • 三鷹の森ジブリ美術館

  • 三鷹市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」

  • 江戸東京たてもの園のシンボルキャラクター「えどまる」

  • 読売新聞のシンボルキャラクター「どれどれ」

  • 中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
    1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリ社長・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。

  • 日本テレビ放送網|日本テレビ社屋外壁の大からくり時計「日テレ大時計」

  • 広島県福山市鞆町の「竜馬の宿」


    [作詞]


  • 『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)

  • 『風のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)

  • 『となりのトトロ (楽曲)|となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)

  • 『カントリー・ロード』(日本語訳詞の補作)(『耳をすませば』エンディング)

  • 『バロンのうた』(『耳をすませば』イメージアルバム より)

  • 『もののけ姫』(『もののけ姫』主題歌)

  • 『千と千尋の神隠し』イメージアルバム
    『神々さま』
    『油屋』
    『さみしい さみしい』
    『白い竜』

  • 『お母さんの写真』(CMソング)

  • 『崖の上のポニョ』イメージアルバム
    『崖の上のポニョ』(補作詞)(『崖の上のポニョ』主題歌)
    『いもうと達』
    『ポニョの子守唄』
    『ひまわりの家の輪舞曲』


    [著書(対談・インタビューなど)]


  • 『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒澤明との対談集)

  • 『時代の風音』(司馬遼太郎、堀田善衛との鼎談集)

  • 『トトロの住む家』(画文集)

  • 『出発点 1979〜1996』(エッセイ・発言集)

  • 『虫眼とアニ眼』(養老孟司との対談集)

  • 『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』(インタビュー集)

  • 『時には昔の話を』(加藤登紀子との共著、絵本、対談)

  • 『教育について』(共著、インタビュー集)


    [表紙イラストなど]


  • 『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・ヘンリー・シュミッツ著、新潮社、東京創元社)

  • 『夜間飛行』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)

  • 『人間の土地』(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著、新潮社)

  • 『チェスタトンの1984年/新ナポレオン奇譚』(ギルバート・ケイス・チェスタートン著、春秋社)



    絵コンテ集




    [劇場用アニメーション映画]


  • パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 風の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳間書店)

  • 天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳間書店)

  • となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳間書店)

  • 魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳間書店)

  • 紅の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳間書店)

  • 耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳間書店)

  • もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳間書店)

  • 千と千尋の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳間書店)

  • ハウルの動く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳間書店)



    [テレビアニメーション]


  • ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば愛しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人質事件/青い紅玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)

  • 名探偵ホームズ 海底の財宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大貯金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳間書店)



    幻の作品一覧

    宮?駿が関与・企画・構想するも諸般の事情で幻に終わった、もしくは実現していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮題である。

  • 長くつ下のピッピ(1971年ころ、アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品、宮崎らAプロダクションのスタッフたちはスウェーデンまでロケハンに行ったが原作者から映画化の承諾を得られなかった。そのイメージは後に『パンダコパンダ』や『魔女の宅急便」で活かされている。)

  • ユキの太陽(ちばてつやの漫画。パイロットフィルムのみ製作された。)

  • もののけ姫(1980年ころ、『美女と野獣』&戦国時代をモチーフとしているが、1997年に映画化された『もののけ姫』とは題名が共通なだけで、物語もデザインも全く異なる作品である。イメージボードは1993年にスタジオジブリ(後に徳間書店)から大型絵本として出版されている。)

  • ロルフ(1981年ころ、リチャード・コーベン原作のアングラコミック。イメージボードが作成されている。舞台設定やデザインは『風の谷のナウシカ』の原型とも言える作品。)

  • 戦国魔城(1981年ころ。日本の戦国時代を舞台にしたSFオリジナル作品。イメージボードが作成されている。ここでナウシカやラピュタへ繋がる設定が多く生み出された。)

  • NEMO(1981-1982年、ウィンザー・マッケイ原作の『リトル・ニモ』の企画にテレコム・アニメーションフィルムのスタッフとして当初からかかわって大量のイメージボードを作成していたが、制作発表前に降板して退社。フリーになっている。映画自体は1989年に公開されている。)

  • 風の谷の一日(1983年ころ、ナウシカの幼年時代を、風の谷の日常を通して描くというもの。徳間書店の「アニメグランプリ」イベント用に宮崎が提案したが、最終的に映画化されることになる)

  • アンカー(1980年代半ば、夢枕獏との対談で宮崎が提案した。『ラピュタ』完成後、原作夢枕、脚本宮崎、監督押井守、プロデューサー高畑勲で検討されるが、企画段階で中止される。宮崎の構想は、お姫様のような不思議な女の子が何者かに追われて、偶然に出会った男の子がその子を逃がすためにある場所まで送り届けると、また違う人間が別の場所まで送り届けるという恋愛要素を含んだ冒険もの。舞台は当時の東京。しかし、宮崎と押井の意見が対立し、全く話にならず企画は消滅した。「押井守の世界 2008年2月16日」より。)

  • 突撃!アイアンポーク(1985年ころ、「宮崎駿の雑想ノート」から派生したOVA作品の企画で、これも監督に押井守が予定されていた。)

  • 大東京物語(ふくやまけいこの漫画。後に現代には合わないと判断している。)

  • 墨攻(古代中国が舞台の酒見賢一原作の歴史小説。構想では、包囲された都市をある指導者が守っていくというもの。押井守の監督で検討されたが宮崎と話が食い違い、消滅する。)

  • 東京汚穢合戦(宮?が1997年、NHK番組『トップランナー』に出演した時に語ったもの。)

  • ゴチャガチャ通りのリナ(柏葉幸子原作の児童文学『霧のむこうのふしぎな町』)

  • 煙突描きのリン(震災後の東京を舞台に、大阪からやってきたリンが風呂屋に住み込み、煙突に絵を描くという話。三鷹の森ジブリ美術館でそのプロットが見られる。この物語のために作られた木村弓の『いつも何度でも』が、後に『千と千尋の神隠し』の主題歌となった。)

  • 毛虫のボロ(長年宮崎が温めてきた「虫の視点から世界はどう見えるか」という企画。「もののけ姫」の前にボツになったが、後に『水グモもんもん』として実現した。)

  • 旅のラゴス(筒井康隆原作のSFファンタジー小説)

  • ジョナサンと宇宙クジラ(ロバート・F・ヤングのSF小説)



    脚注




    関連項目





    参考文献




    [関連書籍]


  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと』(徳間書店、1991年)(ISBN 4-19-554639-7)

  • 高畑勲『映画を作りながら考えたこと2』(徳間書店、1999年)(ISBN 4-19-861047-9)

  • 大塚康生『作画汗まみれ 増補改訂版』(徳間書店、2001年)(ISBN 4-19-861361-3)

  • 大泉実成『宮?駿の原点 母と子の物語』(潮出版社、2002年)(ISBN 4-267-01653-4)

  • 大塚康生『リトル・ニモの野望』(徳間書店、2004年)(ISBN 4-19-861890-9)

  • 尾形英夫『あの旗を撃て!「アニメージュ」血風録』(オークラ出版、2004年)(ISBN 4-7755-0480-0)

  • 鈴木敏夫『映画道楽』(ぴあ、2005年)(ISBN 4-8356-1540-9)

  • 叶精二『宮?駿全書』(フィルムアート社、2006年)(ISBN 4845906872)


    [関連DVD]


  • 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(ウォルト・ディズニー・スタジオ|ブエナビスタホームエンターテイメント、2001年)

  • 『柳川堀割物語』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『ジョン・ラセター|ラセターさんありがとう』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2003年)

  • 『世界・わが心の旅 (2巻セット)』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 『宮?駿プロデュースの1枚のCDは、こうして生まれた。』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2004年)

  • 『宮?駿とジブリ美術館』(ブエナビスタホームエンターテイメント、2005年)



    外部リンク


  • スタジオジブリ

  • GhibliWorld.com(英語)

  • 高畑勲・宮崎駿作品研究所

  • くろねこ亭ミラーサイト

  • The Internet Movie Database: Hayao Miyazaki (英語)

  • Nausicaa.net (英語)

  • Online Ghibli (英語)

  • 吉卜力之宮?作品倶楽部 (中国語)


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    2008年05月28日

    映画監督[伊丹十三]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    伊丹十三



    伊丹 十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督、俳優、エッセイスト、グラフィック・デザイナー|商業デザイナー、イラストレーター、CM作家、ドキュメンタリー映像作家である。本名は池内 岳彦(いけうち たけひこ)。戸籍名は池内 義弘(いけうち よしひろ)。映画監督の伊丹万作は父。女優の宮本信子は妻。俳優の池内万作は息子。作家の大江健三郎は義弟。また料理通としても知られる。身長183cm。



    来歴・人物




    [幼少〜青年期]

    京都市右京区鳴滝泉谷町に生まれる。第二次世界大戦末期、京都師範学校|京都師範付属国民学校(現・京都教育大学附属小学校)を経て、湯川秀樹によって当時構想された、科学者養成のための英才集団特別科学学級で教育を受けた。当時としては珍しく、戦時中に英語教育を実践していたと云われる。同窓に日本画家の上村淳之がいる。中学生の時に父親は死去する。京都府立第一中学校(現・京都府立洛北高等学校)に入学。同窓に共同通信労組の林直久がいた。その後、愛媛県松山市へ移り、愛媛県立松山東高等学校に転入。ここで大江健三郎と知り合う。その後、二度落第して愛媛県立松山南高等学校に転入。同校を卒業したが、大学を受験して失敗したため、東京へ行き新東宝編集部を経て商業デザイナーとなる「明朝体を書かせたら日本一といわれ、その才能は後の映画のタイトル作りにも活かされた」日本映画専門チャンネル特別番組『13の顔を持つ男・伊丹十三の軌跡』より


    [マルチタレントとして活躍]

    舞台芸術学院に学び、26歳の時大映 (映画)|大映に入社、「伊丹 一三」という芸名を永田雅一にもらい俳優となる。1960年に日本映画界の巨人である川喜多長政・川喜多かしこの娘の川喜多和子と最初の結婚をする。同じ年に作家であり友人の大江が妹ゆかりと結婚する。1961年、大映 (映画)|大映を退社する。その後『北京の55日』(1963年)『ロード・ジム』(1965年)などの外国映画に出演し、話題となる。1969年に「伊丹 十三」と改名し、映画とテレビドラマで存在感のある脇役として活躍した。『家族ゲーム』(1983年)、『細雪』(1983年)では、キネマ旬報賞助演男優賞を受賞している。1960年代には、外国映画に出演した際のロケ道中をまとめたエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』を出版しヒット。その後も『女たちよ!』など軽妙なエッセイを次々と発表し、文筆業にも活動の場を広げた「これらエッセイにおける、気障に映りながらも、物事の本質をその細部にいたるまで理詰めで探求していく独自のスタイルは、その後の多くのエッセイストに影響を与ぁ ($?!W!X伊丹十三の本』(「考える人」編集部) ISBN 410474901X。1970年代に入るとテレビ番組制作会社テレビマンユニオンに参加し、『遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい』等のドキュメンタリー番組の制作に関わり?自らレポートする。この時培ったドキュメンタリー的手法は、その後の映画制作にも反映している。また『日本世間噺大系』『小説より奇なり』に見られる、独特の聞き書き書体はこの時代の経験を反映している。また70年代後半には『アフタヌーンショー』のレポーターを務め?“緻密な画力”で犯罪現場をスタジオで描いてみせた。1969年に山口瞳の媒酌で女優の宮本信子と再婚し、宮本との間に子供を二人もうける(長男は俳優の池内万作、次男は池内万平)。家事や子育てにも関心が深く、著書訳書もある。ちなみに長男の万作は父の名前をそのまま取って命名された。岸田秀の『ものぐさ精神分析』(1977年)を読み、彼の主張する唯幻論に傾倒する。『哺育器の中の大人』(1978年)は、伊丹が岸田から唯検 8O@$K$D$$$F$N9V5A$re$2$?8=Be;WA[$N;(;o!X%b%N%s%/%k!Y!J%U%i%s%98l$G!HKM$N$*$8$5$s!I$N0U!K$r1981年に創刊し、編集主幹を務めた。しかし、6号で終刊となる。伊丹の関わった記事のいくつかは、『自分たちよ!』に収録されている。この一方で、文化人達が伊丹の周辺に集まり、一種のサロンを形成している。コピーライターの糸井重里、自称芸術家の篠原勝之、作家の村松友視などである。


    [映画監督への転身]

    1984年、51歳で、『お葬式』で映画監督としてデビューし、日本国内で高い評価をうけ、受賞した映画賞は日本アカデミー賞を始めとして30を超えた。この映画は信子の父の葬式がきっかけであり、わずか一週間でシナリオを書き上げた。この作品で伊丹はその前歴の俳優・エッセイスト・ドキュメンタリー作家・CM作家・イラストレーター・商業デザイナーとしての全ての経験が活かせる事を発見し、その後も食欲と性欲の未分化な人びとを喜劇的に描いた『タンポポ (映画)|タンポポ』や国税局査察部・通称「マルサ」に対する徹底した取材を元にした『マルサの女』、ヤクザの民事介入暴力と戦う女弁護士を描いた『ミンボーの女』など、日本の社会に対する強い問題意識をもちながら、かつエンターテイメント性に富み、映画史的引用や細部にこだわった映画作品を作り、一躍当時の日本を代表する映画監督となり、「伊丹映画」という“ブランド”を築く事に成功する。特に1992年の『ミンボーの女』では、地上げやゆすりをやる暴力団は市民が勇気を持って賢く行動すれば引き下がることを描き?観客は大喜びした。これまで日本では、院 G2h$G%d%/%6!JK=NOCD0w!K$r%R!<%m!<$H$7$F07$$Ni;?$7$F$$$?!J!V%d%/%61G2h!W$H$$$&0l%8%c%s%k$,B8:_$9$k!K!#8x3+1週間後の5月22日夜に自宅の近くで刃物を持った5人組に襲撃され、顔や両腕などに全治三ヶ月の重傷を負うが、「私はくじけない。映画で自由をつらぬく。」と宣言した(病院に搬送された際に取材陣から「大丈夫ですか!?」と声をかけられて、声こそ出なかったもののピースサインで応えた)。警察は現場の車より山口組系後藤組の犯行であることを突き止めた。5人の組員が4年から6年の懲役刑となった。1993年3月、自称右翼の男が『大病人』公開中の映画館のスクリーンを切り裂く事件が起こるなど数々の被害や脅迫・嫌がらせを受ける事となったが、伊丹はさらに日本社会に鋭く切り込む映画を製作していく。襲撃事件により身辺警護を受けた経験は、1997年に『マルタイの女』で映画化された。『タンポポ (映画)|タンポポ』はアメリカでも配給され評判となった。1993年『大病人』以後の作品は批評家の評価も厳しいものとなり、また『マルサの女』『マルサの女2』ぁ K$*$$$F!"n$r>c32演出面での特徴は俳優に対して一言一句のアドリブも許さず、画面に映る全ての小道具に一切の妥協を許さないという厳格なものであった。しかし俳優がNGを出しても決して怒鳴り散らしたりしないため、俳優にとっては非常にやり易かったという伊丹十三の映画』(「考える人」編集部) ISBN 4104749028


    [突然の「自殺」]

    1997年12月20日、写真週刊誌「FLASH (写真週刊誌)|フラッシュ」により不倫疑惑が取り沙汰されたことに対して「死をもって潔白を証明する」とのワープロ打ちの遺書を残し、伊丹プロダクションのある東京麻布のマンションから飛び降り|投身自殺を遂げた。しかしながら他殺とされる説も根強くある。創価学会の関連性が高いと見られる。



    [その他]

    2001年、大江健三郎の小説『取り替え子』に伊丹十三を思わせる人物が描かれ、話題となった。2007年5月、妻・宮本信子が中心となって、少年時代の一時期を過ごした愛媛県松山市に「伊丹十三記念館」をオープンさせた。晩年になって東京から移り住んだ湯河原の家などから遺品8万余点を集め、彼の名にちなみ「13」のコーナーに分けて展示公開している。



    著作


  • 『ヨーロッパ退屈日記』(1965年)

  • 『フランス料理を私と』

  • 『女たちよ!』

  • 『再び女たちよ!』

  • 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』

  • 『自分たちよ!』

  • 『日本世間噺大系』

  • 『小説より奇なり』

  • 『問いつめられたパパとママの本』

  • 『「お葬式」日記』

  • 『「マルサの女」日記』

  • 『「大病人」日記』


    [ 共著 ]


  • 『快の打ち出の小槌』

  • 『哺育器の中の大人』(1978年)


    [ 訳書 ]


  • 『パパ・ユーア・クレイジー』

  • 『主夫と生活』

  • 『ザ・ロイヤル・ハント・オブ・ザ・サン』

  • 『中年を悟るとき』

  • 『ポテト・ブック』



    出演作品




    [ 映画 ]


  • 『嫌い嫌い嫌い』(1960年、大映)

  • 『銀座のどら猫』(1960年、大映)

  • 『黒い十人の女』(1961年、大映)

  • 『北京の55日』(1963年 / 日本公開1964年、アライド・アーティスト)

  • 『執炎』(1964年、日活)

  • 『男の顔は履歴書』(1966年、松竹)

  • 『日本春歌考』(1967年、松竹)

  • 『懲役十八年 仮出獄』(1967年、東映)

  • 『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』(1968年、東映)

  • 『あゝ予科練』(1968年、東映)

  • 『栄光への5000キロ』(1969年、松竹)

  • 『ごろつき部隊』(1969年、東映)

  • 『やさしいにっぽん人』(1971年、東陽一|東プロ)

  • 『修羅雪姫|修羅雪姫 怨み恋歌』(1974年、東宝)

  • 『吾輩は猫である』(1975年、東宝)

  • 『草迷宮 (映画)|草迷宮』(1978年 / 日本公開1983年、人力飛行機舎)

  • 『もう頬づえはつかない』(1979年、日本アート・シアター・ギルド|ATG)

  • 『夕暮まで』(1980年、東宝)

  • 『仕掛人梅安』(1981年、東映)

  • 『悪霊島』(1981年、角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画)

  • 『細雪』(1983年、東宝)

  • 『家族ゲーム』(1983年、ATG)

  • 『居酒屋兆治』(1983年、東宝)

  • 『瀬戸内少年野球団』(1984年、日本ヘラルド映画)

  • 『ドレミファ娘の血は騒ぐ』(1985年、ディレクターズ・カンパニー)

  • 『スウィートホーム (映画)|スウィートホーム』(1989年、東宝)



    [ テレビドラマ ]


  • 『源氏物語』(1965年、毎日放送)

  • 『東京警備指令 ザ・ガードマン|ザ・ガードマン』 第84話「ハートで盗め」(1966年、大映テレビ室・東京放送|TBS)

  • 『コメットさん』(1967年 - 1968年、国際放映・TBS) - パパ役

  • 『キイハンター』 第4話「顔のない男」(1968年、東映・TBS)

  • 『無用ノ介』 第2話「無用ノ介の首500両也」(1969年、国際放映・日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 『悪一代』(1969年、朝日放送)

  • 『国盗り物語 (NHK大河ドラマ)|国盗り物語』(1973年、日本放送協会|NHK) - 足利義昭役

  • 『天皇の世紀』 第4話「地熱」・第8話「降嫁」(1973年、国際放映・朝日放送)

  • 『必殺仕置人』 第19話「罪も憎んで人憎む」(1973年、松竹・朝日放送)

  • 『助け人走る』 第25話「逃亡大商売」(1974年、松竹・朝日放送)

  • 『座頭市|新・座頭市』 第9話「見ない涙に虹を見た」(1976年、勝新太郎|勝プロ・フジテレビジョン|フジテレビ) - 為吉役

  • 『北の国から』(1981年、フジテレビ)

  • 『峠の群像』(1982年、NHK) - 吉良義央役

  • 『春の波涛』(1985年、NHK) - 伊藤博文役
    ほか



    CM


  • 宝酒造 タカラcanチューハイ(1995年)、亜楽-ARAKU-(1997年)

  • 味の素

  • 日産自動車 日産・サニー|サニー(1990年)

  • 一六本舗|一六タルト

  • ツムラ



    制作総指揮作品


  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム



    監督作品


  • 『お葬式』(1984年)

  • 『タンポポ (映画)|タンポポ』(1985年)

  • 『マルサの女』(1987年)

  • 『マルサの女2』(1988年)

  • 『あげまん (映画)|あげまん』(1990年)

  • 『ミンボーの女』(1992年)

  • 『大病人』(1993年)

  • 『静かな生活』(1995年)

  • 『スーパーの女』(1996年)

  • 『マルタイの女』(1997年)



    脚注・出典




    外部リンク


  • 日本映画データベース

  • 伊丹十三記念館

  • 伊丹十三のお墓

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    2008年05月27日

    映画監督[川本三郎]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    川本三郎



    川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年 - )は評論家。



    来歴・人物

    東京都出身。麻布中学校・高等学校|麻布高等学校から東京大学法学部を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞市|朝霞の自衛官殺害事件(赤衛軍事件)で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『Have You Ever Seen The Rain?』を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。1971年11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、1972年1月9日には川本もまた逮捕され、会社は懲戒免職となり、1972年9月27日、浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は自伝的な『マイ・バック・ページ−ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念\xA1 !#J87]!&1G2h!&ET;T$J$I%8%c%s%k$,I}9-$$I>O@2H$GB??t$NCx=q$,$"$k$H$H$b$K!"2<=R$N:nIJ$+$i1J0f2YIw8&5f2H$H$7$F$NI>2A$b9b$$!#
    ファッション評論、ファッション史研究の川本恵子は妻。



    受賞歴


  • 『大正幻影』でサントリー学芸賞

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』で1996年,第48回読売文学賞・評論・伝記賞

  • 『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞と桑原武夫学芸賞



    著作


  • 『大正幻影』(筑摩書房,1997年,ISBN 4480032665)

  • 『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(都市出版,1996年,ISBN 978-4-924831-38-4)

  • 『林芙美子の昭和』(新書館,2003年,ISBN 4403210821)

  • 『都市の感受性』

  • 『映画を見ればわかること』

  • 『この映画見た?』

  • 『本のちょっとの話』

  • 『ロードショーが150円だった頃』など多数。



    関連項目


  • 東京人 (雑誌) - 編集委員として在籍

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    2008年05月26日

    映画監督[和田誠]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    和田誠




    和田 誠(わだ まこと、1936年4月10日 - )は、大阪府生まれのイラストレーター、エッセイスト、映画監督。




    人物

    東京都立千歳高等学校(現東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現デザイン)科卒業。1959年に広告制作プロダクション、ライトパブリシティに入社。同社を退社した1968年より、フリーのグラフィックデザイナー|デザイナー、イラストレーターとして活躍する。代表作として、たばこ「ハイライト」のパッケージデザインがあまりにも有名。
    この他、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルや「週刊文春」の表紙も一般的には広く知られている。星新一著作の挿絵も多数手がける。星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹『アフターダーク』など、書籍のブックデザインも多く手がけているが、和田は普通カバー裏に直接印刷されているバーコードを嫌っているため、彼の作品にはISBNの数字のみが記載される。その際バーコードは帯#印刷・出版における帯|帯につけられていることが多い。本業のデザインのほかにも、作詞・作曲から翻訳まで幅広い分野で活動。特に映画ファンとして有名で、「お楽しみはこれからだ」をはじめとするエッセイ集がある。一方で小泉今日子主演で知られる『怪盗ルビィ』などの映画監督を手掛けたりと、監督としての評価も高い。父は築地小劇場の和田精、夫人は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。ロック (音楽)|ロックバンド (音楽)|バンドTRICERATOPSの和田唱は息子。伯父は、「日劇」のレビューの演出家だった、山本紫朗。彼に取材した内容をまとめた本に、『ビギン・ザ・ビギン』がある。また、1992 BG/$K!"$3$NK\$K=q$+$l$?$h$&$JF|K\$K%l%S%e!<$N2+6b;~Be$r!XF|7`J*8l!Y$H$7$F1G2h2=$9$kOC$,$"$j!"5SK\$r<9I.$7$F%/%i%s%/!&%$%s@#A0$^$G$$$C$?$,!";q6bITB-$G;#1FCf;_$H$J$C$?!#!J!XI]$,$k?M!9$r:n$C$??M!9!Y!JJ8i:=U=)!K$N%W%m%m!<%0$K5-:\$"$j!#!K



    受賞歴


  • 1958年:『夜のマルグリット』のポスターにより日本宣伝美術会賞受賞。

  • 1960年:タバコ|たばこの「ハイライト」のデザイン・コンペに入賞。

  • 1964年:短編アニメ映画『殺人 MURDER』により毎日映画コンクール大藤信郎賞受賞。

  • 1969年:似顔絵その他で文藝春秋漫画賞受賞。

  • 1974年:似顔絵集『PEOPLE』で講談社出版文化賞(ブックデザイン部門)受賞。

  • 1981年:講談社出版文化賞(さしえ部門)受賞。

  • 1982年:『ビギン・ザ・ビギン』で角川書店日本ノンフィクション賞受賞。

  • 1984年:映画『麻雀放浪記』で報知映画賞新人賞受賞。

  • 1989年:映画『怪盗ルビイ』でブルーリボン賞受賞。

  • 1993年:『銀座界隈ドキドキの日々』で講談社エッセイ賞受賞。

  • 1994年:幅広い活躍により菊池寛賞受賞。



    挿絵・著作一覧


  • きまぐれロボット

  • ポスターランド

  • 倫敦巴里

  • いつか聴いた歌

  • 金田一耕助の冒険

  • 真説 金田一耕助

  • 冷蔵庫より愛をこめて

  • ナポレオン狂

  • 深夜の散歩−ミステリの愉しみ−

  • 探偵たちよ、スパイたちよ

  • 和田誠百貨店

  • ことばのこばこ

  • デザイン街路図

  • 装丁物語

  • お楽しみはこれからだ Part 1-7

  • シネマッド・カクテルパーティ

  • 新人監督日記

  • 銀座界隈ドキドキの日々

  • たかが映画じゃないか

  • それはまた別の話

  • これもまた別の話

  • 時間旅行

  • 今日も映画日和

  • 指からウロコ

  • 物語の旅

  • パイがいっぱい

  • 気まずい二人

  • ぼくは王さま、ノコ星ノコくん
    :王さまシリーズの挿絵は一冊目のみ。その後は和歌山静子に交代している。和田は寺村の同級生の教え子にあたる。


    [ 翻訳 ]


  • オフ・オフ・マザー・グース

  • ロビン・フッドに鉛の玉を

  • 虹の彼方の殺人

  • 劇団四季ミュージカル『クレイジー・フォー・ユー』訳詞


    [ フィルモグラフィー ]


  • 殺人 MURDER(1964年) 制作・監督・作画

  • パンパの活躍(1970年) 美術・アニメーション

  • 恋の大冒険(1970年) 美術

  • 麻雀放浪記#映画 麻雀放浪記|麻雀放浪記(1984年) 監督

  • 快盗ルビイ(1988年) 監督・脚本 「快盗ルビイ (シングル)|快盗ルビイ」の作詞もした

  • 怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年) 製作・監督・作曲

  • 怖がる人々(1994年) 監督・脚本

  • しずかなあやしい午後に(第一話 ガクの絵本)(1997年) 監督・脚本

  • 真夜中まで(1999年) 監督・脚本

  • みんなのいえ(2001年) 出演



    関連文献


  • 12人のグラフィックデザイナー(第2集)・美術出版社編集部編・美術出版社・1977年([http://www.booksrepublic.com/art-22detail.html])

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    2008年05月25日

    映画監督[塚本晋也]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    塚本晋也



    塚本 晋也(つかもと しんや、1960年1月1日 - )は、日本の映画監督、俳優。東京都出身。現在は豊島区に在住。日本大学藝術学部|日本大学芸術学部卒業。



    人物

    学生時代から仲間と演劇活動をし、幾度か公演を行った。当時の演劇仲間鈴木ひろし(現ほうとうひろし)の友人が五万円の機材費を掛けて公演を収録したビデオテープを未だに返却していないというエピソードもある。同校卒業後CF製作会社入社。ディレクターとして4年間勤める。
    退社後「海獣シアター」を再結成。3本の芝居を興行。自ら製作、監督、脚本、撮影、美術、編集から主演までこなす才人。中学時代から映画撮影を行い、1988年、『電柱小僧の冒険』でぴあフィルムフェスティバル|PFFアワードのグランプリを獲得。翌1989年、制作費1000万、4畳半のアパートで廃物のSFXと少数のスタッフで制作された『鉄男』が、ローマ国際ファンタスティック映画祭のグランプリを受賞。一般公開一作目にして国際的な評価を獲得し、後の海外映画祭における多数の新世代の日本映画評価への先鋒となった(またこの作品は主演・田口トモロヲの映画俳優としての活動の足掛かりとなった)。1997年、ヴェネツィア国際映画祭で審査員を務めた。2003年公開の『六月の蛇』は、ヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞受賞。人の身体の変容と痛みにこだわり、暴力やエロティシズムなどの主題を得意とする作風ながら、物語は陰惨な結末を迎えず、ペーソスとユーモアを忘れない。完璧な娯楽としての活劇を提供し、鑑賞後の観客には爽快感さえ感じさせる。ほとんどの作品でタッグを組む石澄 nCi$N2;3Z$O!"DMK\$N1G2h$KIT2D7g$JB8:_$G$"$k!#GPM%$H$7$F$NI>2A$b9b$/!"<+?H$N:nIJ$N$_$K$H$I$^$i$:!"B??t$N1G2h$d%I%i%^$K8D@-E*$J1i$rF@$F$$$k!#<+$i@=:n!"4FFD!"5SK\!";#1F!"H~=Q!"JT=8$+$i$@$?$k1GA|:n2H$,DMK\%U%j!<%/$r8x8@$7$F$$$k!#



    監督作品


  • 蓮の花飛べ(1979年)

  • 電柱小僧の冒険(1988年)

  • 普通サイズの怪人(1986年)

  • 鉄男(1989年)

  • ヒルコ/妖怪ハンター(1991年)

  • 鉄男II BODY HAMMER(1993年)

  • 東京フィスト(1995年)

  • バレット・バレエ(1999年)

  • 双生児-GEMINI-(1999年)

  • 六月の蛇(2003年、第60回ヴェネツィア国際映画祭コントロコレンテ部門審査員特別賞受賞)

  • ヴィタール(2004年、第61回ヴェネツィア国際映画祭招待作品、第37回シッチェス・カタロニア国際映画祭Fantastic Noves Visions部門作品賞、フリュッセル国際映画祭銀鴉賞受賞)

  • 玉虫(2005年、オムニバス映画「female」の中の1編)

  • HAZE(2006年)

  • 悪夢探偵(2007年、主演松田龍平)

  • 悪夢探偵2(2008年公開予定、主演松田龍平)



    出演作品


  • 鉄男(1989年)

  • 鉄男II BODY HAMMER(1992年)

  • 119 (映画)|119(1994年、竹中直人監督)

  • 我が人生最悪の時(1994年、林海象監督)

  • 東京フィスト(1995年)

  • 東京日和(1997年、竹中直人監督)

  • 完全なる飼育(1999年、和田勉監督)

  • バレット・バレエ(1999年)

  • サンデイドライブ(2000年、斎藤久志監督)

  • 溺れる人(2000年、一尾直樹監督)

  • さくや妖怪伝(2000年、原口智生監督)

  • Dead or Alive 2 逃亡者(2000年、三池崇史監督)

  • 殺し屋1(2001年、三池崇史監督)

  • 盲獣VS一寸法師(2001年、石井輝男監督)

  • クロエ (映画)|クロエ(2001年、利重剛監督)

  • 連弾(2001年、竹中直人監督)

  • とらばいゆ(2002年、大谷健太郎監督)
    本作と「クロエ」、「殺し屋1」などの演技が評価され、2002年第57回毎日映画コンクール男優助演賞受賞。

  • 六月の蛇(2003年)

  • 稀人(2004年、清水崇監督)

  • 恋の門(2004年、松尾スズキ監督)

  • 秘太刀馬の骨(2005年、日本放送協会|NHK)

  • 生物彗星WoO(2006年、NHK・円谷プロダクション制作)

  • HAZE(2006年)

  • クワイエットルームにようこそ(2007年)

  • 悪夢探偵(2007年)

  • セクシーボイスアンドロボ(2007年)

  • フルスイング (テレビドラマ)|フルスイング(2008年、NHK) 

  • メタルギアソリッド4(2008年予定)(ヴァンプ)※声の出演



    外部リンク


  • 塚本晋也

  • 日本映画データベース

  • Shinya Tsukamoto

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    2008年05月24日

    映画監督[大林宣彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    大林宣彦



    大林 宣彦(おおばやし のぶひこ、1938年1月9日-)は、日本の映画監督。本人は「映画作家」と称している。広島県尾道市土堂出身。広島県立尾道北高等学校|尾道北高校卒業、成城大学文芸学部中退。2006年(平成18年)4月から尚美学園大学大学院芸術情報研究科教授。2007年(平成19年)4月から倉敷芸術科学大学芸術学部メディア映像学科客員教授。妻は映画プロデューサーの大林恭子。長女の大林千茱萸(ちぐみ)は「映画感想家」と称して執筆活動をする一方で映画製作にも参加している。劇作家・演出家の平田オリザ|平田オリザは甥にあたる。自主製作映画の先駆者として、コマーシャルメッセージ|CMディレクターとして、映画監督として、日本の映像史を最先端で切り拓いた"映像の魔術師"。




    来歴

    代々続く医家の長男として生まれる。「尾道出身」として有名だが、講演会等で大林自らが述べているところによれば、出生時には父親が岡山医科大学(現在の岡山大学医学部)に勤務していたため、「生誕地」は岡山市内である。父は福山市金江町の出身で、尾道市医師会長や尾道市教育委員長を歴任。母は茶道裏千家の教授。2歳でブリキの映写機のおもちゃに親しみ、6歳でフィルムに絵を刻んでアニメーションを作った(このとき作った『マヌケ先生』を元にして後に三浦友和主演でテレビドラマ、映画が作られた)。15歳の時に小津安二郎が『東京物語』を撮影する現場を見学。16才の夏休みに福永武彦の「草の花」を読み感銘を受ける。いつかフレデリック・ショパン|ショパンのピアノ曲のような映画を作りたい、と思いそれは30年後『さびしんぼう_(映画)|さびしんぼう』で実現する。1956年上京し、成城大学在学中から8ミリ|8mmで作品を発表。自主製作映画の先駆者として早くから名前を知られた。1960年に大学を中退。1963年に初の16mm作品『喰べた人』がベルギー国際実験映画祭で\xA1 ?3::0wFCJL>^!#!XHxF;!Y!"!XCf;3F;!Y!"!X?)$Y$??M!Y!"!XComplexe=微熱の玻璃あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って 葬列の散歩道』、『EMOTION=伝説の午後=いつか見たドラキュラ』などがアンダーグラウンド (文化)|アングラブームに乗って反響を呼ぶ。60年代後半からは草創期のテレビコマーシャルメッセージ|コマーシャル(CM)にCMディレクターとして本格的に関わり始め、あまりのヒットに社名を変更したチャールズ・ブロンソンの「マンダム」、ラッタッタのかけ声で話題を呼んだ「ホンダ・ロードパル」のソフィア・ローレン、「ユニリーバ・ジャパン|ラックス化粧品」のカトリーヌ・ドヌーヴ、「レナウン・シンプルライフ」のリンゴ・スターなどの起用で、今日に続く海外スター起用のCMの先駆けとなり、また山口百恵・三浦友和コンビの「江崎グリコ|グリコチョコレート|アーモンドチョコレート」、高峰三枝子・上原謙の「日本国有鉄道|国鉄フルムーン」など10年間で製作したテレビCMは2000本を越え、テレビCMを新しい映像表現として確立したと\xA1 $5$l$k!#$^$?!"<+?H$b6e=#EENO$NCMに出演したことがある。 B1977 G/$N!X%O%&%9_(映画)|HOUSE』で商業映画に進出。7人の少女が生き物のような"家"に食べられてしまうというホラー映画|ホラー・ファンタジー映画|ファンタジーを、ソフト・フォーカスを用いたコマーシャルフィルム|CF的映像、実写とアニメの合成など、様々な特撮を使って見せる華麗でポップな映像世界は世の映画少年を熱狂させた。その影響で映画への道を目指した人材も少なくないぴあシネマクラブ 日本映画編、ぴあ、P459大特撮―日本特撮映画史―、コロッサス、P150-151、P280-281日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。個人的好悪の激しい映画ではあるが、それまでの子供達向けから、初めて若者に向けた特撮映画としても特筆される大特撮―日本特撮映画史―、P150-151、P280-281。また従来、監督は助監督を経験してからなるものであったが、助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という新たな流れを生み出した(この流れから自主映画出身者として大森一樹、森田芳光、CM B=P?H日本映画・テレビ監督全集、キネマ旬報社、P71-72。他に先達として自主映画仲間の高林陽一らが存在するものの、自己プロダクション+日本アート・シアター・ギルド|ATGという経路であり、いきなりメジャーの東宝|東宝映画でデビューというのは当時画期的であった。メディア (媒体)|メディアを巧みに動員した大林自身の自己プロモートに加え、当時副社長(のち社長、会長)の松岡功と、東宝撮影所のボス的立場にあったベテラン岡本喜八監督の口添えが大きかったといわれる。同年の『ブラック・ジャック (実写版)|ブラック・ジャック 瞳の中の訪問者』と共にブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞新人賞受賞。1982年、自身の郷愁を込めて尾道を舞台とした『転校生 (映画)|転校生』を発表。『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』、『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』と合わせ"#尾道三部作 (B|尾道三部作"として多くの熱狂的な支持を集め、ロケ地宗 d$j$N%U% !%s$rA}$d$7$?!#$3$l$i$O!":M5$$,K[=P$9$k$"$^$j$K0lItI>O@2H$+$i$O!V$*;RMM%i%s%A!W!V$*$b$A$cH"!W$H9sI>$5$l$k$3$H$b$"$C$?=i4|:nIJ$KHf$Y$k$H!"Mn$ACe$-$H;m>p$rC9$($FI>2A$b9b$/!"1G2h:n2H$H$7$F$R$H$D$ND:E@$rC[$/$3$H$H$J$C$?!#$^$?!"$3$l$i$N1G2h:n$j$K$O!"CO85HxF;$rCf?4$H$7$?B?$/$N;?F12A$5$l$F$$$k!#HUG/$O0l;~4|$[$I%"%$%I%k1G2h$r;#1F$7$J$/$J$C$?0lJ}$G;0ED2B;R$d5H1J>.I49g$r あると言われ、原作との差異で監督と原作者の軋轢が起こるケースも少なくない中で
    赤川次郎は自らの作品が映画化された際に原作に忠実であったので驚いたとコメントを残したことがある。
    独得の語り口でも知られ、近年はコメンテーターなどでテレビ出演、雑誌インタビュー等も多い。



    主な監督作品


  • 「EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ」(1967年3月8日公開)

  • 「ハウス_(映画)|HOUSE ハウス」(1977年7月30日公開、東宝) 兼製作

  • 「ブラック・ジャック (実写版)|瞳の中の訪問者」(1977年11月26日公開、ホリプロ/東宝) 兼出演

  • 「ふりむけば愛」(1978年7月22日公開、東宝)

  • 「金田一耕助の冒険」(1979年7月14日公開、東映)

  • 「人はそれをスキャンダルという」第1回(1979年11月21日放送、東京放送|TBS)

  • 「ねらわれた学園 (映画)|ねらわれた学園」(1981年7月11日、東宝)

  • 「転校生 (映画)|転校生」(1982年4月17日公開、松竹)

  • 「可愛い悪魔」(1982年8月10日放送、日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 「時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女」(1983年7月16日公開、東映) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説」(1983年8月30日放送、日本テレビ)

  • 「廃市」(1984年1月2日公開、日本アート・シアター・ギルド|ATG) 兼プロデューサー/企画/編集/作曲

  • 「少年ケニヤ」(1984年3月10日公開) 兼編集

  • 「天国にいちばん近い島」(1984年12月15日公開、東映) 兼潤色/編集

  • 「さびしんぼう (映画)|さびしんぼう」(1985年4月13日公開、東宝) 兼脚本/編集

  • 「姉妹坂」(1985年12月21日公開、東宝)

  • 「彼のオートバイ、彼女の島」(1986年4月26日公開、東宝) 兼編集

  • 「四月の魚」(1986年5月31日公開、ジョイパックフィルム) 兼企画/脚本/編集

  • 「野ゆき山ゆき海べゆき」(1986年10月4日公開、ATG) 兼編集/音楽

  • 「漂流教室」(1987年7月11日公開、東宝東和) 兼潤色

  • 「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるおしきひとびとの群」(1988年3月29日公開、アートリンクス) 兼脚本/編集

  • 「異人たちとの夏」(1988年9月15日、松竹)

  • 「北京的西瓜(ぺきんのすいか)」(1989年11月18日公開、松竹) 兼編集

  • 「ふたり」テレビドラマ(NHK)版(1990年)

  • 「ふたり」(1991年5月11日公開、松竹) 兼編集

  • 「私の心はパパのもの」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「彼女が結婚しない理由」(1992年6月13日公開、東北新社/ギャラクシーワン) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「青春デンデケデケデケ」(1992年10月31日公開、東映) 兼編集
    第16回日本アカデミー賞優秀監督賞

  • 「はるか、ノスタルジィ」(1993年2月20日公開) 兼脚本/編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「水の旅人 侍KIDS|水の旅人 -侍KIDS-」(1993年7月17日公開 東宝) 兼編集
    第17回日本アカデミー賞優秀編集賞

  • 「女ざかり」(1994年6月18日公開、松竹) 兼脚本/編集

  • 「あした (映画)|あした」(1995年9月23日公開) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの推理 <ディレクターズカット>(1998年2月14日公開、PSC、ザナドゥー (企業)|ザナドゥー) 兼編集

  • 「三毛猫ホームズの黄昏ホテル」(1998年2月21日放送、テレビ朝日) 兼脚本

  • 「SADA 戯作・阿部定の生涯」(1998年4月11日公開)
    第48回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞

  • 「風の歌が聴きたい」(1998年7月17日公開、ザナドゥー) 兼脚本/編集

  • 「麗猫伝説 劇場版」(1998年8月16日公開、PSC) 兼編集/作曲

  • 「あの、夏の日|あの、夏の日 〜とんでろ じいちゃん〜」(1999年7月3日公開、東映) 兼脚本

  • 「マヌケ先生」(2000年9月30日公開、PSC) 兼原作/脚本

  • 「淀川長治物語・神戸篇 サイナラ」(2000年9月30日公開、PSC)

  • 「告別」(2001年放送、ビーエス・アイ|BS-i) 兼脚本

  • 「なごり雪 (映画)|なごり雪」(2002年9月28日公開、大映) 兼脚本/編集

  • 「理由 (小説)|理由」(2004年12月18日公開、アスミック・エース) 兼脚本

  • 「理由(日テレヴァージョン)」(TVドラマ 2005年)

  • 「転校生 -さよなら あなた-」(2007年6月23日公開、角川映画) 兼脚本/潤色/編集/撮影台本

  • 「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」(2007年夏公開、角川映画) 兼脚本



    その他の主な作品


  • すばらしい蒸気機関車(1970年10月10日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 最後の蒸気機関車(1975年1月11日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 本陣殺人事件(1975年9月27日公開、高林陽一監督) 音楽

  • 新・木枯し紋次郎(1977年10月5日〜1978年3月29日放送、テレビ東京|東京12チャンネル) タイトル

  • 親子ねずみの不思議な旅(1978年3月11日公開、フレッド・ウォルフ/チャールズ・スウェンソン監督、日本ヘラルド映画) 歌詞

  • ホワイト・ラブ(1979年8月4日公開、小谷承靖監督、東宝) 出演

  • MOMENT(1981年4月4日公開、手塚真監督) 出演

  • 俗物図鑑(1982年11月8日公開、内藤誠監督) 出演

  • アイコ十六歳(1983年12月17日公開、今関あきよし監督、日本ヘラルド映画|日本ヘラルド) 製作総指揮

  • 乙女物語 お嬢様危機イッパツ!(1990年12月8日公開、内藤忠司監督、バンダイ) 出演

  • MAKING OF DREAMS 夢 黒澤明・大林宣彦映画的対話 演出・インタビュー聞き手)(1990年) 

  • 金なら返せん!(1994年12月9日放送) 出演

  • タイム・リープ(1997年6月7日公開、今関あきよし監督) 監修



    尾道三部作

    大林宣彦が、出身地尾道を舞台に撮影した映画の代表作として認知されている3つの映画作品のこと。後に、同じように尾道を舞台にした作品が同じく3つ造られたため、これを“新尾道三部作”と称すこともある。

  • 尾道三部作
    『転校生 (映画)|転校生』(1982年)
    『時をかける少女 (1983年の映画)|時をかける少女』(1983年)
    『さびしんぼう (映画)|さびしんぼう』(1985年)

  • 新尾道三部作
    『ふたり』(1991年)
    『あした (映画)|あした』(1995年)
    『あの、夏の日』(1999年)★音楽関連

  • 坂上香織 「香織の、―わたしものがたり。」 監督作品(VHS/LD) [1988年09月、EMIミュージック・ジャパン|東芝EMIより発売]
    :坂上のイメージビデオ(いわゆるミュージッククリップ)。
    :坂上のデビュー曲でこの作品に収録された「レースのカーディガン」ミュージック・ビデオ|PV撮影において、尾道三部作で使用されたロケ地を随所に織り交ぜて撮影し、「大林宣彦ワンダーワールド作品」と銘打って発売された、ミュージック関連の映像としては当時異色の作品。坂上が一人三役を演じ、合成演出を施した幻想的でメランコリーな雰囲気だが、非常に美しい仕上がりの作品である。



    テレビ版から劇場版

    大林作品にはテレビで製作された作品を後に劇場版として公開する、または劇場公開に先行してテレビで放送する、というケースが多く見られる。

    「理由」はWOWOWで放送、劇場公開の後、さらに日本テレビで「日テレヴァージョン」が放送された。

  • 麗猫伝説 (日本テレビ「火曜サスペンス劇場」1983年8月30日放送)
    :→ 劇場公開 1998年8月16日

  • 私の心はパパのもの (日本テレビ「水曜グランドロマン」1988年11月30日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • ふたり (NHK「子どもパビリオン」1990年11月9日・16日放送)
    :→ 劇場公開 1991年5月11日

  • 彼女が結婚しない理由 (日本テレビ「水曜グランドロマン」1990年12月26日放送)
    :→ 劇場公開 1992年6月13日

  • はるか、ノスタルジィ (WOWOW 1992年10月25日放送)
    :→ 劇場公開 1993年2月20日

  • マヌケ先生(原作・総監督、中国放送/TBS 1998年1月24日)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 淀川長治物語・神戸篇 サイナラ (テレビ朝日「日曜洋画劇場」1999年11月7日放送)
    :→ 劇場公開 2000年9月30日

  • 告別 (BS-i 2001年2月24日放送)
    :→ 劇場公開 2001年7月14日

  • 理由 (WOWOW「ドラマW」2004年4月29日放送)
    :→ 劇場公開 2004年12月18日
    :→ 日本テレビ「DRAMA COMPLEX」 2005年11月8日放送



    関連項目


  • :Category:大林宣彦の監督映画

  • 山中恒(映画の原作となった作品が多い)

  • 宮崎尚志

  • 黒澤明

  • 林海象

  • 石森史郎

  • 原田知世

  • ウッチャンナンチャン

  • パパとムスメの7日間

  • ロリコン

  • 富田靖子

  • 小林聡美

  • 石田ひかり

  • 山口百恵

  • 今関あきよし



    脚注





    参考文献


  • 『日本映画・テレビ監督全集』(キネマ旬報社・1988年)

  • 佐藤忠男『日本の映画人 日本映画の創造者たち』(日外アソシエーツ・2007年)

  • 『ぴあシネマクラブ 日本映画編』(ぴあ・2006年)

  • 『大特撮―日本特撮映画史―』(コロッサス・1979年)



    外部リンク


  • 大林監督のブログ

  • 大林宣彦の映画 普遍的個人映画--A MOVIE

  • 尾道撮歩記

  • インタビュー

  • 純愛映画の名手 映画秘宝.com インタビュー


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    2008年05月23日

    映画監督[蓮實重彦]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    蓮實重彦



    蓮實 重彦(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、文芸評論家、映画評論家、小説家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語のほかイタリア語も解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家で、人民戦線『土曜日』にも関わった。妻はフランス留学時代に知合った、「小津安二郎を愛する」フランス人蓮實シャンタル。長男の蓮実重臣は作曲家。著書『反=日本語論』では、息子を例に、バイリンガル家庭が子供にとって、必ずしも有利ではないことを論じている。



    経歴


  • 1954年 学習院高等科卒業

  • 1960年 東京大学文学部フランス文学科卒業

  • 1962年 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程進学

  • 1962年 パリ大学人文科学部に留学

  • 1965年 パリ第四大学博士 (文学)|文学博士

  • 1966年 東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学

  • 1966年 東京大学文学部助手

  • 1968年 立教大学一般教育部専任講師

  • 1969年 同助教授

  • 1970年 東京大学教養学部講師

  • 1973年 同助教授

  • 1988年 同教授

  • 1993年 同学部長(〜1995年)

  • 1995年 東京大学副学長(〜1997年)

  • 1997年 東京大学総長(〜2001年)

  • 1998年 国立大学協会会長(〜2001年)

  • 現在、東京大学名誉教授。



    人物

    本来はフランス近代文学(フローベール)を専攻とするフランス文学者であるが、1970年代初頭に当時安原顯が編集者を務めていた文芸雑誌「海」に掲載されたミシェル・フーコー等フランス現代思想・哲学者に関するインタビューと評論文(後に『批評あるいは仮死の祭典』に所収)が話題を呼び、当時勃興し始めていたフランス現代思想に関する論者として頭角を現す。ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、ジャック・デリダを中心としたフランス現代思想や、ロラン・バルト、ジャン=ピエール・リシャールなどのヌーヴェル・クリティックに関する論評、批評文を各種雑誌(三浦雅士の「ユリイカ」「現代思想」、中野幹隆の「パイデイア」「エピステーメー」、安原顕の「海」)に精力的に寄稿すると共に、朝日新聞の「文芸時評」などでも文芸評論を盛んに行う。またその著作活動は思想家や作家・作品の論評に留まることなく、『表層批評宣言』 や『反=日本語論』に収められた「エッセイ」にも及び『反=日本語論』は読売文学賞受賞を受賞。直接的な断定を周到に避ける独特かつ難解な語り口や、読点の極端に少ない長大な文体が人気を呼び、! 1980年代初頭から中盤にかけては最も知名度が高く多筆なアカデミズムの書き手の一人であった。思想や文学作品の論評から論壇に登場したが、中心的な関心は映画や野球にあることを著作やインタビュー等で早くから公言しており、事実一番最初に活字化されたものは大学院在学中に著し、「東京大学新聞社|東京大学新聞」に掲載された映画時評だった。1980年代中盤以降はニュー・アカデミズムブームの退潮に随伴するかのように、執筆対象の主軸を氏が最も愛する領域である映画に移行し始め、自らが責任編集を務めた雑誌「リュミエール」はこうした活動の中核となった。その後も、東京大学総長を務めていた一時期、少なくとも国内においては映画に関する文章を公開することを控えていたことを除くと映画評論が活動の中心であり、一般的には(元)東京大学総長という肩書きを除けば、文芸評論家、フランス文学者やフローベールの研究者あるいはフランス現代思想の論評家としてではなく、映画評論家として認知されていると思われる。ただし、東京大学から離れた現在では、あまり存在感がなくなってしまったという感も否めない。



    映画について

    大好きな監督、俳優はジョン・フォード、ジャン・ルノワール、小津安二郎の三人を筆頭に、ハワード・ホークス、ラオール・ウォルシュ、山中貞雄、オーソン・ウェルズ、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、カール・テホ・ドライヤー、アッバス・キアロスタミ、クリント・イーストウッド、ジョン・カサヴェテス、マキノ雅弘、ジム・ジャームッシュ、エルンスト・ルビッチ、ダグラス・サーク、ロベルト・ロッセリーニ、ジャック・ベッケル、ロベール・ブレッソン、リチャード・フライシャー、トニー・スコット(以上監督)、ジョン・ウェイン、トム・クルーズ、山田五十鈴(以上俳優)等、膨大。苦手な監督はウォシャウスキー兄弟、デヴィッド・リンチ、デヴィッド・クローネンバーグ、ジェームズ・キャメロン等多数。嫌いな監督、俳優はヘンリー・フォンダ(ジョン・フォードの晩年期での確執が原因で最も嫌っている。俳優としての評価とは別。)を筆頭にヒューゴ・ウィービング、ジェーン・カンピオン、リドリー・スコット、ラッセル・クロウ等。フランス文学研究者が本業であることからフランス映画を始めとするヨーロッパ映画が好みと思わ\xA1 $l$k$3$H$b$"$k$h$&$@$,!"%"%a%j%+1G2h!"FC$K1940年代までのハリウッド黄金時代こそが最高だと明言している。ただし、ニコラス・レイ、アンソニー・マン、ジョゼフ・ロージー、サミュエル・フラー等の「アメリカ50年代作家」とテオ・アンゲロプロス、ヴィム・ヴェンダース、ダニエル・シュミット、ビクトル・エリセ等の「73年の世代」(蓮實自身が『季刊リュミエール』誌で命名)に対しては人並みならぬ愛着と一家言を持つ。映画批評では特に映画の「歴史・記憶」に対する敬意を尊重する。氏の映画批評というと『監督 小津安二郎』に代表されるテマティスム的な批評文が引き合いに出されることが多いが、その一方で着実かつ独自な視点による映画史的な批評も重要な側面を占めている。『ハリウッド映画史講義』における「50年代作家」の擁護、「B級映画」の成り立ちと意義、「ハリウッド撮影所システム崩壊」の経緯と位置付けや、『映画における男女の愛の表象について』(『映画狂人、神出鬼没』所収)におけるヘイズ・コードがハリウッド映画にもたらした表現方法の変化、あるいは『署名の変貌 - ソ連映画察 K:FFI$N$?$a$N0l$D$N;k3Q!Y(レンフィルム祭パンフレット所収\xA1 )\xA4 K$*$1$k%5%$%l%s%H$+$i%H!<%-!<$X$NJQKF$N2aDx$H$=$NK\/$J$/$H$bF|K\$K$*$$$F$O;a$,=i$a$FDs<($7L@3N2=$7$?1G2h;KE*$J4QE@$,>/$J$+$i$:$"$k!#;a$NHcI>$O0J8e$N1G2hHcI>$K@dBg$J1F6A$rM?$($?!#$^$?!"N)65Bg3X;~Be$N65$(;R$H$7$F1G2h4FFD$N9uBt@6!"<~KI@59T!"K|EDK.IR!"1vEDL@I'!"1G2h4FFD!&>.@b2H$N@D;3??<#Ey!"L$Mh$N8=>l4FFD$K$bBg$-$J1F6A$rM?$($?!#H`$i$,7A@.$7$?1G2hJ82=$r!V%L!<%t%'%k%t%!!<%0|立教ヌーヴェルヴァーグ」という。一方、東京大学における教え子から生まれた映画監督は中田秀夫が目立つ程度だが、映画批評・研究の領域においては四方田犬彦(明治学院大学教授・映画批評家)を筆頭に、松浦寿輝(東京大学教授・詩人)、野崎歓(東京大学教授・映画批評家)、堀潤之(関西大学専任講師・映画批評家)など多彩な人材を輩出しており、蓮實自身がその創設に奔走した東京大学教養学部超域文化科学科表象文化論コースの卒業者は映画批評・研究の領域における一大勢力に育ちつつある。なお、四方田犬彦は、現在は蓮實重彦が唱えた「映画は映画の内側においてぁ N$_FC8"E*$K8l$i$l$k$Y$-!W$G$"$k$H$9$k!VI=AX


    その他の活動

    本業はフローベールの研究者だが、長い間予告され続けた『ボヴァリー夫人論』は未だに上梓されていない。そのことを他人に問われると「今年は出します」と答え続け約20年が経過したが、2006年発行の『表象の奈落』にフローベール論が収められた。ただし蓮實自身は『ボヴァリー夫人論』は数百ページに渡る長大なものになると予告していたこともある。東大の純血主義(教官を全て東大出身者で固めること)を批判し、他大学から多くの教官を受け入れた。北海道大学出身で成城大学教授だった小森陽一や、学位を持っていない安藤忠雄らがいる。1988年に発生した、いわゆる東大駒場騒動又は東大・中沢事件と呼ばれる、東大教養学部の人事をめぐる騒動では、西部邁が推した中沢新一の受け入れに賛成した。東大の時計台(駒場本館、本郷の安田記念講堂)を権威の象徴と決め付け「ああいうものは良くない」として、背後に高層ビルを建てさせて東京大学の景観を決定的に破壊してしまった。その結果、最近では卒業生や入学生が記念写真を撮るアングルに大変苦労するようになってしまった。スポーツなどへの言及も多いが、その批評、特にサッカー批評では\xA1 !"CN<1$N7gG!$KBP$9$kHcH=$,B?$$!#



    草野進について

    草野進(くさのしん)は、自称・公称、女流華道家。主にプロ野球への批評を書いている。贔屓のチームを持つ事を諌めたり、スポーツは生で見よと誘ったり、あえてプロ野球が退屈だと断言したりと、その挑発的な批評は、出現した当時、これまでのスポーツ批評に、静かながら確実な影響を与えた。草野進は蓮實重彦である、とか、草野進は蓮實重彦と渡部直己との共同執筆である、などの「説」がある。(ちなみに、「共著者」でもある蓮實重彦は草野球の名捕手だったという。 自筆年表より)主著に『どうしたって、プロ野球は面白い』、『プロ野球批評宣言』(草野進編)、『読売巨人軍再建のための建白書』(渡部直己との共著)、『日本プロ野球革命宣言―読売ジャイアンツ再建のための建白書』(渡部直己、蓮實重彦との共著)、『世紀末のプロ野球』など。



    著書


  • 評論など
    『批評あるいは仮死の祭典』
    『反=日本語論』(読売文学賞受賞)
    『表層批評宣言』
    『ミシェル・フーコー|フーコー・ドゥルーズ・デリダ』
    『夏目漱石論』
    『大江健三郎論』
    『物語批判序説』
    『凡庸な芸術家の肖像』(芸術選奨文部大臣賞受賞)
    『凡庸さについてお話させていただきます』
    『小説から遠く離れて』
    『小説論=批評論』(のちに『文学批判序説 小説論=批評論』と改題)
    『「私小説」を読む』
    『映画 誘惑のエクリチュール』
    『映画はいかにして死ぬか』
    『シネマの記憶装置』
    『シネマの煽動装置』
    『映画の神話学』(略称)
    『映像の詩学』
    『監督 小津安二郎』(2003年に増補版刊行、仏語・韓国語訳あり)
    『映画狂人シリーズ』(全10巻)
    『ハリウッド映画史講義 翳りの歴史のために』
    『映画への不実なる誘い 国籍・演出・歴史』
    『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』
    『魅せられて 作家論集』
    『ゴダール革命』
    『表象の奈落』
    『「赤」の誘惑 フィクション論序説』など多数。

  • 翻訳
    『マゾッホとサド』(ジル・ドゥルーズ)
    『フーコーそして /あるいはドゥルーズ』(ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ)
    『映画術ヒッチコック』(山田宏一と共訳、フランソワ・トリュフォー、アルフレッド・ヒッチコック)など。

  • テクスト(小説)
    『陥没地帯』
    『オペラ・オペラシオネル』がある。

  • 編集
    「リュミエール」(1985年より1988年の廃刊(14号)まで従事。)
    「ルプレザンタシオン」



    関連項目


  • 評論家一覧

  • フランス現代思想

  • 映画評論家

  • 文芸理論



    外部リンク


  • www.mube.jp(公式サイト)

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    2008年05月22日

    映画監督[山城新伍]

    お待たせ!
    映画ファン「映画監督・評論家編」
    山城新伍



    ・京都府京都市
    | 国籍 =
    | 民族 =
    | 血液型 =
    | 生年 = 1938
    | 生月 = 11
    | 生日 = 10
    | 没年 =
    | 没月 =
    | 没日 =
    | 職業 = 俳優
    | ジャンル = 映画、テレビドラマ、コマーシャルメッセージ|CM、映画評論
    | 活動期間 = 1957年 - 現在
    | 活動内容 =
    | 配偶者 = なし
    | 家族 =
    | 公式サイト = (株)オフィス・タッチ 山城新伍プロフィール
    | 主な作品 = 映画:仁義なき戦いシリーズ、不良番長シリーズ、桃太郎侍、白馬童子
    | アカデミー賞 =
    | アリエル賞 =
    | AFI賞 =
    | 英国アカデミー賞 =
    | エミー賞 =
    | グラミー賞 =
    | ゴールデングローブ賞 =
    | ゴールデンラズベリー賞 =
    | ゴヤ賞 =
    | ジェミニ賞 =
    | ジニー賞 =
    | セザール賞 =
    | トニー賞 =
    | 日本アカデミー賞 =
    | フィルムフェア賞 =
    | ブルーリボン賞 =
    | ローレンス・オリヴィエ賞 =
    | その他の賞 = 第4回日本ジュエリーベストドレッサー賞男性部門(1993年)
    | 備考 =
    }}
    山城 新伍(やましろ しんご、1938年11月10日 - )は、京都府京都市出身の俳優、映画評論家、映画監督、タレント。本名:渡辺 安治(わたなべやすじ)。 血液型O型。京都府立山城高等学校卒業。父は医師で母は看護師。女優の花園ひろみは元夫人で、女優の南夕花は長女。



    所属事務所

    東映 → 沢井プロダクション → (株)サイプロダクション → (株)プロダクションノータイトル → (株)オフィス・タッチ




    人物

    時代劇スターにあこがれエキストラをやる。東映ニューフェイス第4期でデビュー。 同期には曽根晴美、室田日出男、佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子など。 大学卒の学歴を本人は隠しているが、心理学者の浅野八郎浅野八郎は早稲田大学文学部卒である。[http://www.asano-8.jp/profile.html]より確認。と同級生であることを浅野自身が講演の中で語っている。 テレビドラマ「白馬童子」で子供たちの人気者となる。子供向けの時代劇だったが、都会的で端正な顔立ちのスマートな青年で、白馬に跨り忍者のような白装束の衣装が似合い、立ち回りの切れもよかったため大人にも大人気を博した。 当時は映画の全盛期であり、テレビは黎明期だったので映画会社はテレビを軽視し、ドラマには無名の俳優ばかりが出演していたが、東映の俳優による公開野球大会が行われたとき無名若手俳優の山城新伍が登場すると並居る大スター以上の拍手が客席から沸き起こり、映画会社は初めてテレビの影響力の大きさを認識し、テレビを脅威と感じるようになった。また当時映画監\xA1 FD$dGPM%$K$O%F%l%S$N;E;v$r$9$k4FFD$dLrO@!"1G2h4FFD$b$3$J$7$F$$$k!#4FFD$H$7$F$O!"$K$C$+$D%m%^%s%]%k! %N$N%R%C %H:n!X=wG- (1983年の映画)|女猫』(めねこ)、『双子座の女』のほか、『せんせい』、『やくざ道入門』、『本日またまた休診なり』、『ファミリー (映画)|ファミリー』といった作品がある。若山富三郎に気に入られ、その影響を受けて、俳優仲間、特に映画『仁義なき戦い』での共演者を中心に面倒見のいいところがあり、仲間たちのバラエティ進出をフォローしていた向きがある。認めないうちは非常に厳しいが、いったん認めると重用するところがある。また映画評論では、1979年10月から2002年3月までサンテレビジョン|サンテレビで放送された『火曜洋画劇場』で司会をし、低予算のためB級映画が放送されることが多かったが、そんな中でも「アクションはC級で・・・」など歯に衣着せぬも映画愛にあふれる言葉で映画の批評を行っていた。プロ野球は阪神タイガースのファンであり、かつては年1回サンテレビのプロ野球中継『サンテレビボックス席』にゲストとして呼ばれていた。浜村淳、元阪神タイガース監督吉田義男は高校の先輩、釜本邦茂、毎日放送アナウンサー野村啓司は高校の後輩である\xA1 !#9b9;$G$O!"%i%0%S!lI|5"$X$N0UM_$r=R$Y$F$$$?!#4X@>J[!J;~$*$jI8=`8l$K$J$k$3$H$b$"$k!K$GJ*;v$r$O$C$-$j$H%F%l%S$G$b8@$&@-3J$GCN$i$l$F$$$k$?$a!"E(BP$9$kk$O7y$$$d!W$H8@$C$FX_$i$J$$!J0JA0!X?78`$N$o$,$^$^Bg9%$-!Y$J$I$G$b6&1i$7$F$$$?!K!#;3>k<+?H$OH`$rI>2A$7$F$*$j!"!X$?$+$8$snoばぁー』の出演を熱望したが、しばらく断られていた(後に共演するが、その後も「俺は好きになれん」と言われていた)。某有名女性フリーアナウンサー(現在は引退)には強硬に肉体関係を迫ったため、番組内で共演した時も露骨に嫌な顔をされていた。



    山城の発言録


  • 「日本放送協会|NHKは公共放送。なのになんで1週間ずっとジャニーズ事務所|ジャニーズが出て、SMAP全員に主役を持たせるのか。あんな近藤勇なんか見とうないわ」

  • ジャニーズ事務所|ジャニーズなんて男どうしでカマほってる集団やろ。気持ち悪い。

  • 「どこの芸能事務所|事務所に所属しているかで、キャスティングが決まるのはおかしい。別にバーニングプロダクション|バーニングとはいってへんけどね」

  • 「これまでの時代劇を全否定しやがって。三谷幸喜、なめとんのか。俺は許さんよ」
    (『古畑任三郎』に出演し、三谷も山城の回のエンディングは敬意を払ったもので、相互の評価は悪いものではなかったが、NHK大河ドラマ『新選組!』については時代劇俳優として決定的に受け入れられるものではなかった。また、この発言のときは映画の完成発表のときでもあり、彼一流のアドバルーンであった側面もある)

  • 「寄らば大樹はクズの考え。今の芸能界はそうなっている。俺の意見に日本国民の8割は賛成してくれるやろう」

  • 「NHKの受信料の一部は、ジャニーズに流れとるんやろ。そんな受信料なら払うな」

  • 「昼はファンに追いかけられ、夜は社長に追いかけられる。どこのジャニーズ事務所|プロダクションのことか分かるやろ」

  • 「俺の残りの俳優生命をかけてもええ」

  • 「チョメチョメ」

  • 「俺があんな(おどけた)CMやったとき、『ああ、落ちぶれたな』とか思わせへん自信はあるよ。宝田明さんと違ごてね」

  • 「嫌いな俳優? 緒形拳やね。あんな鈍くさい奴、俺より評価受けとる俳優みんな嫌いや」

  • 「その方がロマンがあるがな。マンコ|コーマンやないで」

  • 1992年、『EXテレビ』にて、当時参議院議員だったアントニオ猪木の都知事選辞退に際して金の授受があったとの疑惑に関して、「あれはあかん。もう終わりやね」と発言。しかし、数年後に『あぶない話』に猪木がゲスト出演した際には、「猪木さんが金もらうわけないがな」と180度方向転換したコメントを発した。

  • 1994年『森田一義アワー笑っていいとも!|笑っていいとも!』出演時、宅麻伸と賀来千香子の結婚について「3年で別れる。俺は当たるんだ」とコメント。2007年現在、宅麻夫妻は離婚していない。

  • 「親が子とやったらおかしいやろ」(梅宮辰夫が名づけ親の女性タレントを山城が性交渉|やってしまい、梅宮から「何で俺より先にやるんだ!!」と怒られた際に)

  • 「女は梅宮が、男はカルーセル麻紀|カルーセルが全部手をつけた」(ある映画の撮影中)

  • 「男と(セックスを)やらなあかんのやったら、(相手は)名高達男がええ」

  • (小泉純一郎の長男小泉孝太郎|孝太郎が芸能界入りするというニュースに対して)「そんなもん俺が苛めて芸能界から追い出したる」

  • 2001年頃、「小泉総理よ、あんたが首相としてやった事は息子を芸能界デビューさせた事だけなんや」、「政治家として、何一つやってないんや」



    部落差別問題と著作

    芸能の歴史と部落差別問題について詳しく、著作もある。

  • 「現代・河原乞食考―役者の世界って何やねん? 」(解放出版社)1997.8



    そのほかの著作


  • 「白馬童子よ何処へ行く 独占男の時間」(八曜社)1976 - 吉田豪の「読んだタレント本中のベスト」

  • 「映画通のタネ本」(青春出版社) 1979.10. (プレイブックス)

  • 「軟派の硬意地 芸能界、裁くのは俺だ 裁かれるのも俺だ」(実業之日本社)1983.11

  • 山城新伍の「知りすぎてしまった男」」(はまの出版) 1986.10

  • 「新伍のぶっつけ本番」(ふたば書房)1988.6

  • 「新伍のハーフタイム」(ビクター音楽産業) 1989.9. (ビクターブックス)

  • 「一言いうたろか」(広済堂出版) 1993.10

  • 「かなり好きです」(青春出版社) 1994.5

  • 「若山富三郎・勝新太郎 無頼控 おこりんぼ さびしんぼ」(幻冬舎)1998.6 - 吉田豪、水道橋博士も絶賛の名著
    「オレは、この二人にしか、影響を受けていない」と記載されている。

  • 「わがまま筆まかせ」(中央公論社)1999.8



    略歴


  • 1957年 東映ニューフェイス第4期生

  • 1959年 「風小僧」第1部 疾風之介役でデビュー。同年、第2部で主演。

  • 1960年 「白馬童子」で主演し、人気を博す。

  • 1966年 女優の花園ひろみと結婚。

  • 1975年 「独占!男の時間」でバラエティに進出。

  • 1981年 フジテレビジョン|フジテレビ系「アイ・アイゲーム」で伏字を「チョメチョメ」と表現し流行語になる。

  • 1985年 花園ひろみと離婚。

  • 1991年 花園ひろみと2度目の結婚。これを「新伍のお待ちどおさま」で梅宮辰夫に発表され、更に彼から祝福のキスを受ける。

  • 1999年8月 花園ひろみと2度目の離婚。
    その後も同居していたが、2001年以降は一人暮らし。

  • 2005年 糖尿病で入院。
    現在は自宅療養中であり、2007年夏以降に復帰という方向で動いているらしいが詳細は不明。



    主な出演作品




    [ 映画 ]


  • 不良番長シリーズ(東映。ほぼ全作に出演)

  • 喜劇 ギャンブル必勝法(東映。数少ない現代劇の主演作品)

  • 仁義なき戦い(東映) 江田省一 役
    広島死闘篇
    代理戦争
    頂上作戦
    完結篇

  • 新仁義なき戦い(東映)

  • 直撃地獄拳 大逆転(東映)

  • 県警対組織暴力(東映)

  • 資金源強奪(1975年、東映)

  • トラック野郎(東映)
    爆走一番星 (トルコの帝王/須間田三四郎)役
    故郷特急便 (プロデューサー奥村)役

  • 歌麿 夢と知りせば(1977年、太陽社)

  • ミスターどん兵衛(1980年、東映、監督作品)

  • ハチ公物語(1987年、松竹)

  • 塀の中の懲りない面々(1987年、松竹)

  • スウィートホーム (映画)|スウィートホーム(1989年、東宝)

  • せんせい(1989年、松竹、監督作品)

  • やくざ道入門(1994年、松竹、監督作品)

  • サラリーマン金太郎(1999年、東宝)

  • 本日またまた休診なり(2000年、松竹、監督作品)

  • 週刊バビロン(2000年、東映、監督作品)


    [ ドラマ ]


  • 風小僧(東映制作、テレビ朝日|NET)

  • 白馬童子(東映制作、NET)

  • Gメン'75(TBS・東映)第12話「漂流死体」

  • ザ・ハングマン|新ハングマン(朝日放送)

  • 桃太郎侍(日本テレビ放送網|日本テレビ)

  • 新五捕物帳(日本テレビ ただし、主演は杉良太郎)

  • 必殺必中仕事屋稼業(1975年、必殺シリーズ)第9話「からくり勝負」

  • 付き馬屋おえん事件帳(テレビ東京)

  • 火曜サスペンス劇場「悪夢の五日間」(1990年8月14日放送、日本テレビ・トムソーヤ企画)主演

  • 新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵(1987年正月、必殺シリーズ) 大石内蔵助役

  • 必殺スペシャル・新春 せんりつ誘拐される、主水どうする? 江戸政界の黒幕と対決! 純金のカラクリ座敷 (1992年正月、必殺シリーズ) 丑寅の辰役

  • 半七捕物帳(1992年10月〜1993年2月、日本テレビ・ユニオン映画)

  • 暁に斬る!(関西テレビ放送|関西テレビ・ヴァンフィル)

  • 闇を斬れ(1981年、関西テレビ・松竹)

  • 監察医・薮野善次郎1〜10(1996年〜2003年、東京放送|TBS) 主演・薮野善次郎役

  • 古畑任三郎「魔術師の選択」(1996年、フジテレビ)犯人・南大門昌男役

  • 南町奉行事件帖 怒れ!求馬#南町奉行事件帖 怒れ!求馬II|南町奉行事件帖 怒れ!求馬II(1999年 東京放送|TBS・C.A.L.)第2話「泣きぼくろの女」 喜之助役

  • 水戸黄門 (テレビドラマ)|水戸黄門第28部(2000年、TBS)ゲスト出演

  • 土曜ワイド劇場「癒しの事件簿・藤井若菜の犯罪被害者相談室」(2007年3月31日、テレビ朝日) 伊集院遊心役


    [ バラエティ他 ]


  • 独占!男の時間 (東京12チャンネル 現・テレビ東京)

  • 笑アップ歌謡大作戦(テレビ朝日)

  • 何かとワイド面白地球(テレビ朝日、司会)

  • 世界とんでも!?ヒストリー(1993年 テレビ朝日、解答者)

  • アイ・アイゲーム(フジテレビジョン|フジテレビ、司会)

  • クイズ!ベストカップル(フジテレビ、司会)

  • クイズ天国と地獄(東京放送|TBS、司会)

  • クイズ!!ひらめきパスワード(毎日放送|MBS、司会 野村啓司アナから2代目を引継ぐ)

  • 新伍とんでけ捕物帳(MBS、主演)

  • それいけ!新伍迷探偵(MBS、主演)

  • 金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ放送網|日本テレビ 三日月刑事役)

  • 金曜娯楽版(日本テレビ、司会)

  • 夜はドキドキ!!(関西テレビ放送|KTV、司会)

  • 新伍のお待ちどおさま(TBS、司会)

  • クイズ どんなMONだい?!(日本テレビ、解答者)

  • クイズ・マネーイズマネー(讀賣テレビ放送|ytv'、司会)

  • 新伍のわがまま大好き(朝日放送|ABC、司会)

  • 新伍・紳助のあぶない話(KTV、司会)

  • レインボー_(テレビ番組)|レインボー(MBS、司会)

  • 新伍Niタッチ!(MBS、司会)

  • 新伍のワガママ大百科(MBS、司会)

  • 山城桃源郷(ytv'、司会)

  • クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!(日本テレビ、通常放送では解答者・特番では司会、1993年に逸見政孝の代理司会)
    新装開店!SHOW by ショーバイ!!
    新装開店!SHOW by ショーバイ2

  • 火曜洋画劇場(サンテレビ、司会・映画評論)

  • 壮絶バトル花の芸能界 男と女!!(日本テレビ、パネラー)

  • 東京金歯(BSフジ、審査員)


    [ オリジナルビデオ ]


  • 殺しのメロディ(東映、監督作品)

  • 江戸むらさき特急(アミューズ、監督作品)

  • ファミリー_(映画)|ファミリー(ラスカル、監督作品)

  • 六本木の帝王カポネ(ラスカル、監督作品)

  • フレンズ(ラスカル、監督作品)

  • 新・日本の首領


    [ 吹き替え ]


  • 刑事コロンボ|刑事コロンボ・ルーサン警部の犯罪(ウィリアム・シャトナー)

  • NBCミステリー・ムービー|マッコイと野郎ども(トニー・カーティス)


    [ CM ]


  • どん兵衛(日清食品、川谷拓三と共演)

  • ユンケル黄帝液(佐藤製薬|サトウ製薬)

  • ベープ(フマキラー)

  • バブルスター(原ヘルス工業、北大路欣也と松方弘樹と梅宮辰夫と千葉真一と共演)

  • サッポロ生黒ラベル(サッポロビール)

  • マツダ・タイタン|タイタン(マツダ)

  • マツダ・ボンゴ|ボンゴ(マツダ)



    受賞歴


  • 第4回日本ジュエリーベストドレッサー賞男性部門(1993年)



    関連項目


  • 日本の男優一覧

  • 映画評論家一覧

  • 梅宮辰夫

  • 松方弘樹

  • 逸見政孝

  • 上島竜兵



    外部リンク


  • 所属プロダクションのプロフィール

  • 「プロダクションノータイトル」所属時代のプロフィール

    Quotation:Wikipedia - Article - History  License:GFDL
  • posted by れびゅんAE86 at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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